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[24030] マブラヴALアフター・帝国の炎
Name: 執事◆435a2cd8 ID:91c90832
Date: 2010/11/24 12:36
チラ裏より移動の品。

注意事項
・オリ主。
・オリキャラオリ兵器有。
・独自設定有。
・本編後主体。
・人死等の描写有。



[24030] 第壱話・萌芽
Name: 執事◆435a2cd8 ID:91c90832
Date: 2010/11/06 14:36
 2001年12月5日早朝。
 日本帝国陸軍・京都仮設基地司令部で、帝国陸軍少将・小野崎順也は厳しい表情で壁に据付られた大画面を睨んでいた。
 すでに防衛体制基準1が発令された司令部の照明は低く抑えられ、要員が互いの体をぶつけ合わんばかりに忙しく動き回っている。
 小野崎の眉間には厳しい皺が深く刻みこまれ、内心の激情を代弁するように指先がこつこつと司令席の肘掛を叩いていた。

「富士教導団より入電! ワレラケッキニサンドウス! 我々にも協力を求めております」

 通信手の一人が、途方にくれた表情で電文を読み上げた。
 決起。平常どおりの朝を迎えた京都基地を混乱の坩堝へ突き飛ばしたのは、その二文字だった。
 夜半に帝都・東京でクーデターが発生し、部隊が政府・軍の要所を占拠。
 本来なら帝都をその種の暴挙から守るべき守備部隊がほとんど反乱に協力したのだから、ひとたまりもなかった。
 すでに首相他多数の者達が虐殺され、帝都城も包囲されているという。
 上級司令系統が麻痺したことを知らされた小野崎は、誰に頼ることもできない判断を要求されることとなった。

「返信。馬鹿野郎、だ」

 小野崎は、白髪の増えてきた頭に載せた軍帽をひとゆすりすると、短く言った。

「は? し、しかし」

 通信手は戸惑った顔つきをした。
 富士教導団は、日本中からかき集めた凄腕将兵が集まっており、かつ装備は最新鋭のものを優先して宛がわれている。
 規模こそ大きいが所詮は兵站基地に過ぎず、保有兵力が薄弱な京都基地では攻撃されたらひとたまりもない。

「馬鹿を馬鹿だと言って何が悪い! 決起だと!? ただの暴挙ではないか!」

 司令室中に、小野崎の怒声が跳ね回る。

「現在の状況で、BETAが侵攻してきたらどうなる!? 日本は壊滅だ!」

 ダメ押しのように小野崎が睨みつけると、通信手はあわてて席に戻って短い電文を発信しはじめた。
 すぐに通信手から視線を外した小野崎は、参謀長を呼ぶ。

「西日本の各隊との連絡は取れたか?」

 眼鏡をかけた参謀長は、顔を蒼白にしていた。

「はい、閣下。どの部隊も現状の守備体勢を維持する、と。しかし……互いに疑心暗鬼が生じております」

 小野崎は舌打ちした。
 もっとも政府に忠実でなければならないはずの帝都守備隊や、多くの部隊を教導した富士部隊まで決起とやらに参加したのだ。
 どの部隊がいつ手のひらを返し、決起に賛同しない部隊を攻撃してくるかわかったものではない、と各隊長が疑っても不思議はない。
 いや、ひとつの部隊内に決起側の賛同者がいて、何か不穏な工作をやらかす恐れさえある。

「この状況で鉄源や佐渡ヶ島の化け物どもがやってきた場合、各隊の連携不全で防衛線は……」

 参謀長の声は途切れた。そこから先は言う必要はなかった。先ほど小野崎が言ったとおり、日本は壊滅する。
 それも、部隊が孤立したままみすみすBETAの腹に収まる、という最悪のケースで。
 佐渡島のBETAは11月の攻防戦で個体数を減らしている可能性が高いが、人類側のその種の観測が通じないのがBETAだ。
 まして、大陸のハイヴの動きは予断を許さないというのに。

「司令官!」

 怒りと危機感に顔を紅潮させる小野崎に、部下の一人が駆け寄ってきた。
 主に行政機関などの軍組織外との折衝を担当する、調整官だ。

「大変です! クーデター勃発により、各地の難民キャンプに対する配給体制が機能不全を起こしています!」

 殺気だった声に、小野崎は一瞬考えこんだ。そしてすぐに、顔色を参謀長のように真っ青にする。

 決起騒動は、軍内だけの問題ではない。
 政治、行政、司法といったあらゆる分野に波及してしまう。
 配給が命綱の国内及び他国からの難民キャンプへの物資輸送が戦火を警戒して動かなくなれば、その被害は甚大となる。
 現在の日本帝国に余力はなく、配給が計画通りにいっていてさえ餓死者や栄養失調による病者が続出しているのだ。
 一日遅れただけで、全国でどれほどの犠牲がでるか。
 何が憂国、だ。国民のことをいささかでも思えば、こんな馬鹿な真似などできるものか!

「すぐに基地の備蓄物資を各地に分配する準備に入れ! 責任は私が取る!」

 咄嗟に小野崎は決断し、声を張り上げた。
 軍需物資を勝手に難民に放出するのは、横領や権限逸脱と取られかねない行為だが。
 今は、非常時だった。帝国軍の身内の馬鹿のせいで、餓死者など出してはそれこそ国民や外国になんと申し開きをするのか? というのが小野崎の意識だった。
 しかし、参謀長は首を横に振った。

「閣下、現状その任務に当てられる部隊がありません」

 参謀長の震える声に、小野崎は基地の実情を思い出した。
 誰が決起賛同者かわかったものではない……それは、京都基地にも当てはまる。
 少なくとも信頼できる憲兵隊による、各部隊隊員の『身体検査』が終わるまでは、うかつに動かすことさえできないのだ。
 そして、食糧・医薬品・防寒具などを何千人分も運ぼうとすれば、大規模な輸送部隊がなければ到底無理だ。

「なんということだ……」

 小野崎は、司令席に力なく背を預けた。
 その視線の先で、要員達が情報を集め――集まった端から罵声を上げている。

「斯衛は何をやっているんだ!? 首相らをみすみす殺させ、国防省が落ちるのも見殺しにしたそうじゃないか!」

「連中は任務を盾に、帝都城にお篭りだとよ! 武士が聞いてあきれるぜ!」

「どうせ張子の虎の斯衛じゃ、帝都守備の精鋭には勝てんとはいえ……」

「それより海軍だ! なぜ連中は阻止に動かない? まさか――」

「他者を頼りにしたり憶測を飛ばすのはやめんか!
管轄下の弾薬庫を封印しろ、間違っても国士気取りの馬鹿どもに補給はさせるなよ!?」

 部下達の声を聞きながら、小野崎はすがるような視線を大画面に表示された東アジア地図に向けた。

「たのむ、動かないでくれよ」

 小野崎にできることは、今は仇敵であるBETAに祈ることだけだった。

 最終的に、クーデターは数日で終結する。しかし、その間と後の混乱から国民や難民――特に普段から給養の悪いキャンプで多数の犠牲者が出た。
 食糧の尽きたキャンプの者が、他のキャンプを襲うという事態まで発生し、その鎮圧に出た兵士の多くがノイローゼとなる。
 心ある軍人や国民は、この事態を呼んだクーデターへの徹底処罰を期待したが。
 政威大将軍・煌武院悠陽はじめとする政府首脳は、クーデター擁護ととれる発言と軽い処罰に終始した。
 それでも、日本帝国の世界的価値から国際社会より厳しく指弾する声は少なかった。
 皮肉にももっとも日本帝国を激しく非難したのは、国際社会からテロ組織として唾棄される「RLF(難民解放戦線)」であった。

 そして時は流れ――





 助けてくれ。
 その衛士は心の中で祈る。

 最初は、簡単な任務だった。
 桜花作戦の成功に前後して、国連から開示されたBETAの詳細なデータと新型OS・XM3の技術。
 それらが普及するにつれて、対BETA戦は楽――とはいかないまでも、かつての絶望的な苦戦が嘘のように困難ではなくなりつつあった。
 現在の2004年10月までに、人類は朝鮮半島やシベリアを奪還し、欧州でも失地回復が本格化している。
 そんな中、大東亜連合のある戦術機部隊に、テロ組織攻撃の命令が下った。
 各地で苦しむ難民達の権利擁護運動が先鋭化したものと、宗教原理主義が結合したRLF(難民解放戦線)は、大東亜連合内でも幾度か看過できない事件を起こしていた。
 彼らのバックには、アメリカやソ連・あるいは日本帝国や統一中華のような大国の諜報機関がついているともいわれ、その実行力は決して侮れたものではない。
 が、それでもBETAを相手にするよりは、はるかに簡単な任務のはずだった。
 一個大隊の戦術機と、それを支援する兵力による密林の中のちんけな軍事施設への攻撃は、途中までは確かに順調だった。
 散発的な抵抗を、蟻を潰すように排除して後は歩兵が生き残ったテロリストを逮捕するだけ、となった段までは。

「く、くそぉ!」

 黒い煙が、衛士の網膜投影画面の視界を悪くしている。
 それらは撃破された味方の戦術機の残骸から立ち上るものだ。
 大東亜連合が投入した機体は、F-18。バランスの取れた第二世代機であり、どこから調達したかしれないおんぼろF-4がせいぜいのテロリストにはもったいない戦力のはずだった。

「!?」

 黒い煙の中、ほんの一瞬だけ別の色が混じる。赤だ。
 F-18の照準システムが、『それ』を敵と判別してマーキングするが、衛士がロックオンするより早く視界から消えてしまう。
 XM3に換装し、性能が向上したはずの機体がまったく動きについていけていない。

「な、なんなんだあいつは……!」

 衛士はわめいた。
 突如現れて、次々と味方のF-18や戦車を潰していった戦術機。機体搭載のコンピュータに該当データはない。
 一瞬だけ捉えた外見は、第一世代のA-10から肩部の火器を取り外した姿に似ていなくもないが……大型の機体にもかかわらず、恐ろしく敏捷だった。

 テロリストが、大東亜連合が把握していない新型を保有している。
 36機を数えた大隊が、せいぜい4機程度の戦術機に手も足もでない。
 いずれも、悪夢のような事態だった。

 管制ユニットの対衝撃装置でも殺しきれないショックが、衛士の体を揺さぶった。
 隣に位置していたF-18が撃破されたのだ。上半身に36ミリを食らい、手にしていた突撃砲が誘爆したそいつは、スローモーションのようにゆっくり大地に倒れ伏す。
 いつの間にか、その衛士の乗るF-18以外全機が撃破されていた。

「た、退却を……」

 衛士は、喉を恐怖で締め上げられながら、ようやく最良の判断をした。
 F-18が樹液を多く含んだ木を足で潰しながら、後退を開始する。
 しかし遅すぎた。
 爆煙を割って、ぬっと赤い巨体が現れる。装甲は煤と埃に汚れているものの、ダメージを受けた気配はまったくない。
 腰部横の大型跳躍ユニットだけではなく、背部にもスラスターを装備しているらしく、背面に放出される噴射剤がオーラのように吹き上がっている。
 その頭部のカメラアイが不気味に閃き、殺戮の喜びを表しているようにも見えた。
 悪魔。その単語が、衛士の脳裏に点滅した。

「ひっ!?」

 衛士は狙いもろくにつけず、原始的な恐怖に突き動かされるままに機体に持たせた突撃砲を乱射するが。
 その機体は、あわてた様子さえなく突撃砲をF-18に向ける。黒々とした砲口が真っ赤に染まるのが、衛士がこの世で見た最後の光景となった。




 東南アジア某所。
 大小の島嶼が複雑に入り組み、各国の主張する領有権が複雑に絡み合う海域のひとつの島に、巨大な戦術機が着陸した。
 滑走路や整備施設を備えた、一端の軍施設だ。小型の対空ミサイルを備えた車両が、厳しい赤道付近の陽光の下で四方を巡回している。

「任務完了だ」

 大東亜連合の部隊を一蹴した赤い戦術機の胸部ハッチが開き、中から一人の青年が姿を現した。
 年齢は二十代前半ほど。通った眉目に黒髪黒目。戦術機に乗っているより、楽器でも弾いているほうが似合いそうな優男だった。
 だが、彼が数時間前に何人もの兵士の命を奪った男であることに違いはなかった。
 青年は、寄せられた整備車の梯子を身軽に伝って地面に降りる。

「ご苦労。さすがに仕事は完璧だな」

 青年を出迎えた中年男は、アロハシャツにサングラス、という周囲のものものしさにそぐわないのんきな格好をしていた。

「……今更だが、いいのか? 今回は大東亜連合の正規部隊だったぞ?」

 青年は、衛士強化装備に包まれた体をひとゆすりしてから、男が差し出した水筒を受け取る。

「何、最初に我々との協定を破ったのはあちらさ。お前さんが気にすることじゃない」

 男は軽くいってのけると、赤い戦術機を見上げた。
 その肩部――通常なら、国籍識別マークがついている箇所にペイントされているのは、有翼獅子を意匠化したシンボル。
 傭兵部隊『グリフォン』の所属を示すものだ。

 傭兵部隊がテロリストを援護し、正規軍を撃破した――普通ならとんでもないことだが、青年はそうかとうなずいただけだ。
 契約こそが絶対の神。
 相手が約束を守り、報酬を支払い続ける限り誠実であるのが、プロの傭兵というものだった。

「ところで、こいつの具合はどうだ?」

「良いな。これほどの機体は滅多にない」

 二人はそろって機体を見上げた。

 この機体は、もともとはアメリカ軍のさる企業が開発したものだ。

 戦術機の進化では、少数の例外を除いて重装甲は忌避される傾向にある。
 BETAの攻撃力に対して、人類側が用意できる装甲材質がついていけず、むしろ重量増による回避率低下のデメリットが大きいという戦訓が得られたからだ。
 が、やはり同条件で攻撃を受けた場合、その少数例であるF-4やA-10のような装甲があったほうが何割かではあるが生存率が高いのも事実だ。
 特にBETA打倒に必須であるハイヴ攻略戦においては、閉鎖空間であるがゆえにいかに高機動の機体でも被弾を無くすのは難しいと思われた。
 ここで、重装甲と高機動双方を両立させる、という困難な試みに挑戦する設計者は少数だが確かにいた。
 その成果の一つが、この『赤』だった。
 A-10に匹敵する重装甲をまとった機体を動かすため、通常の跳躍装置に加えて肩部・腰部・そして背部に可動式スラスターを装備。
 巨体でありながら、強力な複数の推力装置により準第三世代機並の高機動が可能となった。
 しかし、この種の仕様は当然ながら機構の複雑化・コスト高・そして操縦の難しさを招き、性能の大幅向上を持ってしても、到底量産化に耐えられるようなモノではなくなってしまった。
 アメリカ軍は、この機体を試作段階で早々に切った。
 また、対人性能の低下も不採用理由に挙げられた。
 BETAの脅威を前にしてさえ、各国そして一国内の各勢力が争いをやめないのは公然の秘密だ。戦術機も、程度の差こそあれ対人戦を考慮した設計が為されている。
 大型化した機体は、対人戦において重要と考えられているステルス性において劣悪であり、この点もマイナスポイントだった。
 結局、その開発企業は一機も採用を勝ち取ることができず、倒産。
 外国系のある企業に買い取られることとなり、不要となった試作機は差し押さえられた。

 歴史の影に消えた、時代を読み違えた戦術機。
 だが、傭兵に回ってくる機体としては滅多にない掘り出し物だった。
 ステルス性の劣位も、F-18相手ならほとんど関係がない。

「こいつは試作とまりとはいえ、アメリカの新鋭だろう? こんなものまで手に入れてまわしてくるとは、つくづく恐ろしいな、あんたら『財団』は」

 青年は水筒に口をつけながら、つぶやいた。

「すべてはカネ次第さ。……と、休憩が終わったら当主様のところへ行ってくれ。次の仕事の話があるそうだ」

「次か。今度はワシントンでも落として来い、か?」

 冗談めかす青年に、中年男はにっとした笑いを向けた。

「惜しいな。日本帝国をぶっ潰す相談だそうだ」

「…………」

 青年は黙りこくった。
 それを見て、中年男が笑いを深くした。

「どうした? 捨てた、とはいえ祖国に弓は引けないか? 五十川(いそがわ)志郎『元』帝国陸軍中尉?」

 五十川、と呼ばれた青年はすぐに口元を緩めた。

「気が進まないのは確かだが。精神的慰謝料を報酬に加算してくれるのなら、やれなくもないな」

 下手な冗談に、中年男は全身を揺らして笑った。

「ああ、そうだ。この機体の名前だが、好きにつけていいとよ」

「了解。じゃあ、考えておくか」

 五十川は、同型機三機に乗っていた部下たちが無事に降りてくるのを確認してから、軽く手を上げてその場を離れる。
 同時に、気を入れなおすように息を吐いた。
 財団――傭兵部隊グリフォンのオーナーであり、大東亜連合さえ迂闊に手を出せない超国家資本。
 その名を、奥山財団という。
 名前からわかるとおり、日系財団だった。
 それが日本帝国に何らかのアクションを傭兵を使って起こす。
 ろくでもない話であるのは、間違いがなかった。



[24030] 第弐話・発起
Name: 執事◆435a2cd8 ID:91c90832
Date: 2010/11/06 11:56
 奥山財団のルーツは、幕末まで遡る。
 当時、遅れた幕藩体制を改革し日本を救おうという志士達が、お尋ね物になりながらも奔走していた。
 中には時流に乗ったやくざのような手合いもいたが、多くの純真な若者がその命を国事にささげたのだ。
 だが、蓋を開けてみれば外国への対抗という名目で有力大名家が連合し、その支配体制は近代国家へ横滑りした。
 もともと各藩の不遇な下級武士や、上級武士からは人間扱いさえされなかった地下人出身が多かった志士は、新時代の武家階級に繰り入れられず用済みとばかりに放り出された。
 その中に奥山幸之進という、商人あがりの志士がいた。
 彼の偉いところは、日本が自分達の気に入らない体制になったからといって武力蜂起や陰謀を考えなかったところだ。
 すっぱりと過去を切り捨てると、海を渡った。
 そして法律や人種・習慣の壁に翻弄されながらも、最終的には海運業で成功して財を成した。
 奥山財団は、世襲身分制度を維持した祖国とは違い、出自や身分に拘らず能力とやる気さえあればどこの何人だろうが受け入れた。
 その裏返しで、どれだけエリートでも役に立たない、となれば冷酷に放りだした。初代・幸之進自身が無能な息子を勘当し、それを示したことさえあった。

 大東亜戦争当時、進撃してきた日本帝国に協力を要請されたが、当時の財団は「日本の国力から考えて、無謀な試み」と拒絶。
 逆に抗日勢力をひそかに匿う真似までした。
 戦後、その匿った者達が東南アジアに誕生した独立国家の幹部となり、財団の地位は不動のものとなった。
 表向きは各国の領土内にある財団にすぎないが、実際には治外法権を認められたに等しい力を持ち、BETA大戦で政情が不安化してからは独自の武力さえ公然と保有した。
 それが、傭兵部隊だ。
 そのひとつ・グリフォンが難民解放戦線を支援したように、国際政治の闇にさえ深く関わっている。
 世界各国の戦時国債を大量に保有し、当主の意向次第では即日で小国の経済ぐらいは簡単に破滅させられるほどの力を持つ。

 ユダヤ・華僑と並ぶ国際資本だった。

 そんな雇い主についての知識を今更に思い出しながら、五十川は絨毯が敷き詰められた廊下を歩いていた。
 超一流ホテルを買い取り、財団の本部に改修した施設だった。
 もし、どこかの国が財団を物理的に攻撃する気配を見せても、一時間で主要人員と資料を他国へと撤収できる用意が常に整っている。
 いざとなれば、別の国に本拠を移せばいい。それが財団の柔軟さであり、軍事的報復は無意味に近い。
 行きかう財団の人々には、頭にターバンを巻いたインド人がいて、髭を伸ばしたイスラム教徒がいる。きっちりとしたスーツを着込んだ白人もいた。
 その中で、地味な軍服姿の五十川は明らかに浮いていたが、誰も不躾な視線は向けてこない。皆、不要な不快感を相手に与えないよう教育されているのだ。
 曲がり角に足を踏み入れた時、五十川はふと足元に妙な感触を感じた。
 五十川の靴先に、茶色い毛玉のような物体が擦り寄っている。それは「みー」という気の抜けるような声を出していた。
 猫だ。
 まだ子猫といっていい程度の体躯だが、丸々と太っており栄養過多にも見える。
 五十川がしゃがみこみ、手を差し出すと猫のざらついた舌が指先を舐めた。

「またお前か」

 つぶらな瞳で見上げられた五十川の顔がほころぶ。
 BETAに地球が攻撃を受けるこの時代、ペットを飼うというのは実は大変贅沢なことだ。
 まず人間自身が生きるのが精一杯で、国連が少ない予算をやりくりして保護した動物以外は多くの大地から姿を消している。
 ……同じ人間を何人も殺した直後の手で、小さな命の温もりを感じる。その落差に、五十川の口元に皮肉っぽい笑みが浮かんだ。

「よっと。お前のご主人様はどこだ?」

 もこもことした手触りの猫を抱き上げながら、五十川は視線を左右に振った。
 ほどなく、一人の少女と目があった。

「あ、五十川のお兄様」

 廊下の向こうから駆け寄ってくるのは、ベージュ色のワンピースを着たまだ十代半ばぐらいの少女だった。
 白磁のような、というのも愚かな白い肌と色素の薄いやはり白すぎる髪の毛がまず目を引く。

「ほれ」

 五十川は、彼女に猫を渡す。

「お帰りになられていたのですね?」

「ああ、だがすぐ次の仕事があるみたいだがな」

 五十川が言うと、彼女はしゅんとした表情になった。
 主の感情に呼応したように、腕の中の猫が悲しげに鳴く。

 ――参ったな

 五十川は、少女から視線を外した。
 彼女の名は、イリーナ。
 傭兵としての五十川の初仕事で出会った相手だ。
 その仕事とは、ソ連からの亡命者の一団を保護すること。その過程でソ連秘密警察と交戦さえした。
 彼女は、ソ連が行っていた人体実験の被験者の一人だったという。
 オルタネイティヴ3、という名で知られる国連の秘密計画は、人工超能力でBETAとコミュニケーションを図ろうというとんでもない計画だった。
 これは、二つの側面を含んでいた。
 ひとつは、この世界には超能力というものが実在すると証明されたということ。
 もうひとつは、国連やその構成国が人の命を作り上げいじる人体実験にゴーサインを出したということだ。
 各国は、人体実験を行い倫理に泥を投げつけることに、たいした痛痒を感じなくなっていった。
 オルタネイティヴ3が失敗した後も、ソ連は強力な兵士を生み出す実験を続けたし、アメリカも人間を完全に操る催眠操作を実用化して工作に用いた、という。
 彼女は、そんな狂った所業に耐えられなくなったソ連の科学者達によって連れ出された一人だった。

 本部に来ることも稀な五十川だが、なぜか彼女とその飼い猫に懐かれている。
 財団といえど、さすがに超大国ソ連を相手にするのは危険な話だと予想できる。そこまでして彼女らを保護する理由と合わせて、実に不可解だった。

「……また、後でな」

 居心地の悪さを感じた五十川は、イリーナの肩を軽く叩くとその横をすり抜けた。背中に視線を感じたが、振り返らなかった。





「難民解放戦線が、日本帝国を攻撃するのか?」

 当主の居室に招かれた五十川は、体重を完全に受け止める豪奢なソファーに身を預けながら渡された資料に目を通した。
 対面する位置で、黒人の壮年男性……現財団当主・マルコーが重々しくうなずく。
 マルコーは、プロレスラーと見まごうがっしりした体格の持ち主で身に着けたスーツがまったく似合っていない。
 人当たりは良く、立場的には目下の五十川にも『肩が凝るから、他人の目がないところでは対等の口の利き方をしてくれ』というような男だ。
 が、実力主義の財団の頂点を極めた人物には違いなく、その知性と冷酷さを五十川はよく知っていた。

「ああ、それもアラスカを越える規模で仕掛けるそうだ」

 2001年に行われた、アラスカの国連軍・ユーコン基地への難民解放戦線によるテロは、情報統制を食い破って当時の国際社会を震撼させたものだった。
 その裏側には、大国間の駆け引きが見え隠れしていればなおさらだった。

「理由は?」

「直接的には、帝国の難民政策への抗議と、12・5クーデターの際に戦乱に巻き込まれて死んだ難民達の被害への報復」

 クーデター、と聞いて五十川は資料から顔を上げた。
 事件当時、五十川はまだ日本にいたから他人事ではなかった。

「それはまた……で、本音は?」

 難民解放戦線には、刹那的な『難民をないがしろにする国家・国際社会』への一時的攻撃のために自爆テロすらやりかねない者達は多い。
 しかし、指導部がそんな夢想者ばかりで組織が立ち行くわけもない。
 また、財団がそれを支援するのならどう考えても裏がある。

「解放戦線のスポンサーの相当数が、帝国弱体化を望んでいる。オルタネイティヴ4の成功と、その後の海外出兵で影響力を高める日本帝国が邪魔なのさ」

 スポンサー……おそらく戦力不足を補うために帝国の力を借りながらも、奪還後の領土や利権を奪われはしないかと汲々としているソ連や大東亜連合あたりか。
 五十川はそう目星をつけた。

「もっとも、難民解放戦線自体がかなり本気だ。そろそろ、飼われる立場と決別したいらしい」

 解放戦線とて、各国の情報機関の底意は理解している。いつまでもコントロールされるテロ屋扱いではいたくないのだろう。
 ちょうどアメリカのCIAが支援した組織が、やがてアメリカに牙を剥いた事例があるように。

「財団のメリットは?」

「メリット、というより報復だな。日本帝国が、一方的に戦時国債償還の延期を通告してきた」

「それは……」

 五十川は思わず目を見開いた。マルコーは苦笑している。

「酷い話じゃないか? 帝国が消えるかもしれない時に、リスクを犯して財政を買い支えてやった恩を忘れて『返済は先延ばしだ』とはな」

「帝国の財政はそこまで酷いのか?」

「火の車なのは確かだな。BETAの脅威が遠ざかったはいいが、代わりに海外出兵だ」

「……」

 日本帝国からすれば、悩ましい話だろう。
 佐渡ヶ島ハイヴが消滅し、BETAの脅威全般が低下しつつあるとはいえ、朝鮮やシベリアあたりのハイヴは潰しておきたい。
 だが、海外展開には当然ながらカネがかかる。一個師団の戦術機甲部隊とその必要物資を輸送するだけで、何十隻もの輸送船を動かさなければならないのだ。

「この時期の新型採用は、完全に勇み足だったな」

 マルコーは切って捨てた。
 04式戦術機・不知火弐型を日本帝国は今年採用した。
 この機体は、原型こそ国産機だが実質的にはアメリカで再設計してもらった機体であり、パーツの多くにライセンス生産料がかかる。
 それでなくても、新型機を軍で使うには生産から訓練まで莫大な費用を要するのだ。
 しかも、いまだ失地回復もままならない外国から見れば、大きくパワーバランスを崩す行為でもある。
 かつて日本帝国軍に支配されあるいは占領された経験のある近隣諸国は、戦々恐々だろう。

「まともな人材がもういないんだな」

 五十川はほろ苦く呟いた。
 12・5事件で世界を相手に外交を切り回して来た有為の人材が失われた。
 その上、軍隊による違法武力行使にたいした処罰が与えられなかった結果、軍人に逆らったら何をされるかと多くの文民が萎縮してしまった。
 財団に対する通告も新型採用も、根回しややり方というものがあったはずだが、経済や国際社会の敏感さを知る首脳がほとんどいないのだろう。

「だが、それを選んだのは日本人自身だ。
時代遅れの独裁色の強い制度に回帰したのも、身の程をわきまえずに軍縮や海外展開切り上げを決断しなかったのも」

 マルコーの言い草に、五十川の血の中の『日本』がわずかに不快感を訴える。
 が、すぐに吐息とともにそれを追い出した。マルコーの黒い目は、じっと五十川を見ている。
 祖国相手に感情を取り乱さす、仕事ができるかどうか試しているのだ。

「――で、具体的にどこまで解放戦線に付き合えばいい?」

 五十川は強いて実務的な話を振った。
 日本帝国を文字通り潰すまで……あるいは自分達が全滅するまで戦えというのか。
 それとも切り上げるラインが設定されているのかどうか。

「財団の要求は、債務の履行だ。
それを保証してくれるのなら、難民連中が日本をとろうがあるいは介入してくるであろう国連や外国が主導権を握ろうがかまわんさ」

 すでに用意してあったらしい書類が、マルコーの太い指で押し出された。
 五十川がそれに目を通すと、解放戦線と傭兵部隊の攻撃手順とその裏側で行われる日本政府や各国との交渉スケジュールがびっしりと書かれていた。
 帝国軍の精鋭は、多くが海外展開中。
 その上、現状に不満を持つ日本国内の諸勢力にも工作の手が伸びている。
 財団の傭兵部隊は、あくまでも難民解放戦線に雇われたに過ぎないことを偽装する――見え透いた工作だが、相手に理解してもらわねば脅しの意味がない。

「いざとなったら、解放戦線を売って帝国軍に協力するオプションもあり、か」

「決行までに帝国政府がはらうものを払えばそうなるな」

「日本を叩き過ぎては、支払い能力自体がぶっとぶんじゃないか?」

「その時は、海外移転した産業利権をいただくまでだ」

 こいつは厄介かつ大仕事になりそうだ。五十川は腹に力を入れなおすと、顔を上げた。
 これから、傭兵にとってもっとも大事なこと――報酬についての闘争が始まるのだ。
 が、それを制するようにマルコーがじっと五十川の目を見つめてきた。

「本当にやれるか?」

 切り込むような言葉に、五十川は苦笑交じりにうなずいた。

「俺は帝国から国連軍に差し出された人体実験被験者だった男だぞ? 祖国に未練はない。金さえもらえば、皇帝や将軍だってやってやるさ」

 オルタネイティヴ4直属・第1戦術戦闘攻撃部隊――通称、A-01。かつてそこに所属していた男は、朝食のメニューをオーダーするように言ってのけた。



[24030] 第参話・伏流
Name: 執事◆435a2cd8 ID:91c90832
Date: 2010/11/09 21:39
 五十川は、座席から伝わってくるエンジンのかすかな振動に身を委ねていた。
 右手の窓の外では、低く垂れ込めた白い雲が後ろへ流れていく。
 中型旅客機の中だった。
 BETAの勢力圏が後退したことで、東アジア上空のレーザー照射危険区域指定も解除され空路が一部復活しているのだ。
 紺色のスーツをまとい、ビジネスマンになり切った五十川は眼下にきらめく海に目を細める。
 10月の波は、冬の気配をはらんでやや荒れ模様だ。

「お兄様、お船がいっぱいです」

 通路側の座席から、はしゃいだ声が上がった。白いセーターにスカート姿のイリーナだった。
 その膝に、ペット用のバスケットを大事そうに抱えている。
 どういわけか、今回の任務に彼女を同道することを財団から求められた。
 彼女の言うとおり、日本近海にはひっきりなしに船舶が行き来している。海面のあちこちに航跡が描き出されていた。
 復興景気で輸出入が盛んなのだ。

「ああ、そうだな」

 五十川は短く答えた。今から、自分はその光景を壊しにいく。
 景気回復による余力を、ひたすら軍備につぎ込む帝国政府の方針が変わらない限り、決行は確定的だ。

「隊長」

 背後の座席から、低い女の声の呼びかけ。
 五十川は振り返りもせず、

「隊長と呼ぶな」

 と、返した。この旅客機の要員乗員はすべて財団の息のかかった人間だが、用心に越したことはない。

「失礼しました、係長」

 律儀な返答とともに、後ろから細い指が窓に突き出された。その先に、かすかに軍事基地らしいものが見えた。

「横浜基地、か」

 五十川は、双眼鏡を取り出すとそちらを見つめた。
 2001年の攻防戦で、壊滅的打撃を受けた国連軍基地。
 そして、2002年の桜花作戦において大きな役割を果たした特殊部隊の策源地となった基地。
 五十川にとっては、かつての所属先。

「復旧はあまり進んでいないようだな」

 様々な思いを押し殺しながら、五十川は呟いた。
 双眼鏡の向こうに見える横浜基地は、いまだに外見すら完全に戻ってはいない。国連秘密計画成功により、その役割を終えた基地とされたのか。

「事前調査通りなら、定数も回復していないようです」

 背後の女性が言った。戦術機の定数のことだ。
 横浜基地の国連軍は、最盛期には300機近い戦術機を擁していた。それは、苛烈な戦いで壊滅。
 現在は、戦力水準を戻すどころか出向していた日本人が帝国軍に復帰・移籍しているという。
 在日国連軍は、その使命を終えつつあるのだ。

「さて、どう動く?」

 先の12・5事件の折には国連が迅速に安保理決議を行ったため、国連軍は出撃しクーデター部隊と少なからぬ戦闘を交えた。
 今回の五十川らの行動にも、同様の対処をする可能性は多いにあった。
 五十川の脳裏を、ちらりとかつての同僚達の面影が掠めた。



 成田空港に着陸した旅客機。そこから降りた五十川らを出迎えたのは、黒いリムジンだった。
 五十川とイリーナ、それに部下達と随員は当然のようにそれに乗り込み、帝都の中心部に近い位置にある屋敷に向かった。
 イリーナ達に適当に休んでいるように伝えると、五十川は身だしなみを整えて屋敷の主が待つ和室に入った。

「ご協力感謝いたします、閣下」

 五十川は、上座に腰掛けるしなびた老人に一礼してから腰を下ろし、財団当主の親書を差し出した。
 老人は鷹揚にうなずきながら、渋柿色の和服に包まれた細い手で受け取る。
 老眼鏡をかけて手紙を開く老人を眺めながら、五十川は出発前に仕入れた知識を思い起こした。

 この老人は小河昌之という。榊内閣で情報大臣を務めた人物だ。
 例のクーデターで殺されかけ、九死に一生を得たが体が不自由になり引退。
 かつては日本帝国の情報部門を統括し、財団とも少なからぬ攻防を交わした人物だが、現在は違った。

「……感謝するぞ、これで積年の恨みをはらすことができる」

 読み終えると、老人は手紙を五十川に返した。
 そして、近くにおいてあった文箱から、テープレコーダーを取り出した。

「これが、記録だ」

「失礼」

 五十川はレコーダーを取り上げると、再生スイッチを押した。
 ほどなく、複数の男の音声が流れ出す。かなり緊迫した気配だ。

――なぜ撃った! 帝都城には決して手を出してはならんと厳命されていたはずだ!
――さてはこやつ、米国の狗だなっ!?

――米帝の狗? それは貴様らだろうが

――何をっ! 我等は国を憂い起った義士であるぞっ!

――そう誰かにおだてられ、言われるままに殺したんだろう? 同胞を、丸腰の者達を

――!?

――教えてやるよ。貴様らのご大層に掲げるお題目はな、すべてアメリカが頭の悪い自称愛国者を暴発させるために流したものだ

――で、出鱈目をいうな!

