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戦争容認論  

2010年 12月 03日

               ◇専守防衛の戦争は認められると思います。

一昨日、米韓両国の軍事演習が終了しました。
北朝鮮の砲撃に対抗するため、戦争も辞さない過激な軍事演習でした。
しかし、今後も、軍事演習は継続される模様。
非常に危険な日々が続きそうです。
いつの日か、この対立が平和裡に終わることを祈らざるを得ません。
戦争でなく解決できたらと心から願ってます。
さて、私たちは長く戦争の緊張から遠ざかってきました。
そこで、考えなければならないのは、戦争は絶対悪かどうかの認識です。先般、民主党の議員が、「自衛隊は暴力装置」と発言し、非難されました。個々、思いは異なるでしょう。
そもそも、軍事力とは何でしょうか。
有事の際に、私たちはどうすればいいのでしょうか。
日本の国防費は、年々削減されてきました。これに対し、周辺諸国の軍事費は拡大を続けています。私は素人なのでその点は分かりませんが、少なくとも、北朝鮮に対する備えは十分にして欲しいと思います。
以下に、私の個人的意見を申し上げます。
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私たちが住む国土に、他国が砲弾やミサイルを撃ち込み、私たちの飛行機を撃墜し、艦船を破壊する行為があった場合、私たちは防衛上、攻撃してきた対象に反撃をします。これが、過度に繰り返されると、国家間の戦争になります。
私は、防衛のための戦争は肯定します。私たちの生活を守ることは当然の権利だからです。
凶悪な侵略行為には、十分な対抗処置を講じ、初動作を迅速にして、損害を小さくするために何にも優先して努力する必要があります。
私たちが正当に働き、正当に生活をしている国を搾取し、傷つけるなら、断固として戦うこと。それは、仏法の哲理に照らしても、間違いではないと信じます。
もし、それで、腕を失い、あるいは足を失い、場合によって命を失うことがあっても、私たちは私たちの国土と自由を守るために戦うことでしょう。私は日本人の一人として、正しい戦争なら積極的に協力したいと思う。
中に、仏法の哲理の上から、人を殺したり、殺されたりすることを嫌悪する人もいることでしょう。それはそれで良いと私は思います。戦いたくない人は戦わない道もある。
けれど、守りたい人は、当然、立ち上がり戦う。私は、世界に冠たる平和憲法を持ち、宗教と言論、あるいは表現の自由を保障してくれている、この日本という国を守りたい。私の大事な友人、知人、そして創価の幾百万の同志のために、何ができるかを考え、行動します。
ただし、戦争をするなら条件があります。
1つに、今の日本であるということ。2つに、粘り強い対話交渉、あるいは関係諸国、国連など、打つべき全ての手を打ち、それらが全て効果を出せないという条件での戦争です。
(尚、侵略戦争の場合は、殺されてもやりません)
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私は、理不尽な領海侵犯に対抗する海上保安庁の職員の皆様、また、有事の際に命を懸けて戦う自衛官の皆様に、心から敬意を表明し、感謝をいたします。
どうか、正義の名のもとに、適切な対応をして頂きたいと思います。
以上で、今回のシリーズを終了します。
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by sokanomori | 2010-12-03 21:42 | 戦争・紛争 | Trackback | Comments(0)

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