PickUp #451 2006.02.08
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No.451
涙が出るほどいい話 2粒目
より
203 :癒されたい名無しさん :04/11/21 21:51:33 ID:hCJPqqua
小学生のとき、少し足し算、引き算の計算や、会話のテンポが少し遅いA君がいた。
でも、絵が上手な子だった。
彼は、よく空の絵を描いた。
抜けるような色遣いには、子供心に驚嘆した。
担任のN先生は算数の時間、解けないと分かっているのに答えをその子に聞く。
冷や汗をかきながら、指を使って、ええと・ええと・と答えを出そうとする姿を周りの子供は笑う。
N先生は答えが出るまで、しつこく何度も言わせた。
私はN先生が大嫌いだった。
クラスもいつしか代わり、私たちが小学6年生になる前、N先生は違う学校へ転任することになったので、
全校集会で先生のお別れ会をやることになった。
生徒代表でお別れの言葉を言う人が必要になった。
先生に一番世話をやかせたのだから、A君が言え、と言い出したお馬鹿さんがいた。
お別れ会で一人立たされて、どもる姿を期待したのだ。
私は、A君の言葉を忘れない。
「ぼくを、普通の子と一緒に勉強させてくれて、ありがとうございました」
A君の感謝の言葉は10分以上にも及ぶ。
水彩絵の具の色の使い方を教えてくれたこと。
放課後つきっきりでそろばんを勉強させてくれたこと。
その間、おしゃべりをする子供はいませんでした。
N先生がぶるぶる震えながら、嗚咽をくいしばる声が、体育館に響いただけでした。
昨日、デパートのポストカードなどに美しい水彩画と、A君のサインを発見いたしました。
N先生は今、僻地で小学校で校長先生をしております。
先生は教員が少なく、子供達が家から2時間ほどかけて登校しなければならないような
過疎地へ自ら望んで赴任されました。
N先生のお家には、毎年夏にA君から絵が届くそうです。
A君はその後公立中高を経て、美大に進学しました。
お別れ会でのN先生の挨拶が思い浮かびます。
「A君の絵は、ユトリロの絵に似ているんですよ。
みんなはもしかしたら、 見たこと無いかもしれない。
ユトリロっていう、フランスの人でね、街や 風景をたくさん描いた人なんだけど。
空が、綺麗なんだよ。
A君は、その才能の代わりに、他の持ち物がみんなと比べて少ない。
だけど、決して取り戻せない物ではないのです。
そして、A君は それを一生懸命自分のものにしようしています。
これは、簡単なことじゃありません!」
A君は、空を描いた絵を送るそうです。
その空はN先生が作り方を教えた、
美しいエメラルドグリーンだそうです。
470 :癒されたい名無しさん :05/01/08 00:02:17 ID:oMMQl7Zg
僕には、幼なじみがいる。
8歳にしてジャージが似合う男だったので、その頃から呼び名は「ジャージ」。
私が小学校高学年でいっちょまえにジーパンを履き始めたときも、彼はジャージ。
中学校に上がり、クラスで遊びに行ったときも全身ジャージ。
女の子とのデートの時は、妥協してチノパン・Tシャツの上にジャージ。
格好は野暮ったいけど、面白い人です。
青年海外協力隊として、今もアフリカの空の下ではためくアシックスのジャージ。
出発の前日のお別れパーティーで、仲間で餞別として洒落に新しいジャージを送った。
真面目くさった顔で、一言。「モノがいいから、3年は着れるな」
僕は笑ったけど、笑ったけど、実はその時大声を出しそうになった。
「お前、もっと早く帰ってこいよ」と。
その若さで、人のために生きる道を選んだ友よ。
誰でも出来ることではないと知りながら、お前がやらなくてもいいじゃないかと思う。
もうすぐ5年が経とうとしているけれど、新しいジャージは無事に届いただろうか。
569 :癒されたい名無しさん :05/01/31 15:17:01 ID:q5pVjiiQ
20年前ぐらいの前の話
当時俺の家はいわゆる片親ってやつで、すげぇー貧乏だった。
子供3人養うために、かぁちゃんは夜も寝ないで働いてた。
それでもどん底だった・・・