――ああ、悲劇だなぁ、烈士様方? 耳ざわりの良い言葉に操られるままにアメリカの手先となり、軍事介入の口実を作った無自覚な真の売国奴!
――だが安心しろ、その愚行もこの一手でくつがえる

――な、何を言って……

――ついでに教えてやる。俺はお前らが想像するようなアメリカの狗じゃない……帝国の情報しょ

 銃声一発。揶揄を続けていた男の声が、冗談のように簡単に断ち切られた。

――この男は、『アメリカ』情報機関の手先だと尋問で判明した。沙霧大尉にそう報告する

 代わって氷のような言葉が流れ出る。

――義挙、決起を汚すような妄言は我等を欺き混乱させるための偽情報である。今後一切、口にすることまかりならん

 そこで、レコーダーの音声は途切れた。

「これが、帝国情報省が押収したクーデター軍の記録なんですね?」

 渋面を刻む老人に、五十川は念押しをした。

「そうじゃ。そしてこれが、事件時の詳細な時系列」

 老人は、さらに一枚のプリントアウトされた紙を取り出す。12・5事件の調査資料だ。
 五十川がざっと目を通すと、

 『帝都でクーデター軍と斯衛軍交戦開始』の時間と『監視を受けていたはずの将軍が、情報省課長の手引きで帝都城から脱出』の間にほとんどタイムラグがない。

「これらの事実から、閣下は12・5事件の真相に気づかれたのですか」

 五十川は、レコーダーと紙を丁寧に畳の上に置いた。
 最初の音声のやりとりは、クーデター事件時に首謀者達の判断によらず帝都城を攻撃した兵士を、クーデター軍内で尋問した記録。
 記録抹消を命じられた尋問した兵士が、事の重大さについ個人的に手元に残していたものだという。

 あまりにタイミングが良すぎる将軍と情報省要員の動き。
 帝都での戦闘再開が、実はアメリカの目論見を外すための日本側の工作だったことを示唆する情報。
 これらを示す資料は、事件前後に大臣だった小河には知らされていなかった。
 数年たち、健康を回復した小河が独自調査して得たものだ。
 当時、情報省の一部――外務二課の鎧衣左近が、大臣よりも実力を持ちまた政府要路に近かったのは省内では当然の認識。
 そういった資料から導き出されるあの事件の裏。

「わ、ワシらは将軍殿下に使い捨てにされたのだ……」

 小河の枯れ木のような指が、激情に震えていた。

 あのクーデターでは多くの者達が被害をこうむった。だが、ごく少数だが利益を得たものが確かにいる。
 その代表が、煌武院悠陽だ。
 彼女は現在、国政の実権を名実ともに持っている。
 国防省が内定した戦術機採用選定でさえ、将軍の一声でそれまでの積み重ねがすべてひっくり返る暴挙が許され、だれも抗議できないほどに。
 クーデター時に、我が身を危険にさらしてでも帝都を戦火から救おうとした等の評判が、その力の根源だ。
 最初から示し合わせていたのか、それとも結果を黙認したのかはともかく。多くの犠牲を踏み台に我が身の利益を図った、と見られても仕方がない。
 クーデターをそそのかした側と気脈を通じていたとすれば、事件処理の甘さも説明できてしまう。

 この結論にいきついた時、小河は難民解放戦線や財団と組むことを決めたそうだ。

「国内外の難題を相手に、日々心身を削った我々はなんだったのか……。我等が力不足、邪魔であるというのなら一言切腹を命じてくださればよかったのだ。
な、なのにこの仕打ちは……」

 この老人も、俺と同じか。五十川は涙ぐむ小河を見つめながら、胸中でつぶやいた。
 帝国と将軍に対する絶望が行き着く先が、祖国を捨てるか祖国に牙を剥くか、の違いというだけだ。
 五十川がある筋からA-01連隊の本当の存在理由――オルタネイティヴ4の生贄に捧げられる人間を選定するための舞台装置だった、ということを知った時と同じだろう。



 老人の前を辞し、客間に戻った五十川を出迎えたのは、顔色を青くしたイリーナだった。

「どうした?」

 五十川が彼女に問うと、本人が答えるより早く、訛りのある男の声が返事をした。

「長旅で、疲れたようです」

 その男に、五十川は胡散臭げな視線を送った。
 短い栗色の髪をした、大柄のロシア人。イリーナとともに財団に『亡命』してきたソ連人の一人。

「俺が、何も知らないと思っているのか?」

 五十川の口から、低い声がすべり出る。

「『読ませた』んだな?」

 鋭い眼光を向けられ、ソ連人はたじろいだように視線を外した。

 リーディング。
 オルタネイティヴ3で実用化された、人工超能力のひとつ。
 相手の思考や感情を読み取る能力だという。
 五十川はイリーナがそれを使えることを知らなかったが、このタイミングとソ連人の態度では丸わかりだ。
 なんのことはない、財団もイリーナを生きた探知機として使うつもりだっただけなのだ。
 対象は小河元大臣か……もしかしたら五十川自身かもしれない。

「あなたには関係が無い」

「なら、俺が戻ってくる前に休ませるぐらいはしておけ」

 一瞬だけ殺人的な視線をソ連人に向ける。それだけで、所詮は兵士ではないその男は血の気を顔から引かせたが。
 五十川はすぐに興味をなくすと、座布団をいくつも引いて寝られる場所を作ると、彼女をそこに寝かせた。

「……申し訳ありません、お兄様」

 すなまそうに見上げるイリーナに、五十川は無言で首を横に振った。
 人殺しのくせに、とソ連人が聞こえよがしにつぶやいているが、五十川はもう一瞥もしなかった。
 彼女の飼い猫が、主人の変調を聞きつけたのかバスケットから這い出てくる。
 短い足でちょこちょことイリーナに近づくと、その色素の薄い頬をぺろりと舐めた。

 そんなやりとりをまったく無視して、どこかへ電話をかけていた部下の一人が、五十川に歩み寄ってきた。

「係長、仕事のパートナーからです」

 小さなメモ用紙を差し出してきたのは、マリア=カーリー。
 五十川と同年代の女性で、落ち着いた雰囲気の白人だ。が、スーツの下からでもわかる女らしい体つきは、正直目のやり場に困る。
 そのアンバランスさもあり、彼女が凄腕の傭兵だと見抜ける者は少なく、言われてもすぐ信じる者はもっと少ない。
 金髪碧眼の彼女の顔をちらりと見やってうなずいてから、五十川は腰を上げて隣の部屋に移る。
 改めて五十川はマリアから渡されたメモに目を通した。

「ほぅ」

 五十川は口笛を吹きそうになった。
 仕事相手――難民解放戦線が、投入する兵力を伝えて来たのだ。
 
 機種こそ雑多だが、戦術機は総計で200機を超えると豪語している。
 さらに、各地でテロ――戦線に言わせれば抵抗運動――で鍛えられた歩兵もすでに多数が日本帝国に入り込んでいる、という。
 頭数では正規二個師団にも及ばないが、これに日本帝国内の不穏分子が連動すればかなり面白いことになりそうだった。
 もっとも、パートナーとは名ばかりの財団への通告だから、嘘混じりの可能性もあるが。

「で、こちらの得物は?」

 メモ用紙を破りながら、五十川が聞く。

「公海上を予定通り運搬中です」

 日本帝国の捜査権が及ばない公海に戦力を待機させ、国内で事が起こると同時に突っ込ませる。
 五十川らのやり方は、ある意味で常套手段だった。解放戦線のやり口も似たようなものだろう。

 五十川の言葉を聴きつけ、男が寄ってきた。この部屋に待機していた部下だ。

「へっ、大げさなことで。戦術機にチャンバラさせようなんていう連中、俺たちだけで蹴散らせますって」

 男は、どこからどう見ても日本人の肌と顔つきであるのに、そう吐き捨てた。
 彼の名は、リチャード=スロゥ。
 南米移民した日系人の出で、五十川よりひとつ年齢は下だ。

 自分は何者なのか? というアイデンティティーへの認識は、彼に限らず多くの者たちが直面する問題だ。
 移民・難民化した人々が世界中を移動し、現地の人々と混じる。その中で生まれるハーフ、あるいはクォーターの己の在り方への自問。
 血が入らなくても、例えば避難先のアフリカで生まれ育った純血の欧州人などは、現地の文化と自身の出自の落差に悩む。
 その解決手段として、自分が元は○○人である、という誇りを極端に持つ者。逆に出自を徹底して嫌う者の両極端が出ることも珍しくない。
 リチャードは、後者の典型。国産戦術機を含めて日本が大嫌いだった。

「油断はするなよ」

 五十川は、そう言い置くだけに留めた。
 仕事をしっかりしてくれる限り、内心の感情に踏み込んでも良いことはない。
 五十川自身も、長刀装備はメリットよりデメリットが多いと判断し、傭兵になってからは自機に装備すらさせていない。
 これは傭兵としての戦いが主に一撃離脱的であり、わざわざ近づかないと使えない武器はデッドウェイトにしかならないためでもある。
 だが、声を大にして長刀不要論に賛同するには、いまだかすかに残る「刀の特別視」という日本人的感情が邪魔をするのだ。

「問題は、帝国内の動きか」

 五十川は腕組みをした。
 難民解放戦線に感化され、あるいは財団の買収によって動く帝国軍人ら。いざとなったらどこまでやってくれるのか、予想が立てにくい。
 小河のような、現体制に対する復讐心を動機とする者達の覚悟や実力も、ぎりぎりまで見極める必要があるだろう。
 たとえば人事で不遇をかこつ帝国軍内の派閥などは、頼まれもしなくても何かアクションを起こすかもしれない。

 そこまで考えて、五十川はおかしくなった。
 仮に帝国を打倒できたとしても、次は勝者内での内戦は必至だ。
 そして、自分はその争いから利益を得ようとする者のおこぼれに集る傭兵。
 誰が一番情けないか、論じるまでもなかった。

 難民解放戦線の攻撃予定は、10月22日とされていた。



[24030] 第四話・初動
Name: 執事◆435a2cd8 ID:91c90832
Date: 2010/11/09 21:52
 日本帝国陸軍が、ひそかに行っていた対BETA戦用人体実験。
 それは、同時期の他国のそれと比べてやや奇妙なものだった。
 多くの人体実験(まして実質的な超能力実験)というのは、その目標設定自体が机上の空論であり、ブレるのが当たり前だ。
 ところが、陸軍の実験者達はそのたどり着くところが明白だった。
 五十川ら被験者となった軍人達の間では、「すでに『天然』の超能力者がいて、俺達が目指しているのはその力を一般人でも使えるようにすることだ」と噂されていた。
 しかしながら、その実験は上層部で実施方法の対立があったらしく、五十川らの処遇はぶれにぶれる。
 当時、衛士訓練学校を卒業したばかりの少尉だった五十川は上の命令は絶対、と叩き込まれていたがそれでも不満に感じたものだ。
 結局のところ、その実験は調布基地の管轄に移され、五十川は急な国連軍への転属を命じられた。

 五十川は、国連軍移籍時は落胆したものだった。
 当時の日本人の国連軍に対する感情はお世辞にも良くなかったからだ。
 が、いざ横浜基地へ向かってみると、最高度の機密に隠されていた『オルタネイティヴ』計画のことを知らされる。
 そして、五十川はその計画直属の部隊であるA-01への配属を命じられた。
 世界を救うかもしれない大仕事の尖兵となる――血気盛んな若者をこれほど発奮させる話もなかった。
 当時の新鋭機・不知火を完全充足した一個戦術機甲連隊。
 その一員として、五十川は秘密任務に従事する。対BETA戦のみならず、暗殺や破壊工作まがいの対人戦も体験した。
 苛烈な戦いの連続で、次々と同胞が倒れていく中で五十川はふと、疑問を感じた。
 任務があまりにも過酷にすぎる。
 最初は、それだけ計画が重大で、かつ直属上司である香月夕呼博士が文民出身ゆえ軍事に疎いからだと思っていた。
 しかし――

「隊員を困難な環境に置く事。それ自体が目的だった――」

 五十川は、サングラスの下の目で桜の木を見上げた。
 2004年10月10日。つまり秋の季節だ。
 花どころか、葉さえすっかり枯れてごつごつとした樹皮をさらす桜の木。
 かつてのA-01連隊では、散っていった者達はここに眠っている、と言われていた。
 国連軍横浜基地へと続く坂道の左右に立ち並ぶ木々こそが、戦死したことさえ公にすることができぬ者達の魂が還る場所だと。
 五十川は、国連及び帝国軍の公式記録上は事故死したことになっている人間だった。
 それが、この場所に来るのは危険すぎる所業。
 にもかかわらず、ふっと足が向いたのは久々に踏んだ日本の土が、吸った空気が郷愁をかき立てたからか。

「……」

 しかし、いざ桜並木の前に立ってみたら五十川の胸中はかえって白けてしまった。
 木は、所詮は木にすぎない。
 特別な感情が薄れれば何の感慨もわかない、という当たり前のことを自覚しただけだった。
 昼前の陽光に照らされた木を見ながら、五十川は立ち尽くす。

「俺が脱落者だからか?」

 五十川のつぶやきは、冷たい風に巻き取られて消える。

 A-01連隊の連隊長だった人物が、度重なる部下の戦死にふと気弱になった時に漏らした事実。
 オルタネイティヴ4の根幹理論によれば、人間の脳には「確率分岐する未来」の情報を受け取る未知分野があり、それに優れた人間を選出するのが連隊の目的だ、と。
 そのために素質があるとみなされた者が、いわば運試しをさせられているのが過酷過ぎる任務の本当の理由。

 馬鹿馬鹿しい。

 それが五十川の実感だった。
 陸軍時代から奇妙な実験のモルモットになってきた五十川だったが、そう思ってしまった。
 戦場での生死は、本人の判断力や選択以上に、周囲の条件が左右する。
 たとえば、まっさらな場所で広範囲を破壊する爆弾を投下された人間が、己の能力でそれを回避できるだろうか?
 逃げる方法としては、そもそもそんな場所には行かない、しかないが。軍人としてそれは敵前逃亡になり、不可能に近い。
 こんなもののために、帝国から国連軍に俺達は送られたのか。
 そんなことのために、苦楽をともにした同胞は散った……いや、殺されたのか。
 五十川を襲ったのは怒りや憎しみよりも、絶望と虚脱感だった。もし激情が優先していたら、報復のテロ行為に走っていたかもしれないがその気さえ起きなかった。
 明星作戦に参加して連隊長が戦死した時から半年後、五十川は乗機爆発を偽装して脱走した。
 その時点で、A-01は大隊程度にまで人員を減らしていたから、広い戦域で味方の目を欺くのも難しくなかったのだ。

 難民になりすまし、どんな時代でもしぶとく生存する人間世界の闇……裏社会に接触して金を使い海外へ逃げ延びた。
 皮肉にも、A-01時代に習得した特殊技術が役に立った。
 そして、東南アジアで財団の傭兵になる。所詮、戦うことしか知らない兵士が行き着く先は、新たな戦場しかない。
 元帝国の正規衛士であり、精鋭A-01で鍛えられた五十川の腕が財団当主の目に留まるのに、時間はかからなかった。
 そして現在に至る、というわけだ。
 A-01は最終的に世界に大きく貢献したのだから、見切りをつけ脱走した五十川はまさしく無様といえるだろう。
 桜の木の下の魂が迎えてくれるはずもなかった。

 五十川は、白い息を吐くと踵を返して坂道を下りはじめた。
 かすかに見える横浜基地に背を向けて。
 と、五十川と反対に下から登ってくる人影が見えた。
 陽光を受け止める明るい色合いの髪に、快活そうな瞳をした帝国軍の若い女性士官だった。
 五十川は、かすかな緊張を覚えた。記憶の奥底で、わずかに疼くものがある。
 その女性士官の顔に見覚えはないが、制服に縫い付けられた部隊章に見覚えがあったからだ。

「……」

 軽く会釈して通り過ぎざま確認すると、『両手に一本ずつ剣を持った戦乙女』をシンボル化した隊章が五十川の網膜に鮮やかに飛び込んできた。
 間違いない。
 五十川が所属していたA-01連隊を構成した中隊の一つの証だ。
 複雑奇怪な人事の末、女性衛士ばかりになってしまった第9中隊。隊員らは、それをむしろ誇りとして北欧神話の伝説の存在を、自らの隊に冠した。
 相手も、小さく会釈を返してくる。その何気ない動作に隙がなく、歴戦の士である雰囲気を自然と発散させている。

 平静を装い続けるのに多大な精神力を要した五十川は、彼女とすれ違って坂を降りきってから長く大きなため息をついた。

「ヴァルキリーズ……そうか、全滅しきったわけではないのか」

 国連軍の部隊マークや愛称がそのまま帝国軍に横滑りする、というのは滅多にあることではない。
 五十川が財団ルートから聞いた、A-01の功績があってはじめて成せることだろう。
 落ち着いて記憶を探れば、今の女性士官とどこか似た顔立ちの女性がCP士官としてヴァルキリーズにいたことを思い出す。

「古参は軒並み戦死したはずだが……新任だった連中となら」

 殺し合うことになるかもしれない。
 五十川は、傭兵の因果を改めて感じてもうひとつため息をついた。





『我々、難民と呼ばれる者達はBETAの脅威に故郷を追われた。その経緯についてはいまさら改めて述べるまでもなく、苦痛と屈辱の道であった。
しかし、苦難はそれだけでは終わらなかった。避難先においても、差別により同じ人間によって打ちのめされることになる』

 難民やその支援を行う者達のネットワークを経由して出回る通信媒体。そこに封入された演説の声。

『難民は、何も多くを要求したわけではない! 人間としての最低限の扱いを求めたに過ぎない!
しかるに各国政府は、たまたまBETAの脅威から遠かったという幸運を盾に難民を足蹴にし、あるいは奴隷同然に酷使した!』

 低い男の声は、冷静さの中にも激情を端々に発する。

『ついには一部不心得者の行為に過ぎない犯罪を大げさに取り上げ、難民キャンプは犯罪者の巣と罵倒し!
平穏かつ公然とした権利要求運動と犯罪行為を強引に混同し、平和的指導者達を逮捕した例さえ珍しくなかった!』

 それは、難民解放戦線の指導者の一人。
 通称『スパルタクス』と呼ばれる人物が日本帝国内外に放った、決起を促す檄だった。

『それは日本帝国においても同じである! BETA侵攻にさらされ、自身の国民を守る余力もなくなった帝国が難民を二の次としたのは、いたしかたないかもしれない。
だが、クーデターなどという身内の争いのために、多くの難民が餓死しあるいは直接戦闘に巻き込まれて死傷したことについて、今現在にいたるまで正当な補償すらないのだ!』

 クーデター終結宣言時、煌武院悠陽が呼びかけたのは日本国民のみに対してだ。
 BETAと戦っている最中に側背で騒動を起こされ、肝を冷やした大東亜連合・統一中華・ソ連などの諸勢力、直接間接影響をこうむった外国人難民の者達。
 それらに対する言葉はなかった。

『将軍は演説において、「日本の目覚めを願い、已むに已まれず立ち上がった」者達としてクーデターを起こした者達を擁護した。
だが、一国の狭い差別心に満ちた愛国心に囚われず、広く世界の難民のために已むに已まれず立ち上がった難民解放の闘士達は、遥かに多いのだ!』

 このあたりから、演説は冷静に見れば話の接ぎ方がおかしなものとなる。
 が、この手のアジテーションに必要なのは、理論性よりも感情論であることを発言者はよく心得ていた。

『難民達よ! 傲慢なる者達に理解と寛恕を求めても無駄である!
我等の権利は、我等自身の力で勝ち取らねばならない! そうさせたのは、難民の声に耳を傾けなかった愚者達だ!
我々をテロリストと呼ぶのなら呼べばいい! 難民に対する扱い同様の、一方的かつ驕慢なる罵声では正義の志は小揺るぎもしない!
まもなく日本帝国の弾圧者達は、己らの所業の代償を支払うことになるだろう――』

 日本帝国政府は打ち続く戦乱・内乱で人材を確かに減じていたが、まったく無力化されたわけではない。
 すぐにこの演説流布を含む難民解放戦線の動きを察知した――皮肉にも、他国と同様に難民を使って国際工作を行っていた時に形成したルートから情報が入ったのだ。
 この時に帝国の治安部門が真っ先に心配したのが、アメリカがその背後にいないかということだったが。
 早急な調査の結果、アメリカの後押しの気配無い、と出た。
 不知火弐型が実質的なアメリカ製であり、生産によって米軍需産業に少なからぬ恩恵を与えるなどの理由から、以前のクーデター事件時に比べて日米関係は修復がなされていたのだ。
 日本近海を、「たまたま」米大部隊が通りかかるような怪しげな予兆も確認されていない。
 ほっと息をついた治安部門は、各地の難民キャンプ調査に乗り出す。
 武器をひそかに持っていた者達が何人か逮捕された。
 だが、多くの難民の目からは、食うものさえろくにくれないのに自分達を疑い、抑えつけにかかる行動と見えた。

 もし、日本がもっとも苦しい本土防衛戦時でも、国家としての治安をぎりぎりの所で維持していた榊内閣時代の政治家や官僚がいたら、
 「取るに足らない小物を逮捕させることで、大勢の難民の反感を煽ることを兼ねた初歩的陽動だ」と察知してしばらく様子を見ただろう。
 が、そういった判断力を備えた者達はクーデターで『殿下をないがしろにした国賊・奸臣』として『義士』に殺害されるか、事件後の白眼視に耐えられずに引退していた。

 治安のための国力が広く薄く分散する。そして……。





 横須賀基地。ここはオルタネイティヴ計画招致に伴い、帝国から国連軍に一時的に預けられた基地のひとつだ。
 日本国内ではあるが、基地の上空および公海に通じる付近海域は一種の治外法権であり、航空機・船舶の運行制限がかけられている。
 12・5事件の際、基地所属の第209戦術機甲大隊が出撃した。
 また、甲21号作戦やBETAによる横浜基地襲撃の際にも駐留部隊が動き、少なからぬ兵力を喪失した。
 やはり桜花作戦成功後の情勢変動から戦力回復は遅く、日本帝国からは返還を打診する動きもでている。
 そういった事情があり、現在の基地には弛緩した空気が漂っていた。

「ふわ……」

 基地の管制室に、当直士官のあくびが漏れる。
 強化ガラス窓から見える夜の海は、ゆるやかなうねりを飽くことなく続けるのみだ。
 2001年以降、BETAどころか敵勢勢力に接近されたことすらない横須賀においては、夜間監視は退屈なルーチンワークと化していた。
 復興景気による船舶ラッシュも、国連軍所属艦艇以外は基地に近寄らないから関係が無い。
 日本帝国からの出向人員がどんどん戻っている今では、閑散とした雰囲気さえ漂っている。

「異常なし、と」

 義務と形式だけで構成された定時確認を、眠気さえ隠さない声でマイクに吹き込む士官。
 了解、と返してくる基地司令部のオペレーターの気配も似たようなものだ。

「あと二時間かぁ……暇だねぇ」

 その士官は、決して元から怠惰だったわけではない。地獄と化した祖国から逃げて尚、BETAと戦うことをやめずに国連軍に志願した闘志ある男だった。
 だが、ぬるま湯のような情勢が、男から生気を静かに奪っていってしまった。
 人類は優勢に転じつつあり、この基地は平穏無事そのもの。
 気になる事は、基地を帝国に返した時における自分の処遇程度。
 だから、国籍不明の船舶が堂々と横須賀基地に向かってくるのに気づくのも遅れてしまった。

「ん? ちっ、どこの馬鹿だ」

 大方、船舶ラッシュを避けてこっそり通ろうとした横着な船だろう、と思い込んだ士官は。
 形式的な退去通告を発するボタンを押した。

『本海域は、バンクーバー協定に基づき、日本帝国より権限を付与された国連管理区域である。速やかに退去せよ――』

 機械合成音声が決まりきった警告を発する。
 強圧的に出たら、またぞろ国連軍の横暴! などと日本帝国の基地撤去推進派が騒ぎ出すだろう。
 だから、実戦部隊に連絡を出すこともしなかった。
 どうせすぐに去っていく。
 不要な警報を出して、ぶつくさいわれるのは御免だ。

「……なんだ?」

 だが、士官の思惑に反して、船舶――大型タンカーらしい三隻ほどの船影は、むしろ船足をあげて基地に向かってきた。
 士官の中の、眠っていた危機に対する能力が急激に刺激され、目覚める。

「そこの船舶! 即時停止せよ! 従わない場合は、撃沈もありえる! 繰り返す……!?」

 あわてて肉声放送に切り替え、激しい警告を発するが。
 返答は、タンカーの上甲板が開くことだった。そして、そこから巨大な人影・戦術機がゆっくりと現れる。
 基地の夜間照明を受けて照り返される機体は、細身だが鋭角的な装甲を持っていた。
 F-16Cだ。
 士官がそう認識するのと同時に、そいつの手にした突撃砲が不気味に掲げられた。
 管制塔に向かって。
 息を呑みながら、士官は基地全体をたたき起こす警報ボタンに手を伸ばした。



 2004年10月22日未明、国連軍横須賀基地が正体不明の武装勢力の攻撃を受ける。
 即応しようとした付近の日本帝国軍だが、国連軍との権限協定が壁となり、実力行使に待ったをかける国防省と怒鳴りあいをする羽目になる。
 かつてのクーデター戦時、在日国連軍が国連決議があるまで自由に動けず、また帝国軍も米軍が上陸した国連軍基地を包囲しつつも、監視だけに留めた構図と同じだった。
 手をこまねているうちに、横須賀基地は翌朝に武装勢力に占領される。

 それが、始まりだった。



[24030] 第五話・激動
Name: 執事◆435a2cd8 ID:91c90832
Date: 2010/11/11 14:48
 帝都・小河元大臣の屋敷。窓辺に丸っこい子猫がうずくまっている。
 ふわふわとささやかな空気にも揺れる毛並みは、差し込む陽光を受けて輝いていた。
 ちっちゃいつぶらな瞳は、じっと窓の外を見つめている。
 大好きなご主人様が、外で遊んでいるんだ。
 だが、猫は寒さに弱い。
 いかにご主人様のためとはいえ、ちょっとついて行く気に慣れなかったのだ。
 代わりに、見慣れない老人がご主人様の傍にいる。
 ペットとして生まれた直後から人間の厚い手で保護される、この世界の動物としてはごく少数派に属する育ちをした猫は、万事に警戒心が薄い。
 まして犬でもないのだから、ご主人様を守るために飛び出したりはしない。
 でも、ちょっとつまらないなぁ、という人間で言う嫉妬に似た感情は覚えてしまう。
 猫は、ゆっくりと立ちあがると、室内に小さな尻尾を振りながら戻る。

「……予想以上の手並みだ」

 人間の声が、聞こえた。
 猫に当然その意味はわからない。
 わかるのは、ご主人様の次ぐらいに好きな人の声、ということだけだった。
 子猫の小さな足が畳をたっと蹴り、相手してもらうために駆け出した。



「国連と日本との協定を逆手にとって、橋頭堡を築くとはな」

 五十川は畳の上であぐらをかきながら、携帯端末の画面に目を凝らしてつぶやいた。
 公の報道は、通信統制がかかっているため平常のニュースが流れるだけだが。
 帝国の一定レベル以上の機密通信は、大混乱の中にある。それを傍受しているのだ。
 11月22日の朝に、横須賀基地がテロリストの手に落ちた。
 その戦力は未知数だが、横須賀基地の装備――多くは、日本帝国からの供与品だ――が敵に奪われた可能性も高い。
 現在、帝国軍内は二派に分かれて横須賀基地に突入すべきかどうか、で激しく対立していた。
 もう国連軍は基地を落とされる失態を犯したのだから、遠慮することはないという強硬派。
 いかに世界的影響力が高まっている帝国とはいえ、国連との協定は協定であるから、国連が判断するまで包囲にとどめるべき、とする外交重視派。
 どちらの主張にも理があり、一本化できていない。

 では、当事者の国連軍はどうか。
 右往左往、これにつきた。
 まず安全保障理事会の招集がなされたものの、急なことゆえ関係者が集まりきらず、開催さえまだだ。
 以前のクーデター時と違い、待っていたような対応が無い。
 国連太平洋方面軍司令部は、五十川の横浜基地所属時代によく上官が愚痴っていたような無能ぶりを発揮、当座の方針さえまだ発令していなかった。

「どう見ても国連軍側に内通者がいますね」

 マリアが財団経由の情報に目を向けながら、つぶやいた。
 いかに弛緩していたとはいえ、れっきとした軍事基地が陥落するにしては早すぎる。
 難民出身の兵士を、シンパとして取り込むのは難民解放戦線の常套手段だ。

「さて、次はどこが……ん?」

 五十川の言葉が、にゃあ、という気の抜ける声にさえぎられた。
 見ると、子猫が走りよってきて五十川の膝によじ登ってきている。

「またお前か」

 五十川は、渋面になった。
 対照的に、「猫!」と子供のように弾んだ声を上げたのは同席していたリチャードだった。
 この男は猫好き……というより、動物全般が好きなのだ。例の日本嫌いも、動物だけは別。うわさでは、命を削って得た報酬の大半を動物保護団体に寄付しているという。
 しかし、リチャードが手を伸ばすと子猫の小さな爪が閃いた。大げさな悲鳴を上げて飛びのくリチャード。

「……隊長、ずるいです」

「知るか」

 恨みがましい目をするリチャードは、猫からはあまり好かれていなかった。
 五十川は、なぜ自分がこの猫に好かれるのかわからない。最初に会った時、気まぐれで餌をやったことしか心当たりがないのだ。

「次に動くのは、帝国軍内の不満分子かと思われます。我々もそろそろ準備をしましょう」

 冷静なマリアは、猫にちらっと一瞥をくれただけで実務的な言葉を口にした。
 五十川はうなずきながら、適当に猫の喉を撫でた。
 猫はごろごろと心地よさ気に鳴き、リチャードをさらに哀れな表情にさせる。
 ほどなく同じ日本人を、金のために殺しに行く指がそんなに……と猫にわかるはずもない思いを抱いた五十川は、思わず天井を仰いだ。

「イリーナ達非戦闘員は、ここに残して大丈夫なようだな」

 窓にやった五十川の目に、楽しげに談笑する小河元大臣とイリーナの姿が映る。
 これからあの老人には大仕事が待っているはずだが、すっかりくつろいだ態だった。





 横須賀基地の異変を受け、出動したのは帝国陸軍・第6師団。
 明星作戦後に大幅に組み替えられた日本防衛体制の元では、旧神奈川県に展開。
 あのクーデター事件の際は、西進してくる帝都第1連隊他のクーデター兵士に歯が立たず突破を許した過去を持つ。
 急な交通統制と軍の移動に何事か、と目を見開く国民らの視線を受けながら、戦術機の群れが横須賀を目指していた。

「……そろそろ、か」

 師団戦術機甲部隊を束ねる連隊長・国分正義大佐は、冷えた空気の向こうにそびえる基地構造物を網膜投影画面越しに見た。
 基地各所からは、いまだに生々しい煙が上がっている。
 国分は、配下部隊の様子を確認した。
 一個戦術機甲連隊の108機。不知火、陽炎、撃震の混成部隊だ。採用されたばかりの不知火弐型はまだ回ってきてはいない。

「さて、と」

 オープン回線を開くと、横須賀基地から発信される電波が飛び込んでくる。

『我々は、難民解放戦線である。世界中の難民を抑圧し、その権利を不当に制限する国連軍の牙城は、いまや解放の砦となった――』

 お決まりの演説が流れているのを聞きながら、国分は次いであるチャンネルを開いた。

「こちらは、帝国陸軍少佐・国分正義である」

 ほどなく、返答は来た。横須賀基地からだ。

「難民解放戦線の『スパルタクス』だ」

 国分の、いかにも軍人といった風情のいかつい顔がさらに厳しくなる。
 この通信を傍受していた他部隊は、国分が時間稼ぎをかねた降伏勧告を始めるものだと思っていた。
 だが、言葉を先に放ったのはスパルタクスのほうだった。

「2001年12月5日。日本の旧群馬難民キャンプにいた私の妹は、一本の抗生剤注射と最低限の食料が届かなかったために、風邪を拗らせて苦しみぬいて死んだ。まだ11歳だった」

 それは、あのクーデターのために配給が滞り、身内が犠牲になったことを表明するものだった。
 抑えた声の端々に、隠しきれない怒りと憎しみが滲みでている。
 数秒、沈黙する国分だが応答した。それは、傍受者達の予測を大きく裏切る内容。

「私の従弟は、その日は警備兵として国防省にいた。突如、身勝手な正義を振りかざして乱入してきた者達に切り殺された。子供が生まれたばかりだった。無論、部隊の部下達も大勢が死んだ」

 国分の声もまた、抑えようとしても抑えきれない激情をまとっていた。

「我々は、主義も主張も何もかも違う。だが、ある面では合意できる」

「ああ。不法な虐殺を行ったにもかかわらず、報いを受けない者達に報復の鉄槌を」

「結果としてクーデターがよかった、などとほざく者に、忘れ去られた者の悲しみと怒りを思い知らせる」

「私の従弟を殺した者は、軽い処罰だけで帝都第1連隊に復帰した。今では中隊長だそうだ――そんな理不尽に是正を」

 傍受していた他部隊の者達は、状況を理解して青くなった。
 反対に、第6師団の衛士達の顔は一気に引き締まり、紅潮の色を加えた。

「大義、義挙などいう美辞麗句で覆い隠された悪徳が跋扈する世を打ち破り、真の正義を!」

 二人の声が重なり、賛同する難民解放戦線および帝国軍兵士の歓声が爆発した。





 難民解放戦線と、帝国軍の一部部隊が合流――この情報は、雷電となって日本政府を打った。

 ・クーデターが法的にはもちろん、道義的にも擁護の余地の無い行為だったことを認める
 ・被害にあった者たちへの正当な補償、および見逃されあるいは軽微で済まされたクーデター犯達に改めて厳罰を下す
 ・帝国政府および、帝国民間企業に不当に搾取される難民達への明確かつ迅速な救済

 これらが、横須賀基地から全国へ発信された解放戦線の具体的な要求だった。
 受け入れられれば、横須賀基地を明け渡す。入れられなければ、さらなる『抵抗運動』を行う、と。

「ふざけおって!」

 驚きに満たされた帝国軍だが、強硬派からすればむしろ渡りに船だった。
 これで、国連軍の治外法権地域問題ではなく、帝国の主権にかかわる問題となったのだ。実力行使になんの遠慮も要らない。
 第6師団の『謀反』に対処したのは、帝都守備第1師団だった。
 クーデターの主力となった者達で、地理的にも当然近い。
 国防省の一部からは、クーデター事件が今回の騒動の直接の理由らしいことを考えると、別の部隊を鎮圧に当てるべきという意見があったが。
 議論がまとまるより早く、第1師団が独断で動きはじめていた。
 緊急事態に対する現場の判断権内、といえなくもないが。
 根底にあるのは、クーデターが実質的に美化され容認されたがゆえに生まれた、軍人全体が法を軽んじる風潮だった。

 大義や志があれば、法や他者の命など鴻毛より軽し。

 解放戦線の要求に対する『将軍殿下に認めていただいた、あの決起を否定するなど何事か!』という第1師団……特に第1連隊の反発は凄まじかったのだ。
 当然、彼らの意識には『行為自体は許されざること』と釘を刺されたことに対する留意はほとんどない。
 対外的な配慮でああおっしゃらざるをえなかっただけで、その後の政治体制や処置はクーデターの言い分を容認するものではないか、というのが彼らの実感だったのだ。

「あいつらめ、先の決起で思い知らされた力と志の差を、まだ理解せんのか!」

 第1連隊の不知火が、夕刻前の日に照らされた旧鎌倉市内に突入する。
 いまだ復旧が手付かずな地域だが、それが幸いして民間人を戦闘に巻き込む恐れはほとんどない。
 不知火を操る衛士は、『謀反』部隊に悪態をつきながらも、鋭い挙動で廃墟のままのビル街の大通りに出た。
 すぐさま、センサーが味方以外の機影を捉えた。
 第6師団側の不知火だった。

「また鎧袖一触だ!」

 第1連隊の不知火は、迷わず噴射装置から爆炎を放ち、すばらしい速度で同型機に接近する。
 87式突撃砲の必中射程ぎりぎりで突如横っ飛びし、ビルの壁面を蹴って三角飛びの要領で宙に舞う。落下しつつ、機体の各部を振って空力制御。
 不知火は空気さえ自在に味方につけているかのように、鋭く軽やかに同型機に襲いかかった。
 敵機の照準をはずしつつ、死角となる上空から攻撃する芸術的な機動だった。
 このまま無防備な相手を、一方的に打ち据える光景までが、衛士の脳裏には描きだされている。

「!?」

 必勝を確信した第1師団衛士の眼前から、急に目標とした不知火が消えた。視界の端の壁に、かすかな煙が。
 第6師団の不知火が、自分がとったのと同じ機動をやり返してきた、と気づいた時には逆に頭上を取られていた。
 直後、衛士の体を立て続けの耐え難い衝撃が襲った。
 36ミリの連射を浴びた、と理解した時には機体はずたずたにされ、管制ユニットの中に届いた一弾が炸裂した。



「思い知ったさ。志とやらはともかく、力の差はな」

 第1連隊の不知火が崩れ落ちるのを見下ろしながら、第6師団の衛士はつぶやいた。
 一発。また一発。
 すでに相手が戦闘力を喪失している、とわかっているはずなのに、なおも残骸となった同胞の機体に攻撃を加え続ける。
 それは着地しても止まらない。
 その衛士は、12・5事件の際にクーデター阻止に動き、壊滅したある部隊の生き残りだった。

「思い出すたびに、歯を食いしばった。貴様らが結果として称揚され、軍に復帰までしたと知った時から、泣かない日はなかった」

 念入りに、すでに砕け散っている管制ユニットに砲口を向けて、さらに一撃。
 部品が跳ね飛び、オイルが飛び散ってすでに力を失った機体が断末魔のように震える。

「だから、自分達を鍛えて鍛えて鍛えぬいた。貴様らの機動・戦法も研究し尽くした。いつか、仲間の仇を討つ機会が来ると信じて、な」

 戦域各所では、第1連隊と第6師団の交戦が続いていた。
 数の上では、兵士全員が離反に賛同したわけではない第6師団が劣勢だったが。
 個別の戦いを見れば、第6師団側がかつて自分達を一蹴した相手を、逆に上回っている。
 こんなはずでは、という思いを抱いて撃破された第1師団戦術機に、必要以上の攻撃を加える者も決して珍しくなかった。

「あの時、貴様らはこう言ったよな確か。『帝都の守りを預かる我等精鋭の力、みくびるな』とな」

 衛士は、笑った。
 それは狂う一歩手前の、押さえ込み滞留したがゆえに激しさを増した感情の発露だった。

「今度はこっちが言ってやる。理不尽に殺された者たちの無念を預かる我等の力、みくびるな!」

 言い捨てると、不知火は新たな獲物を求めて大地を蹴った。



 経緯はともかく、実力では帝国軍屈指の帝都守備第1師団が投入された以上は、この騒ぎもほどなく終わると見ていた帝国政府。
 だが、続報はその甘い予想を打ち砕く。
 第6師団は、旧鎌倉を拠点に第1師団を防ぎ、逆撃を加えてきていた。
 精鋭である第1師団は無様に崩れることはなかったが、それこそ刺し違えても本望、という勢いでくる第6師団に手を焼いている。
 戦術機戦だけを見れば、第1師団のほうがやられる機体が多い。
 やむを得ず国防省は、東海地方に駐留している部隊を東進させて第1師団を増援させることを決意した。

 この時、日本政府は「いかに恨みを呑んでいたからとはいえ、帝国軍人がまとめて離反するのはおかしくないか?」という疑問を感じることができなかった。
 正確には、一部の軍人は疑問に思ったが、クーデター事件という「まとめて離反」には前例があること、また目の前の戦闘に気をとられてすぐに忘却してしまった。
 そして帝国政府は、ほどなくその解答を突きつけられ、愕然とすることになる。

 次の日本への攻撃は、またしても帝国側の思いもよらぬ箇所――アメリカの報道から加えられた。

 12・5事件が義挙・決起などではなく、CIAの工作に踊らされて起こったに過ぎなかった、という米政府の機密情報暴露が起こったのだ。



[24030] 第六話・激浪
Name: 執事◆435a2cd8 ID:91c90832
Date: 2010/11/13 21:56
 キリスト教恭順派。
 そう呼ばれる宗教勢力がある。
 正統派・あるいは伝統的なキリスト教団体からは、キリスト教を詐称する別のものだ、と批判される者達だが。
 宗教的な問題はともかくとして、この世界の歴史に少なからぬ影響を与えてきた一派であるのは確かだった。
 その代表が、2000年におけるG弾情報流出事件、だ。

 1999年に、二発のG弾を用いたことで初めて人類がハイヴ攻略に成功した。
 この戦果は、投下当事国であるアメリカはじめとした多くの国を力づけ、人類の戦略をG弾路線へと転換するに足る大戦果だった。
 当初はG弾に反発していた諸国も、その威力と実証された戦果にはやがて抗弁する力を失うかに見えた時。
 キリスト教恭順派に感化された国連職員が、G弾投下の被害・二次被害に関する記録を世間にぶちまけたのだ。
 この結果、他ならぬアメリカの議会内でさえG弾中心戦略に疑問を呈する議員が続出し、各国の世界戦略に大きな影響を与えた。
 当然、法的に見れば許されざる国連軍事機密漏洩だが、反G弾派の筆頭だった日本帝国にとっては願ってもない好材料となる。

 そんな侮れない影響力を持ったキリスト教恭順派が、難民解放戦線と浅からぬつながりがあるのも、また国際社会では有名な話だった。
 その恭順派が、またもや爆弾情報を世界に開示した。

「――では、CIAは、当時の日本帝国内の現状に不満を持つ軍人に接触したわけですね?」

 全米テレビの中でも、トップクラスの視聴率を誇るあるニュース番組。
 筋金入りのジャーナリストであり、権力に屈しないスタイルを売りとする司会者が、真剣な面持ちで対面する相手に聞いた。
 スタジオの照明はやや低く抑えられ、いかにも秘密暴露という雰囲気を作り出している。
 そして、報道の自由という権利を武器に外からの介入はあと何時間かシャットアウトできる算段も済んでいた。

「はい。当時の日本帝国首脳陣……サカキらが邪魔である、という一点では彼らと、CIAおよびその背後にいた一派は共通していました」

 答えるのは、くたびれたスーツの中年白人男性だ。
 だがその目は爛々と輝き、何者にも屈せず真実を訴える意欲を示している。
 彼は、オルタネイティヴ4が成功したことによって、米主流からはじき出された旧オルタネイティヴ5派の重鎮だった。
 自分達がやってきたのはなんだったのか、と深刻に悩んでいたところに恭順派が接触。
 彼はすがるように入信し、『隠されてきた真実を公開することが、神の御意思にかなう』といわれて、漏洩を決意したのだ。
 顔を隠したり、匿名で話したりせずに公共電波ではっきりと口にする――それが男の意思の強さを証明していた。

「具体的に、CIAはどんな工作を日本軍人に対して行ったのですか?」

「CIAであることを隠し、当時の日本円にして、約50億円の工作資金提供。それに、サカキ内閣が内政上の都合から隠匿していた情報の伝達です。
……無論、その情報はCIAによって改ざんされていました。
たとえば、火山噴火が間近に迫ったがゆえのやむを得ない国民強制避難を、政府の言う事を聞かない相手への過酷な仕打ちだったと摩り替えたり」

「帝国軍人は、それを素直に受けたのですか? また、日本にもJCIA(情報省のこと)という組織がありその種の工作への防御を行っているはずですが」

「サカキ内閣は彼らにとって至上の存在である『ショーグン』をないがしろにしていた絶対の悪でした。気づいた者もいたようですが、結局はこれを倒すための力を増すことを選択した。
JCIAについては――意図は不明ですが、その一部がむしろCIAの工作を援助してきました」

 男の発言に、司会者の眉が跳ね上がった。

「サカキ内閣は、本当に将軍をないがしろにしていたのでしょうか?」

「日本帝国の複雑な権力機構については、いまさら申し述べるまでもなく、その評価は大変難しい。
ただ、端的に言えるのは、ショーグンはサカキについて『真の忠臣である』と内々にではありますが、漏らしておりました。不満を持っていたとは考えにくい。
CIAの分析でも、むしろショーグンを圧迫していたのは軍部上層部であり、サカキらはそれに国内安定のためやむなく引きずられた面が強かったのです」

「……つまり、帝国軍隊内にはショーグンに忠誠を誓う一派と、ショーグンを重視しない一派がいたわけですね?
そして、前者から見れば『身内の』軍人よりも、文民であるサカキのほうが悪意を向けやすかったと」

「はい。CIAにとって重要なのは、『客観的に誰がショーグンをないがしろにしているのか』よりも、『工作しやすい連中が、どう思っているのか・また思い込みたいのか』でしたので。
ことさらサカキを悪役に仕立て、クーデターを唆しました。
クーデター主導者が、大尉という中堅程度に過ぎなかったのは、さすがに佐官以上の経験ある軍人は、世の中がそう簡単ではないと理解して工作しづらかったから、という面もあります」

「そこまでサカキが邪魔だったのですか? 当時のCIAおよびその背後の一派にとっては?」

「はい。アメリカが軍事力・財政力で日本を優越していたにもかかわらず、国際外交の舞台で日本に遅れを取り続けたのは、サカキ内閣の卓越した外交力によるものです。
何回か合法的な倒閣運動を支援しましたが、ショーグンの信任もあって長期政権を維持し続けました」

「しかし、ショーグンはクーデター事件については、起こした軍人を擁護する発言が目立っていますが……」

 司会者が首をひねると、男は薄く笑った。

「そうしなければ、今度はショーグンが軍人達に殺されたでしょう。彼らが求めているのは、自分達の妄想を理解してくれる至上の存在です。
ショーグンの事を本当に思っている人間が、あの日本全体が危機にある状況で、クーデターなど起こせますか?
その気がなかろうと、流れ弾が一発妙な方向に飛べば……あるいはBETAが侵攻してくれば、ショーグンの命さえ危ういことはわかるはずです」

「では、本来CIAを妨害すべきJCIAがむしろ工作を援助した、というのは?」

「おそらく、まともに防御したところで既に政府憎し、で凝り固まった軍人とCIAを止めるのは無理と判断したのでしょう。
ならば、関与しつつ暴発させたほうが、まだ被害のコントロールができると判断したのではないでしょうか。
ここで重要なのは、JCIAに限らず帝国人にとって、政府首脳は所詮はショーグンの使用人の一時的ボスに過ぎず、ショーグン自身と違って代替の利く存在であることです」

