筆者は農産物の関税や非関税障壁をすぐにでも取り除くべきだと常々思っている。環太平洋戦略的経済連携協定(Trans-Pacific Strategic Economic Partnership Agreement, TPP)に日本は最大の積極性でもって参加しないといけない。農業補助金のような直接的な負担や、800%の米の関税のような輸入制限によって高い農産物を買わされる間接的な国民の負担の合計は毎年5兆円を超えるという。なぜ多くの国民がそれだけの負担を背負わなければいけないのか。もちろん負担はそれだけではない。米の関税がボトルネックとなり、日本はアメリカなどの世界の主要国と自由貿易協定を結べないでいる。そのため日本の輸出産業は、関税を撤廃して次々と自由貿易協定を締結している韓国や台湾の企業よりも不利な条件で競争せざるを得なくなっている。経済的には農産物の輸入制限を撤廃するのは当然のことなのだ。
しかしこのような自由貿易に対する反対意見として常にいわれるのが安全保障問題だ。食料の自給率を高めないと外国が食料を売ってくれなかったら困るので、食料は自国で自給しなければいけないという一見もっともな論理だ。ところがそんな自給率を声高に叫ぶ農林水産省は、減反政策といって米の生産を抑制する政策をずっとやってきた。余りすぎている米を作るのをやめてくれと農家に頼んで、減反の「成果」に対して農家に補助金を払ってきた。こういった米の減反政策に関する補助金は今までで7兆円以上になる。7兆円といったら、アメリカの穀物メジャーのカーギルやADM、ヨーロッパのブンゲなんか全部買収してもお釣りがくる金額である。何かがおかしいのではないか。それにしても都市のサラリーマンはなぜこれほどの金額を族議員や役人、農協、農家に払い続けなければいけないのだろうか。自給率を高めることによる安全保障はそれだけのコストに見合う価値があるのだろうか。
いったいどういうときに外国が日本に食料を売ってくれなくなるのだろう。日本が軍国主義のようになり、イラクや北朝鮮のように国際社会から経済制裁を加えられるときなのだろうか。だとしたら自給率を高めるよりも、国際社会から信頼される国になるよう努力する方がよほど生産的ではないか。実際のところ世界で食料の生産能力は過剰で、余った食料をいかに外国に売り込むかに必死だ。金さえあれば、どこかの国が必ず食料は売ってくれるはずだ。そもそも外国が日本を兵糧攻めにするような状況では、石油の方が問題になるだろう。日本はエネルギーのほどんどを外国に頼っており、石油がなければ農業のための化学肥料も作れないし、食料を都市に運ぶこともできない。もし安全保障の観点から農業政策を考えるのならば、エネルギーをはじめとする様々な要素を統合したフレームワークで議論する必要があろう。
もっと根源的な問題がある。これらの農業のコストは都市のサラリーマンの負担でまかなわれているのだが、本当に食料不足のような危機的な状況になったとして、田舎の農家は都市のサラリーマンに率先して食料を分け与えてくれるのだろうか。そんなことがありえるだろうか。もしそのような危機的状況で食料をもらえないとしたら、なぜ都市のサラリーマンは平時に常に負担を強いられるのだろう。こういうことを考えれば、食料自給率とか安全保障などの耳触りのいい言葉に騙されてはいけないことがわかろう。むしろ積極的に自由貿易を推進して、世界中からさまざまな物資を輸入できるような体制を常に整えておくことこそ、都市のサラリーマンの「安全保障」なのだ。
また日本だけの問題ではない。日本が途上国からたくさん農産物を買えば、途上国は経済的に発展することができる。途上国が豊かになれば、日本が得意とする高級家電なども売り込めるだろう。このように経済的な結びつきが強くなれば、日本はいざという時の物資の輸入ルートをさらに強固にできるだろう。自由貿易はWin-Winの関係なのだ。
そもそも政府が自給率を本当に高めようとしているかというと、そんなことはない。なぜならば政治力を保つためには、票の数が多ければ多いほどいいからだ。誤解を恐れずにいえば、我が国の農業政策とは、国が監視の目を光らせ、農家の生産性が上がることをひたすら阻止し、小規模農家、兼業農家をなるべくたくさん維持することなのである。そのために様々な規制を張り巡らせ企業が農地を買い占め大規模な農業ができないようになっている。大規模な競争力のある農家が増えれば、農家そのものの数が減ってしまうため票数が減ってしまう。それは大変まずいことなのだ。TPP参加の議論をきっかけに日本の農業政策が少しでもまともになることを筆者は願っている。
