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皆様

 投稿者:今日より明日へ  投稿日:2010年12月 3日(金)04時50分47秒 softbank220058091171.bbtec.net
  月末、月初と仕事が多忙なゆえに、レス出来ませんでした。
ご返事遅くなりました。申し訳ありません。
マサまる子さん、佐渡の朱鷺さん、また時間があるときに正式に返答いたします。
今後とも、よろしくお願いします。
 

マサまる子さん及び管理人さんへ

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年12月 1日(水)13時42分26秒 i210-161-191-129.s02.a015.ap.plala.or.jp
編集済
  「私にしか絶対に分からない」との確信、ですが、私にもそういう確信があります。
どうすればそうなれるのか。
そうなりたい、と言う気持を強く持てば、誰もがそうなれると思います。
最初は、そういう人を見て、何となく、自分もそうなりたい、と願う。
それだけでも良いと思います。
でも、(なぜ自分はそういう確信を持ちたい、と願ったのだろう?)と言う部分を自問自答して行く中に、自分の弱さに目を瞑り、自分を祖末に扱って来た過去の経歴を見いだすことができるのではないだろうか、と思います。
自分を大切にできない人が他人を大切にすることはできない。
人の為に何かが出来る自分になりたい、と願うなら、自分を卑下する弱い心を一歩づつ乗り越えながら、過去の過ちを塗り替えつつ、豊かな人格を育んで行かなければなりません。
それは、常人には考えられない様な高い境涯にある人だけが為せるわざではありません。
人としてあたりまえの、人の道ではないだろうかと私自身は考えています。
もしもそのあたりまえの事が自分のこれからの人生に想像することができないのであるならそれは人としてどうなのでしょうか。

堕落を目指して頑張る人があまりにも多い世の中です。
権力主義者はそれを喜びます。
真実は何かと言うことを、真剣に模索されることをおすすめ致します。
そのためにはこの掲示板はとても有難い存在です。

なにより管理人様の真摯な人格がこれほどまでに伝わって来る掲示板はかつてありませんでした。
これまでのご苦労に心より感謝致しております。
今後も宜しくお願い致します。
 

>信念

 投稿者:マサまる子  投稿日:2010年12月 1日(水)01時32分53秒 wb09proxy11.ezweb.ne.jp
  管理人さま
「信念」でのお書き込みの最後の2行より推察いたしますと、私の書き込みは貴掲示板において、掲示板の趣旨にそぐわない書き込みだったのでしょうか?
私の無知な頭では掲示板のタイトルやサブタイトル等から掲示板の趣旨を読み取ることが出来ておりませんでした。
もし、貴掲示板における趣旨にそぐわない書き込みであったのであれば、心よりお詫び申し上げます土下座
ただ、私の書き込みはお遊びのつもりではなかった・掲示板の趣旨を理解出来ていなかったと、ご理解いただければ幸いです。
向学のためのロム専に戻りますが、また書き込みをさせていただく事もあるかと思います。今後ともよろしくお願いいたします。


佐渡の朱鷺さま
「悟り」のお書き込みで親切・丁寧にご回答していただき、誠にありがとうございます。
この数日、任用試験の追い込みのため掲示板を見ておりませんでしたので、返答が遅くなってしまい大変申し訳ありません土下座
ご回答いただいた内容は概ね了解です。
私の書き込みが舌足らずで分かりにくかったのだと反省しておりますが、私の感じた疑問とは
今日より明日へさまの「私にしか絶対に分からない」との確信を語れる境涯になるためには、どうすれば良いのか?
「自分には想像できない境涯だな」という部分でした。
ともあれ、ご回答いただいた事に心より御礼申し上げます土下座
 

信念

 投稿者:今日より明日へ  投稿日:2010年11月28日(日)05時21分39秒 softbank220058091171.bbtec.net
  佐渡の朱鷺さん、そして皆様

私を擁護して下さり、感謝しております。そして、なぜに、そこまで人の真意を的確に汲み取られるのか、心情機微に熟達されるまでの人生のご苦労(使命)を、拝察してもいます。
自らの人生を、自ら能動で生き切って来られた方ならではの、懸命に生き抜いて来られた魂が、文脈に注がれ伝わって参ります。文字は、魂です。信仰の世界は、確信です。
誰かれから聞いた、受け売りの浮いた言葉ではなく、自分の生涯を懸けた、全生命を懸けた不動の確信があるかないかです。

誰かれから何か言われたら迷い込むような、堕落脆弱な精神世界には住していない。
何処の誰に会おうが、真っ直ぐに眼球を見つめ、堂々と主張しぶれないー。そういう人こそ、真に自立した一個の人格であり、真の人間性ですね。
そもそも、仏法は、真の人間を育てる、人格陶冶の完成を目指しているものです。毅然と、自立し、大地に立つ。一個の小宇宙であり、果ては三千大千世界も収まるという究極の法理です。絶対不動という境地を確立する。日蓮仏法は、悟りの法門です。最終的には、仰るように、「です」「ます」という断定的な末尾になります。また、そうならないと確たる信ではありませんね。

『創価学会は、会員を牛じることにのみ腐心してどんどん狂って来ています。
しまいにどうなってしまうのかが恐ろしいです。』

ここに、危機感を持っていない会員は、間違いなく狂信であり、盲信です。
といいますか、日蓮仏法の淵底が解っていない証拠です。先生の心からも、疎い。

逆転の発想は、日蓮仏法の真骨頂です。時代の闇が深ければ深いほど、混迷の度が増すほど、機は熟す。若者も壮年も職を失くし、家庭は崩壊。自殺者や天災、人災も、相次ぎ、列強の狭間で、右往左往し、東シナ海の脅威も、弾道ミサイルの配備も、9条改定の叫びも山河にこだまし始めた昨今。人の世は、国法が裁くのではなく、仏法律が裁く。宇宙を揺り動かしている法の力は、あまりにも神秘。そして、あまりにも正確であり厳粛です。

700年の時を待ち、悲劇の原爆投下と共に、現代に蘇りし蓮祖の魂。末法尽未来際までも流るべし。御本仏の大功徳は、地球文明を浴し、完璧に慈悲に包まれています。恐れるものも、悲観するものも何もありません。本門の弟子は、機を待ち、陸続と出ずる。
苦悩渦巻く、この娑婆世界こそ、仏の本国土です。娑婆即寂光土です。
さあ!胸を張って、安心立命の境地へ、衆生救済の真っ只中を、奔走しょうではありませんか!
無明の闇が深ければ深いほど、地湧の菩薩は乱舞し。勢いを増す。悪戦苦闘、一人ぼっちでも、歯牙にもかけず。悠久の綺羅星は、見つめています。三世十方の仏菩薩は、瞳を凝らして見つめています。何が正義かを!誰が正義かを!

※私は、当該掲示板の管理人として、約9ヶ月ほど一度閉鎖しました。そして、私の意志で再開した直後、一通のメールをいただきました。それは、一人の女子部の方からでした。

「私は文章力もなく、伝える術も持っていません。再開されて感謝しています。どうか閉じないでください」という内容でした。私は感動し、直ぐに返信いたしました。登場されていませんが、そういう方がロムされている限り、私は真剣なのです。生半可な人の投稿は、お断りいたします。ここは、命を懸けて、最高幹部の不正に戦いを挑み、除名になられた方々もロムされています。お遊びの場ではないということも、付け加えさせていただきます。実動部隊の、法華経の行者のサイトです。
 

犬死にしない為に

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年11月26日(金)20時28分4秒 i60-34-90-140.s02.a015.ap.plala.or.jp
  末端の、真面目な会員がなぜ、一番苦しまなくてはいけないのでしょうか。
私は、たまたま、ご主人の反対で会合に出る事ができずに困っていた部員さんの頼みで、家庭訪問をした時に、そのご主人から、「学会はこんな事をしている悪い団体なのだ」とインターネットの、ある除名になった方のサイトを紹介されました。
無下に出来ず、真剣にそれを読み、「これはおかしい。幹部が、信心を利用して会員を強迫し、自分たちの私利私欲を満たす為に、都合の悪い人物を、組織上の立場をフルに使って、亡きものにしようとしている。」と思い、自分の安易な思い込みではいけないと感じ、その方に会いに行き、裁判も傍聴し、「おかしいぞ」と確信し、地区の同志みんなと、県幹部クラス、あるいは、日蓮正宗を相手に裁判を起していた青年僧侶改革同盟の方にも、お会いし、とにかく知って欲しい、と思い、お話して行ったわけですが、真面目な会員さんであったとしても、「知る」と言う段階から拒絶反応が酷く、「読まなくても分かる」、とか、「あなたは騙されている」等、酷いバッシングを受け、「なぜそう思うのか」と聞いても、泣いたり、嘲笑したり、睨みつけられたり、まともな反応は返って来ず、どんなに真面目に活動している人たちでも、盲目の状態にされている人間社会の現状である、と認識するしかなかったです。

例えば、最近、地元の民主党議員と話をしていた時に、南京大虐殺は捏造だった、従軍慰安婦もなかった、日本の軍隊は素晴らしかった、軍人こそ尊敬に値する、平和憲法は過ちであり、日本は再び軍隊を持たねばならない、戦争なしで世界平和などはありえないのだ、と言っていました。
彼は靖国の熱心な信者です。
現政権は、この議員に象徴される思想の持ち主が中心となって運営されている政権です。
これらの右翼的な人々の活動のエネルギーをわざわざ創ってやっているのが、今の創価学会ではないでしょうか。
エゴを撥ね付け、不正を下す、不動の心の姿勢を、保つ事が出来ない。
創価学会にも、同じ様な、精神の惰弱性が見て取れます。

こうも思います。
なぜ日本はドイツのように、アウシュビッツと言う過ちを振り返り、二度とそのような過ちを犯さない様に、子どもたちにも加害者の子孫として、過去を振り返りながら、何がいけなかったのかを考えさせる教育を行う事ができないのか。
ある方は「子どもが可哀想だから」と言っていました。
ですがそれは、その人自身が、自分の感傷に浸っているだけなのだと思います。
未来を担う子どもたちへの愛よりも、自分のささやかな心の傷を庇う事の方が、より重要なのだと言うことです。
人の為に痛みを引き受けることなど、まっぴらごめんなのです。
私は、そこに、自らの過ちを過ちとして認識し、前向きに改善する力のない、深く汚染された一念の狂い、愛の不足を感じます。

第一次、第二次世界大戦、高度経済成長期を経て、人間の、本当の幸せとはなんだろう、本当の豊かさとは何なのだろう、と言う問いかけに対する思慮深い答えが、かつてこれほどまでに求められた時代はありません。
それに対し、確たる答えを提出する事のできない宗教を、宗教等とは呼べません。
信心をしていながら、困っている人と手を繋ぐ事が出来ない事を、恥ずかしい、と思えないなら、それは人間性の敗北の姿です。

池田先生は「人間主義」と言いました。
これは、「人間は、人としてどうかなのだ」と言う意味である、と私自身は捉えています。
ひたむきに、真っ直ぐに、人間主義を貫いて来たら、創価学会にいられなくなり、いまここに、こうしております。
それは、私が、創価学会の幹部に言われた様に、「広宣流布に必要のない人間だから」、ではないとしたら、一体、どういう事になるのでしょうか。
その事について、学会員さんたちは、真剣に考えてなくてはいけない、と思います。

全人類の救済を、祈って参りましょう。
過ちだらけの人生を生きて来た、自分自身を、犬死にさせないためにもです。
 

組織の問題

 投稿者:黄金のウサギ  投稿日:2010年11月25日(木)21時59分23秒 softbank126122224122.bbtec.net
  組織の問題は人間の限界に因るものではないでしょうか。学会の組織の場合は特にひどい様にも見受けられます。魔が競うのではなく自らが魔の姿を露呈しているのではないか、と思う時さえあります。よく学会は良くないけど信心(仏法)は正しいと言う人がいますが、正しいのなら学会には仏法はないと思います、ただし個人ではなく組織としてですが・・・。
末端には地域で真面目に頑張っている会員さんもいるのに、です。正直これは酷な話です。
 

勤行

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年11月24日(水)12時02分38秒 i58-93-208-182.s02.a015.ap.plala.or.jp
編集済
  創価学会には、活動は熱心に行うのに、勤行をしない、と言う人はとても多いですよね。
特に幹部で勤行をしないくせに、新規会員には勤行をしろと言う偽信者の宝庫です。

問題は、どういう勤行をするかの形式にあるのではない、と私は思います。
逆説的ですが、形式をきちんと整えることで、内容を精査して行く必要性のために、自行の行いをするのだと言う風にまず考えるべきだと私は思います。
ですから、いくら勤行の形式をあれこれ変えてみた所で、内容に目を向ける、と言う意識、内道の意識を持つ事ができなければ、何の意味もないと私は思います。

そもそも学会員なら全ての人が「内外相対」を学んでいるはずなのに、知識だけ頭に植え付けて中身を疎かにするので、仏法用語は記憶していてもそれが何を意味しているのかを自分の言葉で語る事が出来ない。
つまり、外道を折伏することができない、と言う状態になっているような気がします。
信心している人はしていない人より偉いのだ、と言うような、他人に大きな顔をする為だけの仏法の知識ならそんな知識は邪念です。
勤行・唱題をしなくたって、優れた意識を持つ人は世の中にたくさんいるのです。

何のための勤行なのか。
そのままのあなたではダメなんだ、と言うことです。
長行を省いたくらいでは、組織改革は出来ません。
というか、考え方がおかしいです。
創価学会は、「あなたの明日を新しく」等と言うテレビCM等を流していた時期もありました。
コマーシャルで人集め。笑いました。
これが広布の団体なのか?あまりにも人をバカにしています。

創価学会は、会員を牛じることにのみ腐心してどんどん狂って来ています。
しまいにどうなってしまうのかが恐ろしいです。
自分たちが言う通り、一刻も早く、古い価値観を脱皮して新しくなって頂きたいです。
宗教法人としての外側だけ体裁を整えればそれで良いと思っているふしがあります。
創価学会には、宗教法人税の優遇措置に甘んじることなく、社会に堂々と胸を張れる団体となって行く為にきちんと納税することをおすすめします。

個々人が、どこがどうダメなのかを真剣に、真面目に考え、適切に対応することができるようになれば、組織は必ず、良くなって行くのです。
良くならないはずがない。
良くなって行ったら、腐敗の幹部がすっ飛んで来て、邪魔しに来たりするでしょうね。
正しい事を言う人に対して、「あの人には問題がある」とさもさも分かったような、もったいぶった口ぶりで言いふらし、孤立させようとする。
真面目な思いの欠片もない相手に一々対応していたら、自分の暮らしがままならなくなって行く。

「何故ですか?」と問いただす事もなく、幹部に追従し、正しい人を弾圧する人も多い。
あることないこと、いいふらす。
彼らは、自らを誤魔化し、正しい事から逃げ続けて来たツケで、前頭葉がやられている。
他人の気持を思いやるだけの、人間らしい心を失ってしまっている。
腐り切った水の流れに、まともな生命は住めません。
その必要性もありませんが。

ですが、そういう人も、お題目によって、いずれは全うな人間へと生まれ変わって行くのです。
今世では無理でも、何度も、何度も、生まれ変わりながら、この世の果てまで、生命はみな、連鎖する。
一緒なのです。
闇があるから光がある。
光の数だけ、闇は深いのです。

いずれにせよ、仏法は素晴らしいです。
永遠に続く学びの軌道です。
このチャンスを逃さないで、一生成仏、如説修行に、勇猛精進して参りましょう。
 

悟り

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年11月24日(水)09時26分22秒 i58-93-208-182.s02.a015.ap.plala.or.jp
  黄金のウサギさん

言葉の表層面での解釈に固執して議論することは、「悟り」における多次元に渡る生命の本質的内容を誤解させる怖れもあることから、それらを慎みながら思う所を述べてみます。
「です」「ます」断定調が多いですが、中途半端に言及する性質ではない内容にさしかかるとそうなってしまいます。
聞きづらい場合はお許しください。

「一個人的な悟り」を否定する必要性はないと思います。
一個人として悟った人間が、社会の中でそれらの叡智を必要としている場面に出向き、他者の意識に働きかけて行く事で世の中を変革して行く中で、人は自他の関係性を、修復させ、あるいは、成熟させながら、世の中を良くすることができると思います。
それは、「人間として、あるいは人類としての、本来の姿を取り戻す」実践、そのものだと私は感じています。
仏法は、それらの展開の中の、確たる座標軸のようなものであると思います。
個人の悟りと言うものは、その縦横無尽に展開する現実の中に、自らの一念を位置づける現場を正確に把握し、事象に対して的確に対応するために必要です。
「私はここにいる」と言う意識は、それらの行為の土台になります。
そういった方々が大勢いる、と言うことは、素晴らしい事ではないでしょうか。
自分が存在する地球と言う惑星に対して責任感が生まれ、我々人類が為して来た行いを精査し、過ちを正そうとする意識が芽生えると、そういう風になると思います。
その事の中には、「全ての過ちを了解している」、と言う前提があります。

文明の進化の歴史、と言うのは、私たちが、困難を乗り越えるために頼った手段のことです。
この手段には、例えば、核兵器や、原子力発電等、一歩間違えば取り替えしの付かない危険性を伴うものがあります。
これらの手段が生まれた背景には、現実に対し物理的な不足を感じる人々の欲望があります。
無明を深くした原因を生命の中に見いだそうとするなら、それは一般的に、「エゴイズム」である、と言う風に言えるでしょう。

しかし、生命の本質はエゴイズムではありません。
エゴは本質に刻み付けられた、汚れのようなものです。
この汚れがあると、生命力が弱くなり、不安や恐怖に囚われやすくなり、本来、特別な問題ではないことが、問題に思えるようになります。
例えば、必要以上にお金を貯蓄しているお金持ちが、それよりお金を持っていない人たちよりも優れた存在に思えたり、一流企業に勤めている人が、中小企業で頑張っている人よりも高い能力を持つ存在に思えたり、都会で暮らす人達の方が、田舎で暮らすじいちゃんばあちゃんよりも優れた存在に思えたり、木造の、田畑が付いた手入れの大変で味のある家屋よりも、高層ビルの暮らしを選んだ人の方が聡明で立派だ、と考える。
物事の価値観が、全く転倒してしまうのです。

価値観が転倒している人たちの物事に対する反応は、正しい価値観を持っている人たちと正反対になります。
私はその事を良く感じます。
例えば、私が住む島には、古くて味のある、木造の家屋が、何千件も空き家になっています。
それらの家は、生命を使って作られた、生きている家です。
かつてそこに住み、自然と調和して美しい暮らしを送っていた人たちは、生きている家を放置し、田畑を放置して、高層ビルの建ち並ぶ都市へ行き、死んだコンクリートのマンション等に住んでいる。
原点に帰って来れない、いわば、悟りと共に日々を送る境涯から転落し、それらを失った状態になっています。

これらの逆転した世相の現実を踏まえて、「自分はどこからきて、どこへ向かっているのか」と思索するのは大切な事だと思います。
私なら、「私は無明から生まれ、一光に向かっている」と答えます。
一念が定まったら、「私は何の為に生まれ、何を為すべき人なのか」と問いかけます。
第二代会長は、「確信のある人が一番偉い」とおっしゃっていました。
確信を持って、為すべき事を為して行く。
一人では何も出来ないのが人間です。
できれば仲間と共に。御互いを守り合って。
人生はそれだけです。

他人がどのように言おうとも、本当の意味で偉い人にならなくてはいけないです。
それが、全人類を救済する仏法守護を宣言した者の義務であると私は思います。

マサまる子さん、はじめまして。

「どなたか特定の方にしか分からない一事を教えられている」のではなくて、みんなのためにと考えて教えた内容が、特定の方にしか伝わらなかったのだ、と解釈すれば、仏法を学ぶ心得と申しますか、その厳しさを想像できるかもしれません。
その特定の方には、その他多くの修行者の為に、法を広める使命と自覚を持っています。
それだけ、多くの方が苦しみに喘いでいる悲惨な現実がある、と言うことです。
その現実を踏まえつつ、自分はどうあれば良いのか、どのように対応すれば良いのかを真剣に考えて行きたいですね。
 

恥めまして、創価初心者若葉マークより

 投稿者:マサまる子  投稿日:2010年11月24日(水)04時53分5秒 wb09proxy11.ezweb.ne.jp
  管理人様、皆様はじめまして。
様々な勉強のため、ロムさせていただいております事、感謝申し上げます。


〉私にしか絶対にわからないー。という不動の確信の表明です。

大聖人さまは、どなたか特定の方にしか分からないー事を教えられているのでしょうか?
現在、間近に控えた任用試験に向けて学んでいる中、少々疑問に感じたため初めて投稿させていただきました。

初投稿でありながら大変失礼な投稿とは思いましたが、どうかお許し下さいませ。
 

道標

 投稿者:黄金のウサギ  投稿日:2010年11月23日(火)23時48分36秒 softbank126122224122.bbtec.net
  >「私はここにいる」。
それが、答えではないでしょうか。

いま、ここ、が大事なのだと思います。
いま、ここから、全てが始まるのです。

佐渡の朱鷺さんへ。
以前は私もそう考えておりました。しかしこれは現実的(瞬間的な)結果論であって未来的な指向性を含んでいるでしょうか・・・私はここにいる。と意識できる、また思喩する人は大勢います。また仏法でもこの一瞬の中にすべてが包含されるとも聞きました。しかし、私が言いたかったことは一個人的な悟りではなくてどうすれば人間として本来の姿を取り戻せるか、ということなのです。
>科学信仰が、無明を深くしたのでしょうね。
この点も真逆です、無明を深くした原因は生命の本質的な部分で科学信仰という近代に発生した観念は単に無明の増大を加速した、と言うに過ぎません。
 

本因妙の仏法

 投稿者:今日より明日へ  投稿日:2010年11月23日(火)23時12分46秒 softbank220058091171.bbtec.net
  カナズチさん、
投稿ありがとうございました。私の呼びかけに、誠実に投稿してくださり、人として、同志としても、感動いたしました。仰る通り、われ等が先生は、お元気に(心配ですが)出席されていました。皆を、励まされたく無理にもお姿を見せられたことでしょう。お互いに、弟子として、先生のご健康と報恩感謝の行動を示さなければなりませんね。後継者としての使命の自覚。共々に、精進しましょう!

