チラシの裏SS投稿掲示板




感想掲示板 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

[20224] [習作]エデン(VRMMORPGもの) チラ裏より移行
Name: りんごちゃん◆c3f1b985 ID:67b6f114
Date: 2010/12/02 00:14
初の投稿です。
宜しくお願いします。

注:血生臭い表現が出てくる可能性があります。読んで下さる方はご承知おき下さい。



[20224]
Name: りんごちゃん◆c3f1b985 ID:67b6f114
Date: 2010/10/24 21:27
 顔に光が差すのを感じる。おそらく夜明けだろう。俺の意識は覚醒に向けて静かに浮上していく。日光の暖かさを感じながら凝り固まった身体を伸ばし、瞼を開く。
 瞳に映るのはパソコンやゲーム機が部屋中に転がる俺の部屋……ではない。
 パソコンはおろか電灯すらない質素な部屋。
 薄汚れた石壁で囲まれたこの部屋には簡単な机椅子とベッドしかない。

 住み始めた当初こそ違和感を感じたものだが、3年も住み続ければ愛着も湧く。
 そう3年……あの「運命の日」からそれだけの時間が経過している。


 仮想現実の構築技術が日進月歩し、ついに現実とほぼ変わらない世界を提供するシステムが完成した。そしてそのシステムを利用したゲーム……『エデン』の発表。
 このニュースを聞いて俺は狂喜したと言って良い。
 一昔前から世間ではVR世界を題材とした小説が流行し、俺もそういった小説のファンだった。
 夢だ夢だと言われ続けていた事がついに現実となったのだ。ニュースでは俺のように狂喜するゲーオタ達が報道されていたのが懐かしい。
 最も、よく小説の設定で使われていたヘッドギアや小型の専用筐体を利用しての自宅からのログインとまではいかなかった。
 システム上巨大な装置となったソレは専用の施設が建設され、テーマパークのように入場から仮想世界へのログインまで各種手続きが必要だった。
 当然開放初日はとんでもない行列だったと言っておこう。
 正直面倒だとは思ったが、待ちに待った夢を前に俺は徹夜で挑んだ。
 おかげでなんとか初回のログイン組に潜り込めた俺はゲル状の物質で満たされたカプセルの中に入り、オペレーターのお姉さんの「行ってらっしゃい!」の声を聞きながら仮想世界へと旅立った。
 
 そして初めて降り立った世界への感動と……絶望。
 あの思いは一生忘れることはないと思う。
 まぁ簡単に言ってしまえば「ログアウト及び外部との通信が出来なかった」……ただこれだけだ。

 ログイン直後こそ簡単なシステム障害かと思われたものの、『エデン』内で1日、2日、3日と経つにつれプレイヤー達の混乱と恐怖は膨れ上がった。

 これもこの『エデン』が発表されていた仕様通りならば混乱はあるもののそれほど影響はなかったかもしれない。
 だが、この仮想世界は捕われた俺達にとって仮想ではなく残酷なまでに現実だった。

 本来ゲームを円滑に進めるために省かれていたはずの数々の感覚……痛覚から空腹感、尿意までもが実装されていたのだ。
 特に痛覚は、王道的RPGをモデルとして作られた『エデン』では致命的だった。
 プレイするのは本来殴り合いの喧嘩すら経験のないような一般人達なのだ。
 痛みに怯え、多くのプレイヤーがまともに戦えなかった。
 そして最もプレイヤー達を恐怖させたのが、死ぬことである。
 本来の仕様ならば戦闘などによりHPが0になった場合、ペナルティを受けながらも最寄のセーブポイントで復活することができたはずだった。
 だが、ログインから間も無くモンスターとの戦闘に挑み死んでしまったプレイヤー達で復活した者は皆無だった。
 勿論、様々な予測が飛び交った。
 曰く、強制ログアウトによって現実世界で覚醒した。システムエラーによってHP0のまま眠り続けている。そして……この世界で死んだ者は現実でも死ぬ。
 全く裏づけの無い様々な論議が成されたが、復活者がいないことが不気味な圧力をプレイヤー達に与え恐怖を誘った。
 
 外部から何の情報も与えられないままプレイヤー達は死の恐怖に怯えながら日々を過ごすことになる。

 それから3年。
 『エデン』は一先ずの安定を見せていた。
 ログイン直後こそ現状の無知さから数千人規模で死者が出たが、情報が出回るにつれて死者は激減。
 多くのプレイヤー達は安全圏……街で簡単なアルバイトや生産を行い日銭を稼ぎながら日々を過ごしている。
 だが一部のプレイヤー達は違った。
 ギルドと呼ばれるグループを作り、積極的に街の外でモンスター達と戦い、クエストを消化した。
 『エデン』ではグランドクエストなるものが設定されている。
 個々人で進行度が管理される一般のクエストとは違い、グランドクエストはプレイヤー全員で進行度が共有される。
 もしかするとそのグランドクエストをクリアすればログアウトできるかもしれない。
 そんな甘い希望に縋ってプレイヤー達が立ち上がったのだ。

 そしてさらに一部のプレイヤーは違う方向性に希望を見出した。
 全ての制限が排除されたこの『エデン』では現実で出来ることはほぼ出来てしまう。
 そして規約遵守を強制する管理者達が存在しない。
 法の存在しない『エデン』において己の欲望に忠実になるプレイヤー達が出現するのは当然だった。
 彼らは強盗、虐殺を繰り返し、恐怖を撒き散らした。

 
 とまぁ、これが『エデン』の現状。
 俺は、こんな中始まりの街ダラスで静かに過ごしている。



[20224]
Name: りんごちゃん◆c3f1b985 ID:67b6f114
Date: 2010/10/24 21:30
 部屋から出ると俺は階段を降り、食堂兼酒場を素通りして裏手にある井戸に向かう。
 井戸から水を汲み顔を洗う。刺すような冷たさで眠気が吹き飛ぶ。

 持ってきた手拭いで顔を拭きながら屋内へ戻ると仏頂面のおっさんが食堂兼酒場のカウンターに立っていた。
 色素の薄い髪は刈り込まれ、頬に走る傷とがっしりとした体躯がある種の威圧感を醸し出す。この食堂兼酒場兼宿屋の主人だ。恐らく俺が階下に降りたことに反応して出てきたんだろう。
 主人はカウンターの内にじっと佇みコップを磨いている。パッと見ではプレイヤーと見間違う存在だが、彼はNPCだ。その証拠に彼の額にはNPCを意味する紋章が描かれている。
 『エデン』においては全てのNPCの額にこの紋章が描かれている。この紋章がなければ優秀なAIが操作するNPCとプレイヤーとを判別するのは難しいだろう。

 主人はこちらが話しかけなければ口を開くことはない。最も、たとえ話しかけても食事や酒の勘定以外では無視されることも多いのだが……この寡黙さと頑固そうな外見を好んで俺はずっとこの宿屋を愛用していた。

 普通ならここで朝食といくところだろうが俺にはやることがある。
 階段を昇って部屋に戻り、軽く身支度を整えると宿屋を出発した。


 まだ夜が明けたばかりで薄暗い中俺は歩く。
 周囲はほぼ全て石造りの家。歩く道も石畳だ。どこか中世のヨーロッパを思わせる街並み。
 道々では露店を開いた跡が残っており、開店の準備をしている人影もちらほらと見える。
 あと数時間もすれば多くのプレイヤー達も目覚め、この道も活気に溢れるだろう。

 『エデン』に捕われたプレイヤー数は約5万人から6万人と言われている。これはプレイヤー達に割り当てられたIDナンバーで60000を超えた数字が発見されていないというのが主な理由だ。
 その中でも始まりの街ダラスにはプレイヤー達の約6割程が暮らしていると考えられている。これはプレイヤー達の経験則から来る勝手な判断であり、実状はわかっていない。
 だが、本当に多くのプレイヤーがこの街では暮らしている。


 しばらく歩くと拓けた場所に出た。
 塀で囲まれた広大な広場。奥には大きな建物も見える。
 入り口の門には『バルド流剣術練武場』と書かれた看板が掲げられている。
 ここが俺の目的地だ。
 門をくぐり、広場の中央へと進む。周囲に人影は見当たらない。時間帯が早朝だからという理由もあるが、元々この場所には人が少ないのだ。
 
 広場中央へと辿り着いた。腰に巻いた皮のポーチから一枚のカードを抜き出す。表面には1本の剣の絵と『スチールロングソード+9』という文字。
 頭の中でスイッチを押すイメージ。カードがうっすらと輝き、一瞬でカードに描かれた絵通りの剣と化す。
 別に『開封』や『オープンカード』の発声でも同じ事ができるが、思考操作に慣れた今となってはこれでカードを具現化するのが一番速い。
 
 『エデン』においてプレイヤーやNPC、モンスターを除くオブジェクト類はカード化可能オブジェクトとカード化不可能オブジェクトに分けられる。
 前者は主に装備類や各種消耗品(回復アイテムから生産材料まで多種に渡る)が該当する。後者は主に木や岩といったフィールドオブジェクトだ。勿論生産材料になる木や岩は存在するし、それらはカード化可能である。だが、そこら辺に落ちている無価値な石や枝を拾ってもカード化はできない。
 カード化は『封印』や『シール』の発声か思考操作で行う。カード化可能アイテムを手に取り、操作を実行すれば先程の逆の流れでカード化する。
 カードの具現化は先程の通りだ。

 手にした剣は90cm程の直剣。やや幅広で肉厚な剣身は黒く鈍く光り、武器としての凄みを見せている。『エデン』にログインした時から使い続けている相棒だ。初めて手に入れたロングソードを耐久度が減る度に鍛え続けた。

 その相棒を静かに構える。剣道でいう正眼に似た構え。眼前に敵がいると想定し、また頭の中でスイッチを押すイメージ。
 俺の攻撃意思を感知したシステムが流派『バルド流剣術』の斬撃をアシストする。
 俺の身体が何か操られるような感覚。それに逆らわず素直にシステムアシストに乗る。正眼から剣をやや右上に振り上げ、力強く踏み込みながら仮想敵を切り裂いた。
 それをしばらく何度も繰り返すと、今度は攻撃を受けるイメージをする。想定する攻撃は頭上からの切り落とし。また頭の中でスイッチを押すイメージ。
 俺の腕がシステムアシストによって引っ張られる。剣を傾けながら振り上げ、剣身に腕を添え、重心をしっかりと落とす。想定した攻撃は俺の剣をすべり横に流れる。
 この「バルド流剣術」の攻撃と防御をあらゆる状況をイメージしながら繰り返す。ただひたすらに、スイッチを押すイメージ、アシストを受ける感覚を忘れ、俺の意思がそのまま「バルド流剣術」の動きに直結するまで。

 『エデン』には戦闘や生産の動きをサポートする為に行動意思を感知したシステムがある程度プレイヤーの身体を動かす機能がある。
 だが、例えば斬るという行動でも様々な『斬り方』がある。
 そういった違いをある程度の方向性を持たせて体系化したシステムが『流派』システムだ。
 例を挙げれば、俺が体得している『バルド流剣術』は攻撃よりも防御の動きに重点をおいた流派であり、使用武器は両手持ちの長剣だ。
 同じ両手持ちの長剣を使う『リムルート流剣術』なんてものもある。こちらはフェイントを多用する流派だ。
 使用武器や動きによって様々な流派が設定されており、その総数は判明していない。
 
 流派はマスターNPCと呼ばれるキャラクターに入門を希望することで体得できる。
 中には入門に条件がある流派やマスターNPCがとんでもない場所にいたりする流派があるが、それらはレア流派と呼ばれプレイヤー達が血なまこになって追い求めている。
 入門直後はその流派の基礎的な動きをマスターNPCから学ぶ。最初はその基礎しかアシストしてくれないが、モンスターとの戦闘をこなしたり、俺のように練習を繰り返すことでマスターNPCが新たな動きを教えてくれるのだ。
 そしてある程度成長すると『型』と呼ばれるものや『流派スキル』と呼ばれるものを学べる。これは所謂、前者がアクティブスキル、後者がパッシブスキルのことだ。
 この流派を学び、習熟することでプレイヤーは成長できるのだ。



[20224]
Name: りんごちゃん◆c3f1b985 ID:67b6f114
Date: 2010/10/24 21:33
 ただひたすらに『バルド流剣術』の動きを繰り返す。何度斬って、何度防いだかなんて覚えていない。己の身体に練り込むように動き続ける。
 『バルド流剣術』一の型【双牙】、二の型【烈牙】まで訓練を終えると、周囲はすっかり明るくなっていた。
 今ままでの経験から朝と言うにはちょっと遅い時間帯のはずだ。それでもこの練武場には未だ一人も訪れていない。
 それは今までずっとそうだったし、これからも変わらないだろう。

 俺は『バルド流剣術』に入門して以来ずっとこの訓練を続けている。この練武場に人が溢れていたのはログイン直後から半年くらいまでだ。それから段々と人は減り続け、ついにここを毎日訪れるのは俺だけになってしまった。
 
 これには理由がある。
 『エデン』では他のRPGと同じく初心者の為にチュートリアルが用意されている。そしてチュートリアルの流れの中で「流派」について学ぶ為にまず『バルド流剣術』に入門させられるのだ。
 初のVRMMORPGとあってほぼ全てのプレイヤーがチュートリアルを受けた。……つまりほぼ全てのプレイヤーが『バルド流剣術』に入門していたのだ。
 俺も『バルド流剣術』に入門したきっかけは当然チュートリアルである。
 おかげで初期はこの広大な練武場が毎日人で埋め尽くされるほどの賑やかさを見せていたものだが、『エデン』が攻略されるに従って次々と新たな流派が発見されるとプレイヤー達は『バルド流剣術』を見限り、他流派へと乗り換えていった。
 勿論他流派に換えるとそれまで学んでいた流派の動作アシスト及び『型』のアシストは受けれなくなる。
 それでもプレイヤー達は全く逡巡せずに『バルド流剣術』から離れていった。
 というのも『バルド流剣術』に設定されている『型』は一の型【双牙】、二の型【烈牙】のたった二つ。「流派スキル」に至っては戦闘系流派の共通スキルと言われる(ように後になった)「見切り」、「気配察知」、「思考加速」の3つだけ。
 加えて「流派スキル」については他流派の物でも使用可能とわかると最早『バルド流剣術』に残る者などほとんどいなかった。
 
 俺が残っているのは武器への愛着とちょっとした拘り故だ。
 俺はRPGをやる時、上げれるだけレベルを上げて次へと進む。
 さらに死へのリスクが高すぎる現状、いくら強くなっても困ることはない。
 せめてこの『バルド流剣術』を極めれるほど戦闘に慣れてから他流派を学びたいと思っていた。チュートリアルによると流派には隠れパラメータとして熟練度が設定されており、熟練度が最大値に到達すると『奥義』を会得できるらしいのだ。
 チュートリアルで入門させられる上、『型』も『スキル』も基本的な物ばかりの正に初心者用剣術。
 他流派に比べれば簡単に『奥義』を会得できるだろう……そう思っていたのは俺だけじゃなかった。
 だが、正直『バルド流剣術』を舐めていたと言わざるを得ない。

 どんどん強くなり、『エデン』攻略に参加し、様々なアイテムを得る他流派のプレイヤー。
 俺達はほとんどプレイヤーがいなくなった練武場での訓練や始まりの街ダラス周辺での狩り。

 もっと高レベルのダンジョン等に挑戦することも考えられたが、少なすぎる『型』と『スキル』、そして初心者用剣術というレッテルに不安を覚える他流派のプレイヤー達はパーティを組んでくれることはなく、俺達だけで高レベルダンジョンに赴くのはリスクが高すぎた。
 その上、いくら訓練やモンスターとの戦闘をこなしても一向に『奥義』を会得できる気配はない。
 『バルド流剣術』を極めんとする同志は一人、また一人と減りついには俺一人となってしまった。

 俺も正直他流派のプレイヤーが羨ましいとは思う。悔しいとも思っていたし、意固地にもなっていた。
 だが、3年も訓練を続け生活が安定してくるとあまり気にしなくなった。
 今ではこの訓練も完全なる生活の一部として無心で行っている。
 そして未だ『奥義』は会得できていない。
 一度熟練度がどれほど溜まっているのか見てみたいが不可能だ。

 『エデン』においてステータスパラメーターを表示させる機能は存在しない。
 だが表示されないだけで各自にステータスパラメーターは設定されており、様々な行動で増減する。
 チュートリアル及び、公式HPの説明によると『エデン』のステータスモデルはレベル制ではなくスキル制であり、各自等しい値で設定されたキャパシティを割り振って成長させなければならない。
 そしてそれは筋力や頑強さ等のステータス、流派熟練度や『型』、「流派スキル」の熟練度等全てが同じキャパシティを取り合うことになる。故に前述した「流派スキル」を無数に取ろうとも、他のステータスや熟練度を犠牲にすることになってしまうのだ。
 だからこそプレイヤー達は皆試行錯誤を重ねながら隠されたステータスを探ろうと躍起になってたりする。


 毎朝の訓練を終えた俺は往きに通った通りへと戻っていた。
 早朝とは打って変わった騒がしさ。
 道の端に露店が立ち並び、プレイヤー達が様々な商品を並べ、それを物色するプレイヤー達がひしめき合う。
 露店を開いているのは始まりの街ダラスで暮らす生産系プレイヤー達だ。
 自分専用の店舗を手に入れるには大金が必要な為、多くの生産系プレイヤー達はこうして露店を開いて自分の作品を販売する。
 
 人の波を潜り抜け、俺は目当ての露店へと向かう。
 少し通りを歩くといくつかのテーブルや椅子が無造作に置かれたスペースがある。
 この辺りは料理系の商品を販売する露店が集まる場所だ。
 あまりにも多くの露店が立ち並ぶ為にプレイヤー達の中で暗黙のルールが制定され、販売する商品の種類によって住み分ける様になったのだ。
 そんな料理露店スペースの中で端の方に位置する小さな露店へと近づく。
 店主は俺と同じくらいの背丈の口髭が似合う男。調理服のような白い服を着た彼は近づく俺に気づくとニヤリと笑った。
 彼はブラート。かつて『バルド流剣術』を極めんとして脱落した同志の一人だ。今では『ジル流調理術』の門下生であり、こうして露店を開いて料理を売って生活している。
 
 「よう師範代、そろそろ来る頃だと思ってたよ。いつものでいいだろ?」

 「あぁ、頼む」

 ブラートは手早くカップにスープを注ぎ、陳列していたパンと一緒に差し出してくる。
 俺は腰のポーチから300ルビーと書かれたカードを取り出し、食事と交換した。
 コンソメの良い香りとパンの香ばしい香りが食欲をそそる。
 俺は露店の脇に置かれている椅子に座りながら朝食を取り始めた。

 「しかし師範代、今朝はどうだった?あの偏屈な爺さんは『奥義』を教えてくれたか?」

 「駄目だな。訓練の後に寄ってみたけど、相変わらず基礎を大事にしろとしか言わないよ」

 「まだ駄目か。もう3年だろ?巷じゃ他流派の『奥義』獲得者も結構出てるってのによ」

 「まぁ今更焦っても仕方ないさ。俺は俺のペースでやるよ」

 「……師範代も本当に相変わらずだな。これだけ皆に馬鹿にされても続けられるのはスゲーよ」

 「俺はMっ気があるんだよ。むしろ快感だね」

 「はっはっは、そりゃ間違いない!」

 「師範代」とは、いつまでも『バルド流剣術』にしがみついて未だに『奥義』を会得できない俺を皮肉ってつけられたあだ名だ。だが寧ろ俺は気に入って愛称として使用している。
 ブラートが語った通り初心者用剣術を狂ったように訓練する俺を馬鹿にする者は多く、今じゃ始まりの街ダラスではちょっとした有名人になってしまった。
 街中でも皮肉や影口を叩かれることは多い。外に出れば戦闘を邪魔されることも多かった。
 今は外でモンスターと戦う際には、見た目と匂いで人気が無くほぼ人の来ないアンデット系のダンジョンに一人篭って戦うことにしている。
 そんな中、ブラートはかつての同志として俺と仲良くしてくれる大切な友人だ。

 「師範代、今日も行くんだろ?」

 「あぁ、日課だからな。いつもの弁当頼む」

 「わかった。もう慣れてるだろうから大丈夫だとは思うが油断はするな。死ぬなよ」

 「ありがとう。肝に銘じとくよ」

 そう言ってブラートから弁当を受け取るとカード化し、腰のポーチにしまう。
 そのままブラートに手を掲げながら街の外へと俺は向かった。



[20224]
Name: りんごちゃん◆c3f1b985 ID:67b6f114
Date: 2010/10/24 21:37
 薄暗い洞窟。ゴツゴツとした岩肌にはうっすらと輝くコケが張り付き、照明がなくてもなんとか周囲を認識できる程度の明るさはある。普段ならば至る所に光の届かない暗がりが存在し、策敵の為にも強い照明が欲しい場所ではあるが、今はその薄暗さがちょうど良い。
 というのも俺は周囲を数えるのも馬鹿らしくなるほどの動く死体に囲まれているからだ。
 白骨化した死体であるスケルトン系ならまだしも、腐肉の残るグールやリビングデッド系となると照明の下で直視するのはあまり気分が良いものではない。
 加えてそれが見渡す限りの大群で迫ってくるのはかなりの恐怖だ。


 死者の洞窟。安易なネーミングのこのダンジョンは始まりの街ダラスから徒歩で約1時間程歩いた山の麓にある。
 かつて始まりの街ダラスで伝染病が流行った際に感染者は生死を問わずこの洞窟に投げ捨てられ、洞窟内は無数の遺体で溢れかえった。生前苦痛に喘いだ挙句、粗末に扱われた為に長い時間を経ても浄化されぬ魂が朽ちた肉体を揺り動かし、やがて洞窟は死者の王国と化した。

 始まりの街ダラスの住人に聞き込みをすれば、そんな話と共に場所を教えてくれる。『エデン』では比較的初期に発見され、グランドクエスト上の攻略もされたダンジョンだ。
 出現する敵の強さはステータス的に言えば初期に登場するゴブリンやコボルトといった初心者用の雑魚敵とそう大差ないと考えられており、そういう意味では初心者用ダンジョンと言えるかもしれない。

 だが、このダンジョンは初心者には易しいとは言えない。敵の出現率が高く、加えて数も非常に多いのだ。対多数の戦闘に慣れていなければなかなか進むのは難しい。
 そして何より敵の外見。カタカタと音を立てながら軽快に動き回る白骨死体。腐臭と腐肉を撒き散らしながらおぞましい怨嗟の叫びをあげるグール達。液晶テレビ越しの3D映像や特殊メイクとは一線を画する生々しさはプレイヤー達を震え上がらせる。かくいう俺も初めてこのダンジョンに挑戦した時は無様な悲鳴をあげて逃げ回った記憶がある。

 『エデン』の初期において「入れば必ず小便をちびる」とまで言われたこのダンジョン。攻略されるまではそれなりの数のプレイヤーが出入りしていたが、攻略されてからは急速に人気がなくなり、今では一部のコアなホラー好きが出入りするぐらいだ。

 そして俺の現在の主狩場でもある。始まりの街ダラス周囲のダンジョンはいくつか確認されているが、死者の洞窟以外のダンジョンはかなり攻略が楽である事、途中で様々な生産材料を獲得できる事、そして何より始まりの街ダラスに近い為に強盗プレイヤーが出現しにくい事が人気を呼び、連日生産系プレイヤー達によって賑わっている。

 始まりの街ダラスには生産系プレイヤーの大多数が生活している為に高位の戦闘系プレイヤー達も集まる。他人のアイテムを略奪し、殺しすらも厭わない強盗プレイヤー達は多数のプレイヤー達によって忌避されており、発見され次第有志のパーティによって殲滅される事も少なくない。おかげで始まりの街ダラス周囲は比較的安全と言えた。
 
 だが俺にとっては必ずしもそうではない。ログアウト出来ず、仮想世界に押し込まれている現状。ストレスを溜め込んでいる者は多い。
 そんな者達にとって初心者剣術も極められずパーティを組めないでいる俺は格好のストレス発散の的だ。
 さすがに表立って俺を直接攻撃するような愚か者はいないが、難癖をつけてくることは多い。
 おかげで俺は人を避けに避け、ついには死者の洞窟に辿り着いてここに篭り続ける事になった。


 今日も俺はスキル「気配察知」によって周囲のプレイヤーの有無を確認しながらフィールドを進み、死者の洞窟へと突入した。
 そして今。現在位置は死者の洞窟最下層地下4階の広場だ。
 死者の洞窟最奥でもあるこの広場にはダンジョンボスが出現する。

 ボロボロの全身鎧を身に纏い、肩に巨大な大剣を担ぐスケルトン。周囲には鬼火のような青白い炎がいくつかフワフワと浮いている。

 固有名『メイザースケルトン』。かつて始まりの街ダラスを何度も救うも伝染病によって没したが為に死者の洞窟に葬られた英雄メイザーが、洞窟内の邪悪な雰囲気に染められ復活を遂げた姿と言われている。

 全身鎧の堅牢な防御と大剣を枯葉のように振り回す膂力がやっかいなアンデッドだ。救いは大して技巧を凝らした攻撃をしてこない事。力任せに大剣を叩きつけてくることが大半だ。
 だが最も厄介なのはボスが周囲の雑魚敵を呼び出す事だ。他のダンジョンボスにもよく見られるこの特性は、死者の洞窟においては凶悪な物となる。

