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[24527] 【武ちゃん三週目】Muv-Luv Interfering【オリ主付き】
Name: 光樹◆63626ad3 ID:4ecd25b3
Date: 2010/11/29 16:59
初めまして光樹と申します。
オリジナルでちょこちょこ小説を書いている身ですが、こうして二次制作をするのがこれが初めてとなります。
その為、かなり緊張しておりますですハイ。

当方、マブラヴ作品に触れたのは今年の八月、お盆の真っ最中でして、連休を良いことに無印、サプリメント、オルタ、AFと立て続けにやった上、連休終了二日前にこの掲示板の存在を知り、またもパソコンに齧り付く羽目になりました。
完全に引き籠もっていたため、身体が鈍っており仕事始まったら即熱中症になったのはいい思い出です。

それはともかく、オルタを三週くらいした後にふと思いました。
あの結末あってこそのオルタなのは分かる。けど武ちゃん頑張ってたし純夏報われないしなんかこう―――どうよっ!?(意味不明)

と言う妄想を仕事中に炸裂させ、その勢いのままに『はじめてのにじさくひん』に取りかかる始末。折しもこの不況の煽りで残業が少なく、仕事中によそ事考えてても大して問題ないので最早歯止めが効きませんでした。(オイ)


そんな独りよがりの妄想の元生まれた本作の概要をさらっと御説明致しますと、

武ちゃん三週目。
夕呼先生マジチート。
オリジナルキャラは主人公格一人と名前のないヴァルキリーズを除き、極力出さない。
番組後半モードでオリジナル戦術機有り。
所々テコ入れして順番は変化するものの、少なくとも桜花作戦までは原作の流れで。
死人もなるべく出さない。

となる予定です。
遅筆の上に修正に修正を重ね、更新が遅くなるやもしれませんが始めたからにはなんとか完結まで持っていきたいので、ご意見ご感想、誤字脱字も含め、長い目で生暖かーく見守って頂けるとこれ幸いかと愚考する次第ですハイ。


それでは、作者のInterfering(お節介)に少しばかりお付き合い下さい。



[24527] Muv-Luv Interfering 序章   ~願望の放浪~
Name: 光樹◆63626ad3 ID:4ecd25b3
Date: 2010/11/26 02:05
 黒がそこにあった。
 光もなく、闇もなく、言うならば虚無の空間。その直中で、嘆きと悲しみと後悔が渦巻いていた。
 ―――何故、救えなかったのか。
 ―――何故、守れなかったのか。
 そして今、何故―――諦めようとしているのか。
 平和な世に生まれ、平行世界に飛ばされ、更には時間をも逆行するなどと言う数奇な運命を辿った少年、白銀武。
 彼は願い、求め、そして世界は確かに救われた。
 だが同時に、彼は世界以外を失った。
 大事な戦友達。
 愛した女。
 そして今、自分自身も失いかけている。
 これから自分は元々いた平和な世界―――それも、愛した幼馴染みの望む世界に戻るらしい。恩師曰く、そこに戻ればこの記憶―――即ち、BETAとの戦いの日々は消えてしまうらしい。
 この白銀武を形作る記憶達の大半はBETAであると言っても過言ではない。
 しかしそんな物騒なものは新たな世界には存在せず、ならばそんなものは不純物以外の何物でもなく、言ってしまえば不要なのだ。
 だから消えてしまうのは、当然と言えば当然なのだ。
 だが、BETAの記憶を消せば―――それに立ち向かうために背を預けた仲間達の事も、今白銀武が抱えている嘆きも、悲しみも、後悔さえも消え去ってしまう。
 それで―――いいのだろうか。

(オレは―――)

 既に身体の感覚は無い。意識だけが波間にたゆたう感覚だけがある。それでも『白銀武』という個は未だ残っていた。

(このまま、純夏の望む世界へ行ってしまっても………いいのか?)

 結論から言えば、それしか方法は無い。
 何故ならば、彼は既に因果導体では無い。平行世界への移動も、時間の逆行ももう出来ない。
 既に、為す術はない。
 あの世界は既に救われた。
 いや、正確には時間を稼げた、だ。
 それでも後十年後には滅亡は確定だったのだ。滅亡まで二十年も引き延ばせたのだから、御の字だろう。
 些か無責任ではあるが、後は恩師の天才頭脳に任せるほか無い。
 だが、と白銀武は思う。
 まだ何か出来る方法があるのではないのだろうか。
 まだ誰かを救う方法があるのではないのだろうか。
 まだ戦友を護る方法があるのではないのだろうか。
 そして何より―――。

(『あの純夏』を、幸せにしてやれるんじゃないのか………?)

 BETAにより身体を、心を壊された愛しき幼馴染み。最早それが人として生きていなかったとしても、生まれ変わったのだと言うならば、彼女の願いを叶えるのは―――白銀武の役目だ。


 ―――ならば、どうする?


 かつての恩師は言った。意志を強く持て、と。それは世界を動かし得るのだと。心の何処かで、静かに情熱が灯るのを彼は感じた。

(そう、だ………)

 それはかつて、自分の口から出た言葉であるのだ。

(白銀武と鑑純夏は、二人で一つだ………)


 ―――だから、どうした?


(『オレ』が消え、『白銀武』があっちに戻っても………)


 ―――シロガネタケルが消え、白銀武が戻っても?


(あいつが笑ってなきゃ、オレがオレでいられないだろうが………!)


 ―――よく言った。


 直後、世界が割れた。





 その様子を『見て』いた者がいた。
 あくまで『見て』いただけだ。身体もなく、意識もなく、ただただ馬鹿で直情的で―――それ故に真っ直ぐな少年の生き様を。

 その少年、白銀武は最初、力も知識もなかった。

 だが時間逆行の回数を重ねる事にそれらを身につけていった。

 それでも、今度は覚悟が足りなかった。

 だが、前のループでそれらを身につけた。

 そしておそらくもう一度―――彼は征くのだろう。

 今度こそ、自らの願いを叶えるために。


 それを『見て』いた者は思う。それでは駄目だと。まだ足りないのだと。

 力が無かった。

 知識がなかった。

 覚悟がなかった。

 だが、今はそれがある。

 それでもまだ足りないのだ。

 ならば、後足りないものは何だ。


 ここまで足掻き抜き、尚も足掻いて最上の未来を目指す者に与えるべき祝福とは何だ。


 そしてそれを『見る』ものは見つけた。

 それは自らが切に願うもの―――。

 ―――理解者だ。





 2001年10月22日



「ここは………」

 薄く目を開き、白銀は白い天井を見つけた。酷く懐かしささえ覚える天井。それを見て、心の何処かが浮き足立つ。

「戻ってきたのか………?」

 何処へ、とは敢えて言わない。だが何となく、予感がある。ベッドの脇に置いた目覚まし時計を見る。時間は八時過ぎ。
 幼馴染みが起しに来る時間はとっくに過ぎている。それを邪魔するお嬢様も隣に寝ていない。
 確証はない。だが、白銀は戻ってきたのだと確信した。

「戻って、戻って来た………!」

 嬉しさのあまり、白銀は跳ね起き、ベッドから降りてカーテンへと手を伸ばし―――止める。

「―――まだ、拙いか」

 確認したいのは山々だが、それをして『部屋が廃墟へと変貌』しては困るのだ。
 言うならば、ここはまだ確率の霧の状態だ。外を見て廃墟か否かを確認しなければ、この部屋は存在の確定ができない。
 今現在、観測者が白銀しかいないために『元の世界』の部屋になっているが、観測者たる白銀がここをBETAの世界と認識した瞬間に、この部屋がBETAの世界の『白銀武の自室』へと変わる可能性がある。

「まずは、色々準備するか」

 何周も世界をループしているせいか妙に冷静になったな、と吐息して、白銀は身の回りの準備をすることにした。
 柊学園の白い制服に袖を通し、ゲームガイやその他諸々、自らが『この世界』の人間ではないという証拠物品を大きめのスポーツバックに詰め込む。
 それを肩に掛け、一階へと下りる。
 念のためにキッチンも覗いてみたが、月詠も三馬鹿もいなかった。いよいよもって『あの世界』である可能性が確定的になる。
 そして玄関。
 靴を履き、靴ひもを強く結び直す。
 これから、もう一度この世界を、大事な人達を救うのだと決意を新たにするために。
 靴ひもを結び終えた彼は、一度振り返って誰もいない玄関に一礼をする。
 そして―――。


「―――行ってきます」


 誰もいない家にそう告げて、玄関の扉を開けた。 





「やっとこの日が来たか………」

 廃墟となった柊町を歩く男が嘆息と共に呟いた。
 背格好を鑑みるに、年の頃なら二十代前半と言ったところか。中途半端に伸ばした黒髪をうなじで結い、やや吊り上がった瞳はどことなく憔悴している。
 しかしながら彼の風貌を考えれば、確かにそれも仕方ないだろうとおそらく誰もが頷くだろう。
 ボロボロの衣服に身を包み、無精髭は伸ばしっぱなし、頭髪は油やフケなどが目立つし、身体も埃や汗で黒くなっている。
 どこからどう見ても浮浪者である。
 しかしながら彼がこうなっているのも理由がある。何しろ、『予定日である10月22日よりも10日も早くこの世界に着いてしまった』のだから。

(今は下手に歴史に干渉できないからな………。私の役目はあくまで白銀武の手助けだし)

 自分で何であるか、何のためにここにいるのか理解している彼は、今現在、極力この世界への干渉を止めている。
 その為、半ば原始人じみたサバイバル生活を余儀なくされていたのだが―――それも今日で終わる。
 今日は10月22日。
 『あいとゆうきのおとぎばなし』を終えた主人公が、今度こそ自らの願いを叶えるために『ゆめときぼうのおとぎばなし』を始める日なのだから。
 そして彼は、道行く先に白い制服姿の『主人公』を見つけた―――。



[24527] Muv-Luv Interfering 第一章 ~再開の再会~
Name: 光樹◆63626ad3 ID:4ecd25b3
Date: 2010/11/29 16:10
 正直、白銀武は戸惑っていた。
 意志を強く持った影響か、はたまた別の要素があったのか、それともそれらが複雑に重なった影響か―――いずれにせよ、白銀はこの世界、『BETAのいる世界』の10月22日に戻って来られた。
 年号こそ確認していないが、ここまで今までと一緒だったのだ。おそらく2001年と見て間違いない。
 もし間違っていたとしても、この廃墟を鑑みるに、明星作戦は終了している。
 ここまではいい。問題は―――。

「久しぶりだな白銀武。今回は何回目だ?」

 目の前の男だ。
 長めの黒髪―――おそらくはただ単に切っていないのだろう―――を後ろで結んだ、妙に目つきの鋭い浮浪者然とした男は前回のように横浜基地へと向かう白銀の前に突然現れ、気安く意味不明な言葉を宣った。
 いや、正確に言えば『シロガネタケル』以外には意味不明な言葉を、だ。

「―――誰だ?あんた」
「私を知らない、か。一つ聞くが、前回は2002年の1月には死んでるのか?それと―――あ号標的は倒したのか?」
「………っ!」
「倒した―――ようだな?」

 男の言葉に白銀は息を呑み、それを返答とした男は口角を吊り上げる。その様子に白銀は警戒を強くし、肩にしたバックを地面に放ると、身構える。
 武器こそ携帯はしていないが、生身でも多少の自信はある。そうそう遅れは取らないだろう、との判断だった。
 しかし、浮浪者は軽く両手を挙げた。

「勘違いするな白銀武。私もお前と同じだよ」
「同じ………?」
「やれやれ鎧衣課長にも言われただろうに。問えば何でも答えが返ってくるなどと思ってはいけない、と」

 すると男は肩を竦め、両手を軽くあげたまま瞼を閉じ、黙した。要は自分で考えろ、と言いたいらしい。

(考えろって言われてもな………ここまでヒントを出されれば、答えは一つだろうな………)

 白銀は男の吐いた言葉を一つ一つ思い出すまでもなく、既に一つの結論に至っている。と言うよりも、ここまであからさまなヒントを出されて辿り着かない方がおかしい。
 以前の―――何も知らないガキだった自分ならば、そんな思考をせずに相手を問いつめる方法を選んでいただろう。
 最早聞くまでもない。


 ―――目の前の男は、因果導体だ。


 問題なのはこの男の目的―――それと、何故自分を、『シロガネタケル』を知り得たのか。
 どの世界に於いても、『シロガネタケル』は機密中の機密だ。知り得るのは本人である白銀武本人と恩師である香月夕呼、その助手である社霞のみだ。

(夕呼先生や霞が話した………?いや、墓にまで持っていくって言ってたしそれはないか………それにコイツは『私を知らないのか』って言って、『2002年1月には死んでるのか』って聞いてたな。と言うことは、オレはコイツに会ったことがある?いや、あのまま生き続けていたら、1月には出会う可能性があった………?)

 確かに、白銀には記憶の欠落が幾つかあった。その理由は幼馴染みである鑑純夏以外と結ばれたことによって、ループの際に鑑純夏の無意識願望というフィルターに引っかかり、『鑑純夏以外の女と結ばれた記憶』が消されてしまう為だ。
 それによる弊害で、オルタネイティブ5の結末が曖昧であったり、自分自身がどんな最後を迎えたのか分からなくなったり、培ってきた実戦経験でさえ消えてしまう始末だ。

(その消された記憶の中に、コイツの事も入っていたのか?)

 だとすればどうするか―――。

(まぁ、話を聞くしかないな)

 白銀は深くため息を吐き、放り投げたバックを拾って肩に掛けると片目を開けた男を見据えた。

「あんたがオレと同じ因果導体なのは分かった。だけどオレにはあんたと出会った記憶がない。だからまずはそっちの状況を教えてくれないか?こっちの状況も教えるから」
「やれやれ。香月女史の教育の賜物かね。お前も交渉が巧くなったものだ」
「分かってるならさっさと教えてくれよ。オレもこの後予定が詰まってるんだしさ」

 分かったよ、と男は苦笑すると路肩の瓦礫に腰を下ろした。白銀もそれに習って男の隣に腰を下ろす。そして思う。

「何か臭いぞ、あんた………」
「仕方ないだろう。もう10日近く浮浪者やってるのだから」

 少し距離を取る白銀に、男は渋い顔をした。しかし気を取り直すと、ボロボロの衣服の中からクシャクシャになった煙草の箱とマッチ箱を取りだし、火を付けようとする。
 しかし湿気ってるのかなかなか火がつかず、何度もマッチを擦り、いい加減白銀が苛ついてきた時になってようやく着く。
 そして紫煙を深く吐き出して、男はようやく白銀の方に目をやった。

「さて、どうもお前は私を忘れている―――もしくは本当に知らないようだからまずは自己紹介しておこう。私の名前は三神庄司。庄司と呼んでいいぞ白銀武」
「フルネームで呼ばれると鎧衣課長思い出すからオレも武でいい」
「そうか。じゃぁ武。まず私の状況だが―――言うまでもなく因果導体で、お前と同じようにループを繰り返してる。お前とはループの仕方が違うが、それは香月女史との面会の時にでも話そう。そしてそのループの中で何度か一緒に戦ったこともあって、BETAを滅ぼした経験もあり、元の世界へ帰るお前を見送った事もある」
「………はぁっ!?」

 白銀が素っ頓狂な声を上げるが無理もない。一緒に戦った事など記憶にないし、前回のループ中『元の世界』へ帰る時にも三神はいなかったはずだ。その上、BETAを滅ぼしたとはどういう事か。

「驚くことはない。『シロガネタケル』は一人だとでも思ってるのか?」

 首を傾げる白銀に、三神は苦笑して。

「世界の数だけ『シロガネタケル』はいる。その中で、本当にお前だけが因果導体に成ったとでも?」
「―――つまり何か。他にもまだループしてる『シロガネタケル』がいて、庄司はその『シロガネタケル』の内の一人と出会ったと?」
「一人じゃない。ほぼ毎回出会っていて―――しかし『何人』と出会ったかは確認が取れないな。お前の場合、記憶が無かったりするしな。私のことを覚えている『シロガネタケル』もいれば、知らないもしくは忘れた『シロガネタケル』もいる」
「う゛………」

 そう聞くと、自分が何か物凄く薄情な人間に聞こえてならない。その反応を楽しむように三神は紫煙を吸い込み、吐き出す。

「ともあれ、私はお前のように記憶の欠落をせず、既に三桁近くループしている」
「三桁ぁっ!?」
「ああ。もうすっかり爺だよ」

 苦笑しそして三神は空を見上げた。こんな廃墟には似合わないとても澄んだ秋空を、彼は何処か睨むようにこう続けた。

「そして私を因果導体にしている原因を、私は知っている」
「なっ………!」
「目下の所、それを取り除くために行動中だ」
「じゃぁ、あんたの―――庄司のループは今回で終わるのか!?」
「分からない。原因が分かったとしてもそれを取り除けるかどうかは別問題だし、その上、これは人に相談すると取り除けなくなる類のモノだ。例え同類であるお前であっても話してしまえば、私はもう一度死んでやり直さなければならなくなる」

 それは一体どんな―――と、口に仕掛け、白銀は噤んだ。聞いたところで答えは返って来まい。本人も『喋ってしまえばもう一度死ななければならない』と言っているではないか。

「それで正解だ武。いい加減私も精神的に疲れてきたのでね。出来ることなら今回で終わらせたいんだ」

 口にした煙草を地面に投げ捨て、足で火をもみ消す。

「さて、私の事情は一通り話したぞ。今度はそちらの番だ」
「あ、ああ………」

 白銀は未だ動揺が抜けきらないが、それでも自らの状況を話すだけならば問題はなかった。
 少なくとも、この『三神庄司』という人間が『白銀武』に害を成す存在ではないことだけは理解できた。
 だから彼は前のループで桜花作戦を展開し、あ号標的を倒したこと。それにより鑑純夏を失い、因果導体から解放されたこと。『元の世界』に戻る予定だったが、『シロガネタケル』の未練がもう一度『この世界』へと届いたことを説明した。

「成程。お前はあ号標的を倒し、更には因果導体から解放されて、それでも戻ってきたあの『シロガネタケル』なのか。―――やはりな」

 最後の呟きは白銀には届かなかった。

(―――いつもの『あの』白銀武にしては用意周到過ぎるしな。当然と言えば当然か)

 三神は思いながら白銀の足下に置かれたスポーツバックを横目で見る。おそらくは自らの証明をするために、この世界には存在しない物品などを入れてきたのだろう。彼が知る白銀武なら、ゲームガイ一つを持って後は手ぶらだったはずだ。
 一見した時に推測は立てて挑発してみたが、まさかドンピシャでその通りとは三神自身も思わなかったようだ。

「こっちに戻って来られた理由はあくまで仮説だけどな。だけど、夕呼先生は意志の力は世界に影響を与えられるって言ってたし、他にオレを『この世界』に引っ張り戻せるような要因って考えつかないんだ」
「『この世界』の鑑純夏がもう一度お前を因果導体にした可能性は?」
「あり得るかも知れないけど………流石にオレは夕呼先生じゃないしなぁ」
「議論するだけ無駄か。私自身も専門家ではないからな」

 しばらく二人は黙りこくって、思索に耽る。だが結論が出なかったのか、だぁあああ、と白銀は叫んで立ち上がった。

「こうしていても埒が明かねぇ!取り敢えず庄司っ!横浜基地行こうぜっ!?まずは夕呼先生に会って、話はそっからだ!!」

 その様子を見て、久遠は苦笑し同じように立ち上がる。

「それもそうだな。では武。ここで一つ、宣誓しておこう」

 彼は右拳を突き出し、覇気に満ちた瞳でこう言った。

「私は必ずこのループで全てを終わらせる」

 それに白銀は笑みを返し、突き出された右拳に自らの右拳をぶつける。

「オレは今度こそ、世界だけじゃなく仲間も、惚れた女も救ってみせる」

 そして二人は小高い丘の上にある横浜基地に視線をやり、言葉を重ねた。


『さぁ、征こうか………!』





 香月夕呼は苛立っていた。
 オルタネイティヴ4が発足して早六年。未だ満足な結果が出ず、上層部からは計画の存在を疑問視する声が日に日に高まっており、彼女自身、このままではそう遠くない未来に予備計画であるオルタネイティヴ5に移行するだろうと睨んでいる。

(一部の人間が逃げ出すだけの馬鹿計画なんて、あたしは認めない………!)

 B19階の執務室、第四計画の要のデータに目を通しながら、彼女は胸中で吐き捨てていた。
 つい先日も国連理事会による会議があった。いや、自らの蔑称である魔女を是とするならば、あれはまさに異端審問と言えるだろう。
 要は小言と次期計画をちらつかせる事による脅しだ。
 ここ数年、代わり映えのしないやりとり。
 今はまだ、魔女の舌で押さえ込んではいるが、そろそろ限界が近い事を彼女は悟っていた。
 何か成果を―――計画の完遂こそ至上だが、最早そんなことを言ってはいられない、計画を延長できる程度のものでも良い。何か結果を出さなければ―――。
 そうしていつものように、泥沼のような思考に嵌っていると卓上に設置された通信端末が鳴る。

『ピアティフです。―――お耳に入れておきたいことが』

 その右腕の報告に眉根を寄せた香月だが、直後に思い出す。忙しくて失念していたが、今日は10月22日。腹心の言葉が正しければ―――救世主のやってくる日だった。
 そしてこの日より、魔女の牙城に新たな風が吹き込み始める。



[24527] Muv-Luv Interfering 第二章 ~因果の三人~
Name: 光樹◆63626ad3 ID:4ecd25b3
Date: 2010/11/29 16:15
 白銀武は困惑の中にいた。幾つかのループを経験し、横浜基地来訪時の対応はもう大丈夫だと思っていたのだが―――浮浪者を伴っていたためだろうか、門の前に立っていた既に馴染みとなっている伍長二人にいきなり銃を突きつけられた。
 いつも通りフレンドリーに接触してくるかと思った矢先だったので、自分でも情けなくなるぐらい態度に出てしまったのだろう。隣で三神が苦笑している。

「見たところ訓練兵のようだが………そっちは?」

 東洋人の伍長の言葉にやはりそうか、と白銀は思う。だから彼は三神に目配せして、両手を挙げて抵抗の意志がないことを示す。三神もそれに習った。

「オレは夕呼せんせ………香月副司令の直属の部下だ。特殊任務中の為、訓練兵の格好はしているが、少し違うだろう?」

 そう言って腕章を見せる。

「確かにマークが違う………材質も違うようだが」
「因みに許可証も認識証も無い。理由は同じく特殊任務中の為だ。後ろの浮浪者もオレと同じだ。そしてオレ達は香月副司令の研究に必要な情報を持ってきた。面会を希望する。副司令に関する用件は全て報告するように言われているはずだが?」

 白銀の淀みない言葉に、伍長二人は顔を見合わせると、やがて片方―――東洋人の方が頷いた。

「………一応取り次いでやる。名前と用件は?」
「ああそれは―――」

 オルタネイティヴ4や5に関する事を仄めかせようとした白銀は、はっと息を呑んだ。
 門の向こう、こちらに向かって歩いてくる軍服姿の女性を認めて。


「―――久しぶりだな、白銀」


『た、大尉!?』

 唐突に後ろから聞こえた声に振り返った二人の伍長は、その姿と階級章を認識し、即座に敬礼した。

「伊隅、大尉………?」

 懐かしい顔を見るように微笑む伊隅に、白銀は絞り出すように呟いた。
 その女性の名は―――伊隅みちる。階級は大尉。白銀にA-01、伊隅ヴァルキリーズの何たるかをその身を賭して教えてくれた人。
 その壮絶な、そして隊規に殉じた最後の勇姿を瞬間的に思い出し、白銀の涙腺は思わず緩む。

「泣く奴があるか。少なくとも、『今の私』は生きているぞ?」

 その言葉を聞き、白銀ははっとする。

(何で『今』の伊隅大尉が俺を知ってるんだ………!?)

 伊隅と出会ったのは12月のXM3トライアルの後。即ち今より『二ヶ月近く後になる』はずだ。隣の三神に視線をやるが、彼も分からなかったようで首を左右に振るだけだ。

「やはり―――貴様も『そう』なのか」

 何が、とは問われなかった。だから白銀は小さく頷いて。

「ええ。隣の―――三神と言うんですが、コイツもオレと同じです」
「味方と考えても良いのか?」
「オレと同じである以上、五番目に与する人間じゃないですよ」

 苦笑する白銀に伊隅は成程、と頷くと。

「伍長。この者達の身元は私が保証する。連れて行くがいいか?」
『はっ! 』

 敬礼で返す伍長達を尻目に、伊隅は白銀と三神に目配せし背を向けた。着いてこい、と言いたいらしい。
 それに従いつつ、三神は口を開く。

「伊隅大尉。一つ聞く」
「何だ?」

 振り返ることなく問い返す伊隅に、彼は目を細める。どうも白銀と共に行動していたためか、妙に信用されているようだがそれは軍人としてどうだろうか、等と苦笑しつつ先程から考えていた仮説を裏付ける問いを投げかけた。

「貴官の最後の記憶―――それは凄乃皇弐型の手動自爆であってるかね?」

 ぴたり、と伊隅の足が止まり、彼女はゆっくりと振り返る。

「―――ここで話す内容ではないだろう」

 即ち、肯定だ。少し警戒したような伊隅の表情に、三神は満足げに頷くと左手の人差し指を立てた。

「ではもう一つ質問だ。私達の身体検査をしなくてもいいのかね?」
「お、おいおい庄司!オレは嫌だぞ?前だって四時間もねっとり検査されたんだ。夕呼先生と話す前に疲れちまう」

 妙な流れになってきたので、白銀がおどけてみせるが張りつめた空気は変わることなく、伊隅が口を開く。

「安心しろ。どのみち貴様等は検査される。白銀の方は確かに私は知っているが、もう一人の方は知らないし、そもそも香月副司令からすればどちらも初対面だ」
「それを聞いて安心した。ついでに風呂にも入らせて貰おう。まさかこの風体で香月女史の前に出られるはずもないからな。ああそれと国連の軍服も用意しておいてくれ。こんなボロ切れのような服をいつまでも着ていたくはないのでな」

 伊隅の威圧にも何処吹く風で、三神はのらりくらりと軽口を叩く。最も、風呂とか衣服とかの要求はこの上なく本気だが。本人にしてみれば、何が悲しくていつまでも浮浪者の格好をしてなければならないのか、と言ったところだろう。

「―――分かった用意しておこう」

 伊隅が観念したように答える。この浮浪者然とした男の態度に思うところはあったようだが、何か言ったところで改めるつもりもないのだろうと諦めたようだ。
 だから、と言う訳でもないのだろうが、伊隅は少しだけ皮肉な笑みを浮かべて二人にこう言った。

「ようこそ。横浜の魔女の釜へ」





「それで?あんたが白銀武?」

 やはり四時間にも及ぶ身体検査の後、伊隅に連れられて白銀と三神の二人は香月のB19階の執務室へとやって来た。
 白銀にとって前回、前々回と違うところは自分の横に三神という名の同族がいることと、その後ろに伊隅がいることぐらいか。
 その三神だが、先程の要求は冗談ではなかったようで、風呂に入ってさっぱりしており、伸びきった無精髭も剃られ、衣服もボロボロの服から国連軍の階級章こそ着いていないが士官の服を身につけていた。本来ならば訓練兵の服でも渡しておけばいいのだろうが、この時代、若い男の訓練兵は少なく、それ故に備蓄がなかったためにこうなった。
 こうして身なりを整えて、改めて三神という人間を観察してみれば、精悍な青年であることが分かる。
 最も見た目に反比例して、因果導体である以上その経験値はおそらく世界で随一だろうが。

「ちょっと、聞いてるの?」
「え?あ、ああすみません」

 少し人間観察に意識を割きすぎていたようで、香月が訝しげな表情をしていた。
 こんなことではいけないな、と白銀は自分を戒めつつ一つ咳払いをする。何しろ、ここからが本当の始まりだ。自らが望む未来を手に入れるためには、まずこの目の前の魔女の信用を勝ち取り、信頼へと繋げねばならない。
 全体からしてみれば最初の一歩故に、こんな所で躓いている余裕はないのだ。

「はい。オレが白銀武です。―――お久しぶりです。夕呼先生」
「………あたしは」
「『生徒を持った覚えはない』」
「………っ!」

 口にしかけた言葉を白銀に取られ、香月は絶句する。それに苦笑しつつ、白銀は思う。

(本当に、この時の先生は余裕がなかったんだな………)

 香月夕呼という人間は紛れもなく天才だ。頭脳、と言う面では言うに及ばずだが、それを使った人心掌握等にも才能は活かされる。
 故にこそ他人を驚かせる事を半ば生き甲斐としており、それに対して妙なプライドも持っている。
 そのプライドからしてみれば、驚かせるならばいざ知らず、驚かされる―――それだけならばともかく、驚かされ、更には表情に出してしまう等、以ての外だろう。
 『元の世界』の香月夕呼、もしくはオルタネイティヴ4完遂まで行っていたあの時の香月夕呼ならば、これしきの事で動揺などしなかったはずだ。したとしても、表情に出ることはなかっただろう。
 故に、白銀はあの時の自分のガキさ加減に嫌気がさした。

(散々泣き喚いて騒いで引っかき回して………本当にすみませんでした。でも―――)


 今度は―――オレが貴方を助けますから。


 前回と、前々回の恩師『香月夕呼』に心の中で頭を下げつつ、白銀は決意も新たに『この世界の』香月夕呼を見つめる。

「オレが香月博士を夕呼先生と呼ぶには色々と訳があります。今からそれを話すつもりではいますが―――一つだけ質問を良いですか?」
「何?」
「伊隅大尉から、何処まで話を聞いてます?」

 白銀は、伊隅が前回の記憶を何故持っているのか―――実のところ、既に仮説を立てており、そしてそれは限りなく事実に近いのだろうと確信している。
 凄乃皇の自爆。即ち、G弾20発分の多数乱数指向重力効果域。その中心にいた伊隅の記憶が虚数空間にばらまかれ、何らかの理由で『この世界』の伊隅みちるに届いた―――あくまで可能性であるが、先の三神の質問から鑑みれば、やはりこの推察が正解である可能性が高い。そもそも自分がここにいるのも、突き詰めればG弾の影響なのだから、全くの当てずっぽうという訳でもない。

「それについては私から説明しよう」

 それを後ろから見ていた伊隅が口を開く。

「と言っても、大したことは覚えていない―――と言うよりは、知らされていなかったのだがな」

 伊隅が話したのは、この後起こるであろう事態、それから鑑純夏のことだ。

「まぁ、信じずにはいられないわよね。BETAの侵攻予知とかクーデターならともかく―――鑑純夏の事を言われると、ねぇ」

 香月は嘆息し、苦笑を浮かべた。
 無論、信じる信じないで言えばBETAの侵攻を言い当てられた方が余程信じられるのだ。鑑純夏に関しては、知る者こそ少ないものの、現状では情報としてあるので、その難易度は別として手に入れることは不可能ではない。
 しかしそれでも、この腹心が軍人として弁えている事を考えればそれを知り得る事はない。誰かに吹き込まれた可能性もあるが―――ならば余計に、わざわざ香月の前で口にする必要はない。
 その上に―――。

「今日、白銀武という鑑純夏の待ち人が来るって言われればね」

 現状、鑑純夏という存在を知っている人間はいるが、その鑑純夏が待ち望む人間―――即ち白銀武を知る人間は、香月とそれを読みとった社霞の他にいない。
 それ以外の白銀武の情報は、BETA横浜侵攻時に死亡となっているだけで、今更誰も見向きもしない。
 しかし疑問が湧いた。

「そう言えば、何で伊隅大尉は今日オレが来るって知ってたんですか?俺と伊隅大尉が初めて会ったのってXM3のトライアル以降のはずですが………」
「ああ、それは前回お前がこの基地に来てこの部屋で博士と二人きりになった時、私は部屋の外で待機していたからだ。何か不穏な事態でも起これば、すぐにでも制圧できる護衛としてな」

 最もそんな事態など起こらなかったが、と伊隅は付け足した。それに対し、白銀は成程、と得心した。
 よく考えてみれば確かにそうだ。如何に検査をし非武装だと分かっても、軍歴のある人間が天才とは言え一科学者である香月に害を成そうと思えば、素手でも十分だ。

