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[21380] シークレットゲームNEXT ~Magician's Select~(原作:シークレットゲーム 『-KILLER QUEEN-』)
Name: でしお◆ff3c50cd ID:912e8347
Date: 2010/12/01 03:14
初めまして。でしおと申します。
こういった投稿掲示板での作品発表は初めてですが、どうかよろしくお願いします。

当作品はFLAT社よりPS2、PC、PSP等で発売された「シークレットゲーム」の二次創作作品です。
そして舞台は「原作『シークレットゲーム』より数年後」となっております。

なお、当作品に触れる前に以下の点にご注意願いたいと思います。

 ・原作「シークレットゲーム」のネタバレが多大に含まれています。
 ・原作ジャンルの都合上、一部残酷な描写が含まれています。
 ・オリジナルキャラクターが多数活躍しています。
 ・独自の設定が追加されている可能性があります。

 ・舞台設定上、原作登場人物の風貌・性格等が改悪されている場合があります。
 ・貴方の好きな原作登場人物が不当かつ悲惨な扱いを受けている可能性があります。
 ・貴方の好きな原作登場人物が登場しない可能性があります。
 ・原作登場人物がオリジナルキャラクターと密接な交流を育む可能性があります。

 ・「原作の数年後の世界」ですが「いずれかの『原作END』の数年後の世界」ではありません。

以上の点を許容できなければ、本作品を読み進めることはお勧めできません。


個人的にはこの作品を通して「シークレットゲーム」の面白さや奥深さを少しでも伝えられればいいな、と思っています。

そしてこの作品自体を楽しんでいただければ、これほど光栄なことはありません。


それでは、どうか。お付き合いの程、宜しくお願いします。


8/22 EPISODE-1~4 掲載しました。
8/23 EPISODE-5 掲載しました。

8/27 EPISODE-6 掲載しました。
8/29 EPISODE-7~8 掲載しました。
9/05 EPISODE-9~10 掲載しました。
9/11 EPISODE-11 掲載しました。
9/18 EPISODE-12 掲載しました。
9/19 EPISODE-13~14 掲載しました。
9/23 EPISODE-15 掲載しました。
10/03 EPISODE-16~17 掲載しました。
10/09 EPISODE-18 掲載しました。
10/11 EPISODE-19 掲載しました。
10/17 EPISODE-20 掲載しました。
10/24 EPISODE-21 掲載しました。
10/31 EPISODE-22、23 掲載しました。
11/03 EPISODE-24 掲載しました。
11/10 EPISODE-25 掲載しました。
11/21 EPISODE-26 掲載しました。
11/28 EPISODE-27 掲載しました。
12/01 キャラクタープロフィール 製作しました。




次回更新予定:12/05(日)



[21380] EPISODE-1
Name: でしお◆ff3c50cd ID:912e8347
Date: 2010/09/12 02:50
遠い遠い、幼き日の記憶。とある日の夕暮れ過ぎ。
家事に勤しむ母親の背中を眺めながら少年・鳴神圭介は一人、暇を持て余していた。

夕食の時間にはまだ間があった。手持ちの本は全て読みつくしてしまい、テレビもまだ子供が興じるものは放映されていない。
学校から持ち帰った宿題も既に片付けてしまっていた。
さりとて新たな興味を求めて外へ飛び出るほど少年は活動的というわけでもない。
ゲーム機の類は両親の教育方針のため、何一つ所持してはいない。
それでも今までは友人の誘いであったり何某かが圭介の時間を満たしていたのだが、生憎とその日は都合が合わなかったのだ。
記憶にある限りはこれが初めての何もできない時間。
何かがしたいのにやるべきこと、やりたいことの選択肢が目の前に現れない。

圭介はその年頃の割には手のかからない子供であった。
素直で聞き分けも良く両親に迷惑をかけるようなことは滅多にしない。
外でも問題行動を起こすことは全く無く、見習われるべき子供として教員や他父母にも一目置かれる存在だった。
そんな彼でも子供であることには間違いない。
お茶の間のテーブルにだらしなく上体を突っ伏したまま、何事か思案し続けていたが、
終に音を上げて、母親に現状の打開を願ってしまった。

――ねえ、お母さん。何か面白いことはない?

母親は圭介の言葉に驚いたように振り返った。それは彼女にとっても初めての体験だったからだ。
どうやら夕食の支度も一段落したようで、母親がエプロンで手を拭きながらパタパタとスリッパを鳴らし近づいてくる。
圭介の向かいに座ってすい、と顔を近づける。仕方が無いわね、と柔らかい笑みを向けてきた。
普通であるならば子供の単なる我が侭。おとなしくご飯待ってなさい、と言い放ってしまえばそれで済む。
だが圭介が普段から「良い子」だったからこそ母親も無碍にその願いを断ることはできなかったようだ。

――じゃあね、いいもの見せてあげる。

母親はそう得意げに宣言すると席を立ち、自室に駆けていく。
思いも寄らぬ、初めて見た母のそんな表情に圭介は圧倒され、そして同時に期待に胸が膨らんだ。
母はどうやら何かを見せてくれるようだ。それもなんだか、とてもすごいものを。
先ほどまでの不満は何処かへ消えてしまった。たちまちに今の時間が待ち遠しいものへと変わっていった。
程なく母親は戻ってきた。その両手に、小さな何かを抱えていた。

――お母さんね、実は今まで黙ってたことがあるの。

おどけたように微笑む母親。

――実はね、けーくん。お母さんはね――







後に続く一言と母が操った奇跡と感動を、圭介は10年以上経った今でも忘れない。

その一年後、母親が病に倒れこの世を去ることになってしまってもなお。
輝かしい記憶として。未だ解けることない呪いとして。
いつまでも。圭介の胸の内に消えることなく残り続けている。


――お母さんは、魔法使いだったの――







まず肩に、そして側頭部に軽い痛みが走った。
そのおかげで圭介の意識は急速に現実に引き戻された。

「痛ってえ――」

何事かと、慌てて目を瞬かせる。とりあえず眼前に柔らかな段差が確認され、ああ成る程、と自ら呆れる。

(また落ちてるよ。懲りないよな、俺――)

どうやら生来の寝相の悪さでベッドから転げ落ちてしまったらしい。圭介は乾いた笑いを浮かべながら再び寝床へと這い上がる。

(しっかし、未だに見るかね、あんな夢)

不思議なことに落下の衝撃で全て吹き飛んでしまったかと思いきや。つい直前まで見ていた夢を圭介ははっきりと覚えていた。
それは紛れも無い、過去の記憶。鳴神家がまだ家族全員揃っていた時の記憶だ。
母が亡くなってもう10年が過ぎた。圭介はもう彼女の顔もすぐには思い出せない。
彼女が病院で息を引き取り悲しみに暮れたその日も今は記憶の彼方だ。

それなのに、あの時の。母が自分は魔法使いだ、と告白した日のことだけはなぜか鮮明に覚えているのだ。
それもそのはずだ、と圭介は自虐気味に呟いた。
彼はあの日、母の魔法に魅了され、魔法使いの弟子となった。そしていつの日か、自分も魔法を操れるようになった。

(そして今も――いや、今は――)

馬鹿馬鹿しい、と圭介は記憶の反芻をやめた。そんな記憶のせいで、自分は人生を踏み外しかけたのだ。
陰鬱な気分になってきたので圭介はもう一度寝直そうと再びベッドに横たわり、布団を引っ被った。

(って、今何時だよそういえば)

ふと部屋の薄暗さに騙されかけて時間の確認を怠ったことに気づく。
二度寝と洒落込むにしても半端な時刻なら寝過ごして遅刻してしまうかもしれないではないか。

慌てて手探りで目覚まし時計の位置を探る。ところがその手は虚しく空を切るばかり。
あれ? とそこで初めて圭介は違和感に気が付く。
そもそも我が部屋のベッドは、こんなにも痛みが激しく硬いものだっただろうか。
しかもなぜか未だ学園の制服を身に纏ったままである。
流石に眠る前にはきちんと部屋着に着替える習慣がある、はずなのだが。

疑問を巡らす程に眠気は吹き飛び目が冴えてくる。悠長に惰眠を貪っている場合では無くなった。
首をぐるりと回して部屋の全体像を確認する。
途端に今度は眩暈に襲われる。それは勿論眩みの類ではない。
身の周りの違和感なぞ些細なものでしかなかった。もっと早くにその疑問を抱くべきだった。
ようやく、圭介は。その自らの呟きに辿り着くことができた。

「ここは、何処だ?」

目覚まし時計どころの騒ぎではなかった。
本棚も無ければ机も無い。圭介の自室にあるものと何一つ共通点を見出せない。
四方は無機質なコンクリートの壁面で囲まれ自然な光を取り込むべき窓は一切無い。
ベッド、カーペットの類は何処と無く高級感を漂わせているが、まるで手入れが為されておらず所々薄汚れ埃が溜まっている。
備え付けの家具棚は扉のガラスがひび割れ蜘蛛の巣が張り巡らされている。
大よそ生活観とは無縁の光景だった。そう、まるで廃墟の一室とでも称するべきか。
無論こんな部屋が、圭介が父と住まう安アパートのはずがない。
友人の部屋の一室でも勿論あるはずがない。
一体何の因果で自分は、こんな部屋で眠りこけていたのか。とりあえず直前の記憶を辿り直してみる。

昨日の朝は普通に自室で起床し、父親と二人分の朝食を用意して学園に登校した。
授業中の記憶は曖昧であるがそれはおそらく居眠りをしていたせいであろう。
それから。
特に教師に呼び出しを受けることもなく下校の門を潜り。
自宅までの道中で書店に寄って立ち読みし、夕食の準備をすべく商店街に――

(――行ってない)

そうだ。その途中で確か、誰かに呼び止められた気がする。
見覚えのない中年男性であったか。郵便局の場所を聞かれて、それで。
説明に手間がかかりそうだったのでわかり易い場所まで先導しようとして、角を曲がったその瞬間。

そこで圭介の記憶はぷつりと途切れていた。

不自然である。そこまでを明確に思い出せる割に、その先が完全に消去されている。
まるでその時点で気を失ってしまったかのように。
いや、「かのように」ではないのだろう。
その時に来ていたままの制服姿で今まで自分は寝かされていた。それが何よりの証拠だ。
それも自然に起こったものではなく作為的なもので、自分は意識を失ってしまったのだ。
でなければ目覚めた先は病院でなければおかしいし、この部屋は医療施設に関するものでは断じてない。
あまりにも不衛生すぎる。

ああ、何ということだ。この全ての歪な事象に一致する言葉に、圭介は思い至ってしまった。

「マジかよ――俺、誘拐されてんじゃん!」

思わず、声が飛び出た。
現状を理解すると共に、えも言わぬ恐怖が圭介の全身を包み込んだ。
誘拐され、監禁されている。
如何な目的によるものかは窺い知れないが、それはつまり今は最悪命まで奪われかねない事態ということなのだ。

「いやいや待て待て、有り得ん、有り得んってこんなの。だってウチの家、別に金持ちでも何でもないぜ? 
 億単位の身代金とか払えねえからマジで」

部屋の中には圭介以外には誰もいない。
それでもぺらぺらと思ったことを喋り立てないと何かに押し潰されそうだった。

「あー、そうか。わかった。理解したよ俺。これはあれだ、夢の続きだ。夢の第二段階、第二幕なんだよ。
 チクショウ、夢から覚めた先が現実とは限らないってね。何だっけ? あれ。『胡蝶の夢』とかいう奴だっけ?」

誤用である。だがそれに気付かぬくらい圭介は混乱していた。
兎に角このような現実を認めたくはなかった。一刻も早く逃げ出したかった。

「よし、それならとっととこんな夢からはオサラバしないとね。気分悪いし、怖いし。
 ここはベタだけど痛みと引き換えに覚醒を――うお、痛え! 超痛ぇっ!!」

ベッドの金属部分をつま先で蹴り上げた圭介は小指を強かに痛打し、悶絶した。
これほどの痛みを伴う今が、現実でないはずがない。
いや、そんなことはとっくに判っているのだ。

「い、いや、待て――夢の中でだって痛みを感じることはあるんだ。
 こんな馬鹿げた方法でこれが夢じゃないと断言するにはまだ早い」

それでもまだ圭介は陳腐な一人芝居をやめるつもりはなかった。

「そうだな――むしろ逆に考えろ、圭介。これは夢だ。そして拉致監禁されている。
 つーことは今から俺の華麗なる大脱出劇が始まるということなんじゃないか?
 ふむ。となると単なる一般人である俺が凶悪誘拐犯と対決するのはいささか無理がある。
 ならば今の俺には俺自身も気付いていない未知なる能力が備わって――」

顔を上げた先には古びた家具棚がある。それに向けて圭介は右手を差し上げ銃の形を作り、狙いを定めた。


「ビーム」


――
静寂が訪れた。

当然、指の先から何かが発射されることはなかった。
精一杯ふざけて必死に受け入れを拒否してみたものの、何も変わることはなかった。

紛れも無く誘拐され、命の危機に瀕している今こそが現実だった。

「ま、そりゃそうか。バカだよなー、俺」

「あ、あのー」

「!?」

突如、声が聞こえた。よく見ればこの部屋唯一の出入り口であるドアの隙間が、ほんの少し開いていた。

「い、いったい何をしているんですか――?」

ゆっくりと隙間が大きくなり、声の主が姿を現す。

おそるおそる、といった感じで部屋の中に歩みを進めたのは圭介と同い年くらいの少女だった。
小豆色のブレザーに胸には大きな赤いリボン。膝丈のチェックのスカートは恐らく指定の制服だろう。
さらさらのボブカットに黄色のカチューシャの少女の顔立ちは中々に整っている。
美少女という表現は決して過言ではない。
身長は圭介の胸の辺りくらいの高さ。仮に女子高生だとするならば、まあ平均的といったところだろう。
戸惑いと緊張の面持ちのまま、少女の瞳が上下に動く。
どうやらこちらと同様に圭介がどういった人物か観察しているらしい。

そこに至って漸く圭介は、自分が「ビーム」の体勢のまま固まっていることに気付いた。

「な、何をって――」

流石に部屋に一人しかいなかったからこその奇行である。
こんなものは決して人前で晒せる行動ではない、と判断できるくらいには圭介にも分別はあった。

「――いつ頃から、見てた?」
「えっと」

人差し指を顎に当て、少女は少しだけ考える素振りを見せる。

「『俺、誘拐されてんじゃん!』の辺りから、ですかね」
「うげ」

それはつまり、一部始終を鑑賞されていた、ということではないか。たちまち圭介の顔に熱が灯る。

「それで、あの」
「は――」
「は?」

「恥を、晒してました」

正直な感想が、自然と口をついた。少女はしばし唖然としていたが、

「ぷ――あ、はは、あははははっ!」

堰を切ったように突然文字通り腹を抱えて爆笑した。

「ご、ごめんなさい――だ、だってこんな変な建物に閉じ込められてるのに
 あ、あんな――あははははっ! と、とにかくおかしくって、ははははっ!」
「いや、マジへこむから。そろそろやめて。でないと俺、そこの壁に頭打ち付けて死ぬよ?」
「あははははっ!」

どうやら今は何を言っても逆効果のようだ。圭介は少女が自然に冷静になるまでもう口を開かないことにした。

穴があったら、ではなく穴を掘ってでも入りたい。
そんなことを思いながら。



[21380] EPISODE-2
Name: でしお◆ff3c50cd ID:912e8347
Date: 2010/08/22 22:18
「さて、状況を整理しようか」
「はい」

20分ほど時間が経過し、二人は漸く落ち着きを取り戻した。
圭介は少女をベッドに座らせて自分は立ったまま石壁に背を預ける。若干距離を取ったのは一応の警戒のためだ。
間の抜けた出会い方をしてしまったため緊張感は削がれてしまったがそれでもこのような異質な状況だ。
彼女が完全に無害であると断定するまでは万一の為に備える必要がある。
その際に進路を塞がれないよう互いの位置取りにも気を配っておいた。
今の位置ならば何かが起きても、圭介の方がいち早く扉を開けて外へ飛び出すことができる。

「まずは自己紹介から始めよっか。俺の名は鳴神圭介、広西高校3年生です」
「わたしは森下美雪。神尾女子3年です。同い年ですね――『鳴神くん』って呼んでもいいですか?」
「もちろん。じゃあ俺は『森下さん』で」
「はい、よろしくお願いします」

「OK。さて、森下さん。俺たちはなぜこんなところにいるのだろう?」
「それは――おそらく、誘拐されてきたのではないか、と」
「――だよねえ」

わかっていたことだが今更ながら気が滅入る。続けて美雪は訥々とこれまでの自分の状況を語り始めた。
学校帰りに意識を失った、そこまでは圭介と全く同じ。
少し違っていたのは美雪にはその直前に何か薬の様なものを嗅がされた記憶があることだった。
だからこそ目覚めた時に誘拐された事実をわりとすんなり受け入れることが出来たらしい。

(全く同じ境遇、か)

少女が嘘を語っているようには見えなかった。
もしかしたら被害者を装った犯人グループの一味ではないか、などと圭介は当初疑っていたのだが取り越し苦労だったようだ。

「最初はそれはもう、混乱したんですけど。でも拘束もされてなかったですし。それでまず、慌てて携帯で警察に連絡しようとしました」
「ああ、そっか。携帯――」

圭介は慌てて自分のポケットをまさぐり携帯の所在を確認した。
だがいつもの収納場所に手ごたえがない。
没収されたか、と思いきやそうではなかった。
圭介が身に付けていたものは全て、ベッドのすぐ横のテーブルに整頓されて置かれていた。
携帯、財布、ipod、ハンカチ、その他もろもろ。
圭介は小さなものはとりあえずポケットに入れ込んでしまう癖があったのでテーブルの上の小荷物はちょっとした展示物のようになっていた。
何となく見苦しさを感じたので圭介はテーブルに歩み寄り。
必要なものを素早くポケットに詰め込んで、残りは同じく足元に置かれていた鞄の中に纏めて押し込んだ。

(――ん?)

その際に何か覚えの無いものまで混ざっていたような気がしたがとりあえず気にしないことにする。

「ごめん、続けて」
「はい、でもダメでした。電波は圏外で通じる気配すらありません。部屋の中でも、外でも」

まあ、そんなことで容易に助けを呼べるくらいなら最初から自由に行動できる余地は与えないだろう、と圭介は特に残念にも思わなかった。

「それから――このまま部屋に居続けたら危険かも知れない、と感じて。
 いつ犯人が戻ってきて襲いかかってきたら、と思うと――それで、部屋を出て、しばらく迷ってて。そうしたら」
「間抜けな一人コントをやってる馬鹿な男がいた、と」
「はい」
「いや、そこは否定してよ」
「はい、すみません」

喋っているうちに恐怖が舞い戻ってきたのか冗談に反応もできず、美雪は俯いてしまった。

「そっか――俺もだいたい似たような感じだよ。たださっき目が覚めたばっかり、ってだけ」
「そう、ですか。やっぱり鳴神くんも誘拐の被害者だったんですね」
「――安心した?」
「少しだけ。こんな酷い目に遭っているのがわたしだけじゃないってわかったから」
「それは、俺も同じだよ」

不思議なくらいに冷静な自分がいた。一人じゃないから、前を向いて考えることができた。
もしも彼女に出会わなければ。未だ圭介は現実逃避を続けていたことだろう。
ただただ己の身に降りかかった不幸を呪うことしか出来なかっただろう。
この少女に巡り会えて良かった。最低な現実の中、ただそれだけは感謝できることだった。

「わたしたち――これからどうなるんでしょう?」

己の肩を抱き、不安げに圭介を見上げる美雪。

「そうだね。できればこの辺りで犯人の一味にご登場頂いて、一切合財の説明を要求したいところだけど」

その登場理由が自分たちの始末であると洒落にならない。
そう続けるつもりだったが美雪の恐怖を助長するだけだと気づき、圭介は次の言葉を切り替える。

「とにかく、ここから脱出することを第一に考えないと。どうなるか、じゃなくてどうするか、だよ森下さん」

幸いにして自分たちは身動きが取れない状態であるわけではない。
脱出など出来はしない、と高を括られているのかもしれないが。
それでもただ座して次の展開を待つよりは遥かに効率的に思えた。

「質問がある、森下さん。外の様子はどうだった? ここは結構大きな建物なのかな?」

先程美雪は「迷った末にここに辿り着いた」と言っていた。つまりはそれなりに巨大な施設なのだ。
手入れの度合いからしておそらくは廃病院であるとかそういった類である可能性が高い。

「部屋の外は石造りの迷路です」
「――へ?」

だが、美雪の口から得られた情報はそんな圭介の想像を遥かに上回るものだった。

「わたしが目を覚ました部屋からこの部屋は同じ直線通路にあって一番近かったんですが。
 それでも多分100メートル以上は歩いたと思います。
 しかもその先は、端が全然見えなくて、代わりに曲がり角が幾つも。反対方向も同じような感じでした」
「最短で、100メートルだって!?」

慌てて圭介は外に飛び出し様子を伺った。迂闊な行動は危険だという思いはその時ばかりは抜け落ちていた。

「な――」

その光景は常軌を逸していた。

室内と同じ造りの無機質な壁面が延々と続き、美雪の言葉通り突き当りがまったく確認できない。
逆に目視できるだけで分岐が4つ。
恐る恐る近場の角まで歩を進め、そっとその先を除き見ると――やはり見えない突き当たりに分岐が数々。
この廊下だけが特別に長いわけではない。おそらくこの先も同じだけの距離があると容易に想像できる。

(なんだよ、これ――)

下手をすればこの建物の幅は数キロにも及ぶのではないか。
美雪の「迷路」という表現は誇張では決して無かったのだ。

「――ごめん、勝手に飛び出して」
「いえ」
「参ったね、どーにも」

部屋に戻り、再び美雪と向かい合い壁に背を預ける。どうやら脱出は圭介が考えていたより遥かに前途多難であった。
少し息苦しさを感じた。とりあえず制服のタイを緩めてみる。

(――ん?)

指先に、硬い何かが触れる。その時に初めて「その場所の」違和感に気が付いた。
冷たい金属の感触だった。アクセサリと呼ぶにはあまりにも無骨な何かが。圭介の首を一周していた。

(これ、は――)

何だろう。勿論意識を失う前、こんなものを身に付けていた覚えは無い。
まさか、と思い美雪の首筋を注視する。彼女の首にも銀色に輝く首輪が装着させられていた。

「森下さん、それは?」

美雪の首輪を指差す。
美雪はきょとんとした顔で首筋をなぞり、答える。

「ああ、これですか。何か目が覚めた時には付けられてまして。とりあえず苦しくはないので気にしないようにしているんですけど」
「もしかして、俺の首にも同じものがついてる? 鏡がないから見えないんだけど」
「ええ。たぶん同じものだと思います」
「ふーん。ホントは部屋の何処かに俺たちをこの首輪で繋いでおくつもりだったのかな」

それではまるで奴隷のようではないか。およそ人質としての扱いではない。
そうなると益々このまま留まっていることが得策には思えない。
このままではどんな仕打ちが待ち受けているか、考えるのも恐ろしい。

「わたし、昨晩両親と喧嘩したんです」

美雪が唐突に脈絡の無い話題を繰り出してきた。

「きっかけは本当に他愛も無い些細なことだったんですけど――結局わたしの思いを受け入れてくれなくて。
 それでもう知らないって、そのまま眠ってしまったんです。
 でも朝になってやっぱりこのままじゃ気持ちが悪いからって謝ろうとしたんですけど、生憎両親とももう先に出勤していて」

どうやら美雪の両親は共働きらしい。

「だから――だから家に帰ったら今度こそちゃんと謝って。
 それでわたしの話ももっときちんと聞いて欲しいって思ってたんです。それが、こんな――」

言葉が進むに従って消え入りそうに小さくなる。おそらく少女の胸の内は後悔で満ち溢れているのだろう。

「もし、このまま二度と両親に会えなくなる、なんてことになってしまったら――」

(――あ)

体中の血液が逆流したような感覚に襲われた。
その一言に、圭介は最悪の未来を思い知らされた。

そうか。このまま――殺されてしまう可能性だって無いわけではないんだ。
状況や手口から鑑みて、相手は相当な凶悪犯なのだから。

そのまま美雪は押し黙ってしまった。気まずい沈黙が部屋の中に訪れる。

「と、とにかく悲観的になっても仕方が無い」

それはまるで自分自身に言い聞かせているようだった。
二人して不安で動けなくなる事態だけは何としても避けたかった。
だが次の言葉が思い浮かばない。下手な気休めは今の美雪には逆効果に思える。
それでも何とかして彼女を前向きな気持ちに持っていかねばならない。
こうして巡り会ってしまった以上、まさか見捨てて行くわけにもいかないからだ。

(くそ、何かないか――ああ、そうか)

効果があるかどうかはわからないが一案思いついた。

だが正直気恥ずかしい部分もある。
それでも他に思いつかない以上は、実行に移すしかない。
呆れられようが馬鹿にされようが、とにかく今はきっかけが第一だ。

「はい、注目!」

殊更に声を張り上げ美雪を促す。
何事かと美雪が顔を上げたのを確認し、2歩ほど間を詰める。

「森下さん。さっき俺のお馬鹿な一人芝居、見てたよね? 何かそこの戸棚に向かって『ビーム』とかやってた奴」
「? ええ、まあ――」

思い出すだけで顔が赤くなる。だが掴みとしては悪くない。
とにかく何でもいいからこちらに興味を持ってもらわねばならない。

「残念ながら俺にはビームは撃てない。だけど」

左手を軽く掲げる。その間に右手をポケットへ。


「魔法なら、使えるんだ」



差し出した圭介の右手の平には、100円玉が乗せられていた。
美雪の視線がコインに注がれたのを確認し、圭介は親指でそれを高く弾き上げた。

銀の硬貨が宙を舞い、弧を描く。甲の側を上に向けた左手に着地すると同時に右手を素早く動かし、蓋をする。

待つことほんの数秒。
開かれた右手と左手の甲からコインは綺麗に消え失せ、代わりに左手の「中」からコインが零れ落ちた。

「え? ええ??」

美雪が驚きのあまり声を上げる。一連の動作はまるでコインが左手を突き抜けたかのように見えたはずだ。

すぐさま圭介は今度は左手にコインを乗せ、美雪に見せ付ける。
そして二度、三度。流麗な手つきで手を振ってみせる。

手を振るたびに。指と指の間にコインが増えていった。
都合、4度。それぞれの指の間に4枚のコインが挟まれていた。

「金貨でやれば、俺は大金持ちになれるかもね」

全てのコインを投げ上げ、一度に右手で空中で掴み取る。
開かれた手のひらには最初と同じ、1枚の100円玉があるだけだった。

これこそがかつて圭介を魅了し、そして母親から受け継いだ魔法だった。


そう、何のことは無い。ただの手品だ。
タネさえ理解して少し手先が器用であれば誰にでもできる特技でしかない。
だが、それでも幼き日の圭介には衝撃的なものだったのだ。母との唯一の記憶として今も強く根付いているのだ。


次はハンカチを取り出してみせる。裏、表と閃かせ何の変哲も無いことを見せ付ける。

一瞬だけ宙に浮かせ、ぱちりと両手で挟み込む。
広げられた手の中に折鶴となったハンカチが現れる。

仕込みさえきちんとしていれば最終的には生きた鳩に最後に変化させることもできるのだが流石に今の用意では無理だ。
仕方なく日頃持ち歩いている最小限のタネで小マジックを次々に美雪に披露し、そして最後に。

「では、これをお近づきの印に。ご清聴、ありがとうございました」

何も無い手の中から薔薇の花を一輪出現させ、美雪に差し出した。

「――」

薔薇の花を手にしたままぽかん、と小さく口を開けたまま硬直する美雪。再び沈黙が訪れる。

(――うわ、やっぱやっちまったか)

熱演終わって我に返った圭介は猛烈な後悔に襲われた。

「イリュージョン」とまで呼称される技術の粋を極めた大掛かりなショーマジックならばまだしも。
圭介の操る魔法なぞ所詮は手慰み、趣味の延長に過ぎない。
素人芸としてはそれなりの自信も無いではないが、披露すれば必ず拍手喝采、などといったレベルの代物ではないのだ。

ましてこのような特異な状況。何の脈絡も無く始まった拙いマジックショー。
気が晴れるよりはむしろ、呆れてしまったか。

冷ややかな反応が返ってくる覚悟を決めたその時――

「す――すごいすごいすごい! 鳴神くん、すごいですっ!」
「――え?」

圭介に贈られたのは少女の精一杯の拍手と。満開の笑顔だった。

「わたし感動しました! まるで魔法のようでした! 
 はあ――まさか同世代の男の子で、こんな本格的なマジックが出来る人がいるなんて!」
「い、いやこんなの本格的でも何でもないって、別に」
「そんな謙遜しなくてもいいですよ! ホントに、本当に、すごかったんですから!」

陶酔した面持ちで薔薇を胸元に引き寄せる美雪。無論造花なので棘で指を痛めるようなことはない。

「ありがとう、鳴神くん。わたしを元気付けてくれたんですね」
「ん――え、ええと。まあ――ね」

ここまでの大賞賛になると、満足よりも気恥ずかしさが先に立つ。
心臓が早鐘を打ち、美雪とまともに顔を合わせられない。

「と、とにかく。喧嘩しちゃったことを後悔してるならちゃんとご両親に謝るために何としてもここを脱出しないと。だから」
「うん、わかってる。ごめんなさい、迷惑かけて」

当初の目的は何とか達することが出来た。それならば甲斐はあったと言える。

「これ、大事にしますね。鳴神くんと出会えた記念に」

美雪は制服の胸ポケットに薔薇を挿す。白い花びらが高級そうな生地に彩り良く映えて見えた。

「じゃ、じゃあ落ち着いたら少し外に出てみよう。諦めずに探してみれば出口が見つかるかもしれない」
「了解です、魔術師さん」

まあ落ち着くのに時間がかかるのは俺の方だろうな――未だ冷めやらぬ身体の熱と鼓動を抑え、圭介は口に出さず呟いた。



[21380] EPISODE-3
Name: でしお◆ff3c50cd ID:912e8347
Date: 2010/11/10 21:56
一先ず二人は出口を捜す前に一旦美雪が目覚めた部屋に戻ることにした。

「とりあえず様子見のつもりで外へ出たので、荷物は前の部屋に置きっ放しなんです」
「そっか。じゃあ早速移動しよう」
「え? でも、いいんですか?」

手ぶらで外へと向かう圭介と、テーブル脇の荷物を美雪は交互に見比べる。

「ああ、あれ。いいんだ。どうせ教科書とかいらないものばっかだし。邪魔になる」

教育者の怒りを買いそうな発言ではあったが圭介なりに考えた結果だった。
この先すんなりと脱出口を発見、となるとは思えない。
もしかすれば犯人グループと鉢合わせ、逃亡もしくは乱闘に発展するかもしれない。
そうなると身体を張るのは男である自分の役目だ。その際には出来るだけ身軽である方がいい。

無事脱出成功の暁には警察権力の介入により、うまくすれば返却の可能性もあるだろうという目論見もあった。
まああまり勤勉な学生ではない圭介にそのテの類のものは本当にいらないものにしたいという欲求もあったのだが。

「それに必要なものは全部身に付けてるから。ほら」

圭介は二度、三度と右腕を美雪に振って見せた。その度に携帯、ハンカチなどが手の中に現れては消えた。

「わ、すごい。それ、どうやってるんですか?」
「タネ明かしは厳禁、といいたいところだけど。単に上着に細工してあるだけだよ」

圭介の制服の上着の袖口にはいくつかの小さな収納ポケットが内側に縫い付けてある。
後は熟練の指裁きで指定のものの出し入れを行えば見るものには瞬間的に手の中に現れたように見えるのだ。

「わたしにも、できますか?」
「――できるよ。少し練習するだけでね」

実際はそうではなかった。圭介はこの技を身に付けるためにおよそ半年の自己鍛錬が必要だった。
それでもそう答えたのは美雪に対する気遣いの他に、ある種の自虐も含まれていた。

「さて、と。ここを出て右、で良かったよね?」
「はい」

慎重に、と一つ小さく深呼吸して圭介は廊下へと一歩踏み出した。
左右に視線を巡らせ誰もいないことを確認する。

「落ち着いて。ゆっくり進もう。何が起こっても対処できるように」

無言で頷く美雪を先導する形で一歩一歩、次の部屋へと向かう。
100メートルという距離は思いのほか長く、まだその扉は視認できない。
空気が重い。粘っこい緊張感が圭介の身体を包み込む。
改めて犯罪者の巣の中にいるのだという事実を思い知らされる。

「鳴神くん、何か変じゃないですか?」

その違和感に最初に気づいたのは美雪の方だった。圭介は何事かと足を止め、彼女の方へ振り返る。
足音の反響が静謐を駆け抜け、やがて消えていく。
そうなるのが普通だった。だが――

(まさか――)

消えない。
二人とも足を止めているのに、足音が消えない。
それどころか徐々に間隔が狭まっている。

(誰か、いるのか!? こちらに近づいているのか!?)

慌てて圭介は周囲を警戒する。
間違い無くこれは第三者の足音だ。だとすると何処から?
反響の所為で瞬時に特定は出来なかった。
それが自分たちの進行方向の反対側からのものだと気づくのに約数秒。

だがその遅れは致命的だった。
走って逃げる、その決断と共に美雪に指示を出そうとしたその刹那――


「動くんじゃない!」


覚悟はしていたつもりだった。
危険の只中に身を投じ、荒事すらも厭わず脱出に全てを賭ける、と。

だが認識が甘すぎた。
心のどこかでそんなに酷い目には遭わないだろう、とタカをくくっていた自分がいた。

だから。大声で静止を促されたその瞬間。
本来ならば一目散に前に走り進まねばならなかった圭介の足は、まるで呪いをかけられたかのように動かなくなってしまった。
辛うじて美雪を背中に庇い、声の主と相対することができただけだった。

圭介の目覚めた部屋のすぐ近くの曲がり角。圭介が施設の広大さを思い知った分岐の先。
胸が締め付けられるように苦しくなった。
もしかしたらこれが死の恐怖、なのかもしれないと思わされた。

のそり、と姿を現したその男の風貌は、圭介にそう印象付けるに相応しいものだった。

「いいか、おとなしくしていろ。そのまま――そのままだ」

男がゆっくりと近づいてくる。その足音がやたらと重量感を感じさせる。

圭介の身長は決して低くは無い。男子高校生の平均をやや越えるくらいだ。なのにその男は圭介よりも頭一つ以上は大きい。
さらに驚くべきはその巨躯を包み込む分厚い筋肉だ。はちきれんばかりの胸板は白のポロシャツを引き裂かんばかり。
露出した二の腕は圭介の2倍以上もあり、まるで丸太が両肩からぶら下がっているかのようだ。
加えてぎょろりと獣の如き凶悪な双眸。顔の形がやや歪。所々に浮かび出る細かい傷。
その一つ一つがただ事でない生き方をしてきた証拠に見える。

勝てるわけがない。
もし目の前のこの男を脱出のために打ち倒さねばならぬのだとすれば、結果は明白だ。
この重装甲は刃物ですら貫き通せる気がしない。
あの太い腕を振り払われるだけで、圭介の身体は壁に叩きつけられることだろう。
拳を固めてぶつけられれば、身体の骨は折れるどころか粉砕だ。

圭介とて18年の人生において暴力に無縁だった、ということはない。
人並みに喧嘩の二つや三つしてきた。だがそんな些細な経験がいったい何になろう。

今更ながらに後悔する。もっと遅くに部屋を出ようとしていれば。もっと早くに次の部屋に辿りつけていれば。
そう、自分たちが危険と対峙した際、取れる行動など逃げるか身を隠すかくらいしかなかったのだ。
それなのに何を悠長に構えていた? 対処する方法あっての警戒だろうに!
男は5メートルほどまで間合いを詰め、無言でこちらを観察している。品定めのつもりなのだろうか。

「鳴神くん――」

背後から耳元で、美雪が圭介の名を呼んだ。圭介の肩に添えられた少女の手から震えが伝わってきた。
それだけで少女がどれほどに脅えているか、振り返らずとも理解できた。
体験したこともない窮地に、彼女もまた身体が反応してくれないのだ。
圭介の背中に縋り付くことでしか、その身を支えていられないのだ。

前門に巨人、後門に少女。逃げ場など無い。助けなど勿論来ない。
一歩も下がる事が許されないのであれば――挑むしか、道は無い。

強く唇を噛み締めた。痛みと微かな鉄の味が、幾許かの冷静さを取り戻させた。

そうなると今まで見えなかったものが見えてくる。
脅威にばかりに目がいって、気づくべきことを見逃していた自分がわかる。
圭介ははっきりとした視線で男の顔を見据える。一瞬、男の表情が怯んだ様な気配を見せた。

「失礼――こちらに抵抗の意思はありません」

両手を差し上げ、言葉通りの意図を見せる。元より抵抗は無意味だ。重要なのはここから。
主導権を渡さぬため男が口を開くより先、圭介は続けて言葉を放つ。

「それよりも、まずは話をしましょう。その方がお互いのためになるはずです。貴方も実はそう思っているのではないですか?」
「話――か。そうだな、願ってもないことだ。君たちには色々と聞きたいことがある」

予想よりも随分と丁寧な物言いだった。だがそれ以外はほぼ読みの範疇。

「感謝します。それでは手っ取り早くお互いの疑問を氷解させましょうか」

彼の言う「聞きたいこと」。その内容すらも手に取るように判る。

「俺たちは、誘拐されて、ここに連れ去られてきた被害者です――貴方と同じく、ね」

圭介はきっぱりと断言し、首筋をするりと撫でた。
男の首に嵌められているものと同じ、銀色の首輪を。

圭介にとって幸運だったのは同じ境遇の美雪が同じ首輪を嵌められているという事実に出発前に気付けていたことだ。
故に、腹を決めて冷静になった瞬間男の首輪を発見することができ、そこから同じ立場の人間であると判断できた。

無論、犯人が偽装のために同一の首輪を装着している可能性もある。
だが男はこちらを呼び止めたまま次の行動に移らなかった。
勝手に部屋を移動した圭介たちに戻るよう促すか、さもなくば制裁を加えるか。
二人を遥かに凌駕する体躯を操るこの男が犯人であるならば、そういった行動を取らねば不自然だ。

なのにそうはしなかった。そこまで思考が行き着いた時、確信が持てた。
男も迷っていたのだ。普通なら拉致された自分以外は押並べて犯人である。
だが客観的に見て――無害な学生にしか見えない圭介と美雪に対し、どう接するべきなのか、何から話を切り出したものか。

「な、なんだ――そうだったのか。脅かさないでくれよ」

迷いに迷い、判断を下せなかった。それが沈黙の真相であったのだろう。



とりあえず敵ではないとわかり、緊張の糸が切れたのか男は肩を落として息を吐いた。
思わず圭介は脅かされたのはこっちだ、という言葉が喉まで出かかった。

「いや、ね? 最近巷で流行っているじゃないか、少年犯罪。
 君たちを見つけた時、そんな類の事件に巻き込まれたのかとてっきり思ってね。
 だけど女の子連れでますますわからなくなって――男の子だけが犯人なのか? 
 女の子だけが被害者なら大人の責任として助けなきゃ、とか思ったけど、
 待てよ、もしかしたらこちらも見かけによらずって奴で、とか考え始めるともうどうにも、ね」

圭介の推理がほぼ満点の解答であったことを勝手に語り出す男。
というかそこまで警戒していたなら、たった一言で潔白を信じるのはちと単純なのではないか?
と、圭介は半ば呆れ気味に笑みを浮かべる。
だがまあ、それだけ人の良い男なのだろう。見た目に似合わず。

「――と、まあそういうわけらしいよ、森下さん。もう安心していいから」
「え? あ――はい! 良かった――」

急に話題を振られた美雪は飛び上がるように返事をした。
そして随分と圭介に密着していたことに気付き、慌てて身体を引き剥がす。
名残惜しい、と微かに不満に思う圭介だったが、それだけ自分が余裕を取り戻せていることを良い方向に考えることにした。

「自己紹介が遅れましたが、俺は鳴神圭介。それからこちらが森下美雪さん」
「森下です」
「鳴神くんに、森下さんか。ボクは大門三四郎。空手の道場主をやっている。見たところ、二人とも学生のようだけど――もしかして恋人同士かい?」
「ええ!? え、えと、その――」
「そうです。結婚を前提としたお付き合いをさせてもらってます」
「な! なななな鳴神くんっ!!??」
「と、いうのが俺の願望です。冗談です。残念ながら同じ境遇で誘拐されてきた初対面同士です」
「もうっ! 鳴神くんはホント冗談ばっかりなんだから!」
「はは、羨ましいな。若いってのは」

膨れて地団駄を踏む美雪とそれを宥める圭介を高い位置から見つめながら大門は厳つい顔を柔らかく崩す。

「しかし空手ですか――道理で鍛えられた身体だと思いました。その身長と筋肉なら、相当にお強いでしょう」
「そう言ってもらえるのは光栄だね。ウチの流派にも一応全国大会みたいなものがあって、その無差別級で3連覇させてもらっている」
「――それって日本最強ってことじゃないですか」
「いやいや。ボクなんか図体のデカさで一日の長があるだけで。技そのものは研鑽琢磨の毎日さ」

輝かしい経歴を鼻に掛けた様子も無い、非常に謙虚な姿勢だった。

(しかし――これで三人目、か)

ふと、圭介の脳裏に疑問が浮かぶ。というより今まで考えないようにしてきたことだった。

それは犯人グループの目的。美雪と出会った時点でも腑に落ちなかった。なぜ縁もゆかりも無い他人を二人も攫う必要があったのかと。
だが学生である圭介たち自身に原因があるとは考え辛い。だが二人の親族関係を辿れば共通点が見出せるかもしれない。
だが大門はどうだ? 当然ながらここにいる当人同士は初対面だ。すると大門もやはり自分たちの親族の関係者なのか?

「あの、大門さん――俺たちの名字に、何か覚えがありませんか?」
「名字? うーん、ないなあ。森下さんは兎も角、鳴神なんて珍しい名字は一度聞いたら忘れないだろうから」

やはり、そうか。では大門も本人ではなく、親族の繋がりのとばっちりを受けた? 
そうなると圧倒的に情報量は不足する。今ここで答えを出すことはおそらく出来まい。

「そうですか。では次に、どうやって誘拐されましたか? 俺たち二人はどうも下校中に拉致されたようなんですか」
「拉致――穏やかじゃないな。
 ボクは昨日の稽古を終えて、更衣室で着替え終わった時に猛烈に眠気が襲ってきてそれっきり、だな」

状況から考えうるに、どうやら催眠ガスの類を流し込まれたらしい。
確かに大門ほどの男になると路上で拉致を敢行するのは困難であろう。
だが裏を返せばそうまでしてまで、この屈強な男を誘拐すべき理由があった、ということなのだ。
それは一体、何のために?

「まったく。ボクのような貧乏道場主を誘拐したって何の得にもならないのにな。
 素人に技を使うのはご法度だけど、犯人たちにだけはぜひ正拳を叩き込んでやりたいよ」

そう言って何も無い空間に正拳を打ち込んでみせる大門。
本人は軽く振ったつもりなのだろうが、聞いたこともないような風切り音が唸りを上げた。

「――できれば俺たちは犯人たちに出くわさず、無事に逃げ出したいところですが」
「はは、それもそうか。ん? ということは君たちはここから逃げることを考えているのかい?」
「勿論です。このままおとなしくしていてもどんな目に遭わされることか。
 その前に何とか、と考えています。大門さん、協力して頂けませんか?」
「喜んで協力させてもらうよ。寧ろこっちからお願いしたいくらいだ。
 見ての通りボクは頭脳労働が苦手でね。色々と知恵を貸してくれると助かる」
「ありがとうございます」

一時はどうなることかと思ったが、結果的に事なきを得ることができた。
恐れていた最悪の事態を回避できたことに気が抜け、一瞬圭介の意識が飛びそうになる。
これほどの緊張と恐怖を感じたのは人生で初めてではなかったか。無事に乗り越えることができて本当に良かった。

いや、まだ安堵するのは早い。追い風は感じているものの犯罪者の腹の中、という事実に未だ変わりは無い。
本当に安心していいのは完全に脱出を成功させてからだ――圭介はより一層の覚悟を胸に、再び気を引き締めた。

「ところでそっちの質問は以上かい? なら今度はボクが幾つか聞きたいことがあるんだが」
「え? あ、はい。俺たちで答えられることなら」
「そうか、じゃあまずはコイツの使い方なんだけど――」
(――「コイツ」?)

大門がズボンのポケットに手を入れ、何かを取り出そうとした、その時だった。



遠く、微かに。連続的な機械音と女性の悲鳴が鳴り響いた。



「な、何だ!?」
「――どうやら物騒な事態が起こったようだ。行ってみよう!」
「あ、ちょっと!」

言うや否や、大門は手をポケットから引き抜いて、悲鳴の方向に走り始めた。
進行方向は圭介たちが向かおうとした美雪の部屋の方向。だが大門は瞬く間にその部屋の前を通過する。

「追いかけるよ、森下さん! 悪いけど荷物のことは後回しだ!」
「え、あ、はい!」

慌てて圭介も美雪を促し、後を追う。予定が覆されるのは気分が悪いが、今大門を見失うわけにはいかない。
いざ脱出の段階になれば、大門の戦闘力は必要不可欠だからだ。
自分でも相応に自信があるからこそ平気で窮地に飛び込もうとするのだろう。

(それにしたって「協力しよう」と言った矢先だろう――ホントに脳味噌まで筋肉かよあの人はっ!)

巨大な背中を見失わないように全力で追いかけながら圭介は心の内で毒を吐く。
その正義感と勇猛さには感心するものの、些か協調性に欠ける行動ではないか?
この先におそらく待っているであろう事件や危険に大門ならば対処できるとしても、自分たち二人はそうではない。
団体行動というものをまるきり理解していない。
自分よりも一回りは年齢が上であるはずの大門の無自覚に圭介は苛立ちを募らせる。
後々、しっかりと言い含めておく必要があるな――と、圭介は後続の美雪を気にしながら必死に足を動かした。



――どれほどの距離を移動しただろうか。

いいかげん元の場所に戻れるか、圭介が不安になり始めた頃。
先に聞こえたものと同じ女性の、今度は荒い息遣いがはっきりと聞こえてくる。

(この角の――先か)

先刻大門がその交差を左に曲がったのは確認できている。事件現場はその近くのようだ。

『大丈夫ですか!?』
『い――嫌ああああっっ!!』

大門の声と、続いてまた悲鳴。何が起こっているのかは容易に想像がつく。
初対面で大門に急に話しかけられれば、殆どの女性は驚くであろうから。
取り急ぎ武装集団との遭遇、などという最悪な事態は待っていないようなので圭介はため息一つついて角を曲がり、現場に辿り着いた。


(――な)


何だ、これは。と、二の句が告げられなかった。

思わず目を背け、膝を付きそうになった。

それは異様な光景。圭介の日常からは途轍もなくかけ離れた光景だった。

髪を振り乱し、半狂乱で暴れる妙齢の女性と、それを両手だけで取り押さえる大門。そこまではいい。
だがその少し先に床に転がる――あれは、何だ?



女。いや女であったものと言うべきなのか。
うつ伏せに倒れたまま、ぴくりとも動かない。

それもそのはず、女の衣服には無数の小さな穴が開いていて、そこから夥しい鮮血が噴き出していた。

むせ返るような臭いが鼻をつき、眩暈を引き起こす。
濃い血の臭いと、何かが焦げたような臭いが混じり合っている。


死んで――いるのか。あれは死体、なのか。


それもただの死体じゃない。未だ床を染める赤の広がり具合から見て――死んだのはつい、先程。


急にヒトが、死体と成り果てる。その因果は自己にはない。あの女はおそらく殺されたのだ。


「はあ――はあ――鳴神くんも、大門さんも――走るの、早すぎ、で――」
「来るなっ!」

漸く追いついてきた美雪が角を曲がる前に圭介は大声で制止した。

「え? あ、あの」
「君は見ちゃいけない――この有様を、見るべきじゃない」

か弱い少女にこの光景は酷すぎる。
圭介のぎりぎりの理性が美雪の惨状との邂逅を回避させようとした。

美雪の気配は角の向こうで留まったまま。
只事でない圭介の声に事態は飲み込めぬものの、理解は示してくれたようだ。

「落ち着いて! とにかく落ち着いて、何があったか話してください!」
「いやっ! 離して――離してぇ!」

傍らで大門と女性の揉み合いは続いている。
大門のような風体では彼女に落ち着きを取り戻させるのは難しいだろうが、今の圭介に手を差し伸べる余裕は無い。
流石の圭介も、今までの人生において他殺体などお目にかかったことはなかった。それ故に衝撃は大きいのだ。

しかも――気付いてしまったことがある。

大門の手を振り解こうとしている女性と、物言わぬ哀れな肉塊と成り果てた女性。

その二人の首にも、銀の首輪が煌いていた。


(一体――何が)

最早思考が追いつかない。
自分たちが誘拐された事実と、今の状況。関連性を、何も思いつかない。
ただ、自分も何かを間違えれば。あのような姿になってしまうという恐怖感だけが全身を侵食していく。

圭介の混乱を他所に、さらに事態は留まる事はなかった。惨劇の舞台の登場人物は、これで終わりではなかったのだ。



「ちょっとそこの貴方、いったいその女性に何を――こ、これは!?」
「お、おいノエル、勝手に飛び出すなって、って、うおおおっ!?」



圭介たちがやってきた反対側。その先の分岐からさらに3人の人物が姿を現したのだ。



(――)

最早驚くにも値しなかった。女性が一人に男が二人。
その3人が3人とも、同じ首輪を装着していた。

合計8名。
圭介の知る限り、これほどの大人数の誘拐など聞いたことも無い。

これはもう、怨恨や営利目的の誘拐では片付けられない。
もっと何か――圭介の及びも付かないような大きな力によって、何か特殊なことが起ころうとしている。
それが何であるのかなど、見当も付かない。

圭介は呆然と立ち尽くしたまま、新たにやってきた女性が大門と女性の間に割って入るのをまるで他人事のように眺めていた。




 ゲーム開始より1時間24分経過/残り????



[21380] EPISODE-4
Name: でしお◆ff3c50cd ID:912e8347
Date: 2010/11/10 22:04
「まずは自己紹介でもしておきましょうか。どうやら私たちは同じ境遇に陥った者同士みたいだから」

暫しの後、後からやってきた女性が号令をかけて一同を円座に集めてそう宣言した。

今、圭介たち7人は死体から一番近くにあった部屋に移動している。
大門が発見した女性の介抱を含めて今後何を行うにしても、死体の傍では気が落ち着かない、という彼女の言によるものだった。

「私の名前は波多島乃得留。ノエルと呼んでもらって結構よ。
 上応大学の法学部に所属しているわ――肩書きなんてこの場では意味を成さないかもしれないけど形式として、ね」

乃得留が死体に遭遇して以降の行動は実に迅速で的確なものだった。

まず大門と女性の間に割って入り、説得の仕方が不躾だと一言たしなめて介抱を引き受けた。
次に後の男性二人に毛布か何かを探して死体を隠すように指示を出し、
圭介の計らいで死体から遠ざかっていた美雪を自分たちの元へ呼び寄せる。
さらに全員にその場から今の部屋への移動を促し、
無駄な恐怖を与えぬよう男性陣をなるべく遠ざけてから丁寧に、かつ誠意ある対応で女性の状態の回復に努めた。
その甲斐あって現在女性は簡単な質問になら答えられるほどに気を落ち着かせていた。

大したものだ、と圭介は素直に感心する。大学生、ということは自分とそう歳は離れていないはず。
であるのに圭介はあまりにも非常な事態に動転するばかりで何も行動を起こすことができなかった。
ただ死者が出た、という事実に震える美雪の傍にいることしかできなかった。
尤も、何もできなかった、というのは乃得留以外の誰しもがそうであったのだが。

改めて圭介は乃得留に注目する。腰まで届く美しい黒髪とミニスカートから伸びた曲線が魅惑的だ。
才覚と美貌を持ち併せている、というのは彼女のためにこそ相応しい。

「それからこちらの女性が古谷小枝子さん。まだショックが抜けきっていないから私の代弁になるのは容赦願うわ」
「――古谷、です」

消え入りそうな声で女性が乃得留の名乗りに同調する。
涙に濡れて化粧は落ちかけているがこちらも中々に美麗な女性である。
圭介にはあまり縁の無い、艶かしい魅力がある大人の女性の雰囲気だ。隣に座る大門から、思わず息を飲む音が聞こえた。

「それじゃあ次は――木戸くんと楯岡さん、お願いできる?」
「ああ? ったく、何仕切ってんだよお前は――まあいい。おっさん、先に俺が行くぜ」

二人の男のうち部屋に据え付けられていた木箱を椅子代わりにしていた方の男が小さな掛け声と共に大きく身を乗り出した。

「木戸、亮太だ。もしかしたら俺の顔、どっかで見たことある奴もいるんじゃねえか?」

木戸は大仰にポーズを取ってみせる。だが一同の誰もが呆気に取られるばかりで彼の言葉に同調することはなかった。
みるみるうちに不満を露にし、木戸はぎろりと視線を巡らせ忌々しげに舌打ちする。

「けっ! 反応ナッシングかよ! お前らもテレビくらい見るだろうがよ、ああ?」
「テレビ――というと、芸能人か何かなのか?」

それなりに整った顔立ちをしているので一番高い可能性を圭介は切り出してみる。
どうにも態度が癇に障る上に歳もあまり変わらないようなので敬語を使う気にもなれない。

「あん? まあ、似たようなもんだ。たく、5年前に『天才一年生投手が甲子園に旋風を巻き起こす!』つってマスコミが大騒ぎしてただろうによお」
「だから言ったじゃない。3回戦で負けたチームの選手なんてよっぽど熱心なファンじゃないと覚えてないって」
「黙れノエル! 女のくせにいちいちムカつくんだよてめえはっ!」

突如発された怒号に美雪が小さく悲鳴を漏らす。なるほど、木戸はどうやらかつて高校野球で名を馳せた男であるらしい。
だが5年前、ということはプロにはスカウトされなかったのか? 
一年時以外には甲子園には出場していないのだろうか?
もし彼の輝きが現在も続いているのであれば、流石に圭介の耳にも届く名前であっただろう。
ということは今は栄光とは程遠い位置にいるに違いない。
まるで褒められたものではない彼の態度や物言いには、そういった裏事情が何となく見え隠れしていた。

「――楯岡和志。電工業を営んでいる」

すっかり機嫌を損ねて押し黙ってしまった木戸に代わり、もう一人の男が静かに声を上げた。

規格外の大門には及ぶべくもないが、木戸と同じく均整の取れた長身である。
清潔感のある作業服を身に纏い、落ち着き払ったその立ち姿は木戸とは真逆そのものだ。
ただ帽子とサングラスで表情が隠れていて何を考えているのかは一切読み取れない。
口数が少ないことも含め、底知れぬ何かを醸し出していた。

何よりも先程の死体との邂逅の際、一番反応が薄かったのはこの楯岡なのだ。
乃得留の指示に立ち尽くすばかりだった木戸を余所に、いち早く部屋に飛び込んで毛布を持ち出し、処置を施した。
死体の発見など、珍しいことではないと言わんばかりに。

「こちらの二人とは1時間ほど前に出会ったの。もちろんお互いに面識は無いわ」

付け加えられた乃得留の言葉に小さく頷くと、それ以上話すことはないとばかりに腕組みして壁に寄りかかる楯岡。
どうにも一癖も二癖もある人物ばかりであった。

初対面の人物の紹介が一通り終わったので続いて圭介たちが紹介を始める。
まずは大門、続いて美雪。特に大門の経歴には誰もが驚きの反応を見せた。
唯一木戸だけが露骨に不快感を示していたのは言うまでも無い。

最後に圭介が当たり障りの無い紹介をして結びとなった。

「なる、かみ――圭介、くん?」

そこでふと乃得留が神妙な顔つきになる。

「――ああ、失礼。珍しい名字だな、と思って。他意は無いのよ。ごめんなさい」
「珍しい、ってもノエルさんには負けますが」
「ふふ、その通りね――さて、これで互いの面通しは終わったわけだけど」

乃得留は襟元を少しだけ開き、首輪を見せながら全員をぐるりと見渡す。

「私たちは誰もが初対面で、理由も判らずこの場所に拉致されてきた。その事実に間違いは無いわね?」

6つの首が揃って縦に動く。

「だから何度もそう言ってんだろが――ま、お前ら凡人と違って俺は誘拐されてもおかしくはない資質を持った人間だけどな」
「アンタは少し黙りなさい。それで、何をされるのかと思いきや変に馬鹿でかい施設の中で野放しにしたまま。
 犯人側からの接触は特に無し――不自然にも程があるわね。全く、ワケがわからない――と、言いたいところだけど」

「だけど?」
「――私たちと同じ首輪をした女性が、亡くなった。
 どうして彼女が死ななければならなかったのか、第一発見者の小枝子さんに状況を聞いてみたら意外な事実が判明したの」

「第一発見者? 犯人の間違いじゃないのかあ? あの女が死んだとこ、誰も見てねえんだろうが?」
「言いがかりはよせ、木戸くん! 古谷さんは人殺しなんかじゃないっ!」

大門が声を荒げて木戸を怒鳴りつける。木戸はさして臆した様子も見せずどうだか、と肩を竦めて見せた。

「――話を続けるわ。小枝子さんの証言はこう、よ。
 『首輪のランプが赤く点滅している彼女に出会ったと思ったら、次の瞬間に壁から銃口が幾つも飛び出て彼女の身体を蜂の巣にした』」


「――おいおい、そんな与太話を信じろってのかよ」
「正直、私も俄かには信じられなかった。でも確かに彼女の死体には無数の弾痕が刻まれていたし、
 小枝子さんは勿論、大門さんも圭介くんもそんなことを行える武器なんて所持していなかったわ」
「彼らが犯行に使用した凶器を何処かに隠し、口裏を合わせている可能性は?」
「――私たちが現場に辿り着いたきっかけは銃声と悲鳴を聞いたから。それから到着まで約3分。
 その時には現場にいた二人が一番近くのこの部屋以外に凶器を隠す暇は無いでしょうね。
 そしてこの部屋にそんなものが無い、ということは楯岡さん、さっき貴方に確認してもらったはずよ?」

圭介は乃得留が小枝子を介抱している間、何やら部屋の中を探し回っていた楯岡の姿を思い出す。
あれは、そういう意味があったのか。

「ちょ、ちょっと待って下さい。それが本当だとすると、この建物は所々にそんなマシンガンみたいなものが壁の裏に隠されてて、
 常に俺たちを狙ってる、ってことですか!?」
「恐らくは。そしてそれはある特定の行動を取った場合に起動して、私たちを狙って発射される。この首輪はその行動判定のためにあるんでしょうね」

首輪のランプが赤く点滅していた、という小枝子の証言。そして今は誰の首輪にもそういった反応は見受けられない。
もし今、その「特定の行動」をこの中の誰かが行ったならば、この部屋の壁からも銃口が飛び出してくるのだろうか?

