2006/07/26 (07/29 江ノ島・観光案内図についての情報を追記)

皆さん、こんにちは。
23日の日曜日、江ノ島にある『児玉神社』で例大祭があり、御祭神・児玉源太郎大将の没後100年が祝われたのであります。併せて前台灣総統・李登輝先生御揮毫による扁額の、除幕式が行なわれました。この間雨はあがり、空はどんよりしていましたが、降られることはありませんでした。


      (李登輝先生御揮毫)

私は中学校の修学旅行で江ノ島へ来ました。江ノ島への橋は、木橋でした。島にある旅館で泊まった記憶があります。眠りの中で、ど〜ん、ど〜ん、という波の音がずうっと響き続けて、その音が記憶に残っています。中学校は大阪でした。藤沢から江ノ島・鎌倉を回り、東京へ出ました。皇居へ行きました。靖国神社へも行ったと思います。古いアルバムを取り出せば、写真が残っているはずです。
江ノ島へ渡るのはそれ以来です。50年余を経たんですね。夢のようです。

江ノ電・江ノ島駅で下りて、改札を出た場所にある案内の看板を見ました。しかし、「児玉神社」がありません。駅員さんに児玉神社を訊ねると、知らないといいます。すぐ前の店の女性に聞いても、知らない。何か、大きなポカやったのではないかとあせりました。「江ノ島にあるんですか?」と問われ、そうですといいますと、江ノ島への方向を教えて呉れました。

134号線をくぐる手前右側に、観光案内所がありました。そこではさすがに児玉神社を知っていました。ざっと説明を聞いて地図を貰い、歩きました。江ノ島について案内図を広げますと、なんとそこには「児玉神社」が無いのです。

結果として、「14後藤新平の詩碑」がその境内にあるのでした。
「児玉神社」が藤沢市の観光行政からも顧みられない存在だったことは、あとで氏子の方のお話しを横で耳にして、それなりに理解しました。但し事実関係を確認していません。今度10月1日に再度参拝しますので、その時に確かめてみたいと思います。何でも藤沢市の首長に革新系の人が続き、児玉源太郎“大将”などというのは嫌われた、というのです。

児玉源太郎の名は、司馬遼太郎先生の『坂の上の雲』で知りました。
日露戦争で日本を勝利に導いた最重要の指揮官であったでしょう。
この人が 1898-1906 の9年間、台灣の総督を務め、台灣近代化の礎を築いたとして、台湾人からも深い尊敬を受けています。

この社殿には、台灣・阿里山麓の檜が使われています。鳥居も敷石もすべて台灣のものだそうです。
「一対の狛犬像は台灣の名工の手にかかるもので、鑑賞に価する逸品であります。」
と社のリーフレットにあります。

戦前戦後を通じ日本に住む台湾人は、よくここを訪れたそうです。お父上が高座海軍工廠の舎監を務められ、「高座日台交流の会事務局長」の石川公弘氏は、少年たちは休みになるとよく江ノ島を訪ねたと話されました。児玉神社にも寄られたでしょう。海の向こうに故国がある、少年たちがよく歌った歌は“椰子の実”だったと、石川さんは云います。

式典後の挨拶の中で藤沢市議会議長さんは、児玉神社を「貴重な観光資源として」PRしていきたい、“中華民国”の方にも多勢来て頂きたい、とおっしゃっていました。それは是非そうして頂きたいものです。今までが「もったいない」ことをしていたと思います。
ただ“中華民国”と何度も強調しておられました。これは深い政治的意味合いでなく、単に気を遣っただけと思いますが、むしろ『台灣』の方がいいのです。

除幕式

この社殿の設計は当時の侍者建築の第一人者、伊東忠太工学博士があたり、当社社殿は現在でも近代神社建築の模範と称せられている、とリーフレットにあります。

おしまいに Kyoko Cooley さんよりのメールを添付します。
このお便りはその前段があるのですが、それは次回とします。
 

> -----Original Message-----
> From: Kyoko Cooley
> Sent: Tuesday, July 25, 2006 1:24 PM
> To: ノムさん
> Subject: 児玉神社

野村 様

こんにちは。
ケーキの写真、載せていただくのだったらもっと豪華なケーキの写真を送ればよかった!と思ってしまいました。(見栄っ張りなもので。)
娘も不機嫌な顔をしていてあまり良い写真ではありませんが、載せていただけることを嬉しく思います。
「お嬢様」なんて、とてもそんな娘ではありませんよ〜。(はっきり言って「小悪魔」です。)(←次回)

児玉神社、江ノ島にあったとは知りませんでした。(児玉源太郎という人物も全く知りませんでした。)
どうして李登輝さんが関係しているのか知りたくてネットで調べました。
台湾人の児玉総督に対する感謝の気持ちから、神社の鳥居、社殿、狛犬など、台湾人からの浄財で造られたと知り、あまりの美談に感動しています。
児玉神社についての時事短評を楽しみにしています。

