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航空史探検博物館機名別索引

 

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必読 日替わりメモ

ヒコーキ雲に対するご意見、必読日替わりメモのご感想や質問回答をメール( sa@axisz.jp 冒頭にkをつける)でお寄せください。

勝手なお願い : インターネット航空雑誌ヒコーキ雲の更新作業は早朝半眠状態の時に行うことが多くミス多発です。気付いての修正がありますので数時間後にもう一度見ていただくようお願いします。 佐伯邦昭
 
日替わりメモ 2010年12月2日のページ更新 
A8808  日本の風景 飛行場空撮 普天間基地  嘉手納基地
CV440 日本におけるコンベア ライナー研究 CV440とCV340の写真を追加
RS-9 日本における民間水陸両用機研究  全24機の記録


  飛行場空撮 普天間と嘉手納

 先月後半の或る晴れた日の撮影で、別にやましいところはありませんが、時節柄、詳しいことは内緒にしておきましょう。 

 日本におけるコンベア ライナー研究

 全日空のCV440と340の新しい写真を追加しました。残るはJA5055の全日空時代の写真のみとなりました。

  日本における民間水陸両用機研究

 昨日もたくさんの写真や資料を頂き、今のところ合計24機に達しました。
 そのうち
8機がレークの200〜250シリーズです。この単発飛行艇は意外に人気があったのですね。日本人から米国大使館員に渡ったものもあります。
 
 ただ、そのうちの5機が事故調査委員会のやっかいになっており、
難しい飛行機だったことをうかがわせます。水面が穏やかとみて降りてみると急に横風が吹いたり、漁船の波がきたりしますし、着陸復航で急加速すると前につんのめる癖があるので、エンジンを絞って水平飛行で立て直そうとしたら揚力を失ったとかの事例が報告されています。
 
 なお、昨日「RENEGADE(レネゲイド 裏切り者)と いう得体のしれないNナンバー 」と書いていたのを、レネゲイドが250タイプの機体そのもののニックネームであったことを知り、あわてて取り消し線をひきました。改めてレークの種別を記しておきます。

レークLA-4-200 バッカニア ライカミングIO-360 200hp 4人乗り
レークLA-250 レニゲイド ライカミングIO-540 250hp 6人乗り
レーク250ターボ    ターボレニゲイド(レーク270Tとも称する) ライカミングTIO-540 270hp 6人乗り

 

日替わりメモ 2010年12月1日のページ更新 
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A2104
[表紙絵125] 冬支度? 実はスライド風防のアクリル板が無いのです
航空史探検博物館 青森県五戸町 ひばり野公園のビーチクラフトT-34Aの冬支度
RS-9 日本における民間水陸両用機研究 新たに7機追加 既存機の写真も補充
A4406 航空史探検博物館 岐阜県八百津町 和知保育園のノースアメリカンT-6Gもヤマサキザックへ


  日本における民間水陸両用機研究 

 新たに7機ほかの写真を追加しました。東京航空工業専門学校(都立航専とは別)のセスナ206GやRENEGADE(レネゲイド 裏切り者 背教者)と書いた得体のしれないNナンバーのレイクなどを含めて、10年前くらいまではかなりの水上機が飛んでいたことが分かりました。初めから1枚ずつチェックしてみてください。

 素人の見方ですが、フロートについている前車輪脚柱がとても心細いです。あれで着陸した時に強度が保てるのだろうかと思ってしまいます。重量軽減が求められる浮舟の中で引込脚の構造設計はかなり難しかったでしょうね。

 ところで、今では水上機というと(私の知る限り)新明和のUS飛行艇だけになってしまい、島国日本にはもっと中小型水上機があってもいいと思うのですが、河口はもとより海にまで大きな橋がかかり、船舶の往来は一層激しくなり、牡蠣、海苔、真珠から大型魚まで養殖筏がいたるところにあり、おまけに漁業権がすべての水面を覆い尽くしている現状では、手を出そうにも出せないというところでしょうか。海面を離着水すると、陸上に洗浄装置が必要という余分なコストの問題もありますしね。ラジコンで我慢するか! 

  表紙絵 冬支度?

 27日に青森県平河町のビーチクラフトB-65がすっぽりとカバーを掛けられている冬対策を紹介しましたので、今日は同県五戸町のビーチクラフトT-34Aの冬支度を‥ といっても、7年前の写真では、縦列複座の風防が雪に映えて輝いており、ブルーシートなんぞは掛けられていません。その後、スライド風防のアクリル板が無くなったので、操縦席保護のためのシート掛けかと外野席から声がありました。バックの欅の樹が大きくなっています。

         撮影2010/11/21 HAWK           撮影2003/02 和山


  和知保育園のT-6Gヤマザキマザックへ (20/07/21付け 中日新聞岐阜版)
 

 八百津町和知の和知保育園の屋根に30年間置かれてきた航空自衛隊ノースアメリカンT-6Gの飛行機が、24日に撤去されることが決まった。工作機械大手のヤマザキマザック(愛知県大口町)が引き取り、5〜6年後をめどに美濃加茂市内の工場内に建設予定の博物館で、部品ごとに分けて保管される予定という。