「ま、伊隅の話は良いでしょ。それよりも、アンタ―――いえ、アンタ達の方が余程情報を持ってるんでしょ?」

 言って、香月は白銀と部屋に入ってきてからずっと腕を組んで黙したままの三神へと視線をやった。
 それを受け、白銀は頷いた。

「ま、それもそうですね。庄司、どっちから話す?」
「武からの方が良いだろう。おそらく、持ってる札は私の方が強烈だからな」

 三神はそう言うと、目を伏せて押し黙った。白銀としては、同じ因果導体である三神の話にも興味があったが、それは取り敢えず置いておくことにした。
 白銀武という人間を知る三神がそう判断したのだ。つまり、彼が持ってる情報は白銀が持っている情報よりも重く、信じがたいものなのだろう。故に、いきなりそれをぶつけさせるよりは、白銀の持つ情報を渡して耐性を付けさせてからの方がいいのだ。

「じゃぁ、オレから話させて貰います。伊隅大尉の話と重複する部分もありますけど、取り敢えず聞いて下さい。まず最初に―――オレは『この世界』の白銀武じゃありません」

 そして、白銀武は語り始めた。己が辿ってきた『あいとゆうきのおとぎばなし』を―――。





「成程、ね………」
「にわかには信じがたいが―――私にはその記憶があるしな」

 全てを話し終え、香月と伊隅が若干の疲労と共に吐息した。
 白銀の『元の世界』から始まり、オルタネイティヴ5が開始される『一度目の世界』、それからオルタネイティヴ4が完遂される『二度目の世界』。そして、おそらくは白銀の強靱な意志によって舞い戻ってきた―――この『三度目の世界』。
 いずれも、にわかには信じがたい話だろう。だが、香月には自身が提唱する因果律量子論によって説明が付けられるし、伊隅にとっては実体験が含まれる。
 妄想だと決めつけるには、心当たりがありすぎた。

「まぁ、いきなり信じろとは言いませんよ。『前の』夕呼先生だってオレを完全に信用したのは11月11日の佐渡島からBETAが侵攻してきた時ですから」

 BETAは人間の都合など気にしないし、こちらから干渉をしなければ未来が変わることはない―――それを逆手にとって、BETAの侵攻を予知する。それによって『前の世界』で白銀は香月の信用を勝ち取ったのだ。
 だから、この時点で白銀は香月の信用を勝ち取ろうなどとは考えてはいない。今の段階では、単なる手駒で良いのだ。
 信頼は後々積み重ねていけばいい。

「とにかく、これがオレの知り得る全ての情報です。さっきも言ったように、このままではオルタネイティヴ4は12月24日に凍結し、オルタネイティヴ5に移行。その結果―――人類は敗北します」
「それをさせないために、あんたは動くのね?」
「はい。今度こそ―――護るために」

 ふぅん、とまるで獲物を見つけた猫のように微笑む香月に、白銀は苦笑する。

「夕呼先生。オレは何も全部を護ろうだなんて今更ガキみたいな事言うつもりはないですよ。オレはオレの手の届く範囲―――突き詰めれば207B分隊やA-01、夕呼先生や霞、そして純夏が護れればそれで構いません。世界を救うのは、単なるおまけですよ」
「その中にそこの三神が入ってないようだけど?」
「こいつも因果導体ですからね。自分の身は自分で守れるでしょ」

 その答えに、今まで黙していた三神が僅かに微笑み、片目を開けた。

「その通りだ武。何せ人生経験で言えばお前よりも上だからな。先達として、後輩に頼っているようでは示しがつかんよ」

 言って彼はさて、と制服の上着からクシャクシャになった煙草を取り出す。

「来客用に灰皿は置いてあるだろう?香月女史」
「ここ、禁煙なんだけど」

 舌打ちしつつ、香月は執務机の中から灰皿を出した。いちいち従う必要はないが、白銀を越える情報を持つと仄めかしたこの男の機嫌を今損ねるのは拙い、と考えたからだ。
 彼は礼を言ってマッチを擦り、煙草に火を付けると紫煙を一度深く吸い込み天井に向かって吐き出す。
 非喫煙者に対する、彼なりのささやかな配慮なのだろう。
 無論、そんな配慮をするくらいなら始めから吸うな、と言うのが香月以下、非喫煙者達の意見なのだがそこは敢えてスルーだ。

「武の話が終わったようなので、私の方から色々話そうか」

 今し方出来た吸い殻を灰皿に落とし、三神は言う。

「まず最初に、私は武と同じ因果導体だが―――少しその立ち位置というか、状況が違う」
「と言うと?」
「私は武の言う『元の世界』とはまた違う『別の世界』からの異邦人だ。まぁ、平和度では武の『元の世界』とはどっこいどっこいだがね。BETAもいないしな。―――それはともかく、私がこの世界に最初に現れたのは2016年の事だ」
『っ………!?』
 香月や伊隅はおろか、白銀でさえ絶句した。
 2016年。香月の予想では今から10年後―――即ち、2011年前後には人類は滅亡している。それより五年後の世界を、この男は見たのだという。

「世界の終末。人類の死滅を前提とすれば、まだそうではなかった。人類は確かに生きていたよ。―――その二週間後に終末は訪れたがね」

 三神が最初に訪れた場所は、南アメリカにある前線基地だった。
 しかし前線基地とは言っても、後方とは既に連絡が付かず、それはおそらく世界中何処を探しても同じ状況だったのだろう。
 聞くところに寄ると、2004年にG弾による人類反攻作戦―――通称バビロン作戦が行われた。結果として四つのハイヴを落とすことに成功するも、2005年にはG弾は無効果され逆にBETAによる大反逆を受ける。
 その後になってようやく人類は国家の垣根を越えて一致団結することとなるが―――やはり遅すぎたのだろう。年々ハイヴ数は増えていき、2014年末には後方との連絡、補給が途絶えた。
 その後一年半も補給も無しにその基地が持ちこたえて来れたのは、BETAによる侵攻が数ヶ月に一度、その上大した数で無かったのと、基地に備蓄された食糧に対し人員が少なかったためだ。
 電力は自家発電で何とかなっていたし、戦術機などの兵装は基地の外―――即ち戦場を巡れば、BETAの食い残しという形でだが割と落ちている。燃料なども然りだ。

「自分で言うのも何だが私のような若い男は流石に珍しいようでね。適当に記憶を失ったと言うことにして情報を収集し、幸いにも戦術機特性もあったために戦術機に乗る訓練も受けた」

 しかし、三神が状況を飲み込み、行動を開始した二週間後。BETAの襲撃によって基地は壊滅した。総数は五個軍団規模。それに対し、戦術機は新入りの三神を含めて僅か12機―――中隊規模だ。
 防衛するにも圧倒的な戦力不足故に、三神の初陣は突撃級の突進により呆気なく終わった。

「次に私が目覚めたのは薄暗い洞窟の中だった。―――そしてすぐに兵士級のBETAに食われて死んだ。今にして思えば、『目覚めた先がハイヴ内』とは一体何の冗談なのかね」

 あくまでも気楽に告げる三神に、白銀達は二の句が継げない。形の上とは言えループの経験がある伊隅や、因果導体である白銀にはBETAに殺された記憶はない。
 いや、白銀に関しては覚えていないだけで、『鑑純夏から見た記憶』として経験がある。しかし体験はしていないのだ。
 それが、三神にはある。
 この時点でのループは僅か二回であるのにも拘わらず、BETAに殺された記憶があるのだ。その上、その内の一つは生身で食い殺されるという身の毛もよだつ程の経験。それがどれほど凄惨なものか、この場にいる三人には想像することしかできない。
 そしてそれ故に、笑って話すこの男に畏怖を覚えた。

「次に目覚めたのは何と北極だ。シロクマがいたから間違いないだろう。BETAこそいなかったが、私はその時スーツ姿でね。数時間後に凍死した」
「………スーツ姿?」

 香月の問い掛けに、三神は頷いた。

「ああ、私の『元の世界』での職業は交渉人でね。最後の記憶では銀行に立て籠もった犯人を説得してる所かな」
 因みに、今回もスーツ姿であったのだが、嗜好品(煙草)確保のために売り払ったとの事だ。食料などはなるべくその辺のネズミとか蛇とか食ってたそうな。

「その後もBETAと戦って死んだり武と出会ったりまたBETAと戦って死んだりするのだが、まぁその辺は割愛しておこう。敢えて言うならば、その戦いの中で私は強くなり、死ににくくはなったが―――結局最終的には死んでた訳だ」

 そして、彼は自分のループの法則を見いだす。

「私のループが死ぬことで発動するのは武と一緒だが、武のように基点がない。武は死ぬと10月22日の自室にて目覚めるようだが、私は何処で何時目覚めるかが分からない。それこそハイヴ内とか笑えない冗談みたいな展開も何度かある」

 だが一つだけ、法則性と呼べるモノがある。

「私は死ぬと、始まった日にちよりも前に逆行する」

 即ち、2016年に出現し死んだのならば2016年よりも前へ。そしてそこでまた死ねば更に前へ。

「そうして辿り着いたのは2002年1月―――正確には白銀武が、元の世界に帰る直前。即ち、オリジナルハイヴ制圧後」
「じゃぁ、俺を見送ったってのは………」
「そう。多分お前で間違いないだろう。あの時のパラポジトロニウム光はお前があの世界を去る前兆にして、私が現れる瞬間だったんだ」

 言った瞬間、白銀は三神の両肩を掴んで揺さぶった。

「霞はっ!?夕呼先生は!?宗像中尉や風間少尉、涼宮はどうなったんだっ!?つーか世界はっ!?人類は勝ったんだよなっ!?」
「お、お、お、お、おお落ち着け武………!今話してやるからまずその手を離せ………!」

 がくがく揺さぶられ、返答さえまともに出来ないながらも、三神は何とか意思疎通を図ろうとした。その甲斐あってか、白銀はばつの悪そうな表情をして手を離した。

「ふぅ、酷い目にあった………。―――結果から言って、人類は勝ったよ。地球上の全ハイヴを叩き潰した。それどころか月まで奪還できた。まぁ、私はその際に負傷して一線を退くことになったがね」
「火星は?」

 香月の問いに、三神は小さく首を横に振った。

「人的、物理的資源を鑑みても現段階では不可能―――と言うのが退役前に聞いた国連本部の結論だ。私も59歳で病死したが、確かその時は火星の先遣調査隊が無事に帰還していたはずだ」
「………。ちょっと待ちなさい。今、あんた何歳なの?」
「当年とってぴちぴちの約百歳だ」
『百歳っ!?』

 三人が驚愕する。

「因みにループ回数は三桁を超えている」
『三桁ぁっ!?』

 これに関しては香月と伊隅の二人だけだ。白銀は出会った時に三神のループ回数を聞いていたため、そこまで驚かなかったがやはり約百歳発言が効いているため混乱している。

「まぁ目覚めてすぐ死んだりしているし、きちんと数えた訳ではないからあくまで暫定だがな」

 だがどちらにしても、『この世界』にとっては長者番付に載ってしまう程の高年齢だ。
 オーストラリアやアメリカなどの平和な地域でさえそれほどの高齢者は数える程しかいない。理由としては様々な要因があるが、三神や白銀の『元の世界』のような高度な医療技術を民間人に受けさせる余裕がないと言うのと、やはり合成食に頼る食生活故だろう。
 最も、一部の医療技術は『元の世界』よりも異常に高度なのだがそれはやはりBETA大戦による影響にして弊害だろう。
 戦争をすると言うことは、それに付随する科学技術を無理矢理引っ張り上げる力となる。戦術機などがまさに良い例である。

「あたしの守備範囲をぶっちぎりで突き抜けてるわね………」
「まぁ、私の肉体年齢は24のままだがね。思考も今でこそ死ぬ間際と同じだが、いずれ肉体に引っ張られて若々しくなるかもしれんし」

 まぁそれはともかくとして、と三神はもう一本煙草を取り出した。先程まで加えていた煙草は、話の途中で消してしまったのだ。

「そうだなぁ、私の持ちうる最大のカードを教えようか香月女史」

 余裕たっぷりに告げる三神に、香月は訝しげに眉根を寄せる。それが崩される瞬間が楽しみでならないな、と三神は思い彼はこう告げる。


「先程武が言った『元の世界』の香月夕呼の数式。即ち、00ユニットを完成させるための数式―――私はそれを知っている」





「………何よこれ」
「本当に………」

 香月夕呼と伊隅みちるは戦術機シミュレーター室の一角でシミュレーションの映像を見て愕然としていた。リアルタイムで流れてくるそれは、二機の不知火が二機連携を組んでハイヴ内を攻略していく様子だった。
 ヴォールク・データ―――。
 史上初のハイヴ内突入。その際に得られたハイヴ内を再現した、現在存在するシュミレータで最大難易度を誇る―――はずだった。
 だが、目の前で行われている現象は一体何なのか。
 難易度はSS。即ち、地上支援など一切無く、また兵站もない。援軍も友軍もないないずくしの状況下、それでも二機の不知火は果敢にハイヴ内を進撃していた。
 どちらも三次元機動をこなし、必要最低限のBETAだけを掃討すると共に進軍する。その速度たるや、従来の比ではなかった。
 無論、彼等や伊隅の話の中で出てきたXM3は現在作られていない為に彼等の機動には限度がある。
 しかしながらそれを補って余る程の技量を二人は持っていた。

(これが………二人の実力………?)

 伊隅の記憶では、甲21号作戦時、光線級を護る要塞級を引きつけるために白銀が単騎で陽動を買って出たことがあった。
 確かにそれに比べては見劣りする。だがあの時はXM3があったのだ。今とは状況が違う。しかしその分を埋める要素として二機連携が組まれている。
 二人の連携は至って単純だ。まず、突撃前衛装備の白銀が駆る不知火が噴射跳躍しながら突撃し、続いて三神の駆る迎撃後衛装備の不知火が噴射跳躍しながら白銀機の足場を確保。確保された足場に白銀機が着地、それと同時に今度は白銀機が三神機の足場を確保。そして両方揃ったらすぐさま次の足場へと向かう。
 その単純な繰り返しだけで彼等は既に中層を突破、前人未踏の下層まで踏み入っている。
 最も、当然の事ながら本当にその繰り返しだけで進めるはずもない。その連携はあくまで基本方針だ。
 白銀は兎に角動き回る事でBETAの危険度を上げ陽動、三神はその陽動によって空いた穴を蹴散らす、等と言うこともしている。
 だがいずれにせよ作戦としては在り来たり。軍人としてはお粗末とも言って良い程の作戦で、しかし何故下層まで到達できるのか―――それは二人の精度にあった。
 白銀は機体の硬直時間を極力縮めることで、回避率を極限まで高めている。キャンセルのない従来OSでそこまでやるには、おそらく入力を極限まで細分化し、更には高速で入力しているのだろう。
 例えば腕を振り上げるという動作一つにしても、ただ単にいきなり腕を振り上げるのではなく、前に突き出し、その上で腕を上げるという動作を経ることで同じ結果に辿り着ける。
 確かに速度こそ若干緩慢になるが、その分予想外の事態に対処できるようになる。
 白銀機が妙にカクカク動いて見えるのも、細かく入力した動作がいちいちそこで止まるためだ。
 だが戦闘には支障はないようで、白銀機はそのポジションに相応しき暴虐の嵐の如くBETAを蹴散らしていく。
 対して三神は白銀と同じような入力をしているのだろうが、こちらは白銀に比べて若干見劣りする。
 シミュレータ開始前の本人の弁に寄れば『XM3に慣れすぎてるから出来るかどうか分からない』との事だが、しかしそこらのベテランより遥に上であるし、そもそも白銀に着いていける方がおかしいとも言える。
 だが、彼の驚くべき技術精度はそこではない。驚くべきは近中距離での射撃精度とその戦法だ。
 近距離の射撃精度は約98%。中距離は約95%。
 自身も迎撃後衛であるが故に、この射撃精度はあり得ないと伊隅は思う。その上、彼は突撃級と要撃級は必ず36mm三発で仕留めている。
 三発だ。突撃級は後方に三発。要撃級は尾に一発、頭部に二発だ。
 要塞級にこそ120mmを使っているが、それも必要最低限。弱点である結合部にみに絞られている。
 その徹底的な弾薬節約のためか、最下層付近に近い今現在、まだ総弾数の六割も残っている。
 更にはその戦法。
 基本的に白銀を前衛とした二機連携だが、ラインを押し上げるためか稀に三神も前衛に出る時がある。
 その際、彼は右手に突撃銃、左手に長刀を握るのだが―――長刀を『逆手』に握っていた。
 何事かと思ったが、すぐに得心する。
 彼は走り抜けると同時に長刀を振るっているのだ。
 通常、長刀を使う時は両手を使う。と言うのも、短刀ならばともかく長刀の重量で片手では戦術機の関節に負担が掛かりすぎてしまうのだ。
 だがその負担は振り上げ、斬り上げ、突き刺し、薙ぎ払ったりするからこそ発生する。無論、だからこそ縦横無尽な剣術を戦術機で再現できるのだが―――それをわざわざBETA相手にする必要はない。
 ならば『逆手』ならばどうなるか。
 当然の事ながら振り抜く事しかできない。
 しかしながら、それは最も機体に負担を掛けない長刀の振り方だった。
 何故ならば、走り抜けながら振るう長刀は振り上げるより速く、振り下ろすよりも遠心力による加重が見込め、何よりも次の動作への移行が速い。隙が出来てしまっても、左手にした突撃銃でその隙を埋めることが出来る。
 無論、対人戦ではこれは不可能だろうと伊隅は考える。常に一定方向からしか斬撃が来ないのだ。どこから来るのか予測できてしまえば、避けるのは難しくない。
 だがBETA相手にそれは関係ない。奴らは物量に任せて突撃してくるだけだし、避けることを考えない。
 故にこそ、その一刀はまさしく一撃必殺となる。
 ―――断頭台。
 香月と伊隅の脳裏にそんな言葉が過ぎった。


 シミュレーターの結果は、反応炉直前で師団規模にぶつかり、増援に挟まれ、更には推進剤が切れてしまったためにそこで終わってしまったが、それでも二人は前人未踏のヴォールク・データ下層踏破を成し遂げた。





「実はあんた達二人で全部のハイヴ落とせるんじゃない?」

 シミュレーター室から香月の執務室に戻って開口一番、部屋の主はそう言った。

「いやいくら何でも無理ですよ!今回は割とうまく行きましたけど、やっぱりXM3が無いと動きが悪いですし、S-11二つだけじゃ反応炉は落とせませんよ」

 香月の呆れの言葉に、白銀は反論する。

「何でよ。あんたの話じゃここの反応炉S-11二発で壊せたんでしょ?速瀬が自爆したんだっけ?」
「あの時は純夏が反応炉の一番脆い場所を速瀬中尉にプロジェクションしたからですって。それに、ここ以上に反応炉がでかかったらやっぱり火力不足でしょう」

 ま、それもそうね、と香月は頷くと改めて白銀と三神を見やった。

「それ、で?二人はどの階級を望むの?あたしの出来る範囲なら、如何様にでもできるけど」

 実力は言うまでもなかった二人に、香月は満足気に問いかけてきた。どうしようかと考えている白銀より先に、口を開いたのは三神だった。

「私は少佐で、武は中尉がいいだろう」
「その根拠は?どうせあんたが佐官になるのなら、白銀も佐官にすればいいじゃない。どっちにしてもあたしの骨が折れるんだから」

 士官ならともかく佐官ともなると、さしもの香月もねじ込むのにそれなりの下準備がいる。どうせ手間が掛かるなら、二人とも佐官にしても問題はないのだ。

「私はA-01を鍛えるつもりだからな。作戦時の指揮は今まで通り伊隅大尉が執れば良いだろうが、XM3を教導するとなると伊隅大尉と同階級では怒鳴る時に下の者が反発する。それを押さえ込むために少佐の地位がいる。武に関しては―――お前、今回207分隊の教導でもしようかとか思っているだろう?」
「う………。ばれてた?」
「何となく、そんな気がしただけだ」
「どういうことよ?」
「少佐という地位では彼女たちは妙に畏まってやりずらいし、かといって同じ訓練兵では彼女たちにちょっかい出す連中から護ってやれない―――それを考えると今は中尉という中途半端な階級が丁度いいだろう」
「ふぅん。やっぱり白銀、甘いのね」
「オレが甘いのは身内だけですよ。―――『この世界』じゃ、まだ出会ってもいませんけどね」

 207B分隊に関しては、心情的な意味でも戦力的な意味でも白銀は鍛えておきたいと思っている。ついでにA-01も鍛えようと思っていたので、それを三神が引き受けてくれるのならば白銀としてもありがたい。
 と言うのも、実はそこに白銀のジレンマがあったのだ。
 207B分隊には同年代だし気軽に接したい。無論、A-01とて同じ気持ちだが、あっちは実戦部隊だ。次の実戦が11月11日と分かっている以上、手緩い教導は出来ない。
 仲良し呼良しでXM3の真髄を、後二十日前後で叩き込めるとはとても思えない。
 であるならばやはり大尉以上を望むべきだが、そうすれば今度は207B分隊に接しづらくなる。
 あっちを立てればこっちが立たず。
 実のところ、三神と出会うまでその事で相当悩んでいたのだが―――当の本人があっさりと解決してくれた。

「ま、いいわ。三神は少佐、白銀が中尉ね。データベースにそう登録しておいてあげる。服とか階級章は後で部屋に届けさせるわ。―――伊隅も、いいわね?」
「はっ!―――期待してますよ?三神少佐、白銀中尉」
「任せておけ」
「『また』よろしくお願いします、伊隅大尉」

 敬礼し合う三人を眺めながら、さて、と香月は椅子に深く腰掛けた。

「あんた達の待遇は決まったわ。これで文句ないんでしょ?三神。―――とっとと数式、教えなさい」

 先程、しれっと三神が『00ユニットを完成させる数式を知っている』と発言したことにより、香月は例の如く取り乱した。
 無理もない。白銀の話の中で、現状進めている理論を否定され、更には修正された理論によって00ユニットは完成したと聞かされたのだが、肝心の数式はまだ分からないと言われたのだ。
 それを、この男は知っていた。
 当然の如く香月は三神に掴みかかり、揺さぶり、喚いた。
 白銀はああやっぱりこうなったかでも今回は俺が被害者じゃなくて良かったなぁ、という表情をしていて、伊隅に関しては忠誠を誓った上官の醜態に半ば引いていた。
 ややあって落ち着きを取り戻した香月に対し、三神はまずは自分達の待遇を決めてくれ、と言ったところでそれならばまず実力を見る、という展開になり先程のハイヴ攻略と相成った訳だ。
 結果は言うまでもなく最上。
 現状、世界中を探してもこの二人程の衛士は五人もいないだろう。
 であらば、この二人がどの階級を望んだところで政治的な面では香月が、実力面ではこの二人自身の力が周囲を納得させるに足る。
 無論、香月の出来る範囲内ではあるが―――この横浜基地に限って言えば香月夕呼は副司令であると同時に最大権力者だ。
 司令官であるラダビノット司令は実力はさておき、あくまでお飾りでその職に就いているに過ぎない。
 一応、香月のブレーキ的な役目もあるが―――たかだか一人二人の強引な人事にブレーキも必要ない。
 故に今、二人は望みうる上で最上の階級を手に入れたのだ。

「ああ―――っと、その前に社をそろそろ呼んでやってくれ。もうリーディングさせる必要は無いだろう?」
「………それもそうね」

 香月の若干の間に、三神は心当たりがあった。
 社霞は三神をリーディング出来ない。理由は分からないが、それは前回のループで知ったことだ。
 おそらく、今の間―――香月の胸中では舌打ちしていたはずだ、と三神は推察する。
 事実その通りで、三神と白銀がヴォールク・データをこなしている最中、社本人から報告があった。
 曰く、白銀武の言っていることは本当であり、少なくとも本人はそう思っている。しかし、三神庄司に関しては何故かリーディング出来ない。
 あわよくばそれで数式を手に入れてしまおうと思っていた香月にとっては大誤算である。
 ややあって、香月の執務室に銀髪の子うさぎさんが入ってきた。そして真っ先に白銀へと近づき、じっと見上げる。その反応に彼は苦笑すると、手を差し伸べる。

「こっちでは初めまして。オレは白銀武。―――君の名前は?」
「………………………知ってるはずです………」
「ああ、知ってるよ。だけど、オレが知ってる社霞と君はまた違うだろ?だから、名前を教えてくれないか?」
「………………社、霞です………」
「そっか。よろしくな、霞。あ、霞で良いよな?」
「………はい」
「よしよし。じゃぁ、握手だ」
「握手………」
「こうやって、手を握るんだ」
「………………握手………」
「ああ。思い出、一杯作ろうな」
「………思い出………私、思い出が欲しいです………」



「会話だけ聞いてるといかがわしさ爆発だな」



 何だか妙に良い雰囲気だったので三神が茶々を入れると、二人は顔を真っ赤にした。

「な、何言ってるんだよ庄司!これはコミュニケーションの一つでなぁ!」

 白銀は喚き言い訳を並べ立て、社は社で白銀の陰に隠れていた。うさ耳を模した髪飾りがぴこぴこ激しく動いている辺り、相当照れているのだろう。

「さすがは恋愛原子核。幼女はこうやって落すのか………。参考にならんが勉強にはなった」
「どういう意味だよ!」
「いや、私には幼女趣味は無いが、前の世界で気になってはいたんだ。―――何故社はあそこまで武に入れ込んでいたのか、と」
「んがっ!」

 言われ、思い出したのは前の世界から消える直前に受けた社霞の告白だ。そして次の瞬間、やばいと気付く。
 白銀が思い出してしまえば当然、社はそれをリーディングする。
 おそるおそる振り返ってみると。

「………………………」

 耳まで真っ赤にして俯き、髪飾りがぴこぴこぴこぴこ高速稼働していた。その内空でも飛べそうだ。
 その様子に微笑みを浮かべた三神は社の視線を合わせるように屈み込む。

「初めましてだ社霞。私の名は三神庄司という。さっそくで悪いが―――武を幼馴染みに会わせてやってはくれないか?」

 言われ、社の耳飾りの高速稼働が止まる。次いで、まだ真っ赤にしたままだが顔も上げた。しばらく三神を見つめていたが、小さくこくん、と頷いた。
 そして白銀の手を引いて部屋を出ようとする。

「お、おい霞?」

 振り払おうと思えば出来るが白銀にそんな度胸もなく、ただ引かれるがままに執務室の外へと出て行った。

「伊隅大尉。悪いが武についてってくれ」
「しかし………」

 伊隅とて、三神が人払いをしようとしているのは分かる。今更香月に害を成す理由は無いだろうが、それでもこの場を離れてしまって良いのか逡巡する。だが、当の香月が小さく頷いて。

「構わないわ伊隅。それに、もうこいつはあんたの上官よ。上官命令には従っときなさい」
「………はっ!」

 ややあって、伊隅は敬礼すると執務室を出て白銀達を追っていった。

「やれやれ。これで二人っきりになったな」
「あら、あたしにとってあんたは性別認識圏外なんだけど」
「こう見えても約百歳だが?」
「年齢高すぎて認識圏外ね」

 軽口を叩き合った後、三神は紙とペンを要求した。当然のように香月はそれに従う。
 それを受け取った三神は、テーブルにそれを置くと何も書く素振りも見せず、香月を見つめた。

「今から数式を書くが―――その前にもう一つばかり、要求がある」

 そら来たことか、と香月はほくそ笑む。当然、この事態は想定していた。ただ単に数式を教えるだけならば、あの三人がこの場にいても問題なかったはずだ。それなのに人払いした―――即ち、あの三人に聞かれてはならぬ事があるのだ。

「何かしら?」

 それはきっと、驚くべき内容なのだろうと香月は思っていた。だが結果的に、それは裏切られることとなる。
 ―――ベクトルとしては、上向きに。


「香月夕呼。貴方には、00ユニットになってもらう」



[24527] Muv-Luv Interfering 第三章 ~魔女の覚悟~
Name: 光樹◆63626ad3 ID:4ecd25b3
Date: 2010/11/29 16:18
(コイツ今、なんて言った………?)

