『ウェブ時代の暗号』(熊谷直樹/著、ちくま新書)

2010-02-11 19:51 / books and reviews

MDでも「お勧めしない本」の書評ではリンクを張らないことにする。つまり、この本はお薦めしない本ということである。暗号についてまず手がかりを掴みたい方は、やはりサイモン・シンの『暗号解読』(上・下)がよいだろう。入門として二冊本をいきなり読むのは気が引ける方も多いとは思うが、逆に言うと、『暗号解読』ていどを読み通せないなら、あなたは暗号に関心をもっているフリがしたいだけで、本当は関心などないのだ。それから、特に技術に関心をもっているなら、恐らく結城浩『新版 暗号技術入門』がよい概説だと思う。ただし、一通りの数論および代数学の知識は持っておく方がよい。

さて、本書はインターネット上でやりとりされる認証情報やメールといったデータを保護するために、暗号技術が重要になってきているという書き出しで始まるのだが、通読して強く印象に残ったのは「それを誰に説明しようとしていたのか?」という点だ。メール配信のしくみについて「SMTP, POP3 というルールがあります」などと説明しなければならないレベルの読者を想定していたならば、何の定義もなく離散対数問題に言及してみたり、殆ど説明として正確さも明解さもないのに楕円関数の話題を持ち込んでみたりするのは、論旨を混乱させる元にもなる(実際、その部分の説明の不正確さをアマゾンの書評で何名かの評者に突っ込まれている)。このような概説の仕方では、「おべんきょうしたばっかりの、むつかしいおはなし」を得意げに素人に語って聞かせたいというだけで本を書いたアマチュアとの誹りは免れまい。

また、分かりやすく書こうという意図は随所に感じられるものの、インターネット上でメールを送受信するしくみについて都合すると3回も殆ど同じ内容の説明が書かれているのは無駄としか思えない。筑摩書房の編集者が原稿を通しで査読していないのではないか。著者がもともとマイナーな雑誌に関わっていた編集長だったということで、筑摩書房の編集者側が遠慮または手を抜いたのだろうかと、つまらない裏側の事情を思い描いてしまう。

そして最終章をご覧頂くとすぐに分かるとおり、「暗号」という話題に関連のある思い出話やキータームについての雑然とした話が続き、そして最後はエシュロンが出てきて「個人情報をしっかり守ることは不可能に近い状況なのかもしれません」などとセンチメンタルな一言で本書を結んでいる。これでは、本書でさんざん解説してきた内容が活かされるはずもない。

インターネット通信が経路上のデータについて(詐取されたり破壊・改竄されたり、あるいは目的とするサーバ機器に到達すること自体についてすら)無保証であることなど最初から明らかであり、それをちゃんと説明した後で、そのような条件下でもデータを保護できるような技術を SSL なり PGP で少しずつ実現してきていると述べる方がマシであろう。エシュロンであれストーカーであれ、盗聴されていることを指摘したり、いつ実用化されるとも知れない量子論モデルの計算機を紹介するだけで個人情報やプライバシーの保護が難しくなるなどと結論してしまえるなら、そもそも暗号技術について本を書く意味などなくなってしまう。

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KAWAMOTO Takayuki

Mr. KAWAMOTO Takayuki
also known as philsci
(birth day: Sep 20 1968)
live in Osaka city, Osaka, Japan.

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