佐伯から : 岐阜基地のT-6と同じようにヤマザキマザックに引き取られたのですね。子供たちが見上げるところで老醜をさらすよりもよかったと思います。高所恐怖症のHAWKさんがおそるおそる屋根に上って写した写真が貴重な記録になりました。 

 

日替わりメモ 2010年11月30日のページ更新 
RS-10 日本における航空機研究シリーズ  宗谷時代の南極観測隊航空機研究   (思い出コーナーから移転 再編集)


 宗谷時代の南極観測隊航空機研究

 八尾のグライダーについて世界の翼のJA2005の写真を著作権に触れるかと思って掲載しませんでしたが、同書は1953年12月の発行で満56年が経過していることに気付きました。既に権利は消滅しているものとして「R119八尾空港格納庫内の 航空機を解明してください」へその写真を載せました。

 併せて、世界の翼1957年版(1956年11月発行)に南極観測に向けて訓練している朝日の機体の写真が載っており、満54年が経過しているのでお借りすることにしました。もし、当方の解釈が間違っているようでしたらすぐに削除しますので、朝日新聞社さんよろしくお願いします。

 と、そこまでは朝令暮改の前置きでした。
 ETさんから、第二次南極観測隊が東京へ帰ってきた時に乗船して写したビーバーのクローズアップが送られてきました。それで、
世界の翼の複写と併せて掲載し、全体を思い出コーナーから日本における航空機研究シリーズへ移して更に研究を続けていくことにしたという訳です。著作権切れの書籍の記事や写真が使えるということになると、我々の研究活動の幅が大きく広がります。びくびくしながらも取り上げていきたいと思っています。

・ 民間水陸両用機研究
 学連のグライダー曳行機であった朝日新聞のパイパーPA-18 JA3008 小鳩が双フロートを付けて観測隊員の訓練をしている世界の翼の写真には驚きましたね。パイパーの水陸両用機なんて聞いたこともなかったですから。軽飛行機は、いとも簡単に付け替えることができるのでしょうか。

 その民間水陸両用機研究に関して、バッカニアだけでなく更に多くの機体情報が皆さんから送られてきました。整理する間が無いので明日の編集にします。なお、ゴムフロート付きのベル47、シコルスキーS-61、バートル107などヘリコプターについては、水上で運用した実績となると限りなくゼロに近いでしょうから、採用しないことにします。

新たな民間水陸両用機
JA3008 パイパーPA-18 朝日 小鳩
JA3059 セスナ180 朝日 さちかぜ
JA3165 セスナ185 関西航空 いぶき
JA3202 セスナ185 海上保安庁
JA3966 セスナ206G 胴体に東京航専と記入
JA4095 レークLA-250
N8408S レークLA-250 

 

日替わりメモ 2010年11月29日のページ更新 
O1-06 思い出コーナー メキシコ 勤務時代の思い出 大統領特別機訪日に寄せて  投稿 レオン空港に寄せて
RS-9 日本における航空機研究シリーズ 日本における民間水陸両用機研究  レークLA-4-200 バッカニア 3機を追加


〇 
 レークLA-4-200 バッカニア 

 レークLA-4-200 バッカニアは3機いました。居ましたと言っても、2機は航空局の登録原簿には残っているものの現状不明、1機は厚木フライイングクラブを経て米国へ渡ったみたいですが、これも現状不明です。3機を買って琵琶湖で飛ばしていたらしい京都産業という会社その他について、更なる情報があればと思います。


〇 続 八尾空港格納庫内の飛行機を解明してください‥  R119へ転記


〇 続 ツポレフTu-104 
CCCP-几5444の到着時の月日が判明しました

 航空情報1959年2月号の国内ニュース欄に、1958/12/02にモスクワ芸術座一行を運んできたとあり、几5444のナンバーも書いてありました。T58-4参照

 同誌には、国交も協定もないソ連の飛行機を来日させるために、航空局の亀山課長が、南回りでモスクワまで行き、ハバロフスクと羽田の往復に搭乗し、再び南回りで帰国した手記が載っています。当時のソ連の飛行場のことなど興味ぶかいですよ。ご希望の方にはコピーをメール添付します。

 

日替わりメモ 2010年11月28日のページ更新 
R119 日本における航空機研究シリーズ 新 八尾空港格納庫内の 航空機を解明してください


〇 
八尾空港格納庫内の飛行機を解明してください‥  グライダー関係をR119へ転記

 そして、更に虫眼鏡で見ますと、産経新聞社のマークをつけた機体などがあります。ビーバーの発動機の整備とフロートを車輪に替える作業をしていたらしいハンガーの中にいろいろな航空機が詰め込まれていますので、どうぞ想像をたくましくして解明してみてください。


〇 
日本における民間水陸両用機は、まだあります‥

 同じく水陸両用機に関してバッカニアを忘れるな、レイクL-4もあるぞとのメールがきています。調査不十分でも、まず発表してみて反応を待つという佐伯の常套手段でありますので、どんどん指摘して写真を送ってください。世界の艦船でこのような特集をしていないでしょうか。フネ屋さんの検討も待ちたいです。


