2001年12月5日早朝。
日本帝国陸軍・京都仮設基地司令部で、帝国陸軍少将・小野崎順也は厳しい表情で壁に据付られた大画面を睨んでいた。
すでに防衛体制基準1が発令された司令部の照明は低く抑えられ、要員が互いの体をぶつけ合わんばかりに忙しく動き回っている。
小野崎の眉間には厳しい皺が深く刻みこまれ、内心の激情を代弁するように指先がこつこつと司令席の肘掛を叩いていた。
「富士教導団より入電! ワレラケッキニサンドウス! 我々にも協力を求めております」
通信手の一人が、途方にくれた表情で電文を読み上げた。
決起。平常どおりの朝を迎えた京都基地を混乱の坩堝へ突き飛ばしたのは、その二文字だった。
夜半に帝都・東京でクーデターが発生し、部隊が政府・軍の要所を占拠。
本来なら帝都をその種の暴挙から守るべき守備部隊がほとんど反乱に協力したのだから、ひとたまりもなかった。
すでに首相他多数の者達が虐殺され、帝都城も包囲されているという。
上級司令系統が麻痺したことを知らされた小野崎は、誰に頼ることもできない判断を要求されることとなった。
「返信。馬鹿野郎、だ」
小野崎は、白髪の増えてきた頭に載せた軍帽をひとゆすりすると、短く言った。
「は? し、しかし」
通信手は戸惑った顔つきをした。
富士教導団は、日本中からかき集めた凄腕将兵が集まっており、かつ装備は最新鋭のものを優先して宛がわれている。
規模こそ大きいが所詮は兵站基地に過ぎず、保有兵力が薄弱な京都基地では攻撃されたらひとたまりもない。
「馬鹿を馬鹿だと言って何が悪い! 決起だと!? ただの暴挙ではないか!」
司令室中に、小野崎の怒声が跳ね回る。
「現在の状況で、BETAが侵攻してきたらどうなる!? 日本は壊滅だ!」
ダメ押しのように小野崎が睨みつけると、通信手はあわてて席に戻って短い電文を発信しはじめた。
すぐに通信手から視線を外した小野崎は、参謀長を呼ぶ。
「西日本の各隊との連絡は取れたか?」
眼鏡をかけた参謀長は、顔を蒼白にしていた。
「はい、閣下。どの部隊も現状の守備体勢を維持する、と。しかし……互いに疑心暗鬼が生じております」
小野崎は舌打ちした。
もっとも政府に忠実でなければならないはずの帝都守備隊や、多くの部隊を教導した富士部隊まで決起とやらに参加したのだ。
どの部隊がいつ手のひらを返し、決起に賛同しない部隊を攻撃してくるかわかったものではない、と各隊長が疑っても不思議はない。
いや、ひとつの部隊内に決起側の賛同者がいて、何か不穏な工作をやらかす恐れさえある。
「この状況で鉄源や佐渡ヶ島の化け物どもがやってきた場合、各隊の連携不全で防衛線は……」
参謀長の声は途切れた。そこから先は言う必要はなかった。先ほど小野崎が言ったとおり、日本は壊滅する。
それも、部隊が孤立したままみすみすBETAの腹に収まる、という最悪のケースで。
佐渡島のBETAは11月の攻防戦で個体数を減らしている可能性が高いが、人類側のその種の観測が通じないのがBETAだ。
まして、大陸のハイヴの動きは予断を許さないというのに。
「司令官!」
怒りと危機感に顔を紅潮させる小野崎に、部下の一人が駆け寄ってきた。
主に行政機関などの軍組織外との折衝を担当する、調整官だ。
「大変です! クーデター勃発により、各地の難民キャンプに対する配給体制が機能不全を起こしています!」
殺気だった声に、小野崎は一瞬考えこんだ。そしてすぐに、顔色を参謀長のように真っ青にする。
決起騒動は、軍内だけの問題ではない。
政治、行政、司法といったあらゆる分野に波及してしまう。
配給が命綱の国内及び他国からの難民キャンプへの物資輸送が戦火を警戒して動かなくなれば、その被害は甚大となる。
現在の日本帝国に余力はなく、配給が計画通りにいっていてさえ餓死者や栄養失調による病者が続出しているのだ。
一日遅れただけで、全国でどれほどの犠牲がでるか。
何が憂国、だ。国民のことをいささかでも思えば、こんな馬鹿な真似などできるものか!