まず、私が過去世のことを述べました真意は、随自意というタイトルにも思いを込めましたが、以下に述べることは、私にしか絶対にわからないー。という不動の確信の表明です。
私には、寸毫の迷いもありません。そして、当然ですが、その胸中にある内証の内容は、私にしかわかりません。

何も、過去世のことを伝えたいのではなく、我々の命が永遠に続いているし、今後も、果てしなく連続して行くということを伝えたかったのが本旨です。大聖人の仏法は、言うまでも無く本因妙です。過去の世で、いかに罪業をつくり上げたにしろ、南無妙法蓮華経の偉大なるお力で、良い行いをしたかのように、完全に書き変えれます。現当二世です。今、この瞬間から永遠に未来に向って、黄金の希望の軌跡です。

病気や経済苦等が、無くなるのではなく、迷いと絶望の衆生を救う為に、信仰の確信度が深まるにつれ、大難が押し寄せて来ます。法華経の行者とは、大難に遭う人の異名です。
自らが、猛烈な激闘を背負い、人の苦しみを分かち、苦楽を共に人生の劇を演じる。全ては、救済する為です。その本地は、仏であり、如来です。決して、見捨てない。金持ちで、不自由がないのは、菩薩ではありません。御本仏、大聖人自らが、処を追われ、命に及ぶ大難の連続でした。牧口先生は、獄死です。戸田先生も経済苦のど真ん中で、妙法を広められました。池田先生も、牢獄に入られています。

大聖人が、佐渡流罪という当時では、極刑である死の判決が決定した時、門下のほとんどが「末法の本仏が、なぜ佐渡に流罪になるのか!インチキではないのか!」という疑念が渦巻き、ほとんどの人間が法華経を捨て去ってしまいました。佐渡では、雪を食べ飢えを忍ばれました。食べるものがない。全身に極寒地獄を味わうとも仰せになっています。牧口先生が、牢に入られるやいなや、「牧口の野郎!」に豹変した門下生もほとんどでした。要は、自身の胸中に、絶対不動の揺ぎ無き信がなった為です。状況がどうあろうと、敢然に信心で乗り越える!その心を失くしたときが、その人の本性が、問われるときです。私は、自身の胸中に、確立しているものを持っています。一人で十分です。私が創価学会にいる限り、21世紀の学会は磐石です。

さて、疑念にお応えいたします。

法蓮抄の対告衆は、曾谷教信です。彼は、非常に仏教の研鑽に明け暮れた求道心の篤い信徒でした。折に触れ、経文上における自身の判らないことを大聖人に、赤裸々に質問しています。法蓮抄は、大聖人さまが、54歳の御時に、身延から与えられたお手紙です。未だ、出世の本懐である三大秘法の大御本尊を建立(御図現)されていないときです。建立は、弘安二年の十月(御年、58歳)ですから、さかのぼること4年程度前です。当時の勤行(仏を賛嘆する詩・偈)は、法華経の全文を暗誦したり、自我偈をやっていたり、寿量品の全文を読んだりと定かではなかったようです。

未だ、信仰の対象となる根本の本尊が確立していなかったわけですから。その中で、曾谷教信さんは、お父さんが亡くなった追善供養として自我偈を読み、それに対して大聖人様は、最大にお誉めになっているわけです。その思いを、賛嘆されているところに焦点があるわけです。往々にして、大聖人様は、その人の思いや気持ちを大事にされ、最大に宣揚されます。文筆には、そういう傾向があります。大聖人様の深い、深い慈愛です。

御書の中で、極説(随自意)で、述べられている抄は、御義口伝・百六箇抄・本因妙抄です。百六箇抄の中で・・
【下種の法華経教主の本迹】『自受用身は本・上行日蓮は迹なり、我等が内証の寿量品とは脱益寿量の文底の本因妙の事なり、其の教主は某なり』
この御文で仰せの文底の本因妙とは、長行の我本行菩薩道の御文です。

【御義口伝巻下】『第一南無妙法蓮華経如来寿量品第十六の事』「此の品の題目は日蓮が身に当る大事なり」

大聖人様は、釈迦の法華経である『妙法蓮華経如来寿量品第十六』に南無をお付けになり
『南無妙法蓮華経如来寿量品第十六』とされました。その真髄は、寿量品全体を、御本仏であらされる大聖人様の悟りの境界で読む観心の拝し方となり、釈迦仏法の立場からの教相ではなくなったという意義です。天台の読み方とは天地雲泥の差となります。ですので、寿量品全体を、大聖人様の立場で、読まなくてはならないということになります。
寿量品は、日蓮仏法の魂なのです。

御書の文を引用するのは、まだまだ出来ますが、長くなりますので、本日は、このへんで止めます。

私が、言いたいことは、戸田先生も講義の中で、寿量品の講義に大変な心血を注がれ解説されています。池田先生も、その全体の重要性を講釈されています。
それを、自我偈だけで問題がないと、きり文句だけで、ろくに説明もせずに切って捨てた、ときの学会総務会(教義改訂の決定機関)に対して、義憤の念を感じています。それは、全学会員さんの為です。

私、個人的には題目だけで十分です。直ちに、境地冥合いたします。
勤行の際の、長行の読了は必要なのです。した方がいいのです。

※この投稿は、全学会員さん及び、日蓮仏法を学ばれている方々の全ての人に捧げる思いで 書きました。学会の教学部の方でも、疑義や不明なことがあれば、いつでも投稿されて下 さい。必ず、ご返答いたします。一人でも多くの方が、元品の無明を打ち破られ、仏界の 生命を、胸中に確立されることを希求いたしております。
 

今回こそは「投稿」です

 投稿者:カナズチ  投稿日:2010年11月23日(火)02時36分47秒 softbank220058066029.bbtec.net
  先日は、「メール」と打ち込んでしまい、失礼しました。
メールばかりで、「投稿」したことなど無い初心者なもので、ご無礼お許しください。

日付が変わりましたが、先生の300の称号のご受章、本当におめでとうございます!
82歳の先生。80歳を過ぎれば、人間誰でも、多少は体にガタが来るものです。
ほかの82歳の老人たちに較べれば、先生は本当にお元気だと思いました。
そうでなければ、わざわざ直接ご出席はされませんよね。
師匠のご健康とご長寿を、弟子として、ただただ祈る日々です。

さて、佐渡の朱鷺さんのお言葉に救われました。
本当にありがとうございます。
まったくもって他意は無いのですが、
最初から「荒らし目的」ととらえられてしまい、残念でなりませんでした。
今回、投稿するかどうかも、相当迷いました。

過去に荒らしがあったとのことですが、最初からそのように疑われてしまうと、
自分をはじめ、ほかの見ている方々が、もっと投稿できなくなってしまいます。
わりと特定の方しか、投稿されていないようにも見受けられますが、
それこそ、仲間内の掲示板になってはしまわないでしょうか。

今日より明日へさん、
過去世から、輪廻転生を繰り返し、
ずっと法華経を弘めてこられたんですね。
すばらしいことです。

御書の一節に、
「過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ
未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」とありますが、
この御文に照らせば、過去世にこれだけの因を積まれているわけですから、
今世は学会のなかではもとより、社会的立場におかれましても、
間違いなく、病気や経済苦など無縁の、
所願満足の人生を歩まれていることとご推察いたします。

自分は以前、部員さんから、
「自分は過去世の記憶を持っている」と告白されたことがあります。
自分の過去世って、確かに興味はあります。
それでつい、過去世の記憶に関する投稿について、
つい反応してしまったわけです。

「法華経の行者」でしたら最高ですが、虫けらだった可能性だってあるわけです。
果たして、過去世の記憶を受け継いでいるからといって、
それが幸せだとは、必ずしも限らないのかなあと、考えてしまったりします。

でも、黄金の兎さん、佐渡の朱鷺さんの投稿を見て、
あらためて、現当二世ですし、大事なのは今であり、
これからなんだなあと気付かされました。
本当にありがとうございます。

あと、長行を読まなくなって、久しくなりました。
昔は御葬式でも、御焼香の間、長行を2回読んでいたりしましたね。
大聖人御在世から、少しずつ勤行の形は変化していったと聞いたことがありますが、
実際はどうなんでしょうか。

法蓮抄にこんな御文を見つけました。

今の施主・十三年の間・毎朝読誦せらるる自我偈の功徳は唯仏与仏・乃能究尽なるべし、
夫れ法華経は一代聖教の骨髄なり自我偈は二十八品のたましひなり、
三世の諸仏は寿量品を命とし十方の菩薩も自我偈を眼目とす、
自我偈の功徳をば私に申すべからず次下に分別功徳品に載せられたり、
此の自我偈を聴聞して仏になりたる人人の数をあげて候には
小千・大千・三千世界の微塵の数をこそ・あげて候へ、
其の上薬王品已下の六品得道のもの自我偈の余残なり

長行も寿量品の命であることに、異論はありませんが、
自我偈って、すごいんですね。
 

一光

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年11月22日(月)23時00分11秒 i58-93-208-182.s02.a015.ap.plala.or.jp
  ”人はどこから来てどこへ行くのか”・・・・

なつかしいなと思いました。
子どもの頃、良くそういう事を考えました。

しかし、今の私には、そういう問いはありません。
「私はここにいる」。
それが、答えではないでしょうか。

いま、ここ、が大事なのだと思います。
いま、ここから、全てが始まるのです。

科学信仰が、無明を深くしたのでしょうね。
文明を、後戻りさせることはできません。
ならばそれを正しく使う為の智慧を、偉大なる叡智を私たちは持たねばならない。
それが無明の暗黒を照らす、一光なのではないでしょうか。

『佐渡の朱鷺さんも、除名になった方々も、再び創価学会員になられるのが、先生の願いです。諸仏の願いであり、諸天の渇仰です。除名になった崇高な使命の方々の再入会が、三代会長の創価学会の勝利です。』

これを読んで、どうしようもなく泣けてしまいました。
やさしい心配りをして頂き、本当に感謝しています。
みなさんの幸せを、祈っています。
 

信仰

 投稿者:黄金の兎  投稿日:2010年11月22日(月)19時49分4秒 softbank126122224122.bbtec.net
  >大事なのは、過去ではなく、いまです。
正にその通りだと思います、佐渡の朱鷺さん。今を生きている生命が未来を新しくし過去にあった事の意味を変えていけるのだ、と私は考えています。ただ原点は知っていなければなりません。仏法で説く人間の生命が何故宇宙的長大な時間を経るごとに無明を増していったのか・・・この根本的な原因については私は近年に至迄考えたことがありませんでした。本来、仏法の器である人間自身にいったい何が起ったのか、という疑問です。一般的に言われる”人はどこから来てどこへ行くのか”・・・・この問いこそ過去や未来、生死も含めて宗教が提示しなければならない重要課題だと確信しています。
 

(無題)

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年11月22日(月)07時51分17秒 i60-34-90-73.s02.a015.ap.plala.or.jp
  一般的に、人が自分の過去世を知りたい、と思う時は、考えうるあらゆる手段を講じても状況の改善がうまく行かず、あるいは却って悪くなる、と言うような事があり、現状打破に行き詰まった時ではないでしょうか。
そういう場合には、過去の宿業が原因となっている場合が多いのではないかと思います。
それは必ずしも「悪い行い」と言うよりも、深い契り、であったりだとか、使命の自覚のようなものへと目を向け指せようとする流れである場合が多く、仏法者であれば、その使命の自覚が人生の一大事です。

カナヅチさんの投稿を読んで、私は、何かとてつもなく困難な状況に遭遇してしまっているのだろうか、しかし、初めて参加する為にこの掲示板の流れが見えず、参加する姿勢を決定するための、アタリを付けているのかな、とも感じました。
いずれにせよ、カナヅチさんに、何か真剣な思いがあるのであれば、「なぜ今日より明日へさんに対してそのような質問を行ったか」の理由を明らかにされるだろう、と思いました。

世の中には、過去世を知って、いたずらに霊的高慢に取り憑かれたりする人がたくさんいます。
大事なのは、過去ではなく、いまです。
いまの自分がどうであるかです。
そういった事情にも深く配慮して、今日より明日へさんはカナヅチさんに対応されておられると思います。

カナヅチさんへ

はじめまして。佐渡の朱鷺と申します。
ぶしつけな質問かもしれませんが、よろしければ、何故過去世を知りたいと思ったのかの理由をお聞かせ願えますでしょうか。
 

中有の道

 投稿者:今日より明日へ  投稿日:2010年11月21日(日)23時47分48秒 softbank220058091171.bbtec.net
  黄金の兎さん、

いや~お久しぶりです。そうですね、三年の月日が流れましたか。・・
再びの投稿に、懐かしい感情が沸き起こりました!
あの頃は、確か・・キリスト教と仏教に迷われていたと記憶しています。その後、お変わりありませんか?お元気そうで何よりです。当掲示板は、あれから幾度となく、嘲笑の荒しに遭遇して、一度、閉鎖している経緯を辿っています。なので、荒し行為及び誘発するような投稿に関しては、特に敏感になっております。

カナズチさんの真意は、推し量れませんが、一般論として、投稿とメールを間違うものでしょうか!?・・冒頭から、理解に苦しみます。・・
荒し目的と思われても、仕方ないと鑑みます。もしも、そうではなかった場合には、申し訳ないと謝罪したします。再投稿していただければ助かります。
 

過去世

 投稿者:黄金の兎  投稿日:2010年11月21日(日)20時33分0秒 softbank126122224122.bbtec.net
  3年ぶりにこのブログを拝見しました。かなずちさんのコメントは特に今日より明日へさんのコメントに対して皮肉で言っている訳でもなさそうに感じますが・・・・。(今、来たところなので今迄の経過は解りませんが)
この過去世の記憶は人によって様々です、自分も億劫の過去と未来を超えて現在にいる、という感覚を何度も覚えています。その人にしか解らない、その人の内面に強く働きかける何か・・・ということは確かです。
人の生死より以前の記憶はそれを語る者がいないので(死者が語ることはない、という意味で)推測の域を出ないのです。
 

 投稿者:今日より明日へ  投稿日:2010年11月20日(土)04時31分1秒 softbank220058091171.bbtec.net
  あの日、あの時、あの瞬間。

あの光景、あの声、あの表情。・・54年、背後から、正面から、取り囲み切り付けた。
前も、後ろも敵。断じて、絶対に、永遠に忘れてはならない。

創立日には、実名の公表は掲載されませんでした。誰なのか。裏切りの首謀者の連名は、先送りされました。先生は、いかにも病み上がりのご様子で、激痩せされていました。従来の勢いというか、精気が感じられませんでした。魔物の勢力は、いや増しているようです。

私は、この、今のタイミング(今年)を逃しての発表は、考えられません。
次回は、もう直ぐおとずれる宗門から破門された日。あるいは、元旦。
これは、最も一大事の、永久に学会の歴史に留め於かなければ成らない刻印です。
師弟の呼吸の、一大因縁です。
これこそ、54年来、先生ただお一人、文底秘沈されている本門の戦いです。

もしも、先生が、この儀式をされずに逝去されるような事態になれば、師弟の敗北です。
私には、それは考えられません。時を忍ばれ、時を待たれた先生の展望は、必ず、儀式を踏まえられるのが必然です。先生のご寿命は、その日は、日蓮大聖人様が決められます。炯々には、決して推し量れない摩訶不思議な世界です。

佐渡の朱鷺さん、おしゃる通りです。信じる心がどうかですね。微量の疑いがあっても、それは不信です。王仏冥合の理念は、仏法の仏法たるゆえんです。国の法ではなく、仏の法の統治です。衆愚政治とは、民が愚かということであり、民を真に賢くするには、各自を人間革命させて、境涯を引き上げるしかありません。六道は、迷いの生命です。愚かという境涯です。ホイットマンの民主主義の展望という本に、余すことなく書いてありますね。生命の浄化には、題目しかありませんね。

『過去世からの宿業によって汚染の極まった自分自身を改め、清浄な意識を注がれた正しい存在に立ち返る』・・・答えですね。

佐渡の朱鷺さんも、除名になった方々も、再び創価学会員になられるのが、先生の願いです。諸仏の願いであり、諸天の渇仰です。除名になった崇高な使命の方々の再入会が、三代会長の創価学会の勝利です。本来、除名にならなければならない人間(魔物)が、除名権を持っている。本末転倒です。正義が、見事にひっくり返っています。この、日本ほど、正義がひっくり返るところも、宇宙では稀でしょう。仏と魔の主戦場は、日本です。平安末期から鎌倉初期は、おどろおどろしい妖怪(坊主)が、次々と現れて来ました。銀河団から送り込まれました。大闘争の舞台は、日本です。しかし、魔は、仏には絶対に勝てません。なぜならば、魔を活かしているのが、仏だからです。仏とは、人間のことです。「人間」とは、本当は、途方もない潜在能力を持っています。佐渡の朱鷺さんこそ、女性信徒の鏡のような方です。信心根本、美しい言葉です。

こちらこそ、いつも長文のお言葉に、敬意を表しております。
烏合の衆では、何にも大善は、生まれませんね。

カナズチさん、はじめまして。
メールではなく、投稿ですね。
残念ですが、真剣な姿勢が感じられませんので、恐縮ですがお応え出来ません。

Theimpossiblehashappenedからは、日本時間の深夜に電話がありました。緊急の問題は、解決いたしました。皆さん、ご安心ください。
 

緊急

 投稿者:Theimpossiblehashappened  投稿日:2010年11月19日(金)13時46分4秒 user-387g1vj.cable.mindspring.com
  今日より明日へさんへ

送りました。
 

過去世の記憶

 投稿者:カナズチ  投稿日:2010年11月17日(水)01時13分22秒 softbank220058066029.bbtec.net
  初めてメール致します。
今日より明日へさんは、未だに勤行で長行をされたり、とても熱心な方なんですね。
しかも過去世から修行僧として、仏道修行に励まれていたなんて、御書に説かれる、「三世を知るを聖人という」そのものですね。
自分はまだまだ未熟者なので、過去世の記憶なんて、思い出すことなどできませんが、どのようにしたら、今日より明日へさんのように、過去世を思い起こすことができるのですか?
 

信心根本

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年11月16日(火)10時39分23秒 i58-93-220-52.s02.a015.ap.plala.or.jp
  「こんなに大勢の人がお題目をあげているのに世の中が良くならないのはどうしてなのだろう」と言う意識の中には、「一人より大勢の方がすごい」と言う意識が微量であっても含まれている、と思います。
それは、「ひとりを大切に」と言う学会指導とは相容れないものだと思います。

私は学会員だったころ、公明党の支援を、盲目的に一生懸命やりました。
お題目を上げて一心に行動することで現象が現れます。
あまり喜ばしく無い現象がほとんどでしたが、日本の、民主主義の美名を借りた衆愚政治の浄化であると捉えていました。
政局等について勉強する必要性は感じなかった。
マスメディアによって表現されている政治の表面的な部分には、あまりにも嘘や捏造が多いわけです。
信用に足る文献も少ない。
私はそれらの事情を踏まえて創価学会に入信し、内なる世界の浄化の為に選挙活動をしていたわけです。
それを盲目的な支援活動と見るかどうかは、他人の自由な判断です。

そもそも政治が政治になっていない人間社会の現状なのですから、信心を根本にして政治の世界を改革しようと言う事であったわけです。
創価学会という宗教団体が公明党を作った背景にはそういう経緯があったと思います。
公明党にしてみたら、言葉の、上辺だけの事だったのかもしれませんが、私はその事に賛同したのです。
実際に、選挙の支援活動によって何かが起こり、それが自分や周囲を良くしていると実感するので選挙戦を闘うわけです。
それを通して、過去世からの宿業によって汚染の極まった自分自身を改め、清浄な意識を注がれた正しい存在に立ち返る、それを繰り返す、継続される人間革命を主体的に行ってゆく、と言う意識を持たない人たちの中には、支援活動に対してあまり意欲を持つことができず、あれこれ屁理屈が出てきて、バカだの愚かだのと活動そのものを批判的にしか見ない人もたくさんいるのだと思います。
しかし私はそういう部員さんとは、どうにかして実感を分かち合うと言う事を通して、浄化の波に組み込む工夫をするようにしていました。
全ては部員さんや、ひいては私自身の真の幸せのためです。
創価学会はそのためのフィールドを、全ての会員に解放してくれているのだと私は考えていました。

私自身の浄化が進むと、そのフィールドがどういうフィールドかがだんだん見えて来ます。
それが、組織の上層部の都合で、自在に問題を捏造しては罪なき個人にそれをなすり付け、除名にする、と言うことを平気で行うような人たちのフィールドだと言うことが分かって来た時、その悪しき有り様に異を唱えるのは当然のことだと思います。
私たちは過去からの自分の宿命を目の当たりにし、それによって深淵な自己知識を得て、使命の地と結ばれるようです。

いくら大勢がお題目をあげたとしても、それが烏合の衆のようであっては壊れたテープレコーダーにお題目を唱えさすのと一体どこが違うでしょうか。
心の底に疑いを抱えながら口先でお題目を唱えれば、その祈りが叶う、とは御書には書いていなかったと思います。

私は自分が学会婦人部として活動していたことが間違っていたとは思っていません。
連綿として今に続く正しいプロセスとしてその経験は必要でした。
なので今、盲目的に公明党の支援活動をしている人たちも、やがては正しい軌道へと導かれるのだ信じています。
その時、自分がかつて創価学会で出会った幹部たちのような、人を利用して上から見下し、汚い手を差し伸べることで上手い汁を啜るだけの不潔な存在ではなく、人の誠意と繋がることのできる正しい受け皿となれるように、力を付けて参りたいと願っています。

今日より明日へさん

深い心情を書いて下さり、読ませて頂き、何か誉れのように感じました。ありがとうございました。
頑張りますね!
 

随自意

 投稿者:今日より明日へ  投稿日:2010年11月14日(日)20時49分31秒 softbank220058091171.bbtec.net
  私は、自身の過去世の姿が、動く動画として脳裏に浮かんで来ます。それは、突如として、または、睡眠中にもリアルにあります。最も、インパクトのある姿は、ガンダーラ地方(現在のパキスタン周辺)の世の在りし日々です。出家僧として伽藍で修業していました。茶褐色の衣を纏い、大乗経を暗誦していました。

「空」の概念、実体を掴む修養に明け暮れておりました。岩陰では、経典を紐解き、仲間と共に、法華経の研鑽に努めていました。

現代は、法華経が成立した推定年代を、BC50年~150年の期間であるとする見方が一般的です。中国では、古来より奇跡の経典、畏怖する経典、力のある不思議な経典として広く巷間で囁かれ、広まりました。チベット語・ウイグル語・西夏語・等々に次々と翻訳された法華経という経典が、どれほどの民衆の渇望と魅了、希望の光源であったかが一目瞭然です。タクラマカン砂漠、シルクロードは・・・懐かしいです。胸が締め付けられるほど、熱くなります。私の故郷です。今一度、足を運び、当時を偲びたい気持ちに溢れます。

釈迦在世より400年後の時代が下り、法華経は大成されました。誰が編纂したのかは、歴史の謎です。私は、法華経を編纂した人間の一人として、いかに、この不可思議な世界を伝えるか、伝え切きるか・・・に途方もない労苦のエネルギーが注がれ、巧みな智慧を紡ぎだしたか・・それは、血を吐くがごとき執念の一念の凝縮でした。

当時は、悟達者が幾人もいました。焦点は、未来にあります。日蓮大聖人様の御出現を待ち、確信し切っての精神闘争でした。空諦に、過去も現在も未来もありません。堪忍の娑婆世界は、一夜のかりの宿です。ただ、一睡の夢ぞかしです。生命の本体は、意識です。識は、無限に連続し、転戦します。法輪とは、廻る識ということです。

私は、勤行が大好きです。100%ではありませんが、ほぼ必ず、如来寿量品第十六の長行をします。文字は魂です。文字と境地冥合します。不思議な話しですが、私にはそれが映像となって、魂に吹き込まれます。感無量の境地に誘われ、歓喜雀躍します。文字と一体になる自身があります。波長を感じ、音が聞こえ、時間軸が無くなります。

「水中に火をみるがごとし」と比喩された大聖人様は、難信難解である仏界の生命(世界)を、何としても、現出して、生死の苦悩を断ち切ってほしいという想いと願いが込められています。木から花を見るという自然界の不思議な現象(真実)を述べられての巧みな比喩は、方便でありながら真実を示されています。文筆の運びに込められて広大無辺な慈悲の偉大さに、打たれます。驚嘆いたします。逆説から真実への誘い。

水中に火がある、火の中に水があるとは、とても信じがたく、普通は思えません。しかし、水の中にあった石を取り出だして、乾いた石と石を打ち鳴らしたら、うまくしたら火花が散ります。そうすると、水中に火が確かにあったと言えます。もともと、妙法を伝え広めるという仏の聖業は、自覚し歓喜し、自ら実践するものです。

先ほど、本日の聖教紙面上に先生の随筆が掲載されていました。
上記、引用した御書の文は、奇しくも観心本尊抄です。師弟の呼吸です。

「敵は内部」「内部崩壊」・・最も狡猾なところに、巧みに隙を突く。

平成版の勤行要典には、寿量品の長行を削除してあります。学会規則には、教義の改変には総務会の承認が必要となっています。現総務会の議長は、山本武です。
真実は、必ずや時とともに、満天下に示されます。総務会という魔の巣窟は、54年に先生の辞任を決議した因縁のポジションであり、師敵対の構成メンバーです。
「時の流れには・・」を言い切った、最終局面に先生に一矢を放った魔物の徒です。

新勤行要典の改定にあっては、SGIの同志の要請であるというのが、最もらしい理由となっております。しかし、日蓮大聖人様の御書には、寿量品を魂とす。とハッキリと明示されています。自我偈だけでは、不十分です。仏界の生命と感応動交するには、長行が必ず必要です。

54年に先生を裏切った、最高幹部の反逆の輩は、故・山崎正友等と夜な夜なマージャンに興じ、放蕩三昧の堕落し切った姿でした。・・銜えタバコに「これで学会を牛耳った」と高笑いしたことでしょう。・・

しかし、本門の弟子の追撃の手は、生まれ持って刻印してあります、己が使命を自覚するとき、その力量は、炸裂します。

佐渡の朱鷺さん、いつもお心使いありがとうございます。
 

(無題)

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年11月10日(水)21時36分41秒 i58-93-220-52.s02.a015.ap.plala.or.jp
  今日より明日へさまへ

「お前は、百姓さんの気持ちがわかっているのか!米粒一粒に、百姓の思いが込められているんだぞ、残さず、最後の米粒まで食え!」

うわー!なんだか怖いですねぇその先輩。。。
まるで昔の軍隊の様です。

私は食べられないものは無理に食べようとせずに残すことにしています。
無理に食べて体調を崩す様な事があってはいけないし。
私ならその先輩に、「権威的なもの言いはお断りします。ましてや食事時に一体何ですか。あなたが食べなさい。」と、見えない場所で叱ります(笑)

しかしその先輩は、今日より明日へさんの事を思って、転ばぬ先の杖としてあえてそのような事を言って下さったのでしょう。
後輩思いの、愛情深い先輩なのでしょうね。

まあ私も、残さず食べる、と言うのが基本だと思っていますが、そうはいっても残ってしまう事はあります。
申し訳ない気持で残します。

百姓の中には、ベンツの乗り換えの為に頑張っている人もいます。
新品の耕耘機を見栄や体裁の為に欲しがる百姓もいます。
子どもの学歴を自慢することが唯一の楽しみだったりする百姓もいる。
お米を作る気持と言っても、いろいろですね。

『皆々様、急激な気温差に風邪を惹かれませぬように。』

お心遣い、有り難うございました。
今日より明日へさんも体調に気を付けてお過ごしくださいませ。
大変な毎日ですが、清く澄み渡った空気で胸を満たし、豊かな秋の日を楽しんで参りましょう。
 

相次ぐ国難(総罰)

 投稿者:今日より明日へ  投稿日:2010年11月10日(水)00時13分23秒 softbank220058091171.bbtec.net
  次から次へと国難が競い起こっています。他国侵遍の難、自界叛逆の難。三災七難が討ち続いております。大集経や薬師経に説かれている仏法の方程式は、完璧です。

森羅万象の動きは、雲の形にも連続しています。繋がっている意識。一国や民族という眷属の次元では、よりリアルに感覚が連動するものです。日本は、大乗の国です。2000年前に、法華経という最勝の経典がこのクニに必ず根付くと宣言した仏典の予言は、過たず的中しました。御本仏の出現の地は、日の出づる国である日本です。その意味では、世界中の何処のクニが最大事であるかは、明らかです。なかんずく、創価学会が指標です。

これだけの数の家庭に、本門の御本尊様が安置されています。問題は、自覚です。目覚めです。梵天・帝釈や日月天と言ったところで、我が胸中に収まります。先生の取り巻きは、保身の大馬鹿どもの集まりに過ぎません。所詮、真の仏法の力がいかばかりか。折伏もしない、大難にも遭わない。信心が解るはずもありません。難即安楽。難即悟達です。逆巻く烈風に身を投じない限り、大我は開きません。我が生命への猛烈な圧迫。これこそ、人間革命の直動です。真っ直ぐな大道です。総罰は、計らいです。