「そ、それじゃあ一刻も早くこの首輪を外さないといつ殺されるかわからない、ってことじゃないか!」
「そ、そうだぜ! それと『特定の行動』てのは何なんだよ! オラ説明しろノエルっ!」
「ふ、二人とも落ち着いて下さい! ノエルさんだって何でもわかってるってわけじゃ――」

「――その解除条件と行動が、これに記載されているのよ」


「――え?」

沈痛な面持ちで、乃得留はポケットから何かを取り出した。手のひらに容易に収まるような、小さく薄型の機械だった。

「それはPDA――ですか?」

自己紹介以外は頑なに口を閉ざしていた美雪が初めて反応を見せた。

「そう。Personal Digital Assistant――携帯情報端末ね。機能の優れた電子手帳、みたいなものかしら。
 これが私が目覚めた時に、枕元に置いてあったわ。
 中に記載されている内容があまりにも突飛で現実味が無かったから一通り目を通してからは放っておいたんだけど――
 もしかしてみんなも持っているんじゃない?」
「ん? ああ、これか――最新のゲーム機かと思って喜んでたら文字ばっか出てきてムカついたから電源切ってそのまま尻ポケに入れてたわ」

木戸がそう言って乃得留と同じ機器を取り出したのを皮切りに、楯岡、小枝子がまったく同じデザインのPDAを乃得留に示して見せた。

「ほら、さっき言いかけただろう? 使い方が解らないものがあるって。これのことだったんだよ」

その風貌に似つかわしくない小型機器を大門が圭介に見せる。これで7人中5人が、同型のPDAを所持していることになる。

「圭介くんと美雪ちゃんは持っていないの?」
「それが――どうも荷物と一緒に部屋に置いてきてしまったらしくて」
「わたしも、同じです」

無駄な小物が多すぎてバッグの中にまとめて押し込み、さらに邪魔になるからとそのまま放置してきた。
そういえばその中に見覚えのないものが幾つかあった気がする。思い返せばそれが件のPDAだったのかもしれない。

美雪もまた、考え無しに部屋を飛び出してしまったせいで荷物一式は今も元の部屋にあるはずだ。
振り当てられたPDAは今、手元には無いらしい。

「そう――じゃあ私の解説が終わったらできるだけ早く取りに戻りなさい。
 もしかするとこれの有る無しは、命にかかわるかもしれないから」

命、というその一言に圭介は思わずごくりと喉を鳴らす。
それが決して大げさなものではないことは、部屋の外の死体が証明していた。
不用意な行動は死に繋がる。それが今の現実なのだ。

「それじゃあとりあえず今はボクのものを3人で一緒に見よう。どうせボクには使い方がわからないし」
「すみません。助かります」
「あ、ちょっと」

一瞬乃得留の制止の声がかかったが、圭介が大門から受け取る方が早かった。
何かまずかったのだろうか、乃得留は仕方が無い、と小さく首を振るばかりだった。
改めて機器を観察する。手にしてみると予想以上に軽く、指で弾くだけで飛んでいきそうだ。
こんな薄型の機械に複雑な回路が組み込まれており、膨大な情報を処理することができるという事実が現代文明の発展をしみじみと感じさせる。
操作は思ったほど難解なものではなかった。
ボタンの種類も3つばかり。その中の一番大きなものを押し込むとたちまち画面が起動する。


トランプの柄を模したマークが小さな画面に表示された。

(へえ、なかなか凝ってるな。でも、「ダイヤの4」ってデザインには中途半端じゃないか?)

そんなことを考えながら違うボタンを操作し、次の反応を窺う。
それが正解だったのかトランプのデザインはディスプレイから消失し、テキストの表示に切り替わった。



 ○ルール・機能・解除条件



まず最上部のタブに3つの言葉が記載されている。
どうやらこのタブの切り替えは左右のボタン、スクロールはタッチパネルで行うようだ。
特に最後の「解除条件」という文字が気になった。解除、というのは首輪のことだろうか?
必要条件を満たすことができればこの忌まわしい首輪を外すことが出来るというのか? 急ぎ画面を切り替える。  



『貴方の首輪を外す条件』 
『4:他のプレイヤーの首輪を3つ取得する。手段は問わない。
   首を切り取っても良いし、解除の条件を満たして外すのを待っても良い。』



(――な)

圭介は愕然とした。
記載されていた情報は確かに圭介の望んだものであったが、その内容は予想を遥かに上回る陰惨なものだった。

首を、切り取る? 例えばあの死体の首を切り飛ばして、首輪を取得しろというのか? 
それほどに酷たらしい惨劇と引き換えにしか、この首輪は外せないというのか?

「圭介くん、PDAの使い方は問題ない?」
「――え? あ、はい。OKです」

乃得留の声が圭介を現実へと引き戻す。慌てて解除条件のページを切り替え、返事をした。
あとはタブの上に幾つかの機能アイコンがあるが、これもタッチパネルで操作できそうだ。一先ずは問題ない。

「よかった。他のみんなも――大丈夫ね? それじゃあ、『ルール』のタブを開いて頂戴。最初の二つを、まず私が読み上げるわ」

誰一人異論は無い。乃得留は一度小さく咳払いすると、よく通る声で「ルール」条項を読み上げていった。



『ルール』
『① 参加者には特別製の首輪が付けられている。
   それぞれのPDAに書かれた条件を満たした状態で
   首輪のコネクタにPDAを読み込ませれば外す事ができる。
   条件を満たさない状況でPDAを読み込ませると首輪が作動し
   15秒間の警告音を発した後、建物の警備システムと連携して着用者を殺す。
   一度作動した首輪を止める方法は存在しない。』


『② 参加者には①~⑨のルールが4つずつ教えられる。
   与えられる情報はルール①と②と、残りの③~⑨から2つずつ。
   およそ5、6人でルールを持ち寄れば全てのルールが判明する。』



「――と、ここまでが各々のPDAに記載されている共通のものみたい。残りの7つはそれぞれ違うみたいね。
 そこでここからは、もし記載されている人がいたら挙手して読み上げてもらえないかしら? ――ああ、それ以外のことは話さなくて結構。
 今後の方針に関わってくるので、例えば自分のカード番号とかは、決して口にしたりしないように。とりあえず③は私のPDAにはないわ」

「あ、この大門さんのPDAに書かれてます。③は俺が読み上げます」

圭介は手を挙げ、乃得留の後を継いだ。
あまりでしゃばりたくはなかったのだがこの「ルール」はこの先絶対必須なものになりそうだ。
まして圭介のPDAは今手元には無い。肝心な事を聞き漏らせば後に相当な苦労が待ち受けていることだろう。

全員一致で「ルール」の確認を行う。そういった流れを今は何としても作っておきたかった。

「待て、鳴神。PDAに抜けのあるルールを書き留めておきたい。少しだけ時間をくれ」

その前に楯岡が待ったをかける。圭介の沈黙を了承と受け取ったのか、足元に置いていたバッグからノートとペンを取り出した。

「あ、じゃあわたし、手伝います」

美雪が圭介の後ろから一歩、楯岡の方に進み出た。

「――手伝う?」
「はい。全部で7人分――必要ですよね? すみませんがノートのページを6枚分、ちぎってわたしに下さいませんか? 
 楯岡さん以外のものをわたしが引き受けます」
「ありがとう、美雪ちゃん。助かるわ」
「――」

その無言の中で、楯岡が何を考えたのか。サングラスで表情が隠されていて読み取ることはできない。
だが程なくノートの最後のページを幾つか纏めて掴み、勢い良く破り捨て、ペンと一緒に美雪に投げて寄越した。

「え、と――それじゃあ改めて」

圭介が③のルールを読み上げ始めた。
その後も情報の共有は順調に行われた。
幸いなことにこの場に現存する5台のPDAで、⑨までのルールを漏れなく補うことができた。

ここまでのルールは以下の通りである。



『③ PDAは全部で13台存在する。
   13台にはそれぞれ異なる解除条件が書き込まれており、
   ゲーム開始時に参加者に1台ずつ配られている。
   この時のPDAに書かれているものがルール①で言う条件にあたる。
   他人のカードを奪っても良いが、そのカードに書かれた条件で
   首輪を外すことは不可能で、読み込ませると首輪が作動し着用者は死ぬ。
   あくまで初期に配布されたもので実行されなければならない。』


『④ 最初に配られる通常のPDAに加えて、
   1台ジョーカーが存在している。
   これは通常のPDAとは別に、参加者のうち1名に
   ランダムに配布される。
   ジョーカーはいわゆるワイルドカードで、トランプの機能を
   他の13種のカード全てとそっくりに偽装する機能を持っている。
   制限時間などは無く、何度でも別のカードに変えることが可能だが、
   一度使うと1時間絵柄を変えることが出来ない。
   さらにこのPDAでコネクトして判定をすり抜けることは出来ず、
   また、解除条件にPDAの収集や破壊があった場合にも
   このPDAでは条件を満たすことが出来ない。』



(――うわ)

明かされていくルールとは別の出来事で、圭介は驚きを隠せなかった。
美雪が何故、他のメンバーの分までルールの書き取りを引き受けたのか、その理由がはっきりとわかったのだ。

都合6人分。
しかも誰のPDAにどのルールが記載されているのか判別できないので③から先は全部を書き留める必要がある。
しかも自分だけが理解できればいい代物ではなく他人に提出する関係上、中途半端な文章構成は許されない。

その膨大で繊細なテキストが、美雪の手によって瞬く間に出来上がっていく。

速記術、という技能なのだろうか。該当者がルールを読み終わってからほんの数秒で一人分の記述が終わっている。
別に急かす理由があるわけではなく、残りの人数分は全ての説明が終わった後に最初に仕上げたものを書き写せばいい。

にもかかわらず――楯岡が自分用の記載のために進行を止めている間に、何と美雪は既に全員分のルール条項を仕上げてしまっていた。



『⑤ 侵入禁止エリアが存在する。初期では屋外のみ。
   侵入禁止エリアへ侵入すると首輪が警告を発し、
   その警告を無視すると首輪が作動し警備システムに殺される。
   また、2日目になると侵入禁止エリアが1階から
   上のフロアに向かって広がり始め、最終的には館の全域が
   侵入禁止エリアとなる。』


『⑥ 開始から3日と1時間が過ぎた時点で
   生存している人間を全て勝利者とし20億円の賞金を山分けする。』


『⑦ 指定された戦闘禁止エリアの中で誰かが攻撃した場合、首輪が作動する。』


『⑧ 開始から6時間以内は全域を戦闘禁止とする。
   違反した場合、首輪が作動する。正当防衛は除外する。』



「それじゃあ、次が最後の⑨。これは私のPDAから。これは、全員分の解除条件ね」



『⑨ カードの種類は以下の13通り。

  A:クイーンのPDAの所持者を殺害する。手段は問わない。
  2:JOKERのPDAの破壊。
    またPDAの特殊効果で半径で1メートル以内では
    JOKERの偽装機能は無効化されて初期化される。
  3:3名以上の殺害。首輪の作動によるものは含まない。
  4:他のプレイヤーの首輪を3つ取得する。手段は問わない。
    首を切り取っても良いし、解除の条件を満たして外すのを待っても良い。
  5:館全域にある24個のチェックポイントを全て通過する。
    なお、このPDAにだけ地図に回るべきチェックポイントが全て記載されている。
  6:JOKERの機能が5回以上使用されている。
    自分でやる必要は無い。近くで行われる必要も無い。
  7:開始から6時間目以降にプレイヤー全員との遭遇。死亡している場合は免除。
  8:自分のPDAの半径5メートル以内でPDAを正確に5台破壊する。
    手段は問わない。6つ以上破壊した場合には首輪が作動して死ぬ。
  9:自分以外の全プレイヤーの死亡。手段は問わない。
 10:5個の首輪が作動しており、5個目の作動が
    2日と23時間の時点よりも前で起こっていること。
  J:「ゲーム」の開始から24時間以上行動を共にした人間が
    2日と23時間時点で生存している。
  Q:2日と23時間の生存。
  K:PDAを5台枚以上収集する。手段は問わない。』




(何だ――これは)

美雪の手によって書き上がり配布されたルール一覧に、圭介は言葉を失った。

まず屋外が侵入禁止エリア。
仮に出口を発見したとして、一歩でも建物の外に踏み出せば、その時点でルール違反。全自動に抹殺されることになる。
ここまで完璧なシステムが構築されているというのなら、なるほど自分たちを拘束しておく必要は無い。
それどころか圭介の当初の目論見は、これで完全に打破された。
危険と隣り合わせ、どころではない。屋外への脱出は地獄への片道切符そのものだ。

そして73時間を経過した時点で首輪をつけたままであれば、建物全域まで拡大された侵入禁止エリアにひっかかりこれまた抹殺。
逃げても死、おとなしくしていても死。助かりたくば何としてでも首輪を外さなければならない。

とはいえそんな簡単に外せるものであればわざわざ誘拐した意味が無い――と、思いきや解除条件はきっちりと明記されている。

なぜだ? わざわざ生存の抜け道を用意して、犯人たちに何の得が有るというのだ?

これでは、まるで――


「――何だか、ゲームのルールみたいですね、これ」

圭介の思考を読み取ったかのように、美雪がぽつりと呟いた。

「そう、だね」

作り笑いを浮かべて無難に相槌を打つのが精一杯だった。




 ゲーム開始より2時間13分経過/残り70時間47分


【プレイヤーカード:開示】
・「4」:大門三四郎



[21380] EPISODE-5
Name: でしお◆ff3c50cd ID:912e8347
Date: 2010/11/10 22:10
「そう、だね」

作り笑いを浮かべて無難に相槌を打つのが精一杯だった。
そう。まるでこれはゲームだ。
時間と行動範囲を制限され、その中で条件を達成してみせる。自分たちはそんなゲームのプレイヤーだ。

成る程、合点がいった。
大門と遭遇した時点で浮かんだ疑問。相互に繋がりの無い多人数を拉致した理由。

それは、このためだ。この「ゲーム」を開催するにあたり、13名の「参加者」が必要だったのだ。

馬鹿げた結論。我ながらそう思う。
だが複雑な分岐や壁に埋め込まれた警備システムと呼ばれる自動銃器。
そんなものをわざわざ組み込んだ巨大な施設を「彼ら」は建築している。
全てはおそらくこの「ゲーム」のために。

そしてこの「ゲーム」を最も遊戯じみたものにさせているのが、13人の参加者に設定されたそれぞれの解除条件。
その種類はさまざまで、難易度の格差も激しい。
オリエンテーリングじみた簡易な条件のものから、「皆殺し」が条件のものまである。 

「でも、この『死亡』とか『殺害』ってのの扱いがわからないんだよなあ。
 あれかな、『まいった』でもすれば死んだことになるのかな?」

この期に及んで大門はまだそんなことを言っている。
美雪の「ゲームみたい」という発言に気が軽くなったのか。
それともあまりに簡単に物騒な単語が羅列しているせいなのか。
ルールに違反すれば命の危険に関わることまでは解っていても、その先にまで考えが及ばないらしい。

死亡も殺害もおそらくそのままの意味だ。

例えば「3」のカードを持つ者は、自分の命を守るために3人の命を犠牲にしなければならない。
他にも殺人が直接明記されてはいないが、もしかすると禁を犯さねば達成できないのではないかと思われる条件も存在する。

助かりたくば、人殺しをしてでも条件を達成せよ。
自分の命と他人の命を天秤に掛けよ――「彼ら」はそう言っているのだ。

とんでもないことに巻き込まれてしまった。これが現実だとは、俄かに受け入れ難い。

だけど。これは紛れも無く夢ではない。圭介ははっきりと認識している。

――泣こうが喚こうが目の前の今が俺にとっての真実だ。
――悪ふざけや冗談で茶化すことはあっても、俺はもう二度と逃げ出さない。
――現実から目は逸らさない。あの時、そう誓ったのだから。

負けてたまるか――圭介は腹に力を入れて、折れそうな背中を何とか立て直す。

気を取り直し、他のメンバーの様子を観察する。
一様にルール一覧に視線を落としたまま、誰一人として口を開かない。
それぞれが、どれほどに事態の深刻さを受け止めているのか。
今の状態でははっきりとはわからない。

「――酷い話だわ、まったく。人の命を何だと思っているのかしら」

肩を落としながらも声を発したのは、やはりここまでリーダーシップを執っていた乃得留だった。
これまでの彼女の仕切りからして、どうやらこの異常な「ゲーム」の信憑性を圭介よりも先に真摯に受け止めていたようだ。

「とは言え逃げることも隠れることも出来ないんじゃ今のところはどうしようもないわね。
 一先ずはこのルールに従う他はないわ」
「へえ、ルールに従う、か。ならここにいる俺たちで、殺し合うっきゃねえってことかよ」

木戸が深く唸るような声で乃得留を威嚇する。
先程までの軽快な憎まれ口は今や見る影も無い。

「殺し合う? 冗談じゃないわよ。だってそんなこと、する必要無いじゃない」

だが意外にも乃得留はあっさりとゲームの根本を否定した。

どういうことだ? 解除条件も含めてのルールのはずだ。
それに従うというのなら、それは命の奪い合いに参加する、ということではないのか?
まさか所詮は彼女も口だけで、愚かにも事態を楽観視しているというのか?

「はいはい圭介くん、そんな怖い顔しない。心配しなくても、私はちゃんと理解してるわよ」
「――俺、別に何も言ってませんよ」

だが図星だった。
美雪の速記術と同様に、乃得留には読心術の心得でもあるのだろうか。

「よく聞いて。確かに13種類の解除条件は物騒なものばかり。
 命綱のPDAを奪われたり破壊されたりしたらその時点で首輪は解除できないし、
 首輪が安全な手段で取得できなければそれこそ首を切り取る以外に集める方法は無いかもしれない」

その通り。大門の解除条件はそういった意味合いのものであるし、
「8」、「10」、「K」の条件はそのまま5人の殺害と同意だ。
殺人がそのまま明記されているものは言わずもがな。
ほぼ半数が誰かを殺さねば生きられない以上、狙われる側も応戦せねばならない。

これが命の奪い合いでなくて、何だと言うのだ。

「でもね、これはわざと物騒な言葉を並べて、私たちを『殺し合うしか助かる方法はない』と思わせたいだけなのよ。
 こういうの――ええと、何て言ったかしら。ミス――」

「ミスディレクション」
「MISDIRECTION、ですね」

圭介と美雪が同時に答えた。

「そう、それ」

ミスディレクション――手品のテクニックの一つだ。
特定の動作や場所を隠すため、わざと別のものを注目させる。

例えば右手を大仰に突き出せば、そこに何かあるのではないかと観客は注目する。
その隙を縫って左手で秘密の動作を行うのだ。
言葉にすればこれほど単純なことはない。
だが一流のミスディレクションは、真の動作を決して悟らせることはない。
ゆえに観客は奇跡を目の当たりにしたような錯覚を受け、魔術に魅了されるのだ。

「情報操作による思考の誘導。わざわざ全員分の解除条件を公開している理由は私たちを争いの方向へ導くためよ。
 『誰かが自分の命を狙っているんじゃないか? だったら協力なんてとても出来ない――』ってね。
 でも、本当にそうかしら? 私はそうは思わない。私のPDAには最初から⑨が書かれていたから、みんなよりも長い時間、
 解除条件について考えることができた。そして出た結論はズバリ、『協力した方が遥かにリスクは少ない』、よ」

「そう――なんですか?」

乃得留の右隣に腰掛けていた古谷小枝子が、初めて反応した。
依然顔色は蒼白のままだが会話に参加するくらいには回復したようだ。

乃得留は意思を持ってはっきりと頷くとルールの⑨を指差す。

「順を追って説明するわ。
 ポイントは、『それぞれの解除条件を達成するために何が必要であるか』、ということ。
 この点をしっかりと考えれば自ずと答えは出るの。
 まずは『首輪の解除のために自力での達成が見込まれ、かつ他人に危害を加える必要もないもの』。これが――『5』と『Q』」

「5」の解除条件はチェックポイントの制覇。
「Q」は71時間の生存。
なるほどこの2枚のカードにおいては争いの必要性は無く、
逆に信頼できるという確信があれば協力者はできるだけ多い方がいい。

「次に『首輪の解除のために他人の「協力」が必要不可欠なもの』。これは『J』ね」

「J」は1日以上行動を共にした人間と、71時間一緒に生存しなければならない。
相棒となるべき人間が必要であることに疑いは無い。

「――となると、『J』と『Q』が一緒に協力できるのがベスト、ということですか」
「そうね。そうなれば、お互いを裏切る理由が無いもの」

規定の時間まで生き延びなければならない「Q」と生かし続けなければならない「J」。
条件はぴたり綺麗に一致する。
確かにここまでの条件に該当する人物は、協力関係を結ぶ方が生き延びるには遥かに得策だ。

だが問題はここからなのだ。
残りの10枚のカードは他人の解除条件を阻害せねば解除は成り立たない。
それこそが協力に難色を示す原因であるのだ。

この難題に対して、乃得留は如何な解答を持って安全な結論を出したというのだろうか。
圭介たちはただ黙って演説の続きを見守る。

「ここからは分類ではなく一つ一つ問題点を解析していくわ。さし当たって簡単なものは――『K』、かしら?」

「え? 『K』? それはおかしくないですか?」
「あら、どうして? 圭介くん」
「だって、『K』の解除条件は他人のPDAを5つ収集することですよ?」

乃得留の仮説の前提は協力であるから、この場合は「K」の所持者に対して譲渡、という形になる。
だがPDAはいわば自身の首輪の鍵。
それを差し出す、ということは即ち命を投げ捨てると同意ではないのか?

「鳴神くん。『K』は解除が成功すればPDAは返してあげられるんです」
「え? あ――そうか!」

美雪が解答を示してくれた。
そうなのだ。「K」の条件はあくまで「収集」のみ。
条件を達成すればその時点で集めたPDAは不必要となる。
あとは元の所持者に速やかに返却すればいいだけの話ではないか。

「いや――待て待て。でも一つ問題点があるぞ。そのPDAが無事に返ってくる保証はあるのか?
 何せ生存者は20億円を分配だ。
 自分の命が助かったと決まれば欲が出て借り受けたPDAを破壊したりするんじゃないのか? 『K』は」

未達成の状態で気安くPDAを一時譲渡し、破壊される。
そうすればゲームオーバーだ。
5つのPDAを同時に破壊されれば5人の命が失われる。
その危険性を考えれば誰も「K」の解除に協力しようとは思わないのではないか?

「――かも、しれないわね。でも圭介くん、よく考えてみて? 
 『K』が条件達成後にその凶行に及んだ瞬間、5人以上の敵を作ることになるのよ?」

「――なるほど」

命綱のPDAを貸し出す以上は返却が前提で、目の前での解除が望まれるのは必然。
そんな状況下で邪な行動を起こせばたちまち制裁が加えられるのもまた必然。

「K」の立場を簡単に纏めてみる。
条件達成のために「強奪」という手段を取れば5人のプレイヤーを敵に回すことになる。
無害を装い「詐術」を使えば解除は出来ても生存が絶望的。
対して「協力」であればまったくのノーリスク。

不思議なものだ。まさか解釈の仕方一つでこうも身の振り方が反転してしまうとは。

「――王は決して、暴君であってはならない。ってとこですかね」

「ふふ、上手い事言うわね。
 あ、ちなみに『K』は圭介くんたちがPDAを持ってきてくれれば今のメンバーでも解除は可能だから。
 もしこの中に所有者がいるのであればすぐにでも解除できるから申し出た方がいいわよ?
 尤も――駆け引きの関係上、戦闘禁止エリア解除の後、ってことになるけど」

そうでなければPDAを破壊されてもルールの⑧に抵触し、取り押さえることができない。
乃得留のロジックはどこまでも慎重で、完璧だった。

「名乗り出る人は――いない、か。まあ、いいわ。じゃあ次、『2』と『6』。
 これはお察しの通り、JOKERさえあれば解除は簡単よ」

「2」の条件はJOKERの破壊で、「6」はJOKERの5回以上の使用。

「簡単とは言うが、使い方次第で強力な武器となるJOKERを所有者がおいそれと差し出してくると思うか?」
「だって協力するんだもの。人を騙す以外に使い道のないJOKERなんて隠しても仕方が無いじゃない。
 もちろん『6』を解除してからJOKERを破壊するのが絶対条件よ」

楯岡の発言を乃得留はばっさりと斬り捨てる。

「さて、ここまでで合計6つのカードの条件達成の安全性が確保されたわ。この先は方程式よ」

――なるほど、方程式、か。
さすがに圭介にも理解できた。
ここからは「解除が成功したプレイヤーがいる」という前提で話が進んでいくのだ。

「な、なあ、鳴神くん。
 ボクは頭が悪いからノエルさんの言いたいことがいまいち理解できないんだが――方程式って何なんだ?」

大門が背中を丸くして乃得留に聞こえないように小声で囁く。
その渋面からしてどうやら早い段階で話についていけず混乱を来しているらしい。

やれやれ、と圭介は肩を竦めて美雪に目配せした。
先程からその片鱗を見せ始めている聡明な少女は圭介の意図を即座に見抜き、大門にそっと耳打ちした。

次は、大門さんの番ですよ、と。

「じゃあ、次は『4』ですね」
「はい、ご名答。生憎『5』、『J』、『Q』は解除に時間がかかってしまうけれど、
 『2』、『6』、『K』は早い段階での解除が見込まれるわ。
 そうなると――私たちの手元には、3つの首輪があることになるわね?」

あ、と大門が驚きの声を上げた。
今、圭介たちが3人で覗き込んでいる大門のPDAのカードこそが、「4」なのだ。

他のプレイヤーの首輪を3つ所得。
その後の首切りの補足説明によって無駄な恐怖を煽っていた解除条件。

だがそれも乃得留の思惑通りなら、こんなにも簡単に解除が可能なのだ。

先程の「方程式」という言葉を借りるならばさしずめ「『2』+『6』+『K』=『4』」というところだろうか。

「これで『4』も解除完了。『首を切り取る』なんて非人道的な手段を取らずともまったく問題無いってこと。
 そして首輪を外せた以上、今度はその鍵である個人個人のPDAすらも不要であるから――」
「――誰にも不幸な影響を与えることなく、『8』の条件を満たすことが可能、というわけですか」

「8」の条件はPDAをきっちり5つ破壊すること。
収集のみが解除条件である「K」とは違い、「8」は解除後の返却すらままならない。

だがその役目を果たした後のPDAであるならば、破壊に何の障害も無い。

「2」、「4」、「6」、「K」、そして「5」、「J」、「Q」のいずれか。
このうち5つの解除の達成を待って後に破壊行動を行えばいいのだ。

「あとは外れた首輪を5つ作動させれば『10』だって解除できるし、
 協力者が多ければ全員遭遇が条件の『7』の解除だって容易いものだわ。
 どうかしら? 長々と喋ってしまったけど、これが私のプランの全容よ。
 『戦うことに意味は無い』ってわかってもらえた?」
「うーん、すごいな、ノエルさんは!」

まるで拍手でもしそうな勢いで大門が感心の意を示した。


だが――そんな風に納得の表情を見せたのは彼一人だけだった。


「おい待て、ノエル」


忙しなくPDAをいじくっていた木戸が顔を上げ、乃得留を睨み付けた。

「――何かしら?」
「何かしら、じゃねえだろ。まだあと3つ――残ってるだろーが」

彼の顔色が蒼白となっていたのは決して照明の加減のせいではないだろう。

そうなのだ。乃得留が条件の解析を行ったのはここまで全部で10。カードの種類は13種。

木戸の言う通りあと3つ、「A」、「3」、「9」の安全な解除方法については言及されていない。
しかもこの3種こそが全ての条件の中でも指折りの苛烈な解除条件なのだ。

それでもここまで考えも及ばなかったルールに潜む安全性を開示してきた彼女なら或いは――
と希望の篭った全員の眼差しが乃得留に集まる。

だが次の瞬間、


「残り3つの安全な解除方法は――今のところ、無いわ」


彼女とて万能の存在ではない、ということを皆が思い知ることになった。


「『A』、『3』、『9』は条件に殺害や死亡が含まれている完全なるキラーカードよ。ルールに沿う以上は、どうしたって犠牲は免れない」


「A」の条件は「Q」の所持者の殺害。
「3」は3人以上のプレイヤーの殺害。
「9」にいたっては自分以外の全員の死亡が条件となる。

今までのカードの条件は巧みに言葉の裏を取ることでその危険性を回避できた。
だがこの3種においては完全に逃げ場は無いのだ。

「おいおい、そんな不完全な持論で講釈ぶったれてくれたのかよ! なぁにが『殺し合う必要は無い』、だよ偉そうに!」

ここぞとばかりに木戸は乃得留を責め上げる。
だが先程までの皮肉交じりの高慢な態度とは違い、言葉の端々に怯えにも似た感情が窺えた。

もしかして木戸のカードは――彼がなぜこうも乃得留に噛み付いてくるのか、その理由がわかった気がした。

「――その前提を撤回するつもりはないわ。生憎ね」

乃得留の表情に若干の影が差したがそれでも木戸の辛辣な視線を受け止め、一歩も退かない。

「もしも、私の案を理解してもらえるなら、13人のプレイヤー中、10人の大勢力が出来上がることになるわ。
 逆に残りの3人は手を組むわけにはいかない。『3』と『9』は互いに殺害対象だもの。
 となると――たった独りでこの人数を相手取れる?」

(な――)
「なん、だと――ノエル、まさか、てめぇ――」
「そうよ」

乃得留の発想には驚かされるばかりだった。だが今回は格別だった。

何という悪魔的発想なのか。彼女の言う「殺し合う必要が無い」とは。
決して「そんなことをしなくても無事に帰れる」という意味だけでなく。


「私は別に、『全員の命を助けたい』、なんて聖人ぶるつもりは無いわ」


キラーカードを持つ者には「戦っても負けるだけだから諦めろ」という意味まで含まれていたのだ――



「このくそアマっ! ぶっ殺してやるっ!」
「よせ木戸、まだ戦闘禁止エリアが解かれていない、ここで暴れると警備システムが発動するぞ!」
「くっ――」

楯岡の制止で木戸は心底悔しそうに唇を噛む。

「ああ、付け加えるなら『ルールに沿って安全に解除する方法は今のところ無い』ってところかしら。
 もし3種のカードを引き当てていても、大人しく告白して拘束されることを承諾すれば、
 余った時間で別のアプローチで首輪を外す手段を考えてあげられるわ。
 例えば、ワイヤーカッターか何かで物理的に首輪を切断する、とか」

気休めにもならなかった。そんなことが可能であるならば、この「ゲーム」はとても成り立つものではない。

「くそがっ!!」

木戸は足元の木箱を蹴り上げた。
誰もいない方向に向けて戦闘行動と取られないようにという計らいはまだ彼の中に残っていたらしい。
そのまま足早に出口へと向かう。

「ちょっと、何処に行くつもり?」
「うっせえ! こんなバカどもとこれ以上一緒にいられるかってんだっ!」

「――いいの? 今の状況でこの場を去るってことは『自分がキラーカードを引き当てました』って告白してるようなものなんだけど」
「けっ! こんだけバカ騒ぎしてりゃもうバレバレだろーが――おいノエル、覚悟しとけよ。
 ここまで俺をコケにしたんだ。もし戦闘禁止エリアが解除されてまた俺と出会って、無事で済むと思うな――
 せいぜい怯えて逃げ回るこったなっ!!」



乱暴に扉を閉める音がして。
木戸亮太は圭介たちの前から姿を消した。



そしてややあって。

「――あ」
「! ノエルさんっ!」

糸が切れたように乃得留の身体がその場に崩れ落ちた。





 ゲーム開始より2時間50分経過/残り70時間10分



[21380] EPISODE-6
Name: でしお◆ff3c50cd ID:912e8347
Date: 2010/11/10 22:17
「! ノエルさんっ!」

慌てて小枝子が支えようとするが、彼女の細腕では完全に抱き止めるに至らない。
二人纏めて床に倒れそうになるところをたまらず圭介が飛び出し、二人の背中を両腕で押した。
勢いで2、3歩たたらを踏むが何とか寸前で大惨事を食い止めることができた。

「――大丈夫ですか」
「ありがとう圭介くん、小枝子さん。大丈夫――大丈夫よ」

力無く微笑みを浮かべて見せる乃得留。
おそらく今までの一言一言が心身に負担をかけていたのだろう。
それが木戸の離脱によって一気に噴き出してしまった、というところなのだろうか。

「でもノエルさん、さっきの言い方はあまり感心しないな。
 あんな売り言葉に買い言葉じゃあ――木戸君が怒って出て行ってしまうのも無理は無いよ」
「どの道、キラーカードの所持者とは協力関係は結べませんから。
 下手に希望を持たせたくなかったんです」

床に腰を落ち着けながら、乃得留は静かに呟く。

「しかし、あれでは木戸くんが可哀想だ」
「わかってます。短い間でしたけど、私も一緒に行動した間柄ですから。
 できればここにいる全員で生還できれば、と思っていたのだけれど――やっぱり、ショックだわ」

木戸は確かに横柄で不遜な態度の持ち主だった。
だがその報いがカードに表れたわけではないはずだ。
彼もまた自分たち同様、この「ゲーム」に巻き込まれてしまっただけの哀れな被害者なのだ。

乃得留もそれをわかっている。
だが彼女の「理想」のためには、今のままでは木戸は切り捨てなければならない。
それは乃得留にとって、どれほど苦渋の決断であったか。
今の彼女の状態が何よりも物語っていた。

「波多島。疲れているところ悪いがまだ問題点が残っている。それをはっきりとさせておきたい」

楯岡が抑揚の無い声を、乃得留に向かって投げかける。

「――何かしら?」

「JOKERの存在だ。ルールによれば、他のPDAとそっくりに偽装できる特殊なPDAが13種以外に存在するらしい。
 木戸はあっさりと自分のカードが危険なものだと認めたが、
 このJOKERがあればお前の言うキラーカードを別のPDAに偽装して非戦同盟に潜り込み、中から食い破ることができる。
 所持してない者も、JOKERの存在が気になって疑心暗鬼を起こすのではないか?
 そうなると協力関係を結ぶのは困難に思えるのだが」

成る程、着眼点は悪くない。むしろそのJOKERなるワイルドカードは、そのために用意されたものであろう。

例えば「3」の持ち主がJOKERでPDAを「5」に偽装し、他の安全なカード所持者に同盟を持ちかける。
「5」の解除は他人を危険に晒すものではないので、おそらくその申し出は承諾されるであろう。
そうして信頼させておいて、油断したところを殺害する。この危険性を楯岡は危惧しているのだ。
さらにその不信が蔓延すれば提示されたPDAにすら確証が持てなくなり、
結果的に乃得留の計画も暗礁に乗り上げる可能性がある。

「確かに、JOKERの存在は脅威ね。でも、偽装なんてそう簡単に出来るものなのかしら?」

どうやら乃得留はこの楯岡の疑問もまた想定していたらしい。
さして考える素振りも見せず、はっきりとした視線を楯岡に返す。

「ほう――聞かせてくれ」

「まずJOKERによってPDAを偽装しなければいけない状況。
 それはさっき楯岡さんが言った通りの状況よ。
 つまりは『キラーカードの所持者が自分は安全だと思わせたい』状況、
 協力関係を偽ってだまし討ちを画策している場合ね。
 さて――今まさに、その該当者がここにやってきたとしましょうか。
 さて、その人はいったい何のPDAに偽装するのかしら?」

乃得留は楯岡だけでなく、圭介と美雪にも視線を向ける。
それをある種の挑戦と受け取り、圭介は真剣に思考を巡らせる。

「そう、ですね――できるだけ安全なカードでないと信用は得られないでしょうから」

まさか「3」の所持者が「9」に偽装するなどバカなことはするまい。
かといって先程安全性が解明された「8」や「K」ではいささか説得力に欠ける。

「『2』、『5』、『6』、『7』――あとは『J』、『Q』あたりかな?」
「鳴神くん、『Q』は除外していいと思います」
「え? なんで?」
「『Q』は『A』に無駄に狙われる可能性があるからです」
「あ、そっか」

「まあ、そんなところかしらね。じゃあ仮に――『2』に偽装したとしましょう。
 果たしてその偽装は成立するのかしら?」
「え? それは――成立するんじゃないんですか?」

「2」は別段危険な解除条件のPDAではない。特に協力に問題があるようには見えないのだが。

「なるほど、そういうことか」
「そうですね――偽装は難しいように思えます」
「あ、あれ?」

ところが楯岡と美雪の答えは成立せず、だった。

「――どういうことです?」

乃得留が悪戯っぽい笑みを浮かべているところを見るに、どうやら二人の方が正解らしい。

「圭介くん、残念ながら一つ見落としがあるわ。今ここに6人いるわけだけど――
 その中で君が知っているカードは大門さんのものだけでしょ?」
「え? あ、そうか!」

現在圭介が把握している現在のメンバーのカードは今手元にある大門の「4」のみ。
しかし他の4人のPDAは未だ公開されていないので謎のままだ。となると。

「もしかしたらこっちに本物の『2』がある可能性があるのか!」

例えば乃得留が伏せているカードが本物の「2」であったとする。
だがそこにもう一枚の「2」の持ち主が現れれば。
その時点でJOKERによる偽装の目論見が白日の元に晒されてしまうのだ。

「そういうこと。安易に無難なPDAに偽装しても、相手のカードがわからなければ完全な偽装は成立しないのよ」
「なるほどねえ――あ、でも裏を返せば相手のカードを全て知っていれば偽装は成立するってことですよね」
「その通り。だからこそ私たちはできるだけ早く、より多くの参加者で協力関係を築かなければならない。
 仲間になってくれた人たちの中にJOKER所持者がいればまず問題無し。
 今後偽装の脅威をまったく考えなくていいし、『2』、『6』の解除も速やかに行える。
 もし所持者がいなくても、まだ見ぬ所持者に偽装を躊躇わせるには十分だわ」

6人いればそこには6種のカード。
しかも協力しているということになれば危険なカードは含まれていない、ということだから、
JOKER偽装に適したカードがその集団に集結している可能性が高い。
そうなればますます偽装は困難なものとなる。

「ふーむ。なんだかどんどん難しい話になってきたな。古谷さん、どうです?」
「――大よそは。騙される心配はあまりない、といったところでしょうか」
「そうですか。頭の悪いボクにはさっぱりですよ、はは」

いつの間にか大門が小枝子の隣に場所を移動していた。
先程からの細かな反応から見て、どうも大門は小枝子に対して思うところがあるらしい。

「私から説明できることはこれで全部よ。さて――」

改めて乃得留が全員をぐるりと見渡す。

「以上の事を踏まえた上で。
 圭介くんと美雪ちゃん以外の方に、私に協力できるか否かの判断を下してもらいます。
 二人は悪いけど自分のPDAのカードが判明してから、ね」
「――わかりました」

自身のカードが不明のままでは安易な約束は取り付けられない。
キラーカードの所持者は本人の意思に関わり無く同盟から弾き出されるのは、
今までの説明と先程の木戸の件が示しているからだ。

正直、酷な言動だと思う。
だが根拠の無い正義感で諭されるよりは余程に圭介には納得が行った。

「協力の証明はもちろん正しいカードの提示。
 ただ、単純に見せるだけではJOKERの偽装が成立する条件を生み出してしまう可能性がある」

一瞬圭介は乃得留の言葉の意味がわからなかったがすぐに解答にたどり着く。

例えば乃得留、大門、小枝子の順で全員にPDAのカードが提示される。
そしてそれが安全なカードだったとする。
しかし残りの楯岡がJOKERとキラーカードの所持者だったとして。
するとJOKER偽装が成立する条件、「相手のカードを全て知っている」状況になってしまうのだ。

女性二人を含む3人では本気で殺意を持った相手に対抗するにはやや不安が残る。
返り討ちのリスクをJOER使用者に躊躇わせるにはまだまだ人数が足りない。
乃得留の危惧はそんなところであろう。

「なので、今から協力を申し出てくれる人には一種の『手続き』を取ってもらうことになるわ。
 まず私のカードは――これ」

そう言って乃得留は自分のPDAを表にして目の高さに掲げた。
その絵柄は――スペードの「10」。

「条件は、5個の首輪の作動。でも私には5人の命を奪うことなんてとても出来ない。
 そんな凶行に及んで条件を成立させようとしても、その前に危険な相手とみなされて逆に殺されてしまうわ。
 だから『外れた首輪を作動させる』方が遥かに安全だと考えたわけ。
 これが私がみんなと協力関係を結びたい一番の理由よ」

ともすれば相手に恐怖を与えかねない、キラーカードに近しい性質を持つ「10」。
だがそんなカードを与えられてなお、乃得留は協力して欲しいと提言した。
5人を殺して条件を達成するのではなく、5人の命を救って自らも救われたいのだと。

彼女のカードが本物であるかどうか。それを今、判別する方法は無い。
だがあまり偽装しても意味の無い「10」であること、
自分以外のこの場にいる5人のカードが不明のままに自分のカードを明かしたこと。
以上の点において、乃得留が嘘を言っていないことはほぼ確実であると言えた。

「このカードの所持者であるから私が信用できない、だから協力できない。
 と言うならそれも結構。でも自分のカードがキラーカードでないならば、
 単独行での条件達成は難しいということはさっき説明した通りよ。さ、ここからが『手続き』になるわ」

PDAをポケットに戻し、乃得留は続ける。

「もし協力できる、という人は私にPDAのカードとJOKERの有無を『他の人にわからないように』教えて頂戴」

成程、上手い手だ、と圭介は感心した。

これなら先に動こうが後に動こうが協力者、残りのメンバー、
どちらもカードが不明となり常にJOKERの使用は躊躇われる状況が作り出せるからだ。

つまりこの「手続き」によって仲間になった人間は間違い無く安全なカードの所有者であるということ。
信頼できる協力者と言っていい。
しかしその逆。協力を拒む人間は、「手続き」を踏めない理由があるということ。
すなわちキラーカードの所持者であるということなのだ。

この「手続き」は協力の要請だけでなく、危険なカードの判別の意味も含まれている。
この中の誰かが、敵になる。それが今からわかってしまう。
そう気がついた圭介は思わず息を飲み込んだ。

「――鳴神くん。ボクのPDAを」

まず大門が静かに呟くと、圭介にその太い腕を差し出した。
圭介は無言で頷き彼のPDAを絵札の画面に戻し速やかに返却する。

「ノエルさん、ボクはもちろん協力させてもらうよ。っと――これでいいのかな?」

大門は乃得留に近づくと両手でPDAを包み隠すようにして彼女に見せた。
乃得留は画面を確認すると手招きで大門に顔を寄せるように促し、小声で一言二言言葉を交わす。
おそらくJOKERの確認だろう。

「はい、結構です。ありがとう大門さん。貴方のような人が協力してくれるのはとても心強いわ」

その言葉と微笑みは、心の底からのものだろう。
戦うつもりは無いとは言え、反抗に対して無抵抗を決め込むわけではない。
その際に大門の空手の達人という経歴は相手には脅威に、仲間には絶大な支えとなるであろうからだ。
乃得留もおそらく、この中の誰よりも大門のカードが何なのかが一番気になっていたのではないだろうか。

「それはボクも同じだよ。ボクにはルールは複雑でよくわからないし、PDAの操作だって満足にできやしない。
 だからノエルさんや鳴神くんたちのように頭の回転が速い人たちと協力できるのはとても頼もしいことだよ」

武道とは身体と共に、心も鍛えるものである、と。
大門はまさにそれを体現している人物だった。

もし自分が彼と同等の技と経歴を持っていたとしても、ここまで謙虚には振舞えない。
その点においては圭介にとって、大門三四郎という人物は賞賛に値する男性であった。

「もし君たちに出会っていなければ、ボクは本当に首輪をもぎ取ってでも3つ集めなければならなかった。
 そう思うと身震いするよ、はは」

――あとはこの思慮の浅ささえなければ完璧な人なのに。

圭介は呆れたようにため息をつき、乃得留もまた険しい顔で額に手を当てていた。

「――台無しよ、大門さん。せっかくカードを秘密にしているのにわざわざ条件をバラしちゃってどうするの」
「え、あっ! め、面目ない――」
「まあ、いいわ。どの道圭介くんたちにはバレてるわけだし、あまり影響は無いでしょう。他には――」
「あの――はい」

続けて手を上げたのはこの「ゲーム」の恐怖を最も体験している女性、古谷小枝子だった。
小枝子は大門と同じ徹を踏まないよう、最低限度の情報を乃得留に開示する。
それ以上は口を開かない。

「OKよ、小枝子さん。歓迎するわ」
「よかった。これで古谷さんも仲間なんだな!」

大門は乃得留よりも大仰に喜びを爆発させている。
その勢いに気圧されたのか小枝子は僅かに後ずさったが、やがて小さく宜しくお願いします、と呟いた。

「これで3人、ね。後は――」

圭介と美雪は現時点では「手続き」を踏むことは出来ない。
となると残るはあと一人。

全員の視線が一斉に楯岡に向けられる。
JOKER問題が解決して以降沈黙を保っていた楯岡は注目を浴びてなお微動だにしない。

「楯岡さん、貴方は――」

それ以上は乃得留も続けない。楯岡も反応を返さない。
静寂が訪れる。どれくらいの時間が過ぎただろうか。


やがて楯岡はゆっくりと歩を進め――息のかかりそうな距離まで乃得留に近づき、彼女の耳元で「手続き」を行った。




一瞬にして場の空気が弛緩した。
それぞれが、それぞれに。安堵の表情を浮かべていた。
今、ここにいる人間は何一つ縁の無い、先程までは他人同士だった者たちだ。
だけど、出会い、言葉を交わした。その瞬間に自分たちは他人ではなくなった。
そんな人たちと、敵対しないで済む。しかも命のやり取りを強制されたこの「ゲーム」で。
それはどれほどに喜ばしいことであろう。今の全員の反応が、それを如実に示していた。


だが、そんな雰囲気を打ち砕く言葉が次の瞬間告げられた。


「すまない。協力はするが、行動を共にすることはできない」


「え――」

抑揚の無い楯岡の声に、乃得留が愕然とした反応を示す。
完全に予想外の反応だったのだろう。

それもそのはず。
乃得留の理論によれば安全なカード所持者の単独行動にはデメリットしかないはずなのだ。
なのになぜ、楯岡は同行を拒否するのだろう? 
圭介にも彼の思惑が理解できないでいた。

「少しばかり、片付けておきたいことがある。そのためにはできるだけ身軽な方がいい」
「――それは、この場ではどうしても言えないことかしら?」

乃得留の口調が少しきついものに感じたのはおそらく圭介の気のせいではないだろう。

「そうだな。だがお前たちにとって決して不利益なものではない、とだけ言っておこう」
「信用、できないわ」
「そのために身の潔白を証明したつもりだ」

この場を離れると言うのなら楯岡が自分のカードを他人に明かす理由は無い。
だが彼は「手続き」を行った。つまりはそれが信用の証だと言いたいのであろう。

「――その用件が片付いたら私たちに合流する意思がある、と解釈してもいいのかしら?」

やがて、半ば諦めたように乃得留が呟いた。

「無論だ。もしかすれば協力者を増やして戻ってこれるやもしれん」

随分と都合のいい物言いだった。果たして彼は本気で言っているのか。
相変わらずサングラスに隠された表情は窺い知れない。

「わかったわ。気をつけて。もう一度――会えることを願っているわ」
「感謝する」

帽子を目深に被り直すと。
静かなる男、楯岡和志は足音までも静かに去って行った。





 ゲーム開始より3時間23分経過/残り69時間37分


【プレイヤーカード:開示】
・「10」:波多島乃得留






[21380] EPISODE-7
Name: でしお◆ff3c50cd ID:912e8347
Date: 2010/08/29 13:45
紆余曲折はあったものの、一先ず乃得留の提唱する「手続き」は終了した。

残ったのは大門三四郎と古谷小枝子。
二人は乃得留の案を好意的に受け止め彼女に協力、同行することになった。

木戸亮太とは完全に決別。
危険なカードを引き当てたことをあからさまに態度に出し、憤怒の形相で一行から離脱した。

そして楯岡和志は一旦は協力の意を示したものの、何やら個人の事情を優先し、同行を拒否した。


残るは二人。鳴神圭介と森下美雪。
だが彼らは協力の判断材料となるPDAを現在所持していない。
この「ゲーム」で生き残るために各々に割り当てられたPDAは無くてはならないものだ。
そのため圭介と美雪は、一度乃得留たちと離れ初期配置地点に戻ることを決意した。




「それじゃ、ちょっくら行ってきます」

勤めて軽く、勤めて明るく。
ぶらりと出かけるような素振りで圭介は宣言する。

「いってらっしゃい。気をつけて」
「寄り道とかして、あまり遅くなるんじゃないぞ。鳴神くん」

小枝子と大門が見送りの言葉をくれる。
ようやく小枝子も落ち着きを取り戻し、相応の表情を見せるようになった。
恐ろしい目に会ったものの、乃得留と大門という親身になってくれる協力者を得たことが大きいのだろう。

「圭介くん。お願い――ちゃんと戻ってきてね」

だが乃得留だけが。やや強張った面持ちでそう告げた。
無駄に深刻な雰囲気を作りたくはなかったので「その程度」の態度を示してみた。
だがやはり乃得留には通じなかったようだ。

「わかりました。必ず――必ず戻ってきます。その時は俺と結婚してください」

木戸と楯岡の続けざまの離脱で気丈な乃得留の胸の内にも不安が大きくなっている。
そんな彼女の緊張を和らげるために、くだらない冗談を投げかけてみた。
バカね、年上のお姉さんをからかうんじゃないわよ――乃得留は呆れたように肩を竦めて見せる。

そんな反応を期待したはずだった。ところが。


「な――ななななななっっ!! な、何をいきなり言い出すかな、キミわっっ!!」
「――へ?」


意外なことに。ものすごく意外なことに。
乃得留の顔は瞬く間に紅に染まり、明らかな狼狽の色を見せていた。

「い、いや――あの、ね? 気持ちはすごく嬉しいの。うん。
 で、でもね? ほら、私たち、まだ知り合って間が無いし、
 こういったことはもっとお互いをよく知ってからっていうかこんな場所でっていうか――
 いや待つ待つ待つ! これって世に聞く吊り橋効果ってやつじゃないの? 
 だったらダメよなおさらダメ――いやいや、でも、もしかしてそうじゃない?
 違う、違うの? 圭介くんはひょっとしてあのと――」


――この人、ひょっとしてこのテの冗談にあまり耐性が無いのか。

意外な一面を発見した圭介だった。

「あのー。ノエルさん? もしもし?」
「圭介くん。子供は何人欲しい?」
「真顔で返されても困ります。とにかく落ち着いてください」
「へ? あ――コホン」

ようやく我に返った乃得留は咳払いを一つ。

「――バカね。年上のお姉さんをからかうんじゃないわよ」
「いや遅いですから」

ふと見れば大門と小枝子も表情を楽しげに崩して口元を押さえている。
場の空気を一変させることには成功したようだ。

「鳴神くん。早く出発しましょう。あまり手間をかけている余裕はありませんから」
「ん? ああ、そうだね。ごめん」

美雪に袖口を引っ張られ、圭介は多少浮かれ過ぎた自分を反省する。
どうにも自分は切羽詰ると悪ふざけに逃げてしまう悪癖があるようだ。
それにしても彼女の表情が若干不満そうなのは何故なのだろうか。