 自分の城の中で、何故か香月は死刑宣告を聞いている気がした。いや、事実上の死刑宣告だ。
 何故ならば、目の前のこの男は00ユニットになれ、と言ったのだ。
 生物根拠0、生体反応0。故にこその00ユニット。
 それになると言うことは、即ち生物としては死ぬと言うこと。
 今更自分の命が惜しいなどとは思わない。香月は自分の命はBETAを屠るために使うと決めている。
 それ故のオルタネイティヴ4。それ故の00ユニット。
 手段を問わず、魔女と呼ばれ、その手を血に染めてきた彼女にとって、自分の命などBETAを屠れるのならば今更どうでも良いものだ。
 だが、それとこれとは話が違う。

「あんた、それがどういう意味か分かってるの?」

 香月の問い掛けに、三神は当然、と応えた。

「生物根拠0、生体反応0。つまり、香月夕呼という女は死ぬ。―――だが、00ユニットとして生まれ変わる」
「そんなの知ってるわ。聞きたいのは―――」
「適正の話かね?」

 やりにくい相手だ、と香月は思う。どうも思考が誘導されているようにしか思えないが、それも無理もないだろうと結論する。
 『この世界』の香月夕呼にとっては初対面だが、彼は『前の世界』の香月夕呼に出会っていて―――間違いなく全てを知っている。
 数式を『前の世界』の香月夕呼に託されたのだとしたら、『この世界』の香月夕呼の心情について知っていてもおかしくない。
 そしておそらく―――『前の世界』の香月夕呼は00ユニットになっている。

「それならば問題ない。考えてもみたまえ。その天才的な頭脳、恵まれた容姿、魔女と呼ばれる程の権謀術数。更にはA-01を始めとする00ユニット素体候補、第三計画中では最強とも言える能力を持つ社霞、脳髄にされた鑑純夏、その幼馴染みであり『この世界』の住人ではない白銀武―――その全ての中心に、香月女史はいる。00ユニットになる条件が、『無意識により良い未来を掴み取る能力』だとするならば、香月女史―――貴方程素体に優れた人間などいないよ」

 確かに、それはそうなのだ。
 今日まで考えもしなかったのだが、白銀の話を聞く限りでは、『前の世界』の香月夕呼は運に恵まれすぎている。
 無論、白銀という呼び水があってこその話だが―――それはあくまで最後の1ピース。それ以外を組み上げたのは、間違いなく香月夕呼本人だ。
 であるならば、香月にも00ユニット素体としての適正はある。ともすれば、鑑純夏を超える程に。

「―――幾つか質問するわ。いいわね?」

 有無を言わせぬ問い掛けに、三神はもちろんだ、と鷹揚に頷く。この辺の仕草は年季を感じさせる。伊達に約百歳を名乗ってはいないのだろう。

「まず最初に―――『前の世界』のあたしは00ユニットになったの?」
「ああ―――なった」

 直球が繰り出した玉はものの見事に打ち返された。だが、これは予想していたことだ。

「先程私は言ったな?『結果から言って、人類は勝った』と」

 即ち、そこに至るために様々な犠牲があったと言うことだ。
 三神が言うには、オリジナルハイヴを落した後、確かにBETAの学習能力は無くなった。だが、だからと言って油断できる状況ではなかったのだ。
 BETA最大の脅威は物量―――。
 それを知らしめるように、オリジナルハイヴを落された数百万のBETAは近くのハイヴへと向かう。
 受け入れたハイヴは、すぐに飽和状態となり人類への逆襲を始めた。

「他の連中は冷水をぶっかけられた気分だったそうだよ。まぁ、オリジナルハイヴを落して浮き足立ってたのは理解できるが、佐渡島の例があるんだから少し考えれば分かるだろうに」

 苦笑する三神はあくまで他人事だ。
 国連上層部はすぐにでも香月夕呼に支援を求める。
 さて困ったのは『前の世界』の香月夕呼だ。何しろその時の彼女には既に手駒が無かったのだ。
 宗像や風間は生きてはいるものの意識不明の重体。涼宮妹は負傷していて出撃できない。
 オリジナルハイヴから生還できた白銀は『元の世界』へと帰ってしまったし、同じく生還できた社はオペレーターとしては優秀だがやはり戦力外。
 そして頼みの綱の00ユニットは機能停止状態。
 唯一動ける人間として、三神がいたものの、ベテランとは言え衛士一人でユーラシア大陸全土で起こっているBETA大逆襲をどうにか出来るはずがない。
 当然の事ながら香月夕呼はこう言った。今は無理、と。無理でも何でもやるんだよ、と言わんばかりに上層部はせっついてくるが、無い袖は振れない。
 しかしそんな押し問答をしている中、独自に行動する勢力があった。

「オルタネイティヴ5ね?」
「ご明察。それもとびっきりの過激派だ」

 既に虫の息であったオルタネイティヴ5だが、これを機に勢力図をひっくり返す算段を立てたのだ。
 なんと、手近なハイヴに片っ端からG弾を落したのだ。―――それも無許可で。
 おそらくは相当焦っていたのだろう。確かに人類の宿願であるオリジナルハイヴを敵対していた勢力に落されたのだから焦るのも仕方がないのだろうが―――しかしこれはあまりにも無謀且つ無駄だった。

「因果応報と言うべきかね。因果導体である私が言うとやけに真実味があるが」

 結果として―――G弾はBETAに通用しなかった。
 BETAは明星作戦の際に、既にそれを学習していたのだ。一発目で対応できたのは、おそらく鑑純夏から情報が流出していたためと思われる。

「現場の話によると、G弾の入った再突入殻ごと光線級に撃墜されたそうだ。BETAはG元素に反応する習性があるから、それを利用して見極めたのだろう、とは『前の世界』の香月女史の弁だ」

 それによりG弾神話は脆くも崩れ去った。
 その上、オルタネイティヴ5の独走―――無許可でG弾投下は流石に各国が黙ってはなかった。
 特にG弾信奉者の多い米国などは見ていて可哀想になるぐらい他国の信頼を失墜していったそうだ。
 折しもオルタネイティヴ5=米国という偏見という名の等式が既に成り立っていたために起こった―――オルタネイティヴ4側からしてみれば喜劇だ。
 しかしながら、今回ばかりは対岸の火事ではなかった。
 G弾が無効果されれば、当然の如く00ユニットに白羽の矢が立つ。だが、前述したように鑑純夏は既に機能停止状態にあり、再起動出来たとしても、それはもう鑑純夏ではないただの人の形をしたコンピューターだ。
 さて進退窮まってきた―――。

「素体候補であるA-01は残り三人。宗像、風間、涼宮。しかしこの三人は素体としてはあまり良くなかったらしい。社も志願してきたが、香月女史は断っていたよ。多分、心情的なものだろうが―――まぁ、私の預かり得るところではないな」

 無論、その中で三神自身も候補に挙がった。適正としては、因果導体である彼は非常に高い―――のだが。

「そんな時に香月女史は閃いたそうだ。―――自分自身はいったいどうなのかと」
 そして調べてみた結果、驚くべき数値が出たそうだ。
「まさか鑑と同等以上とは、ねぇ」

 三神の言葉に絶句していた香月は、呆れた表情と共に呟いた。
 そして『前の世界』の香月夕呼は決断したそうだ。

「状況が今と違うからな。数式は手元にある、鑑純夏によって成功する前例は作ってある、素体適正はその鑑以上―――後は、誰が手を下すか」

 そこでお鉢が回ってきたのが三神だ。香月夕呼としては、あまり近しい人間には手を下させたくなかったのだろう。副官であるピアティフ中尉にも何も言わなかったそうだ。
 そしてその段階で、三神は『既に次のループが決まっていた』。

「次のループの事を考えれば、いちいち武を『元の世界』に送らなくても、私が覚えてさえいれば事足りる。そう言う意味も含めて、私が適任だったんだ」

 そして、香月夕呼は00ユニットなった。

「そこから先はもう八面六臂の大活躍だ。対BETA相手には凄乃皇を使って無双。量子電導脳をフルに使っての兵器開発。リーディングやプロジェクションを用いた洗脳とも言える権謀術数。古今東西、何処を探しても貴方以上に世界を好き勝手出来た女はいないだろうよ」
「まるで世界征服の夢を叶えた独裁者ね」
「言い得て妙だ。事実、貴方の近くにいた私は00ユニット脅威論を掲げた連中の気持ちが分かりすぎる程に分かったからな。―――無論、香月女史は真っ先に奴らから潰したが」

 後に付いた渾名が魔女ではなく女帝なのだから笑えない。因果導体として世界を繰り返し、百年近く経験を蓄えている三神をして、どんなチートだ、と思わずにはいられない程だ。

「ともあれ、そうしている内に七年で地球のハイヴは片づいた。月を取り戻すのにそこから二十年程掛かるが、これは物資や人材が足りなかったためだ。それをクリアしたら、実質一年も掛からなかった」

 その後の火星は、更に物資や人材が必要だった。因みに、三神が天寿を全うする間際に聞いた話では、火星の先遣調査隊を率いていたのは香月だったそうだ。
 とは言え、00ユニットは歳を取らない。国連の上層部は00ユニットの正体を知っているから良いとしても、周りは知らないのだ。
 しばらくは本人として特殊メイクなどで誤魔化し、二十年ぐらい経ってから娘として立ち振る舞い、火星調査の時は孫として香月姓を名乗っていたそうだ。

「因みに、あんたは何やってたのよ?確か、月で負傷して一戦を退いたんでしょ?」
「ああ、一応その後教官職に就いた。因みに、神宮司軍曹の後釜だ」

 00ユニットの正体を知っているのだ。当然、香月の手の届く範囲にいた。

「ふぅん………。社は?」
「相変わらず香月女史の助手だ。私としても妹というか娘みたいな感情が芽生えていてな。彼女が四十過ぎるまでは見合いを勧めていたんだが―――武のことが忘れられないそうでなぁ」
「あんたが貰ってやれば良かったじゃない」
「その時私はちゃっかり結婚していてな」
「あんた割と人生謳歌してるのね」
「仕方ないだろう。『元の世界』では仕事漬け、こっちに来てからは戦闘漬け。そうやってやっと手に入った『次に死ぬまで』の平穏なんだ。ループの原因も分かっていたし―――少しぐらいはっちゃけた所で問題なかろう?」
「ループの原因が分かったですって………?」
「それについては後で話そう。その為の人払いだ」

 三神は軽く手を振って煙草に手を伸ばそうとして―――舌打ちした。先程のが最後の一本だったらしい。

「ま、いいわ。じゃぁ、次の質問。―――鑑純夏はどうすんの?」

 言外に白銀はどうすんの?と聞かれ、彼は軽く頷いた。

「簡単な話だ。―――香月女史が00ユニットになればな」

 三神が言うには、00ユニットの人格移植技術を使って、鏡純夏を人間に戻すらしい。肉体に関しては、との香月の問いにBETAの製造プラントを使うと答える。

「BETAはクローン技術で増殖する。その際、反応炉内にあるデータを参照するが、この横浜基地にある反応炉は鑑純夏のデータを持っている。何せ、ここで彼女は解体されたのだからな」

 00ユニットになった香月が最初に行う作業はプロジェクションによる反応炉のハッキングとクラッキングだ。これには00ユニットに欠かせないODLによる防諜対策も兼ねる。
 反応炉の制御を乗っ取り、まずは通信機能を破壊する。その上で、現在封印されているBETA製造プラントと思わしき区画を解放、再起動させる。
 BETA製造にはG元素が必要だが、人間一人の生成程度ならばこの横浜基地内にあるサンプル用のG元素で十分だ。
 プロジェクションにより乗っ取っているため、間違ってもBETAは生成されない。
 更にクローン技術とは言っても、BETAのクローンは今現在人類が持っているそれよりも格段に進化している。その為、ドリー現象のような遺伝子上の致命的欠陥は皆無、更には肉体年齢も自由自在となる。
 その上で、鑑純夏の意識を今の脳髄からクローン体へと移すのだが―――。

「その上で注意したいのは鑑純夏の精神だ」
「社から聞いてある程度は分かってるし、白銀からもさっき聞いたけど………どうなの?」
「おそらく、新たな肉体を手に入れてもすぐに安定はしないだろうな。むしろ、量子電導脳が無い分、武が直接話しかけたとしても『物わかりが悪い』だろう。―――最悪、精神が崩壊する恐れがある」

 だからこそ00ユニット香月夕呼が必要だ、と三神は言う。

「プロジェクションを用いて説得―――最終的には、真実を伝える」
「―――記憶を封印するのではなくて?」
「如何に00ユニットの能力が高くても、精神を完全にコントロールすることは難しい。誘導するだけならともかくな。もし封印したとしても、似たような体験―――例えば武と結ばれるなどして記憶の関連付けが行われれば、思い出してしまうかも知れない。―――そうなれば、今度こそ鑑純夏は壊れるだろう」 

 だからこそ、まだ脳髄である内に全てを知り、納得ずくで人間に戻る必要がある。成程、と頷く香月に対し、三神はそろそろかな、と予測する。

「―――で?私のデメリットは?」

 そら来たぞ、と三神はほくそ笑んだ。このために本来の交渉術とは逆の手順をわざわざ踏んだのだ。
 通常の交渉は、デメリットを先に挙げてからメリットを挙げる。
 理由としては、提示されたデメリットに対して気落ちしている所にデメリットと同等のメリットを提示されると、それがデメリットを遥に上回るメリットに見えてしまうのだ。
 勿論、冷静に考えればそんなことはない。
 だが三神が相手してきたのは、極限状況下の立て籠もり犯などだ。そんな状況下の人間は、藁にも縋りたくなり、割と簡単にそれを掴む。
 無論、それまで他愛のないやりとりをしたり、可能な限り犯人の要求を聞いたりしてある程度の信頼関係を築いておく必要があるが―――まぁ、それはともかく。
 省みて、今回はどうか。
 相手は理性を失った立て籠もり犯ではない。理性を武器に世界と立ち回る極東の魔女だ。
 00ユニット完成の鍵が目の前にあるというある種極限状況下だが―――むしろだからこそ慎重に事を進める。
 先程の醜態は一時的に理性ゲージが振り切っただけで、今では通常運行していることだろう。
 であらば、人間心理を逆手に取った交渉術は、逆に下策だ。
 今まで振りまいてきたメリットに対し、小さな―――そして大きなデメリットを挙げる。その上で決断を迫る。
 これが三神の考えてきた対香月夕呼戦の策―――その第1段階。

「香月女史のデメリットは唯一つ。―――貴方の命だ」
「つまり、あたしの命をベットにしろって事ね?」
「今更加減が強いがね。とは言えその命、とうの昔に地獄に向かう覚悟は出来ているだろう?」
「まぁ、ね………」
「因みに、無論逃げ道はある。鑑純夏を00ユニットにすればいい。ここで首を縦に振った後、心変わりしたとでも言って同じように鑑純夏を使うとかね。―――無論、私は敵に回るし、場合によっては武も鑑純夏も敵に回るだろう」

 三神のその言葉に対し、香月は眉を顰める。わざわざ言葉に出して逃げ道を潰しに来なくてもいいのに、とでも思ったのだろうが彼としても香月夕呼00ユニット化は死活問題に直結しかねないため割と必死なのである。

(因果導体から解放されるためにも、何としても香月女史には00ユニットになって貰わねばな………)

 その為には手段を選ばない。そう言った部分に関しては香月と似通った思想をこの男は持っていた。

「他にデメリットは?」
「今のところは思いつかないな。『前の世界』の香月女史はその賭に勝ち、確かに好き放題していたから。最も、私に話さないだけで、それなりの苦悩はあったのかも知れないがね」

 三神の言葉は本当だが―――香月にしてみれば嘘かどうかは測りかねる。社でもいれば別だが―――いや、その彼女でさえ三神の思考は読めない。
 厄介な男だ―――と香月は思うが、逆にこの手の男が味方に付けばこれ程心強いことはないだろう。
 何しろ、今まで政治的な分野に関しては彼女一人でやって来たのだ。文官出身とは言え技術屋のピアティフには任せられないし、衛士である伊隅も無理だ。社はリーディングという最強の矛があるが、性格的にも年齢的にも腹芸が出来る訳がない。ラダビノット司令に関しても頭は回るが香月程の権力はない。
 故に、こと政治面に関して、彼女は孤独だったのだ。だから、損得抜きにこの手の人材は欲しく思う。
 しかし、00ユニットになればそんな憂鬱な作業からは解放される。そうなると政治力に関しては三神は要らなくなるのだから皮肉な話だ。
 さてどうするか―――と、思ったところで逆に気付く。

(成程、確かにこれは誘導されてるわ)

 流石交渉を生業としてきた人間は違うわね、と香月は感心する。実のところ、三神が香月に出会った時既に勝敗は決していたのだ。
 わざと先に白銀に話をさせて、それを踏み台に自分の話に適度なインパクトを持たせる。
 この順序を逆にすると、インパクトがありすぎて場が混乱するし、白銀の話も聞くことを考慮すると時間の無駄だ。
 故に白銀、三神の順になった。
 そして話の後のヴォールク・データ。
 その結果を見るに、情報としても勿論だが純粋に戦力として欲しくなる。更に彼はA-01を鍛え、戦力の増強まで提案してきている。手駒が強くなるに越したことはないのだ。
 この時点で、既に香月にとって三神は無視できない存在になっている。本人はほぼ身の上の事しか話さず、衛士としての実力しか示していないと言うのにも拘わらず、だ。
 そして極めつけは人払いをした上での―――メリットのばらまき。
 代りに示されたデメリットは香月夕呼本人の命一つのみ。それもこの男の言葉が正しければ生物学的に命を失うだけで香月夕呼の意志は動き続ける。
 更にその気になれば、BETAの製造プラントを使っていつでも人間に戻れる、と鑑純夏を例に仄めかしているのだ。
 つまり、言外にこう問われているのだ。
 即ち―――命ほしさにこの提案を蹴るのか、と。


(―――冗談じゃないわ………!)


 表情には出さず、魔女は猛る。
 この極東の魔女、横浜の女狐を甘く見て貰っては困る。今までさんざ汚してきたこの手は、心は、今更自分の命を大事にする、出来る程綺麗でも醜くもない。
 そんな次元は、既に突き抜けた。
 欲したのは人類の勝利。
 捧げたのは人としてのモラル。
 故にこそ、魔女は魔女として釜を造りだし、最後は地獄の業火で焼かれるのみ。
 外道というならば罵るがいい。狂人というならば蔑むがいい。
 例え人外のイキモノとして他の誰かに認識されようがそんなことは知ったことではない。
 他人の価値観など必要ない。
 望んだのは人類の勝利唯一つ―――。
 それ以外のものは望まないし必要ない。
 なればこそ、自分の命など安いものだ。
 ああいいでしょう、と香月は思う。
 必要ならばこの命、いくらでも差しだそう。
 白銀や三神の話を聞くに、人類の勝利に香月夕呼は必要不可欠。00ユニットになることで『本当に』死んでしまえば、そこで世界が終わる。詰んでしまう。
 だが『生き残れば』―――。

(残っているのは消化試合、か)

 理論は別世界の香月夕呼。実証者は前の世界の香月夕呼。その二人の尻馬に乗っかろうというのだから、研究者としては失格ねと嘲笑しつつ、しかし香月は既に覚悟は出来ている。
 名誉もプライドも自己満足も必要ない。
 繰り返す。必要なのは人類の勝利のみ。
 だからこそ、香月は三神をしっかり見据えてこう言った。


「―――いいわ。この魔女の命、好きに使いなさい」


 そして彼は契約成立だと言わんばかりにテーブルの上に置いた紙に数式を書き始め、それを香月に渡す際こう告げた。

「では、交渉成立記念に私の因果導体解放条件をお教えしよう」

 そしてこれこそが三神庄司の『本命』だった。





「にしてもびっくりしたなぁ………」

 基地内の自室―――前回や前々回と同じ部屋だった―――に割り当てられた白銀は、硬いベッドの上に身を横たえながら先程のことを思い出して呟く。
 あのシリンダールームで脳髄状態の鑑と再会した後、香月の執務室に戻るなり部屋の主はいきなりこう宣言したのだ。

『白銀。00ユニットにはあたしがなるわ!』

 まるで何処ぞの海賊のような軽いノリで言われ、白銀は疎か、社や伊隅でさえも硬直した。
 当然のように驚愕し、鑑はどうなるのかと色々疑問も出てきた。だが、その全てに香月は的確に答え、ついに白銀は納得した。

「純夏が―――人間になれる」

 無論、諸処の問題は細々とある。それこそ手段に始まり鑑純夏の精神状態、戸籍に至るまで。だがその全てを解決できる能力を香月は持っていた。
 なればこそ、白銀にとってそれは喜ぶべき事だ。
 愛した女が疑似生体の塊ではなく、生身へとなれる。
 共に人生を歩み、歳を取り、そして朽ちていく。

「でも、戦場に立つんだよな………」

 国連上層部は鑑純夏が00ユニットになることを知っている。それを逆手に取り、しばらくの間―――00ユニットとなった香月夕呼が00ユニット脅威論を掲げる勢力を片付けるまで―――00ユニットとして擬態することとなったのだ。

「まぁでも、それでいいのかな」

 鑑純夏に戦術機特性があるのかないのかはこの際さておいて、彼女が乗せられるのは擬態としての役目もある以上、当然凄乃皇になる。
 ある意味で、一番安全な戦術機である。

「しかし今回は色々勝手が違うなぁ………」

 まず同業者―――というか理解者がいることに驚いた。そして香月の00ユニット化は、その理解者こと三神庄司の提案だそうだ。
 ついでに、鑑純夏人間化の案も彼だ。
 更に伊隅も前回の記憶がある。
 シリンダールームで聞いた話によると、何と彼女、例の幼馴染みとやっとこさ一線を越えたそうだ。
 それに対し、白銀は自分のことのように喜んだ。と言うのもやはり自分の境遇と重ねているのだろう。
 その伊隅だが、記憶を取り戻したのはつい10日前のようだ。確か三神が『この世界』に出現したのも10日前なので、おそらくはその影響で一部の因果情報が流れ込んできたのだろうとは香月の弁。
 それにしても、記憶を取り戻して香月に事情を話すとすぐに休暇申請を取り、続いて温泉作戦を断行するとは恋する乙女の行動力は凄まじいものがあると白銀は感心していた。
 それはともかく。

「懸念事項もなくなったし、取り敢えず―――いい方向には流れてる、よな?」

 白銀は既に因果導体ではない。前回のループでその原因が死んでしまったのだから、言うまでもない。
 今回のループは、原因は曖昧なもののあくまでイレギュラーなものだ。白銀の話を聞いたこの世界の香月が言うには、再びループした際、白銀武の因果情報は二つに分かたれたそうだ。
 即ち、鑑純夏が望んだ新しい世界へ向かった白銀武の因果情報と、こちらの世界に残った因果情報。
 篩いに掛けられる条件は、彼の記憶。
 あちらの世界に行ったのは、平和な世界で暮らしていた記憶達。
 こちらの世界に残ったのは、こちらでずっと戦ってきた記憶達。
 故にこそ今の白銀は、平和な世界での記憶が曖昧だ。強烈な出来事はまだ覚えているが、まるで虫食いの林檎のようにあちこち欠落していた。香月の話によると、白銀武が白銀武であるために必要最低限の記憶は確保されているものの、今日以降それに絡まない記憶から順繰りに無くなっていく、とのことだ。
 しかしそうなると、00ユニット完成の為の理論を回収できなくなってしまう。あれは白銀がいた『元の世界』の香月夕呼が纏めたもので、前回理論を回収できたのは、白銀が『元の世界』を強く望んで認識したからであり、その起爆剤となったのは『元の世界』の記憶達だ。
 だからこそ、目下最大の懸案事項だったのだ。
 実のところ、香月と対面しても妙案は浮かばず、ぶっちゃけどうしようとか考えていた。
 そんな中、あの三神の『その数式知ってるぞ』発言。

「それにしても、庄司の奴―――オレのことをよく知っているよなぁ」

 不意に思うのは、三神のことだ。
 数式にも驚かされたが、それ以上に彼は白銀についてよく知っている。否、知りすぎている。その結論に至ったのは、実のところヴォールク・データの最中だ。
 白銀が何処へ行こうとしているのか、そこに至るために何が邪魔で、何をしなければいけないのか、彼は全て理解しそして行動していた。操作技術もさることながら、その先読みも半端なものではなかった。その上、207B分隊を気に掛けていることも知っていた。

「んー。………やっぱりオレは会ったこと無いんだけどなぁ」

 思い出そうとしても思い出せない。それも仕方ないだろう。おそらくは何度か繰り返したはずの『一回目の世界』で出会っていた。ならば、鑑純夏の無意識の嫉妬によって再構成の際に消えてしまう。
 『二回目の世界』では、完全に入れ違いだ。
 もう一つ可能性があるとすれば―――この『シロガネタケル』とは本当に出会っておらず、彼が出会ったのは別の『シロガネタケル』だという可能性。
 だがどちらにしろ、確認のしようがない。まぁ今のところ問題は無いので、気にすることは無いだろうと白銀は結論を出す。
 因みに、当の三神は香月と社を交えて早くもXM3のプロトタイプを作っているらしい。今夜中にもα版が出来るので、早ければ今夜からデバックを白銀と三神の二人がかりで行うようだ。

「―――深く考えても、仕方ないか」

 しかしそれまで暇な白銀は、こうして思索に耽っていたのだが、やはり頭を使うのは慣れていない上に結論が出ない袋小路に至るやいなや、すぐに放り出す。
 そんなおり、部屋のドアが軽くノックされた。

「はーい。どうぞー」
「失礼します」

 適当に返事をした白銀だが、その声が聞こえた途端、即座に跳ね起きる。この声は間違いない、彼女だ―――と確信し、ドアが開いてやはり安堵する。
 そこに立っていたのは国連の軍服に身を包んだ神宮司まりも。階級はあの時と同じ軍曹。
 瞬間的に、白銀の涙腺が緩む。思い出すのはやはりXM3のトライアル。さんざんな初陣の後に掛けられた、かつての鬼軍曹とは思えない程の優しげな言葉―――そして襲う悲劇。
 それを苦に逃げたガキがもたらした、『元の世界』での重い因果。
 自分が生涯背負うべき十字架を再認識し、しかし白銀は決意を新たにする。

(―――貴方のお陰でオレはここまでやってこられました。もう、貴方をあんな目に遭わせません。今度こそ―――今度こそ救って見せます)
「あの………中尉?」

 気遣わしげな神宮司の声が、白銀の意識を引き戻す。怪訝に思うのは無理もないだろう。軍服とID等のもろもろ一式を持ってきてみれば、目の前の上官は何故か涙目になっているのだから。
 こんな事ではいけないな、と思いつつ白銀は小さく自嘲する。

「いえ、何でもないですよ軍曹。ちょっと目にゴミが入っちゃって、今まで格闘してたんです」
「はぁ、そうですか………。あ、これ、制服とIDになります」
「ああ、ありがとう。―――今後の予定は聞いてますか?」
「はい。207B分隊の教官をして頂けるとか」
「そんな大層なものじゃないですよ。それに、基本は軍曹が教官を務めます。オレは少し口出しする程度です。教官職の最高位は軍曹ですからね。中尉のオレはあくまで補佐です。本格的に動くのは―――総戦技演習を越えてからですね」

 即ち、戦術機教習課程に入ってからだ。

「今、戦術機の新しいOSを夕呼先生達が作ってます。その新OSは絶大な効果が認められますが、ベテランになればなるほど扱い慣れるのに時間が掛かります。しかしそれを何も知らない訓練兵が最初から学べば―――どうなるかわかりますね?」
「既存の概念が無い故に―――吸収も早い、と」

 その通りです、と満足気に頷く白銀に、しかし神宮司はいい顔をしない。当然と言えば当然か、と白銀は思った。
 自らが手塩に掛けた教え子がそんな人体実験みたいなプロジェクトに参加させられるのだ。真の意味で生徒思いのこの教官が、いい顔をするはずがないのだ。
 だからそれを安心させるように白銀は言う。

「大丈夫ですよ。神宮司軍曹には先んじてそのOSを試して貰います。もしも気に入らなければ『こんなものを訓練兵に使わせる気か!?』って突っぱねることも出来ます。―――最も、気に入って頂けるでしょうけどね」
「はぁ………」

 しかし神宮司の返答は色よくない。これ以上は仕方ないかなぁ、と苦笑しつつ話題を切り上げるため、明日から顔出しますんで宜しく、と告げると退室を促した。
 神宮司がいなくなった後、白銀はぽつりと呟く。

「大丈夫ですまりもちゃん。―――オレも一緒にあいつ等を鍛えますから」





 カタカタと、キーを叩く音だけが部屋に鳴り響く。ここはB19階にある電算室。その一室で三神と社は二人でキーの多重音を奏でていた。
 既にXM3の基礎は組まれている。後は細かな部分を修正してやるだけだ。少し前まで香月もいたのだが、社はともかく三神が思ったよりもプログラマとして優秀だったので、後は任せると言って出ていった。
 彼が優秀なのは『前の世界』の香月夕呼に叩き込まれたためだ。
 本来の彼の得意分野は交渉と戦術機なのだが、00ユニット作成の為に香月にその辺の知識を教わることとなる。―――それもスパルタで。
 間違えるごとに飯時のおかずが一品消えていくという生存本能に直結する恐怖の罰ゲームがある故に、三神は心底努力した。それはもう頑張った。あんなに頑張ったのは、警察大学校の入試以来ではないだろうかと思う程だ。
 その甲斐あって、今現在の彼には並の技術士を軽く越える能力がある。
 それを確認したが故に香月は自分の研究に着手することにしたのだ。三神もXM3完成の目処が立ったので、特にそれを咎めることはしなかった。片手間にではあるが自分も他事をしているし。
 そんな訳で。今この部屋の中は百歳の若年性爺さんと子うさぎさんしかいない。

(―――どうしたものか)

 会話が無い。圧倒的に無い。今この部屋に響くのはキーボートのセッションのみ。重苦しいことこの上ない。
 手だけは動かしつつ、三神は物思いに耽る。

(やっぱり、警戒されているな………)

 バッフワイト素子などでリーディングブロックされている訳でもないのに、相手の思考が読めないというのは、社霞にとっては初めての体験なのだろう。
 実のところ、三神にとってこの経験は二度目だ。
 一度目は言うまでもなく前回のループ。それ以前は既に社は外宇宙に飛び立った後だった。
 その時にも思ったことだが、社霞という少女はリーディングを毛嫌いしつつもそれに依存している。本人も自覚はあるのだろう。幼女然としているものの、その思考は下手な大人よりも余程発達している。故に気付いていないはずがない。
 前回の社は白銀の影響か鑑の影響か―――あるいはそのどちらもか、ある程度他人に心を開いていたから大した労力は必要なかった。
 無論、最初は拒絶に近いものがあった。
 後から本人に聞いた話によると、怖かったそうだ。リーディング出来ないが故に、三神が自分に対し何を思っているのか分からなくて。
 結果として、分からないからこそ社は恐る恐るではあるが三神に接触を図り、そして三神庄司という存在を知り得た。
 そこからは、むしろ彼女の方から積極的に接触を図ってきた。分からないからこそ、新鮮だったのだろう。
 そんなやりとりをする内に、三神と社の間には奇妙な信頼関係ができあがっていた。それは父と娘のような―――あるいは兄と妹のような。
 男女の仲にはならなかった。互いが異性としてあまり認識していなかったせいもあるだろうが、社には白銀という思い人が、そして三神にはその時既に恋人がいた。

(まぁ、そんなことはさておいて―――)

 やはりというか何というか、自分はどうも若干傷ついているらしい。『前の世界』の社霞と『この世界』の社霞は別人だ、と頭で理解していても、娘のように妹のように思っていた少女に、こうも頑なまでに拒絶されるとやはり心の一部が疼く。

(明日はA-01と顔合わせするというのに―――大丈夫か私は)

 あの中には『前の世界』で最期まで連れ添った彼女がいる。当然のように、その彼女も初対面のように接してくるだろう。その時、三神は本当に大丈夫なのか不安になる。

(齢百を数えるというのに、情けないことだ)

 自嘲し、ならばとばかりにキーを叩く。そして最後の調整を終えると、一際強くエンターキーを叩いた。それが部屋に響き渡り、社はびくり、と肩を振るわせた。
 その様子を横目で見つつ、こういう小動物っぽい仕草は変わらないな、と苦笑する。

「―――さて、私の方は終わったが、社の方はどうだ?」
「………いえ………今、終わりました」
「そうか。ご苦労さん」

 労ると、社は答えず耳飾りの片方をぴこ、と動かした。
 作業は完了した。後は統合すればα版の完成だ。それをする際には香月に立ち会って貰った方がいい―――XM3のハードはオルタネイティブ4のスピンオフ故に、それの兼ね合いは香月にしか分からない部分が多々あるのだ―――ので、三神は室内に備え付けられた通信機を手に取るとピアティフ中尉へと繋ぎ、香月への伝言を頼む。本人に直接言っても良いのだが、彼女は一度集中し始めると物理的に妨害されるまで外界に反応しない場合がある。そして妨害されると大抵機嫌が悪くなるのだ。中尉には申し訳ないが、人身御供になって貰おう、と三神は考えたのだった。
 さて、後は彼女が来るまでやることが無くなった。それまでどうしてようか―――と思案していると、子うさぎさんがこちらをじぃっと見ていた。

(リーディングしようとしているのか?―――まぁ、多分無理なんだろうが)

 ふむ、と三神は考える。ここらで一つ、彼女との信頼関係を築くのも悪くはないな、と。彼本人としても社を憎からず思っているのだ。すぐには無理かも知れないが、なに、時間なら山程ある。
 ここでのやりとりが、これ以降に続く試金石になればいい。
 だから三神は社に向かって手招きしてみた。

「………?」

 その意図が分からなかったのか、取り敢えず社も三神の真似をしてみた。それを微笑ましく思いながら、今度は口にも出してみる。

「こっちにおいで」
「………!」

 今更ながらその意図に気付いたのだろう、びくんっと身を仰け反らせ、その真意を探るためか上目遣いでこちらを見てくる。
 しかし三神はそこで腕を組み、目を伏した。
 言うまでもなく小動物は臆病だ。追えば逃げる。ならばじっと耐えて好奇心が刺激されるまで待つのみだ。
 やがて、三神の肌が風の動きを捉えた。こんな室内に風が吹く訳がない。吹いたのは―――誰かが動いたから。
 その誰かは、言うまでもないだろう。
 伏した目を片方開いてみれば、目の前に社。椅子に座っていたため、視線は丁度いい位置にあった。
 深い蒼の瞳に微笑みかけ、三神はゆっくりと社の頭に手を伸ばして撫で始めた。
 一瞬だけ彼女は膠着するが、すぐに警戒を緩めされるがままにされている。

「お疲れ社。よく頑張ったな」

 もう一度労いの言葉を掛けてやると、社はぴこん、と耳飾りを動かしその小さな口を開く。

「………………霞、です………」

 つまり、そう呼べとのことだ。

「では霞、改めてお疲れ様。よく頑張ったな」
「はい………」

 頭を撫でられたままそう言われた社は少し誇らしげに頷く。それに苦笑した三神は手を離そうとするが、何と社は『なでなで』続行を要求した。
 さしもの三神もこれには驚いたが、別に嫌な訳でもないし彼女の要求に素直に従った。
 因みにそれは、香月がこの部屋に来る直前まで続けられていた。
 更に余談だが―――これ以降、社霞は何かを成し遂げる度に三神に『なでなで』を要求するのだが、それはまた別の話である



[24527] Muv-Luv Interfering 第四章 ~若造の説教~
Name: 光樹◆63626ad3 ID:4ecd25b3
Date: 2010/11/29 04:07
 2001年10月23日

「小隊集合っ!」

 グラウンドに神宮司の声が響き渡る。それに呼応するようにしてグラウンドを走っていた四人の少女達が駆け足で集合し、整列する。
 それを尻目に、神宮司の斜め後ろに立った白銀の思うところは一つ。

(泣いちゃ駄目だ泣いちゃ駄目だ泣いちゃ駄目だ………)

 泣く程懐かしい顔ぶれ―――と言う訳でもない。主観で言えば一週間ぐらいしか離れていなかったのだ。
 だが、白銀は207B分隊―――否、元207B分隊の凄絶な最後を知っている。その上、彼女らの死後、遺品を整理している最中に書かないと言っていた遺書を見つけ、彼女たちの想いを知ることとなった。
 好かれている自覚はあった。
 如何に鈍感と言われようと、その程度の機微に疎い白銀ではない。しかしそれは、あくまで仲間として好かれているのだと思っていたのだ。
 ―――どうして五人全員が自分のこと異性として見ていた、など思えるか。
 最も、第三者から見ればやっと気付いたかこの鈍感男、であるが本人は至って真剣だ。