「なるほど。そもそも命の価値が違うわけですね」

「クーデター自体は、不確定要素がありましたが、結果としてはCIAが望んだとおり実質的な成功を収めます。
要するに、日本がアメリカのG弾戦略の障害にならない程度に弱体化すればよかったのですから。
有能でしたたかな政治家は消え、政治経験のないショーグンが実権を握った日本帝国は外交的に非常に脆弱となりました。
ところが、ここで我々の考えの甘さがでました」

「と、いいますと?」

「ある者達にとってコントロールしやすい国家、というのは別の者達にとってもコントロールしやすい、ということです。
具体的には、国連でアメリカと相反する対BETA戦略を推進する者達です。
彼らはCIAを出し抜き、ショーグンを直接救出して恩を売ることに成功しました。
たとえばショーグンは、同年の国連軍横浜基地防衛戦の際、自国の首都とそこに住まう国民を守る最低限の兵まで、国連軍援助に投入しました」

 二人の背後の大画面に、2001年12月当時の日本の戦況をシンプルに示す映像が浮かび上がった。

「これは、クーデター軍人のサカキ批判言論を借りれば『国際協調を重んじるあまり、自国民をないがしろにする行為』といえます。
が、命令権者がショーグンである、という一点だけで帝国内での受け止め方はまったく変わってしまいました。
首都と多数の国民を無防備にするリスクは忘却され、結果的な成功だけが人の口に上っております。
CIAは、その工作の果実を持っていかれました。完全に」

「つまり、この事件は――」

「アメリカは多くの人命と資金を費やし、また法的道義的にも犯罪を犯したにもかかわらず、何の恩恵も得られませんでした。
結果としてそれが世界の対BETA戦略のためによい方向に働きましたが、私を含む当時の指導者達の責任は重大です」

 この後、インタビューはさらに続いた。
 男は、さらにCIAが難民を工作員に仕立て上げ、自由意志を完全に奪う重度の催眠処置まで施したこと。
 工作について何も知らない軍人が、思わぬ行動をとっても良いように帝国派遣部隊の機体に細工をしたことまで暴露し続けた。
 当然、アメリカ政府はいきりたち、番組を終えた男を機密漏洩罪で逮捕したが。
 覚悟を決めていた男は、殉教者そのものの態度で自己の罪状について認め、責任逃れをにおわせる言葉は一片も吐かなかった。

 放送は、アメリカを震撼させた。
 ただでさえ落ち目の旧オルタネイティヴ5派、あるいはG弾推進派は『アメリカの恥』と徹底的に叩かれた。
 政府は事態収拾を図るも、あちこちから突き上げがあって短時間解決は不可能。
 このため、日本帝国で現在おきている騒乱への介入は、ほぼ不可能となった。
 だが、当事者以上の打撃を受けたのは、海の向こうの日本帝国政府であった。





「そ、即時停戦命令!?」

 帝都守備第1師団長は、部下達の苦戦にただでさえ青ざめた顔から、さらに色をなくした。
 東京にある師団司令部に訪れた斯衛軍人が、将軍殿下の命令を伝えたのだ。
 すなわち、第1師団と第6師団の間で交わされている戦闘を、双方がやめよという命令を。
 言葉をなくす師団長に代わって食ってかかったのは、ある参謀だった。

「馬鹿な! やつらはテロリストに合流して帝国に弓を引いた反乱軍ですぞ! それを討伐している我々と同等に扱い、停戦とは!
連中への即時降伏命令の間違いではないのですか!?」

 今にもつかみかからん勢いの参謀を、斯衛士官は冷たい目で見据えた。

「僭越な。いつ、殿下が彼らをテロリストあるいは反乱軍と断じた?」

「なっ……」

 やつらの行動からすれば当たり前に反乱だと思っていた参謀は、虚を突かれて絶句した。
 斯衛士官はさらに畳み掛ける。

「忘れてはおるまいな? 恐れ多くも殿下はかつての12・5事件の際に、不法に首相らを殺害した者達さえ、そこまで追い込んだ我が身の不徳とご自分を責められ反乱者としなかった」

「そ、それは……」

 参謀は絶句した。当時大尉だった彼は、クーデターに参加していた当人の一人だったのだ。

「それとも貴様らは、自分達が決起などと称して違法に武力を行使した時には殿下のご寛恕にすがりながら、他者に殿下のご慈悲が与えられるのは許せぬ、と!?」

 参謀はもちろん、クーデターに関係した将兵達の顔がそろって青ざめる。
 斯衛士官の全身からは、貴様らが言えた事かという無言の怒りが漂っていた。

「殿下の御心は、かつての帝国内の騒乱で傷つき無念を飲んだ者達と話し合いによって事態を解決することである。
その準備として、全軍に即時停戦を命ぜられた。それをないがしろにするのか?」

 参謀達は、まさに前のクーデター時に鎮圧側に回った将兵達が味わった理不尽、怒りと苦しみを今自分達が追体験していると悟った。

「よいか! 即時停戦せよ。そして、殿下のご命令があるまで、一兵たりとも勝手に動かすことは許さん!」

 斯衛士官は、そう言い捨てると敬礼さえせず足早に出て行った。

 しばらく、しわぶきの音ひとつしない沈黙が司令部に落ちる。

「……停戦だ」

 師団長が、ようやく乾いた唇を動かした。

「即時停戦! 全部隊を下げろ! 自衛以外の一切の攻撃を禁ずる!」

 師団長はわめいた。停戦がどうの、よりも独断で兵を動かし、しかも格下扱いしていた第6師団に勝てないことを責められなくて、ほっとしている様子さえあった。

「ち、違う。殿下がそのようなことをおっしゃるはずがない」

 あわただしく動き出す司令部内で、一人だけ呆然としたままの参謀の喉から、搾り出すような声が漏れた。
 その目は血走り、大きく開かれている。

「殿下が、本物の烈士である我々と、外国難民と手を組むような者達を同一視されるはずがない……」

 その時、参謀の脳裏に天啓のような言葉が閃いた。

 殿下のご意思でなければ、それを偽装した命令に違いない。
 そして、殿下の周りにいる奸臣がそれをやったのだ。なんと恐れ多い!
 あの榊らは討ったが、まだ残っていたのだ。
 そう、たとえば城内省の青白い役人や、今の殿下のご威光を笠に着た態度を隠しもしなかった士官のような斯衛が!

「駄目だ、これでは……まだ日本はあるべき姿に返っていなかったのだ。殿下、お待ちください。今度こそ完全に賊徒を掃滅してご覧にいれます……!」

 参謀は、ぶつぶつつぶやくとやがて顔を上げて、特に親しくクーデターでも行動をともにした同志達と連絡を取るべく走り出した。

 11月23日正午。日本帝国軍と難民解放戦線・離反帝国軍は、停戦に合意して一旦戦闘を止めた。
 そして、やはり帝国軍離反部隊には、以前からクーデター事件の裏側についての情報が知らされていたことが公表される。
 これにより、各地の帝国軍部隊の動揺はさらに増していった。





 アメリカの番組で暴露されたクーデターに関する裏事情は、日本帝国政府を大混乱に陥れた。
 表向き外交筋は、お決まりの『そんな事実はない、でたらめだ』という否定に終始したものの。
 当の日本政府・軍内にさえ「そういえば……」と思い当たる節がある以上は、その反論に力はなかった。
 さらに、帝国国内での情報統制も限界を迎え、あちこちで難民解放戦線の攻撃から端を発する騒乱のうわさが拡散しはじめていた。

「本当に予想以上だ。ここまでとは……」

 こっそりと小河元大臣の屋敷を抜け出し、都心を自動車で走る五十川は、窓の外からあちこちで額を寄せ合って何かを話し合う民衆を見つめてつぶやいた。
 運転するリチャードが、無言でうなずいた。

 日本帝国がその気になれば難民解放戦線が多少の帝国軍を取り込もうと、あっという間に叩かれる。
 元からの力が違うのだ。
 だが、帝国はそれをやりたくてもできなくなってしまった。
 以前の将軍の発言から、アメリカでの暴露話まですべてを計算していたのだろう。
 状況をもってして、帝国の全力発揮を防いでしかる後、条件闘争にでも持ち込む。

「誰が絵図面を引いたかしらないが、財団がコントロールできるのか? この事件は」

 五十川は、日本人として色々と思うところがある事態の変動への感想を押し殺し、傭兵隊長としての考えに意識を集中させた。
 予定では難民解放戦線と合流し、さらに日本帝国に圧力をかけるはずだったのだが。
 財団の予定にはなかった、将軍の命令による即時停戦成立、となれば考えなおさなければならない。
 財団当主と連絡を取るため、五十川は衛星電話を取り出した。



[24030] 第七話・混沌
Name: 執事◆435a2cd8 ID:91c90832
Date: 2010/11/15 13:40
 昨日、停戦合意がなされたにもかかわらず、斯衛軍はその動きを活発化させていた。
 具体的には、帝都圏各地に駐留していた部隊が帝都城に集結。
 不測の事態に備えて今のうちの戦力を整えておく、当然の行動だった。
 前線に向かうのではないから、将軍の命令に反しているわけでもない。

「困ったことだ」

 眼鏡の内側から鋭い眼光を放ちつつ、月詠真耶は帝都城の広場前に立ち、次々と隊列と整える部隊を監督していた。
 彼女は、斯衛軍の少佐で本土防衛・京都攻防戦以来の古強者だ。
 まだうら若い女性だが、その赤服に包まれた全身に隙はどこにもない。
 将軍にもっとも近しい警護役でもあった。
 その月詠を悩ませているのは、朝靄の中で隊列を組む戦術機ではなかった。

 本来は城内省直轄であり陸軍とは別指揮系統にもかかわらず、斯衛は各部隊に将軍命令を伝達しあるいは停戦を監視していた。
 将軍の勅命任務とはいえ、陸軍部隊からは高圧的な斯衛の態度に不満の声が上がっていた。
 彼女の耳にも、芳しからざる同僚の言動は届いている。

 斯衛の将兵がそのようになるには、理由があった。
 やはり、先のクーデターだ。
 あの時、クーデター軍は斯衛軍が存在しているのに事を起こした。つまり、抑止力としての斯衛を歯牙にもかけなかった、ということでもある。
 その後、斯衛は帝都城を固めたが、実際にはクーデター軍が将軍に敵対する姿勢を見せたくなかったからもっていたようなもの。
 斯衛軍の全部をかき集めてもその戦闘力は、帝都守備師団にはるかに及ばないことは、当事者はわかっていたのだ。
 (数の上でもそうだし、質の上でも瑞鶴のような旧式機が主力で劣勢。支援火力、兵站にいたってはお話にもならない)

 さらに斯衛の面子を潰すことになったのが、クーデター軍の一部兵士の発砲を受けた後だ。
 組織的攻撃でもない、暴発かもしれない程度の事態に対して冷静さを欠いた組織統制力の問題があった。
 相手が引いてくれたからよかったが、本当の挑発でなしくずしの戦闘となれば、ただでさえ勝算のない斯衛は短時間で全滅し、将軍らの身は危うかった。
 もしあれが陽動だった場合は、考えるだに恐ろしい。簡単に一個連隊が釣り出されて、ただでさえ心もとない防衛線に大穴をあけたのだ。
 クーデター軍がその気なら、猪突した兵を殲滅するも、帝都城に迂回部隊を送って占領するもやりたい放題できた。

 そして、最悪の要素はそのさらに後だ。
 ロケット弾を飛ばされたのだから応戦自体は仕方ないにしても、一個連隊が全力攻撃をしたため帝都を火の海にしてしまい、これが将軍の帝都脱出を決意させてしまう。
 帝都市街に限っていえば、クーデター軍によるものより、斯衛軍が与えた損害のほうが大きい。
 事件を通じて、本来は将軍を警護しなければならない斯衛が却って将軍に守られ、さらにその身を危険に晒す原因を作った。

 とどめが、将軍が脱出の際に身辺につけたのは、侍従と情報省職員だったということ。斯衛は同道を求められることさえなかった。
 これは、非戦闘員やスパイよりも斯衛は将軍に信任されていなかった事実を意味した。
 クーデター軍に実質的に相手にされなかった事より、はるかに屈辱的だった。
 『たまたま』脱出した将軍と合流できた独立小隊の功績がなければ、指導部は全員切腹ものだ。

 殿下の重臣たる首相らを、初期探知の遅れからみすみす目と鼻の先で虐殺されたこともあり、あらゆる面で斯衛の脆弱さが露呈したといっていい。
 もし、不心得者たちが将軍殺害を第一目標にしていれば、斯衛軍はなすすべもなかったのだ。

 その後の甲21号作戦において活躍し名誉を保った一部部隊はともかく、多くの斯衛将兵は名誉回復の機会を渇望していた。
 しかし、斯衛軍の主力機は武御雷の生産が遅々として進まない中で、相変わらずの瑞鶴。部隊規模も前と変わっていない。
 そこへ、この騒動だ。
 将軍に良い所を見せたいという焦り、「本来は自分達よりはるかに強い」帝国軍に対する、劣等感の裏返しである居丈だけな姿勢。
 そういった複雑な感情を抑えて、冷静に動ける士官は意外なほど少なかった。

「これから、さらに慎重な対処を求められるというのに……」

 斯衛が教訓とすべきは、日ごろからの情報収集の重要性や、戦術判断力の無さへの戒めのはずだった。
 特に後者については、京都防衛戦時に短絡的な名誉の戦死・玉砕を求める者達に悩まされた経験のある月詠には深刻だ。
 斯衛軍が張子の虎、帝国軍と戦えば時間の問題、などといわれるのは、機体更新の遅れもさることながら、硬直性が原因だった。
 個々の兵は強いが、それだけで戦いは――まして複雑な要素が絡む対人戦では、守護の責務は果たせるものではないのだ。
 が、そういった問題意識が十分いきわたっている、とは言えない情勢だった。

「まったく、真那め。こんな時にまで意地を張り続けおって……!」

 月詠は、視線を帝都城――正確には、その一角に向けた。
 分厚い白塗りの城壁の向こう側は、まだ大政奉還がなされる前に使われていた座敷牢がある。一定身分以上の犯罪者を放り込むために使われたところだ。
 現代では、無論使われていないはずだったが。
 数年前から、そこに入っている人物がいた。
 月詠真耶の従姉妹である、月詠真那だ。
 さる事情から国連軍横浜基地に派遣されていた真那は、例のクーデター事件から横浜基地攻防戦までの戦いを潜り抜けた筋金入りの衛士。
 複雑化する状況を判断する能力もあり、傍らにいれば頼りになったはずだ。
 が、2002年初頭発動の桜花作戦の際に、無断で国連軍に装備機・武御雷を渡すという問題を引き起こした。
 法的にいえば、厳罰に処すべき行為だが、クーデターすら軽い処分で済まされた当時の帝国だ。
 まして結果として武御雷が成した功績を見れば、同情の声は強く情状酌量の余地は十分にあった。
 軍法会議は、処分保留という無罪に等しい判断を下した。
 ところが、本人がそれを良しとせず鍵もかかっていない牢に自分から入ったきり、出ようともしない。
 真那直属の三人の衛士もまた上官にならっているのだから、人的資源の無駄遣いこの上ない。
 一方で、その心情は理解できなくもなかった。彼女らは、他者に罰せられる以前に自分達が許せない理由があるのだ。

「だが、それで――様がお喜びになると思っているのか?」

 将軍が実権を回復したことを無邪気に喜んでいる将軍崇拝者達と違い、月詠は現状の危険さがよく理解できている。
 以前ならば、権力が無かったがゆえに判断や責任を避けることができた繊細な案件についても、将軍がその身を晒さなければならなくなっているのだ。
 ちょうど、今直面している事態のように。
 この意味では、軍に押された側面があるとはいえ危機的な政権運営から将軍を遠ざけた榊ら政治家は、『忠臣』といえるだろう。
 大局的に見れば、彼らこそがもっとも将軍守護に熱心だった者達であり、斯衛より現実的に有力でもあった。
 それをみすみす失ったのは大変な痛手だ。
 庇護者がいなくなった今、まだ若く経験も浅い将軍を補佐する人材は一人でも多く求められるのだ。
 斯衛は、過去の苦い経験を糧に、本当の意味で将軍を守れる組織にならねばならない。
 だが。

「手が足りん……!」

 月詠は、歯噛みした。
 クーデター事件の経験からいって、解放戦線や離反者達……できれば離反していない帝国軍や国外にも独自の情報収集の手を伸ばしたかった。
 しかし現実は、身内の斯衛軍が帝国軍と喧嘩をしないか、を心配しなければならないていたらくだった。

 やがて月詠の前に、二個連隊分もの戦術機が勢ぞろいした。即日召集できる全戦力だ。
 一見すれば勇壮な巨大鎧武者の群れだが、ほとんどは例によって瑞鶴。戦術機に詳しいものが見れば、耐用年数がぎりぎりの機体も少なくないのが見て取れるだろう。
 月詠の胸中の不安は、その色を増すばかりだった。

 ――彼女の不安は、ほどなく的中する。停戦して下がったまま待機を命じられたはずの帝国軍の一部部隊が、突如帝都城への進軍を開始したのだ





 時間は少しさかのぼる。

「予想外のオプションになったな」

 五十川は、ひそかに日本帝国領海外へ抜け出し、太平洋沖合いに遊弋する貨物船に偽装した母艦へ移動していた。
 そして今現在、管制ユニットに着座しながらぼやいている。
 『赤』の重戦術機は、三機そろって臨戦態勢で、ジェネレーターの駆動音を格納庫内に響かせている。

「……俺達って、日本帝国を引っかき回す手伝いをしにきたはずですよね? それが何でこうなるんです?」

 画面の向こうで、リチャードが渋い顔をしていた。お互い、装飾の無い黒を基調とした傭兵用の衛士強化装備姿だ。

「仕方が無いだろう。雇い主の注文だ」

 奥山財団の当主・マルコーと連絡を取った五十川に出された指示は、情勢の急変に応じて予定にないものだった。
 今回の難民解放戦線の攻撃と離反者の合流、そしてアメリカからのクーデター事件情報流出により、日本政府は国家としての資格さえ問われる事態になっていた。
 おまけにその状況で停戦が合意されたため、財団は笑いが止まらない状況だという。
 日本帝国は弱り目で、かつ戦火が局限されたために財団の要求する支払いに応じやすいからだ。

 だが、よいことばかりでもなかった。
 将軍の譲歩姿勢、あるいは帝国の脇の甘さを知った有象無象が、日本を目指して兵を進めているというのだ。
 そんな連中に、横合いから話をややこしくされてはたまらない。
 マルコーは、五十川ら配下の傭兵に、その阻止を命じたのだ。

 すでに、五十川ら『グリフォン』が撃破すべき敵の情報は入っている。

「自称『三ヶ国正統政府同盟』。日本帝国の皇帝至上主義・将軍排除派、中国の反統一中華戦線派、それに東南アジア系反大東亜連合組織の集合体です」

 マリアが淡々とデータを読み上げると、リチャードが呆れ顔になった。

「マリア姐さん。名前を聞くだけじゃ、どう考えても同盟しそうもない連中なんですが?」

 リチャードの言葉は、五十川も同感だった。

「名前や主張は我等こそ真の愛国者、とお決まりの宣伝をしていますが。中身は重武装のマフィア程度です。主義よりカネ、で我々に近いと思ったほうがいいでしょう」

「つまり、ご同業とのお決まりの戦闘ってわけですねぇ」

 納得顔でリチャードがうなずいたのを合図に、五十川はデータを部下達に転送した。

「連中は、いまだに復興が進まず無人地帯であり、かつ警戒ライン設置も手付かずの旧和歌山県南端に上陸、そこを占領するつもりらしい」

 どんな勢力が背後にいるのかは知らないが、解放戦線の二番煎じを狙っているのは十分考えられた。

「普通なら帝国軍が迎撃するところですが。将軍が、解放戦線と話し合う姿勢を見せたことで、今回の上陸者にも同じ対処をするのでは、という危惧が十分あります。
そのために、我々に除去せよと。帝国政府筋の一部からも、できるだけ密かに撃破してほしいと泣きつかれたそうです」

 冷たさを感じさせる声で、マリアの補足説明が続く。
 テロリストや反乱者……実態はともかく、そう呼ばれる者に世界各国が譲歩しないのが基本姿勢なのは、きりがないからという理由もあった。
 模倣犯が続出した場合、短期的に敵対者に譲歩して損害を局限できても、長期的には引き合うものではない。

「トップがとんでもないと、部下が苦労しますね……将軍が慈悲深いのは結構ですが、政治家としちゃ駄目でしょう」

 リチャードが、珍しく帝国人に同情するような顔をした。

「個人としての美徳と、為政者としての美徳は必ずしも一致しません。むしろ、相反することのほうが多いですわ。
私としては、将軍の懐の深い態度は決して悪い印象は無いのですが……上にほしいかといえば、ノーです」

 珍しくマリアが個人的見解を述べた上、ため息をついた。
 詳しい理由は五十川も知らないが、彼女は政争で混乱した欧州某国の出身だ。甘い政治家が上にいて、似たようなことがあったのかもしれない。

「とにかく、相手の事情がどうあれ、こちらは報酬分の仕事をするだけだ。現地で『あいつ』と合流して、連中にはとっととお引取りいただくぞ」

 『あいつ』とは五十川小隊最後の一人の衛士のことだ。
 締めに入った五十川の言葉の語尾に、了解という声が重なった。

「そういえば隊長、この機体の愛称どうします?」

 そこでふとリチャードが首をかしげた。

「ああ、そういえば命名権貰っていたか……そうだな」

 五十川は、軽く考えこんだ。

「こいつの外装の原型は、アメリカのA-10・サンダーボルトだ。だから、雷電が妥当か? が、中身は別物だしそのままじゃ芸が無いな――少しひねって、迅雷にしよう」



 密かに洋上から発進し、推進剤の燃費のよい経済速度で海の上を飛ぶ、三機の『迅雷』。
 その赤い装甲を、すべてを飲み込みそうな暗い夜の闇に浸しながら、旧和歌山・紀伊半島を目指す。

「財団の情報どおりなら、上陸直後の連中を奇襲できるはずだが」

 五十川は、暗視画面の中見え始めた陸地を見つめながら、つぶやいた。
 その手の事前情報は、あてにならないどころか既に役立たずであることも多い。
 巨体のペイロードを生かして装備された、頭部や肩部の大型複合センサーの機能を全開にして、海岸線を偵察する。

「……おかしいですね、便乗泥棒連中が上陸したのなら、少しは動きがあるものですが」

 リチャードが怪訝そうな声を上げる。
 帝国軍が、将軍の態度を理由に厄介事をあえて見て見ぬふりをしている背景があるので、戦闘が未発生なのは考えられた。
 だが、戦術機や兵が上陸した可能性のある地点に、動く影が見えない。

「誤報だったのか? ……いや、これは!」

 五十川の迅雷が、海岸線のあちこちにある反応を捕らえた。

「熱源反応は複数あり。しかし、微弱です。まさか――」

 マリアの声を聞き流しながら、五十川は光学レンズを最大望遠とした。
 うっすらと水平線から太陽が顔を出しはじめ、少しずつ世界をオレンジ色に染めていく。
 五十川らは知る由もないが、ちょうど帝都城広場前で月詠真耶が兵を監督しているのと同時刻だ。

「!」

 その中で、五十川の網膜が海岸に散らばる無数の物体を捉えた。
 戦術機の、残骸だ。
 ロシア製や中国製の旧式といった、調達が比較的容易で傭兵やテロリストが好むタイプのものが、既に力を失って砂浜に突っ伏している。
 その周辺には、生身の人間の無残ななれの果てが。
 ご丁寧に、彼らが上陸に使ったらしい舟艇さえひとつ残らず破壊されている。

「これは……帝国軍が上の介入が無いうちに迎撃して撃破して、さっさと引き上げたんですかね?」

 顔つきを厳しくするリチャードの発言。
 砂浜に着陸し、大地をかすかにきしませる三機の迅雷。
 センサーが捉えていたのは、三ヶ国正統政府同盟を撃破した攻撃の残りの熱だったのだ。

「せいぜい一個大隊と、多少の歩兵か。確かに、帝国軍の師団か艦隊がフリーハンドで戦えば簡単に殲滅できる程度だが」

 五十川はつぶやきつつも、嫌な予感が胸にせりあがるのを感じた。

「とにかく、標的が無力化した以上はこの場にいる理由はありません。離脱すべきです」

 マリアが警戒を崩さないまま、進言してくる。

「そうだな……」

 離脱、と宣言しかけた五十川の視界の端で、何かが動いた。
 本能的にフットペダルを蹴飛ばし、機体を横っ飛びさせる。
 五十川機のいた空間を、36ミリ砲弾のものと思われる太い火矢が通り過ぎた。

「!」

 五十川の背筋を、絶対零度に近い寒気が走った。優れた迅雷のセンサーをもってしても、発砲されるまでまったく反応を捉えられなかった。
 攻撃を受けて、ようやく戦術機らしい敵性物体表示が画面に現れる。

「ステルス機か!? マリア、リチャード、気をつけろ!」

 怒鳴りながら、五十川は機体をさらに横っ飛びさせて乱数回避に入る。
 砂が飛び散り、機体を汚すがかまってはいられなかった。
 2004年にあっても、レーダー探知をくらますステルス機能を持つ機体はごく少ない。実用化されている、となれば片手で数えられるほどだ。
 すなわち、アメリカのF-22・ラプターもしくはF-15SE・サイレントイーグルどちらかの系列機。
 いずれにしても、強敵だった。
 五十川は、急速に汗まみれになる手で、操縦レバーを握り直した。



[24030] 第八話・浸透
Name: 執事◆435a2cd8 ID:91c90832
Date: 2010/11/17 01:02
「停戦の実行を確認した……こちらの実施も確認していただきたい」

 かつては国連軍と帝国軍の連絡のために引かれた、帝都・横須賀基地直通のホットライン。
 それは現在、難民解放戦線と帝国政府の交渉回線となっている。
 今、横須賀基地の司令室に座りそれを使っているのは『スパルタクス』だ。

 帝国軍より離反した第6師団は、第1師団をかなり叩いて溜飲を下げたため素直に停戦。
 交渉権を難民解放戦線に一任して、話し合いを円滑に進める配慮をする余裕さえ見せていた。
 帝国軍屈指の第1師団と互角以上にまで高めた実力を証明した彼らは、寄せ集めの解放戦線にとってこの上なく頼もしい。

「……確認した。では、次に話し合いに移りたい。こちらから、交渉役を送る」

 通信相手――帝国の外務大臣は、極力表情を押し殺した声で応答した。
 よく観察すれば、なぜ私がテロリスト相手にこんな……という不満が漏れてきそうだが。
 スパルタクスはいちいちそんなことを気にしない。

「交渉役を送ってもらえるのなら、人物を指定したい。当人には迷惑かもしれないが……」

 スパルタクスの容姿を見ると、多くのものが驚く。
 まだ二十代の若い男なのだ。着込んだどこの国のものとも知れない軍服が大げさに見える。
 人類学に詳しいものならば、出身はモンゴルあたりと伺えるかもしれない。
 だが、それでも彼がアジアの難民解放戦線のリーダーであり、正規軍でいえば二個師団に匹敵する部隊を統括する戦士に間違いはなかった。

「――聞こう。だが、さすがに……」

「わかっている。いきなり将軍殿下を、などという非礼は言わない。軍人だ」

 映像越しに眉間に皺を寄せる大臣の表情から、危惧を悟ってスパルタクスは説明をした。

 あのクーデター事件の時、スパルタクスは西日本のさる難民キャンプにいた。
 妹は、まだ関東圏のほうが安全だろうと泣く泣くそちらへ送り出し、自分はBETAに何もかもが食い尽くされた土地で必死に生きていたのだ。
 そこへ、配給不全が起こりキャンプ全体が一気に飢えた。スパルタクスも餓死しかけた。
 ほかのキャンプの中には、帝国の都市などから食い物を強奪しようとした所もあったらしいが、スパルタクスらはその元気さえなくなっていた。
 明らかに日本人にもかかわらず、なぜか外国人難民キャンプにいた妙な男が、どこからか食い物を調達してきてくれたが、到底足りない。
 が、いよいよ最後かと思った時に、帝国軍の輸送部隊が駆けつけて最低限だが食料と医薬品を置いていってくれた。

「後で聞いたところでは、その物資は帝国軍のさる司令官が、辞職覚悟の独断で配ってくれたものだそうだ。
そんな人物ならば、信用できる。他の、難民らに直接間接危害を加えながら、義士を気取る妙なのは目の前にいたら殺すかもしれない」

 大臣の顔がぴくりと動いた。
 交渉役まで相手に指定されるということは、主導権を大部分握られたに等しい。
 まともな情勢ならノーだ。
 だが、今はまともなといえる情勢ではない。
 何より、他者から見れば気まぐれともとれる判断をする将軍がどう答えるか、が第一。
 次期主力戦術機選定のように、積み上げられた判断も将軍の一声で無意味になるのが、今の帝国なのだ。

 そんな、大臣の内心の思考さえ読みつつスパルタクスは返事を辛抱強く待つ。

「――要求については、検討の上で回答する」

 大臣の予想通りの返答に、スパルタクスは真面目腐った顔を装ってうなずいた。
 現在の日本帝国は、将軍の意思があらゆる面で優先されている。
 オルタネイティヴ5派が『操りやすい』と評価したのは正しい。ただ一人の人物の心を読めば、それで一国を翻弄できるのだから。

 儀礼的な挨拶をしてから、スパルタクスは回線を切った。
 そして、傍らにいつの間にか立っていた人物を振り返る。

「ここまでは計算通りだ、ミスター『鎧衣』。改めて感謝を」

 もし、この場に帝国政府関係者か、国連関係者がいたら目を剥いたことだろう。
 軍施設には場違いなビジネススーツを着た人物。
 彼こそが、以前のクーデター事件はじめとして、桜花作戦前あたりまでの日本の主要事件の多くの裏で暗躍した人物なのだ。
 名を鎧衣左近。元、帝国情報省外務二課長。
 小河元大臣あたりがこの場にいたら、その襟首を掴んで過去の策動の真意を問いただしたかもしれない。

「何、解放戦線の見事なお手並みがあればこそ」

 鎧衣は、それだけ言って口を閉じた。
 以前の鎧衣を知っている者がいれば、首をかしげただろう。
 この男、多弁で話をあちこちに飛ばすことで、相手を煙に巻くのを得意としていた。
 スパルタクスも、解放戦線の古参から彼の情報を仕入れており、怪訝な思いを抱いた。
 が、この男がいなければ、恨みを抱える帝国軍部隊を的確に選んでコンタクトを取って協同することも、帝国の動きを詳細に予想することもできなかったのだ。
 これまでの来歴を考えれば、劇薬もいいところのスパイだったが、それだけに利用価値は高い。

「正直、元帝国人であるあなたがここまで協力してくれるとは思わなかった」

 スパルタクスは慎重に言葉を切り出す。

「今の私はお尋ね者で、寄る辺のない身。生きるためにやっているだけですよ」

 鎧衣は得体の知れない笑みを浮かべていたが、よく見ればその頬はこけて目には力が無い。
 それ以上質問するのをやめて、スパルタクスは手元の情報端末画面に向き直った。
 横須賀基地の備蓄物資をほぼ無傷で奪えたため、武器弾薬や食料にしばらく持つ。
 あとは、交渉次第かとスパルタクスが考え込んだ時。

「……実の娘であったとしても、犠牲は厭いません――などと言っておきながら……」

 ふと、スパルタクスは鎧衣の独り言のような言葉を聞いた。
 指導者としては、聞き耳を立てるべきだったかもしれない。鎧衣の底意を掴むために。
 だが、その声に自分が妹を失った時に感じたものに通じる感情に気づいたスパルタクスは、聞こえないフリをした。
 その時不意に鎧衣のコートの内側から、電子音が上がった。衛星携帯電話だ。
 鎧衣は、何事もなかったかのように落ち着いて電話を取り出すと、二言三言話し始める。

「ほう……アメリカも存外……」

 電話を切った鎧衣は、スパルタクスのほうへ向き直って口を開いた。

「例の情報リークで動けない、と見込んでいたアメリカ軍ですが、どうやら一部が動いたようです」

「!? それは……」

 スパルタクスは、思わず立ち上がった。
 世界最強のアメリカ軍の動きは、当然ながら計画全体を左右する。

「政権自体は確かに手一杯になりましたが……ラングレー(CIA本拠地)は国内対策すべてを大統領に押し付けて、あくまでわが道を行く気のようですな。
それに、帝国軍内の旧クーデター派が予想より早く暴発しそうです」

 情報力を見せ付ける鎧衣の淡々とした言葉に、スパルタクスは厳しい表情で続きを促した。





 五十川は、ステルス機との戦闘を予想しなかったわけではない。
 日本帝国軍には、ごく少数だが次期主力選定に漏れたF-15SEJ・月虹があるのだ。
 不知火弐型が将軍の意向で採用されたが、他国なら間違いなく月虹が採用された、と言われるほど優れた機体。
 もし自分に権限があれば、五十川も月虹を取っただろう。
 理由は簡単。
 弐型は機動戦闘力、特に近接戦闘力に優れた機体だが、月虹もその能力は相応に高い。
 一方、弐型はステルス機能が無く、こちらでは月虹にまったくかなわない。
 多少の戦闘力の差は、衛士の腕や戦術でカバーできるがステルスのように純粋に機体機能に依存する要素は、技量ではどうにもならない。

 月虹に弐型の代わりはできても、弐型に月虹の代わりはできないのだ。

 同時に帝国軍出身者として、たとえ中身はどちらもアメリカ製だろうと、せめて外見ぐらいは自国機に近い弐型採用が感情として納得しやすい面も理解できた。
 財政を含んだより広い目で見れば、マルコーの言ったとおり今の時期に主力を選定した事自体が勇み足、となるのだろうが。
 一番無難なのは、当初の予定通り『撃震の代替』として、そこそこの性能とコストの機体を選んでおくことだったのかもしれない。

 しかしながら、その帝国軍の月虹の機体保有数はわずか十数機。
 選定に漏れた後も運用自体は続けられているが、前線に送られているはず。
 直接対決する機会は無いだろう、と踏んでいた。
 が、甘かったと激しいGに全身を打ちのめされながら、五十川は歯を食いしばった。

「このっ!」

 五十川が操る迅雷が、朝焼けに照らされる砂浜を蹴立てて疾走する。
 両腰の跳躍装置はじめ、全身に装備したスラスターを吹かして、複雑な曲線を描く。
 その軌跡の前後を、着弾の炎が襲っていた。
 機体に砲弾の破片と砂がかかり、赤い装甲を汚していく。
 迅雷は、反撃しない。できないのだ。

「これがステルスか……!」

 五十川は、両腕と背部の兵装担架に突撃砲を計4門装備して出撃していた。
 一撃離脱による瞬間火力を重視した、国連軍や帝国軍でいえば強襲掃討装備だ。
 しかし、レーダー照準が働かないため、ある程度距離が離れている相手に対して、ロックオンさえできない。
 その他の動体センサーや熱探知センサーは、有効距離がレーダーに比べて短い。
 五十川は見えない敵に、発砲炎を頼りに何度か接近を試みているのだが、敵はかなり慎重ですぐに距離をとってしまう。
 おかげで、相手の照準が甘く直撃は避けられているが……。
 いわゆる、ジリ貧状態だ。

「くっ!?」

 また一発、機体の右手前300メートルぐらいに36ミリ弾が飛び込んできた。
 爆音が神経に突き立ち、五十川を苛立たせる。
 A-10以上の装甲と、第三世代機に匹敵する機動性を持った迅雷の生存性は高い。とはいえ、一方的に撃たれていればいつかはやられてしまう。

「これほどとは、な……!」

 敵の攻撃は、少しずつ正確になってきている。
 迅雷の欠点・並の機体と比べてもレーダー投影面積が大きく、探知に引っかかりやすい欠陥が露呈しつつあるのだ。
 そして、地形。
 もともと和歌山県は、山がちな大地が続いている。
 BETAの食欲も、それをすべて食い尽くすのは無理だったらしく、今でもあちこちに大きな起伏が残っていた。
 これが、視界を悪くしていた。
 山の間から、砲身を突き出すようにこちらを撃ち、さらにすぐ引っ込んで位置を変える相手には格好の場所だろう。

「……反応なしか」

 五十川は、網膜画面の端の通信表示を確認して舌打ちした。
 相手がさる帝国政府に繋がる帝国軍ならば、財団との密約で自分たちが今は敵ではない(少なくともここに上陸した連中と同じではない)ことをが分るかもしれない。
 そう望みをかけて、秘匿暗号を送っているのだが。
 返答が無い、ということは気脈を通じた帝国軍部隊ではない、ということだ。

 敵の数は、せいぜい一機か二機と発砲数から目星をつけていた。
 この見込みが確かなら、一個分隊で雑多とはいえ大隊規模の連中を殲滅したことになる。
 五十川らも一個小隊で数に勝る敵を叩いたことはあるが、上には上がいる、と改めて痛感した。

 五十川は、肩部のスラスターを吹かしながらその角度を小刻みにずらし、微妙に機体の機動角度を変えていく。
 容易に行動先を読まれるような機動をすることは、静止しているのと同じだ。
 しかし、推進剤は無限にあるわけではなく、五十川の体力精神力も有限。

「っ!!」

 襲ってくる砲弾が、ついに五十川機の足元至近に炸裂した。
 衝撃が巨体の足元を崩す。
 五十川は、機体を立て直しざま、大きくバックジャンプさせた。
 が、それは今までと比べれば隙だらけの動きだ。
 それに乗じて、山陰から二機の敵機が姿を見せ、真っ黒い砲口を五十川に向けた。
 今度こそ、正確に死の火線を直撃させるつもりらしい。
 F-15系列の外見を色濃く残した、月虹ではない――五十川はとっさにシルエットからそう判断した。
 そして――

「いまだっ!」

 叫んだ。
 それに応じて、二機の迅雷が重々しい駆動音を響かせ、敵機の左右の山陰から姿を現す。
 五十川が意図的に敵の前で機動を繰り返す間に、迂回移動して挟み込みを狙っていたのだ。
 山の中に身を潜めつつ移動するのは、巨体の迅雷が苦手とする動きだが、慎重にやればできないわけではない。
 そして、二機は五十川と同装備の、四門の突撃砲を乱射する。
 ステルスでレーダーが効かないのは、マリアとリチャードも同じだ。
 だから、点ではなく面で相手を制圧することを狙う、全砲門一斉射撃。
 合計8門の突撃砲が、今までの沈黙の鬱憤をはらすようにありったけの砲弾を吐き出す。
 たちまち、敵機の機影は炎の雨にさらされた。
 地表が抉れ、空気が焦げる。
 さらにマリア達は、120ミリ砲撃を放った。
 36ミリのそれより数倍大きな爆音が、青く広がり始めた天まで届く。

「へっ、俺達を忘れるからだ……やったか!?」

 リチャードが張りのある声を出すのを聞きながら、五十川はようやく一息ついた。額に汗が光っている。
 が、警戒は解かない。

「逃げられましたね」

 真っ黒い煙が晴れるよりわずかに早く、マリアがそっと着弾地点に接近して報告した。

「えっ!? あんだけぶち込んだのに直撃弾無し、ですかい!?」

 リチャードは顔を引きつらせた。

「……いえ、至近弾ぐらいは与えたようです。それで退いたのでしょう。我々を無理してまで撃破する気がなかったのかも」

 捜査を続けるマリア機からのデータリンクが、五十川機にも届く。
 焼け爛れた地に、ごくわずかだが戦術機の破片らしいものが残っていた。
 が、膨大な熱量にさらされたために炭化しており、拾って帰っても有用な情報は得られないだろう。
 追撃しようにも、ステルスがある以上は一定以上離れられたらもうお手上げだ。

「――月虹じゃなかったな」

 五十川は、呼吸を整えながら呟いた。
 そうなると、相手がどんな機体だったか、は限られてくる。

「F-22・ラプターか」

 アメリカ軍しか世界で装備していない機体。
 ステルス性ばかりが注目されるが、それを除いた戦闘力も、いまだに世界最高を維持し続ける化け物。
 もし、相手がなりふりかまわずこちらを潰すつもりだったら。あるいは、同数だったら――。
 五十川の胃が、冷たい感触を覚えて縮んだ。

「とにかく、こちらも撤退して財団に情報を上げるぞ」

 このタイミングでアメリカ軍らしい戦力が、日本に来てわざわざ迷惑な連中を始末していた。
 裏に何かないわけがなく、また五十川らはプラン変更を迫られそうだった。



[24030] 第九話・導火
Name: 執事◆435a2cd8 ID:91c90832
Date: 2010/11/18 18:41
 難民解放戦線の攻撃に端を発する一連の騒乱。
 これに対して、日本帝国全体は比較的平穏を保っていた。
 ひとつには、解放戦線が離反帝国軍を加えても決して大勢力ではなく、帝国枢要を抑えたわけでもないので、その影響力が小さいこと。
 また、帝国政府がこれ以上他国に批判される余地を作ってはたまらない、解放戦線に難民が同調してはまずい、と平時以上に食料配給と治安維持に気を使っているためだ。
 帝都も、斯衛軍がしきりに移動していることを除けば、普段とさして変わらない。
 さすがに、街角の空気に一抹の不安が混じっているのは否めないが……。