「それじゃ、改めて。行ってきます」

大仰に手を振って見せて。圭介は美雪と連れ立って部屋の外に出た。




――さて。

これからのことを考えるとどうにも胃が痛む。
この先に待っているものはまさしく圭介の運命を決定付ける代物だからだ。
そう。今から成すべきことは。
単に「忘れ物を取りに行く」などという単純な事柄に留まらない。

初期配置時点に放置したままのPDA。
それは「ゲーム」における機能のみならず――圭介と美雪の首輪の解除条件も記されているのだ。
ハズレと言える絵柄を引くのは13分の3。決して高い確率ではないが安心できる確率でもない。
そしてそれを引き当ててしまったが最後、見事最悪な未来が約束されてしまうのだ。

逃れる手段は無い。今からどんな策を嵩じようがカードの変更はできない。
完全に運否天賦の領域。できることといえばただ神に祈るのみ。

一つ、息をつく。唇を切り結ぶ。
願わくば。もう一度。あの扉の向こうの輪の中に加わって。
純情な才女の導きのままに再び日常に戻れんことを。

さあ行こう。確か元の部屋の方向はこちらだったはずだ。

「あの、鳴神くん――」
「――ん?」

その矢先。少女に呼び止められた。
行き先が同じはずの森下美雪は、未だその場に佇んだままだった。

「――なんだい?」

ある程度。予期していたことがある。

まるで当然のように一緒に出発した。
だが二人は別に運命共同体というわけではない。
13種のカードのうち、全く同じものは有り得ない。
必然的に美雪と圭介は解除条件が異なるということになる。

二人して安全なカードが引ければ万々歳。
だがもし、どちらか一方が、キラーカードを引き当ててしまっていたら?
その瞬間に今までの関係は崩れ去る。
すぐそばにいる相手が、忌むべき敵となってしまう。

だから。
一緒には行けない。行きたくない。
美雪の口からそう告げられても、何も不思議なことではない。

おそらくそういった類の事を言い出すのではないか、と圭介は覚悟して美雪の次の言葉を待った。

だが予想を裏切り、美雪は意外な科白を口にした。


「先ほどの――女性の遺体を、見ておきたいんです。ダメ、ですか――?」


何をこの少女は唐突に言い出すのだろう。
最早遠い昔に思える騒動の際、圭介はあえて美雪から死体を遠ざけ、見せないようにした。
あまりにも惨たらしいその有様は、少女には酷だろうと即座に判断したからだ。
それなのになぜわざわざ。
どうにも圭介には美雪の意図が理解できない。

「このままだと、あの人があまりにも可哀相です。せめて、弔ってあげたいと思いまして」

なるほど。確かにこのままだと名も知らぬ彼女が報われない。
ある日突然拉致され、何の事情もわからぬままに無慈悲に射殺された。
そしてこの死体が親族や友人の元へ届けられることはおそらく無い。
真実と共に闇に葬られることだろう。

だからせめて。同じ境遇に陥った自分が見送ってあげたい。
美雪のそんな思いはきっと人として正しいものだ。

「わかった。じゃあ俺も手伝うよ。さっきの場所へ行こう」
「え――いいんですか? わたしの我が侭なんだから別に鳴神くんまでつきあってくれなくても――」
「黙って見てるだけってのも男としてはかっこ悪いもんさ。ここは見栄を張らせてよ」
「――ありがとう」

一つ、森下美雪という少女についてわかったことがある。
それは彼女がこういった他人の不幸に敏感な、心優しい女の子だということだ。
おそらく困っている人がいれば見過ごすことができない。
自分にできる範囲で精一杯救いの手を差し伸べようとするだろう。
でなければ何も返してくれない死体に対して、ここまでの敬意を払うことなどできないからだ。

本来目指すべき方向とは逆に二人で向かう。
角を曲がってすぐ、惨劇の起きた場所へと辿り着いた。

「う――」

何度見ても、見慣れることは無い。
むしろもう二度とお目にかかりたくはなかった。

楯岡の適切な処置によって毛布に包まれ、通路の隅へと押しやられた固まり。
だがその表面に斑の赤が浮かび上がっていた。そして漂う異質な臭い。
その全てが不快なものにしか感じられない。

(ホントにあれに――触れるつもりなのか)

思わず前言を撤回したくなった。
元より圭介にとって先程の同調は口先だけのものでしかなかったのだ。

美雪の考えは確かに賞賛に値する。だが決して共感できるものではなかった。
死体に触れるのは気味が悪い。こんなことに手間をかけて時間を浪費したくはない。
それが圭介の本音だ。だが美雪はそうは思わなかった。
俗物めいた自分の思考が嫌になり、思わず格好をつけてしまった。

だが所詮は言葉すら交わしていない赤の他人。
死後の世界に旅立った彼女がどう思うかなど、今の自分にはどうでもいいことだ。
故にこんな行為は自己満足に他ならない。
再び死体を目の当たりにして改めて圭介はそう感じた。

「――どうする?」

振り返れば美雪の顔色は大理石のように蒼白。
恐怖によるものか、唇がかすかに震えている。

「そ、そうですね、ひ、ひとまず顔を拭いてあげて、腕を組ませてあげたい、と」

こんなことはやめにしないか、との意を含ませたつもりだった。
だが美雪は手順を確認したように捉えたらしい。
彼女は気丈なことにこの無駄で敬虔な行為を未だ止めるつもりはないようだ。

やれやれ、と圭介は肩を竦めるとゆっくり死体に近づく。
もうこうなると引っ込みはつかない。どうにでもなれ、と自棄な気持ちで圭介は意を決した。

嗅覚を働かせないよう、呼吸を口で行うようにする。
毛布に手をかけ、一気に剥ぎ取った。記憶のままのうつ伏せの女性の死体が眼前に現れる。

「ひ――」

直接身体に触れぬよう、手の中の毛布を地面と死体の間に差し込み、そのまま半回転させた。
これにより、女性の身体が天井を向く。
まるでこの世の全てを呪わんばかりの表情のまま固まったその顔に、思わず美雪が悲鳴を上げた。

(ああ、そういえば母さんもこんな感じで死んでいったっけ)

10年前の記憶の一部が蘇り、圭介を幾分か冷静にさせた。
彼の母もまた痛みと苦しみの末にショック症状を引き起こし、最後は安らかとはとても思えぬ表情でこの世を去っていた。

ポケットからハンカチを一枚取り出し、とりあえず見開かれたままの双眸を布越しに強引に閉じてやる。
そしてこれまた開きっ放しの口元を力任せに押し込み、閉じる。

とにかく機械的に。何も感じず考えぬよう。圭介はただの「作業」に没頭する。

「な、鳴神くん。あとはわたしが――」
「ん」

自分から言い出したのにすっかり固まってしまっていた美雪が漸く声を上げる。
圭介はあっさりとその場を美雪に明け渡し、3歩ほど引いて見張りを担当することにした。
まだ戦闘禁止エリアは解除されていないので襲われることはないだろうが、それでも今誰かに遭遇するのは厄介だ。

美雪も自分のハンカチを手にして、女性の血塗れた顔を拭いてあげていた。
だが夥しいまでの流血はたちまち美雪のハンカチを真っ赤に染め上げ、機能を失わせていた。

「足りないなら貸すよ? 替えの拭くもの」
「あ、ありがとうございます。でも、一枚や二枚じゃ足りないかも――」
「じゃ、5枚でいいかな?」
「え?」

圭介は懐に手を突っ込み、綺麗に折りたたまれたハンカチを取り出す。
そして一度手を振ると、その手の中に瞬時に扇状に5枚のハンカチが現れた。

「手品のタネのためにさ。日頃からこれくらいは持ち歩いてるんだよ」
「――すみません。お借りします」

数にものを言わせた戦術で、ようやく女性の顔は綺麗なものになった。
こうして見るとなかなかに整った顔立ちだった。
もしかすると生前の彼女は男性に人気があったのかもしれない。

続けて胸の前で腕を組ませる作業に移り、ここからは再び圭介が担当した。
しかし既に死後硬直が始まっていたのか、関節が上手く曲がらない。
あまり力を入れると骨が折れてしまいそうだ。
やむなく上がっていた腕を下ろし、身体の線に揃えることで妥協した。
こうなると葬儀屋にも技術がいるものなのだな、と圭介は妙な関心を抱く。

結局、弔うといったものとは程遠い形になってしまった。
ともすれば好き放題に死体をいじくっただけの冒涜行為にも取られかねない。
それでも精一杯やった。その努力と少女の気持ちだけでどうにか納得してもらうしかない。

「――これで、いいかな?」
「はい。お手数かけました」

美雪は深々と謝辞を述べると遺体の傍らに膝を付き、手を合わせた。

「――」

圭介はそれに倣わず、ただじっとその祈りを捧げる背中を見つめていた。

意味の無い行為だと思っていた。その思いは今も否定するつもりはない。
だが時折肩を震わせる彼女の姿はさすがに見るにしのびない。

こんな有様はもう二度と見たくはない。誰かが死ぬことも、誰かが死んで悲しむことも。
それだけは圭介の、確かな本心だった。

(だけど――それは無理なんだ。無理なんだよ、森下さん――)

それがどんなカタチであれ。犠牲者を抜きにしてこの「ゲーム」の終末は訪れない。
彼女はそれを理解しているのだろうか。
その時にまた美雪は、こうして祈りを捧げるのだろうか。


「お待たせしました」

どれくらいの時間が過ぎただろうか。
美雪は最後にもう一度遺体に毛布を被せると、圭介の方へ向き直った。

「ごめんなさい、引き止めて。さ、行きましょうか」

先程の圭介の懸念は無為に終わったようだ。
美雪は圭介と離れることを露とも考えていない。
そもそも亡くなった人間すらも見過ごせない美雪が、ずっと傍にいた圭介を見過ごせるわけがなかったのだ。

「急ぎましょう、鳴神くん」
「あ、ああ」

手を差し伸べる少女のやり遂げた表情に、圭介は思わずどきり、とする。
ああ、なるほど。圭介はまた一つ理解した。


こんな行為に意味は無いのかもしれないけれども。
こんな行為を行える人間は、他人の目にはこうも魅力的に映るのだ、と――





 ゲーム開始より3時間49分経過/残り69時間11分



[21380] EPISODE-8
Name: でしお◆ff3c50cd ID:912e8347
Date: 2010/08/29 14:02
「大門さん、彼らのスタート地点はここからどれくらい離れていたかわかりますか?」


しばらく自身のPDAを操作していた乃得留が唐突に大門にそんな質問を向けてきた。

「ん? そうだな、確か――走れば5分かそこらの距離だったと思うが」

大門は初めて二人と出会った時の出来事を思い返す。
確か彼らは、部屋を出てすぐ自分と遭遇した、と言っていた。
となれば自分が悲鳴を聞きつけて事件現場に辿り着いた時間がそのまま当てはまるはずだ。

「ありがとう。だとすると歩いて往復したとしてもせいぜい20分程度――少し時間がかかり過ぎかしら」
「そうなのかい? 生憎ボクは時計を持っていないからどれくらい時間が経ったかわからないんだが」
「私も持ってはいませんけど、PDAに『ゲームの残り時間』の項目があります。
 そこから逆算すると、もう30分になりますね」

そう言って乃得留はPDAの液晶画面を大門と小枝子に向けて見せる。
画面には小さな白抜きの文字で「ゲーム開始より3時間56分経過/残り69時間04分」と記されていた。
成程、具体的な時間が判れば確かに少し遅いかもしれない、と実感される。

「何か、あったんでしょうか――もしかして――」

小枝子が己の肩を抱き身を震わせる。
忘れかけていた惨劇が、脳裏に蘇っているのかもしれない。

「かも、しれないわね。でもきっと、小枝子さんが考えているようなことじゃないですよ」
「ええと――確かまだ、戦ってはいけない時間帯なんだっけ?」

大門は美雪の残したルール一覧を取り出す。
ルールの⑦に開始から6時間は戦闘行為を禁ずると記されていた。
まだ4時間弱しか経過していないのだからまだそのルールの適用内、ということになる。

「でも――」
「わかってます。でもあまり深くは考えないでください。さもなくばこの先、やっていけませんよ?」
「――わかりました」
「??」

どうにも言外で意思の疎通を図っているようで傍で聞いている大門には二人の会話の意味がわからない。
だが先程のようにあまり複雑な事を並べ立てられても理解が及ばないのでとりあえず考えないことにした。

「それよりも、もう一つの可能性の方が大きいかもしれない。もしかすると――あの二人、戻ってこないかも」 
「え、それはどういう意味だい!?」

思わず大門の声が上ずった。戻ってこない、とはどういうことだ? 
危険が無いなら戻ってくることに問題は無いではないか。

「やっぱり、大門さんはわかってなかったようね。まあ、それも圭介くんの気遣いが成せる業なんでしょうけど」
「――鳴神くんの、気遣い?」
「いいですか。圭介くんと美雪ちゃんはPDAを取り戻すことによって初めて自分のカードが判明するんです。
 その時もし、キラーカードを引き当ててしまっていたら、ここには戻ってくれないでしょう?」
「え――」

キラーカード。それは13種のカードのうち、他人の犠牲無しには解除条件を達成できない3種類のカード。
そして乃得留の計画の中に、そのカードの所持者の救済は含まれてはいなかった。
だからこそ乃得留は、木戸亮太を引き止めることができなかったのだから。

「そ、そんな――だって、彼は――」

彼は、鳴神圭介は。あんなにも気軽な感じで出て行ったではないか。
あれは、自分のカードが安全なものだと知っていての態度ではなかったのか?

「こんな風に深刻に考えて欲しくはなかったから、なのでしょうね」

だから悪ふざけにも似た物言いをして見せた。
それが圭介の気遣いだったということだ。

「なんて、ことだ――」

大門は胸が締め付けられる思いだった。
自分が今、こんなにも気安く過ごせているのは偏に彼らのおかげだからだ。

昏倒させられ、身柄を拉致され。
こんな異常な施設に放り込まれ、迷い歩いた自分の初めての遭遇者。

自分の風貌が誤解を招きやすいことは自覚している。
なのに彼らはそんな自分と正面から向き合い、導いてくれた。
まだ幼さの残る少年少女に、大門は救われたのだ。なのに。

そんな彼らに応えるどころか――敵対しなければならないのか?

「どうにかならないのかい、ノエルさん! ボクは、あの子たちに――」
「わかってます。私だって圭介くんとこのまま離れてしまうのは嫌よ。でも、今の時点ではどうしようもないの!」
「くそ! なら、ボクが彼らを迎えに行く! 場所はわかってるんだ!」
「待ちなさい!」

今にも飛び出そうとしていた大門を、乃得留は鋭い言葉で制止する。

「お願いだから――どうか短気を起こさないでください。私たちには、大門さんの力が必要なんです――」
「く――」

確かに乃得留と小枝子をこの場に残していくわけにはいかない。
大門がこの場を離脱すると敵対者にとって、か弱い女性二人は格好の獲物となってしまうからだ。

「――すまない。ノエルさんの言う通りだ」

守るべき人物は、あの若者たちに限らない。
握り締めた拳を解き、大門は女性二人に向き直った。

「わかってくれて、何よりです。とにかく、圭介くんたちがまだそうと決まったわけではありません。
 とは言え、後々のことを考えるとあまり彼らを待つためにここに留まり続けているわけにもいかないわ」

小枝子さんのためにも、と乃得留は付け加える。
「手続き」が終わってすぐ、大門たちは情報の共有を開始した。
その際に古谷小枝子のPDAは「7」だと大門に開示された。

彼女の解除条件は開始から6時間目以降に生存している全プレイヤーと遭遇すること。
そのためには戦闘禁止エリアが解かれる前になるべく多くの賛同者を集め、
危険を減らしておきたいと乃得留は発案していた。

禁止エリアの解除まであと2時間弱。
その後の未発見のプレイヤーとの遭遇はそのカードの種類にかかわらず、幾許かの危険がつきまとうことになる。
だからこそ戦闘禁止が生きている間に接近を試みておきたい。
故にあまりグズグズしているわけにもいかないのだ。

「あと10分――いえ、15分待ちましょう。その間に二人が戻ってくるなら万事問題なし。だけど――」

戻ってこないならば。
ほぼ確実に彼らはキラーカードを引き当ててしまったことになる。

考えたくはない。だが人格と振り当てられたカードに関連性など無い。
鳴神圭介と森下美雪がどれだけ好感の持てる若者であっても、
人を殺さねば生きて元の世界に帰れない事実に変わりは無い。

「たとえそうであっても、小枝子さんの解除条件のために私たちはもう一度、圭介くんたちと再会しなければならない。
 それまでに何か、方法が見つかればいいんだけれど」

乃得留にしてははっきりとしない物言いから、その可能性は極めて低いことが大門にも伺えた。
とにかく全てにおいて、今は祈るしかない。
彼らが無事帰ってくることを。悪条件の別口の達成方法が見つかることを。

「少し、外に出てきます。すぐ戻ります」

ふいに、乃得留がそんなことを言い出した。

「気は進まないけど、あの女性の死体を調べておこうと思って。
 もし彼女のPDAが無事なら、圭介くんたちのカードを知る手がかりになるから」
「そうか。ボクも付き合おうか?」
「いえ、大丈夫。それよりも小枝子さんについてあげてて下さい。すぐそこですし、そんなに時間もかかりませんから」

時間をかけたくもありませんから、と冗談めかして乃得留は扉へと向かう。

「え、あ、ちょ」

止める暇も有らばこそ。あっという間に乃得留は姿を消してしまった。


(参ったな――)

大門は伸ばしかけた手を戻し、頬を掻く。そして、ちらりと小枝子に一瞬だけ視線をやる。

「――」

小枝子は部屋の隅で身体を小さくしたまま動かない。
それはそうだろう。彼女が安定を取り戻したのはその場に乃得留がいてこそのことだ。
まして自分には初対面で彼女の怯えを助長させてしまった苦い経験がある。
こうして二人きりになれば警戒されるのは当然だろう。協力関係を結んだとはいえ信頼を得るにはまだ程遠い。

(うう、気まずいなあ――)

生来大門は弁の立つ方ではない。
加えて身体が予期せぬ規格に成長してしまったことがさらに拍車をかけてしまった。
武勇を欲しいままにしている男が実は小心で朴訥であるなどと、誰が想像できるであろうか。

(それに――)

今一度、小枝子を窺う。
こんな時に我ながら不謹慎だと思うが。どうにも彼女が気になって仕方が無い。
憂いを帯びた表情。乱れた衣服の端々から覗く白い素肌。そのどれもが大門の心を乱し続ける。
惨劇をただ独り目の当たりにし、心に傷を負った彼女を本当に気の毒だと思い、力になりたいと思っている。
いつも以上に気後れしてしまっているのはそれが理由に他ならない。

人数が多い間は、会話に便乗して話しかけることができた。だが二人きりとなった今では。
こんな時にあの鳴神圭介ならば、至極簡単に会話を繰り出すことが出来るのであろう。
大門は一回りも歳の離れた少年の気質を心底羨ましく思い、同時に我が身を呪う。

だがこのままではまずい。
乃得留が戻ってくるまで沈黙を保ち続けるのは今後に影響を与えてしまう気がする。
頼りにされるのが自分の武力だけ、という事態は出来ることなら避けたいのだ。
やはり人間・大門三四郎に信頼を抱いて欲しいのだ。

「――あの」
「!! は、はいっ!」

唐突に呼びかけられ。大門の巨躯が跳ね上がった。
振り返ると、すぐ側に。いつの間にか古谷小枝子の姿があった。

「な、ななな何でしょうか古谷さんっ!」

不意を付かれて言葉にならない。これでは先程の乃得留を笑えない。
大仰な大門の反応に小枝子は一瞬訝しげな表情を見せたが、すぐに柔らかいものへと変化した。
幸か不幸か、その少年のような初心な反応が彼女の警戒を解く切欠となったようだ。

「大門さんには、ずっとお礼を言わなければと思っていたんです。私がこうして生きているのは、貴方のおかげですから」
「へ? ボクの――ですか?」

記憶に無い。自分が彼女にしたことといえば、力任せに狂乱する彼女を取り押さえただけだ。
しかもそれは、あんなやり方があるか、と乃得留に叱責された拙い対応だったと言うのに。

「はい。ノエルさんに伺ったんですけど、あの時の私がもし誰かを傷つけていたら、
 警備システムに暴力行為と見なされていた可能性があるらしいんです。
 あの時取り押さえてくれたのが大門さんだったからこそ、判定をすり抜けることができたのだと」
「はあ」

確かに小枝子の身長は、女性にしてはそれなりである。
そんな彼女の暴走を止めるには、多少の筋力では困難なものだったかもしれない。
自分の怪力だからこそ、警備システムには子供を窘めているようにしか映らなかったということか。

「だから――ありがとうございました。助けて頂いて」
(う――)

丁寧に頭を下げる小枝子の姿に、また一際鼓動が早まる。
優雅で、可憐。そんな陳腐な表現でしか彼女を言い表せない自分がもどかしい。

「どう、いたしまして。貴方の助けになれていたのならば、今まで鍛えてきた甲斐があるというものです」
「ふふ、そんなご謙遜しなくとも」

応じて小枝子が短く微笑む。だがすぐにその表情に影が落ちた。

「こんなことを言っても詮無い事ですけれど――なぜ私、なのでしょうか?」
「え!? そ、そ」

それはどういう意味でしょうか――続きが口から上手く出てこない。
まさか、自分の胸の内を見透かされた、というのだろうか?

「私たちは、『ゲーム』のプレイヤーとしてこの施設に招かれたらしいですね。妙な言い方ですけれど、
 プレイヤーにも『格』、というものが必要でしょう? 大門さんやノエルさんは、その資格を十分に有していると思います。
 ですが、私は何の特技も持たない無力な女です。
 人が死ぬ現場を目の当たりにして、怯え泣き叫ぶことしかできない女なんです」

「それ、は――」

そんなことを言われてもわからない。
自分とて空手を除けば人に劣る部分しか持ち合わせていないのに。

「そんな私に、どうやって人を殺せるというのでしょう? 
 誘拐犯が私に人を殺せる何かを見出したから、攫ったのだ、とでも言うのなら――酷い、誤解です」
「も、勿論です! 貴方はそんな人じゃない!」
「!!」
「あ、いや――失礼。つい興奮して声が大きくなってしまった」

自然と口から飛び出した雄叫びのような声は、怒りによるものだと大門は自覚した。
無論小枝子に対してのものではない。これほどに彼女を苦悩させる、誘拐犯に対してのものだ。
だが罰すべき対象は今この場にいない。いるのは哀れな被害者だけだ。
怒りをぶつける相手がいないなら、憤っていても仕方が無い。

「と、とにかく。今はそんなことを考えても仕方が無い、と思います。過ぎてしまったことですから」
「そう――ですね。ごめんなさい。つい、弱音を吐いてしまいました」
「い、いえ。それは、いいんです」

弱音など全部ボクが受け止めます。そう自然に口にできたらどれだけいいだろう。
だが現実はこちらを見上げる彼女の顔を直視できない自分がいるばかりだ。

「そ、それに今は、ボクもノエルさんも一緒です。互いに助け合って、脱出することが先決です」
「ええ、協力して、『ゲーム』をクリアしましょう」

どうにか小枝子はまた落ち着きを取り戻したようだ。大門はほっと一息つく。
それにこんなにも近くで会話が出来るようになったのは何よりの収穫だ。
このまま。何もかもが上手くいけばもしかして――などと邪な妄想が大門の頭をよぎった瞬間。



「早く帰って――娘を安心させてやらないと」


(――え?)

衝撃的な小枝子の発言と同時に。大門は気づいてしまった。

首輪と同じ光沢の、銀色の指輪が彼女の左手の薬指に嵌められている事に。


「すみません、お待たせしました――あ、あら? もしかしてお取り込み中でしたか?」
丁度戻ってきた乃得留の声が、なぜだか遠く聞こえるようだった。














――もしもし、私だ。
――ん、何かあったのか、だと? 当然だ。でなければこんな序盤に連絡などするものか。

――惚けるな。『利根川静香』の件だ。
――なぜ彼女が死んだのか、教えてもらおうか。そちらのモニタでは確認が取れているだろう。

――何? 警備システムに射殺された? そんなものは見れば解る!
――肝心なのはなぜ彼女がペナルティを負ったのか、に決まっているだろう!


――答えろ。

――なぜ「今回のサブマスターである利根川静香が」戦闘禁止が生きている段階で死んだのだ?



――ふん。黙秘か。そうだろうな。
――予定外の事態とはいえこの程度では情状酌量の余地は無い、ということか。

――ああ、わかっている。わかっているさ。
――おそらく彼女は殺されたのだろう。彼女は有能ではあったが同時に迂闊な部分もあったからな。



――ん? その結論に至る根拠か?
――簡単な事だ。彼女のPDAが紛失している。破損した残骸も見当たらない。
――つまりは何者かが明確な意思を持って奪取したということになる。ならばこの結論が妥当であろう?



――まあ、およそ順調とは言い難いな。スタートでいきなりケチがついた。
――だが些細な問題だ。この程度なら私の進行に支障は無い。
――ただ追従カメラの件に関してはそっちでお偉いさんに侘びを入れておけ。私の責任ではないからな。



――言われなくとも。油断などするわけがないさ。
――私は私なりに全力を尽くす。その結果にはきっと満足してもらえるだろう。


――何せ今回は。

――今回の「ゲーム」は。



――私の「ゲームマスター」としての記念すべき初舞台、なのだからな――





 ゲーム開始より4時間05分経過/残り68時間55分



【プレイヤーカード:開示】
・「7」:古谷小枝子



【裏情報:開示】
・13人のプレイヤーの中には組織側から「ゲームマスター」と「サブマスター」が配置されている。
・「ゲームマスター」とは殺し合いの「ゲーム」を恙無く進行させるための現場責任者である。
・「サブマスター」とはマスターの補佐と注目プレイヤーの追従カメラマンとしての責務を負うものである。



[21380] EPISODE-9
Name: でしお◆ff3c50cd ID:912e8347
Date: 2010/09/05 14:07
女性の死体の弔いに予想外に時間がかかったものの、その後の道行きに問題はなかった。
連続する変わり映えの無い景色に多少の混乱を招いたものの、そこは美雪の確かな記憶力で被害は最小限に押し留められた。
ルール解析の際の理解の早さといい、彼女の頭脳の優秀さには目を見張るものがある。
おそらく学業の成績も相当なものだろう、と圭介もただただ驚嘆するばかりであった。

二人はまず美雪が最初に目覚めた部屋に辿り着いた。

早速PDAを回収するため、美雪は一人部屋の中へ入っていく。
それじゃあ行ってきます、と宣言した少女の表情は緊張のためかやや強張って見えた。
そして残された圭介は今扉のすぐ横で壁に張り付くように起立したまま彼女の戻りを待っている、のだが。

(遅いな、森下さん。何がそんなに時間がかかっているのだろう?)

美雪が部屋の中へ消えて既に10分が経過していた。
PDAの回収の他に荷物を纏める必要があるとしても、随分と時間がかかっているように思える。
PDAが見つからないにしても装飾に乏しい室内だ。
隅々まで捜索し、「この部屋には無い」と結論を下すのに10分はかからないであろう。

(となると――うん。その可能性は否定できないな)

圭介は自分の上着の裾を摘み上げる。
先程の「見送り」の際、幾らか女性の血で汚れてしまっている。
今の場所に戻ってくるまでの道筋の途中で洗面所を発見し、
出来る限りの血の跡は洗い落としたつもりだったがさりとて完全ではない。
用意があるのなら着替えてしまいたい、というのが素直な感想ではある。

もし美雪も、同じ事を考えたのだとしたら。そして荷物の中に用意があったのだとしたら。
この扉の向こうには、魅惑の光景が広がっているということになる。

(なんだ。だったら男として最低限の義務は果たさねばなるまいて)

圭介はすり足で扉に近づく。些細な物音も立てぬよう、慎重に。

(スケベ心ってのはようするに雄としての種の保存欲求なんだよ。
 つまりは当然、どころではなく必要不可欠な本能であるわけだ)

ドアノブに手をかける。ゆっくりと回す。
音はなくとも開錠された手ごたえがある。

(だから俺のこの行動はいわば人類を守るためのもの! 
べ、別に森下さんの下着姿やもっと先の姿に興味があるわけじゃないんだからねっ!)

微かに、隙間が開く。少しずつ、少しずつ安定した視界のために開いていく。

――いざ参らん! まだ見ぬ理想郷へ!

(――と、まあ冗談はこのくらいにして、だ)

いったい誰に対して言い訳をしているのか。
今までの行動を最速で巻き戻し、圭介は再び元の位置へと戻る。
扉の向こうの美雪は今まさに運命の分かれ道、人生の分岐路に立たされているのだ。
いくら待ち疲れて手持ち無沙汰でも、悪ふざけは程々にしておかないといけない。

(いや――違うか)

本音を言えば。単に不安を紛らわせたいだけなのだ。

美雪が今直面している現在は圭介の未来のものである。
一歩間違えば命を失いかねないこの地獄のような境遇において、それでも救いがあるのか否か。
程なくその結論が出るが故に、目を背けたいがだけなのだ。

(情けないな――あの時「もう逃げない」って決めたのに、また同じ事を繰り返そうとしてる)

逃げること、考えないこと。それは確かに楽な事なのだ。
だがそれでは前に進めない、もしくは道を外れてしまう。決して乗り越えることはできない。

不幸を嘆くな。運命を呪うな。
今までもそうしてきたし、これからもそうでなければならない。
あの時。そう思い知ったはずではなかったか。

ああ、もしかすると。と、圭介は不意に思い至る。
もしかすると、美雪も。今まさにそうなのかもしれない。
下された結論が、どうしても認められなくて。でも認めざるを得なくて。
それでただ呆然と、立ち止まっている。だから出てこないのではないだろうか?

(――ん?)

ふと。僅かに漏れる光に気が付く。どうやら扉をしっかりと閉めておらず、隙間が開いてしまったようだ。
その向こう側から、微かに美雪の声が聞こえたような気がした。

(――何だ?)

こちらに向けられた声ではない。故に最初は泣き声ではないかと不安になった。
だが抑揚だけははっきりとしており違うように思える。呟き、というのが正しいのかもしれない。

携帯が通じないのは既に確認済み。無論部屋の中に他の人間がいるわけもない。
だとすると独り言か? ここからでは内容ははっきりと聞こえないが――

(おっと)

声が止んだ。そして足音が近づいてくる。
慌てて圭介は二歩離れ、何事も無くただ待っていただけの姿勢に戻った。

「ごめんなさい。お待たせしました」

再度圭介の前に姿を現した美雪の表情は思っていたほど深刻なものではなかった。
だが無理に平静を装っている可能性もある。安心に至るのは些か早計に思える。

「鳴神くん、見て下さい、これ」

どう切り出すのが不自然ではないか、などと圭介が思案に暮れる間も無く。
美雪は自分のものであろうPDAを表にして突き出してきた。

「これ、は――」

その絵柄は赤の心臓を彩った貴婦人。ということは――


「はい。『Q』です。わたしは――大丈夫でした」


「Q」の解除条件は「2日と23時間の生存」。
特殊な手順を一切踏むことなく、ただ生き残ればいい。全解除条件の中でも屈指の低難易度条件だ。
最悪美雪は、時間が来るまで隠れ続けてさえいれば条件は達成できるのだ。

「そっか。よかった――本当に」

心の底からそう思えた。
難易度もさることながら、彼女が人を傷つけずとも生き延びられる条件なのが何より喜ばしい。
争い事など縁の無い、だが人を見捨てられない心優しい少女。
そんな彼女が、鮮血に手を染めねば助からないなど、これほど酷なことは無い。
唯一「ゲーム」の最終盤まで戦場に身を置き続けねばならないことが不安と言えるがそれは贅沢というものだろう。

「そういえば、結構時間がかかってたけど何かあったの?」

美雪の服装は部屋に入る前と変わっていなかったのでどうやら着替えていたわけではないらしい。

「え? そ、そんなに時間かかってましたか!?」

軽い気持ちで聞いたつもりだったが、意外に大げさな反応が返ってくる。
どうしたというのだろう? こうなると気になって仕方が無いではないか。

「えっと、ですね。ぴ、PDA自体はすぐに見つかったのですが。
 そ、その――画面を開く勇気が、どうにもありませんで」

その気持ちはよくわかる。
圭介とてこの先に待ち受ける結論を、先延ばしどころか抹消したくてたまらないのだ。

「それで、その――ず、ずっと」
「ずっと?」

「――ゆ、勇気が出るまで、ずっと自分で自分を励ましてましたっ! しかも声に出してっ!」
「――」

それっきり。美雪は真っ赤になって俯いてしまった。

「――『がんばれ美雪、負けるな美雪、わたしは強い子元気な子』、とか?」
「に、にににに、似たようなものですっ!」

どうもこの動揺からして、系統は同じでさらに恥ずかしいもののようである。
そういえば先程漏れてきた声は、内容までは聞き取れなかったが毅然とした男口調のようだった。
追求してみようか、と圭介の中で加虐心が頭を擡げたが流石に理性がストップをかけた。
そうなれば冗談であったとはいえ、のぞき行為を働こうとしたことを告白せねばならない。

「――やっぱり、へんな女の子だって、思ってます?」

深呼吸一つして気を落ち着かせ、美雪は上目遣いに恐る恐る尋ねてくる。

「まあ、少しは、ね。でもそれなら俺だって似たようなところを見られてるし」
「あ、そうでした」

そもそも圭介とて覚醒の段階で混乱の極みに達した挙句、妙な一人芝居をやらかしているのだ。
あまつさえそれを美雪にはしっかりと目撃されている。馬鹿に出来る資格などあるわけがない。

「それに、この程度では森下さんの魅力は色褪せないよ。だから安心して」
「――鳴神くんって、本当にそういう台詞を口にするのに抵抗が無いですよね」
「おかげでよくクラスの女子に冷たい目で見られます」
「当然です! 言葉自体は嬉しいものですけど、男の子はもっと誠実であって欲しいです!」

励ましたつもりが逆に怒られてしまった。
なぜだろう? と圭介はしきりに首を捻る。

「肝に命じます。さて――次は俺の番か」

あ、と少女の表情が再び緊張に包まれた。
美雪のPDAは回収され、好条件も引き当てた。あとは圭介が自身の決着をつけるのみ。
だが美雪とのやり取りで幾分気分は緩和されたものの、事実の重さに変わりは無い。

「森下さんはノエルさんたちのところに戻っていて。俺は――ん?」

一人で部屋を調べてくる、と続けるつもりだった。
だが美雪は圭介の袖をしっかりと掴んで離さない。

「――どうして?」

一緒についていく、ついていきたい。
そんな彼女の言いたいことはわかるし、その気持ちは正直ありがたい。
だが自分の安全は確保された。傍にいる男はその限りではない。
なのになぜ? 圭介には美雪の考えに明確な理由が見出せない。

「――わかりません。でも、鳴神くんを一人にはしたくない、そう思ったんです」
「でも、危険だよ?」
「大丈夫。まだ戦闘禁止エリアが解かれるまで時間がありますから」

違う、そうじゃない。彼女は何も理解していない。
今の状態で美雪が真に警戒すべきなのは、他ならぬ鳴神圭介という男なのだ。
圭介は自身の精神力が鋼の如きものである、などと自惚れるつもりはない。
だからこそこうして、過剰にふざけて適度に発散しているのだ。

そんな自分が、もし。乃得留の提唱する「キラーカード」を引き当ててしまったら。
その時は、平静でいられる自信が無い。
混乱し、錯乱し。ルールの何もかもを考えず、傍にいる誰かを傷つけてしまうかもしれない。
その「誰か」が美雪であることなど、考えたくもなかったのだ。

「――」

だが、少女の瞳の中の決意は揺るがない。
「人を捨て置けない」という性格は相応に頑固でなければ成り立たない、ということなのだろう。
こうなればもう、彼女の説得は容易ではない。
確固たる信念の前には幾百の言葉も意味を成さぬであろう。

「――わかったよ。ただし『俺が』少しでもおかしな素振りを見せたら、すぐに逃げること。いいね?」
「はい、 わかりました」
「よし、じゃ、行こうか」


ついに圭介は、その一歩を踏み出した。100メートル先に待つ、己の未来へと向かって。




 ゲーム開始より4時間17分経過/残り68時間43分




[21380] EPISODE-10
Name: でしお◆ff3c50cd ID:912e8347
Date: 2010/09/05 14:37
道行きの間は互いに無言だった。
さしもの圭介も最早軽口を叩く余裕は無く、美雪もまた率先して口を開くことはなかった。

この沈黙は、美雪の気遣いであると圭介には感じられた。
こんな状況でかけられる言葉など、たかが知れている。
だが安易な励ましは相手の苛立ちを不用意に呼び込みかねない。
まして美雪は今「安全なカードを引き当てた」という羨むべき立場にいるのだ。

だからこそ少女は、無言で圭介の後に続く。ただ圭介の背中を見守り続ける。
けれどそれが。たったそれだけの行為が、どれほど圭介に安心感を与えられているだろう。
惑う事無く動くこの足が何よりの証拠であると。圭介は素直に感謝した。


   
「着いた。ここだ」

眼前の光景と記憶とを照らし合わせ、齟齬が無いことを確認して圭介は立ち止まる。
今まで目にしてきたものと寸分違わぬ扉にはどこか懐かしさすら覚えた。

あれから3時間弱。様々なことがありすぎた。

女性の死体の発見、乃得留たちとの邂逅。そして明かされた「ゲーム」の詳細。
犯罪者の思惑に異を唱え、脱出を目論んでいた勇敢な少年はもういない。
今はただ、運命に振り回され臆病になった自分がいるだけだ、と自虐めいた思考が圭介の胸に去来した。

「――」

汗ばむ手のひらをズボンに擦り付け、金属の突起に触れる。
軋んだ音と共に開かれた扉の向こう側は、以前と変わらぬ佇まいだった。
放置したままの圭介のバッグが机の足元にあることも、ここから十分に目視できる。

「ここで、待っていて。ああ、ドアは閉めなくていいよ」
「はい」

何一つ、偽るつもりはない。
美雪に対して圭介は一部始終を見届けてもらうつもりでいた。

手探りで入口近くのスイッチをまさぐり、部屋に灯りを点す。
そのままゆっくりと。部屋の中央に向けて歩を進める。

「――森下さん。森下さんのPDAは、部屋の何処に有った?」
「はい? え、ええと。机の上に普通に置いてありました」
「そっか」

「ゲーム」のプレイヤーにとってPDAの所持は絶対的な生命線。
それを確実に取得させるためには、覚醒してすぐに目に付く位置に置いておかねばならない。
この部屋の数少ない家具の配置はおそらく他の参加者のスタート地点とほぼ同じようなものだろう。
となればベッドのすぐ脇にある机。その上がPDAの置き場所としては最適であることに疑いは無い。

ところが、今圭介の目の前にある机にはPDAの影も形も見当たらなかった。
だが圭介にとってそれは不思議でも何でもない。
3時間前の自分の行動を思い起こせばそれは当然の状態だった。


あの時。この机の上には圭介の私物が展示物のように並べられていた。
そのくだらない中身と数を人前に晒すのが恥ずかしかった。
だから全部纏めてバッグの中に押し込んでしまったのだ。

おそらくその中に、PDAは紛れ込んでいた。
そうなると必然、PDAはこのバッグの中、ということになる。

――なぜあの時、気が付かなかったのか。多少の違和感はあったはずなのに。

圭介は思わず過去の自分を責め立てた。
だがそれも無理からぬことなのだ。何せ圭介の私物には似たような機器があまりにも多すぎたのだ。

携帯電話が3つ。携帯音楽機器が3つ。実は今回のものとは規格が違うがPDAも2つ持っている。
そしてそれらの中に、本来の用途として使えるものは殆ど無い。
機種変更の都合上、不必要となってしまったもの。
型落ちや故障などで、既に使用に堪えないか機能に乏しくなってしまったもの。
そんなガラクタと化したものを、他人から無料か格安で払い下げたものばかりだ。
全ては手品のタネに使えないものかと思案し、収集した成果である。

(――馬鹿すぎる)

普段からそういった思いを抱かないでもなかったが、今回は格別だ。
だが今更そんなことを言っても仕方が無い。

――さて、鬼が出るか、蛇が出るか。

意を決した圭介は膝を付き、バッグのジッパーに手をかけ、一気に引き下ろした。





雑多に詰め込まれた無数の機器が姿を現す。その中に手を突っ込みかき混ぜる。

(――)

程無く見覚えのある色が目に入る。途端に圭介の手が止まる。

(――これ、か。これなの、か)

心臓の鼓動がやけに五月蝿い。
この音は、入口で待つ少女にまで届いているのではないだろうか。

ゆっくりと。手を伸ばす。左手が、一つの機器を掴み取る。

(操作法は――)

画面の上を鍛えられたしなやかな右手の指が滑る。
淀み無く、定められた作業を完了する。

そしてついに。液晶ディスプレイに一つの絵柄が表示された。

「――森下さん」
「は、はひっ!」

美雪の返事は声が裏返っている。
圭介の得た答えを欲すると同時に、恐れているのがよくわかる。

PDAを握り締め、圭介は立ち上がる。背筋を伸ばし、重い重い息を吐く。
やがて。美雪の方へと向き直り。




「どうやら俺も――大丈夫だった、みたいだ」



僅かばかり微笑みながら。「スペードの『6』」が表示されたPDAを掲げて見せた。



「よ――」

しばしの間があって。突然美雪の膝がかくり、と折れた。
慌てて扉の縁に手を添えるものの、身体を支えきれずそのままずるずると床にへたりこんでしまう。

「森下さんっ!?」
「よかった、です――本当、に――」

すっかり脱力してしまった少女の目尻には涙が浮かんでいた。
だがそれとは裏腹に表情は笑顔。圭介のことを魔術師と呼んだ、あの時と同じ笑顔だ。
それだけでわかる。彼女がどれほど、圭介の結果を心配していたか。
心優しい彼女が、どれほど心を痛めていたか。

「ごめん。心配かけちゃったね」
「いえ――いいんです。わたしが自分で言い出したことですから」

背負わずともいい、他人の不安。
だが背負わずにはいられなかった。見届けずにはいられなかった。
おそらく遠く離れた場所で圭介の未来が決まってしまうことの方がより不安だったのだろう。
このまま何も判らずに、もしかすると離れ離れになる方が余程に苦しいと感じたのだろう。

「でも、安心するのはまだ早いよ。むしろここからがスタートだから。生きて、もう一度帰るための」
「はい、そうですね」

圭介は美雪の元へ駆け寄り、手を取って立ち上がらせる。
初めて触れた少女の手は、思っていたよりも華奢なものだった。

「それじゃ、行こうか――と、その前に」

自分で宣言し、そして自ら「待った」をかける。

「? どうしました?」
「いやその――いろいろあって、すっげえ嫌な汗かいちゃったからさ。中のシャツだけでも着替えたいんだけど、待ってくれる?」
「あ、はい。もちろんいいですよ」
「助かるよ」

今度は大股で躊躇い無く。バッグのある位置へと戻る。
そしてバッグと、美雪の顔を交互に見比べる。

「――ごめん。さすがの俺も、女の子の前では着替えにくい」
「え? あ――し、ししし失礼しましたっ!!」

瞬間顔に火を灯し。慌てて美雪は大きな音を立てて扉を閉めた。









閉じられた扉により、美雪の喧騒は一瞬にして遮断された。途端に室内に静寂が訪れる。

少し前に気づいたことだが、この施設の防音設備はかなりのレベルのものらしい。
出入り口さえ完全に密閉してしまえば多少の物音は外部に漏れることはない。
それが企画者たちが意図したものなのかどうかはわからないが。



そんな中。一人圭介は呆然と佇んでいた。
先程まで美雪に向けられていた、若者らしい笑顔はもうそこにはない。
額には汗が滲み出し、唇は青ざめている。

「俺、は――」

呻くような声が、喉の奥から絞り出される。
PDAを握り締める左手は、目に見えて震えを発していた。


「俺は――何を、やってる、んだ――?」


自分の行動が信じられなかった。
まるで何者かに操られているかのようだった。
気が付けば。美雪にこのPDAを翳し、共に喜びを分かち合っていた。


なぜだ、なぜ。
あんなにも平然と、彼女の前に立てた。
なぜ、あんなにも平然と。


何か大事なことを失念している、と思っていた。
それを今、思い出した。

それは美雪のPDAの確認。彼女の「Q」は真実のものであるのかどうか。
だが自分なりに彼女と接してきて。森下美雪がどれほどにまっすぐな少女であるかは痛感してきた。
そんな彼女が、まさか絵柄を偽っているなどとは考えもしなかったのだ。


だけどもう。その確認は必要無い。
彼女のPDAの絵柄は間違い無く本物であると確信できる。


なぜならば。睨みつけるような圭介の視線の先。

最早用済みになったはずのバッグの中に、もう一つのPDAが存在していたからだ――



なぜ圭介が2つのPDAを所持していたか、理由は語るまでも無い。
参加者1名につき1台配布されるPDAが、たまたま圭介の私物に紛れ込むわけもない。

それはたった一人にのみ所持を許されたワイルドカード。
波多島乃得留があれほどまでに所有者の特定に神経質になっていた混乱の種。

しかし、圭介のバッグの中のPDAの絵柄は、道化師のそれではない。

(なぜ、俺は――)

圭介は、今ほど自分自身を軽蔑したことはなかった。
もしも刃があるのなら、今すぐこの身を切り刻んで欲しいとさえ思えた。



(あんなにも平然と――彼女に嘘を、ついたんだ!?)



そう。既に。「JOKER」は効力を発揮していた。
今圭介の左手にある「6」こそが――JOKERの成れの果てなのだ。




何一つ、偽るつもりはなかった。

森下美雪という少女を傷つけたくなくて。失いたくなくて。
例えそれがどんな結末であったとしても。
包み隠さず曝け出そうと。そう心に決めていたはずだったのだ。

だが、2つのPDAを発見した瞬間。
本心と本能が道を違えた。
無意識の内に、圭介の指はJOKERを操作していた。

偽装操作は簡単だった。
大門のPDAにはなかった操作パネルに指を触れると、13の絵柄が画面に浮かび出た。
その中から「6」を選び出すと、画面一杯に絵柄が広がり固定された。
所要時間約7秒。美雪に疑われるべくもない、咄嗟にして瞬時の操作だった。

今この場にいるのは圭介と美雪の二人だけ。そして美雪のカードは「Q」と判明している。
皮肉にも。乃得留が提唱した「JOKER偽装が成立する条件」は達成されていたのだ。
美雪はこの結果を鵜呑みにし、今も圭介の安全を安堵しつつ部屋の外で待機しているのだろう。


――今ならまだ間に合う。真実を全て、彼女に打ち明けろ。
――嫌われようと、蔑まれようともいいじゃないか。元よりそのつもりだったろう?


(――)

だが、圭介の本能はそんな訴えを受け入れることはできなかった。
今圭介は何としても。美雪の側を離れるわけにはいかないのだ。

(俺は――森下さんを)

それは決して、恋慕のような美しい想いからではない。
もっと下衆で最低な欲求によるものだ。

(殺さねば――助かることはできない)

そう。圭介が引き当てた真実のカードは「A」。

首輪の解除条件は「Q」の所持者の殺害。すなわち美雪の死によってしか成り立たない。
その符号が一致した瞬間、悪魔は囁いた。何としてでも美雪を繋ぎ止めるのだ――と。


否定したい。圭介はそんな自分を否定したくてたまらない。
だが、理性の中にも妥当な判断であったと言える自分がいるのだ。

まだ、俺は死ねない。
こんなところで、死ぬわけにはいかない。と。

――だけど、本当にそんなことができるのか?

あれほどまでに自分を信頼してくれて、あれほどまでに心配してくれた少女を。
本当にこの手で、殺さなければならないのか?
本当に彼女を、裏切らなければならないのか?
自分を決して見捨てなかった彼女を――見捨てることができるのか?


許される、わけがない。
人殺しは、人間にとっての最大の禁忌だ。
しかも相手は森下美雪。恨みや憎しみとは真逆の位置に立つ少女。


けれ、ども。

そうでなければ生きられない。
そうしなければ、生きて再び日常を取り戻すことはできない。

自分の命がそれほどに価値のあるものかという問いに対して。
胸を張って論ずることなどできないけれど。

それでも。「死にたくない」という痛烈な思いがあることだけは確かなのだ。


「――」

血が滲むほどに強く唇を噛み締める。
崖っぷちで踏み止まろうとする意識と意思が、いつものように圭介に冷静さを取り戻させる。

――時間は、まだある。あと60時間以上も。
――だけど。それで、もし。どうしようもないことなのだとわかってしまったら。

大きく息を吐き、天井を仰ぎ見た。
ふと、今まで気づきもしなかった機器が、壁の上部に据え付けられているのが目に入る。

(そうだよな――ここまで大げさな準備をしてんだ。これがあるのは自然だろうよ)

13人の人間を拉致し、巨大な施設に押し込めて行われる「ゲーム」。
それがいざ本番になるに至って、放置したままであるはずがない。
それはもう。一部始終を観察できて然るべきだと、圭介はカメラのレンズを忌々しげに睨み付けた。


(俺がこうすることが望みだったんだろう――さあ、望み通りにしてやったぞこの人でなしどもめっ!!)


心の底から、そう叫びたかった。
だがそれが躊躇われたのは、万が一にも美雪に聞こえては困るから。

そして何よりも――自分もまた、その人でなしの一人であると。思い知ったからだった。







「随分と時間がかかってますね。どうしたんだろ鳴神くん」

そんな圭介の葛藤に気づくこともなく。
部屋の外で待機していた美雪は落ち着き無く、コツンと壁をつま先で叩いた。




 ゲーム開始より4時間25分経過/残り68時間35分



【プレイヤーカード:開示】
・「A」:鳴神圭介
・「Q」:森下美雪

・「JOKER」:鳴神圭介



[21380] EPISODE-11
Name: でしお◆ff3c50cd ID:912e8347
Date: 2010/11/21 05:02
(出口は――出口は、どこっ!?)

鳴神圭介が最悪の結論と向き合っていた頃。一人の少女が同じ施設内を闊駆していた。

少女は混乱していた。自らの日常が瞬間に断絶を迎え、気が付けば異常な施設の中。
己の人生に深い関わりがある医療病棟に酷似しているものの、医師の姿も患者の姿も見当たらない。
何よりも。命の息吹なるものが、何一つ感じられない。
無機質な造りが、漂う空気が。悪意そのものに塗れていた。

――気持ち悪い。

目覚めて真っ先に抱いたのはそんな感情。
続いて襲ってきたのは途轍もない不安と、恐怖。
それら全てが混ざり合い。今までの自分とは明らかに剥離した現実に直面し。
そして漸く、少女は「自分は攫われたのだ」という結論に至った。

なぜ、と問えども答えは返ってこない。
少女が目覚めた部屋には少女以外には誰もおらず、誰も訪れはしなかった。
時間の経過と共に、不安はますます肥大していく。

一人には慣れていたつもりだった。
数年前に天涯孤独の身と成り果てた少女にとって孤独な部屋は当然な日常だった。

だけど、これは違う。耐えられるべきものではない。

何とか現状を打破できないものかと、少女は部屋を散策した。
その最中で発見されたのが、今少女の手の中にある黒色の携帯端末。
私物の中に紛れて机の上に置かれていたそれは明らかに異形なものであったが、
だからこそ確実に自分の今後の鍵を握るものだと判断できた。

まさか爆発しないよね――と恐る恐るスイッチを押し込み。
そして表示された条項の数々に仰天した。
この場に留まることは危険だと、少女は即座に部屋を飛び出した。

――逃げなければ。逃げ出さなければ。
――じゃないと、私、殺される!

悲運を告げたPDAには、施設内の地図機能が搭載されていた。
少女はそれを片手で操作しながら走る。施設の出口を捜し求めて。


少女のPDAに、ルールの⑤は記載されていなかった。
すなわち少女は、万が一脱出が叶ったとしても警備システムに処刑される事実を知らない。

だが、閉鎖空間の中で殺し合いをさせるという誘拐犯の意図は理解しているつもりだった。
だとすれば。このまま出口に辿り着いたとしても。
おいそれとは逃げ出せない造りになっているかもしれない。

けれどもその可能性に縋るしか、今は無いのだ。
何の取り得も無い自分が、こんな「ゲーム」で生き残れるとは到底思えないのだ。


――だって、こんな条件。私に達成できるわけないじゃない!?


肩まで伸びた亜麻色の髪が、汗で首筋に張り付く。
掻き揚げた指が首輪に触れて、重い何かが胸の内でひしめく。

「はあっ、はあっ――」

徐々に息が、切れてきた。まだそれほどに走ってはいないはずなのに。
虚弱な自分が恨めしい。だけど体力を鍛える暇などなかった。

無理も無い。
何せ少女は今までの人生の半分以上を、ベッドの上で過ごしてきたのだから。

「はあっ――は――」

ついに足が止まってしまった。もうこれ以上は走れない。
身体が休息を求めている。肺が酸素を求めている。
それでも目的地と定めた西南端の広場まではまだ遠い。
未だ脱出の見通しすら立たない状態では、とても留まってなどいられない。

――走らなければ。

疲れた身体に鞭を当て。何とか呼吸を短時間で整える。
さあ、と少女が再び気力を取り戻し。顔を上げたその瞬間。


「――おい」
「!!」


何者かに、背後から呼び止められた。
恐怖が電流のように身体の中を突き抜けた。
走ると決めたはずの自らの2本の脚は、たちまちに硬直してしまった。

「ゆっくりと振り向け。ゆっくりとだ」
「は、は、はい――はいぃっ!?」

180度向きを変えさせられた少女の目の前に立っていた人物は。
まさに今という現実を形にしたような男だった。

(な――何なにこのヒトっ!!)

大柄な体躯、そこまではいい。
だが季節的にも施設的にも必要の無いであろう帽子とサングラスで表情が隠されている。
唯一露出している口元は切り結ばれ、友好的な雰囲気は微塵も見られない。
そして極めつけは上着の袖口に付着した赤い染み。それが血液であることは言うまでもない。
衣服の様相から工事業者の類にも見えるが、その佇まいは人には言えない作業が生業の人物だ。
たとえば――そう。傭兵のような。

「一人、か。まだ誰とも遭遇していないのか?」
「そ、そそそそ」
「――何を言っている」

それを聞いてどうするのか、が口にすべき言葉だった。

仲間がいなければ、何をするつもりなのか?
邪魔が入らなければ、何ができるというのだろうか?


――殺されるっ!


出口の真実と同様に戦闘禁止エリアの存在も知らされていない少女に絶望が襲った。


――逃げなければ、逃げ出さなければ。
――この男から一刻も早く逃げ出さなければ、私の人生はここで終わる。

――なのに、どうして、私のこの脚は、動こうとしてくれないの!?
――動け、動け動けっ!