8月8日、横浜の応援に3割も割いていただけるとは、野村さんもお人好しですねぇ。(阪神の勝利を信じ切っているからでしょうか?) (*1)
応援はともかく、是非試合中に崎陽軒のシュウマイべんとうを食べてきてください。 (*2)
何が横浜スタジアムの野球観戦で一番の楽しみであったかと言えば、私の場合は野球を見ながらシュウマイべんとうを食べることでした!
大好きなチームのホームスタジアムで、大好きなシュウマイべんとうを食べる。
格別な味がしました。
   Kyoko Cooley

*1 Kyokoさんは熱烈な横浜ファンです。私は虎キチです。でもベイスターズは二番目に好きです。8/8は阪神:横浜戦な訳です。
*2 私もスタジアムに入るなりまっ先に崎陽軒のシュウマイ弁当を手に入れます。売切れが早いので。
** 中日に連敗だ。今夜はもう一杯呑もう。3.5ゲームか。

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(2006.07.27追記)
藤沢市の首長について調べてみました。
http://members.jcom.home.ne.jp/4052395001/qrf/study.htm
によりますと、
“高度経済成長期を経てほぼ現在の宅地衛星都市としての姿を形成した藤沢市は、選挙区として「革新の牙城」と呼ばれる時代を迎える。当時の社会党若手論客で後の民主党衆院議員となる葉山峻氏が24年間に渡って市長を務める葉山時代の到来である。1972年に市長初当選した葉山氏は、その後1996年まで一度の落選もなく6期を務めることになる。その間県政・国政選挙でも革新候補が保守候補を度々圧倒した。”
とあります。革新の牙城だったんですね。
葉山峻市政24年のあと現在の山本捷雄市長が、三期目に入っている訳です。山本さんがどのような傾向の方か、隣の鎌倉に住む仲間に訊ねていますが、まだ返事がありません。いずれにせよ、長かった葉山峻市長時代、児玉源太郎“大将”は冷遇されたのでしょう。未だに市(藤沢市観光協会)の“江ノ島イラストマップ”に「児玉神社」は入っていないのです。

荒れ果てていた児玉神社を、私財を投げ打って再興に導きつつあるのが山本白鳥宮司なのだそうです。

珍しい女性の宮司さんですね。
このお社には色々と興味ある話しが秘められていそうです。10月1日の再訪が楽しみです。

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2006.07.28朝、追記
鎌倉在住の畏友MU氏より、下のような情報を頂きました。

野村さん
児玉神社の氏子である藤沢市の市長や市会議員達が神社に冷淡であった時期はあったと思いますが、それは終戦間際及びその後に、藤沢、茅ヶ崎が置かれた特別な状況にも原因していると思われます。
1945年に米軍は戦争を終結させるため、日本に決定的な打撃を与える作戦として、相模湾の茅ヶ崎あたりを中心とする海岸に数十万の軍勢を上陸させる「コロネット作戦」及び原子爆弾の投下の何れかの実行を考え、コロネット作戦を展開する地域の周辺に間断無き爆撃を行い、住民は甚大な被害を被りました。
原爆投下が成功し、コロネット作戦は反故になりましたが、終戦後も米軍はその地域を上陸作戦の演習地として昭和29年迄使用し、同年6月になって漸く撤退を完了しております。小津安二郎の名画「晩春」に出てくる茅ヶ崎海岸の荒涼とした場面はその撤退の直後でした。
米軍駐留が長引いた原因は言わずと知れた朝鮮戦争です。
最近の藤沢市は拉致家族支援の運動も後援していることから考えて、一概にいえないと思われます。藤沢市会議員にも知り合いがいるので、機会を捉えてその辺の消息を調べてみたいと思います。M.U.

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2006.07.29 追記
「日本李登輝友の会」より“江ノ島・観光案内図”について下の連絡を得ました。

(・・・・・・)ちなみに、この児玉神社について書かれているブログ冒頭で、野村さんが江の島の案内図に児玉神社が記載されていないことを指摘されていますが、6月24日に神奈川県支部の方々と児玉神社へ上がった折に、支部の方からやはりこの指摘がありました。
   そこで、本部の柚原正敬事務局長が案内図(江の島イラストマップ)を作成している藤沢市観光課と藤沢市観光協会宛に訂正依頼状を送って申し入れたところ、藤沢市観光協会から、8月末にできあがる改訂イラストマップ(20万枚)では訂正すべく児玉神社と打ち合わせしているとの連絡が入りました。また、藤沢市や観光協会で出している他のパンフレット類も来年春までに訂正すると確約していただきましたので、ご安心ください。(・・・・・・)

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児玉麻里さんというオルガニストがいらっしゃいます。児玉源太郎大将のお孫さんであると聞いた記憶があります。私も二度ほど演奏を聴きました。インターネットで検索しても児玉大将とのご関係は出てきませんので不確実ですが、このような方です。
http://www.geocities.jp/ron_nakamura2001/sub436.htm
http://www.seibonokishi-sha.or.jp/kishis/kis0107/ki01.htm

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