きずくまで、目覚めるまで競い起こるというのが、私の不動の確信です。最後は、これしかない。54年からの、師匠を裏切った責苦は、全会員が償うべきです。何もかも、来る日も来る日も、身を投げ打って激励されつづけられた師匠のおかげです。もうすぐ、三代目の会長に就任されて50周年です。廻り来たりました。・・

皆々様、急激な気温差に風邪を惹かれませぬように。嗚呼、先生、お疲れ様でした。必ずや、先生の仇を討ちます!世界広宣流布は、弟子がやり遂げます!御安心ください。

さて、佐渡の朱鷺さん
私も、ポジティブな意味の諦めです。信心することは、決まっておりました。御本尊様に、この身をあずけております。いのちにレーダーにメッセージが届きます。

貧困問題、全く同感ですネ。
仕組まれた社会です。日本人は、一度、西洋ナイズされています。東洋にいながら、アジア人でありながら、マクドナルド化されています。
違うでしょ。松陰が夢見た世界は、真の草莽崛起は、人間らしい、いかにも日本人らしいものだったはずです。

余談ですが、私が学生部だったころ、ご飯をお腹一杯に満たして、少し残していました。
すると先輩から烈火のごとく叱られました。
「お前は、百姓さんの気持ちがわかっているのか!米粒一粒に、百姓の思いが込められているんだぞ、残さず、最後の米粒まで食え!」と。とても、人の気持ちがわかる愛情のある人でした。・・
 

貧困問題

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年11月 7日(日)21時55分6秒 i58-93-220-52.s02.a015.ap.plala.or.jp
  ふと思い立ち、この掲示板の最初の方から読ませて頂いているうちに、沖縄のランボーさんの長文の書込みが目にとまり、思わず読み入ってしまいました。
なぜだか、胸がいっぱいになって、涙が溢れて来ました・・・。

同じ様な事を考えていた方がいらしたのだなあと言う思いでした。

私は、創価学会に関するさまざまな出来事に傷つき、また、傷ついた人の言動に傷つき、イラク戦争の開戦を宣言するジョージ=ブッシュのもったいぶった演技に傷つき、小泉総理の人をバカにしたような発言に傷つき、混沌を抱え、身体を壊して、一体世界はなぜこんなことになっているのだろうと一人悶々としながら、世界と繋がっている感覚を失いながらもブログを書いていた時期がありました。
沖縄のランボーさんも書いてましたが、「世界は良くなるどころか悪くなる一方じゃないか」と、私も感じていました。
またその一方で、私や世界がどうあれ、また創価学会がどうあれ、仏法はあまりにも正確である、と言うことも感じていました。
御書の読み方も変わって来て、それまで頭で解釈していたものを、実体験として魂で理解するようになっていました。

その頃の私は、世間とはかなりずれた次元で生きていたので、そのことに戸惑いを感じていたし、このまま世間との接点を失ってしまうのだろうか?私は一体どうなってしまうのだろう?と言う気持も若干ありました。
自分の中の何かが壊れ、何かが生まれているのが分かりました。

ある時、ブログに書き込みをしてくれた方がいました。
その方は佐渡が島でお米を作っている農家の方でした。
私の、「宗教って一体、何の為にあるのだろう」と言う問いかけに対して、その方は、「寒さにかじかんでいる時に、みんなで一つの炎を囲み、あたたかいね、と言い合うため。それが宗教の本来の役割なのだと私は思います。」と書いてくれた。
私はそれが真実であると思っています。

そもそも創価学会は、不幸な民衆が元気になり、屈強な邪宗の権力者に負けない、心も頭も強い人間を作り、どんな邪悪にも騙されることなく、個々人の幸せと宿命転換を願いつつ、ひいては世界平和をこの問題の多い惑星上に築いて行くためのものだったと思います。
ところが戦後のアメリカによるエゴの奨励と、関西地方で顕著に見られる、国家権力には騙されないが官僚には弱い政治音痴の関西人気質によって、民は間違った方向へ元気になって行ったと思います。
戦後の日本の土建屋政治は、関西が発端ではないかと私は見ています。

高度経済成長と言うのは、新しい形の戦争の幕開けでした。
多くの日本人が、勝利者の為の下僕としての国民教育(洗脳)を受けるようになり、小さな頃から義務教育を通して、支配と服従の権威主義的理論を刷り込まれ、抵抗を試みるものは社会のシステムから排除されました。
検察や司法がそれらの計画をアメリカの上層部と綿密に計画を立て行いました。
それは子どもたちの世界にまで行き渡る様徹底的に行われ、その中でまともな感受性を保っているものは、次々にしつこい虐めのターゲットになり、いのちを落すことになりました。
そんな中で多くの民が、自らを欺くことに違和感を感じなくなり、率先して大きなものに、コントロールされるようになって行きました。

私の母は東京都北区の出身ですが、空襲を逃れて佐渡へ疎開に来て、そのまま島に移住したと言う経緯があります。
海に囲まれた戦時中の佐渡での暮らしは、焦土と化した本土とは別世界で、大変長閑なものだったようです。
母の当時の思い出と言えば、楽しく和やかな暮らしの記憶しかないそうです。

終戦後東京に戻ってみると、家があった場所は焼け野が原と化していたそうです。
そこにはたくさんのテントが張られ、威勢の良いかけ声と共に、美味しいものがたくさん売られていたそうです。
それからわずか数十年で東京は突出した大都市になりました。
悪魔に魂を売り払ったおかげです。

今、東京での暮らしを振り返ると、そこには人が生きる上でもっとも大切な「食文化」がなかった、と思います。
食文化が無い、と言うのは、自分が口に入れるものを作ってくれている生産者との交流が希薄であるか、無いと言うことです。
この生き物としての根本的な不自然さ、それをそうさせた悪魔のシステム、大量生産、大量消費の、多数決による目くらましの構造に私たちは気付かねばなりません。

アジア諸国の経済成長が目覚ましい、と言われています。
願わくば、日本の二の舞にならないように、ある地域だけに富が偏るような、貪りのいのちに毒された愚かな国にならないようにと思います。
世界の貧困問題と言うものは、経済的な豊かさのみを豊かさを見てしまう、先進国の人々の愚かさにあるのです。
発展途上国と呼ばれている国々の人達は、かけがえのない美しい精神文化を失わないようにして欲しい。
それが人類の希望だからです。

私たちが見栄や体裁にかまけて、無闇な公共事業や開発を行う事で、切り崩された山や森林は、地球の財産であり人類のものではありません。
所有の幻想に振り回され、何でも誰かの持ち物にしようとして、恥ずかしげもなく境界線を引く。
仏法は、自然を愛し、あらゆるいのちを大切にする、共存共栄を願う、生き物らしい生き物の、豊かで健全な心に流れるのです。
大地の世話をすることもなく、他者に負けじと次々に高層ビルを建て、弱い立場にある人々の、ささやかな暮らしすら破壊して行く行いの、一体どこに仏法があるかと思います。

守るべきものも守らずに、薮から棒な経済発展等、広宣流布とは何の関係もないものだと私は思っています。
 

宇宙の心のビジョン

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年10月31日(日)23時37分57秒 i58-93-220-52.s02.a015.ap.plala.or.jp
  変な話なんですが、今日より明日へさんが以下で述べた内容のビジョンを、私は見た事があります。

なぜなのかはわからないけれど、私は目で見る映像とは別に、第三の目のようなものがあってそこで映像を見ていることが良くあります。
そういった力は、何かの修行の果てにつかみ取った力とかではなく、自然に子どもの頃から備わっていたものです。
それは「神」を意味するものなのだと物心付いた時から感じていました。
ビジョンの印象が、あきらかに自分で考えたとは思えない神聖さや、荘厳さを備えておりますので。

上記のような内的な経験から、今日より明日へさんのおっしゃる通り、人間にはもともと、内なる宇宙が備わっている、と私は思います。
私はずっとその宇宙を旅しながら、現実世界においてその印象を具現化する、と言う生き方をして来ているように思います。
私の意思とは無関係に、それは起きている事で、私はその事に気付き、受け入れるだけなのだと、変な言い方ですが、やはり、諦めています(笑)
もっとも、この場合の諦めとは、ネガティブな意味合いを含まない、全くポジティブな意味の諦めです。
おそらく今日より明日へさんのおっしゃる「諦め」も、そういう性質の「諦め」なのだと感じます。

仏から見て、仏法即世法と言うのはあたりまえのことなのですが、現実世界の変革にはタイムラグがあるようです。
そのタイムラグを短縮する為には、世間の法に染まらない純粋なエネルギーが必要なようだと感じています。
何故短縮を願うのかと考えますと、やはり、「愛するが故」なのではないかな。
お題目はそのためのエネルギーを運ぶ道具のような役割をする、と考えたりしたこともあります。

どういう方向から考えても、お題目をあげると言うのは、仏界のエネルギーに触れる為の素晴らしい行為、と感じます。

28才。。主人に出会った頃です。御本仏の計らいです。
戦闘機は偵察機。。。そうですね。
何を偵察しているのやら(笑)金とヒマが有り余っているようです。
 

内なる秘密の扉

 投稿者:今日より明日へ  投稿日:2010年10月31日(日)11時41分13秒 softbank220058091171.bbtec.net
  『所詮己心と仏心と一なりと観ずれば速かに仏に成るなり、此れを観心と云う実に己心と仏心と一心なりと悟れば臨終を礙わる可き悪業も有らず生死に留まる可き妄念も有らず、一切の法は皆是れ仏法なりと知りぬれば教訓す可き善知識も入る可からず。』

畢竟、仏法は悟りの法門です。先覚者(仏)の伝えたいことは、何としても、伝えたかったことは、外に眼を向けるのではなく、自分自身に目覚めよ!自身の胸中には、無限の宇宙力が秘められている、もともと、具わっている!その秘法にきずきなさい!ということです。

究極の、人間解放、人間賛歌であり、フランス革命の遥か延長線上にある人権の確立です。
名も無い、一人の人間が、実は、深遠なる尊極な存在なのです。

『凡夫は我が心に迷うて知らず覚らざるなり、仏は之を悟り顕わして神通と名くなり神通とは神(魂)の一切の法に通じて礙無きなり』

我が心に迷っている人を凡夫、覚っている人を仏と。思念致しますれば、仏教の開祖は釈迦です。難行苦行の末、一人、樹木の影に座し想念の果てに、一瞬の閃光のうち大我を開き、自身の過去世の姿、振る舞いを鮮烈につかみました。我がいのちは、永遠なり!いのちは、永遠に連続して行く!恐れるものなど、何もない。大宇宙と共に在り!この一瞬に、人類史上に計り知れない影響を与えた仏教が姿を現しました。生死を越えた心こそ、三代会長の御心であり、宇宙の心です。そう、その心こそ、真性の弟子の心であります。妙法の松明は、静かに、そして確実に、全世界へと受け継がれました。そのクニに、一人立つ弟子がいる限り、燎原の火は広がります。松明人の使命は、生まれ持って、確定しております。

『人生は、28歳の時に決まる!』とは、師池田先生の不滅の言です。

限られた有限の娑婆世界に於いて、28歳を大聖人様は、定められています。この年齢に達した時に、弟子の身に何が起きたのか・・・人生を決定づける「何か」が必ず起こっています。それは、定められているというのが、不肖私の揺ぎ無い確信です。皆、28歳です。
世界広宣流布の松明は、御本仏日蓮大聖人様の絶対のお約束であり、御遺命です。必ず出来るように、最初から設定されております。人法一箇とは、妙なる法が、その人に宿り突き動かすという意味です。

私の人生行路も、もがいても、あがいても、結局は御本尊様に突き動かされ、導かれて今日まで来ました。半生を振り返っても、全てが必然でした。変な話しですが、最後は諦めております。自分の意思では、どうにもならない力が、土壇場で、必ず働くからです。節目、節目で、最初から用意されていたとしか表現できません。妙な話しですが、偽らざる正直な心境です。

本日、私がお伝えしたかったことは、いかなる時代の混迷があったとしても、微動だにする必要はないということです。この投稿も、御本尊様の指示としか表現できません。突き動かされております。・・不思議な話しですが。

佐渡の朱鷺さん、戦闘機は偵察機でしょう。

Theimpossiblehashappened、ユーチューブありがとう。
 

今日より明日へさんへ

 投稿者:Theimpossiblehashappened  投稿日:2010年10月29日(金)03時26分7秒 user-387g1vj.cable.mindspring.com
  送りました。

If I can make it there, I'll make it anywhere.
はNYではとても有名な歌詞で、NYの人々に一番愛されている歌、
フランク・シナトラの「New york, New york」のサビのところです。

Barでヤンキースが勝った後、たまに、そこで飲んでる人たち、みんなで合唱したりしてます。

その後に来るのは、
It's up to you New york New york~~!
(NYで成功できるなら、どこででも成功できるさ。自分次第さ、ニューヨーク、ニューヨーク~~!)
 

異常な音

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年10月26日(火)23時32分28秒 i220-220-54-174.s02.a015.ap.plala.or.jp
編集済
  10分ほど前の事ですが、佐渡島上空を戦闘機が飛んで行きました。
今結構、すごい風が吹いていて、その音にかき消されそうでしたが、確かにあれは戦闘機の音です。
同時にネットが不通になり、今立ち上がりましたが。。。なぜこの島の上空を戦闘機が飛んで行くのか、疑問に思っています。。。
 

Theimpossiblehashappenedさんへ

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年10月26日(火)13時59分40秒 i219-167-242-211.s02.a015.ap.plala.or.jp
  はじめまして!
了解しました♪
 

佐渡の朱鷺さんへ

 投稿者:Theimpossiblehashappened  投稿日:2010年10月26日(火)11時57分47秒 user-387g1vj.cable.mindspring.com
  紛らわしい書き込みすみませんでした。
どうしても時差の関係などで、電話やメールではすぐに連絡が取れません。
そのため、前もってあういうやりとりをしてました。次回からは宛名をつけたいと思います。

今から一杯やりながらアメリカン・フットボール(ニューヨーク・ジャイアンツ)の試合をみたいと思います。
あさってからはワールド・シリーズです。楽しみです。
 

今日より明日へさまへ

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年10月26日(火)07時35分24秒 i219-167-242-211.s02.a015.ap.plala.or.jp
  今日より明日へさまへ

お詫びだなんて!私は不愉快な思いはしておりませんのでご了承ください。
単純に、(何だろう・・・?)と思っただけですので、どうか気にしないで下さい。
却ってこちらこそぶしつけな質問をして不快感を与えてしまったかな。。いずれにせよご説明くださりありがとうございました、了解しました。

それと、投稿に関する事ですが、私も昔、良くそういうことがありました。。
同じ文章は二度と書けないです。もったいない、と思うけれど、それはそれで良いのだろうとも思うことで、現象に囚われず、前に進むことのほうが大事なんだとも考えたことがあります。

ビジュアルの自由化の時流ですが創価学会は同中をYou tubeやその他の媒体で一般庶民に流すことをしませんね。
臆病の心があると、堂々と振る舞うことができないのでしょう。

スカイプ座談会とかいいな、なんて昨日ふと考えました。
 

本部幹部会同放

 投稿者:今日より明日へ  投稿日:2010年10月26日(火)04時37分45秒 softbank220058091171.bbtec.net
  11・18創立記念、本幹に過日行って来ました。
先生のメッセージを原田会長が代読して、数年前の先生が登壇されている時の本幹を再放送していました。過去の本幹を観るというのは、あれはあれでいいですね。目の前に、先生がいらっしゃるという感覚になります。時空を超越している感じです。観終わった直後は、あれ!?となり現実に引き戻されますが・・師弟は、生命の直感応であるだけに、時間を越えます。

私は、もうここ何年も、入場チケットは、一切持って行きません。(最初から貰ってもいませんが)所属名も無記入です。一切無視して、堂々と座ります。
当掲示板をご覧の、除名になった方や、組織から出られなくなった方は、聖教新聞で先生が参加されたと報じられたら、本幹に行ってみてきださい。最近は、ノーチェックですよ!
本部も、方面も統制が取れず、監視する力もないようです。
創価学会も、いよいよ、です。

だいたい、先生に会いに行くのに、所属名とかチケットとか・・アホか!
そう言えば、私が5年前に沖縄の闘争に出掛けた時に、会館に入って入り口を丸無視して通ったら、慌てて幹部が私が座っているところに、飛んで来ました。

患部「何処の所属の方ですか?」

私「東京から交流に来ました」

患部「東京のどちらですか?」

私「沖縄に折伏に来ました!」

患部「所属名を書いて頂かないと困ります」

私「何で!」

患部「・・・・・」

アホか!
 

ご返答

 投稿者:今日より明日へ  投稿日:2010年10月26日(火)03時54分16秒 softbank220058091171.bbtec.net
  佐渡の朱鷺さん、Theimpossiblehashappenedの投稿に不愉快な思いをされたことを、お詫びいたします。。。過去に、何度か書いていますが、私に対して、メールを送りましたという意味です。当掲示板で知らせるのが、何かと便利な為に、その様にしております。
大変に失礼しました。NYの街並みの写真とか、いろいろと近況や質問をしてきています。
それに対して、日本時間の何時ごろに自宅に電話を入れてくれ等のやり取りをしております。

佐渡の朱鷺さんの「狂人」に対して、何度か投稿しかけましたが、一瞬の操作ミスで投稿出来ませんでした。残念です。私は、文章が長くなるので、投稿する前に、一端保存しておかないとエラー表示になり、アップ出来なくなります。。。今まで、何度もそれを繰り返しております。熱く成り過ぎて、保存することを忘れてしまうのです。(苦笑・激怒)
同じ文章は、二度と書けません。タイミングを外すと、いやになります。
 

質問

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年10月25日(月)08時07分14秒 i219-167-242-211.s02.a015.ap.plala.or.jp
  質問なんですが、良く、Theimpossiblehashappened さんが「送りました」と書いておりますが、誰に対して何を送ったとおっしゃっているのでしょうか。もう少し分かりやすくおっしゃっていただかないと、おっしゃりたい意味内容が伝わらず、読む側は困ってしまいます。。。  

(無題)

 投稿者:Theimpossiblehashappened  投稿日:2010年10月24日(日)08時33分34秒 user-387g1vj.cable.mindspring.com
  送りました。  

狂人

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年10月19日(火)20時58分8秒 i219-167-242-211.s02.a015.ap.plala.or.jp
  『堕落の人から激励されたくもありません(笑)・・意識といいますか、感覚が本末転倒です。号令だけ、かけ声だけ、闘っているふり。みんなとっくに、お見通しです。このことに、何も思わない、何も感じない会員は、麻痺しています。盲信であり狂信です。』

全くそう思います。

小学校の時娘がいじめで不登校になり他の学校へ転校し、そこでもいじめがあってふたたび不登校になった時、クラスの父兄から「お茶しませんか」と誘われた事がありました。
てっきり娘の事でお話がしたいのだろうな、心配をかけてしまっているな、と勝手に憶測し待ち合わせの場所へ出向いてみるとクラスの父兄ともう一人、見知らぬ女性がいました。
嫌な予感がしたのですが、まあいいやと思い席につくと、「Kさん、福運って言う言葉を知っていますか。」とにこにこして言います。
あっけにとられながら話を聞いていると、「ここにコップがあるでしょう?コップに福運をどんどん積んで行くと人は幸せになるのです」と言う。
「そうでしょうねえ」と私が言うと、何か調子が出て来た様子でグングン話は進んで行き、終いには紅潮した顔で「お題目ってご存知ですか?」と言う。
私が「南無妙法蓮華経の事ですか?」と聞くと、「その通りです!Kさんは日蓮大聖人をご存知ですか?」と言う。
「佐渡の人ならみんな知ってますよ」と言うと、「大聖人様はこのお題目を上げる事でしか日本は救えないとおっしゃったのです!」と意気込んで言う。
「そうですね。私もそう思います。」と言うと、「Kさんは仏法を知っているのですか!」とおっしゃるので、「知っているというか。。はい多少。」と言うと、「何かの団体に入ってますか?」と言うので、「入っていません」と言うと、「実は私どもは顕正会と言います。」と初めて組織の名前を言いました。
なので、「宗教の勧誘なんですか?」と言うと、「勧誘ではなくて折伏と言います。あなたに福運を積んで頂きたいのです」と言うので、「だったら最初にそう言わなければいけないです。あなたも一生懸命なんだろうけれど私もわざわざ時間を作ってあなたに遭いに来ているのですよ。相手の都合を無視してはいけないです。私は福運を沢山頂いています。このような娑婆世界に生まれ、お題目を上げる事が出来ると言う事以上の福運ってないのだと思っています。」と言うと悪びれもせずに「仏法者なら話は早いです。今の日本がダメになって来ているのは全て創価学会と公明党のせいなんです。日本は池田大作が率いる彼らによって滅びる寸前です。それは創価学会が正本堂を破壊したからですよ!」と言う。
「一部同感の思いもありますがあなたの話には間違いがあって、正本堂を破壊したのは創価学会ではなく日蓮正宗です。謗法が寄進したものは取り壊すのが正しいと言って創価学会が寄進した正本堂を破壊したと記憶しています。いいかげんな事を言ってはいけないです。」と言いました。
自分で捏造した嘘をベラベラしゃべるうちに自分の嘘に自分で腹を立ててキレ、それを他人に見せつけて一体どうしたいのかと不思議な生き物を発見した気持で観察してました。
世にも珍しい生き物として人から観察されることを折伏と名付ける宗教もあるんだなとこの時初めて知った次第です。

自分が関わりを持つ学校に不登校者がいることをなんとも思わない感覚と言うのも、既に人として狂っていると言えるでしょう。
こんな狂人に折伏されても困ってしまう。。。
 

先生の写真

 投稿者:今日より明日へ  投稿日:2010年10月18日(月)23時59分59秒 softbank220058091171.bbtec.net
  本日の聖教新聞に、久方ぶりに、先生のお写真が掲載されていました。
スーツは、ぶかぶかで、眼もトロンとされ、見るに忍びない気持ちになりました。・・
明らかに、健康を損なわれているご様子に、万感の思いが込み上げて参りました。
かなり、お痩せになられていました。

最高患部のコメント(代表者会議)は、会員の激励に、徹しようという内容でした。違うでしょ。本来は、幹部が率先垂範して、大折伏戦の大波を起こして参りましょう!でしょ。
まずは、自分から10人の方を折伏いたします!でしょ。闘ってもいない。堕落の人から激励されたくもありません(笑)・・意識といいますか、感覚が本末転倒です。号令だけ、かけ声だけ、闘っているふり。みんなとっくに、お見通しです。このことに、何も思わない、何も感じない会員は、麻痺しています。盲信であり狂信です。インプリンティングです。

激痩せされている師匠の写真を見て、何も思わない会員は、弟子でもなければ、正統なる日蓮仏法の信奉者でもありません。

悲しいかな、先生の思いや心を求めている会員が少なくなっているのが現状です。少数派なのです。真に、学会の行く末を案じている真性の弟子が、マイノリティなのです。

世間は、いろんな問題が、一気に噴出しております。
 

早急

 投稿者:Theimpossiblehashappened  投稿日:2010年10月15日(金)03時09分49秒 user-387g1vj.cable.mindspring.com
  送りました。  

南里Guyさんへ

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年10月12日(火)15時20分2秒 i219-167-242-211.s02.a015.ap.plala.or.jp
  『地球民族主義の流布を阻む求心力をもつ「もの」』

了解しました!
そう考えると、国家主義思想はいじめの根幹にある思想ですね。
彼らは内面のキャパシティに問題があり、思考停止しやすく対話を拒否する特徴があります。
そういった人たちの、ある面お茶目な可愛らしさとその反面の、頑に我見を通そうとする意固地さが問題になるのだと思います。
できるだけ感情的にならないように対応しようと努力していますが、親程の年齢差がある相手に対して我が子のような愛情を注いで応対しなくてはならない状況は大きな心労になります。
企業であれば結果的に業務が滞る原因ともなります。
今の世の中、こんな企業がたくさんあるのではないでしょうか。
この状況を早く打開しなくてはならないわけでして、そのきっかけ作りに私も必死です。
 

(無題)

 投稿者:南里Guy  投稿日:2010年10月12日(火)10時58分52秒 nttkyo304191.tkyo.nt.ftth.ppp.infoweb.ne.jp
  佐渡の朱鷺さま、あらためて熟慮しないままツィートしたことをお詫びいたします。

この掲示板での方が却ってよかったです。

私のツイッタ―での「国家」とは、ここでの柚木照哉さんが拘泥している「国家」を指しています。その「国家」は、国籍の有無を問いません。地球民族主義の流布を阻む求心力をもつ「もの」です。

国構えに民の文字に、国構えはいらないとまで考える時もあります。

思考が足りません。柚木照哉さんへの意見も書かねばと思っていました。彼への話の重要な土台でもありますのでじっくり考えます。

これから出かけなければなりません。後ほどまた書き込みいたします。

http://twitter.com/nanriguy

 

お返事

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年10月12日(火)10時19分17秒 i60-34-219-51.s02.a015.ap.plala.or.jp
  南里Guyさんへ

ツイッターですが、書込みできなかったり、TLが見当たらないだとかの表示が出たりしてめちゃめちゃな事になっておりますので、忘れないうちにこちらでお返事させて頂きます。

