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2010/12/03

市川海老蔵さんについて

11月26日にこのブログに書いた日記を、入院中の市川海老蔵さんが読んで下さったらしい。

連日の報道については、いろいろと思うことがある。考えは全く変わっていないので、改めて、当日に書いた日記を再掲する。

これまで、忙し過ぎたんだから、これを「休む」良い機会だと思って、ゆっくりと治していただきたい。一日も早いご快復を祈る。海老蔵さんの笑顔を見るのを、みんな待っています!

「海で荒波にもまれている漁師が、数日間陸に上がる、そのような狭間」

歌舞伎役者というものが、いかに過酷な稼業であるか、なかなか想像できるものではない。

公演が始まれば、ほぼ一ヶ月、休みなしで演ずる。一番大変なのは、昼夜通し公演で、朝から晩まで、休みなしに台詞を吐き、舞台を飛び回り、見得を切らなくては行けない。

声を整え、体調を維持する。その努力は大変なものである。だから、本公演中は、市川海老蔵さんは文字通り劇場と家、あるいは宿舎を往復するだけで、お酒を呑んだりといったことは基本的にしない、そのように聞いている。

歌舞伎役者のオフは短い。公演が終わって、次の公演まで数日間。その間に稽古をつけ、台詞を覚え、初日はもう完璧にこなさなければならない。

それは、人間だから、気晴らしは必要だろう。その息抜きを、公演の狭間のわずか数日でやらなければならない。連日飲み歩いているのではない。海で荒波にもまれている漁師が、数日間陸に上がる、そのような狭間でのことなのである。

海老蔵さんが『伊達の十役』をやった時、当たり前のように見事に台詞を言い、立ち回りをして演じているのに感動した(http://bit.ly/el40iM )。舞台に立てば、もう言い訳はできぬ。海老蔵さんの演技を楽しみに、やってくるたくさんのお客さん。そこでの見事な役者ぶりを見たら、オフの日くらい少しは息抜きして欲しいとおもう。そうじゃないと、体力的にはもちろん、精神的に持たない。

もともと、「かぶく」ということはどういうことか、日本人はもう一度考えてみたらどうか。日常を超えた人間のスケールを自らの肉体描くために、役者がどれだけのことを耐えなければならぬか。そこには凄まじき修羅場がある。たまには朝まで呑んだって、いいと思う。

記者会見に身体的、精神的に耐えられなかったというのはおそらくは本当で、それだけ生真面目だということである。その前日に飲むということを、学級委員はけしからんというのだろうけれども、歌舞伎役者としての以上のような過酷な生理に寄り添って考えれば、よくわかる話である。

結局、悪いのは殴った方。ぼくは何があろうと市川海老蔵さんを支持する。一日も早い回復をお祈りしています。

(2010年11月26日 「茂木健一郎 クオリア日記」 掲載)

12月 3, 2010 at 11:18 午前 |