――でないと、そうじゃないと。
――私は、あの人に。


――ころ、さ、れ――


「――あ」

少女の中で。何かが決壊した。
心は恐怖で押し潰され、混乱の極みに達した思考は緊急停止した。
そして肉体は、全ての行動を放棄した。

(だ――め――)

目の前の景色がぐにゃり、と歪む。
この場で意識を失うことは何よりも最悪だ。獲物は馳走と成り果てる。
それでも少女は抗えない。不審な男よりもまず、自分の身体が抵抗を許してはくれなかった。

身体に力が入らない。この身を支えていられない。
膝が折れ、床に当たる。
手の中からPDAが滑り落ち、音を立てて転がっていく。


これから自分はどうなってしまうのだろう。
もう二度と目を覚ますことはできないのだろうか。

そんなのは、イヤだ。まだ死にたくなんてない。
やっとそう、思えるようになってきたのに。


――助けて。

――たすけて。



(たす、けて――おねえ、ちゃん――)

暗闇へと堕ちていく少女は、かつて最愛であった人物に救いを求める。
だがその願いは。到底叶えられるものではなかった。




「『J』か――よし」



意識を失う寸前。

少女――北条かれんは、男のそんな無機質な呟きを聞いた気がした。




 ゲーム開始より4時間37分経過/残り68時間23分


【プレイヤーカード:開示】
・「J」:北条かれん



[21380] EPISODE-12
Name: でしお◆ff3c50cd ID:912e8347
Date: 2010/09/18 17:40
もしも、今。
奇跡の体現者が俺の目の前に現れたとする。
姿カタチは何でもいい。
神々しい光を纏った聖人でも、屈強な巨人であったとしても。
そしてそいつは、俺に向かってこう言うのだ。
「どんな願いでも一つだけ叶えて差し上げましょう」と。

それが紛れもない本物だとして、現実だとして。
そうなれば、俺には。
どうしても叶えたい願いがある。
どうしても譲れない願いがある。
だから。恥も外聞もなく。俺は堂々と言ってのけるだろう。

「頼むから願い事を2つにしてくれ」と。






あの後。圭介は何食わぬ顔で美雪の前へと姿を現した。
手間がかかってしまったことを詫び、いつものように気障な冗談を交えながら。
己の生存への欲求のため、少年は真実を隠蔽した。
脱出への鍵となる少女の身体を側に留めておくため、圭介は偽りの仮面を被ることを選んだのだ。

美雪がその嘘に気付いた様子はない。自分が騙されているとは露とも思っていない。
JOKERの効力は絶大だった。
圭介の翳した偽りの「6」により、少女は傍らの少年を頼もしい味方だとすっかり信じ込んでいる。

美雪の無防備な表情の一つ一つが、圭介の心に爪を立てる。
この無垢な少女の命を奪わねば助からないという事実を考えるたびに目眩がする。
偽りたくなどなかった。騙すつもりなど毛頭無かったのだ。

(何を今更――白々しいにも程がある)

そんな悲嘆を隙あらば抱く自分に嫌気が差した。
そうやって心を痛めていれば許されるとでも思っているのか。
仕方が無かったのだと、彼女の遺体の傍らで嘆くつもりか。
そんな半端な気持ちで――彼女の命を天秤に掛けたというのか?

「鳴神くん、顔色が悪いですよ、大丈夫ですか?」
「え? あ、ああ――」

美雪の呼びかけにふと我に返る。

「ごめん。少し考え事をしてた。大したことじゃないんだけど」
「そうなんですか? わたしに協力できることでしたら、遠慮なく言ってくださいね?」
「はは、ありがとう」

――言えるわけが、ないだろう。

張りつけたような微笑みを浮かべながら、圭介は己の中のどす黒い感情を必死で抑え込む。
とにかく今は、この無様な演技を続けなければならない。でなければ全てが無駄になる。

未だ戦闘禁止エリアが働いていることが幸いだった。
少なくともあと1時間は、美雪はルールによって安全を保証されているからだ。
それだけの時間は、最低な決断を下す必要はないからだ。


「じゃあ、ノエルさんたちのところへ戻りましょうか」
「――ああ」

だが苦悩の種は尽きなかった。
外面的には圭介のPDAは「6」であるので美雪の「Q」と同様、安全なカードを引き当てたことになる。
そうなれば最初の約束通り、乃得留たちと合流を果たすのが自然な流れだ。

だがそれは拙い。再度彼女らと邂逅すれば、偽装が看破される恐れがある。
現在乃得留と同行している2名のうち、古谷小枝子のカードが圭介には判明していない。

もし彼女のカードが圭介が今JOKERで偽装している「6」であればその時点でアウト。
仮に「手続き」を通過したとしても身体検査でも行われれば隠し持っている「A」が発見されてしまう。
当初のメンバー全員が揃った元で真実を暴露させられる様など、想像するだに恐ろしい。

(なるほどノエルさん――貴方の理論は完璧ですよ、まったく)

あれほどに好感を持っていた女性の存在が、今の圭介には忌々しいものに思えた。

とは言え、まさか合流を拒否することなどできるわけがない。
美雪を納得させるだけの理屈など思いつきもしない。

唯一の望みは、ここまで自分たちのPDAの回収に時間がかかっていること。
この時間経過の意味を波多島乃得留なら「鳴神圭介たちはキラーカードを引き当てたからだ」と判断しているかもしれない。
そうなればもう既に自分たちを切り捨ててあの場を去っているはずだ。
今はそれに一縷の希望を託すしかない。
そして圭介の乃得留の才覚に対する見立てでは、その可能性はかなりなものだと思えた。

「? やっぱり鳴神くん、調子が悪そうです。少し――休んだ方が良くないですか?」
「え?」

ここで美雪によってもう一つの選択肢が加えられた。
しかもそれは圭介にとって利のある、魅力的な提案だった。

(休憩――か)

疲労の回復や精神の安定はこの際どうでもいい。
だがこの休憩によって時間を消費すれば、乃得留たちが集合場所から去る確率はさらに高いものとなる。

いや、それだけではない。
もしも。この休息を戦闘禁止エリア解禁の時間まで長引かせることができたなら。
今なら邪魔は入らない。圭介と美雪の二人きり。

だとすれば。
だと、すれば――

「いや、大丈夫だよ。行こう」

だが、あろうことか。圭介の口から飛び出したのは否定の返事だった。

(――何を言ってるんだ、俺は)

自分が達成せねばならぬことが何なのかは重々承知していた。断る理由など無いはずだった。

だがそんな状況が、訪れる瞬間を考えることが怖かった。
美雪を殺せる状況で、美雪を殺す自分を考えるだけで怖気が走ったのだ。
覚悟はしている。だが足りない。未だ到達に至ってはいない。

(――くそ。やっぱり逃げるのかよ、俺は)

もう逃げないと、決めたのに。
どんな辛い現実でも、受け入れると決めていたのに。

それが人として正しい感情だとしても、圭介は己を責め立てる。

「男の子ですねえ、鳴神くんは」

そんな圭介の返事をやせ我慢だと捉えたらしい美雪は柔らかい笑みを向けてくる。

「お褒めに預かり光栄です、女王さま」
「女王さま――? ああ、上手いこと言いますね。ふふ」

狙うべきカードになぞらえた物言いには少し皮肉も含まれていたが、当然美雪が気づくはずもない。

「んじゃ、行きますか」
「はい」

乃得留たちがいるはずの部屋へと向かう圭介の足取りは相変わらず重い。
だがこれは先程までとは違う重みだという自覚がある。

これはまるで、処刑場への道のりだ――と圭介は己の中で吐き捨てる。






「ところでこれ、さっきから気になってたんですけど」
「ん?」

美雪のスタート地点であった部屋を通り過ぎた辺りで美雪がふと立ち止まった。

「ほら、これ。ここだけ床がちょっと変なんです」
「あ、ホントだ」

扉のある壁面とは反対側の壁のすぐ近く。
よく見れば一辺が30センチ程の正方形が床からわずかに一段盛り上がっていた。
排水溝の蓋、のようにも見えるが床下が覗きこめるような穴も開いていなければ外すために手を差しこむ隙間もない。
ただ床をくり抜いてはめ込み直した、としか形容できない歪な状態の代物だった。

「足でも引っ掛けたら危ないですよね、これ」
「うーん。そんな端っこをわざわざ歩く人なんていないと思うけど」

美雪の心配に相槌を打つものの、圭介にとってはどうでもいいことだった。
そもそもこの施設内において、段差に足を取られて転ぶ程度が危険とはとても思えない。

(そんなことよりもっと心配すべきことがあるだろうに。例えば――さ)

――君の側にいる男がもしかしたら命を狙っているかもしれない、とか。

ささくれ立った心にそんな自虐が思い浮かぶ。
それでも美雪は「それ」が気になって仕方が無いようで、近くに寄りつつ膝をつく。

「押さえたら、元に戻るでしょうか? よいしょ、っと」

足で踏みつければ事足りる作業をわざわざ手で行うあたりに少女の性格が窺えた。

そして。

かちり、という金属音と共に。
突如として、鋭い無数の金属の棘が床下から轟音を伴い飛び出した。



「――」
「――へ?」

呆然と。ただ呆然と二人は様変わりした「前方」を眺めるしかなかった。
美雪のわずか3歩ほど先。巨大な剣山が通路を隙間無く埋めている。
生えてきた棘は圭介の膝くらいの高さ。範囲は5メートルにも渡っており完全に封鎖の形になっていた。

「あ、あの、これって――」

錆びついた機械仕掛けのようにゆっくりと、美雪の首が圭介の方へ向く。

「鳴神くんの手品――じゃないですよね?」
「なワケないでしょ」

圭介は言い捨て、懐からハンカチを取り出し指に巻きつけて棘の一つに手を伸ばす。
薬物の類は塗られていないようだったが棘は簡単にハンカチを貫通した。

「――かなり鋭いな。この床の上に乗っていたらひとたまりもなかったかも」
「あ、あの――」
「罠、だね。それも極上に凶悪な奴だ。んで起動スイッチがそれ」
「!!」

今は床にきっちりとはめ込まれた正方形のパネルから美雪が慌てて飛び退いた。

(あ、危なかった――)

冷静さを装いつつも圭介の内心は恐怖で満たされていた。

罠はスイッチよりも前方に配置されていた。
おそらく一定以上の速度で通路を通過し、パネルを踏みつけた状態を想定したものだろう。
故にわざわざ立ち止まって罠を作動させた美雪に被害が及ぶことはなかったであろうが、
圭介自身がスイッチよりも前に進んでいなかったのはただの偶然だ。
一歩間違えば全身を貫かれ絶命していた。巻き込まれなかったのは奇跡以外の何ものでもない。

「じゃ、じゃあ、わたし、もしかしていたら――」
「はいストップ。その先を言う必要はないよ」
「でも、でも――」
「いいから」

もしかしたら圭介を死なせていたかもしれないと、身を震わせる美雪を言葉で制止する。

元より圭介に美雪を責めるつもりはなかった。
行き過ぎた善意により罠を作動させてしまった過失には確かに怒りを覚えなくもない。

だが現状は二人とも傷の一つも負ってはいない。
となれば「この施設内には罠が設置されている」という情報を得ることができた事実だけが残ることになる。
このアドバンテージは大きい。何せルールにすら記載されていない事柄だ。
少なくとも今後の行動において罠の存在を警戒することができ、結果事故死という死に様を迎える可能性は激減した。

そして何よりも、もう一つ。

「でもこれで、この道を通ることはできなくなっちゃったな」
「ごめんなさい」
「だからいいって」

そうなのだ。これで「最短の距離と時間では集合地点に向かえない」という正当な理由が出来た。
乃得留に出会いたくはない圭介にとって罠による通路の封鎖はまさに福音と言ってもよかった。

「でも大丈夫。このPDAの地図機能を使えば多少遠回りでもノエルさんたちのいた場所に戻れるよ」
「あ――そうですね」
「だけど、また同じような罠があるかもしれない。注意しながらゆっくり進もう」
「はい」

美雪が「板でも渡して乗り越えれば」などと言い出すより先に圭介は道を定め、巧みに誘導していく。

――これでいい。

これで元の場所に戻るまでに相当な時間を浪費することができる。
戦闘禁止エリアの解除まで残り1時間も切ればさすがに乃得留たちも自分たちを待ち続けることはあるまい。

即興で構築した割には完璧に近い言い訳に、圭介は自身の悪人としての才能を錯覚した。






「――ん?」

20分ほど歩いただろうか。
圭介の計画通り罠を警戒しながらの行軍は時間の消費の割に進みの鈍いものだった。
美雪がPDAの地図機能を駆使し、最短の迂廻路を弾き出したものの未だ道のりは半分を過ぎたばかりだ。

その道中。先行する圭介の視界に奇妙なものが目に入った。
罠の手がかりではない。そのように無機質なものではない。
角を曲がって50メートルほど先の壁際。丸まった何かが存在している。

(あれ、は――)
「! 鳴神くん、あれって――」

圭介は照準を合わせるために目を細め、逆に美雪は眼を見開いた。

間違いない。あれは、人だ。人が蹲って座り込んでいる。
まだ距離が遠いのでいかなる人物であるのか判別はつかない。
ただ、動き出す気配が欠片も感じられないことだけは確かだった。
そしてその人物が、圭介たちが遭遇した9人目の「ゲーム」参加者であることも。

「ま、まさか、あの人――」
「どうだろうね。ここからじゃちょっとわからないな」

殺し合いの許容されぬ時間帯であっても命を失う可能性があるのは先程示された通りだ。
件の人物が既に帰らぬ身となっていても何ら不思議なことではない。

「どの道さっきの部屋に戻るならここを通らなきゃならない。行ってみよう。怪我をしてるだけなら助けてあげなきゃ」
「――はい! その通りです!」

美雪が瞳を輝かせたのはおそらく自分が秘めていたものと同じ考えを圭介が口にしたからだろう。

(本音は、違うんだけどな――)

言葉の裏で情報の取得を第一に計算を働かせていた圭介にはそんな美雪が眩しく感じられた。

通路の至る所に視線を張り巡らせ、ゆっくりと進む。
少しでも不自然な個所が見つかれば即座に立ち止まれるように。
対象との距離が半分ほど縮まった頃、ようやく視界に人物の全身像を捉えることができた。

(な、なんだ? あの人――)

そしてその異様な風貌に圭介は思わず頬を引きつらせる。

生物学上の性別は男性。顔の造りはかなり端正な部類。
黒の長袖シャツと乳白色のジーンズもなかなかに様になっている。
だがその手足は異常なほどに痩せ細っており、不健康を絵に描いたような肌の色はまるで幽鬼を想像させられた。
そして何より特徴的なのは、その頭髪が余すことなく白色であることだ。
その様は何処ぞの重病患者をそのまま運びこんできた、としか思えない。

「ん――おや?」

さらに圭介が近付くと青年の閉じられていた双眸が力無く見開かれた。
どうやら命に別状は無いようだ。目立った外傷も見当たらない。
背後の美雪が小さく安堵の息をついたのが聞こえた。
だがやはり立ち上がる気配は見られない。相当に衰弱している様子である。

「大丈夫ですか!? しっかりしてください!」
「――」

我先と美雪が駆け寄った。青年は視界の端で少女の姿を認めたようだが返事は返ってこない。
目を凝らすと青年の顔には多量の汗が浮かんでいた。
そして口元から微かな、荒い息遣いが聞こえる。

「お願い、しっかり――」
「――な」
「な?」

漸く青年の元へ到着した圭介がか細い声を取り上げる。
まさか遺言を預かることにはならないだろうな、と恐れながら圭介は次の言葉を待つ。


「な――にか、たべ、ものを――」


どうやら衰弱の原因は空腹によるものらしい。
一瞬冗談にも思えたが、彼の異様な体つきから考えるに至極真面目に緊急事態なのだろう。

「た、食べ物ですか!? ちょっと待ってくださいね――」

美雪が部屋から持ち出した自分の鞄を開いた。非常食でも携帯しているのだろうか。

(森下さんは受験生だろうからな。持っていたって不思議じゃないか)
「あ、クッキーがあります! これでもいいですか!?」
(何っ! クッキーだって!?)

――まさか手作りじゃなかろうな? だとしたら俺も欲しいぞ森下さん!

ふざけた欲求を抱いた圭介であったが美雪が鞄から取り出したのはごく普通の市販のものだった。
だが青年にとっては待望のものであったのか。たちまち目を見開くと美雪に向って身を乗り出した。

「もら、っても――」
「もちろんです。こんなものでよければ」
「!!」
「きゃっ!」

獣のような動作で青年は食料に飛びついた。
およそ上品とは言い難い手つきで青年はクッキーを貪り始める。
ビニールに包装されていた十数枚のそれは、瞬く間に減っていき、数秒後には跡形もなく無くなってしまった。
空になった包装を確認すると傍らに置いていた無印のペットボトルに入った水を一気に呷り、青年は大きく息をつく。

「ふう――生き返った。ああ、ありがとうね」

心持ち血色の良くなった顔に笑顔を浮かべて素直に青年は礼を述べる。

「いえ。お役に立てたのなら嬉しいです。よっぽどお腹がすいてたんですね」
「まあね。ここ数日ロクに食べていなかったから。いや食べられなかった、と言った方が正しいかな」
「そうなんですか?」
「ああ、見ての通り僕は身体に異常があってね。普段はちょっと、人とは違う形で栄養を摂取してるんだ」

打って変って饒舌になってきた青年は肩を竦めて見せる。

「やっぱりご病気だったんですね。そんな人まで拉致してくるなんて――ひどい」
「拉致? ああ――うん。そうだよね」

青年は美雪と圭介を交互に見比べた。視線の位置が妙であることから正確には首輪を注視したのかもしれない。

「――君たちも『ゲーム』の参加者なんだね」
「ええ。わたしは森下美雪と言います。こちらが鳴神圭介くん」
「鳴神です」

圭介は短く会釈する。
危険と判断する情報が不足しているのか、それともそんな余裕もなかったのか。
とりあえず青年に敵意は感じられなかった。

「そうか。お互い大変なことになっちゃったね。この『ゲーム』はすごく過酷で、凄惨なものだから」
「そう、ですね」
(――ん?)

随分と妙な言い回しをするものだ。
確かにルールに目を通せばこの「ゲーム」がとんでもないものだとは理解できる。

だがこの先どのような悲劇が待っているのかは完全に想像の範疇だ。
なのにこの青年ははっきりと断定した。過酷で凄惨なものであると。

それはまるで「ゲーム」の全体像を知っているかのような物言いに聞こえなくもない。

(気のせいだろうか――)
「鳴神くん、と言ったっけ。何か言いたそうな顔つきだね」
「え? い、いや――」
「考えていることはだいたいわかるよ。そしてそれを隠すつもりもない」
「はあ」

白髪の青年の瞳は、まるで全てを見透かしているかのようだった。
何者なんだ、この男――対応は丁寧だが異様な風体もあってどうにも不信感が拭えない。

「これも何かの縁だ。少し話をしよう。っと、まずは自己紹介からかな」

そんな圭介を他所に、青年はぱさりと前髪を掻き揚げ、告げた。



「僕の名は長沢勇治。かつてこの『ゲーム』に参加したことのある者だ」





 ゲーム開始より5時間11分経過/残り67時間49分


【裏情報:開示】
・施設内には各所に罠が設置されている。



[21380] EPISODE-13
Name: でしお◆ff3c50cd ID:912e8347
Date: 2010/09/19 21:34
「なん――だって?」

驚くべき情報が青年・長沢勇治の口から告げられた。
名前の後に続いたのはほんの一呼吸で表わされるもの。だがそこには多分な意味合いが含まれている。

「ちょ、ちょっと待って下さい。ええっと――」

まず聞くべきことは何なのか。圭介は混乱して上手く考えが纏まらない。

「――ああ、そうだ。今『かつて』と仰いましたがこの『ゲーム』は今回が初めてじゃない、ってことですか?」
「そうなるね。僕が参加させられたのは数年前のことだけど、
 その次が今回なのかそれとも今に至るまで何度も繰り返されてきたのか。
 それは残念ながら僕にはわからない。ただ――」

「ただ?」
「この施設の内装には見覚えがある。おそらく僕たちの時と、同じ舞台なのは間違いないだろう」
「そう――ですか」

圭介はロクに手入れもされず埃を被っていたスタート地点の家具の数々を思い出した。
なるほどつまり。この施設は「ゲーム」のために造られたものではあるが。
決して「今回のゲーム」のために造られたものではなかったのだ。

(そう考えれば拉致の際のあの手際の良さも納得がいく、か)

取り押さえることすら困難が予想される大門。
日常ですらおいそれと隙を見せそうにない乃得留と楯岡。
そんな彼らでさえ、抵抗の一つも許されずプレイヤーとして強制召集されてしまった。

それは実行犯にそれだけの経験と実績が伴っていたと見て然るべきである。
それだけの経験と実績を、重ねる機会があったということになる。
年に一度――若しくはそれ以上であろうか。

何と恐ろしいことか。圭介は思わず身震いした。
自分が日々を過ごしていた平穏の裏側には、このような闇が隠されていたのだ。

「それで、あの――長沢さんは、その――」

今まで言葉を失っていた美雪が、恐る恐る、と言った感じで口を開く。

「ん? ああ――もしかして、『どうやって前回のゲームをクリアしたのか』、かい?」
「――はい」

そう。それこそが本当に圭介が聞きたかったことだ。
彼は「ゲーム」を過去に経験し、そして今、圭介たちの目の前にいる。
それはつまり。何らかの形で「ゲーム」をクリアしたということなのだ。

だからこそ、この「ゲーム」の惨状を断定することができたのだ。
だからこそ、この時間帯での接触は危険ではないとこちらに無防備な状態を晒しているのかもしれない。

それはいったい、どうやって?
だが長沢青年はすまない、とばかりに顔を伏せる。

「ごめん。できればそれは聞かないで欲しい。
 あまり気持ちのいい話じゃないし、僕がこんな身体になってしまった原因もそこにあるから」
「あ――ごめんなさい」
「謝らないで。むしろ謝るのはこっちの方だ」

どうやら長沢は、相当に悲惨な体験を過去の「ゲーム」でしてきたらしい。
そのせいでまともな日常生活すら送れぬ身体に成り果てたとしても、無理からぬことであろう。

「ところで君たちは、この「ゲーム」をどこまで把握してる? 見た感じ相当に理解している様子だけど」
「えっと、ですね」
「幸いにして個別ルールは①から⑨まで全部把握しています。俺たちには協力者がいますから」

「いた」ではなく「いる」。
美雪の手前、圭介はあえて乃得留たちとの協力関係は現在進行形のものであると告げた。

「――⑨はもしかして、全カードの解除条件?」
「はい。そうです」
「そこは前回と同じか――となると各カードの危険度もそれなりに把握している?」
「そうなりますね」
「――そっか。じゃあまず、僕の身の潔白を示しておこうか」

長沢は少しだけ身を捩り、ジーンズのポケットから黒色の携帯端末を取り出した。

「ご覧の通り。僕のPDAは『5』だ。条件はチェックポイントの全制覇。
 他の解除条件はわからないけど、おそらくもっとも他人を襲う理由の無いカードだと思う」
「――その身体で全部のポイントを回るのは辛くないですか?」
「かもね。でも人を殺して生き残らねばならない条件に比べればずっとマシだよ」

長沢は儚く微笑み、釣られるように美雪も笑顔を見せる。
そんな中、圭介は一人愛想笑いを浮かべるのに苦労していた。
その条件を見事引き当ててしまったのは他ならぬ自分であるからだ。

青年の言を信じるならば、彼もまた殺し合いへの参加を由とはしない方針らしい。
理由の大半はそのままならぬ身体との相談の結果であろう。
それとも長沢の過去の体験を省みての決断でもあるのだろうか。

「じゃあ、わたしも。カードは『Q』。条件は2日と23時間の生存です」

長沢が危険な人物ではないと判断したのだろう。美雪は自身のPDAを提示して見せた。

(――)

――さて、では自分はどうするか。

圭介はまだ長沢を完全に信用したわけではない。
だが過去の「ゲーム」体験者という彼の持つ情報は何ものにも代え難い。
そしてそれを惜しむ様子が無い以上、無碍に扱うわけにはいくまい。
それにここで美雪と同調しておかなければ、彼女にも長沢にも余計な疑いを与えかねない。

――まあ、いいか。どうせ晒しても惜しくは無い嘘カードだ。

あえて友好的なスタンスを取り続けることを決断し、圭介はJOKERで偽装した方の「6」のPDAを長沢に見せた。

「俺の条件はJOKERの5回以上の使用。つまり俺たちは争う理由を持っていないことになります」
「そうか、よかった。うーん、でもそうなると今回の解除条件の一覧は知っておきたいとこではあるなあ」
「あ、でしたらこれ、さしあげます」
「ん? これは?」
「ルールを紙に書き出したものです。①から⑨まで全部載っています」
「それは助かるけど――いいのかい? 美雪さんの分だろ、これ」
「大丈夫です。もう全部覚えていますし、万が一忘れても鳴神くんの分がありますから。ね?」

片目を瞑って美雪は圭介に同意を求める。

「ああ、もちろん異存は無いです」
「はは、仲がいいんだね君たちは」

確か大門にもそんなことを言われた気がする。
だが「一時も離れたくない間柄」という意味合いが変わってしまった今、無駄な茶化しを入れる気にもならなかった。

「じゃあ遠慮無く――ふうん、なるほど」

長沢の両目が文字を追い忙しなく動く。
そしてしばしの後、ぱさりとルール一覧を下し、深く息をついた。

「――まったく同じだね。前回と」
「そうなんですか?」
「ああ。解除条件もまったく同じ。追加されたルールも見当たらない」
「じゃあ、長沢さんの経験は全部活かせるってことになりますね」
「そうなるね。あくまで記載されているルールについては、だけど」

記載されていないルール――圭介の脳裏に先程の危うい出来事が思い浮かんだ。

「あ、じゃあ長沢さんは罠についてはご存知ですか?」

美雪も同じ事を考えたようですぐさま長沢に確認を取る。

「え、罠に引っ掛かったのかい? それにしては怪我はしてないようだけど」
「ええ、まあ何とか無事でした」
「それは何よりだ。どんな罠だったの?」
「実は――」

美雪は順を追って説明し始める。
さらにそれに至るまでの経緯、特に乃得留たちとの出会いとルール説明、
協力の取り付け方など事細かに長沢に語って聞かせた。
長沢が協力の意思を示している以上、自分たちの味方についても解説が必要であろうと考えたらしい。

「なるほどね」

説明は数分間に及んだ。背中を壁に預けたまま長沢は腕組みし、深く頷いた。
だがその表情は先程とは打って変わって厳しい。

「まずいな、それは」
「え? 罠の話ですか?」
「いや違う。その、ノエルさんの同盟のとこ」

実は美雪の説明が乃得留の話になってから、長沢の表情の変化は顕著になっていた。

「? 何か彼女の理論におかしなところがありますか?
 確かに切り捨てなければいけない部分があって多少薄情にも思えますけど――」

キラーカードの所持者を見捨て他のプレイヤーを救うという乃得留の理論。
もしかするとその冷徹な部分が長沢の気に障ったのであろうか。
だが過去に「ゲーム」を体験している長沢ならば甘い考えは通用しないと理解しているはず。
長所の部分に関しても彼のPDA「5」は乃得留と協力を取り付けるに十分な安全条件だから障害は無い。
ならば何が引っ掛かっているのだろう?

「罠についてはPDAのルール条項に記載されていないよね?」
「え? はい」

いきなり話が元に戻ってしまった。
長沢の考えが圭介にはわからない。のでとりあえず続きに耳を傾けることにする。

「まあ最初っから罠の存在に気づかれちゃ困るってことなんだろうけど。
 それと同様に『裏ルール』みたいなものがこの『ゲーム』には幾つか存在する。
 そうだね――まず何から話したものか」

ここで一旦、長沢は話を区切る。そしてペットボトルの水を一口含ませる。

「まず、この建物は6階建てで構成されている」
「え――」

思わず圭介は言葉を失った。
確かにルールの⑤には「1階から侵入禁止エリアが拡がっていく」とは記載されていた。
しかしせいぜいが3階建て程度だと思っていた。

――このバカでかくて複雑な迷路が、6階も重なっているのか!?

これでは最上階への到達だけでかなりの時間がかかってしまうではないか。

「そして罠と同様、僕たちが使用できる武器もそこら中に隠されている。
 さらにその武器は、階層が上がるごとに強力になっていく」
「ぶ、武器だって!?」
「そんな――嘘ですよね!?」

長沢が静かに首を横に振る。

「『3』や『9』が素手で達成できる条件だと思うかい? 残念ながら本当だよ――
 確か2階から刃物、3階から銃の類だったかな。もっと上に行けば重火器や爆薬すらあるだろう」
「――」
「そこでさっきのノエルさんの話だ。おそらく彼女は武器らしいものの見当たらない1階だからこそ、
 そんな理論を考え出せたのだろう。だけど――」

乃得留の理論が成就すれば、非戦闘を提唱する大人数の団体が構成されることになる。
そうなれば敵対者との戦力差は明らかであるから抵抗は無意味、であるはずだった。

だがもし。長沢の言葉が真実であったのならば。

「その団体のど真ん中に爆弾でも投げ込めば――一網打尽だ」
「やめてくださいっ!!」

思わず美雪が両手で耳を塞いだ。
それほどに衝撃的で。残酷な情報だった。

「ごめん。怖がらせるつもりはなかった。けど事実なんだ。
 この裏ルールは『ゲーム』の根幹に関わるものだから僕の時と同じく変更は無いはずだ」
「――根幹、とは?」
「まさしくノエル理論の看破だよ。『生き残るべきは選ばれし少数のみだ』ってね」
「――」

圭介はスタート地点で発見したカメラの存在を思い出した。
なるほど。主催者はどうあっても自分たちに殺戮ショーを強制させたいらしい。

「ノエルさんに知らせなきゃ。でも――」

美雪は元の場所への方向と、未だ一度も立ち上がることのできない長沢を交互に見比べる。
今の彼の様子では人の手を借りねば前に進むことすら困難であろう。
一刻も早く、という条件が付くならば彼を連れていくことはマイナスでしかない。
だが戦闘禁止エリアの解除が迫ってきているこの状況ではこれ以上の時間のロスは致命的だ。

「僕のことなら気にしなくていいよ。足手まといになることは重々自覚してるから」
「だけど!」

そんな言い方をされればますます見捨てられないのが森下美雪という少女だ。
彼女の焦りと混乱が圭介は殊更に目に見えるようだった。

――ここは助け船を出しておくか。お互いのために。

「森下さん。ここは長沢さんが優先だ。焦ってももう、ノエルさんたちはいない可能性が高い」
「鳴神くん!? でも――」
「それに大集団での行動が逆に危険になってくるのはもっと上の階に上がってからだ。
 今はむしろ、人数は多い方が安全だよ」
「――そう、ですね」

納得はできないだろう。葛藤はあるだろう。
だが両方を同時に叶える選択肢は今は無い。渋々、といった感じで美雪は腰を落ち着けた。

(――やれやれ)

逆に圭介は少し安堵する。今は何としてでも乃得留たちとの再会は避けねばならないからだ。
だが同時に、美雪がやけにあっさり長沢を選んだという事実にやや複雑な気持ちになる。

単に噛み合わせの問題だけかもしれないが。
先程から自分とのものより長沢との対話の方が弾んでいることがどうにも気に食わない。

「いいのかい? 僕なんかはどの道置いていくハメにはなると思うんだけど」
「――寂しいこと言わないで下さい。せっかくこうやって、知り合えたじゃないですか」
「ありがとう。その気持ちはとても嬉しいよ」
「――」

優しい言葉と応える返事。
長沢はその儚さも手伝って細面の美青年。美雪は言うに及ばず。
一歩退いて見てみれば、確かに絵になる二人ではある。
一度そう考えてみると圭介は自分の今の立ち位置がまるで道化のようにも思えてきた。

(何を考えてるんだ。関係無いだろ、そんなこと)

否定の言葉を内に投げかけ、思考を排除する。
今はそんな状況ではない。非常事態警報は現在絶賛発令中だ。
考えなければならないことは他に山ほどあるはずなのだ。

(――ん?)

一瞬、長沢と目があった。妙な笑みが浮かんだように見えたのは気のせいだろうか。
まさかまた考えを見透かされた、わけではないだろうが――

「え、えーと長沢さん。他に『裏ルール』は無いんですか? 教えてもらえると助かるんですけど」

このままでは色々とマズい。ひとまず圭介は話題を元に戻すことにした。

「うーん、そうだなあ」

長沢はさして気にした素振りも見せず、思案に暮れる。
やがて検索が完了したのか、「あ、そうだ」と再びPDAを二人の目の前に翳して見せた。

「PDAの機能拡張、なんてのはどうだろう? たぶん1階じゃまだわからないだろう」
「機能拡張――ですか?」
「そう。コイツは外付けのソフトウェアを取り付けることで今現在には無い機能を新たに加えることができる。
 ほら、ここにスロットがあるだろう?」

長沢がなぞったPDAの側面には、確かに何かが嵌め込めそうなスロットが空いていた。

「武器と同様にそのツールもこの先の階層に隠されている。その機能は多種多様だ」
「例えばどんな機能なんですか?」
「僕が前回発見したのは罠の探知機能だね。地図に罠の反応が追加された」
「それは便利ですね」

肉眼で発見することが困難な罠を事前に反応で探ることができる。
それができれば今後の進行がどれだけ楽になることだろう。是が非でも手に入れたい代物ではある。

「で、その使い方なんだけど――って、現物が手元に無いとわかり辛いよね」
「いえ、でも聞いておきたいです。もしかすると変な使い方をしちゃうかも」
「そうかい? じゃあちょっと僕のPDAを試しに使って説明しよう。
 見辛いかもしれないから美雪さん、もう少し近寄ってくれる?」
「あ、はい」
(――なんで俺の名前は呼ばないんだ)

圭介は思わず口元を引きつらせる。構わず美雪は長沢に身を寄せた。

(――って、近い近い!)

長沢がPDAを持つ手を伸ばそうとしないので自然美雪は長沢に身体を密着させる形になる。
二人の距離は最早吐息がかかるほどだ。

「もう少し――ごめんね。正直手を伸ばすのも辛いんだ」
「いえ、お気になさらず」
(俺が気にするってのっ!!)

もう見てはいられない。この苛立ちがどのような感情なのか、知ったことではない。
自分も長沢のPDAの説明を受けるため、と言い訳を用意して圭介は二人の間に割り込もうとした。


「あー、ごめん。俺も」
「そう、そのまま」
「――え?」



突如。
長沢の手の中のPDAが反回転し。
美雪の首筋に押しつけられた。




 ゲーム開始より5時間25分経過/残り67時間35分



【プレイヤーカード:開示】
・「5」:長沢勇治


【裏情報:開示】
・施設の階層は6階が最上階。
・各フロアには武器が各所に隠されており、階層が上がるごとに強力なものになっていく。
・PDAの機能を拡張することができるソフトウェアが存在する。




[21380] EPISODE-14
Name: でしお◆ff3c50cd ID:912e8347
Date: 2010/11/21 05:27
「――え?」

かきん、という小さな衝突音がした。
それが長沢のPDAと美雪の首輪が触れ合った音だと気づくのに圭介は数瞬の時間を要した。

PDAのサイドには小さな金属製の突起が付いている。
その部分が首輪に触れて音を立てた。当たった箇所は美雪の首輪の左側にある小さな窪みの――僅かに隣。

「!!」
「きゃっ!」
「うわっ」

反射的に圭介は美雪と長沢の間に身体を滑り込ませた。
そのまま背中で美雪の身体を押し、長沢との距離を開かせる。

「あ、あの、鳴神くん? 急にどうしたんですか?」

突然の圭介の行動に美雪は呆然としている。
自分が何をされたか。何をされそうになったのか。まったく理解していないのだ。

「――」

美雪に返答せず、圭介はただ長沢を睨み付けた。
長沢には特に驚いた様子は見られない。冷やかな眼差しで圭介を見つめている。

「怖い顔だね。何か言いたいことでも?」
「――アンタ今、森下さんに何をしようとした」

自分でも驚くほど低い声が、圭介の喉から飛び出した。

「何って――PDAの機能拡張の説明だけど?」
「そうですよ。鳴神くんだってずっと聞いてたんだからわかってるでしょう?」
「へえ、そうかい。森下さんの首輪にアンタのPDAを接続することが説明とはとても思えないけどね」
「――え?」

PDAの突起部分と首輪のコネクタ。この二つを解除条件を満たした状態で接続すれば首輪を外すことができる。
だが条件が達成されておらず、しかも他人のPDAが接続されたとしたら?
答えは明白だ。たちまち首輪はエラー判定を下し、美雪は先程弔った女性と同じ末路を辿っていただろう。
長沢はそんな惨状をまさに引き起こそうとしていたのだ。

「俺の声に森下さんが反応して少し首を動かしたから接続をミスった。そんなところかな」

しかも偶発的にではなく意図的に。

「へえ。つまり君はこう言いたいわけだ。『僕が美雪さんを謀って殺そうとしたんだ』と」
「そうなるね」
「そんな――そんなの、言いがかりです! 長沢さんがそんなこと、するはずがないじゃないですか!」

美雪は圭介の言葉を信じようとはしなかった。
先程まで懇切丁寧に「ゲーム」の危険性や裏ルールを教授してくれた青年が手酷い裏切りを見せたとは考えたくもないのだろう。

「ただ私の首輪に長沢さんのPDAが触れた、それだけでしょう? そんなことくらいでこんな、まるで悪者みたいに!」

確かにその通りだ。傍目にはほんの些細な接触にしか見えない。
命を預かる精密機器を軽率に扱ったという点においては非難されるべきかもしれないが、
それだけでは長沢を人殺し呼ばわりする根拠に乏しい。
この場で責められるべきは寧ろ圭介の人格であると美雪が判断したのも至極当然に思える。

「そうかな?」

だが圭介の発言は嫉妬に駆られた妄言ではない。
何の確証も無しに今までの関係を否定するほど圭介は愚かであるつもりはない。

「そうですよ! 長沢さんはわたしに、PDAがちゃんと見えるように手を伸ばしただけ、で――」

憤りを露わにしていた美雪の言葉尻が、みるみる小さくなっていく。

「――気がついた?」
「そんな――」

この期に及んで漸く。美雪も長沢の行動に違和感を発見してしまったのだ。

「森下さんの方から近付いてもらったのは、画面を見せるためだったよな?」
「――」

口を閉ざしたままの長沢に向けて、圭介は厳しい視線を投げかける。


「じゃあ、その見せるはずのPDAの画面が、なぜ今は下を向いているんだ?」


長沢の差し出されているPDAは。明らかに裏側が天井を向いていた。
それが何を意味するのか。

「そうしないとPDA側のコネクタの方向が合わないから、だよな」

そう。接続のためにはどうしても両者の口を合わせる必要がある。
そのためにはPDAの画面が上を向いたままでは不可能なのだ。どうしても天地を逆にせねばならない。
だからこそ今の状態は。正解は圭介の方にあると雄弁に物語っているのだ。

「おかしなところはそれだけじゃない。アンタはさっき言ったはずだ。『正直手を伸ばすのも辛い』ってね」
「――」
「でも今アンタの腕は伸びてるよな。特に辛そうにも見えないし」
「――」
「以上の点から、アンタが『森下さんの首輪にPDAを接続しようとした』ことは明らかだ。
 さ、言いたいことがあるなら言ってみろよ。
 まさか機能拡張のために接続が必要だ、なんて言わないだろうな?」

唯一成り立ちそうな言い訳はこれで封鎖した。
それにしたって事前に説明も無く行動を起こせば不安を煽るだけだ。
そもそもPDAの機能拡張はPDA自体で行うべきで首輪の接続が必要であろうはずなどない。

「長沢さん――嘘、ですよね。わたしを殺そうとしただなんて。そんなの――」
「――く」

進退極まった屈辱に、思わず長沢は苦渋の吐息を洩らしたかに思えた。


だが次の瞬間、長沢の様子が豹変した。



「く、くく、くははは、ぎゃはははははははっ!!」



「!!」
「な、ながさわ、さん――? いったいどうし――」

大音量の下卑た笑い声がフロアに響き渡る。
支えることすら困難であったはずの痩せ細った体躯がばね仕掛けのように跳ね上がった。

「はは、は、は――あーダメだダメだ。もう笑い堪えるのに必死。やっぱこんなの『オレ』には似合わないよね!」

死と隣り合わせであるかのような、儚い青年の姿はもう何処にもなかった。
獰猛な爬虫類を連想させる双眸。耳元まで釣り上げられた口元。
掻き揚げられた総白髪の前髪の下から現れた表情はただただ邪悪に歪んでいた。

「いやあ残念、実に残念だよ! そこのお嬢さんが蜂の巣になるか、丸焦げになるか。
 どんな死に様で処刑されるのか、楽しみにしてたのにさあっ!」

「――それが、アンタの本性か」
「んー、何? どんな想像してたワケ? まさかオレが過ちを認めて泣いて許しを請うとでも思ってた?
 んで嬢ちゃんの前でいいカッコするとこまで想像してた? はーは、バッカでね!? お前」
「! て、てめぇっ!!」
「お、やろうってか? いいぜ、かかってきなよ」

激情に任せて圭介は長沢の顔に拳を叩き込もうとした。

(く――待て待て、駄目だ、落ち着け!)

だが何とか踏み止まる。まだ戦闘禁止エリアは生きている。
ここで迂闊な行動を取れば、今度は圭介が警備システムの脅威に晒されてしまうからだ。

「なんだまだその程度の頭はあるか。その割にはかーんたんにオレの演技に騙されてたけどさ、ぎゃは!」
「――」

騙されていた張本人、美雪は圭介の背後でガタガタと身を震わせている。

裏切られた。殺されかけた。
寄せていた信頼が大きい分だけ、少女の失意と恐怖は計り知れないものであるだろう。

「まさか――前回の『ゲーム』でも、こうやって人を殺してクリアしたのか!?」
「ああ、そうともさ。そうしなきゃクリアできない条件だったからねえ。
 でも元から他人の命なんてどーでもよかったし、逆に人を殺すことが楽しみで仕方が無かった!
 だからオレは3人でいいところを4人も殺してやったんだぜ!
 スゲくね? オレってスゲくね? ひひゃはははははっ!!」

さらに驚愕の事実が告げられた。
なんと長沢は、前回の「ゲーム」でキラーカードの「3」を引き当てつつも条件を達成していたのだ。

(そんな――そんなことって――)

この「ゲーム」は殺し合いが基本。頭では理解しているつもりだった。
だがこれまでに出会った参加者は誰一人としてそれを由とはしなかった。
人の命を奪うという禁忌に対して明らかな嫌悪感を抱いていた。
キラーカードを引き当てたであろう木戸亮太でさえも「そうしなければならない」という葛藤に苦しむ様子が見えた。
それは人が人である以上、当然持ち合わせている感情だ。

しかし、この男は違う。
長沢はそんな行動に罪悪感など欠片も抱いていない。
苦悩も悲嘆も同情も憐憫も。この男の中には何一つ存在していない。
逆に人を殺すことに悦楽や恍惚すら感じているのだ。
故に長沢はあらゆる手管を用いてでも人殺しを望む。
たとえ争う必要の無いカードを引き当てていたとしても。

(――狂ってる)

目の前の長沢勇治という人物は。紛れも無い怪物だった。

「ツイてるなあ、お前ら。さっきのテは警戒されちゃ二度とは使えないから。
 さすがのオレも、あと20分少々は手が出せない」

戦闘禁止エリアはあくまで戦闘行動を禁止しているというだけのこと。
先程のPDAの操作のように争わずとも人を殺せる術はあるのだと、圭介は思い知らされた。
だが長沢の言う通り警戒さえしていればこの方法は二度は使えない。

「だからもう少し、ここでゆっくりしていきなよ。戦闘禁止の解除と同時に、仲良くきっちり殺してやるからさっ!!」
「!!」
「ああ、さっき言ってたお仲間も、勿論後を追わせてやるから心配するな。
 20億まるまるゲットするには、オレ以外の生き残りなんて一人もいちゃいけないよな!」

口腔から涎を撒き散らし、長沢は高らかに笑い飛ばす。

(――20億?)

確かにルールにはそのような記載がある。だが圭介の念頭からは完全に除外されていた。
それがどんなに莫大な金額でも。それが殺戮の動機と成り得るなどとは想像だに出来なかったのだ。

「前回の賞金は5億ぽっちだったからな。この程度、ほんの数年で使いきっちまう。
 酒、女、ドラッグ――ホント現代社会で生きていくには金がかかるよ!」

それのどこが現代社会だ、と思わず悪態が口を突きそうになる。

――ダメだ。このまま長沢のペースに嵌められては。

こうしている間にもリミットは刻一刻と迫っている。
戦闘禁止エリアが解除された瞬間、長沢は予告通りこちらを殺しにかかるだろう。
最早彼の廃人めいた風貌など信用できない。戦って勝てるなどとは考えるべきではない。
美雪を庇いながらの戦いともなれば尚更だ。

――逃げなければ。

それ以外の選択肢など無いはずだ。だが毒蛇の視線に呑まれたか、足が動こうとしてくれない。

(くそ、どうすれば――)

「まったく。あの時ヘマさえしなきゃもう少し稼げてたってのに。
 おかげであのクソ野郎に頭下げて参加登録する羽目になっちまった――ああ、くそ! くそクソ糞っ!!」
「!?」

長沢は突然憤りを露わにしたかと思えば激しく身体を上下させ、白髪を掻き毟り始めた。

「くそクソ糞々、薬が、クスリが切れちまったっ!! ぐ、ぐ、ぐわぐわがががががぎゃぎゃが」

(な、なんだ!? まさか――)

――あの異常な風体と頭髪は薬物依存のせいなのか?

確証は無かった。だが長沢の苦しみ様はおそらく正解であろう。


「く、くく、クスリクスリ薬薬薬薬ぃぃぃっっ!! あ、お、オイ手前ぇら、なにボーっと突っ立ってやがるっ!!
 さっさとオレに薬を、クスリをおおおっっ!!!!」

「!!」

長沢の恫喝で呪縛が解けた。チャンスは今しか無い。

「行くよ、森下さんっ!」
「え、あ、はいっ!」

美雪の手を取り圭介は勢い良く床を蹴る。

「あ、ま、待てオイ、ぐあ、ぐ、ぐぎゃががががががっっ!!!!」
「誰が待つかよっ!」

最速で。全速力で。とにかくこの場から離れることだけを考える。

「はあっ、はあっ、は――」
「森下さん、今だけ、今だけでいいから頑張って!」
「――」

美雪の頷きを気配だけで察知し、前へ、前へ。
罠の存在や乃得留たちのいた部屋からまた遠ざかっている事実。
そんな何もかも。今の圭介には考えることはできなかった。









どれくらいの距離を走っただろう。どれだけの時間を走っただろう。

「はあっ――はあっ――」

後方に長沢の姿は無い。だが油断は禁物だ。
2度目の「ゲーム」の体験者であるあの男なら施設の構造を熟知していても不思議はない。
少しでも、遠くへ。先回りを企てようが、決して追いつくことのできない程に。

「はあっ――はあっ――あ!」

ついに美雪が足を縺れさせた。

「! 森下さんっ!」

圭介は咄嗟に身体を反回転させ、繋がれた手を引く。
寸での処で少女を床との接触から救出することができた。

「あ、ありがとう――ございます――はあ――」
「いや、こっちこそ――無理をさせ、て――」

気丈な彼女がここまで疲労を露わにしている。
ということは彼女の体力はとうの昔に尽きていたのだろう。

「ま、ここ、まで来れば、だいじょう、ぶ、だろ。もう、休も、う」
「そ、う、です、ね」
「――ぷはあっ!」

圭介は壁に背を預け、座り込んで大きく息を吐いた。
正直圭介も限界だった。だが長沢の脅威に晒された身体がそれを許してくれなかったのだ。
二人はしばし無言で息を整える。
話したいこと、話さねばならぬことは山ほどあったがまずは落ち着くことが先決だった。


だが二人の持つPDAが同時に警告音を発したのは次の瞬間だった。


(!?)

必要以上に圭介が驚愕したのは握り締めていたPDAではなく懐から警告音が発せられたからだ。
圭介は今、表向きは「6」が表示されているJOKERを主に使用している。
真実のPDA、「A」は今制服の内ポケットの中だ。
どうやら今の警告音は正規のPDAからのみ発せられたらしい。

(――バレてない、だろうな)

圭介は恐る恐る美雪の様子を窺う。
美雪の方は未だ呼吸が整っておらずPDAを調べる余裕も無さそうだった。
少しばかり安心した。そしてJOKERの特別仕様に内心感謝した。
もしも、警告音が3つ同時に鳴っていたら。さすがの美雪も不審に感じたかもしれない。

(――さて)

圭介は右手を一度小さく振り、同時に左手で右胸を叩く。
すると手の中のPDAが袖口に引っ込み、一瞬でもう一つのPDAが現れた。
圭介お得意のマジックの一つ、「瞬間変化」だ。
懐に忍ばせてあるタネは全て袖のバイパスを通して手の先に送り込むことができる。
後は大仰な仕草で元から手にしていたものを袖口から懐に送り返せば完遂。
傍目にはまるで一瞬で手にしていたものが別のものに生まれ変わったように見えることになる。
無論今回の行動は美雪に手品を見せるためではない。
むしろ美雪には見せたくないがため。不審な仕草を見せること無くPDAを切り替え、警告音の原因を調べるためだ。

改めて圭介は「A」のPDAの画面に目を落とす。

(ん?)

スペードのAの初期画面から切り替えていないはずのPDAには以下の文面が表示されていた。


『開始から6時間が経過しました。お待たせいたしました。全域での戦闘禁止が解除されました!』
『個別に設定された戦闘禁止エリアは現在も変わらず存在しています。参加者の皆様はご注意ください』


「森下さん、PDAを!」

圭介は即座に美雪に自分のPDAを確認するよう促す。
美雪は緩慢な動作で自身のPDAを取り出し、そして「あ――」という驚きの声を上げた。

(ついに――来ちまったか。この時が)

これで施設内に存在する参加者の鎖は解き放たれた。
暴力行為を抑制するルールは、今この瞬間をもって消失することとなった。

「となると、この場で立ち止まっているのはマズい。どう? 森下さん。動けそう?」
「は、はい――もう大丈夫、です」

その表情にはまだ疲労の色が濃いがそんなことも言っていられない。
見晴らしの良い通路内に留まったままでは他のプレイヤーに発見される危険性が高い。

「よし、じゃあこっち」

再び美雪の手を取り圭介は近場の扉に移動する。
室内であればとりあえずの発見は困難であるはずだ。話をするならばこちらの方が都合が良い。
もっとも困難であっても不可能ではなく、逆にいざ見つかってしまえば今度は逃走が困難になってしまうのだが。
だがどの道今の状態では逃げることもままならない。
今後の方針の打ち合わせの間だけ、と限定し圭介は扉を開き美雪と共に部屋の中へと身体を滑り込ませた。

「お、こいつはありがたい」

室内は圭介が目覚めた部屋のように家具類は設置されておらず木箱が積み上げられた雑然たるものだった。
その中の手前の一つ。蓋が開いたままの箱の中に水の入ったペットボトルが幾つか入っていた。

全力で走り続けたため圭介の喉は相当に乾いている。
これ幸い、とばかりにその一本を手に取り、キャップを捻って口を開けた。

(まさか毒なんて入ってないだろうな――まあ大丈夫だろ)

一拍の躊躇いの後、一気に呷る。たちまちに身体が潤いを取り戻す。
生きていることに感謝したくなる一瞬だ。特に今なら、尚更に。

「――ぷはっ! あー美味い。ほら、森下さんも」
「――」
「あ、ごめん」

勢いでつい圭介は半分まで減ったペットボトルを差し出してしまった。
同性ならばともかく女性の身である美雪は気にかかる部分があるだろう。

「はい。じゃあこっちを」

箱の中から新たなペットボトルを取り出し圭介は美雪に渡そうとする。
だが美雪は顔を伏せたままそれを受け取ろうともしない。

「――森下さん?」

どうにも様子がおかしい。まだ疲労のせいで身体を上手く動かせないのだろうか。

「――さんは」
「ん?」
「長沢さんは――わたしたちを、騙したんですよね?」
「――ああ、そうだよ」

長沢勇治。脆弱な体躯の白髪の青年。
だがその正体はかつての「ゲーム」を生き残り。
賞金の全額確保のために参加者の殲滅を目論む殺人狂だった。
そんな男の善人を装った姦計に、美雪は危うく命を落としかけたのだ。

「いい人だと、思ってたんです。助けてあげなきゃって、思ってたんです。それなのに――」

伏せられた前髪の向こうから嗚咽が聞こえてきた。
誠実を絵に描いたような少女はおそらく誠実な仲間に囲まれ、誠実な人生を送ってきたのだろう。
だからこそこのような手酷い裏切りは余程に応えているに違いない。

「――」

それは過保護な人生であると。世の中はそんなに甘いものではないと。
ここで少女に告げることは容易い。
だがそんな世間の荒波をこの場で説いたところで何になるだろう。
彼女はもう十分に傷ついた。これ以上の何が必要だと言うのか。

それに。こんな風に人を想えることは本来尊いことなのだ。
圭介が既に遠い昔に無くしてしまったものを、今も美雪は胸に抱いて生きている。
だからこそ。圭介はこの少女に惹かれていた。魅せられていた。

「――俺が」
「――え?」
「俺が、側にいるから。森下さんの、力になるから。だからそんなに悲しまないでくれ」

自然と言葉が口をついた。
傷心の彼女を何とか励ましたかった。沈む彼女をこれ以上見ていたくはなかった、から。

「鳴神くん――そう、ですね」

漸く顔を上げた美雪は目尻に溜った涙を拭う。

「鳴神くんは、いつもわたしを助けてくれます。大門さんの時もあの女性の見送りのときも、そして――今回も。
 本当に、本当に――感謝しています」
「そうでしょう。そうでしょう」

徐々に光を取り戻す少女の表情に圭介は安堵する。

――よかった。やっぱり森下さんはこうでなくちゃ。

「何か、お礼をしなくちゃいけませんね」
「え?」
「今はこんな状況ですからプレゼントとかはできませんけど。わたしにできること、何かありませんか?」
「い、いや、いいよそんな別に」
「それではわたしの気が済みません」
「そんなこと急に言われたってなあ――」

突然の申し出は混乱の引き金だった。だがここで退かない美雪であることは圭介には既にわかっている。
さて、どうするか。
物品譲渡は却下されている。かといって金銭の要求では何とも味気ない。
と言うより「わたしにできること」に殊更に反応した自身の邪な欲求こそが最大の障害だ。

(――って、一度意識しちゃったらもうそっち方面しか考えられんじゃないか、俺のアホ!)

