現時点において、グルジア各地区の長は、地元住民から成る独自の武装部隊を有している。それにも拘らず、グルジア保安省の構成下に特殊支隊「オメガ」が正式に存在し、グルジア国防省の配下にはSS特殊軍2個大隊が存在し、2000年に米国で訓練されたシェワルナゼの警護約100人が存在する。
4月末、アメリカの軍事教官がトビリシに到着し、「教育と装備」プログラムの枠内において、テロ・グループ及び不法武装部隊対策にグルジアの各種戦力機構の特殊任務部隊を訓練するだろう。アメリカ使節団の指導者には、米陸軍ロバート・ウォルトメイアー中佐が任命された。彼は、歩兵課程(フォート・ベニングス)、国防研究所、国家戦略防衛課程、高等軍事大学指揮学部(ロシアの参謀本部アカデミーの類似物)を卒業した。その外、ルイジアナ大学の歴史学学士号を取得した。「マスター・パラシュート」及び「レンジャー」記章、特殊作戦の計画立案及び参加に対して、特別袖章を有する。ウォルトメイアーは、今日のアメリカ陸軍の主要打撃戦力である第101空中機動師団(ケンタッキー州、フォート・キャンベル)で勤務を始め、第24機械化師団(ジョージア州、フォート・スチュアート)で勤務を続けた。後に、特殊部隊に移転し、有名な第10特殊作戦群にも在隊した。中佐は、過去、ペルシャ湾及びイラク北部での作戦(1991年
)に参加し、その後、統合特殊作戦センター計画課長となり、正に、アメリカのコマンドを教え込んだ。ボスニア・ヘルツェゴビアでの「同盟の鍛冶場」とコソボでの「同盟の力」作戦の枠内において、特殊部隊の行動の計画立案及び訓練に直接参加した。
準備段階において、アメリカの専門家により、大きな仕事が行われた。演習場及び教育・資材基地施設が見学され、グルジア部隊と統制機関の装備水準が点検された。その後初めて、プログラムが作成された。ウォルトメイアーによれば、プログラムは、21ヶ月間を予定し、4段階から成る。第1段階では、約2.5ヶ月間で70人のグルジア人教官が教育され、事後、アメリカ人と共同で自国兵に従事することになる。同期間、グルジア特殊任務部隊の物的・技術装備及び保障の改善に向けられた措置を行うことが計画されている。彼ら、並びに本部は、新しい通信及び偵察システム、工兵及び特殊手段を受け取るはずである。第2及び第3段階(その具体的な時間枠は、まだ決定されていない。)では、戦力機構統制機関、3個大隊及び独立旅団の課業が行われる。第4段階では、規定通り、アメリカ及びNATO標準により、合衆国への教官の帰国が規定されている。
コマンドウズ隊員の個人訓練プログラムの主な特徴は、グルジア国防省だけではなく、国家保安委員会、内務省及び国境軍の特殊部隊も参加することである。教育の原則は、ソビエト軍と同様に、簡単なものから複雑なものへである。
個人課業の外、その過程において、武器、通信手段、偵察及び工兵保障手段
が学習されるだけではなく、サバイバル及び野外での実践訓練が行われる。ちなみに、プログラムには、戦闘行動実施の法的基盤、潜水兵の訓練、並びに航法等、グルジア陸軍にとってかなり風変わりな課目が存在する。
部隊訓練に対しては、小隊〜大隊級の戦術、並びに居住区及び山岳・森林地形での戦闘行動の特性の事後の研究が特徴的である。アメリカの軍事指導者の評価によれば、試験の結果により、付与された戦闘任務を遂行できる各大隊150人以下が残される。
本格的に、グルジア軍で最も行動能力があるのは、ペンタゴンの教官が訓練した契約勤務軍人の3個大隊である。これは、ワジアニの第11自動車化狙撃旅団第111大隊「シャフナバダ」、並びに「コマンドウス」(海軍歩兵大隊は、ポチに配備)と第16サチヘル(西グルジア)山岳狙撃兵旅団の基地の2個大隊である。9月、アメリカ人教官は、グルジア国防省の第111テラフ(トビリシから40km)戦車大隊の基地で、最後の4つ目のグルジア大隊の訓練に着手した。プログラムの期限は、2004年5月に満了する。現在のところ、その規定に従い、ペンタゴンにより訓練された各軍人は、100米ドル以上の金銭給与を受け取っている。
最終更新日:2004/10/07