 だが俺はそれこそを求めていた。『バルド流剣術』は防御主体の剣術。防御の技術を磨くには、この無数の敵からの攻撃はうってつけだった。

 もっとも、勿論保険はかけてある。長い時間をかけて少しずつ攻略しながら検証した結果、今の俺はこのダンジョンの敵の攻撃を受けても急所でなければ致命傷にはならない事がわかっている。
 現在の俺の数値的なステータスはわからないが、少なくともスケルトンに殴られたり、グールに引っ掻かれたりしても骨折や大出血を引き起こすことは無い。だが急所はわからない。

 プレイヤー達の検証によると急所、特に首に対する攻撃は格下からの攻撃であっても一撃死の可能性が高い事が判明している。
 なので例え威力の弱い攻撃だとしても油断はできない。

 俺は集中力を切らさず無数の攻撃を捌く。スキル【見切り】によって俺の視界には俺が受ける被攻撃予測軌道が赤い線となって表示される。
 敵の数も相まって無数の軌道線が表示されるも、スキル【思考加速】によって思考速度が加速され周囲の動きがゆっくりと感じられる俺は落ち着いて軌道線をなぞる様に防御を重ねていく。
 スケルトンの打撃を剣身で受け止め押し返す。グールの引っ掻きをガントレットで弾く。
 いくつか雑魚敵の攻撃を捌くと周囲のアンデッドを押しのけながらメイザースケルトンが迫り大剣を振り下ろすが、俺は既に受け流す構え。
 甲高い金属音を響かせながら俺の剣を滑る大剣。
 攻撃を受け流されたメイザースケルトンはたたらを踏み、決定的な隙が生じるが俺は動かない。
 攻撃はせず、ただ防御を繰り返す。

 『バルド流剣術』には回避するという動きがない。基本的に重心を低くどっしりと構え、受け止めるか、受け流すか、弾くかである。
 アンデッドの大群に囲まれ無数の攻撃を受けながらも俺はほぼ位置を変えていない。広場にはアンデッド達の怨嗟の声と俺が防御する金属音のみが長時間鳴り響く。


 かなりの時間が経過し俺にも疲れが自覚できるようになると、ようやく攻撃へと転じる。
 最初の目標はメイザースケルトンだ。
 こいつを先に倒さなくては周囲の雑魚敵は減る事がない。
 何度も繰り返された大剣の振り下ろし。それを何時もの様に受け流しながら、大剣が滑る途中で力強く弾く。
 大きく体勢を崩されたメイザースケルトンのがら空きの胴体へ俺は『バルド流剣術』二の型【烈牙】を起動。
 剣を跳ね上げながら全身の筋肉が膨張した。そして床を砕く程の勢いで一歩踏み出すと同時に剣を振り下ろす。
 スキル【思考加速】で加速されている俺の視界ですら捉えきれない剣速だ。

 俺の斬撃はメイザースケルトンの頭部は勿論、鎧すら楽々と切り裂き見事に真っ二つにして彼に二度目の死を与えた。
 メイザースケルトンの残骸には目もくれず周囲の雑魚敵へと向き直る。こいつらには【烈牙】程の攻撃は必要ない。
 いくつかの攻撃を弾き体勢を崩させると、今度は一の型【双牙】を起動。上段からの切り落としで目の前のグールを切り裂くと鋭く剣先を跳ね上げ横にいたもう一体のグールを逆袈裟に切り裂いた。

 俺は次々と【双牙】で敵を仕留めていき、広場に動かぬ死体を量産する。
 無数とも言えた敵の全てを倒す頃にはまたかなりの時間が経過していた。
 さすがに乱れた呼吸を整えながら俺はドロップアイテムの回収を始める。

 モンスターの死体は倒したからと言ってすぐに消滅するわけではない。モンスターの死体に手を触れカード化をすることでドロップアイテムをカードとして入手でき、その後に死体は消滅する。

 俺はなるべく急ぎながらドロップアイテムを回収していく。内容はほぼ換金用の採取アイテムだ。早く回収しなければまたメイザースケルトンが沸いてきてしまう。次の戦闘までもう少し休んでおきたい。


 結局あの後、同じような戦闘を二度程繰り返し死者の洞窟から出てきた。周囲はすっかり夜の帳で覆われている。

 今日の成果は換金すれば約2万ルビー。それにメイザースケルトンがドロップした大剣『メイザーズオナー』と装備強化用の宝石が二つ。まあまあの成果だ。
 対して俺の装備の損害だが、『スチールブレスト+9』にはほぼ傷は無く、『スチールガントレット+9』と『スチールグリーブ+9』に多少の傷、そして最も攻撃を捌いた『スチールロングソード+9』はかなり傷だらけで刃こぼれも目立つ。
 鍛冶系流派を師事してない俺には正確な耐久度はわからないが、大体の目安は経験上わかる。街に帰ったら修復を頼まなければならないだろう。

 スキル【気配察知】によると何匹かモンスターが近くをうろついている様だが、プレイヤーの存在は感じられない。
 それでも念を入れカードから黒い外套を具現化し身を覆うと始まりの街ダラスへと俺は歩き出した。
  



[20224]
Name: りんごちゃん◆c3f1b985 ID:67b6f114
Date: 2010/07/21 01:50
 死者の洞窟から始まりの街ダラスへと戻ってきた俺は、門のすぐそばで開かれているNPC雑貨屋に立ち寄りアンデッド達からドロップした採取アイテムを換金した。買い取り額はほぼ予想通り。
 店を出た俺は未だ喧騒の収まらぬ大通りを抜け、とある地区へと足早に進む。
 しばらく歩けば人通りも落ち着き、段々と空気に鉄と何かが燃える匂いが混じり始める。
 さらに歩くと金属同士を打ち合う甲高い音が多重奏で鳴り響くのが聞こえてくるだろう。
 
 始まりの街ダラスの職人街、特に鍛冶系流派を師事したプレイヤー達が集う場所だ。プレイヤー達の専用工房や、自身の工房がまだ持てないプレイヤー達の為の共用工房が連なるこの場所では昼夜を問わず金属を鍛錬する音が鳴り響く。
 今も歩けば夜だというのに工房の端々で赤々と燃える炎を前に槌を振るうプレイヤー達の姿が見える。

 一応この職人街を目指して歩いてきたのだが、俺が目的とする場所はもう少し奥だ。
 さらに歩くと通りに面した店も段々と大きくなる。奥に行けば行くほど大きい店舗用の貸家が並んでいるのだが、その維持費も貸家の大きさに比例して高くなる。高位の戦闘系プレイヤー達のようにモンスターを狩って金やアイテムを稼ぐことが出来ない生産系プレイヤー達にとって店の維持費は頭の痛い問題だ。
 そしてこの付近で店を出せるということは、特に高額な維持費を支払える成功したプレイヤーである事を証明している。

 そうした店が建ち並ぶ中で比較的小さな店。店先の看板には「鍛冶屋スカーレット」と書かれている。
 ここが俺の目的地だ。
 素朴な感じのする木の扉を押し開くと中には剣や鎧が陳列された棚が整然と置かれ、奥のカウンターには一人の女性が眠そうにティーカップを傾けている。
 俺の入店に気づいても眠そうな顔は変わらない。それでも少しは眠そうな眼に光が灯ったような気が……したが気のせいかもしれない。

「やあ姐さん。今日も世話になるよ」

「……」

「姐さん?」

「……や~っと来ましたね~、師範代さ~ん。危うく私寝ちゃう所でしたよ~」

「(寝てたなこの人……)いや、姐さんはいつも寝そうじゃないですか……」

 眼の覚めるような赤いロングヘアーを無造作にポニーテールにした女性。いつも眠たそうな顔だが、凛とすれば結構美人だと思われる顔立ち。
 彼女の名はスカーレット。主に西洋系の剣や鎧を造るバルモンド流鍛冶術に師事しており、最近奥義を会得した凄腕だ。

 いつも眠たそうで天然系な見かけとは裏腹に鍛冶屋としては非常に優秀な彼女は、様々なギルドから引っ張り凧だ。バルモンド流鍛冶術を極めた彼女が造る武具は同系統の他人が造った武具よりはるかに性能が高く、加えて性能をある程度客の要望通りに弄る事ができる。
 ちょっと腕のあるプレイヤーにとってスカーレット印の武具はブランド物であり、たまに彼女から語られる話だと、「ブラッククロス」や「シルバーナイツ」、「猫猫同盟」といった誰もが知る有名ギルドメンバーが彼女の造る装備を愛用しているらしい。

 そして俺の装備も全て彼女の作品だ。性能の要望は頑丈さ強化の一点集中。

 こんな俺が彼女に装備を造ってもらえる理由は、俺が彼女の客第一号だからだ。
 俺が初めて武器を見繕っていた時、たまたま覗いた露店で気に入る剣を見つけた。その露店がちょうど彼女が初めて自分の作品を並べた露店であり、俺が購入した剣が初めて売れた作品だったのだ。
 それ以来、「バルド流剣術」の性質と俺の訓練上、装備の耐久度低下が激しい俺は何度も装備の修復を依頼した。

 彼女が容姿と腕で有名になり始め、俺が馬鹿にされるようになり始めても相変わらず俺を客として扱ってくれる彼女に、ずっと装備の修復を依頼し続けた。
 今では最早彼女の店に寄る事は日課となってしまったが、それでも彼女は眠たそうな顔で俺を出迎えてくれる。
 ブラートと共に俺の大切な友人だと言えるだろう。

 ちなみに俺が彼女を「姐さん」と呼ぶのは、彼女の実年齢が俺より3つ程上であること、……そして何より豊か過ぎる双丘に畏敬の念と暖かな母性を感じて「姐さん」と呼んでいる。


「まあ、姐さん。今日も修復頼みますよ。後、ロングソードの強化も。この大剣は何時も通り分解しちゃってください」

 俺はカードから装備と強化用宝石を具現化させてカウンターに並べる。
 装備を眺める姐さんの目は普段よりちょっと厳しい。

「ま~た結構ボロボロにしてきましたね~。こ~んな短時間でこれだけ耐久度減らしてくるのは師範代さんくらいですよ~?危ない事してませんか~?」

「大丈夫ですよ。きちんと保険はかけてますから」

「ならいいんですけど~……師範代さん死んじゃったら私泣いちゃいますからね~」

「姐さんにそこまで言ってもらえるのは嬉しいな~。でも俺は臆病ですから死なないですよ」

「臆病でも死なないのは大事ですよ~。私も少しでも良い装備が造れる様に頑張りますから~師範代さんも頑張ってくださいね~」

 そう言うと姐さんはカウンター上の装備と宝石をカード化し、奥の工房へと歩いて行った。
 
 
 店の中をしばらく物色してると工房からの金属音が止み、姐さんの声が聞こえてくる。

「修復と分解終わりましたよ~。分解は強化用宝石が一個でました~」

「じゃあその宝石もロングソードの強化に突っ込んでください」

「は~い。じゃあこれから強化しますね~」

 再び工房からは金属音が鳴り始める。

 装備はダンジョンボスがドロップする強化用宝石を用いて強化することができる。
 +の数値は大きくなる毎に次の数値への成功確立はどんどん減少していく。
 最高値は+10であり、+10にまで強化を成功させた者はいない。
 アイテムランクが低く強化成功率が高めになるはずの俺の「スチールロングソード」ですら3年かけてようやく+9である。

「ごめんなさ~い!1回目失敗しちゃいました~」

「別に大丈夫ですよ。気にしないで下さい」

 +9になってから数えるのを止めた位失敗してる。
 今更一回二回の失敗で動揺する俺ではない。

「ごめんなさ~い!2回目も失敗しちゃいました~」

「……大丈夫です。次は+10ですからね、難しいのはわかってますから」

 +10は夢ではあるが今回も無理だろう。
 頑張ってる姐さんには悪いが俺は早々に諦めに入った。
 またどうせもうちょっとしたら「ごめんなさ~い」って聞こえて……。

「きゃ~~~~~~!!成功した~~~!!」

「はいは……ええっ!?成功した!?」

「そうですよ~!!成功したんですよ~~!!」

 そう言って姐さんが普段からは想像できない速度で工房から飛び出してくる。
 手には1本の剣。
 
「これが……俺の剣……スチールロングソード+10」

 やや幅広で肉厚な剣身。黒く鈍く光る刃先……。

「……って、あまり以前と変わらないような気がしませんか」

「……そうですね~。私の目でも+10だっていうのはわかるんですけど~、他はあまり変化ないかもしれません~」

「それは見た目ですか?それとも性能ですか?」

「……残念だけど~両方~」

 さっきの喜びはどこに消えたのだろうか。さすがにこの事実はショックがでかい。
 +10になれば剣身が光ったりするのかと期待してただけに、見た目はおろか性能すらほぼ変化なしとは予想外だ。
 
 がっくりと項垂れる俺に姐さんが責任を感じたのか優しく声をかけてくれる。

「元気出してください~師範代さ~ん。+10なんて誰も持ってないんですから~すっごく自慢できますよ~?」

「……寧ろもっと笑い者の材料にされそうです」

「う……う~、じゃあ一緒にご飯でも行きましょう~!お腹いっぱいになれば考えも変わりますよ~。
うん、決定~!」

「え、ちょっ、姐さん待って下さい!」

 珍しく強引な姐さんに店の外へと引っ張り出される。毎日槌を振るう姐さんは意外と筋力パラメーターが高いのか力持ちだ。

「うさぎとにんじん亭でいいですか~?最近常連さんに教えて貰ったんですけど~、あそこの料理美味しいんですよね~。楽しみ~」

「わ、わかりましたから、う、腕を……」

「気にしない~気にしない~」

 腕を捕んだまま姐さんは歩き出し、俺は大通りを引きずられていった。



[20224]
Name: りんごちゃん◆c3f1b985 ID:67b6f114
Date: 2010/07/28 00:50
 姐さんに連れられ、しばらく歩くと周りの店も段々と趣きを変え料理屋や酒場といったものが増えてくる。朝にも近くを通った料理系流派師事者の多い地区だ。
 人間の三大欲の一つに食欲があるように、食に関する物の周りには人がよく集まる。先程までの職人街では金属を鍛える音がよく響いていたが、ここではプレイヤー達の喧騒が非常に大きい。
 鎧を着た戦士、ローブを着た魔術士、ラフな格好をした恐らくは生産系プレイヤー。様々なプレイヤー達が集い、笑い、騒いでいる。時には喧嘩らしい怒鳴り声も聞こえてくる。
 ここは一時とはいえ絶望と恐怖を忘れ、生きる活力を与えてくれる場所だ。
 
 姐さんがようやく歩みを止めたのは、その地区では比較的大きめの店の前。アメリカの開拓時代を思わせる両開きのドアに店内。頭上の看板には人参を咥えたウサギが可愛くデフォルメされて描かれていた。
 プレイヤーが引っ切り無しに出入りしてる所を見ると結構人気の店のようだ。

「この店は初めて見ますね」

「ちょっと前にオープンしたばかりのお店らしいんです~。ここの照り焼きステーキは絶品なんですよ~!」

 今にも涎を垂らしそうな顔の姐さん。……いや、その大きな胸に既に涎の染みがついてる気が……。前を歩いてるから気がつかなかったが、もしやずっとこの顔で歩いてたんだろうか。

「さあ、入りましょ~!」


 店内に入るとほぼ満員状態だったが、ちょうど席を立つグループがいたようだ。メイドの格好をしたウェイトレスに案内され、姐さんと向かい合うように席に着く。彼女はこの店でバイトをしているプレイヤーだろう。
 日銭を稼げないプレイヤーや純粋にバイト生活を楽しみたいプレイヤー達が、このような大きな店舗を構えるプレイヤーに雇われるというのはよくあることだ。
 席に着いて落ち着く間もなく、姉さんがウェイトレスに注文し始める。どうやら姐さんの中では既に注文が決まってるようだ。どうせ奢られる身なので素直に姐さんに任せておく。

 する事もないので周囲を見渡す。俺にはちょっと懸念があった。こういうプレイヤーの多い場所ではたまに俺に絡んでくる者がいるのだ。俺一人の時ならまだいいのだが、今は姐さんがいる。さすがに姐さんに手を出すことはないだろうが不快にさせるかもしれない。
 そんなプレイヤーがいなければいいのだが……と、見渡す俺と目が合うプレイヤー。慌てて視線を逸らすも、席を立ち近づいてくるのがスキル「気配察知」でわかってしまう。
 周囲をキョロキョロ見てたのは失敗だったかもしれない。
 注文を終えたらしい姐さんがこちらを向くのと机の脇にプレイヤーが立つのは同時だった。

「この店を気に入ってくれたようで嬉しいよ、スカーレット」

「……あら~、リンさん~!こんばんは~。このお店の料理ほんとに美味しいんですもの~。忘れられなくてまた来ちゃいました~」

「それは紹介した甲斐があるものだ……ところで、君が男と二人で食事とは珍しいな」

 そう言ってこちらを見下ろす彼女。背中まで伸ばされた濡れ羽色の真っ直ぐな髪。髪と相反するように真っ白の肌に切れ長の瞳。さすがに姐さん程ではないにしても標準以上に豊かな胸に細いウエスト。かなりの美女だ。
 
「この方は~私の大事な常連さんなんです~。ちょっと残念な事があったので励まそうと思って連れて来たんですよ~」

「なるほど、てっきり彼……」

「ちょっと、リン!いきなり席を立ったと思ったらどこ行ってるのよ!……って、スカーレットじゃない」

 どうやら彼女はリンというプレイヤーの連れのようだ。
 リンというプレイヤーとはガラッと雰囲気が変わり、軽くウェーブのかかった明るい茶髪を横に一つ括りにしている。背が結構低めでスタイルはウェストが細いものの胸は残念としか言い様がない。
 それでも顔はかなり可愛いと言って過言はないだろう。

「ああ、ミーナ。すまない、ちょっと珍しい場面を見つけてしまってね」

「まったくもう、いきなり行くからびっくりしたわよ。でも確かにスカーレットが男連れで食事なんて珍しいわね。デート中かしら?」

「違います~!この方は常連さんなんです~。ちょっと励ましたいだけなんですよ~」

「ほんとかしら~。うちのメンバー含めいろんな男からの誘いを断ってるのに、いきなり二人で食事でしょ?怪しいわ」

「も~、ミーナさ~ん!」

 恐らくミーナというプレイヤーは姐さんをからかってるだけなんだろうが、姐さんは顔を真っ赤にして反論している。確かに、この姐さんの反応を見たらからかってみたい気もよくわかる。

「まあまあ、二人とも。奇遇にもこうして出会えたわけだし、皆で一緒に食事をするのはどうかな」

「それはいいわね。スカーレットと彼との関係も気になるし」

「ミーナさ~ん!……私は大丈夫ですけど~師範代さんは……」

 そう言ってこちらを伺う姐さん。この乱入してきた二人組みは姐さんとも仲が良いようだし、悪い人間ではなさそうだ。一緒に食事するのもいいだろう。

「俺も大丈夫ですよ」

 そう言うとパッと笑顔に花を咲かせる姐さん。

「じゃあ、一緒に食事しましょ~。ウェイトレスさ~ん~」


 ウェイトレスに相席することを伝え、4人で席を作り終えた所で料理が届く。
 香ばしい香り漂う肉や色とりどりのサラダ。湯気を立てるパンやスープ。見た目と香りだけでもかなり美味しそうだ。さすがに姐さんがあれだけはまるだけはある。
 肉を切り分け一口頬張る。途端照り焼きの香ばしさととろけるような食感が口に広がった。正直相当に旨い。ダンジョンに篭り、空腹となっていた所でこれはかなりの衝撃だ。
 隣では姐さんがフォークを口に突っ込んだままだらしの無い顔を晒し、対面に座る二人も満足のいく味に思わず微笑みが零れる。
 しばらく会話も無く一心不乱に料理をつつく俺達。結構な量だったテーブル上の料理があっという間に無くなっていった。
 ある程度腹が落ち着いた頃、対面のリンというプレイヤーが口を開いた。

「そろそろ自己紹介をしようか。私はギルド「シルバーナイツ」所属のリン。流派は「ヒテン流剣術」を師事している」

「同じく「シルバーナイツ」所属のミーナよ。流派は「カイン流魔術」を師事してるわ」

 ギルド「シルバーナイツ」!「エデン」の戦闘系トッププレイヤー達が集う超有名ギルドだ。ギルド「ブラッククロス」程の人数はいないとはいえ構成メンバーは軒並み戦闘力が高く、総合力において「ブラッククロス」と互角と言われておりトップギルドの座をこの二つのギルドで争っている。
 
 この二人、ギルド「シルバーナイツ」に所属しているというだけでも相当な実力者であることを示しているが、流派も相応にレア流派だ。
 流派「ヒテン流剣術」は日本刀を主武装とする流派で主に居合いを得意とする流派だ。間合いを測らせず超高速の抜き打ちで敵を仕留める。傍目には鞘に刀を納めながら華麗に敵を切り刻む姿は思わず見とれる程だという。日本人に人気な日本刀主体の流派「コテツ流剣術」に師事することで派生するレア流派だ。

 対して「カイン流魔術」はその名の通り、魔術と呼ばれるシステムによって様々な現象を起こす流派だ。
 魔術の使用方法は他の戦闘系流派と同じだ。ある魔術を使いたいと強く念じる事でシステムアシストが発生し、自身の流派の形式で現象が顕在化する。
 そしてその発動形式によって魔術は大きく二つに分けられる。
 「詠唱式」と「紋章式」だ。
 「詠唱式」は決められたキーワードを発声することによって発動し、「紋章式」は決められた図形を指で描くことによって発動する。
 一般的に「詠唱式」は発動速度が圧倒的に速く、威力や効果は若干弱めであり、「紋章式」は発動速度は遅いが、威力や効果は非常に強いと言われている。
 「カイン流魔術」は「紋章式」の魔術であり、いくつかのキーアイテムを所持することや特定のクエストをクリアすることを条件とするレア流派だと聞いている。
 
 どちらも師事する為には相当な実力が必要とされる流派だ。まぎれもなくトッププレイヤー達だと言える。
 そしてこんな二人と仲が良い姐さんに対する尊敬度が上がった気がするが、姐さんもれっきとした生産系の有名プレイヤー。
 この場にいるのが場違いに思えてきた俺だが、自己紹介されて返さないわけにはいかない。

「俺は……うっ」

 急に感じた下腹部の違和感に動きを止める俺。訝しむ3人。そこに新たな乱入者が現れた。

「リンさん、ミーナさん!やっぱここにいたんだ!あ、しかもスカーレットさんまでいるし!今日はツいてる!」

 やたらとテンション高く話しかけてきた金髪をツンツンにした男。背は高く、がっしりとした風で銀色に輝く全身鎧を着込んでいる。顔はなかなかの美男子でパッと見さわやかな好青年と言えなくも無い。

「それに……あぁ?なんだ誰かと思えば初心者剣術の師範代じゃねぇか。リンさん、なんでこんな奴と食事なんかしてるんすか?」

「彼はスカーレットの常連らしくてね。スカーレットと二人で食事してた所に我々二人がお邪魔させてもらったのだよ」

「スカーレットさんの常連!?初心者剣術使いが!?ありえねぇ~!こういうのなんて言うか俺知ってるわ。豚に真珠って言うんだろ?」

 そう言って笑う男。それに合わせて彼の後ろにいた集団からも笑いが零れる。集団も男と似たような風貌で銀色の鎧を纏っている。

「そう笑うものではないよ、レオン」
 
 食事を邪魔されて不快に思ったのか、軽く窘めるリン。ミーナと姐さんも表情が少し険しい。

「でもリンさん知らないんですか?こいつ未だにバルド流にしがみついてて奥義も獲得できてないんすよ。もう3年も経つのにな!才能ないから諦めた方がいいのによ!」

 リンとミーナが驚いたような顔でこちらを向く。どうやら俺が「師範代」であることを知らなかったらしい。こういう形で紹介されるとは思ってなかったが、遅かれ早かれ彼女達には知られることだ。
 どう思われても今更気にする俺ではないが、今はそんなことよりも急務があった。
 先程からの下腹部の違和感が鈍痛に変わり、きりきりと鋭い痛みへと変わってきている。

 これは……下痢な気がする。

 先程の食事に何か混ぜられたのだろうか。激痛をこらえる俺は自然と顔色が悪くなり、俯きがちになる。
 それを見て何を思ったか姐さんが猛然と立ち上がった。

「才能ないだなんてそんなことありません~!確かに師範代さんは奥義を獲得してませんけど~、それでもすっごく強いんですよ~!」

 間延びした話し方ながらも力強い言葉を放つ姐さん。姐さんの気遣いは非常にありがたいのだが、こう火に油を注いでは事態が面倒なことになってトイレへの道が遠のく気がする。
 男がニヤリと笑うのが俺を不安にさせる。
 
「へぇ、初心者剣術も極めれないこいつが強いねぇ。確かにこいつが戦ってるとこは見たこと無かったわ。……スカーレットさんは俺よりもこいつが強いと思うわけ?」

「もちろんです~!」

 男がさらにニヤリと笑う。俺の不安と腹痛はどんどん大きくなる。思わずリンとミーナを見るが、二人は面白そうに事態を静観している。

「そこまで言うなら俺と勝負しよう!まさか女にここまで言われて逃げるなんてことないよなぁ、師範代さん?」

 残念ながら悪い予想が当たりそうだ。



[20224]
Name: りんごちゃん◆c3f1b985 ID:67b6f114
Date: 2010/10/16 02:22
 姐さんの手前二つ返事で引き受けた俺は、先導する男……レオンに着いて行く。もちろんなるべく腹部に刺激を与えないように一歩一歩細心の注意を払ってだ。

