ニックネーム:おつる 鶴姫 (洗礼名ジャンヌダルク)
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年齢:いい感じの年 
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2010年12月04日(土)
なかそちづ子通信★待降節  教皇様の祈りと 聖フランシスコ・ザビエル
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なかそちづ子通信 「日本の未来と子供たちを守りたい」http://www.melma.com/backnumber_188520/
ブログと似た内容ですが、イベント紹介なども掲載です
(ただし、反日・売国奴の方はお断り)


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教皇による待降節入りの晩課、
           生まれてくる命のために祈る


教会の暦は、27日夕より、降誕祭を準備する期間「待降節」に入り、これと同時に新しい典礼年を開始した。

同日、教皇ベネディクト16世は、バチカンの聖ペトロ大聖堂で、待降節第一主日・第一晩課をとり行われた。

この夕べの祈りの集いで、教皇は「生まれてくる命」のために特別に祈りを捧げられた。

教皇は今月14日の正午の祈りの際、主の降誕を準備する待降節を、すべての人命のために神の保護を祈り、両親から与えられた命の賜物を神に感謝するよい機会であるとし、特に待降節初日の第一晩課に「生まれてくる命」のために祈るよう教会全体に呼びかけておられた。

様々な口実と共に人間の良心を麻痺させる今日の文化傾向の中で、教会は「一度受胎した命は最大の注意をもって守るべき」というメッセージを明確に伝えなければならない教皇は述べ、命が常に尊重される文化の推進を、政治・経済・マスメディア・医療分野をはじめすべての人々にアピールされた。

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待降節なので、おうちにキラキラをつけました。


玄関にもリースを
コニファーをクリスマスツリーに


寄せ植えも作った。薔薇の実で
窓につけたライト

手作りのタペストリー



フランシスコザビエルが見た 
     美しい日本


私の霊名はジャンヌダルクですが、夫の霊名は聖フランシスコ・ザビエルです。(霊名というのは、洗礼名・クリスチャンネーム)
12月3日、今日は 聖フランシスコザビエルの記念日でした。



教科書ではこちらでおなじみかな。


1.フランシスコ・ザビエル  1506 – 1552
(Francisco de Xavier or Francisco de Gassu y Javier)
スペイン人  イエズス会宣教師 1549年来日 

フランシスコ・ザビエルは500年ぐらい前に日本を訪れましたが
日本人の礼節・礼儀・清潔さ・武士道精神・美徳に感動しました。
http://p.booklog.jp/book/13826/chapter/18294



* 私達が今までの接触に依って識ることのできた限りに於ては、
此の国民は、私が遭遇した国民の中では、一番傑出している。
私には、どの不信者国民も、日本人より優れている者は無いと考えられる。


まず第一に、この国の人々は、私の知る過去のいかなる国の人々より優れて
いることです。彼らは親しみやすく、善良で、悪意がありません。他の何もの
よりも"名誉"を重んじます。大部分の人々は貧しいのですが、武士も庶民も、
貧しいことを不名誉とは思っていません。

他人との交際は大変礼儀正しい。しかし、侮辱されたり、軽蔑されたりした
ときは、黙って我慢をする人々ではありません。人々は、武士が大変貧しい
暮らしをしていても尊敬するし、武士は、その地の領主によく仕え、よく臣従
しています。

この国の人達の食事は少量ですが、飲酒の節度はいくぶん穏やかです。
(こんな昔から、酒飲みには甘かった)
この地方にはブドウ畑がなく、米から取った酒を飲んでいる。
人々は賭博を一切しません。賭博をすれば、他人の物を欲しがるようになり、
そのあげく盗人になると考え、大変不名誉なことだと思っているからです。