〇 続々 航空情報の古書について

 お願いしていた航空情報を送って頂き、さっそく1960年の国内航空ニュースをざっと当たってみましたら、ダグラスDC-3研究の謎がひとつ解けました。
 北日本航空がハワイアン航空から買った2号機JA5058
DC58が1959年12月に登録されているのに、丘珠空港に初飛来したのが翌年4月29日もいうので、この間どこで何をしていたのかという疑問でしたが、航空情報のニュースによって日本遊覧航空がチャーターし、同じ期間に1号機JA5015DC15も全日空がチャーターしていました。定期免許がおりず、冬の北海道で使い道のなかったDC-3が東京国際空港で有効活用されていた訳です。
 
当時の航空情報各誌には、DC-3ニュース以外にもインターネット航空雑誌ヒコーキ雲の既存ページを補完修正する記事がたくさんあり、随時書き加えております。

・ 航空情報の古書提供
 なお、東京都立産業技術高等専門学校飯野明先生から、重複して持っている航空情報を提供しますとのお言葉も頂いています。条件は、平日に同校へ取りにくるか、料金着払いでの送付に限ります。希望者は照会してみてください。

 東京都立産業技術高等専門学校 荒川キャンパス(旧航空高専) ものづくり工学科 航空宇宙工学コース
  教授  飯 野   明
 116-0003
 東京都荒川区南千住8-17-1
 Phone
 03-3801-0145  FAX  03-3801-9898 電子メールアドレスを知りたい人は佐伯にメールを

 

日替わりメモ 2010年11月27日のページ更新 
HOME [表紙絵124]  展示機の明と暗
A2125 航空史探検博物館 青森県平川市 平賀町中央公園のビーチクラフトB-65が冬支度
A2116 航空史探検博物館 青森県つがる市 車力農民研修センターのF-104Jが撤去
A2100 航空史探検博物館 青森県三沢市 三沢大空のひろば T-2の塗装替とUP-3Cの洗浄作業
RS-9 日本における航空機研究シリーズ 新 日本における民間水陸両用機研究


〇 
展示機の明と暗 青森県三題

 航空史探検博物館所載の展示機を訪ねてはるばる青森県を訪れた岡山県のHAWKさんは、車力農民研修センターのマルヨンがコンクリート台座だけになってしまっているのを見て、ショックでしばらく動けなくなったそうです。わかりますねえ、その気持ち!

 しかし、平川市のビーチクラフトは、かねて市役所観光課の約束通り冬用のカバーがすっぽりと掛けられた暖かい情景、あるいは、三沢市大空の広場では、日本で唯一の展示であるP-3Cが洗浄されているのを目撃し、明・暗あい半ばと言ったところでしょうか。長旅、大変にご苦労様でした。

〇 日本における民間水陸両用機研究

 「思い出コーナー日東航空のビーバーとオター」を、この際思い切ってフロート付き水上機(ビーバー、オター、セスナ185)及び飛行艇(リパブリックシービーとグラマンのグース、ウイジョン、マラード)を全部網羅して「日本における 民間水陸両用機」としてまとめてみました。まだ、漏れがあるかもしれませんが、一応17機すべての写真が揃いました。

 初めはデハビランドDHC-2 ビーバーの登録全8機が水上機かと思っていましたら、フロートを付けている写真は2機のみで、後の6機は陸上型として登録されたみたいです。航空局検査課監修の日本飛行機全集の速度データを見ましても、最高速度(陸)265km/h(水)201km/h 巡航速度(陸)185km/h(水)172km/hと明らかに違いますので、6機のビーバーは水陸両用機からはずし、後日参考として写真を発表します。

 もっとも、産経のJA3043は日東航空では車輪付きに変わっていますので、フロートと車輪の交換を各機ともやっていたとすれば、この分類も怪しくなりますので、もっと情報がほしいです。


〇 コンベア340の440への改修はウエザーレーダーの追加にあらず

 コンベアCV340の440への改修をウエザーレーダーの追加等としていましたが、それは間違いで、座席を44席から52席への増やしたのと機内騒音レベルの低減を図り、また僅かですが速度の向上も図ったということです。よって、機首のレドームは無く、ただ黒く塗っていただけでした。以上、訂正するとともに340(JA5083、5085)の写真の提供を待ちます。

 

日替わりメモ 2010年11月26日のページ更新 
T64-1 写真で見る東京国際空港の歴史 1964年 ヘンリー大江氏の日米親善飛行   ボーイング727の写真を追加
CV440 日本におけるコンベア ライナー研究 全日空のCV440とCV340の写真を追加


〇 
ヘンリー大江氏の日米親善飛行

 胴体左側に日米親善飛行、右側にUSA JAPAN GOODWILL FLIGHTと書いたパイパーコマンチ(N7956P)によるヘンリー大江氏の太平洋横断飛行の無事到着も、東京国際空港の歴史を飾っています。カリフォルニア州オークランドからハワイ、ウエーキ、グアムの島伝いを単独で飛翔してきたものです。
 その時には、
戦勝国アメリカにおいて日系人がかくも良き生活を送っているのかと、私はうらやましさを感じたものです。実は大戦中に日系移民が強制収容所に送られて虐待を受けたという事実をあまり知らなかったのです。
 
