学園都市、夏--
それは、セミが鳴き始めた日のことだった。
「クソあちィ……」
一人の少年が、ビニール袋を片手に下げながら歩く。炎天下のアスファルトを踏みしめて、額ににじむ汗を拭った。
「気まぐれで能力に縛りつけるンじゃなかったなァ……」
肩につくかつかないかの白髪、それと合わさりより目立つ紅目。
人は彼を、最強と呼んだ。
世界は彼を、一方通行《アクセラレータ》と呼んだ。
「つゥかなンだよこの暑さはさァ」
彼は近くの公園に立ち寄り、ビニール袋の中から缶コーヒーを取り出した。
ベンチに腰掛け、カシュッ! という心地よく軽い音とともにプルタブを開き、一方通行は中身を口に流し込む。
「アイスコーヒーって、こンなにうめェもンだったか?」
しみじみと呟き、一方通行は上空の太陽を親の仇のように睨み付けた。
「クソっ、熱気と太陽光のベクトルを操作……ダメだダメだ。なンか負けた気がする」
頭をブンブンと降り、意識を切り替える。たまには能力に頼らず目的を果たしてみせよう。
そう思い立ったのは十数分ほど前のこと。それが今ではご覧の(もっとも視覚的に見る事はできないだろうが)体たらくっぷりである。学園都市最強の名折れもはなはだしい。
「だァっ、やってらんねェ。さっさと帰ろう」
近所のコンビニまで能力を使わず向かい、適当な雑誌を立ち読みし、いつも通り缶コーヒーを買い込む。
それだけの行為を、凄まじいまでの熱気が邪魔してきた。
普段なら温度調節も移動もお手の物な一方通行だが、能力が消えればただの体力不足で運動不足で根性不足な(外見以外)一般学生。どこぞのナンバーセブンが見れば迷わずすごパ辺りをかましてくるような光景だが、本人はけだるすぎて気にも留めない。
(けど、家に帰りゃ問題ねェはずだ。寄り道なンざしたらクリーッシュが溶けちまう。家に帰りゃァエアコンの元アイスとコーヒー飲み放題食い放題だ)
公園で遊ぶ子供たちをなんとなく眺めながら、一方通行は中身のなくなった缶コーヒーを、少し離れたくずかごに投げ入れようとする。
普段はベクトル操作の恩恵によって寸分違わす中へ吸い込まれるそれは、あえなく外れ地面に転がった。
「……チッ」
思わず舌打ちをしながらスチール缶を拾いに立ち上がる。
その時だった。公園で遊んでいた子供たちが、一斉に声を上げた。
「いいって! おねーちゃん、危ないよ!」
あァン? と一方通行が視線を向けると、そこには木によじ登ろうとする一人の少女の姿があった。
「おィおィ……危なっかしいなァ、あいつ。4メートルぐらいあンじゃねェか?」
「だいじょーぶよ! このくらいへーきへーき!」
一方通行が呟くと同時、少女も声を張り上げた。
白いブラウスの上から茶色のサマーセーターを着た、小さな体が見える。プリーツスカートを揺らしながら、彼女は右腕を上に真っ直ぐ伸ばした。
手の先には青色の風船。
それの紐に細い指が届く寸前、唐突に空気が揺れた。
「…………え゛?」
(やべェっ!)
突風に吹かれ、少女の体が木から離れた。
地面へと落下していく彼女をめがけて、一方通行は即座に右足を踏み込んだ。地を蹴る際のベクトルを操作、より効果的かつ効率的な駆け出しに変更する。
(クソがっ! 全然足りねェ!)
それでも彼は届かない。風は向かい風、勢いが少しではあるが殺されていく。
いかに砲弾並みの速度とはいえ、突き詰めれば走っているだけである以上速度に限界はある。
頬を過ぎる風が、一方通行を焦燥に焦がす。
(…………あン? 風、だと?)
一方通行の足が止まった。
即座に再演算を開始。操るベクトルは、風の向き――
再び突風が吹いた。
それは少女を優しく包み、まるでゆりかごのように形を取る。
「……あれ? 私、落ちてない?」
固く目を閉じていた少女の体が、フワリと浮いた。
落下速度が少しだけ減速し、少女は――次の瞬間には、多くの手に支えられていた。
(え? 何? 空力使い《エアロハンド》?)
(…………あァ、なるほどなァ)
それらの手の主は、風船の持ち主たち。
涙目になりながらも、幼い少年たちは必死の思いで彼女に手を伸ばしていた。
「あ、アンタたち……」
「だって、だって、おねーちゃん落ちたら痛いでしょ?」
その言葉に、少女は黙り込む。
自分が今、この少年達にどれほどの心配を掛けたのか。その重さが彼女にのしかかていた。
「まァ、そういうことだ、おねェさン」
その時、一方通行の声が公園に響いた。
少女も少年たちも彼に目を向け、怪訝な表情をする。
「アンタ、誰よ?」
「あン? 俺が誰かなンざ、どうでもイイことだろうがよォ」
そう言って、一方通行は地を蹴った。能力の恩恵を受け、その体は地上4メートル近くにまで飛び上がる。
「んなっ……!?」
「ほゥらクソガキども。取ってやったぜェ」
一瞬にして青い風船を手にし、一方通行が地上に舞い降りる。
少年たちに風船を渡すと、少年たちははじけるような笑顔を浮かべた。
「ありがとう、おにーちゃん!」
「ハッ、感謝すンのは俺じゃなくてこの女だろうがァ」
「うん、ありがとう、おねーちゃん!」
そう言って少年たちは走り去って行く。
彼らの後ろ姿を見つめながら、少女は口を開いた。
「……一応聞くけど、あんたよね、風使って私を助けてくれたのは」
「あン? ま、そォだな」
「ありがとう。私は常盤台中学1年、御坂美琴」
少女は誇らしげに胸を張った。
(ねェ胸を張るな)
思わず内心で呟いた一方通行だったが、口に出さない分マシなのかもしれない。
「こう見えて大能力者――レベル4の電撃使い《エレクトロマスター》なのよ」
そォですか、と興味なさ気に言い、一方通行は踵を返した。
「あ、ちょっとあんた名前は!? 能力は!?」
「ンなことどうでもいいだろォが」
足が止まり、一方通行が顔だけ振り返る。
「人助けンのに、能力なンざいらねェだろ」
つっても、さっきのガキどもを見て気づいたことだがなァ。そう言って一方通行は去っていく。
「人を助けるのに、能力はいらない……」
御坂美琴はそう呟く。公園には彼女しかいない。
『あァン!? アイス溶けてンじゃねェか!』
立ち去った彼の絶叫が耳に届いた。
なんだかサンタさんって実は親なんだと知らされた小学生のような気分になり、思わず嘆息しながら、美琴は頭上を見上げた。
空は青い。雲など一つもない。
「……よし! やってやろうじゃないの!」
これは、序列第3位、『超電磁砲《レールガン》』が誕生する5日前のことであり。
絶対能力者進化計画が始まる二週間前のことだった。