頭を抱えて蹲ってしまった圭介を美雪は心配そうに眺めている。

「あ、あの――そんなに悩まなくても。何でもいいんですよ?」
(そゆ事言うから余計に悩むのでしょうが! あーもう――)

純粋すぎるのも考え物だ。先程までと一変した空気は喜ばしいものだが同時にまた悩ましい。

(――よし)

内なる衝動との対決を終え、圭介は美雪に向き直る。

「じゃあ、ハグしてもいい?」

結果は衝動の辛勝だった。

「――はい?」

予想外の返答だったのか、呆気に取られる美雪。

(――やっちまった!)

理性は再戦の意欲を取り戻す。たちまち顔が熱くなる。

「な、なんてね! 別に今はいいよ! そのうちまとめて返してもらおっかなーなんて!」

最初からこう答えればよかっただけの話ではないか――
まともに美雪の顔を見ることができず、つい圭介は少女に背を向けてしまう。

「さ、さてっと。お、せっかくだからこの部屋には水の他に何か無いか探しておこう! えーと、まず」

そして恥ずべき発言を誤魔化すため、大げさな身振りで散策を開始する。

「えい」
「――へ?」

唐突に。圭介の背中に柔らかいものが押し付けられた。
背後から美雪に抱きすくめられたのだと、気がつくまでに多少の時間がかかった。

「あ、あの――もりした、さん?」
「は、話しかけないでください! すごく恥ずかしいんですからっ!」
「――」

そのまま。時間だけが過ぎていく。
長沢のこと、戦闘行動が解禁になってしまったこと。
考えなければならない様々なことは今はもう何も圭介には思い浮かばない。
ただ、今は。この温もりに身を預けることしか出来なかった。

「鳴神くん。わたし――頑張りますから」
「――」

「頑張りますから。頑張って、鳴神くんの力になりますから」
「――うん」

「だから――一緒に元の日常に、戻りましょう、ね?」
「――うん。そうだね」

美雪の囁きの一つ一つが圭介の心を満たしていく。
美雪の温かさが、圭介の中の衝動を打ち消していく。

(――ダメだ)


――殺せるわけ、ないじゃないか。
――こんな子を、殺せるわけが、ないじゃないか。


美雪の存在はもう、圭介の中でかけがえの無いものになってしまっていた。
真実の意味で、失いたくない。心からそう、思えるのだ。

だが現実は残酷だ。彼女の願いは叶わない。
この「ゲーム」から生還できるのは圭介か美雪、どちらかだけ。
圭介が生き残るためには美雪を殺さねばならず。
美雪が生き残るためには圭介の命を見捨てなければならない。


――どうしてこの子なんだ?
――どうしてこの子じゃなきゃダメなんだ?

――この子を守るためならば、手を血に染める覚悟すらできるのに。


(畜生――)

圭介は思わず天井を仰ぎ見た。
そうしなければ涙が零れ落ちてしまいそうだった、から。





 ゲーム開始より6時間13分経過/残り66時間47分


【裏情報:開示】
・施設内には個別に設定された戦闘禁止エリアが存在する。




[21380] EPISODE-15
Name: でしお◆ff3c50cd ID:912e8347
Date: 2010/09/23 14:02
遡ること一時間前。

「――限界ね。これ以上はいくら待っても時間の無駄だわ」

自身が定めた刻限を更に10分超過した時点で、波多島乃得留はそう宣言した。
だが出発を急かす乃得留に大門三四郎は強硬に反対した。
二人がキラーカードを引き当てた可能性を彼はどうしても認めたく無かったのだ。
怪我をして動けなくなっている可能性だってあるじゃないか――と。

古谷小枝子の賛同もあって、止む無く乃得留は二人の進言を受け入れた。
だがこのままでは当初の目的が難しくなってしまう。
まだ見ぬ参加者が、今も何処かで助けを求めているかもしれない。
だから、彼らの部屋の確認だけ行う。それが乃得留の精一杯の妥協点だった。
大門と小枝子はそれぞれに頷き。
そして大門の記憶を頼りに圭介たちの部屋の方向へと向かう。


だが彼らを待ち受けていたのは圭介ではなく――目的地への通路を封鎖した剣山の障壁だった。





「彼らは――本当に無事なのだろうか」

慎重に通路を進みながら、大門は誰に聞かせるともなく呟いた。

結局。圭介たちの捜索は断念せざるを得なかった。
数メートルに渡って敷き詰められた鋭い剣山を乗り越えて進むことは不可能だったからだ。

「わからないわ」

先導する乃得留は振り向きもせず答える。

「あの棘の周りには血の跡が無かったから。怪我をしているわけではないでしょうけど」
「そ、そうか。そうだよな」

今一行はPDAの地図機能に記載されたエントランスホールのような広場に向かって移動している。
「建物外部に出るとペナルティ」というルールを知らない参加者がそこに向かっているかもしれない。
上手くすればそこで協力者を増やせるかもしれない、という乃得留の提案に従っての行動だった。

隊列は乃得留・大門・小枝子の順。
本来一番危険な先頭は大門が務めるはずであったがPDAの地図操作に不安があるためこのような順番となっていた。

「じゃあ、鳴神くんたちはあれが邪魔なせいで戻ってこれなかったのかもしれないな」

件の障害物が現れたのは圭介たちの通過前であったのか後であったのか。
それを大門が知る由もなかったが、いずれにしても最短距離を通過することは不可能であっただろう。
となれば当然、迂廻路を選択せねばならない。だが施設の構造は非常に複雑で難解だ。

「――そうかもしれないわね」

乃得留らしくない適当な相槌は、最早反論は無駄だという諦観なのだろう。
無論大門も理解しているつもりだった。彼らが戻ってこれない一番の可能性など。

だが、それでも信じたいのだ。
あの気持ちの良い若者たちは、依然救われるべき立場に在るのだと。

――そうだとも。そうに決まっているさ。

いつか必ずもう一度出会える。そして互いの無事と再会を喜び合うのだ。
そのためには、そう。
今のメンバーが、一人でも欠けることは許されない。
その時まで二人を守るのが、ボクの役目だ。

(――よし)

新たな決意を胸に秘め、大門は大股で乃得留の後に続く。


だが大門は気づいていなかった。
というよりその場にいる誰もが気づいてはいなかった。

彼らと圭介たちの間を阻んだ無数の剣山。
それは事情を知らない彼らにとっては、ただの「障害物」に過ぎなかった。
あの剣山がどのような経緯で出現したのか。
どのようなタイミングで出現すると、最も危険な状態であるのか。

そしてそれは、何を意味するのか。
それら全ての理由を、彼らは次の瞬間に理解することとなった。




「――え?」

異変を引き起こしたのは、殿を務めていた小枝子だった。
やや足早になってきた乃得留と大門に遅れぬよう歩く速度を速めた彼女は僅かに足を縺れさせた。
慌てて体勢を整えるべく、反射的に近くの壁に手をついた。

その刹那、かちりという音が鳴り。
続いてごとり、という音と共に天井付近の壁の一部が外れ、小枝子の頭めがけて落下してきた。

「!!」
「さ、小枝子さ――えっ!?」

後方での突然の異変に、即座に反応したのは乃得留ではなかった。
彼女の驚きは、同時に気付いたはずの大門が既に行動を起こしていたからだ。

「伏せろっ!」

警告を発し、大門は瞬時に小枝子との距離を詰める。

「え? な」

「セイアッ!」

剛脚一閃。理解及ばず立ち尽くしたままの小枝子の頭上を一陣の暴風が駆け抜けた。

大門の蹴りはものの見事に加工された石の塊を捉え――そのまま3メートルほど吹き飛ばした。

「――」
「――大丈夫ですか。古谷さん」

ゆっくりと掲げた足を元に戻し。静かな声で大門は小枝子に気遣いの言葉をかける。

「あ、あの――いったい何が」

突然の出来事に、小枝子はぺたりと尻もちをついた。
そのまま目の前の大門と、床に転がった重量物を交互に見比べている。

「『アレ』が、古谷さんの頭の上に落ちてきたんですよ」
「!! そ、そんな――」
「危ないところでした。でも妙だな――なんであそこだけ、こんな外れやすくなってるんだ?」

大門はその高い視点で壁の外れた部分を見やる。
そこには正確なラインでくり抜かれたような穴が開いていた。
建築の技法にはまったく覚えの無い大門にとってもそれは矢鱈と不自然なものに見えた。

「おそらく罠、でしょうね」
「え?」

乃得留が周囲を確認しながらこちらに近付いてくる。
そして小枝子に手を差し伸べ立ち上がるのを手伝った。

「罠――だって?」
「小枝子さん、あれが落ちてくる前に何かスイッチのようなものに触れませんでしたか?」
「え、あ――そうです! そちらの壁に触れた途端に何か音がしまして」

小枝子が指差す先。その場所は手の平の大きさ分だけ僅かに沈み込んでいた。

「やっぱりそうですか。きっとあの部分に触った時だけブロックが落ちてくる仕掛けになってるんだわ。
 おそらくさっきの通路にあった剣山も同じ類の代物でしょうね」
「え、と――どういうことだい?」
「あの剣山も誰かがこんな感じで起動させて、結果的に道を塞いでしまったということよ」
「!! まさか――」

先程遭遇した無数の棘の鋭さを、大門は思い返す。
容易に人間の身体を貫けそうなそれは、範囲の広さも相まってとても乗り越えられるものではなかった。
だからあれは単に道を塞ぐためのもの、そうとしか考えられなかった。

だがもし。あれが出現する最中に、床の上に人が乗っていたとしたら?
結果は言うに及ばずだ。重傷どころの騒ぎではない。
そしてそれは、自分の蹴りが間に合わなかった場合の小枝子の未来にも当て嵌まる。

「――なんということだ」
「迂闊だったわ。少し考えれば、解りそうなことだったのに。
 私の至らなさで、小枝子さんを危険な目に遭わせてしまったわ。本当に――ごめんなさい」
「そ、そんな! ノエルさんが謝る必要なんてありませんわ!」

深々と謝罪する乃得留と、恐縮する小枝子。
まったくもってその通りだ、と大門は憤慨した。
誰もが気付かなかった罠の存在などに、彼女が責任を感じる必要は無い。
責められるべきは誰かなどと、考えるのも馬鹿らしいことだ。

――まったくどれ程に人の命を玩べば気が済むと言うのだ。

主催者たちに怒りを覚えたのはこれで幾度目であろうか。

「ありがとう。そう仰って頂けると、心が休まります」
「いいえ。それよりも――」
「ええ、そうですね」
「ん?」
「今回の功労者に、まだお礼すら言ってませんでした」

予め、示し合わせていたかのように。二人の女性は同時に大門へと向き直った。

「ありがとうございました、大門さん。また私を助けてくださったのですね」

まず小枝子が。以前と同じように丁寧に頭を下げる。

「私からも、ありがとう。こうしてみんな怪我一つせずいられるのは、貴方のおかげよ大門さん」

そして乃得留も。小枝子に続くように謝辞を述べた。

「! い、いえ、そんな――別にボクは、大したことをしたわけじゃ」

突然の出来事に、大門は喜ぶどころか動揺を隠せないでいた。
それは彼にとって初めての経験だった。
今まで業を使って賞賛を受けることこそ有れど、感謝されたことなど無かったのだ。

「あれで『大したこと無い』と仰るのは、謙遜が過ぎると思うのですが」
「まったくです。申し訳無いけど大門さんって謙虚を通り越して、少し卑屈じゃないですか?」
「いや、そんなこと言われてもなあ」

気まずさに耐えかねて大門は二人から視線を逸らす。
乃得留の見解は間違いではない。
未熟を自覚する大門にとって、自身の技はまだ誇りに足るべきものではなかった。
全日本を三連覇し当代並ぶ者無しと称えられてなお。
彼にはまだ「武」というものの到達点が見えてはこないのだ。

「何せボクはキャリアがそんなに長いわけではないからね。そのせいで必要以上に尻込みしているのかも」
「そうなんですか?」
「ああ。空手を始めたのは高校卒業前だから――ほんの13年程度かな」
「――十分じゃない」
「そんなことはないよ。空手で生きることを選んだ人たちは、みな幼少の頃から学んでいるからね。
 ボクの同世代で道場を預かる身ともなれば、20年以上の経験が本来はあるべきだ」
「そうなんですか」

規定があるわけではなかったが、大門はそうあるべきだと信じていた。
ましてや彼は不器用で一つの技を覚えるのに常人の2倍の時間がかかっていた。
それでもタイトルを取得し道場主と成り得たのは偏にこの恵まれた体躯あればこそ。
業が身体に追い付いていない。その自覚こそが大門が業を誇れぬ最大の理由だった。

「あ、ちょっと待って。だったら大門さんはそれまでは空手に縁の無い、ズブの素人だったってこと?」
「まあ、そうなるかな」
「随分と奇妙な経歴ねえ。差支えなかったら聞かせてもらえます? 
 普通の青少年ならば進路に悩む時期にどうして空手を学ぶ気になったのか、その理由を」
「あ、それは私も是非聞きたいです」
「うーん。恥ずかしいからあまり語りたくはないんだけど」

やんわりと拒絶の意思を示したものの、女性陣の興味深々な瞳からはどうにも逃げられそうにない。

「そうだな。まず何から話したものか――」







高校時代の大門三四郎の体格は入学時には既に成長しきっていた。
肉付きも現在ほどではないがそれなりのものを備えており、そんな彼を体育会系の部活が放っておくはずがなかった。
だが残念なことに、彼には「運動センス」たるものが致命的に不足していた。
周囲の過度な期待は次第に失望へと変わり、蔑みさえ受けたこともある。
居た堪れなかった。だが身体を動かすこと以外に取り得など無い。
何か自分に向いているスポーツを、と入退部を繰り返し、その度に失態を晒し続けた。
結局何一つ成果を挙げることなく、彼の3年間は過ぎて行った。


「最後の夏は、アメフト部に所属していたんだ。
 で、やっぱりボクのせいで負けてしまった」


素人同然の大門が最後の公式試合に起用されたのは偏に部員不足のせいである。
だがそれで敗戦に納得できるほど当時のメンバーは大人ではなかった。
責任を感じ失意に沈む大門を、ここぞとばかりにチームメイトは責め上げた。


「やれ木偶の坊だの粗大ゴミだの、心無い言葉を散々投げかけられたよ。
 まだ進路が決まって無いこともあって、ボクのストレスも限界だったんだろうね」


――勝手な期待をかけたのはお前たちの方じゃないか。
――なんで俺ばかり、こんな目に遭わなくちゃいけないんだ。

大門は初めて怒りで我を忘れた。
そして一番口汚く罵ってくれた輩の襟首を捻り上げ、拳を顔面に叩き込もうとした。


「その時たまたま観戦に来ていた部のOBの男性が割って入って――
 で、間違ってその人を殴ってしまった」


事実に気が付き血の気が引いた。
とんでもないことをしてしまったと錯乱した。


「けどその男性はさして気にした素振りも見せず起き上がって――そしてボクにこう言ったんだ」


――大門くん。君、空手をやってみないかい?


「そりゃあ驚いたよ。突然何を言い出すんだ、と。
 傷付くのも傷付けるのも嫌だったからそれまで格闘技系の部活は回避してたから」


だがその中年男性は真剣だった。
穏やかな態度でその場を治めると、大門をファミレスに連れ出した。
そしてなぜ自分がそう感じたのかと、懇切丁寧に語り始めた。


――君の事情は聞いている。正直気の毒だと思っている。
――だが君は、上手くいかないことを全て才能のせいにして諦めてはいないかい?
――自分に足りないのはセンスではなく、心の強さだと考えたことはなかったかい?


雷に撃たれたかのような衝撃を受けた。その男性の言う通りだった。
自分の身体を活かすことばかりを考え、磨き上げることを疎かにしていた。
才能に妬みを抱きつつも、「体格」という才能に依存していた。
期待に応えるつもりはあっても、期待と真正面から向き合うことはしなかった。
促されるままに入部して、失望されての繰り返し。成長する努力も断る努力もしてこなかった。
それは人から見れば、どれほどにいい加減なものであっただろう。
それなのに、まるで自分ばかりが犠牲者であったかのように考えてばかりで。


――だからこそ、空手なんだよ。武道とは身体と共に心も鍛えるものだからね。
――無論、知り合いの道場主が現在門下生を募集しているというボク自身の都合もある。
――どうだろう。ここは1つ騙されたと思って――いや、違うな。


――よく考えて。君自身の意思で、結論を出すんだ。
――その結果がどうであれ、ボクは君を絶対に責めない。



――だって君の人生は。君自身が責任を持たねばならないものだから――



一つ一つの言葉が大門の心に突き刺さった。
けれどそれは、決して冷たいものではなかった。
この人は、本当に。自分のことを考えてくれている。
たった2、3度顔を会わせただけの若造の自分のことを。
これが強さなのだと大門は理解した。この人のようになりたいと、心の底から思えた。

『空手を学べば――俺も、貴方のように、なれますか?』

ボクなど全然大した男じゃないさ、と男性は腫れた頬を抑えながら、笑った。
その日、大門は初めて人前で大粒の涙を流し。
そして自分の意思で自分の道を選んだ。






「それからボクはその人に紹介してもらった運送屋で働きながら、空手の鍛錬に明け暮れた。
 そして今に至る、というところかな」

大門はそこで言葉を切り、大きく息をついた。

「素敵な話じゃない」
「そうですよ。大門さんのお人柄は、その人の影響によるものなんですね」
「いや――ボクなどまだまだです」

あれから10年以上の月日が流れた。
だが今の大門は、まだまだ当時の彼のようにはなれていないとはっきりと自覚している。
空手の業も、心の強さも。未だ大門の求めるものには遥か遠い。
故に大門は自分の強さに決して増長することはない。

ただ、あの頃とは違うと言い切れる部分も確かにある。
それは自分の巨躯を使いこなせるようになったということ。
「大門の強さはその恵まれた体躯による処が大きい」と心無い言い方をされることもある。
だがその才能を活かせるようになった。これは昔とは違う大きな進歩だ。
それだけで。自分の選んだ道は間違いではなかったと。胸を張って言うことができる。

「それでその人は今、どうされているのですか?」

大門に道を示した、恩師とも呼べる中年男性。その人物の現在を、小枝子は尋ねる。
だが軽快に答えが返ってくるかと思いきや、大門の表情に影が差した。

「それが――数年前からぱったりと連絡が途絶えてしまって」

その人物と大門は頻繁に、とまではいかないがそれなりの交流は続いていた。
それがある日を境に電話がまったく繋がらなくなってしまった。
自宅も既に引き払っており、不動産業者に問い合わせても「守秘義務がある」の一点張り。

「それは――妙な話ね」
「そうなんですよ。まあボクの存在なんて取るに足らないものだから、単に忘れちゃっただけかもしれませんが――」

だが、大門にとってはそうではない。
彼には返せない程の恩がある。
報いというわけではないが、せめて自分が成したことくらいは報告しておきたいものだ。

(――うん。そうだな)

何も諦めることはない。せっかく初心を思い出したのだ。

「古谷さん。ノエルさん」
「はい?」
「どうしても生きて帰らなきゃならない理由が一つ、できました。
 ボクは元の日常に戻ったら、その人を探してみようと思う」

忙しさに感けて、というのもまた言い訳だ。
考えてみればあれほどの人物との繋がりを失うなど、あってはならないことなのだ。
伝えたいことは山ほどある。大会で優勝したこと、道場を持つことができたこと。
さすがに今の状況は、どんな結末になっても話せることではないだろうけれど。

「それまでは、みんなをボクが守りますから。だから、希望を捨てずに行きましょう」
「――大門さん」
「そうね。その通りだわ」

「みんな」とは勿論この場にいる二人だけではない。
鳴神圭介、森下美雪。二人の若者も含めてのものだ。
あの時。あの人に救われたように。今度は自分が、みんなを救ってみせる。

「また――遭えると、いいですね。その人に」
「ありがとう古谷さん。貴方も旦那さんと娘さんに会えますよ。必ず」

男として決意を示しつつも気になる女性に対する気遣いも忘れてはない。

――うん。ボクにしては綺麗に決まったぞ。

つい調子に乗って満足しつつ、大門は女性陣の新たな反応を窺った。

ところが。

「――」
「――」

(あ、あれ?)

乃得留と小枝子は揃って複雑な表情を浮かべていた。

(な、なんだ? 特にマズいことは言ってないはず――だよな?)

「――うん。今回は大門さんは悪くない。悪くないんだけど」
「あ、あの――ですね。大門さん」
「はあ」

「実は――私の主人は、2年前に他界しておりまして――」


良かれと思って付け加えた言葉は、完全に裏目だった。
やはり自分はまだまだ未熟だと、大門は小枝子に平身低頭しながら内心呟いた。





そんな大門が、知らない事実は更に有る。
それは彼の恩師である男性、葉月克巳は既にこの世の人間ではないということ。
そして葉月が命を落とした原因は、現在大門が巻き込まれている「ゲーム」によるものだということ。
さらに葉月が所持していたPDAを、今大門が使用しているということ。


大門と、彼に道を示した男性との繋がりは未だ途絶えてはいなかった。
だがそれは決して。歓迎できるものではなかったことを。

彼は生涯知り得ることは出来なかった。






 ゲーム開始より6時間41分経過/残り66時間19分




[21380] EPISODE-16
Name: でしお◆ff3c50cd ID:912e8347
Date: 2010/10/03 09:16
「やっぱり居ませんね。ノエルさんたち」

確かな見覚えのある室内を見渡しながら美雪は呟いた。



長沢勇治という最狂の参加者から何とか逃れてより一時間余り。
漸く圭介と美雪は待ち合わせの部屋へと辿り着いた。

これほどに時間がかかってしまった理由は二つ。
一つは戦闘禁止が解除された今、間違っても再び長沢と遭遇したくはないがため必要以上の迂廻路を取ったため。
そしてもう一つは勿論罠の存在を危惧して慎重な行動をしてきた結果である。

「そうだね。残念だけど」

表向きは再会を果たせなかった落胆を語りつつ、圭介は内心安堵した。

さすがに2時間以上も戻ってこない「他人」を待ち続けるほど愚かな人間はいないであろう。
ましてリーダーは卓越した才覚を持つ波多島乃得留だ。
彼女ならば必ず自分たちよりも自分自身の目的を優先する。圭介の読みは見事に的中した。
無論人の心ほど移ろい易いものはなく、実際にその目で確認するまで一抹の不安が有ったことも事実である。

(これで、とりあえずは大丈夫か)

これで「PDAを回収したら戻ってくる」という約束は一応は果たした形になった。
偽装を続けながら偽装を看破できる乃得留と合流せねばならないというジレンマは一先ず解消されたことになる。

そう。
圭介は未だJOKERを所持してカードを偽っている事実を美雪には話していなかった。
長沢との諍いの後、彼は美雪に対する自身の特別な感情を自覚した。
「自分に彼女を殺せるわけがない」と。

だがそれは決して「彼女を生かすためなら自分の命を失ってもいい」という意味ではない。
自らの未来と引き換えに美雪の未来を守ろうという考えは圭介には毛頭無い。
自己犠牲など馬鹿げている。彼女の思い出の中でだけ生き続けるなど何の意味も無い。
彼女への想いも、彼女の存在も。全ては自分の命あってこそのものなのだ。

けれども、その全てを満たして解決へと導く方法はまだ見つかってはいない。
今の圭介は、自分にとって都合の良い事実に従うのみ。
それは美雪を守り続ける事こそ、自分の命を守ることに繋がるという事。
美雪が自分以外の参加者に殺されてしまうと、圭介の解除条件はその時点で達成することが出来なくなってしまうからだ。

――だから、今は。何があっても彼女を守らなければ。

欺瞞だとは自覚している。
だがそう考えることは今までよりずっと気が楽だった。

「――これからどうしましょう?」
「これから、か。うーん。正直ノエルさんを当てにしてただけに自分で考えるのは厳しいな」

自分でも白々しい台詞だとは思ったがこの場所に戻ってくるまで何も考えていなかったことは事実だった。

さて、どうするか。
圭介本来の意思としては美雪と共に安全を確保することが第一である。
そうなると二人で一気に最上階まで上がりきってしまうのが一番の良策なのだが。

「わたしは――やっぱりノエルさんたちを探して合流するべきだと思います」
「――だよねえ」

予想通りの答えが返ってきた。
美雪の立場からすればそれが当然の判断だ。
仲間が増えるという事実は危険や不安を大幅に減少させてくれる。
しかも相手は「争うことなく共に協力し合おう」と言ってくれた乃得留たちだ。
そんな人物たちとの再会を彼女が望まないはずがない。

美雪の発言はそう考えた上での結論であると圭介は勝手に納得していた。
だが彼は、傍らの少女の思いやりの深さを未だ理解しきれていなかった。

「鳴神くんの解除条件を考えればJOKERの所有者の特定を急がなければなりません。
 そのためにはまずノエルさんたちが持っているかどうかを確認することが一番簡単だと思いますから」
「――なるほど」

何ということか。
美雪が乃得留たちとの合流に拘るのは自分自身のためではなかった。

ありがたいと感じると同時に自己嫌悪で押し潰されそうになった。
彼女の想いは無駄なのだ。「6」の解除条件に奔走することも、JOKERの所持者を探すことも。
そしてそんな無駄を彼女に強いているのは他ならぬ自分の嘘のためなのだ。

――いつまで、この嘘をつき続ければいい?
――俺と彼女が同時に助かるためには、どんな手段があると言うんだ?

噛み締めた唇から血の味がする。
その痛みこそが無力さの証であると圭介は痛感した。

「でも、どうする? ノエルさんたちを探すったって闇雲に歩き回るわけにもいかないだろう」

一先ず切り替えて圭介はいつもの無害な少年を装い、質問を返す。
当初の約束は失われ、互いに連絡を取る手段は無い。
今のこの状況でフロアの何処にいるのかもわからない乃得留たちと合流を果たすのは非常に困難に思える。

「そうなんです。それで――考えたんですけど、階段の手前で待っている、というのはどうでしょう?」

成程、盲点だった。
いずれこの1階も侵入禁止区域になってしまう以上、乃得留たちも必然的に上の階に上がらなければならない。
そうなると必ず、階段を通るということになる。その時が再合流の狙い目、というわけだ。

「そっか。それは良い考えかも。でも――」
「でも?」
「上への階段って、全部で5つもあるよ?」

全体の把握、とまではいかないが施設の大まかな設備に関しては圭介は頭の中に叩き込んでいた。
罠の存在を知ってから必要以上にPDAの地図機能を頻繁に使用していた為だ。

地図の記載によれば上へ上がる階段は5つで間違いは無い。
そのうちのどれを乃得留たちが使用するのか。
それがわからなければ待ち伏せをしていても、擦れ違いが発生してしまう可能性が高くなってしまう。

「それなんですよね、問題は」

困ったことです、とばかりに力無く肩を竦めてみせる美雪。

「でもそれも、もしかしたら何とかなるかもしれません。鳴神くん、ちょっと地図を開いてもらっていいですか?」
「ん? ああ」

美雪に促されるままに圭介はPDAを操作する。
無論JOKERで偽装された「6」のPDAである。

「はい。それで――現在位置から右へずっとスクロールしてください。
 多分そこにここから一番近い階段があると思うんですけど。何か妙じゃないですか?」
「――ホントだ」

程なく指先が、階段へと辿り着く。
その階段の記号には、「×」印が重ねられていた。

「これって、この階段が使えないことを表わしてるんじゃないでしょうか? 
 そして残り4つの内、3つに同じ記載がされています」
「――ってことは、つまり」
「はい」

美雪ははっきりと頷いた。

「2階へと続く階段は、一つしか使えないのだと思います」
「――」

「おそらくそう簡単に最上階へ到達させないためのものなのでしょうね。
 2階以降の地図も同じような『×』印がついてて、次の階段はちょうど反対側ですから」
「かもね」

正確な理由は主催者にでも直接聞いてみなければわからない。
だが美雪の推測は納得出来るものだ。
そしてそれが正解であるのならば上層階への移動手段は限定されていることになる。
そうなると乃得留たちとの合流を叶えることも容易い、というわけだ。

(けど、それって――)

ふと脳裏に思い浮かんだ可能性を、圭介は奥に押し込めた。
その時が来ればわかることだ。今ここで発言しても問答が発生するだけでしかない。

「よし。じゃあ一先ず『×』印の真意を確認することから始めようか」

それがどんな形で使えなくなっているのか。知っておく必要があると圭介には思えた。
幸いにして一番近くの「×」印の階段は無記載の階段へのルートからそう遠回りではない。

「そうですね。それがいいと思います」
「うん。それじゃあ出発しよう」

美雪の同意を得て圭介は行動を開始した。
部屋を出て、周囲を確認しながら注意深く進む。

(でもこのままだとまたノエルさんたちと遭わなきゃいけない可能性が出てきたな)

相も変わらず圭介にとっては乃得留との再会は忌避すべき事柄だ。
しかし階段の真実が美雪の想像通りであれば「待ち伏せ作戦」はこのまま採用されることになる。
それだけは認めるわけにはいかない。そのためには美雪が納得できるだけの理由を用意せねばならない。

(まあ、何とかなるか)

だが圭介は意外と楽観的だった。先程までのように「約束」という強制力は働いていないからだ。
美雪を説き伏せるだけの理由も断片的ではあるが用意できている。後は期を計って提案すればいいだけだ。

それよりも。圭介は気になっていることがある。

「森下さん、大丈夫なの?」
「え――何が、でしょうか?」
「いやその――疲れてるでしょう?」

それは美雪の顔色が先刻から思わしくないということだ。
足取りもやや覚束なく見えるのは決して罠を警戒しているという理由だけではない。

無理も無い。ここ数時間は歩き詰めの上に危険と隣り合わせの緊張の連続は精神的にも負担は大きい。
ましてや彼女は一度長沢に殺されかけている。
蓄積した疲労が彼女の身体を蝕んでいるのは最早圭介の目にも明らかだ。

「大丈夫ですよ。それよりも、先を急ぎましょう」

だが美雪は弱弱しく微笑みながらそれを否定する。
自覚が無いわけではないのだろう。だがそれを少女は決して口にしようとはしない。
そんな美雪の胆力には感心するばかりだ。

だがその美徳は時として欠点とも成りかねない。今が正に、その時だ。

「――」
「鳴神、くん?」
「ごめん。俺の方がそろそろ限界だ」

言い捨てるようにして圭介は足を止め、近くの壁に大げさにもたれかかる。
その前に罠のスイッチが無いことを事前に確認しておくことも怠らない。

「――強引ですね。鳴神くん」
「強情には強引だよ」
「ごめんなさい。わたしの、負けです」

圭介の意図を理解したのか。美雪は諦めの面持ちで大きく息を吐き、そして圭介と並んで壁に寄り掛かった。

「座っていいよ。その方が楽でしょう?」
「いえ、このままで」
「それじゃあ意味が無い」
「鳴神くんの方こそ。疲れたから休憩したのでしょう?」
「男の子ですから」

互いの意地の張り合いは、結局圭介の方が折れることで終了した。

「ゴメンな。頼り無くて」
「いえ、そんな――わたしの方こそ」

並び立ち、目も合わさずに。そんな言葉を交わし合う。

圭介は理解している。
美雪が頑なに休息を拒み、今も動ける体勢を崩さないのはこちらに気を遣っているだけのものではない。
戦闘禁止エリアは解除され、最早何時誰が襲ってきても不思議では無くなった。
そんな状況下において、即座に対応できない状態に陥っていること。それを少女は何よりも恐れている。

「大門さんの時も長沢さんの時も。わたしは足が竦んで動けませんでした。
 だからせめて――これからはちゃんと、自分の足で逃げられるようにならないと。
 これ以上鳴神くんに迷惑はかけられません」
「――うん。ありがとう」

美雪の気持ちは素直に有り難い。だがそれは同時に圭介に全てを委ねることは出来ないという意味でもある。
圭介だけでは襲撃者を容易に退けることは出来ない。だから二人分の力が必要なのだと。

否定はしない。自分が秀でた存在では無いことなど百も承知だ。
ただ多少弁が立ち手先が器用なだけ。鳴神圭介はその程度の凡庸な高校生だ。
無論この「ゲーム」という特殊領域下では多少人より優れた何かであっても力及ぶものではない。
それこそ大門三四郎程の規格外でもなければ単独で矢面に立つことなど出来はしない。
故に自分の無力を嘆く必要は無い。
だがそれが窮地に立たされた際の言い訳には成り得ないこともまた事実だ。
自らの命の危機には今の自分のありったけで対処せねばならない。
力不足であったとしても精一杯を果たさねばそこが人生の終焉だ。

だからこそ、美雪は「休みたい」とは口にできなかった。
休みたくとも休めない。それが今の二人の真実だったのだ。

(マズいな。まだまだ先は長いってのに)

まだ「ゲーム」が開始されて8時間程度。しかし圭介たちは早くも行き詰まりを迎えつつあった。
このままでは共に疲労に押し潰される。
せめて満足な休息を取れる状況にまでは持っていかなければならない。

(――味方が、必要だ)

現状を打破すべき一手があるとすれば、それしかない。
そう。二人だけでは不足であるならば3人、4人。
少なくとももう一人仲間がいれば安心して交代で休息が取れる。
襲撃者に対する戦略にも広がりを持たせることができる。
一刻も早い協力者の発見。それこそが最上の良策であると圭介は思い至った。

だがこれが中々にして難しい。
「ゲーム」に参加している人数は全部で13人。内一人は既に死亡が確認されている。
圭介の偽装を看破できる乃得留たち3人とは手を組めない。敵に回った木戸と長沢は論外だ。

(楯岡さんなら――いや、ダメだな)

今までに遭遇した参加者の最後の一人、楯岡和志の存在を圭介は候補から弾き出す。
己の事情なるものを優先し単独行動を選んだ楯岡が自分たちと手を組むとは思えない。
それでなくとも彼は真意だけでなく存在そのものが謎に満ちている。
判断力や行動力に人間性が感じられず、表情は帽子とサングラスで隠したまま。
そんな男に信頼を寄せるのは非常に危険なことだ。

となると素性が判明している参加者は誰一人該当せず。
必然的に残りの未遭遇者4名から選抜することになるのだが。

(でもなあ――)

その中にはキラーカードを引き当てた人物がいる。
更には圭介にとって「天敵」となる人物まで含まれている可能性が高い。
仮にその条件がクリアできたとしても。果たして自分たちに手を貸してくれる気になるだろうか?
こちらに提示できるメリットは無い。
唯一の切り札と成り得るJOKERはその存在を秘匿せねばならないものだ。

(うーん――)

何か良い案は無いものか。
必死に思考を展開し、圭介は上策を捻り出そうとする。


「美雪から――離れろっっ!!」
「――へ?」


木刀を構えた少女が圭介に向かって突進してきたのはその直後のことだった。





 ゲーム開始より7時間54分経過/残り65時間06分



[21380] EPISODE-17
Name: でしお◆ff3c50cd ID:912e8347
Date: 2010/11/21 06:06
「――へ?」

それはあまりに突飛な光景だった。
猛烈な勢いで近付いてくるのは同世代と思しき少女。
手にした得物は修学旅行の定番土産である木刀。

先の角から突如出現した「それら」に対し、圭介の中に浮かんだのは危機感ではなく疑問符だった。
危険とはかくも快活なものであったか。長沢の如き禍々しいものではなかったか。
自らの経験で作り上げた定義に当て嵌まらぬ状況は、圭介の判断力を鈍らせた。

だが木刀とは本来人間を傷付け得るに十分な凶器であるということ。
そして少女の怒りと矛先が、自分に向いているということ。
その全ての理解が及んだ時には少女は既に圭介の目の前で剣を振り上げていた。

「うわっ! ちょ、ちょっと待」
「でやあっ!!」
「!!」

切っ先が、空気を縦に斬り裂いた。
圭介の目の前を凶器が通り抜けて行った。

圭介はその一撃に対して特に回避行動は取っていない。
咄嗟に反応することもできずただ棒立ちになっていただけだ。
おそらく威嚇か牽制のために振われたものだったのだろう。

だがその圧倒的な剣圧と迫力に押され、圭介は堪らず後ずさり。
みっともなく床に尻もちをついた。

(しまっ――)
「動くなっ!」

慌てて立ち上がろうとする圭介の眼前に木刀の先端が突き付けられる。
おかしな動きを見せれば打つ、という脅迫だ。
少女の襲来に気付いてわずか数秒。瞬く間の制圧劇だった。

(なんてこった――)

迂闊と言う他は無い。危険など如何様にも姿を変えるのだと思い知らされた。

(そうだ、森下さん――)

自分がこの先どうなるかよりも同行者の少女が気にかかった。
後方に控えているはずの美雪に向かって辛うじて視線を廻す。

美雪は――やはり立ち尽くしていた。今までと同じように身体を硬直させたまま動かない。
先程の決意はやはり恐怖を乗り越えられないのか。それとも疲弊した身体が着いていかないのか。
だがそれではダメだ。今回ばかりは――俺は君を、守れない!

「森下さん、逃げ――」

そうすることしか。逃亡を促すことしか。
今の自分に出来ることは無い、と圭介が声を張り上げた瞬間。


「やめて、菜緒っ!」


その声に、美雪の声が重なった。

(――ナオ?)

制止を呼び掛ける美雪の声は明らかに少女に対してのものだった。
圭介は訝しげな視線を菜緒と呼ばれた少女に向けると、少女もやはり圭介ではなく美雪を注視している。

「美雪! 大丈夫なの!? この男に何かヒドいことされてない!?」
「違う、違うの菜緒! その人は――鳴神くんは、悪い人じゃないの!」

頭上で交わされる会話は明らかに互いを個別認識した上で成立している。
どうやらこの二人が知り合いであることは間違い無いようだ。

「わかるもんですか! こんな男、裏で何を考えてるかわかったもんじゃない!」
「そんなことない! 鳴神くんは今まで何度も、わたしを助けてくれたの! だから!」
(――)

少女の言葉はある意味正解だ。
一瞬、息が詰まった。そして美雪の反論と共に、猛烈な後ろめたさを圭介は感じた。

「――こーんな情けない男が?」

やや落ち着きを取り戻したのか。少女は小馬鹿にしたような目つきで圭介を見下ろしてくる。

「そうよ。確実に絶対、安全で無害な人なの」
「――森下さん。正直ヘコむんだけど」
「え? 何でですか?」

男としての沽券に関わるから、と口にしないのがせめてもの意地だった。

「ふーん。じゃ、ま、そーゆーことにしとくわ」
「わかってくれたか。だったらさっさとその物騒なモノをどけてくれ」
「はいはい――自力で立てる? まさか腰が抜けたとか言い出さないでよね。ダサいから」
「立てるに決まってるだろ!」

まったく何て言い草だ――ケラケラと笑う少女を圭介は忌々しげに睨みながら立ち上がった。
その裏で本当に腰が抜けていなかったことに安堵しつつ。






「紹介しますね。この子は緑川菜緒。わたしの親友です」
「美雪とは中学以来の仲なんだ。よろしく」

つい先程まで襲撃者であった少女・菜緒は一転して険の取れた表情で言葉を紡ぎ出す。

威圧的な態度はすっかり影を潜め、今は至って普通の少女に見える。
だが時折感じる居丈高な視線が圭介にはどうも気に食わない。
完全に圭介を「取るに足らない男」だと認識している証拠だ。

まあ一振りの牽制で無様にも尻もちをつくという醜態を晒した後では無理も無い。
そのおかげで友好的な雰囲気が即座に構築されたのは僥倖と言うべきなのか。

「鳴神圭介。森下さんとは数時間前からのとても深い付き合いだ」
「ふーん。あっそ」

小粋な冗談を交えたつもりであったがにべも無い反応だった。
やはり気に食わない、と圭介は聞こえぬように舌打ちする。

さて改めて緑川菜緒という少女を観察するとかなり特徴的な少女であると言えた。
まずは整った目鼻立ち。そして長い髪を纏めた腰まで届くポニーテール。
身長は圭介とほぼ同じくらいであることから性別・女子としてはかなり高い部類だ。
制服の上着を腰の位置で縛りつけ、シャツを腕まくりしているのは動き易いように工夫した結果なのだろうか。
スカートのチェック柄と胸にポイントされたリボンの色で辛うじて美雪と同じ学園の制服であることが窺えた。

そして何よりも突出している点といえば。

「――しっかし随分と凶悪なモンぶら下げてんな」
「え? この木刀のこと? あはは、こんなの怖いのアンタだけだって」

情けない奴、と言わんばかりに菜緒は朗らかに笑って見せる。

(はは、気付いてないんでやんの)

見事に勘違いを誘発させることが出来、圭介は多少の溜飲を下げることができた。

そう。木刀など別に脅威でも何でもない。
菜緒の持ち得る最大の凶器はその胸部の二つの膨らみだ。
薄着であることも相まってその双丘の迫力は圧倒的。
ひとたび激しい運動を行えばたちまち大災害が発生するだろう。
しかもただ巨大であるだけではない。その曲線の流麗さは芸術とも呼べるものだ。

更に上着で隠された上からでも解る細腰のくびれとヒップライン。
スカート丈は美雪と同じものであるはずなのに劣情を醸し出しているのは腰の高さと足の長さのせいだ。

(くそ、悔しい――悔しいが、最高の身体してるじゃないかコイツ!)

今までに出会った参加者も美雪を含めて女性として魅力的なものを持っていた。
だがそれでもこの緑川菜緒を目の前にすれば霞んでしまう。その格の違いは無人の荒野を行くが如し、だ。

(ふう、やれやれ――)
「鳴神くん、今変なこと考えてるでしょう」
「どわっ!!」

いつの間にか美雪がすぐ傍に移動してきていた。
耳元で突然囁かれ、圭介は大げさに飛び上がる。

「もしかしてわたしと菜緒を比べたりしてませんでしたか?」
「え、き、キノセイニキマッテルジャナイカ」

鋭い、鋭すぎる。どうしてこんなことに限って敏感であるのだろうか。

「――えっち」
「がはっ!」

トドメの一言。ダメージはオーバーフロー。
圭介は力なく床に崩れ落ちた。

「? いったい何やってんのよ。アンタたち」

当の本人はといえばまったくの無自覚にぽかんと二人のやり取りを眺めていた。

「なんでもない。それよりも――菜緒もこの『ゲーム』に巻き込まれてたのね」
「え、知らなかったの?」
「え?」
(――ん?)

「あたしは、知ってたよ。美雪がこの『ゲーム』に参加してること。ほら、これの――」

菜緒はスカートのポケットから、最早お馴染みになってしまった黒色の端末機器を取り出す。

「あたしが目が覚めた時。これの画面にハロウィンのお化けが出てきて――説明してくれたの。
 『キミの大切な親友も、この「ゲーム」に参加してるよっ! 早く助けてあげないと、殺されちゃうよっ!』って。
 この木刀も、これの近くに転がっていたわ」

「――」
「美雪のPDAは? あたしがいるって、教えてくれなかったの?」
「うん。全然――え、っと。どういうことだと思います? 鳴神くん」
(緑川には、森下さんが参加していることが事前に説明されていた、か――)

圭介が出会った10人目の参加者、緑川菜緒。森下美雪の親友にしてクラスメート。
つまり初めて参加者同士で密接な繋がりを持つ存在が出現したということである。
そしてその片方に、相方の「ゲーム」参加を示唆してきた。これはいったい、どういうことなのか。

「あ、もしかして。わたしたちがPDAを持っていなかった時間帯に自動で説明がされていた、とか?」
「どうだろうね。可能性としては無いわけじゃないだろうけど」

確かにその間にタイマーセットされていた自動説明機能が再生されていた、とも考えられなくはないのだが。

「緑川。その説明があったのって、お前が目が覚めてすぐ、だよな?」
「馴れ馴れしい言い方ね――そうよ。目が覚めて、誘拐されたっぽいとか考え始めてからすぐ」
「そっか」

そのタイミングが偶発的なものであったのかどうか。それは圭介にはわからない。
ただ覚醒か、説明の再生か。
どちらかを意図的に操作できたのだとすれば美雪が説明を受けられなかったのは不自然ではある。
もし菜緒と同じタイミングで説明が行われていれば、おそらく美雪はPDAの存在に気が付いていた。
そうなればPDAを未所持のまま出発してしまうという事態は起こり得なかったはず。
「ゲーム」の根幹を成すPDAを置き去りにするというイレギュラーは主催者としても歓迎できない事象であっただろう。

そうなるとやはり。説明は菜緒にのみ行われたと考えるのが自然な結論である。

(これは多分――二人の関係は利用された、と考えるべきなんだろうな)

そう。友情と言う絆で結ばれたタレントを召喚した。
それはつまり「ゲーム」の中での劇的な再会を目論んでのものだろう。しかも上に「悲」が付く方の。
そのために互いの情報量を意図的に片寄らせた。

義に厚く行動力のある菜緒には美雪の存在を知らせ、自らの危険も顧みず施設内を走り回らせる。
積極的な行動は少女により多くの命を脅かす機会を与えるだろう。
その結果として。非業の死を迎えるか。それとも菜緒自身の手で新たな犠牲を産み出すのか。

一方聡明ではあるが気弱な部分がある美雪には菜緒の存在を隠蔽し、不安と恐怖を増大させる。
頼る者などいないと思いこまされた少女の行動はどうなるべきか。
格好の獲物として抹殺されるのか。それとも窮鼠は猛獣をも凌駕するのか。

相方の犠牲を知ることになれば生き残った方は絶望へと叩き落とされる。
なまじ生き延びて再会を果たしたとしても、その時の二人は修羅の化身。
友情がやがて悲劇を生む。そんな事態が起こり得ることを「彼ら」は期待して二人を配置したのではないだろうか。

空恐ろしい推測ではあるがおそらく間違いは無い。
何せ主催者たちにとって自分たちの命の行方は見世物以外の何ものでもないだから。

「結局、どーゆー事なのよ」
「すまん。俺にもよくわからん」

何処までが主催者の想定の内なのかは想像の域を出ない。
だがこうして大した犠牲も払わず親友が再会できたことは素直に喜ぶべきなのだろう。
全てを説明する事は無駄に不安を駆り立てることになるだけだ、と圭介は敢えて適当に誤魔化した。

「使えない奴ねえ」
「ほっとけ」

そのせいで無能の烙印を押されるのはどうにも腑に落ちないことではあるのだが。

「まあまあ。この『ゲーム』に関してはわたしたちの理解の及ばないことだらけですから。
 一々気にしても仕方が無いよ、菜緒」
「んー。そーなのかなあ」
「鳴神くんも、ね?」
(――ん?)

美雪が菜緒に気付かれぬよう、圭介に片目を瞑って見せた。
まさか全てを察した上で話題を逸らしてくれた、ということなのだろうか?

「あ、そうだ。菜緒のカードは何番なの?」
(!!)

「カードって首輪の解除条件のこと? あたしは『8』だよ」
(――ふう、セーフか。焦らすなよ)

一瞬のやり取りであったが圭介は生きた心地がしなかった。
もしも菜緒のカードが「6」であった場合。その時点で圭介の偽装は暴かれ万事休すであったのだ。

「8」の解除条件は自分の近くで正確にPDAを5台破壊すること。
無論破壊されたPDAはその機能を失ってしまうのでまずはその憂いを断っておくことが前提条件である。

「――厄介な解除条件ですね」
「だね」
「へ? 他の条件はもっと簡単なの?」
「え?」

自分以外の解除条件を知らない菜緒の様子に圭介と美雪は互いの顔を見合わせた。

「あ――そうか。菜緒は今まで単独行動だったもんね」

そしてルールの全貌は単独では判明できない事実を思い出す。
二人はPDAを回収する前に全てを知り得ることができたのでそのことをすっかり失念していたのだ。
そうなると菜緒のPDAには⑨以外にも欠落しているルールがあることになる。
その補完をまずはしてやらねばならない。

「えーと――まあ、実際に見てもらった方がいいか」

その方が口頭で説明するよりも遥かに迅速で解り易い。
これに目を通してくれ、と圭介は美雪が書き留めたルール一覧を菜緒に手渡した。

「何これ、美雪の字じゃない。なんでアンタがこんなもの持ってるの?」
「一時的だけど協力者がいた。細かい事情は後で説明する」
「ふーん。じゃあ有り難く」

菜緒は圭介からノートの切れ端を受け取り読み進めていく。

そして時間の経過と共にその顔色がみるみる蒼白になっていった。

「何なのよ、これっ! 人を殺さなきゃ助からない解除条件ばっかりじゃない!」
(あー、やっぱそんな反応になるよな)

これまでの菜緒の飄々とした態度に圭介は自分たちとの危機感のズレを感じていた。
それもまた情報量の偏りのためであったと今、改めて認識できた。

己の命を守るために他者の命を奪わねばならないという条件の数々。
ルールの⑨、全参加者の解除条件こそがこの「ゲーム」最大の恐怖の起因だ。
それまでの特定行動に対するペナルティに関してだけでは。
「死」という単語は菜緒にとって単なる抑止力にしか受け取れなかったのであろう。

圭介たちが数時間前に通り過ぎた現実に彼女は今、直面しているのだ。

「何よ、その顔。アンタこれがどれだけ悲惨な条件か、わかってるワケ!?」

痛いほどに、解っている。そうでなければこれほどまでに苦悩するものか。
自分が助かるためには側にいるこの子を殺さねばならないという己が陥った現実に。

「何とか言いなさいよ!」
「落ち着いて菜緒。鳴神くんもわたしも、ちゃんと理解してるから」
「美雪まで! じゃあ、何でそんな冷静に――」
「――森下さん。悪いけど説明してやって。俺が言っても聞いてくれなさそうだから」
「はい」
「ちょっと!?」

困惑を露わにする菜緒を宥めつつ、美雪はこれまでの一部始終を説明した。
自分たちが今までどれ程の苦難と遭遇し、乗り越えてきたか。
死の淵に立たされた人間の好意と悪意を、どれほど体験してきたか。
全てを聞き終える頃には当初の元気は見る影も無く、すっかり菜緒は意気消沈してしまっていた。

「じゃあ――じゃあ、この『ゲーム』は本当に」
「下手を打てば間違い無く死ぬ。脅しじゃなくな。俺たちは実際に死体にも遭遇してる」
「そう――なんだ」

それきり。菜緒は黙りこくってしまった。

(――まあ、ショックだろうな)

友のためなら相手が男でも物怖じせず襲いかかる少女でも、この現実は重すぎる。
かける言葉がみつからない様子の美雪に圭介はそっとしてやろう、と目配せした。
時間がいずれ解決してくれる、とは安易な言い分であるが少なくとも冷却期間は必要であると圭介には思えたからだ。

ところが。


「――アッタマ来た」
「へ?」


いきなり妙な言葉を呟いたかと思えば、菜緒は突然怒髪天を衝く、とばかりに立ち上がった。

「このまま殺されるなんて、冗談じゃないわよっ!! ダレがそんなの認めてやるもんですか!
 絶対、ぜったい、ゼーッタイ! 無事に生きて帰ってやるんだからっ!!」
「――」

驚いた。どうやら菜緒は圭介の想像を遥かに超えた不屈の精神の持ち主であったようだ。
それがどれだけ困難で、どれだけそれを理解しているのかは窺い知れない。

だがその瞳に宿る決意は間違い無く本物だ。
失意を怒りに代え、少女は前へと躊躇い無く進もうとしている。

「美雪っ! 鳴神っ! アンタたちもよっ! 3人で協力して『ゲーム』をクリアするのよ!
 そんで警察に直行して、洗いざらいをブチ撒けてやるの!!」

「そ、それはもちろん、そのつもりだけど――ねえ?」
「ああ、うん。俺たちだってむざむざ死にたくはないからな」
「そうそうその意気その意気! いつまでも辛気臭い顔はしてられないっての!」

自分の意思が伝わったと感じたのか、菜緒は満足げに豊かな胸を反らして見せる。

(――はは)

入れ込み過ぎとも取れる菜緒のその姿は多少滑稽にも映る。
だが圭介にはそれが心地良かった。眩しい程の明るさに、救われる思いだった。

(なるほど、森下さんの親友だけのことはあるな)

見た目も性格も全然違うものではあるけれど。
確かに誠実な少女と並び立つに相応しい存在であると思えた。

「――何よ。ニヤニヤして。気持ち悪い」
「うるせえよ」

同時に自分に対するこの不遜な物言いも何とかして欲しいとも思う。

「で? ここまでカッコよく宣言するからには何か画期的な打開案があるのか?」
「それは、美雪に任せる!」
「ふえっ!?」
「――おい」

菜緒は臆面も無く言ってのけ、美雪の肩を力強く叩いた。

「いいのよこれで。あたしは運動担当、美雪は頭脳担当。今までもずっとこうしてきたんだから」
(――それは学生生活の中でバランスの取れた配分なのか?)