今は、そういうものを乗り越えてきた象徴的な快挙として、ロマンをもって語り継ぎたいと思う次第です。

〇 日本におけるコンベア ライナー研究

 440と430の写真を追加しました。440が、あのR-2800 18気筒エンジンを始動して猛然と白煙を噴き出したところなどいですねえ。
 ま
340の到着2か月後の写真では、機首レドームが丸ペチャで、まだ340タイプであることを示しています。ウエザーレーダーを追加した後の写真を頂いて比較しておきたいですね。


〇  1959〜1962年の航空情報を探しています  お礼

 早速、 某高専の先生から、希望の号がダブっているので提供してあげますとの申し出がありました。
 うれしいですね。こういう形で死蔵されている資料からネット上に航空史が蘇ってくるのは、過去にそれを手がけた人々にとって二重の喜びでありましょう。
 また、個人的にはインターネット航空雑誌ヒコーキ雲が各界の方に閲覧されていて、航空史の空白を埋めていくことにいささかの貢献をしていることを誇りに思います。それは、情報提供という形でインターネット航空雑誌ヒコーキ雲を共につくっているあなた方の誇りなのです。一編集者として、期待にたがわないようこれからも精進いたします。


追記 広島西飛行場問題について

多くの方から広島市が意見を募集しているとのお知らせを頂いています。ありがとうございます。
https://www.city.hiroshima.lg.jp/uketsuke/dform.do?acs=ikenbosyuu  

 当方、昨日すでに意見を発信しました。また、21日の西飛行場まつりでもアンケート用紙に書いておきました。

要旨 : 北に高架道路が建設されて滑走路が短縮される現状では、沖出し東京便復活などと夢のようなことを追わずに、ヘリコプター基地と短縮滑走路の小型機専用空港にすべきであること、基幹都市でありながら自衛隊航空基地のないことに鑑み陸上自衛隊第13飛行隊(山口県防府北基地)の分遣隊を誘致することを提言しました。
 UH-1J、OH-6D各1機と整備班配備で、県警航空隊及び市消防航空隊と協力し、広島市周辺での大災害や暴動に即応体制が取れるというものです。(多分、自衛隊を好まない市長なので、頭から無視されるとは思いますが‥   皆さんもお考えを広島市に伝えてください。)A6401参照)

 

日替わりメモ 2010年11月25日のページ更新 
CV440 日本における航空機研究シリーズ
 日本におけるコンベア ライナー (日本におけるコンベア CV240研究改題)  全日空と中日本のCV440、CV340


〇 
日本におけるコンベア ライナー

 中井さんのアルバムから中日本航空時代のコンベアCV440の写真が出てきましたので、かねての宣言どおり日本におけるコンベアCV240研究コンベアライナー研究に昇格させ、440と340 4機の経歴をアップしました。 ただし、写真等が不十分なので、お気付きのものを提供してくださるようお願いします。

 440は、ローカル各社の240に先駆けて全日空が導入しました。ダグラスDC-3の遅い、暑い、寒い、耳ツンで悩んでいたお客とスチュワーデスは、前輪式のスマートな440メトロポリタンの与圧機内に大喜びで、月見飛行とか機内結婚式まで行う熱狂ぶりでしたが、時をおかずにバイカウントが増えてくると幹線の座を奪われ、ボーイング727の登場で完全にお払い箱となり、ローカルへ回そうにも、そこにはフレンドシップが居るという訳で、2機が中日本航空へリース ということになります。

  しかし、中日本航空においても440の活躍の期間はわずかであり、借り受けた半年後には路線そのものを全日空に移譲し、定期旅客運送から手を引いてしまいました。ただ、4機とも事故歴もなく外国へ引き取られていき、ターボプロップに換装されてCV660になったものなどいい生涯を送ったらしいのがうれしいです。

 さて、日本におけるコンベアライナーというからには、 880も含めるか?
 でも、あの雷の親玉のような物凄い爆音のジェット機と、レシプロ中型機の極致ともいうべき240と440を一緒にする気がどうしても起きません。ご勘弁ください。(その昔、大阪国際空港そばの梅田花き市場で、 ハッパチが頭上にくるとセリ人の声が聞こえなく場面を経験していましてね‥)


〇  ブルーインパルス史上最高の感動演技とブルーインパルス写真の最高傑作について 
    (日替わりメモ11月20日関連
 T64-2

[撮影データ : 想像もありますが、次のとおりと記憶しています。geta-o]
   
使用カメラ CANON P
   
レンズ   CANON 50mm f 1.8
   
使用フィルム ネオパン F(ASA=64に増感)
   シャッタースピード  1/500 
   
絞り 5.6
   撮影場所 
渋谷 東京文化会館の屋上

[解説 : かつお]
★ 使用カメラ Canon P ・・・キャノン ポピュレールという名称で出ましたが後にPになったと記憶します。名称のとおり《レンジファインダー型フォーカルプレーンシャッターの》普及型です。