国家の概念は通常膨大な奥行きを持ったものとなりやすいので、認識が異なるままそれについて話し合ったりすると気持の上での温度差の違いやらで感情的な摩擦が激しくなりがちな傾向があります。
なので国家についての話し合いをする時は、「国家」とはなにかと言う事に対してとりあえずのガイドラインを設定し、それに従って話し合うのが感情的な摩擦を防ぎながら議論を成熟させるために有効ではないかと思っています。

国構えに「民」と書いて「くに」とした大聖人の信念に大賛成し、同意しながら、私は国構えに「或」と書く「くに」のあり方について考えています。
「可能性」の試みに過ぎないかもしれませんが、やがては大聖人の唱えた「くに」のあり方へと続く道を模索している昨今です。
 

心こそ大切なれ

 投稿者:今日より明日へ  投稿日:2010年10月11日(月)22時15分43秒 softbank220058091171.bbtec.net
  佐渡の朱鷺さま

いえいえ、私は、自身の信仰体験や実感や確信を、一人でも多くの人に伝え切れば、それでいいのです。伝えることが、私の使命であると自覚しております。ありがとうございます。
一心の妙用。一念一心法界に普し。仏法の真髄です。心こそ、不可思議境です。心は、宇宙全体を包み込むというのが、不可思議境ですね。このことを、体得いたしました。
 

一心の妙用

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年10月11日(月)21時05分13秒 i60-34-219-51.s02.a015.ap.plala.or.jp
  今日より明日へさまへ

今日より明日へさまは、御書の事などとても詳しくご存知だし、先生のご指導も明確に捉えて下さっていて、ご自身が理解しているその内容をこうして見ず知らずの者に伝えて下さっていることに感謝の気持でいっぱいです。
いつもお忙しい時間を割いて長文でお答えくださること。
かけがえのないものを頂いている気持になります。
本当にありがとうございます。

そのご指導はたびたび私の脳裏をよぎり、そしてまた「殺す心を殺すのだ」と言うご指導と共に消えて行くのです。

一心の妙用。
不思議な御指導です。
 

「民」

 投稿者:今日より明日へ  投稿日:2010年10月11日(月)07時24分46秒 softbank220058091171.bbtec.net
編集済
  『そのころから、同中がカットされると言う事が起き始め、先生のお話と聖教新聞紙面上のお話が微妙に食い違いを見せていることを不審に思うことがありました。

ある時、「今後10年間は死んではならない。とんでもないことが起こる。天地がひっくり返る」と言う、先生御指導のプリントが男子部内に流れた事がありました。』

そうですね。16年ほど前になりますね。先生の本幹での発言と紙面上の内容が微妙に違って来ました。「今後、10年間は死んではならない。大変なことがおこる。有名人が落ちて無名人が出て来る。今がその天王山だよ」というような内容のプリントが組織に出回りました。私も、そのプリントをしばらく仏壇に置いていました。当時は、何が起こるんだろうと真剣に思索して、祈っていました。あの頃、先生の身に何か重大なことがあっていたのかも知れません。後日、あのプリントは、大阪から発信されたガセネタであると私の所属していた組織からは、おりてきましたが・・私には先生の直言としか思えませんでした。

誰が上でも下でもない。地湧の菩薩に、序列は付けられません。そもそも、人間に序列などありません。みんな平等で、一念三千の当体であり、南無妙法蓮華経の尊極なる存在です。
誤っているのは思想(宗教)です。思想の正邪です。内部も外部もありません。そのことが、身で解らない会員は、狂信になります。内にこもり、他を排除する洗脳に陥ります。盲目こそ、宗教のドグマです。独善になっていることにきずかない。大聖人からも、三代会長の心からも、かけ離れてしまっています。

大聖人の「国」という概念は、有名な立正安国論の原文には、国構えに「民」と書かれて「国」としたためられています。王様がいて、民がいるのではない。民衆がいて、国なのだと。民こそ、主権であり、権力者はいないのだと。受け取った北条氏は、激怒したことでしょう。「生意気な、貧乏坊主が!生かしてはおかぬ!」目に浮かびます。

また、海を隔てた大陸では、チンギスカンが猛威をふるっていました。中東はおろかヨーロッパまでも、勢力(領土)を拡大し、ユーラーシア大陸全体を支配下に置く、かのローマ帝国の支配領土を越えるほどであり、悪逆非道の戦争を仕掛けていました。猛烈なスピードでの奇行戦闘は、世界中の民の脅威でした。

アジアの日本だけは、神風がふいて、支配できませんでした。驚くべきことに、蒙古襲来を境に、チンギスカンの勢力が急激に衰えていきます。御本仏である日蓮大聖人様の目には、日本人だけではなくアジア全体、世界中の民が映じていた、民を救おうとされいたと確信しております。愚かなる石原莞爾などは、太平洋戦争を「神風」がふく神の国などとうそぶき、扇動しましたが。戦争にも大聖人を利用しました。正邪がひっくり返る。というペテンな芸当は、この国の宿命なのでしょう。

一庶民さん「先生を、自分の思いで伝えなければならない時代に入っている」のです。
先生を、真剣に求めている人が少なくなっているのです。
 

一般講義

 投稿者:一庶民  投稿日:2010年10月11日(月)06時21分18秒 w12.jp-k.ne.jp
  皆さんの地域では、今回はもう終えたんでしょうか?参加されましたか?
僕の地域では、二回ありますが、当初は一回のみの予定で連絡がありました。
でも今回、連絡が別々の理由で流れています。
面白いです。
一つは好評だったからというのともう一つは前回、参加者が少なかったからということでした。
先生亡き後何十年何百年は、こういったことになるのかなとつくづくと思い知らされた感じです。
先生を自分の思いで伝えないといけない時代になりましたね。
 

国ってなんでしょう

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年10月10日(日)07時38分14秒 i220-99-224-53.s02.a015.ap.plala.or.jp
  日蓮大聖人は、「一宗の為ではなく、一国のために言っているのだ」とおっしゃっています。
つまり、それほどまでに日本と言う国には問題があり、とんでもないのだと考えた方が良いと思います。
それは今も変わりない。
正義を守らなければならない検察等が率先して、極めて無様な姿をさらしています。

国とはなんだろう、と考えたこともあります。
さまざまな捉え方がありますが、日本国憲法をベースに運営される、日本国籍を有する民で形成される組織の総体、と一般的に考えた時、「日本国籍」を与えられない日本の大地に生まれた人々の存在を、私たちはどのように考え、対応するべきでしょうか。
 

「もう一度!」

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年10月 9日(土)21時37分8秒 i220-99-224-53.s02.a015.ap.plala.or.jp
  今日より明日へさま

『佐渡の朱鷺さんも投稿で述べられていますが、3~4年程前だったと記憶しておりますが』

私が投稿で述べたのはその時のお話ではありません。
次女が生まれる前でしたので、おそらく16年ほど前のお話です。
そのころから、同中がカットされると言う事が起き始め、先生のお話と聖教新聞紙面上のお話が微妙に食い違いを見せていることを不審に思うことがありました。

ある時、「今後10年間は死んではならない。とんでもないことが起こる。天地がひっくり返る」と言う、先生御指導のプリントが男子部内に流れた事がありました。
婦人部等には流れてこなかったのですが、たまたま主人と同じ会社の寮にいる部員さんの部屋で仏壇の掃除をしていて発見したもので、内容を読んで驚いた記憶があります。

「これなんですか?」と本人に聞いてみた所、要領を得ない返事が帰ってきたのでそれ以上追求しなかったのですがその事を思い出しました。

組織についてのお考え、同意します。
組織を離れて仏法はありえません。
基本は個人。
一人立つ個々人がスクラムを組む組織なら、誰が上でも下でもない、みんなが平等に尊重される民主的な組織になるはずです!

「もう一度!」
この言葉が肝心かなと思いました。
ありがとうございました。
 

学会組織

 投稿者:今日より明日へ  投稿日:2010年10月 9日(土)17時49分43秒 softbank220058091171.bbtec.net
  さて、お待たせしました。
現状の、創価学会の組織について、持論を述べたいと思います。
そして、佐渡の朱鷺さんも投稿で述べられていますが、3~4年程前だったと記憶しておりますが、本部幹部会の席上にて池田先生が明言されたことは・・

「もう一度、私と共に、新しい創価学会を創りましょう!」とおっしゃいました。

そして、その前後だったと記憶していますが・・

「今後、創価学会は、大変なことになる・・」と苦渋の表情で、おっしゃいました。今までで、見たこともない先生の苦悩の表情でした。

上記の、師匠のご発言により、創価学会の組織が、先生の思いとはかけ離れてしまった、完全に行き詰まったことは明らかです。先生は今まで、一貫して、組織から絶対に離れるなと言い続けられて来ました。しかし、ついに、先生自ら、組織の破綻(臨界点を越えてしまった)を宣言されるような事態にまで来てしまったと、おっしゃらなければならなかったということです。先生の最晩年は、あまりにも・・・

正しいことを言って、通るような組織ではありません。まだ、心ある人は内々でヒソヒソ話しをしているだけです。患部は、好き勝手やっています。何処に、未来があるのか・・こんなになってしまって・・・

大聖人ご在世当時は、組織という形態はありませんでした。中心者が、寄り会って大聖人様のお手紙を拝するぐらいでした。三代会長の死闘で、全国に座談会が創り上げられ学会の伝統になっています。座談会が基礎で、専従の本部職員がいて、組織が成り立っています。

見て、見ぬふりをする羊の群れも悪いし、中堅幹部も悪いです。極悪の輩がA級戦犯ですが、会員全体も、与同罪でしょう。ここまで来たら、組織は要らないのではないのか。と思いがちですが、組織は、絶対に必要です。原理原則、基本は、自身と御本尊様と正しく導いてくれる師匠。個人で、信仰して全く問題ありません。個人の成仏の問題は、解決します。しかし、立正の安国の境地に立ったら、そうはいきません。真性の法華経の行者は、その内なる魂のDNAの中に、「日蓮と同意ならば」の遺伝子を、生まれ持って宿しています。民を思う、その一念の心は、国にあります。

【日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外未来までもながるべし】という御本仏の宣言は、ながる(流れる)ということであり、水の流れのように、途絶えることがない。水の流れのように、蛇行しても、大岩があっても、大海(民衆)に流れるということであります。四季がある日本の気候は、「冬は必ず春となる」という宇宙の運行を、証明しております。大聖人様は、厳冬の冬は、絶対に暖かな木漏れ日の春(人間賛歌)になると仰せです。この、冬の時代は、通過点です。本門の時代は、これからです!学会組織の新生は、我々がやります。それが、生まれた使命だからです。
 

(無題)

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年10月 7日(木)08時20分2秒 i220-99-223-40.s02.a015.ap.plala.or.jp
  『全部、池唾駄作の責任です。』

そんなことはいちいち他人が指摘しなくても、そういう志で生きているのが法華経の行者と言う存在です。
世間に甘えるとあなた自身の発言権を失います。ご注意を。
 

佐渡の朱鷺さま

 投稿者:今日より明日へ  投稿日:2010年10月 7日(木)00時03分32秒 softbank220058091171.bbtec.net
  『障碍者、と言う言葉があまり好きではありません。』

私も、好きではありません。がンさんに配慮しました。しかし、佐渡の朱鷺さんは早すぎます(苦笑)

下記お題の【創価学会ってなんだろう】の内容文は、素晴らしい啓発でした。当に、クローズアップして、今こそ、皆が明確な回答を必要としているものです。書きかけていたら、お題が変わっていました。残念です。明日、時間があったら投稿します。流れるのが、もったいないです。・・素晴らしいです。
 

ありがとうございました。

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年10月 6日(水)23時27分22秒 i220-99-223-40.s02.a015.ap.plala.or.jp
  今日より明日へさま

がンさんのご紹介、ありがとうございました!
私も発達障害者です。
子どもの頃は「自閉症」を疑われていました。
少し違うんですが・・・。

最近、子どもの事で通っていたスクールカウンセラーに「高機能自閉症」ではないかと言われました。
おそらくそうだろうと思います。
その事に納得し、受け入れてから、人生が多少、楽になりました。
人と繋がる事ができるようになったからです。

適応能力が大変発達しているので、「ふつうの人」のふりをするのは上手なんですが、家族からは「宇宙人でしょ?」等と言われています。
そういう風に考えないと、家族もいろいろ大変なのだろうと思ったりしています(笑)

彼女はアスペルガー症候群で、自分の事を「わたしアスペちゃんなのにすごい頑張っててエラいです!」、と言ってました。
そういう彼女だからこそ分かる、人の悩みや苦しみがあり、分かるからこそ、対応の仕方も適切なのだなと感心しました。

障碍者、と言う言葉があまり好きではありません。
障害者、と言うのは、社会の、その個人への対応に不適切な場面が多々あり、本来ならケアされるべき事がきちんと為されなかったりして、人生において害を与える事が多い、と言う事なのだろうと私は考えています。
それを、個人の個性そのものが害であるかのような考え方をする。
「障害者」と言う言葉に、何かマイナスのイメージがつきまとうと感じる事を解決しようとして、単に言葉の上辺の表現をあれこれ取り違えて見たところで、社会全体が個人を平等に尊重すると言う心を取り戻さなければ、なんの意味もないことと思います。

本来みんなが平等に負担すべき、社会的機能のマイナス面を一個人になすりつけるような社会のあり方、根本的には、弱肉強食の能力主義のような社会のあり方は、近代教育の弊害だと思います。

学校教育からテストや成績表を無くし、知識詰め込み式の勉強方法を改善しない事には、本当の意味での「学ぶ力」と言うものを身につける事は難しいと思います。
そしてこれからの社会では、そのような従来のやり方では何もかも全くうまく行かないと言う酷い経験を積み重ねる事によって、少しづつ人類の真実へと肉迫して行く、そんな内発性の優れた学びが始まるような予感もしています。
 

創価学会ってなんだろう

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年10月 6日(水)22時12分38秒 i220-99-223-40.s02.a015.ap.plala.or.jp
  私は学会員ではありません。
脱会しようと思った事はありませんが、創価学会には統監があります。
転居先で組織に連絡をしなければ自動的に統監は抹消され、名目上は学会員でなくなります。
統監も、それぞれの地域の担当の方の考え方でいろいろです。
行方不明になった会員をなんとか探し出して組織につけようとする人もいれば、どうでもいいと考える人もいます。

今近所に創価学会の方がいて、新聞啓蒙をしに来て下さったりします。
会合のお誘いにきても良いですか、等と聞かれた事もありました。
どうぞ、とお答えしましたが、ですがそうなった時、自分のこれまでの行きさつを、例えば、見ず知らずの学会員がいる会合の中でありのままお話するのは、ある意味危険な事だとも考えています。
誤解のないようにお話をして、きちんと理解して頂くのは本当に大変な事なのです。
ですから私は学会員ではないのです。
これは私の責任ではありません。
正しい事に対して聞く耳を持たない学会組織の責任なのです。

自らの矛盾した論理によってまじめな会員を組織から追い出す様な事をしておきながら、外部に向かって偉そうな事を言える筋合いなどこれっぽっちもありません。

ある時池田先生は、同中で、「青年部!新しい創価学会を作りましょう!」とおっしゃった。
多くの青年部がハイ!と返事をしていましたが、先生は首を傾げて、ボソっと、「・・・わっかんねえだろうなあ・・・」とおっしゃっいました。
その後、「組織と言うのは、自然発生的で無ければならない。」ともおっしゃいました。

私はこんな風に考えるのです。
統監等の形式ではなく、見えない心と心の絆でつながる決して壊れない連帯があってこそ、真の仏意仏勅の組織と言えるのではないだろうかと。
その、名も無き人間の連帯にこそ「心こそ大切なれ」とおっしゃった、大聖人の仏法の真髄、信心の血脈があるのではないだろうか、と言うことです。
 

いじめられっこの元祖

 投稿者:今日より明日へ  投稿日:2010年10月 6日(水)21時53分13秒 softbank220058091171.bbtec.net
  私が、がンさんと初めてお会いしたのは、南里Guyさんと初めてお会いした、その日です。
場所は、JR信濃町駅構内でした。とても誠実な正直な方でした。

お約束していた、アスペルガ-の障碍者手帳も、直ぐにみせていただきました。
佐渡の朱鷺さんも、実際にお会いされたら、ああなるほどと納得されるでしょう。
兎に角、とても正直な方です。文章では、ちょっと!?と思われるでしょうが、お会いされたらわかりますよ。気真面目な、ご自分が納得いくまで、どこまでも追求されるお姿は、粘り強く、ご忍耐の持続性に打たれます。

また、私的には、ある種の天才的なものを、がンさんには感じております。今後とも、よろしくお願いいたします。大変に失礼ですが、「いじめられっこ」ということには、通底されているようにも感じます。

佐渡の朱鷺さんには、小学校の時分からの、生々しい体験を語って頂きました。・・
私も、教室では浮いた存在でした。いつも、帰りの会(ホームルーム)では立たされていました。決まって、私のせいに仕立て上げられてもいました。何もかも(笑)
高校生の頃は、「いじめられっこ」をかばって、私も大勢からいじめられました。あまりにも、悲惨ないじめられ方をしていたので、見るに見かねて「やめろ!」と代わりに言ってやりました。・・リーダー格のヤツは、急に態度を変え仲良くしに来ましたが。

私も、生まれつきに、「いじめられる」素地を持っています。おっしゃる通り、使命です。正義感が強い人間は、この国ではいじめられます。多勢に無勢。筆舌に尽きぬ壮絶ないじめの連続。・・

いじめ抜かれて、上等ではありませんか!日蓮大聖人は、日本中の民からいじめ抜かれました。「日蓮のクソ坊主が!日蓮だけは、生かしてはおかぬ!」来る日も来る日も、命をつけ狙われ、謀略、悪口雑言の数々。讒言は、日常茶飯事。大聖人ほど、いじめぬかれた人はいないでしょう。それでも「いまだ懲りず、候」山と山を重ね、波と波をたたむ。大難の真っ只中。それでも、民を救おうとされました。ただ、ただ、民衆に法華経を伝えるため・・
何というご慈悲の深さでしょうか!我々は、その末裔です。何という生命の絆と連続性でしょうか!すごいことです。ありがたいことです。いじめに遭うことこそ、法華経の行者の証ですね。

佐渡の朱鷺さんの活字は、生きています。十二分に、伝わっております。ありがとうございます。とんでもない話しです。患部は、邪教の信奉者です。人権蹂躙の極致ですね!
 

がンさんへ

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年10月 6日(水)07時29分19秒 i220-99-223-40.s02.a015.ap.plala.or.jp
  はじめまして!

以下の文面、内容、良く分かりませんでした!
しかし今度ともよろしくお願いいたします!
 

な~んで、そ~なるの!

 投稿者:がン  投稿日:2010年10月 5日(火)21時44分59秒 ntsitm215168.sitm.nt.ftth.ppp.infoweb.ne.jp
  逆説的にも、それを言っちゃいけません。
佐渡の朱鷺さんの「……しまえ」の後ろ二行以外は全て同意します。
私も、今でこそアスペルガー障碍(碍の字は常用漢字入れて欲しかった)
(碍に害の字をあてることで障碍者が社会における害虫と見なされやすくなる)
(碍には碍子(ガイシ:電柱・電線に付いている主に陶製によるもの)という用法もある)
と診断名が付きこそすれ、昔は変人としか表現されようがなかった。
休めることなら休みたいが、休めるだけの理由は用意できない、
ならばと、真理「マコトのコトワリ」を求める場の一つと位置付けました。
人とは毛色が変わっている人物は、和を乱す害虫と見なされがちではある。
が、毛色が変わっているからこそ、人類の進歩の契機になる場合もある。
真理には、それ自体には価値がない。しかし、確固たるものという意味で、
基準点として、原点として、生きるヨスガとして、大事なものなんです。
大御本尊、そのソウミョウあっての大聖人の御金言であり、池田先生の訓示です。
 

大悪起これば大善来る

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年10月 5日(火)21時23分49秒 i220-99-223-40.s02.a015.ap.plala.or.jp
  先輩が除名になった件で動いていた時に、ちょうど市会議員の選挙があって私は「創価学会がこのような人権侵害を行っていると言う事をみんなはどう想いますか」と公判書類を持って地域の婦人部幹部に聞いて回った事があります。
私が腹立たしかったのは、資料を読みもしないのに「大体内容は分かります。」と言うのです。
読みもしないのに分かるとか超能力者ですか?そんな対話はおかしいのですよ。
「読んで下さい。読まないと分かりません。話になりません。」と言っても、「いやいやいやいや、その必要はありません。読まなくても分かります。」等とまるで江原さんとか美和さんのようにもったいぶって言う。
押し問答の末には、「あなたに幸せになって欲しいの!だから!」等と言って涙を流して懇願する。
だからなんですか?
悪を見逃して欲しいのと最後まで正直に言いなさい。言えないくせに。

またある時は、合唱団の幹部が突然精神を乱してご主人を怖れ出し、離婚したいと言って我が家に泊まりに来た事がありました。
彼女の震えは止まらず、いろいろ聞いてみた所、ご主人の性的暴力が止まないことに恐怖を感じている、との事でした。
突然の事で驚きましたが、その方の所属する圏幹部に連絡を取って、「◯◯さん一家がおかしな事になっている」と言うと、「私は組織上の付き合いをしているだけでそれ以上の付き合いはしていない、あなたが親しくしているみたいなので宜しくお願いします、等と突き放す。
私だってそうですよ。というか、私よりはその幹部の方がずっと彼女との付き合いは長かった。
ガタガタ震える彼女にインスタントラーメンを作り、その横で必死に題目をあげました。
彼女の震えはようやく止まり、離婚して、子どもを連れて実家に帰るだけの心の力を取り戻す事ができました。

困っている人、悩んでいる人、苦しんでいる人を助けるのが、創価学会の組織だったんです。
それを幹部が、「組織上の付き合いしかしていないから」とは何事かと想いました。
挙げ句の果てには、そういう事情で私が会合に出れない事も分かっていながら、「会合に出てくれないと困ります。問題です。」等と叱責して来る。
このままではいかんと思い幹部指導を受けに行った私に、「あなたが弱い人間だからそうなった。あなたがもっと強い人間だったらそんなことにはならなかった。」との高笑いの指導。

全く耳を疑いました。
幹部の精神錯乱がなぜ部員のせいでしょうか。
それに弱い事は悪い事でしょうか?
創価学会は弱者の味方ではなかったの?
強いものは弱いものを助けるものではなかったの?
強いと言うことは弱いものを踏みにじる事が許されると言うことなの?

本当なら「その幹部の組織の捉え方には問題があります。創価学会はそんな冷酷な組織ではありません。」と言い切らねばならないはずです。
私に指導をした幹部にはその強さが足りなかったのです。
私はその幹部をとても慕っていましたが、後から良く考えて見て、私は彼女に利用されただけだったのかもしれないと思います。
それが私の弱さだと言うなら分かります。もっともです。
ですがそれを言う資格はその幹部には無いはずです。お門違いもいいとこです。
その幹部は、「自分は鬼子母神に似ているからだめだ。」等と常日頃言ってましたが、鬼子母神と言うのは法華経の行者を守る諸天善神の一つです。
彼女の行いは逆の事。弱者を踏みつけてどうする。鬼子母神と言うかただのクソババアじゃないか。
彼女は何か勘違いをしていたようです。

私はその後公明党の支援をお断りした事で、会合に出席しても幹部から無視されるようになりました。
議論しても盲信の輩は墓穴を掘るだけで絶対に勝てません。もしくはスピリチュアルオーガナイザー江原もどき氏の登場です。
ましてや私は議論に勝ちたいと言う気持など持っていません。
ただ真実をそのまま述べているだけですから。

そうこうするうち、自宅が火災になり全焼しました。
出火原因は不明です。
消防署長が学会員だと言う事で、まずそこに酒を持って行ってくれと学会員の大家さんに言われたのでそうしましたが、まだ火がくすぶっている状態で酒持って来いですよ。
はっきりいってバカじゃないかと思いました。

借家はほぼ全焼でしてなんの傷跡もなく焼け残ったのは仏間だけでした。
主人は何を思ったのか、100万はしたであろう仏壇を担いで投げ飛ばして破壊しました。良い運動になったようです。
我が家は地区拠点でしたので、会場用の大きな仏壇でした。
しかしそんなものが大事なのではないのだと言う事がこの時主人の胸にはあったと思います。

焼け跡で近所の人とすすだらけになって作業をしているといきなり幹部が学会スーツのようなのを着てハイヒールでやって来ました。
近隣の人たちは場違いな恰好で現れた幹部に不快感を隠さず、「何しに来たんだ」と言う顔をしていました。
しかし彼女たちは突如として、近隣の方々が火災現場の後始末をして下さっている中で、「やっぱり公明党はすごいなあ~」「そうやな~やっぱり公明党やな~」等と素っ頓狂な事をベラベラと言い出したのです。
そして近隣の方々に、「お世話になります」等と頭を下げて回っているのです。
てか、私たち幹部になんのお世話をしなければいけないのでしょうか?要らないものを投げ飛ばして処分しているだけなんですが?

