境界を生きる

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境界を生きる:子どもの性同一性障害/1(その2止) 悩む現場の専門医

 <1面からつづく>

 ◇ホルモン療法、国内指針 18歳未満、対象外

 手首に刻まれた傷跡は深かった。「いつか本当に死んでしまう。先生、どうかこの子を助けてください」

 岡山大学病院の診察室。数年前、中塚幹也医師(生殖医学)はある女子高生の母親に懇願された。子どもは16歳。大人の女性になっていくことへの強い嫌悪感を訴え、月経が来るたびに自殺未遂を繰り返した。登校もままならなくなっていた。

 中塚医師は悩んだ。GID医療には体の性別を心の性別に近づけるホルモン療法が一般的だが、18歳未満に対しては日本精神神経学会の治療ガイドラインで認められていない。もう一つ、女性ホルモンの分泌を抑え第2次性徴を止めてしまう「ブロック」と呼ばれる方法があるものの、ガイドラインには記載自体がなく、GID医療の体制が最も整う同大でさえ、18歳未満への実施の可否は議論したことはなかった。

 精神科医と話し合った結果、中塚医師は「緊急避難でやるしかない」と、注射剤によるブロック治療に踏み切った。生徒は月経が止まり、うつ症状も消えて元気を取り戻していった。遠方から治療に通い続け、18歳を迎えるとホルモン治療に移行。乳房の切除手術も受けた。

    *

 同学会のガイドラインは1997年に策定され、02年の改定でホルモン療法の年齢条件が「20歳以上」から「18歳以上(未成年は親の同意が必要)」に引き下げられた。進学や就職で生活環境が変わるのに合わせて治療を始めた方がいいとの配慮からだった。

 この時、18歳未満にどう対応すべきかも議題となったものの、結論は見送られた。「思春期は誰もが心や体に違和感を覚えがち。自分はGIDに違いないという思い込みだけで受診する子が増えると、医療現場が混乱する」。改定にかかわった埼玉医科大かわごえクリニックの塚田攻医師は、当時はそうした考えが主流だったと振り返る。そもそも子どもの症例自体がまだ少なかった。

 だがその後、GIDが広く知られるにつれて低年齢の受診者が増加。専門医らはいま、先送りを続けてきた課題に直面している。

    *

 今年5月20日、広島で開かれた日本精神神経学会の学術総会。GIDの小委員会では、ブロック治療をガイドラインで認めるかどうかを巡り、専門医らが真っ向から意見を戦わせた。

 賛成派の中塚医師は「特に男性の場合、18歳からホルモン治療を始めても本人が望むレベルまで女性化するのは困難だ。風ぼうにコンプレックスを抱いて対人恐怖を感じたり、偏見にさらされる人生になってもいいのか」と強い口調で訴えた。一方、塚田医師は「人間は第2次性徴を経て精神的にも大人になっていく。ブロック治療はその成長過程を奪うことになり、倫理上の問題が残る」と慎重姿勢を崩さなかった。

 各国の医師らでつくる「トランスジェンダーの健康に関する専門家学会」が策定した国際的指針では、第2次性徴が始まったらブロック治療を実施し、16歳になればホルモン治療も可能としている。日本精神神経学会の性同一性障害委員長を務める斎藤利和・札幌医科大教授は言い切る。「容易に結論が出る問題ではないが、現場には命にかかわる待ったなしの現実がある。これ以上、悠長な議論だけを続けるつもりはない」=つづく

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毎日新聞 2010年6月13日 東京朝刊

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