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「表現規制に賛成の方へ」


 あなたは東京都青少年・治安対策本部の主導による表現規制強化条例に賛成ですか?
 なるほど、賛成ですか。ではその理由は?

“聞くところによれば、子供たちにとって害となるような不健全な漫画・アニメ・ゲームが野放しになっているという。それらが規制されるというのはまことに結構なことだ”

 ごもっともです。
 それではあなたのその立派な信念をより強固なものとするために、この問題について少し突っ込んで考えてみることにしましょう。

 まず、“子供にとって害になるものは規制されねばならない”という点について。
 これについては、世の大半の人が賛同してくれることと思います。子供は(多くの場合)弱者であるために保護されねばならず、また将来の社会を担う存在として大切に育てられねばなりません。

 ではその害から子供を保護すべき対象として、漫画等が該当するのはどのような場合でしょうか。

 一つは、それらの創作物に触れることによって、身体・精神に直接的な被害が発生する場合です。
 例えば何年か前に発生したような、激しく点滅する画面を見ることでひきつけを起こす、といった事態がこれに当ります。
 しかし今回の規制案では、そうした技術上の観点は問題となっていないようです。製作者側が既に十分な配慮を行っていると考えられているからでしょう(アニメ作品等の冒頭で、「部屋を明るくして〜」といった注意書きテロップを目にしたことのある人は多いはずです)。
 よって、本稿でもこれについては取り上げません。

 もう一つ考えられるのは、それらの創作物によって子供が悪影響を受ける、平たく言えば、それらに描かれている「悪いこと」の真似をする、という場合です。
 これについても難しくはありません。いかにもありそうなことです。
 しかし残念なことに、こうした因果関係を示すいかなる客観的証拠も、現在のところ見つかってはいません。“不健全な”漫画・アニメ・ゲームに接することの多い子供が、そうでない子供に比べて悪事に手を染めやすいというのは、必ずしも明白な事実ではないのです。

 しかしそれを以て「やはり規制すべきでない」という結論に至るのは早計でしょう。
 子供は、一般にまだ自らの価値基準や行動規範が確立されていないと考えられます。そのために、接した事物の影響をより受け易いのではないでしょうか。

 だとすれば、規制対象を漫画等に限定するのは明らかに誤りです。上述の通り、特にそれらの影響が大きいとする根拠は無いのですから、より現実に近く(それゆえ真似しやすいと考えられる)実写作品を除外すべき理由はありません。

 もちろん文学作品も同様です。
 人間は言葉によって思考し、世界を認識する生き物です。その言葉によって表現された作品の影響力が、漫画等よりも劣るというのは、文学と言語に対する冒涜です(それでもなお視覚メディアの影響を大とするならば、いっそのこと法令も言葉のみで構成される条文という形式ではなく、漫画にしてみてはどうでしょう。学校で使う教科書も漫画化・アニメ化すべきです。現状よりもはるかに高い遵法効果、学習効果が期待できます)。

 そして創作物以上に影響が大きいと考えられるのが、マスメディアです。
 大きな話題を呼んだ事件があると、それを真似た犯行が発生するのはままあることです(犯罪ではありませんが、アイドル歌手の自殺を契機に多くの子供達が後を追うように自殺する、といったことも過去に実際に起こっています)。

 つまるところ、子供の接する可能性のある森羅万象全てが規制の対象となり得ます。
 害があると「証明されているもの」ではなく、害がある“おそれがあるもの”を対象とする以上、論理の帰結として当然そうなります。

 続いて、表現することを規制すべき行為の内容について検討します。

 まず第一に挙げられるのは、法に触れる行為です。
 今回の規制案では、性行為に関わるものが多く話題に上がっていますが、窃盗、傷害、詐欺、殺人等、全ての不法行為が対象となるべきです。
 性犯罪のみを特に重視すべき理由はありません。
 一般に、性犯罪より殺人の方が重罪です。よってより厳しく規制される必要があります。

 また今回の案では、“婚姻を禁止されている近親者間における”性行為も規制の対象とされています。
 これに倣うとすれば、日本では重婚が禁止されていますから、不倫行為は当然対象となります。同性間での婚姻もできません。やはり対象となります。そして婚姻が根拠となっている以上、婚外での性交渉全般も対象に含めるべきでしょう。