「すぐに基地の備蓄物資を各地に分配する準備に入れ! 責任は私が取る!」
咄嗟に小野崎は決断し、声を張り上げた。
軍需物資を勝手に難民に放出するのは、横領や権限逸脱と取られかねない行為だが。
今は、非常時だった。帝国軍の身内の馬鹿のせいで、餓死者など出してはそれこそ国民や外国になんと申し開きをするのか? というのが小野崎の意識だった。
しかし、参謀長は首を横に振った。
「閣下、現状その任務に当てられる部隊がありません」
参謀長の震える声に、小野崎は基地の実情を思い出した。
誰が決起賛同者かわかったものではない……それは、京都基地にも当てはまる。
少なくとも信頼できる憲兵隊による、各部隊隊員の『身体検査』が終わるまでは、うかつに動かすことさえできないのだ。
そして、食糧・医薬品・防寒具などを何千人分も運ぼうとすれば、大規模な輸送部隊がなければ到底無理だ。
「なんということだ……」
小野崎は、司令席に力なく背を預けた。
その視線の先で、要員達が情報を集め――集まった端から罵声を上げている。
「斯衛は何をやっているんだ!? 首相らをみすみす殺させ、国防省が落ちるのも見殺しにしたそうじゃないか!」
「連中は任務を盾に、帝都城にお篭りだとよ! 武士が聞いてあきれるぜ!」
「どうせ張子の虎の斯衛じゃ、帝都守備の精鋭には勝てんとはいえ……」
「それより海軍だ! なぜ連中は阻止に動かない? まさか――」
「他者を頼りにしたり憶測を飛ばすのはやめんか!
管轄下の弾薬庫を封印しろ、間違っても国士気取りの馬鹿どもに補給はさせるなよ!?」
部下達の声を聞きながら、小野崎はすがるような視線を大画面に表示された東アジア地図に向けた。
「たのむ、動かないでくれよ」
小野崎にできることは、今は仇敵であるBETAに祈ることだけだった。
最終的に、クーデターは数日で終結する。しかし、その間と後の混乱から国民や難民――特に普段から給養の悪いキャンプで多数の犠牲者が出た。
食糧の尽きたキャンプの者が、他のキャンプを襲うという事態まで発生し、その鎮圧に出た兵士の多くがノイローゼとなる。
心ある軍人や国民は、この事態を呼んだクーデターへの徹底処罰を期待したが。
政威大将軍・煌武院悠陽はじめとする政府首脳は、クーデター擁護ととれる発言と軽い処罰に終始した。
それでも、日本帝国の世界的価値から国際社会より厳しく指弾する声は少なかった。
皮肉にももっとも日本帝国を激しく非難したのは、国際社会からテロ組織として唾棄される「RLF(難民解放戦線)」であった。
そして時は流れ――
助けてくれ。
その衛士は心の中で祈る。
最初は、簡単な任務だった。
桜花作戦の成功に前後して、国連から開示されたBETAの詳細なデータと新型OS・XM3の技術。
それらが普及するにつれて、対BETA戦は楽――とはいかないまでも、かつての絶望的な苦戦が嘘のように困難ではなくなりつつあった。
現在の2004年10月までに、人類は朝鮮半島やシベリアを奪還し、欧州でも失地回復が本格化している。
そんな中、大東亜連合のある戦術機部隊に、テロ組織攻撃の命令が下った。
各地で苦しむ難民達の権利擁護運動が先鋭化したものと、宗教原理主義が結合したRLF(難民解放戦線)は、大東亜連合内でも幾度か看過できない事件を起こしていた。
彼らのバックには、アメリカやソ連・あるいは日本帝国や統一中華のような大国の諜報機関がついているともいわれ、その実行力は決して侮れたものではない。
が、それでもBETAを相手にするよりは、はるかに簡単な任務のはずだった。
一個大隊の戦術機と、それを支援する兵力による密林の中のちんけな軍事施設への攻撃は、途中までは確かに順調だった。
散発的な抵抗を、蟻を潰すように排除して後は歩兵が生き残ったテロリストを逮捕するだけ、となった段までは。
「く、くそぉ!」
黒い煙が、衛士の網膜投影画面の視界を悪くしている。