 そんな朝の帝都の風景を、屋敷の縁側に座って眺める老人がいた。
 小河昌之元大臣だ。
 老人の目に映る帝都は、神奈川や和歌山あたりと違い、復興景気の追い風を大きく受けていた。
 日々、高層化したビルが建設され、一般家屋も次々と立ち並んでいる。
 クーデター事件での戦闘、特に斯衛軍の過剰反撃によって焼き払われた帝都城周辺などは、帝国政府の政治的判断から特に再整備速度が速い。
 小河老人の屋敷からは、かすかに帝都城を望むことができるが、それを遮るように白い壁のビルが着々と建設されていた。

「さて、どうしたものかの……」

 小河は、着物の上に着込んだ丹前の前を直しながら呟いた。
 老人は難民解放戦線や財団と組んでいたが、彼らからあらゆる情報を貰っていたわけではない。
 心底からの同志ではなく、利害関係で結びついた呉越同舟であるから、それが当然だった。
 小河のほうも、手持ちの情報すべてを出したわけではないのだから。
 それを加味しても、事態の変動は小河の当初の予想を超えていた。
 財団が当初のプランに大きく変更を加えたように、小河もまた、最初の予定表を破棄せざるを得なかった。
 それに気落ちしたりしない。
 政治……特にBETAという要素が加わって複雑化を極める政治・外交の世界では、一国の中の一勢力の思い通りに世の中が動くはずもない。
 あの超大国・アメリカの主導権を握っていたオルタネイティヴ5派でさえ、ほんの数年で見る影もないほど凋落しているではないか。
 この程度のことは、国賊扱いされて殺された榊是親を首班に頂き、国内外の複雑奇怪な諸事件に対処してきた小河にとってはむしろ慣れっこだったはず。
 しかし、どうにも善後策を練ろうという気力が湧かないのだ。

 老いたこともある。もう、年齢は80に手が届く。
 クーデター事件の際、兵士に撃たれて負った傷の後遺症が、体力気力を減退させてることも否定できない。
 が、それよりも。

「忠臣である、か。せめて、直接その御言葉をかけていただければ、喜んで人身御供となったものを……」

 あの、アメリカで暴露されたクーデターの裏事情。
 小河老人は、情報統制をあっさりと乗り越えてその詳細を掴んだ。
 多くの者達が注目したのは、工作の内容・非人道な行為のあたりだったのだが。
 老人が一番心を揺さぶられたのは、ほんのささいな一言だ。

 将軍が、榊を忠臣と呼んでいた。
 榊自身が、それを知っていたかどうかは今となってはわからない。
 日本帝国の当時の政治体制において、将軍が心底から信任していた、というのは大きなカードであり、知っていたら公表していたかもしれない。
 そうなると、クーデター側は大きな口実のひとつを失ったことになるため、事件は起こらなかった可能性がある。
 が、小河の目から見た榊という人物は、たとえ自分の有利なことであろうと将軍の政治利用を拒んでいた頑固者だった。
 知っていても閣僚にさえ漏らさなかった可能性もまた、十分にあった。

 今、老人の痩せた体躯の内側では、二つの思いがせめぎあっている。
 たった一言で、外患誘致同然の行為をするほどの無念が消えるものか、さらに手を進めろ、という声と。
 殿下が榊内閣の苦心をわかってらしてくださったのならば、もう十分だったのではないか、手を引いてもよいのでは、という声が。

「所詮、ワシもまだまだ、か」

 老人は冷たい空気の中、乾いた笑い声を上げた。
 伝統的支配者である将軍とはいえ、自分の何分の一も生きてない娘のほんの数語で、簡単に心が乱されてしまう。
 可能ならば、帝都城にいって殿下の真意を確かめたい。
 だが、それは現時点では不可能だ。
 元大臣という肩書きを持ってしても、警戒を強める斯衛はそう簡単に通すまい。
 まして、内心を問いただすなどという不敬を認めるはずもないだろう。

「……ここは待つ、か」

 軽く自分の顎を撫でながら、小河は当座の方針を決めた。
 このような精神状態では、策を講じてもろくなことにならないことを、長年の経験から知っていた。
 老人の手元にあるカードは、将軍やクーデター軍人が、CIAの陰謀を知って自己の利益を図って臣民を犠牲にした、と疑わしめる情報が主だ。
 停戦が合意された情勢下では、有効な切り方もなかなかに難しかった。

「ん?」

 ふと、小河の耳に楽しげな少女の笑い声が飛び込んできた。
 しわだらけの首をひねってみると、庭先で子猫と戯れる少女の姿が飛び込んでくる。
 彼女の銀髪が揺れ、猫が草むらの上を転がる。
 今日は比較的気温が高く、猫が何とか外に出たがる程度には、暖かいのだ。
 イリーナ、というあの財団が送り込んできた娘がどんな存在であるか、小河はよく知っていた。
 当初は人工の命に対して気味悪く思い、また警戒もしていたのだが、無邪気に接してくるイリーナに気がつけば心を開いていた。
 不自然な命、という言葉から受けるような没個性や暗さは、彼女にはほとんどない。
 おそらく、猫という命が傍にいることが、情緒の成長に資しているのだろう。
 そのイリーナを、つかず離れず監視するソ連人にも気づいた小河は、真っ青な天を仰いだ。

「本当にどうしたものか、の」

 財団が、貴重な人材であるイリーナを小河の下にことさら残したのは、人質の意味があることぐらい察していた。
 また小河が裏切った時のことも、当然考えて準備を行っているだろう。
 老い先短い身だから、命を惜しみはしないが、それとは別に手元にいる間ぐらいは彼女の良くしてやりたい、などと思い始めているのだ。

「……ん?」

 ふと、老人の目が厳しくなった。
 体に微妙な振動を感じたのだ。それは、あの忌まわしいクーデターの日にも覚えたのとよく似ていた。

「!」

 小河が目を凝らすと、はるか遠くに戦術機の影が望めた。
 先日から忙しく斯衛軍が動いているので、それ自体は珍しくない。
 だが、機種が斯衛専用機とは違うようだった。

「まさか」

 小河の脳裏に、いくつか描いていた事態の一つが急速に浮かび上がる。

「イリーナちゃん!」

 老いた体が出せるだけの速さで立ち上がった老人は、いまだ変事に気づかない少女に緊張した声をかけた。
 きょとんとした目を向けてくる少女と猫に手招きする。
 呼ばれもしないのに、真っ先に寄ってきたのが監視役のソ連人なのは仕方がなかった。

「帝都が、戦場になるかもしれん。避難の準備をせい」

 小河は、あのクーデター事件を教訓にして、屋敷の中に地下シェルターを設置しておいた。
 そこへ逃げ込むつもりなのだ。
 いざとなったときの脱出路も、調べつくしている。
 すぐに顔色を変えたソ連人から目をそらし、小河はもう一度機影のほうを見る。
 クーデター事件の夜に見た、不知火の同型機に間違いなかった。
 不知火のセンサーアイと、目があった――気がした小河は、無意識にあの夜受けた傷の跡が残る胸を押さえた。





「殿下のご様子、本当においたわしい……」

 年輪を重ねた女性の声が、湿っていた。
 声の主は、将軍・煌武院悠陽の身辺に仕える侍従長の婦人だった。
 彼女は、将軍がクーデター事件で帝都から脱出する際に付き添ったほど、信任が厚い。
 また、彼女自身も常に一身を賭して将軍に仕えていた。

「まことに、我等の力不足にて」

 帝都城の大廊下。
 侍従長の前で恐縮しているのは、月詠真耶だ。
 それぞれ侍従と武官という違いはあるが、私的にも悠陽に近い二人は、立場や年齢を超えてよく話し込むことがあった。

 忠誠心において群を抜く二人だが、それは一般的な忠義とは少し毛並みが違った。
 多くの帝国人が、将軍という地位や多分に理想化・偶像化された悠陽に、抽象的な忠誠を持っているのに対し、
 この二人はただ一人の少女としての悠陽を良く知り、またそれにも敬愛を捧げていた。

「ここ数日、またお食事の量が減りました。夜もよくお眠りになられていない御様子で……」

 侍従長が目頭を押さえる。
 決して外には漏らしていないが、ここ数日の騒乱で悠陽は苦悩を重ねていた。
 自分の一言、一挙動で一国が、無数の命が左右されるのだ。
 その重圧は、余人の想像を絶するだろう。
 これが、傲慢で人を人とも思わない人物ならば、いっそ楽だったのかもしれない――そんな者に支配される国が良いのか、はともかくとして。
 だが、悠陽は無神経とは程遠い人柄であるから、のしかかる責務をまともに受けている節が見られた。

「……」

 月詠は、きゅっと口元を引き結んだ。
 元々、2002年初頭より悠陽は元気のない日々を送っていた。
 理由は権限回復によって、処理する国政事項が増えたこともあるが。
 最大の理由は、存在したことすら口に出せない身内を、あの桜花作戦で失ったことにあった。
 いや、その身内だけではない。
 クーデター事件の際に顔見知りとなり、親しく言葉を交わした同年代の国連軍兵士達が全滅した、という知らせを聞いた時の悠陽の落胆振りは、まさに世が終わらんばかりだった。
 あ号標的破壊の朗報も、ほとんど聞こえない様子だったことを、月詠はよく覚えている。

 若くして将軍となった悠陽には、年頃の少女らしい楽しみなど無縁であった。
 心を許し、喧嘩をしたり愚痴をはいたり、他愛のない話題に興じたりといったことができる知り合いは皆無である。
 あるいは、桜花作戦で散った者達が生きていればその役割を果たしてくれたかもしれないが……それこそ無意味な仮定だった。

 侍従長も月詠も、なんとか悠陽の心を軽くしようと努力はしたのだが。
 やはり、将軍という立場を第一に見てしまい、成功しているとは言い難い。

「このままでは、お体が心配です」

 侍従長は、娘を心配する母親のようにため息をついた。
 月詠も、自分の額に手をやる。

 本土防衛戦以来……特にクーデター事件において、帝国政府は人材を失い続けた。
 その中でも、政治部門の人材枯渇は深刻だ。
 クーデターにおいて、内閣及びその直属文民の大多数が国賊として殺された。
 残余の政治家が、仙台臨時政府を成立させて事態の収拾にあたったが、彼らもまた事件後に政治の舞台から引き下がる。

 将軍の言動・態度は、軍人優遇ととられかねないものであり、文民が萎縮し失望するのも仕方ないことだった。
 こうして、政治を支える人材層が一気に手薄となった。
 そのマンパワーの不足は、もろに将軍に圧しかかる。
 専門的政治知識を持って補佐する人材……特に、将軍に誤りがあると思えば、不興を恐れず諫言するような人物が皆無に近いのだ。

 もちろん、軍人に甘めの態度をとったのに理由が無い訳ではない。
 当時の日本は相変わらずBETAと対峙を続ける最前線国家であり、クーデター軍人をできるだけ軍務に戻さなければならなかったのだ。
 道理に合わない話だが、当時の日本は道理や正義よりも、戦力を必要としていた。
 クーデター軍人を処刑しても、失った戦力が戻ってくるわけではないのだ。
 虐殺犯だろうと、生きている兵士には、まず戦ってもらわなければならない。
 このため、将軍のクーデター終結宣言は、むしろクーデターを擁護・賛美するような色が強くなり、被害者側への配慮や違法行為を責める部分は抑え気味にされた。
 これが、国内外にどんなメッセージとして伝わったかは明白だ。

 すなわち、軍人が独断で殺害行為を行おうが正しく、かつての内閣や臨時政府ら文民は逆賊である、と。

 これで軍人が増長しないわけがない。

 その中でも旧クーデター派は、たちまち軍の最大派閥となった。
 将軍の御意を得たという背景と、将軍が軍に直接与える影響力が増大した政治変動。
 これらを見て、出世やポストを望む連中は旧クーデター派の元に集まった。
 クーデターによって国防省が落ち、幹部軍人が殺されたために空いた重要ポストにクーデター士官がつく、という出鱈目もまかりとおった。
 甲21号作戦のために早急な機能回復をする必要があり、そんな手さえ使わざるを得なかったのが、当時の帝国軍の状況だった。
 このような組織内の力学に、「道理に合わないものは合わない」と我が身を顧みず無関係でいられる人間はいつの世も少数だ。
 元来、クーデターを実行・賛同したのは帝都守備師団や、富士教導団といった軍本流のエリート集団だから、表立って逆らえる者はほぼ皆無となった。

 ここで、文民統制から軍人を抑えるべき残った政治家や官僚も、
 『仮に軍に逆らったため俺たちが殺されても、軍人はろくな罰も受けず、むしろこちらが逆賊扱いされるのだ……殿下も軍人寄りの御方であるし』
 となれば、意気があがるわけもなかった。
 誰だって、死に損などしたくはない。

「先方(解放戦線)との交渉役の選定を裁可していただいた後、少し御休みになっていただきましょう」

 月詠はそう提案した。
 すでに政府は、スパルタクスが言った人物を特定していた。
 小野崎順也・陸軍少将。
 事件当時、京都の兵站基地司令官であり、独断での難民支援を行った経歴が一致した。
 クーデターには徹頭徹尾批判的であったため、旧クーデター派に睨まれて地方基地をたらい回しにされているという。

「そうしていただければよいのですが……その前にお倒れにならないかと心配で……」

 そういう侍従長の顔色も、あまり良くなかった。心労が溜まっているのだ。

「……」

 今回の難民解放戦線及び離反軍に対して出した将軍の停戦命令は、大きな賭けだった。
 将軍が、クーデターを起こした軍人を無条件に贔屓しているわけではない、という国内外……特に旧クーデター派へのメッセージでもあるのだ。
 停戦命令自体がまたもや国際常識に反し、外国から冷たい目で見られるリスクを承知で、将軍とその側近が必死に判断を下した。
 これを皆が正しく受け取ってくれればいいが、と月詠は祈るような気持ちでいたのだが。

「帝都城でも、不穏なうわさが流れております。殿下が、アメリカのなんといいましたか……工作機関と実は繋がっていた、などという不敬な内容で……」

 月詠は、侍従長の漏らした言葉にわずかに頬を引きつらせた。
 国内事情だけで対処能力が飽和しているところへ、海の向こうから伝わったクーデターはじめとする事件についての暴露情報。
 アメリカの重鎮だった男が、実名かつ公共の場でぶちまけた話は、人々に信憑性を強く感じさせていた。
 そしてその内容は、無数の邪推を生むに十分な力を持っていた。
 もちろん、忠誠心厚い月詠らは、将軍を疑ったりはしない。
 同時に、他者がさまざまに疑っても不思議はない情勢である、ということも理解していた。

「これだけ流動化した状況では、問題を一つ一つ確実に解決していくしかありません。
どうか、殿下のお耳に御心を煩わす無責任なうわさが入らぬよう、心がけていただきたい」

 なんとか侍従長を励まそうとしているのだが、硬い言葉しか出てこないのが、月詠真耶がまだまだ人間としては若いことを証明していた。
 不意に、廊下に激しい靴音が響いた。
 二人は、何事かと顔を上げる。
 帝都城に出入りできる人間は、厳しくしつけられている。余程の事がない限り、慌てて走ったりなどはしない。
 鋭くなった月詠の視線の先に、血相を変えた斯衛の兵士が現れる。

「つ、月詠少佐! 大変です! て、帝国軍の部隊が帝都城へ進軍してきていますっ! 停止命令にも従いません!
先鋒は、すでに市街へ突入してきております!」

 その言葉に、一気に気配を厳しくした月詠は、蒼白になる侍従長に一礼する暇もなく駆け出した。



[24030] 第十話・風変
Name: 執事◆435a2cd8 ID:91c90832
Date: 2010/11/23 21:32
 偽装母艦に辿りついた時、五十川機の推進剤はゼロになる直前だった。
 本来なら、小隊長が部下の無事な着艦を見届けてから、最後に自分が降りるのが正規軍・傭兵を問わない暗黙のルールだ。
 部下に死ね、殺せと命令する立場というのは、単なる上限関係だけでは成立しえない。隊長は、相応の資質を常に示す必要がある。
 が、今はそんな格好をつけている暇はない。
 五十川の迅雷は、最後の燃料を使い海面に向かって逆噴射し減速、機体各部を振り回して姿勢制御して、船の上に滑り込んだ。
 あらかじめ用意されていた、戦術機着艦用のワイヤーネットに重い戦術機が受け止められる。

「……ふぅ」

 パーツを振っての空力制御は、帝国軍出身衛士の得意とするところだが、やり直しのきかない一発勝負はやはり心臓に悪い。
 五十川は、迅雷に駐機姿勢を取らせると、額の汗を拭ってから管制ユニットから出た。
 冷たい洋上の大気が渦を巻き、一気に五十川の顔の体温を奪っていく。
 整備兵がかけつけ、梯子を用意してくれる。

「っと……」

 梯子を降りている時、五十川の足が軽くだが滑りかけた。
 F-22らしき相手を陽動するための機動が、体力をかなり削っていたのだ。

「隊長、大丈夫ですか?」

 降りたところで、五十川の目の前にストロー付の水筒が差し出された。
 傭兵の衛士強化装備の、若い女性だ。まだ、20歳になったぐらいか。
 黒曜石のような大きな瞳と、背中まで伸ばして一まとめにした黒髪が印象的な、そこそこ美形といっていいアジア人だ。

「すまん」

 礼をいってから、五十川は水筒を受け取り、喉を鳴らして飲む。
 乾いた喉に染み込む水分が、体の緊張を内側から癒していき、五十川はようやく表情を緩めた。
 そこへ、無事着艦したマリアとリチャードが歩み寄って来る。

「あー! 藤花(テンファ)!」

 リチャードが声を上げた。
 五十川に水筒を渡した女性が、小隊最後の一人で、本来なら紀伊半島で合流していたはずの仲間だった。

「お、お前なんでこなかったんだよ!?」

 詰め寄ろうとするリチャードを、マリアが視線で制する。
 藤花は、隊では一番年若いがやはりプロの傭兵だ。

「申し訳ありません。西日本の帝国軍の動きが活発化したため、迂回を余儀なくされました」

 藤花は、丁寧に頭を下げる。それから、彼女は説明をはじめた。
 彼女の迅雷が、機材不調から出発が遅れたのは、すでに全員が承知していた。
 調整後、別の偽装貨物船で追いかけてくることも。
 ところが、いざ日本近海に来た時、予期しない帝国軍の沿岸移動を察知し、発艦が遅れたのだという。
 ようやく出撃したが、そこで五十川小隊が撤退を決めた事を衛星通信で知り、こちらに進路を変えた。

「西日本……?」

 五十川は、リチャード・マリアの順で目を見合わせた。
 小康状態とはいえ、日本に『外敵』が上陸したままなのだ。警戒レベルを引き上げたり、兵力移動を行っていること自体は、別に不思議ではないのだが。
 藤花は、それを織り込み済みで移動ルートを設置したはずだ。
 当初の想定以上に、帝国軍の動きが活発化していることになる。

「――また、何か動きがあったのかもしれん」

 五十川は、衛士強化装備姿のまま足早に通信室へと向かう。
 小隊員達も、当然のようにそれに従った。

 五十川が通信室の座席を借り、財団本部との通信回線を開くと、待ち構えていたようにマルコーが直接出た。

「無事だったか。今、いくつか新しい情報が入った。どれも軽視できんものだ」

「こちらも、報告しなければならないことがあります」

 部下の目があるため、五十川の話し方は丁寧になる。
 五十川は、手短に便乗連中が殲滅されていたこと、それをやったのがラプターでほぼ間違いないことを伝えた。

「ラプター、か。やはり、アメリカは甘くないか……CIAの独断かもしれんが」

 アメリカの文民政府は、日本帝国などと比べ物にならないほどしっかりと軍人や官僚を統制している。
 だが、何事にも例外は存在する。それがCIAなどの諜報機関だ。
 高度の機密性を要する諜報機関は、どの国々でも特別扱いされるのが通例だが、CIAはその中でも抜きん出て力が強い。
 本来は、アメリカのいくつかある国家情報機関の一つに過ぎなかったのだが、冷戦やBETA大戦を通じてその権限と予算規模を拡大させ続けていった。
 時にはアメリカの政治家のスキャンダルを収集し、CIA長官がそれをカードに使って実質的にアメリカの主導権を握った、と言われる。
 その行動を仔細にみると、情報収集や工作の失敗がかなり多く、決して巷間言われるほど全能な組織ではないのだが。
 それでも、日本帝国のクーデター事件に見られるように、一国の命運に影響力を与えうる、油断ならない者達である事は否定できなかった。

「対日工作失敗と、その情報暴露で焦った連中のあがきかもしれんな。今の帝国ならば、工作の余地はいくらでもある」

 その工作を行っている当人の一人であるマルコーが、他人事のように論評するのを五十川は呆れ顔で聞いていたが。

「分析は任せます。それより、帝国国内で何かあったのですか?」

 今回の帝国の騒乱での財団の目的は、帝国政府から国債償還はじめとする経済的利益を引き出すことだ。
 マルコーが事前に言った通り、極論すれば日本が他国の支配下においやられようと、金さえ貰えば良い。
 逆にいえば、金払いの悪い連中が政権を握れば、すべての努力と投資は無駄になることを意味していた。

「ああ。例の将軍の停戦命令に異議のある軍人……旧クーデター参加者を中心とする連中が、帝都に直訴に及ぼうとしている。部隊でな」

 マルコーの、あきれを隠そうともしない言葉に、五十川はしばし無言になった。

「へ? どういうことです? 確か、クーデターやらかした連中って将軍のミココロ……その思い通りの政治をやらせたかったんですよね?
なんで、その通りになったのに異議を出すんです?」

 リチャードが思わず横から口を出した。日系人とはいえ、日本嫌いである彼は、仕事上の最低限の知識でしか日本帝国の現状を知らないのだ。
 財団当主と傭兵隊長の話に横から口出しするのは非礼で、マリアと藤花は厳しい視線をリチャードに注いだが、マルコーは気を悪くした様子もなく答えた。

「彼らは、『自分達が特別に正しいから認められた』と勘違いしたのだよ。そして、帝国に限らず、自分の正義を信じる人間が、一番過激になるのはありがちなことだ。
対立するもの、気に入らないものは悪である、と簡単に決め付けるからな。クーデター事件の時でさえ日本全体の苦境や、相手の立場を考えもせず殺害するほど神経が麻痺していた。
そんな連中にとってみれば、自分達とテロリスト風情を同等に扱ったことは、耐え難い行為だ」

「ですが、将軍の直接命令でしょう、今回のは」

「クーデターを起こした連中は、12・5事件の時に将軍の名で出された命令ですら、自分達に不利だと偽命である、と決め付け無視した。
確かに降伏命令は偽物だったのだが、内通者から本物の停戦命令を教えられてもなお、将軍の身柄を手に入れようと鎮圧軍・国連軍・米軍との戦闘を続行した。
つまり、自分達の手の内にある将軍が出した命令でなければ、本当の御心とは認めないわけだ。
どうも今回は、悪い側近が将軍を唆した恐れがある、などと言っているらしい」

「……めちゃくちゃですね。いっつも直接言葉をかけないといけないのなら、将軍の身がもたないでしょう」

「第三者から見れば、まさにそうだ。だが、そういう客観性が無いからこそ、クーデターなど起こせたのだろうよ。
連中は、確かに主観的には命を捨ててかまわないほど帝国を愛し、将軍に忠誠を誓っているだろうさ。
単なる権力欲しさなら、元々エリート部隊の連中は、後方で黙っていても順当出世で軍幹部になれたんだからな。それを投げ打ってみせた。
だが、それをいったらクーデター側に逆賊とレッテル貼りされ殺された連中だって、国を愛し将軍に忠誠を持っていたはずだ」

 五十川は、無意識に拳を握り締めていた。

「……何をやっているんだ」

 もう、日本を捨てた自分が言えた義理ではない、とわかっていながら元帝国軍人はそう呟かずにはいられなかった。

「まぁ愛や忠義、などという内心の問題を外で振りかざすこと自体がおかしいのだがな。
口では愛している、といっても本心はどうだかわからない。自分自身の心を見誤ることさえ多いのが、人間というものだ。
だから、我々財団や君達傭兵は、カネという現実的で生臭いものに『忠誠』を誓っているわけだ」

 五十川への配慮か、それとも本音なのか。冗談めかして話をマルコーが締めくくると、リチャードはありがとうございます、といって引き下がった。
 頭を振って思考を切りかえて――ここ数ヶ月で、一体何回これをやっただろう――五十川は、改めてマルコーに質問した。

「具体的には、どの程度の戦力が独自に動いているんです? 将軍・帝国政府や斯衛の反応は?」

「最初は、帝都守備・第1師団の一部部隊のみだった。が、今の帝国軍において旧クーデター派の力は絶大だからな。同調する動きを見せる部隊が続出している。
多くの兵士は、上官の命令に従っているに過ぎないだろうが……その数は、帝都に向かっているだけで二個師団分に達するな。質はともかく、数では前のクーデターより上だ」

「! ……派閥の論理、ですね」

 帝国のみならず、人類の歴史ではよくあることだ。
 派閥というか、人間が集まって一勢力を成すと、さまざまなしがらみが発生する。
 時に、その集団を主導すると目される人間でさえ制御できず、組織自体が勝手にある方向へ前進しはじめるのだ。
 個人レベルでいえば、善人だったり知性ある人物が、集団に取り込まれると恐ろしい愚行さえ、流されるままやってのけるようになる。
 これに抵抗できる人間は、それこそ少数だ。

「もちろん、帝国軍全てがそいつらに与したわけじゃない。各地で、無断移動を制しようとする部隊とのにらみ合いが早速始まっている様子だ。流石に手を出した所はないようだが」

 さらにマルコーの説明は続いた。
 帝国政府は停止命令を出したが、命令発令機関である参謀本部にも旧クーデター派の影響が及んでいて、効果が薄い。
 将軍の命だ、といっても直接お言葉をいただくまでは信用できん、という態度だ。
 斯衛の制止にいたっては、そもそもそんな権限があるのかと突っぱね、さらに感情的反発も露わにしている。
 帝都各所で、互いに銃口を向けている状況だという。

「それで、我々はどうすれば?」

「現行の帝国政府は、財団の要求を受け入れる気配を見せていた。旧クーデター派が政権をとった場合、どうなるかは未知数だ。
今は静観するが、事が起こったら帝国政府を支援する可能性が高い。そのつもりで準備していてくれ」

 五十川の背後で、リチャード達がそろって息を吐いた。
 つまり、帝国を引っかき回しにきたのに、いよいよ日本政府を守って秩序安定に協力する気配が見えてきた。

 昨日の友は今日の敵。逆もしかり。
 それが国際社会や傭兵の日常茶飯時。
 とはいえ、事態の急激過ぎる変化に、マリアさえ少し唖然としている様子を隠せなかった。





 仙台。
 この街は幕藩時代からの歴史を持つ古い家々と、ごく新しい現代建築が混在している。
 BETA大戦によって西日本が、そして関東が大打撃を受けたため、政府機能移転地として指定を受けて急ピッチで開発が進められたからだ。
 本土防衛戦以前から、第三帝都(後、第二帝都)に指定されて下準備が進んでいたが、東京の陥落さえ時間の問題と思われた1999年からはさらにそれが加速した。
 幸いなことに、BETA大戦の戦火はこの地に及ぶことはなく、今も平穏な時間が流れている。

「北方方面軍は、動かないのだな?」

 作務衣を着た中年男性が、高級ソファーに腰掛けながら口を開いた。
 ここは、仙台に疎開した元政治家の屋敷だった。
 男が問うたのは、東京での旧クーデター派直訴騒動に対する、東北や北海道に展開する帝国軍についてだ。

「はい。元々、このあたりの帝国軍はかつてはソ連軍、今はBETAと対峙した経験が長く、国防の一線を背負っている、という意識が高いのです。
中央エリートに対する地方軍のひがみ、もありますが。政治ごっこにうつつを抜かす軍人を唾棄すらしていますよ。
北九州や新潟の部隊も同様です。彼らは、先のクーデター中も背後の不安にもかかわらず、対BETA任務を継続したほどですから」

 若い秘書……これも「元」が頭につくが、の報告に、男は満足そうにうなずいた。

「軍人たるもの、そうであってもらわなければこまる。それに引き換え、他の連中は……」

 男は、天を仰いだ。
 この人物、名を佐橋孝雄という。
 かつてのクーデター事件で成立した、仙台臨時政府の中央を占めたこともある大物政治家だった。
 政治家としては若く、将来の首相候補とさえ言われていた。
 が、現在は公職を引退し、無位無官の身だ。

「思い上がった軍人どもも悪いが、将軍も悪い。婉曲なメッセージが、あの白か黒かでしか物事を考えられない連中に、理解されるはずないではないか」

 佐橋は、忌々しげに吐き捨てた。
 態度から、将軍への敬意などまったく感じられない。将軍の内心の苦衷を、ほぼ正確に察しながらそれでも、だ。
 それもそのはず、クーデター事件の時に、外国軍の活動を受け入れ、将軍の命令を書き換えて『降伏命令』を出させた張本人の一人であった。
 一方で、米軍受け入れの絶対条件に将軍の身の安全保護を加えたり、事件が終わると以前から軍部等に不当制限されていた分を含め、権力を将軍に返した男でもあった。
 そして自らはあっさりと臨時政府を解散させ、辞職した。
 ある面でいえば、クーデター将兵が批判した『将軍をないがしろにする国賊政治家』を絵に描いたような男。
 ある面では、誰よりも将軍を大事にする忠臣。
 ただ事跡を追っただけでは、この男の本音がどこにあるのかわからない。
 佐橋は、『本心をたやすく他人に読まれるようでは、政治家など務まらん』と言ってはばからない人物であるから、有言実行というべきだろう。

「……それで、先生。アメリカはなんと言ってきたのです?」

 引退後、訪ね人が減ってひっそりした屋敷に、昼頃とある企業の役員がやってきた。
 その役員は、不知火弐型に使われる米製パーツの大部分をライセンス生産する、有名軍需企業の者だった。
 そして、自分からアメリカのメッセンジャーだ、と明かしていくつかの記録媒体と手紙をおいていった。

「ごたごたの影響で帝国軍が迎撃できなかった、どこぞのテロリストどもを帝国の面子を潰さんように始末してやった、と恩着せがましく言ってきたわ」

 ふん、と鼻を鳴らす佐橋。
 政治家、というより軍人を思わせるいかつい面は、世間で親米派といわれる風評に反して、米軍の介入に不快そうだった。
 元々、佐橋は在日米軍の軍人犯罪対策をしばしば国会の場で問い質したりと、むしろ反米派だった。
 それが親米と言われるのは、やはりクーデター事件の対応のせいだ。
 佐橋にとってみれば、国軍が信頼できず、将軍・斯衛も文民を守ってくれないとわかった以上は外……アメリカや国連に頼るしかなかった。
 固有の武力を持たない政治家としては、他にやりようがなかったのだ。
 文民の命令に従ってくれる帝国軍部隊は少なく、米軍監視さえおぼつかなかった。
 しかし、いちいちそれを世に訴えたりしない。
 経緯はどうだろうと、やった結果を受け止めるのが政治家というものだ。
 このあたりは、立場は違うが榊是親が殺される寸前ですら、自己弁護じみたことを言わなかったのに通じるものがあった。

 が、今回の迎撃によって、日本がアメリカに借りを作ったのは確かだ。
 解放戦線だけでも頭が痛いのに、別勢力にまで帝国領土に地歩を築かれたら厄介以外何物でもなかった。
 送られてきた戦闘映像もまた、意図的編集されたであろうことを差し引いても、強烈であった。
 たった二機のF-22が、寄せ集め同然とはいえ遥かに多数の敵を、まるで射的の的のように一方的に撃ちすくめていったのだ。
 こんな時代の政治家として、佐橋はそれなりに軍事知識を蓄えていたから、これがどれだけ凄まじいことか理解できる。

「アメリカは、また日本に手を伸ばしてくるのでしょうか?」

 秘書が、さすがに心配そうな声を上げた。

「正確には、アメリカの中でも失地回復に大忙しの連中だろうがな」

 佐橋にとっても、過去のコネを使って知った暴露されたクーデター情報は、怒りと納得を覚えるものだった。
 やはり、自分達は踊らされていたのだ。
 当時のCIA工作の厄介なところは、佐橋ら暴力に対して無力な政治家が、たとえ反米的でも米軍にすがらざるをえない状況を作り上げたことにある。
 そして、現在も少しずつそれに近い状態に陥りつつあった。
 敵性勢力が、解放戦線程度でさえこうも梃子摺り、内紛に飛び火しているのだ。
 もし潜在的に対立する強国が、口実をつけて侵攻してきたら……。
 日本近隣諸国は、相変わらずBETAと対峙を続けているため、ありえないと佐橋は思うが。
 それをいったらBETAと直接対決中だった日本帝国でクーデターが起こるなどと、世界の大部分は夢にも思わなかったではないか。

「落ち目の旧オルタネイティヴ5派だが、いまだ情報機関あたりへの影響力は健在らしい。手柄を上げたいんだろうよ」

 現行の日本政府に直接恩を売らず、佐橋のような引退政治家に言ってきたのは、例によって政変を起こさせて今度こそ親米政権を樹立させる狙いか。

 BETAの脅威は、少しずつだが確実に日本から遠ざかっている。
 アメリカの対日強硬派の勢力も、減少しつつある。
 これは間違いなく喜ばしいことだ。
 だが、その代わりにこれまで抑え気味だった国外勢力の策動が激しさを増し、今日の事態を招いている。
 こうなっては、アメリカの一部勢力の不純動機や前科を承知の上で、その力を借り日本の安定を取り戻さねばならないかもしれない。
 全体として、アメリカがこの世界の超大国・並ぶ者のないナンバー1である、という現実は変わっていないのだ。
 そして、あの国は国益に敏感だ。協力を求める場合は、ふさわしい代価を求められるだろう。

「将軍が、今度こそ初手から断固とした判断を下してくれればいいのだがな……」

 たとえば、将軍が旧クーデター派の面々の前に出て、直接に「従わねば逆賊である」と強い命令を下す。
 あのクーデター事件の時も、それぐらいの強気であってくれたら、佐橋は偽命をでっち上げる必要はなかった。
 クーデター側に誤ったメッセージを与え、鎮圧側を失望させ、将軍に「虐殺者に迎合した」という汚名を着せないため、ああしたのだ。
 そのことについて佐橋は恥じる気はまったくないが、同時に将軍崇拝者から見れば、許しがたい僭上(せんじょう)の沙汰であることもまた、承知していた。
 しかし、将軍の直接説諭は非現実的だった。
 逆上した将兵が、将軍を害する恐れが僅かでもある以上は、斯衛軍はそれこそ将軍その人に逆らってでも止めるだろう。
 即日解決は、難しい。
 そして、一日混乱が長引けば、帝国の経済や国際的信用は打撃を受け続ける。
 今は、良くも悪くも中央のごたごたになれた地方行政組織が、治安と配給を守っているが、これもいつまで続くか。

「……今回もまた、連中に乗せられなければならんか」

 佐橋はつぶやくと、秘書を下がらせて机に向かい、筆記用具と真っ白な手紙を取り出す。
 アメリカに返事を書くのだ。連中を喜ばせ、かつ決定的言質を与えないような文言で。
 今回の帝国軍旧クーデター派の動きは、かつてのクーデターのように、いきなり気に入らない相手を虐殺・要地占領にまでは至っていない。
 軍の最大派閥である、ということから、前と比べて余裕がある気配だ。

 まだ、時間はある。
 今度は、逆にこちらが慌てるアメリカを利用し、日本の踏み台にしてやるべく、策を練る余裕はあろう。
 もちろん、佐橋自身に復権を渇望する野心は満々にあった。

「……そういえば、国連軍はどう動くつもりだ?」

 ふと佐橋は首を捻った。
 前回のクーデターでは、在日国連軍が大きな要素となっていた。
 と、いうより将軍の身柄を確保したことといい、むしろ工作を仕掛けた勢力のひとつ、と見られても仕方ないほど上手く立ち回った。
 だが今回の件については、基地を押さえられても、今だに態度さえ明確にしない。
 帝国の問題に話が摩り替わって以降、完全に方針を決めかねているようだ。
 2001年度下旬からの一連の戦いで、その真価が発揮されるまで帝国人が一般的に国連軍に抱いていた、ネガティヴな評価そのままの停滞。
 ほどなく佐橋は、原因に思い至る。

「――そうか、もう『横浜の魔女』は日本にはいなかったな」

 最大の要注意人物だった女性の、その後を思い出した佐橋は、ペンを走らせはじめた。



[24030] 第十一話・連鎖
Name: 執事◆435a2cd8 ID:91c90832
Date: 2010/11/21 21:04
 日本全土を覆う混乱の驟雨。
 それは、日本帝国軍最精鋭と呼ばれる、富士教導団にも及んでいた。
 元々この部隊は、衛士の錬度向上のための仮想敵を務めるべく、国防の最前線でもある北九州で編成された部隊だった。
 やがて富士に落ち着き、本来の任務のほかに実験開発や新型機実用試験なども請け負うようになった。
 その任務の性質上、一般的な帝国軍将兵を上回る技量を要求され、特に戦術機甲部隊は凄腕が各地から選抜されている。

 かつてのクーデター事件では、決起に同調。
 将軍を救出(決起側から見れば拉致)にきた米軍部隊と激闘を繰り広げた。
 だが、今回の進軍でも即座に旧クーデター派に組する――とはならなかった。
 帝都で、第1師団と斯衛軍の睨み合いがはじまったのが、24日の午後。
 それから現在の25日9時にいたるまで、部隊としての動きはない。

「様子はどうだった?」

 富士駐屯地の第一基地。そのブリーフィングルームに、ややハスキーな女性の声が響いた。
 歌劇団の男役でも務まりそうな優れた容姿を持ち、口元を飾る不敵な笑みを浮かべているのは、宗像美冴大尉。
 富士教導団は実力第一の世界であり、力量があれば年齢などうるさくいわれないのだが、その中でも若い中隊長に入る人物だ。

「やはり、帝都の動きに同調しようとする者達が多いようですわ。ただ、かなり混乱もしているようです」

「と、なると。今回の第1師団の『おいた』は偶発的な動きだったのか」

 部下の、おっとりとした雰囲気でこれまた衛士とは思えない風間祷子中尉の報告に、宗像は形のよい顎に指先を当てて考え込んだ。
 この二人は帝国軍生え抜きではなく、国連軍からの横滑り組だった。

 富士教導団は、あのクーデター事件後にひそかな変革の予兆を迎えていた。
 これまでは、純粋培養された帝国軍軍人で占められており、それゆえにクーデターにも熱狂的に賛同した。
 だが桜花作戦後に、帝国軍に移籍した国連軍出身の要員が配属されるようになったのだ。
 それまでとは違った価値観や経験を持つ要員が加わったことで、教導団全体の空気が少しずつ変わってきている。
 日本的な考えや判断基準のみでは通じない世界があることを知り、それと否応なく付き合う経験を積んだ国連軍出身将兵は、視野が広いことが多い。
 そんな新しい『血』が入ったため、なまじ『上』から軍人は政治に関与するな、と怒鳴られるよりは意識改革に影響が出つつある。
 とはいえ、教導団の大多数は相変わらずだ。

「宗像大尉。弐型の警備を強化するよう要請しました」

 ブリーフィングルーム据え付けの電話を手に取っていた涼宮茜中尉が、緊張した面持ちで振り返った。
 彼女もまた、国連軍出身であり。かつ、宗像らの戦友でもあった。
 ――横浜基地で、五十川とすれ違った人物でもあった。

 ごくろう、と涼宮にうなずいてから、宗像は髪をかきあげた。

「参ったねえ……国連軍時代は楽だったんだが」

 宗像らを緊張させているのは、日本全体の混乱もさることながら、軍権の所在が不明確なことだ。
 どれが本当に従うべき命令や動きなのか? まず、そこから考えて決断しなければならない。
 ある人物にのみ直属し、その指示を絶対としていればよかった時期が長い宗像らは、このような状況に慣れていなかった。
 宗像中隊・通称『イスミ・ヴァルキリーズ』は、新鋭の04式・不知火弐型を集中配備された、教導団の中でも特に有力と目される部隊のひとつだ。
 中隊には国連軍出身者が比較的多いこともあり、立場は平時でも微妙なところがある。
 その一挙一動は、慎重にならざるを得なかった。