こういう様子をずっと眺めていた近所の方が、「創価学会なんて何もしてくれへんやん」と憤っていました。
しばらくすると、引っ越し先を公明党の議員さんが確保して下さったのでそこへ引っ越して下さいと、組織を通じて連絡がありました。
私が返事もしないうちから引っ越し先が決定しており、しかも公明党の支援を断った直後にそんな事してどうしたの?
その事に恩着せがましさを感じた私は、火災の時におでんや肉まんを持って慌てて駆けつけてくれた、創価学会を相手に裁判をしている尼崎の夫妻の家の近所に引っ越す事に決めたのでした。

彼女はその時、面と向かって確信ある言葉を何も述べる事の出来ないバカ患部共の目の前で、堂々と胸を張って言いましたよ。
「大悪起これば大善来る」と。
 

御本尊様など捨ててしまえ

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年10月 5日(火)17時05分51秒 i220-99-223-40.s02.a015.ap.plala.or.jp
  小学生のころ、激しいイジメにあった私は、学校と言う場所に対して多くの人とは違う認識を持っていました。
授業中の発言などから、「変なやつ」と言う陰口からはじまったイジメは次第に暴力行為になり、「死ね」「刑務所入れ」「キチガイ」等の大合唱になってゆきました。
いじめっこは体格の良い男子で、全ての生徒がその子の言うなりになっていましたし、仲良くしてもらえると嬉しそうにする子が多かった。
彼は私を自分に従わせようとして、「泣かせる」ことを目標にしてがんばっていたわけですが、自宅ではもっと酷い虐待を受けていたし、いじめ以外にもさまざまな問題を抱えていましたので、それで泣く事はありませんでした。
その事が彼をエスカレートさせてゆき、休み時間等には性的な虐待がしつこく行われる様になりました。
既に私は彼によって刑務所にいれられても良いくらい変なやつだと言う話になっていましたから、私へのいじめは歯止めがなくやり放題でした。
自分が情けなくなり少しでも涙をにじませると、「おい見ろよこいつ、涙が光ってるぜー!」等と言って狂喜乱舞して大騒ぎします。
彼にあこがれの気持を持つ女子生徒はそういった行為を嫌がらずに受け入れ、楽しそうにいしているわけでして、なので彼にしてみればそれらの女子とは異なる私の反応が、全く不可解で気に入らなかったのだろうと思います。
然しクラス担任も彼がクラスをまとめていることに依存したクラス運営をしているため、相談することは危険でした。
万が一、私の方に非があると言う様な事にされてしまえば、その後何をされるかは自明の事です。
私の子どもの頃は、まだ不登校等と言う権利は確立されていませんでした。
休みたい等と言うこともできず、学校へ通ううち、意識が朦朧としてくることがありました。
それである時、授業中に倒れてしまった。

このいじめっこの彼やその周辺の生徒は、とても明るく人気ものです。
授業態度も悪くは無く、スポーツ万能で成績も悪くありません。
一見、強い正義感を持つ人びとにも見えます。
それなのに、一旦特定人物を「悪」と決めつけると「こらしめてやりたい」と言うエゴが暴走し、虐待のスイッチが入ってしまうようです。

なぜ、こういった事が起きるのか。
私は当初、自分に問題があるのだと考えていましたが、信心するようになり、先生のさまざまな提言等を読むにつけ、私の心を覆っていた霧が少しづつ晴れて来るのを感じました。
それまでの学校生活の経験から、私にとって「先生」と呼ぶ事ができるのは池田先生だけだと言う思いがはっきりとして来るに連れて、自分に問題があったのではなく、日本と言う国家そのもののシステム、なかでも教育のあり方が大問題なのだと言う事が分かって来ました。
意識がはっきりしてくるにつけ、やがて娘たちもイジメの被害に会うようになりました。
私は不登校児の親として、不登校という負の現象を正の現象に置き換える心理面の作業に取り組むようになりました。
私はいじめを行う子どもたちの本質的な問題点は、国家的戦略によって製造された自覚なき「二重人格者」と言える存在がベースになっているように想います。
それらを検証するうちに、原理主義的キリスト教の存在に行き着きました。
イラク戦争は、それらの勢力が結集されて起きた殺戮だと言えるように想います。

創価学会の会員と言うのは、本来は、池田先生のお心を一人でも多くの民に伝えることによって、国家的に製造される不幸の連鎖を断ち切って、民衆同士が繋がって平和の一翼を形成するための、伝道師のような役割を担う存在です。
そうであればこそ仏意仏勅と言えるのです。
然し現実はどうでしょうか。
先生のお心を伝えるどころか、先生を権力の権化のような存在に誤解させ、非難中傷の矢面に立たせ、自分が出世することだけを考えている。
苦しむ民と繋がろうともせず、助けてくれと声を上げれば、「難しい」「厳しい」「あの人は学会員じゃないから」と、面倒臭そうに手を引っ込める。

折伏精神はどこにあるのか。
御本尊様はアクセサリーですか。だったら捨ててしまえば良い。
増上慢も甚だしいのです。
 

大きな使命

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年10月 4日(月)08時21分49秒 i220-99-223-40.s02.a015.ap.plala.or.jp
  丁度それくらいの時期にあった事で思い出す事があります。

スカパーでBBC放送が入るチャンネルがあり、たまたま見ていると、創価学会特集と言うのがあり、池田先生がインタビューに答えてました。
インタビュアーが、創価学会の目的や、存在意義等を質問すると先生は、「あのー・・・いじめられっこなんです」とおっしゃった。
このことがとても印象に残りました。

いじめっこたちが大きな顔をする娑婆世界。
いじめられっこたちは、迫害され、心をバラバラに壊されながらも、静かに闘い続けて来ました。
私が最も許せないのは、いじめの事実を否定しようとする動きです。
いじめられっこが表に出なくなれば、事実を訴えるものはだれもいません。
いじめなんてなかったのだと隠蔽される事があれば、彼らの立場に立って闘って来た人びともただの偽善者になってしまう。
いじめられっこを永遠に隠蔽しておくためのシステム、権力構造のシステムを見極めながら、私たちはその構造から一歩、外側へ出なくてはいけませんでした。
巨大な山を動かす様な事です。
然し山は動きます。
地殻変動によって。

私たちはいじめの問題を通して、「人権」について学ぶ機会を得る事ができました。
そういう意味では、この世に生まれて来た以上、いじめにあうことは必然だったと言えるかもしれません。
志半ばで意識を失い、倒れた同士もたくさんいます。
彼らを責める訳には行きません。
そうなりたくてなったものはいないからです。

大きな犠牲が払われて来ています。
しかしそれは一体、なんの為か。
人権についての学びの先で、私たちが為さねば成らない事と言うのは、一体なんなのだろうと考えます。

それだけ人類社会に大きな実りを齎すものだと言えるのではないでしょうか。
私たちには大きな使命があるのではないかと思うのです。
 

創価学園生(17歳)の告白

 投稿者:今日より明日へ  投稿日:2010年10月 3日(日)20時27分15秒 softbank220058091171.bbtec.net
編集済
  先述しております、私が小平市在住の頃、そう今から15年前に聞いた、ある創価学園生の子の、思い詰めた打ち明け話しを紹介いたします。・・

その子は、私の大切な部員さんでした。・・彼は、たまに地区の座談会に出ていましたが、いつも憂鬱で、何か深刻な事を抱え込んでいる様子でした。ある日、思い切って胸の打ちを吐き出させようと「何でもいいから、とにかく本音を話してごらん」とやさしく語りかけました。かなりの躊躇した表情でしたが、じっくりと待ち、耳を傾けると・・・せきを切ったように、一気に話してくれました。その内容たるや、驚くべきものでした。その一端をここでご紹介します。

それは、『学会本部の経理部長が、財務のフロッピーディスクを持ち出し、先生を恐喝している。事態は、深刻になっている。』というものでした。実名も飛び出し、よりリアルに、より心を打つ内容でした。

学園生「僕たちは、そういうことについて、友人と話しあったりしています。中には、不倫したりいろんな人たちがいます・・でも、そんなことを、ほとんどの学会員が知りません。聖教新聞は、キレイごとばかりじゃありませんか!?」「どうしたらいいのでしょうか・・」

私は、それを聞いたとき、ついに学会も、くるところまできたな・・と確信しました。
学会活動に於ける矛盾も、辻褄が合い、深く納得しました。そして、心中深く決意しました。一人、学会を背負い、自分が「一人立つ!」と捨て身で本部改革に立ち上がろう!と。
思索を重ね、知り合いの本部幹部に相談し、私が本部職員になろうと。そして、一気に改革の狼煙を上げ、一般世間に向って、社会に大々的に情報公開、発信しようと。・・無我夢中の捨て身の覚悟でした。・・・

結果、縁がなくなれませんでしたが、これも御本尊様の導きだろうと当時は、思いました。本部の体質が、いかにずさんであり腐敗しているか、恐ろしい限りです。折伏もせず、世間に打って出ている様子もなく、多くの会員の前で号令だけ。
浄財で、生活させていただいているという自覚も報恩の念も、全く感じません。これでは、おかしくなるのは当たり前です。

学園生の子たちは、大幹部の息子や娘が多いことから、立場上、表には絶対に出ない情報を多く知っています。知り過ぎているゆえに、純粋な心で苦しんでもいます。理想と現実のギャップの狭間で、悩んでいます。親が大会合で、信心の功徳の話しをしても、実際に家庭の中では、勤行もせず、夫婦喧嘩が絶えないことも、浮気をしていることも、悩んでいます。切実です。・・

誰が、こんな学会にしたのでしょう。大幹部だけの問題ではないはずです。見て見ぬふりをして来た、実態を知っていたのに、危機感を持っていたのに、立ち上がらなかった。誰かがやってくれるだろうとみんな思って、結局、今日まで来てしまったのではないでしょうか!ことなかれ主義、ご都合主義が蔓延してしまい、立正の安国とはほど遠い日本国の現状があるのではないでしょうか!先生の晩年の苦悩は、あまりにも深いと嘆いているのは、私一人ではないはずです。

私は、叫びます。真の同志に訴えます。大変なところまで、来てしまった!と。
 

黄金の文字

 投稿者:今日より明日へ  投稿日:2010年10月 2日(土)23時36分36秒 softbank220058091171.bbtec.net
  民衆を、塗炭の苦しみ(地獄の炎)に突き落としている根本の因は何か・・
ただ、ただ、民を思われ。わが子の如く慈愛の光で照らし、一切の衆生を背負われた御本仏の結論は、たぼらかされ民衆に法華経を捨てさせた邪師にあると宣言されました。

『彼の万祈を修せんよりは此の一凶を禁ぜんには』

昨今の、日本の討ち続く災難の根本の原因は、会員をたぼらかし、放蕩に耽る本部の最高位の幹部どもにあると、私は確信しております。会員も盲信ではなく、正信で「南無妙法蓮華経」と唱えることが、立正安国となります。これだけの人間(会員)が、これほどの地湧の菩薩がいて、日本が行き詰っている現状は、絶対の御書に照らして矛盾しております。

自分の頭脳で、考えたら、誰でもわかることです。目覚めた会員が増える、真の法華経の行者が少しでも多くなったら、日本は良くなるはずです。

『一凶』を禁ずるには、責めることであり、知らしめることです。54年からの膿を出し尽くさなければなりません。師と共に。

邪師とは、○○○ ○○○○ ○○○○○ ○○○○ ○○○○ ○○○○等です!
最後の最後は、宇宙の根源の力が発動し、驚天動地の事が起きるのは間違いないでしょう。
大小の災難は、通過点に過ぎません。
 

立正安国論

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年10月 2日(土)21時19分43秒 i220-99-223-40.s02.a015.ap.plala.or.jp
  『とんでもない邪義であり、目的を理解していない独断の姿です。こんな大馬鹿な人権蹂躙の幹部は、即刻除名にすべきです。』

『彼の万祈を修せんよりは此の一凶を禁ぜんには』
同感です。
 

本末転倒

 投稿者:今日より明日へ  投稿日:2010年10月 2日(土)16時02分14秒 softbank220058091171.bbtec.net
編集済
  「広宣流布の為には必要のない人間がいるのだ!」・・・!?

とんでもない邪義であり、目的を理解していない独断の姿です。こんな大馬鹿な人権蹂躙の幹部は、即刻除名にすべきです。悲しいかな、もはや全国津々浦々で、平気に行われているのが実態です。ストーカー犯罪です。刑法も知らないのでしょう。また、大幹部の意向に逆らったら、出世できないのも現状です。(アホか!)・・全く、妙法の真の世界を知らない連中が、指揮を執っているのが今の創価学会という仏意仏勅の団体の一凶です。

ところで大阪地検の主任捜査官である前田が逮捕され、直属の上司も証拠隠滅で逮捕されました。最高検は、大阪地検特捜部の責任に仕立て上げていますが、数々の捜査の意思決定をしたのは、最高検でしょう!前田氏は、利用されたに過ぎません。ことの本質は、ある意味、何の解決にもなっておりません。トップが責任追求を恐れ、トカゲの尻尾切りをする姿は、学会も同じです。組織という団体は、トップで決まります。

信仰の世界も、確信がない人間(職員)を幹部に据えているからダメなのです。副会長の息子や娘が創価大を卒業して、口利きでなってきたのが現状です。本部は、好き勝手に人事を決めてきました。・・末端の会員には、先生が期待されていると何とか言ってうそぶく。この繰り返し。常套手段化してしまって、今日があります。先述した、最高検の問題も客観的に判断出来る第三者委員会の設置の方向へと向っています。学会は、宗教法人であるがゆえに、更に問題解決が困難です。

『小平の上水本町には私の親戚の家があり、私も東京在住の頃はそのあたりを良くうろちょろしていましたよ。
とんかつ屋さんを営んでおり、隣が聖教新聞の販売店でした。』・・

そうでしたか!必然を感じております。
 

今日より明日へさまへ

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年 9月26日(日)21時18分36秒 i220-99-223-40.s02.a015.ap.plala.or.jp
  >自宅を数人で連日見張られ、尾行され組織中に師敵対の極悪人という流布

分かります。私も宗門問題の最中に組織を移った関係で婦人部サイドから宗門信徒と間違われ、そういう事をされた事があります。
どういういきさつで疑いを持ったのか良く分かりませんが、その時の状況が状況なだけに幹部は殺気だっており、「広宣流布の為には必要のない人間がいるのだ!」と凄い剣幕で怒鳴られました。
驚きました。
そんな言葉を仏法者が言う事が私には信じられませんでした。
もっとも私は尾行などされている事に全く気付かず、後から私の尾行をしていた男子部幹部から「実は聞いて頂きたい事があります・・」と打ち明け話をされました。
彼は、幹部からそれをやれと言われてやってしまったわけですが、罪悪感に苛まれ、自らの行為を私に打ち明け謝罪をして下さったのです。
ストーカーはれっきとした犯罪行為であるわけですので、本来なら私が警察にでも訴えれば問題にすることもできたのですが、その方の誠実な態度と、以前大石寺で警備をしていた時、先生に偶然お会いしてじろりと睨まれた経験を思い出し、その時にふと自分のしていることに対して何故だか疑念が生じたのだと伏し目がちにおっしゃっていました。
私には良く分かりませんでしたが、自身の偽らざる気持を述べて下さった彼の態度は誠実なものとして私の中に残っています。
そういった正直な心情を聞く事で、(彼らも迷いの中でどうしたら良いのか分からず、確信の持てないまま幹部の言うなりにするしかなくて、心がせめぎ合い苦しんでいるのだな)と感じたことがありました。

今日より明日へさまは小平市にお住まいだったのですね。
小平の上水本町には私の親戚の家があり、私も東京在住の頃はそのあたりを良くうろちょろしていましたよ。
とんかつ屋さんを営んでおり、隣が聖教新聞の販売店でした。
バイクで駆けつけてはとんかつを食べていました。
数年前に火災で燃え、今は少し離れた所にお店を移した様ですが。。。
なつかしい思い出です。
 

同志の絆

 投稿者:今日より明日へ  投稿日:2010年 9月26日(日)02時29分46秒 softbank220058091171.bbtec.net
編集済
  【尊いこの一生を、真の正法流布の為に共に闘い抜きましょう! 】

共に、闘い抜きましょう!

学会のこのままの状態が、長く続くわけがありません。異常事態が露骨になって、深刻さは増しています。大聖人様の御金言は絶対です。本部は魔性に魅せられ、食い破られています。仏と対極にあるのは魔。新生(再生)への過渡期です。大乗の国とは、日本です。日の出る国。世界で一番大事なのは、この島国です。御本仏が生誕されました。古代インド地方で成立した法華経という予言書は、明らかに日本が視野にありました。

大聖人様は、ご自分のことを、本仏であるということを極力避けられました。僅かに御義口伝で述べられているだけです。民を救うということに、どれほどの御慈愛を注がれていたかが偲ばれます。極刑判決のでた佐渡流罪。HN佐渡の朱鷺さんは、えにし深い方です。鎌倉時代、お仕えされた方なのかもしれません。尊いことです。

御書を開く度に、目頭が熱くなります。感極まって涙します。海よりも深い、山よりも深い慈愛のご一念に胸がうずきます。三代会長の死闘に、今、どれぐらい人が心を打たれているでしょう。我々は、久遠からの同志です。疎外感や孤独感を感じる必要も遠慮も要りません。生命は、永遠に連続する劇です。真正の地湧の菩薩の魂は、絶対に腐りません。それが、使命だからです。
私は、27歳のとき、不可思議な体験をし永遠の生命を体感しました。思えば、この一生もこの一瞬も、鎌倉の治世の世も、いとおしくてなつかしいです。極悪のやからは、いつの時代にもいます。獅子は伴侶を求めず、日蓮と同意ならば。その心で、純潔の魂で、師と共に実現しましょう。その心は、大聖人様と、御仏の意思と直結しております。

すっきりと心に届いております。
 

今日より明日へさまへ

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年 9月25日(土)14時01分11秒 i220-99-223-40.s02.a015.ap.plala.or.jp
  『本当は、平凡に生きたかった』

良くわかります。
私もずっとそう思いながら、自分が世間からなかなか理解されない存在であることを、恥じたり、恨んだり、悲しんだり、疎外感と絶望の中を彷徨いながら生きて来ました。
生まれて来たのが間違いだったと感じ、自殺しようと思った事もあります。

憧れ続けた平凡な暮らしをやってみた事も在りますが、自分のどこかが欠落してしまったような虚しさを感じました。
それは自分ではないようでした。
世間の感覚が、あまりにも私の自然な感覚とかけ離れているために、安閑として過ごしていると余計なジレンマを抱えてしまい、魂が腐ってしまいそうになるのです。

平凡な暮らしは尊いものです。
然し、極悪の輩がのうのうと大きな顔をしている今は、今はまだ安らぎの中に帰る訳には行かないのでしょう。

波瀾万丈の人生です。
どんな暗闇が襲って来ても、わずかな光を感じる方向へ手を伸ばすことを諦めなかった。
その結果、こうして幾人かの同志にも巡り逢う事が出来、私はもうそれほどの疎外感や、孤独感は感じません。
真金のごとく磨き抜かれた魂は、無理解や、無神経な侮辱や軽蔑に打ちのめされたりもしないでしょう。
私は希望を感じています。

尊いこの一生を、真の正法流布の為に共に闘い抜きましょう!
 

人事権と除名権

 投稿者:今日より明日へ  投稿日:2010年 9月25日(土)08時22分36秒 softbank220058091171.bbtec.net
  佐渡の朱鷺さん 皆さん

いえいえ、こちらの方こそ、お心遣いを頂いております。
ご心配していただき、ありがとうございます。仕事は、楽しくしたいものですね。
私は、いつもいつも仕事が激務になります。・・

特殊な能力はありませんが、特殊な使命はあるのかもしれません。マイペースが一番いいのでしょうね。マイペースでは生きられない、許してはもらえないのでしょう。
本当は、平凡に生きたかったですよ。(笑)

激励とフォローをしていただきました。感謝です。

南里Guyさんのような方が、佐渡の朱鷺さんのような方が、創価学会の組織におれなくなっている。・・・学会も、来るところまで来ていますね。素晴らしい心根を持ち、人のことを、真剣に思いやられている学会の宝のような人材が、慈愛の人が、居場所がなくなっている。この日本を、民を憂い、学会を憂い・・責任感や正義感が強い人ほど、先生を求めている人ほど、組織から排除されてしまっています。

現状、学会ほど「集団いじめ」の最たるものです。私も、自宅を数人で連日見張られ、尾行され組織中に師敵対の極悪人という流布をされました。根も葉もないすり込み、イメージをうえつけられました。悪辣な職員幹部は、指示を出し顎で会員を使い、組織ぐるみで孤立無援状態に追い込む。もう常套手段ですね。こちらは、そんなこと分かりきっていて、会員さんのことを思い、止むに止まれず立ち上がっただけです。「学会は、このままいったらとんでもないことになる!」そう確信したのは、東京に在住(小平市)していたころ、20代中盤でした。創価学園生の子達と触れ合って、悩みを聞いていたころにはじまります。決して、表には出ない情報を彼等は知っているのです。純粋であるがゆえに、心の葛藤の闇が深い。当時の男子部での学会活動も矛盾だらけでしたが。あちこちで、幹部と衝突していました(笑)

実感としての「強烈な危機感」を抱いていました。ただ、学園生の子たちの生々しい打ち明け話しには、驚嘆しました。それほどの情報だったのです。
「宗門問題」の後は、「本部問題」。総区の教学部長も、私と語り合ったとき、耳うちしてこられました。みんな、ある程度、その実態を知っていながら恐れているのです。権力を持った畜生どもに。人事権を持ち、除名権をもっているヤツ等を!

私は、創価学会の再生を、真の正法の興隆を、何としてもやり遂げなければならない!と一人立っています。それが、私の今世の使命です。先生に、申し訳ない。民衆に申しわけない、大聖人様に申し訳ないと、いつも思っております。心臓の鼓動が止まった瞬間に、今世の使命が終わります。そう、確信しています。
 

今日より明日へさまへ

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年 9月23日(木)20時35分2秒 i220-99-223-40.s02.a015.ap.plala.or.jp
  お心遣い頂いてありがとうございます。
今日より明日へさまは大体私と同年代でしょうか。
働き盛りで、何かと重圧がかかる年代かもしれませんがご無理をなさいませんように。
休めるときはしっかり休んで充電するのが正しいと思います。
仕事は楽しくやりましょう。
楽しいから、頑張れる、楽しいから智慧が涌く、楽しいから雰囲気が良い、そんな職場が良いと思います。
無理なことをして良い仕事はできないし、思う結果は出ないと思います。
一人の無理は全体にたたります。

とは言っても、特殊な能力を持つ人に仕事が集中することは致し方のない場合もあります。
そのあたり、きちんと采配できる方が身近にいらっしゃると良いのですが。
どうかお疲れになりませんように。
私はいつもマイペースですのでお気になさらずいらして下さい。
 

一人立て!

 投稿者:今日より明日へ  投稿日:2010年 9月23日(木)15時53分24秒 softbank220058091171.bbtec.net
  佐渡の朱鷺さん

レス遅くなりました。一昨日と昨日、仕事が多忙で疲労困憊しておりました。パソコンを開き、文章を書く時間もありませんでした。申し訳ありませんでした。以後、ご了承ください。

『精神的な自立を目指す平和主義の子どもたちと言うのは、大抵は天涯孤独の状態で世界のすみっこに追いやられます。
世界の亀裂の中に落ちています。』とのこと。

子供たちこそ、近未来の社会を決定ずけます。子供たちこそ、未来の希望です。天涯孤独など、絶対に有ってはならないことです。大人たちの社会の闇は、益々深く、残酷になっています。一人でもいい、真に理解してくれる人が周りにいれば生きて行けます。悲鳴を上げています。教育改革は、一向に進んでいません。戦後、GHQの民主化政策で6・3・3・4制度が導入されてから、抜本的な改革は手付かずのまま、21世紀までついに来てしまいました。教育界の風土も、何も変わっておりません。最重要課題が、進化していませんね。教師の資質は、更に深刻に悪くなっているのが現状です。教師こそ、人間教育しないといけませんね。この島国の「集団いじめ」は、非道極まりありません。奪命者であり、魔性です。
民族性を物語っております。佐渡の朱鷺さんに出会えた子供たちは、幸せでしょう。稀有な存在の方です。

柚木さん

先日の私の投稿は、お別れのつもりで、敢えて、挑発的に書きました。もう、永久にここへは来ないでください。当該掲示板は、羊の群れではなく、真剣に考え、行動される方々の掲示板です。実動です。なめてもらっては、困りますよ。いろんな意味で、影響力があるだけに、貴殿のような方は、けっこうです。今後は、お体に気をつけられ頑張ってください。
羊の群れで、お遊びをされてくださいね!
 