「貴様等に紹介しよう。こちらは本日より貴様等の特別教官に就任された白銀武中尉だ。敬礼!」

 一糸の乱れなく敬礼する四人に、白銀は内心『さて公私の区別だけは付けておかないとな』と苦笑しつつ答礼する。

「今紹介に預かった白銀武だ。オレが直接お前達の教官役をするのは戦術機教習課程に入ってからなので、それまでは神宮司軍曹の補佐をすることとなる。―――と、ここまでが仕事の話だ」

 真摯な表情と硬い言葉で淀みなく言い放つ白銀は、最後に笑みを浮かべて陽気な声で言った。
 その様子に戸惑ったのは訓練兵四人だけでなく教官の神宮司もだった。

「実を言うと、オレはお前達と同い年でなぁ。その上教官職なんてコレが初めてなんだよ。正直な話、そんなオレがお前達を教導して良いのかどうか自分自身でも分からなくてさ。神宮司軍曹を手本にするって事に関しては、実はお前等とそう変わらない訳だ。だからさ、気楽に頼むよ。ああ、因みに自己紹介は要らないぞ。資料で読んでるから誰が誰なのかは分かる。鎧衣だけ入院中でいないんだったな」

 あくまでフランクにそう言いきる白銀に、面食らって二の句を告げない五人。その反応を無理もないか、と何処か楽しげに観察していると神宮司が一番に復帰した。

「あ、あの中尉、それでは他の者に示しが………」
「駄目ですか?まりもちゃん」
『まりもちゃんっ!?』

 わざと白銀がその名を口にすると、その場にいた全員が驚愕する。訓練兵達は自らの上官―――本人達にとっては唯一直接接する絶対権力者―――に対しての暴言故に。言われた本人は年下の少年とも言える年齢の上官に『ちゃん付け』された羞恥故に。

「まぁ、公の場ならともかくとして、207B分隊だけでの訓練やプライベート中はそうやって垣根無く接するつもりなのでそのつもりで。でなきゃチームの信頼感なんか構築される訳がないからな。資料で読んだけど、前回の総戦技演習の不合格の理由、それなんだろ?」
『―――!』

 まりもちゃん発言に衝撃が抜けきらない中、訓練兵達は冷や水を浴びせられたように目を見開く。
 そして更に畳み掛けるように白銀は暴言とも言える言葉を叩きつける。

「最初の作戦に拘泥して戦況に柔軟に対応できない無能な指揮官、献策を持ちながら上官に具申せず勝手に見切りを付けて独走する馬鹿な隊員、その不和を知りながら諫めようともしない無力な副官、和を望む振りをしてただ右往左往するだけの無気力な隊員二人。―――最前線で戦ってきた人間から言わせて貰うと、最悪のチームだな。オレならそんな奴らに『命を預けることなんか出来やしない』」
『―――っ!』

 痛いところだらけの指摘。その上、現場衛士視点からの痛烈な評価。四人は視線を落し、歯を食いしばる。

「お前等が抱える『特別』な事情も知ってるよ。けどオレから言わせて貰えばそれがどうした、だ。何しろBETAはそんな『特別』な事情は考慮してくれないからな。奴らは平等に人を食う。一歩戦場に出れば、浮浪者だろうが大統領だろうが―――それこそ老若男女、どんな人間でも等しく奴らの脅威に晒される。それから身を守るためには、一人じゃ無理だ。一人が護れるものなんて、たかが知れてる。時と場合によっては、自分自身でさえ護れやしない。―――だが仲間がいればどうだろうな」

 信じるに足る、命を預けるに足る仲間がいたならばどうなるか。

「答えは簡単だ。一人で護れなかったものが護れるようになる。自分自身が危ない時でも、仲間は助けてくれる。それに甘えるようじゃ駄目だけど、だからこそ努力して自分を護れるように、仲間を護れれるように力を手に入れる。お前等が衛士にどんな憧れを抱いてるのかは知らないけれど、衛士ってのは一人じゃ戦えないんだ。現場レベルではそれを支える仲間や後方支援、整備士の連中がいるからこそ戦える。広い視野を持てば一次産業や二次産業を支える人たちがいるからこそ高価な兵器を維持できる。たった一人の衛士のために、どれほどのコストが掛かるか、なんとなくは分かるよな?勿論、それは訓練兵だって同じ事だぞ?」

 そして、と白銀は続ける。

「お前達は前回の総戦技演習で一度『死んだ』。これが何を意味するか分かるよな?お前達を育てるために神宮司軍曹が手がけた労力、演習のための経費、訓練に費やした時間やお前達が消費した飯代―――それらは当然タダじゃなくて、膨大なコストが掛かってる。それをお前達は前回の総戦技演習で『死ぬ』ことで無にしたんだ。それらに掛かったコストは力無き一般人に全て押しつけられた。本来ならばお前達が護るべき者達に、な。更にその理由が―――隊内の不和だなんて本当に笑えないよ」

 だが、と彼は思う。自分だって、そうだったのだ。いや、彼女たちよりも自分が犯した罪は遥かに重い。しかしそれでも、白銀は無にしなかった。過ちさえ自らの血肉へと変えて、それでも彼は前へと目指したのだ。
 そしてそんな彼を成長させたのは何時だって207B分隊だ。だからこそ、自分が成長できて彼女たちが成長できないなんて事はあり得ない。

「だけど、お前達はまだやり直せる。失敗しない人間なんていない。オレだって取り返しのつかない失敗をしたのは一度や二度じゃ済まない。その為に死なせてしまった人だってたくさんいる。だけど問題なのは、その事で後悔するだけじゃなく、その失敗をどう受け取って、次の選択肢でどう活かすかだ」

 そして彼は問う。

「お前等、護りたいものはあるか?取り戻したいものはあるか?命を賭けてそれが手に入ると言うのなら、進んで命を賭ける程の想いはあるか?無いんだったらもう衛士にならなくていい。卒業できてもどうせ死ぬだけだし、むしろ周りの足を引っ張るだけ邪魔だ。でも、もしもそれらがあるのだと言うのなら、そのくだらねぇ見栄やプライドは捨てちまえ。そんなもので誰かを護れるだなんて浅はかなこと思ってんじゃねぇ。意見の不一致があるのなら、殴り合いしてでも分かり合え。和が大切なら何時までも後ろで指銜えて見てるんじゃねぇ。お前等が本当に衛士になりたいのなら―――いつまでもこんな所で足踏みしてる暇は、一秒だって無いんだよ。今この瞬間だって、世界中の何処かで誰かが奴らに殺されてるんだ」

 そして白銀は気付く。下を俯き、何かに耐えていた彼女たちが前を向き自分を見ているのを。
 そこに怒りや悔しさはなかった。自らが掲げた目標を思い出し、再び邁進しようという気概があった。

(そうだよ。お前達の想いがどれだけのものか―――オレは知ってるんだ。だからこそ、こんな所で躓いてる場合じゃないだろ?)

 心の中だけで白銀は問いかける。無論、返答はない。だがそれでいい。彼女たちは、既に態度で示しているのだから。
 白銀はふっ、と小さく吐息すると声を張り上げる。

「ふむ。少しはマシな目になったな?まぁ、この程度のことオレなんかに言われなくてもお前達なら分かってるんだろうけどさ、良い機会だから言わせて貰った。―――さて、時間取らせて悪かったな。訓練を再開しようか。総員、グラウンド十周!」
『了解っ!』

 四人の訓練兵が敬礼し、我先にと走り出す。その姿を見送ってから、白銀は神宮司に声を掛けた。

「ちょっと、大演説ぶちかましちゃいましたね?」
「いえ、いいお話でしたよ。中尉」

 優しげに笑みを浮かべる彼女に、白銀は苦笑する。

「酷いなぁまりもちゃん。若造は若造なりに頑張ってるんですよ」
「………。あの中尉。そのまりもちゃんというのは話の切っ掛けにするだけだったのでは?」
「え?何言ってるんですか?公私は使い分けるって言ったじゃないですか」

 その白銀の言葉にげんなりする神宮司。それを胸中で謝罪して白銀は思う。『前の世界』でもう甘えないと決めた以上、この呼び名は止めようかとも考えた。
 しかし彼女は白銀にとってやはり『特別』なのだ。そして出来るならば、こんな『特別』な事情を抱え込んだ部隊の教導を任されてしまった彼女の責務、更には香月の親友というある意味前述よりもきつい立場を自分が出来る限り和らげてあげたいと思ったのだ。
 何しろ香月にからかわれている神宮司は、『元の世界』の神宮司とそっくりの反応を示すのだから。

(まりもちゃんにだって、色々辛いことがあるんだ。こんな些細な恩返ししかできないけど、何も出来ないよりはマシだな)

 白銀はそんな事を思いつつ、グラウンドを走る未来の戦乙女達を眺めることにした。





 一方、現在の戦乙女達は驚愕の渦中にあった。
 新しくA-01に配属されてきた新任の少佐―――最初、彼女たちは懐疑の気持ちが強かった。
 と言うのも、A-01―――即ち伊隅ヴァルキリーズは香月副司令直属の部隊の秘密部隊で、その名の通りこの中隊は全て女性で構成されている。
 そんな中に、現隊長である伊隅よりも階級が上の年若い男が放り込まれてきたのだ。
 使えるのか、と言う疑念。大丈夫なのか、と言う不安。
 それらが入り交じった最初の邂逅の後、その新任少佐は模擬戦を提案してきた。当然の事ながら、新しい上官の腕を見てみたい気持ちもあって、誰もが賛成したが―――そのレギュレーションに問題があった。
 一対十二。
 馬鹿にされている。一人を除いて誰もがそう思い、胸中で怒りを燃やした。聞くところに寄ると新任少佐の年齢は24。あり得なくはないが、それでも若い。きっと、エリート気質の現場を知らないお坊ちゃんタイプなのだろうと前衛組は特に思った。だから逆にボコボコにしてやろうと。
 ならばこの結果はどういう事だろう。
 涼宮遙中尉は管制室の中で半ば呆然と状況の推移を見ていた。現在、一対一―――。
 生き残っているのは、おそらく最初から油断していなかった伊隅一人だ。既に新任少佐と伊隅はドックファイトへと突入している。CPとして最早伝えうる作戦はない。
 動かそうにも盤上の駒は既に王一つ。逆転はこの王の力のみによる。だがそれも、ここに至るまでの状況を鑑みれば間もなく決着が着いてしまうだろう。
 戦闘開始してそうそう、敵は奇襲を仕掛けてきた。
 そこまではいい。予想の範疇だ。
 彼我の戦力差をひっくり返すためには、奇襲や地の利を用いた一撃離脱しかない。だがこの一撃はあまりにも重すぎた。
 宙を舞った敵の不知火が放つたった五発の120mm。それはまるで吸い込まれるように五機の不知火の管制ユニットを貫いた。
 更に、着地した敵機は『逆手』にした長刀で追い抜きざまに三機を追加で斬り伏せ、即座に全速離脱。
 一瞬で八機―――。
 油断や慢心は勿論あった。しかしながら戦乙女達は実戦部隊だ。その程度でそう易々とやられる程柔ではない。
 だと言うのに―――まるでそれを嘲笑うかのように、死神はその大鎌を容赦なく振り下ろした。
 その混乱状態を伊隅が即座に収めるが、それも束の間。敵は静かに、そして素早く次の行動へと移っていた。
 データリンクの知覚外から抜け出た敵機はそのまま回り込むように伊隅達の背後へと周り、全速で突っ込んできた。
 認識すると同時に即座に反転し、応戦しようとするが敵機は36mmを無造作にばらまきながら弾幕を張って接近し、空いた右主腕で短刀を二度投擲する。そしてそれは驚くべき精度でまたも不知火の管制ユニットに突き刺さり、この時点で三機となる。
 そして体勢を立て直すために一度後退するよう伊隅が指示を出すが、それを実行するよりも速く120mmが残る二機へと突き刺さり―――今の状況へと至った。
 そして今、既に今日三機撃破している必殺の一撃が放たれる。『逆手』から繰り出される長刀の一撃だ。
 まるで狼が襲いかかるように、低姿勢から繰り出されるその一閃を、伊隅は手にした手にした長刀でそれを受け止めるべく構えるが拮抗することすらなかった。
 伊隅の長刀が半ばからへし折れたのだ。
 戦術機と長刀の重量、機体の膂力、更には遠心力を伴って繰り出されるその一撃は、言うならば単調の極みである。剣技のけの字すらない。見切ろうと思えば見切れる程だろう。
 しかしそれ故に―――それは圧倒的なまでに突き詰められ、無駄を徹底的にそぎ落とされた神速の一撃なのだ。
 一度放たれれば必ず殺す唯一つの技巧。
 それを前に、たかだか長刀一本の壁など紙に等しい。
 そう体現せしめるが如く死神の大鎌が振るわれ、伊隅の不知火は長刀ごと胴体部分を二つに裂かれた。





「―――弱いな」

 シミュレーターを終えて隊員を集め―――開口一番、三神は戦乙女達にそう告げた。
 簡潔な自己紹介をしあった後、三神は模擬戦を提案した。
 昨日の内にXM3のβ版が出来たのだが、その最終調整のために徹夜状態だった。その為、三神は非常に機嫌が悪く、本当なら今日の所は適当に顔合わせをしたらさっさと自室に行って寝ようと考えていたのだ。
 だが、戦乙女達の中で知らない人間が何人かいた。
 先任に式王寺小夜中尉、紫藤あやめ少尉。
 新任に築地多恵少尉、麻倉伊予少尉、高原智恵少尉、七瀬凛少尉。
 おそらくは、『前の世界』で11月11日のBETA侵攻やクーデター、XM3のトライアルで命を落したり重傷を負って病院送りになっていた人間だろう。
 それ以外の隊員の実力や性格を三神は『知っていた』が、他は知らない。じゃぁ、軽くテストでもしてみるかと眠いながらも模擬戦を始めたのだ。
 その結果―――先程の三神の発言が全てを簡潔に物語っていた。
 無論、普通の部隊ならばこれでも十分通じるだろうというのが三神の見解だ。だが、魔女の手足となって働くのであれば、これでは足りない。足らなさすぎる。
 そして今、寝不足故に三神の苛立ちは最高潮に達している。

「伊隅。これが『今』のヴァルキリーズか」
「―――残念ながら」

 腕組みしながら問いかけてくる三神に、伊隅は頷く。彼女とて『前の世界』の記憶があるのだ。彼女が知り得る最後のヴァルキリーズは甲21号作戦時。
 XM3と言うアドバンテージを差し引いたとしても、やはり練度が足りないと言わざるを得ない。しかしながら、それはまだ敢えて良しとする。件のXM3が明日明後日中に配備されれば、まだまだ伸び白のある彼女たちだ。すぐにでも一皮も二皮もむけよう。だが圧倒的に足りないものがあった。
 何より足りないのは―――その意識だ。
 この中隊が抱えている新任は六名。総員の約半数。未だ『死の8分』を越えていない彼女らに引きずられて、先任達も少し緩んでいるような気がした。
 その結果が顕著に表れたのが―――三神の最初の奇襲。数瞬で八機という驚異的な撃破速度だ。因みに、本人としては三機落とせれば良い方かな、と考えていたのだが。

「―――実戦であと四回、と言ったところか」
「そうなるでしょうね」

 何が、とは伊隅は問わない。昨日聞いた白銀が語った未来―――オリジナルハイヴ攻略戦後までに、ヴァルキリーズは彼を残してほぼ壊滅すると言う受け入れがたい情報を思い出してだ。
 続く三神の話では、宗像、風間、涼宮茜に関しては後に戦線復帰しており、その後も月奪還まで戦い続けたそうだが―――だからと言って他の仲間の死を想わぬはずがない。
 衛士の心得がある以上顔にこそ出さない伊隅だが、昨日の夜は密かに寝所で涙を流した。そして今度こそ部下を守り抜くと、改めて彼女は心に誓ったのだ。
 そんな上官同士の会話に口を挟めるはずもなく、十二人の乙女達は直立不動のまま揃いも揃って厳しい顔をしていた。
 当然だ。
 ボコボコにしてやるとまで勢い込んで―――更には十二倍の戦力差を以てしても負けた。いや、勝負など始まる前から決まっていたのだ。
 慢心と油断。その隙を突いての奇襲。
 結果を見れば惨敗―――唯一まともに戦えた伊隅も終始防戦一方で、先だって撃墜された八人に関しては何もしてないのだ。
 ―――何も、出来なかった。
 三神と伊隅が言葉少なげにヴァルキリーズの評価を下す中、速瀬水月は奥歯を噛む。
 先任として、突撃前衛長としてこれ程の屈辱はない。
 チームを纏めるのが隊長である伊隅なら、それを牽引するのが速瀬の役目だ。誰よりも速く戦場を駆け、敵陣に斬り込んで誰よりも戦果を挙げる。
 故にこそ消耗率が一番高いポジションであり、逆に言えばそこにあり続けることは何よりの実力証明となる。
 事実、彼女の撃墜数は中隊内でも群を抜いており、そこに彼女は誇りと自負を持っていた。
 今でも目に焼き付いている。
 『逆手』に握られた長刀が、まるで四足獣が口に刃を銜えたが如く振るわれる抜打ち。結果など目もくれず走り抜けるその様は、速瀬に狼を幻視させる程だった。
 魅了されたと言っても良いだろう。
 何としても、自分のモノにしたいと心から思った。

「―――少佐。今日の御予定は?」

 いつの間にか評価が終わっていた。伊隅がこれからの予定を聞きに行った所で、これを機とばかりに速瀬がいち早く挙手をする。

「少佐っ!もう一度訓練を付けて下さいっ!!」
「少佐!あたしからもお願いしますっ!!」

 憧れの先輩が発する闘志に呼応するが如く、涼宮妹も手を挙げる。それを皮切りに、全ての隊員が自分もと手を挙げた。
 特に文字通り瞬殺された八人は明らかに目の色を変えていた。普段飄々とした態度の宗像でさえも有無を言わせぬ迫力を醸し出していた。
 ふむ、と三神は思わせぶりに腕を組むと。

「駄目だな。私はこの後寝る予定だ」

 そう言いきりやがった。

「ね、寝るですか………?」

 絶句する隊員達の代りに、伊隅が気まずそうに問いかける。

「昨日の夜七時にはα版が出来たからな。平行して改修していたシミュレーターにインスコして、私と武でバグを吐き出し続け、それが終わったのが深夜二時。武はその後部屋に帰したが、私と霞と香月女史は引き続き最終調整で貫徹。その上、私は片手間に三次元機動訓練用の教習データなんかも作ってたから、今の私は非常に眠い」
「ではXM3が………?」

 それを聞いて伊隅は思い至る。三神はそうだと頷いて。

「取り敢えずはβ版だな。今夜もう一度念入りに修正してから先行量産版が出来る。概念実証も兼ねるから、当然この隊で使うこととなる。昼にはここのシミュレーターをまるまる改修するから、明日から使えるな」
「了解しました。では今日は実機訓練で?」
「いや、昨日の内に掛け合って、私と武の二機連携によるヴォールク・データの閲覧許可を出して貰った。まずはそれを見て三次元機動の有用さを学んで、その後で私が昨日即興で組んだ三次元機動訓練の教習データで今日一日遊んでろ。勿論他のシミュレーター室でな。ピアティフ中尉にデータのパスを教えてあるので訓練前に声を掛けておけ。取り敢えず私は夕方までは起きないし、起きたら起きたでやることがある。今し方一戦付き合ってやったのは単に気まぐれだ」

 そして最後に一つだけ注意しておいてやる、と三神は告げる。

「昼寝と煙草をこよなく愛する私はその内一つでも取り上げられると非常に機嫌が悪くなる。よって、現状睡眠不足の私は今非常に機嫌が悪い。その上、これから所属する中隊のこれ以上の失態を見たら、怒鳴りつける程度ではおそらくすまん。我を忘れて殺しかねん。―――いずれ実戦で死ぬなら、人間の手で死んだ方がまだマシだろう?」
『―――っ!』

 今まで大した表情の機微を見せなかった三神が、ここに来てその表情を般若かと思わせる程険しくさせ、それだけで人を殺せそうな程凄絶な殺気を振りまく。
 その場にいた全員が凍り付き、一部の者はかつて狂犬と呼ばれたあの恩師を思い出していた。
 いや、あれとはまた違う威圧感―――言うならば、狼だ。飢餓寸前の狼に目を付けられた、そんな強烈なまでの圧迫感。
 息を呑む音が聞こえる程の静寂がその場を支配し、永劫続くかと思えたその空気を三神自身が霧散させた。

「まぁ、明日になれば嫌でも私の教導を受けて貰う。それまで楽しみにしていろ」

 そう彼は言い残すと、立ち尽くす戦乙女達に背を向けてシミュレーター室を後にした。





(―――何とかなったな)

 自分の執務室に向かって歩きつつ、三神はそんなことを思う。『前の世界』で自分の伴侶だった彼女は、元気そうだった。
 ―――風間梼子。
 最後に見たのは、病室だった。
 ベッドに寝かされていたのは三神。その最期を看取ったのは彼女。
 月を取り返した英雄は、その時の負傷を理由に第一線を退き、教官職に就いた。五十過ぎまでその職務を全うするが、末期の肺癌により退役を余儀なくされる。―――煙草が原因だ。
 その後は療養生活をしていたのだが、長年酷使し続けた身体は病魔と共に命を削り取り、退役後二年も持たずにその生涯を閉じた。

(鎮魂歌が最後の記憶とは、何とも洒落ていたよ。梼子)

 意識がなくなる寸前に聞いたのは、桜花作戦以前から彼女が少しずつ作曲していたもの。
 月を取り戻した後、風間は―――その頃には既に旧姓だったが―――退役し、長年の夢であった音楽という文化を広げるための活動を始めた。
 その後何十曲と作曲する彼女が、夫の最後のために弾いたのはやはりあの曲だった。
 共に怨敵を討ち滅ぼす仲間でもあった夫の最期。それに手向けるのは、やはり今は亡き仲間達を送った曲が相応しいと思ったのだろう。

(―――泣かずには済んだか)

 欠伸などの動作でどうにか紛らわしてはいたが、実のところ三神は涙目だった。それほど涙腺が緩い訳ではないが、それでもやはりこう、胸に来るものがあったのだ。

(―――今回は、結ばれる訳にはいかないしな)

 三神のループは今回で終わる。いや、終わらせる。そして自分は―――否、その因果は『元の世界』へと帰る。
 因果導体でなくなれば、人々の記憶の中から消えてしまう―――言うならば三神は泡沫の夢。
 今回の白銀のようにこの世界に戻ってこようとは思っていないし、そもそも『元の世界』に戻ることが三神の第一目標だ。そしてそれは最終目標を前に、踏まなければならない前段階。
 実のところ、『元の世界』に大した思い入れはない。だがだからといって世界の法則をねじ曲げてまで『この世界』に留まりたいとは思わない。そんな異分子は、世界の存続のためにはあってはならないのだ。
 それに―――三神はもう疲れているのだ。
 人の生き死になど何処にでもある。それこそ、所属する世界に関係なく。だがそれでも、『この世界』は死が多すぎる。
 そして彼はそれに触れすぎていた。それでも尚、人として壊れなかったのは『元の世界』に因果を戻すという最初に定めた目標があったからだ。
 ―――目標があれば、人は努力できる。
 まさしくその通りだと三神は思う。故にこそ掲げた目標を達した時が、全ての終わり。
 三神庄司という存在の終焉。
 白銀が手の届く全てを護るために走るように、三神は自分の全てを消し去るために走り続ける。
 前のループで、既に彼は天寿を全うしたのだから。

(ある意味では―――私は武の最大の敵対者だな)

 あの優しい少年のことだ。手の届く範囲に、三神のことも入れているに違いない。昨日の香月との対話では明言しなかったものの、そう言うところからしてまず甘い。

(まぁ、それ以外の望みは全て叶えてやるさ。やがて私の手の届かない場所に行くとしても、その為の路は『俺』が付けておいてやる。だから安心して下さい―――白銀『大佐』)

 三神庄司の終焉の後も、白銀武の物語は続く。
 それをこの眼で見ることは叶わないが、その下地を作る手伝いぐらいは出来るはずだと三神は思う。

(しかしやっておかねばならんことが多いこと多いこと―――が、その前に一寝入りするか)

 基本的に、三神は自堕落大好き駄目人間なのだ。今は色々とやるべき事が多い為に徹夜とか不慣れなことをしているが、それも香月が00ユニットとなるまでの辛抱である。彼女が量子電動脳をフルに活用すれば、三神は戦闘や教導以外にすべき事はなくなるのだ。

(まぁ、それまでに少しでも恩を売っておくか―――ああやばい、目がしぱしぱする………)

 軽く目を擦りつつ、彼は幽鬼のような足取りでふらふらと自室へ向かって歩いていった。





 伊隅にとって二度目になる白銀と三神のヴォールク・データ鑑賞は、一度見ているのにも拘わらず、やはり驚愕の二文字が先に出る。
 状況が違うためか、昨日は見えなかったことも見えてきた。
 特に、白銀の機体制御についてだ。

(私が知っている白銀よりも―――凄くないか?)

 シミュレーターの中で着座調整をしつつ、彼女はそんなことを思う。
 三神の指示通り、部下達に昨日彼等がこなしたヴォールク・データを見せた。当然のように皆が絶句し、それでも少しでもその機動を我がものにしようと食い入るように画面を見つめる様を、伊隅は少し誇らしく思った。
 今、ヴァルキリーズの面々は三神が作成したという三次元機動訓練教習を行うために着座調整中だ。
 それは伊隅も同じだが―――しかし彼女は他事を考えていた。無論、その手を休めることはなかったが。

(私の最期の記憶は甲21号作戦―――白銀の話に寄れば、あいつはその後横浜基地襲撃、『桜花作戦』を経験している。だが、『桜花作戦』では凄乃皇弐型の後継機である四型に乗ったと言っていた。実物を見た訳ではないから何とも言えないが、同じ凄乃皇の系列であるなら要塞のような大きさの筈。となると、あいつが戦術機で………三次元機動を使って戦ったのは横浜基地襲撃の時まで。―――たった一戦。たった一戦であそこまで腕を上げられるものなのか………?)

 伊隅は自問するが、答えは出ない。そもそも、白銀武という衛士は規格外なのだ。彼の操縦感覚は彼の『元の世界』のゲームによって培われており、この世界のそれとは一線を画している。
 その概念も、成長の伸び白も、この世界の感覚で推し量ることなどできはしないのだ。
 である以上、伊隅があれこれ考えたところで無意味に等しいのだが、しかしそう疑問せざるを得ない程に『彼女の記憶の中の白銀』と『今の白銀』の技量差がありすぎる。それはXM3をさておいても目に余る程で、彼のあの戦い方はベテラン衛士のそれ以上。

(甲21号作戦では手を抜いていた―――?あり得んな。白銀は作戦中に手を抜くような輩ではないし、あの場面で自分の技量を隠す必要はない)

 であるならばその後に成長した、と言うのが一番無理がないのだ。しかしそうなると最初の疑問に戻ってしまう。
 だから少し吐息して、思考をリセットした。

(―――堂々巡りね。最も、白銀に関して常識が通用しないのは分かってたことだけど)

 それは戦術機の機動もそうだが、あの突飛な言動なども当然含まれる。しかし、それが隊にとって有益なものであったことを伊隅は知っていた。
 それは未来の―――あるいは別世界の記憶だというのに、何故だか少し懐かしくなって彼女は口元を綻ばせる。

『………伊隅大尉。設定、完了しました』

 そんな中、涼宮姉の呼びかけがあった。伊隅は頷いて、網膜に投影された部下達を見やる。

「良し。―――貴様等、準備はいいか?」
『はいっ!』
「これから行うのは、『あの少佐』が作った教習課程だ。その実力は身を以て体験しただろうから多くは言わん。これはそこらの訓練兵が行っているような生易しいものではないと知れ!」
『はいっ!』
「では行くぞ!―――涼宮、開始してくれ」
『了解―――』

 涼宮の声が聞こえ、一度網膜投影がブラックアウトした。教習用データに切り替わるのだろう。

(はてさて―――一体どんな教習を用意したのですか?少佐)

 胸中で問い掛け、切り替えを待っていると―――。
 子うさぎさんが現れた。

『―――え?』

 ヴァルキリーズの声が一斉に重なった。
 切り替わった先はハイヴを再現した映像だった。しかしそこに、本来あり得ないものがあった。
 BETAではなく、戦術機でもなく―――それは、社霞だった。
 しかし実物の社よりも縮尺が小さく、胴体よりも頭部の方が大きく―――ぶっちゃけていうとSD化されていた。
 ハイヴ坑内をバックに、網膜投影の横合いから現れたSD社は、視界の中央に立つとぴょこんと一礼する。
 あ、なんか可愛いと思った瞬間、伊隅は思い至る。その可愛さは『奴』にとっては命取りなのだと。

「式王寺!鼻血!鼻血っ―――!!」

 網膜投影の中、自分の副官である式王寺小夜が恍惚とした表情を浮かべたまま鼻血を噴射していた。なまじ清楚系美人の為に妙な怖さがあった。

(ああ出たよあいつの悪い癖が―――っ!)