学業の宿題を見せてもらうことは出来ても体育の測定は代わってやれないだろうに。
まあ、この少女らしいと言えばらしいのだが。

「じゃあ、どうする? 森下さん」
「そ、そうですね。とりあえず当初の予定通りに動くことしか今は思いつきませんけど」
「よし、じゃあ早速ノエルさんという人に会いに行こう!」
「だから落ち着けっての! あー、森下さん。ちょっと良い?」
「はい? 何でしょう」

「その当初の予定、なんだけど――ノエルさんを待ち伏せするの、やめにしない?」

このままでは乃得留たちを階段前で待ち伏せするのは決定事項となってしまう。
だが圭介の立場としてはそれは是が非でも回避しなければならない。
ならばここが切り札の切り時だ。期は熟した、というわけでもないが致し方ない。

「何でよ。まさか、ノエルさんに会いたくない理由でも有るワケ?」
「そんなわけねーだろ」

真意を見抜いているわけでもないだろうが。いちいちこの少女の台詞は心臓に悪い。

「まさか、プロポーズが有耶無耶になって気まずいから、とかですか?」
「プロポーズ? 俺そんなのしたっけ?」
「――覚えてないならいいです」
「え、何々? その話はあたし聞いてないんだけど」
「お前は黙ってろ。とにかくちゃんとした理由はあるんだ」

何故か不機嫌そうな美雪と菜緒を制しつつ、圭介は持論を展開し始める。

「理由は幾つかあるけどまず一つ。
 ノエルさんたちがいつ2階に上がろうとするか、そのタイミングが掴めないこと。
 しかも俺の予想では――その時期はおそらく相当後の時間帯だ」

「なぜ、そう思うんです?」
「ノエルさんは今、俺たちに語った計画を実行中だからだよ」

乃得留の計画は「ルールに従った上で首輪の解除が可能な最大限の人数を救済する」というものだ。
その計画が投げ出されたわけではない事は、待ち合わせの場所を既に去っていた事で判明している。
彼女たちは危険分子と成り果てたかもしれない自分たちよりも、まだ見ぬ他の参加者の確保を優先したのだ。

「つまり今あの人たちは、他の参加者の捜索をこの一階で行っている。
 それは隅々まで。そしてこのフロアが侵入禁止になる時間ぎりぎりまで行われるはずだ。
 そうなると俺たちは丸一日も待ち惚けを食わされることになる」

ルールの⑤によれば侵入禁止エリアの拡大は2日目になってから。
つまりは最低でもあと16時間は待たざるを得ない計算になる。

「でもいずれ侵入禁止になるって解ってるんならみんな上の階を目指すんじゃないの?
 それなら無闇に動き回らずに階段で待ち伏せしてた方がいいと思うんだけど」

「ルールの⑤が判明してない参加者は侵入禁止に気付くことはできない。
 それでなくとも『ゲーム』という現実を認めたくない参加者は上に上がろうという気すら起こらないだろ。
 そんな人たちが侵入禁止エリアに飲みこまれて殺される、なんてことノエルさんが許すはずがないさ」

「あー、そっか」

――俺や木戸のようなキラーカードの所有者の死は寧ろ大歓迎かも知れないけどな。

自虐がまた、圭介の内に浮かんだ。

「でも、それは逆にまだノエルさんたちは2階に上がっていないという意味ですよね?
 それならどれだけ時間がかかっても、あの人たちを待つ方が安全で確実かと」

圭介の提案に美雪は納得が行かない様子だ。
確かに仲間認定している人物より先行する理由が「待つのが嫌だから」では嫌悪感を示すのも無理は無い。

だが勿論圭介とてこの程度で美雪を説き伏せられるとは思っていない。

「うん。森下さんならそう言うと思ってた。そこでもう一つの理由だ」

少女を健やかに欺くため、魔術師は次のカードを切る。


「ノエルさんたちが一階で協力者を探すなら――俺たちは上の階で探そう」
「上の階で――ですか?」


先程とは段違いに前向きなその理由は、美雪にとっても予想外だったようだ。

「そう。さっきも言った通り、ノエルさんたちはしばらく一階から離れられない。
 ということは、もう上に上がってしまった参加者には手が出せないんだ。
 だから先に、俺たちの方で協力者を増やしておこう」

「それは――素敵な考えだと思うんですけど。でも危険じゃないですか?」
「まあ確かに。この中で荒事に向いてるのは緑川だけだしなあ」
「唯一の男がこんなヘタレだからねえ」

皮肉を皮肉で返されてしまったが一先ず気にしないことにする。

「でも時間が経てばもっと危険になるんだ。
 長沢の言動が確かなら階層が上がるごとに強力な武器があるはずだからね。
 まだ行動を迷っている参加者が悪い方に決断するきっかけが増えてくる。
 その前に何とか出来るならそれに越したことはない」

「あの人の言葉を――信じるんですか?」
「可能性は否定できない。それだけだよ」

長沢によって受けた美雪の心の傷は圭介の想像以上に深いようだ。
確かにあの殺人狂が豹変前に語った事など信用には値しない。
だが必殺に至る武器が上の階には有るという理屈は納得出来るものなのだ。
賞金の分配と併せて人の心を傾かせるに十分な程に。


「そして最後の理由。それは俺の解除条件に必要なJOKERをノエルさんたちは持っていないから」


二人の少女に向け、圭介はきっぱりと断言した。

「――えーと。そうなんだっけ?」
「ちょ、ちょっと待って下さい。鳴神くん、それはおかしくないですか?」

美雪の困惑は無理からぬ事だった。
まさか圭介自身がJOKERの所有者であるなどと、彼女は夢にも思っていないのだから。
無論圭介は偽装の事実を明かすつもりはない。ロジックの構築は既に完了している。

「そうだね。『手続き』が効いてるからノエルさんのグループのJOKER所持の有無は俺たちにはわからない」
「そうでしょう?」

乃得留たちは協力者以外には自分たちのカードの種別とJOKERの行方を秘匿している。
その情報を開示させるためには乃得留に同等の情報を提供するという「手続き」を行う以外に無い。
未だ「手続き」を行っていない圭介たちに、その情報を知り得る手段は無いはずだった。


「だけど思い出して欲しい。まだ俺たちが『ゲーム』の真偽を疑っていた頃。ルール解説が行われる直前。
 ノエルさんの言葉に従ってその場にいた全員が――『何に使うのかわからない携帯端末』を一斉に取り出した」

「――あ!」
「そうなんだ。あの時点では誰一人として『JOKERとは何たるか』を理解していなかったはず。
 だったらもしJOKERを持っていればPDAを二つ、その場で出していたはずなんだ」

「確かに――その通りです」

「無論、それまでにJOKERの存在理由を理解していて惚けて隠してたって可能性はある。
 ルールの④さえ知っていればそれも可能だからね。
 だけどそれはつまり、JOKERを悪用する意思があったってことだ。
 だから協力を申し出たノエルさん、大門さん、古谷さんは必然的に白黒で言えば白になる――
 って、ちゃんとついて来てるか? そこのポニーテール」

「う、うっさいわね! あたしはその場にいなかったからしょーがないでしょうが!」

すっかり口数の少なくなってしまった菜緒に圭介はここぞとばかりに斬りかかる。

「続けるぞ。ついでに考えれば木戸が離脱したのはJOKERの説明も手続きも行われる前。
 ということはあいつはJOKER使用の抜け道を塞がれて逃げ出したわけじゃない。
 キラーカードを引き当てたはずのあいつが偽装を躊躇う理由は無いはずだから、これも白」

「楯岡さんは――」
「『手続き』を完了させた上での離脱だから怪しいことは怪しい。
 だけどJOKERの説明はあの人の発言から始まったものだし。
 わざわざ自分で自分の首を絞めることはしないだろうね。だから白」

「長沢って奴は?」
「長沢はノエルさんの仲間じゃないだろ。
 あいつが持ってても素直に譲り渡してくれるわけがないんだから考えても無駄だ。
 破壊すれば俺が死ぬJOKERなんかとっくに嬉々としてぶっ壊してるだろうしな。
 こればっかりは天に祈るしかない」

「――」
「そんな悲壮な顔しないでよ森下さん。長くなったけど以上が俺の理由の全てだ。
 どうだろう? 納得してもらえたかな?」

打つべき手は全て打った。辻褄も合っているはずだ。
若干の緊張の中、圭介は美雪の答えを待つ。

「――ごめんなさい」
(これでもダメなのか!?)
「わたし、鳴神くんの解除条件のことあまり深く考えてませんでした。仲間が増えれば安全だって、そんなことばかりで」

一瞬目眩がしそうになったがどうやら美雪の謝罪は自らの考えの至らなさを恥じたもののようだった。

「そうですよね、急がないとJOKERは壊されちゃう可能性があったのに――」
(壊される? ああ、『2』の解除条件か)

元より自分とは関係の無い解除条件だ。そこまでは思い至らなかった。
どうやら提案は承諾されたようだ。やれやれ、と圭介は人知れず胸を撫で下ろす。

「こっちこそごめん。森下さんを責めるつもりはまったく無いんだ。
 むしろ俺のこと心配してくれて嬉しいよ」
「そんな――」

「よし。じゃあこれからの行動を纏めよう。まずは予定通り、『×』印の階段の確認。
 それから無印の階段を通って2階に上がる、と。緑川もそれでいいかな?
 ああ、『×』印については後で森下さんに確認してもらってくれ」

「あ、うん」
「ここからはお前の力も必要になってくる。頼りにしてるぜ」
「な、何よ急に――言われなくたって、あたしが美雪を守ってみせるわ。
 今までもそうだったし、これからもそうなるんだから!」

菜緒は威勢良く木刀をぶん、と振って見せる。

「オーライ。それと――森下さん、身体の調子はどう?」
「はい、もう大丈夫です。十分に休めましたから」

話し込んでいる内に随分な時間が過ぎたようだ。少女に無理をしている様子は見られない。
おそらく親友という心の支えを得たことも大きく影響しているのだろう。

「よし、じゃあ出発しよう」
「了解! ――って、何で立ち止まったままなのよ」
「いや、緑川が先導してくれよ。だって俺、ヘタレだし」
「頼りにしてるってそーゆーことなの!?」
「冗談だよ。さ、行こう」

菜緒の反応に満足すると、圭介は先立って通路を歩き始めた。







「――変な奴ね。アイツ」

先導する圭介から少しばかり離れて歩く菜緒は、傍らの美雪に小声で呟いた。
多少の距離が開いてしまったのは今しがた美雪に階段についての説明を受けていたためだ。

「そう思う?」

常に他人を尊重する美雪の言葉遣いはいつも丁寧で、例え年下であっても変わらない。
けれど美雪は菜緒と話す時にはその枷を外し、ごく普通の女子高生のものとなる。
それは菜緒にとってはそれはとても誇らしいことだった。
やはり親友とは対等であるべきだ。だから自分は親友だと認められている、と。

そんな二人の間に、異分子が入り込んできた。
少年の名は鳴神圭介。第一印象は単なるヘタレ。
だが会話を重ねるうちに、彼の評価は菜緒の中で二転三転していった。

「真面目かと思えばふざけ出すしさ。バカだと思ったら妙に冴えたこと言い出すし。
 いじられキャラかと思えばこっちをいじり始めるし。
 冷静なようですぐ慌てるし――正直、よくわかんない」

「よく見てるじゃない。彼のこと」
「うーん。どうなんだろ」

よく見てる、というよりは色々な意味で目が離せない、というべきだろうか。
最初は美雪に色目を使えば即座に叩きのめすつもりでの監視だったのだが。

ふと視線を前にやると。
圭介が通路で反復横跳びをしていた。

「――何やってんの? アレ」
「え、えーと。たぶん罠の確認をしてるんだと思うんだけど――」

自信を持って言い切らないのはおそらく美雪にもそうは見えないからだろう。

「――やっぱりふざけた奴にしか見えない」
「そうなの。ふざけた人なの」

驚くほどあっさりと。美雪は菜緒の言葉を肯定した。
けれども少女の言葉の中に、少年を嘲るような思いは一かけらも感じられない。
それどころか不敵に微笑みながら。
やや得意げに、美雪は続けた。



「でもね――この状況でも、ふざけられる人なの。すごいでしょう?」






 ゲーム開始より8時間21分経過/残り64時間39分 


【プレイヤーカード:開示】
・「8」:緑川菜緒




[21380] EPISODE-18
Name: でしお◆ff3c50cd ID:912e8347
Date: 2010/10/09 15:51
「ぐは、は、は、はあ――こ、ここ、か――」

施設一階東南部。
壊れた身体を引き摺りながら長沢勇治がある地点を通過すると同時に彼のPDAからアナウンスが鳴り響いた。


『チェックポイントの通過を確認しました。チェックポイントの通過を確認しました。
 貴方が通過しなければならないチェックポイントはあと22です。
 繰り返します。貴方が――』

「早く出しやがれクソがっ!!」

侮蔑の怒声を長沢がPDAに浴びせかけると、何も無いはずの通路の壁に小窓が開く。
その中から現れた紙袋を引っ掴み破り捨て、長沢は3粒の錠剤を取り出した。

「は、ふ、は、ごふっ、ごふっ――」

その内の1粒を口の中に放り込み、携えていたペットボトルの水で流し込む。

「ぷはあっ!」

全身を蝕む刺すような痛みは瞬く間に霧散していった。
揺れ動く景色がぴたりと嵌り込み、視界は驚く程に良好となる。
漸く正常な状態を取り戻したことを実感した長沢は、大きく息を吐くとどっかと床に腰を下ろした。

(ふう――ムカつくけどやっぱ効くんだな、これ)

残りの錠剤をポケットに押し込んだ長沢は添付された紙片を目の前でひらひらと振って見る。
薬剤の解説書と思しきその紙片には以下の文面が記されていた。


 ・この薬は使用者の身体能力を飛躍的に向上させるためのものである
 ・服用時には通常の1.5倍ほどの身体能力を得ることが出来る
 ・また同時にその時点での疲労や痛覚などを多分に緩和することが出来る
 ・即効性に優れており服用から30秒ほどで効果が表れる
 ・効果時間は1錠につき2時間程度。だが過度の運動によりその時間は短縮される
 ・2錠以上の同時服用は内臓機能に多大な悪影響を及ぼす可能性がある。
  また、同時服用による効果時間の乗算はできない
 ・吸収性に重きを置いて製作されたため水分に著しく弱い


(――やっぱ間違いねえか)

既に長沢はチェックポイントを一つ通過し、その説明は確認してある。
今回も記載されている条項は全く同じ。
だが長沢が体感した効果の中で一点だけ解説と著しく違う部分が見受けられた。
それは効果時間。2時間程度と記載されているにも関わらず、実際に効果が切れたのは1時間弱であった。
どうやら記載に間違いは無い。ということは問題は長沢自身の身体にあると言える。

(『過度な運動』って――そりゃ一般人にとってのことだろうが、クソ)

今の長沢にとっては単なる移動も相当の負担を有するものだ。
そのせいで効果時間が短縮されたということなのだろう。

だが長沢はこの薬に頼る以外に生きる術を持たない。
度重なる薬物投与の副作用によって長沢の身体は生きているのも不思議な位に崩壊していた。
肉は完全に削げ落ち病魔の巣食わぬ内臓は皆無。全身の痛覚神経は常に唸りを上げている。
この薬の効果によって全身の痛みを消し体力を底上げせねば、床に伏し死を待つばかりなのだ。

かつての「ゲーム」から生還を果たし、多額の賞金を得た彼の未来は明るいものに思えた。
だが長沢は現代社会で生きることは許されなかった。
殺人と言う禁忌を犯した彼は世界を構成するモラルという枠組みを容易く飛び越えてしまうのだ。
許せないなら殺せばいい。気に入らないなら殺せばいい。
身の回りの障害を力づくで排除していった彼は当然の如く社会の裏側へと追いやられていった。

無法の世界でも長沢の生きざまは変わらなかった。
寧ろ金という絶大な力を持つ彼の狂気は更に加速していった。
酒、女、ドラッグ――様々な快楽を貪り続けた。

だが莫大な資金は瞬く間に底を尽き。ある日遂に長沢は喀血し、救急車で運ばれた。
暴虐の限りを尽くした結果の診断は「最早手の施しようが無い」であった。

――このまま死んでなるものか。オレにはまだまだやりたいことがある!

病院のベッドの上で死神の鎌の刃先を首筋に感じた瞬間、救いの手は差し伸べられた。

「もう一度『ゲーム』に参加する」と言えばお前の身体を元通りに治してやろう――と。



(あのクソ野郎、デタラメぬかしやがって。治ってねえじゃねえかっ!)

長沢は腹立ち紛れに解説書を握り潰す。
取引の結果として支給された薬の効果は確かに絶大だった。
だがそれは健常を取り戻した「ように感じる」ものでしかなく、しかも時間制限付きだ。

さらに意地の悪いことに残りの薬の配布方法は長沢のカード「5」に付随するものだった。
施設内に点在する24のチェックポイントにそれぞれ3錠ずつ配置され、適時回収が認められる。
つまりポイントの通過に時間がかかれば、それだけ長沢は全身の痛みに苦しむことになるのだ。

(ふん、まあいいか)

しかし総計が72錠ということは効果時間が短縮されていても十分に「ゲーム」制限時間内は保つ計算になる。
元より条件達成は大前提の事柄だ。

――ここは大人しく従ってやるとするか。憂さ晴らしは他の参加者の抹殺で行うことにしよう。
――そんでゲットした20億で身体のじっくり治療するのが賢い選択だよな、ひひ。

薬の効果が完全に発揮されていることを体感し、長沢は次の行動を開始することにした。
目指すは次のチェックポイント、ではない。
自らのPDAを操作し、その設備が間近に存在することを確認すると長沢は口元を釣り上げる。

(前回は気にも留めなかったが――コイツを使えば、ひひひ)

それは施設内で唯一稼働しているはずのエレベーターであった。
これを使えば各所封鎖されている階段よりも上層階への移動を遥かに容易に行うことができる。
そしてこの施設は上に上がる程強力な武器が手に入る隠された事実を長沢は知っていた。

前回の「ゲーム」で長沢は最上階に到達することなく条件を達成した。
だが5階の時点でもマシンガンやライフルといった、人の命を容易く奪う武器があったことは確認している。
それらをいち早く取得する。さすれば一階や二階でもたつく参加者など動く的に過ぎない。
自らが主役の虐殺ショーの開演を妄想し、長沢はこみ上げる笑いを堪え切れない。

「ぎゃひひひ――そうだよな、これこそが『ゲーム』の醍醐味だよっ!」

――そうだとも。こうでなくては面白くない!


優れた人間になりたかった。優れていると、認めさせたかった。
だが現実は曖昧で、残酷で。
長沢は迫害を受けた。罵倒を受けた。侮蔑を受けた。
無視を受けた。放置を受けた。放棄を受けた。
そして――憐みを受けた。

「優れた人間」の意味を見失った長沢は、そのまま世界に背を向けた。
だが彼は、ついに発見したのだ。かつてのこの「ゲーム」の中で。
どうすれば相手は自分に手を出せないか。どうすれば相手を黙らせることが出来るのか。

数年前の「ゲーム」の最中。二人の女性が争っていた。
漁夫の利を得るかの如くその二人の身体を弾丸で撃ち抜くと、二人はそのまま動かなくなった。

その時全身を襲った恍惚感を、長沢は忘れることはない。
これで彼女らは、自分にどうすることもできない。反撃も文句もこの身には返ってこない。

完全なる勝利。完璧なる凌駕。

そうだ、こうすればよかったんだ。
こうすれば他人より優れているということになるんだ。

なんだ、簡単なことじゃないか。

そうだとも。
オレこそが超越者だ。オレこそが処刑者だ。
大人だろうと、不良だろうと。みんなオレには叶わない。

お前たちのどこが、オレより優れている?
成績が良いからか? 背が高いからか? 力が強いからか? 無駄に歳を食ってるからか?

それがどうした!
お前らはオレを殺せない、だけどオレはお前らを殺せるんだよ!

みんな、みーんな! オレの手にかかれば地べたに這いつくばる存在なんだよ!


「ぎゃひひひ――ん?」

長沢はエレベーターまでは問題無く辿り着くことができた。
参加者も罠も、何一つ彼を遮ることなく無事に辿り着くことができた。
だがしかし。

(何だ――どうなってんの?)

操作パネルに光が灯っていなかった。
昇降ボタンも各階層を表示したボタンも。
いくら長沢が押し込めど空透かしの音がするばかりで作動する気配は無い。

「故障かよ。んなバカな――って、おわっ!」

突如、操作パネルが外枠から外れて長沢に向かって倒れてきた。
薬の効果で反射神経が増幅されている長沢は寸での処で身を捻り、回避する。
支えを失ったパネルは派手な音を立てて床へと衝突した。
衝撃で幾つかのボタンが破壊され、破片が辺りに飛び散るのを長沢はただ呆然と眺めることしかできなかった。

「これ、は――どーゆー事、だ?」

パネルが外れたのはそれを壁に固定しているものが無くなっていたから。
長沢が触っただけで簡単に落下したのはボタンとの配線が繋がっていなかったから。
しかもその切断面は――まるで鋭利な刃物で断ち切られたかのように須らく均等に平坦だった。
専門の知識の無い長沢には正確なことは解らないが電盤の方にも手を入れられた形跡が有る。
明らかに。エレベーターは人為的な手段でその機能を停止させられていた。

(2回目のオレに有利に成り過ぎないような、『組織』の陰謀か? いや――)

そんなはずがない。
彼らの望みはより非道で、より残虐な。そんな光景であるはずだ。
故に長沢が思い描いていた大量虐殺は歓迎こそされ咎められる謂れは無い。
そもそも長沢の目の前のエレベーターにはPDAの地図に「×」印がついていなかった。
もう一機のエレベーターにはその記載がされているため、こちらの昇降機は階段同様、
「参加者の意図に応じて自由に使ってよい」という初期設定であるはずなのだ。
ということは、つまり。

(他の参加者の誰かが――コイツを使えなくしやがった、ってことか)

しかもその意味は、単なる使用不能よりもずっと重い。
「薬」の回収を優先せねばならなかった長沢より先にエレベーターの存在に気付き、使用した。
そんな参加者が存在すること自体は別段不思議なことではない。
そして自分以外の参加者に使用されたくなくて機能を停止させることもまた然りだ。

だがこの破壊工作が「一階で」行われているのが面妖だ。
誰よりも先んじるためにエレベーターを使ったのであればもっと上の階で止めるのが筋であろう。
だがこの階で止められている、ということは少なくとも破壊者は。
「昇降機を止めた上でこのフロアに残ることを選択した」ということだ。

「ぎゃは、なるほどそうか、そういうことかっ!」

解答に辿り着いた長沢は思わず喝采を挙げた。
他の参加者の足は止めたい。だが自分の足としてのエレベーターはもう必要無い。
どうという事は無い。それはまさしく長沢が行おうとしていた事だったのだ。


「居やがるな――オレと同じく、『裏』のルールを理解してる奴がよおっ!!」


つまり破壊者はなるべく浅い階層での他参加者との遭遇が望みということだ。
交渉のためか、虐殺のためか。
いずれにせよその発想は「上の階層には強力な武器がある」という事実に基づくものだ。

(参ったねえ、そうなるとまだ一階だからって気を抜くわけにはいかないぞ、こりゃ)

もし破壊者の目的が長沢と同一のものであるならば。
それは既にその人物は上の階での武器の回収を終えて戻って来ているということだ。

だが長沢はそれ程脅威を感じてはいなかった。
彼は今「薬」によって様々な感覚が増幅されている。
常人では把握出来ぬ遠くの物音や違和感を、今の長沢が見落とすことはない。
それにかつての「ゲーム」を殺人を犯しつつクリアした経験を加えれば。
どんな相手とてものの数ではない。そう言い切れるだけの自負と自惚れがあった。


(ソイツがきっと、ラスボスってことになるな。よし、そうなるとまずは薬の回収だな。
 パラメータアップ、パラメータアップっとお!)


少年の頃夢中になった電子遊戯に興じるが如く。
長沢は上機嫌で破壊されたエレベーターを後にした。




 ゲーム開始より8時間33分経過/残り64時間27分



[21380] EPISODE-19
Name: でしお◆ff3c50cd ID:912e8347
Date: 2010/10/11 16:44
それはとても幸せな光景だった。

父が、母が、そして姉が。皆が一同に揃い、笑顔で食卓を囲んでいた。
定年を間近に迎えた父は次世代を担う部下たちの成長を誇らしげに語っている。
母はそんな父に相槌を打ちながら湯気の立ち上る温かい料理を小皿に取り分ける。
仕事も恋人との交際も順風な姉は「アンタも早くいい人見つけなよ」と意地の悪い話題を振ってきた。
立て続けに嫁に出すわけにいくか、とたちまち父は口を尖らせ、途端にどっと女性陣から歓声が沸いた。

温かく、愛おしく。
絵に描いたような幸せな家族の1ページ。

だからこそ、これは。
疑い無く夢であると、北条かれんは断じることができた。

父も母も遠い昔に失って、その顔などまったく覚えていない。
親代わりに自分を支えてくれた姉も数年前に事故で両親の後を追った。
今のかれんはただ一人。たった一人で生きていかねばならない身の上だ。

それが現実。だけれども。

それでもこの夢の中から消えてしまいたくはないと切に願う自分がいた。
逃げ出したいのだ。こんな現実なんて。
こんな弱音を吐く自分を姉が見たらどう思うだろうか。
やはり厳しい姉のことだから「甘えるな」と叱りつけるだろうか。
だけど、だけど。


――でもこれは、貴方に生きて欲しいと望んでいる人がいるってことなの。
――それをどうか、忘れないであげて。


(――)

それは何時、誰に言われた言葉だったか。
夢の中のかれんは上手く思い出すことが出来ない。

けれども夢から剥離して響いたその声が。目の前の景色を幻のように歪ませた。
偽りの両親が、霞みのように消えていく。
「生きていたならこうなっていたはず」の姉の姿が、消えていく。
そして自らは。不思議な強い力によって世界から引き剥がされていく。





(――ん)

肉体の重さを実感した。冷たい空気を実感した。
自然と瞼がこじ開けられ、目に入ったのは不衛生なコンクリートの壁。
夢に堕ちる前の記憶が、かれんの頭の中に奔流の如く押し寄せる。

やはりこれが現実だった。これこそが現実だった。
日常から拉致され、妙な施設に閉じ込められて。
そして更に妙な端末機器を持たされて、殺し合いをしろと命じられた。
こんな現実から逃げ出したいと願って、誰が彼女を責めることが出来るだろうか。
だが例え万人が認める願いであっても、それが叶うかどうかは別問題だ。
観念して受け入れるしかない。かれんは重く息を吐き、ゆるりと身を起こそうとした。

(あれ?)

そこで最後の記憶と現在に若干の齟齬があることに気付く。
確か自分は通路のど真ん中で気を失ったはずだった。
だのに今の自分は室内にいる。しかも多少粗悪ではあるがベッドに寝かされており、
更にはご丁寧に毛布まで掛けられているではないか。

「――漸くお目覚めか」
「はいっ!?」

突如部屋の入口付近から発された低い声にかれんの身体が跳ね上がる。
そして同時になぜ自分が気を失ったのか、その理由を思い出さされた。

サングラスと帽子に作業服。記憶通りに異質な空気を纏った、原因の主がそこにいた。
出入り口に寄り添うようにして座り込み。何やら工具のようなものを入念に手入れしている。

「あ、あ、あの」
「落ち着け。落ち着いて呼吸を整えろ。そんな調子では聞きたいことも聞けないだろう」
「は、は、はい――すー、はー」

促されるままにかれんは息を吸い、ゆっくりと吐く。
未だ胸の動悸は鳴り止まぬものの、どうにか身体の強張りは取り去ることが出来た。

「お、お待たせしました。えっと、あの」

とにかく事実として。記憶の最後に現れた男が、今も自分の側にいる。
そして自らは移動した覚えの無いベッドの中。ということはつまり。

「貴方が――助けてくれたんですね」

この人物は自分の命を奪うために現れた訳では無かったということだ。

「あの場所からこの部屋にお前を運び込んだことを指すなら、そうなるな」

男はかれんに顔も向けず工具を磨きながら告げる。
不躾な物言いではあったがさりとて恩着せがましくも無い。

「そうですか。ありがとうございました」
「別に礼など要らん。大した負担でもなかった」

返事は変わらず素っ気無い。だがかれんの中で男の印象は明らかに変わり始めていた。
この男性はきっと。かなりの善人なのだろう。
殺し合いを強制された「ゲーム」の最中。知らずとも何者かに拉致された理不尽な状況。
そんな中で見ず知らずの、しかも気絶した自分に手を差し伸べるはずがない。
始末するか、放置するかが自然な行動だ。
それなのにこうして安心して横になれる設備の有る部屋までわざわざ運び込んでくれた。
殺人犯どころではない。命の恩人と呼ぶに相応しい。

(それなのに私、勘違いしちゃって――もしかして、気を悪くしてるのかな?)

弾まぬ会話の原因は単に彼が不器用なのではなく、自分が原因かとかれんは思い至った。
確かに自分の顔を見て気を失われたとあってはショックは相当だろう。
誤解されやすい格好をしている方にも多分に責任は有ろうが、だとすれば非常に申し訳無い。

「あの、お名前を教えて頂けますか?」
「楯岡和志」
「タテオカさん、ですか。私は北条かれんです」
「そうか」
「看護師になりたくて、専門学校に通ってるんです。楯岡さんは――社会人さん、ですか?」
「電気工事士だ」
(あうう――お姉ちゃん助けて)

全く会話が弾まない。楯岡と名乗った男はかれんの質問に必要最低限の事しか返してこない。
恩人と少しでも交流を深めたいというかれんの望みはどうにも先行きは不安のようだ。

――人を助ける優しさがあるならもっと会話に参加してくれてもいいのに。

思わず不満を抱く自分を、少し不思議に感じる。
あの日から、やっとここまでこれた。
こうして他人と触れ合いたい、と思えるようになった。
立ち直れている、という実感が沸き思わず少女は右手で左手のリストバンドを握り締めた。

「ところであの――何をなさってるんですか?」

あの日の誓いを無駄にしないためにも、とかれんは再度楯岡への接触を試みる。

「見ての通りだ」
「いや、そうですけど」

工具の手入れ、それはわかる。電気工事士を生業とするなら商売道具の整備は必須だろう。
でもなぜこんな時に? 日常への帰還を信じて疑わないにしても多少常軌を逸した行為に思える。

「少々乱暴な使い方をしてしまった。この先も使いどころが無いとも限らん」
「?」

意味がわからない。この「ゲーム」に参加してから使う機会があったということだろうか?
まさか照明設備を直したわけでもあるまいに。

「あ、じゃあ私、手伝います!」

理解は及ばないが、かれんはこれが好機と考えた。

「無用だ。もうすぐ終わる」
「それでもです!」

拒絶されるのは予想の範疇。
それでも少し強引にでも共通の作業をすれば、この無口な男との距離が縮められるかもしれない。
有無を言わさぬよう、かれんは毛布を跳ね上げ楯岡に近付こうとした。

ところが。

「はうっ!?」

足が思い通りに動かずベッドから転げ落ちてしまった。

「あ痛た――」

幸い段差もそう高くは無く、落ち方も良かったので肩を床にぶつける程度で済んだ。
でもなぜ足が動かなかったのか。
かつて難病に侵され健常な身体を取り戻すために相当なリハビリ期間を過ごした。
その記憶が蘇り、かれんは思わず身震いする。

しかし今の自分の足の状態を確認した時、それ以上の戦慄が少女の中を駆け抜けた。


「え――ええっ!?」


かれんの両足は。電気コードのようなもので固く縛られていた。
しかもその結び目は金属端子で圧着されており容易に解くことは出来そうにない。

「なんでっ!? なんでこんな――まさかっ!」

こんな事が行えるのは一人しかいない。
かれんが気を失ってから目を覚ますまでずっと側にいた人物。
そして道具として使われたコードを如何にも所持していそうな人物。

「まさか楯岡さん――貴方がっ!?」
「その足を縛ったのが誰かを指すなら、そうなるな」

変わらぬ物言いで、楯岡はあっさりと犯行を認めた。
その不気味さにかれんは全身の血の気が引く思いがした。

何ということか。とんだ見誤りだった。
恩人なんかじゃなかった。まさか、こんなことをする人だったなんて――

「わ、私を――殺すん、ですか?」
「それが目的ならお前は二度と目を覚ますことはなかっただろう」

確かにそれはその通りだと冷静ではないかれんの頭でも理解出来た。
もしも殺害が目的であれば気絶して無防備な状態を見逃すはずがないだろう。
では何のために? 楯岡の真意がかれんには全く理解出来ない。
一先ず「今は」殺されない、ということだけが安心できる材料ではあった。

「心配するな。こいつの手入れが終わったらちゃんと説明してやる」
「私の扱いは工具以下ですかっ!」
「そういえばベッドから落ちていたが怪我は無いか? 頭とか打ってないだろうな?」
「そんな心配するくらいなら最初から縛らなきゃいいでしょうっ!?」

せめて言葉だけでも対抗してみせる。どの道この足では抵抗は無駄であるからだ。
精々乱れたスカートの裾を直し好奇の目で見られるのを防ぐことしか今のかれんには出来ない。

そんな少女の苛立ちなど何処吹く風。
楯岡は道具の整備を完了し、小型の工具箱を自らのリュックに押し込んだ。

「さて、かれんと言ったか。先程も言った通り、別に俺はお前を殺す気は無い」
「それは――わかったつもり、ですけど」

直接本人の口から聞くことが出来たのは朗報である。
だがこの状況での口約束など何の当てにもならないとすぐにかれんは気を引き締めた。

「逆にお前には協力してもらわねばならない」
「貴方は協力をお願いする人をいちいち縛ったりするんですかっ!?」
「誰が依頼と言った。これは強制だ」
「そんなこと、私が承諾するとでも!?
 どうせ『協力しなければ殺す』とでも言うつもりなんでしょうけれど!」

楯岡の不遜な提案を全力で否定する。

――当然だ。誰がこんな失礼な男に、協力などしてやるものか!

「そんな気は無いと言ったはずだが」
「信用できるもんですか!」
「そうだろうな。逆の立場なら俺も信用しない。そのために、これがある」
「え――」

そう言って楯岡が胸ポケットから取り出したのは。
かれんにも見覚えのある黒色の携帯端末だった。

「そ、れ、私の――」
「そうだ。お前のPDA。カードは『J』だな」

向けられた画面には若き守護者が描かれている。
思わずかれんは自らの身体をまさぐり自分がPDAを所持していないことに気付いた。
そして気を失う前に思わず取り落としてしまったことを思い出す。

「『J』の解除条件はお前も知っての通りだ。ならば俺の言いたいことがわかるのではないか?」

(解除、条件――)

息苦しくない程度に嵌められたこの首輪を外さなければ、常に死の危険に脅かされる。
その事実から逃れるためには条件を満たして首輪を外さなければならない。
それが「ゲーム」のルール。楯岡の手にあるPDAにそう記載されていた。
そして自分のPDA、「J」の解除条件はと言えば。


 ・「ゲーム」の開始から24時間以上行動を共にした人間が2日と23時間時点で生存している。


「――まさか!」
「そうだ」

より一層の無表情、無感情に。だが楯岡ははっきりと告げた。


「お前を24時間拘束する。足を縛ったのはそのためだ」


「――」

言葉も無かった。何という合理であろうか。

「なぜ俺がこんな『ゲーム』に参加させられねばならないのか理由などわからん。
 だがこうなってしまった以上、むざむざ殺されるつもりはない」

「――」

「となれば他の参加者など、信頼出来るわけがない。
 いくら非戦を唱えようが口先だけでは何とでも言えるからな。
 とは言え73時間の長丁場を単独で完走するにはいささか無理がある」

「楯岡さんなら――3日間くらい大丈夫じゃないんですか?」
「人を勝手に超人呼ばわりするな。多少の休息を入れなければ判断力も低下する。
 有事の際に寝ぼけていた、では取り返しがつかなくなる」

無論本気ではなく皮肉のつもりだったのだが真面目に受け取られてしまった。

「そんな時に、信頼の有無に関わらず俺に協力せざるを得ない人間が目の前に現れた、という訳だ」
「それが――私ってことですか」
「正確には『J』の所持者、だがな」

つまり楯岡はかれんの解除条件を逆に利用した、ということだ。
「24時間以上行動を共にした人間」という条件を強制的に自分に当て嵌める。
そうすればかれんは楯岡に対しどうすることも出来ない。
逆に楯岡を生かすために奔走せねばならないのだ。
解除条件は元より休息の際の見張り等々。あらゆる面で楯岡に尽くさねばならなくなる。

「24時間が経過すればそれは解いてやる。その後はお前の好きにすればいい。
 俺の解除条件にはお前の命もPDAも関係無いからな」

嫌な人だ、とかれんは胸の内で悪態を付く。
それが出来れば苦労はしない。1日以上が過ぎた状態で新たな協力者を単独で見つけることがどれ程困難であるか。
「ルールの⑨」がPDAに記載されていたかれんは他の参加者の解除条件を知っている。
殺害が前提の条件かも知れない人間に、おいそれと近付くことが出来るものか。
だからこそかれんには自分の解除条件が達成出来る見込みがまるで無かったのだ。

「つまり逆に楯岡さんに協力すれば、私が助かる可能性があるってことですか?」
「そうなるな。取引としては破格の条件だと思うが」

取引などと白々しい。これは強制だと自分でも言ったではないか。
兎に角楯岡が協力者を欲している事は確かなようだ。
そこにかれん個人の人格が含まれていない事実は歯がゆいのだが。
そして彼は自分を殺す気は無い。気絶中という格好の機会を見逃している事実が示している。
となれば多分に気に食わない人物ではあるが取引に応じた方が安全であるしメリットは大きいように思える。

「協力って、具体的には何をすればいいんですか? まさか他の参加者を殺せ、なんてこと――」
「お前を生かしている以上、お前を殺人に加担させて達成できる条件など無い」
「えーと――意味がわからないんですけど」
「婉曲が過ぎたか。とにかく俺の条件に人の命を奪う必要は無い、ということだ」
「信用できますか、そんなこと」
「ならば自分の目で確かめて見ろ」

少し言葉に感情が籠っていたのは気のせいだろうか。
楯岡は自分のものであろうもう一つのPDAを取り出し、かれんに突き付けた。

(ええっと――)

かれんは脳内を検索し、解除条件の一覧を思い出す。
楯岡のそれと合致する条件は、確かに人の命を奪う必要性は無いように思えた。

「協力と言っても別に大した事ではない。多少の手伝いと見張りくらいだろう」
「――本当に、ですか?」
「無論他の参加者が襲ってきた場合は応戦に協力してもらうかも知れないがな」
「――」

未だ他の参加者に出会ってはいないかれんであったがその状況下を想像し身震いする。
そうなると自分一人ではどうにも太刀打ち出来そうに無い。
最早選択肢は残されていないように思えた。

「わかりました。協力すると約束しますのでこの縄を解いて下さい」
「却下だ。さっきも言ったが口先だけでは何とも言える。お前に自由が与えられるのは20時間後だ」
「――時間、減ってませんか?」
「お前が気絶してからそれだけの時間が経っている」
「私、そんなに眠ってたんですか――」

こんな環境でそこまで眠りこけるとは、自分でも驚きだった。

「でもこれじゃ歩けません。まさかずっとこの部屋にいるわけではないのでしょう?」
「そうだな。出来れば安全に時間が消費できる階層まで上がりきってしまいたかったのだが――
 いささか予定が狂ってしまった」

(階層? 予定?)

説明不足で理解に苦しむかれんを他所に楯岡は扉を気にしている。
どうやら楯岡が扉近くにいるのはかれんを妨害するためでなく外に問題があるためらしい。

「だが問題無い。いざと言う時には俺が担いで移動する」
「か、担いでって――」
「お前は軽いからな。さして負担にも成らない。むしろもう少し肉を付けるべきだと思う」
「し、失礼ですねっ! どうせ私はぺったんこですっ!」
「――そんなだから貧血で倒れることになる、と言いたかったのだが」
「あう」

無用な勘違いで恥を晒してしまった。たちまちかれんの頬に朱が灯る。

「とにかく暫くはここを離れられん。今の内にこれに目を通しておけ」

そう言って楯岡が投げて寄越したのは折り畳まれた紙片だった。
かれんがそれを開くと手書きの文字が整然と書き連ねられている。

「これ、は――?」
「全ルールの一覧だ。欠けたルールも補足してある。あと、これも返却しておく」

続いて差し出されたのはかれんのものである「J」のPDAだった。

「――いいんですか?」
「特に問題は無い」

参加者の命綱であるPDA。それを容易に返却してきた。
これ無くしては生還の望みは無い。どうやら楯岡は本当にかれんの命を奪う気は無いようだ。

(――変な人)

拍子抜けする思いだった。
かれんの自由を奪っておいて他にどうするつもりもない。
乱暴な手口で協力を要請したかと思えば大したことは要求してこない。
机上論としては正しいことを言っているようにも思えるが。腑に落ちない点が有り過ぎる。

一先ずかれんは手渡されたルール一覧に目を通した。
補足されたルールはやたらと禁止事項が多かったが今問題になりそうなものは特に見当たらない。
唯一賞金額の記載に目を奪われた。かれん自身としてはさして気に留める項目でも無かったが。
元より金銭に執着が無いこともあるが、今のかれんには年頃の少女としては身に余る蓄えがあったからだ。

だが、目の前の男はどうなのだろう?
このまま行けば楯岡はかれんと同時に生き残ることになり、賞金は分配されることになる。
自分の生存が分け前を減らすことになることを果たして許容しているのだろうか?
強欲な性格とはお世辞にも思えないように見えるが兎に角彼には謎が多すぎる。

やはり、会話が必要だ。
決して好きになれないタイプの男性ではあるけれど。
それでもやっぱり。少しでも理解、してあげたい。
どうやらこの先。長い付き合いになりそうだから。

「あ、あの――」
「静かにしろ」

かれんがそう決断した矢先、機先を制された。
楯岡は扉の隙間を僅かに開き、外の様子を窺っていた。


「もしかすると、もう少しで問題は解決するかもしれない」




 ゲーム開始より8時間45分経過/残り64時間15分






[21380] EPISODE-20
Name: でしお◆ff3c50cd ID:912e8347
Date: 2010/11/21 06:41
地図機能に記載された階段の「×」印はその通りの意味を表わしていた。
階段そのものの存在は確認できるものの、積み上げられた瓦礫と鉄条網で封鎖されていたのである。
見るからに重量の有る瓦礫のそれぞれの隙間はとても人が通過出来るものでは無かった。
そして人の力で瓦礫を動かすこともまた敵わない。
封鎖自体は予想の範疇であったものの企画者たちの舞台設置の徹底振りに圭介たちは改めて戦慄することなった。
止む無く彼らは進路を変更し、唯一封鎖の記載の無い階段へと向かう。

「何事も無く通れれば、いいんだけどな」

やや不安げな面持ちのまま先陣を切る鳴神圭介のその呟きの意味を。
一同はその階段に辿り着いた時、知ることとなった。





「――やっぱり。そうは問屋が下ろしてくれない、か」

悪い予感とは当たるものだ、と圭介は力無く肩を落とした。

階段前は見通しの良い広場のようになっていた。
一辺が20メートル程の正方形のフロアには遮蔽物は一切見当たらない。
その広場に続く正面の通路、その一番近くの曲がり角で圭介たちは身を隠すように様子を窺っていた。

この階段前での待ち伏せ作戦を美雪が提案した時、圭介は一つの可能性を不安視していた。
他の参加者が確実に通過する地点での待ち伏せ、それは確かに再遭遇に最も適した考え方だ。
だが果たして。その作戦を考案出来るのは彼女だけだと断言出来るだろうか。
答えは否である。他人との遭遇を望んでいる参加者は何も彼女だけに限らないからだ。
もしかすると自分たちよりも先に、待ち伏せを敢行している人物がいるかもしれない。

そんな圭介の不安は見事に的中した。
広場のど真ん中。階段を背にしてまるで番人のように立ち塞がる人物がいた。

大柄な体格に装飾の多い衣服を纏い、脱色した頭髪を逆立てている。
特徴的なその姿見は圭介の記憶の中ではかなり最悪な部類の人物であった。

「あれは木戸さん――ですか?」

少しだけ顔を覗かせ広場を確認する美雪に圭介は無言で頷く。
木戸亮太。哀れな女性が死体と成り果てた時集結した「ゲーム」参加者の一人。
そして波多島乃得留のルール解釈により自身が救われぬ運命だと激高し、早々に離脱した男である。

「どれどれ美雪、あたしにも見せて? ――うわー。こりゃまた絵に描いたようなチンピラだわ」

距離が離れているのをいいことに小馬鹿にしたような発言を繰るポニーテールの少女は緑川菜緒。
先程奇妙な遭遇を果たした美雪の親友である。

「そんな言い方は良くないよ、菜緒」

善良な少女は親友の悪言を窘めるがこの時ばかりは圭介も菜緒に同調した。
交わした言葉の尊大さや無礼さは許容出来る範囲ではある。
長沢勇治に比べればまだ可愛げのある方だ。
だがなぜ木戸がここで待ち伏せをしているのか。その理由が明確なだけに彼の人物像は酷評せざるを得ない。

いったい何処で調達してきたのか。木戸は手に鉄パイプを携えていた。
そして時折思い出したように振り回している。
元・高校球児という経歴も相まってか、その一閃に相当の威力が含まれているように見えた。

「やる気満々、ってところだな」
「あの、あれって――」
「ああ。言いにくいけど――あいつはアレでここを通ろうとする参加者を殺すつもりだ」
「そんな――」

そう。待ち伏せとは何も待ち人と再会するためのものとは限らない。
本来その効果を発揮するのは寧ろその逆。即ち獲物を狩るために使用される策だ。
そして木戸は自らの解除条件はキラーカードに準ずるものだとかつて圭介たちの前で告白している。
訪れた参加者を鉄パイプで撲殺し、条件を達成する。それが木戸の計画であることに最早疑い様は無かった。

「見た目がバカなら中身までバカってことね。ホント開いた口が塞がらないわ」
「まったくだ。さて、そうなると――だ」

木戸が本気で人を殺す覚悟を決めた事。
そしてそんな木戸が絶対に通過せねばならない階段前に立ち塞がっている事。
その二つの事実は残念ではあるが、事実は事実として受け止めねばならない。

となると、どうしたものか。圭介は顎に手を当てて思案に暮れる。
これだけ見通しの良い広場である以上、木戸に見つからずに階段を通過するのはほぼ不可能だ。
つまりは必然的に殺意を撒き散らしているあの男との遭遇は避けられない、ということになる。

「森下さん、緑川。ちょっとこっちへ」
「ん? どしたのさ、いきなり」
「作戦会議だ。ヘタに大声出して木戸に気付かれるとヤバい」

圭介は二人を誘い、近くの部屋に移動することにした。
これからの行動はどうあっても命がけのものとなる。さすれば安易な決定は下せない。
ならば3人でしっかりと話し合っておく必要がある。
半端な理解や覚悟で挑んで失敗した、では済まされないのだ。

曲がり角から数歩も歩くこと無く発見した扉を僅かに開き、中の様子を窺う。
幸いにして室内に他の参加者の姿は見受けられなかった。
圭介は手招きで二人を呼び寄せ、先に部屋に入るように促す。
少女たちが中に入ったのを確認し、最後に自らの身体を中に滑り込ませる。
室内は無数の椅子や木箱が積み上げられた資材置き場のようになっていた。
今までに幾度となく目にしてきた、この施設の中では特に変わり映えの無い光景だ。

「そこらに適当に座ってていいよ――よっと!」
「ちょ、ちょっとアンタ、何してんのよ!」
「何って――見りゃわかるだろ」

悲鳴のような菜緒の声に耳も貸さず、圭介は椅子や木箱を次々に扉の前に移動させる。

「そんなことしたらあたしも美雪も出られないじゃない!」
「でもこうしとけば外からも入れないだろ」
「あ――そっか。なるほど」

周囲に他の参加者の姿は見当たらなかったとはいえ、何が起こるかなどわかったものではない。
だがこうしておけば万が一新たな襲撃者が現れてもおいそれと侵入を許すことも無い。

「――っと。こんなもんでいいか。さてと」

手に付いた埃を打ち払い、圭介は改めて美雪と菜緒に向き直る。

「どうすればいいと思う?」
「話し合って通してもらうのは――無理です、よね」
「そりゃそうだ」

圭介の勧めに反して立ったままの美雪はやはり平和的な解決を望んでいるようだ。
だがその方法の成功の確率は絶望的に低い。皆無と言ってもいいだろう。
キラーカード3種のうち、一枚は圭介が「A」を引き当てているので残りは「3」と「9」。
つまり木戸はどうあっても条件達成のためには他の参加者の命が必要であるということだ。
そんな人物との取引など成立するわけがない。

「じゃあ、あの階段を使うのは諦めて他の移動手段を取るのはどうでしょう?」
「どうでしょう、って――2階への階段は此処しか無いのは確認したはずだけど?」
「地図には他にエレベーターの記載があります。こちらを使えば、上に上がることは可能なはずです」
「エレベーター?」

そんなものがあるとは気がつかなかった。
圭介はPDAの地図機能を操作すると確かに東南部にそれと思しきマークが発見された。

「なるほどね――いや、待て待て。コイツを使うのはヤバいかもしれない」
「なぜですか?」
「こっちで待ち伏せなんかされてたら、今の木戸以上に対処のしようが無い」

上の階に到着し扉が開いた瞬間。したり顔で武器を構えて待ち構えられている状態を圭介は想像した。
そうなれば鉄の箱の中、回避する術は無い。3人揃って仲良くゲームオーバーである。

「でも――」
「少なくとも長沢の奴ならそう考えてもおかしくない」
「!!」

恐怖の象徴、長沢勇治の名はやはり美雪にとっては鬼門のようだ。
さすがの美雪もそれ以上エレベーターの使用について言及することはなかった。

「ふう。となるとやっぱ、木戸を何とかしないといけないわけだよな。どうやって――」

「あんな奴ぶちのめして追っ払えばいいじゃない」

一方壁際の木箱に腰かけ足を組み、その脚線美を惜しげも無く晒す菜緒はさらりと物騒なことを言ってのけた。

「ぶちのめす、って――お前なあ」

身体は必要以上に女性的なのに発想は男以上じゃないか、と圭介は呆れた。
確かに話し合いも回避も困難となった現状、強行突破は避けられないとは圭介も自覚していたのだが。

「二人がかりならどうにかなるでしょ。敵わないって理解すればあの男も逃げてくわよ、きっと」
「――二人がかり?」
「そ、あたしとアンタの二人がかり」
「俺もやるのかよっ!?」
「あったり前でしょ。まさか美雪にそんな危ないことさせられないもの」

何気無く圭介が美雪に視線を向けると少女はびくり、と身を震わせた。
菜緒の言う通り、こんな少女を戦いの渦中に投じることなど出来ない。
彼女が傷つく姿も、手を下す様も見たいとは思わない。
そうなると確かに荒事を行う場合は彼女は人数にカウントすべきではない、とは思うのだが。

「――おい、グリーンリバー」
「――なによ、クライゴッド」
「お、なんかかっこいいな、それ」
「菜緒。それじゃ『泣く神くん』になっちゃうよ?」
「え? そ、そうなの? って、何なのよ急に妙な呼び方して!」
「いちいち『緑川』ってのは呼びにくいんだよ!」
「逆に長くなってるじゃない! はあ――まったく。じゃあ『菜緒』でいいわよ。あたしも『圭介』って呼ぶから」
「あ、じゃ、じゃあわた」
「で? 改まって何が聞きたいわけ?」
「――」
「ん? どしたの美雪」
「――なんでもない」

美雪が何やら口を挟もうとしていたようだが黙りこくってしまったのでとりあえず気にしないことにする。

「ああ。お前、男相手でも随分と強気だけど根拠は何なんだ?」

いくら運動担当と自称していても、戦うことまで当然のように受け止めている菜緒の様子が圭介には気にかかった。
元より好戦的な気質なのだろうが、それにしても自信に満ち溢れている。
思い返せば初遭遇の際に繰り出された一閃も素人のそれとはとても思えなかった。
木刀など一般の女子高生が容易に扱える代物ではないだろうに。

「まさか、剣道でもやってるのか?」
「『剣道』じゃないよ。あたしがやってたのは『剣術』」
「? 何か違いがあるのか?」
「違うわよ。『剣術』は刀で相手を殺傷するための武術で『剣道』はそれを人間形成や修練のために競技化したもの」
「菜緒は剣術道場の一人娘なんです」
「へえ」

詳しい事は今一よくわからなかったが兎に角幼い頃から「剣術」に携わっていたことが菜緒の自信の源らしい。

「だからコイツがあれば多少の男には遅れを取らないってこと。おわかり頂けましたかしら?」
「なるほどね」

だからこそ菜緒のスタート地点に「コイツ」こと木刀が置かれていた。
事情が許せば彼女はその凶器を他の参加者に向ける可能性があったかもしれない。
「なるほど」の理解の示すもう一つの理由を、圭介は敢えて口にはしなかった。

(けどなあ――)

菜緒の強気の理由はわかった。だがそれはあくまで判断材料であり、決断を下す要因には成り得ない。

圭介は決して木戸を侮ってはいなかった。
あの程度の凶器で殺人を決断したということは、彼もまた相当な自信があると考えたからだ。
一年生で甲子園出場投手となった、恵まれた身体能力。
そして不遜な言動の数々から察するに、暴力を振うことに躊躇いは無い性格だと窺える。
対して菜緒は腕に覚えがあると言っても少女であることに変わりは無い。
手元にある情報からでは、菜緒が木戸に確実に勝てるという保証は見えてこなかった。

ならば自分が手を貸しさえすれば天秤は大きく傾くか、と言えばこれまたそうではない。
喧嘩の場数は無いわけではない。だが凶器を持った相手と対峙したことは今までに「一度しか」無い。
そんな自分が、果たして菜緒の手助けとなることが出来るのか。
寧ろ彼女の足を引っ張る結果となりはしないだろうか。
失敗は許されない。命を失うことは元より、後に響く怪我すら負うわけにはいかない。

3人が無事で、無傷で。
木戸の妨害を潜り抜ける方策として、それは本当に相応しいものなのだろうか?

「でも菜緒、そんなの危ないよ! そんな事しなくても何とか気を逸らしてみんなで駆け抜ければ――」
「ダメよ! そんな事してもし追いつかれたらどうするの!? 一番追いつかれそうなのはアンタなのよ!?」
「あう――」
「だからこそあたしと圭介で、アイツを撃退するの。それしか方法はないのよ」
「け――鳴神くん! この子に何とか言ってやって下さい!」
「――」
「鳴神くん?」
「どしたの圭介、びびってんの?」
「びびってるよ」

虚勢を張るつもりも無いので圭介は素直に告白した。
寧ろこの作戦を決行するにあたって臆さない菜緒が異常なのだ。
そして圭介の懸念はもう一つある。実力差の見誤り以上に、今はそちらの方が心配だ。
出来る事ならこの作戦は採用したくは無い。ならば他に、どんな策がある?

(木戸亮太、か――)

圭介は記憶の中の僅かな木戸に関する情報を収集し、考察する。
決して攻略できない男ではないはずだ。隙も多いし自惚れも感じる。
階段そのものを封鎖していないのが良い例だ。
そうすれば通過方法が限定かつ困難とされることに思い至っていないのか。
それとも確実に遭遇者を仕留める自信があるというのか。

(いや――待て待て。もしかして、そういうこと――なのか?)