南京事件の名誉毀損裁判

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年 9月22日(水)12時41分37秒 i220-99-223-40.s02.a015.ap.plala.or.jp
  しかし9月20日の柚木さんの文面中、南京事件の名誉毀損裁判について書かれたものは、何度読み返しても変ですね。

だって、なぜ南京虐殺は「あった」とする日本人の言動に対して中国政府が、「無かった」と言う立場の人と一緒に日本政府に働きかけ、「あった」と訴える側の人を敗訴させるんでしょうか(笑)
そんなめんどくさい事をするぐらいなら、最初から政府の声明として「ありませんでした」と言えばいいだけの話ではないのですか?
中国政府は頭がおかしいのでしょうか?
もしくは、日本人には「なかった」と言うことにして、日本の正直な人を陥れ、中国側には「事実としてあった」と言う反日教育を、プロパガンダを利用して行い、民を分断し、盲目にすることで、コントロールしようとしているのでしょうかね。

いずれにせよ、私はその原告の訴えを読んで、その中に一貫してあった「戦争と言う名の、民をコントロールするシステムによって否応なしに鬼畜にされた、一人の非力な日本人が、正しく一人の人間として生き、死んで行こうとする、厳しくも清らかなその精神闘争」の内容、心情の吐露を読んで、深く心を打たれ、涙が溢れて止まらなかった、と言うことでした。
その事は、誰が何をおっしゃろうとも、事実であると言うことでした。
 

(無題)

 投稿者:Theimpossiblehashappened  投稿日:2010年 9月22日(水)09時49分53秒 user-387g1vj.cable.mindspring.com
  送りました。  

柚木様へ

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年 9月21日(火)20時42分12秒 i210-161-189-102.s02.a015.ap.plala.or.jp
  私の質問は無視されるのですね。
わかりました。
しかし私は満足に人の真面目な質問にも答えることができないような方に「カルト的思想で遊べ」などと、筋違いな事を吐き捨てられるような扱いを受ける謂れはありません。
自らが持て余す身勝手な感情を晴らすための侮辱や蔑みの類いはお断り致します。
ではさようなら。お元気で頑張って下さい。
 

「成りすまし」って・・・

 投稿者:柚木照哉  投稿日:2010年 9月21日(火)19時38分42秒 softbank221074153004.bbtec.net
  今日より明日へ様、色々書かせていただきましたが、あなたの反応を見ているとファナティックで理解力が無い。智者の論理ではなく、王者の論理である。HN「きららさん」って一体誰?とんでもない妄想に基づく人格攻撃をするようでは、ディスカッションの基本が全く出来ていない。これでは、実際にお会いしたとしてもあなたの言い分に従わなければ何をされるか分からないと感じます。ですので、これからはご自分たちのカルト的思考で遊んでください。さようなら。  

名誉称号

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年 9月21日(火)11時17分43秒 i210-161-189-102.s02.a015.ap.plala.or.jp
  柚木さま

以前別の掲示板で、池田先生の名誉称号の件でいろいろおっしゃる方がいました。
お金で買ったものであるとかそういう事でしたので、私も個人的に調べてみた所、なるほどお金を払えば誰でも買えるものでした。
ネットにそれが明記されていましたので、分かったわけです。
ある方が、その事がけしからんこと、おかしなこと、クリーンではないことだとおっしゃっていたのですが、何がどうおかしいのかが私には良く分からなかった。
名誉称号をお金を払って貰う事の何がおかしな事なのかが良くわからなかったのです。
互いの合意の元になされた正しい取引きです。
その大学にとって、お金を払って下さる方はとても大切な方なのです。
それが盗んだお金だとか、そういうものならば問題だとは思うのですがそうではないだろうし。
池田先生が素晴らしいのは、数多くの外部団体から認められたせいのみでないことは確かですよね。
ではそれを問題視する方はいったい何を問題にしようとしているのか、と言うことに興味が湧きました。
お金を良い事に使う事は悪いことなのでしょうか。

今回民主党の代表選で、帳簿の記載漏れの件を「お金の問題」にすり替えて、小沢さんの汚れたイメージを必死になって捏造したマスコミの動きにも似た様な空気を感じました。

柚木さんはそれについてどのように思われますか?
 

おはようございます

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年 9月21日(火)08時44分36秒 i210-161-189-102.s02.a015.ap.plala.or.jp
  柚木さま

『南京プロパガンダを非難する反日勢力への非難の気持』
と書きましたが、これでは意味が通じませんね。
申し訳ありませんでした。
『南京プロパガンダを行う反日勢力への非難の気持』と訂正して読んで下さい。


今日より明日へさま

そんな風に思って頂いて光栄です。
子どもの頃からいじめや虐待との連続闘争を余儀なくされてきました。
生きることは戦うことです。
私には平和ボケする暇がありませんでした。
そうやって生きる中で出会ったのが池田先生と言う方でした。
池田先生がなぜ世間の人たちから受け入れられないのか、私には良く分かります。
立つ次元が違うのです。
大は小を兼ねる事ができますが、小は大を兼ねることはできないのです。
ある意味、仕方のないことなのです。

精神的な自立を目指す平和主義の子どもたちと言うのは、大抵は天涯孤独の状態で世界のすみっこに追いやられます。
世界の亀裂の中に落ちています。
これは、だれのせい、と言って解決するものではありません。
日本と言う国が抱える、いわば霊的な業病です。
そこからだといろいろ見えて来るのでみんなに注意を促したいと言うのと、ここにいるよ、無視しないで、と言う気持で、一人でも多くの方に伝えたいと言う気持で書込みをするのかもしれません。

私の使命は、国の方針によって教育から取りこぼされた全てのいじめられっこを先生に直結させることです。
内部とか外部とか関係ありません。
その時邪魔をするのが、訳知り顔の小賢しい大人たちであることは言うまでもありません。

南里Guyさんともお話したのですが、いつか今日より明日へさまともお会いしたいです!
いろいろ共通点があり、通じるものがたくさんありそうです。
私、最初はこのBBS、あまりにも男性的な印象がして、実はちょっとした不快感がありました。
そんな風に思う事事体失礼にあたると感じましたので、率直に申し上げる事ができませんでした。
男性の集団と言うのは、無条件に怖い、と思うトラウマのようなものもありました。
ですがいろいろとお話させて頂くに連れて、その疑いや不信の気持も少しづつ氷解して来ました。
南里Guyさんとの出会いは大きな転機となりました。
自分の事はさておいて、他人の事を優先する人、まさしくその通りの印象でした。
しかも謙虚で腰が低く、実際にお話をすると、おかしくておかしくて笑いが止まらなくなりました。
上から目線を微塵も感じさせない、暗い気持は全て自らが引き受けて笑い飛ばしてしまうような、立派な方であると感じました。
正直言うと私の中の池田先生と印象がダブりました。率直な印象です。
そういう方がいなくなれば、創価学会も終わりですね。
 

まだまだ、こちらは熱帯夜です

 投稿者:今日より明日へ  投稿日:2010年 9月21日(火)00時48分15秒 softbank220058091171.bbtec.net
編集済
  佐渡の朱鷺さん、南里Guyさん

この連休中に、ツイッターを始めませんでした。申し訳ありません。
時間はありましたが、モチベーションが・・・また、挑戦してみます(苦笑)
しかし、佐渡の朱鷺さんの闘争心には、頭が下がります。
詳細なことまで、必ずレスされます。人の機微を見つめて来られた、苦労をされた方であることが文面から伝わってきます。沖縄のランボーさんも、先ほど話しましたが、大変に驚嘆されていました。毎日、ロムされています。そのうち、投稿されるでしょう。

『自分たちの利益を守るために民を振り回す事しかできない、他人の立場で物事を考える力を失った無能で愚かな権力者たち』・・・何れの国も、皆、似たようなものです。権力者が腐敗堕落します。この飽くなき繰り返しですね。
『ベルリンの壁等、思い出します』・・あの壁は、分断の象徴でしたね。とんでもない話しでした。やっぱり、民衆の衆望で崩壊しました。佐渡の朱鷺さんとは、言わず語らずとも感性が似ているのでしょう。ほぼ、一致します。感じている部分が同じなのでしょう。・・南里Guyさんとの出会いは、大きかったです。安心して、投稿出来ます。私が初めて南里Guyさんといお会いしたのは、東京の新宿(アルタ前)でした。私も、全く同じ印象を持ちました。いつも、人のことを心配され、気を使われ、自分のことは後回し。共に笑い、共にうたい・・繊細な方です。庶民の代表のような人なつっこさ。笑った時が、一番似合っています。大変に苦労をし抜かれた方です。苦労ジワが、いとおしい。寛大な、寛容な人です。学会の現状を憂い、職員幹部の話しになると、獅子に変貌されます。(失礼しました)
佐渡の朱鷺さん、フォローありがとうございます。

柚木さん・・少しは、正直にお応えいただいたと思っています。ひねくれた表現も散見されますが。まあ、よしとしましょう。(笑)こちらの真剣な問いには無視され、ご自分の素朴な疑問だけは強調される。
『①和歌の助詞「らむ」の使い方が間違っている。②ピアノの演奏は「独特のスタイル」だが、正直に言うと感動する時もあるが時として聞くに堪えない演奏もある』

私も、聞くに堪えない時があります、先生の発言とか、口元が気になって仕方ありません。
ただ、それは先生がご高齢だからであり、心配してのことです。私も、入信直後は、先生の存在に疑念ばかり抱いていました。1世ですので、当然です。寧ろ、疑うのが当然の思考観念でしょう。③~⑤は、先生の立場と幹部連中の関係を熟慮したらわかることです。
文面がHN『きらら』さんに似ているような感じもしますが(笑)

中国政府、中国共産党の隠蔽体質ばかりおっしゃっていますが・・・現実は、現実として認識しております。

1日に2時間の唱題と御書を拝されているとのことですが。
御本尊様の「南無妙法蓮華経」は、古代中国の漢文の文語体ですよ。教本も、漢文です。
漢字や陶器も、書道も稲作も中国から伝来しました。そして、仏教自体が・・確か、日本に仏教が伝来したのは飛鳥時代、552年に百済の聖明王から釈迦仏の金銅像と経典が贈られた時だと記憶していますが。だからこそ、大聖人様は、中国を大恩の国、師匠の国と仰せになっています。・・御存知でしょう?・・創価学会で、また御書の何を学ばれたのでしょうか。成り済ましだと思われても仕方ありますまい。
 

疑問に思うと言う言葉

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年 9月20日(月)22時07分56秒 i210-161-189-102.s02.a015.ap.plala.or.jp
  「疑問に思う」と言う言葉は、少し分かりにくい事がありますよね。。。

単純に、「どうしてその人はその状況でそうなるんだろう。自分とは違うのでその理由が知りたい。」と言うのも疑問に思う、だろうし、「信用出来ない人物だと感じる。」と言う場合も「疑問に思う」と使います。

本当に知りたい事があって人の意見を聞きたい時には、相手に質問の趣意がきちんと伝わるようにしなければいけないと思います。
余計な誤解や曲解を招いて、自他にジレンマを抱えさせないためにも、他者への思いやりやいたわりの気持、また、そういった優しさから生まれる対話のための智慧や工夫を忘れないよう心がけたいものです。

まずは自分からかな。。。
 

(無題)

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年 9月20日(月)21時26分2秒 i210-161-189-102.s02.a015.ap.plala.or.jp
  今日より明日へ様

『国連本部で、デモ行進したり絶叫している様子が放映されていますが、実際のニューヨークでは大規模な争いは起きません。なぜでしょうか?』

過去にニューヨークへ行った時、その、滅多に起きない大規模なデモに出くわした事がありました。
たしかハイチの人たちの運動だったと記憶しています。
路地裏で友人たちと散策をしていた時に、道の向うからバッファローの大群がやって来るような音がしました。
目を凝らすと黒い塊の一陣がこちらを目指して行進して来る。
驚いて状況を良く考えてみましたが、「そうだここはニューヨーク。人種のるつぼだ。あらゆる世界の問題がここに凝縮されているのだ。」と言う事で納得しました。
路上に駐車してあった車を壊したりするものもいましたが、私はこの人々のパワーがとても前向きで明るいものだと直感的に感じていました。
後から良く調べてみると、当時、アメリカ政府によってハイチの人々は八方ふさがりのような状態になっていました。
今の日本も同じ様な状況でしょう。
自分たちの利益を守るために民を振り回す事しかできない、他人の立場で物事を考える力を失った無能で愚かな権力者たち。
必要ありません。

このデモは民族や文化間の衝突によって起きたものではありません。
アメリカ政府のやり方に、純粋に抗議してのものでした。

ベルリンの壁等、思い出します。


柚木様

『私は南京の戦闘で多くの人が亡くなった「史実」を否定しているのではなく、南京大虐殺という「プロパガンダ」を批判』

9月17日にあなたが書いた文章には、『「南京大虐殺」は嘘、捏造、プロパガンダである』とありましたから、史実も含めて、その事件に関連するあらゆる事柄を疑問視、あるいは無視すべきであるとお考えなのかなと思ったわけです。
あなたの文脈ですと、そう読めます。
そうではなく、南京大虐殺と言う史実は史実として、(殺した相手が一人でも三十万人でも、大虐殺だと思う人にとってそれは大虐殺に他成りません。また、人を殺すと言う事は、どういう事か分かりますか?手を繋いで、微笑み合い、歌を歌いながら、愛をささやきながら、殺したり殺されたりするものなのでしょうか。否、人が、殺し、殺されると言う状況の、冷酷で残忍な、生命力のない狂気の空気を、もう少し良く考えて見ることですよ。私は経験上良く分かります。)、それを中国の反日運動家が政治的な駆け引きに使うために採用した事等について御非難する気持は良く分かります。
ですが池田先生がかつて南京大虐殺に言及したと言う事が、なぜあなたの、南京プロパガンダを非難する反日勢力への非難の気持と結びついて行くのでしょうか。
理解に苦しみます。
少なくとも私は南京大虐殺の事を知ってからそれについて調べる事で、中国政府の良からぬ体質を知る事になりましたし、また中国の一般の人たちがどれほどその政府によって苦しめられて来ているかも知りました。
中国では、身体障害者は「要らない人」と政府から言われていることも。
そのような高圧的な政府に、毅然としてNOを言う事のできない日本政府のだらしなさも、司法の臆病、事なかれ主義も知りました。
牧口先生の価値論は日本では受け入れられる事はありませんでしたが、中国ではきちんと取りあげられ大学の教科書になりましたよね。
仕事で中国に長く赴任していた私の友人も、中国ではヤクザのような人とトラブルになっても、話し合いできちんと解決する事ができるが、日本では一般人とでも、話し合いでトラブルが解決することはあまりない、日本と比べれば中国はまだまだ健全な国であると言ってましたよ。

健全な魂を持つ民と、それを虐げるしか脳のない臆病な極悪政府と言う構図が崩れ、天地が入れ替わる日はそう遠く無いのではないでしょうか。
民が手に手をとって、同じ目的意識を持って、一歩、歩みを進める日は近いのではないかと考えています。
 

池田先生への確信…

 投稿者:柚木照哉  投稿日:2010年 9月20日(月)21時06分59秒 softbank221074153004.bbtec.net
  今日より明日へさま、私は、もとより信心強情だとは思っておりません。ですから、信心を深めるためにも、素朴に考えた事を書いております。人それぞれ疑問に思うことは違う。池田先生について、素朴に疑問に思うことが許されないとは思いません。
で、先日私が駄文のなかで書いた①和歌の助詞「らむ」の使い方が間違っている。②ピアノの演奏は「独特のスタイル」だが、正直に言うと感動する時もあるが時として聞くに堪えない演奏もある(「私の境涯が低いから」と無理に納得しようとしてましたが)。③以前、パナマのノリエガ将軍と会談して本幹で讃えておられたのに、将軍が麻薬密売で逮捕されるとぼやいておられた。④消費税導入の時、「昔なら一揆ものだ」と大反対された。⑤「創共協定」を宮本委員長と結んだのに、その後大反共キャンペーンを展開された。そのくせ中国やキューバの指導者という名の殺人者は大いに讃えておられる。
これらの疑問については、どのようにお考えでしょうか?私としては幹部(権威的な人が多いので)にも聞けないし、どなたかに聞いてみたかったのです。くだらないと一笑に付されず、ご解答頂けませんか?以前の繰り返しになりますが、私は池田先生に恩を感じています。批判のために批判しているつもりもないし、何か困らせてやろうと思ってるのでもありません。「(本部?)職員のなりすまし」と言うのも、私が参加してからの投稿を読んでいると勘ぐる人もいるのかもしれませんが、私は壮年部ですが役職も無いし、先日書きましたが、公明党への疑問がきっかけでいろんな人に聞いて回ったおかげで、みんなに相手されなくなって弱っている者です。そういう意味では今日から明日へ様方のように幹部と戦っているわけでもないし、戦い方も分かっていない。いわば中途半端な状態です。
埒が明かないと言われていますが、私はとりあえずこのスレから追い出されなければ、お邪魔したいと思っていますが。
 

南京大虐殺?について

 投稿者:柚木照哉  投稿日:2010年 9月20日(月)19時57分0秒 softbank221074153004.bbtec.net
  佐渡の朱鷺さま、南京大虐殺」はあったのか。旧日本軍の南京攻略に伴い、大規模な戦闘が行われ、多くの人命が失われたことは確かのようです。しかし、実態がどうだったのか、未だに確定していない。戦闘自体の実態も、犠牲者が誰だったのか、人数がどれだけだったのか、殆ど解明されていません。ウィキペディアに、簡潔にまとめられていますので、まずはそれをご覧頂いたらと思いますが、正反対といってもよい主張が様々な人からなされています。

今の段階で私が勉強した範囲では、南京の戦闘については、私なりに次のように全体像を想像しています。「南京攻略のため、日本軍が南京を包囲。その時点で無血開城を呼びかけたが国民党軍は徹底抗戦を通告。日本軍の総攻撃により、国民党軍多数と一部の民間人が死亡、日本軍南京入場。この時点で日本軍に在南京の欧米人(南京外国人会)から「自分たちの居住地を緩衝地帯として南京市民およそ20万人に安全地帯を設け、日中双方の軍は立ち入らない事にしてはどうか」と提案。日本軍は提案を受け入れたが、国民党軍は軍服を脱いで市民に紛れ込んだため、事態が紛糾、数百人規模の市民が「便衣隊狩り」の犠牲になり殺害された。南京陥落直前の城内人口は、当時の国際機関によれば約20万人、陥落10日後に南京外国人会が日本軍に対して城内の民間人食糧補給のため算出した人口約20万人、陥落一ヵ月後25万人(周辺から食糧配給の噂を聞きつけて中国人が流入したようです)、陥落三ヵ月後推定25~27万人。こうしてみると、大虐殺をしたのに人口が増えているのもおかしな事だし、大虐殺をした「悪鬼の如き日本軍」が占領している町に、周辺からわざわざ住民がやってくるでしょうか?どころが、中国共産党は公式に「無抵抗な民間人30万人以上を組織的に虐殺した」と主張し、それを「南京大虐殺」として大宣伝を繰り広げ政治に利用しています。これがプロパガンダでなくてなんでしょうか。
先ごろ終了した「日中共同歴史研究」では、日本側の研究者と中国側の研究者で亡くなった人の数が10倍ほども違う。しかも中国側の強い要請で、戦後の中国国内の国共内戦(犠牲者は最大数千万人)や文化大革命(大粛清で犠牲者一千万人以上)、チベットウイグル併合(最大数百万人)、天安門事件(全く不明、動画や写真を観ると数百人か?)、法輪功弾圧(犠牲者 数千人?)などなど・・・中国共産党に都合の悪い史実には一切触れない、と取り決めて黙殺。これは歴史学者の態度ではありません。「共同研究」と言うが実態は中国の駆け引き・政治の場だったと言って良いでしょう。
虐殺の「証拠写真」が実は国民軍が宣伝用に撮った物だったり、当時の「近所の農家から鶏を買って喜ぶ日本兵」の「朝日グラフ」の写真が「農家から略奪した獲物を運ぶ日本兵」になっていたり、よくもまあ嘘八百言うもんだと呆れるものだらけ・・・酷いものです。 」
ついでに、色々調べると、当時の中国~現在の中国政府における虐殺の動画や画像が山ほど出てきました。「凌遅刑(りょうちけい)」なんて、ホントなのかとわが目を疑います。

南京攻略戦に参加し、目撃談として当時の日本軍の「虐殺の模様」を著書に書いて、元上官から名誉毀損として訴えられた方についても調べました。すると彼は、地裁で敗北した後中国政府に訴え、最高裁判決前には、中国政府が日本政府に対し、「裁判で負けるようだったら、日中友好の精神に反する」と、我が国の司法に日本政府が圧力をかけるように要求してきたとの事。三権分立という概念は元々中国共産党には理解できないようです。
結果は元上官の勝訴。結果だけを見ればこの方は上官の行為に対してウソを書いた、と言う事になります。もっとも、どの部分がどう認定されなかったのか、最高裁がおかしいともこの元日本軍兵士の方がおかしいとも、何とも判断できません。ですから、それをもって「正義の訴えを封殺する日本の裁判所」という事も出来ません。一審からの当該判決文を読めば私なりの判断が出来ると思いますが・・・。

繰り返しますが、私は南京の戦闘で多くの人が亡くなった「史実」を否定しているのではなく、南京大虐殺という「プロパガンダ」を批判しているのです。戦争自体はむごたらしい物で、これから起きて欲しくない。しかし、プロパガンダによって「捏造された歴史」を「史実」とされる事は、多くの苦労された先人に対して申し訳ないと思うのです。
 

今日より明日へさまへ

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年 9月20日(月)14時38分54秒 i222-150-46-177.s02.a015.ap.plala.or.jp
  興味深いお話をありがとうございます。
イエス=キリストは仏教徒だったと私も思っています。
イエスの霊が、人々を己心の仏へと向かわせしめる働きをする時に、ある人は仏の境涯に至り、またある人は、仏に対する疑いを起して外道へと退転しながら、我賢しこしと言わんばかりに、私服を肥やすため聖職者の地位に就く。
歴史の常とは言え、恥ずかしいですね(笑)
 

キリスト教

 投稿者:今日より明日へ  投稿日:2010年 9月20日(月)10時13分11秒 softbank220058091171.bbtec.net
編集済
  佐渡の朱鷺さん

『教会権威は、教会のヒエラルキーを維持するために、さまざまな手法を使って歪めて来たのだろうと考えています。』・・・全く同感です。

薄暗い地下牢に幽閉された処刑衆は、何を思ったのか・・大聖堂にもいくつか入りましたが悪魔を感じました。キリスト教(ユダヤ教)の歴史は、血塗られた流血の歴史です。魔女狩りや宗教裁判で数百万人の尊い命が犠牲になっています。聖職者こそ、政治権力者と暗躍し、繋がっていました。表と裏、その悪逆非道さは、極悪人です。
マリアさんは、偉大でした。母です。お母さんの願いこそ、万国共通の願いです。
イエス・キリストという実在した人物が生きた時代は、東方ではアソカ(アショーカ)大王が生きた時代と重なっています。有名な情報伝達の碑文(石柱法勅)には、アラム語とギリシャ語で書かれていました。キリストは、仏教の他者を慈しむ精神に感銘(影響)を受けたものと思っています。彼の深奥にあったものは、いわゆる師匠のような存在は、釈迦ではなっかたろうかと思っています(私の確信です)。あれだけの弾圧と苦痛を耐えうるには、心象風景の中に、確かなる信念を抱いていないと耐えられない。仏教の生死観、生命の永遠性をわかっていたと思えてなりません。
聖書は、彼を慕う、抑圧と蹂躙の現実社会で、生きる希望として時代時代に加筆されたものでしょう。大聖人様の時代も、真言・念仏・禅の悪師である僧呂(聖職者)が、悪の源流でした。牧師や僧呂こそ、私腹を肥やし民衆を欺くのが、歴史の常ですね。
 

対話

 投稿者:今日より明日へ  投稿日:2010年 9月20日(月)08時37分17秒 softbank220058091171.bbtec.net
編集済
  私は、いろんな立場の人の心情(信条)がわかるつもりです。共産党員の人や労組の人、他宗教の人等々、その気持ちがよくわかっているつもりです(経験上)。政治信条や理念は、なるほど一応、納得するものがあります。人間の善性に根ざした迫ってくるものが確かにあります。より良い社会にとって、絶対に必要であると認識してもいます。

これが、≪組織とか集団、国家≫とかなると、とても厄介なものに変容してしまいます。組織という言葉のもつイメージが先行してしまい、政治信条や信念を標榜しているだけに、紛争に発展してしまいがちです。例えば、私が共産党員の人や日蓮宗の誰かと対面し話し会いになったら、相手の人は私のことを、頭から創価学会員とみなして、学会のイメージから入ってきます。私は、あくまで、そういった抽象的な観念ではなく、目の前の個性のある、生きてこられた経験や家族や傾向をみます。あくまで、『人間性』を観ます。
中国にも、アメリカにもインドにも、人を騙したりする悪人はいます。アメリカなど銃社会です。平気に、車内にピストルがあったりします。何処に国にも、悪いやつや思いやりのある善良な人がいます。問題は、つくられた実態のないイメージです。私の大事な後輩であるTheimpossiblehashappened は、ニューヨークで生活しています。それこそ、人種のるつぼです。スパニッシュからチャイニー、黒人等々、世界中の人が街に溢れかえって集まって生活しています。それでも、バランスがとれ、民族間の紛争は起きません。国連本部で、デモ行進したり絶叫している様子が放映されていますが、実際のニューヨークでは大規模な争いは起きません。なぜでしょうか?