 いっそ、洞ヶ峠を決め込もうかという誘惑にかられる宗像。
 一見すれば無責任だが、強大な暴力を行使する軍人が独断で動くよりは、まだしも現代国家軍の原則に忠実だ。

「もし、また帝国軍が相撃つようなことになったら……」

 不安そうにこぼす、くっきりした目が特徴的な女性衛士。伊隅あきら中尉。
 よく勘違いされるが、イスミ・ヴァルキリーズは彼女にちなんだものではない。
 中隊の名を冠するどころか、隊内での立場は下から数えたほうが早い。
 あの甲21号作戦や、錬鉄作戦に参戦して生き残った経験のある衛士だが、教導団では新参だ。
 彼女らは全員すでに強化装備姿になり、いつでも変事に備えられるようにしている。

「BETAがまだ地球から駆逐されたわけじゃないのに!」

 憤懣やるかたない、といった様子で目を吊り上げる涼宮。
 彼女らは、大陸に移った前線を支援するために朝鮮や中国・ソ連などへ派遣され、そこで戦った経験が豊富ある。
 日本近隣からは、確かにBETAは追い払われた。
 XM3の普及、あ号標的破壊によるBETAの学習能力消滅の相乗効果で、戦線全体は人類側有利に傾きつつある。
 しかし、例えば1998年に日本を半壊させたBETAの発生源となった重慶ハイヴなどは、まだ健在だ。
 何かのきっかけで、人類側優位が崩れないとは限らない。
 そして、日本のごたごたは、東アジア戦線全体に波及する恐れは十分ある。

「上からの命令はいまだ無し、か」

 部下達の表情をひとつひとつ確認してから、宗像は壁に埋め込まれた情報画面を見やる。
 そこは、灰色のままだ。
 富士教導団の団長や参謀、各隊大隊長級のお偉いさんが集まって何時間も会議を開いているが、一向に結論が出た気配はない。
 先ほど、しびれを切らし独断で動こうとし、戦術機奪取を狙った者達が出て、警備兵に制止された一幕さえ起こった。
 止められた者達は、何を思ったのか身一つで基地から出て行ったので、大事にはならなかったが……。

 宗像はじめ、旧国連軍A-01出身者は、あの12・5事件の折に裏事情に関わり、帝都より西進するクーデター軍を迎撃した。
 その時のことを思い返すと、宗像の胸中に重石が生まれる。
 理由はどうあれ、同胞を手にかけたのは苦い感情を呼び覚ます。
 そして、味方も殺された。
 正直、あんなのは二度と御免蒙りたい。

「妙ですね。前のクーデターに賛同し、大規模に動いたのが教導団です。今回も、すぐに第1師団に同調すると思ったのですが」

 風間が首を傾げる。
 富士教導団の幹部クラスは、前のクーデターの時とほとんど顔ぶれが変わっていない。
 それが、ひたすら議論に終始しているのは不思議だった。
 やはり将軍の直々の命令に逆らうことは……という意識があるのだろうか。

 と、そこで電子音が鳴り、壁の画面に男の顔が映し出された。
 富士教導団団長・村津荘一郎少将だった。
 浅黒い肌と、鋭い眼光を持つ軍人だが、実のところあまり評判が良くない。
 部隊管理能力や指揮能力はともかく、若い士官の『熱心さ』についほだされてしまう、日本的過ぎる人情の人だ。
 それがいきすぎて、クーデター参加を黙認した過去がある。

「富士教導団の全将兵に告ぐ。今、日本を取り巻いている情勢は、すでに先刻承知のことと思う。
そして、将軍殿下と軍の有志の間に、残念な意思の不疎通があったため、帝国は混乱の中にある」

 おやおや、と宗像はつぶやいた。
 有志、残念な意思の不疎通。
 言葉の選び方自体が、やはり旧クーデター派寄りだと露骨に示していた。

「そもそも、今日この事態を招いた元凶は、難民解放戦線なるテロリストと、帝国軍人にあるまじき反乱軍の野合集団が、我が帝国領土を占拠している事に端を発する」

 ブリーフィングルームに、重苦しい空気が漂いはじめた。
 もし、第1師団に停戦命令を伝えた斯衛士官がいたら、それを決める権限があるのは殿下である、と噛み付いただろう。

「よって我が教導団は、全力を挙げて横須賀に居座る帝国の敵を叩く……これは言うまでもなく、将軍殿下の停戦命令に背く行為である。
しかしながら先の決起の際に殿下は、御奉迎のために停戦命令に従えなかった烈士達を、そのことによって咎めはせず、謁見の栄誉を賜った」

 ちょっと待て、とヴァルキリーズの一人が声を上げた。
 が、文句が聞こえるはずもない画面の向こうの団長は、満面に決意をたたえて言葉を続けた。

「殿下に過ちがある場合は、一身を投げ打ってでも、それを糺すのが臣下の道である。責任はすべて私が取る。全部隊、横須賀に進軍準備をせよ!」

 その台詞が終わったとたん、宗像は額に手をやった。
 誰が団長に吹き込んだのかはわからないが、さすがは日本最精鋭といわれる部隊の連中だ。悪知恵が回る、というのが彼女の実感だった。
 最初から旧クーデター派寄りだったが、だからといって将軍その人を相手にしかねないような帝都進軍は、リスクが大きいと判断したのだろう。
 それが、忠誠心からか、それとも打算からかはわからないが。
 同じ相手にするのなら、外国難民や離反帝国軍のほうが、将兵の心理的ハードルが低いということも把握している。
 だが、横須賀に無断攻撃するには、殿下じきじきの停戦命令という壁があった。
 それを、誤った殿下を糺すのが忠臣、と示し同時に事後承認の前例を持ち出すことで乗り越えた。
 やり口でいえば、中世期さながらの強訴同然とはいえ、まず将軍の翻意を促す帝都の連中のほうがマシかもしれない。
 今までの時間は、こういった理論を組み立てるために費やされていたらしい。

 一方で、事の本質を突いてるのも確かだ。
 仮に将軍と旧クーデター派が和解したところで、解放戦線らが居座る限り、不和の火種はくすぶり続けるのだ。

「大尉! どうするんですか!? まさか……」

 顔を真っ赤にする涼宮。
 もちろん、団長の命令に感動し、一命をもって臣下の道を示す興奮にむせんでいるわけではない。
 帝国が公式に出した命令を頭越しに破って武力行使しようとする団長に、反感を覚えているのだ。

「落ち着け、涼宮」

 言いながら、宗像は団長の顔が消えた画面に目を凝らした。代わりに、具体的な進撃手順が表示されたのだ。

「あれ……?」

 それを見て、伊隅が気の抜けたような声を上げた。
 横須賀に出撃するよう命令が出たのは、教導団の全部隊ではなかった。
 一部部隊が基地留守に残されるのだが、その中にヴァルキリーズの名前があった。

「……どうやら私達は仲間外れらしい」

 宗像の口元から、あきれを含んだ笑いが漏れた。
 出撃部隊の面子は、以前からの主力衛士――つまり、クーデター参加組が中核あるいは隊長クラスを努める部隊ばかりだった。
 国連軍出身組・クーデター時に賛同せず動かなかった者達、ごくごく少数だが参加してからクーデターに疑問を持つようになった将兵らは、揃って留守番指定だ。
 そのほうが、意思統一がやりやすいと見たのだろう。

「こんな馬鹿げた騒動に参加しなくて済むのなら、それにこしたことはないが。さて……」

 宗像は、帝国生まれの帝国育ちだ。
 だが、国連軍……その中でも特異な位置にあるA-01に所属したため、帝国をどこか醒めた目でみることができる。
 将軍に対しても、熱狂的な思いを持っているわけではない。
 だが、今の将軍殿下その人は、A-01時代に先任としてほとんど何もしてやれなかった、そして自分達にできなかった大きな任務を果たして命を散らした後任達が、命がけで守った人だ。
 そして確認したわけではないが、その後任の一人と浅からぬ関係にあった可能性は濃厚。

 国連軍時代の彼女らの上司――香月夕呼ならどうするだろう?
 そう思案をめぐらせた宗像は、数秒で答えを出すのを断念した。到底、想像の及ぶところではなかった。
 では、上官であった、今は横浜基地の桜の下で眠っている伊隅みちる大尉や、速瀬水月・涼宮遥の両先任中尉だったら?
 故人に仮託して思案する宗像の苦悩を察したのか、そっと風間が彼女の肩に手をかけた。

「今のヴァルキリーズの隊長は貴方です、美冴さん。どんな答えを出そうと、ついていきますわ」

「ふふ、ありがとう祷子」

 顔を上げ笑顔になった宗像と、風間の視線が妖しく絡み合い、背景に花が浮かびそうな雰囲気が生まれる。
 これは緊張をほぐす、そして隊員にほぐさせるための一種のおふざけだということは、現在のヴァルキリーズも承知済みだが。
 未だ慣れない伊隅などは顔を真っ赤にしてしまう。

 ――ほどなく富士駐屯地より露軍迷彩不知火を主力とした、大部隊が出撃する。彼らは周辺部隊に賛同を呼びかけつつ、横須賀を目指し移動を開始した





「やはり、来たか」

 スパルタクスの顔も声も、強い緊張を帯びていた。
 横須賀基地の司令室。
 難民解放戦線、そして第6師団の幹部が集まっていた。
 戦線の出席者の多くは、国連軍から奪った軍服を着ている。
 停戦命令で一息ついたのも束の間、今度は交渉相手の帝国政府でごたごたが起こった。
 こうなると命令の効力も怪しいし、一部部隊が原因である自分達をまず排除、という思考をする可能性も予期していた。
 だが、それが帝国最強部隊とは……。

「威力偵察か、一部の戦術機部隊を先行させて向かって来ておりますな。遅くとも三時間後には、旧鎌倉市に達するものと」

 淡々と見てきたような正確な情報を伝えるのは、鎧衣左近。
 相変わらず、何の動機と目的で難民解放戦線に協力しているのかは不明だが、今回も真っ先に富士教導団の動きを伝えたのはこの男だ。
 その兵力は、露軍迷彩の不知火が、二個大隊72機。
 配備されたばかりの弐型が、二個中隊24機。
 教導団に賛同した、周辺部隊の撃震が約二個中隊。
 総数だけで戦術機甲一個連隊を超え、多くの衛士の技量は優れたものだろう。

「望むところだ!」

 第6師団戦術機隊隊長の国分大佐が気合の入った声を出すが、どこか虚勢じみて聞こえるのは仕方ないかもしれない。
 その思考や過去の行動が気に食わないとはいえ、富士部隊が日本中から選抜された精鋭であることに違いはないのだ。
 クーデター事件で散った者達の無念を胸に、実力を高めた第6師団といえども、不利は否めない。
 まして、第1師団とやりあって損害を出した後では。
 つい先刻までは、恨み重なる帝都守備連隊がまた武力をちらつかせて事に及ぼうとしている、と聞いてその背後を撃つと主張していたのだが……。

「……足止めは、我々難民解放戦線に任せていただけませんか?」

 そんな国分少佐に、穏やかな声がかかった。
 難民解放戦線側の、実戦指揮官とされている女性だ。
 年齢は30代前半程度か。淡い金髪を持ち、サングラスで目元を隠している。
 言葉にロシア訛りがあり、その出自を伺わせた。
 ソ連は、BETA大戦を乗り切るため、国民全軍属化・被支配民族は親子さえ引き離して利用する方針を採っており、そのような強権態度に反発する者達も多い。
 すでに祖国を失った難民達についで、解放戦線の実戦部門の人材の多くがソ連軍――特に抑圧された少数民族からの脱走者で占められている現実があった。

「は? し、しかし……」

 国分は戸惑いを表情から隠さなかった。
 相手は帝国最高の精鋭だ。
 対して、解放戦線は第一・第二世代機の寄せ集め。どこから手に入れたのか、第三世代機らしき機影も見かけたが、少数だ。

「なに、我等は連中の言うテロリストだ。テロリストにはテロリストの手管があることを、お見せしましょう」

 特に気負った様子もなく、自然体の女性に、国分はますます困惑を深める。
 富士教導団を迎え撃つための準備を整える時間が欲しいのは確かだが、戦力として信頼できるとは思えなかった。

「具体的には?」

「捕らえた国連軍兵士には、日本国籍を持つものがいます。彼らの頭に拳銃をつきつけ、人質にします」

 あまりにあっさりと言われたため、国分はぽかんと口を開けた。
 それを見て、女性は小さく笑った。

「失礼、冗談です」

「……驚かせないでほしいな」

 結局、短時間の検討の末、旧鎌倉に解放戦線主力が展開することになった。
 第6師団は、旧逗子市から横須賀にかけてその間に守備を固める。
 作戦が決まると、奇妙な呉越同舟の将兵達は、行動に移った。



 真っ先に旧鎌倉に達したのは、露軍迷彩不知火の富士教導団・第21中隊だった。
 だが、無闇に街中を突進したりしなかった。

 驕らず、冷静に対処せよ。

 そう中隊長の命令が出ていたのだ。
 この部隊は、12・5事件において上陸した米軍と交戦した経験を持つ。
 富士教導団の決起衛士達も、第1師団と同様に自分達の熱誠が将軍に通じ、日本をあるべき姿に戻す力となった、と自賛していたが。
 戦闘だけに限定すれば、不本意も良い所の結果だった、と見ていたところがやや違った。

 あの時、クーデター部隊は鎮圧側に回った帝国軍を一蹴したが、これは帝国軍の部隊間で技量格差がかなり大きいことを意味する。
 事件時だけに限定するのならともかく、帝国軍全体を教導する団の責務から見た場合、平時の指導力不足の露呈と見てよい結果だ。

 さらに、直接戦闘。
 米軍の二個大隊程度に、帝都守備師団と富士教導団という日本屈指の精鋭が、数と地の利の優位を持ってかかりながら、苦戦を余儀なくされた。
 いかに相手が当代最強のF-22を装備していたとはいえ、国連軍訓練兵部隊という足手まといを抱えた相手を押し切れず、脱出を許す結果となった。
 沙霧大尉らの空挺降下という一か八かの奇策がなければ、どうなっていたか。
 米軍部隊は、半数ほどがF-15E(2・5世代機)であり、全機がステルスの優位を持っていたわけではない。
 衛士も富士教導団に相当するような、米戦闘教導団の兵でもなかった。
 しかも、他国のごたごたでその要人を守る、という士気が上がりにくい戦いにもかかわらず、米軍の見せた闘志と技量は驚きだった。
 これが帝国衛士の実力と精神力に対するある種のうぬぼれに打撃を与えた。

 そして、国連軍。
 国連軍の一個中隊に満たない部隊が、帝都守備師団の西進第一波を、ほとんど独力で殲滅してのけた。
 後に、今はほとんどの帝国軍機に普及しているXM3を先行装備していた可能性が指摘されたが、それを差し引いても恐ろしい手強さだった。
 あの米軍部隊ですら、最後は数の差に押され壊滅したというのに、国連軍のその部隊は損害を出しつつも、健在のまま引き上げたことが確認されている。
 また甲21号作戦、横浜基地攻防戦、そして桜花作戦。それら一連の戦いで見せた在日国連軍全体の奮戦は壮絶であり、これも富士を瞠目させた。
 事後、国連軍出身衛士受け入れを容認したのも、これが影響していた。

 相手が誰であれ、油断するな。
 思想的にはともかく、こと戦闘に関してだけいえば、富士の衛士は無能や頑迷とは程遠かった。
 現在の日時は、11月25日の昼下がり。
 空は薄曇りで、先日の戦闘の傷跡が、廃墟のあちこちに不気味に口をあけている。
 油断なく突撃砲を構えた不知火が、その迷彩に淡い陽光を浴びつつ慎重に前進する。
 不知火の足に踏まれた瓦礫が、軋みをあげて砕けた。
 二機一組のエレメントが大通りを前進し、別のエレメントが後方よりカバー。さらに、それを別の小隊がやや離れながら援護する。
 派手な機動制御のみならず、地味だが重要な動きにも富士衛士が習熟していることを示すように、つけいる隙はまったくといっていいほどない。

 それを密かに見つめる者達が、感嘆のため息を思わず漏らすほどだ。
 女性――難民解放戦線の戦闘隊長、通称『ローザ』もその一人だった。
 彼女は、瓦礫の中に身を潜めて主動力を落とし、最低限の光学センサーだけを動かしている戦術機の中にいた。
 この種の動力を切って、発する電波・振動・熱を極力抑えて探知をやりすごし、待ち伏せするというのは対BETA戦でも良く使われる手だ。
 ただ急に起動し、襲いかかっただけでは返り討ちにあうだろう。

「いい腕と判断力だ」

 が、彼女らの感心はある感情と一体だった。
 すなわち、

「それでも、足止めぐらいは食らってもらうぞ」





「富士教導団が?」

 暗い管制ユニット内に、低い男の声が響く。

「ああ、今横須賀のテロリスト達がやられたら、帝国を揺さぶるタネが減る。少し手伝ってやれ」

 応答する声は、機械でクリーニングされた無機質な音だ。

「今度は、時間切れだから下がれ、は無しだよな?」

「もちろんだ……君も、12・5事件で殺された仲間の仇が討てる。士気があがるだろう?」

「馬鹿を言え」

 座席に座る男は、鼻で笑う。

「いくら不利な条件が重なったからといって、劣化コピー機にやられるような連中、仲間でもなんでも無い。ただ……」

 男の右手が、レバーを掴んだ。同時に左手をコンソールに走らせると、ユニット全体――いや、機体全体が目覚めにぶるりと震えた。

「このF-22の本当の力を思い知らせてやるのは悪くはない……もっとも、今回思い知った連中は皆、あの世行きだろうがな」

 低く笑って通信を切ると、男はフットペダルを踏み込んだ。



[24030] 第十二話・暗雲
Name: 執事◆435a2cd8 ID:91c90832
Date: 2010/11/23 00:57
 旧鎌倉市内の、無残にアスファルトが剥がれた道路を行く、不知火の一団
 先頭を進んでいた不知火の足元に、何かが微かにきらめいた。
 戦術機のセンサーを以ってしても、感知するのが困難なほど細いもの……ワイヤーだ。
 ソ連出身の解放戦線兵士には見慣れた露軍迷彩の鋼の足が、それに触れた。
 瞬間、道路に面した家屋の残骸の隙間から、爆音が轟いた。
 炎の弾が飛び出し、ほとんど零距離から不知火の機体を下から突き上げる。
 ワイヤーを張り、ロケットランチャーの引き金に結わえて作ったトラップが作動したのだ。
 単純だが、それだけに設置に時間を要さず、また熱や振動を出さないから歩兵の随伴でもない限り見つけるのは難しい。
 使われたロケットランチャーは、BETA地球侵攻以前からあったRPG-7。
 闇軍事市場なら、日本円にして数万円で手に入れることもできる安価な兵器だ。
 その直撃を至近距離からもらった、一機が億単位の値段になる不知火は、胸に爆炎の大輪を咲かせてのけぞった。

「あれで一機食えれば幸運だったが。やはりうまくはいかんか……」

 観察を続けていたローザは、唇を赤い舌で湿らせる。
 高い要求スペックを満たすため、装甲を重要部に局限した不知火だから、非装甲部を直撃すれば安手のロケットでも大打撃を与えられたはずだ。
 が、命中率の悪い罠では、精密射撃など望むべくもない。
 迷彩を煤で汚した不知火は、両足を踏ん張って体勢を整えなおし、仲間が即座に警戒態勢に入る。
 しかし、それらの挙動には数秒前まで見られなかった迷いが出ている。

「仕掛けるぞっ!」

 ローザの合図とともに、あちこちで息を潜めていた解放戦線の戦術機の主機に火が入る。
 同時に、不知火に対してあちこちからロケット弾が放たれた。
 瓦礫に潜んで断熱シートに包まり、赤外線センサー等をごまかしていた歩兵が、攻撃を開始したのだ。
 総計二十発ほどのロケット弾は、その半数が戦術機が対戦術機戦で用いるセンサーキラーのように欺瞞煙幕・電波を出すタイプ。
 対人携帯火器で戦術機を倒すのは困難だが、脆弱部分――関節やセンサーなどに攻撃を受ければ、機能低下は避けられない。
 不知火の小隊は、機体を鋭く振ってロケット弾の弾道を外すが、至近弾までは避け切れなかった。
 たちまち、装甲に細かな傷がいくつも走る。

 だが、こういった不測の事態に対処するため、富士教導団も部隊を分けていたのだ。
 即座にバックアップの小隊が前進して、あたりかまわず36ミリ突撃砲を発射する。
 耳をつんざく轟音が立て続けに響き、道路やビルに巨大な穴が穿たれた。
 視界が悪い中で、戦術機に比べて遥かに小さい歩兵を叩くには、乱射のほうが良いと理解している。
 直撃は無理でも、36ミリ砲弾の炸裂音や衝撃は、生身で受けるには強烈すぎる。それだけで十分、相手の行動を制約できるのだ。
 解放戦線の歩兵も、それを読んでいたかのように攻撃後即座に退避を開始していた。
 対人戦は、BETAとの殺し合いと違い、遭遇戦でもない限り手の内の読み合いだ。

 体勢を立て直した前進小隊の不知火が、歩兵火器で手傷を負った味方を援護しつつ、後退の構えを見せていた。
 消極的なようだが、正しい。
 航空戦力の代役も可能な戦術機の機動性を生かすには、柔軟な進退が欠かせない。

 解放戦線の戦術機が、大通りを半包囲するように立ち上がるが、その時には不知火の群れは、予定されていた網の中から逃れつつあった。
 だが、センサーキラーの効果範囲を抜けた彼らの背後から、またもやロケット弾が撃ち込まれた。
 待ち伏せし、不知火を有効射程に捕らえつつもあえて先に行かせた解放戦線の歩兵達だった。
 各地でゲリラ的に活動をしている解放戦線歩兵は、戦術機の死角やセンサーの特性さえ、自分や同胞の血で購った経験により把握している。
 戦術機に簡単に踏み潰されかねない状況で、冷静さと行動力を保って攻撃できる歩兵は、正規軍の精鋭でも滅多にいない。
 そして今度の兵が放ったのは、ロケット弾だけではなく、誘導機能を備えたミサイルも何発か混じっていた。
 戦術機の運動性といえども、至近距離では回避は困難だった。
 最後尾の不知火の左足関節に、ミサイルが直撃する。
 あたり一面に堆積した埃を巻き上げ、巨体が片膝をついた。

「間に合えっ……!」

 ローザは自分の乗機の跳躍装置を駆動させた。
 その機体は、国連軍カラーの陽炎。強奪し、識別マークさえ書き換えずに持ち出したものだ。
 不知火らは、動きの止まった僚機を囲むように、動きを止めた。
 冷徹な戦士の思考ならば、動きの鈍った機体は見捨てて、残余で反撃ないし退避をすべきだ。
 が、解放戦線側の戦力を見て、そこまでする相手ではない、と判断したのだろう。
 周辺にばらまくように掃射された突撃砲が、こしゃくな歩兵のそれ以上の活動を封殺する。
 家屋が高速砲弾によって原型をとどめないほどに砕かれ、細かい瓦礫が小爆発に乗って飛散した。
 さらに、不知火の機動性を生かした急速後退によって稼いだ距離があるため、解放戦線側の戦術機はこの好機に乗ずることができない。

 陽炎の主腕に突撃砲を構えさせながら、ローザは舌打ちした。
 基本的に対人戦では同じ戦術機や戦車・ヘリ、対BETA戦では中型種以上の敵を狙う事が多い戦術機衛士は、投射兵器を持った歩兵の小うるさい攻撃に慣れていないことが多い。
 見たところ、ソ連軍の暴動『鎮圧』用に使われる機体がつけているような、防御システムも持っていなかったから、歩兵攻撃でもう少し手傷を負わせられると思っていた。
 だが、目立つ被害を受けた不知火は、わずか二機。
 一機は胸部装甲をへこませたぐらい。もう一機も片足に損傷を受けた程度で、噴射装置を吹かして退避行動に入っている。
 歩兵混じりとはいえ挟撃に持ち込んだのに、パニックを起こしてくれる様子はまったくなかった。
 このままぶつかれば、戦術機と衛士の腕の差で、解放戦線側が不利なのは火を見るより明らかだ。

「やむをえん」

 ローザは、早々に切り札のうちの一つを切ることを決断した。
 まだ、帝国政府に難民の要求を呑ませていない。
 この状況で手ひどい損害を受けては、驚くほど上手くいっていた作戦が台無しになる。
 彼女は、後方に向けて信号を発した。



「この程度か」

 第21中隊隊長の衛士は、狭い移動空間を十全に利用して機体を操り、負傷した機体が後退をかけるのを確認しながら呟いた。
 急進したにもかかわらず、待ち伏せを受けたのは予想外だった(富士は、いまだに鎧衣が相手についていることを知らない)。
 だが、それだけだ。
 歩兵の熟練度は素晴らしいが、肝心の使う兵器は貧弱だ。
 確認できた敵戦術機も、不知火の敵ではない旧式機種ばかり。
 国連軍から強奪された陽炎あたりが一番マシ程度。
 相手の戦力は、これでほぼわかった。怖いのは、やはり裏切り者の第6師団だけだ。

 威力偵察の任務は果たした。
 この程度の連中、まとめて殲滅して手柄にしてやろうか、という誘惑に一瞬駆られたが、時間をかければ第6師団の連中がやってくるかもしれない、と断念。

「全機、応戦しつつ後退!」

 相手の実力がわかれば、歩兵が小うるさい場所にわざわざいる必要は無い。
 追ってくれば、広い空間で存分に叩く。
 こなければ、到着する本隊の圧倒的戦力でしらみつぶしにする。
 いずれにせよ、富士の勝ちは動かない。

 その時、不知火のセンサーが新たな反応を探知し、瞬時に解析。
 衛士の網膜投影画面の端に新たな表示を加え、警戒を促す。

「増援?」

 解放戦線の旧式戦術機群の背後から、飛行して接近する何か。
 即座に、機体に内蔵されたデータバンクが、照合を行う。
 戦術機の編隊……中隊規模だ。

「――何っ!?」

 ポップアップされた機体データに、中隊長は顔色を変えた。

 Mig-25・スピオトフォズ。

 ソ連製の第二世代機。
 無断で戦地よりF-15を回収、コピーして作り上げられた、大型機。
 こいつ自体は、搭載火力を重視すぎたために失敗した機体の典型であり、格闘戦に持ち込めば不知火どころかまともな第一世代機でだって勝てそうな相手だ。
 だが。

「ま、まさか……いや、いくらなんでもそんな……」

 Mig-25の運用思想は、『高速を生かし、核兵器によって面制圧を行う』というほかに類を見ないものだった。
 およそ現実的ではなく、その生還率の低さから、大東亜戦争時にわずかに行われた帝国軍の自殺攻撃になぞらえて特攻機、などといわれたりしている。
 核兵器は、この世界では対BETA遅滞戦闘などに比較的多く使われており、それだけに運用中行方不明になるケースがいくつもあった。
 また、こんな時代でも健在なロシアン・マフィアが、軍の腐敗分子と繋がって核兵器を横流ししている、という噂も無いわけではない。

 中隊長を危惧させたのは、解放戦線が核兵器を持っている可能性だった。

「ぜ、全機急速後退、後退だ!」

 中隊に指示する内容が、応戦後退からただの退却に変わった。
 脳裏では、いくらなんでもそんなわけがない、核があるのならとっく脅しに使っているはずだ、と。
 あるいは、味方を巻き込むようなこの状況で、持っていても使えるわけが無い、とも考えたが。
 本当に核を持っていた場合の結果を考えれば、遁走を選択せざるを得なかった。
 また、装備しているのが核ではなくフェニックスのような大型ミサイルであっても厄介だ。
 レーザー属種の迎撃すらかいくぐる高速・低空で突っ込んできて、広範囲を攻撃する誘導兵器を機動だけでかわすのは無謀。
 本格的な対誘導弾装備がいる。

 不知火の中隊は、高速匍匐飛行で旧鎌倉市街より離脱。
 ついてこれない解放戦線戦術機をもう意識から外し、中隊長は本隊を呼び出そうとコンソールをわずかに震える指で叩いた。
 急速後退のGが全身を締め付けるというのに、気にする余裕も無い。

「HQ(司令部)応答せよ、緊急事態だ。団長を出せ、最優先だ!」

 チャンネルを合わせるや否や、中隊長はがなり立てた。
 だが、勇躍してこちらに向かってきているはずの、教導団本隊――その指揮車から応答は無かった。





 帝都・東京。
 その主要道路には、奇妙な静寂が満ちていた。
 不知火の部隊と、瑞鶴の群れが互いに背中を向け合って立ち、その中央に武御雷が仁王立ちしている。

「ふぅ……」

 衛士強化装備姿のまま、敷石に腰を下ろした帝国衛士は、大きく伸びをした。
 その視線を、武御雷に向ける。青――武家の中でも、五摂家直系衛士しか使うことの許されない色を纏った巨人だった。
 将軍に『直諫』に及ぼうとした帝国軍と、それを防ごうとする斯衛軍。
 あわや激突か、と見えた時に青い武御雷が両者の間に割って入った。
 そして、暴発の気配を起こそうとする機体を、そのセンサーアイで睥睨し、最悪の事態を阻止した。

 誰が考えたのかはわからないが、上手い手だった。
 将軍の忠臣を自認する旧クーデター派はじめとする将兵にとって、将軍を輩出する資格を独占する摂家直系の人々は、敬うべき存在だ。
 しかも、将軍その人ではないため、命令撤回を訴えても益はない。
 斯衛からすれば、それこそ目上であり守護対象でもある。
 血気にはやる連中の頭に冷や水をぶっかける役としては適任だった。

 帝都の他の主要道路にも青い武御雷が出ている、というから摂家衛士がこぞって制止役を買って出たことになる。

 数時間、武御雷をはさんで睨み合ううちに、いい加減冷静さを取り戻す将兵が増えてきた。
 現在は、攻撃し得ない姿勢を示して機体から離れ、休息する者も少なくない。

「よぅ。久しぶりだな」

 帝国衛士の肩を、気安げに叩く者がいた。
 やはり強化装備姿のままの、斯衛軍の衛士。ただしその強化装備の色は黒で、平民出身だということを示してた。

「お前か! 懐かしいな、京都以来か? あの後、斯衛に引っ張られたんだって?」

 帝国衛士の顔が、ぱっと明るくなる。

「ああ。お前も元気そうで何より。お互い、命冥加なことだ」

 斯衛衛士は、帝国衛士の隣に腰を下ろした。
 空を、人間の争いなど知らぬ気に、白い鳥が自由に駆け抜けていく。

「それにしても、また大胆なことをしたな。帝都進軍とは、何を考えている?」

 斯衛衛士の咎める言葉に、帝国衛士は肩をすくめて見せた。

「本当はやりたかったわけじゃないさ。ただ、上の奴等が張り切っていてなぁ……付き合うしかなかったんだよ」

「おいおい」

「参謀殿達は、いつまでも気が強い。俺なんて、もう勇気は2001年で全部使い果たしたってのに」

 帝国衛士は愚痴った。
 この男も、かつては憂国の志に燃え、地位も命も捨てる覚悟で決起に参加した。
 だが、その事件からもう何年もたつ。
 その間に、地位があがった。
 烈士である、という評判から望外に良い縁談さえ持ち上がっている。
 すでに、決起賛同時とは違って何もかも捨てる、などという境地には入れないのだ。
 世界各国の歴史でも、若いころの志士が、富貴を得ると途端に守勢になるのは珍しくない。

「そうか。俺も帝国軍に残るんだったかなあ……? 正直、やってらんよ。前線にほとんど出なくて済むのはいいんだが……。
同期が、俺より腕が悪いのに良い家の出ってだけでどんどん出世して、高性能な機体を与えられるんだ」

「そいつは……だが、承知の上で移ったんだろう? それに、殿下の直衛は帝国臣民として、最大の名誉じゃないか。
……ぶっちゃけた話、同じ階級で帝国軍にいるよりは、給料はいいんだろう?」

「それは……まぁ、少しは」

 かつて京都防衛戦で、生死を共にした中である二人は、あっという間に数年の不沙汰の溝を埋めて、互いの現状を大いに愚痴りあう。

 ふと、斯衛衛士が気遣わしげな視線をかつての戦友に向けた。

「なあ、落ち着いて、こんな事やめるよう周りを説得できないか? 正直、理由はどうあれまた同国人が殺しあうなんてごめんだ。
『あんな話』、殿下も誰も信じていないから、気にするな」

「……あんな話?」

 心当たりがなく、首をかしげる帝国衛士。

「おい、何のことだ?」

「しらばっくれるなよ。だから、アメリカの……」

 斯衛衛士が声を低めて、

「アメリカの失脚したお偉いさんが、12・5事件は自分たちが最初から工作して煽ったものだ、とかいってる件さ」

「!!」

 その言葉に、帝国軍衛士の顔つきが劇的に変化した。
 そして、今にもつかみかからんばかりに、斯衛衛士に詰め寄る。

「その話、詳しく聞かせろ! 一体、何のことだ!?」

「お、俺も詳しいことは……ただ、アメリカの民間放送を傍受してた通信班や情報班の連中によると――」

 あまりの剣幕にたじたじとなった斯衛衛士は、言われるままに知っている『噂』を伝える。

 その二人の間を、本格的な冬の訪れを告げる、冷気を帯びた強風が吹き抜けていく。
 空を覆う雲が、その濃さを増していった。



[24030] 第十三話・狩猟
Name: 執事◆435a2cd8 ID:91c90832
Date: 2010/11/24 12:46
「やれやれ、また御国の一大事か」

 操舵室で、ひげ面の船長がつぶやく。
 夕陽の光を受けて輝く海を船首で割りながら、五隻の大型輸送船が長い旅を終えようとしていた。
 オセアニアや東南アジアに移転した、日本帝国の海外生産拠点から、物資を運んできた船だ。
 艦橋から少しずつ大きくなる港湾を見る船長の耳にも、帝国を襲った動乱のことは入っている。

 ――何でも良いから、早く収まってほしい

 それが、船長の気持ちだった。
 これは大多数の一般国民や、職業軍人ではなく非常時のために徴兵された者達にも共通する思いだ。
 彼らにとっては、政治のありかたがどうの、というのは遠い世界の話だ。
 プロの軍人と違い、軍内派閥と呼べるようなグループにも入れない。
 軍でえらくなることは滅多になく、退役の日を指折り数える。
 基本的には軍にご奉公するのは徴兵義務でしぶしぶ、以外何物でもない。
 誰が、どんな形で政治を切り回そうが、日々安心してそれなりの暮らしが送れれば、『お上』のやる事に文句をつけようなどとは思わなかった。
 それが、幕藩体制以来の支配に慣れた庶民の、偽らざる気持ちだった。

 郷土愛や、皇帝・将軍への敬愛はある。
 行動の理由に憂国を振りかざす政治家・軍人のそれより、はるかに素朴だが純粋なものが。
 だが、何よりも自分や家族、知り合いの安寧のほうが大事なのだ。

 この船団は、当初は東京湾に直行するはずだった。
 が、横須賀や帝都での事件を受けて、旧静岡県・御前崎港へ向かうよう指定された。
 積荷は、海外で生産されたばかりの00式・武御雷の新規生産分と、弐型用パーツの一部。
 日本領海に入るまでは、海賊やテロリスト対策に旧式とはいえ駆逐艦が護衛についていたほどの高価かつ貴重な品だ。
 港で積荷を降ろし、城内および国防省の担当者に引き渡せば、ようやく重圧から解放される。
 久々の祖国だ。
 幸い、船長や船員らの家族が疎開している東北は安定しているそうだから、さっさと仕事を終えて帰路につきたいものだ、と船長は思った。

「さて、と」

 入港予定時刻を確認した船長は、一旦操船を部下に預けて部屋を出た。
 出入港時の操舵は、船長が全責任をもって直接指揮しなければならない大事だ。
 だから、その前に用事を片付けておく必要があった。

 廊下を通って船長が向かった先は、『お客様』が乗っている部屋だった。

「……失礼、そろそろ日本に到着です」

 ノックしてから扉を開き、船長がそう言うが。
 その声は、喧騒にかき消されてしまう。
 今にもつかみ合いの喧嘩に発展しそうな議論が、新たな入室者も無視して繰り広げられていた。

「――だから! 米軍のスーパーホーネットを見ろ! 新型主機の余剰パワーを使って、原型より機体を大型化……装甲だって強化しているんだ!
以前なら機動性のために削った防御力も、今なら向上できるんだよ! これからは、攻撃・防御・機動性すべてを高いレベルで備えた機体が作れる!」

「それは相対的なものだろう? 確かに機体を大型化して、防御力や稼働時間を向上させる手法は、弐型だって恩恵を受けたさ。新鋭のソ連機も、主脚中心に大型化傾向だ。
だがすべてを満足させようとしたら、いくら新型のパワーでも頭打ちになる。やはり真っ先に制約すべきは装甲だろう?
BETA……特に光線属種相手を前提にするなら、新型複合材を使った重装甲さえ焼け石に水な状況に違いはない。大型化した余剰部分にはスラスターとタンクを増設すべきだ」

「それこそ発展の袋小路だ。所詮、ひとつの機体に詰め込める性能には限界がある。能力向上と大型化のいたちごっこは目に見えている。
そのまま大型化が進めば、一機あたりの費用が増大して、ますますコストが高くなる。無理をすれば、攻・防・機を一定水準以上ですべて満たせないことはない。
が、馬鹿みたいに高価な機材を作ったって、採用されるわけがないだろう? 最低限の数が揃えられなければ、戦力として機能しない」

 張り上げられる声に、小さな船窓のガラスが今にも震えだしそうだ。

「国際共同開発機のF-35は、小型の機体を目指している、というしな。すでに主力機として弐型が採用された以上は、混合運用(ハイローミックス)の『高』は充足する。
むしろ、安価で使い勝手が良い『低』を指向すべきじゃないのか? その場合は、稼働時間に目をつぶったF-16やMig-29が世界中で活躍しているのが、参考になる」

「俺は不知火の失敗を繰り返したくないぞ? 拡張性を考えるべきだ。
F-4が長らく人類の主力として使われているのは、何を仕掛けてくるかわからないBETAの動きに対応することを考慮した、余裕ある設計のお陰だ。F-15もしかり。
それに比べてこっちのは、目先のスペックだけを追い求めてしまいがちだった。軍の無茶な要求には、堂々と反論すべきだったんだ。
余剰がなくても改良は可能だが、その場合は再設計に必要な技術と費用が高くついて、結局大損になる」

「武御雷の失敗もな。幸い、少数精鋭運用ができたためぼろは出なかったが、あれは豪華主義に走りすぎた。
今後の帝国軍は、海外展開が主流になる。帝国外での大規模かつ長期の活動でも十分に能力を発揮できる、生産・整備性の改善は必須だ」

「将軍殿下の思し召しで、ステルス機の目はしばらくなくなったが。対ステルスはこれから必要になるだろう。探知能力の増強を考えると、現行のセンサーでは不安だ。
新規開発技術を片っ端からかきあつめて試してみよう。テスト相手には、軍に月虹があるからなんとか融通してもらって――」

 その大部屋には、十人ほどの男女がいた。
 白衣を着た者、牛乳瓶底のようなメガネをかけた者、戦地帰りかと思わせるひどい身だしなみの者。
 それぞれが手にした資料を突きつけあったり。メモに鉛筆を走らせて、余人には未知言語としか見えない数式を書いたりしている。

 日本を代表する戦術機メーカー(この船団をチャーターした会社でもある)の、技術者達だった。
 彼らは日本本社と生産現場を往復して、現行機のノウハウを収集すると同時に、新型の開発に携わっている。
 航海の最中も、まっさらな機体やパーツに取り付いて、しきりに何か作業をしていた。
 (別に聞いたわけでもないのに、強引に)船長に教えてくれたところでは、今度こそ雪辱を、と誓っているそうだ。
 何が屈辱だったのか、というと弐型採用が決まった次期主力機選定について。

 日本軍需産業は2000年あたりから、前線からの不知火改修要望を、コストと人手不足を理由に拒絶した。
 それ以前に、強化型の不知火・壱型丙を完成させていたが。
 これは、高性能化と引き換えに操作性・稼働時間が激しく低下し、欠点を技量でカバーできるベテランには歓迎されたが、一般衛士の搭乗機としては、到底使えないものだった。
 不知火系統改修を断念してまで開発に傾注した、不知火および武御雷の後継となる新型開発は、遅々として進まなかった。
 次期主力の本命という呼び名が、ただの願望に過ぎない状態のまま、時間だけが過ぎる。
 そこへ、アメリカ企業が短期間で不知火(壱型丙)を大胆に再設計し、米製最新パーツを惜しげもなく組み込んで優れた機体を作り上げてしまった。
 それが不知火・弐型だ。
 弐型以外でも、次期主力選定にあがった機体は外国産機ばかり。
 日本軍需産業や技術者の面目は、丸つぶれだった。
 ここで、『なぁに、独自設計能力自体を持った国のほうが少ないのさ』と自分たちのハードルを下げようとしないのが、帝国技術者の傾向だ。