★ レ ン ズ Canon 50mm f1.8 ・・・ キャノン 標準レンズでは代表的なものです。

★ 使用フィルム ネオパンF(ASA=64に増感)・・・ネオパンFの本来の感度はASA32ですが、それを感度2倍に増感しています。増感とは、撮影時に本来のASA32のフィルムをASA64として撮影します。
 通常の標準現像液・現像時間で処理すると、当然露出1/2不足のネガが出来ます。これを増感現像液で強力現像(押し出し)をするわけです。その増感現像液にはパンドール(FujiFilm?) コニドール・スーパー(小西六)などがありましたが、僅かな現像液温度差、現像時間差で撮影時に増感前提設定(決めた)ASAに見合った現像が出来ます。
 一般的には温度標準20℃厳守で、決められた時間現像すると露出不足分を補填、通常濃度のネガを得るというものです。ただしネオパンFSSSは2倍増感が限度とされていたように記憶しますが、SSSなら現像時間設定次第で本来のASA200→400→800→(1600)まで処理できました。1600になるとさすが粒子の荒れが目立つし、軟調気味(私の経験)になるので大伸ばしには不適とされ、通常は800が限度、1600は特殊用途に途に限定されたようでした。

★ スピードと絞りは説明不要

★ geta-oさんは、空が画面の殆どを占める飛行中の航空機を撮影するに当たり、モノクロフィルムでの「空」は大伸ばしすると《中間色部分特有の》粒子が目立つことを充分心得ていて、敢えて低感度《超》微粒子のFを選び、被写体が動体なので増感手段を選んでシャッター速度を1段稼いだものと思います。

佐伯から : 撮影者の技量と解説者の知識に脱帽です。ありがとうございました。敢えて付け加えれば、輪と空間のデザイン処理が秀抜です。輪がこれより小さくても大きくても駄目ですね。ブルー50周年記念で各雑誌に作品が載っていますが、個人的には、このモノクロ写真に勝るものは見当たりません。


〇 1959〜1962年の航空情報を探しています

 当方、古本屋を漁って大体は揃えていますが、特に下記の時期の号が欠落していて情報不足に悩んでいます。どなたかお譲りくださるか、又はネットオークションに出ているのを知らせください。お願いします。求むとある13冊がそれです。

  1月号 2月号 3月号 4月号 5月号 6月号 7月号 8月号 9月号 10月号 11月号 12月号
1959年 - 求む - - - 求む - 求む 求む 求む - -
1960年 求む 求む - 求む - 求む - 求む - 求む 求む -
1961年 - -                   -
1962年 求む -

 

日替わりメモ 2010年11月24日のページ更新 
  日本における航空機研究シリーズ 日本におけるダグラスDC-3研究 JA5015 新 中標津飛行場開きに飛来 新しい愛称発見 大雪


〇 北日本航空ダグラスDC-3

DC5015へ転記

 

日替わりメモ 2010年11月23日のページ更新 
HOMERS-8 [表紙絵123]  八尾上空を飛翔する極東航空のオースター オートカー
日本における航空機研究シリーズ  日本におけるオースター  エイグレット及びオートカー研究  写真を7枚追加
T58-4 写真で見る東京国際空港の歴史 1958年エールフランスの北極回り路線開設 その日のTu-104の写真を追加


〇 オースターの写真を7枚追加

 オートカーの写真を7枚追加し、その中の飛行中のものを表紙絵に出しました。場所は恐らく阪神飛行場付近であり、遠くに通天閣が見えます。(間違っていたらご免なさい。) オースター1号機のJA3012が、大阪公設市場の宣伝に高度250メートルからビラ撒きとマイク放送中に、プロペラが飛び、子どもがいる道路を避けて田んぼへ不時着、プロペラは民家の屋根を突き抜けていたというのが、この東住吉区辺りのような気がします。その時、同乗の中村正夫さん少しもあわてず「この付近に不時着します!ご注意ください!」とマイクで叫んだといいますから、現在のびっしりと市街化した状況からは、想像もできないのんびりした時代でした。

・ この写真を含めて、中井潤一さんと彼が預けていた人の好意で、たくさんのアルバムを提供して頂きました。またまた航空史の空白を埋めるお宝がどっさりと入り、当方の寿命が尽きるまでに果たして消化できるのかという心配が先に立つ心境であります。デジタル化のアシスタントが欲しいです。

・ そのアルバムからの掲載写真につきましては、必ずしも中井さん自身の撮影でないものがあるようなので、掲載に当たっては「提供中井潤一」としておきます。自分が写したんだと心当たりのある人からお知らせがあれば、正しい撮影者名に改めます。

〇  1958年エールフランスの北極回り路線開設

  レニングラード交響楽団を乗せて帰国するTu-104の写真を追加しました。なお、お見送りは当時の皇太子殿下でしたが、つい同世代の癖がでて天皇陛下と書いていました。誤解を与えまして申し訳ありません。