参考資料
日本は農村が動かしている国である、川島博之、JBPress
「食糧危機」をあおってはいけない、川島博之
日本の安全保障―沖縄米軍基地と食料自給率、金融日記
いったいどういうときに外国が日本に食料を売ってくれなくなるのだろう。日本が軍国主義のようになり、イラクや北朝鮮のように国際社会から経済制裁を加えられるときなのだろうか。だとしたら自給率を高めるよりも、国際社会から信頼される国になるよう努力する方がよほど生産的ではないか。実際のところ世界で食料の生産能力は過剰で、余った食料をいかに外国に売り込むかに必死だ。金さえあれば、どこかの国が必ず食料は売ってくれるはずだ。そもそも外国が日本を兵糧攻めにするような状況では、石油の方が問題になるだろう。日本はエネルギーのほどんどを外国に頼っており、石油がなければ農業のための化学肥料も作れないし、食料を都市に運ぶこともできない。もし安全保障の観点から農業政策を考えるのならば、エネルギーをはじめとする様々な要素を統合したフレームワークで議論する必要があろう。
もっと根源的な問題がある。これらの農業のコストは都市のサラリーマンの負担でまかなわれているのだが、本当に食料不足のような危機的な状況になったとして、田舎の農家は都市のサラリーマンに率先して食料を分け与えてくれるのだろうか。そんなことがありえるだろうか。もしそのような危機的状況で食料をもらえないとしたら、なぜ都市のサラリーマンは平時に常に負担を強いられるのだろう。こういうことを考えれば、食料自給率とか安全保障などの耳触りのいい言葉に騙されてはいけないことがわかろう。むしろ積極的に自由貿易を推進して、世界中からさまざまな物資を輸入できるような体制を常に整えておくことこそ、都市のサラリーマンの「安全保障」なのだ。
また日本だけの問題ではない。日本が途上国からたくさん農産物を買えば、途上国は経済的に発展することができる。途上国が豊かになれば、日本が得意とする高級家電なども売り込めるだろう。このように経済的な結びつきが強くなれば、日本はいざという時の物資の輸入ルートをさらに強固にできるだろう。自由貿易はWin-Winの関係なのだ。
そもそも政府が自給率を本当に高めようとしているかというと、そんなことはない。なぜならば政治力を保つためには、票の数が多ければ多いほどいいからだ。誤解を恐れずにいえば、我が国の農業政策とは、国が監視の目を光らせ、農家の生産性が上がることをひたすら阻止し、小規模農家、兼業農家をなるべくたくさん維持することなのである。そのために様々な規制を張り巡らせ企業が農地を買い占め大規模な農業ができないようになっている。大規模な競争力のある農家が増えれば、農家そのものの数が減ってしまうため票数が減ってしまう。それは大変まずいことなのだ。TPP参加の議論をきっかけに日本の農業政策が少しでもまともになることを筆者は願っている。
参考資料
日本は農村が動かしている国である、川島博之、JBPress
「食糧危機」をあおってはいけない、川島博之
日本の安全保障―沖縄米軍基地と食料自給率、金融日記
>とりあえずお前、94年の不作騒動の時、どうしてた?
食糧安全保障の観点からいえば、食料の供給地が分散されている方が好ましいので、国内自給は、最悪です。あの時の不作も、米が国内自給であるから、問題が発生したのであり、海外に米の供給を分散して依存したら、発生しなかったでしょう。
藤沢数希様へ
站谷幸一氏が、かつて論じているように、有事が起こっても、海外からの食糧途絶はありえません(http://agora-web.jp/archives/974988.html)。だから、軍事・安全保障の観点から論じても意味がなく、純粋に経済的視点で議論すべきです。
専門家の方へ
ニコニコ生放送で、専門家の方が、環境問題と農業問題を関連付けて話していましたが、両者は分けて考える問題です。もし、国内農業がすたれて、環境に影響があるなら、環境を維持するための予算・政策を作ればいい話で、環境のために、国内農業を維持しろ、という考えは、筋違いだと思います。