 ちなみに試合前にトイレに行きたいと言ったが、レオンからは逃げるのかと笑われ、それに反応した姐さんからジッと見つめられてしまっては行くことは不可能だった。
 おかげで歩く事すら極度の集中力をもってして行わなければならない。こんな状態で果たして戦えるのだろうか。
 
 レオンが歩みを止めたのは店の近くの広場。隅にベンチが並べられちょっとした休憩ができるようになっている。始まりの街ダラスは非常に広い為、ちょっと歩けば近くにこのような広場はいくらでもある。通常ならプレイヤー達の憩いの場となる場であり、今も幾人かのプレイヤー達が休憩していたようだが、ぞろぞろと集団でやってきた俺達に驚きジッと経過を見守っている。
 結局店にいたプレイヤーのほとんどが俺達の試合に興味を持ったようで着いてきてしまった。さらに歩いている最中にもどんどん野次馬は増え続け、今この場には広場を埋め尽くすほどのプレイヤーがいる。

 着いて行く最中に姐さんから聞いた話によると、レオンはリンやミーナと同じギルド「シルバーナイツ」のメンバーらしい。ギルド「シルバーナイツ」は何かしら銀色の防具を纏うのが決まりだそうで、先程の店でレオンの後ろにいた集団もやはり「シルバーナイツ」のメンバーらしい。

 レオンは有名ギルド「シルバーナイツ」の一員、対して俺はある意味有名人の「師範代」。面白い事に餓えている始まりの街ダラスのプレイヤー達にとって、目の前で見れるこの試合は見逃すことができないようだ。
 俺達に好奇の目線が突き刺さる。レオンはそんな周囲の視線を心地良さそうに受けており、俺に対して不敵に笑っている。
 俺は腹痛を必死に我慢してるせいでどうも俯きがちだ。きっと顔色も悪いだろう。
 さすがにそんな俺を心配してくれたのか姐さんが気遣うような声をかけてくれる。

「師範代さん~、大丈夫ですか~?……私のせいでこんなことになってごめんなさい~。私、師範代さんが毎日頑張ってるの知ってるから~我慢できなくて~……」

 姐さんが落ち込んでしまってる。ここは嘘でも大丈夫だと言わなければ……。腹痛を無理やり我慢し、笑顔を浮かべる。

「大丈夫ですよ。それにありがとうございます。姐さんがああ言ってくれたのは嬉しかったですよ。……正直勝てるかわかりませんけど、頑張ってみます」

「……師範代さんなら~きっと勝てますよ~!頑張ってください~!」

 そう言って祈るように両手を胸の前で結ぶ姐さん。
 正直勝率はかなり薄いだろう。何せ相手はリンやミーナと同じトッププレイヤーだ。未だ始まりの街ダラス周辺をうろちょろしてる俺が敵う相手だとは思えない。加えて今はコンディションが最悪だ。
 だが、世話になっている姐さんに報いる為にも精一杯がんばってみよう。それに性能的に大して変化のなかった俺の愛剣にも戦闘になれば何か変化があるかもしれない。
 とりあえず今は戦闘に集中だ。
 俺は慣れた動作で腰のポーチからカードを抜き出し、愛剣を具現化させた。


-----------------------------------------------------------------


 スカーレットが「師範代」と呼ばれる彼に対し、心配そうに声をかけている。それを傍目に、私はレオンの元へと歩み寄っていた。
 レオンは「シルバーナイツ」でもよく一緒にいるのを見かけるメンバー達に囲まれて騒いでいる。私は喧騒が嫌いではないが、どうも彼らの雰囲気は苦手だ。だからこそ普段は必要以上に彼らに接することはない。
 それでも私がレオンに歩み寄っているのは、彼があまりに対戦相手を侮っている感を見受けるからだ。
 どうやら何分であの「師範代」を倒せるか掛けをしているようで、周囲が口々に3分だの5分だの言ってる傍ら本人は1分も要らないと豪語しているのが聞こえる。
 私はため息をつきながらレオンに話しかけた。

「レオン」

「ん?ってリンさん!もしかして応援しにきてくれたんすか!?嬉しいな~!」

「違う。私は忠告しに来たのだ」

「忠告~?……どういうことっすか?」

 レオンと周囲の「シルバーナイツ」の面々は私が何を言ってるのかわからないとでもいうような顔をする。
 私はスカーレットの横に立つ男を見ながら続けた。

「君は彼を侮りすぎている。油断していると足元を掬われるぞ」

 一瞬キョトンとした顔を見せたレオンは周囲を見ながら笑い出した。それに応えるように周囲のメンバーも笑う。

「はっはっは、リンさん冗談きついっすよ~!俺があんなのに負けるはずないじゃないですか。装備、流派、経験。どれを取っても負ける要素がないっすよ!」

「……そうか。なら私から言うことは何も無い。頑張ってくれ」

 そう言って身を翻すと、背後では私に応援されたと喜ぶレオンの声が聞こえてきた。果たしてあの明るさをいつまで保ってられる事やら……。
 私がミーナの待つ位置まで戻ってくると、聞きたくてうずうずしてたらしいミーナが飛びついてきた。横で一つ括りにされた髪を揺らしながら女性の私から見ても可愛い顔が間近に迫ってくる。
 
「ちょっとちょっと!あのレオンを応援しに行くだなんてどういう風の吹き回しよ!?」

「別に応援しに行ったわけじゃないよ。ちょっと忠告しに行っただけさ、相手を侮るなとね」

「忠告~?スカーレットには悪いんだけど、今回の試合は勝負にならない気がするわ。あの「師範代」だっけ?彼、「バルド流剣術」なんでしょ。それじゃ型もスキルも遥かに多いレオンの「ガーランド流剣術」には敵わないわ」

「確かに流派のシステムアシストやスキルは強力だ。でもそれだけが勝負を決める要因じゃない。……ミーナ、君はここに来るまでの間彼の動きを見ていたか?」

「そりゃチラチラとは見ていたけど、特におかしなとこはなかった気がするわよ……どういうこと?」

「……彼は席を立ってからここに至るまでの間、全く体幹がぶれていないんだ。そして恐ろしく滑らかな足運び。システムアシストに頼り切りの者では決して到達できない域に彼はいる」

 そう言い切る私に目を丸くするミーナ。

「え、それほんと?私にはとてもそんな凄い奴には見えないんだけど……まあ、リアルでも武道やってるあなたがそう言うのならそうなのかもね。意外と良い勝負になるのかしら……」

 私とミーナ、二人の視線が自然とあの男へと向かう。適当に切られた黒髪に黒い瞳。カッコいいと言うよりかは逞しいと言える様な顔立ち。装備は私達からすれば初期装備と大差ないスチールシリーズ。それでも剣を構える姿は堂に入っていた。


-----------------------------------------------------------------


 俺が剣を構えると、レオンもカードを二枚取り出し具現化させる。
 現れたのは二本の剣。一本は複雑な模様が剣身に刻まれた直剣。もう一本は血に濡れたような真っ赤な刃を持つ曲刀。
 どちらも一目見ただけでレア物だとわかる武器だ。そしてその二つを両手に握って構えるレオン。両手の武器がどちらも長剣の類から見るに恐らく流派は「ガーランド流剣術」。レア流派の中でも群を抜いて人気の高い二刀流を扱う流派だ。手数の多さによる攻撃密度の高さが非常に強力だと聞く。
 二人が剣を構えた事で周囲の喧騒が急に止む。突然湧いた無音空間に女性の声が響いた。

「ちょっと待ちなさいよあなた達。勝敗の決め方決めないでいきなり戦おうとするんじゃないわよ。それにこのまま戦ったら致命傷を負うかもしれないでしょ。「アイシス」をかけてあげるから、どちらかの「アイシス」が砕けた時点で勝負は終わりね」

 俺達の前に進み出てきたのはミーナだ。彼女が俺に近づき、俺の胸元で指を動かす。高速で動かされた指は空中に白い軌跡を残し、やがて一つの紋章を形作る。そして一瞬紋章が輝くと俺の胸へと溶け出し消えた。
 
「「アイシス」は一定のダメージを肩代わりしてくれる不可視の盾よ。これで死ぬことはないだろうからがんばりなさい」

 そう言い残した彼女はレオンの元にも赴き、同じ紋章を描く。レオンが何かミーナに話しかけたようだが、それを適当にあしらった彼女はリンの元へと戻っていった。
 ミーナに相手にされなかったレオンは俺を睨みながら剣を構える。

「正直お前程度の相手に「アイシス」なんて必要ないんだけどな。……どうせすぐ終わるからなぁ~!!」

 勝負は唐突に始まった。
 レオンが迫る。その速度はかなり速い。二人の間にあった距離をあっという間につめて俺へと攻撃をしかけてくる。俺の視界に表示される無数の攻撃予測軌道。
 だが俺もスキル「思考加速」を起動、周囲の動きがゆっくりと知覚されるようになる。レオンの攻撃は……見える。初撃は俺から見て左上段からの袈裟斬り。
 右の剣による初撃に剣を合わせる。響く金属音と衝撃。衝撃による腹部の激痛に思わず呻きそうになる。
 弾くのは駄目だ。受け流さなければ……。
 すぐさまレオンの左手が閃き、下から剣先を跳ね上げてくる。鼻血が出そうなほど集中した俺は、レオンの剣に俺の剣を触れ合わせ滑らせる。
 だがそれでも僅かな衝撃は消せず、俺の腹部を追い詰める。
 これではとても反撃なんてできない。
 今度は弾いた右手の剣が突き出されるのが見えた。俺の思考の片隅から漂う暗雲を感じながらただひたすらにレオンの攻撃を受け流し続ける。

 一体何合打ち合っただろうか。「ガーランド流剣術」の真骨頂とも言うべき手数の多さは未だに攻撃の途切れ目を作らない。俺は極度の腹痛と集中で意識が飛びそうだった。それでも身体に染み付いた動きが機械的に攻撃を捌く。俺のスキル「見切り」は意外と熟練度が高かったようでレオンの攻撃予測軌道を完全に表示してくれる。そしてスキル「思考加速」も加えればレオンの攻撃を防ぎきれることがわかった。
 レオンの顔にも若干焦りが見えていた。
 周囲も防戦一方とは言え、曲がりなりにもトッププレイヤーであるレオンの猛攻を防ぎきる俺の姿に固唾を呑んで見守る。
 そんな周囲の反応と簡単に叩き潰せると思っていた俺の粘りように焦れたレオンが叫んだ。

「弱小の癖に生意気なんだよ!うぜぇ抵抗するんじゃねぇ!」

 一瞬溜めを作るレオン。大技の気配、この絶好の隙を突かねば危険かもしれない。だが、腹痛で動けない。
 腕の稼動限界まで引き絞り、一気に放たれるレオンの腕。ぶれて腕が何本にも分裂したかのように見える。それらが左右から同時に俺へと波濤のように殺到した。
 これは、恐らく「ガーランド流剣術」八の型「スラッシュウェーブ」。この型を見るのはこれが初めてだが、「エデン」内に出回る情報誌によって知識だけはあった。高位の型だけあってその斬撃は、今までとは鋭さが違う。
 必死に左右に剣を振り回し防ぐも、受け流す余裕のない俺はどんどん腹痛で追い詰められ……ついに俺の防御を掻い潜るレオンの斬撃。
 俺の胸を切り裂くかと思われたレオンの赤い刃は寸前で停止し、代わりに金属を叩いたような音が響き渡る。
 さらにもう一本の剣が迫る。今度はガラスを砕いたような音が響き、俺は吹っ飛ばされた。

 石畳を転がる俺と剣を振り切った状態のレオン。
 勝敗は一目見て明らかだった。
 途端ドッと湧く野次馬達。剣戟の音しかなかった広場にプレイヤー達の喧騒が上塗りする。
 周囲から声をかけられるもレオンは憮然とした顔で無視し歩く。向かう先は地面に蹲って悶絶する俺だ。
 俺の脇に立つなりレオンは右手の剣を振り上げる。

「俺にこんなに手を焼かせやがって……むかつくわお前」

 そう言って剣を振り下ろそうとするレオンに鋭い仲裁が入った。

「待て!……勝負は既についた。もうこれ以上彼に攻撃を加える必要は無い!」

 リンだ。声の鋭さに再び周囲が静まる。
 睨み合うリンとレオン。
 先に視線を逸らしたのはレオンだった。

「……そうっすね。こんな奴斬って剣の耐久度減らすのも馬鹿らしいっすからね」

 剣をカード化するレオンにホッと安堵の息を漏らすリン。
 カードを懐にしまったレオンは蹲る俺の横を通り過ぎながらボソッと呟いた。

「これ以上リンさん達に近づくなよ。雑魚がっ」

 おまけとばかりに俺に唾を吐きかけ、後頭部を踏みにじる。

「レオン!」

「ははは、勝ったのは俺っすからね。敗者はいたぶられて当然っす」

 そう笑うと一緒にいた「シルバーナイツ」のメンバーと共にレオンは立ち去っていった。
 周囲の野次馬も自然と解散していく。
 
 「意外とがんばったなあ」

 「そうか?手も足も出てなかったし、所詮「バルド流剣術」じゃあの程度だよ」

 立ち去る野次馬達の声がかすかに聞こえる。
 野次馬達を掻い潜り、俺の元に走り寄るリン。
 すぐにレオンの唾を拭ってくれる。

「……すまない。レオンには同じギルドメンバーとして後できつく言っておく」

 俺は返答しようとしたものの激痛で声も出せなかった。
 さらに足音が聞こえる。姐さんだろう。

「師範代さん~!大丈夫ですか~!?怪我はないですか~!?」

 声も出せず蹲ったままの俺にあたふたとする姐さん。

「……「アイシス」があったから、直接攻撃が身体に届く事はないわ。ただ、砕けた時に防ぎきれなかったダメージが衝撃として通ったみたいだけど……」

 どうやらミーナも俺の近くに来たらしい。
 皆が俺のことを心配してくれている。とても嬉しい。だが素直に喜ぶのを状況が許さない。

「……すいません。しばらく、一人にさせてください……」

 気力を振り絞ってそれだけ伝えると、3人はハッとしたように互いに顔を見合わせた。

「すまない。……何か助けが必要になった時は遠慮なく私やミーナを頼ってくれ。今日はこれで失礼する」

 そう俺を気遣ってくれたリンとミーナは頷き合うと、静かに立ち去っていった。
 一人残る姐さん。
 いつの間にか周囲に人はいなくなっていた。

「師範代さん……、本当にごめんなさい~。私が余計な事をしなければ~……」

 違う!と言いたかった。姐さんにそんなことを言わせてしまう自分が情けなかった。腹痛がなんだ。本当に強ければそんなハンデなど物ともしないはずだ。三年間……これだけの時間をただただ修練に捧げてもこの程度だった。
 自己嫌悪と悔しさで押し潰されそうな俺は姐さんに返答する余裕もない。
 応えの無い俺をどう思ったのか、悲しそうな顔をして姐さんも立ち去っていった。


-----------------------------------------------------------------


 私とミーナは静かに自宅への道を歩いていた。
 ここまで私もミーナも何も話さず空気は重い。だがお互い考えてることは同じだろう。
 ふとついにミーナが口を開いた。

「彼には悪い事をしたわね。……レオンはさすがにちょっとやりすぎだわ」

「そうだな。レオンには私から言っておく。彼があのまま自棄にならなければ良いが……」

「そうね……でも、今回珍しくあなたの当てが外れたわね。確かにちょっと頑張ってたけど、結局防御で手一杯で一撃も反撃できなかったし」

「うん……確かに出来る気配を感じたのだが……私の思い違いか」

 歩いてきた道を振り返り、あの広場があるであろう方角を見つめる。
 本当に私の思い違いなのだろうか……だが、私の心の隅で何かが引っかかる。
 「バルド流剣術」の「師範代」。黒髪に黒い瞳。剣を構える彼の背中。蹲る彼の姿。
 何故かひどく強い印象を私の中に残した。

「リ~ン!何してるのよ!もう遅いんだし早く帰りましょう」

「……ああ、すまない。今行く」

 もう一度だけ振り返り彼の姿を思い出すと、先を歩くミーナに追いつく為足早に歩きだした。


-----------------------------------------------------------------


 どれだけ時間が経っただろうか。周囲の喧騒は全く無くなり、怖いくらいの静謐があった。
 僅かに身体を起こす俺。
 多少は収まった腹痛だが、代わりに自己嫌悪と悔しさは際限なく俺の内で増大していた。
 今までこんな気持ちが無かったわけではない。誰かに馬鹿にされ、笑われる度にドロドロと熱をもった溶岩のようなそれは少しずつ俺の心に溜まっていたのを自覚している。
 そんな俺の心がついに溢れる。それは言葉となって自然と口から零れた。

「……強くなりたい。どんな敵も圧倒できる……力が欲しい」

 零れた言葉は自分が思った以上に力強く周囲に、そして何より俺の心に響いた。





 その夜、俺は夢を見た。


 真っ暗な闇の世界。音も何もなく、まるで深い海の中にいるようだ。
 不思議と落ち着くその空間に身を委ね、闇を漂う。

 ふといつの間にか誰かが俺の目の前にいるのに気づいた。
 何の脈絡もなく現れた姿に俺は驚くことなく、相対する。
 長い髪に丸みを帯びたライン。相手はどうやら女性らしい。どんな顔だろうかと目を凝らすが、何故か焦点がぼやけてはっきり見えない。
 彼女は何も語らない。恐らく微笑んでいるんだろうという事がなんとなく雰囲気でわかった。

 だが彼女を見つめる俺の心には段々と焦燥感が沸き起こる。
 ……俺は、君を守らなければならない。
 自然とその言葉が心に浮かぶ。同時にさらに高まる焦燥感。
 でも、君は一体誰なんだ……。
 胸の内の焦燥感に押されるように俺はそっと手を伸ばし、彼女に触れようとした。
 その瞬間、……世界が暗転した。
 
 気づくと俺は戦場にいた。
 周りは無数の敵。味方は一人……いや守るべき者が一人。
 彼女を背後に、幾多の敵と戦う俺。
 俺の意識はぼんやりとしていて、身体が勝手に戦っている。
 これも夢だろう。
 そんな考えが頭をよぎる。何せここでも音がないのだ。
 勝手に動く手足にまかせ、剣を弾き、槍を受け流し、矢を叩き落し、そして敵であろう人型を斬り殺す。

 俺は実に多くの敵を屠った。その様は死者の洞窟を思い出させる。
 だがいつもの日課とは違い、終わりの無い戦いの果てついに凶刃を受ける俺。
 そのまま倒れこんだ俺の背中には刃を突き立てられる感触。
 ゆっくりと瞼が閉じていく。
 狭まる視界には俺と同様に無数の刃を突き立てられる彼女が見えた。
 それを見た瞬間、ぼんやりとした俺の意識に……爆発するような憤怒と悲しみが広がる。
 
 
 絶対に守ると誓ったのに……俺は、俺は……君を守れなかった!

 
 レオンとの試合がフラッシュバックする。

 
 いつまで無力でいる気だ?

 このままではまたも彼女を守れない。

 力が……彼女を守るにはさらなる力が必要だ。


 
 ……そう、俺は既にあれを知っているはずだろう?こんな段階で立ち止まっている暇は無いのだ。



[20224]
Name: りんごちゃん◆c3f1b985 ID:c2a484ba
Date: 2010/12/02 00:40
 レオンとの試合から一夜明けて、早朝。
 何か夢を見た気がするが、よく覚えていない。だが、未だに気分が晴れないところを考えるとどうせ碌な夢じゃない。
 気分は最悪ながらも俺は日課である修練を行う為にバルド流の練武場へと向かっていた。
 昨夜あんなことがあったのに律儀に日課を繰り返そうとする自分にはちょっと笑ってしまう。確かにこれは他人から見れば馬鹿のように思えるだろう。
 だが最早俺には『バルド流剣術』しかない。未だ救いの無いこの『エデン』で俺が見出した心の拠所。
 最初こそ他流派への踏み台程度にしか思っていなかった。……いや、つい昨夜まで心の何処かにその思いはあった。煌びやかな装備を身に纏い、様々な型やスキルを披露する他流派のプレイヤーを見かける度に、さっさと『バルド流剣術』なんて卒業して俺もあんな風になりたいと思ったりしたものだ。
 強くなりたい……これは最初からずっと心に思っていたことだ。だが、『バルド流剣術』では強くはなれない……そんな相反する気持ちを持っていたのではないか。
 だが、気づいた。自分が思った以上に『バルド流剣術』は俺の中に根付いている。
 昨夜の手痛い敗北を経験し、俺は強さを、力を求めた。だがそれは他流派へ師事することで強くなることではない。あくまで『バルド流剣術』の使い手として誰にも負けない強さを求めたのだ。

 それを自覚すると俺の心の内には熱が生まれた。

 最早他流派なんて関係ない。俺は『バルド流剣術』で強くなる。そして、もう誰にも負けない。
 こんな貪欲さを俺は久しく忘れていた。早く練武場で剣を振りたい。
 俺の足は自然と早足になり、ついには駆け足となって練武場へと飛び込んだ。

 
 俺が異変に気づいたのは、何時ものように練武場で剣を振り始めてすぐだった。
 練武場の奥にある建物のドアが開いたのだ。これだけなら特に驚く事はない。今ではほとんど無いとはいえ、興味本位でプレイヤーが出入りすることもある。
 だが、ドアから出てきた人物が問題だった。出てきたのは、背が高く白髪を伸ばした老人。ゆったりとしたローブのような服を纏っているも、時折垣間見える腕や首筋には鋼を思わせる筋肉がついている。そして額にはNPCを示す紋章。
 彼はアシュレイ=バルド。その名でわかるように『バルド流剣術』のマスターNPCだ。
 
 『エデン』の最初期における『バルド流剣術』に人が溢れていた時期には教えを請う多人数のプレイヤーに対応する為か、練武場で見かける事が多かったが、今では奥の建物に閉じこもり出てくることは無い。
 少なくとも俺の記憶では2年以上に渡って、建物から出た姿を見たことは無い。俺は毎朝の修練後は勿論、暇さえあればこのNPCに会いに来てた。そして毎回同じ事を言われては項垂れる。
 それが俺にとっての常識ともなっていたので現在練武場を歩いて向かってくる老人の姿に酷く違和感を感じてしまう。
 思わず手を止め、彼が俺の元へと向かってくるのをじっと待ってしまう。彼が近づくにつれて俺の心がざわめく。これから一体何が起こるのか。
 
 彼がようやく俺の前に辿り着く。何時もどおりの鋭い視線が俺を見つめる。一拍置いて彼が口を開いた。
 
「……よくぞここまで耐え抜いた。基本のみでその域に達するのは想像を絶する苦行だったことだろう。それでもお前は身体を鍛え、技を練り……そして心を磨いた。お前は成し遂げたのだ」

 自分の唾をゴクリと飲む音が大きく聞こえる。彼の言う事はつまり……そうなのか?緊張と期待と不安で俺の頭が真っ白になっていく。
 そして決定的な言葉を俺は聞いた。

「奥義【心眼】を授ける」

 そう彼が語った瞬間、俺の視界の端に半透明のウィンドウが現れる。それを見たのが随分と昔だったので驚いたが、これはシステムウィンドウだ。流派に師事した時や型、スキルを獲得した時、クエスト等に現れる。

 そこには「『バルド流剣術』奥義【心眼】を獲得しました」との一文。

 あまりの事に頭が働かず、ジッとそれを見つめてしまう。だが、段々と事実を認識してくると俺の胸の内に喜びが爆発した。

「---------------!!」

 声にならない叫びをあげ、思わず座り込んでしまいそうになる。今までの苦労が走馬灯のように頭を巡る。ついに、ついに俺は到達した。
 喜びの余り震えていると、アシュレイの低いよく通る声が聞こえてくる。まだ話は終わってなかったらしい。

「この奥義を得たことにより、お前には死角がなくなる。【心眼】はお前に新たな視界をもたらすに過ぎない。だが……この域に至る過程でお前の肉体、特に筋力、頑丈さは人としての限界まで鍛えられ、基本のみなれど技も同様に練り上げられている。それに【心眼】が加われば無類の強さを発揮するだろう」

 どうやら『バルド流剣術』は流派的に筋力と頑丈さが上がりやすい流派だったらしい。他のプレイヤーとステータスを比べる事などなかったので気づいてなかった。他のプレイヤーとの交流が少ない俺は自分のステータスがどの程度のものなのかも理解してない。アシュレイの言葉を信じるのならば筋力と頑丈さは結構高い数値であるようだが……。
 アシュレイの言葉はまだ続く。

「そして、【心眼】は奥義なれど奥義にあらず。【神眼】へと至る通過点に過ぎない。お前は今『バルド流剣術』を極め、ようやく真の『バルド流剣術』を会得する資格を得た」

 この言葉の意味することは……派生流派!? リンの『ヒテン流剣術』に代表されるようにある流派の奥義を獲得することや、いくつかの流派の熟練度を上げることで師事出来るようになる派生流派と呼ばれる流派がいくつか確認されている。
 まさか『バルド流剣術』に派生流派が存在するとは……予想してなかった展開に俺の肌が思わず粟立つ。確かにNPC達から聞ける設定によると、『バルド流剣術』は『竜殺し』として名を馳せた英雄アラン・バルドが開いた流派。かつて悪名を轟かせ、幾度の討伐を退けてきた巨大な竜を単身打ち滅ぼしたと聞く。
 チュートリアルで学ぶ流派だとはいえ、基本技ばかりの割に設定が大仰だとは思っていた。