プロバガンダなど、権力側の人間が脳内にすり込むための戦略です。イラク戦争や中東問題も、石油の利権をめぐる王族や富豪が暗躍しているのが実態です。善良な市民が全て犠牲となっています。もちろん、様々な背景があるのは前提です。特に中東は、その歴史から宗教や民族間の争いの解決が際立って困難な処です。人類の争いの縮図のような処であると、深く認識しております。心を痛めております。・・
日中間(中日間)よりも、遥かに難しいでしょう。日中の真の和平は、遠からず訪れることに確信しています。大連など、多くの日本人が暮らしています。上海も北京も、日本の会社が数多く進出して、生活しています。そのことを、リアルに知らないのは、日本側の方です。メディアに問題があります。中日は、お互いに切っても切れない共存共生の時代に入っています。時間の問題であると実感しています。時代の潮流です。

私の良く知っている労組の委員長がしみじみと語っていました。その人は、数々の激烈な労使間交渉を切り盛りしてきた闘争の旗手のような方です。もちろん極道とも弁護士とも一歩も引かず勝ち越えてきた人です。弱者の味方です。粘り強い人です。
「人間というものは、お互いに言いたいことを言い尽くすと、後は何もなくなる。人間というものは、もともとは争いを嫌う性質のものだ」と。胸に、刺さっています。

誰が、人殺しの大量殺戮を好むでしょう。思い上がった一部権力者(本当は臆病者)が対話を拒否し、戦争に突入した歴史が常です。戦前も、国柱会の田中智学や石原莞爾等が、日蓮の名を借りた欺瞞の権力志向者が利用したものです。そして、牧口常三郎(牧口先生)その人を、国賊扱いにした時点で、諸天の怒りをかって総罰は免れていません。真実の法華経の行者を捨て去ったとき、宇宙根源の力が働くというのが、不肖私の不思議な信仰体験の絶対不動の大確信です。信心の高低浅薄は、あくまで信仰体験です。御本尊様と境地冥合するかどうかです。妙とは、不思議の義なりです。

柚木さん
池田先生に深い疑義を持たれる時点で、大変に失礼ですが信心に確信がおありではないと思っております。大事なのは、御本尊様と御書への確信です。先生のご発言や言動は、誤っていると思われるときもあるでしょう。現に、公明党を支援されています。しかし、一般紙には、イラク戦争の国家質疑応答では公明党の国会議員に対し拙速は慎め、と反対の意見を寄稿されました。先生の立場を考慮したら解るはずです。揚げ足を取ろうと思えば、いくらでも取れます。
三代会長の後は、誰を師とするか?の問いですが、永遠に先生を師と仰ぐに決まっているでしょう。池田先生に比類できうる人は、出ません。御書と生前の先生が師匠です。人格が優れ、過たずに御書の解釈講義をする人は出るでしょう。しかし、池田先生のような功績は、無理でしょう。

どちらの県にお住まいでしょうか?拉致があきません。福岡県近郊でしたら車で会いに行きますよ。関東周辺でしょうか?実は、職員の成り済ましではないのかとか「荒し目的」ではないのかとか声が届いております。・・ぜひ、お応えください。批判の為に批判は、結局は、不毛です。
 

柚木様へ

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年 9月19日(日)22時51分14秒 i60-34-89-138.s02.a015.ap.plala.or.jp
  柚木様に二三質問をさせて下さい。

>「南京大虐殺」「バターン死の行進」「日本軍の悪逆非道」「韓国への苛烈な植民地支配」「従軍慰安婦」などの嘘・捏造・プロパガンダ

とおっしゃっていますが、「南京大虐殺」について、なぜそのように思われるのですか。
少なくとも私はこの事件は実際にあった事であると思っています。
実際、その事件に加担した旧日本軍の方が事実を吐露した本を出版したが、それが事実無根であるとして、当時の軍幹部から名誉毀損で訴えられた事件があったと記憶しています。
その方は90才を過ぎて、「一軍人の過去の行いの懺悔すら、この国は認めることが出来ないのか」と言う、慟哭にも似た心情を書き綴っていたように思います。
その法廷闘争の様子もネットで読んだ事があります。
もしもそれが捏造であったとおっしゃるならば、この方が軍の指令を受けて南京で多くの中国人を殺戮してしまったと言うような記憶は、白日夢だったと言う事なのでしょうか。
何も悪い事をしていないのに、してしまったと感じ、尊い生涯を白日夢の罪の懺悔に費やしているこのような方は、一体どのようにして救われたら良いのでしょうか。
その方は南京記念館にてひざまづいて懺悔している所を中国人に見られたそうで、「あなたのような日本人がいらっしゃることが私たちの救いです」と言って彼の支援者になったそうです。
敵は敵国にあらず、味方の頂点に権力の傘を来て居座っている輩であると言う事を彼はこの時はっきりと知った訳ですが、その事実をどう思われますか。

ちなみに政権交代の当初は小沢・鳩山派だった地元の民主党議員も、南京大虐殺や従軍慰安婦は無かったと言っていました。
そして平和憲法は改正しなくてはならない、とも、口の端に薄笑いを浮かべながら言ってましたよ。
周囲に軍隊を持たない国はないのに、日本だけは持っていない等と言う不均衡を野放しにしてはいけない、日本は軍事国家として自立(?)しなくてはいけない、と言ってました。
 

今日より明日へさまへ

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年 9月19日(日)19時13分43秒 i60-34-89-138.s02.a015.ap.plala.or.jp
  『私の大切な後輩は、弱い立場の人を護るために、正義を護るために、弁護士や検察官を目指しています。』

弱い立場の人を守りたいと言う一念は、かけがえのないものだと私は思います。
私の同級生も同じ理由から司法の道を目指した人がたくさんいました。
ですが誘惑も多く、ほとんどの人が当初の志を忘れ、毀誉褒貶の道を歩んでいるように思います。
友人の国籍問題は、この国における法曹界の革命を前提としなければ解決の糸口にさえ達しないものであると思われますが、取り組んで下さる弁護士が皆無であると言う状況は、この国における司法の権威水準がかなり低い位置にあることを現しています。
物事は道理であって、司法の力を支配する者がその力を悪い事に使っていれば法の効力は失われて行きます。
司法が正義のパワーを失って、国が正しい事を行うだけの力を失って行くにつれて恐怖が人々の行動原理になる。
その結果、無思慮で無秩序な世界が現れる。
私はその事を危惧しています。
初心を貫くのはとても難しいと思いますが、今日明日さんのような一本筋が入った先輩がいらっしゃる事は大変な福運であるように思います。

『宗男さんは、冤罪ですよ。地検の暴走は、怒りをとおりこしています。本当に、一部青年将校化しています。危険です。』

私もそう思います。
私ももはや暴走するような怒りは完全に燃え尽きてしまいました。
静寂の中で表現されるのを待っている正義のエネルギーに変容されているようです。
師弟はまさしくタイミングですね。

『先生に、信心を教えていただきました。御書の深さを教えていただきました。私にとって、先生は、生きた証そのものです。盲信ではなく、正信であり確信です。絶対不動のものです。内部も外部もありません。『人間』です。赤ん坊は、無条件にかわいい。世界共通です。』

同感です。
 

(無題)

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年 9月19日(日)14時29分41秒 i60-34-89-138.s02.a015.ap.plala.or.jp
  「池田先生が侵している誤り」についてですが、以前同時中継で名誉会長の指導と言う事で聞いていた時に、「えー!先生それはおかしいですよ」と言いたくなった事がありました。
その内容は、「創価学会は世界中に広まった。世界の創価学会です」と言った後にキリスト教の話を出して、「キリスト教もいろいろあったが世界中に広まった。キリスト教徒は全世界にたくさんいます。なのでキリスト教も素晴らしい。」とおっしゃったことです。
私は、キリスト教は、教会権威がイエスに対する人々の信仰心を利用して作り上げた偽の教団であると考えています。
信仰心の強いキリスト教徒の多くが、教会組織に疑問を感じ、教会の中に神の存在を探すのではなく、自身の内側に神を探し出そうとする、いわゆる内道の実践に入って行きます。
この精神面での成熟の構図と言うのは、どんな宗教団体でもある程度同じ様なものなのかもしれない、と考えた事がありました。
教会が侵した過ちとしては、女性は男性の露骨から神によって作り出された男性の副産物であり、男性よりも矮小な性であるとして、男性優位の思想を人々に植え付ける必要性から、マリア等の女性幹部の存在を抹殺して来た歴史もあります。
男女平等の主張をした信仰者は異端視され、女性にあってはキリスト教会から「悪魔」として扱われて来た歴史もあります。
現代社会においては、それらの「悪魔」に拮抗する勢力として真の悪魔を立て、その存在を神と見立てるようなイルミナティ等の存在もあります。
イエスはその言動からフェミニストであっただろうと私は思います。
信心強情で、神仏への直感が強く働くのは、子宮と言う小宇宙を体内に包含し、無から生を生み出す性である女性の方が断然優位であるわけです。
その自然な感覚を教会権威は、教会のヒエラルキーを維持するために、さまざまな手法を使って歪めて来たのだろうと考えています。
先生の発言は、一瞬、「数が多い集団は、数が少ない集団より素晴らしい」と聞こえたのですが、それが絶対であるとおっしゃりたい訳でない事は分かっていました。
では、先生のこの発言の真意は一体どこにあるのでしょうか。
それについては、私なりに考える必要性が生まれました。
ですがそれは、池田先生が過ちを侵していると言う事にはならないはずです。
弟子が自らの人生を賭して知るべき事を、師匠が全て知っていて、先回りして教えなくてはならないとするなら知的傲慢な弟子のみが師弟を継承することになると思います。
 

「師」の継承はあり得るのか

 投稿者:柚木照哉  投稿日:2010年 9月19日(日)11時45分50秒 softbank221074153004.bbtec.net
  今日より明日へ様、「人間革命」を読むと、牧口先生門下の多くは戸田先生を「師」とは思わなかったフシがあります。また、戸田先生門下には池田先生を「師」だと思った人とそうでない人が居て、思えなかった人は「信心か狂った」と学会内では言われてきました。故 柏原ヤスさんは、三代会長にお仕えして、その残された文章を読みますとそれぞれの会長を「師」と仰いでおられたようです。それは学会員の「先師」「恩師」という言い方からも皆の共通認識だと思います。
これは言わば「師」の継承でしょう。
一方、「人間革命」に戸田先生が理事長を退かれた時、池田先生と強い「師弟の絆」を確かめ合う場面がありますが、池田先生が宗門問題で勇退された時も、同じような場面が数多くありました。私も池田門下を誓い、そう生きてきました。これは「特定の師」との絆です。
では、池田先生の次は?宗門からの独立の時、学会では三代会長を「永遠の師」と仰ぐと位置づけられましたので、そうすると三代のみでその後生身の「師」は居なくなるという事ですよね。これには仏法上の根拠があるのでしょうか?三大会長のみを「師」とする事は、間違っているのではないか、ある種、後の人の責任放棄じゃないか、という疑問が湧いてきます。
では、「師」の条件は?ひとつは正しい信念と行動、ひとつは衆望でしょうか。
他の教団はよく分かりませんが、日蓮正宗の歴史においては「師」と呼んでも良いような日寛上人などの立派な人も居たし、いい加減な人もいました。大聖人は「三国四師」と言われてそれぞれの時と場所に相応しい「師」が現れると言っておられるし、日興上人は「下劣の者為りと雖も我より智勝れたる者をば仰いで師匠とす可き事」「時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事」「衆議為りと雖も仏法に相違有らば貫首之を摧く可き事」と「師」は仏法に照らして決めるべきであると言われています。
今はともかく、いずれ偉大な人が現れたら、「師」と呼んでも良いのではないかと思います。
「池田先生が犯している誤り」は言い方が反逆的かも知れませんが、9月17日の駄文に書きました。あくまでも私見ですが、詳述した方が良いでしょうか?
 

人間革命

 投稿者:今日より明日へ  投稿日:2010年 9月19日(日)08時01分7秒 softbank220058091171.bbtec.net
  佐渡の朱鷺様 皆さん
『先輩の法廷闘争は十年程続きましたが、最高裁で控訴棄却されました。
裁判所は、その組織の規約に従って為された人事に国の法律は関与できないと言い、創価学会は実質上、会員に対してやりたい放題の組織であると言うことが国によって認定された。』

全く、その通りです。憲法や法令は、それを運用する人間の資質で決まってしまいます。
私の大切な後輩は、弱い立場の人を護るために、正義を護るために、弁護士や検察官を目指しています。宗男さんは、冤罪ですよ。地検の暴走は、怒りをとおりこしています。本当に、一部青年将校化しています。危険です。

『自分はいいが、創価学会のみんなの為に、真実をはっきりさせて置かなくてはならないと言う高潔な一念だったと思います。』

除名や組織から排除された人たちは、こういう崇高な、本来は、学会の宝のような人材の人たちなんです。みんなのことを思って、立ち上がられた命がけの信心を貫かれた人たちなのです!先生の真性の弟子ですよ!・・御書に照らし、三災七難が起こらないわけがない。競い起こるのは、明確です。梵天・帝釈天が怒らないわけがありません。学会本部、公明党の堕落には、激怒の期間を過ぎ、静かなる怒りに変わりました。更に深く、一念を定めております。『時』を待っております。

『時が来れば、54年に誰がどういう動きをしたか、全て記録してある。全てを公開する』と確約された師匠のタイミングを待っている状態です。その日を・・

柚木照哉さん 皆さん
『池田先生が犯している誤りは厳然とあると』

具体的に列挙されてください。私は、19歳で入信し幸運にも先生に6回ほどお会いしました。先生のお振る舞いは、獅子であり、慈愛であり、宇宙を感じました。会員を思いやられる深い慈悲のご一念に感極まって男泣きしました。何度も何度もです。海外のSGIのメンバーが、どれほど先生に会える日を待ちわびておられるか、一生に一度のチャンスに狂喜乱舞する姿が本幹でも確認できます。イタリアでもロサンゼルスでもシンガポールでも、現地の外国のメンバーと交流しました。純粋な、きさくな人たちばかりでした。同志です。地湧の菩薩は、地球上の何処にでもいます。世界史の奇跡です。この、現実は、池田先生という存在がどれほど稀有であるかということを証明しております。みんな、先生に救われています。

私も、先生がいらっしゃらなかったら、この泥沼の矛盾に満ち満ちた娑婆で、とっくにこの世にいません(持って生まれた気性から)元来の気性の激しさは、一人で何処まででも行き、徹底的に追求する性質です。収監されているか、殺されているかでしょう。

先生に、信心を教えていただきました。御書の深さを教えていただきました。私にとって、先生は、生きた証そのものです。盲信ではなく、正信であり確信です。絶対不動のものです。内部も外部もありません。『人間』です。赤ん坊は、無条件にかわいい。世界共通です。

信心即生活。連続闘争の人間革命。いい言葉です。
 

(無題)

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年 9月18日(土)20時34分1秒 i60-34-89-138.s02.a015.ap.plala.or.jp
  >その時、誰のイメージを「確からしい」と信じるのでしょうか?

主人が男子部時代に先生にお会いする機会があり、その時の話を良く聞きます。
それまで池田先生は雲の上の方であり、オーラに包まれた仏様のような方をイメージしていたそうです。
ですが実際にお会いした先生は、真面目な幹部の一人として会の運営に地道に携わっている、現場の壮年部員の一人、という地味な印象だったそうです。
この体験が主人の先生依存を消滅させ、一人の責任ある壮年として、社会の中でどういった振る舞いをして行くべきかという信心即生活の原点に立ち返らせてくれたそうです。
 

(無題)

 投稿者:柚木照哉  投稿日:2010年 9月18日(土)14時03分3秒 softbank221074153004.bbtec.net
  私が大学4回生の時、病気で落ち込んで学生部の活動もしなかったころ、丸太町府庁前の中華店でボーっとテレビを見ていたら、昼のNHKニュースで「創価学会会長の池田大作氏が辞任」と言っていて、ビックリしたのを覚えています。
今日、「楽土建設の革命児たれ!」というブログで改めて詳細を調べて、その経過を思い出しました。また、私は池田先生に多大な恩を感じているのも確かです。男子部の時、合唱団で「人間革命第12巻」に出てくる歌を吹き込んで先生にお送りした事がありました。その後先生から何度も「枕元に置いていつも聞いています」と伝言が。錦宝会のバッジまで頂き、今私は一体何をしているのだろうかと、思い出すたびに申し訳ない気持ちで一杯になります。しかし、同時に次のようにも考えます。当該の問題で宗門やY友や学会の最高幹部がいかに悪く、先生がいかに善かろうと、その事とは別に池田先生が犯している誤りは厳然とあると。先生の「ありのまま」を検証すべきだと。


学会のあり方を批判しながらも学会活動をしつつ、池田先生を「我が師」と言って慕っている人も多い。なかには学会から除名されてしまった人もいる。
N口関西長などにとっての「師」に対する心は、極道の心情と同じだと思います。また、池田先生もそれを最高に讃えておられる。
戸田先生・池田先生の師弟関係も、まさに浪花節の世界。「俺には生涯てめーという、強い味方があったのだ」「親ビン!」って・・・本当は私もそんなに信じられる人が居たら良いなあ~と憧れますが。しかし、そんな師弟関係はこれからはあり得ません。戸田先生のあとには池田先生が居た。池田先生の後、例えばN関西長を「師」と仰ぐのか?そんなの変です。では、誰を?
結局これからの「師」とは、「過去の先生の振る舞い」による「イメージ」であって、描く人によって異なることになる。時とともに現実の先生ご自身とは離れていく。その時、誰のイメージを「確からしい」と信じるのでしょうか?
 

(無題)

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年 9月18日(土)07時39分32秒 i60-34-89-138.s02.a015.ap.plala.or.jp
  私の先輩も、組織撹乱、組織利用と言う、実態の曖昧な理由である日突然除名になり、創価学会を相手に人権侵害であるとして裁判を起こしました。
自分はいいが、創価学会のみんなの為に、真実をはっきりさせて置かなくてはならないと言う高潔な一念だったと思います。
何十年も創価学会に在籍していたものにとって、その組織を除名になると言う事は、幅広い人間関係を失うと言うことです。
また創価学会は地域の横の繋がりが密接ですから、地域社会からの孤立も意味する場合が在ります。
気の弱い人なら病んでしまいます。
実際そのような状況に巻き込まれ、不安感から体調を崩し、亡くなられた方もいらっしゃいます。
先輩の法廷闘争は十年程続きましたが、最高裁で控訴棄却されました。
裁判所は、その組織の規約に従って為された人事に国の法律は関与できないと言い、創価学会は実質上、会員に対してやりたい放題の組織であると言うことが国によって認定された。
創価学会にとって、日本と言う国家の人に冷酷なシステムは本当にありがたいものでしょうね。
創価学会や公明党が、この国を根底から改革しようと言う気持など持つはずがないのです。
そういう勢力と手を取り合う事などあるはずがないのです。
利益が損なわれるだけですので。

しかしおかしな話です。
その組織の規約に従って為された事であるなら人権侵害がなんら咎められる事もなくよしとされる、なんて。
家庭内暴力や児童虐待が増えるわけです。
これが我が国の司法の実態なのです。
鈴木宗男さんが逮捕されましたが、いいかげんにしろと思います。
 

昭和54年

 投稿者:今日より明日へ  投稿日:2010年 9月18日(土)06時22分11秒 softbank220058091171.bbtec.net
編集済
  『私は創価学会から切り捨てられた側の仏法者です。
先生のご指導のままに学会活動をし、間違った事は間違っている、悪い事は悪いと言っていたらいつのまにか組織から排除されました。』・・・

こういった方々が、全国にたくさんいらっしゃいます。除名にされ、正義を晴らす為に奮闘されています。悪人は、執行部です。最高位の幹部連中です。あらゆる団体は、権力側の人間が腐敗します。古今東西、みな、同じです。

柚木照哉さん、昭和54年に先生の身に何が起こったのか・・・事実を検証されてください。創価学会規約には、先生の組織運営の権限が具体的に明記されていません。

先生は、一人、孤軍奮闘され、創価学会を守る為、同志を護る為に、死力を尽くされました。当時の最高幹部は、宗門と結託し、先生追い落としの包囲網を画策しました。
あろうことか、先生の首をとりました。静岡では、多くの学会の婦人部が、先生追い落としの署名運動を展開したと聞きました。封印されている真実の学会の歴史を、今こそ、満天下に示さなければなりません。54年に、集約しております。

組織は、人事で決まります。誰が、人事権を掌握しているのか。

世界中のあらゆる団体(宗教も)は、組織である以上、人事権を誰が持っているかで決まります。普遍な人間世界の掟です。
 

(無題)

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年 9月17日(金)22時03分44秒 i60-34-93-150.s02.a015.ap.plala.or.jp
  柚木様

読み応えのある長文、感動しました!
ありがとうございます。大変な筆力ですね!

>そこから学ぶ事が「日本は悪かった、だから言いなりになります、自業自得です」で良いのか、という事です。

もちろんそれではだめでしょうし、そんな風に卑屈になる必要はないと思います。
日本は確かに悪かった。
なぜそうなってしまったのかの原因を解明して、そこを直して行く事で二度と同じ過ちを起こさない様にしよう、でいいのではないでしょうか?
私は、さまざまな悲惨の原因の一つには、人間性の卑屈さがあげられるのではないだろうかと思います。
生まれつき卑屈な人はいません。
子どもはみんなまっすぐです。
卑屈さは、他人と自分を比較してどっちが上でどっちが下と言うような、権威主義的社会構造の土台となる考え方を繰り返し繰り返し、疑問が生じなくなるまで徹底的に刷り込まれ、また自分でも他者に対してその手法を持って騙す事により、その過ちに麻痺してしまうことから刷り込まれます。
例えば公立学校にはテストがあり、通知表があり、受験があります。
それらは教育の一環として行われているものなので、本来ならば生徒の要求に従って取り行われるべきものであり、頼んでもいないのに勝手に他人に成績を付けたり、その成績を元にして人格評価をしたりするのは教育的手法とは呼べません。
むしろ個性の破壊の手法です。
「人を育む」と言うような人間教育はそこにはありません。
このように、仏法の桜梅桃李と言う考えとは全く逆の思想によって運営されているのが日本の公立学校の現実です。
そこでは家庭で個性を尊重されている子どもほど、酷い虐めに会う傾向が強いようにも思います。
現実がそれで良いわけではなく、たくさんの人たちがそれぞれの立場や背景を抱えながら、自分を生かし、また社会をも変えて行く尊い闘いをしています。
創価学会も、本来はその事を見据えて組織された団体だったのではないでしょうか。
初代会長の着眼点に全く間違いはないと私は考えています。
新潟県教育委員会は、そういう志を持った牧口先生を除名にしました。
県はそういうやり方でもって日本人の洗脳システムを守ったのだと言えるかもしれません。
しかしそれでは現実にその教育の影響を受ける多くの子らが困るのです。
悪いものは良くして行けば良い、良くする事ができるのだと私はそう考える楽観的な人間です。
人間が侵した過ちは、全て人間が解決できるのです。
そう考えれば希望があって、楽しいではないですか。

>「創価学会は国家主義的団体だ。だから(佐渡の朱鷺様は)創価学会と戦っている立場である」とそのまんま捉えて良いのですか?』

私は創価学会から切り捨てられた側の仏法者です。
先生のご指導のままに学会活動をし、間違った事は間違っている、悪い事は悪いと言っていたらいつのまにか組織から排除されました。
邪悪と戦い打ち勝つ事で生きる道を切り開いている立場です。
縁する学会員さんは同じ様に組織から少し距離を置いた、善良で真摯で純粋な性質を持った方ばかりです。

>その次ですが、「愛や心が変質し踏みにじって来たのではなく、元々そうでなかったものがその仮面をつけていたと解釈する方が、より具体的だし教育的です。」と。そう言う方が純粋な捉え方ですね。そうすると、その「連帯」が仮面ではなく、本当に愛や心を満々と湛えた団体になるにはどうすれば良いのか、が最も大切ですね。

そうです!
その通りだと思います。

>池田先生っておかしくない?と思うようになった経過

池田先生の事を、おかしいとかおかしくないとか言う次元で考えた事がありません。
先生は同志です。
同志に対しておかしいとかおかしくないとか、判断する必要性が私にはないのです。
同じ様に大聖人も、無謬であるなんて考えたことがありません。
人間と言うものの本質を考えた時、無謬の存在と言うものがあると仮定する事すら幼稚な発想だと感じます。
人は、日々前進、日々成長の姿であるのが好ましいあり方であると思っています。
誰かが私を判断しようとするなら、その私はもうどこにもいない。
判断したがる人の中に、私の姿をしたその人が存在しているだけなのです。

それと、「止むに止まれぬ」暴力も、私は認めるべきではないと思います。
急に止める事は難しくとも、止めて行かねばならないのです。
止めるためにどうしたらいいのか。
智慧を振り絞り、考え抜いて行く事を諦めてはならないと思っています。
 

すみません、長文です。

 投稿者:柚木照哉  投稿日:2010年 9月17日(金)18時02分28秒 softbank221074153004.bbtec.net
編集済
  佐渡の朱鷺様、まず初めに、「『日本は戦前・戦中に、アジア諸国に侵略し悪逆の限りを尽くした』事は、『戦争』と言うものの性質を考えれば、私は、『事実ではない』と言い切れるものではない、と考えています。
そして想像することによって、日本と言う国家に抹殺されたものの魂の叫びに迫る事はできると思っています。
大聖人もそうです。
ただ、『日本は戦争中とても素晴らしい業績を残した』と言う事が、事実ではない、とは言いません。
しかしその言葉が表現しようとしているものの延長線上に、今この国のシステムによって、苦しみ、のたうち回っている人たちとの接点はないのです。
その言葉に、今日本が抱えている深い傷、魂の亀裂を癒す力はありません。
つまり、真実ではないのです。」と書かれている事について。私も、日本のした事を美化するつもりは毛頭ありません。GHQ占領下の東京裁判で、唯一人日本は無罪だと主張したインドのパール判事(私は小説「人間革命」で始めて知りました)も、バターン死の行進などいくつかの出来事については「どんな理由があろうとも、許されない残虐な行い」と厳しく非難して、「同然償われるべきである」と言っています(ただし、彼は同時に「そして当事者の断罪(軍法会議で処刑)によって既に償われているのだから今日本を断罪する理由は無い」とも述べ、アジア人としての立場から「太平洋戦争はむしろ、日本がアジア諸国に『我々は欧米の言いなりにはならない』という自信と気概を与えた」と評価しています)。
そして、私が大事だと思うことは、先の言葉「日本は戦前・戦中に~」を「中国は~」に換えても、全くその通りである、という事です。中国もアメリカも戦時中、まさしく鬼畜と呼ばざるを得ない悪逆非道の限りを尽くしています。そして、戦後も戦勝国としてつい最近まで、いや現在も悪魔の所業を繰り返している、という事です。そこから学ぶ事が「日本は悪かった、だから言いなりになります、自業自得です」で良いのか、という事です。
次に、「創価学会が国家主義的団体であると言う危惧に関してすが、私は危惧する立場ではなく、まさしくそれそのものであるとの認識を持ちながら戦う立場にある者です。」と言われていますが、これは「創価学会は国家主義的団体だ。だから(佐渡の朱鷺様は)創価学会と戦っている立場である」とそのまんま捉えて良いのですか?
その次ですが、「愛や心が変質し踏みにじって来たのではなく、元々そうでなかったものがその仮面をつけていたと解釈する方が、より具体的だし教育的です。」と。そう言う方が純粋な捉え方ですね。そうすると、その「連帯」が仮面ではなく、本当に愛や心を満々と湛えた団体になるにはどうすれば良いのか、が最も大切ですね。