突如として圭介の脳細胞に閃きが走った。
木戸の妨害が隙だらけであることに、一つの理由が見えてきた気がしたのだ。

「そうなると――いや、ダメか。そのままじゃ。一度はアイツをズラさなきゃならないから――」
「何ぶつぶつ言ってんのよ」
「奴の得物は鉄パイプ――まあ、どうにかなるか。OKだ、菜緒。俺とお前で木戸を追い払おう」
「! 鳴神くんっ!」
「よし、そうこなくっちゃ!」
「――お前、その反応だとただの『戦い大好きむちむちぼいん』に聞こえるぞ」
「べ、別に好きで戦いたいわけじゃないわよ! つか変な肩書きくっつけるなっ!」
「そうです! えっちなのはいけないと思います!」

なぜか美雪の方が露骨に反応していた。

「けどあくまで力づく、は最終手段だ。策を一つ思いついたんでまずはそっち優先な」
「策、ですか?」
「ああ。そのために森下さんにも協力してもらいたいんだけど」
「ちょっと! まさか美雪を危険な目に遭わせるつもり!?」
「大丈夫だ、危険はおそらく無い。多少疲れるかもしれないけど――いいかな?」
「はい、勿論です。それで二人が無事でいられるなら」
「美雪っ!」
「そう言ってくれると助かるよ。えっと――どれくらいがいいかな」
「コラ圭介っ! ちゃんと説明を――」
「うるさい。静かにしろ」

がなり立てる菜緒を制して圭介は室内を物色し始める。
片っ端から木箱や段ボールを開き、中のものを取り出しては投げ捨てる。

(これは――軽すぎか。これだと――ちょっと重いかな)

完全に成功が約束された策では無い。だが自分の推測が確かならば、木戸は必ず反応を示すはず。
後は土壇場でどれだけ上手く立ち回れるか――不安と重圧を胸に、圭介はそのための「鍵」を探し続ける。

「っと――これでいいか。森下さん、ちょっと持ってみて」

そう言って圭介は両手で何とか抱えられるだけの段ボールを美雪に手渡した。

「これ、ですか? わ、結構重いですね。中身は――え、え?」
「まずは俺と菜緒で先行する。で、森下さんは俺が合図したらそれを持って走って来て欲しい」
「で、でも、これって――」
「合図はこう、だ」

その重さと中身に困惑する美雪に圭介は言葉と仕草で「合図」を説明する。
我ながら珍妙な申し出だな、と圭介は少し苦笑すると、

「あ、なるほど! これはそういう事なんですね!」
「え、これだけでわかったの!?」
「はい、つまり――」

続いた言葉は正解だった。たったそれだけで「策」を理解する少女の才覚に圭介は驚くばかりだった。

「え、なにそれ。全然ワケわかんないんだけど」

一方の菜緒は置いてけぼりを食らった感を露わに不満の表情を浮かべている。

「うーん。確かに言葉で説明しても今一伝わり辛いだろうな。特に菜緒の立場だと」
「なによそれ」

決して菜緒を蔑ろにしているわけではない。
「あの」存在の大きさは実際に目にした者でないと容易には理解し難いからだ。
実物を見せられればいいのだろうが残念ながらあの段ボールはその代替に過ぎない。

どうすれば納得してもらえるか。圭介は頭を悩ませる。
策を発動させるためには菜緒の力はどうしても必要なのだ。そのために理解不足での迷いは禁物。
もしこのまま何も思い浮かばなければ観念して別の策を考えねばならない、のだが。

「大丈夫よ菜緒。鳴神くんの作戦はきっと上手くいく。誰も傷つくことなく、この局面を乗り切れるわ」
「――わかったわよ。美雪がそこまで言うのなら」

最後の一押しは親友の信頼だった。
菜緒は渋々、といった形で圭介の「策」を受け入れることとなった。






首だけを扉から差し出し、今度は逆に通路の状態を警戒する。
左右両方、人の気配無し。確認を終え、3人は静かに部屋を出る。

「じゃあ森下さんはここで待機。合図が聞こえたらお願いね」
「はい、わかってます。二人とも――気をつけて」
「ありがとう。菜緒は俺と協力して木戸をこのラインより向こうに追い込むぞ」
「――」

「んでその際にはあんま木刀構えて威圧すんなよ。
 こちらに余裕があると思わせるのが目的だか――おい、聞いてるか?」

「うっさい。ちゃんと聞いてる」
「そ、そうか」

静かな物言いのなかに得も言わぬ迫力を感じた。
菜緒の様子は明らかに先程までと違っていた。
豊かに変わる表情は張り付いたように硬直し、口数も少なくなっている。
やはり人殺しを企てようとする男との対峙は彼女でも緊張する、ということなのだろうか。

「ま、そう心配するな。実際にアイツの相手をするのは俺だから。
 まあ俺が頼り無いから少し信用ならん、ってのもわかるんだけどな、はは」

「ううん、そんなことないよ」
「そか」

無理に冗談めかしてみたのが功を奏したのか。少し柔らかくなった菜緒の表情に圭介は安堵する。
とにかく成功すれば誰も傷つかないで済む。
そして成功させることができれば菜緒の自分に対する評価も変わり、不安になることもない。
命も信用も。全ては自分の双肩にかかっている。
3人分の責任は重いものではあったが、それが逆に圭介を奮起させた。
これは二人を欺いているという自身の後ろめたさを少しでも払拭する機会でもあるからだ。
真実は伝えられない。だが嘘の上にでも、信頼を築き上げたいと。

身を隠す曲がり角から木戸の様子を窺うと、圭介の視界から男の姿は消えていた。
階段前の広場は広大で、辿り着くためには3方向の通路がある。
その広範囲をカバーするために木戸は時折各方向への巡回を行っていた。
その木戸の姿が圭介から見えないということは向かって右側の通路の確認に向かったのであろう。

――チャンスだ。

それは圭介が木戸を追いこもうとしている方向とぴたり一致した。

「走れ菜緒!」

短く叫び、圭介は先陣を切る。
まずは広場に辿り着くことが先決だ。
流石にそのまま階段まで気付かれずに到達することは不可能だが、そこまでなら何とかなる。
逆に最悪は通路で木戸を迎え討つことだ。そうなれば圭介の策も功を為さなくなる。

(まだそっちに居ろよ――戻ってくんなよ!)

大した距離ではなかったが圭介には途轍も無く遠く感じた。
後方の菜緒を気にしている余裕は無い。だが足音だけで後に続いていることは判断できた。


そして次の瞬間。
その足音が圭介を追い抜いていった。


「『鳴神』――アンタのことはまったく信用してない」


「な――」

菜緒の後姿が少しずつ。少しずつ遠ざかっていく。

(何で――)

その事実に愕然とした。
少女は決して納得などしていなかったのだ。
圭介の策など認められないから。菜緒は独断で木戸を襲撃するつもりなのだ。
菜緒は親友の美雪を信頼はしていても、圭介を信頼してはいなかった。
圭介の考えよりも、自分の力の方が上だと決め込んでいた。

(ふざけんなっ!)

怒りが沸き上がると同時に、今度は菜緒の姿が消えた。
少女が一直線に木戸に向かって挑んでいった証拠だ。

(ふざけんな、ふざけんな、ふざけ――)

遅れること、約数秒。
広場に飛び込んだ圭介の目に映った光景は。


「おらぁっ!!」
「!!」


木戸の鉄パイプの一閃で木刀を吹き飛ばされ、呆然とする菜緒の姿だった。






 ゲーム開始より8時間47分経過/残り64時間13分





[21380] EPISODE-21
Name: でしお◆ff3c50cd ID:912e8347
Date: 2010/11/21 06:56
親友となった少女は、正に絵に描いたような「女の子」だった。
仕草、振る舞い、他人との接し方。どれを取っても完璧で。
けれど同時に相応の弱さと儚さを持った少女だった。

自分とは何もかも違う。だからこそ、好きになった。
自分とは何もかも違う。だからこそ、側にいられると思った。
あたしならば彼女を守れると。あたしならば彼女の弱さを補えると。
互いに互いの足りない部分を埋め合って。そして日々を過ごしていく。
今までも、そうしてきた。これからも、そうであるはずだった。


だけど。
死地の最中で再会した親友の横には、余計なオマケがついてきていた。


男のくせに頼り無く、強さは微塵も感じられなかった。
変な奴で。妙な奴で。そしてふざけた奴だった。
でもその程度の男ならばと安心できた。
あたしよりも明らかに弱そうなこの男が、あたしたちの間に割って入ることなどできないと。

それなのに。
いざ窮地になって、親友が頼ったのはあたしよりもオマケの方だった。
強気な事は何一つ言えず、わけのわからない小理屈ばかりをこね回す。
そんな男に、親友は全幅の信頼を寄せていた。
自分が危険に巻き込まれるかもしれない話を切りだされて、なお。

腹が立った。出会ってたった数時間の男に大切なものを奪われた気がした。
じゃあ、あたしっていったい何なの?
あたし、今までちゃんと貴方を守ってきたよ?
男からでも不良からでも、ちゃんと貴方を守ってきたよ?

なのにどうして?
どうしてあたしの方を頼ってくれないの?
そんな奴を見ないで。そんな奴の前で笑わないで。
あたしを見てよ! 美雪!
もう一度ちゃんと、あたしを見て!
そうすればそんな奴よりあたしの方が美雪に相応しいって証明して――みせるから。




少女だてらに幼い頃から剣術を学んできた緑川菜緒の腕は確かなものだった。
だが少女であるが故に、世界は彼女に強さの立ち位置を曇らせた。

曰く、身体を傷付けるわけにはいかない。
曰く、心を傷付けるわけにはいかない。
曰く、問題になるのは面倒である。
曰く、そこまでして立てつくのも馬鹿らしい――

そういった理由で自分の前から退散した男たちを、菜緒は等しく敗者のカテゴリに入れ込んだ。
そんな彼女が「強さ」を見誤るのは仕方の無いことだったのかもしれない。

言い訳を一切廃した強さ。
「例え少女であろうと」「全力で」「命を奪わなければ」「自分の命が助からない」。
そんな覚悟を決め込んだ木戸亮太の一撃が。
菜緒の木刀を打ち払ったのは至極当然の事であった。






(ふざけんなっ!)

圭介は憤慨していた。
せっかくの策を独断で台無しにされたばかりか、菜緒は勝手に窮地に陥っていた。
自信が過信と成り果て木戸に打ち負ける様は圭介の恐れていた結果そのものだった。

木刀が宙に舞う。
勢いに圧され、菜緒が転倒する。
そして目をぎらつかせた木戸が菜緒に向かって左腕で鉄パイプを振りかぶる。

(ふざ――けんなあっ!!)

広場に踏み込んだ速度を緩めず圭介は木戸に向かって突進する。
この勢いのままに木戸に組み付けば非力な自分でも或いは、と思えたのだ。

だが刹那、木戸の顔がこちらを向いた。

「見えてんぜ」
「!!」

凶悪な笑みには幾許かの余裕。左腕の凶器がこちらに向き、そのまま右手が添えられる。

(と、止ま――)

慌てて急制動をかけようにも叶わない。
右打者の構えから繰り出された木戸のスイングが、圭介の脇腹に突き刺さった。

「がっ!」

息が詰まる。身体の側部から衝撃が走り抜ける。
足元の重力が曖昧になる。横滑りに身体が宙を舞う。
そして痛烈な痛みが圭介の脇腹で爆発した。

「ぐああっ!!」

何も考えられない。痛みが、痛みがとただそれだけ。
着地した片足が更なる痛みへの恐怖を予感したのか無自覚に崩れる身体を支える。
おかげで転倒は免れたが反動が痛みを増幅させ、堪らず圭介は膝をついた。

「鳴神っ!」
「が――はっ――」

菜緒の悲鳴が近く聞こえる。どうやら彼女の目の前に吹き飛ばされたらしいが確認の余裕も無い。
身体を丸めて手で打たれた場所を抑える。
少しでも痛みが引くことを願い、手に力を込める。
だがこの痛みはそう易々とは身体から離れてくれそうにない。

(痛っ、てえ――)

額に汗が滲み出る。自らの呼吸音がはっきりと聞こえる。
痛い、痛い、痛い。
大声を上げて転げまわれば、少しは気も紛れるだろうか。

(って――そんなこと、考えてる場合、かよ――!)

痛みに全てを委ねていられる状況ではなかった。
痛みを与えた人物は圭介のすぐ目の前にいるのだ。

「ぐっ――」

唇を噛み締め痛みに耐える。顔を上げると不遜な男と目が合った。

「よう鳴神。久しぶりのような気がするな。そのじゃじゃ馬はお前の新しい女か?」

立て続けの襲撃者を同時に撃退した木戸の表情には余裕が満ち溢れている。

「――おかげで、苦労――してる、よ」

口惜しいが今の目線の高さの差が現実だ。
圭介は息も絶え絶えにそう答えるのがやっとだった。

「けっ、口が減らねーのは相変わらずかよ、あん?」

鉄パイプを手の中で弾ませながら木戸の足が一歩前に出る。
合わせて圭介も後ずさる。右肩に菜緒の身体が触れた。

「あ、あ――」

菜緒の声が震えている。いつもの彼女ならここで罵倒の一つも浴びせていたであろう。
だが返り討ちに遭い、続いた圭介も簡単にあしらわれ、二人纏めて地に伏した。
勝気な少女はもういない。
考えもしなかった逆境にただ、菜緒は怯え混乱するばかりだ。

(――)

自分が苦心して捻り出した策が思い通りに進めば誰も傷付かずに済むはずだった。
菜緒も、菜緒が案ずる美雪も。圭介自身もだ。
なのに今は圭介は身体に傷を負い、菜緒は心に傷を負っている。
いったい菜緒は何が気に食わなくてこうなったのか。圭介には理解出来ない。
どうしてこうなってしまったのか。理解出来ない。
このままでは死ぬ。殺される。
鈍器で撲殺されるという惨たらしい結末が待ち受けている。

このままでは。
このまま――では。


(――このままで終われるかっ!)

圭介の内で本能が咆哮を上げた。土壇場で意地が恐怖を凌駕した。
このまま木戸の糧となるのはまっぴらだ。それでは今までの努力は何だったのだ?
何のために美雪に嘘を吐いた? 乃得留から逃げ続けているのは何のためだ?
全ては生きるため、生きて帰るためだ。
生きて再び日常を取り戻すため。そのためには負けられない。木戸にも痛みにも。

「俺たちを――殺す、のか?」
「おいおい、わかり切ったことを聞くじゃねーか」

前髪を掻き揚げ、木戸は下卑た笑いを浮かべる。

「ま、そーゆーこった。俺が生きるために、お前らにはここで死んでもらう」
「!!」

いつの間にか添えられた菜緒の手が圭介の肩を掴んだ。
飾り気の無い「死」という言葉が菜緒の精神を更に追い詰めている。

――大丈夫だ。

「――え?」

微かに呟き圭介は菜緒の手を握り返す。
暴力は嫌いだ。暴力に慣れてなどいない。
だけど暴力は――初めての体験じゃない。
大丈夫だ。あの時ほどじゃない。
恐怖も重圧も。あの時感じたものに比べれば全然大したことじゃない。

親父に殺されかけたあの時の絶望感は――こんなもんじゃなかった!

「く――」

傷付いた身体に鞭を当て、引き摺るように木戸から距離を取る。
背中で菜緒を押しながら同じようにするよう促す。

「無駄だぜ。おとなしく覚悟決めた方が、楽に死ねると思うがよ、へっへ」

完全に勝者の態度でゆっくりと木戸が間を詰めてくる。
相手は傷を負った非力な男と女。仕留めるのは容易いと、玩ぶ意識が見え見えだ。

――そうだ。もっとこっちに来い。

自らの観察眼の確かさを圭介は痛みの最中に確信した。
木戸亮太は愚かだが馬鹿な男ではない。きちんと相手と自分の強さを見極められる人間だ。
そして一旦相手を弱者と定めればたちまち蹴り落としにかかる。
救いの手は差し伸べない。馬鹿にする。見下してくる。粗野な言動を重ねてくる。
今もまた、その見極めは外れてはいない。圭介と菜緒は二人がかりでも木戸には叶わないのだ。

圭介が下がる。木戸が前へ出る。
圭介がまた下がる。木戸は大股でまた一歩。

(――ここだ)

一瞬だけ視線を飛ばし、圭介は木戸をラインの内側に誘い込めた事を確認する。
そして。

「――負けだよ。木戸」

圭介はため息混じりに木戸に向かって、告げた。

「あん、命乞いかぁ?」
「それで見逃してくれるつもりもないんだろ」
「へへ、まあ、な」
「でも一つ聞きたいことがあるんだけど」
「何だよ。寛大な俺様だが――遺言だきゃあ、聞く耳持たねえな、っと!」

処刑時刻だ、とばかりに再び木戸が右打者の構えを取った。
先程と違い圭介の体勢は膝をついているので低い。
このままならばスイングの軌道と圭介の頭部が一致している。
流石に頭にあの一撃を食らえば圭介の生還は絶望的だ。

その木戸の姿を圭介はしっかりと見据える。
迫る死の恐怖に目を逸らさず、しっかりと。

「聞きたいことってのは、さ」
「意識を場外まで吹っ飛ばしてやんよっ! ひひひ、死――」


「お前、俺たちが二人だけだって、本気で思ってんの?」


「――何だと?」

打撃動作が中断され、木戸の表情が凍り付く。
逆に圭介の表情には笑みが浮かぶ。

そうだとも、木戸。お前の見る目は確かなものだ。
俺は弱い。菜緒もお前よりは弱かった。

でもならば、もし。お前よりも強い奴がいたら、どうするんだ?
誰の目から見ても、今のお前じゃ絶対に敵わない――そんな相手が現れたら、お前はどうするつもりなんだ?

「もう一度言っておく。『お前の』――負けだよ。木戸」

圭介はゆっくりと右腕を天に突き上げる。そして。


「来てくれ、大門さんっ!」


その一言と共に指を打ち鳴らした。
フロアの静寂を切り裂くように鋭い音が響き渡る。
そして巨躯の起動を想わす足音が、木戸の背後で動き始めた。

「て、てめえら、ハメやがったなっ!」

見上げる者、見下ろす者。その立場がたった一言で反転した。
木戸は狼狽を露わに忙しなく足音の方向に視線を飛ばす。
だが圭介が追い込んだ「この場所」からでは死角となり足音の主の姿は確認できない。

「別に騙すつもりはなかったんだよ。こうでもしないとあの人お前が最低な奴だって納得してくれなくてさ。
 でも、もう言い訳は効かないよな」

「ち――」

木戸が殺人を行う理由は自身の生還の為に他ならない。そのためには我が身の安全を第一に考えねばならない。
ならばなぜこうまで姿を露わにし、正面から参加者を撲殺する方法を選んだのだろうか?
答えは一つ。木戸は「自分より弱い参加者を選別して殺していく」つもりなのだと圭介は結論付けた。
そうなると階段の封鎖の甘さにも納得がいく。
木戸は「自分より強者と定めた人物は見逃すつもりだった」、ということだ。

ならば木戸に面識の有る参加者で確実に木戸よりも強者である人物の影をちらつかせればいい。
日本最強の空手の達人、大門三四郎。その存在を臭わせる事こそが圭介の「策」だった。

予定とは違ったが木戸は見事に圭介の「策」に陥った。
木戸は圭介たちにトドメを刺すことが出来ない。規格外の巨漢の怒りを買えば生還は果たせなくなる。
だが反転して死角から不意打ちを行うことも出来ない。
「鉄パイプの不意打ち」程度では大門を倒すことなど到底叶わないからだ。

木戸が迷いを見せている間にも足音は段々と近付いて来ている。
無論この足音は森下美雪のものだ。
大門の足音と木戸に誤認させるために圭介は美雪に重量物の段ボールを持たせ偽装したのだ。

タネが割れれば単純な事実。
だがそれも操る者次第で魔法となる。

初遭遇の時点で大門が圭介と行動を共にしていたことを知っている木戸に大門の接近を疑う事は出来ない。
最早選択肢は一つしか残されていなかった。

「くそ、覚えてやがれ鳴神っ!」

捨て台詞を吐きながら木戸は圭介の目の前で鉄パイプを牽制の為一閃させ、そのまま圭介の脇を駆け抜けていった。

「立て菜緒、走るぞっ!」

木戸が通路の向こうで角を曲がり姿を消したのを確認すると同時に圭介は倒れかけたままの菜緒の手を取る。

「え? あ――」

言葉にならない声を発する菜緒の手を引き強引に胸の内に手繰り寄せる。
言いたい事は山のようにあるが妨害者が消えた今が好機だ。
そのまま床を蹴り、近くに落ちていた菜緒の木刀を拾い上げ逃走を開始する。
死角から飛び出すと段ボールを抱えてふらふらと走ってくる美雪と目が合った。

「森下さん、それはもういい! ついてきて!」
「は、はい!」

美雪が段ボールを投げ捨て上に置いていた鞄を掴み上げる。
そのまま3人は合流し、一気に階段に向かって速度を上げる。

「木戸が気付いて戻ってこないとも限らない! 階段を上って、そのまま駆け抜けるぞ!」
「はいっ!」
「――」

菜緒の反応の鈍さは気にかかるが手を振り払う様子も無い。

とにかく今は進め!
一歩でも、前へ、前へ、前へ――!






「はあっ、はあっ、はあ――」

数分間の逃亡劇の末、漸く圭介たちは木戸を振り切った事を確信し足を止めた。
言葉も無く、ただ三者三様に息を整える。
無常の空間に荒い息遣いだけが響き渡る。

「上手く――いったんですね――」
「ああ――」

紆余曲折有ったが目的は無事達成された。
木戸を退け3人とも無事に2階に上がる事が出来た。
何とも言えない充実感に、圭介にはこの疲労さえも心地良いものだと感じられた。
そのまま更に数分。何とか会話が出来るくらいまで圭介たちは回復した。

「ところで鳴神くん。わたし思ったんですけど」
「ん、何だい?」

まず口火を切った美雪の声に圭介は耳を傾ける。

「ここまでの道のりで、罠の確認ってして――ませんよね?」
「へ?」

一瞬その意図を計りかねた。罠とはいったい何の事だったか。
酸素の行き届いた圭介の脳が段々とその意味を思い出し――

「――うっかりしてた」

自分の愚かさを再認識させられた。
そうであった。自分たちの命を脅かしているのは参加者の殺意だけではない。
施設内の至る所に隠されているという罠の存在もまた、死への原因と成り得るものだったのだ。
ただ走り続けるだけの逃避行がまさか綱渡りのものであったとは。
折角木戸から逃れることが出来たのにもしかすると命を落としていたかもしれない。
そんな無為な結果を想像し、圭介は思わず身震いした。

「ごめん二人とも。本来ならここまで考慮しておくべきだったのに」
「いえ、わたしも気付いていませんでしたからおあいこです。今後はお互い気をつけましょうね」
「そうだね。ところでここは2階の何処らへん――ぐあっ!」
「!? な、鳴神くん、急にどうしたんですか!?」

現在位置を探るためPDAを取り出そうとポケットに手を入れた瞬間。
妙に身体を捩った所為なのか、圭介の脇腹が再び悲鳴を上げた。

「あ、痛ぅ――」

緊張が解けた分、痛みは更に倍加する。たまらず圭介は地に膝をつく。

「まさか――怪我、したんですか? そういえば悲鳴が聞こえてきたような気が――」
「――木戸とやり合った時に、ちょっとね」
「――!!」

美雪の背後で動揺する菜緒の姿が辛うじて圭介の目に入る。
あの時の責任と理由を追及するには今を置いて他には無い、のだが。

「でも自業自得、って奴だよ。アイツを追いこむ時につい余計な事を言っちゃってさ。
 そしたら木戸の奴ぶち切れやがって、それで殴られちまった」

「え――」
「もう! そうやってすぐ調子に乗るのは鳴神くんの悪い癖ですよ!」
「いや面目無い――菜緒も、悪かったな。俺のせいで無駄にピンチを招いちまった」
「鳴神、そんな――」
「『ゴメン、反省してる』」

菜緒を目で牽制し、「それ以上口を挟むな」と暗に伝える。

「――う、うん。別にあたしは気にしてない、から」
「まったくもう――はい、じゃあ見せて下さい」
「え、手品?」
「怪我したところです! 後に響くようなことになったらどうするんですか! ほら、服を脱いで下さい!」
「ぬ、脱げだなんて――そんなのはもっとロマンチックな雰囲気と場所で」
「またそうやってふざけるんだから――いいから脱いで下さい!」
「いやー!」

珍しい美雪の怒涛の剣幕に、さしもの圭介も逆らえない。
渋々上着の前を肌蹴け、シャツをめくり上げる。
痛みの震源地は出血こそしていないが酷い青痣になっていた。

「打ち身ですね。冷やした方がいいでしょう。ええっと――あ、ちょうど近くに洗面所があります」

すかさず美雪はPDAを操作し、圭介の治療に適切な行動を選択する。

「ハンカチを濡らしてきます。ここで待ってて下さい。菜緒、後はお願いね?」
「――うん」
「ちょっと待ってよ。一人じゃ危ないよ?」
「平気です、すぐそこですから!」

そう言い残すと美雪は走って数メートルほど先の扉の中に入っていった。

「――やれやれ。こうなると頑固だな、森下さんは」
「――どうして?」
「ん?」

自然二人きりとなり、すかさず菜緒が訊ねてくる。

「どうして、あたしを庇ったりしたのよ。だってアンタのその怪我は――」
「ああ。お前のせい、だな」
「だったら!」

圭介の「策」が最初から目論見通りに進めばこんなことにはならなかった。
しかも危険な立場を肩代わりして圭介は菜緒の身の安全にも気を配っていたのだ。
それなのに作戦を無視して独断で先行し、菜緒は圭介に怪我を負わせた。
少女の罪は確かに重く、到底許せるものではない。圭介も最初はそのつもりだった。

「だってさ」

だが今はその気も失せた。
そんなことにはもう意味が無い、そう思えたから。

「お前――今にも泣きそうなんだもん」
「え――」

最悪の結果に自信をへし折られたからなのか。死の際に瀕してかつて無い恐怖に襲われたからなのか。
或いは自分の所為で圭介を傷付けてしまったからなのか。
その理由は当人の口から聞かねばわからない。
だが彼女は何かを堪え、何かを吐き出したがっている。
そんな表情が、痛々しくてたまらなかったのだ。

「反省はしてるんだろ? 拙い事をしてしまったって、自覚はあるんだろ?」
「――うん」
「だったらそれでいいさ」

「叱る」という行為が反省や自戒を促すものなのだとしたら、そんなものは最早必要無い。
失意の少女を更に責め上げて悦に浸るなど、圭介は決して由とはしない。

「それに俺とお前が協力出来なかった所為で死にかけた、何て事を森下さんに知られたくない」

それもまた懸念の一つではある。死角に居た所為か、美雪は結末に至る過程の詳細を知らない。
ならば親友が総意を裏切って危険を招いた、という事実は伏せておくべきだ。
そんな事をすればこれからの二人の友情に歪みが生じかねない。

美雪と菜緒が言い争う姿など圭介は見たくもなかった。
嘘に塗れた自分と美雪との関係に比べ、二人の無垢な関係は圭介にはとても眩しいものであったから。

「それに何より」
「――何より?」
「お前が無事で済んだ。だから――いいんだ」

この言葉にも、嘘は無い。
何だかんだと言いながら、結局圭介は菜緒の事も気に入っているのだ。
裏切りの過程も傷を負った結果も。二人が無事であったという事実の前では霞んでしまうものだった。

「――ばか」
「馬鹿で結構だ」
「でも、ごめんなさい」
「うん」

菜緒が深々と頭を下げる。これで今後は彼女が勝手な判断で先走る事は無いだろう、と圭介は確信した。

「――一応、理由を聞いてもいいか?」
「――嫉妬したのよ。美雪があたしよりアンタを信用したから」
「あー、やっぱそうか」

思い返せば菜緒の態度の豹変は美雪が自分の策に同調した辺りからだった気がする。

「こう見えて俺と森下さんは二人で何度も死にそうな思いをしてきたからな。
 これからはそれを考慮してくれると助かる」

「それは、勿論――」
「ん、どうした? 何か顔が赤いぞ?」
「な、何でもないわよ別にっ! いいかげん前を隠しなさいってば!」
「あ」

そう言えば。圭介は傷を確かめるために上着を肌蹴ていたままである事を思い出した。

「こ、こりゃすまん。見苦しいものを晒したままで――」
「お待たせしました!」

慌てて圭介が上着を掻き抱こうとすると、丁度美雪が息を切らせて戻ってきた。

「ああ、お帰り森下さん。随分時間がかかってたね?」
「ええ。そこで救急箱を見つけたので中身の確認を――あれ、どうしたの菜緒? 顔が赤いよ?」
「だから何でも無いってば! 美雪、交代! あたしちょっと顔洗ってくる!」
「え――ちょっと菜緒?」

美雪から顔を背けるようにして、菜緒は大股で洗面所へと向かう。

「――何かあったんですか?」
「何かあったのはだいぶ前」
「え?」
「いや、何でも無いよ。あ痛てて――」
「??」

親友の奇妙な反応に美雪は顔に疑問符を浮かべていた。





(あーもう、何やってんだろあたし――)

洗面台の鏡に映る自分の顔を見て菜緒はため息をつく。
我ながら酷い顔だった。目は真っ赤に充血し、頬は汚れ口元の引きつりは治らない。

(はは、ぶっさいくな顔)

菜緒は自分の顔を見直して漸く気付く事が出来た。
僅かな時間に様々な出来事があった。
しかもその一つ一つがあまりにも日常からかけ離れ過ぎていた。
それでも自分は平気だと。強い女だからであると。
思い込み続けた結果、何時しか自分を見失っていたと言う事に。

流水を顔に叩きつけ、備え付けのタオルで雫を拭う。
再び鏡を見るとそこには何時もの美丈夫が戻って来ていた。
今の菜緒はすっかり落ち着きを取り戻している。
そのおかげで自分がどれだけ愚かな行為と思い込みをしてきたかが実感出来た。

なぜ下衆な人相を一目見ただけで弱い男と判断してしまったのか。
なぜ頼り無い男と決めつけて裏切るような真似をしてしまったのか。
それで気が逸って木戸に打ち負かされ、殺されかけた。
頭が真っ白になり、生まれて初めて死の恐怖を感じた。
挙句の果てに圭介に傷を負わせ、しかも尻拭いまでしてもらっては世話は無い。

自惚れにも程がある。
そもそも中学を卒業してから道場への出入りを禁止され、3年近く剣を握っていなかった自分が。
何を根拠に彼らより勝っていると考えてしまったのか。
そんな自分が本気で自分だけで美雪を守れると思っていたのか。

(――ばかだよね、あたし)

情けなさで涙が出そうになる。
でもそんな風に考えられる今が在る、という事はとても幸運な事なのだ。

(幸運? ううん違う。だって――)

その幸運を自らの手で引き寄せた人物がいる。
その人物は傷付くのを承知で危険に飛び込んできた。
そして窮地に真っ向から対峙し、見事切り抜けて見せたのだ。


「あーあ。あんなかっこいいとこあるんじゃ、美雪が信用するのも無理ないかなあ」

ふざけてばかりだったはずなのに。自分相手に無様に尻もちを付いていたのに。
そんな冴えない男を親友が頼りにするのが許せなかった。認められなかった。
それが悔しくて、情けなくて。思わず我を失ってしまった。
そんな自分に「大丈夫だ」と笑いかけてくれた。無事で良かったと微笑んでくれた。
認めざるを得ない。彼は、鳴神圭介は。紛れも無く「強い男」なのだと。

「――って、え? ええ? 今あたし、何を想ったのっ!?」

ふと思考の海から現実へ回帰した菜緒は激しく動揺した。
強い男と認める、それはいい。美雪が信頼を寄せているのもまあ許してもいいだろう。

「けど『かっこいい』って何っ!? 別にアイツ格好良くも何ともないじゃない!
 顔は普通だし身長あたしより低いしそもそもあたし男嫌いだしっ!!」

声に出し、大げさに身を捩って菜緒は必死に否定する。
だが頭の中から圭介が消えない。消えるどころか彼の様々な表情が次々に浮かんできてしまう。

「あーもう、あーもう、あーもうっ!!」

困った事になった。
別の意味で圭介の事を認める訳にはいかなくなった。
菜緒は紅潮する頬を抑えながら意味不明の叫び声を上げ続けるのだった。





 ゲーム開始より9時間01分経過/残り63時間59分



[21380] EPISODE-22
Name: でしお◆ff3c50cd ID:912e8347
Date: 2010/11/01 02:29
(もしかして俺は――騙された、のか?)

逃走の最中、木戸亮太はふとそんな考えに思い至った。
足音はもう聞こえて来ない。追手は既に振り切ったという確信がある。

だが果たして自分は本当に追われる立場であったのか?
果たして本当に追撃者は存在していたのだろうか? 

大門三四郎の存在は確かに今の木戸にとって脅威の対象である。
あの体躯に空手の達人という看板が眉唾で無ければ到底叶う相手ではない。
その人物を鳴神圭介が保険として後方に待機させていたため、木戸は絶好の機会を見逃さざるを得なかった。

だが不自然だ。なぜ彼らはその最強の切り札を最初から切らなかったのだろうか?
鳴神圭介は「大門は戦う理由に納得していなかった」、などという意を仄めかしてはいたが。
それでもこちらを排除する腹積もりが有るならば最初から戦列に加えておけばいいではないか。
大門を引っ張り出さずしてわざわざ他の人間で奇襲を掛けてきた意味がどうにも不明瞭だ。
戦力の出し惜しみをして犠牲者を出しては元も子も無いはずなのだ。

そうなると大門を「出さなかった」のではなく「出せなかった」と考えるのが一番自然ではある。
圭介の自信満々の物言いを鵜呑みにしてしまったが、そもそもあの足音が大門のものであったかも疑わしい。

(ってこたぁ、つまり、だ)

大門は最初から居なかった。あの一行には加わっていなかった。
だからこそあんな虚弱な戦力で特攻せざるを得なかった。
そう考えることで全ての符号は一致した気がした。

「くそ、やってくれんじゃねえか、鳴神の野郎っ!!」

木戸は怒りを露わに鉄パイプを壁に叩きつけた。
騙された。弱者と見定めたはずの少年に、まんまと一杯食わされてしまった。
これを屈辱と言わずして何と呼べと言うのだろうか。

「あんなダマしに乗せられなきゃ、その場で条件達成だったのによ! くそ、くそっ!」

木戸の解除条件である「3」は問答無用の殺人条件である。
3名の参加者の命を自らの手で奪わなければ生きてこの施設を脱出する事は叶わない。
その為の足がかりとなる千載一遇の好機を不意にしてしまった。
容易に狩れると思えた獲物であっただけにその無念も大きいものだった。

(くそ、こいつさえポンコツでなきゃ――)

騙された事実は確かに腹立たしいものではあった。
だが木戸の苛立ちを更に募らせるのはそれまでに仕留めるチャンスは幾らでも有ったという事だ。

例えば圭介が最初に襲いかかってきた時。
木戸はあの時見事に圭介を迎撃したが、悶絶させただけという結果は彼には失策に等しいものだった。
本来ならば圭介の頭を打ち砕いておかねばならなかった。
高速で飛来する物体を打ち返すことが本領である木戸にとってそれは造作も無いことのはずだった。

では何故失敗してしまったのか。
それは自らが「ポンコツ」と称する右肩が壊れているが故である。
その所為で木戸は右腕を肩の高さより上に上げることが出来ない。
そのため木戸は圭介の頭を狙ったスイングを行う事が出来なかったのだ。
そしてそれが彼が栄光の極みから地の底へ叩き落とされた大きな理由の一つなのだ。

(まあ――いいさ。この先いくらでもチャンスはある)

気を取り直し、木戸は再び階段前フロアへ引き返す。
圭介たちを取り逃してしまった事は確かに悔やまれる。
だが木戸は戦闘禁止が解除される前から階段の封鎖を続けてきた。
ならばまだ一階に留まっている参加者は少なくはないはずだ。

――その中に自分より弱い奴は必ず居る。別に鳴神に拘る必要は無いさ。

木戸の胸中に合理的な殺意が宿る。
そしてフロアに通じる通路に到達し、その全景を視界に収めた時――


『行くぞ』
『え、ええっ!?』


見覚えのある人物が死角から飛び出し、広場を駆け抜けようとしていた。



(あれは――楯岡かっ!!)

帽子にサングラスという特徴的な装いはそうそう忘れられるものでは無い。
しかも何故か少女を腕の中に抱え、階段を目指して疾走している。

――くそ、よりにも寄って、何てタイミングだっ!!

木戸は思わず歯噛みする。ほんの一瞬妨害を解いたその隙を見事に狙われてしまった。
間に合わない。現在の地点からでは木戸の健脚を持ってしても楯岡に追い付くことは叶わない。
何という事だ。またしても、むざむざ獲物を見過ごす羽目になってしまうとは――


『ちょ、ちょっと待って下さ――きゃあっ!』
『喋るな、舌を噛むぞ』
『だって、だってこれ、お、お姫さまだっ――』
『不服なら肩に担ぎ上げてやってもいい』
『あ――貴方、ホントに失礼ですねっ!?』


これ見よがしに喧騒を撒き散らしながら。
楯岡と少女は階段の向こうに消えて行った。



(何て――こった――)

木戸は呆然と成るより他はなかった。
なぜ楯岡が少女を抱えて走っていたのかはわからない。
だがそうせねば広場を通過できない理由が有るとするならば、相対して叩き伏せる事は容易かったはずだ。
そしてあの少女も間違い無く弱者の部類。
つまりフロアを離れなければ二人纏めて始末出来る見込みがあった、という事だ。

しかしもうそんな希望も潰えてしまった。
これで5匹もの獲物が木戸の手をすり抜け、野に放たれてしまった。
ただ一度の失策が、致命的な連鎖を産み出してしまったのだ。
全てが順調であったならば、今頃自分は首輪を外し高らかに笑い上げていたであろうに。

(俺は何処で、何を間違えたんだ。どうして、こんな――)

身体の力を失い、木戸はその場にへたり込んだ。

待ち伏せという作戦自体は間違っていないはずだった。
何せ自分より弱者と思しき参加者が立て続けに現れたのだから。
後はそれを纏めて始末してしまえばいいだけの話だった。
それが出来るだけの力を備えているつもりだったし、それ自体は自惚れではないと断言出来る。

なのに、どうしてこうなった?
どうしてこんな理不尽な事になるんだ?
そもそも――俺はどうして、こんな所でこんな事をしているんだ?

何処で何を間違えた、木戸はもう一度、自身の中で繰り返す。
有望選手として期待され、それを大幅に上回る活躍で甲子園の土を踏んだ。
だが突然の右肩の故障により、投手としての再起は絶望的となった。
復帰の見込みの無い木戸は見限られ、厄介者として扱われるようになった。
追われるように彼は学園を辞めざるを得なくなった。

ただ一つの取り得も失い、絶望の淵に叩き落とされた木戸はそれでも懸命に生きてきた。
そんな人生の中で学んだ事は「生きるためには手段を選んではいられない」ということ。
だからこそ木戸は生きるために。他の参加者の命を奪う事を選んだのだ。
自分の命よりも等しく価値の有るものなど無い、と。

(そうだとも――俺は間違ってねえ、間違ってねえんだよっ!)

どれ程曲がろうとも、堕ちようとも。「今」を失いたくなどない。
そのために弱者を喰らう。糧とし贄とし生きていく。
弱者が弱者となるのはそんな努力をしていないから。それ程の執念を持ち得ていないから。

だから――弱者を叩き落として何が悪い!
俺が生きるために弱者を殺して何が悪い!

(やってやる、やってやるに決まってんだろっ!!)

何度も自分に言い聞かせ、立ち上がる気力を取り戻す。
鉄パイプを杖に、木戸は再び立ち上がる。


(悪いな、ふみ姉――俺、まだそっちには行きたくねーんだよ)


そして胸の内で、一人の女性の名を呟く。
それは木戸亮太が今までの人生の中で、ただ一人愛した女性。
快活で、ユーモアに溢れた魅力的な女性だった。一回りも歳が離れていても、恋い焦がれずにはいられなかった。
だがそんな彼女ももう居ない。木戸が肩を壊したとほぼ同時期に、事故で命を失ったという報が届いたのだ。

夢も愛も失った。理不尽に奪われた。木戸に残されたものはその身一つだけだった。
だからこそこれだけは失えない。奪われるわけにはいかないのだと。
思い抱いて木戸は階段前に立ち塞がる。


そんな行為を憧れた女性――陸島文香は決して許さないのだとしても。





 ゲーム開始より9時間05分経過/残り63時間55分


【プレイヤーカード:開示】
・「3」:木戸亮太



[21380] EPISODE-23
Name: でしお◆ff3c50cd ID:912e8347
Date: 2010/11/21 07:23
美雪が洗面所で発見した救急箱には、各種治療キットの他に痛み止めの錠剤も同梱されていた。
脇腹を木戸に痛打された圭介にとっては願っても無い代物である。
戻ってきた菜緒と入れ替わるように今度は圭介が洗面所に移動し、水道水で薬を飲み下す。

そのまま安静にすること数十分。薬の効き目は抜群で、痛みは見る間に退いていった。
完全に消し去る、とまではいかなかったがこれでとりあえずの行動に支障は無い。
ならばこれからどうするか、と圭介が美雪たちと額を突き合わせた瞬間。

――ぐう。

妙な異音が3人の輪の中から発せられた。

「今のは――腹の音だな。誰のかな? 馬鹿にしたりしないから正直に白状するんだ」
「何誤魔化そうとしてんのよ。今のはアンタのでしょーが」
「はい、ごめんなさい。俺のでした。あー、腹減った」

圭介は現状の正直な感想を口にする。
PDAのタイマー表示が確かであるならば「ゲーム」が開始されてそろそろ10時間になろうとしている。
その間圭介は水分以外のものを何一つ口にしていない。
記憶を遡れば最後に食事を摂ったのが拉致される前の昼なのだから空腹を感じるのも当然と言えた。

「かっこ悪いわねー。シャキっとしなさいよ」
「うるさいわね、ほっといて下さるかしら」
「――何で急におネエ言葉になるのよ」
「あはは――でもお腹が空いた、というのは同感かもしれません」
「でしょ」

圭介は何時ものふざけた物言いをしたものの、あまり軽視して良い問題とは思えなかった。
このまま栄養摂取の手段が見つからなければ体力は減衰し、判断力も低下する。
「空腹の所為で殺意を持った参加者から逃げきれなかった」などという情けない事態すら招きかねない。

「じゃあ、探しましょうか、食べ物」

美雪の発言は会話の流れとしては自然であったがどうにも不自然な日本語だった。

「いや、『探す』って――食べ物はそんな隠れてるもんでもないでしょ」
「隠れてると思いますよ? ほら、お水だって箱の中に隠されてましたし」
「あ、なるほど」

つい食べ物と言うと皿に乗った温かいものを圭介は想像してしまっていた。
確かに携帯食料程度であるならば保存も効く事であるし隠されていても不思議ではない。

「まさかアイツらも参加者の衰弱死を希望してるわけじゃないだろうしな――」
「え、何ですか?」
「いや、何でも無い。OK、探してみようか」

この「ゲーム」は主催者の狂楽を満たすための見世物であるなどと、明かした所で現状に変わりは無い。
とりあえず圭介たちは全員で協力して部屋を一つずつ散策してみることにした。

最初の二つは空振りに終わった。
椅子や机などの設備が雑多に積み上げられているだけで役に立ちそうなものは見当たらない。

「あー、何かあたしもお腹空いてきたかも。圭介、アンタのせいだからね」
「何でやねん」

2階で行動を再開してから、菜緒はすっかり元の調子を取り戻した様子だった。
会話の節々に感じていた棘も消え去り、ちゃんと名前で呼んでくれるようになっている。
階段前フロアでの一件が彼女をそうさせたのだろうか。
だとしたら傷を負った甲斐が有った、と圭介は思わず口元を綻ばせた。

「んじゃ今度はここ――お、これは期待出来そうだ」

僅かに扉を開き、隙間から中を警戒する。そんな一連の動作も自然なものとなってきた。
二人を手招きし、部屋の中へ呼び寄せる。
その部屋は3方の壁に棚が設置されており様々な資材が陳列されている。
床にも木箱や段ボールが投げ出され、如何にも何かが発見できそうな雰囲気だ。

「俺は下の箱を探ってみる。森下さんと菜緒は棚の方をお願いな」
「わかりました」
「りょーかい」

開封が困難な重量物を圭介は率先して引き受ける。
傷に差し障るという不安もあったがここは男としての見栄を優先させたいところだった。

「よ――っと」
「! ちょ、ちょっと菜緒何してるの!」
「へ? 何――って、棚を上から調べていこうと思って。何かヘン?」

箱と棚の位置関係から圭介は美雪と菜緒に背を向ける形になっている。
必然二人の姿は見えないがどうやら菜緒は棚を昇って最上段を調べようとしているらしい。
けど何か問題があるのだろうか? 菜緒の運動神経ならば別に怪我の不安も無いだろうが――

「そうじゃなくて、スカート!」
「うえっ!? あ、わわわわっ!」
「今、魅惑的なワードが聞こえた気がするぞっ!」
「黙れ、こっち見んなっ!」
「こっちを見たら顔に段ボールをぶつけますからっ!」

それが死因になってしまっては敵わない。苦渋を飲んで圭介は振り向く事を諦めた。
そのまま黙々と声も出さず散策すること数分。

(うーん――)

ここまで圭介が3つの箱を開けて発見したものと言えば飲料水が僅か5本のみ。
期待していた成果とは程遠い収穫である。

「ダメだな――こっちは。菜緒、そっちはどうだ?」
「同じく。ガラクタばっかりってとこね」

既に地に足をつけて散策している菜緒の足元には空の小瓶や缶が散らばっていた。
よく見れば棚の上の荷物を片っ端から床に転がしている。整理整頓はあまり得意では無いのだろう。
反対側の棚で一々取り出したものを完璧に元の配置に戻している美雪とは何処までも対照的である。

(――ん?)

その美雪が圭介の方に顔を向けた。心なしかその表情はやや強張って見えた。

「森下さん? いったいどうし――」

どうしたのかと問うべき言葉を、圭介は続けることが出来なかった。

「鳴神くん。あ、あの――これ――」

震える声で差し出された美雪の両手には一振りの長物が乗せられている。
長さは50センチ程。硬質の握り取っ手の先は革製の鞘に収められていた。

「どしたの、二人とも――って! 美雪それナイフじゃない!」
「――うん」
「や、やっぱそうだよな――しかもこれって、サバイバルナイフって奴じゃないのか?」
「多分、そうだと思います。わたしも実物を見るのは初めてなんですけど――」

美雪と菜緒の顔色がみるみる蒼白になっていく。圭介もまた自身の血の気が引いていくのを感じていた。

――この施設には武器がそこら中に隠されていて、階層が上がる毎に強力になっていく。

そんな長沢勇治の言葉が圭介の脳裏を掠めた。その言葉が真実であったことが今此処に証明されてしまった。

(マジ、かよ――)

長沢憎しと言えども可能性としては十分なものであるその情報を否定するつもりはなかった。
だがいざ実物を目の当たりにすると、どうしても目を背けたくなってしまう。
先程の木戸との戦いで、彼の武器が鉄パイプ程度であったからこそ傷もこの程度で済んだ。

でももし、あの男がこの武器に匹敵するものを手に入れたとしたら?
二人がかりでも叶わなかった木戸の強さは益々手に負えないものとなる。
痛みの残る脇腹にこの大振りの刃が突き立てられる様を想像し、圭介は思わず気が遠くなった。

「ど、どうするのよ圭介、これ」
「ど、どうする、ったって――」

突然の刃物の登場。そして想定されるその用途。
その恐怖で混乱は極みに達し、今や全員がまともな思考を展開出来なくなっていた。

(待て待て、落ち着け――)

幾度と無く思い浮かべてきた言葉と共に、何とか圭介は踏み止まる。
忘れてはならない。自分たちは既に死地の只中にある身なのだ。
刃物の存在は死との距離を密接にするだけ。一々取り乱すのは滑稽なだけではないか。

何時ものように唇を噛み締め、表情を引き締める。
幾分か戻っていた落ち着きの中で圭介の頭脳が稼働を再開した。

「――そうだな。とりあえずこれは持って行こう」
「ほ、本気なの!? だってそれを使うってことは――」
「別に使う必要は無いんだ。いざと言う時に相手に対する牽制になればいい」
「牽制、ですか?」
「ああ。こちらに抵抗の手段が有ると解れば少しは戦闘行為を躊躇うかもしれない」
「そっか――誰だって刺されるのはイヤだもんね」

他者を殺める事を決意する理由は偏に自身の生還に他ならない。
ならば出来る限り傷を負いたくない、と考えるはずだ。
そんな人間に対して牽制になれば、というのが圭介の考えだった。

無論木戸や長沢ならばナイフ一本程度で足を止めるとは思えない。
彼らと再び遭遇した際には牽制などせず逃げる事を念頭に置いておくべきだろう。
そう考えると今まで怯えていた刃物が急に安っぽく感じられるのだから不思議なものだ。

「――わかったわ。じゃあそのナイフはあたしか圭介が持って行けばいいわね」
「いや、このまま森下さんに持っていてもらおう」
「ちょっと! 美雪にそんな危ない物持たせるつもりなのっ!?」
「だからそっちの方が安全なんだってば。そうすれば森下さんは狙われにくくなるんだから」
「あ、そっか」
「そういうことなんだけど――森下さん、引き受けてくれるかな?」
「わかりました」

少し怖い気もしますけど、とぎこちなく微笑む少女の表情は痛々しいものだった。
だがこればかりは納得してもらわねばならない。いざと言う時に行使する覚悟と同様に。

「でも、鳴神くんは何も持たなくていいんですか? 菜緒にだって木刀があるのに」
「そーよ。一番矢面に立たなきゃいけないアンタが素手じゃ、危険じゃないの?」
「――俺が矢面に立つことは前提かい」
「だーって、危ないことはするなって言われたもん」

にしし、と歯を見せる様子は菜緒なりの場を和ませる気遣いなのだろうか。
だとするとありがたいことだ、と圭介は肩を竦めて見せる。

「いいんだよ、俺はこのままで。自惚れじゃないけど長沢の時も木戸の時も口先だけで切り抜けられた。
 だからこそ――奴らは俺が素手の方が警戒する。『鳴神の奴、今度は何を考えてるんだ?』ってね」

「ふふ、鳴神くんは口の旨さだけは天才的ですからね」
「そーなのよね。今まで何度騙されたことか」
「失礼だなあ、二人とも」

しばし3人で笑い合う刻が訪れた。
だがその中で独り、圭介は嘘の仮面を被っていた。

(――バカな事を考えるな、俺)

美雪と菜緒の言葉は的を射ていた。
圭介は二人を騙し続けている。そして今もまた、嘘を一つ重ねてしまった。
圭介はナイフの所持者として美雪が適任だと思ったわけではない。真の理由は他にある。
それは何よりも、自分がナイフを持ちたくないが為だった。


――ナイフがあれば、森下美雪を簡単に殺す事が出来る。


刃物を目にした時、突如そんなどす黒い情念が沸き上がった。
忘れかけていた自身の本当の解除条件の早急なる達成を、求める声が聞こえた気がしたのだ。

美雪と菜緒に出会い、その心に触れた。
二人を失いたくない。二人と共にいたい。それは圭介の偽らざる本心だ。
だが一刻も早くこの地獄のような「ゲーム」から抜け出したい。
どんな残酷な行為に手を染めても、命の保証が欲しい。
そんな思いもまた、完全に消えたわけではないのだ。今も心の隅で燻り続けているのだ。

否定したい。認めたくはない。
そんな一心で、自分からナイフを遠ざけた。筋道の通った理屈を構築出来た事に安心した。

(けど、このままじゃ――)

このままでは自分が信じられなくなる。そんな恐怖を圭介は感じた。
このフロアに隠された武器がこのナイフ一本とはとても思えない。
そして階層が上がれば武器が強力になるという長沢の言葉もおそらく真実だろう。
戦いは益々激化していく。それに伴い生き残れる可能性も小さくなっていく。
そんな中で本当に、ここにいる全員で助かる方法など見つかるのか?
未だ手掛かりすら全く掴めていないというのに。

――そんなものを見つけなくとも、すぐにでも助かる方法は目の前にある。

そんな魅力的で、残酷な。現実が絶え間無く圭介の心をざわめかせていた。

「ちょっと圭介、いつまで笑ってんのよ」
「――え?」

菜緒の声でふと我に返る。見れば二人とも「これから」に挑むべく真剣な顔つきに戻っていた。

「あ――ああ、悪い。ちと気を抜き過ぎた」
「もう、しっかりしてよね。今はアンタが頼りなんだからさ」

少し頬を赤らめて「今」を強調する菜緒。かつて勝手な判断で暴走した少女はもうそこには居なかった。

「だから悪かったっての――っと。この部屋で見つかったのはこれだけかな」
「あ、そうでした。見てもらいたいものがまだ有りまして」
「ん?」

そう言って美雪は棚の小箱に手を突っ込み、中から何かを取り出して見せる。

「これ、なんですけど。何でしょうね? これ」

美雪の手には小さなマッチ箱くらいの黒いプラスチック製の箱が二つ乗せられていた。
下部に端子のようなものがくっついていて一見してPCのパーツのようにも見える。
しかし圭介は電子機器については特に知識が明るいわけではなく、その用途には皆目見当が付かなかった。

「うーん、ごめん。ちょっとわからないな」
「そうですか。ナイフと同じ箱に収められていたので意味があるのかも、と思ったんですけど」
「なるほど。それなら一応持っていった方がいいか――ん? 何か書いてあるな」

不意に圭介はプラスチック部分の表面に文字が並んでいる事実に気付く。
その二つはそれぞれ以下のように違う英字が記されていた。

『tool:Enhance Map』
『tool:Map/Air-duct』

「――えーと、これは何マップだ? で、こっちはエアダスト? 空気中の埃か何かか?」
「いや『エアーダクト』でしょ。建物とかにある、排気ダクトのことじゃないの?」
「――」
「どしたのよ。いきなり変な顔して」
「菜緒に間違いを指摘されてしまった。もう死ぬしかない――」
「どーゆー意味よっ!」

運動担当、という自称と今までの行動からすっかりそっち方面では役に立たないと思い込んでいた。
もしかすると美雪に匹敵していないだけで学業の成績はそれなりに優秀なのかもしれない。

「じゃあこれは、排気ダクトの地図ってことでしょうか? で、こちらが地図の拡張、と」

美雪が「Enhance Map」の方を指でなぞる。
彼女が解読に成功することは不自然な事では無いので特に驚く事は無かった。

「あ、もしかしてこれ、長沢さんが言ってたPDAの拡張ツールじゃないですか?」
「どうだろな。アイツの言うことなんか丸で信用出来ないから」
「それは、そうですけど――あ、やっぱりここのコネクタにぴったり嵌りそうです。あ――」

美雪が自身の「Q」のPDAを取り出し、端子同士を向かい合わせたと同時に。
PDAの画面の「機能」タブが点滅を始めた。


『このツールボックスをPDAの側面コネクターに接続することによって
 PDAに新たな機能を持ったソフトウェアを組み込み、カスタマイズすることが可能です。
 ソフトウェアを組み込めば他のプレイヤーに対して大きなアドバンテージとなりますが、
 強力なソフトウェアは起動するとバッテリー消費が早まるように設定されています。 
 使い過ぎてPDAが起動できなくなり、首輪を外せなくなる事が無いように注意しましょう。
 なお、一つのツールボックスでインストール可能なPDAは1台のみです。
 どのPDAにインストールするかは慎重に選びましょう』


「やっぱり正解、みたいですね」

画面上に表れた文字の羅列を目で追いながら美雪は呟いた。

「みたいだね。ってことはアイツ、ホントの事ばっか言ってたのかよ。何なんだ」
「実はその人、『いいひと』だったって事は無いの?」
「それはない」
「有り得ません」
「うわ――美雪にそこまで断言させるなんて相当なのね、ソイツ」

ただ一人長沢に面識の無い菜緒は、美雪の意外な剣幕に少し驚いた様子を見せた。

「ま、たぶん自分だけが知ってる知識をひけらかしたかったんだろうさ。さて――どうしようか?」
「どうするって、せっかくのお役立ちツールなんだからとっととインストールすればいいんじゃないの?」
「いや、誰のPDAにインストールするべきかな、と」

どうやら注意書きによればそれぞれのツールは1つのPDAにしかインストールできないらしい。
現在ここに居る参加者は3人。PDAは全部で3つ。
圭介が偽装して使用しているJOKERも加えれば4つとなる。
だがまさかここで「A」のPDAを晒すわけにはいかない。
そして特別仕様であるJOKERに正常にインストールされるものかも疑わしい。
圭介は何としても自分のPDAに拡張ツールを差し込む事態は避けねばならなかった。

「――よし。森下さんのにインストールしよう」
「美雪のPDAに?」
「ああ。この中で一番PDAを上手く使いこなせるのはやっぱり森下さんだからね。
 それと俺のは解除が成功次第、菜緒の解除に使うつもりで壊す事が前提だから」

「そうですね。逆にわたしのPDAは71時間経過までは壊すわけにはいかないから――」
「そういうこと。一番永く使われるはずのものにインストールした方がいいのかな、って」
「ふうん。こーゆー事考え付くのは早いわよね、圭介って」
「必死だからね。これでも」

――嘘を付いている事がバレないように。

また自虐が圭介の内に思い浮かんだ。兎に角これでおかしな部分は無いはずだ。
ナイフ同様、自分を除外する理屈としては上々だと圭介は二人の答えを待つ。

「わかりました。そういうことなら――えいっ!」

疑う事も無く納得したのか。
美雪は掛け声と共に「tool:Enhance Map」のツールボックスをPDAのコネクタに差し込んだ。
画面が切り替わり、インストールの進捗状況を表わすバーが表示され、秒刻みで伸びて行く。

「何か、ドキドキしますね。わたし、インストールとかあまりした事が無いものですから」
「美雪はパソコン持ってないからね。今のご時世、貴重な人材よホント」
「へえ、それは珍しいね。俺でも家に一台有るのに」
「どーせやらしい画像やゲームばっか入ってるんでしょ」
「お前は俺を何だと思ってるんだ。そんなの3つか4つくらいしかねーよ」
「――やっぱりあるんじゃないですか」

などといった会話を交わしている間に、程無くインストールは完了した。

「あ、二人とも見て下さいこれ!」
「どれどれ――お、こりゃスゴいな」

美雪が再び地図を開いて見せると、そこには各所に用途に応じた名称が記されていた。
地図拡張、という名称にどうやら偽りは無いようだ。

「色もカラフルになってぐっと見易くなりました。これで場所の検索が早くなりそうです」
「そうだね。ん? これは――」

洗面所、資材置き場等々。
表示された文字を追って地図をスクロールしていくと興味深い単語に行き着いた。

「『戦闘禁止エリア』――? 美雪、これって最初の6時間だけなんじゃなかったっけ?」
「あ、そういえば解除された時のアナウンスで『個別に設定された部屋はそのまま』って言ってたかも」
「戦闘禁止エリアの部屋、か」

つまりそれはその部屋にいる限りは誰にも襲われる危険は無い、という事だ。
木戸や長沢の脅威に怯える必要も無い。長めの休息を取るには打ってつけだ。
無論そこに留まり続けると今度は時間制限や解除条件に差し障ることにも成るのだろうが。

「あ! もしかすると、ここに先に2階に上がった人がいる可能性って無いですか?」
「ん? ああ、そうかもね」
「もしそうなら鳴神くんの考えた通り仲間が増やせるかもしれません! 上手く行けばJOKERも見つかるかも!」
「――うん」

ずきりと胸が痛んだ。そのような意を含ませて2階へ上がる事を圭介は確かに提案した。
だがそれは所詮乃得留たちから遠ざかりたいがための屁理屈でしか無い。
圭介の本音はもうこれ以上の協力者など増やしたくは無いのだ。
彼の偽装を看破できる参加者は――何も乃得留だけに限らないのだから。

(――JOKER、か)

ふと圭介はとある可能性に思い至る。それは無論、この二人の前では決して明かせないものだ。

「OK、じゃ一先ずそこに向かってみよう。そこに食べ物もあれば最高なんだけど」
「あ、そう言えば当初の目的ってそれだったわよね」

すっかり忘れていた、とばかりに菜緒が腹部を抑えて見せる。

「森下さんの言う通り、食い物が無いわけはないだろうからな――とりあえずここにはもう用は無いか」

圭介は部屋の内部をぐるりと見渡す。
口の開いた箱や菜緒の手で荒らされた棚を見るにどうやら散策はし尽くした感がある。
これ以上の発見はこの部屋ではもう見込めないだろう。

「森下さん、もう一つのインストールは終わった?」
「あ、あともう少しで――今終わりました。やっぱり排気ダクトの地図みたいですね」

美雪のPDAの画面を肩越しに覗き込むと確かに通路を跨いで妙なラインが書き込まれている。
この部屋はラインに引っ掛かってはいないのでダクトは通っていないという事なのだろう。
後々確認しておく必要があるかもな、と圭介はとりあえずその件に関しては頭の隅に留めておくことにした。

「じゃ、出発しようか――と、その前に森下さん」
「はい?」
「悪いんだけど――ここから一番近いトイレを検索してくれる?」
「お手洗い、ですか? えっと――3ブロックほど先にあるみたいですね」
「そっか。すまん二人とも。先にそこに寄らせてくれ。用足しがしたい」
「圭介、ビッグ? スモール?」
「――ノーコメントだ」

意地の悪い菜緒の視線を跳ね除けつつ、圭介は扉のノブに手をかけた。






「じゃ、二人ともここで待っててくれ。すぐ終わるから」

トイレまでは問題無く辿り着く事が出来た。
突然の襲撃を受ける事も無ければ怪しい人影も発見する事も無かった。

「はい。ごゆっくりどうぞ」
「――そう言われると何だか気恥かしいな」

美雪の丁重な見送りを受け、圭介は部屋の中に身体を滑り込ませる。
男女共用のものと思しき施設はそれなりの広さと設備の数だった。
だが長い間手入れがされてないらしく、厚い埃と不快な臭いに塗れている。

(さて、と)

気遣いの出来る二人であろうから自分が中にいる間に入ってくることは無いだろう。
だが念のため圭介は個室に移動し、鍵を閉めた。
彼がこの場所への移動を促したのは実際に用足しを行うためではない。
美雪と菜緒、二人の目の届かない所である可能性の確認を行うためであった。

上着のポケットからPDAを取り出す。
本来圭介に割り当てられた「A」の方ではなく偽装に使用しているJOKERの方を。

(JOKERの機能は、他のPDAと寸分無く偽装が行える事。なら――)

圭介が最初にJOKERを「6」に偽装してから既に数時間が経過している。
再度の絵柄変更が可能になるのは一時間であるのでもう次の変更は行えるという事だ。

初期画面に戻し、他のPDAにはないパネルに指で触れる。
表示された13の絵柄から、「6」ではない絵柄を選び出す。
絵柄を確定させ次に「機能」タブから地図表示を選択し――

「――やっぱり、そうか」

思わず圭介の口から呟きが漏れた。
表示された地図にはカラフルな色彩と共に、施設の名称が各所に記載されていた。

そう。圭介が選択したのは美雪の「Q」。
そしてこれこそが圭介が思い至ったJOKERの新たな可能性だった。
JOKERは「ツールによって拡張された他のPDA」にすら偽装が可能であったのだ。

「各ツールがインストール可能なPDAは1台だけ」というルールは参加者への制限のためであろう。
だがJOKERはその制限をも凌駕する。
一部のカードゲームに適用されるように、正に万能にして最強のカードというわけだ。

無論今のままでは大した効果は見込めない。
美雪のPDAと同じ機能が追加されたPDAを、まさか彼女たちの前で使うわけにもいかないからだ。
そんな事をすればたちまちJOKERの所持が露見してしまう危険性がある。

(けど、他の参加者の進行状況を把握する足がかりにはなる)

だが圭介の頭脳は更なる可能性を導き出す。
今でこそ絵柄は「Q」ではあるが圭介は今後頻繁に変更を行うつもりだった。
その段階でもし何かの絵柄に機能が追加されていれば、その所持者は「ゲーム」に積極的であると判断できる。
そして機能が多種になるほど、上の階層に上がっているとも読み取れるだろう。
更には木戸や長沢たちの追加機能が判明すれば、その裏を取ることも可能になってくる。

自分だけが知り得る情報。
JOKER所持者にのみ与えられた特権。

何としても使いこなして見せる、圭介はそう心に誓った。

(そうだとも。これを――この機能を使って、俺は絶対に見つけてみせる!)