「真の『バルド流剣術』は強力故に、扱う者は相応の肉体と基礎を必要とする。『バルド流剣術』を極めたお前はその条件を満たした。だが、まだ最も重要な条件を満たしていない」

 ……恐らくはクエストだ。前提条件として奥義獲得があり、その後にクエストをクリアすることで入門できる。話に聞く他の派生流派のほとんどで見られるパターンだ。

「初代が竜を倒したことはお前もよく知る所だろう。故に歴代の『バルド流剣術』を極めた者達はワシも含め、皆竜を倒すことが決まりとなっている。……ダラスよりはるか西に竜達が住み着く山がある。そこで竜を一匹、お前一人で戦い倒すのだ。それが成されればお前に真の『バルド流剣術』を教えよう」

 そこまで聞くと、アシュレイは身を翻し奥の建物へと帰っていく。俺はあまりの展開にしばらく動けなかった。奥義獲得だけでも頭が一杯になったというのに、派生流派への入門クエストまでも起きた。俺の胸の内に沸々と喜びとやる気が沸いてくる。
 ついに報われる時が来たのかもしれない。正直、クエストのクリア条件である竜を一人で討伐する事は厳しい条件だ。だが真の『バルド流剣術』と言われては引き下がるわけにはいかない。何がなんでもこのクエストはクリアする。
 そう強く心に刻んだ俺は練武場を後にした。


 宿に戻った俺は保管してあるアイテムカードの束から今まで少しずつ貯めてきた高価な回復アイテムカードを軒並み抜き取り、回復系デッキとしてまとめて腰のポーチにしまう。
 クエストの目的地は始まりの街ダラスから西へ数日かけて進んだ先にあるヴァリトール山。ダラスからもその姿を眺めることができるこの山は、アシュレイが言っていた様にレッドドラゴンやブラックドラゴン等の竜種のモンスターが数多く出現する高レベルフィールドだ。
 さらに稀にだが山の主として巨龍ヴァリトールが現れることもある。山の名前の由来にもなったこのユニークモンスターは厄介な事に決まった出現場所が存在しない。常時山を徘徊しているようで、どこで遭遇するかは運次第であり、出会ってしまうと生存は絶望的だとも言われている。
 現在のトッププレイヤーのパーティでもこのフィールドで狩り続けるのは難しいと言われており、まだ序盤の地域である周囲のフィールドと強さのレベルが釣り合ってないと疑問に思われていたが、このクエストのための舞台だったようだ。

 倒せばいいのは一匹だけで良いとはいえ、かなり危険極まりない場所での狩りだ。備えはいくらあっても足りない。
 予備の装備カードをまとめ、ポーチの各カードデッキを点検する。どれだけのダメージを食らうか想像できないのでもう少し回復アイテムを補充しておきたいところだ。後で店に寄る事にしよう。
 装備の整備は昨夜姐さんに頼んであったので特に必要はない。姐さんには『バルド流剣術』の奥義をついに獲得したと伝えたい。だが、奥義【心眼】は強力な型等ではなく、補助的なスキルのようだ。これを得た俺が本当に強くなっているのかわからない。
 無様な姿を見せてしまった俺としては真の『バルド流剣術』に師事し、もっと強くなったと自覚できるようになってから報告したかった。


 宿での準備を終え、近くの露店やNPC店で回復アイテムカードを買い込んだ俺はブラートの店へと向かう。
 料理露店スペースの端にいつもの露店が見える。険しい顔をしながら料理をしているブラートだが、俺の姿を見つけるとあからさまにホッと安心したような顔をした。

「今日は随分と遅かったじゃないか。心配したぞ。いつものでいいか?」

「ああ、頼む。今日はいろいろとやることがあってね」

「……聞いたぜ、師範代。シルバーナイツの奴とやりあったんだって?」

 いつものようにスープとパンを渡しながら尋ねてくるブラート。やはりあの試合の話は広く伝わってしまってるようだ。

「もうそんなに話が広がってるのか」

「まあな、お前も相手も結構有名人だからな。……でも気にするなよ。相手は装備からして大きな差があるトッププレイヤーだ。勝つのが難しいのは当たり前さ」

「……心配してくれてありがとう、ブラート。俺は大丈夫さ。なんせMっ気があるからこんなことじゃへこたれないよ」

「そんな減らず口が叩ける様なら大丈夫そうだな」

 お互いにニヤリと笑う俺達。『バルド流剣術』を修練し続ける事の苦労をよく知る俺達だからこそお互いの気持ちはよくわかっている。彼にはちゃんと伝えておくべきだろう。

「今日もこれからまたあのダンジョンへ行くのか?」

「いや、今日は別の場所へ行く。ヴァリトール山だ」

「ヴァリトール山!?なんでそんな危険な場所に!?」

「……実はついに奥義を獲得してね。派生流派の入門クエストが始まったんだ。そのクエストの為に……って、ブラート?」

 俺の話の途中で口を大きく開けたまま硬直したブラート。思わず話が途切れてしまった。気遣う俺に段々とブラートの眼の焦点が合ってくる。次の瞬間、ブラートの口からとんでもない大声が出た。

「何ぃぃぃぃい……ムグぐ!?」

 大声を出すブラートに慌てて口を塞いで取り押さえる俺。喧騒が止み、周囲の視線が一瞬俺達に集まるも、すぐに興味を無くしたかのように喧騒が戻る。

「頼むよ、ブラート。奥義を獲得した事はまだ秘密にしておいて欲しいんだ」

 俺の腕を叩きながら必死に首を振るブラート。そこでようやくブラートを解放すると、彼は俺の腕を掴んで店の裏に引っ張り込んだ。
 そこでブラートは小さく喚きながら俺の肩をつかんでガクガクと俺の頭を揺らした。

「お前俺を殺す気か!?いや、そんなことより奥義獲得ってどういうことだよ!?いつだ、いつ獲得したんだ!?奥義はどんなのだったんだ!?」

 興奮してる様で、矢継ぎ早に聞いてきた。俺は肩を掴むブラートの腕を掴んで落ち着かせる。頭が揺れて気持ち悪い。

「落ち着け、ブラート。獲得したのは今朝だよ。あの爺さんが練武場に出てきて、奥義を授けるって言い出してな。奥義は【心眼】っていうスキルだ。効果はまだ試してないからわからん」

「……【心眼】かあ。やったじゃないかよ~。ついに奥義を獲得じゃないか。……良かったなあ」

 若干涙を浮かべながら喜ぶブラート。苦労を知ってる身として感じるところがあるようだ。俺も再び練武場で感じた喜びが沸いてくる。

「ありがとう。……だけどまだ終わりじゃないんだ。さっきも言ったが派生流派が出た。今度はそれを極めるつもりだ」

「そのためにヴァリトール山か。……ちなみに条件は?」

「竜種モンスターを一人で撃破」

「一人で!?パーティでも難しいって聞くぞ!?大丈夫なのか?」

「……正直厳しいと思う。けどやれることは全部やって俺は必ずやり遂げる」

 心配するブラートだが、俺の意志の篭った強い視線を受けて納得したようだ。

「あの師範代がこんなに燃えてるなんて珍しいな。……そこまで言うのなら俺は頑張れとしか言えん。無理をせず、勝てないなら逃げろ。生きてさえいればチャンスは巡ってくる」

「ああ、肝に銘じておく。……いつもありがとう、ブラート」

 そう言っていつも通り弁当を受け取り、手を掲げながら挨拶を交わす。
 そして俺は街の門へと向かって歩いていった。



[20224]
Name: りんごちゃん◆c3f1b985 ID:67b6f114
Date: 2010/12/02 00:37
 ヴァリトール山に向かう道中、俺は新たに手に入れた奥義【心眼】の効果を検証し続けた。その結果、アシュレイが言っていた死角がなくなるというのは誇張表現ではなかった。

 効果自体はそれほど複雑なものではない。単に視界が切り替わるだけだけだ。

 奥義【心眼】を発動すると俺の視界は普段の1人称視点から俺自身を見下ろすような鳥瞰視点に切り替わる。視界が違うだけで身体の感覚は変わらないので、【心眼】発動状態で身体を動かすのはなかなか距離感が掴めず難しい。

 だが、自分の周囲全てを一目で確認できる有用性は大きい。
 道中のフィールドモンスターとの戦闘で【心眼】視界にスキル「見切り」の攻撃予測軌道が表示されることも確認した。
 これで顔を向けることなく敵からの攻撃を捌くことが可能だし、スキル【気配察知】と合わせれば最早俺に奇襲は通用しないだろう。
 勿論、それには常時【心眼】を発動し、【心眼】発動状態で普段と変わらない動きが出来ることが条件ではあるが。

 加えて嬉しいのは、【心眼】視界では例え夜でも昼間とほぼ変わらない視界を得ることができることだ。ほぼ変わらないと言ったのは、【心眼】視界では影が存在しないことによる。おかげで普段薄暗い場所でもはっきりと細部を確認できる。
 ダンジョンの洞窟ではまだ試すことが出来ていないが、少なくともフィールド上では夜に松明やランプなどの光源を必要とすることはなくなった。
 これは非常に助かる。やはり闇というのは恐怖を誘うものだし、魔術ならいざ知らず松明やランプでは光源としては心許無い。闇を気にせず戦えるというのはかなり負担が軽くなると言える。

 奥義【心眼】の検証によって浮かび上がった問題点は、やはり【心眼】視界での身体の動かし方と距離感。これを克服しなければ戦闘での使用は難しい。
 【心眼】の問題克服の為にしばらく訓練をするべきだろう。本来なら始まりの街ダラス周辺やいつものように死者の洞窟で訓練を積むべきだが、今はレオンとの試合のせいで俺への注目度が高い。俺が【心眼】を獲得したことを知られない為、そして邪魔をされない為にも始まりの街ダラスからは少し離れた方がいいだろう。
 ヴァリトール山への道中を想像し、修練するのに都合の良い場所を考える。
 そうすると一つの村が俺の脳裏に浮かんだ。


 始まりの街ダラスを発ってから約3週間。俺はヴァリトール山の麓でその威容を仰ぎ見ていた。
 本来なら数日の日程で到着できるはずをこんなにも時間がかかったのは【心眼】の習熟訓練の為だ。ヴァリトール山に程近いホルンという小さな村を拠点に修練を積んだ。この付近はヴァリトール山以外にダンジョンらしい物は存在せず、プレイヤーの姿を見ることも少ない。おかげで俺も気ままに修練を積むことができる。
 始まりの街ダラスを出た時からこの村に目星をつけていた俺は、ここでみっちり修練を積んでいたのだ。
 その甲斐あって【心眼】視界でも普段とほぼ変わらない動きをすることが出来る。
 準備は整ったと判断した俺はこうしてヴァリトール山へとやってきたわけだ。
 
 話には聞いていたが、本当にでかい。麓こそ緑に覆われているが、標高が上がっていくにつれて緑はなくなりごつごつとした岩肌が目立ってくる。その頂は雲に隠れて見る事はできない。
 中腹辺りで鳥のようなものが複数飛んでいるのが見えるが、サイズがおかしい。おそらく飛竜の一種だろう。ここからではまだ詳細が見えないが他の竜種も大勢いるだろう。明らかに獣とは違う獰猛な咆哮がここまで聞こえてくる。
 竜の巣窟。死と隣り合わせの場所。思わず俺の喉がゴクリと鳴る。これからの苦難を想像し、集中していた為か声を掛けられるまで俺はそいつが後ろに立っている事に気づかなかった。


「やはり今回も君か」


「!?」

 己の【気配察知】スキルに信頼を置いていた俺は、こんな至近距離まで近づかれるのを全く想定してなかった。
 俺は思わず飛び退きながら腰のポーチからカードを抜き取り、瞬時に愛剣を具現化させれるように構える。
 ここは街の中ではなく、フィールド上。さらに人気も全くないと言って良い。
 そんな状況で俺に真後ろから接触してくる相手。相手が俺に害する考えがあるのならば、すでに俺はやられてしまっていたと言えるので少なくともすぐに俺をどうこうしようという気はなさそうだが否応無く警戒心は高まる。

 俺の真後ろにいた相手は、一言で言えば異様な風体だった。
 闇が滲み出たような真っ黒なフードとローブを着込み、顔や体格が全くわからない。一応背の高さは俺と同程度、声は聞く限り男性のようではあるが……。


「だが、随分と来るのが早い……」

 ぼそりと呟き俯く男。俺が警戒を露にしているというのに全く気にも留めず思慮に浸っているようだ。何なのだ、この男は。もしかしてクエストに関係するNPCなのだろうか。男の額を確認したいが、フードに隠れて口元しか見えない。

 思考を終えたのか、男が俺へと顔を向ける。だが、依然として顔はフードの暗がりに隠れはっきりしない。恐らくは認識を遮断する効果を持った装備だろう。いくつかそういう効果を持ったレア装備が存在することを噂に聞いている。
 身元が全くわからない相手に俺の警戒心がさらに高まる。

「……忠告しておこう。今のこの時期、ヴァリトール山は竜達の繁殖期を迎え、総じて竜達が凶暴化している。別の時期ならいざ知らず、今の君ではまだここに挑むのは早い。命が惜しければ出直すことだ」

 思わぬ言葉に困惑する俺。この言葉だけを聞くなら、竜達の凶暴化を伝えるNPCととれなくはないが……最初の言葉が不可解だ。今回も? それではまるで……。

 ザワリと俺の心の内で何かが蠢いた気がした。その正体を探ろうとした途端、意識に靄がかかる。
 俺は今何を考えていた?
 ……駄目だ、思い出せない。

 何かもどかしさを感じながらも意識を外界に戻すといつの間にかあの男は消えていた。
 今の一瞬の気の緩みで俺に気づかれずに移動した!?
 驚愕しながら慌てて周囲を警戒するが、【気配察知】にも【心眼】にもあの男の存在は感じられない。
 
 最初から気配を察知できなかった事から俺よりもはるかに高レベルのプレイヤーかもしれない。だが、それでも俺は油断しすぎだった。もっと気を引き締めなければこれから先が思いやられる。

 あの男が言う竜達の凶暴化というのは、この付近の情報があまり出回らない為聞いた事はなかった。あの不気味な怪しい風体から正直真実を語っているとは断定できないが、それでも何故か嘘を言っているようにも思えなかった。

 そうするとこのままヴァリトール山に挑むのは非常に危険で無謀な挑戦となるかもしれない。今までなら戻ってまた修練を続け、時間を置いてから再挑戦するだろう。
 だが、今は焦燥感が心に燻っていた。
 早く強くなりたい。……いや、強くならなければならない。
 だからこそ俺はこの試練を今、乗り越える。
 
 そうして俺はヴァリトール山へと足を踏み入れた。



[20224] 10
Name: りんごちゃん◆c3f1b985 ID:67b6f114
Date: 2010/12/02 00:35
 ヴァリトール山を進む。まずは麓に広がる森の中だ。鬱蒼と緑が生い茂る森。比較的背の高い針葉樹が立ち並び、足元にはそれほど背の高い草木は生えていない。おかげで楽に進むことが出来る。
 だがそれは身を隠す場所が少ない事も意味している。既にここは「彼ら」のテリトリーなのだ。逸早く危険を察知できるように常に【心眼】を使用しながらの移動。緊張と集中のせいで神経がすり減らされていくのが自覚できるが、それは仕方が無い。

 高レベルパーティでも苦戦するという竜。俺の勝率を少しでも上げる為には必ず先制する必要がある。
 勿論今回は今まで貯めた財産に物を言わせ、高価な回復アイテムや一時的なブースト系アイテム等をたっぷり持ってきていた。その中には一時的にだが疲れを忘れさせ、集中力を増大させるというような現実ではちょっと危ない効果のアイテムも含まれる。
 先程の謎の男の忠告が真実ならば、普段よりも竜達の戦闘力は上がっている。備えはいくらあっても困るものではない。戦闘になればそれらを躊躇無く使うつもりだ。

 時折空気を震わせる獰猛な咆哮。
 この山に住まう王達に気づかれてはいけないとばかりに森は異様な静けさで満たされ、動物達が動く様が全く見えない。まるで時間が止まっているかのようだ。
 森の中には竜達の咆哮と俺の鎧がたてる微かな金属音、進む際の草地や土を踏みしめる音しか聞こえない。俺の装備は金属系の防具だが、急所を重点的に守り、あまり動きを阻害させない造りとなっているので全身鎧等に比べたらかなり金属部分は少ないといえる。それでも動く際の僅かな金属の擦れ合いは防げない。
 竜達が音に対してどれだけ敏感なのかはわからないが、もしもを考えやはりスキルの常時使用は止めれないのだ。

 そんな森を慎重に進みながら俺は作戦をまとめる。
 何も山をどんどん登っていく必要は無い。
 確かに山の中腹には飛竜達が遠くからでも見えたし、他の竜達も高度が上がるにつれて増えていくことだろう。だからといって山を登っていくのは危険だ。
 クエストのクリア条件は竜を一匹倒せばいいだけだし、帰路の事も考えなければならない。
 わざわざ山を登り、竜に遭遇できたとしても複数の竜に囲まれたりしては目も当てられない。
 麓の辺りを歩き回り、1匹だけでうろつく竜を探す。

 そう考えながら進む俺の耳に何かが砕けるような音が微かに聞こえてきた。何かしら動く存在がいる。この場では竜である可能性が高い。
 聞こえてくる音の方角に当てをつけ、さらに慎重に立ち並ぶ針葉樹の影を縫うように俺は進む。
 しばらく進むと森の途切れ目が見えてきた。その先には緑が少ない岩地が続いている。音は先程より随分大きくなってきた。大分近いとは思うが、もう少し進む必要があるようだ。
 そうして身を屈めながら岩地を進むとある光景が俺の目に飛び込んできた。
 
 見つけた。

 岩地の先で落ち着かなさそうに周囲を見渡し、時折尾を振り回して周囲の岩石に叩きつけている一匹の竜。
 真っ赤な鱗が特徴的な見上げるような巨体。手足には鋭い爪、口元には大きな牙が並んでいる。背中には身体のスケールからすると小さめの翼。
 レッドドラゴンだ。
 竜種の中でも割とポピュラーな部類だろう。手足の爪や凶悪な牙による攻撃は強力であるし、尾の薙ぎ払いは攻撃範囲も広いので注意が必要らしい。だが、特に注意が必要なのはブレス攻撃だろう。
 情報によるとレッドドラゴンは見た目通り火属性で火炎放射器のような炎を吐くという。現に今もあのレッドドラゴンの口元からは高温の吐息が漏れ出し、周りの空気が揺らいでいるのが確認できる。
 魔術士でもいればブレス攻撃を含む属性攻撃の防御手段があるが、こちらはただの剣術士が一人のみ。
 一応装備を強化してあるとはいえ、強力な属性攻撃に耐性があるかわからない。そうなると流派的に苦手な回避行動を取る必要が出てくる。
 
 やはりいきなりレッドドラゴンに挑むのはリスクが大きい。ここはこのまま発見されてないうちに仕切り直して、レッサードラゴンを探すべきだろう。

 レッサードラゴンは竜種の中でも最も弱い竜だと言われている。そうは言っても、他の竜との違いはブレス攻撃が出来ない事、空を飛ぶ事が出来ない事の二つだけだ。
 依然として強力な爪や牙、尾による物理攻撃は侮れない。
 だが、俺には対処の難しいブレス攻撃が無いだけでもかなり勝率が上がる。

 この場を立ち去る為、ゆっくりと腰を上げようとした瞬間、レッドドラゴンは突如空を向き咆哮をあげた。

「GRRRRAAaaaaaaaAaaRRR!!!!!!」

 多少距離があるにも関わらず、その凄まじい咆哮に心の奥底から恐怖が涌き出し思わず身体が硬直する。

 近くで聞く竜の咆哮がこれ程とは!

 俺の気配を感じたのか、こちらに顔を向けるレッドドラゴンと俺の視線が交錯する。

 ……気づかれた!

 すぐに竦む身体に喝を入れ、今来た道程を森へと走る。逃げ切れるなら逃げて仕切りなおす。だが、保険はかけておこう。走りながら腰のポーチのカードデッキからブースト系アイテムカードを抜き取り具現化させる。

 一時的に疲れを忘れさせ、集中力を増大させる『アドレナン』、一時的に痛覚を無くす『イモータル』、一時的に筋力を増大させる『ブルマッスル』。栄養ドリンクのような容器に入れられたそれらブースト系アイテムを片っ端から喉に流し込む。

 効果はすぐに現れた。今までの移動でどんよりとした身体のダルさが消え、意識がはっきりし始める。同時に身体中の筋肉が膨張し、防具を押し上げる。
 先程とは比べ物にならない速度で走る俺だが、背後をうかがう俺の【心眼】には絶望的な光景が映っていた。

 俺を発見したレッドドラゴンはさらに一声咆哮をあげると翼を広げ、なんと空を飛び始めた。高度はそれほど高くないが、滑空しながら迫る速度は俺の走る速度より圧倒的に速い。
 さらにレッドドラゴンの胸が大きく膨らむのを【心眼】で確認する。

 ブレス攻撃!

 ゴッとレッドドラゴンの口腔から吐き出された熱風を感じながら、とっさに横っ飛びに身を投げ出す。なんとか受身らしきものを取りながら転がる俺の脇を灼熱の塊が通り過ぎた。
 【心眼】により、一面炎の海と化しているのがわかる。
 
 攻撃範囲が広すぎる!……今のは距離が近かったおかげか、ブレス攻撃が広がりきる前に避けれた。距離を取られてしまうと俺には回避することすら危うい。

 自らが作り出した炎の海に悠然と降り立つレッドドラゴン。炎の照り返りにより一層鮮やかな赤を纏うその姿はある意味荘厳さを兼ね備えていた。
 王国への愚かな侵入者たる俺を見下ろしながら牙を剥き出す。

 ……退路は絶たれた。事ここに至ってはこいつに勝たねば帰ることもできない。

 覚悟を決める。俺は立ち上がると、腰に差していた愛剣を抜き放つ。黒光りする剣身はレッドドラゴンの牙にも負けぬ凶悪な輝きを放った。

 神経を研ぎ澄ませる。俺の攻撃範囲、奴のブレス攻撃範囲を考えると勝つためには奴の懐に飛び込まねばならない。凶悪な牙と爪、堅牢そうな赤い竜鱗が目に映る。思わず身体を引き裂かれズタズタにされる光景が頭に浮かぶ。
 だが、死中に活あり。気力で恐怖と不安を押し込め、俺はレッドドラゴンへと一歩を踏み出す。

「おおお!!」

 己を奮い立たせる為に雄叫びを上げながら突進する。既にスキル【思考加速】が起動されており、周囲の風景がゆっくりと後ろへ流れる。
 そして俺の視界に表示される太い攻撃予測軌道。俺の身体の幅程もある赤い線。恐らく初撃は俺から見て左からの爪攻撃。
 丸太のような腕を振り上げ、鋭い爪が俺へと振るわれる。

 思考加速中の俺の視界でもその速度は速い……だが、見える。

 攻撃予測軌道通りに振るわれた爪に合わせ、左下から剣を振り上げ叩きつける。爪に対し横から叩きつけられた衝撃でレッドドラゴンの腕が泳いだ。
 おれはそのまま振り上げる形になった愛剣を目の前のレッドドラゴンの腕へと振り下ろす。
 激突の瞬間感じる竜鱗の硬い感触。高級生産材料として有名な竜鱗。金属よりも硬いとの噂だが、俺の剣は姐さん特製の剣。負けはしないと信じ、俺は無理やり力を籠める。
 すると一瞬強い抵抗を感じたものの、俺の剣は竜の腕の中へと沈んでいく。そのまま腕の太さの半分ほどを切断して振りぬかれた。

 「GYYYRRAAAAaaaaaaa!!!」
 
 考えてもいなかった激痛に悲鳴をあげるレッドドラゴン。腕からは盛大に血が飛び散る。これをチャンスと捉え追撃をくらえようと迫る俺の視界にまたも攻撃予測軌道。右横一杯に広がる長大な赤い線。
 これは尾の薙ぎ払いか!? 俺の【心眼】はレッドドラゴンの身体に隠れた背後で振り上げられる尾をしっかりと確認していた。追撃を中断し、攻撃に俺は備える。
 悲鳴をあげて身を引いたかのように見えたレッドドラゴンはそのまま身体を一回転。スナップを効かせた長い尾が先程の爪とは比較にならない速度で襲ってくる。
 攻撃範囲が広いので受け流しは厳しい。
 剣を立て、剣身に手と肩を添え、足を踏ん張る。そして激突する尾の薙ぎ払い。

「ぐっ……!」

 その衝撃に思わず呻き声をあげる俺。踏ん張った足が地面に埋まるが、全身の筋肉に力を籠めて何とか受け止めきる。
 すると目の前には無防備な後姿を晒したレッドドラゴン。俺の攻撃がこいつの竜鱗にも通用することは先程の攻撃でわかっている。ここは邪魔な尾を何とかしておきたい。
 攻撃意思を感知したシステムがアシストを開始する。ブースト系アイテムの使用で普段より膨張している筋肉がさらに膨張し、着ている防具が軋みをあげた。

 『バルド流剣術』二の型【烈牙】。

 籠められた踏み足の力で地面を爆発させながら猛烈な速度で剣を振り下ろす。狙いは尾の付け根。レッドドラゴンが攻撃を回避しようとするが俺の剣速に比べると圧倒的に遅い。
 【烈牙】は狙い通りレッドドラゴンの尾の付け根に命中し……全く抵抗を感じさせずに尾を切り飛ばした。
 腕の時とは比較にならない程血が周囲に飛び散り、俺の顔や装備も汚す。

「-----------------------!!!」

 声にならない悲鳴をあげるレッドドラゴン。尾を失ったせいでバランスを崩したのか、そのまま地面へと倒れこむ。
 地響きをたてる地面。だが重心を低く保っている俺には何の影響も無い。

 やれる!

