前記事で、「俺も大丈夫か(いつか信心が手折れるのではないか)」と書いたところ、高仲様から激励のコメントを頂きました。
たいへんにありがたいお言葉を頂きましたが、率直な今の感じを言うならば、先のことはどうにも分からないものです。
いわゆる「不退の位」に至るまでは、もちろん気は抜けませんし、不測の事態を予測して歩みたいものですが、そもそも予測できない事態を不測のと言うのでありますから、まあ、本当に分からんのですわ。
まさしくオプティミズムとペシミズムという好対照の思考ですが、「脳は否定語を理解できない」という理論から推して、悲観主義は良くないと言えましょう。
私は、「不退の位(ここまで到達すれば絶対に退転しないという境地)」に至ることを、「オリンピックで金メダルを取る」ことになぞらえて考察してみました。
体操でも何でもいいのですが、まずは体操を始めることが無ければその先はありません。
しかし、数日でやめてしまう人もいるでしょう。縁が薄かったんですかね。
数ヶ月、数年とやっても、いまひとつということで、これまたやめてしまう人もあると思います。
怪我をして、やめてしまう人も多いのではないでしょうか。
しかし、挫けそうな心に鞭を打って、また怪我をしてもそれを見事に克服して、ついには栄冠を手にする人もいるのです。
少ないのでしょうけれどもね。
つまり、自分もそうなるんだ、きっとなるんだと思うこと、それが大切だと思います。
そもそも、信心を始めて一年も経たぬうちから、「退転しないためには」などと考えるのは、それ自体が憍慢なのかもしれません。
何も分かっていないくせに、ということになりそうです。
ただ一心に行ずること、この一事に尽きるのではないでしょうか。
高仲様のアドバイスは、まさしく仏様のそれであったと、深く思い至る次第です。
2010年11月28日
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ビビ、ビックリ致しました(((^_^;)…
タカモトさんの気持ちを読んで思いました。やはり皆が皆、色々と悩み問題を抱え必死に生きておられるんだなぁ〜と、
あらためて深く感じました。私もここ最近、順調とは言えない事が厳然と起こっております。勿論、予想外の事です。
僕は今、思うんです。
信仰とは眼に見えぬもの。僕がどれだけ祈ってもそれは眼には見えません。でも大聖人様の仏法の凄いところは見えない分、ちゃんと生命(いのち)に顕して頂けるということです。すなわち真剣に御本尊様に向かい決意顕に願ッ願ッと祈る事によって、必ず御本尊様が諸天の加護を遣わし救って頂けるのです。でも、やっぱりそれには(大)御本尊様を大確信でもって奉り、脈々と広宣流布していく姿、信心しかありません。本物だからこそ、辛さ倍増かもしれないし、
結果なんてすぐ出ないかもしれないし
人はなかなか理解してくれないかもしれないし、でもいいと思うんです、今生で死ぬるまでこの信心をやりぬくと決めた以上どんな事があろうといいんです。そう自分に言い聞かせています。ただこれだけは自分に注意しています。人の立ち場でもって物事をとらえよッ!ってね。
簡単な様でこれって難しいすよね。でも本来、信心って、人の立ち場で物事をとらえないと、例えば折伏なんて実りません。だからこそ信心根本に生きていくならば、自分の欠点となる性格、気質は自分で気付き少しずつでもいいから直していかなければいけない、そう思っています。祈るとか、思うとか、まだまだたくさんありますが、人間のする事って、眼に見えない事って多いので、それこそ自分自身が理解して向上心をもっていなければ、本当の意味での成長が出来ないと思っています。個性とは違うものですね。ちょっと長くなってしまって申し訳ありませんでした。とにかく皆で、そして広宣流布をする講中として、これからも宜しく御願いしますッ!!!。。。
寒くなってまいりました、くれぐれもお体を大切になさってくださいませませ…