 1958年に初来日したツポレフTu-104の写真で、にがうりさんが撮影したCCCP-几5444の到着時の月日が解りません。レニングラード交響楽団が来た時の几5442と几5445とは、明らかに違う風景なのですが、人々の服装が殆んど同じです。レニングラード交響楽団の次に来たボリショイサーカス団は6月なので、厚着をして出迎える訳もなく、どうも不思議です。

 

日替わりメモ 2010年11月22日のページ更新 
N815 ニュースフラッシュ 2010/11/21 広島西飛行場まつり
T58-4 写真で見る東京国際空港の歴史 1958年エールフランスの北極回り路線開設 


〇 
1958年エールフランスの北極回り路線開設

 北極経由のヨーロッパ路線は1957年2月にSASが開拓し、その後各社が追随します。今朝の写真で見る東京国際空港の歴史は、エールフランスのパリ行き一番機の写真です。その日、レニングラード交響楽団を乗せて帰国するTu-104の撮影目的で羽田に行ったETさんは、その一番機スターライナーの出発に遭遇し、招待客の高松宮ご夫妻の姿をカメラにおさめるという幸運に恵まれました。大きな話題を呼んだTu-104の陰でエールフランス北極航路は雑誌に相手にされていないようなので、この写真は貴重な記録ですね。


〇  静浜基地のノースアメリカンT-6

 昨日の「苦労して描き入れた尾翼のマークを、後年勝手に替えられたのを見た時には怒りすら覚えた」との記述を訂正します。
 これは「T-6を運用していた15飛行教育団時代のマークの方がいいのではないか」と提案していたのを却下されたので、指示通り12飛行教育団のマークを描いたら、後年知らないうちに15飛行教育団に書き換えられ、しかも一部で「間違った考証で復元されていたのがようやく修正された」みたいなことを言われたので余計腹がたったということでした。なるほどその腹立ちは十分に理解できます。

 受託者がより正確を期そうというので依頼主に提案するのはとても大切なことだと思います。呉零戦もこのチームに委託していたら、可能な限りの検証をしてくれてより忠実な復元ができていたでしょうに。
 静浜基地のやりかたには陰湿さを感じますが、大和ミュージアムの場合は、委託料の半分をパクられた町工場での工作を、元搭乗者の監修でさも立派に復元したかのように見せているダマシの匂いを感じます。

 

日替わりメモ 2010年11月21日のページ更新 
A4501 航空史探検博物館 静岡県 航空自衛隊静浜基地のノースアメリカンT-6について再編集
    ノースアメリカンT-6G 52-0127
    動態保存を試みた静浜のT-6
    ノースアメリカンT-6F 52-0011
    
   第二操縦学校時代
       第11飛行教育団塗装で保管
       修復、トレーニングイエローに塗装
       再塗装後の展示
       再塗装後の展示 尾翼マークを書き替え


〇 
静浜基地のノースアメリカンT-6

 静浜基地航空祭で展示されるノースアメリカンT-6 52-0011を基地の依頼で再塗装した際の記録写真を頂きました。洗浄・修理・研磨・下地塗り(ジンクロ)・白(1808)塗り・黄色(Y19750X)塗装、等々の作業工程を指示されての本格的な修復なのですが、問題も残っているようです。

 その修理チームは、浜松広報館に展示されているT-6 52-0010を故守屋さんの遺志を引き継いで復元した人々なので、T-6について十分な知識を持っているうえに戸田保紀さんなどにも確かめて完全を期しました。それで基地側の指示の中に不審に思う点があるのでお伺いしたところ、余計なことは考えなくてもいいと受け取られるような返事がきて、静浜52-0011に関しては不完全燃焼であったというのです。

 おまけに、苦労して描き入れた尾翼のマークを、後年勝手に替えられたのを見た時には怒りすら覚えたそうです。

 頭が固くて高圧的で歴史を理解しない幹部が居たのでしょうが、教育航空団であるだけに困ります。自衛隊広報テレビや航空雑誌で紹介される各基地のパイロット教育は、かっこいい上っ面だけしか捉えていないのだということを、こうした事実から認識しておくべきでありましょう。

 なお、浜松広報館のT-6 52-0010復元作業についても記録を頂いていますが、700枚を越える画像から取捨選択しますので、当分時間がかかりそうです。浜松、静浜とも、作業を通じて機体のデテールが細かに写されており、1940年代の軍用機構造を知る上の参考資料となるもので、どこか公的機関で保存公開されるように取り計らって頂けたらと思います。

 

日替わりメモ 2010年11月20日のページ更新 
O3-18 航空史の思い出  日東航空のビーバーとオタ―
T64-2 写真で見る東京国際空港の歴史 1964東京オリンピック  Tu-114のカラー写真 東京国際空港以外の関連写真を追加