 俺は自分の力に自信を持ち始めていた。あのレッドドラゴンとも対等に戦えている。確かに攻撃は鋭く、重いが対処しきれないほどではない。そしてレッドドラゴンは腕を負傷し、尾を失い、攻撃力を大きく失っている。
 
 このまま畳み掛けて止めを刺す!

 脳裏に微かに見えてきた勝利という二文字が俺の身体をさらに奮い立たせた。急所であろう首を狙いに走る。

 
 と、その時周囲が突然影に包まれた。


 「!?」

 思わず立ち止まる俺。空を仰ぐと同時に言い知れぬ悪寒が俺の背中を走る。

 ……何か巨大なものが俺達の上空にいる!

 その何かが急降下してきているのを感じた俺は全速力でその場から逃げ出す。
 俺が数十メートル走った所でその巨大な何かは未だに倒れていたレッドドラゴンの上へと急降下の速度そのままで着地した。
 その瞬間、文字通り世界が揺れた。俺はかろうじて倒れはしなかったものの、さすがにバランスを取る為に立ち止まってしまう。
 そして揺れが収まったところでゆっくりと後ろを向く。
 【心眼】でわかってはいたが、肉眼で見ると一層迫力があった。
 一言で言うと、そこにいたのは動く『山』だった。俺が見上げていたレッドドラゴンが玩具に見えるほど大きい。
 『山』の着地点はクレーターのように大きく抉れている。これではレッドドラゴンの肉体は跡形も無く粉々になった可能性が高い。せっかく追い詰めた相手だったが、悔しがる余裕は今の俺になかった。
 その『山』は先程まで俺と死闘を繰り広げていたレッドドラゴンと非常に形が似ている。大きさもさることながら、レッドドラゴンと決定的に違うのはその色だ。
 レッドドラゴンは目の覚めるような赤い竜鱗だったのに対し、この山が纏う色は黒。まるで黒曜石のような輝きを放つ鱗をびっしりと身体中に纏っている。

 思わずゴクリと唾を飲み込む。

 これほどの巨体、そして闇を纏うかのような黒。これに該当する存在を俺は一つしか知らない。


 巨龍ヴァリトール。


 ヴァリトール山の王の中の王。出会うことは死を意味すると言われる存在。

 俺が想像していた中で最悪の可能性が現実となった瞬間だった。



[20224] 11
Name: りんごちゃん◆c3f1b985 ID:67b6f114
Date: 2010/12/02 00:31
 巨龍の名にふさわしい威容に度肝を抜かれていた俺とヴァリトールとの視線が合う。
 その視線に俺をこれから狩るという明確な意思を感じ、俺の身体は震え上がった。ヴァリトールの威容に呑まれていた俺だったが、勝利を諦めていたわけではなかった。

 先程も勝てるかわからなかったレッドドラゴンをあそこまで追い詰めたのだ。自分の力を信じろ。俺は自分で思っていたほど弱くは無い。
 確かにヴァリトールのこの巨体相手ではリーチが違いすぎるし、攻撃の重さも違う。苦戦は必死だ。だが、諦めるな。これを乗り切れなければ俺は強くなれない。


 やってやる。


 そう心に刻んだ決意は残念ながらすぐに砕かれることになる。


 ヴァリトールが大きく口を広げる。巨大な牙が並ぶ様がよく見えた。スキル【思考加速】、奥義【心眼】を起動し、集中力を高める俺。
 ブレス攻撃なら吐き出すブレスの予兆が喉の奥に見えるはずだ。今はそれがない。となるとこれは咆哮。
 初めて咆哮をくらった時はさすがに面食らったが、既にレッドドラゴンとの死闘で何度か至近距離の咆哮はくらっている。もう棒立ちになるような無様な姿は見せない。
 咆哮中に少しでも距離を詰める。ヴァリトール相手でもレッドドラゴン相手でも基本的な作戦は同じだ。俺の武器が長剣である以上接近戦以外無い。恐怖を押し込め一歩先へ!

 そこまでを一瞬で思考した俺が走り始める。そして俺の予想通り放たれる咆哮。ただ予想外だったのは、その威力だった。

「GGGGGGGGGGGGRRUUUUUUUUuuaaaaAAAAAAAA!!!!」

 レッドドラゴンの咆哮とは違う圧倒的な轟音と衝撃。俺の意識を吹き飛ばすかのような衝撃が俺の身体を貫き、実際に物理的な衝撃波を伴って俺を吹き飛ばした。
 地面をゴロゴロと転がりながら慌てて立ち上がろうとする。

 なんだ今のは!?

 攻撃予測軌道が表示されなかったので物理的なダメージが発生する攻撃を予期してなかった俺は驚愕する。咆哮をくらっただけでがくがくと震える手足を押さえ、なんとか立ち上がる。
 【心眼】視界ではヴァリトールが既に攻撃体勢に入ってるのが見える。
 視界一杯に広がる攻撃予測軌道。
 これはさっきレッドドラゴンとの死闘で見た尾の薙ぎ払い。
 だが、圧倒的に攻撃範囲と速度が……速い!
 攻撃が来るとわかっていたはずなのに、気づいた時には目の前に巨大な壁のような尾が迫っていた。
 俺の普段の【烈牙】の剣速に似た速度。思考加速状態でさえ霞む様な速さ。あの巨体でレッドドラゴンを遥かに上回る攻撃速度など想像できるはずがない。
 辛うじて尾に対し剣を合わせるのが精一杯だった。

 「ぐぁあ!!」

 薙ぎ払いをくらった瞬間、身体が軋みをあげる音を自覚しながら吹き飛ばされる。途中で防具が粉々になって消えていくのが見えた。
 実に十メートル以上を滑空し、大きな岩に激突する。生身でこれだけ空を飛ぶなんて初めての経験だが、それを楽しむ余裕は勿論無い。岩にめり込みながらすぐに自身の状態をチェックする。普段なら激痛で悶えてるのだろうが、今はブースト系アイテム「イモータル」を服用しているので痛みが無い。

 左腕がありえない方向に曲がっている。考えるまでもなく骨折。他の手足は無事だ。内臓については特に吐血もないので問題ないと考える。防具は辛うじて下半身の装備が残っているが上半身の鎧とガントレットが失われている。剣は多少耐久度を減らしているようだが、まだ大丈夫。さすがは姐さん特製の剣。だが鎧も姐さん特製だった事を考えると、この耐久度の高さは+10のおかげか?
 +10にする苦労を考えると見返りが少なすぎる気がするが、この時点ではそれはそれで嬉しい誤算。だが……

 ただの一撃でこれほどのダメージをくらうなんて……。
 俺の希望に微かに影が差す。
 だが、ヴァリトールは俺のそんな思考など歯牙にもかけない。
 またも大きく開かれる口。その口腔の奥には燃え盛る炎の輝きが見て取れた。どうやらヴァリトールも炎のブレスを吐くらしい。
 
 まずい。こんな状態でブレス攻撃なんてくらったらひとたまりも無い。

 軋む身体に鞭打ち、めり込んだ岩から慌てて降り立つと全速力で走り始める。同時に腰のポーチから俺の所有する最高級の回復アイテムカードを抜き出し具現化。
 現れたのは一個の木の実だった。だが、見た目がただの木の実でない事を照明している。黄金色に輝くその木の実の名は『生命の実』。食べることで、ありとあらゆる負傷はおろか状態異常も瞬時に回復する。強化用宝石と同様にボスモンスターを倒すことで稀に手に入るこのアイテムは、死へのリスクが高いこの世界で非常に高価だ。
 その『生命の実』を何個も仕入れたおかげで俺の財産は底をついた。さすがにちょっと抵抗があったのは否めないが、今はそれをやっておいて正解だったと感じている。
 
 木の実を飲み込むと同時に身体が輝く。次の瞬間には無傷の肉体を確認できた。この即効性が重要なのだ。
 【心眼】視界ではヴァリトールの口からついにブレス攻撃が放たれたのが見えた。
 レッドドラゴンのブレス攻撃は火炎放射器のような炎だったが、ヴァリトールのブレス攻撃は言わば炎の砲弾。
 ジャイロボールのような回転をしながら高速で巨大な炎球が迫る。
 視界に映る攻撃予測軌道では何とか直撃は免れるだろうが、あんなのが着弾したら周囲がどうなるか想像がつかない。
 ぎりぎりまで走り続けると着弾の直前に地面に飛び込み伏せる。

 着弾と同時に凄まじい爆風と炎が周囲を吹き飛ばした。それは俺も例外ではなく、炎で全身を炙られる感覚を感じながらまたも空を飛ぶ。
 僅かな浮遊感の後に地面へと俺は叩きつけられた。

「うぐぐ……」

 痛みは無いものの、衝撃で頭がくらくらする。呻き声をあげながら焼け爛れた腕で再び『生命の実』を具現化。そのまま口に含む。
 身体が輝き再生。身を起こすとヴァリトールは最初に着地した位置から一歩も動かずこちらを見下ろしている。
 
 奴は一歩も動かずにこちらを蹂躙できる。

 そのあまりの事実を理解すると心が折れそうになった。

 こんな相手に勝てるのか?……いや、弱気になるな。まだ回復アイテムも大量にある。ヴァリトールの攻撃を捌ききれていないが、一撃で殺されてはいない。まだ出来ることはたくさんあるはず。


 それに、負けるのはもうたくさんだ。


 ……そして、俺の絶望的な戦いが始まった。



 
 どれ程時間が経っただろうか。
 回復アイテムを湯水のように使いながら、ヴァリトールへと挑む。もう何度ヴァリトールの尾の薙ぎ払いに、ブレス攻撃に、爪に吹き飛ばされたかわからない。
 既に防具は全て消滅し、僅かな襤褸切れを纏っているだけ。剣だけはまだなんとか耐久度を保っていた。だが、さすがに剣身にも傷が目立ってきている。もう後何度の激突に耐えれるかわからない。

 幾度と無く繰り返された突撃で何度かヴァリトールの懐に潜り込み、攻撃をすることに成功している。だが、ヴァリトールの鱗はレッドドラゴンの竜鱗よりはるかに硬度が高いようで通常攻撃では全く刃が通らない。
 【烈牙】を使ってようやく刃がめり込む程度だ。それもあの巨体のせいで大したダメージにはならない。

 戦えば戦うほど絶望を知るようになる。

 つい先程、手持ち最後の回復アイテムを使用した。効果の高い物から使用していった為、最後に残っていたのは飲めば多少傷口が塞がるポーションだ。最初に使用した『生命の実』とは比較にならない僅かな回復量。
 満身創痍。骨折などはしてないので動きにはまだそれほど支障がないのが救いだが、最早勝てるビジョンが浮かばない。
 度重なる衝撃で意識が朦朧とする。

 俺は何の為にここまで頑張っているんだっけ……。

 視界に俺の止めを刺す為か、大きく腕を振り上げるヴァリトールの姿。あれをくらえばさすがにもう死ぬ。だが、それでも身体は動かない。動く気力はとっくに尽きていた。

 今までの日々が脳裏に浮かぶ。

 最初は楽しかったなあ。あの練武場にも溢れる程人がいて、切磋琢磨する同志がいて……いつから一人になったんだっけか。

 ブラートの奴も最初に作った飯は旨いとは言えなかったな。あいつが料理屋を開くなんて想像もしてなかった。

 姐さんは最初から変わらないな。初めて見たときもうたた寝してるかと思ったし。

 ミーナは気が強そうだけど、きっと世話焼きだな。レオンとの試合でも助けてもらった。

 それにリン。彼女にも助けてもらったな。できるなら彼女達に恩返ししたいところなんだが……。

 それから……それから……。

 次々と走馬灯のように映っては消えていく過去の情景。その中に、とある風景が一瞬混じった。


 無数の刃を突き立てられる一人の女性。


 なんだこれは……こんなの俺は知ら……ない!?突如心に沸き起こる感情の爆発。思わず胸を押さえる。

 ------絶対に守ると誓ったのに

 なんだ?

 ------俺は君を守れなかった!

 なんなんだ!?

 コントロールできない感情の発露に俺は振り回される。

「------------------っ!!」

 声無き声をあげ、わけもわからず慟哭する俺の脳裏にはっきりとある言葉が響いた。

 ------負けない。もう俺はどんな相手にも負けない。次こそは彼女を救う!

 その誓いとも言える言葉は俺の心にしっくりとはまり込んだ。
 そうだ、こんなたかがモンスター相手に負けてなんかいられない。こんなところで終わるわけにはいかないのだ!

 俺の心身に活力が灯る。だが頭上を見上げれば俺を押し潰さんと振るわれる腕が目の前に迫っていた。絶望的な距離。死に瀕しているためか、思考加速状態でも先程までは霞むようにしか見えなかったヴァリトールの攻撃がゆっくりと見える。
 だが、それに対処しようとする俺の動きは呆れるほど遅い。これでは間に合わない。
 動かぬ身体に無理やり力を込める。身体が軋む。だが気にしない。さらに力を込める。
 それでも……遅い。

「あああぁぁぁぁっ!!!」

 自然と叫び声もあげていた。
 全力で刻一刻と迫る死の運命に抗う。

 ------おかしい。
 
 何がおかしい。

 ------俺は何故こんなにも遅い。

 これが俺の全力だ。

 ------いや違う。あれを獲得した俺は時間に縛られぬ領域に至ったはずだ。

 あれとは?


 ------決まっている。【神眼】へと至る道。奥義の壱【神脚】。 


 頭の中でスイッチを押すイメージ。今まで何十万回と繰り返したその動作。俺の脳裏にイメージされるいくつものスイッチ。今まで使ってきたそれらを無視し、さらに奥へと手を伸ばす。そこにあるのはわかっている。伸ばした手の先にはいつの間にか一つのスイッチが現れていた。

 だが、それをイメージした瞬間、俺の頭は凄まじい激痛に襲われた。

 視界が真っ赤に染まり、一瞬視界に「SYSTEM ALERT」の文字が明滅。だが、極限状態の俺はそれらを一切無視しスイッチを押しこむ。

 バチリと何かが弾ける音。





 瞬間、世界から音が……消えた。






 もどかしい程動かなかった俺の身体が急に普段通りの自由を取り戻す。だが、依然としてヴァリトールの腕はゆっくりと動いていた。
 全てがゆっくりと動く中、俺だけが普段通りに動ける。
 そんな異様な世界に疑問を持つことなく俺はヴァリトールの腕をすり抜け、目標へと駆けた。

 ……これだけの巨体。いくら手足を切ろうが意味が無い。俺が勝てる可能性は唯一つ。

 急所攻撃による一撃死。

 急所への攻撃による一撃死は何もプレイヤーに限った現象ではない。モンスター達にもそれは当て嵌まる。
 そして曲がりなりにも生物の形態を取る場合、その急所の多くは首や頭部。

 首は剣の長さに対して太すぎる。狙うは頭部。

 ヴァリトールの腕を伝い、肩に乗り、頭部へと一気に駆け上がる。その間もヴァリトールは動こうとするが、俺の動きに比べると呆れるほど遅い。

 頭部へと到達した俺は『バルド流剣術』一の型【双牙】を起動。斬り下ろし斬り上げと高速で振るわれた二段攻撃はヴァリトールの頭上の龍鱗を易々と削り取る。意識はおろか動きすらも加速されているせいで攻撃力も増大しているのだ。
 だがそれも長くは続かない。感覚的に恐らく次の一撃を放てばこの世界は途切れるだろう。そしてそれは、俺の愛剣についても同様だ。

 剥き出しとなった頭骨へ剣を振り上げる。止めは『バルド流剣術』二の型【烈牙】。俺の最大の攻撃でこいつを、ヴァリトールを仕留める。

 最早誰も捉える事ができぬであろう速度で振るわれた剣はヴァリトールの頭骨を砕き、中に守られていた脳を衝撃でグチャグチャに破壊した。
 そして、砕かれたのは何もヴァリトールの頭骨だけではなかった。

 バキリと音をたて、刃の根元で真っ二つに折れる俺の愛剣。剣先はヴァリトールの頭に残り、俺の手元には柄だけが残される。傷だらけで俺を支え続けた相棒。頑丈さだけが取り柄で攻撃力は初期武器に毛が生えた程度だろう。それでもずっとこいつと苦楽を共にしてきた。
 俺の今までの生き方が詰まった愛剣は巨龍を道連れに俺の手元から去った。

 愛剣への別れを惜しむも、世界が通常の時間の流れを取り戻す。

 盛大に頭部から血を溢れさせるヴァリトール。その目は既に光を失っていた。ゆっくりと傾き始める『山』。
 ヴァリトールの頭部に立つ俺は力を絞りつくした反動か、指一本動かせない。だが、なんとか目の前に広がるヴァリトールの頭骨の中へ身体を躍らせ、破壊された脳をクッションに落下の衝撃に備える。

 そして、傾いた『山』は地面に激突。激しく揺れる世界の中で俺の意識は暗闇に包まれた。
 だが完全に闇に意識が沈む直前、俺の視界の端に半透明のウィンドウが見て取れた。
 そこにはこの一文。


「ユニークモンスター『巨龍ヴァリトール』単独撃破ボーナス:特殊アビリティ【龍躯】を獲得」


-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------


 「師範代」と巨龍ヴァリトールとの死闘場所からかなり離れた丘の上。一人の男が人と龍との激戦を眺め続けていた。闇が滲み出たかのような真っ黒なフードとローブ。顔は影に包まれ、見ることが出来ない。
 近くにはレッサードラゴンがたむろしているものの、男に対する反応はなく。何故かその存在には気づいていないかのようだ。
 男は死闘を見届けると、ポツリと呟く。

「まさかこの段階でヴァリトールを打倒するとは……君にはいつも驚かされるな『師範代』君」

 男は何かを思い出すかのように空を仰ぐ。

「先程発動したスキル……あれは紛れも無く『真バルド流剣術』奥義の壱【神脚】。使えるはずのないスキルを使う……これが力を求めた君の答えか」

 男の視線は遠く、巨龍の頭骨の中で眠る一人の剣士をじっと捉える。距離があるにも関わらず男の視界には、剣士の顔……そして何故か消滅せずに剣士の手の内に残る柄が映っていた。

「……恐るべきは人の執念か。かつての絶望を背負った今回の君にはこれまでにない力が集まっている。今度こそこの『楽園』が終焉を迎えるのだろうか。……期待しているよ、『師範代』君」

 そう言い残すと男の身体は影に沈み、その場には風に揺れる草木と竜達の咆哮のみが残った。


-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------



[20224] 12
Name: りんごちゃん◆c3f1b985 ID:67b6f114
Date: 2010/11/16 22:33
 まどろむ意識。
 何か暖かい物で包まれている感覚。手足を動かすも何かゼリーのような感触を掻き分けるだけ。
 普段の寝床とははるかに違うその感触に違和感を感じながら、段々と意識がはっきりしてくる。

 そして自身がどこで寝ているのかを思い出した時、唐突に覚醒した。
 ガバリと身体を起こす。
 上半身に纏わりついていた粘液のような物が跳ねた。

「ぐっ……」

 同時に激しい頭痛が走り、思わず呻き声をあげてしまう。身体には何か重い物に圧し掛かられたのような倦怠感と筋肉痛のような痛み。
 先の死闘の傷痕だ。
 しばらく何もできずにジッと身体の悲鳴に耐え続ける。
 そして、苦痛にある程度慣れてくると改めて周囲を見渡した。
 周囲は薄暗く血管のような物が張り巡らされ、今も下半身が浸る粘液のような物で満たされている。正面にはちょうど人が通れそうな穴が開き、そこから外の光が差し込んできている。
 段々と記憶が湧き上がってきた。
 
 あの時俺はヴァリトールの頭部に愛剣を叩きつけ、ヴァリトールを討ち取った。その直後、崩れ落ちるヴァリトールの身体に巻き込まれないように目の前の頭骨の中へ身を投げ出したはず。
 そこで意識を失ってしまったが……正面の穴、そして周囲の何か内臓を思わせる雰囲気。ここは恐らくヴァリトールの頭骨の中。身体に纏わりついてるこれは脳漿か。

 死体と化したヴァリトールの肉体が消えていないので俺が意識を失ってからそれほど時間が経っていないのかもしれない。こんな危険地帯で意識を失うという自殺行為に思わず身震いする。もし近くに他の竜がいたら俺は眠りながらこの世界を退場しているところだった。幸い、スキル【気配察知】によると周囲にモンスターの存在は感じられない。

 何者かに襲われる前に覚醒できたのはもちろん、ヴァリトールの死体が消える前に起きれて本当に良かった。唯でさえ竜種モンスターから獲得できる鱗や牙、骨などは最高級の生産材料なのだ。この巨龍ヴァリトールは竜種モンスターの巣窟の主と呼ばれる存在であり、今まで一度として討伐に成功したという話は聞かない。最も、ヴァリトールはユニークモンスターであり、誰かが倒したことがあるのならば二度と出現することは無いのでヴァリトールから得られる生産材料を獲得できるのは今この時をおいて他にはない。その鱗や牙等は一体どれほどの価値があるか……。

 ダンジョンの最奥に固定で出現し、例え倒されても一定の期間をおいて再出現するボスモンスターとは違い、フィールド上にはある決められた地域内でランダムに出現するボス級のモンスターが存在する。周囲のモンスターとは一線を画した存在であり、世界で唯一体しか出現しないそれらをユニークモンスターと呼ぶ。
 ここヴァリトール山の『巨龍ヴァリトール』、始まりの街ダラスより遥か北に位置するフェニキス雪原の『氷狼フェニキス』等が有名だ。

 この死闘のおかげで、元々の装備は消滅しアイテムも使いきった。予備の装備カード等を入れたポーチも当然戦闘の最中で失われている。始まりの街ダラスに帰れば多少なりともアイテムカードは残っているが、殆ど価値が無いものばかり。今現在ほぼ無一文と言って良い状態だ。せめて装備を新調できるだけの稼ぎは手に入れなければこの先辛い事が待っている。

 とりあえず外に出るか。

 そう考えて立ち上がろうとした俺は、右手に何かを握りしめたままだったという事に今更ながら気づいた。
 脳漿に塗れた腕を持ち上げ、握っていた物を見つめる。


 それは傷だらけの愛剣だったもの。刃を失った剣の柄だった。

 
 戦う力を失ったそれにかつての頼もしさの面影はない。 
 それを見て俺の頭は困惑に包まれた。ヴァリトールとの死闘の最中砕かれた俺の防具を見てもわかるように通常、装備というのは耐久度がなくなると破壊されすぐに消滅してしまう。こんな柄のような一部分はおろか欠片ですら残らないはずだ。

 何故消滅せずに残っている?

 頭を傾げて考える。そして思いついた。もしやこれが+10の恩恵なのだろうか。例え耐久度0を迎え、破壊されたとしても修理が可能……なんて想像が頭をよぎる。
 
 とりあえずヴァリトールを倒したことで『真バルド流剣術』入門の条件もクリアした事だし、一度姐さんの所に顔を出して見てもらおう

 この脳漿塗れの場所でカード化するのは気が引けた俺は、柄を手に頭骨の穴から外に出る。

 外に広がっていたのは先の死闘の激しさを物語る傷痕だった。
 まるで空爆を受けた後かのようにクレーターが点在し、薙ぎ倒され引き裂かれた木々や粉々に砕かれた岩石の欠片等があちこちで見受けられる。
 最初に見た風景とは似ても似つかぬ様だった。

 振り返って倒れ伏す『山』を見る。命の輝きを失ってなお、強大な存在感を発する威容。黒く輝く鱗はとても頑丈そうで、今でもあの龍鱗に剣を弾かれた感触を思い出す事ができた。
 光を失った巨龍の瞳を見つめながら未だに俺がこいつを討ち取れたことに実感を持てないでいた。

 死を受け入れかけたあの時からヴァリトールに止めを刺した瞬間まで……夢現ではあるがなんとなく覚えている。

 刃を突き立てられる女性の姿……ドクンと一瞬心臓が大きく鼓動する。思わず胸を押さえるが、もうあの時ほど心は乱れなかった。
 一体あの光景は何なのだろうか。『エデン』ではもちろんリアルも含め思い出す限りあんな光景は今まで見たことはない。
 それにあれ程感情に呑まれる事も初めての経験だった。あんなに苦しい、悲しい、そして悔しい気持ちは知らない。

 そして、俺がまるで時間の縛りから解き放たれたかのようなあの世界……【神脚】。

 それを起動する為のスイッチは今でも俺の頭の中でイメージできていた。まるで元々そこにあったかのように俺のイメージにしっくりと馴染む感触。
 確かあの時……

 ------【神眼】へと至る道。

 そう俺には聞こえた。それに『奥義の壱』とも。
 【神眼】とは【心眼】の先にあるもの。つまり『真バルド流剣術』? 何故未だ入門していない『真バルド流剣術』のスキルが使える? 俺は一体どうなってるんだ?