 以上の前提を踏まえ、規制されるべき作品の最たるものとして、具体的に何が該当するでしょうか。

 条件としては、第一に不法行為が含まれ、第二に、規制案の条文によるならば、それらの行為を“不当に賛美し又は誇張”しているものとなります(この“不当に賛美し又は誇張”というのが法学的に厳密にどのように解釈されるべき文言であるのか、素人の身には量りかねますが、とりあえず素直に「とても良いものであるように演出されている」と解釈します)。

 現在の日本において最も重罪とされているものは何でしょう。
 殺人?もちろん重罪です。その量刑は、“死刑又は無期若しくは5年以上の懲役”となっています。
 ですがこれ以外にも、“首謀者は、死刑又は無期禁錮”と規定されているものがあります。
 刑法第77条、“国の統治機構を破壊し、(中略)統治の基本秩序を壊乱することを目的として暴動をした者”に適用される内乱罪です。
 その反社会性の大なることが、子供の不純異性交遊の比でないことは言うまでもありません。
 では例えばこの罪に値する人物として誰がいるでしょう?
 そう、坂本龍馬です。
 薩長同盟を成立させた龍馬は、 “国の統治機構”、“統治の基本秩序を壊乱”せしめた“内乱”のまさに首謀者だと言えます。

 従って、もしもあなたが、既成の社会秩序を否定し、法を犯し(脱藩は当時としては大変な重罪です)、国の統治機構の破壊を謀って活動することが、18歳に満たずして性交することと同程度以上には望ましくないことだと考え、かつ、そうした望ましくない行為を「とても良いものであるように演出」したものを規制すべきだと考えるのならば、坂本龍馬を英雄的に描いた作品の規制に賛成のはずです。
 『龍馬伝』も『竜馬がゆく』も、青少年に対して“犯罪を誘発し、青少年の健全な成長を阻害するおそれが”あります。
 “不健全な図書類”に指定せねばなりません。

 * * * * *

さて、ここまで読まれた皆さんはどのような感想をお持ちでしょうか。

 全くその通り?これからも規制すべきをどんどん規制していくべきだ?
 首尾一貫した姿勢、大変ご立派です。もはやあなたに言うべきことはありません。「第四帝国」の建設を目指してこれからも頑張ってください。

 全く馬鹿馬鹿しい?そんなでたらめな規制が許されるはずがない?
 そうですね。全く同感です。
 そしてまさにそれこそ、今回の表現規制条例案に反対する人達が感じていることなのです。

 前回の規制案が“非実在青少年”なる造語とともに提出された時、その存在を知ってすぐさま反対だという意見を持った人は案外少なかったのではないでしょうか。
 おそらく、多くの人の第一印象は「なんだそりゃ?意味分らん」であり、ついである程度内容を把握すると、「そんな馬鹿な規制案がまかり通るわけがない」と唖然としたのではないか。

 しかし実際には、ぎりぎりまで具体的な条文を公表せず審議日程を十分に取らない、そして公表後は法的効力を持つ条文そのものよりも、耳あたりが良くもっともらしい「意図」、「主旨」の説明を専らにするという都の担当者の戦術が功を奏したこともあり、案は可決寸前までいきました。
 それでも最終的には否決され、「やはりこんな馬鹿な案が通るわけはなかったんだ」と安堵した人も多いでしょう。

 にもかかわらず、またしても新たな表現規制案が提出され、そして今回の案では、不当さの象徴ともいえる“非実在青少年”という語こそ削除されたものの(というよりも削除されたことによりかえって)、規制対象範囲は前回以上に広範なものとなっています。
 まさに、「全く馬鹿馬鹿しい。そんなでたらめな規制が許されるはずがない」と言いたくなります。

 しかし本案は十分に可決の見込みがあります。
 原理的には『竜馬がゆく』が規制対象となるような内容を持った条例が、問題点が必ずしも一般に共有されないままに成立してしまう理由はどこにあるのでしょう。

 一つ考えられるのは、規制のターゲットとなっているのが、漫画・アニメ・ゲームといったいわゆる「二次元メディア」に限定されていることです(条文にわざわざ“実写を除く”という文言が付加されていることからもそれは明白です)。

 確たる根拠がないにもかかわらず、なぜ二次元メディアばかりが槍玉に挙がるのか、それにも相応の理由があることと思いますが、本稿ではそれについての考察は省きます。
 問題なのは、そうした漫画等に高い価値を認める人が、絶対数ではかなりの数に上りながらも、全体的な割合では必ずしも多数派ではないことです(単に漫画やアニメを読んだり見たりしたことがあるというだけの人なら過半を占めるでしょうが)。
 そしてその割合は、一般的に言って、年齢層が上がるにつれて小さくなります。
 そしてさらにこれも一般的に言って、法令の成立に直接的な影響力を持つのは、比較的年齢の高い層になります。
 要するに、多くの人にとって、そしてとりわけ規制の可否を決定する立場にある人達にとって、漫画等が不当に規制されたところで痛くも痒くもないのです。