 伊隅と一つ階級が下である式王寺は同期で、共に明星作戦を生き残った仲でもある。ポジションも同じ迎撃後衛で、彼女は左翼を担当していた。
 視野も広く、指揮力も高いために伊隅の右腕としてヴァルキリーズを纏めているのだが―――一つだけ困った癖というか性癖があった。


 ―――可愛いものに目がないのだ。


 香月夕呼の直属であるA-01は、同じく直属である社霞とは一応面識がある。と言っても話す機会はあまり無いし専門とする畑も違うのでそれほど仲が良い訳でもないが、社自身のその容姿もあってか隊では割と好意的に受け入れられていた。
 そしてその最先端―――好意的に受け入れ過ぎちゃった女こそ式王寺小夜である。
 元々可愛ければショタでもロリでも犬でも猫でも何でもござれな彼女だ。
 子うさぎさんは、ド直球なのである。
 常日頃『かーわーいーいーっ!!』とは喚いて社を捕獲しようとし、他の隊員に止められていたりする。

『いーちゃん………』

 式王寺は、他人を愛称で呼ぶ癖がある。今回の場合で言うと、伊隅故にいーちゃんである。しかし彼女も軍人である。きちんと公私を分けていたため、訓練中や作戦中にそんな失態を見せることなど一度としてなかったのだが―――。

『私、萌え死ぬ………!』
「式王寺―――っ!?」

 網膜投影の中、自らの鼻血に溺れるかのように式王寺は倒れ伏していく様を、伊隅は見ていることしか出来なかった。
 後に彼女は語る―――『もんじゃ焼きでシミュレーターを汚した衛士は数いれど、鼻血で汚したのは奴だけだ』と。
 二十分後。
 取り敢えず式王寺が持ち直したので、シミュレーターを再開することとなった。
 先程のSD社霞は、どうやらこの教習のガイダンスの役割を負っているらしい。
 先程と同様にぺこり、とお辞儀すると彼女は口を開いた。

『………それでは、本教習課程の趣旨をご説明します………』

 伊隅はそれを聞きながら、チラチラと式王寺に視線をやっていた。式王寺は鼻にティッシュという乙女にあるまじき姿で、しかしやはり幸せそうにSD社を眺めていた。
 因みに、そこまではいかないが涼宮姉や風間も目を輝かせている。おそらく胸中では式王寺と同じく『かーわーいーいーっ!』コールを響かせまくっていることだろう。

『………本教習では、三次元機動を学んで貰います………』

 どうでも良いがこの教習データを作る際、社はどんな思いで台詞を読み上げたんだろうか、とかこんなものを作り上げる少佐って一体………と皆は思った。
 後に三神はこう答える。『―――私の趣味だ』と。



[24527] Muv-Luv Interfering 第五章 ~道化の策謀~
Name: 光樹◆63626ad3 ID:4ecd25b3
Date: 2010/11/29 16:21
「それで?一体どうしたのかね香月女史」
「あら、機嫌悪そうね?」
「私は一日六時間は寝ないと不機嫌になるのだよ。可能なら十時間ぐらい寝たい。惰眠は二時間以上が理想だね。故に―――徹夜など論外だ」
「衛士にあるまじき発言ね」
「体調管理も仕事の内なのでね。―――即ち睡眠は私の仕事だ」

 香月の執務室で三神は彼女と軽口を叩き合っていた。
 自室に戻った彼はシャワーを浴びてすぐにベッドに倒れ込んで意識を手放したのだが、五時間ぐらいで社に起こされ、香月の執務室へ向かうよう促された。
 本人も言ったように彼は非常に寝起きが悪い。しかし社に八つ当たりする訳にもいかず、だから自分を呼び起こした魔女に対し抗議の眼差しを向けていた。

「そう膨れないでくれる?あたしだってあんま寝てないのよ」
「寝ればいいだろうに。00ユニット完成の目処は立っているし、細々とした雑事はあるだろうが、それこそ00ユニットになれば寝ながらでも片づく。後回しでも構わないだろう?」
「XM3の件もあるけど?」
「だから私も手伝ってるだろうに」

 ま、それもそうねと香月は苦笑して本題を話す。

「呼んだのは他でもないわ。00ユニットの話。―――あんたがあたしの身体を作るんだったわね?」

 香月の確認に三神は頷いた。
 00ユニットの疑似生体―――即ち身体は実のところ外注だ。如何に香月が天才であろうと、今のところ専門外に手を出している余裕はないため、00ユニット素体―――即ち鑑純夏やA-01や207B分隊の身体も全て横浜基地外の業者に全て依託している。香月がやったことと言えば、注文し、作成に必要なバイタルデータを渡しただけだ。
 しかしながら、今回香月が00ユニットになる場合、外に依託できない。
 当然だ。上層部は鑑純夏が00ユニットになるのだと思っているのだから。
 取り敢えず現状、香月夕呼00ユニット化計画は秘密裏に進行せねばならないため、今までのように疑似生体を外注できない。
 となれば作らなければならないのだが―――その技術は三神が持っていた。例によって、『前の世界』の香月に仕込まれたそうだ。

「疑似生体を作るための部屋は用意したわ。これ、その部屋に行くためのIDカード。場所は後でピアティフにでも聞きなさい」

 渡されたカードにはB26と書かれていた。ここよりも更に下らしい。

「それで聞きたいんだけど、ODLの問題をどうするつもり?白銀とあんたの話を統合すると、あたしが目覚めるまでBETAに情報が流れっぱなしになるはずよ?」

 00ユニットに人格移植した後目覚めるまではODL漬けにされる事を知っていた三神はああ、と軽く頷いて。

「今の内にODLを大量に精製、ストックしておく。前の香月女史は目覚めるまで丸一日掛かったから、それまで反応炉から切り離しての浄化作業を行うのだよ」
「輸血パックによる人工透析みたいね」
「言い得て妙だな。ともあれ、香月女史が私達を完全に信用する11月11日まで後20日前後。それだけあれば、一ヶ月分ぐらいは作れるだろう」

 成程ね、と香月は頷くが、三神は小さく首を振った。

「やれやれ。本格的に鈍っているようだな香月女史。昨日と違って冷静ではあるようだが睡眠が足りていないぞ。―――普段の貴方ならこの程度のこと私の手を借りなくても気付けたはずだ」
「うるさいわね。このクソ忙しい時期に呑気に寝てられないのよ」
「ではその忙しさに拍車を掛けてやろう」

 言って、三神は懐からデータディスクを取り出し香月に渡す。

「―――これは?」
「不知火用の追加噴射機構の設計図だ。昨日の内に作っておいた。香月女史の事だから、どうせもう私と武の不知火は発注しているのだろう?それが届くまでに開発の連中に言って作らせといてくれ。最初は二機分でいい」
「なんでよ?」
「それはどっちの意味だね?」
「両方よ」
「今の私と武では不知火は不足すぎる。例えXM3を載せてもな。だが、それを使えば不知火・弐型とはいかなくても、多少マシな機動力を得られるだろう。無論、機体に掛かる負担は今まで以上になるだろうが。ヴァルキリーズの分を作らないのは、今の彼女たちでは持て余すだろうと踏んだからだ」
「そう言えば聞いたわよ?朝、連中を叩きのめしたって」
「何、附抜けているところを軽くあしらっただけだ。―――次は油断してこないだろうから、多分頑張って半壊できれば良い方か」

 十二機相手に完全勝利しておいて何言ってるんだか、と香月は呆れるが言及はしない。今更この男や白銀の腕を見くびる程彼女も甘くないのだ。
 特に自分は昨日、彼等の機動を間近で見ているのだから。

「で、11月11日にXM3とあわせて実戦証明するって事?」
「ついでにお披露目もしたいと考えている。―――だから鎧衣課長を紹介して欲しい」
「別に構わないけど―――あんたはどういうプランを組んでるつもり?」
「簡単だ。―――鎧衣課長を通じて秘密裏に殿下にお目通りする」
「―――まさか」

 その一言で香月は悟る。

「そのまさかだよ。―――殿下を含め、その忠臣には私達の正体を知って貰う。そして香月女史と同じように11月11日のBETA侵攻を以て信用して貰う」

 何故か、と三神は一言を置く。

「このまま推移していけばBETA侵攻、クーデター、甲21号作戦で日本は大きく戦力を減らしてしまう。BETA侵攻やクーデターはともかく、横浜にとって甲21号作戦はオルタネイティヴ4を完遂させるための第一段階だ。故に万全を期さねばならない。―――その地盤である日本には体力を温存して貰わないと困るのだよ」

 いくら三神と白銀の情報提供によって、BETAの社会構造を知ったと言っても、それを証明する手だてが特定のBETA侵攻のみでは因果律量子論を掲げる香月はともかく、事情を知らない国連上層部が納得するはずがない。となればいきなり『桜花作戦』を展開できるはずもない。
 それを行うためにも、やはりBETAの社会構造は00ユニットを通じて明らかになった、とした方が波風が立たないのだ。
 更にG弾を使わずハイヴ制圧出来れば最早誰も文句を言うまい。米国あたりは言いそうだが、少なくとも国内にハイヴを抱える国はオルタネイティヴ4を支持するだろう。
 そしてそこで得た発言力を以てして『桜花作戦』を展開するのが理想の流れである。
 であらば、甲21号作戦は絶対に行う必要があり―――尚かつ負ける訳にはいかない。
 前回の作戦中、フェイズ4であるにも拘わらず、佐渡島ハイヴはそれ以上のBETA群を抱えていることが分かった。
 それを踏まえると前回以上の戦力が必要となる。
 であらばどうするか。
 決まっている。11月11日のBETA侵攻で被害を極限までに抑え、続くクーデターはそもそもそれを起こさせない。いや、表面上は起こさせるが、血を流さない終結に導く。
 また、甲21号作戦開始を予め年末に設定しておくことにより、オルタネイティヴ4凍結に牽制打を入れておく。更にはそれまでに帝国側の投入戦力や弾薬を確保しておく必要がある。
 しかしながら国連軍所属の香月や三神、白銀にはそれをするための権限は無い。だが無いなら無いで、権力を持っている者をこちら側に引き込んでしまえばいいのだ。
 それこそが現政威大将軍煌武院悠陽殿下その人である。
 現状、その権力は形骸化してはいるものの、今尚多岐に渡って日本国民に影響力を与えられる立場にいる。

「故に、私はクーデターを利用して日本と横浜基地から邪魔な米国を一掃するつもりだ。その上で大政奉還に繋げ、甲21号作戦における日本の戦力を盤石なものとする」
「その信用を勝ち取るためにBETA侵攻さえ利用する、か………。あたしと同じ交渉術って事ね」
「不服かね?」
「まさか。今のところあたしとしてはメリットしかないわよ。この基地は日本にあるんだしね。―――いいわ。鎧衣課長を紹介してあげる。この不知火用の追加噴射機構だっけ?それも作らせておくわ」

 機嫌良く言いながら香月は思う。やはりこの手の戦略を考えれる腹心は欲しいな、と。しかしながらそれも彼女自身が00ユニットになるまでの間しか重宝しないとなると、皮肉なことこの上ないが。





 PXにて神宮司は夕食を取っていた。合成かに玉丼を突きつつ、向ける視線は同じPXの一角。普段207B分隊が使っている席だ。

「………委員長、冥夜、彩峰、たま、今日からお前等の事をこう呼ぶことにする!」

 女四人に混じって、今日着任した新人教官である中尉はそれぞれをびしりと指差しつつ声高らかに宣言する。
 それを半ば呆れながら見て神宮司が思うのは、やはり白銀武という一人の中尉のことだ。中尉という階級を持ちながら、しかしそれを笠に着た言動はせず、訓練兵に同年代として接する。
 無論、訓練中は最低限の公私は分けているようだが、それでも彼女らに向ける眼差しは幾分か優しげなものがあった。

(………普通、あの歳なら彼女たちに鼻の下を伸ばしてもおかしくないんだけど)

 神宮司からして見ても、207B分隊の女としてのレベルは高い。それに見向きもしない彼はまさか同性愛なのか―――等と一瞬勘ぐってしまったぐらいだ。

(訓練でも気を抜いている様子はないし)

 午前中は基礎訓練を行い、午後は白兵戦の模擬戦を行った。それぞれの能力を知りたい、と白銀は神宮司に告げると、一対一で彼女たちと試合し始めた。
 207B分隊は、そのチームワークはともかくとして個人技の腕言えば正規兵に匹敵する。本人達は自覚がないようだが、神宮司は当然見抜いていた。

(―――まさか、全勝するなんてねぇ)

 榊や珠瀬に関してはまぁまず間違いなく勝つとは踏んでいた。彼女達がその真髄を発揮できるのは白兵戦ではないからだ。
 だが、御剣や彩峰となると話は違ってくる。
 それぞれ剣を用いた近接戦闘、素手での格闘戦を得意とする彼女達だ。完膚無きまでに―――とまではいかないだろうが、勝っても辛勝、あるいは僅差で負ける可能性もあるだろうと神宮司は読んでいた。
 さて午前中、散々奮起剤を投入してくれた新人教官に、一太刀浴びせてやろうと挑み掛かる二人だが―――結局、掠りもせずに敗北を喫することとなる。
 これには207B分隊どころか神宮司さえ驚いた。彼女でさえ長年培ってきた経験と勘で一対一ならば負けはない、程度なのだ。それぐらいに御剣と彩峰の実力は高い。
 いくら最前線で戦ってきたとは言っても、白銀の年齢は十七。初見であの二人に無傷で勝利はない―――その場の全員が思っていた。過大評価でも過小評価でもなく、純然たる事実として。
 しかし蓋を開けてみればどうだ。
 彼は戦いながら、まだ余裕があるようだった。
 それは極力戦闘を長引かせ、相手にアドバイスをしていたことからも見て取れる。

(まだ上があるのよね………)

 親友の肝煎りで回ってきた新任教官だが、なかなかどうして底が知れない人物だった。同じ教官として、負けてられないと神宮司は思う。

「失礼、軍曹。相席しても良いかな?」

 神宮司が今後の抱負を抱いていると、横合いから声が掛けられた。見やれば大小二つのアンバランスな組み合わせだった。
 背が小さいのは社霞―――彼女については知っていた。親友の助手をしている少女だ。
 背の高い方は―――初見だ。見たところ自分より少し年下のようだが。階級章を見やると―――。

「しょ、少佐っ………!?はっ!どうぞこちらへっ!」

 それを認識した途端神宮司は機械人形のように立ち上がり、敬礼する。年若い少佐は軽く苦笑すると、そう畏まらないでくれと言う。

「飯時に堅苦しくする必要はない。確かにここは軍隊だが―――私は香月女史の直属なのでね」

 つまり、堅苦しいのが嫌いと言うことだ。

(夕呼に掛かれば軍規も何もないわねほんと………)

 半ば諦めてはいるが、改めて親友の奔放さに呆れる。

「さて―――初めましてだ神宮司まりも軍曹。貴方の事は香月女史から聞いている。私は三神庄司。階級は少佐だ。よろしく」

 社を伴って対面に座ると年若い少佐―――三神はそう名乗った。

「こちらこそ宜しくお願いします、少佐。それはそうと―――私に何か御用でしょうか」
「何、飯を食うのに適当な相手がいなくてね。いい加減この娘―――霞も誰かと喋りながら食べる食事の楽しみを知って欲しかったのだよ」
「は、ぁ………?」

 ちらり、と神宮司は彼の横の椅子に腰掛ける社に視線をやった。確かに彼女はあまりPXで見かけない。いたとしても、香月がいつも一緒だった。
 確かに珍しい組み合わせではある。

「まぁ、もう一つ理由もあってね」

 三神は笑みを浮かべながら訝しがっている彼女に視線を外し、社と揃って『いただきます』と手を合わせると合成鯖みその身をほぐし始める。

「今日、そちらに白銀中尉が着任したと思うが、彼についてだ」
「白銀中尉ですか」
「ああ。あいつとは長いつき合いでね。まぁ、手の掛かる弟みたいなものだよ。本当はあいつと食べようとも思ったんだが―――なかなかどうして、うまくやっているようなのでね」

 ちらり、と向ける視線の先には白銀と207B分隊の四人。傍目から見ても和気藹々としていて、今はまだ余所者の三神が割って入れる雰囲気ではない。
 たった一日でこうなるとは流石恋愛原子核―――等と三神は苦笑しつつ、神宮司を見やる。

「軍曹には迷惑を掛けるとは思うが、あいつの事を宜しく頼む。頑張ってはいるが―――あれで年相応な部分があってな」
「い、いえ。中尉は目を見張る程の実力をお持ちになる傑物です。そして、初見で207B分隊が抱える問題を看破し、それを乗り越えるよう声を掛けてらっしゃいました。―――むしろ、私の方が足を引っ張ってしまいそうで」

 これは神宮司の偽らざる本音だ。上からの圧力があったとは言え、鬼軍曹と呼ばれる彼女でさえ207B分隊の扱い―――特に『特別』な事情に関しては慎重にならざるを得なかった。
 しかし白銀はそんなこと知ったことか、と四人の間に割って入り、仲間の大切さを説いた。知らないのではなく、知った上で無視したのだから神宮司は驚きを隠せなかった。

「まぁ、確かに実力はある。軍人としても衛士としてもな。特に衛士としては天才的と言っても過言ではない。―――しかしやはり彼も十七の少年だ。私も目の届く範囲では気を遣ってはいるが、それでも限界はある。人生の先輩として目を掛けてやってはくれないかね?」
「はっ。私などでよろしければ」
「それでは困るな軍曹」

 即答する神宮司に、苦笑しながら三神は首を横に振る。

「神宮司軍曹が必要なのではなくて、神宮司まりも個人が必要なのだよ。―――それに言われなかったかね?公私は分けるが階級に関係なく接すると。つまり、あいつ自身もそうされることを望んでいるのだよ」

 そう言って浮かべる優しげな表情に、神宮司も表情を緩めた。

「分かりました少佐。階級がある分いつも、とはいきませんが―――出来うる限り白銀中尉には個人として接することにします」

 それでいい、と三神は頷くと食事を再開しかけ―――ふと、隣の社に目をやった。

「―――霞。好き嫌いを止めなさい」

 びくぅっ、と子うさぎさんが硬直する。にんじんを除けるために箸で摘んだままで。そして恐る恐る三神の方に視線をやると、目が合う。
 しばしじぃ、っと無言の応酬を繰り広げる二人。
 それを何だか親子のやりとりのように思いつつ、神宮司は二人の無言の筈の会話の内容を悟った。
 お父さんは『食べなさいと』圧力をかければ娘さんは『嫌です』と涙目で訴える。
 娘さんが『苦手です』と不安そうに視線を寄越せばお父さんは『食べないと大きくなれないぞ?』と諭す。
 やがて『大きくなりすぎてブーデーになります』と小理屈をこね始める娘さんだが、『神宮司軍曹が見ているぞ?良いのか?社霞はにんじんも食べられないお子ちゃまだと思われるぞ?人の口に戸は立てられないと言うし、きっと基地内で噂になるだろうなぁ』とお父さんは半ば脅迫じみた説得を始める。
 ややあって、社はしばらく不満そうな表情を浮かべ―――因みに彼女のそんな表情を見るのが初めてだった神宮司は呆気にとられていた―――意を決し勢いよくにんじんを摘んだままの箸を口へと投入した。そしてほとんど咀嚼することなく嚥下。
 本当はきちんと噛んだ方がいいんだけどなぁ、とかまぁそれは追い追い慣らしていけばいいか、等と三神は思いつつ社の頭に手を置いて撫で始めた。

「よくがんばったな」
「………………三神さん、卑怯です………」
「私の本業は交渉だからな。―――卑怯は褒め言葉だ」

 そんなある意味微笑ましいやりとりを半ば唖然と見つつ、神宮司は驚愕の事実を目の当たりにする。
 向かう視線の先は、三神の鯖味噌定食が―――あった皿。既にそこに食品と呼べるものは乗っていなかった。なんといつの間にか完食し終えていたのだ。

(え………!?ちょっと前まで手も付けてなかったわよ、ね………?)

 元教え子である風間並の早食いだ、と神宮司は絶句しているが三神からしてみればその風間の為に覚えたいわば一つの男の意地であった。
 前の世界で関係が深くなるに連れて、二人で食事を取る回数も増えていったのだが、当初は彼女が先に食べ終えることが圧倒的に多かった。必然、食べた後に彼女を待たせることとなるので―――これは男として何とかせねばと一念発起したのだ。
 それ以外にも最前線任務の時には早食いは必要になるので、実用面でも必要なことではあったのだ。
 結果、三神は他人に悟られることなく高速でしかもきちんと味わいながら食べる等という器用な芸当を身につけるに至った。
 無論、今はそんな事をする必要は全くないのだが悲しいかな、既に数十年近くそうしてきたためか、半ばオートで早食いスキルが発動する。今回もその例に漏れず、無意識に早食いしていたようだ。

「ん?どうしたかね軍曹。鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして」
「え、いえ………その、少佐がいつの間にか食べ終わってらっしゃったので………」
「ああ、これか。常在戦場の心得、と言えば格好はつくかね?」

 しれっとそんな事を宣う三神に、神宮司はしきりに感心していた。





「くっはーっ!疲れたーっ!!」
「と言いつつまだまだ元気そうだなこの変態」
 深夜のシミュレーター室の一角で、手にしたペットボトルに入った水を一気飲みして親父臭い動作でベンチに仰向けになる白銀に、若干憔悴した三神が毒舌を放っていた。
 既に日付は変わって二時間程経っている。夕食後、普段ヴァルキリーズが使うシミュレーター室で落ち合った二人は、XM3β版の動作確認と最終調整をこなすために兎に角無茶苦茶な機動を―――合間合間に休憩を挟みながらではあるが―――半ばぶっ続けでしていたのだ。

「変態って何だよ変態って………いやもう言われ慣れたけどさ」

 反論し掛けてすぐに諦めに入る白銀。最早言うまでもないとは思うが、無論彼の戦闘機動のことである。本人の名誉の為に言うと、決して性的な意味ではない。

「って言うかそんなオレに着いてこれる庄司も変態仲間だと思うけど?」
「変態を理解するのと変態になるのとではまた違うぞ武」
「んがっ!?」

 せめてもの仕返しにお前も同類だと切り返してはみるが、流石に舌を武器にするだけあって更に切り返されてしまった。

「あたしからしてみれば七時間近く揺られっぱなしで疲れたで済むアンタ達は十分に変態だけどねー」

 二人がそんな軽口を叩き合ってると、横合いから香月が社を伴って呆れた様子で声を掛けてきた。

「先生、調整の方はどうですか?」
「もう終わったわ。と言うより、アンタ達の無茶な機動でバグも確認できなかったから、昨日の調整段階で『終わってた』と言った方が正しいかしらね。時間を無駄にした気分よ」

 そう言って白銀をじろり、と睨め付ける香月に白銀と三神は思う。仕方ないとは言え相当機嫌が悪いなコレは、と。
 と言うのも香月にも、そして白銀達にも理由がある。
 香月としては昨日入手した数式を元に00ユニット基礎理論を組み直している真っ最中であるし、白銀達にとっては最終調整に目を通せる人間は香月以外いなかったためである。
 前者はともかく、後者は三神や社でも十分でしょと宣った香月ではあるが、XM3は彼女が作った高性能並列処理コンピューターが地盤となっているので、彼女以上にそれを理解している人間はいない。そして更に言うと、XM3に叩き込むべき三次元機動は白銀と三神では異なる為、シミュレーター要員に二人取られてしまう。
 白銀は根本的に別次元の三次元機動。
 三神は現在の二次元機動から進化させた三次元機動。
 何故、このように二つの動作パターンが必要になるのかというと、XM3を扱うのは最初こそ旧OSに慣れたベテラン衛士だが、これが普及して行くに連れ、訓練兵の段階から扱うこともあるだろう―――といった将来性を踏まえてのことだ。
 故に、二人同時にシミュレーターに乗る必要があり、それでは調整をする人間が社一人になってしまうのだ。
 それは流石に大変、という事で香月に協力を依頼したのである。

「まぁ、そんな拗ねるな香月女史。これは諸外国に対する貴方の手札にもなるし、何よりBETAに勝利するためには00ユニットだけでは無理だ。―――戦力は満遍なく整えなくてはな」

 機嫌の悪さを隠そうともしない香月に、三神は宥めるように諭し始めるが、当の本人は分かってるわよと一蹴する。
 そう、香月も分かってはいるのだ。
 白銀と三神が来るまでの香月はそれに気付かなかった。―――いや、その可能性に薄々気付きつつも心の何処かで認めたくなかった。
 オルタネイティブ4の根幹を成す00ユニット―――即ち、対BETA諜報能力があれば、戦況をひっくり返せると香月は思っていたのだ。
 それは確かに正しさの一面を持ち合わせてはいる。
 人類同士の戦いも、近代化が進むに連れて情報戦がモノを言うようになってきた。
 BETAに対しても同じ事が言える―――確かに、相手を知ると言う意味では間違いではない。だが、知ったところで覆せないものも確かにあった。
 BETA最大の脅威―――即ち、物量。
 白銀と三神によって図らずもオルタネイティブ4完遂を宣言しても良いような情報を既に手に入れた香月ではあるが、究極的に彼女が望んだのはBETAの弱点―――物量に対する、絶対的な優位性だ。
 火に弱い、水に弱い。そんな目に見えて分かりやすいもの。しかし現実にはそんなものはなかった。
 だからといって、魔女はそこで思考停止はしない。ならば別の方法を以てして、物量に対抗する。
 同じ物量では対抗できない。人類は既に十億人程度しか残っていないし、その中で戦える者も、戦術機にだって限界がある。
 であらば質を上げていくしかない。
 まず先だっては、このXM3。続くようにして00ユニットによって運用できるようになるXG-70。そして00ユニットになって初めて手に入るはずの―――。

「ま、いいわ。アンタ達が来てもう三日目―――いいえ、正味一日でXM3は先行量産が可能になった。そしてその影響であたし自身の研究も捗り始めた。これは喜ぶべき事ね。さて、これを踏まえて今後動いていくことになるけど―――何か他に要望はある?」

 その場にいた全員が戦慄を覚えた。
 何しろあの香月夕呼から何か欲しいものはある等と聞かれたのだ。裏を返せば、それを叶える代りに何か寄越せと言外に言われている気がしてならない。
 いや、通常時の香月ならば問題あるまい。だが、今は割と機嫌が悪いはずだ。下手な要求は、只でさえ短い導火線に火を付ける行為に等しい。
 ―――と言うよりも、他になんか文句あるかコラァと凄まれているだけにしか思えない。

「何よ、あたしがアンタ達に便宜を図るのがそんなに意外?」
「意外というか………」
「香月女史の場合、等価交換ではないからな………」
「失礼ね。まぁ、確かにあたしも誰も彼も便宜を図る訳じゃないけど、アンタ達は別よ」

 考えてもみなさい、と香月は言う。

「アンタ達はあたしの研究に最大級の貢献をし、あたしの戦力となり、更にはあたしの手札を増やした。確かに今はまだ完全に信用した訳じゃないけど、アンタ達は今現状のあたしが望みうる全ての要求を満たしているのよ?あたし自身がアンタ達をつなぎ止めるためにご機嫌取りをしてもおかしくはないわ」

 場所が場所だけに00ユニットの事は口にはしないが、それだけに彼女の言葉は信憑性を持たせた。

「ふむ………。では武、頼んでみたらどうだ?今晩一緒にベッドで組んず解れつどうですか、と」
「ばっ………!オレは別に夕呼先生なんて」
「年下は性別認識圏外よ。―――白銀。あたしなんて、何かしら?」

 三神の茶化しに二人同時にそれぞれ突っ込みを入れ掛け、香月が耳敏く白銀の失言を聞き取って睨む。それにひぃっと後ずさりしながら怯える白銀を横目に、やれやれと三神は首を横に振る。

「まぁ、今のところ私の要望はないな。強いて言えば、明日からA-01を鍛え始めるからシミュレーター室を占拠することと、勝手に使われないように最初はロックしておいて欲しい―――ぐらいか」
「それぐらいなら構わないわ。と言うよりここはA-01用のシミュレーター室だからね。機能説明しながら教えた方が良いでしょうし、ロックの方もやっておくわ」
「後の要望は………まぁ、追い追い言うとしよう。ほら武、次はお前の番だぞ?」

 話を振られ、しかし睨まれた後遺症か、おっかなびっくりの様子で白銀は言う。

「あの、207B分隊の総戦技演習を早めにして貰いたいんですけど………」
「別に構わないけど、何でよ?」
「出来れば、11月11日に間に合わせたいんです」
『っ………!』
 白銀の発言に声にこそ出さなかったが、三神と香月―――それから成り行きを無言のまま窺っていた社までもが息を呑んだ。

「白銀。アンタ本気?」
「正気、とは聞かないんですね?」
「質問を質問で返すのは良くないな武。―――訓練兵を戦場に持ち込む気か?」

 珍しく硬い声で咎めるように問う三神に、白銀は神妙に頷いた。

「そのつもりだ。―――次を逃すと、その次は佐渡島だから」

 言われ、二人は気付く。彼の語る『前の世界』で、11月11日以降、幾つかの戦闘またはそれに類似するイベントはあるものの、本格的な初陣、対BETA戦は甲21号作戦となる。XM3トライアルの時は207B分隊はまともに戦闘に参加していないのだ。
 白銀は、そんな大規模な作戦を彼女達の初陣にさせたくはないと思っている。
 あの作戦の後―――衛士の流儀こそあった為に、各々の心中こそ知ることはなかったが、きっと誰もが自分と同じように悔いていたはずだ。
 もっと力があれば、伊隅や柏木を死なせずに済んだのではないかと。
 無論、そんなものは只の驕りだ。
 事実、彼女達が命を落したのは凄乃皇弐型の制御が効かなかったため―――より正確に言うならば、白銀の記憶が原因だ。
 彼女達はそんな十字架を背負う必要はない。
 だがそれは00ユニットの秘密に直結するため、白銀は彼女達を慰めることさえ出来なかった。

「あいつ等には才能があります。それも、生き抜けば世界有数の実力者になるぐらいの。こんな所で燻らせておくのは正直惜しいですし、精神的な意味でも技術的な意味でも鍛えられる内に鍛えておきたいんです」
「随分とスパルタなのね?」
「まりもちゃんじゃありませんけど、オレはいくら憎まれても恨まれても構いません。あいつ等が少しでも早く自分の足で立って、生きる為に、戦い抜く為に走り出せるなら―――オレはBETAだって利用します」

 この先、彼女達の生死に直結するのは紛れもなくBETAだ。であるならば、それを正しく認識させるために実戦に放り込んだ方が手っ取り早い。
 今はまだ、訓練兵という立場上、白銀や神宮司が護ってやれる。戦場に関しても、敵の少ない後方を選ぶことが出来る。
 だが任官してしまえば戦地は選べない。
 特に彼女らは00ユニット素体候補―――即ちA-01に所属することが既に決まっている。故に、戦地は常に激戦区。確かに腕の立つ仲間達はいるが―――死の八分は、それをも食い破りかねない。
 前の世界ではトライアルの時の影響か、甲21号作戦では大した動揺はなかった。
 しかし今回、白銀はトライアルでBETAを放つつもりはない。三神がいるとは言え、BETAを殲滅ではなく捕獲するとなると、A-01に損害が出る可能性があるのだ。今はまだ香月にその事を告げてはいないが、11月11日までにはその旨を伝え、そもそも捕獲をさせない。
 基地内の空気に関しては、別の手を考えるつもりだった。

「………ま、いいわ。どのぐらい早めるの?」
「美琴―――鎧衣の退院を早めて、出来れば10月の終わりに。演習内容も変えて、二、三日で終わるようにします」
「演習を簡単にするってこと?」
「はい。と言っても、病み上がりの鎧衣が良い感じに足を引っ張ると思いますから難易度自体は変わらないでしょう。元々あいつ等は正規兵に匹敵する実力はだけは持ってますから、問題はないでしょう。それに―――正直、総戦技演習に大して意味は無いですから」

 総戦技演習は戦術機のベイルアウト後を想定する。だが、そもそもベイルアウトが出来る状況になる方が稀だ。衛士としては、突撃級に体当たりされたり、要撃級の前足で貫かれたり、戦車級に集られたりした時点で大抵詰む。勘違いされがちだが―――そもそも戦術機は歩兵にすら落されかねない脆弱な装甲しか持っていないのだ。BETA相手になれば、それこそ一撃保てば御の字だ。
 そしてよしんばベイルアウト出来たとしても、戦場の直中で身一つになってしまえば、例え強化外骨格があったとしても中型級以上に踏みつぶされるか、小型級に食われるか―――いずれにしても生き残れる可能性は低い。
 であるならば、もしもの状況を想定して只でさえ低い可能性を数%伸ばすのではなく、そのもしもの状況を作り出させないために衛士として腕を磨いた方が幾分かマシだ。
 特にA-01はこれからハイヴに幾度と無く潜ることとなる。そんな状況下でベイルアウトするよりは、S-11で自爆した方がまだ犬死ににはならないだろう。
 故にこそ、白銀は総戦技演習に大して意味はないと考える。

「ふぅん―――次に失敗すれば彼女達、終わりよ?夏に一度落ちてるからね」
「それならそれで構いませんよ。民間人になれば今より安全―――とまでは言いませんが、それでも少しはマシでしょうし、何よりもう軍に関わることもないでしょう」

 如何に戦術機特性があるとは言え、二度も総戦技演習に落ちた無能は、何処の軍だって受け入れたがらない。特に彼女達は『特別』な背景がある。歩兵にすら回されないだろう。いや、彼女達がいくら望んでも、周りが二度総戦技演習に落ちたことを理由に徴兵免除を以て束縛するに違いない。
 そうなったらそうなったで、彼女達は危険からは遠のくのだ。白銀としては是非もない。生きていればそれでいい、とまでは言わないが―――それでも彼女達は与えられたチャンスをモノに出来なかったのだ。文句は言えないだろう。

「やっぱりアンタ、甘いのね」
「身内にだけですって」

 勿論夕呼先生にも甘いですよ、と何の気無しに言う辺り、流石は恋愛原子核だ。邪気もなく言われ、さしもの香月もそっぽを向いた。少しではあるが、頬が紅い。
 それに助け船を出す訳でもないが、三神は吐息と共に白銀を見やった。

「武の気持ちは分かった。私が必要な時は遠慮無く言え。空いていればいくらでも手を貸そう」
「頼りにしてるぜ、庄司」
 男の友情宜しく拳と拳をぶつける二人を、どこか羨ましそうに社が見ていた。



[24527] Muv-Luv Interfering 第六章 ~守護の理由~
Name: 光樹◆63626ad3 ID:4ecd25b3
Date: 2010/11/27 03:59
 10月24日

 目を覚ましてみれば、午前九時を過ぎていた。

「おぉう………」

 妙な呻き声と共に、三神はのそのそとベッドから這いずり出る。
 昨夜XM3の最終調整を終え、シャワーを浴びてそのまま床についたのが午前三時前。おおよそ六時間は寝た計算になる。
 彼としてはこのまま二度寝に突入しておきたいところだが、今日からヴァルキリーズの教導を始める為に、そうも行かなかった。
 仕方なしに起きることにする。適当に洗顔と歯磨きをして、軍服ではなく強化装備を着る。朝食を摂るためにPXに行っても良いが、どのみち後三時間程で昼時だ。