池田先生っておかしくない?と思うようになった経過を書かせていただきますので、もし良ければ読んでください。

初めは昨年の衆院選の時、民主党の批判をするために政策を調べていたら、「外国人参政権」に公明党も賛成していることを知りました。この法案を調べると色々疑問がでてきたので、公明党や学会幹部に聞いて回りました(昨年8月~11月)が、まったくと言ってよいほど回答がない。しかも、皆勉強していなかった。そのほかの政策への疑問も回答なし。現在もありません。同志だと思っていた人も学会の批判をすると遠ざかる。対話の呼びかけを黙殺する姿勢に疑いが出ました。
選挙の時と財務の時だけしかやって来なくなった。今の学会は票と金にしか興味がないのか。人を利用しているだけで、利用価値がないと見るとポイと捨てるのか。先日、聖教新聞に載っていた外科医の人の体験のように、「なんでも話せる人」が居れば善知識となり反逆みたいにならずに済むのでしょうが・・・。
次に、矢野元委員長をあれだけ批判していたのに、その裁判で公明党(OB)が負けた。その後も対策の発表もなく、報道もない。公明・聖教共に、紙面内容への信頼が下がりました(その後、宗門との裁判でも学会が数十件の敗北をしている事が判明)。つまり、学会はいつも正しいわけではない、と思ったのです。
そうこうしていると、池田先生がいくつかおかしい事をしているのを思い出しました。
①和歌の助詞「らむ」の使い方が間違っている。②ピアノの演奏は「独特のスタイル」だが、正直に言うと感動する時もあるが時として聞くに堪えない演奏もある(「私の境涯が低いから」と無理に納得しようとしてましたが)。③以前、パナマのノリエガ将軍と会談して本幹で讃えておられたのに、将軍が麻薬密売で逮捕されるとぼやいておられた。④消費税導入の時、「昔なら一揆ものだ」と大反対された。⑤「創共協定」を宮本委員長と結んだのに、その後大反共キャンペーンを展開された。そのくせ中国やキューバの指導者という名の殺人者は大いに讃えておられる。
つまり、池田先生でも間違うこともある、という当たり前?の現実です。
「南京大虐殺」「バターン死の行進」「日本軍の悪逆非道」「韓国への苛烈な植民地支配」「従軍慰安婦」などの嘘・捏造・プロパガンダが分かってくると、先生の歴史認識の間違い、中韓の言いなりの姿勢に疑問を持つようになりました。
中共がやっている圧政・虐殺・情報戦の数々が分かってくると、何を根拠に倫理なきヤクザ集団の中共政府を信頼できるのか、疑問に思いました。党に反対しただけで「庶民」が虫けらのごとく殺されていく社会の、どこに正義や信義があるのか?「友好」は阿諛追従とは違うはず。相手の長所も短所も共に見据えて付き合うべきであり、なんでも「万歳」ではパシリなんじゃないか?と思いました。

私の知人に中国人に囲まれて住んでいる人が居ます。その人に「中国人の良い所を挙げるとしたら?」と聞くと、「中国人の事をよく知っている訳ではないけれど、今の実感を言えば、騒々しい・不衛生・厚かましい」ので、「裏返せばこちらがうるさくても汚くしても厚かましくしてもOK。気を使わなくてもいいところ」と。そういえば、ある人が牧口先生に「女房を寝取られました。仏法者としては怨んではいけないのでしょうか?」と質問したら、「なんて情け無い男だ。自分の女房を取られて泣き寝入りなんて法があるか。大いに怨め、取りかえして来い!」と怒られたと。仏法は自然なものなんですよね。それなら、相手に道徳心が無いということは、尖閣問題も気遣い不要、こちらもやり返したらよい、という事でしょうか。危ない話になってきますが。

「師」とは何か?直接お話しが出来なくても師を柱に据えている人は立派だと思う。今日(2010/09/17)の体験にもあったが、苦境も「師と共に」と思うと勇気が出たと。こういう人は身近な幹部や執行部、聖教新聞などを信じていて、それらの言う「師」の指導・方針を信じているのだ。では、執行部が間違っていたら?
私はそもそも入信動機からして「理屈負け」ですから、入信してからも半年以上、批判や反対ばかりしていました。しかし、どんな批判的質問にも当時の幹部は丁寧に答えてくれ、さらに仏法からの眼を啓く解答を示してくれました。学会はすごい、仏法はすごい、先生はすごい、と思いました。これは私が人(人格)よりも法(道理)を偏重する傾向があることを表していると思います。しかし、思い返せば初登山の時、初めて大御本尊を拝して、大聖人様の父親の様な大きな慈愛を感じて涙が止まらなかった、あの感動は忘れられません。また、男子部で池田先生にお会いした時の感動も忘れられない。生身の仏を見るとはこの事か、と感じました。なので、師を求める気持ちが無いわけではない、とは思うし、実際にそういう気持ちで活動してきました。また、学生部の時にアパートが火事になり、危うく焼け死ぬところを先輩に助け出されたり、病気になって落ち込んでいた時に、皆に励まされて活動に復帰できた事、文化祭や日中・欧州交流団に参加して、同志のありがたさをしみじみと感じた事、諦めない祈りの力を実感した事・・・理屈抜きに創価学会に恩を感じている事も確かなのです。

今の生活はすなわち歴史の集大成である―「過去の因を知らんと欲すればその現在の果を見よ・未来の果を知らんと欲すればその現在の因を見よ」と。
戦時中の国柱会はなぜ国粋主義になり、戦争肯定になったのか?学会がそうならない保障があるのか?―矢野元委員長の「黒皮の手帳」裁判では、最高裁は学会が暴力を振るう可能性があると脅迫した事を認定しています。では「タヌキ祭り事件」以来、いざとなったら暴力も辞さないという体質は変わらない、という事なのでしょうか。「止むに止まれぬ行動だった」というのも心情的には理解できますが、そうすると学会は一切の暴力を否定しているわけではなく、「止むに止まれぬ」暴力は認めているのでしょうか。また、民衆による権力者への暴力は認めているのでしょうか。「止むに止まれぬ」場合には戦争も認められるのか?そのあたりもしっかり考える必要があると思います。大東亜戦争は「自衛戦争」だったという人も居るのですから・・・
 

9.14代表選挙

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年 9月17日(金)07時57分23秒 i60-34-93-150.s02.a015.ap.plala.or.jp
  おはようございます。
昨日、近所の民主党支持者の先輩から連絡がありました。
代表選挙の結果、菅政権続投との結果でしたので民主党支持を取りやめ、立て看板も撤去して下さるようお願いしました。
政治の世界における官僚主導から政治主導への切り替えは今回はうまく行きませんでしたが、それを成し遂げる為の機運はじょじょに満ちて来ていると私は感じています。
民主主義は一歩前進と感じています。

それにしても代表選挙の菅さんのスピーチは恥ずかしいものでしたね。
人の言葉をパクリながら過去の栄光を舌を噛みつつベラベラ語る、自分の思想や言葉を持たない権力の亡者。
キング牧師に失礼です。
こんな人を首相にしなくてはならないこの国が置かれた状況を一人一人が真剣に考え、あらゆる現場で自らを鍛え直して行かなくてはならないでしょうね。
 

佐渡の朱鷺さんへのご返事の前に・・・

 投稿者:柚木照哉  投稿日:2010年 9月16日(木)21時04分39秒 softbank221074153004.bbtec.net
編集済
  南里Guyさん、まず、ウィリアム・アーネスト・ヘンリーの詩とマンデラ氏について述べさせていただきます。確かに過酷な獄中生活の中で、絶対に権力に屈しない不屈の魂を謳った素晴らしい詩だと思います。学会の3代の会長に流れる崇高な精神との共鳴を感じます。しかし、感動に水を差すようで申し訳ないですが、ネルソン・マンデラ氏はアパルトヘイト時代「民族の槍」というゲリラ組織を作って南アフリカ各地で武装闘争をしており、多くの人を殺しています。例えば、当時の新聞記事には「ケープタウンで、黒人武装集団が教会を襲撃、礼拝中の白人12人を殺害。これに対し、ヨハネスブルグではタクシーを待っていた黒人女性7人のグループを、車で通り掛かった白人3人組が報復銃撃。ヨハネスブルグ郊外のタウンシップ(旧黒人居住区)で黒人抗争事件が起き29人が死亡。今月に入ってから死者はすでに100人近く。黒人同士の政治暴力事件の死者は、過去8年間で約1万5千人にも上る」と云々。
結果的にデクラーク政権の融和姿勢もあって合法化され、マンデラ氏のアフリカ民族会議は政権与党に。そこでの氏の政策は民族融和を目標に掲げた非常に人道的なものでしたが、それまでの道のりには屍が満ち溢れている。私の知る限り、実際に非暴力・不服従を貫いた成功例は、ガンジーの独立運動ひとつだけです。それほど難しいという事でしょう。しかも、ガンジーの後継者たちはすぐに核を所持、軍備を増強させ、中国やパキスタンとの国境紛争では多くの人々が死んでいる。ネスソン・マンデラ氏を英雄視するのは良いですが、事実を冷徹に見ないといけない、と思います。

小沢氏と菅氏について述べる前に、「ナショナリズム」について改めて述べたいと思います。それがいろいろな事に関係するからです。
「ナショナリズム」という言葉は非常に多義的に使われています。ある人は「国家主義」やさらに過激な「政府主義」の意味で使っているし、別の人は「民族主義」や「国民主義」として捉えている。一方「愛国心(パトリオティズム)」は生活もしくは血縁共同体(いわゆる郷土など)に対する慈しみや忠誠心を意味していて、民族主義や国民主義に近い概念として使われる事が多いようです。しかし、どの概念もそれを強調しすぎるならば個人への強制・圧迫につながる。家族という一番身近なものすら一人の人間を死に追い込むことがあるのです。すなわち、「愛」「忠誠」といったものの対象としての社会に必然的に発生する権威や権力、この運用の仕方の違いが、いわゆる「全体主義」か「民主主義」の違いになる、という事かもしれません。個人の自由度とナショナリズムについて考えてみますと、自由度の高い順に「国民主義」「民族主義」「国家主義」「政府主義」となるように思います。政府主義というのは権力は全て政府に集中すべしとする主張であって、ほとんど全体主義と同じ統制社会のように思われます。
そこで小沢氏ですが、彼が言う「政治主導」は内閣法制局の廃止・陳情の党一本化・議員立法の禁止・官僚記者会見の禁止などを見ると「政府主義」に近いと私は考えています。政策を速やかに実現するために、中共政府の体制を理想にしているようです。「私は人民解放軍の野戦司令官」という彼の言葉がそれを象徴していると思います。
一方、菅氏はどうか。彼は自身の著書で「憲法のどこに三権分立と書いてあるのか。三権分立は官僚が既得権を守るために言い出した事で憲法の規定ではない。それに憲法には『内閣は国務大臣で構成される』とあって、官僚は含まれていない。官僚には行政権は無い。」と書いています。国家戦略局担当大臣の就任会見では「言わば国会内閣制だ」とも述べています。つまり、彼は持論で三権分立を否定している。現在の民主党書記局の大多数は、中核派・革マル派・マル青同・社青同など、元極左の活動家が占め、現職閣僚にもつながりが強い人が何人もいます。めざすのは民主集中制か?そのうち司法権までも行政に含めようと画策するのではないか?と危惧しています。
結局私の見るところ、かたや強権利権主義の中共万歳おっさんだし、かたや市民リベラル派を自称する革命を夢見るとっちゃん坊やで、全く日本を沈没させる事しか出来ない。ですから、どちらも早く政権から去ってもらうべきだ、と思っています。

翻って、学会はどうか。体制として民主主義かというと、そうではありません。人事・財政・情報全て最高幹部が裁量権を持っており、会員はそれに従うだけ。言ってみれば「完全な」全体主義すなわちファシズムとも言える。なんでも民主主義が絶対だとは言わないけれど、ファシズムの根拠は指導部の「無謬」にあります。レーニン曰く「党は無謬である」と。しかし、それはありえないことから、民主主義が政体として定着してきたのだと思います。「どんな政体もそれを運用する人間次第」という考えも理解できます。江戸時代でも、民を愛する名君もいたし、インドのアショーカ王の善政なども言われている。しかし「一人の偉大な人間の裁量」に全てを委ねる危険性を人類は学び取ってきたのではないでしょうか。学会は池田先生という、あまりにも偉大な人格(カリスマ)に全てを委ねる「善きファシズム」団体であったという言い方も出来ると思います。しかし、これからは「先生のご判断」は仰げない。釈尊の滅後、マハーカッサパが真っ先に行ったことは、師匠の言葉を一つももれなく集め伝えるための「仏典結集」であった。しかし、その正統であるカッサパの教団すらも百年後には上座・大衆部に分裂。そして四百年後には大乗仏教運動が興る。キリスト教もイスラム教もその他あらゆる思想哲学も分裂を繰り返している。もし、創価学会が分裂せず発展を続けられるなら、それは「人類はじまって以来」の奇蹟なのです。それほどの難事だという事です。戸田先生が「地球民族主義」と言われたと同時に「仏法民主主義」と言われた意味を、あらためて問い直すことが必要なのではないでしょうか。

あれこれ思うと、私たちは池田先生を「再評価」すべきだと思います。中国が文化大革命の動乱の後、毛沢東を長所・欠点も含めて再評価し、共産・社会主義者がマルクスを再評価したように。そうでなければ、このままダラダラと創価学会が世間に迎合して融解してしまうか、カルトになってしまう危険性がある。池田先生を検証する過程で現代の大聖人の仏法の意義が明確になると思います。釈尊はバラモンの師匠のもとで修行したが、これを止揚して仏教を打ちたて、日蓮大聖人は導善房について学び、これを乗り越えて下種仏法を確立されました。牧口先生は、宗門の御僧侶を凌駕され、戸田先生も牧口先生が創立した創価教育学会の事を「教育者に偏っていた。教学が足りなかった」と、きちんと総括されて戦後の再建を図られている。やはり正義のためには師匠へのきちんとした評価をする必要があり、「池田先生の言われる通りにすれば間違いない」などと、思考停止してはいけないのではないでしょうか。学会員が師匠のことを知らない、勉強していない。中国の知識人は信じているわけではなく、客観的に研究したからこそ池田先生の思想を深く学び、自分なりに応用もしているのでしょう。そのうち学会員は中国の人から「中国流」の池田先生の思想、大聖人の仏法を教えてもらう事になるかもしれない。しかし、果たしてそれは、池田先生の真意と言えるのか、大聖人の仏法と言えるのでしょうか。

「庶民」と言うなら日顕宗の信者も庶民である。故にこれを救うべきであり実際に活動もしている。この現場の人たちは確かに仏界を湧現する戦いをしているでしょう。これはなかなかに難事であって、成功する時も、しない時もあるのが現実です。しかしこの戦いの中にこそ仏法がある。すなわち「対話」です。であるならば、幹部も日顕宗とも共産党とも対話するべきであり、自らを批判するものとも対話する事こそが、仏界湧現の方法なのだと思います。しかるに保守派からの「対話の呼びかけ」は黙殺すると言うのは自己矛盾でしょう。学会が宗門から独立したのは宗門が破門したのであり、学会から切ったわけではありません。大聖人も「頼基陳情」の中で「主君から追い出されるならいざ知らず私は主を捨てない」と述べておられる。対話を拒否するという事は仏法ではないのです。それでは血脈は切れていると言ってよい。もっとも、どの時点でどうなったら「一闡堤」と決められるのか、という事も問題ですが・・・。
 

柚木照哉 様

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年 9月16日(木)20時28分0秒 i60-34-93-150.s02.a015.ap.plala.or.jp
  一つ一つの事実を検証、とおっしゃいますが、そんな事をしていたらいくら人生があっても足りないのではないですか(笑)
さまざまな文献や人づてに過去の出来事を知識として知る事はできますが、その時の実際の事は、その現場に居合わせた人にしか分からない事でもあるだろうと考えています。
聖教新聞を始めとして言われる「日本は戦前・戦中に、アジア諸国に侵略し悪逆の限りを尽くした」事は、「戦争」と言うものの性質を考えれば、私は、「事実ではない」と言い切れるものではない、と考えています。
そして想像することによって、日本と言う国家に抹殺されたものの魂の叫びに迫る事はできると思っています。
大聖人もそうです。
ただ、「日本は戦争中とても素晴らしい業績を残した」と言う事が、事実ではない、とは言いません。
しかしその言葉が表現しようとしているものの延長線上に、今この国のシステムによって、苦しみ、のたうち回っている人たちとの接点はないのです。
その言葉に、今日本が抱えている深い傷、魂の亀裂を癒す力はありません。
つまり、真実ではないのです。
どんなに立派な人間だって、鬼畜にするのが戦争なのです。権力の魔性なのです。
私だって、あなただって、いざ戦場で生きるため、かけがえのない我が子や我妻を守る為に、何をしでかすかは分からないのです。
それが人間です。
脆いのです。
弱いのです。
だから強大な武器を生産する事をやめなくてはいけないのです。
どこの国であれ、人の手には負えなくなった軍事力に振り回されるような愚かな事はやめるべきなのです。

創価学会が国家主義的団体であると言う危惧に関してですが、私は危惧する立場ではなく、まさしくそれそのものであるとの認識を持ちながら戦う立場にある者です。

>「愛」「心」の連帯、たしかに素晴らしい。誰も反対は出来ないでしょう。しかし、その連帯の集団そのものが時として圧倒的な権力に変質して人々を踏みにじってきました。

そうでしょうか。
愛や心が変質し踏みにじって来たのではなく、元々そうでなかったものがその仮面をつけていたと解釈する方が、より具体的だし教育的です。
誰も反対できないですか?
「愛」や「心」を苦笑し、笑止千万とばかりにあざ笑う者は、この国土にたくさんいらっしゃいますよ?
遭遇した事は在りませんか?

>「どんなに誹謗・中傷されようと、迫害を受けようと、『かしこへ押しかけ・ここへ押し寄せ』る戦いをしなくてはならない」事になります。これは言ってみれば完全な反逆ですよね・・・ホントに困ってるんですよ(苦笑)。

そう思うなら止めれば良いのではないですか?
何故困っているのか?私には理解不能です。私なら耐えます。耐えるためにどうすれば良いのかを考えます。
必ず理解させる。
そのための題目であり、同志の存在ではないのですか?

依法不依人、まさしくその通りです。
妙法とは自分自身を貫く法理、胸中の肉団におわします也、です。
誰かにとって都合良く脚色された、「歴史的事実」に存在するのではないのだと思います。
 

(無題)

 投稿者:柚木照哉  投稿日:2010年 9月16日(木)19時06分27秒 softbank221074153004.bbtec.net
  佐渡の朱鷺さん、はじめまして。「国家主義とは、権力を持った側が、民に、『愛』と『国』と『心』を混同させ、思考停止に陥らせるための方法論」と。全く同感です。私は、実はその「国家主義的」な方法論が、今の創価学会を支配しているのではないか、「国」を「創価学会という団体」と置き換えると、そのまんまじゃないか、と危惧しているわけです。例えば、聖教新聞などで「日本は戦前・戦中に、アジア諸国に侵略し悪逆の限りを尽くした」という言い方があります。しかし、これは事実とは言えない。牧口初代会長の「価値論」の後書きは、新渡戸稲造が書いており、二人は厚い親交がありました。新渡戸の「価値論」への後書きは1930年、新渡戸は台湾総督府に1901年から勤務していますので、当然、牧口先生は台湾統治の実際を知っておられたはずです。もし、日本の台湾統治が「悪逆非道の侵略」だったのなら、牧口先生も、侵略者のお仲間だというのでしょうか?色々調べていくと、台湾統治の実態は当時の世界が絶賛している、見事なものだったのです。このように、一つ一つの事実を検証することなく、「日本は悪い」とイメージ化し、それのみを広める事は、戦時中の「鬼畜米英」と同じ類の「大本営発表」でしょう(しかし、これももっと調べるとアメリカがやってた事もまさに鬼畜といえるほど酷いですが)。それが行き着く先は、学会内の四人組か、ファシズムかー。
「愛」「心」の連帯、たしかに素晴らしい。誰も反対は出来ないでしょう。しかし、その連帯の集団そのものが時として圧倒的な権力に変質して人々を踏みにじってきました。古くはキリスト教の十字軍しかり、ナポレオンのロシア侵攻しかり、フランス革命しかり、中共と国民党の血みどろの内戦しかり、そして「八紘一宇」の大東亜戦争しかりです。私は、色々考えた結果、操作されたイメージではなく「事実を知る事」が最も大切と考えるようになりました。
釈尊は言っています。「依法不依人」と。私も30年間以上学会活動をして先生の指導を根本に生きてきたつもりです。しかし、ガンジーのように非暴力・不服従の闘争をつらぬけるかは非常な難事だと思います。もし、私がそれが出来るならば、現在の学会のあり方に対して、「どんなに誹謗・中傷されようと、迫害を受けようと、『かしこへ押しかけ・ここへ押し寄せ』る戦いをしなくてはならない」事になります。これは言ってみれば完全な反逆ですよね・・・ホントに困ってるんですよ(苦笑)。
 

(無題)

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年 9月16日(木)16時14分38秒 i219-167-90-8.s02.a015.ap.plala.or.jp
  柚木様、初めまして!
南里Guyさんと柚木さんのやりとりを読ませて頂き、こんなことを考えています。
「国家主義とは、権力を持った側が、民に、『愛』と『国』と『心』を混同させ、思考停止に陥らせるための方法論」なのではないかと。
なぜかと言うと、『愛』や『心』の連帯のパワーが、『国』なるものの土台となれば、権力構造は脅かされ、のうのうと弱者を踏みにじって来た人たちが路頭に迷うことになると怯えるからではないでしょうか。
権力側にある人たちには、おそらく、人生哲学として堂々と主張できる明確な大義名分があるわけではないのでしょう。
だからこそ「国家主義」に視点を置いてどれだけ議論を重ねてもそれは不毛なものに終わってきた歴史があるのかもしれません。
徒労ばかりが積み重なることで、誠実な者から力尽きてしまう愚を繰り返したく無いと思っています。

アインシュタインは、どんな問題も、その問題が生じた次元では本当には解決することはできない、と言っています。
私も同感です。
初代会長牧口常三郎先生は、国家主義的教育によって高等精神病に陥っている多くの日本人の救済の為、問題の解決の糸口を仏法に求めました。
真の世界平和や民の幸福を真剣に考えるなら、「国家主義」を問題視して空虚な議論を重ねるよりも、「愛」や「心」にフォーカスした人間主義の連帯に目を向けるべきではないかと、ふとそんな事を考えました。

人はみなぞれぞれさまざまな背景を背負って生きています。
しかしどんな人の中にも、連帯出来るわずかな心がある限り、民衆勝利の為の連帯の機運は失われる事はありません。
ずっと前ですが尊敬する先輩に、血まみれになってでもその一念を、己自身の中に探し出せと言われた事があります。
有難い事です。
 

今日より明日へ様へ

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年 9月16日(木)14時52分1秒 i219-167-90-8.s02.a015.ap.plala.or.jp
  今日より明日へ様

こんにちわ!そうです。直接お会いしていろいろとお話させて頂き、有意義な時間を過ごす事ができました!
私は相手の表情でなんとなくその人の事が分かります。
普段どんな言葉を使ってどんな心で生活をしているのか、とか。。。
南里さんは常に人を思いやり、共に笑い、共に涙し、共に怒り、共に風に吹かれつつ、楽しいことを忘れずに、人の善き心を汲み取りながら精一杯生きておられる方だと感じて心が和らぎました(笑)
きっと今日明日さんとお会いすれば、なんということもなく、かけがえのない今世の一時を真剣に過ごすのだと思います。
そんな善の連帯が少しづつ拡大し、やがてこの地球を包み込んで、全人類の生命が悪しき勢力を倒すのに充分なパワーでもって躍動して行くと言うような事をイメージしています。
それと南里Guyさんのお子さんの写真、可愛いですよね!私もファンです(笑)
お父さんにそっくりです。しかしお父さんはさすがに鼻は垂らしていませんでした!(笑)

ところで昔、家に飾ってあった先生の写真に鼻水の落書きをした事がありますが、それを思い出しました。。。
なぜそんなことをしたのかと言うと、通常、学会員の家では仏間の高い所に先生の写真等を飾っている家が多いのではないかと思います。
私の家もそうでした。
しかしある時いろいろあって、その事が大変疑問になりました。
先生のお写真は自分と同じ目線に置いておくべきですはないのか、と。
そこで下に降ろしてみた所、先生に対して親しみがこみ上げて来て、発作的にマジックでもって鼻水を書いてしまったのです。。
その様子を見ていた長女が、私の頭がおかしくなったかと勘違いし泣きわめいて大変でした。
長女に、「先生は私たちを高い所から見下ろす人じゃないよ。いつもみんなと一緒なんだよ。」と説明しました。
長女は、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔で、彼女なりに納得してくれたようでした。
そんなことを思い出させるアイコンです!
(でもマネはしないでくださいね!)
 

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