【萬物相】人間の盾

 陸軍士官学校のミン・ビョンドン元校長が、6・25戦争(朝鮮戦争)に学徒兵として出征し、中国軍に押されて退却したときのことだ。布団や釜などを背負った避難民たちが、ソウルの永登浦から京畿道水原市へ向かい、アリの群れのように歩いていた。ところが、よく見ると、避難民たちは全員が民間人というわけではなかった。中国軍や北朝鮮軍が、民間人の服を奪って着用したり、布団や木綿の防寒着をかぶったりして、民間人に成り済まし、避難民を追っていたのだ。中国軍や北朝鮮軍は、国連軍の戦闘機による機銃掃射を避けるため、避難民の行列を盾代わりにしたというわけだ(「月刊朝鮮」別冊、『60年前、6・25はこうだった』より)。

 慶尚北道漆谷郡にある多富洞戦跡記念館には、色あせた1枚の写真が展示されている。6・25戦争で最大の激戦だった「釜山橋頭堡(ほ)の戦い」の様子を今に伝える写真だ。洛東江の防御線も崩壊すれば、大韓民国の滅亡につながるという、絶体絶命の瞬間だった。ところが、米軍が銃を向けている洛東江の対岸で、先頭に立っている人たちは、北朝鮮軍の兵士ではなかった。逃げる途中だった数百人の女性や子ども、高齢者たちが川を渡ろうとしていた。その「人間の盾」の後ろ側では、北朝鮮軍が避難民たちに銃を突き付け、脅していた。

 戦争の際、力のない民間人や捕虜を敵の攻撃目標地点に立たせることで、敵の攻撃を逃れることを「人間の盾」という。13世紀、チンギスハンが率いたモンゴル帝国軍は、今日も欧州で恐怖の記憶として残っている。それは、人間の命さえも戦闘の手段とした残忍さゆえのことだ。チンギスハンは、集落へ攻め込むたびに無差別の虐殺を行い、一部の人たちは「人間の盾」として生かしておいて、次に攻め込んだ地域で利用した。

 ジュネーブ議定書は、戦時下での民間人の保護を明文化しているが、現代の戦闘でも、人間を盾代わりに使う卑劣な手段は用いられている。1991年の湾岸戦争の際、イラク軍は多国籍軍の攻撃から軍事施設を守るため、多国籍軍の捕虜やクウェート人を「人間の盾」として利用した。また、アフガニスタンのイスラム原理主義武装勢力「タリバン」は、米国との戦争で、3歳の子どもまで「人間の盾」としたり、弾薬を拾わせたりした。

 北朝鮮による延坪島への砲撃により、民間人二人が犠牲になったことについて、北朝鮮は「遺憾の意」を表明した上で、「軍事施設の中に民間人を配置し、『人間の盾』として利用した、敵の非人間的な仕打ちに責任がある」と主張した。延坪島の住民の多くは、先祖の代から住み続けた人たちや、仕事を求めて自発的に渡ってきた罪のない人たちだ。北朝鮮は、6・25戦争の際に自分たちが使った「人間の盾」という戦術を思い出し、韓国に責任を押し付けるための手段として利用したというわけだ。

金泰翼(キム・テイク)論説委員

【ニュース特集】北朝鮮砲撃、緊張高まる韓半島

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
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