「んむぅ………」

 重たい瞼を擦りつつ、部屋を出る。そしてそのままシミュレーター室へと足を向けた。
 因みに前のめりにのそのそ歩く彼の姿を何事かとすれ違う人々が見るが、本人は気にならないし気にしない。血圧が低いために、どうしても起き抜けは動きが鈍いのだ。
 最も、これが実戦となればまたスイッチが切り替わるのだが―――今は幸か不幸か日常の範疇である。
 それはともあれ、しばしあって彼はシミュレーター室へと到着した。中に入ってみると、二十以上あるシミュレーターの内、十二機と管制室が稼働中だった。疑う余地もなく、ヴァルキリーズが訓練中なのだろう。
 一度終わるまで待ってようかとも思ったが、それも不毛なので管制室にお邪魔することにした。
 管制室の扉を音もなく開くと、こちらに背を向ける形で涼宮遙中尉がコンソールに手を這わせていた。外出力モニタには、ヴァルキリーズがハイヴ内で戦闘している様が映し出されている。

(いや、戦闘じゃないな)

 よく見ると、ハイヴ内を駆け抜ける十二機の不知火はいずれも非武装。跳躍し、壁を蹴り、時にはBETAを踏んづけたりして奥へ奥へと進んでいく。
 ―――先日三神が作った三次元機動教習の真っ最中らしい。
 どの程度腕が上がったか聞いてみることにした三神は、足音も立て涼宮姉の背後に立つと。

「―――おはよう涼宮中尉」

 肩を叩いて声を掛けた。

「ひゃっ………!」

 びくぅっと後ろめたいことは何もないはずなのに、彼女は飛び上がって後方を確認すると、すぐさま直立姿勢を取って敬礼する。

「み、三神少佐っ………!?お、おは、おはようございます!」
「ああ敬礼はいらんよ。君もまだ訓練中だろう。私の相手など片手間で良い」

 ならもっと普通に声を掛けろよ、とこの場に白銀がいれば突っ込んだだろう。

「それよりも皆の調子はどうだね?」
「あ、は、はい。昨日ずっとやってたお陰か、みんなBETAのかわし方のコツを少しずつ掴み始めたようです」
「ふむ。私の強化装備に昨日からの被撃墜データを回してくれるかな?」

 言い切るが早いか否か、すぐに三神の網膜投影に伊隅ヴァルキリーズの被撃墜データが回ってくる。それを仕事が速いなぁと感心しつつ、三神は目を通した。
 全体的に通して確かに被撃墜率は低下してきている。
 特に前衛組の伸びは高く、その中で一際―――というよりも最初から被撃墜率が低い者が一人いた。
 ―――築地だ。
 気になって視線を外出力モニタを見やってみると、彼女の駆る不知火の動きが妙だった。いや、妙と言うよりは。

(―――猫っぽいな)

 それはどことなく自分の機動に近い気がする、と三神は思う。彼自身が意識して生み出した訳ではないのだが、彼と試合う機会のあった者達が言うには、彼の機動は狼のそれに良く似ているそうだ。
 低空を疾駆し、三次元機動を駆使し、更には他に追随を許さぬ高速地上機動。それらを高い次元で融合した彼の高速機動戦闘法は、確かに狼のそれを彷彿とさせた。
 対する築地は、まだつたないながらも回避という一部分に関しては他の皆より突き抜けていた。
 どうやって後ろから来る突撃級や真上から降ってくる要撃級を避けているのか―――おそらく本人も分かってはいまい。
 あれは勘だ、と三神は思う。
 獣のように鋭く、そしてそれを疑うことなく動作に移せる程の―――絶対的な勘。流動的な戦場の空気を読みとることの出来る者だけが身につけうる、最強の危機察知能力。
 その片鱗が、彼女にはあった。

(後は―――こいつか。紫藤あやめ)

 次に視線を向けたのは、中隊内で一番被撃墜率が高い女だ。だが、その内訳の全てが『仲間を庇った』為となれば話は別だ。
 おそらく、それらを除けば築地と同等か、それ以上の危機回避能力を発揮しうるだろう。
 何せ彼女は自分は勿論―――他人の危機さえ察知しているのだから。
 今はまだ身を挺して庇うことしか知らないようだが、適切な援護能力さえ与えてやれば、隊の損耗率は驚く程低下するに違いない。

(面白いな、コレは………)

 他にもまだ原石と呼べる人材がいる。光り始めている人材もいる。今現在は取り分けこの二人に目が行っているだけで、別の分野になればまた違う才能を発揮するだろう。その瞬間に立ち会えることを思うと、三神の身体は喜びに奮えるのだ。
 そして思う。時間逆行しても教官やっていた頃の感覚は消えないのだな、と。

(いいだろうヴァルキリーズ。貴様等に『俺』が知りうる全ての技術をくれてやる。月面戦争まで戦い抜いた英雄の技術をな)

 我知れず、獰猛な気配を振りまく三神に、前にいた涼宮は何故か悪寒を感じた。





「―――と言う訳で、新型OSであるXM3はこのコンボ、キャンセル、先行入力の概念を新たに取り入れた新時代のOSだ。これはおまけだが、即応性は三割り増し、と。………まぁ、まず間違いなく戦術機業界に革命を起こすだろうな」

 ブリーフィングルームにて、三神はヴァルキリーズにXM3の基本説明を行っていた。
 ホワイトボードに簡略した概念をなるべく分かりやすく書きつつ、回された資料と見比べながら情報を整理しているヴァルキリーズの面々を見やる。
 XM3説明会に対する彼女らの反応は、伊隅を除けば困惑一色だった。
 と言うのも無理はない。
 今まで使ってきたOSとはかけ離れた設計理念。それによる操縦概念の根本的転換。
 旧式のOSでさえ数々の犠牲の上に、無駄を無くし、バグを潰し、性能を向上させてきたのだ。
 しかしそれを―――少なくともスペック上では圧倒的に凌駕するOSが現れたのだ。興味がないはずがないし、嬉しくないはずがない。何より、誰よりも先に自分達が触れられるのだというのだから尚更だ。
 だが―――圧倒的に凌駕しすぎている故に、逆に彼女達は実感が湧かなかったのだ。
 そして香月の直下であるが故に実戦に多く触れてきた先任達は思う。果たして、このOSは実戦で使えるのかと。
 実戦証明偏重主義という訳ではないが、やはり自分の命を預けるものだ。当然、些細なことでも気を遣う。それが戦術機を動かす上で必要不可欠であるOSともなると尚更だろう。
 戸惑うヴァルキリーズの様子をいち早く察した伊隅が、安心させるように口を開く。

「私は先んじて使ってみたが―――世界が変わるぞ?」

 前の世界でだけどな、と心の中で苦笑する伊隅。だが、前の世界のXM3を元にしている以上、今回も同じ―――あるいはそれ以上の性能を発揮するはずだ。

「へぇ~大尉がそう言い切るってことは、スペック上だけじゃないんですね?このXM3は」

 口元を緩めて問うのは速瀬だ。気配が既に臨戦態勢に入っており、すぐにでもシミュレーター室に突撃しそうである。

「おやおや、流石戦闘狂の速瀬中尉ですね。―――昨日少佐に瞬殺された癖に」

 しれっと爆弾発言を投下するのは宗像美冴中尉だ。そしていつものように速瀬が宗像をロックオンする。

「む~な~か~た~?」
「って紫藤が言ってました」
「紫藤ーっ!」
「否定。我、無言」

 漢字の片言で首を横に振るのは、ショートヘアの少女―――紫藤あやめだ。風間と同期でもある彼女は、余程のことがない限り、今のように漢字の片言でコミニュケーションを取る。
 きちんと喋るのは、軍人として公の場にいる時や、上機嫌の時だけだそうだ。よく軍人として今までやってこれたなと思う三神だが、A-01はその特性上、外部に触れることはないので矯正する必要もなかったのだろう。

「もう駄目よはやちゃん。しぃちゃん困ってるじゃない」

 ぎゃぁぎゃぁ騒ぐ速瀬を窘めるように、セミロングの女性が口を挟む。鼻血女―――もとい、式王寺小夜中尉である。
 速瀬とは同階級だが先任なので、伊隅に次いで隊内での発言力があった。

「そうだよ水月~。ほ、ほら少佐が見てるよ?」

 涼宮遙中尉が式王寺に賛同し、三神に無理矢理話を振る。それに呼応して、皆が居住まいを正した。やはり昨日の一件が効いているようだ。

「まぁ、説明は終わったし、訓練中でも実戦でもないしいくら喋ってくれても構わないが―――長引くなら煙草吸わせてくれ。終わるまで待ってるから」
「た、煙草って………衛士は身体が資本なのに………」

 涼宮茜少尉の小声の突っ込みに、しかし三神は肩を竦め。

「病死だろうが戦死だろうが、生きてる以上死ぬのは変わらない。だったら私は好きなことを好きなだけやってから死ぬ。人生は短いんだから、君らも謳歌するといいぞ?」

 何の気なしに放った三神の言葉に、皆が絶句する。その言葉の受け取り方次第では、死にたがりと思われても仕方がない。
 だがそこまで考えて、伊隅は気付く。
 彼はもう三桁人生をやり直しているのだ。その原因こそ知らないが、おそらく彼の言葉は、生きるだけ生きた者だけが辿り着いた末に得られる一つの答えなのだろう。
 しかしそんな事を知らない他の面々は、訝しがるように三神を見やる。

「少佐は………死ぬのが、怖くないんですか?」

 静寂の中、問いかけたのは風間梼子少尉。
 三神は何を考えたのか、数秒だけ目を瞑って。

「死ぬのは―――そうだな、私にとってはただの通過儀礼だ。怖くはあるが、どう足掻いたところでいずれ訪れるものだし、要はそれが早いか遅いかの違いだけだろうと思っている」

 だがな、と三神は告げる。

「ありふれた言葉だが―――私は人が本当に死ぬのは、誰かに忘れ去れた時だと思っている。どう生きたかは問題じゃない。どう死んだのだって過ぎてしまえば仕方のないことだ。だがどう忘れられるか―――私は、それが一番怖いよ」

 それは自分が何度も体験してきたことだ。

「その人の幸せに埋没して、私という存在が忘れられるのならそれでいい」

 幾度と無く誰かと出会い、どちらかが死ぬことで別れ。

「その人が私の死を悲しんで、覚えててくれたのなら―――忘れてくれていいのにと思いつつも感謝するだろう」

 逆行することで再び出会い、しかし―――。

「だからこそ、と言うべきか。出会ったことも、死んだことも、私に関わる全てを無かったことにされるのが―――私は一番怖い」

 再び出会った人達は、三神のことを『知らなかった』。全てを無かったことにされた。因果導体である以上、仕方のないことなのだが―――それでも、三神は忘却ではなく消却に怯えた。
 しかしその垣根を飛び越えたのが―――シロガネタケルだ。
 無論、彼も完全ではなく、三神を覚えてないこともあった。だが、覚えている時だって確かにあったのだ。
 それが、彼の唯一の救いであったと言っても良いだろう。
 そしてこれを最後のループにする以上、三神は彼の手助けをしようと思ったのだ。今まで受けた恩を、雪だるま式に増えていく負債を、ありったけの感謝を込めて自分が消えるまでに返しきろうと彼は誓ったのだ。
 それ故に三神は白銀に無条件で手を貸す。
 お節介と言われようが、自分が彼の理解者である限り、彼が望む全てを手に入れさせてやろうと思う。
 鑑純夏の人間化もその一環だ。
 無論、彼とて見返りはある。

(―――私の因果導体の解放条件は、武に纏わるものだしな)

 その為、前回のループでは既に『次のループが決まっていた』のだ。
 シロガネタケルがいない世界では、三神は因果導体から解放されない。そしてその原因も、既に分かっている。
 だから―――後は本当に、走り抜けるだけだ。

「―――すまない、辛気くさい話をしたな。取り敢えず説明は終わったしシミュレーター室へ―――」
「―――忘れません」

 妙に重い空気にしてしまったので、それを払拭するように割と早口になりながら三神が次の予定に移ろうとしたところで―――凛とした声が響く。

「私は―――絶対に忘れません」

 風間梼子の、かつて隣を歩いた女性の―――最期に聞いた言葉と共に。
 何故―――今は何も知らないはずの彼女がそんな事を言うのか、三神には分からなかった。
 同情なのか、憐憫なのか。はたまた逆のベクトルなのか。
 分からない、分かりはしないが―――心の何処かで嬉しさがあった。例えそれが、叶わぬものだとしても、そう言って貰えるのは嬉しかったのだ。
 だから三神は、小さく微笑むとブリーフィングルームの入り口を親指で指す。

「シミュレーター室に行くぞ。―――君らが私を忘れることが出来ないくらい、徹底的に扱いてやる」

 心の中で、別人であるはずの妻に感謝しながら。
 因みに、その日のヴァルキリーズは―――一人の修羅を見ることとなる。





 10月の後半にもなれば夜はそれなりに冷える。澄んだ空気の中、天上の月はその輪郭をくっきりと浮かばせ、地上を見下ろしていた。
 そんな中、基地のグラウンドで白銀は走っていた。こちらの世界に来て、戦術機にこそ乗って体力は十分と理解はしたが、実際に体を動かす加減を確かめるためにはそれだけでは不十分だったのだ。
 一定のリズムを刻んで、身体を鍛えると言うよりは慣らすように軽く走る。
 しばらくの間暗がりの中を走り続け、その先にある人物の姿を認めた。

(そう言えば、冥夜は夜に自主鍛錬してたんだったけか)

 少しだけペースを上げつつ、しかし足音を立てないように踵からの接地を心掛けて走る。ゆっくりと背後に揺れる長い髪に近づいていき。

「よっ。冥夜も自主鍛錬か?」
「ち、中尉!?な、何故ここに!?」
「なにゆえって………オレはちょっと身体動かそうと思ってな。戦術機とかシミュレーターには乗ってたけど、こうやって自分の身体を動かすのはまた別だからさ」
「そ、そうですか………」
「んな緊張するなよ訓練中じゃあるまいし。夕飯の時にも言っただろ?同い年なんだからプライベートなら敬語も無しで名前で呼んでもいいって」
「し、しかし………」

 あまり色よくない御剣の返答に、白銀はふむと考えて。

「じゃぁ、宿舎の出入り口まで競争な?オレが勝ったらプライベートでは敬語も無し、名前も呼んでもらう。冥夜が勝ったら明日の朝飯のオカズ一品やる。―――じゃ、スタート!」
「中尉!そんな勝手な―――っ!」
「あははは先手必勝だっ!」

 御剣が文句を言うよりも早く高らかに笑いながら白銀はグラウンドを駆け抜ける。御剣も出遅れつつそれに追従するが―――。

「ほいお疲れさん。オレの勝ちだな?冥夜」
「フ、フライングしておいて何をいいますか………」

 余裕綽々の白銀に、御剣は膝に手を突いて荒い呼吸のまま文句を言う。

「おいおい勝ちは勝ちだぞ?敬語は無し、名前で呼ぶ。―――3、2、1ハイ!」

 何処ぞの中尉の真似をしつつ促すと、やがて観念したか御剣はそっぽを向きつつ。

「………………ケ………ル」
「んー?聞こえないぞ?」
「………タ………ケ………ル」
「もう一声」
「タ………タケル………」
「はいよく出来ました。何度も言うけど、同い年なんだから気楽に行こうぜ?」
「………はぁ、そなたには何を言っても無駄なようだな」

 呆れ気味に呟く御剣に、白銀はようやく分かったかと胸を張る。

「そういや何でこんな時間に自主鍛錬なんかしてるんだ?」

 返ってくる答えを知りつつも、白銀は敢えて聞く。自分を語る上で、御剣と夜の自主鍛錬中に交わしたこの話は―――御剣冥夜という存在を再認識するのにやはり必要なのだ。

「………。私は、一刻も早く衛士になり、戦場に立たねばならんのだ」

 天を見上げ、御剣は言う。

「―――何のために?」
「月並みだが、私にも護りたいものがあるからだ」
「それはなにか、聞いて良いか?」
「この星、この国に生きる民、日本という国だ」

 ああやっぱり、と白銀は思う。どこまで行っても、世界が変わろうが時間を逆行しようが―――御剣冥夜は御剣冥夜だ。
 彼女というある種不変の存在を再認識し、我知らず涙を流しそうになるが気合いで押しとどめる。

「だが―――今は少し違う」

 と、彼女は白銀を見据えた。

「何が違うんだ?」
「うん。違うと言うよりは、理由が増えた―――の方が正しいか」

 あの時とは違う反応に、白銀は軽い驚きを覚えつつ問いかけると、彼女自身も整理している最中だった。

「昨日の朝、そなたに発破を掛けられ、私なりに思うところがあった。今まで私は衛士になりさえすればいいと思っていたが―――それだけでは駄目なのだな。衛士は一人では戦えない。よくよく考えてみれば、その通りなのだ。一人の衛士が戦うために、幾人もの力無き民に無理を強いる。矛盾にも思えるが―――護るためには必要なことで、だからこそその無理を無駄にしない為に衛士は戦い抜かねばならない」

 そして、と彼女は言う。

「私達はその無理を無駄にしてしまった。だからこそ、思ったのだ。私は早く衛士になり、戦場に立たねばならん。そして無駄にしてしまった分を取り返すために戦わねばならん。そして戦うためにまた無理を強いてしまうが―――それすらも取り返すために他人の二倍も三倍も戦おう。この星の、この国の、日本の民が安心して暮らせるようになるまで」

 それは今はまだ、現実を知らない訓練兵の夢想。だが故に純粋で気高く―――そして彼女がそれに届くために掲げる決意表明。
 例えどんな苦難が待ち受けようとも、決して諦めはしないと彼女は言外に告げた。

「―――タケル。そなたにもあるのだろう?既に衛士となったそなたでも、護りたいものが」
「ああ。あるよ」
「聞かせてはくれないか?」
「冥夜が教えてくれたんだ。オレが話さない訳がないだろう?」

 小さく笑って、白銀は空を見る。夜空に浮かぶ、小さな月。数十年前まで、何もなかったそこは、今や化け物の巣窟となっている。

「―――オレは、色々なものを失った。詳しくは、機密も絡むから話せないけれど、何処までもガキだったオレは―――立脚点の無かったあの頃のオレは、辛いことから逃げて、悲しいことから逃げて、逃げた先で逃げられないことを知って、やっと前を見れた時にこう思ったんだ」

 恩師を二度も死なせ、逃げて、逃げられないことを知って―――白銀は初めて自分の成すべき事を見定めた。
 世界を救うなどという漠然とした目標ではなく、白銀武にしか出来ない目標を。

「オレが壊してしまったものを、出来る限り取り戻そうって。オレが犯した罪は決して許されるものじゃないけど、だからこそ贖う為に戦おうって」

 そして―――。

「そしてそれは、一応の決着は着いたんだ。だけど代りに―――オレの中に後悔を残した」

 白銀は因果導体ではなくなった。彼が干渉した世界は修復されるはずだ。だがその結果―――白銀は再び全てを失った。
 仲間も。
 愛した女も。
 自分自身でさえも。
 だがそれでも、と白銀は願ったのだ。
 あの暗闇の中、全てが消え行く中で―――誰よりも強く、もう一度と。

「だからこそ、かな。今のオレは、世界よりも、国よりも、自分の手の届く範囲の人達を護りたい。その為に世界が救われなきゃいけないって言うなら―――ついでに世界を救ってやる」

 名誉も栄光も必要ない。共に歩む者達が生きていてくれるなら、今の白銀はどんな手段も厭わない。その為に必要ならば、世界だって救ってみせる。

「ついでに世界を救う、か。―――そなたは、強いのだな」
「そんな事ないさ。オレが強く見えるのだとしたら―――オレを育ててくれた人達が強かったからだ」

 香月夕呼に始まり、神宮司まりも、伊隅みちるを始めとしたA-01の仲間達。勿論207B分隊だってそうだ。

「きっと素晴らしい人達なのだろうな」
「―――ああ。自慢の仲間達だ」

 『衛士の心得』そのままに―――白銀は誇らしく、笑ってそう言った。





「いやー青春してるな、武の奴」

 その様子を上から眺める出歯亀が一匹。
 宿舎の屋上で紫煙を吐きながら一服していた三神だ。
 ヴァルキリーズに本日の教導を終えた三神は、夕食後香月に与えられた部屋で彼女の体を作るための作業をしていた。
 そして先程、九時過ぎ頃に鎧衣課長が来るらしいと社に聞き、取り敢えず作業も一段落したので、気分を変えるために屋上で煙草を吸っていたのだが、不意に見下ろしたその先で偶然白銀と御剣を見つけるに至ったのだ。

「尊き存在、か………」

 白銀が御剣を称す時に、時々使う言葉だ。三神にとっては、白銀自身を指す。彼がいなければ―――今の三神は存在し得ないのだから。

「お前が受けた恩を皆に返しているように、『俺』もお前に返さないとな」

 フィルター近くまで吸いきり、携帯灰皿に吸い殻を押し込むと三神はフェンス越しに見ていた二人から目を離し―――。

「―――ん?」

 その二人から少し離れたところで、紅い色と白い色三つを見つけた。
 しばらくその様子を観察していると、宿舎に戻っていく御剣と入れ替わるように武に近づいていく。

「―――幾つであっても巻き込まれ体質は変わらないようで白銀『大佐』。全く以てやれやれですが―――お節介をすると決めているのでな」

 誰に言い訳するでもなく、苦笑しながら三神は宿舎へと戻る。自分が下に着くまでには、きっと面倒なことになっているのだろうなと思いつつ。



[24527] Muv-Luv Interfering 第七章 ~消却の共感~
Name: 光樹◆63626ad3 ID:4ecd25b3
Date: 2010/11/29 04:50
 夕食時もとうに過ぎ、人気が無くなったPXでヴァルキリーズの面々が項垂れていた。と言っても、この場にいるのは風間、紫藤と元207A分隊の面々のみである。伊隅や他の中尉連中は本日の反省会をブリーフィングルームで個別に行っていためここにはいない。
 まるで葬式か通夜か―――そんな暗鬱とした空気で項垂れている理由は、あの新任少佐の訓練にあった。
 ―――三神は怒鳴らない。
 初対面の時、怒鳴るどころか殺しかねないとまで言い切った彼ではあるが、いざ訓練となると怒鳴ることはない。
 では何故、彼女達がこれ程までに落ち込んでいるのかといえば―――。

「あはは………厳しい、ですよね………」

 重苦しい沈黙に耐えかねて、柏木晴子が気持ち軽く言う。だが、本人自身も相当落ち込んでおり、その表情から暗さを払拭し切れていない。

「………そうだね。私達は自分達が思っているよりも実力が無さ過ぎたんだね。―――だから、少佐は取り合わなかった」

 普段は言葉数が少ないはずの麻倉伊代が、珍しく長台詞で胸中を述懐する。

「でもアレはやりすぎだと思う。あんな訓練続けてたら、実戦の前に体を壊してしちゃうよ」

 苦虫を噛み潰したように、高原智恵が首を振った。

「しかし少佐は言っていました。『死の八分』を越えてない貴様達がBETAの何を知っているって。今のまま甘ったれた訓練をしてると死ぬ、と。―――正直、私にも思うところはありました」

 七瀬凛がそう告げる。無論、それは彼女だけではなく、六人の新任全員に言えたことだった。
 任官して早二ヶ月。実戦には未だ出たことはなく、訓練の日々。それ自体に不満はなく―――どこかで安心していた。弛んでいたと言っても良いだろう。だがそれを見抜いた三神は、ある命令をする。

「―――シミュレーターを降りることを許さない、か」

 涼宮茜が少しやつれた顔のまま呟いた。
 本日の訓練内容を振り返ってみると、午前中は新OS―――XM3の慣熟訓練だった。最初の方こそ三割も増した即応性に振り回され、その遊びの無さに戸惑ったものだったが、A-01は元々高い素養を持つ集団だ。すぐに慣れ、今まで以上の機動性を手に入れると子供のようにはしゃいだ。
 午前中を慣熟に費やし、一度昼食を取って午後からの訓練を始めるのだが―――ここからが彼女達にとっての地獄だった。
 最初に行ったのは、先任対新任の模擬戦。
 そして撃墜された者だけが地獄へと招かれる。
 先日体験した三次元機動教習用データ―――それの改造版。フィールドこそハイヴ内ではなく地上戦だったが、BETAの進行速度、個体の動きが通常の1.5倍速だった。
 それを非武装のまま避け続ける。しかも開始から十分経つと必ず機体に不調が出る設定がされていた。場所こそランダムだが、推進剤が無くなろうと中破しようと『撃墜されるまで』続くこの訓練に於いて、機体の不調はまさに命取りだった。
 一応、迫り来るBETAを駆除する方法はある。
 派手に動いて陽動し、後方の地雷原に誘い出すのだ。それで一時的には総数が減る。だが、しばらくすると復活し、更に動きが0.5倍速くなる。
 当然、全員が三十分も持たずに撃墜された。
 そして撃墜されても―――それで終わらない。
 一番最初に撃墜されたのは紫藤で、撃墜された後、彼女は三神に皆が撃墜されるまでランニングを命じられた。
 ―――シミュレーターに乗ったままで。
 シミュレーターは地上戦から、そのまま市街地に切り替わり、彼女はひたすら主脚走行をさせられたのだ。
 撃墜された者が一人、また一人と市街地で主脚走行のランニングを開始し、やがて皆が撃墜されると―――休憩は疎か総評すら無いままに同じレギュレーションでの訓練に放り込まれた。
 以降、無限ループである。
 流石に涼宮妹が皆を休ませるように進言したが、三神は先程の七瀬が言ったように『死の八分』を越えていない貴様等はBETAの何を知っているかと問い、今までの訓練で満足しているようでは死ぬぞ、と脅した。
 その際、彼の表情は一切の感情を映してはおらず、まるで能面のように無表情で―――だからこそヴァルキリーズは別の意味で恐怖する。この男は本気だ、と。本気で休ませることなくひたすら訓練させる気だと。
 因みに、最初の模擬戦で撃墜されなかった者は同じ訓練を武装した状態で行ったらしい。

「―――疲労困憊………」
「あやめさんが一番長く揺られてましたからね………」

 ぐったりして机に突っ伏す紫藤に、風間が気の毒そうに言った。
 訓練中でも仲間を庇って撃墜されることの多い紫藤は、今回も当然のように真っ先に落されている。それは誰もが知っていて、特に庇われることの多い新任連中は彼女に頭が上がらない。
 自分達がもっとしっかりしていれば、彼女の被撃墜率が下がるのは分かり切っているのだから。そしてそれと同時に不安になるのだ。今はまだ訓練だから良い。だがこれが実戦となったら―――自分達の失敗が、紫藤の死を招いてしまうのではないかと。
 自分達が―――彼女の命を奪ってしまうのではないかと。
 口下手で、基本的に漢字のみで喋るという変わった芸風のため、まともなコミュニケーションが取りにくい紫藤ではあるが、基本的に素直で後輩の面倒見も良く、何より情に篤い。
 だからこそ、実戦でも彼女は迷うことなく自分の身を盾にするのだろうと、訓練兵の頃から付き合いのある風間は思う。
 事実、何度か経験した実戦で、彼女は必ず機体の何処かを壊しており、その理由は誰かを庇った為なのだ。
 何の奇跡か、今まではその程度で済んでいたが―――何時までもそんな奇跡が続くとは思えない。
 いつか―――いつか必ず、彼女は誰かを庇った為に死ぬ。
 新任だけではない、先任も、あるいは本人自身もそう予想している。だから隊長である伊隅は何度か紫藤と話し合って、戒めるようにしてはいるが―――いざとなると、彼女は理性より本能を優先してしまうのだ。
 軍人としては失格―――だが、背中を預ける仲間としては頼もしくもあり、同時に怖くもある。
 危なっかしいという言葉は、彼女のためにあるようなものだった。

「大丈夫ですか?紫藤少尉。何か飲みます?」
「………平気。無問題」

 築地に声を掛けられ、のそりと起きあがった紫藤は、げっそりした表情のままそう言った。どう考えても先任としての意地でそうしているだけであって、身体の調子は芳しくないはずだ。
 早々に撃墜され、主脚走行のランニング―――これは実は一番きつい。真っ先に撃墜されたことは精神的にも厳しいし、そもそも主脚走行のランニングは体力の消耗が著しい。
 何しろ―――ずっと揺られっぱなしなのである。
 これが回避運動であるならば、そちらの方に集中できるが、ただ延々とランニングして揺られっぱなしだと集中力が乱れ、体力どころか気力までガリガリ削られていく。
 故に、今の彼女は心身共に疲れ切っていた。下手すると、明日までに回復できないまでに。

「―――でも、少佐はなんでこんな厳し過ぎる訓練にしたのかな」
「死なせたくなかったからじゃないかな?」

 涼宮の呟きに、柏木がそう言った。

「どういう事?」
「多分、だけどね。少佐は、自分が死ぬのは納得できても、他の誰かが死ぬのが納得できないんじゃないかなって」

 確かに、と風間が後を繋ぐ。

「―――誰かにどう忘れられるのが一番怖い、と少佐は仰ってました。と言うことは、ご自分が亡くなられた後に、少佐を知る誰かが生きていることが大前提なんです」

 忘却は、自分以外の誰かが存在してこそ成り立つ。誰にも知られず只一人戦い続け、死んでいってしまえば―――忘れられることすら出来ない。
 出会ったことも、死んだことも、自分に関わる全てを無かったことにされるのが一番怖いと彼は言った。
 ならば出会うことすらなく、護ることすら出来ず、死んだことすらも知らない。
 ―――彼が真に恐れているのは実は消却なのではないか、と風間は思う。そして出会った以上、手の届く範囲で彼は護ろうとするはずだ。届かないのなら、自衛できるように相手を強くしようと思うはずだ。
 ―――酷く、甘い。
 まるで子供のように我儘で―――それ故に風間は共感を覚える。
 彼女には夢がある。
 音楽という人類の遺産を、後世に残すこと―――。
 だが、今のこの世の中ではそれもままならない。その才がある者も素養を持つ者も、等しく徴兵されてBETAと戦い、命を散らしていく。
 現に、新鋭の音楽家は年々減り続け―――近い将来、間違いなく音楽家そのものが絶えてしまう。
 そしてその先にあるのは―――音楽の消却だ。
 人は、こんな素晴らしいものがあることすら知らずに生まれ、知らないままに死んでいく。
 やがて―――人類そのものが滅亡し、全て無かったことにされてしまう。
 知ることも、伝えることも、忘却したことすら知らずに文化そのものが消却されていく―――。
 それを考えると、風間は悲しくなる。
 人類が滅亡することも、人類が何百何千年とかけて続けてきた文化の営みが消し去られることも。

(私と少佐は、どこか似てますわね………)

 あの時―――忘却を恐れていると言った彼に、何故ああも頑なに忘れないと豪語したのか―――実は風間自身不思議だった。
 その疑問が、氷解する。
 結局の所―――似たもの同士なのだ。自分と彼は。
 その対象が違うだけで、共に消却に恐れを抱き、だからこそ足掻く。

(少佐、私は貴方を忘れません。―――忘れさせもしません)

 彼の身に、何があったのかは分からない。それを知ることは無いのかも知れない。だが、共に同じものに怯え、足掻く者として―――風間は三神の応援をすることにした。





 夜風が頬を撫でる。その心地よさを感じながら、白銀は瞳を閉じた。

「―――いるんでしょう?出てきたらどうですか?」

 もう少し風を浴びてる、と適当に理由を付けて宿舎に戻る御剣を見送ってから、白銀はそんな風に呼びかけてみた。

「―――ほう、私の気配を察したか」
「何となく、ですけどね」

 背中から声を浴びて、白銀は答えながら振り返る。
 視線の先には紅い軍服を着た女性と、白い軍服を着た少女三人がいた。
 帝国衛斯衛軍第19独立警護小隊―――。
 月詠真那を先頭に、神代巽、巴雪乃、戎美凪が背後に控えている。
 まさかこのタイミングで出てくるとは思わなかったが、流石に三度目ともなるとこの敵意にも慣れる。
 白銀は軽く目を伏せ、開くと同時に最敬礼する。

「国連太平洋方面第11軍横浜基地所属、白銀武中尉であります。―――『初めまして』、月詠中尉、神代少尉、巴少尉、戎少尉」

 思い出すのは前の世界。あの『桜花作戦』の直前だ。
 本当は死地に赴く御剣に着いていきたいはずなのに、それが出来ないからと四機の武御雷を元207B分隊に託した彼女達。
 そして御剣の身を案じ、頭を下げた月詠。
 ―――彼女達の願いに、報いることは出来たかは、今でも白銀には分からない。
 白銀が横浜に戻った時には、既に彼女達は帝都に召還され、武御雷無断譲渡の件で軍法会議に掛けられていたのだ。
 その結果を知る前に、白銀はあの世界から消えた。
 だから彼女達が―――結果的に御剣を殺した白銀を憎んだのか、許したのかさえ分からない。
 だが、彼女達が武御雷を譲渡してくれなければ、間違いなく『桜花作戦』が成功することはなかったはずだ。
 この最敬礼は、その挺身に対して。
 この世界の彼女達は別人であると理解しつつも、もう出会うことが叶わないあの四人に、せめてもの礼をしたかったのだ。

