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2010-12-04

30歳を過ぎたら転職は難しいか?

30歳を過ぎたら転職は難しいか?

確かに難しくなるかもしれません。これといったスキルがなければなおさら。

年収増といったステップアップ的な転職も難しくなると思います。

が、まったく不可能というわけではないというのが私の考えです。


人を必要としている会社はあります。小さな会社でも業績を着実に伸ばしているところは、やはり新たに採用しようとします。なにも大きな会社だけが会社ではありません。

ある人事担当者がおっしゃっていました。

スキルがあり、仕事をまかせられる、いっしょに仕事をしたいと思うような人であれば、年齢は関係ない。学歴も関係ない、と。


30歳を過ぎて転職。給料は下がったけれど、やりたいことをやれている今の会社がいい。そう言っている人を知っています。

40歳で、正社員になった知人もいます。それまでは派遣で働いていましたが、彼女は得意分野があったので、そこを買われて正社員になりました。

30代後半の男性ですが、英語を猛勉強し、外資系に転職した人もいます。外資系がその人に合っていたらしく、どんどん出世していき、周りも驚いています。本人もすごくイキイキしています。転職してよかった例だと思います。


あきらめるのが早い人、案外多いのかもしれません。目標でも夢でもなんでも早々とあきらめてしまう。もったいないように思います。


就活のことを考えると、若い人のほうが生きにくい時代、仕事を見つけにくい時代かもしれません。もうどこの会社も椅子は埋まっていて、パイがない。それが現実だとして、それを嘆いていても何も変わらない。そう思います。


会社で働かず、いずれは自分の雑貨のお店を出すという目標に向けて動き出した人を知っています。

それも有りだと思います。

なにも会社に雇われて働くことだけが生きる道ではない。

13歳のハローワーク』という本がありますが、本当にいろんな職業があります。図書館にもありますので、見てみると面白いと思います。

新 13歳のハローワーク

新 13歳のハローワーク

13歳のハローワーク

13歳のハローワーク


転職したいと思うのは、今の現状を変えたい、変わりたい、そう思うところからはじまるのかもしれません。

変わりたいと思う人は多いように思います。

が、なかなか変わらない。なんとなく日々が過ぎていく。いたずらに時間ばかりが過ぎていく。

やはりですね、変わらないのは自分が動かないからなんだと思います。

動かないから変わらない。そう思います。


例えば、英語ができるようになりたいという話はよく聞きますが、英語を勉強しようとして、どれだけのことをしましたか?

何回英語のスキルチェックをしましたか?

TOEIC等で今の自分のレベルを確認しましたか?

英語が話せるようになりたいということで、実際どれくらい英会話をしましたか?

実際に話さないと英語は 話せるようになりません。


いつかいつか、そのうちと言っているだけでは、なにも変わらないです。

失敗してもいい、開き直ってみるといいと思います。

何も失うものがない、そう思うと強くなれます。


何も持っていない自分からはじめる。

両手は常にあけておく。

いつでもチャンスが掴めるように。


先ほども書きましたが、30歳をすぎて転職した人もいますし、転職が難しくなるだけで不可能なわけではないです。40歳で正社員になった人もいます。

そもそもスキルがある人、なにか得意分野、専門分野がある人であれば、何才でも採用したいと思うのではないでしょうか。

正社員になればなったでたいへんなことも出てくると思います。しかし、それでも自分の得意分野を生かして働けるのであれば、うれしいのではないでしょうか。


伊能忠敬は56歳から地図を作りはじめたらしいです。

大器晩成という言葉を思いだします。すぐに結果は出ないもの。長い時間がかかったとしてもあきらめないこと、続けること。変わりたかったら、自分が動くこと。そう思います。


人の一生がだいたい80年だとして、それを24時間に換算すると、

30歳は午前9時なのですよね。

40歳は、正午。ちょうど半分です。

そう考えると30歳はまだ朝。まだ人生はじまったばかりだなぁとそう思います。

yuxuyuxu 2010/12/04 13:29 新選組局長・近藤勇の「今宵の虎徹は血に飢えている」で知られる名刀・虎徹。
切れ味と丈夫さの両方に優れ、さらに姿にも品があるということで、新刀(江戸時代以降に作られた刀)の横綱といわれるこの刀。作者を長曾禰興里という。
しかし、興里は刀鍛冶としてエリートだったわけではない、彼が刀鍛冶の道に入ったのは実は50を過ぎてからのこと、それまでは甲冑師であった。
長曾禰一族は古くから甲冑師を家業としており、一族の作品のいくつかは現存している。
戦国時代が終わり、合戦がなくなり、甲冑師の仕事も少なくなったことから、興里は刀鍛冶への転身をしたというが、もちろん独学でどうにかできるほど甘くはない。
興里の作刀の師匠は宮本武蔵の愛刀を作った和泉守兼重といわれている。
が、50を過ぎてから、人に頭を下げて教えを乞うなんてことは、相当な覚悟が必要なことだと私は思う。
そして、その覚悟が実を結び、興里は刀鍛冶への転身に成功した。
虎徹という号は、もともとは興里が古い鉄を用いた作刀法を工夫したことに由来する(古い鉄は分子の構造がなんかいい感じらしい)。最初は古鉄入道と名乗っていたが、後漢の名将・李広の「石に立つ矢」という故事にちなみ「虎徹」と改めたそうである。その意味は「必死にやれば、不可能に思えることさえ、可能になる」
......
私も、そんなことを胸に刻みつつ、昨年あたりからWeb人をやっています。
がんばろうぜ。

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