 ゾクリと背筋に悪寒が走る。何か得体の知れないものが俺の内に潜んでいる気がした。

 それに意識を失う直前に見たあのウィンドウ。特殊アビリティ【龍躯】とは一体……。

 ……いくら考えてもわからない。とりあえずはやるべきことを優先しよう。 

 俺は横たわるヴァリトールの身体に手を触れ、カード化のイメージを行う。山のような巨体が白く輝いて周囲を照らし、次の瞬間には巨体が消失。同時に俺を汚していたヴァリトールの体液も消え、俺の手元にはカードの束が残った。
 カードの表示を眺める。
 
 『巨龍の鱗』、『巨龍の牙』、『巨龍の骨』、そして『巨龍の肉』

 そのラインナップに満足する俺。このカードの束だけで相当な財産になるだろう。『エデン』でここにあるだけしか存在しない生産材料。もし換金などすれば莫大な財産と引き換えにかなり悪目立ちしそうな気がする。
 既に高価な『生命の実』を買い漁って変に注目を集めてはいたのだ。巨龍ヴァリトールが打倒されたという情報はいずれ明るみに出るかもしれないが、それを成したのが始まりの街ダラスの笑い者である俺だと判明するといろいろと怪しまれたり、付きまとわれたりするかもしれない。これ以上騒がれるのは避けたい所。

 ……どうするかはダラスに戻ってから考えよう。

 それにしても『巨龍の肉』か。ドラゴンの肉って美味いのだろうか。帰ったらブラートに料理してもらって少し食べてみよう。
 でもこれ見せたらまたブラートの奴騒ぎそうだな。まあでも仕方ないか。

 『巨龍の肉』を見せた時のブラートの反応を想像して少し笑ってしまう。そのままカードの束は纏め、腰のポーチに……と思ったが、腰のポーチも消滅していたことを思い出す。
 今俺が纏っているのはボロボロの肌着だけだ。この肌着は『エデン』にログインした時から装着している装備で、数ある装備の中で唯一耐久度が0になっても消滅せず、肌着としての機能が失われない。今回の俺のような惨状になっても裸になるという事にならない為の措置だと思われる。
 しかしそうは言っても耐久度が減るに従って汚れたり、多少破れたりするので酷い有様ではあるのだが。

 ポーチがないのは仕方が無いので、とりあえず上着の裾を縛って物を入れられるスペースを作りカードの束を放り込む。

 そして未だ手に持つ愛剣の残骸を眺めた。
 これはカード化できるのだろうか。とりあえず試しにと、カード化のイメージをする。
 すると愛剣の残骸も白く輝きだし、一瞬の間をおいて一枚のカードと化した。
 何気なくそのカードの表示を見て、俺はまたしても困惑し頭を傾げる。
 そこに表示されていたのは、普段見慣れた直剣の絵柄と『スチールロングソード+10』の表記ではない。

 『エレメンタルソウル』。光り輝く宝石のような絵柄と共にそう記されていた。

 思わずカードを手に即具現化をしてしまう。カード化と同様に白く輝きながらカードが形を変える。
 直後、俺の手にはカードの絵柄と全く同じ光り輝く丸い宝石が転がっていた。
 野球ボール程度の大きさのそれは自身が光を放っているようで周囲を優しく照らしている。同時に宝石を乗せる手にはまるで小動物を乗せているかのような暖かさが感じられた。

 何だこれは?

 今日何度目かわからない疑問の声。どう見ても俺の愛剣の面影はどこにもない。正直、今何かとてつもないイベントにぶち当たっているのではないかという思いはある。
 だが、あまりにいろいろな事が起こり過ぎて俺の頭は少々パンク気味だった。身体も休息を訴えている。

 とりあえず安全な場所まで移動して休息を取ろう。そして始まりの街ダラスまで帰ろう。

 そう結論付けた俺は輝く宝石を再びカード化し、懐に放り込む。そして軋む身体を動かし、来た時と同様周囲を警戒しながら帰路についた。

 
 
 神経をすり減らしながらヴァリトール山のエリアを抜け出すと、俺は地面へと崩れ落ちた。ここまで来れば例え裸でも何とかなるモンスターしか出現しない。さすがに全く装備がない状態であの山を歩くのは自殺行為だ。
 道中何度かレッサードラゴンやブルードラゴン等を見かけたが、幸いにして彼らは俺に気づくことなく立ち去ってくれた。せっかく巨龍ヴァリトールを討伐したのにレッサードラゴンなんかにやられてしまっては目も当てられない。【気配察知】と【心眼】をフル活用し、来た時以上に慎重に移動してきたのだ。
 そのプレッシャーから解放された俺は、安全であることを大いに満喫していた。

 神経は磨り減ったものの、身体のほうは大分調子を取り戻していた。ヴァリトールの頭骨の中で目覚めた時は指を動かすのでも苦痛に苛まれたものだったが、今では多少倦怠感は残るものの身体を動かすのに何も支障は無い。

 回復アイテムの使用どころか、ヴァリトール山の竜達に気づかれない為の隠密行動のせいでろくに休憩も取っていないというのにこの回復力……少々疑問を覚えなくもないが、クエストという重圧からの解放と装備を全て失った事によって心身共に身軽になったせいかと適当に見当付けていた。

 しばらく地面に大の字になって張り詰めた神経をとぎほぐし身体を休めると、俺は立ち上がってゆっくりと始まりの街ダラスへの道を歩き出す。
 空を見れば大分太陽も西に傾き、もうしばらくすると辺りは闇に包まれるだろう。【心眼】のおかげで夜の闇の中でも普段通り動けるとはいえ、無理をして夜中を歩く事はない。この近くで野宿の場所でも探すか。
 そう考えていた所でスキル【気配察知】に複数のプレイヤーの反応。場所は俺の遥か後方。こんな場所に複数のプレイヤーがいるとは珍しい。もしかして強盗プレイヤーだろうか。そうだとするとこの状況は非常に危険だ。
 俺は慌てて近くの森に身を潜め、近づいてくるプレイヤー達を【心眼】で窺う。緊張感が高まるが、先頭を歩く特徴的な二人組みを見て俺は警戒心を薄れさせた。

 長い黒髪とゆるくウェーブした茶髪の二人組みの女性。確かギルド『シルバーナイツ』のリンとミーナ。そうすると他のメンバーは『シルバーナイツ』のギルドメンバーだろうか。
 有名ギルドのメンバーであり、一応知り合いでもある彼女達を確認したことで懸念していた強盗プレイヤーとの遭遇という不安が解消された。安堵しながら俺は身を潜めるのを止め、森から出ようとする。
 彼女達ほどの高レベルプレイヤー相手だと俺のような特別な隠密用のスキルを持ってない身では隠れてもすぐ発見されるのがオチだ。変に警戒される前に姿を見せた方がいいだろう。
 だが、森を出たところで自身の酷い有様にハッと気づく。ボロボロの肌着だけの男……どう見ても不審者だ。事実、俺に気づいたらしい彼女達はすごい速さでこちらに駆け寄ってきている。今更ながら気づかれる前に逃げれば良かったと後悔するが、もう遅い。
 
「待ってくれ! そこの君!」

 よく通る声を張り上げるリン。かなりの勢いで走ってるのにも関わらず息を乱している様子は無い。さすがは『ヒテン流剣術』の師事者。ミーナ以下他のメンバーは彼女に遅れまいと必死に追い縋っている。

 わずかな間をおいてリンが俺の目の前に立つ。相変わらず美しい髪が風に揺れる。以前見た時は普段着なのか軽い装いだったが、今日はしっかり装備を着込んでいた。武士の甲冑を思わせる銀色の鎧を身に纏い、腰には朱鞘の長い日本刀を佩いている。その凛々しさは誰もが振り返らずにはいられないほどだろう。

「驚かせて申し訳ない。君の姿が目に入ってね、見た所随分と酷い有様だが……差し支えなければちょっと事情を聞かせて欲し……い? 君は……」

 予想外の相手に大きく目を見開くリン。どうやら彼女は俺が『師範代』だと気づいたらしい。
 そこに遅れてミーナや他のメンバーが辿り着く。息を乱しながらミーナがリンに怒鳴った。

「リン! また何も言わないで急に行っちゃうの止めてよ!」

「いや、すまないミーナ。ちょっと彼の尋常じゃない姿が目に入ってね」

 そこで初めて俺へとミーナの視線が向けられる。途端に心配そうな顔つきへと変わった。

「ちょっとあなた、どうしたのよ!? こんな場所でそんなボロボロになるだなんてそうはないわよ?って、あら……あなた『師範代』さん?」

 ミーナにとっても意外な相手だったようで目を丸くする。周りのメンバーからも驚きの声が漏れた。

「間違えてヴァリトール山に迷い込んでしまったみたいでして、ドラゴンに襲われて命からがら逃げ出してきたんですよ」

 リンが辿り着くまでに考えていた言い訳を口にする俺。納得してもらえるかはわからないが、ヴァリトール山にいたことは事実だし、この周辺で俺がここまでボロボロになれる場所は他にない。ここで巨龍ヴァリトール打倒という大きな事実を語る程リンやミーナはともかく、他のメンバーを信用してなかったし、俺が無防備な状態でレアアイテムを抱えている事に気づかれたくなかった。
 リンの鋭い視線が俺を貫く。内心冷や汗を流すがしっかりとリンの視線を受け止める。

「ドラゴン相手というのは本当か? ……他のプレイヤーに襲われた、なんてことはないか?」

 他のプレイヤー? 一体どういうことだ? 予想外の返答に思わず首を傾げる。その反応に脈はないと悟ったのか、ホッと安堵の息を吐くリン。

「実は……「だっせえ! ドラゴン相手なんて嘘だろ。お前みたいな弱い奴が逃げ切れるわけないじゃん。そこらへんのゴブリンにやられたんじゃねーの?お前弱いんだからこんなとこ来るなよ」

 俺の背後から響く声を聞き、リンが溜息をつきながら眉間を押さえる。俺はゆっくりと振り返った。
 ツンツンの金髪に銀色の全身鎧。左右の腰には二本の長剣。見るまでもなくわかる、レオンだ。
 相変わらずニヤニヤ笑いを顔に貼り付けながら俺を見下ろしている。

「ああ? なんか文句でもあんのか?」

「レオン! ……それ以上彼に何か言えばさすがに私も怒るよ」

 レオンを鋭く見つめるリン。レオンは顔を歪めると、バツの悪そうに顔をそむけた。

「ッチ! ……わかりましたよ」

 そう呟くとレオンは後ろに下がり、他のメンバーと話しながらこちらを静観し始めた。よく見るとあの試合の日にレオンとつるんでいたメンバー達だ。
 大きな斧を持つ大柄な男、弓矢を持つ線の細い男、灰色のローブに大きな杖を持った糸目の男、日本刀を腰に差す武士のような格好の男、そしてレオンの計五人。
 そんな彼らを嫌悪の目で見るミーナともう一人、大きな盾と槍を持つ銀色の全身鎧の男。それにリンを合わせると総計八人のパーティ。だが、レオン達五人とリン達三人とは溝があるようだ。

 再び溜息をつきながらリンが俺に話しかける。

「またしてもすまない。君には不快な思いをさせてばかりだな……今度本格的にお詫びをさせてもらうよ」

「いえいえ、別に気にしてないから大丈夫です。それより何かあったんですか? 皆さんどことなく気が立ってるように見受けられますけど。それに他のプレイヤーに襲われたというのは……」

「ああ、そうだった。実は、この付近に強盗プレイヤーの隠れ家があるという情報が入ってね。可能ならば殲滅、規模が大きいならば情報を得ようと探索していたところだったのだよ」

 真剣な目で俺に語るリン。『シルバーナイツ』のようなトップギルドにはこのような強盗プレイヤーの情報が入ってくることは珍しくない。弱者を守る為、特に生産系のプレイヤーをという利己的な理由も隠れてはいるが、討伐隊が組織され、強盗プレイヤーを駆逐する。こうして始まりの街ダラス周辺では治安が保たれてきたのだ。
 そうなると、リンが先程言った言葉の意味がわかった。

「そこでボロボロになった俺を見つけたと」

「そう、つい強盗プレイヤーに襲われたプレイヤーかと思ってね。探るような真似をしてすまなかった」

 そう言ってリンが頭を下げる。それを見て俺は慌ててしまった。

「そんな、皆の為に動いてくれてるのに俺なんかに謝る必要なんてないですよ! 一応、この辺りにしばらくいましたけど強盗プレイヤーはおろかプレイヤーの姿自体全く見かけなかった……いや、一人いたか」

 一人怪しいプレイヤーに心当たりがあった。俺の【気配察知】を掻い潜って俺の背後にいた男。黒いローブを纏った顔を隠す怪しいプレイヤー。

「そのプレイヤーは?」

「真っ黒なフードとローブを着た男で、フードは恐らく認識遮断の効果持ち。なので顔はわかりません。俺にヴァリトール山は竜が繁殖期で凶暴化してるから近づくなと伝えて立ち去りました」

「ふむ……ヴァリトール山か……。あのエリアの情報は少ないし、竜が繁殖期で凶暴化というのも初耳だな」

 顎に手をやり、俺からの情報を思案するリン。

「もしかして隠れ家はヴァリトール山にあるんじゃない? その男は強盗プレイヤーの一味で、隠れ家に近づかれたくなかったからそんなことを師範代さんに吹き込んだとか」

 ミーナが思慮にふけるリンに声をかける。

「……その可能性は有り得るね。だが、ヴァリトール山を探索するにしても場所が場所だ。強力な竜種モンスターがうようよしてる場所だし、巨龍ヴァリトールなんて規格外のモンスターも出現する。もし、その男が強盗プレイヤーと全く無関係で凶暴化という情報が本当だったならば目も当てられない。……これは一度この情報を持ち帰って作戦を練る必要があるな」

 リンがぐるりと皆を見渡す。

「一度ダラスへと帰還する。この情報を元に作戦を練り直そう。だが、この付近にまだ強盗プレイヤーがいないと決まったわけではない。帰路でも周囲の警戒は怠らず行って欲しい」

 口々に皆が了承の返答を口にする。溝はあるもののリンはよくこのパーティを纏め上げてるようだ。リンは最後に俺へと向き直る。

「良ければダラスまで送るがどうかな? 師範代君」

 レオンの事が若干気になるが、強盗プレイヤーがいつ出てくるかもわからない現状願ってもない提案だ。

「ありがとうございます。是非ともよろしくお願いします」

「うん! ではダラスへ帰ろう! ……と、良いたいところだがもう暗くなってきた事だし野宿の準備だな」

 そうして俺達は野営の準備を始めた。



[20224] 13
Name: りんごちゃん◆c3f1b985 ID:67b6f114
Date: 2010/11/16 23:14
 あれから、周囲を探索し野宿に適した広場を発見した俺達は焚き火を起こして食事の準備を始めた。
 広場の中心で燃える焚き火には鍋がくべられて、中から香ばしい香りが漂ってきている。激闘を潜り抜けて心身共に疲労していた俺はしきりに生唾を飲み込んでは、リンやミーナに笑われていた。
 鍋の中身は干し肉と数種類の香草、そして僅かな調味料を加えたスープだ。

 『エデン』内の様々なアイテムには耐久度というものが設定されているが、その中でも食材系アイテムは時間と共に耐久度が減少する。料理屋等を営むプレイヤー達は自分の店に長期保存用の専用設備を備え付けており、その中に保管したアイテムは耐久度の減りが遅い。
 だが、今回のような街から出てフィールドを長時間歩くようになると、食事の為に干し肉等の特別耐久度の減りが遅い食材系アイテムを持ち運ぶ必要がある。

 もちろん現在俺が所持している『巨龍の肉』も耐久度がどんどん減っているだろうが、アイテムランクが高いアイテムは総じて耐久度も高くなる。ユニークモンスターのドロップアイテムともなると相当なアイテムランクだろうから一週間程持ち歩いたとしても全く問題無いだろう。
 だとすれば高ランクの食材系アイテムを持ち歩けば良いともなるが、それも難しい。というのも、高ランクの食材系アイテムを調理できるのは調理術の師事者のみなのだ。それ以外の者が調理しても酷い料理が出来上がるだけとなる。そして調理術の師事者が戦闘系パーティに加わることは殆ど無い。

 一説では華麗な包丁捌きで調理はおろか戦闘すらこなし、ダンジョンの最奥で極上の料理を提供する露店を開く戦闘系調理術の使い手がいるとの話を聞いたことがあるが、その真偽は定かではない。

 そういうわけで、一般的には調理術の師事者ではなくても調理可能な程アイテムランクが低く、長期所持可能な食材系アイテムを持って旅に出ることになる。


 今晩の料理当番はレオンのようで、鍋に食材を放り込んだ後に時折覗いては掻き混ぜている。当初懸念したレオンからの干渉だが、最初にリンに注意されて以来全くなかった。というより、俺が存在しないものとして無視しているようだ。
 今も鍋を掻き混ぜた後は、焚き火を挟んで向かい側にいるレオンとつるんでいるメンバー達と談笑している。
 あれだけ俺を敵視していたレオンの意外な引き際に若干拍子抜けしていたりするが、俺としては揉め事が起きて場が乱れるよりかはずっと良いと思って気にしないことにしていた。


 リンとミーナは広場の隅で何事か作業をしている。【心眼】を介して見れば、ミーナが水晶のような材質で作られた細い杖の先を地面に突き立てて何かを描いており、リンはそれをじっと見届けていた。
 先日、ミーナが『紋章式』の魔術士だと言っていたので恐らく今やっているのは【結界魔術】だろう。

 【結界魔術】とは、指定した領域内に様々な効果を生み出す補助系魔術の一種だ。その起動方法、効果は流派毎で様々なものがある。だが一般的に【結界魔術】というと、とある効果を持つ『紋章式』の魔術の事を指す。
 すなわち領域に対する認識遮断、侵入に対する物理抵抗を備えた所謂安全地帯を生み出す魔術の事だ。
 そしてなぜ『紋章式』の魔術に限定されるかというと、『紋章式』魔術特有のあるスキルに起因する。
 『紋章式』の魔術はある程度ランクが上がると、【刻紋】というスキルを覚えるようになるのだ。
 文字通り何か物質に『紋章式』魔術の紋章を刻むことが可能になるスキルであり、それによるメリットは効果時間及び効果範囲の増大。

 【刻紋】が発見された当初、紙等に【刻紋】して魔術士ではない者でも魔術が使えないかいろいろと試された。だが、結果として刻まれた紋章は刻んだ本人しか起動出来ず、さらに紋章も刻んでから時間を経ることで魔術が起動できなくなる事が判明する。【刻紋】については様々な研究がされているのでいずれそういったアイテムが作られるかもしれないが、現時点では成功例を聞いたことはない。

 その【刻紋】の影響を最も受けるのが【結界魔術】というわけである。高レベルのパーティに必ず一人は『紋章式』の魔術士がいるのはこれが理由だ。
 ただ、『詠唱式』の魔術でも『バラッド流魔術』の師事者は【歌唱詠唱】という特有のスキルを使用することで長時間の効果発現を可能にしていると聞く。



 こうしてレオン達は勿論リンとミーナも俺から離れている為、必然的に残るもう一人の男、名はキースというらしい、と俺は話し込むことになった。

「俺に感謝しろよ~? あのままだったら確実にダラスで笑い者になってたぜ」

 ガハハと笑いながら俺の肩を叩くキース。懐の大きさを感じさせる話していて気持ちの良い男だ。俺が始まりの街ダラスの笑い者、『バルド流剣術』の『師範代』だと知っても態度を変えることはなく、「ガッツのある男は好きだぜ」とウィンクをしてみせた。それを見た瞬間、何故か背筋に悪寒が走った気がするがきっと気のせいだろう。

「本当にありがとうございます。どうしようか途方にくれてたんですよね。服はおろか剣まで貰えるなんて……帰ったら新品をお返しします」

 そう、俺はもう先程のようなみすぼらしい格好をしていなかった。一般的な布の服。街中での普段着として愛用される一品であり、キースが所持していた物だ。勿論、キース自身普段着用に所持していたのだが、俺のあまりに酷い格好を見て快くアイテムカードを差し出してくれた。防御力等は全く期待できないが、先程までの格好に比べれば十分マシだと言える。

「新品だなんていいってことよ。お前アイテムカードほとんど失って無一文なんだろ? 服なんて大した値段しないし、剣だってこの辺の雑魚のドロップだからな。お前の生還祝いってことで貰っとけや」

「……そういうことでしたら頂きます。ありがとうございます」

 剣はこの周辺によく出没するモンスターゴブリンのドロップアイテムだ。『ブロンズロングソード』という名のこの剣は、見ての通り俺のかつての愛剣『スチールロングソード』の下位ランクアイテム。強化も何もされてないので武器としては最低ランクだが、無手でいるよりは良い。
 この周辺のモンスターには脅威がないとはいえ、リン達に持ち込まれた情報にある強盗プレイヤーがいつ出てくるかわからない。
 準備はしておくに越したことは無かった。

「それにしてもドラゴンに襲われたって言ってたが、どのドラゴンだ? レッサードラゴンか?」

「いえ、あれはレッドドラゴンでしたね。あいつの咆哮とブレス攻撃には肝が冷えましたよ」

 ヴァリトールと戦う直前にレッドドラゴンと戦っていたのは事実なのでそう告げるが、キースの顔に驚愕の表情が浮かぶ。

「レッドドラゴンだと!? お前よく生き延びれたな! 以前『シルバーナイツ』の精鋭で狩りに行ったことがあるが、一匹倒すのに何人も重傷者が出たぞ」

 興奮するキースに、予想外の反応をされて焦る俺。
 
 『シルバーナイツ』の精鋭が何人も重傷者を出す? そこまでレッドドラゴンは強かったか?