「こちらの事は先刻承知、という訳か。―――ならば、言いたいことは分かるな?」

 依然、月詠と後ろの三人は白銀に敵意を向けたまま、睨め付けながら問いただす。

「―――死人が、何故ここにいる?」
「国連軍のデータベースを改竄して、ここに潜り込んだ理由は何だ?」
「城内省の管理情報までは手が回らなかったのか?」
「追求されないとでも思ったのか!?」

 何時か聞いた台詞を流しながら、白銀は思考を巡らす。確か前回、前々回では武御雷搬入の時にこういう流れになったのだ。
 では何故今回これ程にまで早くこの流れになったのかと考えれば―――。

(オレが、207B分隊の教官になったからか………)

 おそらくは、昨日の段階で鎧衣課長辺りから情報を探らせてたに違いない。その結果が『白銀武は死んでいる』という事実。
 そしてそれは正しい。
 確かに『この世界の白銀武』は死んでいるのだから。
 さてどう切り返そうか―――と白銀が考えていると、横合いから声が掛かった。

「やれやれ、斯衛はいつから工作員の真似事をするようになったのかね?」

 三神だ。いつの間にか出入り口に現れた彼は、紫煙を燻らせながら肩を竦めて近寄ってくる。

「これは―――確か、三神少佐でしたかな?」
「ほぅ?私を知っているのか?月詠中尉」
「先日、基地入り口の方で一悶着あったようですね?」

 そう確かめるように月詠は言いながら、白銀の方に視線をやる。それを感じて、白銀はやばいな、と思う。
 間違いなく一昨日、自分達がこの基地に来た時のことを知っているのだろう。実際に見たのか人づてに聞いたのかは分からないが、その時の白銀と三神の風体―――訓練兵と浮浪者の格好―――を知っているはずで、且つ伊隅に連れていかれた事から、香月に深く関わっていることぐらいは推察しているはずだ。
 更に、翌日には片方は中尉で教官。片方に至っては佐官になっているのだから、月詠からしてみれば不自然極まりない。

「ふむ。それを知っているのなら話は早いだろう。私と武の素性は―――機密につき答えることが出来ない。例え死人だろうが国連軍のデータベースを改竄しようが、それは貴官等の知るところではないだろう?」
「―――確かに、他軍の内情に関してはそう言えるでしょう。私としても、貴官の情報は実のところどうでもいいのです。しかし―――そこの中尉に関しては別です」
「何故かね?」
「知っていて尋ねているようなのでこう答えましょうか。―――愚問、と」

 彼女達警護小隊からしてみれば、御剣に近づく者に関しては全て知っておく必要がある。それが例え機密が関わる人物であっても同様だ。だからこそ直接探りを入れに来たのだが―――。

「―――そんなに煌武院悠陽殿下の双子の妹君が心配かね?」
『っ!?』

 白銀の周囲には、道化の交渉人がいるのだ。
 しれっと爆弾発言を投下する三神に、月詠達ばかりか白銀さえも息を呑む。

「貴様―――何故それを………!?」
「おやおや口の利き方がなってないな中尉。他軍とは言え、佐官に対してそのような口を利けるなど―――斯衛とはそんなに偉いのかね?」
「くっ―――!」

 思わず素のままで問いつめようとする月詠に、誰にでも傲岸不遜で通す道化がいけしゃあしゃあと言い放つ。

「情報戦が情報省だけの十八番ではないのだよ?CIAだってその気になればこの程度の情報、割と簡単に掴むのではないかね?」
「―――貴官は、何故それを?」
「何でも尋ねれば答えてくれると思わない方がいいぞ月詠中尉。先程から何故何故と―――正直、アホの子に見える」

 ぴきり、と空気が凍るのを白銀は感じた。気配で人が無差別に殺せるなら、今間違いなく自分は死んだと思う。口に出して突っ込める勇気がないので、心の中でオレってば庄司の巻き添えじゃねぇかと嘆いた。これ以上飛び火しては何だか拙い気がするので、彼は貝のように口を閉じることにした。

「………ことは国家機密です。差し支えがあってもお教え願いたい。貴官は、何処でそれを知ったのです?」

 内心、帝都に強制連行して拷問でも何でもして口を割りたいだろうに、月詠は丁寧に尋ねる。

「悪いが機密だ。まぁ、少なくとも私とそこの武しか知らんはずだから、安心したまえ」
「機密なのに―――貴官等しか知り得ないと?」
「そうだが、何か疑問かね?」
「香月博士は、この事は?」
「知らないはずだ。―――薄々気付いているかも知れんがね」

 言われ、月詠は混乱する。一佐官が抱える機密を、その上位の香月が知らないというある意味、軍隊という存在を無視した現象にだ。
 この横浜基地は、魔女の牙城だ。肩書きこそ副司令であるが、香月夕呼はこの基地に於いて最高権力者である。故に―――ここにある機密の全てを把握いなければおかしいはずなのである。
 であるのに―――気付いている可能性はあるものの―――彼女はまだ知らないという。

(嘘を付いているようには、思えんな………)

 胡散臭く、飄々とした相手だが、嘘を付くのならもっとマシな嘘を付く。悔しいが、先程からいとも容易くこちらの動揺を誘う程の輩が、この程度のことで謀ったりはしないだろう。
 であるならば―――やはり最初の疑問に行き着く。
 何故彼は―――いや、彼等は、その情報を知り得たのか。
 表向き、御剣冥夜の立場は将軍家縁の者とされている。確かに直接彼女と接すれば、その容姿から邪推はするかもしれない。
 だが、相手はいきなり断定から入った。推測の当てずっぽうならばともかく、揺るぎなく彼は言い切ったのだ。

「それにしても―――訓練兵一人相手にご苦労なことだ。それほど大事ならば、いっそ手元に置いておけばいいのに」
「やんごとない事情があるのです。―――国連の一佐官には計り知れない事情が」
「仕来り云々がやんごとない事情とは、時代錯誤も良いところだ」

 やはり知っているか、と月詠は胸中で舌打ちする。

「それに大体―――私達があの訓練兵に危害を加えると、本気で思っているのかね?」
「………どういう意味です?」
「月詠中尉。君はなかなかおめでたいな。少し考えれば分かるだろうに。―――もう何回彼女を殺す機会があったと思う?」

 三神は嘆息して、軍服のポケットの中から煙草の箱を取り出し、月詠に向かって軽く放り投げる。
 それを半ば反射的に受け取ろうとし―――。

「因みにそれは高性能な小型爆弾だ」

 慌てて叩き落して明後日の方向へ蹴り上げた。しかしそれは放物線を描いたまま爆発せず、グラウンドへと落下した。

「何をするのかね月詠中尉。―――中身は只の煙草なのに」

 苦笑し、三神はいいかね、と前置きする。

「今のように、誰かを殺すだけならば簡単だ。私は佐官だし、武は中尉で彼女の直接の上官にあたる。適当な理由で呼び出して射殺するなりすればいい。殺害を咎められたのなら、日頃の訓練を根に持った訓練兵に襲われ、やむなく抵抗した末に殺してしまった―――等と正当防衛を主張すればいい。通るかどうかは疑問だが、逃げ道はある」

 あるいは、と彼は続ける。

「私は器用貧乏でね。戦術機の操縦もプログラミングも並以上には出来るが、その道を極めている人間にはとてもじゃないが敵わない。だがそんな私にも特技はあるのだよ。―――口八丁手八丁を活かした交渉術がね」
「何が仰りたいのです………?」

 いきなり話題を変える三神に、月詠が警戒の眼差しを向ける。今や彼女にとっての危険度は白銀よりも三神の方が高くなった。
 ―――無論、三神もそれを狙ってやっている。
 にやり、と彼は口角を吊り上げる。それを見ていた白銀は、何処かの空気を読まない課長を幻視した。

「交渉術とは対話だ。そして対話するには時間が掛かる。―――時に、彼女を護衛すべき斯衛は四人全て今ここにいるが………その全員が私如きにかまけて、護衛対象をほったらかしにしてもいいのかね?彼女はここで自己鍛錬をしていたようだから―――主のいない部屋に細工をするのは簡単だろうね?」

 例えば爆弾とかどうかね?と三神は首を傾げ、月詠は叫ぶ。

「神代!巴!戎!行け………!」
『………はっ!』

 一拍の間を置いて、三人が血相を変えて走り出す。それを三神は見送ってから―――。

「ま、冗談なのだがね」
「―――念のための措置です」

 そうかね、と三神は投げやりに言ってさて、と居住まいを正す。

「まずは状況確認をしておこう。中尉の言うとおり、白銀武は死んでいる。そして私に至っては戸籍そのものさえない」

 何故だろうね、と問いかける三神に、月詠は黙りを決め込む。この男と話術で勝負するのは危険だ、と既に理解している。
 喋るだけ喋らせた方が良いと判断したのだ。

「まぁ、私はこの際どうでもいいだろう。適当に難民出身とかでも片付けられるしな。だが―――白銀武は違う」

 すっと、三神の目が細められる。そして彼は白銀の方を向き。

「武。言ってやると良い、お前が―――どのようにして死んだのかを」
「庄司、それは―――!」

 前回と前々回の世界で、白銀の過去―――と言うよりは正体は禁忌であった。あくまで一部とは言え、その一端を他者に知られる事に彼は忌避感を覚えるが。

「大丈夫だ。―――理由は後で話そう」

 優しく諭すように促す三神に、白銀は逡巡し、やがて意を決すると月詠の方を向いた。

「オレは………『白銀武』は、BETAの横浜侵攻の時、幼馴染みと一緒に奴らの捕虜になりました」
「なっ………!」 

 白銀の告白に、月詠は驚愕の声を上げる。BETAが人間を捕らえ、研究、もしくはそれに類似する何かをしている事を知っているのは各国の上層部のみだ。
 紅の斯衛とは言え、ただの衛士が知っている情報ではなかった。

「捕虜になった人は、他にもいました。けど、一人、また一人と奴らに連れて行かれ―――帰ってきませんでした」

 抵抗する者はその場で食われ、しなかった者も脳髄になるまで『解体』された。

「やがて、オレ達の番が回ってきました。そしてオレは幼馴染みを護るために兵士級に殴りかかって―――食われました」
「っ―――!」

 事の真偽はさておいて、兵士級に食われる等という生理的に受け付けない言葉に、月詠は眉を顰める。
 その様子を眺めていた三神が口を開いた。

「因みに、武の言っていることは事実だ。―――では、何故白銀武はまだ生きているのか。死んでいるのに、何故生きていられるのか」

 謳うように、三神は言う。

「成りすまし?違うな。双子の兄弟?違うな。クローン?違うな。―――事はそんな常識では計れない。信じられないような奇跡の元に、武や私はいる」

 彼は問いかける。

「知りたいかね?何故死人が生きているのか、何故存在しない男がいるのか。そして私達が何を知っていて、何を目的に動いているのか」

 もしも、と三神は前置きして月詠に背を向ける。

「もしもそれを知りたいというのならば―――しばらく夜間に予定を入れないことだ。日程はまだ決まっていないが、私達の正体を明かす場所を設ける」

 それだけ言い残すと、彼は白銀に声を掛けて去っていった。
 飄々とした男が最期に見せた、途方もない威圧感に気圧された月詠は、しばらくその場を動くことが出来なかった。



[24527] Muv-Luv Interfering 第八章 ~道化の二人~
Name: 光樹◆63626ad3 ID:4ecd25b3
Date: 2010/11/29 16:24
 香月の執務室に二つの影があった。一つは部屋の主である香月夕呼。彼女は椅子に腰掛け、足を組むともう一つの影に視線を向ける。
 トレンチコートに身を包んだ大柄な男だ。室内だというのに、深く帽子を被ったままだった。

「いやはや、珍しいこともあるものですな。まさか香月博士からお呼び頂けるとは」
「何か不満でも?鎧衣課長」
「まさか。ただ、少し不思議でしてね。―――最近若い燕を二羽拾ったご様子ですが………それに関係していますかな?」

 大柄な男―――帝国情報省外務二課長、鎧衣左近は口角を上げて香月に視線をやる。それをいつ見ても人を食ったような顔だ、と香月は思いつつ、軽く頷いた。

「どうせもう調べてるんでしょうけど、そいつ等………正確には片方からのご指名なのよ。―――非公式に動ける鎧衣課長に話があるって訳」
「ほほぅ、いやはやそれはそれは………」

 帝国情報省所属の自分を名指し―――知るだけならば、それこそ香月から教えて貰えばそれで事足りる。だが、呼びつけるためにその香月を『使った』となれば、件の人物達―――少なくともその片方は余程彼女に影響力がある人物に違いない、と鎧衣は目を細めながら思案する。
 香月夕呼の魔女という蔑称を、鎧衣はある意味で正しく理解している。
 その職業柄、オルタネイティヴ4の概要についても承知しており、対BETA諜報となれば、相手こそ違うが畑は同じなのだ。
 故に彼女が掲げる理論や計画に対し、鎧衣自身は悪く思ってはいない。むしろ、祖国である日本主導のこの計画、何処ぞの大国の干渉を振り切るためにも成功して欲しいところだ。
 しかし計画発動から早六年。ろくに成果を出せていない為、国連上層部も痺れを切らし始めており、彼の国の方で妙な動きがある。
 正確には未だ把握し切れていないが、仕込み自体は少し前からされているようなので、近々大きな流れになるのではと鎧衣は懸念していた。最も―――好きにさせるつもりはないが。
 だが、六年―――ろくに成果を出していない状態での六年、よく持った方だと思う。
 前計画であるオルタネイティヴ3は1973年からの22年間続けられたが、それはソ連というお国柄―――そしてまだ人類に余裕があったからである。
 オルタネイティブ4発足の1995年には世界人口は半分まで減らされており、それは年を越える事にじわじわと、そして確実に減少の一途を辿っていった。
 その中にあって、端から見ればほぼ独裁私案と言っても良いオルタネイティヴを―――しかも前大戦で敗北を喫し日本の立場が弱くなっていたのにも拘わらず続けて来られたのは、やはり香月夕呼の政治的手腕があってこそだろう。
 横浜の魔女―――。
 誰が呼んだかは知らないが、言い得て妙。そして彼女自身も自分自身を皮肉る為か、時折それを自称する。
 そしてその魔女を『使う』人物。
 興味がないはずが無かった。

(―――多少は、把握しているがね)

 昨日の事だ。
 この基地に駐留している帝国衛斯衛軍第19独立警護小隊から、連絡があり、帝国内のデータベースを不眠で洗う羽目になった。
 大して芳しい情報は得られなかったものの、件の二人が素性の怪しい者だと言うことだけは分かった。
 特に若い方に関しては、記録上、死んでいることになっている。
 そんな輩が―――翌日、片や佐官、片方に至っては士官兼護衛対象者の教官となって基地内を闊歩しているのだ。
 将軍家縁者を守護する19独立警護小隊からしてみれば、喉元に剣を突きつけられている心境だろう。

(はてさて、一体どんな対面になる事やら………)

 帝国の道化は、苦笑しながら彼等の到着を待っていた。






「庄司、さっきのはどういう事なんだ?」

 B19階の通路を歩きながら、白銀は隣を歩く三神に声を掛けた。
 元々ここまで来ることの出来る人間が少ない上に、時間が時間だけに人気がなかった。だから白銀は聞いてみることにしたのだ。

「さっきのお前が殺された事を話せといった理由か?」
「―――ああ」

 頷くまで若干の間があり、それを見た三神は少しナーバスになってるな、と思う。それも無理はないが。
 白銀武にとって、自らの正体を明かすことは禁忌となっていた。それは『一回目の世界』で香月夕呼に厳命されたことから始まり、今まで続いているのだが―――そこに落とし穴があった。

「では聞くが、どうしてお前は自分の正体を明かすことが禁忌だと?」
「それは夕呼先生が―――」
「『何が起こるか分からないから喋るな』、とでも言ったんだろう?」
「!?そ、そうだけど………」

 言葉を先取りされて、白銀は鼻白みながらも肯定した。
 そしてこれこそが落とし穴にして―――魔女の呪い、あるいは枷だ。

「結論から言うと―――お前の正体を誰が知ったところで『何も起こらない』」
「はぁっ!?どういう事だよ?」
「―――武、世界は幾つ存在すると思う?」

 質問を質問で返され、白銀は首を傾げる。そして導き出す答えは―――。

「無限―――じゃないのか?」
「正解だ。例えば今、目の前に分かれ道があったとして、右に行く選択肢と、左に行く選択肢が現れるとする。その場合、世界はそこから派生するよな?」
「えぇっと、右の道に行った世界と、左の道に行った世界だよな?」
「その通り。人一人の行動によってすら世界は分岐する。この世界が生まれてどれぐらい経つのかは知らないが―――その間ずっと派生し続けている事を考えれば、その派生数は10の37乗とかいうBETAの総数を遥に超えているだろうな」

 つまりだ、と三神は前置きを於く。

「お前が自分の正体を誰かに喋る―――例えば、さっきの月詠中尉でも良い、とにかく喋ると『白銀武の正体を月詠真那が知っている世界』へと派生するだけだ。そこに時空間的なパラドックスは発生し得ないし、そもそも、お前の中には『この世界の白銀武』の因果も混じってる。世界がその存在を否定することは出来ないんだ」

 もしも『この世界の白銀武』が現段階で生きていた場合、出会った瞬間にパラドックスが発生し、対消滅を起こす。世界から否定されるとはそう言うことだ。
 事実検証こそされてはいないが、ドッペルゲンガーなどの都市伝説は、実のところこの現象が元になったのではないかと三神は仮説を立てていた。
 本来存在し得ないはずの『別の世界の自分と出会う』―――そうすることによって、世界というコンピューターはその矛盾を解決するために対象者というラベリングのフォルダごとゴミ箱に放り込んで消去する。
 その結果、その世界の対象者が消えるとしても、矛盾が起こったことすら消えてしまうので安定を望む世界としてはそちらを選ばざるを得ないのだ。
 しかし白銀に関して言えば、この世界で殺された白銀武の因果情報も混じっているため、結果的に死んだ白銀武と『すげ替わった』状態になっているのだ。故に、世界は白銀武に一時的な空白期間があったとしても、『白銀武は生きている』と認識している。

「え?じゃぁオレは―――」
「ああ。誰に自分の正体を明かしたところで、何も変わることはない。―――まぁ、信じて貰えるのかどうかは別問題だがな」

 それこそが魔女の枷だ、と三神は言う。
 前の世界の香月夕呼は、おそらく『鑑純夏が望む白銀武』として以上に、白銀を自らが掲げる因果律量子論の貴重な実証サンプルとしても置いておきたかったのだろう。
 その為に、彼が抱える秘密を絶対のタブーとして刷り込んだ。
 この世界に流れ着いた白銀は、言ってしまえばひな鳥だ。保護した親鳥である香月の言うことを盲信し―――自分の正体は禁忌と本能に刻み込んでしまったのだ。
 まさしく落とし穴。
 おそらくは『二回目の世界』の香月も白銀が因果律量子論について自分に絶対の信頼を寄せている事に気付き、そして前の世界で仕込まれたであろう自分の策に乗ったのだろう。
 それによって、今まで白銀は誰にも自分の正体を明かさずに来たのだから、流石は魔女と言ったところか。

「―――恨むか?香月女史を」
「―――いや、仕方なかっただろうしさ。あの時のオレは、ガキ丸出しだったし」

 体よく駒として扱っていく為に仕込んだのだ。事実、それによって白銀は世界を救う尖兵となり、その結果オリジナルハイヴを潰せたのだ。
 感情としては癪ではあるが、世界を救うためにあらゆる手を使う彼女からしてみれば当然のことで―――故にこそ理性では納得できた。

「はぁ、オレって最後まで夕呼先生に使われてたんだな………」
「まぁ、衛士の本分は戦闘だからな。こういった権謀術数はお前の領分じゃないだろう」
「でも庄司はうまく立ち回ってるじゃねぇか」
「私の場合、元の世界での経験が活きているだけだ。お前と違って社会人、しかも交渉を生業としてきたからな」

 だからそう落ち込むな、と励ます三神に白銀は苦笑で答える。

「―――そう言えば、何処に行くか聞かずに来たけど、夕呼先生の所に行くのか?」
「ああ。―――正確には、鎧衣課長に会いに、な」
「え―――?」

 白銀の驚きの声には応えず、三神は歩く速度を早めた。
 これから行うのは帝国情報省外務二課長と交渉人との舌戦―――道化と道化の化かし合いだ。
 職業的にも人間的にも似通った相手との戦いに、三神は好戦的な笑みを浮かべていた。





「まずは初めましてと言っておこうか鎧衣課長。私は国連太平洋方面第11軍横浜基地所属、三神庄司少佐だ。こちらは同じく国連太平洋方面第11軍横浜基地所属の白銀武中尉だ」
「白銀武中尉であります!」

 香月の執務室に入って鎧衣と視線が合うなり、三神は硬い軍人口調で自己紹介を始めた。何かしら考えがあるのだろうと思った白銀も、それに習って軍人らしい自己紹介をする。

「私は帝国情報省外務二課長鎧衣左近です。―――まぁ、私についてはご承知のようですが」

 三神が軍人然としている為か、『前の世界』の白銀の時とは違い、ふざけたりせず敬語で鎧衣は自己紹介すると、右手を差し出し、二人は握手を交わす。

「噂は、ね。忍者というのは、本当かね?」
「さぁ、どうでしょうな」

 道化二人がにやり、と笑う。

(二人いる………!鎧衣課長が二人いる………っ!!)

 そのやりとりを見て、白銀は戦慄を覚えた。一人いるだけで突っ込みに疲れるのに、二人もいて―――しかも二人ともボケに走ったら最早突っ込みが追いつかない。そしてこの二人なら、突っ込み不在のままでもボケ倒すだろう。
 せめて香月が味方に付くのを彼は祈った。

「はいはい男同士でいつまでも見つめ合ってないでちゃっちゃと話を進めなさいよね。―――何の為にあたしの部屋を提供してやってると思ってるの?」
「妬いてるのかね?香月女史」
「それはいけませんな香月博士。女の嫉妬は、もっと可愛らしく演出しないと」

 びきり、と部屋の空気が凍ったように白銀は感じた。

「―――さて三神少佐、貴方が私を呼んだそうですが………何か御入り用ですかな?」

 流石鎧衣課長、空気読まねぇっ!いやむしろ読んだのかっ!?と内心驚愕しつつ、香月の方をちらりと見る。―――婉然と微笑んだままこめかみに青筋を浮かべていた。正直怖い。

「何、簡単なお使いを少々………ね」
「ほぅ、お使い、ですとな?」

 訝しげな視線を向ける鎧衣に、三神はああと頷いて―――。

「煌武院悠陽殿下を始め、紅蓮醍三郎大将、榊是親総理大臣、珠瀬玄丞斎国連事務次官と秘密裏に会したい」





 ポーカーフェイスを保ったまま、鎧衣左近は驚愕の中にいた。
 香月の執務室で待たされることしばし、二人の男が入ってきた。片や青年、片や少年。
 青年の方は三神と名乗り、階級は少佐。
 少年の方は白銀と名乗り、階級は中尉。
 鎧衣が昨日調べた二人だ。
 特に白銀の方は記録上、既に故人となっていたので、気になって注視してみたが変装などをしているようではなかった。少なくとも、写真に写った少年がそのまま少し成長したように見える。
 白銀武の記録が残っていた理由は、彼が軍属として徴兵される為だった。
 BETA横浜侵攻時、彼の年齢は15歳。あの侵攻が無ければ翌年にも徴兵され、帝国軍所属となっていたはずだ。
 それ故に城内省のデータベースに彼の写真や家族構成等が記録に残っており、横浜侵攻後、生存確認が取れなかった為に死亡扱いとされていた。
 しかし、彼は確かに生きている。
 なりすましか、はたまた本当にあの地獄を生き延びたのか―――それは分からないが、少なくとも今は『どうでもいい』。
 それよりも今、目の前のこの青年の言葉が問題だ。

「今、何と仰いましたかな?少佐」
「聞こえなかったかね?それなら耳鼻科に行くことをお薦めするよ。職業柄、耳は大事だろう?」
「それは確かに。舌の手入れは欠かしていませんが、耳の手入れも疎かには出来ませんな。この件が終わったらご忠告通り耳鼻科に掛ることにしましょう。では―――もう一度、仰って頂けませんかな?」
「煌武院悠陽殿下を始め、紅蓮醍三郎大将、榊是親総理大臣、珠瀬玄丞斎国連事務次官と秘密裏に会したい―――私はそう言ったのだよ」

 いいかね?と首を傾げる彼に、鎧衣は内心苦笑する。いい訳あるか、と。
 三神が挙げた四人は日本を代表する―――いわば顔と言っても差し支えがない。
 軍部の顔である帝国斯衛軍所属紅蓮醍三郎大将。
 政界の顔である榊是親総理大臣。
 外交の顔である珠瀬玄丞斎国連事務次官。
 そして―――権力を削がれて久しいものの、未だ日本の顔そのものである現政威大将軍煌武院悠陽。
 いずれも、そう簡単に動かすことの出来ない面子だ。
 鎧衣はその職業柄、四人との面識を持ち、それぞれのパイプ役として重宝されることはあるが、彼の一存で招集したことはない。
 当然だ。その能力はさておいても、鎧衣は帝国情報省の手足でしかないのだから。頭が手足に命じることはあっても、その逆はない。
 しかし目の前の、何処か自分と似通った男はそれをしろと言う。本来ならば怒るところかも知れないが―――しかし鎧衣は怒りよりも先に興味を抱いた。
 ともすれば、死人であるはずの白銀よりも気にすべき存在だと―――今ようやく気付いたのだ。





(まぁ、こんな所か………)

 無理難題を吹っ掛けて、それに鎧衣が混乱―――あくまで表面上はポーカーフェイスだが―――している間、三神はそう思っていた。
 この部屋に入ってきた時、鎧衣の興味は三神よりも白銀にあった。まぁ死人が生きているのだから、気にならないはずもないが、それは三神的にちょっと頂けない。
 と言うのも、横浜陣営の外交はこれから香月と三神のツートップとなる。政略面では香月がやるだろうが、それ以外、例えば軍略面となると三神が個別で動く機会も出てくるだろう。
 そうなると手足が必要だ。

(鎧衣課長は必要だからな―――)

 何処にでも湧いて出るという何処かの黒い生命体を彷彿とさせる潜入能力と、三神をしてよく回ると思わずにはいられない舌、そして奇抜な言動で相手を丸め込む交渉能力。
 対人類の情報戦という一点に於いて、彼程優れた人間は少ない。
 それを手札にする必要があるのだから―――部屋に入った段階で、既に三神は仕込みを済ませていた。
 まず、軍人として上から接して彼の奇抜な言動を封じ込む。少佐という肩書きは一介の諜報員と比べるべくもない。如何に鎧衣と言えど、白銀のように十代ならばともかく、二十代半ばの三神にその様な言動をすることはないだろう。
 次に何かしらで共感を与える。―――実のところこれは偶然だったのだが、香月をネタにして意見の一致を得られた。正直、後が怖いが。
 そして最後に―――こちらのカードを早々に切る。
 これで鎧衣の興味は白銀からこちらに向き―――そして、油断ならぬ相手だと気付いたはずだ。

(これから付き合っていく上で、舐めて貰っては困るからな………)

 鎧衣左近は香月夕呼にその性質が近い。割り切れる性格なのだ。その代償が―――実の娘であっても。
 そして代償を『得た』ならば何があっても目的を完遂する。
 その結果こそが『前の世界』でのクーデター、そして大政奉還だろう。
 故に、舐められていてはいいように使い潰される。それは香月に対しても同じで、だからこそ三神は自らの手の内を早々に晒した。
 本来の交渉ならば、場を整えて最後の最後で自らの目的を見せるのが常套手段だ。目的は有用なカードであると同時に弱みでもある。相手より先に見せてしまえば、それを元に付け入る隙を見せてしまう。であるならば、先にそれを見せるのはまさしく愚の骨頂。
 しかし今回や前回の香月戦で、敢えて常道を崩したのは、三神が香月や鎧衣と言う人間の性格を知っていて、且つそれ以上に大きなカードを持っていたからだ。
 もしも知らない状態であれば、未だに地盤固めに四苦八苦しているところだろう。

「―――一つ、お聞きしても宜しいかな?」
「何かね?」
「何の理由があって、その四人を?」

 ―――掛った、と三神は内心ほくそ笑む。
 これで完全にこちらに興味を持ったはずだ。であるならば、後はシナリオ通りにこなしていけばいい。

「鎧衣課長。疑問には思わなかったかね?私やそこの武の素性を調べていて―――何故存在しない男や、死人がいるのかと。何故今になって表舞台に現れたのかと」
「確かに、思いましたな。―――結局分からず仕舞いでしたが」
「そうかね。まぁ、無理もないが」

 苦笑して、三神は大仰に片手を広げた。

「ではここらで一つゲームをしよう鎧衣課長。私達二人が何者か―――予想で良いから言ってみたまえ。それが―――非現実で面白かったら貴方の勝ちで、私達の正体を明かすことにしよう。チャンスは三回までだ」
「私が負けたら?」
「そうだな―――そう言えば、支給された枕が妙に硬くてね。世界中を飛び回る鎧衣課長ならきっと良い枕を手に入れられるだろうから、今度何処か行く時にでも見繕ってくれたまえ」
「ふむ、いいでしょう。判定は誰がするのですかな?」
「無論―――香月女史だ」
「最近ストレスが溜まってるからね。笑わせて頂戴、鎧衣課長」

 疑問に思わないでゲームに乗るのかよ!?ノリ良いなっ!と白銀が胸中で突っ込みを入れるが、それを知れたのは隣の部屋で待機している社だけだ。

「美女の頼みとあらば―――では、いいですかな?」

 どうぞ、と促す三神に鎧衣は若干思案した後。

「先のBETA横浜侵攻の際、白銀中尉は危うい所で誰か―――そうですな、A-01あたりにでも拾われ、その縁で香月博士の子飼いとなり、今まで表に出ることなく動いていた―――」
「そして私はそこらの戦争難民で同じように拾われたと?―――在り来たりだな」
「在り来たりね。鎧衣課長、ふざけるのは十八番でしょう?もっと真面目にやって頂戴」
「おやおやふざけるのに真面目とはこれいかに。しかし仕方ありませんな」

 二人に駄目出しを喰らった彼は、ふむ、ともう一度思案して。

「実は二人は某国のスーパーエリートソルジャーでして………」
「ぶふぅっ………!」

 何処かで聞いた話に、たまらず白銀が吹き出した。

「全く、人の話は最後まで聞きなさいと教わらなかったのかね?シロガネタケル」
「そうだぞ武。―――面白いじゃないかスーパーエリートソルジャー、略してSESだな。開発番号は009とかどうだね?加速するのかね?私の方が兄貴分だから、007とかが良いな。何処ぞのスパイみたいだ。妙に頑丈且つ多機能な車を駆って、毎回毎回美女とイチャコラして―――実に楽しそうだ」
「三神少佐。何故、今私が言おうとした事を―――まさかリーディングですかな?」
「私は第三計画出身ではないよ鎧衣課長。―――どうかしたのかね?武。何だか萎びているが」
「いえ、何でもないです………」

 いかん、懸念していた事態が起きた………!と、白銀はげんなりする。このまま放っておけばこの二人は更にボケ倒すはずだ。ここは一つ香月に助力を―――。

「へぇ、面白そうね。もっと詳しく聞かせて頂戴」
「って夕呼先生までそっちに回るんですかーっ!?」

 最早我慢できずに突っ込みを入れる白銀。それを見て、三神は仕方ないなぁと思いつつ。

「鎧衣課長。うちの武はもっとシリアスをご所望のようだ。シリアス且つ香月女史が笑えるようなネタは無いかね?」
「なかなか難しい事を仰いますな三神少佐。ふむ、ではとっておきの妄想話をば」

 こほん、と一つ咳払いして鎧衣は居住まいを正す。どうやらこちらが本命のようだ。三回のチャンス中、最後に本命を持ってくる辺り心得ているな、と三神は感心する。

「実は―――二人は新種のBETAなのです」
「ぶっ………!」

 今度は香月が吹いた。しかし鎧衣は意に介さずに続ける。

「人間の姿を模す事によって対人類諜報が可能になった彼等は、香月博士の元へ潜り込み、活動を開始、そして人類の内面から徐々に徐々に支配を始めたのでした―――めでたしめでたし」
(めでたくねぇっ………!)

