槙枝元文さん=07年12月、東京都千代田区
日本教職員組合の委員長を最も長く続け、労働団体の最大組織だった総評の議長も務めた槙枝元文(まきえだ・もとふみ)さんが4日、肺炎で死去した。89歳だった。葬儀は5日、親族のみで行った。喪主は長男で弁護士の一臣さん。後日、日教組が偲(しの)ぶ会を開く予定。
岡山県生まれ。1940年、県立青年学校教員養成所を卒業後、兵役をはさんで青年学校、中学校などで計5年、教壇に立った。
復員後、戦後の民主教育にふれて地元で組合づくりを呼びかけ、49年、結成間もない日教組の中央執行委員に。
いったん岡山に帰ったが、勤評反対闘争のさなかの58年に本部に戻り、書記次長に。日教組の社会党支持決定、全国学力テスト反対運動で中心的な役割を果たした。
書記長時代は経済成長期と重なり、政治闘争から宿日直廃止、超過勤務手当支給などの経済闘争に重点を移した。
委員長に就任したのは、71年。主任制度化問題などで自民党・旧文部省と対立する一方、市販テストの不使用運動や学校5日制の導入も提唱し、12年間務めた。
その間、76年から83年までは、総評の議長と「二足のわらじ」をはく。旧社会党が退潮し労働運動が下り坂のなか、事務局長で国労書記長だった富塚三夫氏とコンビを組んだ。「開かれた総評」を掲げたが、社共共闘ではなく社会・公明中軸路線を打ち出し、総評の解散、連合への参加へのレールを敷いた。
一臣さんによると、槙枝さんは先月26日に胸の痛みを訴えて入院。4日朝、容体が急変したという。