〇 
日東航空のビーバーとオタ―

 日東航空は、デハビランドの傑作水陸両用機であるDHC-2ビーバーとDHC-3オタ―の両方を持っていました。ビーバーは、産経新聞の航空部縮小方針で日東へ移譲され、ウエットリースのような形で産経が使っていましたが、オターは、大阪から白浜や徳島への水上機路線としてグラマンG-73マラードと共に運用していたもので、日本登録はJA3115の1機だけです。

  その珍しいオターの写真が入りましたので、思い出のページに紹介しました。ビーバーの写真が入れば、マラードも加えて「日東航空の水陸両用機」に格上げしたいのでよろしくお願いします。なお、otterの発音ですが、オッタ―、アッタ―、オターなど資料によって異なるので、辞書にある発音記号やカナダの首都オタワの例からオターとしました。あまり自信がないので、どなたかご教示を願います。

〇 1964東京オリンピック

 Tu-114のカラー写真は、色自体が参考になると同時に、geta-oさんが付けている解説のように、内蔵タラップと日本航空の専用タラップをドッキングさせているところや、迎えに来ている乗用車の五輪マークなど興味深い歴史写真になっています。
 そして、東京国際空港以外の関連として、三菱重工業のS-61Nが五輪マークを付けて聖火を運んでいるのも初めて見るし、更に驚くのは、国立競技場の上に描くハチロクブルーの五輪です。geta-oさんは「残念ながら白黒です」と謙遜しているのですが、まさに円を描き終えんとするF-86Fの機影までが鋭く入っており、平板なカラー写真よりも、土門拳ばりの奥行きのあるモノクロ写真としてはるかに優れていると見るのは私だけでしょうか。ブルーインパルスにとっても東京オリンピックの五輪は史上最高の演技ですし、この写真もその興奮を伝える最高の写真として推薦いたします。(後日、写真機やフイルムや露出などのデータを発表の予定)

 

 

 

 

 

 

 

 

日替わりメモ 2010年11月11日のページ更新 

 

〇 お尋ね  にがうりさんから

 所沢航空発祥記念館格納庫保存にレンジャー・エンジン(L-440-3200HP)があり、その装備機がフェアチャイルドPT-26(JA3016)国際航空所有で1953.4.1登録、1960.9.26 登録抹消、1960.9.10 解体まで突き止めたのすが、結構長い登録期間にも関わらず、このJA3016写真が雑誌その他にも見つからないのです。

 なにかの理由でほとんど飛べなかったのか不明ですが、おそらく日本でもたった1機の珍機存在?と思われるので歴史的貴重な機体かと。ヒコーキ雲でも記録する価値があるかと思いますので、尋ね人ならぬ「尋ね機体」をお願いします。

 なお、PT-26はこんな添付の機体で特徴ある外観です。PT-26はカナダ製もある練習機で、戦後岩国基地の英蘭部隊にいたこともあり得るので、そのあたりからの払下げか?またはわざわざこんな珍機を海外から輸入したのか?など入手先も気になります。
http://military.sakura.ne.jp/world/w_pt19.htm

佐伯から : フェアチャイルドPT-26 JA3016 確かに登録機リストにはあるものの、どこを探しても写真も解説も見当たりませんね。国際航空とありますが、もしかすると東洋航空の間違いで、同社が藤沢で製作した東洋TT-10の参考にしたとかいうのでは? 情報を待ちます。

日替わりメモ 2010年10月5日のページ更新 

○ ニュースフラッシュの扱いについて

 以前は、米軍機のシリアルナンバーなどリスト作りのためもあって、各地のオープンハウスの展示機全情報を積極的に求めていましたが、近年は軍民ともにナンバーが簡単に分かるようになり、ナンバーリスト作りの必要性が薄れ、また、航空祭の情報もたくさんのサイトに出るようになりました。よって、インターネット航空雑誌ヒコーキ雲としては、航空祭を楽しんだ方の主観的な見方による投稿を受動的に載せるという方針に切り替えています。

 従って、中には全機を網羅するものもあれば、特徴的な機体だけのもの、あるいは特に目についた情景だけというものもあります。それで結構だと思っています。

・ いずれは
 MAVERICさんのサイトで、当方の八戸航空基地祭に出ていない機体などを紹介してくれていますが、そういう相互補完を続けながら、いずれはニュースフラッシュ欄をMAVERICさんに委ねたいと考えています。
 
・ インターネット航空雑誌ヒコーキ雲の主力は航空史探検博物館
 佐伯の願いは、人生残された余力を航空史探検博物館と付随する思い出コーナー、日本における航空機研究シリーズなど日本航空史の空白を埋めていく作業に集中したいのであります。
 「日本航空史の空白を埋める」などという思い上がりはどうかご寛容くださり、あなたの情報《保管
展示機、忘れ去られつつある古い飛行機、いしぶみ(碑や飛行場跡や建造物)、すたれてしまいつつある技術など》を積極的に送ってくださるようにお願いします。


        インターネット航空雑誌ヒコーキ雲の主張

日替わりメモ091231番

○ 2009年の回顧
  評価は他人がしてくれるものだということを百も承知のうえで、敢えて申し上げますが、インターネット航空雑誌ヒコーキ雲が立てている各項目に関する限りにおいて、他の追従を許さないほど充実したものとなりました。既にホームページの試行錯誤の域を脱して、インターネット航空雑誌としての独自のスタイルが確立し、それを多くの皆さんから認知されているものと信じています。

