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発信箱:ケネディは偉かった=布施広(論説室)

 最近、故ケネディ米大統領は偉かったなとつくづく思う。冷戦期の62年、米本土と目と鼻の先のキューバにソ連が核ミサイルを搬入した時、ケネディは全米演説で国民に核戦争の覚悟を促した。「勝利の果実さえ口の中で灰になる」のが核戦争であろうとも、「それが必要なら我々はおじけづくことはない」と言ったのである。

 演出も駆け引きもあろうが、ケネディの気迫がソ連をミサイル撤去に追い込んだに違いない。で、北朝鮮の脅威を解消する「ケネディ」はどこにいるのか、と思ってしまうのだ。キューバ危機と北朝鮮危機の構図は似ている。戦争などごめんだ。平和的解決を願えばこそ気迫と胆力を備えた政治家を求めるのだが、どうも見当たらない。

 米国の研究者によると、北朝鮮のように国際社会に迷惑を及ぼして利益を得ようとすることを「厄介者でいる価値」(valueofnuisance)という。菓子をもらうまで暴れる悪童のごとく、みかじめ料ほしさに嫌がらせする暴力団のごとく、である。そんな国と交渉しても意味がない。軍事的圧力が必要だと言う人々もいる。

 私も軍事的圧力には賛成だが、さてその先はどうか。軍事衝突に突き進めば、北朝鮮にはミサイルもあるし核兵器も多分ある。仮に菅直人首相がケネディのように戦争の覚悟を求めても、国民はこの豊かな日本にミサイルが降ってくる危険性を容認するとは思えないのだ。

 韓国民も同じだろう。94年6月、クリントン米大統領は金泳三(キム・ヨンサム)韓国大統領への電話で北朝鮮の核施設攻撃の許可を求めた。金大統領は「(反撃で)ソウルが攻撃されるだろう。何百万人死ぬか分からない」と答え、米国は攻撃を思いとどまったとされる。打つ手に窮するのは90年代からだ。北朝鮮の核開発だけが進歩した。

毎日新聞 2010年12月2日 0時14分

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