 次こそは純粋な国産による設計で、アメリカの新鋭に対抗できる機体を作りたい。

 その悲願ゆえ、彼らは航海の最中もこんな調子だ。
 船長からすれば、最初は感心していたのだが、今はただうっとおしいだけだ。
 職人気質も程度によりけりだ、と船長はため息をつきながら、さらに大声を張り上げようとした。
 インフラがBETAによって破壊された地への寄港は、素人が考えるほど簡単ではない。
 客人達にも、いくつかの注意を守ってもらわなければならなかった。

 壁の船内電話が、急に鳴った。
 それも気にしない技術者達を一瞥してから、船長が受話器を取る。

「こちら、操舵室」

「私だ。どうした!?」

 論争が背後から被さってくるため、船長の声は自然大きくなる。

「船長、小型船がこちらに接近して、停船信号を出しています」

「何? まさか、日本領海で海賊か?」

 船長は一瞬、ひやりとした。
 横須賀を占拠したテロリストの一派だろうか?
 重要物資を載せているから、船には斯衛軍から派遣された警備兵が乗船している。
 が、非武装商船であることに違いはないのだ。

「いえ。本人達は、富士教導団の軍人である、と信号を発してきました」

「……富士? 間違いないのだな?」

 船長は安心すると同時に、首をかしげる。
 確かに富士駐屯地は、寄港地と同じ県内にあった。
 だが、船団に直接用事がある、とは考えにくかった。

「停船し、責任者と話をさせろ、と。いかがします?」

「ううむ……何か事情があるかもしれん。よし、話を聞こう。斯衛の責任者にも同席してもらう」

 船長は、そう判断を下すと相変わらずの技術者達にもう目もくれず、足早に部屋を出て行った。





 丹沢山地は、旧静岡県と神奈川県の間に広がっている。
 BETAが日本に建設したハイヴ・甲22号目標に比較的近く、かなりの範囲で食い荒らされ、山々の標高さえ下がっていた。
 それでも、人間の目から見れば起伏があり、移動に手間がかかる地形であることに違いはなかった。
 人の手で整備された道路などは、真っ先に戦闘とBETAの捕食(正確には資源回収)行動で潰れている。

 その道なき道を、鋼の一団が進んでいく。
 多くは巨大な人型兵器・戦術機だが、少なからぬ数の軍用車両が混じっていた。
 三個大隊相当の戦術機が傘型陣形で前進し、その後ろを一列の車両群が続いている。
 鋼鉄の足が大地を踏みしめる振動、キャタピラが回転する独特の音。勇壮でもあり物騒でもある響きを上げながら、富士教導団は進撃していた。
 目標を横須賀に設定した部隊は、徐々に高度を下げる太陽に照らされながら、順調に道のりを消化していく。
 このまま行けば、どこかで野営しても翌朝には、解放戦線・離反帝国軍を全軍による攻撃圏内に捉えられる。

 比較的高く残った山の稜線から、行軍する教導団を見下ろす「目」があった。
 それは、機械でできた目。昆虫類の複眼を思わせる構造をしていることもあり、死神のそれを思わせる不気味さを漂わせている。
 戦術機・F-22ラプターのセンサーアイだ。
 本来は日本に存在していないはずのラプターは、計4機一個小隊。
 すべてが山陰に身を預け、ステルス機能を稼動させて隠れていた。
 Block40といわれる、12・5事件で得られた実戦戦訓を反映した最新生産型ラプターは、しばし微動だにせずいたが。
 やがて、一機がゆっくりと身を起こした。

「仕掛けるぞ、貴様ら……今回は、存分に狩れる」

 ラプターの管制ユニットに収まった男が、笑いを含んだ指示を出す。
 年齢は20代半ば、蜂蜜色の耳までかかる程度の髪、そこそこ鼻筋の通った顔立ち。容貌の特徴を並べれば、こんなところだが。
 何よりも目を引くのが、やや釣りあがった双眸だ。銀色の瞳に、脂っぽい光が浮いている。
 それは、殺人快楽者の目と言い換えてもいい印象を他者に与えるものだった。
 その目で見据えられた彼の部下達―-いずれも、殺人指名手配写真から抜け出たような凶悪そうな連中が、そろって体を恐怖に震わせた。

 旧和歌山県で、「ボス」のオーダーにしたがってこの隊は、上陸したテロリストの命を一兵余さず奪った。
 引き上げようとした時、やってきた正体不明の相手と交戦したが、梃子摺った挙句に逆撃を食いそうになる。
 そして、遁走した。
 「ボス」の都合で引き上げ時間が迫っていたこともあるが、これが隊長には気に入らなかった。
 相手の戦力データや、増援の有無がわからなかった事情もあるとはいえ、完璧に仕上げたはずの仕事にケチをつけられた気分になっているのだ。
 後になって、試作段階で外国に売り飛ばされ、まともなデータさえ残す価値無しとされた落第戦術機だったとわかり、さらに隊長は機嫌を悪くした。

 この部隊は、CIAに協力――というより、実質その傘下で動くアメリカ陸軍特殊部隊のひとつ。
 いずれもエースクラスの歴戦衛士達だが、ほかにもうひとつ共通点がある。
 それは、通常なら最低でも不名誉除隊を食らうような、凶悪犯罪をやった過去があるということだ。
 キリスト教などでいわれる悪魔のひとつ、『オセ』の名を冠したこの小隊は、同じような特殊部隊の面子にさえ顔を背けられるような、最悪の兵達だった。

「相手は、日本最強の富士。しかも数はこっちの数十倍だ。ぞくぞくするだろう? 他の隊が駆けつけるまでに、たらふくいただくぞ」

 オセ1のコールを持つ男は、目の光を一層強くする。
 それに呼応するように、ラプターのセンサーアイが明滅した。



 初撃は、部隊の『頭脳』に来た。
 進軍する車両群の中央に位置していた、82式指揮通信車改。
 戦術機戦の指揮に特化した改良が施され、教導団団長の村津少将が座乗していたその装輪装甲車が、突如炎の塊と化した。
 飛来した120ミリ砲弾が直撃し、『勇断』を下した興奮とわずかな後悔の間で葛藤していた少将の肉体もろとも、指揮車を叩き潰したのだ。
 全部隊に、その異変が知れ渡るより早く、部隊間のデータリンクが突如切断され、各機・車両のレーダー画面が灰色一色に塗りこめられる。
 強力なアクティヴジャマーによる、電波妨害だ。

 もっとも指揮車に近い位置にいた戦術機・露軍迷彩不知火の中隊は、通信の異変にもかまわず、大地を抉るように蹴りつけながら跳躍した。
 こういった状況での変事は、まず攻撃を意味する。一箇所に呆然と留まっていればやられる、と叩き込まれた日頃の訓練の賜物だった。
 だが、その不知火の中隊が散開しきるより早く、無数の影が襲いかかってきた。
 跳躍途上で、コクピットブロックに36ミリ砲撃を食らった不知火が、空中に一瞬縫い付けられる。
 一発だけなら、複合装甲が食い止めたのだが、続けて殺到した次弾、次々弾が防御を食い破り、炸裂。
 不知火を火球に変える。
 さらに、戦術機ほどすばやく動けない車列に36ミリ砲弾が無数に叩き込まれ、たちまち辺りは火の海と化した。

「敵襲だ!」

「馬鹿な……今までレーダーには何も――」

「ジャミングだ! 対電波妨害装置を入れろ!」

 かろうじて使える短距離通信の間を、富士衛士の狼狽した声が飛び交う。
 それをかき消すように、破壊音が一帯を跳ね回る。また数機の不知火が、不意打ちの砲撃を受けて爆散した。

 ある不知火の衛士は、網膜投影画面の端に高速で動く影を捉えた。
 禍々しさを感じさせる、鋭い曲線で構成された人型。敵戦術機だ、と判断して不知火の跳躍装置をフルスロットルで吹かす。
 レーダーによるロックオンが働かないため、直接光学照準で捉えるしかない。
 距離を詰めるまでの数秒が、衛士には恐ろしく長く感じられた。

「あと少し……!」

 ようやく、敵影がはっきりした。そして、突撃砲をそいつに向けるが。
 その瞬間、敵は嘘のようにかき消えた。
 衛士が幻を見ていたのではない、という証拠のように、わずかに推進剤が燃焼した残り煙が流れている。
 あわてて機位を変えようとした衛士の目に、先のとがった何かが飛び込んでくる。
 自分に向けられた戦術機用のナイフだ、とその衛士が認識した時には、切っ先は胸部装甲を割って入り込み、操縦席を抉っていた。



 レーダーが通じず、通信はほとんど妨害されている。
 人間で言えば、目や耳が封じられたようなものだった。
 富士の衛士といえども、これほど不利な状況というのは、訓練でもめったに体験したことがない。
 それでも、一人の衛士――不知火小隊の隊長は、機体を多角連続跳躍させながら必死に目を凝らしていた。
 また一機、味方の不知火が、露軍迷彩の破片を撒き散らしながら倒れる。
 喉を締め上げられるような恐怖に耐えながら、小隊長は飛び交う火線の元を確かめる。
 時折、途中合流の撃震が恐慌からか滅茶苦茶に突撃砲を放ち、同士討ちさえ引き起こしていた。

「落ち着け! 敵はおそらくステルス機だ! 不断に動いて、狙撃させるな!」

 不知火搭載の電子防護装置が、妨害電波の強さと性質を解析し、通信可能な波長を探り出そうとする。
 だが、相手はかなり高度な機器を持っているらしく、レーダー・通信の回復は遅い。

「間違いない、こいつはラプター……!」

 12・5事件において、ラプターは真価を発揮できずに殲滅された。
 その発揮できなかった機能の一つが、専門機並の統合電子戦システムだ。
 F-15Eや吹雪・武御雷といった他機種を随伴していたため、味方の耳目も封じるこの機能は十分に使えなかったのだろう、と富士の戦後検討会では言われていた。

 そして、電波妨害の的確さ。
 いかにラプターの性能といえど、あらゆる周波数を妨害するのは非現実的。
 日本帝国軍が使用する帯域を知っており、的確に塞いできたのだ。
 通信帯域は当然軍事機密だが、かつての友軍――米軍なら、共同作戦の必要上、知っていたはず。

「どうみても、解放戦線程度が手に入れられる機体じゃない……それに妨害の的確さも……。
おのれ、またしても傲慢なるアメリカ人がっ!」

 悔しげに血がにじむほど唇をかみ締める小隊長。
 通信がかなり回復したのを確認して、周辺機に指示を下す。

「一度は倒した相手だ! おたつくんじゃない! 全機散開、平面挟撃! 包囲して退路をふさげ!」

 高速地表噴射滑走で、不知火がラプターに追いすがろうとする。
 だが、それ以上の高速で動き回るラプターは、帝国機の間をからかうようにすり抜けてしまう。
 レーダーが回復しても、ある程度距離をとられたらステルスのために、探知さえ外れるのだ。
 また一機、無残にマニュピレーターの指を撒き散らして不知火が火葬された。
 だが、その爆炎が偶然、攻撃者のシルエットをくっきりと浮かび上がらせる。
 小隊長は、その隙を見逃さずにレバーを押し込む。
 突撃砲を全開射撃しつつ、水平跳躍ではっきりと目視できたラプターに突撃する。
 射撃音と噴射音の混合物が、一気に灼熱した空気をかき回す。
 相討ちになってもいい、という覚悟の攻撃だった。
 だが、相手は暴れ牛をいなす闘牛士のように鋭い短距離跳躍で、ばら撒かれた36ミリ砲弾を回避した。
 近接信管が作動し、不知火の放った砲弾が爆発。その破片が、わずかにラプターの装甲を引っかいたのみだ。
 小隊長は、その反応の良さに敵がただ機体性能に頼っただけの相手ではない、と悟る。
 次の瞬間、小隊長の全身に熱が走った。
 すれ違いざま、36ミリ弾をほぼゼロ距離で叩き込まれたのだ、と気づくこともできず、小隊長の意識は永遠に消えた。



「残念だったな。機体が同等ならどうだったかわからないが。これが、現実だ」

 大地に激突し、部品をぶちまける不知火を一瞥しながら、オセ1は甲高く笑う。

 これが、ラプター。
 猛禽類の王の、本当の力だ。

 性能が低い味方という足枷を解かれた今、多少の技量で本来の戦力差を補えるものではないのだ。
 ましてオセ達は日本帝国軍の重要情報を、CIAから提供されている。
 悦に入るオセ1の視界の隅に、十分間ほどの間に何機も狩った不知火とよく似た、しかし機体が発する力感が違う日本機が出現した。
 味方の窮状を救おうと、水平跳躍でオセ1に向かってくる。

「不知火のセカンドか」

 オセ1は舌なめずりをした。アメリカの最新技術を使って強化した機体。歯ごたえは十分、と言いたげに。
 ラプターは突撃砲を構え直すと、日本の土地を蹴りつけて跳ね飛んだ。
 一機の弐型に狙いを定めたオセ1は、着地・即跳躍を繰り返して側面に回り込もうとする。
 弐型はそれに反応して、機体の向きを鋭く変えながら着地、突撃砲を向けてくる。
 アメリカ製の新型探知装置を積んだ弐型は、ラプターの放つ妨害電波にも簡単には屈しない。

「はっ!」

 オセ1の脳裏に、入手した弐型のデータが思い出される。
 アメリカ製の技術を土台に、日本衛士が好む近接格闘戦・特に主腕に持つ長・短刀を用いての戦闘能力を高めた機体。
 米政府・経営者達から戦術機部門の予算が削られた当てつけのように、米技術者は培ったノウハウを惜しげもなく使った。
 また、不知火という素体に、そうさせるだけの魅力も感じていたのだろう。
 しかし。
 それでも、敵国に回るかもしれない他国に、あらゆる優位を与えるほど米企業はお人好しではない。
 急激に二機の距離が縮まる、と見えた時にラプターは急制動をかけた。そして、36ミリ突撃砲を発射する。
 不知火弐型も、動きを止める。
 効果のない射撃を行い、相手の狼狽を誘うのは対人戦術機戦の基本戦術。
 まだ、突撃砲の有効射程外だから、下手に動かないほうがかえって当たらない、と判断したのだ。
 弐型衛士の判断は、正しかった――相手が、ラプターでなければ。
 空気を切り裂いて飛んだ36ミリ砲弾は、吸い込まれるように弐型の胴体を捉えた。
 のけぞる弐型のセンサーマストが、衛士の驚きを表すように左右に震える。

「ラプター並みの砲撃能力をくれ、と注文を出さなかった、お前の国のお偉いさんを恨むんだな」

 体勢を崩した弐型に、さらに追い討ちの砲撃を叩き込みながら、オセ1は言った。

 スタンドオフ砲撃特性。

 ラプターがフリーハンドで戦えば、より設計の新しい優秀機相手でも優位な理由のひとつ。
 相手の射程外から、一方的に攻撃を加える能力。
 使っている砲弾は、ともに国連規格のものでこの点からの差は無い。
 にもかかわらず、より遠距離から敵を痛打し得る能力があるのは、現行最高レベルの射撃管制装置と、機動砲撃プラットフォームとしての機能を突き詰めた機体の複合的な効果だ。
 何発目かの命中弾が、弐型の跳躍ユニットを直撃し、大爆発を引き起こさせた。

 最新鋭の弐型が撃破されたことは、富士教導団に損失以上の衝撃を与えた。
 乱戦や接近格闘に持ち込めば、ただの不知火でもラプターに勝てる可能性が十分あるのは、12・5事件で沙霧尚哉大尉らが証明したところだ。
 (一部のラプターはアメリカ内のごたごたでトラブルを起こしていた事情があり、帝国側はそれを知らなかったが。そうでないラプターも、多数が撃破されている)
 弐型なら、ステルスの優位が消える距離まで詰め寄れば、敵と同等以上の格闘戦能力に加えて、長刀を持っている分優位なはずだった。
 だが、今回はラプターの足を止める要素が無い。まともにやっての勝ち目は無い、と思い知らされたのだ。
 そして、富士教導団を完全な絶望に落とし込む事態が起こる。
 ラプターの部隊が、さらに出現したのだ。
 それも、富士部隊の後方をふさぐように。

「はっ! 今頃きやがって。まぁいい」

 オセ1は、車両群を蹂躙していく同型機を見て、鼻を鳴らした。
 が。次の瞬間、戦車を潰そうとしたラプターが、弾かれたように後方に跳ね飛ぶ。
 急速接近する、帝国側の新手の出現を探知したのだ。



「ちっ! 急に電波妨害がかかった一帯があるから、おかしいと思って来てみれば……!」

 宗像美冴は、網膜投影される視界のあちこちに無残な姿を晒す、無数の帝国戦術機・車両を見て、ぎりっと歯を噛み鳴らした。
 地表を疾走する彼女の不知火・弐型に続く、11機の同型機。
 彼女らは、富士でおとなしくしていることを選択しなかった。
 軍権の所在がはっきりしないのなら、それを持っている連中がいるところへ、直接確認にいけばいい。
 いざとなったら、後任達が命がけで助けた将軍を守って戦う。
 (A-01時代のことは高度の機密だが、帝国軍出身者もかつて国連軍が将軍を直接救助したことは知っていた)
 そう中隊の総意をまとめて、帝都へ迂回ルートで向かっていたのだが。
 途中で、戦闘を察知して駆けつけたのだ。

「どこのどいつらだか知らないが……これ以上好きにさせるかっ! ヴァルキリーズ、続けぇ!」

 宗像機を先頭に、弐型の中隊は一気に戦場に向けて加速した。



[24030] 第十四話・闘争
Name: 執事◆435a2cd8 ID:91c90832
Date: 2010/11/27 23:27
 ラプターが、米軍の模擬戦でF-16を相手にした時のキルレシオは、1対144だったといわれる。
 ラプターが1機落とされる間に、144機のF-16を撃墜した、という意味だ。
 他の米軍機を相手にしても、にわかには信じがたい記録を残している、という。
 そして、これまでの実戦においても、圧倒的性能を見せつけた。

 そういった情報を、宗像らは知っている。
 が、頭で理解はしていても、目の前の光景に衝撃を受けずにはいられなかった。
 日本最精鋭部隊の不知火および弐型が、夕暮れが迫る大地に何機も崩れ落ちている。原型を留めない機体も、少なくない。
 『戦域支配戦術機』とはよく言ったものだ。
 圧倒的な機体性能と電子戦装備、ステルスを魔法のように使い分けて、富士の精鋭を蹂躙している。
 隊員達を襲う怖気を振り払うように、戦域に真っ先に突入した宗像は叫んだ。

「――A小隊、突撃するぞ! C小隊はバックアップ、B小隊はCの護衛だ!」

「了解」

 中隊副隊長兼任・C小隊隊長の風間祷子中尉は即座に反応するが、

「えっ!?」

 意外そうな声を上げたのはヴァルキリー3にしてB小隊隊長である、涼宮茜中尉だった。
 中隊の先鋒を務めるのは、突撃前衛であるB小隊の仕事。それが通例だった。
 が、宗像が再度口を開くより早く、

「了解!」

 と涼宮は表情を引き締めて返した。
 理解の早い部下に、軽い笑みを向けてから、宗像は前方の光景に集中する。
 燃え盛る車両があげる黒煙の中、視認できていたラプターが急速に小さくなっていく。
 その手に、アメリカ軍の突撃砲・AMWS-21が鈍く輝いてるのを見て、宗像はわずかに口の端を緩めた。
 同時に、戦術画面に捕捉していた反応がどんどん小さくなる。

「さて、と」

 宗像は、自機のステータスが万全であること、右主腕の突撃砲・左主腕の追加装甲にも異常がないことを確認してから、フットペダルを踏み込んだ。
 ぐん、と前方加速に伴うGが宗像の全身にかかる。
 同時に、宗像の指がコンソールに伸び、対レーザー警戒装置のスイッチを入れ、感度を最大にした。
 ゆるい曲線を地に描きながら、宗像の弐型がラプターを追跡する。
 ラプターは、噴射滑走しながら、手にした突撃砲をまっすぐに宗像機に向けた。
 すでに何人もの帝国軍人の命を奪っていたラプターの突撃砲が、マズルフラッシュを放つ。
 が、その二秒ほど前に、宗像の網膜に警告表示が走っていた。
 そして、射撃を受ける一秒前に弐型は肩部スラスターを吹かして、左急速跳躍で弾道から身をかわす。

「甘いねぇ!」

 横殴りの重圧に耐えながら、宗像の目が輝いた。
 宗像機は、主脚で土を深く抉りながら慣性を殺して体勢を立て直すと、右腕の突撃砲を発砲。
 わざと砲身を上下左右に振り、滅茶苦茶に見えるほど弾をばらまく。
 精密照準がろくに働かないため、とにかく殺傷範囲を広くするしかない。
 必殺の一撃をかわされたラプターは、瞬間移動じみた瞬発力で後退していくが、至近弾がその機体を揺らす。
 が、それだけで目立ったダメージもなく、ラプターは遠ざかっていった。

「そううまくはいかないか……」

 追随してきた部下が追い討ちをかけ損ねて急制動し、反撃を警戒するのを確認してから宗像は、溜めていた息を吐き出した。

 彼女はじめ、ヴァルキリーズのうちの約半数(旧・富士第12中隊『ウルド』出身者)は、二年ほど前まで、別の機体に乗っていた。
 試02式(あるいはF-15SEJ)・月虹だ。
 次期採用機選考のために、実戦投入を含めた様々な環境で、月虹を操っていた。
 月虹は、ステルス機能を持っている戦術機。
 宗像らは、帝国軍人としてはごく少数派の、ステルス機を深く知っている衛士なのだ。
 ラプターに比べて月虹のステルス機能は劣っていたものだ。
 ステルスは電波吸収塗料と、受けたレーダー波をあらぬ方向へ分散させる機体構造等、複雑かつ高度な技術の組み合わせで、これに凝ると月虹の優位点であるコストが崩れてしまう。
 また、『友邦ですら所詮は仮想敵国のひとつ』である国際政治の鉄則からも、アメリカが最高技術を渡さなかった事情がある。
 それでも、基本的に同系統技術である以上は、ラプターの衛士の戦術思考について、ある程度予測は可能だ。

 ステルス機といえども、自分が敵の位置を正確に把握するためには、何らかの測定を行わなければならない。
 そして、通常の戦術機で多用される電波では逆探知され、せっかくの自機の隠密性を台無しにしてしまうのケースが多いため、指向性の強いレーザー探知を好む。
 月虹に搭乗し、対人戦訓練をしていた時の宗像らが、そうだったのだから。
 彼女がラプターの攻撃を察知し得たのは、AMWS-21のレーザー測距装置の照準光を、対BETA光線属種用の警戒システムを利用して探知したお陰だ。
 一秒でもタイミングがずれたら、また相手が一切レーザーを発しない光学照準だけで機動砲撃できる超凄腕だったら、一巻の終わりだったが。

 他にも、いくつか考案していた対ステルス戦術が宗像にはあった。
 だが、まだまとまる途上であるし、今は口頭で隊員に伝えている余裕はない。
 やはり弐型でも、距離をとっての一撃離脱を繰り返すラプターには不利だ。

「時間を稼いで、燃料切れを狙うしかないか……?」

 弾切れ狙いは可能性が低い。
 戦場の各所には、不知火がやられる際に落とした87式突撃砲が、散乱している。
 これを拾って使われてしまうだろう。
 米軍機とはマッチングが悪いが、多少精度が落ちた程度ではラプターの砲撃の脅威度は下がらない。
 宗像は、ちらりと後方に展開するC小隊を確認した。
 頼みはラプターの機動性でさえ逃げられないような、広範囲攻撃だ。
 大雑把な位置を把握し、C小隊・制圧支援装備の弐型が持つ、92式誘導弾をまとめて撃ち込めば高確率で撃破可能だろう。

「だが、それぐらいは読んでくるはず」

 だから、B小隊をC小隊の防衛に丸々残した。
 考えをまとめようとする宗像の耳に、緊張を帯びた通信が入る。

「ヴァルキリー3、エンゲージディフェンシヴ!」

「っ!?」

 涼宮中尉が、敵から攻撃を受けて戦闘状態に入ったというコールだった。



「このっ! このっ!」

 伊隅あきら中尉の、気合が上滑りした声が聞こえる。
 A小隊を追う、C小隊。そのさらに後ろにつきながら、警戒前進していたところへの、突然の砲撃。
 それに泡をくって、火線が来た方角へ、反射的に突撃砲を撃っているのだ。

「落ち着け、伊隅!」

 涼宮が、ラプターの不意打ちを回避し得たのは、数え切れないほどくぐった死線の中で鍛えられた勘のお陰だった。
 それでも、とっさにかざした追加装甲は、36ミリ砲弾の連打にさらされて上半分がへしゃげ、もうただの重りにしかならない。
 管制ユニットに伝わった衝撃はかなりのものだったが、涼宮は歯を食いしばってそれに耐えた。
 どうすれば、という迷いの言葉を喉の奥に封じ込め、涼宮は追加装甲を機体から落とす。
 涼宮ら旧富士第11中隊出身者は、新型試験では弐型に乗っていた。
 月虹と模擬戦をしたこともあるし、ステルス技術についても学んでいる。
 だが、それは蹴散らされた他の富士衛士と同程度の対ステルス素養でしかない。

「二機連携を崩さず、互いの死角をカバーし合え! 少しでも異変を感じたら、とにかく回避を!」

 追加装甲を持っていたマニュピレーターのコンディションが、イエローになったのを確認しながら涼宮は警戒をさらに促す。

 富士教導団――というよりも、帝国軍全体にとって、対人戦での仮想敵とは伝統的にソ連だった。
 12・5事件があった後でも、基本的にそれは変わりない。
 対人戦訓練において、もっとも重視したのは『究極の近接格闘性能』を目指したといわれるSu-47のような相手への対処方法。
 どちらかといえば帝国と同様、インファイトで真価を発揮する敵を上回る戦い方だ。
 国防省が、対人戦に備えることを『愚者の皮算用』と強く嫌う将軍の意思を受けて、関連予算を削ったこともあり、対ステルス技術は未成熟だ。

「――私が囮になる! 敵が食いついたら、集中砲撃で仕留めろ!」

 涼宮は、小隊長職を拝命して以来、ある先任を意識して真似るようにした、自信にあふれた口調を作った。
 このままでは、七面鳥撃ちにされるだけだ。

「りょ、了解……!」

 部下達の返事を確認すると同時に、涼宮機は単機で前方跳躍。
 着地し、これ見よがしに機体の背を伸ばす。
 管制ユニット内で、涼宮は顔に浮かぶ汗を拭く余裕もなく、全神経を研ぎ澄ませる。
 ラプターといえども、射撃の際は隙ができることに変わりはない。
 涼宮の心臓が、うるさいぐらいに鳴る。

「!?」

 極限まで集中力を高められた涼宮の目が、高速移動する物体を捉えた。
 この一帯では、死神同然の存在になりつつある、ラプターだ。
 だが、そいつは射撃をする気配はない。
 それどころか、ナイフを抜いて涼宮機に突進してきた。

「なっ……!?」

 砲撃体勢に入ったところで、回避に入ろうと思考していた涼宮は、意外な挙動に息を呑む。
 それでも、とっさに右主腕の突撃砲をそいつに向けて放り投げ、時間を稼いだ。
 機体に代わって突撃砲がナイフに切りつけられ、耳障りな音を立てて地面に叩きつけられる。

「涼宮中尉!?」

 伊隅の声は、否応なく涼宮にかつての上官の面影を思い出させる。
 その上官に力づけられるように、涼宮はレバーを素早く操り、弐型に近接武器を抜かせる。
 腕のナイフシーケンスが展開、突撃砲を捨てたばかりの右手に煌く短刀。
 それと、ラプターがかざしたナイフが噛み合い、激しい火花を散らした。

「ふざけて……!」

 涼宮は、大写しになったラプターの画像を、火の出るような眼光で睨みつけた。
 砲撃を警戒していたB小隊の部下達は、阻止射撃のタイミングを逃した上、両機が接近しているため手が出せない。
 それにしても、ラプターが利点の多くを捨てて近接戦闘を挑んでくるのは、常軌を逸しているとしか思えなかった。

 だが、好都合だと涼宮は考え直す。
 相手から、弐型の土俵に上がって来たのだ。

「はああああ!」

 気合の声とともに、涼宮機の全身のアクチュレーターが秘められた力を解放する。
 跳ね飛ばされかけたラプターは、自分からわずかにバックジャンプして力を逃がす。
 すかさず涼宮は踏み込み、短刀を横薙ぎにした。
 ラプターは、さらに横っ飛びで間合いを広げつつ、弐型の側面に回り込もうとする。
 再び迫るラプターのナイフを、素早く向き直った弐型の短刀が食い止めた。
 小刻みな機動と、閃光のようなナイフコンバットの応酬。
 やがて弐型の短刀の切っ先が、何回かラプターの装甲を削りはじめる。

「もらったっ!」

 涼宮は余裕を取り戻し、確実に相手を追い込もうとさらに短刀を鋭く操る。
 2003年の段階で、ソ連にさえ普及しているXM3は、このラプターにも搭載されているようだが。
 格闘戦に限定するのなら、弐型のほうがフレーム強度がある分有利だ。
 敵は対人戦慣れしてはいるようだが、技量自体は涼宮よりもわずかに下、という感触がある。
 このままナイフ戦が続くなら、押し切れる。
 わずかでも間合いが離れれば、背中の長刀で一撃だ。
 長刀以上の間合いを取られても、部下達の射撃が待っている。

 が、そこまで思いついた涼宮の背中に、悪寒が走った。
 相手が、なぜわざわざ不利な状況下に持ち込んできたのか?

「――C小隊、接敵!」

 その答えは、風間中尉の通信だった。
 涼宮の目が見開かれる。
 風間はじめとして、C小隊の面々も優れた腕を持っていた。
 だが、C小隊の2機は重いミサイルコンテナを背負っているのだ。まともな戦闘になれば――。
 とっさに涼宮は通信機に向けて怒鳴っていた。

「B小隊、C小隊を援護しろ! 急げっ!」

「し、しかし涼宮中尉!?」

「こいつはなんとかなるっ! 早く行け!」

 涼宮は、躊躇する部下の背中を声で蹴飛ばしながら、ラプターの左主腕に短刀を突き立て、引き裂いた。





『――彼の者達は、同胞を殺めるという重い罪を犯しました。いずれその罪は、法によって裁かれ、相応の報いを受ける事になりましょう』

 ホテルの一室に、若い女性の声が響いた。
 音声はやや不鮮明だが、聞き取るのに不自由はない。
 記憶媒体で再生された、将軍の声だ。

「ま、間違いなく殿下の御言葉……」

 ソファーに腰掛けていた、何人かの男の一人がうめいた。

 ここは、日本帝国・仙台市内のとあるホテル。
 近年の復興景気を当て込んだ海外の財界人が利用することでよく知られていた。
 今、この一室に集まっているのは、九割が日本の元職を含む日本政治家。
 残り一割は、外国人――CIAや、旧オルタネイティヴ5派のエージェントだった。

「こ、これは合成音声ではないのかね?」

 一人の政治家が、狼狽を隠しきれずに相手のリーダー的な白人に問うた。
 スーツを隙なく着込んだその男は、

「これは、12・5事件の後に回収された、ある米国衛士の強化装備のレコーダーから抽出したものです。お疑いなら、音紋鑑定でもなんでもご自由に」

 と、余裕たっぷりに答えた。

 日本側の人間は、皆一斉に沈黙した。
 公式の場、といえるかどうかは微妙とはいえ、将軍殿下が法による裁きを明言した。
 だが、実際には殺人・内乱等の死刑相当の犯罪をやった軍人に対し、罰は形ばかりといえるほど軽く。
 簡単に現役復帰し、ついには軍最大派閥となっていることは、ここにいる全員が知っていた。

 将軍殿下が二枚舌を弄した。
 あるいは、人殺しや国を乱す行為は、法的には軽いものにすぎない、と言ったに等しい。

 そして、その発言をアメリカに握られている、という事実を突きつけられたのだ。

 唐突に、笑い声が上がった。
 この場に呼ばれた元職政治家の一人――佐橋孝雄だ。

「なるほど、面白い発言だ。で、これが何か?」

 白々しく言ってのける佐橋に、米国人側の一人が顔をしかめた。

「何か、とは? これは、貴国の実質的なトップ――」

「そう、血縁だけでトップに祭り上げられた、世間知らずの小娘が、命の危機の中で判断力を低下させてつい漏らした言葉。それ以上でも以下でもない」

 佐橋はあっさり言ってのけた。
 公式の場でいえば、不敬罪間違いなしの暴言だった。
 その発言に、政治家の一人――将軍崇拝の、国粋愛国主義者として名を売っているヤクザじみた風貌の男が、米国人より早く顔を真っ赤にするが。
 一睨みで、佐橋はその男の口を封じた。
 佐橋は、その男が口では愛国、やっていることは利権漁りの愛国業者の典型であることを知っている。
 日本で言えば大東亜戦争の時代に、あるドイツ人の宣伝上手がこういった。
 『自分の気に入らない相手を攻撃するには、相手に愛国心がない、といえばいい。大衆はそれを信じる』
 と。まさにその低レベルな言論だけしか能が無い政治業者に吠え掛かられようと、佐橋は一向にこたえない。
 簡単に黙らせることができたように、政治家としての格が違う。
 が、その程度の政治家だろうと、今余計なことをしゃべられては困るのだ。

「仮に、この言葉が批判されるべき二枚舌だとしよう。しかし、当時の日本は対BETA前線国家であった。戦って献身することで罪を償わせる処置を選ぶのは、十分合理性があることだ」

 佐橋が『それが何か?』という表情を崩さず、普段は『将軍やその側近は阿呆だ。後々、自称だけは愛国の模倣犯を増やすだけだ』と罵倒してやまない処理を、支持して見せた。

 相手……情報機関、などという世界でもっとも厄介な存在に、弱味を見せることは無い。
 連中が合衆国の総意を背負っていないと見切ってる佐橋は、「小細工はやめにしろ」という意味をこめ、リーダーに向けて目を細めた。
 が、相手もさるもの。
 佐橋の眼光を簡単にいなして、余裕たっぷりに口を開く。

「では、この将軍殿下の御言葉を、アメリカで公表いたしましょう。
支配されることに慣れ、小娘を神様か何かの代用品にすることに慣れた帝国人なら、納得せずとも反発はしますまい。
だが、他国人はどうですかな?」

 日本政治家側の顔色が、侮辱的な言葉に赤くなり、あるいは引き起こされる事態を想像して青くなる。
 それを横目で見ながら、佐橋は心の中でため息をついた。
 この程度の揺さぶりで、あっさりと狼狽を露わにするとは……。

「どう受けとるかは、アメリカ人の自由だ。帝国が……まして、引退した私がそれに関知するところではない」

 逆にいえば、アメリカ人に関知されるいわれも無い。
 おたつくことはないのだ、と佐橋は内心で毒づいた。
 アメリカの落ち目の派閥が、日本の騒乱を利用して、復権のための手柄を上げたいにすぎない。
 連中の手駒であるF-22の戦力は軽視できないが、所詮はごく少数の戦術ユニット。
 帝国が問題を解決するために、必須の存在ではない。
 この場にいる政治家のスキャンダルを含めた、帝国の汚点も調べ上げているだろうが、そういった情報とて、こちらが無視すれば不発に終わる。

「――おおっと、忘れていました。将軍殿下の御言葉を、何よりもありがたがる貴国の軍人には、真っ先に伝えたほうがいいですかな?」

 リーダーのその一言に、佐橋の顔が初めて強張った。

「それは……」

 冗談ではない、と佐橋はぐっと奥歯をかみ締めた。
 佐橋のような政治家にとって、一番困るのは、理性で計算できない行為をやらかす連中だ。
 将軍発言のうち、刺激的なものを並べ立てられた時の、軍人連中の反応が穏当であることを、佐橋はまったく想像ができなかった。

 (こいつら、自分たちを失脚させかけた日本と、抱き合い心中することも厭わないつもりか!?)