 最早声に出して突っ込む気力が湧かず、胸中だけで済ませる白銀。
 香月が顔をひくつかせながら、問いかける。

「因みにそのBETAの名前は?」
「諜報級………スパイ級とかどうですかな?」
「そのまんまね。まぁ、不謹慎だけど面白かったわ。―――本当にいたら冗談じゃ済まないけど」

 最後の言葉は少し翳りのある表情だったことを三神は見逃さない。間違いなく、00ユニットの欠陥を脳裏に過ぎらせたはずだ。何の処置もしなければ、ODLを通じて00ユニットそのものが―――その諜報級になっていた可能性だってある。
 表面上面白かったと言ってはいるが、内心では肝が冷えていたはずだ。

(こういう演技が出来る辺り、流石だな。―――武なんか見事に動揺しているというのに)

 三神は胸中で苦笑して、鎧衣を見やる。

「ゲームは鎧衣課長の勝ちだな。香月女史もいい息抜きになっただろう。―――礼を言う」
「いやいや美女に優しくするのは紳士の務め。三神少佐に頭を下げられる理由はありませんよ。―――それよりも、教えて頂けませんかな?何故、存在しない男と死んだ男がここにいるのか」

 鎧衣の促しに、三神は首肯しその前に、と告げる。

「私もゲームに参加しよう。そうだなぁ、実は私達は『この世界』の人間ではなく、別の世界で生まれ、生きていた存在なのだ―――とかどうかね?更に、私達は死を迎えると、過去に向かって逆行する―――とか設定すると面白いかも知れないね?」

 朗々と歌うように告げる三神に、鎧衣は訝しげな視線を向けた。しかしそれを気にした風もなく、三神は続ける。

「私達はこの世界の未来に向かい、そこで何があったか知っている。だからこそ過去に戻った今、未来で得た情報を元によりよい未来を手繰り寄せようとしている―――そう言う妄想はどうかね香月女史。面白いだろうか?」
「却下ね。―――『つまらないわ』」

 そして鎧衣は気付く。ゲームに託けてふざける三神の話は―――その詳細はどうであれ、一部真実が混じっていると言うことを。
 何しろ、世界間移動を因果律量子論提唱者自身が『つまらない』と言い切ったのだ。
 香月は正しく科学者だ。故に自身が提唱する理論を元に組み立てられた妄想に興味は持っても『斬り捨てる』ことはない。あるとすればそれは―――。

(既に実証されている場合のみ―――!)

 ここに来て、ようやく鎧衣はその可能性に気付く。
 もしも、彼等二人が別の世界から、あるいは未来から来ていて―――この世界がどうなるか知っていたら。
 もしも未来情報を持っていて―――それ故に日本の重鎮達に面会を望んでいたとしたら。

(だが確たる証拠がない以上、下手に動く訳には………)

 鎧衣が自らの仮説に戸惑っているのを見越してか、三神が小さく笑って言う。

「香月女史は私の話を気に入らなかったようだな。残念だ。―――まぁ難しい話はこれまでにしておいて、軽く腹の内を喋っておこうか。そうだね―――戦略研究会、米国、BETAの襲来。これだけ言えば聡い貴方のことだ。予想はつくのではないかね?」

 直後、鎧衣の表情が厳しいものになる。初めて見るその顔に、白銀は驚く。
 その表情に満足するように頷き、三神は告げる。

「腹は決まったようだね鎧衣課長。私の要求を再度言おう。煌武院悠陽殿下を始め、紅蓮醍三郎大将、榊是親総理大臣、珠瀬玄丞斎国連事務次官と秘密裏に会したい。その場には鎧衣課長、貴方や帝国衛斯衛軍第19独立警護小隊の月詠中尉達も同席して貰う。―――そこで私達の正体を明かすとしよう」
「殿下達に害を成さないと、あたしが保証するわ。もしも何かあった場合、即座にオルタネイティヴ4を見切ってくれても構わないと言い含めておいて頂戴」
「―――!」

 決まり手だ、と鎧衣は思う。『あの』香月夕呼がオルタネイティヴ4を切り捨てることなどあり得ない。しかしそれを見せ札とは言えベッドにしてまで―――彼女はこの二人の男を信用していると言うのだ。

「一体貴方達は―――彼女に何をもたらしたのですかな?あの香月博士が他人をそこまで信用するとは、俄には信じがたいのですが」
「何、信用は『これから』だ。―――ただ、私達と彼女の目的は一緒でね。それ故に彼女の研究に必要なモノを提供した。そしてそれは彼女にとって、とても大切なモノだったのだよ。―――香月女史は、こう見えて意外と現金なのだ」
「アンタ達よくも本人の前でそんなこと言えるわねぇ………っ!」

 魔女が殺気を放つが道化二人は動じない。それをすげぇと思いつつ、白銀は心から香月に同情した。

「ともあれ―――どうかな鎧衣課長。我々としてもこれ以上日本の国力が減退するのは正直困るのだ。この横浜基地は日本にあるのだしな」
「―――そう言うことなら、努力致しましょう。他に何かご要望はありますかな?三神少佐」
「そうだな―――出来れば早めに、そして夜間にセッティングを願いたい。人間相手ならどうとでもなるが、BETA相手だと色々と準備が必要だ」
「分かりました。準備が整い次第、連絡を入れましょう」

 にやり、と道化二人が笑い合う。その様子を魔女は半ば呆れながら、ガキ臭い救世主は戦々恐々と眺めていた。



[24527] Muv-Luv Interfering 第九章 ~白銀の欠片~
Name: 光樹◆63626ad3 ID:4ecd25b3
Date: 2010/12/02 02:24
10月25日

「おお、ここにいたか。―――邪魔していいかね?」

 昼時のPXにて、喧噪の中で割と陽気な声が通った。白銀と207B分隊が席に着き、さて食事を始めようかとしていた時だった。
 振り返ってみれば、そこには佐官の階級章を付けた若い男と、小さな銀髪の少女がいた。
 ―――三神と社である。

「け、敬礼………!」

 それを見た榊千鶴が号令と共に207B分隊の皆を立たせ、一斉に敬礼する。
 しかし三神は苦笑して。

「そう畏まる必要はないよ。そこの武も敬礼なんかしないだろう?」
「そうそう。昼休みはプライベートの内だ。適当にやっておけばいいって」

 彼女達とは違い、席に着いたままカラカラ笑って言う白銀だが、榊達からして見れば白銀の方が異常である。訓練兵という立場からしてみれば、中尉という階級は絶対権力者―――そしてその上の佐官ともなればまさに雲の上の人だ。
 いくら畏まる必要はないと言われても、緊張するに決まっている。

「ほら霞、そこに座りなさい」
「はい………」

 三神はトレイを二つ―――自分の分と社の分だろう―――持ったまま、社に白銀の隣に座るように言い、自らはわざわざその対面に回り込んで着席した。

「さて、まずは自己紹介をしておこう。私は三神庄司。階級は少佐だ。そこの武の直接の上官で―――まぁ、兄貴分みたいなものだ」
「は、はい私は―――」
「ああ、君らについては武に聞いているから自己紹介の必要はない。分隊長の榊千鶴、副官の御剣冥夜、それから彩峰慧に珠瀬壬姫―――入院しているのは鎧衣美琴だったな?」

 一人一人視線を巡らせながら確認する三神に、207B分隊の面々は萎縮する。その視線に他意こそ無いが、やはり一訓練兵の身分で少佐に覚えられているという事実が彼女達を居心地悪くさせるのだろう。
 その様子に気付いた彼は苦笑して。

「別に悪い意味で覚えが良い訳ではないから安心したまえ。むしろ、武の話に寄れば高評価だよ。―――欠点であったチームワークの改善にも尽力しているようだしな?」

 一度安心させて、要らないことを付け足す三神に、207B分隊は『う゛っ………』、と言葉を詰まらせる。
 そんな彼を白銀はため息混じりに見やって。

「おい庄司、そんなにいじめてやるなよ。って言うか何か用か?」
「おいおい武。用が無ければ私達はお前達に話しかけてはいけないのか?折角飯でも喰いながらコミュニケーションをとろうとしたのに。なぁ、霞?」
「白銀さん………私達とご飯食べるの、嫌ですか………?」

 涙目で悲しそうに俯く社に、白銀は大いに慌てるが。

「い、いやそんな意味で言ったんじゃないけど」
「まぁ、三つばかり用件があったんだが」

 狸に踊らされたと気付く。コイツいつか締めると心の中で誓う白銀であった。

「用件の一つは207B分隊だ。彼女達が次世代OSの実証者になるんだからな。直接会ってみたかったのだよ」
「次世代、OSですか………?」

 首を傾げる御剣に、三神はそうだ、と頷く。

「そこの武が発案し、私や香月博士が組んだ戦術機用の次世代OSのテストベットとして君達が選ばれたのだよ。―――言ってしまえばテストパイロットだな。同じ日本人で衛士を目指すなら、巌谷中佐の事ぐらいは知っているだろう?憧れたりはしないかね?そしてなってみたいと思わんかね?彼のような凄腕の開発衛士に」
「あ、あの巌谷中佐と同じ………」
「テストパイロット………」
「なんと………」
「はわわわわ………」

 三神の言葉に驚きの表情を浮かべる四人だが、白銀はきょとんとしままだ。

「なぁ、庄司。その巌谷中佐ってどんな人なんだ?」
『えぇっ………!?』

 上官の、しかも先に衛士となっている人間の無知とも言える発言に、207B分隊の面々は更に驚愕する。

「タ、タケル!そなた、巌谷中佐を知らぬのかっ!?」
「あ、ああ………」

 皆の驚きようと御剣の気迫のせいか、白銀は気持ち身を後ずらせた。

「巌谷榮二中佐。今は―――確か日本帝国陸軍技術廠第壱開発局の副部長だったかな。撃震の派生進化を目指した瑞鶴の開発に参加し、当時の最新鋭だった米国のイーグルを撃破した―――私から言わせて貰えば化け物だ。国産戦術機開発の礎を築いた伝説の開発衛士として日本衛士の間では知らない者はいないぐらいだな」
「え?じゃぁ………」

 オレって今やばいこと言ったのか、と焦る白銀だが、すぐさま三神がフォローを入れる。

「と言っても、武は海外で戦うことが多かったし、その手の情報に疎いのも仕方あるまい。―――お前の本分は開発ではなく戦闘だからな」
「あ、あはははは。まぁ、な。最前線だったからあんまり余裕無かったし」

 嘘は言ってない、嘘は言ってないぞ………と白銀は胸中で自己弁護する。確かに、任官前から―――人間相手とは言え―――実戦に出ていたし、任官してからも甲21号作戦、横浜防衛戦、そして桜花作戦と立て続けに連戦しているのだ。余裕がなかったのは事実である。

「ともあれ、その次世代OSは自分で作っておいてなんだが、戦術機業界に革命を巻き起こすものだ。正直な話―――乗る者が乗れば撃震で不知火を撃墜することも夢ではない」
『―――!』

 第一世代で第三世代を撃墜する。事情の知らない者からしてみれば、まさに夢物語だ。
 だが、所詮戦術機は人間の乗るモノだ。絶対的な性能というアドヴァンテージ活かし切れなければ意味がない。
 事実、白銀は不知火で米国のラプターを撃破した男を知っている。
 同じ第三世代とは言え、不知火とラプターの性能差は埋めようのないものとなっている。しかしそれを腕の差だけでカバーし、撃墜まで至るのだから、如何に衛士の腕が重要なのかが分かる。
 そして、戦術機の世代という壁は、XM3である程度埋まる。
 であるならば、三神の言うように、XM3の真髄を引き出せる衛士なら、撃震で不知火を落すことも決して不可能ではない。

「まぁ、それに触れられるのは戦術機教習課程に入ってから―――即ち、総戦技演習を越えてからの話だ。これを奮起剤に頑張ってくれたまえ」
『はいっ!』

 目を輝かせて207B分隊が返事をする。それに満足気に頷いてから、三神は白銀を見やった。

「二つ目の用件は―――武、お前午後から空いているか?」
「んー。一応、午後の207B分隊の訓練は座学だから、空いてると言えば空いてるけど?」
「なら少し付き合え。―――そろそろ、戦乙女達に限界値を教えてやる必要があるのでな」

 何の、とは三神は言わなかった。しかし白銀はXM3の事だと悟る。今しがた、207B分隊に言った手前、次世代OSという言葉は使えなかったのだろう。
 他にも次世代OSを触っている者がいる―――と言うのは奮起剤になる可能性もあるが、やる気を削ぐ一助になる可能性もあるのだ。彼にしては珍しく、言うべき順番を間違えたようだった。

「分かった。―――みんな、悪いけど午後からオレは抜けるから」

 軽い調子で言う白銀に、207B分隊は頷いた。

「そして最後の用件だが―――霞、やってしまいなさい」
「はい………」

 三神は社に話を振ると何処からともなくカメラを取り出し、構える。その謎の行動に一同が首を傾げていると、社が動く。

「白銀さん………あ~ん………」

 自分の昼食である鯖味噌を箸で摘み、白銀へと突き出したのだ。

「いっ………!?」
『―――っ!?』

 まさかこのタイミングでコレが来るとは思わなかった白銀は絶句し、207B分隊は凍り付く。

「あ~ん………」
「い、いや霞?ここじゃちょっと………」
「駄目ですか………?」
「え、えっと………」
「前は食べてくれましたよね………?」
『前は―――っ!?』

 社の発言に、皆は勘違いした。
 社の言う『前』とは『前の世界』での事だ。わざと事実を伏せながらそういう言い回しをしたのは、実のところ修羅場を楽しむ為に三神が仕込んだものなのだが、そんな事を状況に流され冷静な判断が出来なくなったヘタレが気付く訳もない。

「ほらほら武。折角霞が食べさせてくれると言っているんだ。男ならパクッといかんかパクッと」
「庄司てめぇ!知ってやがったなっ!?」
「違うな武―――むしろ私が仕込んだ」

 しれっと暴露する三神に、白銀はこの野郎ぉぉぉっ!と絶叫する。しかしそこに起死回生の一投を見い出したのだ。

「はっ―――!ま、まて霞!庄司にも食べさせてやったらどうだ!?」
「霞。私はもう自分の飯を食べ終えている。既に満腹だ。故に―――思う存分に武の世話を焼いてやると良い」
「嘘ぉっ!?」

 見事に打ち返されたが。
 慌てて白銀が三神の方を見ると、確かに彼のトレイの―――因みに合成焼き鮭定食―――皿は空になっていた。
 例の早食いスキルである。
 因みに当の本人はカメラを構えたまま合成麦茶を啜っていた。器用な奴である。

「白銀さん………」

 社が気持ちずぃっと前に出る。さぁ進退窮まってきた―――。

(えぇいっ………!ままよ………!)

 半ばやけくそ気味になりながら差し出された鯖味噌に食らいつく中尉。
 それを絶対零度の視線で見る207B分隊訓練兵の面々。
 そしてその光景を写真に収める少佐。
 後に、ここを仕切る京塚曹長は語る。
 その日の真昼のPXは、妙にカオスな空間だったと。





「何よコレ………!」

 シミュレーター室の一角、外部出力映像に齧り付きながら、速瀬水月は驚愕の声を挙げた。同じヴァルキリーズの面々も声には出していないが、同じように驚愕を表情に張り付かせ、映像を食い入るように見つめている。
 映像の中、まるで踊るように市街地を駆ける二機の不知火。
 三神の駆る迎撃後衛装備の不知火と、白銀の駆る突撃前衛装備の不知火だ。
 先日より訓練している三次元機動を越える三次元機動のぶつかり合い。
 片方が廃ビルに突き刺さったナイフを足場にして三角跳躍すれば、片方は追いすがる為に壁さえも蹴って速力を得る。かと思えばその行動をキャンセルして着地、その隙を先行入力で潰して次の行動へ移る。
 一進一退―――。
 そんな言葉がヴァルキリーズの脳裏を過ぎる。
 事の起こりは午後の訓練を開始する直前だった。
 三神が連れてきた、彼をして兄弟、もしくは相棒と呼ぶ年若い中尉―――白銀武。
 現在、彼は特殊任務中であるが、それが済み次第A-01に配属されるというので、先だって自己紹介をする為に連れてきたと三神は言った。
 白銀と同年代である新任達は勿論、先任達も三神の相棒という聞かされ、当然興味は持つ。特に速瀬の興味は誰よりも強かった。無論―――実力的な意味で。
 自己紹介が終わり、すぐさま彼女は言う。
 『白銀中尉の実力を知りたいので、模擬戦をしませんか?』と。
 しかし三神はこれを却下。曰く『お前達ではそれこそ束になっても敵わない』らしい。更に驚くことに、XM3のそもそもの概念を発案したのは、白銀だとのこと。
 今現在習っているXM3用の三次元機動の概念元。更に極論を言うならば―――XM3とは、本来彼が思い描く機動を戦術機で再現させる為のOSだというのだ。
 となればますます実力を見てみたくなるのが衛士としての本能。
 それを知って知らずか―――おそらく狙ってやっていたのだろうが―――三神は、自分と白銀の一対一ならばやって見せてやると言った。
 ここまで来ると、ヴァルキリーズとしては最早自分達が戦えなくても良くなっていた。
 兎にも角にも、この中尉の実力が見てみたいと。
 そして今こうしてその願いが叶ったのだが―――。

(―――まさに別次元ね………)

 映像を見ながら、伊隅は思う。
 記憶の中、何度か白銀の機動を見たことがある彼女としては、その頃から似たようなことを感じていた。
 白銀の正体や、その戦術機の操縦概念がそれこそ本当に別次元由来のものだと知ってようやく自分の感覚が正しかったのだと理解し、しかしあのヴォールク・データを見て再び齟齬を感じた。
 だからこそ、と言うべきか。彼女は理解した。
 白銀武は―――急速に、更なる進化を遂げているのだと。
 その理由こそ分からない。
 だがシミュレーターとは言え戦闘を重ねるごとに、白銀の動きが一味も二味も違ったものになっていく。
 まるで別人だ。
 何人もの白銀武が入れ替わり立ち替わり戦っているようにしか見えない。
 それを相手取る三神も大したものだが―――彼の腕は、あくまで究極のベテランである。
 100年にも及ぶ人生の中で、死にながらも繰り返し戦った結果に身につけた、非常に粘り強い戦い方。逆手に握る長刀も、見た目程奇をてらったものでは無く、あくまでその消耗率、各関節への負担を極限にまで抑える為のもの。
 人類の斜陽。極めて物資の少ない中で長く戦い続ける為に身につけた継戦能力の―――いわば一つの到達点。
 誰でもと言う訳ではないだろうが、多少才能のあるものが三神と同じ道を辿れば、おそらくは辿りつく。
 対して白銀は天才。
 一つの戦いで千も万もの経験をかき集め、習得し、試すことによって自分のモノとする。
 まるで高速で組み上がっていくジグソーパズル。
 そしてその過程も、組上がった絵でさえ凡人には理解することの叶わぬもの。
 誰であったとしても、彼の操縦概念がこの世界のものでない以上、おそらくは絶対に辿り着くことの出来ない。

(だけど―――その為に少佐がいる)

 三神の三次元機動は既存の概念に近い。
 おそらくは、彼がループの中で出会ったというシロガネタケルの機動を取り入れ、噛み砕き、既存の機動概念と融和させたのだろう。
 そのものを習得するのではなく、なぞり、真似ることによって誰でも使えるようにダウングレードする。それによって既存の概念そのものを進化させる。
 いずれ、誰かにそれを教える為に。

(必ずものにしてみせます、少佐。そして―――)

 今度こそ、誰も死なせない。
 自らが立てた誓いを胸に、伊隅は画面を見つめた。彼等が描く機動を、少しでも自らの血肉とする為に。





 白銀は狂喜の中にいた。

「すげぇ………!すげぇよ庄司………!!」

 この世界のヴァルキリーズと対面し、前の世界で失った先任や同期達に想いを馳せて少し泣きそうになった白銀であったが、いざシミュレーターの中に入れば気持ちは切り替わる。
 この模擬戦を始める前、三神は彼にこう言っていた。
 『本気でやるから、お前も本気で来い』と。
 果たして―――それは正しかった。
 逆手に握られた長刀が繰り出す一撃必殺の斬撃。
 未来予測でもしているのかと疑いたくなる程の高精度射撃。
 地を這う狼の様に機敏に駆け抜けたかと思えば、直後に自分に似た三次元機動―――縦の機動さえも行って追撃してくる。
 こちらも果敢に攻めるが、三神は遮蔽物や行動をキャンセルする事によって予測のつかない機動をし、その全てを避けていく。
 ―――ベテラン。
 白銀はふと、そんな言葉を思う。
 確かに、三神はその言葉が相応しい。
 強いのではない。
 ―――巧いのだ。
 それこそ強さだけで言ったら、白銀の知る中で言えば月詠やラプターを不知火で落した沙霧の方が強いと言える。
 あの一対一の時、確かに背筋が震える程の気迫が伝わってきたのだから。
 だが三神にそれは無い。
 おそらく、彼は激情などの感情で強くなるタイプではなく、あくまでフラットに、平均的に能力を『使い切る』タイプだ。
 感情による能力変動がない分、どんな状況下でも十二分に力を出し切れる。
 白銀と真逆の性質だった。
 そしてそれ故に―――。

「ちぃっ………!」

 こちらの頭上を飛び越え、倒立反転中に下方に向かって射撃する等という曲芸をする三神機に、白銀は現在実行中の全ての行動をキャンセル。次に右へ水平噴射跳躍のコマンドを叩き込んで、それが実行されている間に反転旋回、着地の瞬間を狙う為にロックオンをする。

「逃がすかぁっ!」

 白銀は叫んで36mmをばらまくが、相手は着地のシーケンスさえキャンセルして水平噴射跳躍して横に高速で逃げる。

「またかよっ………!?」

 折角捕捉したのにまた逃げられ、悪態をつく白銀。
 先程から、良いタイミングで射撃することは何度かあった。だが、それら全てを避けられる。
 今のような唐突な高速二次元機動によってロックオンが外されるのである。
 ロックオン時間を長引かせれられれば自動補正によって多少の高機動でも追従可能だが、そもそもそれをさせてくれないのだから、ベテランの嫌らしさが前面に出てくるのだ。
 最も白銀自身、射撃の腕は取り立てて良くはないと自覚している。近接戦に関しても同様だ。
 彼が最も秀でているのはその機動制御。
 今まではそれが補って余りある程だったので対して苦にはならなかったのだが、少なくとも同じレベルの人間相手にそれだけでは太刀打ちできない。
 しかも、相手は射撃も近接戦も平均以上のベテランだ。
 今でこそ奇抜な操縦概念によって避け続けているが、何処かでボロが出た時、あのベテランがそれを見逃すはずがない。

「何か手を打たねぇと………」

 思考を巡らし―――そして白銀は勝負に出る。





「やはり―――経験が覚えているか」

 倒立反転射撃後、ロックオン警報があったので即座に着地シーケンスをキャンセルした三神は、左へ水平噴射跳躍をしてビルとビルの谷間へと逃げ込む。
 ―――一昨日のヴォールク・データの最中から、その傾向はあったのだ。
 今の白銀は因果導体ではない。
 『元の世界』の記憶達と別れ、『この世界』の戦いの記憶達から再構築された因果集合体だ。
 幾千、幾万にも及ぶループ回数の為に脳に収まりきらず、その記憶こそ消されている可能性があるが、戦いに置ける経験―――記憶の欠片だけは残っているのではと三神は仮定を立てていた。
 それを裏付けるように一昨日のヴォールク・データの最中、何度も何度も白銀の機動が変わった。
 まるで一度にたくさん手に入れた玩具を一つずつ試すように。
 おそらく本人は自覚していないだろう。
 知らない人間からしてみれば、白銀は戦いの中で急激に進化しているように見えるだろう。
 しかし三神は違った。

「どんどん白銀『大佐』の動きに近づいていくな………」

 『この世界』の2016年で初めて出会った人間―――そして今尚、三神が恩師と仰ぐあの彼。
 その動きを知り得たのは、初陣の時の一度きり。
 XM3も無く、乗っている機体もボロボロのブラックウィドウⅡだったが、今の白銀の動きはあの時の彼に近い。

「今まで私が出会ってきた『シロガネタケル』の集合体か………」

 手強い訳だ、と三神は苦笑する。
 戦闘が始まって既に三十分以上。どちらも『被弾していない』状況だ。
 正直、異常だと三神は思う。
 お互いに手を抜いている訳ではない。XM3の限界値―――いわば一つの到達点を見せる為に、模擬戦前、白銀に本気で来いと言い含めておいた。
 そして三神自身も、今まで自分が培ってきたものを全て使っている状態だ。
 戦乙女12人に対してさえ、本気で行かなかったのに―――たった一人の救世主に全力で行って拮抗している。
 もしも仮説を立てておらず、只の三週目の白銀と思って掛っていたら―――三神の負けという結果でこの模擬戦は既に決着がついていただろう。
 それほどまでに―――今の白銀は強い。
 ―――闘神。
 ふと、そんな言葉が三神の脳裏を過ぎる。
 気の遠くなる程ループを重ね、戦いで培った経験だけ抽出し、因果を越えた彼にその全てが引き継がれ、上乗せされている。
 まだ純朴さの残る白銀に、数多の絶望と後悔と嘆きを経験した『シロガネタケル』達の力が彼に受け継がれる。
 挫けて泣いて、逃げ出して―――それでも前を向いて走り抜き、尚も最上の未来を望む彼に送られた、それは贈り物。
 戦友を護り、愛した女を護る為の、闘う力。
 幾千もの戦場を駆け抜け培った―――闘神達の力。
 ならば今の白銀はまさしく―――。

「―――闘神達の息子、だな」

 人はきっと、彼を天才と呼ぶのだろう。
 そうして一括りにして、彼を戸惑わせるに違いない。
 だから三神だけは―――幾人もの『シロガネタケル』を知る三神だけは、こう言おう。

「それは間違いなくお前が、お前達が死に物狂いで努力して手に入れたものだよ。―――『シロガネタケル』」

 そして―――永劫にも思えたこの三十分の模擬戦。
 その終極の時が来る。





 最初に動いたのは白銀機だ。
 彼はビルの屋上を足場にして、レーザー判定を喰らいそうになるとキャンセル降下しつつ移動する。
 すでに網膜投影のマップ上に三神機のマーキングは済んでいる。後は走り抜けるだけだが―――そのまま接近したのでは、高精度の射撃が襲いかかってくるのは目に見えている。
 だからこそ、屋上の足場にして上空を『走って』いるのだ。
 一直線に、そして『目立つように』。
 当然の事ながら、白銀機が迫ってきているのを三神機は理解していた。だが、狙撃はしない。
 彼自身がじっくり狙う長距離の狙撃はあまり得意ではないのも理由に挙げられるが、ロックした瞬間にどうせキャンセル降下して逃げられるのが今までの経験上分かっていたのだ。
 だからこそ―――白銀機が思いもしなかった行動に打って出る。
 直後、今まで距離を取る為に背を向けて逃げていた三神機が反転、白銀機へと突進をしかけたのだ。
 更には、左手にした突撃砲を担架へと戻し、後は右手にした長刀一本となる。当然、握りは逆手だ。
 それに反応して、白銀機は駆け抜けながら36mmをばらまいて弾幕を張る。
 しかし三神機はキャンセルを用いて左右に機体を振りながら走る。
 ジグザグに走り抜けるその様は、まさしく狼のそれだ。
 その際に幾つか被弾するが、いずれも損傷は軽微。
 戦闘続行に支障はない。
 そして互いに肉迫し―――待っていたとばかりに白銀機が得意の奇抜な行動に出た。
 何と、手にした突撃砲を三神機に向かって投げたのだ。
 さしもの三神機もそれには驚いたようで、それを左に避ける。いきなりの機体制御にほんの一瞬であるが三神機の動きが止まった。
 白銀機からしてみれば、それこそが好機だ。
 ナイフシースから短刀を取り出すと、それをアンダースローで投擲。無論、それで決着がつくなどと甘い考えは持っていない。
 事実、その短刀は硬直をキャンセルした三神機によって避けられる。
 だがその時には白銀機は次の行動に移っていた。
 投げると同時に残心をキャンセルして倒立跳躍、反転降下、更には担架を跳ね上げて長刀を抜ける状態にする。
 そして三神機の背後へと降下しながら、白銀機は抜刀しつつ振り下ろした。
 不意をついた抜打ち―――しかも上空、背後からの強襲だ。
 並の衛士ならば反応できずに唐竹割にされる。
 しかし―――あくまで三神はベテランだった。
 白銀機が倒立反転降下をしていると悟った三神機は、短刀を避けた慣性を利用して旋回。更にはその旋回時に於ける慣性さえ利用して右手に握った長刀を、背後に降り立つ白銀機に向かって横薙ぎに振るう。
 ―――激突。
 拮抗も鍔迫り合いもない。
 互いに戦術機の重量と慣性を十分に載せた一撃は、その両方の長刀が折れるという結果を以てして終焉を迎える。
 しかし未だ二機は闘いを終えていない。
 ―――むしろ、ここからが正念場だ。
 半ばから折れた長刀を使い物にならないと二人は判断し、すぐさま投げ捨てる。
 白銀機はナイフシースから最後の短刀を。
 三神機は横薙ぎに振り切った状態から更に旋回させ、背を向けると突撃砲を収めたパイロンを跳ね上げる。


 そして―――。


 短刀が背後から三神機の管制ユニットを突き刺し、担架から跳ね上げられた突撃砲は120mmを至近距離から白銀機に向かって吐き出した―――。





「ログを見てみたけど、アンタ達やっぱり化け物ね」

 香月は自らの執務室で三神と対面しながら呆れ顔でそう言った。

「どちらかというと化け物はあいつの方だよ、香月女史。何とか引き分けに持ち込めたが、正直次は勝てる気がしない」
「並の衛士からしてみればどっちも似たようなものでしょうよ。―――そう言えば、その白銀は?」
「ヴァルキリーズと遊ばせているよ。速瀬がご執心のようだ」

 つまり、まだシミュレーターで訓練していると言うことだ。

「アンタは行かなくて良いの?」
「私は武や速瀬ほど戦闘狂というわけではないからな。運動は適度にするのが一番良い」

 正直な話、模擬戦とは言え白銀と一対一で戦うのは精神的にきつかった。あんなにも身を削るような戦いをしたのは、もう何十年ぶりなのかと考える程だ。

「大体、用件があって呼び出したのだろう?霞が来たぐらいだから、それなりに重要な案件か?」

 訓練中に社がわざわざ呼びに来たのだ。その為、三神一人で抜け出してきた。因みに、その社は式王寺にとうとう捕獲され、今は愛でられている真っ最中だ。本人は別に嫌がっている訳ではないようなので、そのまま三神は放置してきた。

「せっかちねぇ………。ま、いいわ。鎧衣課長から連絡があったのよ」
「ほぅ………」
「あんま驚かないのね」
「十分驚いているがね。後二、三日と見ていたが、思ったよりも鎧衣課長の仕事は早かったようだ」
「あっちもそれだけ真剣って事でしょ?アンタがBETAを使って脅すから」
「事実を言っただけだがね」

 あっそ、と香月は肩を竦め、改めて三神を見る。

「予定は明日の夜。夕方の五時には迎えに来るそうよ」
「と言うことはあちらでディナーか。精々食い溜めするようにしよう。貴重な天然物が出てくるだろうしな」
「遊びにでも行くつもり?」
「何、ほんのついでだ」

 しれっと三神が軽口を叩くと、香月は大丈夫かしらコイツと呆れ顔で見やるが、彼は気にも留めず言葉を紡ぐ。

「分かっているさ。次の交渉は絶対に落とせない。精々気合いを入れて臨むとしよう。―――お互いの為にも、な」

 にやり、と横浜の狐と狸が嗤い合い、横浜基地の夜は更けていく―――。


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