それらは撃破された味方の戦術機の残骸から立ち上るものだ。
大東亜連合が投入した機体は、F-18。バランスの取れた第二世代機であり、どこから調達したかしれないおんぼろF-4がせいぜいのテロリストにはもったいない戦力のはずだった。
「!?」
黒い煙の中、ほんの一瞬だけ別の色が混じる。赤だ。
F-18の照準システムが、『それ』を敵と判別してマーキングするが、衛士がロックオンするより早く視界から消えてしまう。
XM3に換装し、性能が向上したはずの機体がまったく動きについていけていない。
「な、なんなんだあいつは……!」
衛士はわめいた。
突如現れて、次々と味方のF-18や戦車を潰していった戦術機。機体搭載のコンピュータに該当データはない。
一瞬だけ捉えた外見は、第一世代のA-10から肩部の火器を取り外した姿に似ていなくもないが……大型の機体にもかかわらず、恐ろしく敏捷だった。
テロリストが、大東亜連合が把握していない新型を保有している。
36機を数えた大隊が、せいぜい4機程度の戦術機に手も足もでない。
いずれも、悪夢のような事態だった。
管制ユニットの対衝撃装置でも殺しきれないショックが、衛士の体を揺さぶった。
隣に位置していたF-18が撃破されたのだ。上半身に36ミリを食らい、手にしていた突撃砲が誘爆したそいつは、スローモーションのようにゆっくり大地に倒れ伏す。
いつの間にか、その衛士の乗るF-18以外全機が撃破されていた。
「た、退却を……」
衛士は、喉を恐怖で締め上げられながら、ようやく最良の判断をした。
F-18が樹液を多く含んだ木を足で潰しながら、後退を開始する。
しかし遅すぎた。
爆煙を割って、ぬっと赤い巨体が現れる。装甲は煤と埃に汚れているものの、ダメージを受けた気配はまったくない。
腰部横の大型跳躍ユニットだけではなく、背部にもスラスターを装備しているらしく、背面に放出される噴射剤がオーラのように吹き上がっている。
その頭部のカメラアイが不気味に閃き、殺戮の喜びを表しているようにも見えた。
悪魔。その単語が、衛士の脳裏に点滅した。
「ひっ!?」
衛士は狙いもろくにつけず、原始的な恐怖に突き動かされるままに機体に持たせた突撃砲を乱射するが。
その機体は、あわてた様子さえなく突撃砲をF-18に向ける。黒々とした砲口が真っ赤に染まるのが、衛士がこの世で見た最後の光景となった。
東南アジア某所。
大小の島嶼が複雑に入り組み、各国の主張する領有権が複雑に絡み合う海域のひとつの島に、巨大な戦術機が着陸した。
滑走路や整備施設を備えた、一端の軍施設だ。小型の対空ミサイルを備えた車両が、厳しい赤道付近の陽光の下で四方を巡回している。
「任務完了だ」
大東亜連合の部隊を一蹴した赤い戦術機の胸部ハッチが開き、中から一人の青年が姿を現した。
年齢は二十代前半ほど。通った眉目に黒髪黒目。戦術機に乗っているより、楽器でも弾いているほうが似合いそうな優男だった。
だが、彼が数時間前に何人もの兵士の命を奪った男であることに違いはなかった。
青年は、寄せられた整備車の梯子を身軽に伝って地面に降りる。
「ご苦労。さすがに仕事は完璧だな」
青年を出迎えた中年男は、アロハシャツにサングラス、という周囲のものものしさにそぐわないのんきな格好をしていた。
「……今更だが、いいのか? 今回は大東亜連合の正規部隊だったぞ?」
青年は、衛士強化装備に包まれた体をひとゆすりしてから、男が差し出した水筒を受け取る。
「何、最初に我々との協定を破ったのはあちらさ。お前さんが気にすることじゃない」
男は軽くいってのけると、赤い戦術機を見上げた。
その肩部――通常なら、国籍識別マークがついている箇所にペイントされているのは、有翼獅子を意匠化したシンボル。
傭兵部隊『グリフォン』の所属を示すものだ。
傭兵部隊がテロリストを援護し、正規軍を撃破した――普通ならとんでもないことだが、青年はそうかとうなずいただけだ。