また、しゃべり始めたなと腹を立てないで、以下、掃除の手を休めた時にでも読んでくださいな。

雑誌なら編集後記、単行本なら序文やあとがきを読むと大よその傾向が掴めるように、インターネット航空雑誌ヒコーキ雲も日替わりメモが日々更新の「イントロダクション」であると同時に「私の主張」でもあります。そこで、今年1年間の日替わりメモを読み返してみました。

休んだのはわずかに24日、稼働率は93.4%、我ながら驚くべき精勤でした。

@ 書き手と読み手の喜怒哀楽のからみ合い
 これほど続いてくると、日替わりメモを書きながら、お顔も知らないのに、読み手の反応がほぼ予測できるようになります。うなずく人、驚く人、あわてる人、立腹する人、あざ笑う人‥‥。

実は、佐伯の辛口評論を秘かに期待しているという人が少なからずおられます。逆に、辛口が過ぎるとヒコーキ雲ファンを逃がしてしまうから程々にという忠告もあり、実際に逃げて行った人もおりますし、今年は、他のサイトで手ひどい批判を書かれたこともありました。書き手の喜怒哀楽と読み手の喜怒哀楽がからみ合っていることを実感します。

お腹立ちの人を量産するのは得策にあらずで、例えば、本年半ばから政治向きの発言を控えたりしています。身の程も弁えずにとの冷笑を招かない程度に節度をもたなければいけませんね。
 しかし、
一納税者として、行政の問題点には是々非々を貫ぬきます。見て見ぬ振りをするのが大人であるというような誤った考えに迎合する気は毛頭ありません。

A 稼働率93.4の原動力
 さて、稼働率93.4%の原動力を考えてみました。
 1番に、全国各地の皆さんから「日々の更新ご苦労様です」との言葉を添えて、絶間なく情報が寄せられる、それを早く発表したいという心理が働くこと
 2番に、若い頃からのジャーナリスト志向が、死ぬまで治まりそうにないこと
 3番に、朝早く起き出してパソコンに向かうことが、生活として定着していること

1番と2番はつながりますが、何といっても2番が最大の原動力です。若い時に新聞社も放送局も二次試験で落ちて公務員にならざるを得なかったトラウマを引きずっているのかもしれません。その心理不安定症候群がこのホームページで治癒される訳ではありませんが、どんな場面でもジャーナリスチックなセンスを駆り立てられてしまいます。
 
本年1月1日の日替わりメモで、容量が300MGに達したら廃刊にするかもしれないと予告しました。しかるに今日現在350MGを超えてしまいました。経済的負担は苦しいですが、やっぱり、ジャーナリスト志向の誘惑には負けてしまうのですねえ。

ジャーナリストのセンスとは、旺盛な野次馬根性と抜け駆けの精神です。他人と同じことをやっていては読者に相手にされません。良質の情報を如何にうまく見つけ出すか、関連情報と併せて如何にうまく整理するか、如何に早く発表するかの勝負です。当然、間違いも起きますから素直に訂正するのも大切な心掛けです。
 ヒコーキの専門知識は皆さんにご教授願っていますが、編集者としては「
試行錯誤の域を脱して、独自のスタイルを確立できた」という所以であります。

B これからどうするか
 
さて、これからどうするかですが、老朽化したパソコンやスキャナなどを買い替えるメド(家内の許し)はたちませんし、加齢による目の疲れに加えて、今年は右手人差し指の腱鞘炎に苦しみ、右肩のインナーマッスル(深層筋)が時折強烈な痛みを発するなど、いつパソコン禁止を宣言されてもおかしくない状況にあります。

 旺盛な野次馬根性と抜け駆けの精神がこれらの外(害?)的要因に打ち勝つかどうかの勝負です。その分かれ目は、読み手の喜怒哀楽が私の予測に合っているか確認できるかどうかです。
 叱責であろうとなんであろうと一言でもメールがあると元気が違ってきます。いちいち返事が出来ないのがつらいのですが、どうぞよろしくお願いします。

では、お健やかにお正月をお迎えください。                          佐伯邦昭

日替わりメモ090613

私事 : 最近、あとで読み返してみると誤表記が目立つようになりました。また、皆さまからのメールの文章をしっかり読んでいないことによるミスも多発し大変申し訳ないと思っております。文章は、私の生命の一部なので実に情けない次第です。身内の入院等で疲れ気味のためかもしれませんが、精一杯努力してみますのでどうかご容認くださいますようお願いします。

 

○ 呉市海事歴史科学館大和ミュージアムに関する疑義が完了しました。お暇な時にじっくり読んでいただいて感想をお聞かせください。

第1章 零式艦上戦闘機に関する疑義
第2章 呉市側から仕掛けてきた戦艦大和の歴史捏造問題に関する疑義
第3章 戦艦大和以外のもろもろ
第4章 呉市役所の体質など