 例えば次のように考えれば分りやすいでしょう。
 都知事が以下の条例を提案したとします。
“粘菌の生態は奇怪であり、それを肯定的に研究することは、”“青少年の健全な成長を阻害するおそれがある”“。ゆえに青少年に粘菌の生態を教えることは規制されなければならない”
 二次元メディアに対する規制と同様、科学的には何の根拠もない不合理なものですが、おそらく世の大半の人は積極的に反対しようとはしないでしょう。
 「別にどうだって構わない」からです。

 しかし良く考えてみてください。
 なるほど漫画・アニメ・ゲームはあなたにとっては価値の無い「どうだっていい」ものかもしれない。
 ですがそれは逆についても言えるのです。
 大好きなもの、大切に思うもの、価値あるものが、あなたにもあるでしょう。
 それは殺人が主題となるミステリかもしれない。時に暴力行為の動機ともなる愛国思想かもしれない。時にテロの原因となる信仰心かもしれない。ばたばたと人が斬り殺される時代劇かもしれない。
 なんだって構いません。
 確かなのは、あなたにとって価値あるものが、万人にとって価値あるものとは限らないということです。
 そしてあなたにとって価値あるものを、無価値だと、むしろ有害だと見做す人が、規制の可否を決定する立場の人とイコールになるというのは、常に起こり得ることなのです。

 もしもその人が、あなたの大切なものを、“青少年の健全な成長を阻害するおそれがある”という理由で規制しようとする時、あなたはそれを認められますか?
 あるいは、そうした「おそれはない」と証明できますか。
 「おそれがある」ということは、「可能性がある」ということです。
 どんなことでもいい、「そんな可能性は絶対にない」と万人に対して証明できるとしたら、それは唯一神教的な意味での神だけです。

“理屈としては分った。それでも自分の子供に見せたくないものはやはり見せたくない”
 そういう人もいるでしょう。
 その不当性・不合理性にもかかわらず、今回の規制が一定の支持を集めているもう一つの大きな理由です。
 ですがそこには大きな誤解があります。
 表現規制に反対することは、「あなたが自分の子供に見せたくないものを見せない権利」を奪うものではありません。全くの逆です。
 「子供に見せたいもの|見せたくないものを決定する権利」を、あなたに保持させるものなのです。

 例えばあなたが家庭用の清掃業者を頼んだとします。
 もしもその清掃業者が、あなたの子供の部屋にあった漫画を取り上げて、“お子さんにこういうものを見せるのは感心しませんな”と言ったとします。
 あなたは素直に納得できますか?
 そのうえさらに、“お子さんにこういうものを見せるのは禁止します。目の触れないようなところに置きなさい”と“勧告”してきたら?
 “お前にそんなことを言われる筋合いはない”、そう思いませんか?
 清掃業者が否定したたものが、あなたも駄目だと思うものならばまだいいでしょう。しかし今回は意見が一致したとしても、次もそうだとは限りません。

 「行政サービス」、「公僕」といった言葉があることからも分る通り、民主国家においては、知事や議員や官公庁の職員は支配者ではありません。あなたが支払う税金によって雇われている「使用人」です。
 問われているのは、自分の子供にエロい漫画を見せたいかどうかではないのです。
 自分の子供に見せたいもの|見せたくないものを決定し、かつその決定を強制する権利を、あなたの使用人に認めるか否かなのです。

 あなたの子供です。あなたの子供に見せるべきものは、あなたが(そしてもしもあなたが、自分の子供をあなたの所有物ではなく独立した人格を備えた一個の人間だと認めるのならば、子供の気持ちもきちんと汲んだ上で)決めてください。
 それが人の親たるべきものの義務であり、権利です。

“子供なんかのためにそんな面倒なことはしたくない。使用人だろうがなんだろうが、決めてくれるんならそれに従う。そっちの方が楽だ”
 そういう人へ。
 あなたがそう考えることまでは否定できませんが、しかし「「自分の子供のために自分で考える権利」を他の親から奪う権利」はあなたにはありません。

 * * * * *

 それでは最初の質問に戻ります。
 あなたは東京都青少年・治安対策本部の主導による表現規制強化条例案に賛成ですか?
2010/12/ 1
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