 動機が利権なら、いくらでも足元を見ることができる。
 だが、クーデター事件の軍人のように、情念あるいは妄念で動いているのなら、どこまで何をやるか、わかったものではない。
 いや、そう思わせるのが狙いの、はったりか?
 佐橋の脳は忙しく回転していたが。

 この場にいる政治家は、佐橋だけではなかった。

「わ、わかった! 貴殿らの要求は何だ?」

 佐橋や、交渉事を心得た何人かが、止める暇もなかった。
 大多数の政治家・元政治家が、相手の『将軍の御言葉』カードに屈した姿勢を、露骨に示してしまったのだ。
 中には、今にもひれ伏さんばかりの者さえいた。
 将軍は、この国の精神的柱である――そう認識している人間が帝国では大多数だ。
 そこを攻められて、平然としていられるのは、ごく少数。

 佐橋は、勝ち誇って笑う白人達から視線を逸らした。その脳裏に、ひそかに視聴した外国放送の一場面が、再生される。

『おそらく、まともに防御したところで既に政府憎し、で凝り固まった軍人とCIAを止めるのは無理と判断したのでしょう。
ならば、関与しつつ暴発させたほうが、まだ被害のコントロールができると判断したのではないでしょうか』

 それは、クーデター工作を暴露した、あるアメリカの元重鎮が、帝国情報省の不可解な動きの理由を予想した台詞だった。

 帝国の混乱の大元のひとつは、将軍を神格化・崇拝する流れそのものだ。
 先のCIAリーダーの揶揄は、悪意と打算に満ちたものだが、同時に正鵠を射ている。
 本来は、将軍といえども帝国をよりよく統治するための、権力機関の一つに過ぎないというのに。
 帝国人の弱い心が、ただそれだけのものを、特別な存在に仕立てている。

 殿下ならば、正しい志を理解してくださる。
 殿下さえおられるのならば、未来は明るいはずだ。

 まだ20をいくつも超えていない娘に、いったい何を押し付けているのだ、と佐橋は醒めた心で思った。
 滅亡寸前の非常時なら、そういう逃避もやむをえないかもしれない。
 しかし、それは現在も続いているのだ。

 だが、今はこの考えをぶちまけることはできない。
 佐橋がどう思おうと、多くの帝国人の心は、すでに方向性が定まっている。

 (小河先生でさえ、そうだったからな……)

 自分にこういう実利的な政治思考を教えてくれた政治の大先輩ですら、どこか将軍崇拝の色を隠しきれなかったのを、佐橋は思い出した。
 同時に、決意する。
 12・5事件の情報省のように、こいつらをある程度でもコントロールしなければ。
 佐橋は、早速『救国臨時政府』なるものの設立の相談にはいる政治家達と外国人達を、冷たい目で観察した。



[24030] 第十五話・風雲
Name: 執事◆435a2cd8 ID:91c90832
Date: 2010/11/28 01:00
 アメリカ・ニューヨーク。
 加盟国の旗すべてが、毎日律儀に掲揚される国旗群に囲まれた、巨大なビル・国連本部。
 その安全保障理事会会議場では、討議が行われていた。
 議題は、日本帝国での一連の事件について。

「我々は、日本帝国の統治能力自体に疑問を抱かざるを得ない状況にある。
侵入したテロリストや、国軍を離反した者達への対応は内政問題であろうが、その影響が国外に及んだ場合は責任をどう取るのか?」

 居並ぶ常任理事国・非常任理事国の国連大使の一人が、自動翻訳装置をつけて厳しい表情で語っている。
 マンダレーハイヴと対峙を続け、その駆除を悲願とする大東亜連合代表者だ。
 日本帝国と比較的関係がよかった勢力だが、それだけに批判は深刻だった。

「12・5事件の時といい、自国の実戦組織に対する統制力の欠如は、国際社会にとって大きな懸念だ。今回の事件解決の道筋を、早急に示していただきたい。
でなければ、安保理決議によって我が軍を、治安維持部隊として日本に派遣する選択肢もありえる」

 大東亜連合大使が口を閉じる。
 先日ようやく開催された会議だが、その様相は日本帝国への苦情進呈の場となっていた。
 12・5事件の時のように、即座に国連軍や米軍の帝国主権領土内における軍事行動容認の議決が出る、というほど強烈ではないにせよ、不穏な空気はたっぷりとある。

「それは極論にすぎる。我が帝国の、今回の対処の遅れについては遺憾であるが、これまでの日本帝国への世界への貢献を考慮していただきたい」

 焦燥を顔にべっとりと貼り付けながら、日本帝国大使が反論する。
 あの12・5事件でそうだったように、帝国首脳が違法行為者を反乱や敵対者、とはっきり定義しなかったため、言葉がどうしても微妙な言い回しになる。
 うかつな言葉を使えば、本国との不一致を突かれる。あるいは、本国側から苦情が来るのだ。

「貢献、とは何のことか?」

 しらじらしく口を挟んだのは、欧州連合の中でも最有力国のひとつ・イギリス大使だ。

「それは、例の秘密計画および、桜花作戦における……」

「……帝国政府は何か勘違いをしておられるようだ」

 イギリス大使の顔が、不快そうに歪んだ。
 この国と、帝国の中は決して悪くはないのだが。
 帝国次期主力戦術機選定において、無償で一個中隊分を送るほど熱心に売り込んできたEF-2000を、帝国がただの当て馬扱いしたあたりから、微妙な空気が流れている。

「確かに例の計画を発案し、主導したのは帝国だ。だが、その実施については国連を通じて世界中の国が人員・資金を負担した。
桜花作戦についても、帝国のみならず、多くの国が陽動およびオリジナルハイヴ攻撃のために、多大な犠牲をはらった。日本帝国だけを特別の功労者、とする理由は無い。
計画について言うのなら、もっとも重要な時期にクーデター騒動を引き起こし、破綻の危機を招いた責任を痛感していただきたい」

 切り捨てるようなイギリスの主張に、黙って聞いていた各国大使が一斉にうなずいた。
 日本だけに手柄を独占させるような態度は、感情的反発を買う。
 同時に、日本の影響力を抑えたい、という打算的な思いもある。
 超大国アメリカさえ、出る杭はよってたかって打つ式の、各国の思惑に振り回されることが多々あるのだ。
 そういう諸国の感情を利用し、オルタネイティヴ4を通したのが日本帝国だったのだが。

「……先の発言は、帝国の独占的功績を訴えるものではない。あくまでも、諸国と共同した中での貢献を考慮していただきたい、ということである」

 帝国国連大使は、反感を和らげる弁明を続けるが、内心では馬鹿馬鹿しい、と考えていた。
 この男も、文民である。

 国内外の誤解・中傷混じりの批判に耐えながら、難しい舵取りをした榊内閣と立場・思考的には近かった。
 ところが、その榊内閣の苦心の賜物であるオルタネイティヴ4成功の果実は、文民を虐殺したり、それを結果として容認した連中が持っていってしまっていた。
 理不尽に腸が煮えくり返っているというのに、公人としての責務から、また軍人らのやらかしたことの弁護をしなければならない。

「日本帝国の真意は理解する。また、国連軍基地が陥落したのは遺憾ではあるものの、おおむね日本の内政管轄内で事態は推移している。
むしろ帝国の主権を尊重しつつ支援することによって、早期収拾を図るべきだ」

 帝国に助け舟を出したのは、アメリカ合衆国大使だ。
 旧オルタネイティヴ5派の暴露は、国連にも知れ渡っている。
 12・5事件絡みならば、日本帝国も悪いがアメリカも悪い、ということは明白な状況だ。

 奇妙な話だが、数年前は激しい工作合戦を繰り広げるほど対立していた日米が、今日ではもっとも立場が近しい。

 選挙により、当時とはアメリカの政権が変わっていることも影響していた。
 現在のアメリカの政権は、かつての親オルタネイティヴ4あるいは反G弾派が中核だ。
 外交的には、国際協調路線。
 そして前の政権がやった、他人の工作の後始末をしなければならない辛さは、帝国大使と同じ。
 政権交代しようが、他国から見れば所詮一国は一国の責任だ、とひとくくりにされるものなのだ。

 控えめとはいえ、やはりアメリカの支援は大きい。
 イギリス大使は、黙りこくった。

「しかし、このまま帝国の騒乱が続けば、東アジア人類戦線全体に悪影響が出る。また、テロリストの人質に取られた国連軍将兵の身柄の安全確保も急務だ」

 次に、東欧州社会主義同盟の代表大使が、深刻な表情で発言する。
 BETA大戦で大打撃を受け、いまだ領土を回復しえていないこの勢力からは、相当数の将兵が国連軍に出向していた。
 横須賀に捕らえられた者達の中にも、ポーランドや東ドイツ出身者が少なからずおり、気を揉んでいる。

「正直、帝国政府独力での事態収拾は無理ですな。前々からであるが、日本帝国の元首およびその全権代行を含む政府全体が、軍を統制できていないではないですか。
気に入らない相手ならば、目上の丸腰の文民だろうが、容赦なくかみ殺す。まるで狂犬だ。
そして帝国政府は、その狂犬の牙が自分たちに向くのを恐れて、甘やかし続けている」

 侮蔑を隠さないで言い放ったのは、ソ連大使だ。
 ソ連の共産党政権は、確かに軍を強固に統制していた――手段が監視・粛清の類なだけに、国際社会から賞賛されることは少ないが。

「我がソ連領内には、帝国の大陸派遣軍が大規模に駐屯している。これは無論、我が国にとって有難い援軍ではあるのだが……。
もし、他国を蔑視し支配しようとする、国粋主義的政権が成立した場合、我々の主権にとって大きな問題――ありていにいえば、我が領土を実効占領される危惧さえある」

「それはあまりにもひどい侮辱である! たとえ政権が変わろうと、そのような国際信義にもとる真似を帝国がすることはありえん!」

 さすがに色をなして反論する帝国大使の声が、会議場の空気を震わせる。
 ソ連大使は口をつぐんだが、発言に謝罪も撤回もなかった。
 そこへすかさず統一中華代表が口を挟んだ。

「ソ連大使の発言は、行き過ぎであり、帝国の名誉を傷つけるものである。帝国政府は、『見返りもなく』全人類のため、対BETA戦に本国が安全化した後も参戦しているのだ。
支援を受けている我が統一中華を含む各国が、それに深い感謝をささげている」

「大東亜連合も、統一中華大使に賛同する。ソ連大使は、発言を撤回して謝罪すべきである」

 帝国大使は言葉に詰まった。
 言葉の上では帝国擁護のソ連批判だが、さりげなく帝国の支援に対する代価を必要なし、としているのだ。

「そうでしたな。先ほどの行き過ぎた発言は、撤回し謝罪するものである」

 ソ連大使が、打って変わった殊勝さで謝意を表明した。
 各国大使はほっとした表情だったが、当の帝国大使は苦々しい思いを噛み潰すのに必死だった。
 まともな統制が働いているのなら、気分や綺麗ごとだけで正規軍は動かない。
 必ず利権、国益といった生臭いものが裏につきまとう。
 帝国が、この時期になっても海外派兵を続行しているのは、BETA大戦の勝利後を見越した国際戦略の一環だ。
 明らかに大東亜連合・統一中華とソ連は気脈を通じ、帝国に支払うモノを値切ろうとしている。

 (……まさか、帝国内の騒乱もこいつらの差し金か?)

 帝国大使の胸中で、疑いが鎌首をもたげてくる。
 だが、ここで証拠も無く問うことはできない。
 それに、国内一般の社会と違い、国際社会では弱い奴や騙された奴が悪い、という空気があるのも事実だ。

「……では、議長として、各国大使の意見を聴取した上での見解を出したい。しばらくは、日本帝国の自主解決能力に期待し、各国はこれを支援するものとする。
ただし事態が長引き、国際社会への影響が看過しえないレベルに達した場合は、各国軍による帝国への援軍を編成、正当な日本の政権を直接支援する。よろしいか?」

 議論が停滞した気配を見せたため、安保理議長が大雑把なまとめを提案する。
 議決ではなく、あくまでも関係国内での拘束力の無い合意であり、いわゆる議長声明ですらない。
 内容も、各国主張のごたまぜにすぎないところが、この時代でも国連での会議が持つ価値の程度を表していた。



 会議が小休憩に入った後、ほどなく帝国大使は、血相を変えたアメリカ大使の訪問を受けていた。
 日本帝国用の一室で、二人だけになると、米大使はすぐに口を開いた。

「申し訳ない」

 いきなりの謝罪に、帝国大使は面食らう。
 非公式の場とはいえ、超大国の大使が非を認める言動をすることは、滅多にあることではない。

「我が国のCIAと、それに近い軍部隊が暴走しました。相当数が、無断で貴国に入り込んでいます」

「な、なんですと!?」

 帝国大使は思わず大声を上げた。

 現在の米政権は、勝手な振る舞いが多いCIAの改革に着手する姿勢を、強く示している。
 予算および権限削減、ある年齢以上の幹部職員を一斉解雇して旧悪を一掃する、などかなりドライスティックな政策を提示していた。
 また、軍……特に外征軍が、現地の裏社会などと関係を持つ腐敗についても厳しく指弾し、犯罪者への軍法会議で『身内の庇いあい』判決が出やすいことへの修正を指示している。
 アメリカの戦力・情報能力低下と引き換えにしてでも、統制をしっかりしよう、という態度だが。
 CIAはもとより、アメリカの保守派・対外強硬派・在郷軍人らからの批判の声が強かった。
 大統領暗殺計画、などという物騒な噂さえ流れている。

「東アジア戦線のてこ入れのため、増援として向かわせた遠征軍のうち、ラプター一個中隊が、目標の朝鮮半島駐屯地に向かう途中で、ルートを勝手に変えました。
大統領は、先の12・5事件での工作暴露を受けて、反対派を押し切って改革実施を宣言しましたが……それが逆に、連中を追い込んでしまった様子です」

「そ、そんな……」

 目の前が真っ暗になりかけた帝国大使は、腰掛けていた椅子の肘掛を強く掴んだ。
 ただでさえ、帝国内は滅茶苦茶だというのに、アメリカ軍の最強機がやってきているとは!

「大統領は、該当部隊に即時撤収命令を出しました。これに従わない場合は、合衆国への反乱と見なす、と。
また、部隊が命令を無視した場合は、帝国政府に対して、対ラプターの鎮圧部隊派遣の用意があること。
帝国国内事情がそれを許さないのなら、せめて対ステルス用の新型レーダーを貴国へ即時提供するつもりである、と伝えるようにと」

 そこで一旦言葉を切ったアメリカ大使は、言いにくそうに一息ついてから言葉を続けた。

「その代わり……今回の件は、極力内密にしていただきたい、と。現政権の求心力が失われては、改革全体が崩壊してしまいます。
そうなると、『連中』は息を吹き返し、今回の行動が追認される恐れさえ……。
わが国の政権の力不足を、貴国に押し付けるのは心苦しいのですが、どうか善処をお願いいたします」

 アメリカ大使は、大統領のメッセージが印刷された紙を差し出した。
 帝国大使は、震える指でそれを受け取る。
 『連中』――旧オルタネイティヴ5派や、実質それと一体であるCIA。軍主流から追い出された、G弾支持派ら。
 祖国の中で居場所がなくなりつつある連中だ、どんな破滅的手段をとってくるか、わかったものではない。

 帝国大使は、絶望に襟首を掴まれながらも、国際社会で揉まれてきた頭脳を必死に働かせる。
 落ちつけ、マイナスの中からプラスを探すのだ。
 状況は悪いが、まだ帝国が破滅したわけではない。
 アメリカは、これで日本帝国が軍を統制できていないことを、一層責めにくくなった。
 それどころか、大きな貸しを作る機会さえめぐって来ている。

「と、とにかくこの情報と提案は、至急本国に送ります」

 その本国が、今度こそしっかり対応してくれれば……。
 帝国大使は、祈りながら重い体を立ち上がらせた。





 貨物船に偽装した、財団の戦術機母艦。
 太平洋航路を行きかう船団と時折すれ違いながら、日本領海ぎりぎりを遊弋していた。
 日本で勃発した騒乱を受けても、船舶の量は減った気配がない。
 この世界では、BETAによってユーラシアの土地がいまだ占領され続けているため、経済的に旨味のある土地というのは、かなり少ない。
 アメリカ大陸、オーストラリアなどは安全圏だが、そういう所は力ある企業が、早々に根を張っている。
 多くの企業にとっては、リスクはあっても、日本の復興景気を簡単に捨てることができないのだ。
 日本の地方行政組織が、貿易管理機能をもっていることもあり(本来は、BETAの攻撃で中央政府機能が壊滅した時に備えたものだが)、九州や東北・北海道を目指す船はいまだ多い。
 さすがに、騒乱の大元である東京湾方面は、ばったりと船足が絶えたが。
 その中には、財団の母艦のような物騒な存在が、少なからず混じっている。
 不審電波を発しているような船舶は、まずどこかの国の諜報艦艇と見ていい。

「……イリーナ達と、小河元大臣らは、屋敷のシェルターに避難済みです。帝都に進軍した旧クーデター派も、また斯衛軍も今のところ平静を取り戻しつつあります。
どうやら、旧クーデター派は代表者を立てて直接、将軍の謁見を賜り、自分たちの意見を言上したい、と望んでいるようですわ。
これを受けて、旧クーデター派を追っていた政府の指揮下にある部隊も、帝都近郊で動きを止めています」

 傭兵部隊のブリーフィングルームに宛がわれた一室で、五十川はマリアの説明を聞いていた。
 彼女が口にしているのは、財団からの情報をまとめたものだ。
 リチャード、藤花も同席している。
 皆、いったん強化装備を脱いで、本来の船員と同じような作業着に着替えていた。

「帝国政府の反応は?」

 折りたたみ椅子に座り、五十川は質問した。
 小さな船の窓の外は、すでに日が落ちかかっている。
 水平線では、太陽の光と夜の闇が、最後の攻防を繰り広げていた。

「謁見を求めること自体が僭越の沙汰である、という城内省。
非武装・少人数・あくまでも意見を述べるだけで将軍の返答を求めない、という条件で認めようとする内閣。
この二つが争っており、まとまる気配がありません。旧クーデター派は、今のところは政府の返答を待つ姿勢のようです」

 帝都の情勢変化を受けて、日本各地の旧クーデター派支持派の移動と、それを制止しようとする部隊の対峙も、沈静化の方向だという。

「ってことは、今日明日でどうなるってことはなさげですね……」

 リチャードがふぅっと息を吐いた。

「――現在、帝都の一部市民は、自主的な疎開を開始していますが。激突が発生しないこともあり、多くの者達は、普段の生活を続けている様子です」

 マリアの報告に、五十川は渋い顔をした。
 帝都に民間人いる場合、戦闘が発生したらかなりの損害が発生する。
 12・5事件のように、睨み合っている当事者にそのつもりがなくても、何かの拍子で……ということはありえるのだ。

「帝都の人達は、タフなのですね。生活基盤を壊したくない、という事情もあるのでしょうけど」

 だが、藤花はむしろ感心したようにつぶやいた。

「それと、つい先ほど難民解放戦線から、急報が入りました。帝国軍部隊の一部……富士教導団が停戦協定を破り、攻撃を仕掛けてきたそうです」

「!」

「帝国政府は帝都での問題対処に手一杯のため、教導団の独断だと思われます」

 五十川は、思わず椅子を揺らした。
 停戦破りを行う部隊が出ること、それが前のクーデターでも違法行動を取った者達である可能性が高いことは、予想していたが。
 本当にやられたのなら、また頭を悩ませる問題が増えることになる。
 財団にとって、解放戦線は未だ日本を揺さぶるための重要な要素だ。
 ことによると、今度は解放戦線を助けにいかなければならないかもしれない。

 急転し続ける情勢に、F-22の出現、さらに教導団の独走。
 蝙蝠、というのも愚かなほどでたらめな自分たちの立場。
 それらを思い合わせて、五十川は鈍い頭痛を覚えて頭を押さえた。

 が、マリアの続けた言葉は、五十川にとっては意外なものだった。

「解放戦線は、多少の損害を出したものの、富士の戦術機部隊を追い払ったそうです。しかし、攻撃してきた部隊はわずかで、偵察だったと思われますが。
後続する部隊が見受けられない、と……解放戦線も戸惑っている様子です。帝国政府に抗議はするものの、現状は維持すると。
戦線にとっては、初めて自分達の主張を、まともに聞いてくれるかもしれない気配を見せた相手と、手切れになりたくはない、ということでしょう」

「へ? ……一部の跳ね返りが仕掛けた程度だったんですか?」

 リチャードが、首をかしげた。

「詳細は、不明です。ただ、旧静岡方面で戦闘らしい激しい発光を確認した、という情報が別ルートから入っていますし。
……現在、発光は収まっている様子ですが、警戒はしておくべきかと」

「手が足りないな」

 五十川は、ここ数日で生えた無精ひげをさすりながらつぶやいた。
 現在、五十川の手元にある戦力は、4機の迅雷のみだ。
 帝都・横須賀双方で同時に戦闘が発生した場合、困ったことになる。
 連続での戦闘回数が増えるのも、できれば避けたい。
 防御力と機動性を力技で両立させた迅雷は、整備性に難ありなのだ。

「部隊の増援を要請しますか? しかし、主だった者達はすでに各地に散っています……残余では、力不足です」

 マリアの言ったとおり、財団の持つ傭兵部隊のうち、頼りになる連中は、五十川らと同様に世界中で任務に従事している。
 多くが利権絡みの秘密任務だが、中には財団と関係が良好な国家に大手を振って雇われ、BETA相手に戦っている部隊もあった。
 手の空いている連中は、人員の質もしくは装備に問題を抱えており、帝国軍の正規部隊相手では荷が勝ちすぎていた。

「当主に、相談だけはしておくか……今はまず、帝都で戦闘が起こらないうちに、イリーナ達と小河元大臣を保護し――」

 方針を決めようとした五十川の声をさえぎるように、壁の据付電話がけたたましい音を立てた。
 藤花がすばやく立ち上がって電話を取り、二言三言話をする。

「隊長、艦長からです。海難信号をキャッチした、と」

「何?」

 五十川は、眉根を寄せる。
 危難にあった者を見つけた場合、極力助けるのが海の世界の法律だ。
 それこそ戦争している相手でもない限り、仲が悪い国の船舶だろうが苦しいときには救うのが、海に生きる者の矜持。
 だが、この船は偽装艦。すぐに助けに出る、というわけにはいかない。
 艦長が電話をかけてきたのは、そのためだ。

「位置は?」

「すぐ近くの日本領海内……駿河湾、御前崎の沖です」

「……見捨てたら、かえって疑われる、か?」

 五十川は立ち上がり、藤花から受話器を受け取ると、艦長と相談を始めた。



 すでにあたりは暗く、波間の白がうねるたびに不気味な印象を見る者達に与える。

「あれか」

 偽装艦の甲板に立ち、揺れに耐えながら五十川は目を凝らした。
 五隻ほどの船団が、海の上で立ち往生――波に遊ばれるままに、不規則に動いている。
 いくつかの船は火災を起こしているようで、炎が不気味に揺れながら周囲を照らしている。

「よし、いくぞ」

「はい」

 五十川は藤花と、船員の何人かを引き連れて、救命艇に乗り込んだ。
 艦長との短い討論の末、商船偽装を続けるためにはむしろ一般的な常識に従った行動がいい、と決めたのだ。
 母艦の中では、マリアとリチャードが迅雷に乗り込んで、不測の事態に備え待機している。
 クレーンによって海面に下ろされた救命艇は、エンジンの音を響かせながら、動き始める。
 ほかに、二隻の救命艇がおろされ、五十川らに続いた。

「ただの事故じゃないようですね……」

 進行方向を、救命艇備え付けのライトで照らしながら、船員の一人がつぶやいた。
 平時は、本当に普通の船員として活動している財団の一員であり、海の上では五十川らより先達だ。

「あっ!? 今、船から誰かが飛び降りました!」

 藤花が、波しぶきで顔を濡らしながら、海面の一点を指差した。
 特に火災がひどい一隻の近くだ。
 10月下旬の海は冷たく、人の体温をたやすく奪い去ってしまう。
 あわてて船員がエンジンを吹かし、救命艇の速度を上げた。

「これは、大事になりそうだな」

 五十川は、判断ミスだったかと悔やんだ。
 これだけの船が何らかの危難に巻き込まれたのだ。
 注目が集まる可能性があり、それは五十川らの活動が露呈しやすいことを意味する。
 五十川が考え込む間にも、救命艇は船団に近づいていく。

「手を伸ばして!」

 藤花が、舳先から体を乗り出すようにして、海面に手を伸ばした。
 その手をつかんだ救難者を、軽々と引き上げる。
 彼女の、どちらかといえばほっそりした見た目からは想像もできない腕力だったが、五十川はそれに感心する暇はなかった。
 間近でみた、火災船の様子が変だったのだ。
 構造材が、外に向かって大きくめくれた箇所がある。
 まるで、内側から何かとんでもない力でこじ開けられたような……。

「……っ! この人!?」

 藤花が、驚きの声を上げた。
 艇内に引きあげられたのは、ただの船員ではなかった。
 五十川は、その人物の着込んだ制服を見て、目を見開いた。
 帝国軍時代に何回か見かけたことがある、斯衛用の制服だった。

「おい、どうした! 何があった!?」

 船員が、呼びかけながら手当てを開始する。かなりの火傷を負っていたのだ。
 五十川は、その斯衛の唇がわずかに動いているのに気づいて、顔を寄せた。
 人の皮膚が焦げる匂いが、五十川の鼻につく。
 普段は、戦闘で敵を焼いても、管制ユニット越しだから嗅覚は――
 ふと頭に浮かんだ、余計な思考を追い払いながら、耳に神経を集中させる。

「う、うば……れ……た……た、たけみ……ず、ち……」

 潮騒にかき消されそうな言葉が、辛うじて五十川に届く。

「……奪われた? たけみ……まさか!」

 武御雷が、強奪されたということか?
 五十川は思わず声を上げた。

 00式・武御雷。
 帝国斯衛軍主力戦術機。
 材質からして、一般的な戦術機とは段違いのものを用いた、世界最高水準の機体。
 その得意とする長刀レンジ内での戦闘能力は、ラプターと同様により後発・新設計の機体をもはるかに上回る、と言われている。
 非公式情報ながら、F-15ACTV・アクティヴイーグルのパワーを片手で押さえ込むことさえできた、という。
 2001年から2002年にかけての一連の実戦……特に、桜花作戦で示した実績は、世界にも広く知れ渡っている。
 将軍専用機も武御雷であるように、帝国の誇り・象徴といっていい。
 生産性・整備性に欠点があったが、たたき出した戦果が尋常ではないため、必要なコストであると臣民の大多数に納得されている。
 それが強奪された、となれば。
 帝国を捨てた五十川の精神にさえ、大きな動揺をもたらす。

「それは本当か? 誰にやられた? そいつらは、まだ近くにいるのか!?」

 さらに五十川は呼びかけるが、その声に答えることなく斯衛は意識を失った。





 不安は、流言の土壌である。
 日本帝国全土では、BETA大戦情報はじめとして、強い情報統制がかけられるのが通例となっていた。
 だが、人の口に戸は立てられないし、不完全な情報こそが、むしろ過激なデマを人の口に上らせる。

『先の12・5決起は、実はアメリカの手先達が起こした茶番であった。日本が混乱している隙にBETAがやってくれば、これを阻止する手段はG弾しかなくなる。
再びG弾を投下させるために、わざと日本の防衛力を弱体化させるのが、あの行動を目的だった』

 そんな風説が、帝都を中心として、あちこちでささやかれはじめていた。

 これは、12・5事件を起こした沙霧尚哉大尉等が発した声明、あるいは事後の政府要人による事件擁護演説のいくつかでも、

『あの状況でBETAに攻撃された場合は、どうやって防ぐつもりだったのか』

 という観点からの説明がまったくないことも、原因だった。
 結果として、人類の予測が通じないBETAは行動を起こさず、事件は短期に終結したので狙いは外れたが。
 もし、仕掛けた連中の思惑通りにいけば、日本帝国はG弾の生贄として、破滅していた。

 特にその噂に強く衝撃を受けたのは、旧クーデター派のうちでも、事前謀議の重要部分にかかわっていなかったり、
 あるいは決起後に熱意を信じて賛同、もしくは上官の命令に従うままに参加した、中核部分以外の面々だった。
 彼らは、この種の流言を否定する確定情報を、持っていないのだ。

 自分たちの行為が、日本帝国を良い方向に動かした、犠牲者にもそれで顔向けできる――

 そう誇りに思い、または罪悪感を押し殺していた者達。
 彼らからすれば、『結果として上手くいったのだから』などと割り切ることはできなかった。
 アメリカの手先になって日本を滅ぼしかけた連中が、今もいけしゃあしゃあと、表面だけは烈士面をして、軍の主導権を握っているとしたら。

 帝都の一角の広場を占領した、第1師団の司令部テントに向かう兵士がいた。
 あの、『自分は2001年で勇気を使い果たした』と自嘲していた、帝国衛士だ。
 男は、旧知の斯衛衛士から、外国放送について聞いた後、嫌な予感に押されるように兵士達の話を聞いて回っていた。
 そして、G弾の呼び水とするための決起だった、という噂にぶち当たったのだ。
 その足は、司令部手前で止まる。

「……」

 このまま、見て見ぬふりをすればいい。
 流言など、聞き流せばいい。
 次期人事では、いよいよ中隊長昇進だ。
 自分の国家への献身を見込んでくれた、さる名家の美人の娘さんとの縁談も進んでいる。
 ただ、流され沈黙していれば、薔薇色の未来が――

「いや、それはできん」

 衛士は、自分に言い聞かせるように呟いた。
 勇気は使い果たしたが、誇りはまだ胸の中で健在だ。
 もし、主導者達が、アメリカの手先であったのなら……。

 帝国衛士は、意を決して司令部に向かった。
 その手には、軍刀が下げられていた。



[24030] 第十六話・烽火
Name: 執事◆435a2cd8 ID:91c90832
Date: 2010/11/30 18:24
 小河元大臣屋敷の地下にあるシェルターは、いわゆる核シェルターに準じたものだった。
 出入り口を閉めれば外部とは完全に遮断され、独立した生命維持装置が稼働して、保護した者の数ヶ月の生活を保障する。
 元々は小河が、12・5事件の苦い体験から据え付けたものだから、造りも新しい。
 長期間の密閉空間での生活で、神経が参らないように空間は広めに取られ、ちょっとした会議室ぐらいの広さがある中央スペースを中心に、いくつかの個室さえある。
 これだけの物を作るのに、相当の金がかかったが。
 無念をはらすまでは死ねない、という一念から老人は私財のほとんどをはたき、伝手を辿って値切るまでしてこれを完成させた。

 今、その中央スペースには、ソファーが持ち込まれて何人かの人々が、思い思いに時間をつぶしている。
 壁に置かれた本棚から、本を取り出して読んでいる屋敷の使用人。
 地上の伸ばしたアンテナから受信した、ニュース放送を見る財団の随員。

 そして、小河自身は、ソファーに腰掛けて対面するイリーナと雑談をしていた。

「イリーナちゃんは、普段はどんなお勉強をしているのかね?」

 外国人の血が入った孫をめでる祖父、といっても通じる小河の温和な雰囲気を漂わせる言葉に、

「はい、近頃はBETA大戦以降の国際経済関係の変動について、をお勉強しています。
いわゆる前線国家に対する、後方国家の経済活動は、単なる利潤追求だけではなく『自分達の防壁になり、血を流している相手』への支援という面が強くなりました。
昔の国際関係ならば、即座に取引相手として失格とみなす行為――例えば、債務履行の一方的延期・強制転換による弁済方法の変更なども、宥恕されることが多くなっています。
しかし、この種の『人類全体のため、を名目に債権国家に一方的負担を強いる』行為は、当然多くの損害を後方国家に与えています。
このリスクに対応するため、国連は各国の拠出金を実質的な保険として、損失補てんに転用する機能が拡大しました。
また、国家群の統制力が低下したため、企業のグローバル化が推進、国籍に囚われない国際資本の立場が飛躍的に強化され――」

 と、イリーナはすらすらと答えた。
 小河は笑顔のまま、皺だらけの顔を硬直させた。

「ほ、ほほぅ。なかなか難しいお勉強をしているのだね」

「はい。でも、とっても楽しいです」

 イリーナは、慣れない場所にいきなり放り込まれて不安そうな子猫を膝の上に抱え、宥めるようにその毛並みを撫でながら笑った。
 小河は、そうかそうかとうなずいてから、話を変えた。

「そ、そういえば。あの五十川という人を兄、と呼んでいたが」

「あ、それは当主様が、そう呼ぶと男の人が喜ぶって教えてくれましたから」

「……」

「でも、『調子に乗りそうな男の人には絶対言ってはいけない』ともいわれました」

「そ、そうかね」

 小河は、何気ない風を装って顔を逸らし、すぐそばにいた監視のソ連人を睨みつけた。

(貴様のところの当主は、何を考えておるのだ!?)

 ソ連人は、思わぬとばっちりに迷惑そうな顔をしたが。

(勉強については、当主が彼女の才幹を見込んで、次期幹部候補として教育するよう指示したからです。私の監視も、実は護衛を兼ねたものでして)

 と、顔を寄せて小声で答えた。

(なんじゃと? ……確かに財団は出自は問わぬ、と聞いているが)

 まさか、人工生命でも見込みがあれば、将来の重鎮として迎え入れるつもりなのか? と、小河は驚いた。

(お兄様、については完全な当主のお遊びのようです。当主は、隊長やイリーナのような人間を好きなのです。主にからかう方面で、ですが)

(…………ありがとう)

 なんともいえない表情で小河が礼を言うと、ソ連人は気持ちはわかる、というように小さく笑った。
 視線を戻すと、イリーナが子猫の喉を指先でくすぐっていた。
 彼女の身につけている装飾品は、銀髪の中から覗く小さな髪飾りぐらいだが、それが超能力を抑制する装置として働いている、という。
 外見からは、まったく人畜無害な少女、としか見えない。
 だが、その気になれば人の心を読める異能の力を秘めていることに、違いはないのだ。
 小河は、まだまだイリーナに対して身構えるところがある自分を自覚していたから、当主とやらの態度は不思議だった。

「……ん?」

 気を取り直し、再び彼女に向けて何か話題を振ろうとした時、老人の元に使用人の一人が早足で歩み寄ってきた。
 通信装置を使い、外界の情報を集めるように指示しておいた、スーツ姿の元秘書だった。
 小河の危機感に相違して、シェルターに入ってから数日、帝都で戦闘が起きた様子はなかったのだが。

「先生、仙台で臨時政府の発足が宣言されました」

「なんじゃと!?」

 声を潜める元秘書に、つい小河は声を上げてしまった。
 イリーナはじめとして、部屋にいる者達の視線が集中してくる。
 気配りがされていようと、密室は人の不安をどうしてもかきたてる。
 みな、外の事情に程度の差はあれ敏感になっているのだ。

「……かまわん、ここで話せ」

 小河は、ワシもいろいろと耄碌したのかのぅ、と自分の迂闊さを呪ったが。
 気を取り直すと、続きを促した。

「はい。ご存知のとおり、仙台はもともと帝都が首都機能を喪失した時に、法律の定めによって国家として必要な機能を引き継ぐ機構が、用意されておりました。
以前の……その、事件の時のように」

 この元秘書も、12・5事件の時に兵士の凶行を止めようとして、手ひどい扱いを受けた経験があった。
 自然と顔がしかめられるが、小河が目で促すと気を取り直して報告を続ける。

「ただ、今回は現行政府は健在であるため、『国家の危難を救うため、軍事・外交権に属する事以外の、内政事項について権限を代行する』と宣言しております。
主要メンバーは、国会議員を中心とした文民中心です」

「ふむ……? 帝都の本来の政府の反応は?」

「一連の騒乱に手一杯であるため、歓迎し承認する方向のようです。そろそろ、地方自治体に懸案を丸投げし続けるのも、限界にきていますので」

 小河は、元秘書から臨時政府の主要メンバーの名前が書かれたメモを受け取りながら、忙しく頭を働かせた。
 ソ連人が、メモを後ろから覗き込むのに気がついたが、情報ほしさはわかるので特に咎めなかった。

 国民や難民のための、配給、医療、治安制度の維持。
 国家を支えるための経済活動――徴税、金融、貿易などの管理。
 これらは、ただでさえ有能な文民多数を喪失している政府の重荷だった。
 この緊急事態下で、あえてそれを肩代わりしてくれる相手がいれば、喜ぶだろう。

 だが、どうにも腑に落ちない。
 ひとつ間違えば、臨時政府は国家運営が失敗した際の責任を負わされるのだ。
 また、かつて決起軍人に強硬な態度で望んだ仙台臨時政府を思わせる行動は、軍部の忌避を買う恐れもあった。
 あえて危険な真似をすることで、政治家や行政官僚の威信を回復しよう、という事だろうか?
 思索を進めながら、メモを読んでいた小河の目が、ある一点で止まった。

「佐橋……それに、外国人の名じゃと?」

 臨時政府のうち、実権は持たない顧問やアドバイザーという名目で、小河にとっては奇妙な名前が並んでいた。
 佐橋孝雄。
 小河にとっては、政治の弟子の一人であり、もっとも優秀な教え子だ。
 どうしても将軍の臣下、という意識が抜けきらない小河に対し、若い佐橋の伝統的価値観への断絶ははっきりとしていた。
 が、その佐橋は仙台臨時政府の後始末をしてから、下野している。
 その後、何度か現政権から復帰の打診があったそうだが、一切断っている、という噂があった。
 まるで、微罪で済んだからといって、平然と軍に戻った決起軍人へのあてつけのように。
 あの男の野心と能力からいって、再び世に出るとは小河も思っていたが、このタイミングと立ち居地は微妙だった。

 そして、外国人顧問というのがきな臭い。
 確かに、帝国の歴史上、優れた外国人を招聘して教えを請うというのは頻繁に行われてきた。
 だが、それは国家として未成熟だった大政奉還後あたりの話である。
 胸騒ぎが、老人の中で沸き起こった。

「早急に、このメモに名のある外国人の情報を集めよ。どんな小さなことでも漏らさずに」

 小河は、秘書にメモを返しながら命じた。
 実のところ、政治的機能不全を引き起こし、そこへ救いの手として登場する――というのは、小河老人の腹案そのものである。
 だが、急変する事態の変動が、小河の計画を完全に過去のものにしつつあった。
 例の将軍の『忠臣』発言を知って起こった気持ちのもてあましも、まだ続いている。

「ふうむ……」

 12・5事件についての感情を、一旦脇において日本全体を見直さなければならないかもしれん。
 思案の姿勢に入ろうとした小河の作務衣の袖を、ソ連人が引っ張った。

「……何じゃ、ソ連人」

 彼に引かれるままに立ち上がり、部屋の隅に移動した小河は、険しい目を向けた。

「ソ連人、はよしてください。私には、ミーシャという名前がある」

 名乗った男は、表情を改めて声を低めた。

「あの、臨時政府にアドバイザーとして名を連ねたうちの一人の名に、聞き覚えがあります」

「!」

「ジョン=クライト。アメリカでは、それなりに名の知れた経済評論家でありますが……前アメリカ政権で、G弾推進の経済的理論の裏づけをしていた人物です」

「それは……」

 小河は、無意識に顎に手をやっていた。
 G弾を使用することにより、人命・物資の消耗を最低限にできる、というのは推進派の有名な論拠だった。
 ひいては、国家経済への負担減につながる。
 現在ですら、ハイヴを攻略するには、大戦力を投入しなければならない状況に違いは無い。
 元々工業力があるソ連や欧州諸国と比べ、他の勢力の対BETA反攻が遅れているのには、必要な兵員や物資を用意しきれないから、という事情もあった。

「もちろん、純粋に経済的知見を臨時政府に買われて、という可能性もありますが。気になったので」

「なぜ、それをワシに? おぬしは財団の者であろう?」

 疑問をぶつけると、ミーシャは肩を竦めた。

「自分は、別に財団に絶対の忠誠を捧げているわけではありませんよ。財団も、それを承知で使っています。
今、このシェルターの持ち主は貴方だ。貴方が下手を打つと、私の身にも危険が及びますので」

「ははぁ……」

 あけすけで、実利的な物言いに小河は納得した。

「――前アメリカ政権の経済の知恵袋、か」

 考えをクライトなる人物に向けると、小河はますますきな臭いものを強く感じ取る。
 小河は、いっそ帝都を離れたほうがいいかもしれん、と思い始めていた。
 帝都東京には、皇帝・将軍といった国家枢要が集まっている。
 どの勢力がアクションを起こすにせよ、これを無視するとは考えづらい。
 旧クーデター派は帝都へ進軍してきたし、解放戦線が占拠する横須賀も、帝都をにらむ位置にある。
 小川は、ミーシャにすぐ動ける準備だけはしておくように、と言うと。
 考えをまとめるため、自分用の個室に向かって歩き出した。





 帝都城の、将軍私室。
 この国の実質的最高権力者の住まう部屋は、驚くほど質素だった。
 間取りこそ広いものの、調度は最小限。
 家具ひとつひとつも、造りこそしっかりしているものの、装飾を一切廃した実用的なものだ。
 そして深夜にもかかわらず、いまだに照明が灯っていた。
 部屋の主は今、鏡の前に座って薄い化粧を自分の表に施してた。
 やつれた頬に、白粉を塗って遠目には不健康な印象を与えないように。
 唇の青さは、紅によって覆い隠す。

 権力者の外見や所作を、支配される者達はしっかりと見ている。
 煌武院悠陽は、その事を幼少の頃から肌身で感じ取っていた。
 この化粧は、対面する者達に不安を与えないための配慮のひとつで、世の少女達が恋のために、あるいは娯楽としてする化粧とは根本的に意味が異なった。
 もっとも、いまだ日本が復興途上にあるこの時代、化粧品を手に入れられるだけで、特権的でもあったのだが。

 化粧を終えた彼女は、将軍の正装である白装束姿で立ち上がった。
 この部屋は純和風の造りであるが、二つだけそれにそぐわないものがある。
 ひとつは、机の隅に置かれた記憶媒体。
 もうひとつは、壁につけられた電話。
 そのうち、記憶媒体に視線を向けると、悠陽は目を閉じた。

 記憶媒体の中身は、国連から秘密裏に提供された、桜花作戦の記録だった。
 オルタネイティヴ4のホスト国であった帝国に敬意を表す意味で、贈られたものだが。
 悠陽は、それを再生したことはない。

 彼女には、生まれてすぐに引き離され家を追い出された、双子の妹がいた。
 双子は家を割る、という言い伝えのためだ。
 万事、将軍家のしきたりに殉じてきた悠陽が、唯一抵抗といっていい意思を示したのが、この妹に関することだ。
 2001年当時、いまだ実権が無かった悠陽は、妹のために将軍専用機を国連軍横浜基地に送り込んだ。
 忌み子である妹を、将軍が気にすること自体、不吉であるとする武家。
 政治的人質と将軍の関係が露呈することに難色を示した城内省。
 中には、純粋に妹御の迷惑になるだけである、と真摯な苦言を呈した者もいた。
 それら一切の抗議・抵抗を排除し、悠陽は武御雷を妹へ贈ったのだ。

 だが、皮肉なことに将軍の実権が結果的に回復した後、悠陽は妹についての行動を起こせなくなる。
 実権が回復したからこそ、将軍の弱味となる妹との関係は一切断とう、という城内省の意思だ。
 このため、12・5事件の前にはつけられた妹への護衛も、引き上げられる事となった。
 これが、将軍の権限回復の正体だった。
 過大な実務をこなさなければならくなった反面、自由意志はますます限定される。

 将軍とは、孤独で不自由な虚空の王座を一人温め続ける者だ。

 桜花作戦の折、無理をしてでも護衛をねじ込むべきではなかったか。
 妹やその戦友達に、もっと助力をしてやれば、彼女らは帰ってこれたのではないか。
 そう思ったことは何度もあった――決して、余人に漏らしたことはないが。

 その悠陽が、唯一公式の場で、感情を爆発させた一件があった。
 次期主力機選定において、国防省らの積みあげを無視して、弐型採用を推したのだ。
 それも、『愚者の皮算用』という、異例の強い言葉を使って。
 虐殺、と呼ぶしかない行いをした者達さえ、罵倒などしなかった彼女だ。
 単純に弐型こそふさわしい、と理詰めで考えていたのなら、いま少し言葉を選んでいただろう。
 悠陽にとって、妹が戦死したことにより、BETAに対する敵愾心は自分でも知らぬうちに、限界近くまで高まっていた。
 同時に、妹達が命を懸けて人類のために戦ったのに、彼女らが開いた未来でなおも人類同士で争おうとする者達にも、強い失望を覚えていたのだ。

 いまだ未熟である自分に、妹達の最後の声を聞く資格はない、と悠陽は思っていた。
 しばし目をつぶり、将軍という名の『モノ』に自分の心を染めて、人前に出る準備をしていた悠陽の耳に、控えめな電話のコールが届いた。
 悠陽は瞼を上げると、受話器を静かに取り上げた。
 将軍直通のラインに連絡を入れられる人物は、限られている。
 電話の相手は、無言だった。
 将軍に対する物としては、非礼もよいところであったが。
 悠陽は、慌てず相手の息遣いを感じ取り、口を開いた。

「――鎧衣か」

 一拍おいて、返答が来た。

「は。ご無沙汰しております。突然の無礼、どうかご容赦を」

「よい」

 電話の相手は、やはり鎧衣左近であった。
 悠陽にとっては、最低限の礼儀を守りつつも他の者達のような硬さのない彼は、数少ない気の置けない相手であった。
 鎧衣が日本帝国にとって、決して善意一辺倒でないことは薄々気づいていたが、それを追求することもなかった。
 12・5事件の際は、悠陽の監視を実力行使を含んで解き、帝都脱出の手引きをした人間でもある。
 その鎧衣だが、現在は国連と帝国双方から、様々な嫌疑で追われる身であり、本来なら将軍に電話などというのはとんでもない変事であった。

