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● 週刊新潮2010年11月18日号
死してリヒテンシュタイン「隠し預金」がバレた帝京のドン 棺を蓋いて事定まるというが、この人の場合はどうか。2年前に逝った帝京大学のドン・冲永荘一元総長のことである。欧州の銀行□座に15億円もの資産が残されていたことが明らかになった。遺族は4億円の追徴税を払うハメになったが、故人を知る人からは、”お金に執着した人”との評。 冲永荘一元総長の隠しロ座が発覚するキッカケはドイツからの通報だった。 「日本と租税条約を結んでいるドイツの国税当局から国税庁に、リヒテンシュタイン公国の銀行で数十の日本人名義のロ座が見つかったとの情報がもたらされたのは1年ほど前です」 とは国税担当記者。 「そのロ座名には有名な上場企業などはなく、中小企業や個人が中心だったようです」 その中に冲永元総長の名前もあったわけだが、 「リヒテンシュタインはスイスの隣にある非常に小さい国です。こういった小国は、産業がないために金融に頼り、タックスヘイブンとなることが多い」 こう言うのは、BRICs経済研究所の門倉責史代表である。 「かつて日本人が使うタックスヘイブンは香港など近い場所が主でしたが、国税はここ数年、アジア地域の監視強化を行なっていますので、資金が欧州に流れているのが現状です。ヨーロッパは地理的に遠いので、なかなか捜査できなかった」 そんな中、ドイツの国税当局が、リヒテンシユタインの銀行の元行員から、顧客名簿を8億円を払って人手したのである。それが摘発の端緒となった。1400人の顧客名簿のほぼ半数はドイツ人のものだったが、欧米を始めとする世界中の富裕層の隠しロ座も多く含まれていたのである。 自己顕示欲の強い人 隠しロ座の存在が明らかになった冲永元総長は、帝京グループを一代で築き上げた豪腕で知られる。 「1931年に父親が渋谷に創立した帝京商業学校がそもそもの始まりです」 というのは、帝京大学に詳しいジャーナリストの広田研二氏である。 「高校しかなかった帝京を大学にして、医学部まで作ったのが、冲永元総長でした。まさに独裁という言葉がぴったりの人でしたね。かつて帝京大学の新入生には『ひたすらの道~私と帝京の半世紀』などという彼の奮戦記を配るほどの自己顕示欲の強い人でした」 そのワンマンふりは今でも語り種だが、金銭に関してこんなエピソードもある。 「彼の家は品川にあったのですが、この自宅を学校法人に寄付した格好にして住み続け、相続税を逃れようとしていたこともありました」(同) 今回の件について次男の冲永佳史理事長・学長は、 「遺族としては、海外における金融資産の存在を知らなかったのですが、束京国税局より故人の財産であるとの認定を受けましたので、その見解に従い既に納めた相続税に加えて、納税させていただきました」 と言うが、税金から年間17億円もの補助金(平成21年度)を得ている大学のトップが、海外に隠しロ座を待つことなど、許されるはずもない。 ▲:かつて私は、帝京大学医学部卒の医者に、くだらないことで、 「警察に訴えるぞ!」 と脅かされたので、帝京大学関連の醜聞には気を配っている。
Last updated
2010.11.20 12:41:41
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