 ブースト系アイテムを使用していたとはいえ俺一人ですら無傷で優勢に戦い、あわや止めをという所までいったのだ。
 トップギルド『シルバーナイツ』の精鋭がそこまで梃子摺るとはとても思えなかった。
 ……もしかしたらレッドドラゴンの中でも個体毎で強さが違うのかもしれない。
 キースの発言に戸惑いながら、ごまかす為に慌てて口を開く。

「戦おうなんて考えずに逃げに徹しましたからね。おかげでアイテム全て失っちゃいましたけど」

「……確かに最初から逃げに徹すれば逃げ切れるかもしれんな。実際お前を見つけたときはボロボロだったし」

 うんうんと無精髭の生えた顎をさすりながら頷くキース。なんとか納得はしてもらえたようだ。
 ホッと安堵してる所で俺達に近づく足音。
 視線を向ければリンがこちらへ向かってきていた。

「随分仲良くなったのだな」

 微笑みながらそう口にしたリンは、俺達に傍に座る。銀色の鎧が擦れてガシャリと音をたてた。通常鎧の脱着には時間がかかる為、フィールド上やダンジョン内では例え野宿や休憩中であっても鎧を脱ぐことはない。

「ああ、お嬢か。こいつ中々面白い男だぜ。そっちは【サンクチュアリ】の設置終わったのか?」

「ついさっき【刻紋】が終わった所さ。今最後の仕上げをやってるよ」

 【サンクチュアリ】というのが『カイン流魔術』の【結界魔術】らしい。ミーナへと視線を向けると、空中に杖先で輝く紋章を描いている所だった。
 少しの間をおいて完成する『紋章』。同時に広場の周囲八箇所で輝きが生まれる。【心眼】視界では今ミーナが書き終えた『紋章』と同じ物が周囲で輝いているのが見て取れた。
 そして、『紋章』が一際大きく輝くと周囲に刻まれた『紋章』を結ぶようにオーロラのような薄い光のヴェールが現れる。

 その幻想的な光景に見とれて間抜け面を晒していたのだろう。リンが笑いながら俺に声をかけてきた。

「【サンクチュアリ】を見るのは初めてかな?」

「ええ。綺麗なものですね……」

「【サンクチュアリ】は数ある【結界魔術】の中でも一、二位を争う美しさと聞くからね。私も初めて見たときは思わず見とれてしまったものさ」

 切れ長の瞳を細めて光のヴェールを眺めるリン。
 そんなリンの横顔を眺めていると急に影が差す。

「【サンクチュアリ】はただ綺麗なだけじゃないわよ」

 いつの間にかミーナがリンの脇に立っていた。狩猟服のような動きやすそうな服に身を包み、片手には先程【刻紋】を行っていた杖を握っている。

「ミーナ、お疲れ様」

「ありがとう、リン。……【サンクチュアリ】は【結界魔術】としての基本性能の高さは元より、領域内では回復速度が速くなるし、回復アイテムなんかの効果も大きくなるのよ」

 小柄な身体で精一杯胸を張っているのが可愛らしい。俺がなるほどと神妙に頷くと満足したのか、リンと俺の間に座った。
 だが座るのも束の間、大きな瞳をクリクリと動かして俺の顔を覗き込んでくる。

「でも、確かに【サンクチュアリ】は綺麗だけどあそこまで見とれる人は珍しいわね。もしかして【結界魔術】見たことないとか?」

「……その通りです。パーティ組んだことなんて初期に数回のみですから。『バルド流剣術』師事者だってわかると皆パーティ組むの嫌がりますからね~」

 参ったとばかりに頭に手をやり笑う俺を見て、無言のリン達三人。

 場が重くならないように明るく返したつもりだったが……滑ったか。

 内心冷や汗を流すも、やがてミーナが苦笑いを浮かべてくれる。

「正直まずいとこ突いたかと思ったけど、意外と明るいわね。じゃあずっと一人で戦ってきたわけ? 狩場はどの辺り?」

「そうですね。もうずっと一人で戦ってます。狩場はダラス周辺のフィールドか、ダンジョンですね。一応一人でも十分戦える相手を見繕って戦ってます」

 それを聞いてミーナ達の表情が曇る。トップギルドに身を置き、常に誰かとパーティを組んで戦うことで死へのリスクを軽減してきた彼らにとって俺の戦い方は異質に映るのかもしれない。

「……私にはちょっとわからないんだけど、師範代さんが一人で戦うのは日々の生活費を稼ぐ為? それとも強くなりたいから? 前者ならダラスの中にたくさんバイトがあるから戦わなくても生活費に困ることは無いわよ。別にコミュニケーションが取れない人ってわけでもないようだし」

 と、そこで一旦言葉を切るミーナ。大きな瞳が真剣に俺を見つめている。

「そして、厳しいことを言うかもしれないけど後者なら『バルド流剣術』は捨てた方がいいわ。流派スキルや型の効果はあなたが思ってる以上に大きい。スキルや型がほとんどない『バルド流剣術』はかなりのハンデを背負っていると言っても過言ではないわ。……師範代さんもレオンとの試合でそれを実感したでしょう? 今じゃスキルも型も多い剣術がたくさん見つかってる。強くなりたいなら少しでもスキルや型が多い流派に師事すべきよ」

 あの敗北の日が思い出されて俺の胸に鈍い痛みを残す。黙る俺に今度はキースが声をかけた。

「確かにミーナの言う通りだな。まあ、俺はスキルや型の数が必ずしも強さに繋がるとは思わんが少なくとも選択肢にはなる。フィールドに出るなら強さは必須だ。最近は低レベルのフィールドも物騒だしな。初期こそバラバラに動いていた強盗プレイヤー共が最近は必ず徒党を組むようになってやがる。見るからに大金もレアアイテムも持ってない低レベルのプレイヤーが悪戯に襲われて玩具にされてるっていう情報も入ってる。そんな奴らから見ればお前は格好の的だぜ」

 ミーナもキースも厳しい事を言っているが、それも俺の事を心配しての発言だ。短時間の付き合いながらもそれくらいは判るほど彼らの人柄を理解出来てはいた。
 ミーナとキースが言っている事も最もな事だ。『バルド流剣術』に固執する事のデメリット、他流派に師事する事のメリット。レオンに負けた直後ならば俺の心を大きく掻き乱したかもしれない。
 だが、今はもうぶれることはない。あの巨龍ヴァリトールを打倒したことで俺の中に確かな自信と希望が生まれていたのだ。
 思案する俺を見つめるミーナ達三人。そんな俺に何かを感じたのか、今度はリンが口を開いた。

「……師範代君。君にとって『バルド流剣術』とは何なのかな? 他のプレイヤーにあれだけ馬鹿にされても修練を続ける理由。踏み込んだ質問かもしれない。だけど、私は君の心を知りたいんだ」

 ミーナとキースがリンを見て意外そうな顔をする。俺もリンがこんなことを聞いてくるとは思っていなかったので少々面食らった。
 だが、リンは真っ直ぐに俺を見つめている。ただそれだけで場の雰囲気が引き締まる。
 世間話をしていたはずなのにいつの間にか張り詰めた空気になってしまっていた。だが、俺は不快感を感じてはいなかった。
 他の人だったらリンが発したような質問をされても冗談で返しただろう。だが、何故かリンには俺の本心を告げてもいい気がする。この真っ直ぐな視線は、凛とした佇まいは俺の中で誰かを彷彿とさせた。

 だからだろう。気づいた時にはするりと俺の口から言葉が零れていた。

「俺にとってのバルド流は生き方……そして戦う力です。ミーナさんやキースさんが言ったように他流派に師事することのメリットは重々承知しています。でも最初に『エデン』で『バルド流剣術』に出会った時に決めたんです。この流派を極めてやるってね。それでずっと3年間生き抜いてきました。ここで折れて他流派に浮気したら決意を覆しちゃいますからね。……俺、負けるの実は嫌いなんです」

 そう笑って答えた俺に、リンは眩しそうに目を細めた。

「君は強いな。……それに比べて私は……」

 目を伏せながら微笑むリン。最後は何と言ったのだろうか。小声で囁く様に呟いたので聞き取れなかった。
 と、そこでリンが顔を上げ大きくミーナとキースに振り返る。

「さあ、二人とも。男がこうまで言ってるのだ。ここは素直に応援してあげようではないか」

 リンの笑顔で張り詰めた空気が一気にとぎほぐされる。ジッと今まで俺達を静観していたミーナとキースは顔を向き合って苦笑いを浮かべた。
 そのままミーナが俺に声をかけてくる。

「それなら仕方ないわね。……そうだ、じゃあ今度私達とパーティ組んでどこかダンジョンに挑戦しましょうよ! ダラス周辺なんかでちまちま弱い敵狩るよりパーティで強い敵どんどん倒す方が良いわ。きっとすぐ強くなれるわよ。どうせならレオンを倒せるくらい強くなっちゃいなさい!」

「それは良い案だな! 守りなら俺に任せておけ。お前への攻撃は全て俺が防いでやるから安心して攻撃に専念できるぜ」

「じゃあ、どこがいいかしらね。……ブース霊洞なんてどうかしら。あそこなら……」

「いや、流石にいきなりあそこは駄目だろ。もっと段階を踏んでだな……」

 何やら盛り上がった二人はそのまま何処其処のダンジョンが良いだの、パーティポジションはどうだの熱く語り始めた。
 そんな二人を微笑みながら眺め、時折口を挟むリン。
 展開に付いていけずボーっとしてた俺をキースが引っ張り込んで無理矢理会話に参加させる。あたふたする俺を見てリンとミーナが笑った。キースは落ち着けとばかりに俺の背中を叩き、ガハハと笑う。
 自然と皆に笑顔が溢れていた。
 こんな暖かい気持ちになったのはいつ以来だろう。共に戦える仲間というのがこんなに良い物だとは久しく忘れていた。
 彼女らに出会えたのも姐さんのおかげだ。帰ったら報告も兼ねてお礼を言っておこう。



「リンさ~ん、ミーナさ~ん夕飯できましたよ~」

 しばらくリン達3人と談笑していた所でレオンから声がかかった。
 相変わらずリンとミーナ、女性プレイヤー以外を無視する言動にリンは困った顔、ミーナは露骨に顔をしかめ、キースはやれやれとばかりに掌を上に掲げていた。
 レオンのあの行動は俺の前でなくても同じだったようだ。
 一先ず談笑を中断し、スープを貰う為に焚き火の元へ集まる。
 焚き火にくべられた鍋の上ではレオンが椀にスープを注ぎ、皆に手渡していた。
 リン、ミーナ、キースと来て俺の順番が来る。
 何か嫌がらせでもされるかと覚悟していたが、意外にもレオンは無言で椀を俺に差し出した。
 俺は思わずそのまま椀を受け取る。
 椀を渡し終えるとレオンは鍋を見つめて、中身を掻き回し始めた。
 そのレオンの態度に若干拍子抜けしながらも、一応礼を口にする。

「ありがとう」

「……」

 俺のお礼の言葉にも一切反応を見せないレオン。やはり無視されたわけだが、別に俺は気にしてなかった。このまま何もないのであればそれが一番良い。仮にも同じパーティ内でいがみ合うのは馬鹿らしい事だ。
 椀を手に俺は焚き火を離れ、リン達の元へ向かった。
 俺が座った所で三人がスープに手をつけ始める。どうやら俺を待ってくれていたようだ。

「あっ!」

 と、そこでキースが何かを思い出したかのように大きな声をあげた。
 何事かと俺やリン達、レオンも含めた全員がキースを見る。
 キースは皆が見てる中で何やら腰のポーチをがさごそと漁り、やがて一枚のアイテムカードを抜き出した。
 そのままカードを具現化するキース。
 現れたのはフランスパンのようなパンに野菜と肉を挟んだサンドウィッチだ。

「今朝、村出るときに昼飯を一個多く買ったけど結局食わなかったの忘れてたぜ」

 頭をバリバリと掻きながら笑うキースに皆がそんなことかと興味をなくす。

「もう、びっくりさせないでよ~」

 呆れ顔のミーナに手を合わせてキースが謝る。

「いや、すまんすまん。……そうだ、師範代。お前が良ければだが、俺の分のスープも飲まねえか? 俺はこの昼飯の残りを片付けなきゃならん」

 見た所それほど大きなサンドウィッチではないので、キースの体格ならスープもそのまま食べれそうだと思ったが意外と小食なのだろうか。
 不思議に思いながらも腹が猛烈に減っていた俺は快諾する。

「キースさんが食べないのであれば是非頂きます! でもそのサンドウィッチだけで足りるんですか?」

「……実は、俺このスープ苦手なのよ。どうも俺にはさっぱりしすぎてて食った気がしないんだわ。お前が苦手とかじゃなければ食べてくれ。頼む」

 俺の耳元に顔を寄せ、そう囁いたキースは拝むように手を上げた。

「そういうことでしたら遠慮なく頂きますよ。もう腹へってかなりきついんです」

「お、なんだそうなのか。なら、ほら。遠慮なく食ってくれ!」

 取引を終えた俺達は手元の食事に齧り付く。
 俺は勿論、キースも空腹だったようで猛烈な勢いで食事を掻き込んでいく。
 そんな俺とキースの行儀の悪さにまたもリンとミーナがクスクスと笑っていた。
 久しくなかったフィールド上でのキャンプのような仲間との触れ合い。今までの孤独が癒されるかのような楽しさに俺はすっかり油断してしまっていたのだろう。



 楽しそうに笑う俺達を暗い笑みを浮かべて見つめるレオンに俺は気付くことが出来なかった。











----------------------------------------------------------------
次回更新でオリジナル板へ移動しようと思います。



[20224] 14
Name: りんごちゃん◆c3f1b985 ID:67b6f114
Date: 2010/12/02 00:15
 楽しい時間はあっという間に過ぎ去り、夜も随分更けてきている。
 俺達は談笑を止め、そろそろ寝ることにした。
 一応フィールド上やダンジョン内での野宿の際は、例え【結界魔術】を設置していても危険に早急に対処する為交代で見張りを立てるのが一般的だ。
 それはこのパーティでも例外ではなかったようで、今晩の最初の当番はキースとレオンがつるんでいるメンバーの一人、大きな杖を持つ魔術士の男だった。
 魔術士の男はレオン達の傍、キースは俺達の傍でいつでも動けるように片膝を立てて座り周囲を警戒する。
 
 焚き火が周囲を照らしているが、少し先は全くの闇で何も見えない。時折、獣の鳴き声や何か草木のようなものが擦れる音、そして焚き火の薪が弾ける音以外に何も聞こえない。
 
 【サンクチュアリ】のおかげで領域の外からは俺達はおろか焚き火の輝きも見えることはないだろうが、探知系の魔術やスキルを持つ者には通用しない事がある。【結界魔術】は便利だが、絶対ではないのだ。
 だが、今は『シルバーナイツ』の面々が揃っているのだ。キースやあの魔術士の実力はまだ見たことがないが、少なくとも俺達に警告を与える前にやられたりするような無様な真似はしないはず。
 
 一人旅の野宿では味わえない安心を感じながら俺は身体を横たえた。身体の力を抜くと、強烈な睡魔が俺を襲う。
 考えてみれば今日一日でいろいろな事があった。
 レッドドラゴンとの遭遇、巨龍ヴァリトールとの死闘。今でもあれが実際に起こったことなのか、それともただ夢が覚めていないのかわからなくなる。
 こうして寝てしまって起きてみるとまだ俺はヴァリトール山の近くのホルンで寝ているだけだったんじゃないかという不安もあった。
 だが、身体が強烈に要求する睡眠欲には勝てず、俺はあっという間に意識の手綱を手放してしまった。
 
 
 
 微かな話し声で目を覚ます。うっすらと瞼を開くとキースとレオンが二人で何か話し合っているのが見えた。
 俺は半身を起こし、眠気を飛ばすように頭を軽く振る。それだけで随分意識がはっきりとした。
 周囲は寝る前より一層闇の濃さを深めたように見える。時間にしてまだそれほど経っていないようだ。
 俺が目を覚ましたことにキースが気付く。
 
「お、悪い。起こしちまったか」
 
 申し訳なさそうな顔をしてキースが謝ってくる。
 
「いえいえ、気にしなくて大丈夫ですよ。元々一人旅が多かったので眠りは浅い方なんです」
 
 俺が一人で野宿するときは【結界魔術】も見張りをしてくれている仲間もいない。一応『結界符』というアイテムを周囲に張り巡らせば簡単な認識遮断程度は出来るが、所詮はアイテムなので大した効果は望めない。それでも使わないよりはマシだったので、俺は使っていた。そして、『結界符』の効果の弱さを補う為に熟睡することを避ける。
 おかげで俺は随分と眠りが浅くなってしまったわけだ。
 いつもなら流石に全快とまではいかなくて多少疲れが身体に残った目覚めとなるのだが、今回は違った。
 身体の疲れは完全に取れ、むしろ今までに無い力強さを感じさせていた。
 いつもと違う身体の調子に若干疑問を覚えるが、悪いことではないのでとりあえずは無視する。
 
「なるほどな。……じゃあ、ついでにちょっと頼み事していいか? レオンが一瞬この周囲で何かの反応を感じたらしくってな。もしかしたら件の強盗プレイヤーが俺達を覗っている可能性もある。俺とレオンで軽く調べてくるから俺達が席を外してる間見張りを代わってて欲しいんだ」
 
「それはもちろん構いませんけど……二人で行くのは危険じゃありませんか?」
 
 こんな低レベルのフィールドで、トップギルドのプレイヤーに何を言っていると思うかもしれない。だが、今キースが言った通り周囲にはリン達が探す強盗プレイヤーがこちらを窺っている可能性もあるのだ。
 ログアウトできなくなった事に関して様々な可能性が噂され、死へのリスク感も薄かった初期には誰にも憚ることなく大手を振ってプレイヤーを襲う輩も多かった。だが彼らの多くは淘汰され、今残るのは狡猾な者がほとんどだ。
 狡猾故に彼らの多くは隠密系のスキルや魔術を修めている。己を狙うリン達のようなパーティから逃れる為に、そして己の獲物に気付かれずに近づく為に。
 一応【心眼】、【気配察知】で周囲を窺ってみるもプレイヤー等の反応は感じられない。だが、用心に越したことは無い。
 
「まあ、お前の言いたい事もわかる。でもまだプレイヤーの反応だったかどうかも定かじゃないんだ。それにレオンは探知系のスキルに長けてるからな。そうそう奇襲をくらう事はないはずだ。そうだろ? レオン」
 
 視線を向ければレオンがこちらを小馬鹿にしたように見下ろしていた。
 
「そうっす。お前さ、弱いからわかんねーかもしれないけど、俺とキースさんだぜ? 少なくともキースさんが簡単にやられるわけねーだろ」
 
 小声でそう語るレオン。その声は小さいながらも自信に満ち溢れていた。だが、若干違和感を覚える。
 今まで俺はともかく、キースまで無視しているかのようにレオンは振舞っていたのだ。
 それが、ここでキースと二人で索敵に行くという。
 何故いつもつるんでいるメンバーを連れていかない?
 今はキースが見張り番だからと割り切ったのだろうか。
 まだ一日しかこのパーティに在籍していないので、キースとレオンの付き合い方がはっきりとはわからなかった。
 俺にはレオンの態度が判断しかねてキースを見てみると、興味深いとでも言いたげな顔で顎の無精髭を撫でている。
 
「お前が俺を持ち上げるなんて珍しいじゃないか、レオン」
 
「同じギルドメンバーっすからね。一応は認めてるんすよ」
 
 さすがに俺の事はまだ馬鹿にしたままのようだが、やはりキースに対しては多少なりとも仲間意識があるのかもしれない。
 俺の考えすぎか……。
 
 キースはレオンの答えを聞くと軽く頷いた。
 
「よし、じゃあ男同士親交を深めに行くか!」
 
 そう言ってニヤリと笑ったキースはレオンと連れ立って夜の闇の中へと踏み入っていった。
 二人が去っていくのを何も言わず見送ってしまった俺だが、今になって若干の後悔が胸によぎる。何か言い知れぬ胸騒ぎのようなものがあったのだ。
 だが、俺に何が出来たかというと……答えは見つからない。ただの胸騒ぎだけで騒ぐには俺は部外者過ぎた。
 今更時間は戻らない。何も起きない事を祈るばかりだ。
 
 しばらくキース達が歩いて行った先を眺めていたが、ふと周囲を見渡す。そこでもう一人の見張り当番の男がこちらを見ていることに気付いた。
 一瞬俺を見ているのかと思ったが違う。男の視線は俺を通り過ぎ、さらに後方へと向かっていた。その先にいるのは、あどけない顔で眠る女性プレイヤー二人。
 俺が見ていることに気付き、男はハッとなって視線を別に向けるも俺はしっかりと見てしまった。
 リンとミーナを見つめる男の尋常ではない様子。
 普段は目が開いているのかわからないような糸目を見開き、内に潜む欲望が透けて見えるような輝きを放っていたのだ。断じて仲間としてのパーティメンバーを見る目付きではない。
 確かにリンとミーナは皆が美人だと答えるような容貌をしている。彼女達の傍にいれば多少なりとも下心が生じるかもしれない。
 だが、男の様子はあまりに生々しかった。
 
 まるでもうすぐ食べられるご馳走を目の前にしているような……。
 
 先程の不自然なレオンの態度、そしてこの男の異様な目付き。治まったはずの胸騒ぎが否応無く掻き立てられる。
 何かおかしい。
 周囲を敵に囲まれているかのような感覚に陥った俺は、思わず脇に置いていた剣を手繰り寄せた。
 スキル【気配察知】で周囲を探るも、プレイヤーの反応は焚き火の傍にいる俺達七人と少し離れた場所にいるキース達二人のみ。
 と、そこで俺の耳が微かな声を捉える。
 
「……ぅぅ……」
 
 声の出所は……リンとミーナ! 二人は苦悶の表情を浮かべて呻き声を漏らしていた。だが、その表情に反して身体は全く動いていない。俺とリンの視線が交差する。俺が二人の様子に気付いた事を理解したリンは必死に何かを伝えようとするも、その口から漏れるのは微かな呻き声のみ。
 俺は思わず立ち上がり、二人の傍へ寄ろうとした。
 
 そこで耳に入る『詠唱』。
 
「大地よ 鎖をもって 彼の者を 縛れ 【アースバインド】」
 
 その『詠唱』が聞こえた瞬間、俺の周囲の地面六箇所から巨大な鎖が勢い良く飛び出し俺に襲いかかってくる。
 俺がリン達の様子に驚いた瞬間を狙った不意をついた攻撃。
 加えて情報としての知識はあるものの実戦での魔術に縁のなかった俺は、『詠唱』に気付くも理解までに一瞬の隙を晒してしまい結果として鎖に捕らわれてしまった。
 魔術によって召喚された鎖はまるで意思持つかのように俺の四肢に巻き付き、ギリギリと締め上げて地面へと引き倒そうとする。
 全身に力を込めてそれに対抗しながら俺は『詠唱』が発せられた先、こちらに大きな杖を向ける糸目の男を睨んだ。
 
「これはどういうことだ?」
 
「せっかく極上の獲物が罠にかかったっていうのに邪魔されちゃ困るからねえ……ヒヒ」
 
 男の顔が醜くゆがむ。
 そして男の周囲ではレオンとつるんでいたメンバー達が次々と立ち上がった。どうやら全員起きていたようだ。この状況に驚く者は一人もおらず、皆一様にニヤニヤと笑っている。
 
 罠? 裏切り? 様々な考えが俺の頭をよぎる。だが、一つはっきりしているのはこいつらが俺やリン達に対してろくでもない事をしようと考えている事だ。
 俺の違和感は間違ってなかった。そして、こいつらが敵ということはレオンも同様。
 先程二人で夜の闇に消えていった光景が頭に浮かぶ。
 ……キースが危ない!
 
 と、そこで【気配察知】がこちらに走ってくるプレイヤーの反応を捉えていた。数は二つ。恐らくはキースとレオンだ。
 少しの間を置いて広場に飛び込んでくる人影。
 全身を切り傷で赤く染めた姿。息を大きく乱しながら必死の形相をしているのは、やはりキース。
 キースは広場に駆け込みながら大声を発した。
 
「お嬢達逃げろ! レオンの野郎が……っ!?」
 
 キースの視線が鎖に締め上げられる俺、苦悶の表情で地面に転がるリンとミーナ、そしてニヤニヤと笑う男達に向けられる。一瞬で状況を理解したらしいキースの顔に驚愕と苦しげな表情が浮かび、動きが止まった。
 そしてそんなキースの背後に忍び寄る人影。俺の【心眼】と【気配察知】はそれをしっかりと捉えていた。しかもその人影の片手には抜き身の剣。
 俺は目の前の状況に囚われ、背後に気付いていないキースに対して警告を発する。
 
「キース! 後ろだ!」
 
「えっ」
 
 キースがそう呟くのと、キースの腹から剣身が飛び出るのとはほぼ同時だった。人体を切り裂く鈍い音をたてて飛び出したのは、剣身に複雑な模様が描かれた直剣。見覚えのあるその剣はキースの体内を通った証とばかりに真っ赤に染まっている。
 キースは己の腹から生えた物体を不思議そうに見下ろし、間を置いてゆっくりとこちらを見上げた顔には絶望が張り付いていた。
 キースの腹から生えた剣が引き抜かれる。
 支えをなくしたキースの身体は腹から盛大に血を流しながら地面へとうつ伏せに倒れこんだ。
 
「キーーース!!」
 
 目の前で起きた惨劇に硬直してしまったが、キースが倒れるのをきっかけに俺は思わず叫んでいた。
 キースは地面に倒れたままピクリとも動かない。
 つい先程まで楽しく話していた相手のあまりの姿に頭が真っ白になる。
  
 倒れたキースの背後から現れたのは血塗られた直剣を持つ男、レオン。
 レオンは縛られる俺を全く意に介さず、剣を一振りして剣身についた血糊を飛ばし腰の鞘に収める。
 そこへ大きな斧を担いだ男が声をかけた。
 
「上手くいったようだな。随分時間がかかったみたいだが、手強かったか?」
 
「ああ、腐っても『シルバーナイツ』だったわ。でも所詮ノロマな『スパルト流槍術』だから俺の敵じゃなかったけどな。はは」
 
 笑いながらキースの身体を踏み付けるレオンに対し、怒りが込みあがる。思わず罵りそうになるが堪えた。
 冷静になれ。熱くなっては状況を打破するチャンスを見落としてしまう。
 罵る代わりに拳を握り締めると、纏わりつく鎖が軋んだ。
 そこでレオンの視線がこちらに向く。
 
「で、あれ何? あれってゲイスの【アースバインド】だろ?」
 
 レオンの顔が魔術士の男へと向いた。あの男はゲイスという名前らしい。
 
「どうやら薬が効いてないようでねえ。我々の獲物に近づこうとしたから縛らせてもらったよ」
 
 それを聞いたレオンは眉を顰める。
 
「ああん? このおっさんと違ってあいつはスープ飲んだだろ? 何で効いてねーんだよ。……後で、解毒剤でも飲んだか? お前には一度盛ったことあるしなあ」
 
 ニヤニヤ笑いながら俺を見るレオン。
 薬……食事に何か混ぜられていたらしい。何故食事の時にレオンが大人しくしていたのかこれで合点がいった。
 しかし、一度盛った事がある? 
 俺の脳裏に思い出されるあの日。レオンとの試合の日。食後の不自然な腹痛。あれの事か? しかし、あの時点ではまだレオンとの面識はなかったはずだが……。
 心当たりを得てレオンを睨むも疑問は残る。
 
「試合の日か」
 
「そうそう当たり~! あの店には俺の言うこと何でもきく奴がいてなあ。リンとミーナを探してたら、わけわかんねえ男と飯を食おうとしてやがる。しかもスカーレットまで一緒にいるしよ、よく見たら男はダラスの笑い者だしな。俺らの獲物に手を出す馬鹿に一服盛って無様な姿を晒してもらおうと思ったわけよ。苦しそうにしてたお前は笑えたぜ~」
 
 ギャハハとレオン達が笑う。あの日の裏事情を知った俺は押し黙ってレオン達を睨んだ。確かに卑怯な方法だが、引っ掛かった俺も悪い。人の欲望がエスカレートしつつある『エデン』ではこういうプレイヤーもいるという話も聞いてはいたのだ。未熟ゆえの結果、文句を言うつもりは無かった。
 
「……なんだ。みっともなく騒ぐかと思いきや反応無しかよ。つまんね~」
 
 チッと舌打ちするレオンに俺は先程から気になっていた疑問をぶつける。
 
「リン達が獲物とはどういうことだ。お前達は同じ『シルバーナイツ』のメンバーだろう? こんなことをしては流石に他のメンバーが黙ってはいないはずだ」
 
 それを聞いたレオン達が一斉に吹き出す。
 
「こいつ馬鹿だろ! 俺らは別に『シルバーナイツ』に入りたくて入ったわけじゃねーし。元々この二人を頂くのが目的だったんだよ。街中で見かけていつか俺のモノにしてやろうと思ってたんだわ。苦労したんだぜ~。疑われないようになるべく猫被ってよ~。『シルバーナイツ』に入ってもなかなか同じパーティ組めるチャンスが見つからねえ。頃合を見計らって嘘情報を流してようやくこのメンツで遠征できたわけよ」
 
「強盗プレイヤーの情報か」
 
「その通り。まあ嘘ってわけじゃなくて、俺らがその強盗プレイヤーだって事なんだけどな。ほんと馬鹿正直に信じちゃって、ずっと笑い堪えるのに必死だったっつーの」
 
 またしても盛大に笑うレオン達。
 リンとミーナを見れば悔しそうに顔を歪めてレオン達を睨んでいる。
  
「まあ、そういうわけでお前が加わるのは完全に想定外だったんだけどな。でもお前みたいな雑魚が一人増えても影響ねーし、計画を実行に移したってわけ」
 
 こちらの自由を奪って既に計画は完了したとでも思っているのか、ベラベラと話してくれたおかげでよくわかった。
 レオン達は自分達の勝利を確信して油断しきっている。
 リン達を見れば、必死に周囲に視線を飛ばし状況を立て直す手筈を探っていた。だが身体が動かせない現状、彼女達に出来る事は回復を待つ事以外にない。
 そしてキース。
 【心眼】で見れば、彼の腹部からの出血が随分と少ないのが確認できる。それがレオンの剣による効果なのか、それともキースの何らかのスキルによるものかはわからない。だが、もしかしたら未だ命を繋いでいる可能性がある。
 リン、ミーナ、キースを回復させる為にはどうしてもレオン達が邪魔だ。こいつらをどうにかしなければ3人を救えない。
 
 全身にゆっくりと力をこめる。四肢を拘束する鎖がミシリと微かな音をたてた。
 そう、俺は既にわかっていた。
 
 
 この程度の鎖では俺を拘束することなど不可能だということを。
 
 
 だが、相手は五人。しかも裏切ったとはいえ『シルバーナイツ』に在籍できるだけの実力を持っているのだ。
 俺一人が戦いを挑んだとしても無駄死にする可能性が高い。ここは何とかしてリン達を回復させる手立てを……。
 
 ――――――本当にそうか?
  