「息災か」

 悠陽は、そっと問うた。
 嫌疑の件を一切口にしない。
 彼と悠陽は、桜花作戦における甲1号突入を行った肉親を無くした同士である。
 将軍という立場からすれば、名も知れない臣民の戦死も、同じ痛みとして受け止めねばならいのだが。
 悠陽も、そこまで自分の心を自由にはできなかった。
 鎧衣とは、言わずとも通じるものがある。

「いささか、こたえております」

 それゆえか、鎧衣の言葉にも、以前あった諧謔が消ていた。

「今まで、不肖の身ながら、人類の未来なるもののために、手段を問わず邁進しておりました。そのためには、いかなる犠牲も厭いはしませんでしたが」

 鎧衣の言うことは、比喩でも謙遜でもなかった。
 実際に、帝国それ自体が吹き飛びかねない工作を黙認し、操り、実の娘を国連に人質に出して、平然とその国連に追われるような行為をしていたのだ。

「結局のところ、人類の未来、というのは娘のための未来であった、などと……後悔することしきりでして……」

 悠陽が初めて聞く、鎧衣の弱音だった。
 これが、一切の虚飾を廃したこの男の本心かもしれない。
 あるいは、例によって何らかの目的のための演技かもしれない。
 いずれにしろ、悠陽は黙って聞き手となるのみだった。

「……とんだお耳汚しを。殿下、此度の日本を襲った一連の波乱は、いずれも避けては通れぬ道でございます」

 鎧衣の話が、そして語調が唐突に変わった。
 すでに、湿っぽさの欠片もなく、鋼を内側に含んだような張りのある声となった。
 悠陽も、鎧衣の言わんとすることは、理解してた。

 日本帝国は、本土防衛戦を乗り切るため、オルタネイティヴ4を成功させるために、恐ろしいほどの無理を重ねてきた。
 12・5事件はそのひとつの現れだ。
 煽った者達はいたが、日本帝国自身に火種がなければ、ああいった事件にはなっていない。
 そして、事件処理においても、筋から言えば罰せられるべき者達に甘く、不平不満を抑えて義務に忠実だった者達に無念を飲ませた。
 被害を蒙った国民・難民達は置き去りにされ、悠陽は徳義や潔癖、という曖昧な精神論しか代わりに与えることができなかった。
 そして、諸外国との利害関係もまた、複雑に変動している。
 オルタネイティヴ4の国連採用・成功により、アメリカほど力のない日本が、そのアメリカに匹敵するほどの警戒心を、他国に持たれてしまっているのだ。

「失礼ながら、殿下は『道を指し示す者は、自らの手を汚すことを厭うてはならない』という心得をご存知だったはず。
しかし、それが事に臨んで行えた、とは言い難い」

 鎧衣の指摘は、当たっていた。
 12・5事件の時、悠陽は最後の最後まで、自らの手で決着をつけることを避けた。
 追い詰められ、後がなくなって初めて自ら武御雷に乗り、直接に決起主導者を説得し――場合によっては、自ら手を下す覚悟をはじめて示した。
 それゆえ、内心を察して身代わりを買って出た妹を危険にさらした。
 また妹についての情報が流出した恐れが発生、『忌み子など、国連軍兵士として戦死してしまえ』といわんばかりの、城内省の処置を招いた。

 もし、悠陽が事件の当初から断固たる姿勢を示せば、決起者に『正義は我にあり、きっと認めてくださる』という希望を抱かせることはなく、戦火拡大を招くことは無かったかもしれない。
 その前に、傀儡に甘んじて軍・政府の不均衡を是正することを放棄せず、正面から身命を賭して、国内の矛盾や不和を解消するよう動いていれば……。
 そして今回の騒乱においても、悠陽の言動は、第三者から見て徹底を欠いていた。

「殿下は、将軍として無心に民の鏡となり、その鏡に映った姿を見て各々が身を糺し、互いを害することなく本道に帰ることを願っておられたのでしょう。ですが……」

 それは、あまりに遠い理想だった。
 悠陽自身が、妹のことはじめとして、心を揺らし後悔し、迷っているのだ。
 生来の性格と、後天的な環境のために、常に毅然としているように見えても、人は完璧になどなれない。

「此度の動乱は、殿下が、失われざるべきものを失ってなお、この世界に立っていけるかの試金石でもあります。
お苦しいでしょうが、乗り越えた先に必ず、散っていった者達に報いられる未来がある、と信じております」

 それを最後に、鎧衣の電話は切れた。
 悠陽は、あの12・5事件で分かれた時の鎧衣の姿と言葉を思い出していた。
 事件の裏で策動した一人にもかかわらず、決起した者達の精神を称揚し、日本の再生と未来を口にした。
 彼の所業を知る者が聞けば、怒るかあきれるかだろう。
 が、案外あれこそが鎧衣の本音であったのかもしれない。
 ならば、再生したはずの日本の指導者として、自分は……
 そこまで考えて、悠陽はふと自分の額に手を当てた。
 鎧衣のあの言葉を聴いた時。いや、12・5事件で離城へ出てから、『誰か』と一緒だった気がする――

「……」

 悠陽は、ゆっくりと深呼吸をした。
 はからずも鎧衣の声を聞き、気が弱くなっていると思ったのだ。
 これから、先延ばしになっていた、旧クーデター派を中核とする直訴を望む軍人達と、どう向き合うのか。
 それを決める会議が待っているのだ。
 心の手綱を締めなおそうとした悠陽は、ふと眉をひそめた。
 体にかすかに、だがはっきりと振動を感じたのだ。
 地震の類ではなかった。

「まさか……」

 悠陽は、部屋を早足で出ようとした。
 が、それより早く廊下へ通じる襖が、慌しく引かれる。
 月詠真耶少佐が、数人の部下を引き連れて姿を見せた。
 彼女らの顔色は、すでに殺気立っていた。

「殿下、ご無礼の段、平にご容赦を! 帝都各所で突如、小規模な戦闘が勃発し、瞬く間に拡大しております、御避難を!」

 その報告に、悠陽はきゅっと唇を噛んだ。





 11月26日未明。

 帝都警備に出続けている斯衛第2連隊の第14小隊は、どこか馴れ合いの雰囲気が出てきた大勢に反するように、警戒態勢を解かずにいた。
 4機の瑞鶴は直立して、もっとも近い位置にある帝国軍部隊の方面に、機体正面を向けている。

 この小隊の隊長――山吹をまとう高位武家の衛士には、焦りがあった。
 それは、目の前の事態に対してだけ、ではなかった。

 BETA大戦激化以後、帝国はごく一般の平民でも、義務教育段階から軍事教育を受けるようになった。
 これで、武家が幼少より鍛錬している、という軍人向けのアドバンテージがほとんどなくなった。
 武家が特権を享受するとともに、義務を率先して受ける特別な地位ではなくなったのだ。
 むしろ、特権を受けないにもかかわらず、武家と同様に御国に軍兵として奉仕する平民のほうが、よっぽど上等ということになる。
 武家という階級自体の存在意義が、おおっぴらにではないにせよ、問われるようになったのだ。

 さらに、将軍を奉じる軍人達からすれば、武家は『本来は民と一体である殿下』にまとわりつき、壁となっている、と見られがちになっていた。
 斯衛軍の所属する城内省が、12・5事件以後却って将軍の『ある事』に対する意思を封じた事実は、どうしても漏れてしまう。
 これでは、決起は堕落した武家のためにやってやったようなものではないか、殿下をないがしろにする奴が城内省に変わっただけではないか――そんな不満がくすぶっていた。

 斯衛軍内部も、変化がある。
 一般平民の軍事教育の環境が変化したこともあり、斯衛に伝統的階級出ではない兵員が増加した。
 だが、彼らはどこまでいっても『黒』だ。
 どんなに優秀な衛士でも、『白』以上の機体は与えられない。
 封建時代ならいざ知らず、大東亜戦争後に西側諸国として民主化の風を受け、また平民出の兵士が、BETAと死闘を繰り広げるのが当たり前となった現代だ。
 実力はある、義務も同じように果たしている。
 なのに、なぜ生まれで差別されねばならないのか。
 青あたりは別格としても、せめて白との格差ぐらい無くしてくれてもいいではないか。
 そう漏らす者達がいた。

 これらの不満は、現在のところ決して大勢の平民や『黒』の斯衛の意見ではない。
 あえていえば、どんな体制下だろうと発生する、下から上への文句だ。
 待遇をすべて平等にしたらしたで、今度は貧富や部隊間格差などが槍玉に挙げられるだろう。

 だが、不満を受ける側の武家の中には、神経質になる者達もいた。
 ことに、シベリアを奪還して息を吹き返したソ連の存在が、『共産主義革命』なる言葉を蘇生させつつあるタイミングだ。

 卑しい平民どもが、余計な知恵をつけて増長しおって。
 そのように感じる武家は、決して少なくない。
 自己が持つ特権には過敏なほどなのが、人の業だ。

 もちろん、武家の総意もまた、平民を一方的に見下すものではない。
 大政奉還時にはさる有力大名家から、『武家は自らの特権を御上に返上することで、新時代が来たことを万民に示す範となるべし』という意見があった。
 現在でも、武家・斯衛解体論は、少数派ながら命脈を保っていた。
 国家財政が逼迫しているから、特にコストのかかりすぎる斯衛専用機制度への批判は強い。
 世界中の『革命』や改革を見ても、特権層出身ゆえにその腐臭をたっぷりと嗅いだ人物が、新興勢力につき旧体制破壊あるいは是正に熱心になる、というケースはままある。
 だが、現在の日本帝国は、良くも悪くも武家制度を続行していた。
 それゆえの社会のひずみもまた、続行している。

 その武家の中でも、特に特権意識の強い人物が、第14小隊のトップだった。
 もう下々の勝手を許してはいけない、何かあれば断固とした態度を取る、と決めていた。
 この小隊長は、決して暗愚ではない。
 高いプライドが有効に作用する時は、驚くほど勤勉で粘り強い人物だったのだが。
 今回の旧クーデター派の進軍を、政策への不満と取らず、上を犯す『謀反』の予兆と捉えていた。
 旧クーデター派は、新たな君側の奸である、と斯衛や城内省を批判してるから、まったくの被害妄想ともいえない。

 第14小隊の瑞鶴のセンサーが、戦術機の激しい駆動音……戦闘機動に近いそれを探知した時、小隊長は迷わず部下に攻撃態勢を取らせた。
 直後、小隊長機の頭部を、一発の火線が掠めた。
 そしてほどなく一機の不知火が、第14中隊が備える、ビル街を貫く大通りに出現した。

 ここで第14小隊は、不知火が突撃砲を主腕に持ってもいないことに、気づかなかった。
 先ほどの危うい一発は、攻撃。
 この不知火は、下賎な平民が身の程知らずにも武家に挑んできた。
 そう断じてしまった。
 12・5事件の教訓は、完全に置き忘れにされて。

「こちら、第1師団・第11中隊」

 不知火の衛士が、オープンチャンネルを開いた時には、瑞鶴4機は膝関節をわずかにたわめ、突撃砲を構えていた。

「第1師団司令部でいざこざが起こり、それを斯衛の差し金と勘違いした部隊が」

 早口で事情を説明しようとする不知火の衛士の声を、合計4門の突撃砲が上げる咆哮が、消し飛ばした。

『暴発を起こした。それを鎮圧すべく、強制武装解除中。貴方への攻撃の意思無し。至急、斯衛軍司令部へ連絡し、混乱を防止することを願う』

 そう続けようとした言葉は、瑞鶴の放った砲撃が不知火の装甲を貫いたことで、永遠に封じられた。



[24030] 第十七話・業炎
Name: 執事◆435a2cd8 ID:91c90832
Date: 2010/12/02 01:35
 時間は瑞鶴の射撃開始より、少しさかのぼる。

 帝都のある広場を占拠する、第1師団の司令部テントはサーカスでも開けそうなほど巨大だ。
 その中では、厚いテントの布地を今にも突き破りそうな、剣呑な空気が充満していた。

「だから! そのような事は知らぬ! 全てを知っていた沙霧大尉とその側近は、決起に殉じたのだ! 私にはわからん!」

 悲鳴に近い声を上げたのは、師団参謀だ。
 難民解放戦線との停戦命令や、斯衛軍の態度に怒り、今回の進軍を主導した人物である。
 だが、その参謀職らしい怜悧な顔つきには焦りがこびりついていた。

「死者にすべてを押し付ける気か? いくらなんでも、沙霧大尉他数名で、一切を切り回せたはずあるまい!
誤魔化さずに答えていただこう、あの行動は、G弾行使の場を求めるアメリカの策動ではなかったのか!?」

 今にも軍刀の柄に手をかけん勢いで、参謀に食いついているのは、例の『決起はG弾使用の呼び水』という噂を聞きつけた衛士だった。
 このような押し問答が、すでに一時間ほども続いている。
 テント内には、彼ら以外にも多数の将兵が詰めていたが、多くは息を呑んでやりとりを見つめるのみ、だ。
 決起が、何者かの――しかもよりによって憎きアメリカの中でも、特に帝国人が忌み嫌うG弾推進派の思惑だった、などと誰も考えたくはない。
 だが、衛士が口にした海外放送や噂のことは、ただの戯言と切って捨てるには、思い当たる事が多すぎた。

 いくら計画を練っていたとはいえ、簡単に帝都を制圧できた、順調すぎる進行。
 帝都守備師団である第1師団という、厳しい選抜を受けたはずの部隊の中に入り込んでいた、どこぞの工作員と思しき兵士。
 タイミングのよすぎる、米軍の介入。
 そして最大の疑問である、帝国内が混乱した際にBETAがやって来たらどうするつもりだったか、という事への明確な回答。

 参謀が、全てを戦死した沙霧らに押し付けているような言動を繰り返したことも、聞いている者達の疑心を深めていた。

「本当だ! アメリカの策動も、資金提供も、全て初めて聞いたことだ! 知らぬものは、知らぬ!」

 参謀は、声がかすれるほど繰り返した弁明をまた行った。
 テントの入り口付近には、この対決を聞きつけた他部隊の者達までやってきて、顔色を厳しくしている。

「貴方は、決起の指導を行った『帝都戦略研究会』の主要メンバーの一人だった。そして、行動時には師団の実質的な参謀役を務めた。
それほどの人物が、まったく知らないなどということがありえるか!?」

 軍隊というのは、将兵と兵器だけあればいい、というものではない。
 頭脳にあたる指揮官と、それを補佐する参謀。
 目、耳となる情報収集役。
 胃袋と弾薬庫を満たす、兵站担当。
 それらが有機的に結合して、はじめて部隊は威力を発揮し得る。
 いくら凄腕衛士とはいえ、専門職の参謀ではなかった沙霧大尉が、決起遂行全てを仕切ったとは考え難い。

 その頭脳にあたる部分を担当した人物の一人が、知らぬ存ぜぬと言っても、詰問する衛士に信じられるはずがなかった。

「私が任されたのは、純然たる軍事行動の計画と実施についてだけだ! 決起のため、アメリカと関係を持ったとしても、それは沙霧大尉ら……」

「そうやって、決起の負の面はすべて死者に押し付け、自分は我が世の春を謳歌し続ける気か!? なぜ、『調べてみる』の一言さえ言えない?
米帝の汚い金が、煙のように消えるはずがあるまい!?」

 そんなやりとりに、冷たい目を向ける男がいた。
 刈り込んだ黒髪と、発達した顎はいかにも軍人、といった雰囲気。
 第1師団の衛士の一人だったが、強化装備につける階級章は、中佐。
 二十代後半程度の年齢で佐官というのは、かなりの出世スピードだ。
 男――鵜野威(うの・たけし)は、座っていた椅子をきしませ、ゆっくりと立ち上がった。

「二人とも、そろそろ落ち着きたまえ」

 鵜野は、どこか冷たさを感じさせる声でたしなめた。

 もし、この場に五十川や小河がいたら、思わず眉をひそめただろう。
 この男の声は、『決起はアメリカの策動で、帝都城への発砲は、その狙いをはずすための帝国側の工作だった』と匂わせた兵士を射殺した人物のそれだったのだから。

 だが、そんな事など知らない参謀と衛士は、気まずそうに黙りこくった。

 第1師団は(あくまでも編成表上の話だが)、通例の師団が戦術機一個連隊装備なのに対して、三倍近い数を揃える重量師団。
 部隊単位でこれを上回るのは、帝国全体を見ても、斯衛軍の戦術機二個師団・四個連隊相当のみだ。
 だが、数は多ければいいというものではない。
 戦術機が増えれば、運用するのに必要な要員も増え、負担が増大する。
 一箇所に固まっていれば、手狭すぎて部隊運用に支障をきたす。
 そのため、第1連隊(別名、帝都守備連隊)だけが帝都に常駐し、残りは近隣県に分散しているのが通例だ。
 このあたりは、斯衛軍も、第2連隊といくつかの独立大隊が帝都城基地に詰め、他は普段は帝都郊外の基地にいたり、帝国軍基地に間借りしたりと似た事情を抱えている。
 鵜野はその帝都守備師団のうち、第3連隊を指揮する人物だ。
 第1師団の横須賀独断攻撃の際は、駐屯地が一番遠かったため移動に時間がかかり、離反した第6師団との戦闘に間に合わなかった。
 それゆえ、無傷の戦力を維持している。
 何より、弐型の優先配備を受けている連隊でもあった。

「話は聞かせてもらった。私も、沙霧大尉らが何を思っていたのか、全てわかっているわけではない。だが、断言できることがある。
それは、BETAが来ようと、米国の策動があろうと、本質的な問題ではない、ということだ」

 鵜野の言葉に、衛士はもちろん、参謀らもそろって驚きの表情を浮かべた。

「当時、日本はBETAによって滅びるか、それとも外国に媚を売り殿下と民をないがしろにして形だけは残り、実質的に滅びるかの二者択一の中にあった。
あの決起は、国のあり方を正すことが目的であったはずだ。仮にBETAによって国土が消滅しようと、日本人の魂が目覚めるためなら、やむなし――」

 あまりに強烈な言葉を、淡々と述べる鵜野に。
 その場にいた全員が、息を呑んだ。

「――それぐらいの覚悟があって、初めて沙霧大尉らは立てたのだ。そして、その至誠が我々を動かし、殿下にも通じた。この事は、何者が何を言おうと否定できん。
日本は、他者の手で滅ぼされた時に滅ぶのではない。日本人たる魂を喪失した時に、本当の意味で滅びる。それに歯止めをかけたのだ」

 冷静な者がこの場にいれば、『疑問をそらし、抱き合い心中を正当化する精神論である』と指摘したかもしれない。
 魂、などという曖昧な言葉で、本来は千差万別な人の意思のありようを強引に単純化し、自分が理想とする方向でなければ間違っている、とするのは詭弁の常套手段の一つだ。
 個人が、自己の理想のために己の命を懸けるのは、美徳だろう。
 しかし、それを他者もこうあれ、と押し付けるのはただの醜悪だ。
 まして軍刀を抜いて、それを強制しては。

 だが、もともと決起賛同者というのは、自己の理想とする国家の想像図のために、法を破り丸腰の人間を容赦なく手にかけた者達。
 『自分たちの理想どおりにならない日本なら、滅びてしまえ』という素地は、自覚の程度の差こそあれ、たっぷりとある。
 殺された側、二次被害を受けた側からすれば、相手がどんな思惑や信念を持っていようが、不法な暴力にさらされたことに違いはないのが、そこへ思い至れない。
 鵜野の言葉に、感心する空気が、テントの中を支配しつつあった。

「聞けば外国の放送というのは、斯衛軍の衛士から聞いた話、というではないか。斯衛は、武家という身分を鼻にかけるか、その草履取りになりたがる志の低い者達の集まりだ。
殿下に近しい直臣でありながら、その御心を捻じ曲げている奸臣であるのは、ここに集った諸君なら理解していることと思う。
まともに戦えば、我等に歯が立たない雑魚でありながら、民の困窮を他所に独自装備などという贅沢を行い、いまだにその行いを反省しようともせん」

 ここで、鵜野は言葉を転じて斯衛を批判しはじめた。
 その言葉の過激さに、参謀が思わず鵜野の袖を引く。
 みなの関心や敵意が斯衛に向くのは、参謀個人としてはありがたいが。
 あまりに過激だと、今度は事態を統制できなくなる恐れがあるのだ。

「大方、実力ではかなわないと見た連中が、真剣に悩む烈士を、悪辣にもそそのかしたのであろう。『もし、そうならば』、やはり君側の奸は討つべし、である」

 そうだ、と誰かが応じると、周りが止めるまもなくテントの外へ出て行ってしまった。
 それを見た参謀は、一気に顔色を青くする。
 下手をすれば、独断で何かを仕掛けかねない雰囲気があった。
 他にも、何人かが顔に尋常ではない色を浮かべ、出て行こうとしていた。

「……だが、我等には殿下がおわす。殿下は、心優しき御方ゆえ、どのような愚か者のものであろうと、血が流れるのは好まないと拝察する。
ここは冷静になり、部隊として統一した行動を取り、殿下が我等の正義を理解してくださる時を、待つべきであろう」

 鵜野は、そう演説じみた発言を締めくくった。
 もう少し早く、その釘を刺してくれれば――参謀は恨めしげな目をしたが、今はそれどころではない、と思い直す。

「誰でもいい! 今出て行った連中に、鵜野中佐の言葉の続きを伝えろ! もし軽挙に走る場合があれば、武装解除もやむなし、だ!」

 参謀が、普段の勢いを取り戻した声で命じると、テント内が一気に慌しくなる。
 振り上げた拳の降ろし場所がなくなった衛士が、気まずそうに立ち尽くしていた。
 みなの注目を集めた鵜野は、何事も無かったかのように、外へ出て行った。



「……中佐、富士の『跳ね返り』から暗号通信が入りました」

 冷たい夜気の中に出た鵜野に、一人の士官が駆け寄って耳打ちした。

「で、首尾は?」

 士官が跳ね返り、と呼ぶのは、富士教導団のうちでも旧クーデター派の帝都進軍にいち早く賛同し、痺れを切らし機体を奪おうとして、失敗した連中のことだった。

「流した情報を生かして、海外から運ばれた武御雷一個中隊分の『接収』に成功したとのことです。そのまま、こちらに向かうと」

「ほう。そこまでやったか」

 軽く目を見張った鵜野の前を、殺気だった兵士が走り抜けていった。
 鵜野の言葉を半端に伝え聞いて、戦意をかき立てられたある衛士が、広場前に駐機してあった機体に乗り込んだのだ。
 それを他所に、鵜野はさらに士官に問う。

「技術研究部隊は?」

「こちらに賛同する、と。前線から戻った月虹一個中隊の整備が終わり次第、合流するそうです」

 鵜野の視線の先で、先走ろうとする者達・それを止めようとする者達が、どちらも乗機を起動させてしまう。

「――どうやら、動きそうだな。連隊に戦闘準備を下命せよ」

 怒声が飛び交い始める中、自分の発言が原因であるにもかかわらず、鵜野は平然としていた。
 そんな彼を、士官が尊敬のまなざしで見つめる。

「中佐は、事態を思うがままに操っておられるようです。12・5事件でもそうでした」

「それは買いかぶりだ」

 鵜野の口元が、はじめてほころんだ。

「私は、自分から事件を起こした事は一度もない。不測の事態に振り回される、弱い人間だ。状況を、多少有利になるように動かし得たことはあっても、な。
いつも激しく踊るのは他人。私は、その先を読んでいる程度だ」

 喧騒に紛れるその言葉を聞き取れたのは、士官一人だけだった。

「世界や国をその手で動かす快感も、憂国の義挙に立ったという名誉も、他人が持っていけばいい。私は、そのおこぼれをいただくだけだよ」





 暴発した旧クーデター派の兵士を、他の者達が取り押さえようとした。
 その際、発砲がありたまたま斯衛のいた方向へ飛んだ。
 それについて弁明しようと前に出た不知火が、即時攻撃を行った瑞鶴に撃破された。

 この一連の出来事を、正確に把握できた者は、ほとんどいなかった。
 大多数の旧クーデター派や斯衛の将兵は、もう激突も回避されたであろう、と楽観さえしはじめていたのだ。
 だが、実際に不知火が撃破されてしまったことで、一気に双方の戦意は回復してしまった。

 こうなると、どちらに非があるのか、責任の程度はどの程度なのか、ということなど吹っ飛んでしまう。
 即座に戦闘態勢に入り、衝突する部隊が続出する。

 殺し合いの開始だ。

「斯衛を討て! 殿下をお救い申し上げるのだ!」

 帝都の夜を、無数の不知火と撃震が駆け、飛ぶ。
 噴射装置の炎が、尾を引いて闇の中に鋭い線を描く。
 彼らは、第101旅団の衛士達だった。
 本来、クーデター騒動で戦力を減じた第1師団の代わりをするために、2002年初頭に特設された第101旅団だが。
 第1師団主力の現役復帰により、外征部隊に組み入れられる事が多かった。
 大陸救援から帰ってきたばかりで、装備機は定数を満たしていない(本来は二個大隊保有だが、現在はその三分の二ほどだ)。
 かわりに、BETAとの戦いを経てきたばかりの、荒々しさがあった。

 帝都城を目指し、先頭を切る不知火の行く手に、無数の炎が生まれる。
 行動を阻止しようとする斯衛の部隊が、砲撃を開始したのだ。
 隊長の不知火は、跳躍装置を前方に向けて吹かし勢いを殺しながら、機体をしゃがませた。

「第2大隊(撃震装備)は、前に出るな! 第1大隊(不知火)、打ち合わせ通りかかれ!」

 家屋を容赦なく巻き込みながら、双方の火線の応酬が激しくなる。
 隊長機は、足を止めて追加装甲で機体を防護している。
 当然、そこへ砲撃が集中するが、隊長は不知火の中でにやりと口を緩めた。

「むやみに早く撃つより、正確に引きつけて撃て――そんな基本もなっていないのか、斯衛!」

 あざけるような言葉は、斯衛に対していまだ精神的な畏怖が抜けきらない部下を鼓舞する意味もあった。
 同時に、有効射程ぎりぎりを読んでとまった隊長機に、効果の薄い砲撃を続ける斯衛が、自らの砲炎でその位置を暴露しているのも事実だった。
 部下の不知火数機が、砲撃の手薄な上空へ飛び上がり、すぐさま跳躍ユニットのノズルを上空に向けて吹かす。
 鋭い噴射跳躍・反転降下機動だ。
 斯衛の瑞鶴が反応しようとした時には、着地した不知火の突撃砲が激しい咆哮を上げた。
 黒はともかく、白や山吹といった機体色の瑞鶴は、夜目でも否応なく目立つ。
 何機かの瑞鶴の装甲が弾け、内部構造物が道路にぶちまけられた。
 斯衛も、体勢を立て直そうとするが、それより早く部下の前進を見た隊長機が、水平跳躍。
 瞬く間に距離を詰めながら、背中の長刀に手をかけた。

「ふんっ!」

 兵器担架のノッキングボルトが弾ける響きとともに、不知火の長刀が振り下ろされた。
 突進の勢いを加算した刃の威力は、瑞鶴を豆腐のように両断する。
 瑞鶴が崩れ落ちるより早く、隊長機はバックステップして反撃に備えていた。
 すかさずそこへ、部下の不知火が横をすり抜け、残余の瑞鶴の左右に広がって包囲にかかる。
 後は、絵に書いたような挟み撃ちの砲撃だ。
 当初は大隊規模はいた瑞鶴は、小隊程度にまで撃ち減らされていた。

 斯衛の瑞鶴は、F-4を徹底改修した近接格闘戦に優れた機体だ。
 だが、いくら工夫しようと第一世代機のレベルでしかない。
 不知火とは、あまりに基本性能の差がありすぎた。
 瞬間的な不知火の動きに対して、斯衛衛士の目や判断力はついていっているのに、機体の追随が遅れるのだ。

「武器を全て排除し、機体を降りよ! 降伏すれば、命はとらん!」

 不知火の隊長は、そう勧告する余裕さえあった。
 常に自分たちの頭上に君臨していた武家を、思うさまに蹂躙する。
 帝国衛士達の胸に、抑えようもない暗い喜びが湧き上がった。
 斯衛は降伏などしようとしないが、それは彼らの死を意味した。
 残りの瑞鶴は、無謀な交戦の後、殲滅される。

 だが、斯衛には切り札がある。

「――隊長! 十時の方角に反応……た、武御雷です!」

 部下の一人、まだ少女といってもいい若い衛士が、声を震わせた。

「色は!?」

 隊長は、とっさに聞き返した。
 青ならば、さすがに討つわけにはいかない。

「し、白と黒の混成です、総数一個中隊!」

「よし、やるぞ!」

 摂家でないのなら、遠慮はしないと言葉で示しながら、隊長機は攻撃を指示した。



 おそらく見るものへの心理的威圧も計算されて形成されたであろう、鬼を連想させる武御雷の頭部。
 それを見た時、少女の不知火衛士は、恐怖で喉を鳴らした。
 彼女は、無邪気なまでに旧クーデター派の大義を信じていたが、同時に武家への長年の畏怖を持つ一般国民の出でもあった。
 武御雷の機動は、瑞鶴とは文字通り世代が違った。
 小刻みに噴射跳躍と着地を繰り返し、狙撃を避けながら高速で間合いを詰めてくる。
 武御雷の機体性能は、不知火を圧倒するレベルだ。
 不知火の技術をさらに推し進めた機体であるし、何より部品ひとつひとつからして、材質に差がある。

「くっ!」

 彼女の僚機が、武御雷のすばやい横機動を読み損ね、腹部に突撃砲を受けて、後方へ吹っ飛んだ。
 巨人たちが暴れまわる振動で、民家が倒壊しアスファルトに亀裂が走っている。
 少女の網膜投影画面に、こちらに向き直る武御雷が映った。
 実像より巨大に見える威圧感を発する武御雷が、彼女に向かって飛びかかってくる。

「う、うわぁぁぁぁぁ!?」

 彼女は、思わず声を上げながら、ほとんど無意識にレバーを動かした。
 不知火に長刀を持たせ、その切っ先を武御雷に何とか向けて。
 直後、凄まじい衝撃とともに、彼女の意識は吹っ飛んだ。

「――おい、無事か!? しっかりしろ!」

 気絶していた時間は、数秒か、数分か。呼びかけてくる声に、少女は目を覚ました。
 同時に、戦場で致命的な状態に追い込まれたのに、自分が生きていることが不思議だった。
 網膜画面に、これ以上ないほど大写しになる武御雷の頭部に気づき、悲鳴を上げそうになったが。
 よく見れば、その武御雷はセンサーから光を失い、ぐったりと動かなくなっていた。

「……え?」

 機体の、ステータスチェック。少女の不知火は、左肩から垂直に武御雷の長刀で切り下ろされていた。
 あと数メートル刃の流れが右によっていれば、彼女の命はなかっただろう。
 機体は当然、大破だ。
 そして――武御雷にのしかかられるようになりながらも、不知火はその長刀で相手の胸部管制ユニットを貫いていた。

「わ、私……武御雷を……倒した?」

 相打ちだが、こちらは生きていた。
 呆然とする少女に、隊長の笑みを含んだ声がかかる。

「お前だけじゃない。我が隊は手ひどい損害を受けたが、武御雷を撃退した」

「え!?」

 絶句する少女に、さらに隊長が言葉を継ぐ。

「貴様、初陣は?」

「に、2001年の12月です。まだ訓練兵でしたが、BETAが横浜基地に侵攻する、というので臨時に出撃命令が下り、練習機の吹雪で……」

 正規兵が、きちんとした機体に乗ってさえ生還率が低い対BETA戦だ。
 主機換装する暇もなかった吹雪での戦いは、絶望の二文字。
 彼女はかろうじて生き残ったものの、訓練校にまた帰れた同期生は、ほんの数パーセントだった。
 あの時は、帝都を守るために残った帝国軍正規部隊や、斯衛を恨んだものだ。
 訓練兵をかりだすぐらいなら、なぜ彼らが前に出てくれなかったのか、と。

「それ以来、前線で戦っていたな? つい三ヶ月まで、ソ連領にいてBETAと戦い、またソ連軍とも何度も模擬戦をやった」

「は、はい」

 表向きは、練度・連携能力向上や友好、と銘打っていたが。
 ソ連との演習は、実質的な代理戦争だ。
 こちらも、相手も必死だった。
 ソ連軍の新鋭機であり、常識はずれの三次元機動を仕掛けてくる、Su-47とやりあったこともある。

「だから勝てたのだ。確かに武御雷は優れた機体だ。だが、斯衛は一部の例外を除き、2002年の桜花作戦以後、敵影を見たこともない連中がほとんどだ」

 斯衛軍は、守護という任務上、また整備性に問題がある装備という障害から、外征はほとんどしていない。
 わずかに、国連に正式提供した武御雷の中隊が出ていたぐらいだ。

「高級な装備と、訓練を与えられるだけで満足している堕落した武家より、BETAと命を懸けて戦って、仮想敵国の衛士相手に鍛え上げた我等が強くなった。そういうことだ」

「……私たちが、斯衛を越えた?」

「そうだ。元々、斯衛の活躍は、専用機の性能に依存したものだ。だが、不知火と武御雷の差は、決して絶望的なレベルではない。我々は、現にやれたのだ」

 隊長の断言に、彼女は感極まって口元を押さえた。



「ふぅ……」

 隊長は、通信回線を一度閉じると、大きな息を吐いた。
 同時に、すっかり青ざめた顔を手のひらで擦る。
 この顔色の悪さに、部下達は必死の戦いの後で気づかなかったのは、幸いだった。
 周囲には、敵味方の残骸が散らばっているが、目に付くのは帝国軍機――彼の部下が多い。

 撃震混じりとはいえ帝国軍四個中隊相当でかかって、武御雷一個中隊をようやく撃破した。
 キルレシオは、帝国軍:斯衛軍で4:1。
 第101旅団戦術機甲部隊は、今の一戦で半壊した。
 対ラプターほど絶望的ではないとはいえ、武御雷の手強さはやはり尋常ではなかった。
 パワーや機動性は不知火以上だし、パーツひとつひとつが強靭なため、防御力も高い。
 部下にかけた言葉は、全てが嘘ではないにせよ、かなりの誇張を含んでいる。
 衛士の総合力は、戦地で鍛えられたこちらが僅かに勝っているが、やはり機体性能の差は技量では埋めがたいものがある。

 もう何年も前の話だが、瑞鶴がF-15を模擬戦で下した有名な逸話があった。
 だが、それは奇策の一回切りの勝利であり、他はF-15に順当な性能差で圧倒されている。
 当時、瑞鶴を駆っていた日本の伝説的エースでさえ、性能差を覆すのは恐ろしく難事業なのだ。
 国産戦術機推進を望んでいた、国粋主義軍人や、日本軍需産業の思惑による『勝利』の宣伝を真に受ければ、とんでもないことになる。

 少女衛士が生き残れたのは、運が多分に作用していた。
 士気を維持させるために、ああいったのだ。
 戦力的にはもう、生き残りをまとめて後退するしかない。
 頭数で圧倒できなくなった今、同数かやや数の少ない武御雷とあたっただけで、全滅するだろう。

「だが、勝利は動かん」

 隊長は、戦術画面を切り替えながら、つぶやいた。
 武御雷は生産性の悪さゆえ、一機撃破されれば、衛士が脱出し帰還したとしても、補充は困難だ。
 斯衛の大多数である瑞鶴は、不知火や陽炎なら余裕を持って対処できる。
 帝国軍の中でもっとも性能が低い撃震は、支援砲撃ぐらいしか期待できないが……元々、戦力が段違いなのだ。

 戦闘とは、個々の戦闘力だけで決まるものではない。

 武御雷のために苦戦する区域には、次々と帝国軍部隊が殺到し、数で押し切ってしまう。
 旧クーデター派に賛同した部隊の中には、練度の低い者達も少なからず混じっていたが。
 囲んでかかれば、いずれ武御雷は力尽きる。
 まるで、戦国時代の勇壮な鎧武者が、装備の悪い足軽に手柄欲しさにたかられ、奮戦しつつも討ち取られてしまうように。
 さらに――

「……! いよいよ、第1師団が動いたか」

 急速に帝都城に向けて押しあがる、膨大な数の光点を確認して、隊長はようやく安堵の色を浮かべた。
 当初は、戦闘がはじまったのに、どこか煮え切らない態度で『停戦を』などと口にしていた第1師団が、ようやく腹をくくったらしい。
 隊長は、殿下からまた自分達を賞賛する言葉が聞けることを想像し、期待に身を震わせた。



「なんということだ」

 首相官邸の窓から見える夜の帝都は、赤かった。
 炎があちこちにひろがり、火竜が思うさまに暴れまわっているように見える。
 そして、その影でうごめく小さな無数の人影は、帝都民の――
 小野崎順也少将は、無意識に手にした軍帽を握り締めていた。
 彼は、旧クーデター派が伸張する中で、閑職に甘んじている。
 それが、突然に難民解放戦線との交渉役に指名され、あわてて上京したのだが。
 そこで足止めを食い、官邸に滞在することになっていたのだ。
 本来なら、大臣らと打ち合わせの後、横須賀に向かっていたはず。

「これが、クーデターを甘やかしたツケか。そして、軽い処罰に甘えた軍人の……」

 詮のない呟きを中断すると、小野崎は軍帽を頭にかぶり、あてがわれた部屋から廊下に出た。
 一兵も持たない老兵に何ができるかわからないが、少なくともじっとはしていられなかった。
 小野崎が廊下を歩き出そうとすると、激しい声が聞こえた。
 そちらに目を向ける。スーツ姿の官僚と、斯衛の兵が言い争っていた。
 小野崎がここにいる間、何度か見かけた斯衛の連絡将校と、首相側近だった。

「貴様ら、殿下を見捨てて逃げるのか!?」

 斯衛は、腰に下げた刀に手を今にもかけそうな剣幕だ。
 普通なら、斯衛にそこまで睨まれれば、萎縮するものだが。

「そうだ。我々は、帝都を今のうちに脱出する。無駄死になどしたくはない」

「貴様、それでも日本人か!?」

 その言葉にも、書類の束を手にしている官僚の表情は動かない。

「では、斯衛が我々を、軍の横暴から守ってくれるのか?」

 冷静に返され、斯衛が言葉を詰まらせた。

「12・5事件のように、我ら丸腰の人間が虐殺されていようと、帝都の要所が占領されようと、何もしないのではないか?」

「我ら斯衛の任務は、将軍家の守護である! 貴様ら下賎の者のために、殿下を御守りする兵を割けようか?」

「任務を口実に、力なきものを見捨てた者達が日本人がどうだの、と片腹痛い。それをいったら、我らの任務は行政であって、無駄死にすることではないわ」

 斯衛の足元を見透かすように、官僚は鼻で笑った。

「私達は、榊内閣の二の舞はごめんだ。命を懸けて国難に立ち向かったにもかかわらず、あの末路だ。死んだところで、殺害犯達はまた微罪か恩赦だろう?」

「それは……!」

「えらそうな口を叩いている暇があったら、外の軍人どもを、あの高価な武御雷で鎮圧すればいい! 貴様らが湯水のように使う軍費を捻出するため、我々がどれだけ苦労していると思っている!?」

 官僚は、抱えていた書類を斯衛に突きつけた。

「これを見ろ! 苦しい中で国民が納めた血税を、どう分配しどうやりくりするか、我々が休むまもなく計算した予算原案だ!
貴様ら軍人から見れば、安全な場所で書類仕事ばかりをしているように見えるだろうがな、こっちだって、日本のために戦っていたんだよ!
だが、誰も守ってもくれないし、わかってもくれない!」

「き、貴様ぁ!」

 ついに斯衛が刀に手をかけたが、官僚は顔を青ざめさせつつも、退かない。

「ふん、帝国軍には勝てなくても、非武装の人間には強気だな! 所詮、所属がどうだろうが軍人など、そんなものだ!」

 いかん、と小野崎は足早に二人の間に割って入った。

「双方、やめんか! 今は、こんなことをしている場合ではなかろう!」

 いくら主流派閥に睨まれているとはいえ、小野崎は帝国軍で将官にまで昇った男だ。
 所属の違う相手にも通じる、貫目はたっぷりとある。
 動きを止めた二人を、さらに説得しようとした小野崎は、ふと不吉な風切音を聞き取った。
 外からだ。
 120ミリ砲弾が上げる、特有の「死を運ぶ飛翔音」。それが、近づいてくる。
 そう察知した時、小野崎は斯衛と官僚を強引に床に伏せさせた。
 爆発の光が、小野崎の視界を一瞬で塞いだ。


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