俺は中学卒業してすぐ働きに出た。
死ぬほど働いた。遊んでる暇なんてなかった。
1年ぐらいして同級生に久しぶりに会った。
飯食いに行こうって話になった。
メニューの漢字・・・読めなかった。
読めたのは、一つだけカタカナで書いてあった「オムライス」だけ。
同級生は「焼きそばとごはん」って注文した。
無知な俺は「じゃあ俺はオムライスとごはん」って店員に言った。
店員、固まってた。
クスクスって笑い声も聞こえてきた。
そしたら同級生
「さっきのキャンセルね!!俺もオムライスとごはん!!」
・・・
店出た後、同級生が一言
「うまかったな」って言った。
「仕事がんばれよ」って言ってくれた。
泣けてきた
心の底から人に「ありがとう」って思った。
そいつは今でも親友です。
581 :癒されたい名無しさん :05/02/01 18:15:43 ID:5m9CY41l
貫きたい想いがあったとしても人は状況によって簡単に想いを変えてしまう
だから私は今まで人を信じたことなかった
幼い頃、たまたま旅行に来てたホテルで火事になった。
煙で前も見えず、聞こえるのは叫びだけ。
長年つれそった妻でさえも置いて逃げる人
自分の命が大事で子供さえも突き飛ばし先に逃げようとする従業員
誰一人として自分を優先してるとしか思えなかった
恐かった。
迫りくる火よりも人の本性が
そんな想いを隠しながら生きてきた。
誰も信じず一人で生きてきた。
その中で大地震は起こった
忘れもしない
次第に大きくなる揺れ、倒れる柱、割れるガラス、
立つことさえもできない、何が起こっているのか考える暇をあたえない
気が付くと倒れてきた柱によって私は下敷きになってしまっていた。
あぁ、終わりだ。
生きたとしても恐かった。
また人の本性を見てしまうのが‥
助けなんて期待しない。
ただ死ぬのを待っていた。
そんな時、声が聞こえた
「待ってろ!今、助けてやる」
隣の家の人だった。
見ると右手にヒドイ傷を負っている
彼は両手で柱を持ち上げた。
信じられない。
その人は大工だ。
そんな事したら傷がヒドクなり右手が使えなくなる
「手が空いてるヤツ手伝ってくれ!」
彼はそう叫ぶと人が次々に現われた
皆、傷を負っている。
知らない他人を助けるために自らを犠牲にしてまで、かけつけてくれた。
幼い子供ですら来てくれた。
助けだされた私はお礼を言い謝った。
そうすると彼は告げた
「ははは!人の手はな、守る為にあるもんだ!ははは!」
涙が出た。
周りを見ても 息子をカバって下敷きになってしまった人
妊婦にパンを笑顔で渡す食べ盛りの幼い子供
犬でさえも必死になって助けようとする人々。
火が上がってる家に飛び込み助けようとする人
身内どころか他人なのに必死だった
一人も…誰一人として自分を優先にしてる人などいなかった
大人になった私は、消防士になった。
自分のこの手で沢山の人を助けようと思う。
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309 :大人になった名無しさん :04/10/20 09:12:07
高校時代、なんとなく不思議な関係の友達が居た。
同じ友達グループじゃないから、特に仲いいってわけでもないんだが、時々俺んちで遊んだ。
お互い彼女がいたし女好きだったけど、なぜか交わす冗談はいつもホ○ネタだった。
「おらぁ、ケツ触らせろよぉ、グヘへ」とか言い合って笑って。
高校の校外学習で集合写真を撮った時も、そんな感じだった。
隣同士だったんだけど、お互いケツ触りながら
「後々この写真見て、あんときコイツにケツ触られてたんだよなぁ、
とか思い出すんだぜ。最悪だろw」とか言って。
なんてアホらしい事やってるんだろ、ってのは当時から思ってたけど。
その後、俺は大学進学で東京に、ソイツは地元で就職して、連絡なんて一切取らなかった。
ソイツが心臓発作で死んだってのは、高校卒業して1年もしないウチに噂で聞いた。
線香上げに行くような事も無いんだが、件の集合写真に映ってる半笑いの二人を見ると、いつも思いだす。
こんとき、コイツにケツ触られてたんだよな、って。
[長いので省略されました(1KB over)]
二度と会えない友達 より