契約こそが絶対の神。
相手が約束を守り、報酬を支払い続ける限り誠実であるのが、プロの傭兵というものだった。
「ところで、こいつの具合はどうだ?」
「良いな。これほどの機体は滅多にない」
二人はそろって機体を見上げた。
この機体は、もともとはアメリカ軍のさる企業が開発したものだ。
戦術機の進化では、少数の例外を除いて重装甲は忌避される傾向にある。
BETAの攻撃力に対して、人類側が用意できる装甲材質がついていけず、むしろ重量増による回避率低下のデメリットが大きいという戦訓が得られたからだ。
が、やはり同条件で攻撃を受けた場合、その少数例であるF-4やA-10のような装甲があったほうが何割かではあるが生存率が高いのも事実だ。
特にBETA打倒に必須であるハイヴ攻略戦においては、閉鎖空間であるがゆえにいかに高機動の機体でも被弾を無くすのは難しいと思われた。
ここで、重装甲と高機動双方を両立させる、という困難な試みに挑戦する設計者は少数だが確かにいた。
その成果の一つが、この『赤』だった。
A-10に匹敵する重装甲をまとった機体を動かすため、通常の跳躍装置に加えて肩部・腰部・そして背部に可動式スラスターを装備。
巨体でありながら、強力な複数の推力装置により準第三世代機並の高機動が可能となった。
しかし、この種の仕様は当然ながら機構の複雑化・コスト高・そして操縦の難しさを招き、性能の大幅向上を持ってしても、到底量産化に耐えられるようなモノではなくなってしまった。
アメリカ軍は、この機体を試作段階で早々に切った。
また、対人性能の低下も不採用理由に挙げられた。
BETAの脅威を前にしてさえ、各国そして一国内の各勢力が争いをやめないのは公然の秘密だ。戦術機も、程度の差こそあれ対人戦を考慮した設計が為されている。
大型化した機体は、対人戦において重要と考えられているステルス性において劣悪であり、この点もマイナスポイントだった。
結局、その開発企業は一機も採用を勝ち取ることができず、倒産。
外国系のある企業に買い取られることとなり、不要となった試作機は差し押さえられた。
歴史の影に消えた、時代を読み違えた戦術機。
だが、傭兵に回ってくる機体としては滅多にない掘り出し物だった。
ステルス性の劣位も、F-18相手ならほとんど関係がない。
「こいつは試作とまりとはいえ、アメリカの新鋭だろう? こんなものまで手に入れてまわしてくるとは、つくづく恐ろしいな、あんたら『財団』は」
青年は水筒に口をつけながら、つぶやいた。
「すべてはカネ次第さ。……と、休憩が終わったら当主様のところへ行ってくれ。次の仕事の話があるそうだ」
「次か。今度はワシントンでも落として来い、か?」
冗談めかす青年に、中年男はにっとした笑いを向けた。
「惜しいな。日本帝国をぶっ潰す相談だそうだ」
「…………」
青年は黙りこくった。
それを見て、中年男が笑いを深くした。
「どうした? 捨てた、とはいえ祖国に弓は引けないか? 五十川(いそがわ)志郎『元』帝国陸軍中尉?」
五十川、と呼ばれた青年はすぐに口元を緩めた。
「気が進まないのは確かだが。精神的慰謝料を報酬に加算してくれるのなら、やれなくもないな」
下手な冗談に、中年男は全身を揺らして笑った。
「ああ、そうだ。この機体の名前だが、好きにつけていいとよ」
「了解。じゃあ、考えておくか」
五十川は、同型機三機に乗っていた部下たちが無事に降りてくるのを確認してから、軽く手を上げてその場を離れる。
同時に、気を入れなおすように息を吐いた。
財団――傭兵部隊グリフォンのオーナーであり、大東亜連合さえ迂闊に手を出せない超国家資本。
その名を、奥山財団という。
名前からわかるとおり、日系財団だった。
それが日本帝国に何らかのアクションを傭兵を使って起こす。
ろくでもない話であるのは、間違いがなかった。