大部分の人は読み書きができます。彼らは一人の妻しか持ちません。
盗人は少なく、盗みの悪習を大変憎みます。盗人は非常に厳しく罰し、死刑に
します。盗みについて、これほどまでに節操のある人々を、見たことがありませ
ん。
人々は大変善良で、社交性があり、知識欲はきわめて旺盛です。
彼らは獣(けだもの)の偶像を拝んだりはしません。その昔、哲学者のように
生活した人々を信仰(釈迦や阿弥陀)し、多くは太陽を拝んでいる(神道)。

この国は土地が肥えていないので、豊かな暮らしはできません。しかし、家畜
を殺したり、食べたりせず、時々魚を食べ、少量の米と麦を食べています。
彼らが食べる野菜は豊富で、幾種類かの果物もあります。

この地の人々は不思議なほど健康で、老人も沢山います。たとえ満足ではない
としても、自然のままに、わずかな食物でも生きていけるということが、日本人
の生活を見ていると、よく分かります。
日本にはボンズ(坊さん)が大勢いて、彼らはその土地の人達から、大変尊敬さ
れています。彼らボンズは、厳しい禁欲生活をし、決して肉や魚を食べず、野菜
と米だけを食べ、一日一度の食事はきわめて規律正しく、酒は飲みません。

平凡社 河野純徳著「聖フランシスコ・ザビエル全書簡」より

* 日本人は、総体的に、良い素質を有し、悪意がなく、
交わってすこふる感じがよい。

* 彼等は盗みの悪を、非常に憎んでいる。
大変心の善い国民で、交わり且つ学ふことを好む。

* 日本人は概して貧しいが、武士も町人も貧乏を恥と考えている者  はない。
彼らには、キリスト教国民の持っていないと思われる1つの特  質がある。
それは、たとえ武士が如何に貧しく町人が如何に富裕であって  も、貧しい武士も富豪と同様に 平民から敬意をあらわされてい  ることである。

* 日本人の生活には節度がある

* デウスは私たちを、贅沢の出来ない国に導き給うたことにより、
私たちに多くのお恵みを賜ったのである。
日本人は彼らの飼う家畜を屠殺することも食べることもしな    い。
彼らは時々魚を食膳に供し、米や麦を食べるのであるが、
それも少量である。しかし彼らの採る野菜は豊富であり、
僅かではありが、種々の果物もある。

* しかも、この国の住民は不思議なほど健康であり、
中には稀な高齢に達する者も少なくない。



「聖フランシスコ ザビエル全書間3」より

フランシスコ・ザビエルの日本人観

――今は失われてしまった美徳も


 1549年、キリスト教布教の期待をもって来日したフランシスコ・ザビエルは、日本人について次のような報告をローマへ書き送った。

「まず第1にいうべきことは、今までの交際によって知り得た限りにおいて、この国民は、私が出逢った民族の中で、最もすぐれている。‥‥日本人は一般的に良い素質を持ち、悪意がなく、交際して非常に感じが良い。彼らの名誉心は極めて強く、彼らにとって名誉にまさるものはない。日本人は概して貧しいが、武士も町人も貧乏を恥と考えている者はない。彼らには、キリスト教国民の持っていないと思われる1つの特質がある。

それは、たとえ武士が如何に貧しく町人が如何に富裕であっても、貧しい武士も富豪と同様に平民から敬意をあらわされていることである。また武士が如何にまずしくとも、また如何に財宝が山と積まれようとも、平民とは決して結婚しない。それにより自らの名誉が失われると思うからである。即ち金銀よりも名誉を尊重しているのである。日本人の交際には極めて多くの礼式がある。武器を尊び、武芸に達することを願っている。彼らは武士も平民も14歳になるとみな大小の刀を帯びている。彼らは侮辱や嘲笑に堪え忍ぶことは出来ない」


日本人は、@最も優れている、A良い素質を持ち悪意が無い、B名誉心が極めて強い、C貧乏は恥ではないと考える、D武士は尊敬される、E交際には多くの礼式がある、F14歳になると刀を差している。

