定年後に再雇用されていた男性が、業績不振を理由に雇い止めをされた問題で、京都地裁は「業績不振で人員削減の必要性は認められるが、新卒も雇用するなど、雇い止めを回避する義務を尽くしていない」として、雇い止めを無効であるとの判断を示した。(*1)
「高年齢者雇用安定法」(*2)という法律がある。
この法律が、平成16年6月に改定され、それまでは「努力義務」に過ぎなかった65歳までの継続的な雇用制度の導入が「実施義務」となった。
「整理解雇の四要件」(*3)という判例の集約がある。正社員を人員整理しようとする場合、「人員整理の必要性」「解雇回避努力義務の履行」「被解雇者選定の合理性」「手続の妥当性」の4つを満たさなければ、解雇は無効であるという判決が出る可能性が極めて高い。
今回の判決では「新卒の雇用」に触れているので、このうちの「解雇回避努力義務の履行」が十分ではないという判断となったのだろう。
これにより、高年齢者雇用安定法による再雇用者は、正社員と同等の解雇要件の中に括られ、容易に職を失うことのない立場であるということが、判例として示されたといえよう。
と、冷静に考えて見れば「そりゃ、そういう判決になるよな」としか考えようがないのだが、それでもやはり私はこうした判決が出てしまうということ自体、おかしなことだと思う。いや、思わなければならない。
この判決は、要は現在日本の「老人の雇用の保護が先であり、若者の職は後回し」であるという現状が、決してたまたまそうなったのではなく、法的に産み出され、今もなおそうした方向性が死守されていることを、明確に表しているのである。
当然のことながら、老人の職を守り、若者に職を与えなければ、若者の能力はいつになっても熟練せず、日本の社会はどんどんと先細りになっていく。ならば、このような馬鹿げた法律を破棄し、どんどん企業が若者に職を与えられるような法体系にしていくべきなのである。
しかし、老人にだって職を失うわけには行かない事情はある。
そもそも、高年齢者雇用安定法が改定されたのは、年金の支給開始年齢が65歳に引き上げられたからである。(*4)
60歳という法定定年と、65歳から支給が始まる年金という、5年間のギャップを埋めるために、企業に対して、65歳までの継続的な雇用制度の導入を実施義務とし、その分新しく若者を採用してはいけないということになってしまっているのである。
ああ、またしても年金だ。
この、裕福な人間が多く支払えば老後も多くもらえる一方で、貧しい人が少なく払えば生活が成り立たない程度しかもらえないという、とっくに破綻しているはずのインチキ社会保障。
日本に格差と貧困をもたらす、このインチキ社会保障が、老人の暮らしをちゃんと守らないからこそ、老人は安心して退職できず、若者から職と給与を奪わざるをえない。
こうして、若者は社会の中で成長できず、日本はどんどん先細りになっていくのだ。
これからの日本が本当に必要としている社会保障というのは、それが存在することによって、若い人が安心して仕事に就くことができる。
その一方で老人は賃労働からは身を引き、地域のコミュニティーなどの人間関係の中で、それまでの賃労働とは違った方向性で、自らの社会的役割を果たしていく。
そのように導いて行けるような社会保障であると、私は考えている。
若者には職を。
老人には退職を。
それが社会保障に必要とされる考え方ではないだろうか。
*1:「定年後の雇い止めは無効「雇用継続期待できる」」(産経新聞)
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/economy/policy/467815/*2:高年齢者雇用安定法の改正のお知らせ(厚生労働省)
http://www.mhlw.go.jp/general/seido/anteikyoku/kourei2/*3:整理解雇(wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%B4%E7%90%86%E8%A7%A3%E9%9B%87*4:老齢年金(社会保険庁)
http://www.sia.go.jp/seido/nenkin/shikumi/shikumi02.htm