  
 俺の頭の中で囁かれる声。俺の判断を疑問視するその囁きは、俺が無意識に避けていたもう一つの判断を浮かび上がらせた。
 それは……俺一人でこいつらに勝てるのではないかという判断。
 ヴァリトールはおろかレッドドラゴン程の脅威もレオン達からは感じられない。絶望的な戦いを経て感覚が麻痺してしまったのか、まるでレオン達を軽く一蹴できるような感覚がある。
 初心者剣術を修めているだけに過ぎない俺が何を考えているのだと意識にセーブをかけるも、戦闘を意識すればするほど力強く猛る肉体が俺のもう一つの判断を後押しした。
 だが、俺には相手を拘束できるようなスキルも魔術もない。そしてこの人数差。戦うということは相手を殺すということ。
 俺にプレイヤーを……人を斬れるのか。
 
 俺が自問自答を繰り返す間に、レオンの元へメンバーの一人である武士のような格好をした男が詰め寄った。
 
「なあ、もういいだろ!? 早くやっちまわねーと、【サンクチュアリ】の効果で回復しちまう!」
 
 男の目はこれから起こる事に興奮しているのか血走っており、息も荒い。
 レオンがニヤニヤしながら答える。
 
「それもそうだな。やっちまっていーぜ」
 
 レオンの許可を得た男は喜び勇んで腰から日本刀を抜き、リン達の元へ歩き出す。興奮した男の様子を見てリン達の顔に恐怖が浮かんだ。
 
「何をする気だ!?」
 
 日本刀を手にリン達へ近づく男に不安を覚えた俺は叫ぶ。
 
「んん? ああ、リン達の手足を切るんだよ。今は強力な麻痺毒で動けなくしてあるけど、いつ回復するかわかんねーからな。今のうちに抵抗できなくしとくんだよ。その後俺達で楽しむ。サービスでお前は最後に遊んでやるから、しっかりリン達が嬲られるのを見とくんだな!」
 
 欲望を前面に押し出したレオン達の顔は醜かった。話には聞いていたものの実際に『エデン』の裏側を垣間見て心がざわめく。歯止めを失った人はここまで堕ちるとは……。
 
 日本刀を片手に持った男は、リン達にたっぷりと恐怖を埋め込むつもりなのかゆっくりと歩く。リン達の顔は絶望に包まれ、それを見るレオン達は愉悦に浸っていた。
 それを眺める俺は未だ迷い、戦いに踏み出せない。
 ついに男はリン達の目の前に到達し、日本刀を振り上げた。
 ミーナは観念したかのようにギュッと目を閉じて迫る苦痛に耐えようとしている。
 だが、リンは恐怖の色が垣間見えるもののしっかりと目を開き頭上で禍々しく輝く刃ではなく、俺を見ていた。
 リンの眼差しを受けてドクンと一際大きな鼓動が鳴る。思い出されるリン達との出会い、先程までの楽しい歓談。
 記憶が掘り返される内に何故かふと思った。

 ……俺はこの光景を知っている気がする。
 
 リンと俺との視線が交差した。見詰め合うのも束の間、やがてリンはゆっくりと目を閉じ俯く。
 だが、俺の瞳はしっかりと捉えていた。
 
  
 
 
 
  
 彼女の口が、「助けて」と動いた事を。
 
 
 
 
 
 その瞬間、俺の迷いは吹き飛んだ。

 何を悩む必要がある。
 彼女を救う為ならばたかが五人、斬ってみせろ!
 心の奥から湧き上がった激情は、そのまま俺の口から迸った。
 
「おおおおぉぉぉoooOOOOOOO!!」
 
 
 
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
 
 
 
 ミーナが絶望に目を閉じるのが見えた。
 私達の頭上には今にも振り下ろされんとしている日本刀。
 そんな状況でも未だ全く動かない身体。かろうじて顔は動くものの、声すら出せない状態では何も出来ない。
 常々レオン達の素行が悪いとは感じていた。だが、まさか『シルバーナイツ』の一員となった者がこんなことを考えるなんて……。
 キースが刺された瞬間が今でも目に浮かぶ。
 私がもっと気をつけていればこんなことにはならなかったかもしれない。
 後悔と悲しさで胸が一杯になる。
  
 そしてこんな惨状に巻き込んでしまった彼……師範代君。
 
 彼は私達の仲間だったはずのゲイスの魔術、『マルス流魔術』第3階位【アースバインド】によって拘束されている。
 【アースバインド】は階位は低いが、術者の熟練度次第で拘束力が大幅に変わるという特性を持つ優秀な魔術だ。ゲイスの場合、直接ダメージを与える魔術より敵の拘束や弱体化、味方の強化など補助系の魔術に力を注いでる事もあって【アースバインド】の拘束力はかなり高い。
 事実、ボスモンスターすら一時的に拘束することに成功しているのを見たことがある。
 彼を拘束しているのはそんな魔術だ。地面に引き倒されないで立っているだけで驚きだが、これ以上彼が何かをすることは不可能だろう。
 
 今も必死の表情でこちらを見つめる師範代君。
 思えば最初に会った時から彼の事が気になってはいた。何故か初めて会った気がしなくて。
 それは話をすればするほど、強く感じるようになった。
 レオンとの試合のせいでどうなってしまったのかと心配していたが、話をしてみたところ彼は元気だった。あんなことがあっても信念を曲げずに生きようとしている。私にはちょっと眩しい。
 彼ならばどんな困難を前にしようとも構わず突き進んで道を作ってくれる。……そんな気がしていた。
  
 だからだろう。今もこの状況を彼が何とかしてくれるなんて都合の良い願望が頭に浮かぶのは。
 現状を見ればそんな事はありえないのに。
 
 私と師範代君との視線が交差する。
 その力強く輝く黒い瞳を見ているとそんな馬鹿らしい願望が実現してしまうんじゃないかという錯覚に陥ってしまう。いつからそんなに夢見るようになってしまったのだろうか私は。馬鹿な考えを胸に押し込み、ゆっくりと目を閉じる。
 
 
  
 でも……でも、そんな事が本当に起きるなら……私達を……。
 
 
 
 
「助けて」
 
  
 
  
 私がそう呟いた瞬間だった。
 
「おおおおぉぉぉoooOOOOOOO!!」
 
 師範代君の口からとてつもない大声が飛び出る。何か獰猛な獣の咆哮を思わせる叫びが空気をビリビリと震えさせ、その衝撃で息が詰まった。日本刀を振り上げていた男、ラッシュが思わず一歩後ずさる。
 長い叫びを終えると師範代君はラッシュに向かって飛び出した。師範代君を拘束していたはずの鎖は呆気なく引き千切られ、光の粒子となって消える。
 
 ボスモンスターすら拘束する【アースバインド】を引き千切る!?
 
 私達の常識を覆す光景にラッシュも対応が遅れた。あっと言う間に間合いを詰めた師範代君は駆け寄る勢いそのままにラッシュの顔面へと拳を突き出す。
 ラッシュも慌てて避けようとするが、師範代君の動きに比べると致命的に遅かった。
 ラッシュの顔面へと拳がめり込む。
 ズドンッとおよそ人体を殴ったとは思えない轟音を響かせてラッシュの身体が舞った。血を噴きながら舞ったラッシュはゴロゴロと転がってレオン達の傍で止まる。
 
 拳を振り切った師範代君は私達の前でゆっくりと身を起こし、レオン達に相対した。
 私の位置からは顔は見えず、背中しか見えない。だが、仰ぎ見る背中は広く、そして揺ぎ無い。束の間だけれども私達を包む絶望を切り裂いたその姿はまるで私の願望が現実になったよう……そんな背中に私は何故か既視感を感じた気がした。
 凍りつく空気。
 いち早く我に返ったのは大きな斧を持った男、ザンス。

「てめぇ! よくもラッシュを!」
 
 ザンスは確かラッシュと仲が良かったはず。恐らくラッシュを襲った惨劇に血が上ってしまったのだろう。斧を担ぐと師範代君へと猛然と駆けた。
 地響きをたてながら迫るその姿はまるで大型トラックが猛スピードで突っ込んでくるかのような感覚。
 『ダイバーン流斧術』七の型【グランロデオ】。発動条件としてある程度の距離が必要とされるが、魔術を抜きにすればその攻撃力は『シルバーナイツ』でも指折りの型だ。
 突進の勢いを叩きつける一撃から続く4連撃なのだが、斧という武器自体が攻撃力が高くザンス自身もステータスに恵まれている為、連撃の初撃で片が付いてしまう事も多い。それもあって『シルバーナイツ』では切り込み役として活躍していた男だ。
 無手で立つ師範代君には荷が重過ぎる攻撃。せめて剣で受ければ多少はマシかもしれないけど、キースが渡した『ブロンズロングソード』は【アースバインド】に捕われた時に落としたのか、少し離れた場所に転がっている。
 迫るザンスの姿を捉えていないはずはないのに、師範代君に動く様子は全く無い。【グランロデオ】の迫力に気圧されて動けなくなっているのだろうか。
 既にもうこの距離では避ける事は難しい。私の脳裏に血みどろになって吹き飛ぶ師範代君の姿が浮かんだ。
 ザンスもレオン達も同じ想像をしたのだろう。顔が残虐な笑みに染まっている。
   
「死ね! 雑魚が!」
 
 叫びながらザンスが斧を振り下ろす。ラッシュをやられた怒りも相まって、その勢いは今までに無いほど凄まじい。
 それに対する師範代君の動きは僅かだった。
 
 ただゆっくりと右手を上げただけ。
 唸りを上げて襲い掛かる一撃に対し右手一本で何ができるというのか。
 
 
 だが、結果は誰もが予想し得なかった光景となった。 
 
  
 刃を避けるように突き出された右手が斧の柄を掴む。
 右手ごと粉砕すべく力を込めるザンス。
 だがガシリと柄を掴まれた瞬間、ザンスの突進は巨大な壁に衝突したかのように停止した。
 師範代君の足元が受け止めた衝撃で砕ける。
 
 だが、それだけだった。
 ただそれだけであれ程の勢いが嘘のように静止している。
 
 
 
 またしても空気が凍った。
 有り得ない光景に私自身、自分の顔が驚愕で強張っているのがわかる。ミーナも目を見開いて私達を守る背中を凝視していた。
 
 あの【グランロデオ】を右手一本で受け止める!? どうすればそんなことが可能になるのだ!?
 
 ザンスを見れば、自身の必殺の一撃を難無く受け止められた事に驚愕しつつも何とか押し切ろうと斧を持つ両手に力を込めていた。
 
「がぁぁぁぁぁ!」
 
 叫びながら斧を振り下ろそうとするザンスの筋肉に筋が浮かび上がるのが見える。恐らくは全力を振り絞っているのだろう。
 だが、斧はピクリとも動かない。
 斧の柄を掴み続ける師範代君は俯き、ザンスの顔すら見ようとしない。その身体にはとても力が入っているようには見えず、余裕が感じられた。ザンスの必死さと対照的に師範代君の無関心さが異様な雰囲気を醸し出している。
 次第に現状を把握してきたらしいザンスの顔に戸惑いと恐怖がちらついてきた。
 
 ザンスは『シルバーナイツ』で最も筋力ステータスが高いと言われていた男だ。そんな男が全力を尽くしても彼の右手一本にかなわない。
 
 非現実的なその光景に戸惑いを覚える私達を他所にレオン達は動き出していた。
 ミーナが私の後方を見て何かに気付く。
 慌てたように顔を動かし、必死に何かを伝えようとしていた。
 私も僅かながら感覚が戻ってきた身体に鞭打ち、ミーナの視線の先を見る。
 
 そこには師範代君の死角となる左後方で弓矢の狙いを定める一人の男、ケイ。
 弓術系流派は一般的に隠密系スキルが豊富な場合が多い。
 ケイもやはり多くの隠密系スキルを修めており、今もそれを駆使して師範代君の死角に移動したのだろう。
 豪華な装飾が成された弓に番えられているのは3本の矢。
 あの構えは恐らく『イーオス流弓術』六の型【バーストスパイラル】だ。螺旋を描きながら3本の矢が高速で的を抉る強力な型。
 さすがに【グランロデオ】に比べれば威力は落ちるが、それでも防具を纏っていない相手へ致命傷を与えるには十分な威力だろう。しかも死角からの攻撃なのでさらにダメージは大きい。
 私もミーナも何とか師範代君に危機を伝えようとするも、未だそこまでの動きは出来ない。身体が動くまではまだしばらくの時間が必要なようだ。
 
 私達の奮闘虚しく【バーストスパイラル】が放たれる。
 ミーナの口が大きく開かれ、呻き声が漏れる。声が出るならば悲鳴が聞こえていただろう。
 師範代君はまだザンスの斧を掴んで俯いたままで、とても後方からの攻撃に気がついている様子は無い。
 視認するのも難しい速度で飛来する3本の矢が螺旋を描いて無防備な師範代君の背中に牙をむく。
 
 とその瞬間、師範代君の左腕がぶれた。
 
 一瞬の間をおいて現れたのは3本の矢を掴み取った左手。
 
「なっ!?」
 
 ケイの口から驚愕の呻きが漏れた。
 私から見ても今の【バーストスパイラル】は完璧な不意打ちのタイミングだった。それを見向きもせずにまたしても素手で掴み取るなんて……。
 私とミーナはもがくのも忘れ、完全に一人の男に目を奪われていた。
 
 左手をおろした師範代君がゆっくりとケイの方を向く。ザンスがチャンスとばかりに斧から片手を離し殴りつけようとするが、それよりも一瞬早く師範代君がケイに向かって斧を放り投げた。驚くことにザンスごとだ。
 あまりに師範代君が無造作に行ったので一瞬何をしたのかわからなかった。ケイもそうだったのだろう。自身に向かって人が降って来るという光景に固まっていた。
 
「うわぁぁ!」
 
 ザンスは悲鳴をあげながら宙を舞い、ケイに激突。地面に倒れこんだ二人からくぐもった悲鳴が聞こえる。
 
 師範代君はザンスを投げると同時に駆け出していた。向かう先は隅に転がる『ブロンズロングソード』。一足飛びで剣の元へたどり着いた彼は、駆けながら地面に転がる剣を足で跳ね上げて掴み取りそのままザンスとケイの元へ。
 二人が慌てて身を起こした時には師範代君が剣を振り上げて目の前に立っていた。
 
 焚き火の光を反射して剣身が鈍く輝く。
 そして響くズドンッという轟音。
 剣身の輝きがぶれたかと思いきや、いつの間にか師範代君は剣を斬り上げた状態で静止していた。
 一歩踏み込んだらしい右足が地面を割り砕いているのが見える。
 
「あれ?」
 
 そう呟いたのがザンスの最期の言葉だった。その呟きと同時にザンスの身体が真っ二つに裂け、血の海に沈む。それは隣にいたケイも同様だった。
 プレイヤーが目の前で殺される。やらねばやられるから仕方ないとは理解できるが、その衝撃的な光景に私の胸が痛んだ。『シルバーナイツ』として戦ううちにもう何度もプレイヤーが殺される光景は見てきたというのに未だに私が慣れることはない。
 
 だが、そんな感傷を吹き飛ばすかのような驚きが私の脳を揺さぶっていた。
 白い輝きの軌跡が微かに一瞬闇に残ったから判る。あの軌跡は確かに知っていた。
 かつて習得したある型が脳裏に浮かぶが、同時に有り得ないという即座の否定も頭に浮かぶ。
 それでも私の頭は答えを導き出した。
 
 
 
 あれは……間違いなく『バルド流剣術』一の型【双牙】。
 
 
 
 
 だが、だが! 速過ぎる! 私が知る【双牙】は断じてあんなものではない! 【双牙】は連続攻撃のいろはを知る為に教わる初歩中の初歩の型だ。連続攻撃に慣れてしまえば他流派の通常攻撃にも劣るとさえ言われてたはずなのに。
 なのに! なんだあれは? 私ですら残像でしか捉えられなかった剣速。彼は一体何者なんだ……?
 
 先程から続く有り得ない光景の連続に私の背筋がゾクゾクと震えた。ミーナも驚愕を顔に貼り付けているが、若干の困惑が見て取れる。恐らく彼女の目では何が起きたのか捉えられなかったのだろう。
 
「【フレア・ミサイル】!」
 
 いつの間に詠唱を終えたのか、ゲイスが大声で叫びながら魔術を放つ。放たれた魔術は『マルス流魔術』第5階位【フレア・ミサイル】。第一階位【ファイア・アロー】の上位魔術だ。
 灼熱の炎球が五つザンスの周囲に出現するやいなや、その全てが凄まじい勢いで師範代君へと殺到する。属性攻撃なのでこれまでのように素手で掴むことは不可能。武器で叩き落とすこともできない。
 
 属性攻撃……これが武術系流派に対する魔術系流派の大きなアドバンテージだ。属性攻撃は物理防御をある程度無視してしまう。完全に防ぐ方法は属性攻撃による相殺か防御魔術によって防ぐしかない。
 味方の魔術士による支援を受けれなければ、頼れるのは自身の体力のみとなるが……耐えれるか師範代君!
 
 殺到する炎球に焦ることなく、師範代君は両腕で頭部を庇う。そこへ着弾する【フレア・ミサイル】。破裂した炎球は爆煙と轟音を撒き散らし、師範代君の身体を覆い隠した。
 一瞬周囲へ広がる爆風。私達も思わず目を閉じた。
 パラパラと爆風で吹き上げられた礫が転がる音がする。
 
「ひひ、やった」
 
 引きつった笑いを浮かべるゲイス。師範代君の姿は未だ黒煙に覆われ確認できない。
 不安が私の胸に募る。あの威力の魔術を受けて無事でいられる姿を想像できない。
 と、そこで一瞬煙の合間から場違いな輝きが見えた。
 一対の金色の輝き。まるで瞳のような……?
 
 やがて黒煙が晴れる。そこには多少腕が焼け爛れているものの五体無事な師範代君の姿。
 【フレア・ミサイル】をまともに受けて五体無事な事にも驚きだが、それ以上に驚くべきはその瞳。
 先程垣間見えた通り金色に輝いていたのだ。
 目を凝らせば縦長の瞳孔が見える。あれではまるで……ドラゴン!?
 かつて『シルバーナイツ』での狩りの際に見たレッドドラゴンが思い出される。
 今でもあの瞳で見下ろされた時の事を思い出して震えてしまう。
 その記憶と同じ無機質な瞳がギロリとゲイスを睨んだ。
 
「ひ、ひぃ!」
 
 ゲイスもあの時の狩りのメンバーの一人だ。当時の恐怖を思い出したのか、悲鳴をあげながら尻餅をつく。
 そんなゲイスに向かって師範代君が駆けた。
 だが、師範代君の前に滑り込んでくる人影。
 両手に長剣を持って立ち塞がるプレイヤー。今まで静観していたレオンだった。
 
「あんま調子に乗ってるんじゃねーぞ、てめぇ!」
 
 吼えたレオンが猛然と師範代君へと襲い掛かる。
 それに対するは正眼に剣を構えた師範代君。
 一歩で間合いを詰めたレオンが腕を振るう。左右の剣が霞み、無数の斬撃となって師範代君を襲った。
 あらゆる方向から息継ぐ暇も無く降って来る斬撃に師範代君も両手で握る剣を縦横無尽に振り回して迎撃する。
 飛び散る火花と、金属音。
 攻め続けるレオンに防御一辺倒の師範代君。
 
 それはいつか見た試合の巻き直しだった。
 だが、あの時と違うのは二人の表情。
 最初から焦りが見て取れるレオンに対し、無表情で黙々と防御し続ける師範代君。
 今だからこそ二人の間にある地力の差がよくわかった。
 レオンの、『ガーランド流剣術』の真骨頂たる連続攻撃が全く通用していない。
 レオンにもそれがわかったのだろう、攻撃の手は休めず背後のゲイスに叫んだ。
 
「ゲイス! 援護しろ!」
 
 二人の見事な剣戟に呆然と見とれていたゲイスが慌てて『詠唱』を開始する。
 
「大地よ 鎖をもって 彼の者を 縛れ 【アースバインド】!」
 
 再び放たれる【アースバインド】。大地から飛び出した鎖が師範代君の身体を縛り上げた。だが、それでも師範代君に焦りは見えない。
 
「っ!」
 
 無音の気合を師範代君が吐き出すと同時に呆気なく千切れ飛ぶ鎖。やはりさっき見た光景に間違いはなかったようだ。
 だが、そのおかげでレオンは一瞬の間を得ていた。
 絶好の機会を得て、レオンが行った動作は腕を稼動限界まで引き絞ること。
 試合で師範代君を打ち倒した型、『ガーランド流剣術』八の型『スラッシュウェーブ』だ。
 レオンが習得している型で最大の攻撃。
 攻撃開始前に一瞬の溜めが必要というデメリットがあるが、その威力はデメリットを補って余りある程。
 一瞬で叩き込まれる無数の斬撃に防御は不可能とまで言われる型だ。
 余程自信があるのか、レオンの顔から焦りが消え笑みが戻った。
 
「これで終わりだ!」
 
 勝利を確信したレオンが叫び、振るわれた腕がぶれる。師範代君へと左右から波濤のように迫る無数の斬撃。
 私が噂に聞いていた『師範代』君の実力ならここで先日と同じ結果になっていただろう。
 だが、レオンが戦っている相手は恐るべき実力を秘めた男。
 これで終わるはずなどなかった。
 
 迫る攻撃に対し、師範代君に避ける素振りは全く無い。師範代君の瞳が大きく見開かれ、腕が霞む。驚くことに、あの【スラッシュウェーブ】を防ぎきるつもりらしい。凄まじい速度で師範代君の剣が飛び交い、レオンの攻撃を次々と撃ち落とす。
 空間に金属音の多重奏が響き渡った。
 
 そして、無数とも思えたレオンの攻撃が遂に最後の一撃を迎える。
 交差する剣と剣。
 
 
 
 
 直後には、ザンッという肉を断つ音と共に一本の腕が飛んだ。
 
「あああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
 
 失った腕を押さえ、悲鳴をあげるのはレオンだった。
 腕を押さえながら後ずさるレオンに対し、さらに一歩踏み込む師範代君。
 頭上には既に振り上げられた『ブロンズロングソード』。
 レオンが信じられないものを見たかのような顔でそれを見上げる。
 
「嘘だ……こんなの……」
 
 師範代君の腕がまたもぶれた。遅れて響く轟音。
 最低ランクの武器である『ブロンズロングソード』がレア装備であるはずのレオンの鎧を容易く粉砕し、レオンの身体を切り裂く。
 斬撃の衝撃で自身の血と共にレオンが吹き飛んだ。
 地面を転がり、やがて止まる。
 即死かと思われたが、驚くことにまだレオンは生きていた。
 
「……シ……ね……ん」
 
 僅かに口を震わせ何事か呟くのが聞こえる。
 だが、それが最期の力だったようでそれ以降動くことは無かった。


感想掲示板 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

SS-BBS SCRIPT for CONTRIBUTION --- Scratched by MAI
0.351333856583