このFは、14歳は大人である、ということだろう。そしてEはともかく、あとは最早失われてしまった美徳になっている。

「日本人の生活には節度がある。が、飲むことにかけては、聊か過度である。‥‥賭事は大いなる不名誉と考えているから一切しない。それは自分の所有でないものを望み、ついで盗人になり易いからである。彼らは起請することは稀であるが、誓う時には太陽にかけて誓う。住民の大部分は読み書きができる。そのため彼らはオラシヨやデウスのことを速やかに学ぶことができ、我らにとって頗る好都合である。日本人は妻を1人しか持たない。窃盗は極めて少ない。

それは死罪に処せられるからである。彼らは非常にこの罪を憎んでいる。日本人はこのように非常に善良で、人づきがよく、知識慾に富む国民である」

ついで、G過度に飲酒する、H賭け事はしない、I太陽にかけて誓う、J大部分は読み書きができる、K一夫一婦である、L窃盗は少ない(死罪だから)、M知識欲に富むという。

Gは現在と同じで、当時も酔っ払いが多かったらしい。Hは公営ギャンブルが盛んな現在からはとても考えられない。Iは、神に掛けて誓うことのない現代日本人と何ら変わらない。Jは、かつての左翼史観からは考えられない、重要な指摘である。Kは、当時の一般庶民の健全な夫婦観がうかがえる。Lはちょっと厳しいようだが、同時代のヨーロッパと大して変わらない。Mは、さすがのザビエルも困ったらしい。だから、別の手紙で「日本人の質問に答えられるように十分な知識を持つ神父を派遣するように」と書いているほどである。

 さらに日本人の生活について、次のように書いている。

「デウスは私たちを、贅沢の出来ない国に導き給うたことにより、私たちに多くの御恵みを賜ったのである。‥‥日本人は彼らの飼う家畜を屠殺することも喰べることもしない。彼らは時々魚を食膳に供し米や麦を食べるのであるが、それも少量である。しかし彼らの採る野菜は豊富であり、僅かではあるが、種々の果物もある。しかも、この国の住民は不思議なほど健康であり、中には稀な高齢に達する者も少なくない」

当時の日本は、まだ貧しかった。同時代のヨーロッパや中国の支配者と比較すれば、日本は支配者である武士ですら、貧しかったのである。将軍となった徳川家康の常食が贅をつくしたものではなく、自然食に近かったことを考えれば、ザビエルのこの記述は十分に納得できる。

 最後にザビエルは、波濤を越えてはるばる来日した使命と自らの意志を確認する。

「私たちが、この国にいて熱望しているのは、この国民をして、その創造主にして贖い主であるわれらの救主ゼスキリシトの知識に導くことである。世俗人たちは、自ら進んで私たちに反対し、迫害を加えたりはしないであろう。もしあるとすれば、それは坊主たちが絶えず行う煽動によるものに違いない。しかし、私たちは彼らと争うことを出来る限り避ける所存でいる。しかし彼らを恐れているのではない。‥‥私たちは、如何に反抗があろうとも真理を示し、拡げるつもりでいる。それは隣人の霊魂の救いを、私たち自らの生命よりも愛すべきことを、デウスが私たちにお命じになるからである」

 このような強烈な使命感が、70万人とも100万人とも推定されるキリシタンを生んだのである。当時の日本の人口が1千万人と言われているから、キリシタンの人口に占める割合は、7%あるいは10%にもなる。現在の人口1億2千万人の5%は600万人である。現代日本におけるキリスト教諸派の信者は100万人台ではないかと推定されている。割合からいえば、キリシタンの時代は確かに存在したのである。

 これが江戸時代を迎える日本人の知的情況であった。読み書きできる日本が意外に多かったことを、日本人以外が証言しているのである。http://www13.plala.or.jp/hanzaki1212/ryousyo/nihonjin/zabieru.htm

500年前の貧しくとも美しい精神を持っていた日本人の心を
とりもどしたいですね。

フランシスコ・ザビエルが戦後の日本、今の日本を見たらどう思うでしょう



2010-12-04 02:03 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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