総評=日本労働組合総評議会の議長や、日教組=日本教職員組合の中央執行委員長などを歴任した槇枝元文氏が、4日、東京都内の病院で亡くなりました。89歳でした。
槇枝氏は、大正10年、岡山県で生まれ、中学校の教員などを経て、昭和24年、日教組の本部に入りました。そして、書記長などを歴任し、昭和46年から12年間、中央執行委員長を務めたほか、昭和51年から7年間は当時の総評の議長を務めるなど、長く労働運動に取り組みました。総評議長を退任後は、中国への日本語教師の派遣など、日本と中国の人材交流に携わったほか、核兵器の廃絶運動などにも力を尽くしました。槇枝氏は1週間ほど前から東京都内の病院に入院していたということで、4日、肺炎のため亡くなりました。