何としても助かる方法を。
美雪や菜緒を傷付けずに助かる方法を。

(そうじゃないと、俺は――)

いずれ甘い誘惑に身を委ねてしまうかもしれない。それが怖かった。
誘惑から逃れるために、嘘を重ねている事実が怖かった。
このままではどちらに進んでも押し潰されてしまう。そう考える自分の弱さが嫌で嫌で仕方が無い。

(俺、は――)

だが解決は未だ遠い。解決は未だ見えてこない。
圭介はPDAを握り締め、独り、嘆く。


万能のJOKERの所持者は、万能とは程遠い存在だった。







 ゲーム開始より9時間52分経過/残り63時間08分



[21380] EPISODE-24
Name: でしお◆ff3c50cd ID:912e8347
Date: 2010/11/21 07:37
同時刻、某所。
ままならぬ現実と己の無力に苦悩する圭介の姿が巨大モニターに映し出されていた。

そのモニターが設置されている場所は「施設」の埃と死に塗れた環境とはまるで真逆であった。
天井には煌びやかなシャンデリア。床には豪奢なカーペット。
テーブルクロスや銀食器に至るまで高級かつ高価な装飾で彩られている。
贅の限りを尽くした、と言わんばかりのそのフロアを闊歩するのは当然の如く華やかな衣装を纏った者たち。
およそ貧困とは無縁であろう数々の人物が設置されたスロットやカードゲームといった遊戯に興じていた。
無論、遊戯と言っても動く金額は生半可なものではない。
今人々の間で粗雑に扱われているコイン一枚でも一般人にしてみれば垂涎を通り越して卒倒する価格の代替だ。
とは言えこの場を訪れた人間の立場から見ればそんな額でも手慰みに等しいものなのであるが。

「この『ゲーム』は自分たちの命の行く末を玩ぶ見世物である」

圭介がJOKERと共に発見した監視カメラから立てた推測は正鵠を射ていた。
世界の闇を跋扈する「組織」によって運営されているこのカジノの遊戯の一つとして「ゲーム」は存在しているのだ。
施設各所に配置された監視カメラによって「ゲーム」参加者の動向はカジノの巨大モニターでライブ中継されている。
カジノの来賓はそれを観戦しつつ生き残りを予想し、それぞれの参加者にBETする。
人の生き死にを賭けの対象にする事に嫌悪感を示す者など此処にはいない。
逆にどれだけ参加者が非業な結末を迎えるかを最上の悦楽とする者さえ存在する。
莫大な財を得たが為に人としての倫理観が曖昧になった世界各国の資産家たち。
そんな狂気に辿り着いた選ばれし人物たちこそがこのカジノの上客であり「組織」のパトロン達であるのだ。
理不尽な拉致を受け「ゲーム」に参加させられた圭介たち参加者も自分たちが玩ばれている自覚は有る。
だがこれほどまでに粗末な、玩具にも劣る扱いであるとはまだ誰も想像だにしていなかった。





そんなカジノフロアの上部に、関係者以外は立ち入り禁止の部屋がある。
巨大なコンピューターや操作盤で大半が埋め尽くされたその部屋に、初老の紳士・金田は独り佇んでいた。
金田は「組織」の最高幹部会を一席を務める重鎮で、特に出納関係を任されている人物である。
そんな彼にとってこのカジノは一つの悩みの種だった。
興行としての収益は莫大。顧客の需要としても上々。
だがその最大の注目の的である催しは過分に常軌を逸脱している。
今まで幾度と無く開催され、その度に好評を得てきた「ゲーム」。
それは一般人を拉致し、その大半を闇に葬る事になるというリスクを常に抱えていた。
既に犠牲となった人間の数は千に届こうかという勢いだ。

――このままこの「ゲーム」を続けていて良いものなのだろうか。

金田の脳裏に数年前、危うく「組織」の破綻に繋がりかけた事件がよぎる。
対抗勢力の工作により、「組織」の頂点に立つ男の肉親が「ゲーム」に巻き込まれた事件。
寸での処で救出は間に合い、当時は事無きを得る事が出来た。

だが同じような事象が、今後も起きないと言える保証があるのか?
ここ数年、動きを潜めている対抗組織「エース」が活動を再開するのではないか?

夜毎金田は気を揉む日々が続いている。
そして「ゲーム」が開催される度、彼の足は自然カジノへと向いた。
望まぬ破綻の切欠が、今回も生じない事を願いながら。

「おや、金田さま。いらしてたんですかい」

声に気付いて金田が振り向くと、出入り口からタキシードを身に纏った青年が現れた。
今回のカジノのディーラーであり現場責任者でもある彼は革靴を突っ掛けながら金田に近づいてくる。

「うむ――どうだね、首尾は」
「首尾も何も、まだ序盤でしょうに。大した動きもありませんでさ」

およそ上司に対する口利きとは思えぬ物言いで男はにへらと笑って見せる。

(この男は、まったく――)

不快感を表に出さぬよう必死だった。
件の事件の責任を取らされた前任者に代わり数年前に就任したこの男を、金田は苦手としていた。
支給された装飾は上等であるものの、その中身はお世辞にも釣り合っているとは言い難い。
言葉遣いは出鱈目で、責任者の自覚は無いのかこうして頻繁に席を外す。
ある時職務を放り出して有ろう事か自らスロットに興じ続けていた時には流石に開いた口が塞がらなかった。
しかもタキシードをだらしなく着崩し胸元は丁寧にもご開帳。頭髪の色は品の無い金髪。
およそカジノのディーラーとしては相応しくない男である。

だが悔しいかな、その手腕と客受けは素晴らしいものなのだ。
デビュー以来型破りのディーラーとして注目を浴び、「普通」を嫌悪する富豪たちの心をたちまち惹きつけた。
そして驚くべき行動力と発想力で、事件以後下火になっていたカジノに活気を取り戻したのだ。

一体誰がこんな男をディーラーに推薦したのか、未だに謎に包まれている。
だが「組織」としては思わぬ拾い物だった、という事実だけは確かであった。

「大した動きは無い、か――その割には開始早々トラブルに見舞われた様だが」

意趣返し、という訳ではないが「ゲーム」の進行について探りを入れてみることにした。
今回の「ゲーム」ではその最序盤で未曾有の事態が起こってしまった。
何と戦闘禁止エリアの解除を前にして、サブマスター・利根川静香がペナルティを受け死亡してしまったのだ。
彼女の人材としての価値は「組織」にとっては些細なものであり、死亡自体は体制に影響するものではない。
だが注目参加者の追従カメラマンを兼任するサブマスターの早期脱落は「ゲーム」の魅力を低下させるものである。
更には「組織」側の人間と認識されている静香の最終生存にBETした観客も少なくは無く、
「不手際に該当するのではないか」といった苦情が運営側に次々に寄せられた。

ちなみにその時この男は何処へと一時的に姿を晦ましブーイングの嵐からきっちり逃れていたのであるが。

「んー。まあ確かに困りものですが起きちまった事態は仕方がねえっしょ。
 過去の『ゲーム』でもサブマスの死亡率は2割を超えてるワケですし」

だが男は至って涼しい顔で頭髪を掻き揚げて見せる。そんな態度がまた腹立たしい。

「それに一部ではウケを取れたじゃねえですか。ま、それでトントン、ってことで」

軽々しく言ってくれる、と金田は眉間に皺を寄せた。
だがそのような声が聞こえてきたのも事実である。意外な展開だ、と一部では喝采も上がった。
そして「ゲーム」の運営において「意外な展開」とはこの男の最も得意とするものなのだ。

例えばある時。参加者として拉致してきた一般人の中に双子の姉妹が居た。
演出として考えるならば彼女らに与えるPDAは「A」と「Q」が適当である。
仲睦まじい姉妹に生存権は一つしか与えない。
生への執着のために比翼の鳥に手を掛けさせるのが通常のディーラーの発想だ。
ところがこの男が二人に与えたPDAはなんと「J」と「Q」。
争うどころか協力関係に最も相性の良いカードを与えられた双子は当然の如く互いに手を取り合った。
しかし「J」のフラグが立つ寸前の23時間が経過した時。
男は「A」を持つ当時のゲームマスターに「Q」を持つ姉を殺害させたのだ。
同胞を失い絶望に叩き落とされた「J」の妹。
だがそれでも生き延びるためには新たに24時間の条件を成立させねばならない。
哀れ妹は争いの激化し始めた施設の中で必死に協力者を探し歩く。
傷付き、裏切られ。それでも彼女は仲間を求め。そして遂には血の海に沈んだ。
その斬新なシナリオは大好評を博し、多くの観客から男は敏腕ディーラーとしての支持を集める事となった。

またある時は「A」「3」「9」と言った危険なカードの所持者を序盤に纏めてリタイアさせた。
この時点でルールの繋がりを綿密に紐解けば、残る参加者は誰一人争う事無く条件を達成できる事になる。
だがそれが逆に互いの不信感を煽る事となった。
JOKERの存在も手伝ってかつて無い初期段階での激しい殺し合いが行われた。
組織側の人間を除いた最終生存者が確定したのが「ゲーム」開始から10時間27分。
このレコードは勿論「ゲーム」の歴史の中でも最短記録であり、未だ破られてはいない。

「まさか――これも君の差し金なのか?」

そんな数々の奇跡を操ってきたこの男のことである。
若しやこれも演出の一環なのか、と金田が疑うのも当然ではあった。

「違いますよ。残念ながら、ね」

だが男は大仰に肩を竦めて見せる。

「今回のは100%純粋なトラブルですよ。いやはや、頭の痛いこってす」
「とてもそうは見えんがね」

金田としてはそれが精一杯の悪態だった。
男はさして意に介した様子も無く煙草を取り出し火を点ける。

「この部屋は禁煙だ」
「おおっと。こりゃ失礼」

慌てて男は煙草を床に投げ捨て、靴で踏みにじり鎮火した。

(まったく、何度言えばわかるんだ――)

今まで何度も繰り返されてきたこのやり取りで上等な絨毯にはあちこちに焦げ跡が付いている。
最早言い聞かせるのも億劫になっていた金田は重く息を吐き出した。

「ま、正直に白状しますと今回の俺は演出にはノータッチでして」
「ほう」

これは意外な発言だった。
こと「ゲーム」の運営に関してだけは他者に譲れぬものを持っていると思っていたのだが。

「だって今回は期待のルーキーのデビュー戦ですし。なのに俺の木偶じゃつまらんでしょう、色々と」
「まあ、な」

「ゲーム」の最中において時にゲームマスター自身が犠牲者に名を連ねるのは決して少ない事例ではない。
そうなると必然その都度貴重な人材を失っている事となる。ならば次なる人材を発掘し、育成せねばならない。
「ゲーム」とは参加者にとっての生存競争の舞台である。
そして資質を持ったゲームマスター候補者にとっても「組織」で名を上げるための恰好の機会でもあるのだ。

「それにしてもまったくのサポート無し、かね? それでは――」

今回のマスターは確かに有能な候補者である。過去のマスターと比較しても傑出していると言っていい。
数年前の「ゲーム」で惜しくも命を散らしたあの郷田真弓をも凌ぐのではないかと専らの評判である。
しかしそれ程の才能を持った者だからこそ、バックアップが必要なのではないだろうか?
ゲームマスターに「ゲーム」内で許可されている行動は確かに幅の広いものだ。
だがそれで全ての死の危険から逃れられるものではない。
他の参加者だって生き延びるのに死に物狂いで有ろうし、
上階に隠されている戦術兵器の威力に巻き込まれないとも限らない。

「まあそこは奴のたっての希望、ってことで」
「しかし――」

しかも今回は有事の際にはサポートすべきサブマスターは既に死亡しているのだ。
手に負えない状況となっても金田の立場としては指を咥えて見守ることしか出来ない事になる。

「利根川の死亡が確認された時にも通信を寄越してきましたよ。助けは不要だ、と断言されました」
「――」
「過保護だねえ、金田の旦那も。奴に身贔屓になる理由でもお有りで?」
「いや特には。会話すら碌に交わしたこともない間柄だからな」

故に今回のゲームマスターの生死に心を痛める事は無い。
「組織」内部でも比較的温厚な人柄と知られる金田ではあるがそれでも闇を統べる非道の一員である。
人の命の重みなどとうの昔に麻痺している。彼の危惧すべきは偏に組織の体制維持、それだけだ。
「組織」の手足となり糧となる人材の損失以外に過保護になる理由など有りはしない。

「そもそもこの部屋が『コントロールルーム』と呼ばれていたのは昔の話でしょう。
 指示出しすら封じられちゃ俺に出来る事なんざありゃしませんぜ」

「まあ、そうなのだがな」

かつてその名で呼ばれていたこの部屋は施設のシステム管理の中枢であった。
科学技術をふんだんに盛り込まれて建築された「ゲーム」の舞台裏を一手に司る。
それがこの部屋の本来の機能であり、ディーラーの責務であった。
だが現場と距離を置くことで得たスタッフの安全と引き換えに、現場でのトラブルへの対応力を失っていた。
その隙を対抗勢力に突き崩され、窮地へと陥りかけたのが数年前の事件である。

以降システム管理は別部署に設置され、施設内の設備に関しても大幅に見直された。
その恩恵としてペナルティに該当する行動項目などもより綿密なものとなった。
実動部隊も抜擢されたとある人物の元統制され、より強力かつ迅速な動きが取れるようになった。
数年前にその実体を露わにした「エース」ほどの規模になると厄介ではあるが、
多少の武装組織に対しては抑止力と成り得るだけの力を「組織」は今蓄えている。
尤もあまりにも統制され過ぎて件の人物が「組織」内で予想以上に発言権を得てしまったのが悩みの種でもあるのだが。

そのような由縁でこの部屋は現在「コントロールルーム」とは名ばかりのものになっている。
現場へのシステム介入は大幅に制限され、寧ろカジノ施設の管理部分が強化された。
ディーラー業務もかつてのものとは変更され、現在は統括者としてタクトを振りシステム部への指示を出す事が主となっていた。

「とは言え、さすがにそれじゃ俺としても面白くはないもんで。
 とりあえずタレントの選抜だけは力を入れさせてもらいました」

操作盤の片端に腰を乗せ、男はコンソールの上に指を滑らせる。
カジノフロアに設置されたものと同じ大きさのモニターに今回の参加者のプロフィールとオッズが表示された。
その内の一人、頬骨が浮き出るほど痩せ衰えた白髪の青年の顔が金田の目に留まる。

「――長沢勇治か」
「いやー、あのガキを探し当てるのには骨が折れたですわ」
「使えるのか? 奴は。最早余命幾許も無いと聞いているのだが」
「だからこそ、でさ。今回の『ゲーム』で華々しく散ってもらいやしょう」
「随分な言い草だな。仮にも同じ『ゲーム』で生き残った仲間だろうに」
「仲間? 俺とあのガキが? ははっ、こいつは傑作だ!」

男は文字通り腹を抱えて笑い転げた。
アイツを仲間と呼ぶくらいならそこらの野良犬と絆を結んだ方がマシだ、などと叫びながら。

「無論冗談だ。『ゲーム』にそんな言葉が相応しくない事くらい熟知している」
「冗談!? なるほど、旦那もようやくユーモアって奴がわかってきたってことですか!」
「――君もそろそろ口の利き方には気を付けた方がいい。この『組織』でのし上がりたいのならな」
「いや失敬――まあこれも金田の旦那の器の大きさあってのものでして」
「――」

今更取り繕っても遅い、と喉まで出かけた本音を金田は辛うじて飲みこんだ。

「長沢に関しては了解した。だが、手札はそれだけか? だとすれば些か役不足だな」
「またまた。旦那もとっくにご存知でしょうに」
「当然だ。誰が序盤の混乱を引き起こしたと思っている」

金田はモニターに映し出された長沢の顔写真から斜め下に視線を移す。
今彼が注視している人物こそが今回最大の問題児にしてサブマスターを速やかに抹殺した人物だ。

「扱いが難しいとは聞いていた。だがこれ程のじゃじゃ馬とはな」
「いや、まったくです――馬には見えませんがね」
「気易く言ってくれるな。本当に奴の出自は確かなのか?」
「さて、どうでしょう」
「以前のような事件を起こすわけにはいかないのだぞ!? そうなると君の責任問題だけ――」

「――」
「だけ、では――」

つい声を荒げてしまった事を自省するよりも先に。金田は戦慄した。
男は口元を釣り上げ不敵に笑っている。自分の責任など知った事では無いと。

身の破滅は誰であれ恐ろしく、是が非でも避けたい事象である。
だがそのギリギリのラインで得られる悦楽も確かに存在する。

カジノの客たちはそれを求めてこの場に集う。
そしてそんな彼らを手玉に取るこの男こそが――誰よりもそれを貪欲に貪っているのだ。

「ま、大人しく見守って下さい。金田の旦那」

狂者の巣に君臨する狂気の王は、静かに言い放つ。


「まもなく我らのキラークィーンが目を醒ましますんで」





 ゲーム開始より10時間00分経過/残り63時間00分



[21380] EPISODE-25
Name: でしお◆ff3c50cd ID:912e8347
Date: 2010/11/21 07:49
『あなたが入ろうとしている部屋は戦闘禁止エリアに指定されています。
 部屋の中での戦闘行為を禁じます。違反者は例外なく処分されます』


圭介が扉の前に到達すると同時にPDAのアラームが鳴り響き、以上の文面が表示された。

「なんだ、近くまで来るとちゃんと教えてくれるんだな」

拍子抜けだ、とばかりに圭介は口を尖らせる。
この個別に設定された戦闘禁止エリアの情報は、ツールボックスの地図拡張機能によって齎されたものである。
しかしこれでは誰もが接近するだけでその存在を知り得ることが出来、立ち寄ることが可能ではないか。
自分たちのみに与えられた特権であるとつい良い気になっていた圭介は多少の不満を抱く思いだった。

(けど、裏を返せばこの中は確実に安全、という訳か)

そして同時に不安視していた一つの可能性が立ち消えた事に安堵する。
もしこの告知が行われず、部屋の中に好戦的な参加者がいたとして。
そうなれば強襲され警備システムの攻撃に巻き込まれ死ぬ、などといった可能性も無いわけではなかったからだ。
この戦闘禁止エリアは間接的な罠ではなく、純粋に参加者の休憩施設として構築されたもの。
それがはっきりしただけでも収穫だろう、と圭介は前向きに考えることにした。

「どしたの? 圭介。早く入ろうよ」
「ん、ああ、悪い」

菜緒にせっつかれ、圭介はドアノブに手をかける。今回に限り中の警戒をする必要は無い。

「誰か、中に居るといいですね」

誰でも利用できる事実は他参加者との遭遇確率を高めることになる。
未だ圭介の戯言を真摯に受け止めている美雪の呟きに、圭介は何も言葉を返すことができなかった。

金属が軋み、音を立てる。

「――はい?」

その向こうには他の部屋と変わり映えの無い光景が広がっている。
そう思い込んでいた圭介はその部屋と想像との違いに思わず間の抜けた声を上げてしまった。

「わ、すごく綺麗ですねこの部屋!」
「ホント! 外とは大違いじゃない!」

二人の少女は嬉々として中に足を踏み入れる。
部屋の広さは20畳くらいだろうか。いや広さなどこの際問題ではない。
煌びやか、とは過言であろうがそう表現したくなるくらいに様相は異質であった。
隅々まで清掃が行き届いていると思しき室内は赤色の絨毯が敷き詰められている。
テーブルセットやソファー、キッチンといった有益な設備が整然と備え付けられて、
その様は正にサロンルームと称するに相応しい。

(――ったく。何処までも人をコケにしてくれるよ)

殺し合いの舞台にこれほどあからさまな休憩区画を用意している。
その主催者の底意地の悪い思惑に圭介は不快を通り越していっそ清々しさすら感じた。
どうやらとことんまで自分たちを「ゲーム」のプレイヤーに仕立て上げたいらしい。
ぐるりと天井付近を見回すと案の定幾つかの監視カメラの存在が見受けられた。
目先の安全を確保してはしゃぎ回る自分たちの姿はさぞや滑稽に映っていることだろう。

だが悲観的にばかり考えても仕方が無い。
一先ず圭介は現状をありがたく受け止めることにした。

「よし、じゃあとりあえず色々と調べてみますか――って菜緒、お前何してんだ」
「んー? 食べ物探し。もういい加減お腹限界だし」

圭介が動き出すより早く、菜緒はキッチン内の棚を片端から開け回っていた。
年頃の娘としてはあまりにも豪快が過ぎる行動である。

「森下さん。武術道場の娘ってのは清楚でお淑やかであるべきだという俺の考えは間違ってるんだろうか?」
「あ、あはは――菜緒の両親は躾や作法にはそれ程煩くない方ですので」

答える美雪の表情も若干引きつって見えた。
みっともない、とまでは行かないまでもあまり見栄えが良くない事には同意なのだろう。

「うーん、大漁、大漁!」

しばし圭介たちが呆然としている内に、迅速なる捜索を終えた菜緒が多量の物品を両手に抱えて戻って来た。

「お、こりゃすごいな」

その大いなる収穫に菜緒を咎める気持ちも失せ、圭介は目を丸くする。
テーブルの上に置かれたそれは缶詰、レトルト食品、燻製肉に多少保存の効く根野菜などなど。
俗に言う「アウトドア食品」なるものは一通り揃っている様だ。

「美雪、さっきのナイフ貸して! 肉刻むからニク!」
「お前は何処の狩猟民族だ」
「うーん、美味しい! 空腹は最大の調味料とは正にこの事ねっ!」

圭介の皮肉を意にも介さず菜緒はナイフで燻製肉を器用に削いで口に運ぶ。
まさか凶器として配備されていた刃物にこのような用途を見出すとは恐るべき少女である。

「はい、二人にも」
「お、スマンな」
「ありがと」

圭介も渡された肉片を相伴に預かる事にした。
程良い固さと凝縮された肉の旨みが口の中に拡がっていく。
菜緒の言葉通り、今の圭介にそれは至上の美味にも感じられた。

「うん美味い。美味いけど、さすがにこれだけじゃ物足りないな」
「あらそう? じゃ、次はどれにする? あたしは缶詰にしよっかな」
「いや、そうじゃなくてだな。せっかくキッチンもあることだしもっと手の込んだものを食いたいな、と。
 材料もそれなりに有るし、それにせっかく女の子が二人もいるんだし」

贅沢を言える状況では無い事は重々理解しているつもりである。
だがそこまで時間が逼迫してる訳でも無く、寧ろあと3日近くの時間を消費せねばならない。
そこで漸く発見することが出来た安全地帯に整った設備。そして二人の少女。
恩を着せるつもりは無いがそれでも美雪と菜緒、それぞれの命の危機に身体を張った自負はある。
ならばこの程度の贅沢を要求しても罰は当たるまい――と期待の籠った目で圭介は二人を見据えた。

ところが。

「――」
「あ、えーっと――あはは」
「え、なにこの反応」

美雪と菜緒は互いに顔を見合わせていた。
それは「食事を作れ」という要求に対して不服がある、という様子ではない。
逆に「作ってあげたいのは山々なんだけど」などと言う複雑な感情が見て取れる。
と、いうことは。つまり。

「まさか――二人揃って『料理は苦手』とか言うオチではなかろうな」
「――ごめんなさい」
「材料刻むのだけは得意なんだけど」
「ぐはっ」

美少女二人に手料理を振舞われる、という願っても無い状況は哀れ泡沫と消える事となってしまった。

「あ、でもフォローしとくけどあたしはともかく美雪は別に料理苦手ってワケじゃないのよ? 
 ちゃんと美味しいもの作れるし。ただ――」

「ただ?」
「――凝り性な上にすごく手が遅いのよ」
「? それだけか? そんなの別に欠点って程じゃ」
「具体的に言えば昼食が夕食になるわ」
「――確かにそれは欠点だ」
「そうなんです。ですからお家に招待して料理を振舞うのは得意なんですけど、
 時間の限られている調理実習とかだとちょっと――」

「ふーむ」

如何に時間に余裕があるとは言え、悠長に調理に何時間もかけるわけにもいかない。
残念ながら今は諦める他は無さそうだった。

「ま、それも仕方が無いさ。それより後の食事は後回しだ」
「えー何でー」
「この部屋の全部の確認がまだ終わって無い」

缶詰を開けかけていた菜緒にぴしゃりと言い含める。
圭介の気がかりは奥に位置する二つの扉だった。
美雪のPDAによればこの部屋への出入り口は自分たちが入ってきた一つのみ。
部屋の用途から推察するに扉の向こうは別室か付随設備以外には考えられないが、それでも用心に越したことは無い。

「そっか。それもそうだよね、うん」

自然体の中にも命のやり取りの最中だという自覚はあるのだろう。
菜緒は圭介の言葉を快諾し、開けかけの缶詰をテーブルに置いて立ち上がった。

そのまま3人は連れ立って扉の調査へと向かう。
まず最初の扉はバスルームへのものだった。中は部屋そのものより一層丁寧に清掃されている。
身綺麗にできる設備の発見は女性陣に好評を博すこととなった。

そして残る扉はベッドルームへ続いていた。

「――」

圭介は先頭に立って静かに部屋へ足を踏み入れ、その背中に寄り添うように菜緒が続く。
後方から襲撃される可能性は今回に限り有り得ないので最後尾が美雪という形になっていた。

「なんか、ホテルの一室みたい」
「ほ、ホテルに入ったことがあるのか!?」
「うん、中学の修学旅行の時に――って、何かヘンな勘違いしてるでしょ!」

室内には大きめのベッドが二つ備え付けられていた。
その内一つは間取りの関係上、入口からはその全体像が見えなくなっている。
圭介の目に見える方のベッドには特に異常は見当たらない。
となればもう一つの方、こちらの確認さえ取れれば晴れてこの戦闘禁止エリアは問題無し、となるのだが――

「――な」

そう上手く事は運んでくれなかった。
圭介が不安視していた通り。圭介のみが不安視していた通り。

そこにはいた、のだ。先客が。

「――え?」

圭介の背中から顔を覗かせた菜緒が唖然となる。
入口から死角となっていた方のベッド。そのベッドの上で。

小さな少女が安らかな寝息を立てて眠っていた。

「わ――す、すごく可愛い子ですね」
「う、うんうん、まるで人形みたい!」

美雪と菜緒は驚きを隠そうともせず、口々に少女を評している。

(――)

この時ばかりは異性の見識を超えて圭介も同意せざるを得なかった。
それ程にこの眠り姫の姿は愛らしいものなのだ。

少年のように短い漆黒の頭髪と淡雪のように白い肌のコントラスト。
毛布に覆われてなお浮き出る小さな身体と細い手足。
そして穢れを知らぬかの如き無垢な寝顔。
まるで物語の1ページをそのまま切り取ってきたかのような。
そんな現実から剥離したその姿に錯覚が起こり、目を奪われずにはいられない。

「気持ち良さそうに眠ってますね。このままそっとしてあげましょうか」
「うん、そうね。それがいいと思う」

それは気遣いなのか、目の前の芸術を壊したく無いが為なのか。
遠巻きに少女を見守る二人の視線にもまた陶酔の色が見て取れた。

「――この子もやっぱり参加者、なんだよな」
「え、そうなの!? ――あ、ホントだ。首輪してる」

調和を乱す銀の輝きに思わず菜緒は眉を潜める。
それは少女が圭介と同じ立場の人間であり、不幸に見舞われた証であった。

「こんな小さな子まで――本当に、酷いです」
「まったくだ」
「そうね。ムカつくわ、ホント」

こんな幼い少女に何が出来るとも思えない。
寧ろ何も出来ないからこそ彼女は選ばれた、とも考えられる。
だとすると異常にも程がある。流石の圭介も胸が悪くなる思いだった。

「助けてあげたい、そう考えるのは傲慢な事なのでしょうか」

美雪のそんな力無い呟きは、今までの道程があまりにも理想とかけ離れている所為なのだろう。
心優しい少女はもうそんなごく普通な思いすら断言出来なくなっているのだ。

「何言ってんのよ、『助けたい』って、そんなのあったりまえじゃない!」
「おい馬鹿、声がデカすぎんぞ」

殊更に声を荒げて見せる菜緒もまた、何時もの様子とは思えなかった。

――そして。

「――ん」
「あっ!」

小さな少女の唇から、か細い声が漏れた。
その身体が反転し、そのままもぞもぞと動き始める。

「ど、どうしよう圭介」
「いや今更俺にそんなこと言われても」

自分の声が少女の眠りを妨げてしまったという菜緒の動揺を他所に。
やがて少女はむくりと上半身を擡げ、ゆっくりとその二つの眼を開いた。

「――」

2度、3度。瞼を瞬かせる。緩慢な動作で左右に首を横に振る。

「あ、あの、えーと――お、おはよう!」
「――」

恐る恐る声をかけた菜緒に対して少女は無言。
まだ完全に意識が覚醒していないのか。周囲を取り巻く異質な状況に特に反応は見せない。
肩から毛布が滑り落ち、少女の衣服が露わになる。
もう冬に差し掛かろうという季節なのにサマードレスにアームカバー。
そして垣間見える足を覆うニーソックスに至るまで、彼女の衣は黒で統一されていた。

(――ん?)

ふと、圭介は少女と目が合った。

「――」
(――な、なんだ?)

こちらを明白に注視してなお少女は微動だにせず逆に圭介が戸惑ってしまう。
無表情どころの話ではない。頭髪と同じ黒き双眸の奥からは何も伝わって来なかった。
年頃の少女としてばかりか、およそ人としての感情の全てが見えてこない。
先程までとはまた違った意味で造形物と相対しているかのようだ。
最初に出会った楯岡和志も無感情な人間ではあったが彼女に比べればまだ人の範疇だと思えてくる程だ。

「あ、あの――お名前、聞いてもいいかな?」

菜緒に代わって今度は美雪が声を掛ける。

「――ゆいこ。黒江――唯子」

それは小さな声で素っ気無いものではあったが漸く返ってきた反応にその場の緊張は多少緩和された。

「そっか。唯子ちゃん、だね。唯子ちゃんは、誰かと一緒じゃなかったのかな?」
「――」
「あ、そ、その服可愛いよね! もしかして黒が好き、だったりするの?」
「――」

続けて二人は微妙に気を回しながら少女・唯子に対話を試みる。
だが全ての質問に対し唯子は口を開こうとはしない。応える意思すら見受けられない。
名前を告げた時の反応から、聞こえていないわけでは無さそうなのだが。

「何か、心を閉ざしてしまうくらいショックな事があったのでしょうか?」
「うーん――」

唯子に聞こえないよう耳打ちしてきた美雪の言葉に圭介は首を傾げて見せる。
この「ゲーム」に巻き込まれた少女の立場であるならばその可能性も低くは無い。
だがそれならばもう少し気落ちした様子や怯えの色を見せても良いようなものなのだ。
彼女の今の在り様はもっと別種の要因があると判断して然るべきだろう。

「ねえねえ、お腹減ってない? あっちに食べ物あるよ、一緒に食べようよ!」
「おいおい。いくら反応が無いからって食べ物で釣るのは――ああ、そうか」

この話が伝わらないもどかしさ、何処と無く覚えが有る気がしていたが漸く圭介は理解した。
そうなのだ。これは、まるで――

「――」
「あっ!」

突如唯子は立ち上がり、菜緒の脇をすり抜けていく。
その動きは圭介が連想した通りの「猫」のようなものだった。
ベッドルームの扉を開け放ち、黒猫が駆けて行く。
此方を窺う様子も無く。一直線に同じ歩幅と速度で出入り口へと辿り着き――そしてそのまま出て行ってしまった。

「――行っちゃったね」
「うん、残念――って! そんな事言ってる場合じゃないって! 追いかけなきゃ!」
「おっと、それもそうだった」

その淀み無い一連の動作に呆けている場合ではなかった。
外の世界は危険なのだ。猫にとってでなく、人にとっても。
「ゲーム」という舞台の上には今までに少なくとも2匹の猛獣が確認されているのだから。

「ちょっと唯子ちゃん、待ちなさい!」

余程に彼女を気に入ったらしい菜緒を先頭に唯子を追う。
リビングを通り抜け、扉の前へ。
その途中で圭介は菜緒の愛用の得物がまだテーブルに立てかけたままであることに気が付いた。

「おい菜緒、木刀忘れてるぞ」
「あ、ごめん圭介、持ってきて!」
「おう、まだ外出るなよ! 危ないのはこっちも同じなんだから!」
「あ、うん」

圭介が木刀の回収に隊列を離れた時には菜緒は既に扉を開け放っていた。
その声掛けのタイミングが実に絶妙であったことを。一体誰が想像出来ただろうか。

扉だけが開け放たれた。菜緒の身体はまだ室内にあった。
その眼前を。次の瞬間疾風が駆け抜けた。

「――え?」
「ん?」

間の抜けた菜緒の声に反応し、圭介は顔を入口に向ける。

「――え?」

そしてその向こうでゆっくりと身を起こす人影に、思わず同じ様に声を上げてしまった。

「――」

黒江唯子が其処に居た。彼女は圭介たちが外に出てくるのを待っていた。
だがそれは決して。こちらを仲間と見込んで思い直した訳では無く。

「どう――して? ゆいこ、ちゃん――」

菜緒の声が震えている。美雪は言葉を失っている。
そして圭介は、彼女の姿に我が目を疑った。


「――失敗した」


虚無の表情を浮かべたまま呟く唯子の右手にはナイフが握られていた。
死角に潜んでいた彼女は扉が開け放たれた瞬間、こちらを強襲してきたのだ。

出入り口の扉のラインこそが戦闘禁止か否かの境界。
即ち唯子のみが佇む領域は既に殺し合いの許されし場。

もしも菜緒が勢いのままそのラインを踏み越えていれば。
彼女の喉は唯子によって切り裂かれていただろう。

(そうか。確かに、考えてみりゃ――)

今に至って圭介は思い知らされた。
唯子は「2階の」「戦闘禁止エリア」で「眠っていた」のだと。
それは「ゲーム」を理解していなければ出来ない事では無いのだろうか?
もし唯子の外見が幼いものでなければ会話を拒否して飛び出した時点でこの待ち伏せは必須の警戒だった。
だがその幼い外見は、全ての違和感を薄れさせていた。
「よもやこんな子が自分たちの命を狙っているはずがない」という仮定を思い浮かべる事すら出来なかったのだ。

(でも――何故だ?)

黒江唯子が紛れも無い「ゲーム」の参加者の一人で、他者の命を奪う決断をした事は理解した。
幼いながらに考え付いた結論なのか。それとも見た目通りの年齢では無いのか。

だが一つだけ圭介は理解が及ばない。
なぜ。彼女は。こんなにも。

(なぜこんな――こんな顔で、人を殺そうと、できるんだ?)

木戸亮太の殺意の裏には理不尽に苦悩した果ての諦観を感じた。
長沢勇治の殺意の裏には狂人の悦楽が感じられた。

だが唯子のそれはどちらでもない。と言うより殺意そのものが感じられない。
例えるならば至極当然な任務の遂行。感情の入り込む余地など無い、極めて機械的な作業だ。
今も唯子の黒洞の瞳に揺らぎは無い。その奥に見える底知れぬ闇の深さに圭介は怯えにも似た感覚を抱く。

「――撤退する」

やがて黒猫は一言呟くと、身を翻してその場を後にした。
戦闘禁止エリアの中にその身体を留めているこちら側にはもう手を出せないと認知したらしい。

「――」

途端に菜緒が呪縛から解かれた様に脱力し、その場に尻もちをついた。

「なんで――? おかしいよ、おかしいよっ! こんなのってっ!!」

叫び声が部屋中に響き渡る。
幼い少女が「ゲーム」3人目の敵だった。その驚愕の事実を受け入れられないのだろう。

「このままじゃあたし、誰も信じられなくなっちゃう! 
 美雪と圭介以外に、誰を信じていいのかもう――わからないよ!」

「菜緒――」
「ねえ美雪、ノエルさんって人、ホントに信じられる人なんだよね?
 あたしたちを騙してるってこと――ない、よねっ!?」

菜緒はとうとう美雪に縋り付き涙を流し始めた。

「大丈夫。大丈夫だから――だから菜緒、落ち着いて。ね?」

菜緒の背中を優しく撫でながら美雪は静かに言い聞かせている。


(――)

そんな二人に背を向け、圭介はその場を離れた。

今の自分はどんな顔をしているのか。
例えどんな顔でも二人には決して見せたくなかったから。




 ゲーム開始より11時間41分経過/残り61時間19分



[21380] EPISODE-26
Name: でしお◆ff3c50cd ID:912e8347
Date: 2010/11/21 08:02
重苦しい沈黙が室内に漂っていた。
その場に居る誰もが口を開こうとはしなかった。

年端もいかない少女に命を奪われかけた。本来ならば疑うべくも無い、保護されるべき存在が。
「仲間を増やす」という目的の元に行動してきた一行にこの事実はあまりにも重い。
最早外見も年齢も性別も、信用に足る情報には成り得ない。
誰が何時、どんな形で牙を剥いてくるかわからない。
それが圭介たちに突き付けられた残酷な現実だった。

「――」

特に直接命の危機に瀕した菜緒の落ち込み様は酷かった。
持ち前の陽気さは何処へと消え去りソファーの上で膝を抱えて微動だにしない。
親友の美雪もかけるべき言葉が見つからないのだろう。
ただ隣に寄り添うように座り無言で菜緒の肩を抱いている。
およそ次の行動を起こせそうな状況ではない。まずはこの空気の打開こそが先決であった。

「とりあえず飯にしよう」

キッチンから戻ってきた圭介は3つの椀を乗せたトレイをテーブルの上に置いた。

「お粥があったんで温めてみた。口に合うかわからないけど無いよりはマシだと思う」
「あ、ありがとうございます。ほら菜緒――食べよ?」
「――」

湯気の立ち昇る椀を菜緒はちらりと一瞥したがまたすぐに顔を伏せてしまった。

「ゴメン――食欲無いの」
「いや、無理にでも食ってもらうぞ」

そんな菜緒に圭介は厳しい顔で言い放つ。

「ショックなのはわかるけど、お前の元気が無いと俺らも困るんだよ」
「――」
「だから腹膨らましてとっとと寝て嫌なこと全部忘れちまえ。それが一番の解決策だと思う」

傷心の少女にこんな不躾な言葉しか掛けられない。そんな自分が恨めしい。
もう少し自分が達観した大人であるならば気の利いた優しい言葉が思いついたのかもしれない。
直接心に訴えかけて、菜緒を立ち直らせることが出来るのかもしれない。
だが自分の口の上手さなど所詮はこの程度だ。圭介はただ己の未熟が腹立たしかった。

「――うん。ゴメンね」

しかしそんな幼稚な物言いでも菜緒の胸には響いたのか、少女は素直に謝罪を述べた。

「いや、謝らなくてもいいさ。それよりも冷めないうちに食ってくれ。その方が多分ウマいはずだ」
「うん。いただきます」
「あ、じゃあわたしも頂いていいですか?」
「もちろん。スプーンと箸、どっちにする?」
「あたしはスプーンがいい」
「じゃあわたしはお箸を貰えますか?」
「あいよ」

一緒にトレイに乗せて持ってきた食器をそれぞれ二人の前に置く。
少女たちはそれを手に取り椀を手元に引き寄せる。

「あれ? これって――レトルトのお粥、ですよね?」

その中身の彩りに違和感を覚えたのか美雪が疑問を口にする。

「大元はね。でもそれじゃ味気ないからちょっとアレンジを加えてみた」
「アレンジって――ヘンなもの入れてないでしょうね」
「はは、とりあえず感想は食ってからにしてくれ。そんなマズいものには仕上がってないと思う」

椀の中の粥は単一の白ではなく琥珀色のスープに何らかの粒が混入されている。
妙な食べ物、というわけではなく寧ろ食欲をそそる立派な料理としての出で立ちだ。
美雪と菜緒は互いに顔を見合わせ、それではと食器を取りそれぞれに一口すすり込む。

そして。

「え――何これ。フツーに美味しいんだけど!」
「ほ、ホントです! これ、鳴神くんが作ったんです、よね?」
「そうだけど?」
「で、でもアンタさっき料理はできないって」

少女たちの驚きはやがて困惑に変わる。
他人任せに調理を要求した唯一の男子と目の前の美味が等式で結びつかないのだろう。
その反応こそが望んでいたものだった。圭介はここぞとばかりに用意していた言葉を解き放つ。

「俺は『自分も料理が出来ない』なんて一言も言った覚えはないぞ」

確かに要求はした。
だがそれは「女の子の手料理が食べたい」という青少年としての純然たる本懐であり。
自身の持ち得るスキルとはまた別問題であるのだ。

「具体的には食感が欲しいからじゃが芋を下茹でして玉葱と一緒に刻んで入れた。
 んで鍋に移し替えて中華ダシとごま油で味を調えて、最後に香り付けにすり胡麻を少々」

「し、信じられない。信じたくない。まさか圭介が――」
「ね、ねえ菜緒。今のわたしたちって、すっごくみっともない立場じゃない?」

特殊な事情であるものの「料理は出来ない」と恥を晒してしまった。
そこに圭介がわざわざ手の込んだ食事を提供するという追い打ちをかけてきた。
別段女子は男子より調理技術に優れているべきだとは圭介も思ってはいない。
だがそれでもやはりプライドに触れるものがあったのだろう。二人の少女は揃って悔しそうな表情を浮かべていた。

「はは、心配しなくてもいいよ。別に料理なんか出来なくても、二人とも十分に魅力的な女の子だから、さ」
「むきー! 腹立つ! 何この男偉そうに!」
「時間さえ、時間さえあればわたしだって負けないものは作れるんですからね!」

珍しく美雪までもが憤っていた。
そんな二人を不敵に宥めながら圭介は事が自分の目論見通りに運んだことに満足する。
料理の腕前を誇るつもりも彼女たちを貶めるつもりもなかった。
だがこれは二人の感情を揺さぶり、陰鬱な空気を払拭出来る機会だと思えたのだ。

「うう、美味しいのに悔しいって、この気持ちは何なのでしょう――」
「まったくだわ。否定できないくらい美味しいから余計に腹立つのよ」

効果は抜群だった。口々に文句を言いながらも粥を口にする二人の表情に先程までの暗さは無い。
まったく食の力は偉大だな、と圭介も漸く自分の分に手を付け始めた。

「ふう――ごちそうさま」
「ごちそうさまでした」
「おそまつさま」

程無く3人分の椀が空になり、「じゃあ後片付けくらいは」と美雪が食器を回収し始める。
圭介も自然にそれを受け入れそうになったが、不意にそれが何の意味も無い事に気が付いた。
何故に殺し合いの舞台に用意された食器を洗ってやらねばならないのか。
身についてしまった習慣はこんな場所でも抜けないものだ。
そんな事実が可笑しくて。つい揃って苦笑してしまう3人だった。

「それにしてもなんで圭介こんな料理が上手なワケ? 趣味なの?」

しばしゆるりとした時が過ぎ、不意に菜緒が切り込んできた。
険の含んだ物言いでは無い。純粋な興味ゆえの質問なのだろう。

「いやウチは母親亡くしてるからな。親父は夜間タクシーの運ちゃんだから殆ど家に居ないし。
 だから家事全般は俺が担当する必要があったんだよ」

特に隠すような理由でもなかったので圭介はさらりと答える。
だが受け取る方にはそれは重い真実であったらしく瞬く間に表情が曇ってしまった。

「あ――ゴメン。触れちゃマズい話題だった?」
「いいさ、別に」

片親というだけで腫れもの扱いされるのは正直もううんざりだった。
圭介にとってはとうの昔にそんな生活は普通なものとなっているのだから。
そして普通となってしまったが為に新たな問題が発生したのだが――それは今は関係の無い話だ。

「それに料理は特技ってほどじゃないんだ。レパートリーもそんなにあるわけじゃないしな。
 ただ『ありあわせのものでそれなりのものを作る』ってのに慣れてるだけだよ。ウチの財政上」

「それは立派な特技だと思いますよ? 手品が得意なことと言い、鳴神くんは本当に多芸ですよね。羨ましいです」

すかさず美雪が話題を切り替えてくる。この辺りの気遣いは流石と言うべきなのか。

「へー、圭介って手品も得意なんだ。って、なんで美雪がそんなこと知ってるのよ」
「ふふ、だってわたしはもう見せてもらったもの」

いいでしょう、とばかりに親友に向けて胸を張る美雪。
その胸には半日前に圭介が手品を披露した際にプレゼントした白薔薇が誇らしげに咲いていた。

「ちょ、ずるいわよ! あたしにも見せなさい!」
「んなこと言われてもなあ。マジックセットは一階に荷物と一緒に置いてきたし。
 せいぜい今できるのはこのくらいかな」

とりあえず右手のみでのコインマジックを披露してみせる。
複雑奇妙な動きの中で増減しながら手の中を動き回る100円玉にたちまち菜緒の目は奪われた。

「うわすご、何それ! どーやってんの!?」
「別に。日々の努力の賜物だよ」

――果てしなく無駄で無意味な、な。

そんな誰も喜ばない注釈を口にしそうになり、慌てて圭介は心の内に押し込める。

「うーん。何だかあたしも負けたくないな。と言ってもあたしに出来ることなんて居合いくらいのもんだけど」
「居合いって、あの刀をスパっと抜く奴か?」
「そうです。昔見せてもらったんですけど綺麗ですよ、菜緒の『型』は」

成程、さすがに剣術道場の娘らしい特技ではある。
清廉な道着に身を包んだ菜緒の凛とした姿が目に浮かぶようだ。

「あー、でもやっぱダメかも。もう3年も真剣握ってないし」
「ん、そうなのか?」
「何でだかわかんないけど高校入学してからお父さんに道場出禁にされちゃったのよね。
 『お前も年頃の娘なんだからもっと他の事に目を向けろ』ってさ。
 まあ高校生になったら色々と遊びたかったから願ったり叶ったりだったけど」

「ふーん」

どうやら緑川家にも複雑な事情が有る様だ。余計な詮索は野暮に感じて圭介は素っ気無い返事を返しておいた。

「いいなあ、二人とも人を魅せられる特技があって。わたしなんか何にも無いもの」
「何言ってんのよ。美雪こそ小説って立派な特技があるじゃ――」
「ちょ、ちょっと菜緒っ!」

途端に顔色を変えて美雪は菜緒の言葉を遮るが、圭介は重要なワードを聞き逃しはしなかった。

「小説? あー、それであの時」

思い出されるのは乃得留たちとルールの擦り合わせを行っていた時。
全員分のルール一覧を驚くべき速度で仕上げてしまった美雪の姿であった。

「なるほどね。あの速記術は小説書いて身に付けたものなんだ」
「ち、違います! いえ、違わないんですけど――」
「別に隠す必要も無いでしょ。文芸部の部長って肩書きまで持ってるくせにさ」
「だからどうしてそう勝手に喋っちゃうの!」
「へえ、立派じゃないか。よかったら詳しく聞かせてよ」
「鳴神くんまで!」
「知りたいんだよ。森下さんのこと、もっと」

今までこんな機会には恵まれなかった。
共に死地を駆け抜け続け、そんな会話を交わす余裕も無かった。
だからこそ、今。彼女の素顔に触れたいと圭介は切に願う。
二律背反の想いを背負ったまま、それでも彼女の側に居る事を選んだのだから。

「ほうら、圭介もこう言ってるじゃない。白状しちゃいなさいよ」
「もう――わかったわよ。そうなんです。わたし、小説家になるのが夢なんです」

二人の好奇の視線に観念したのか、美雪は妙に吹っ切れた表情で告白した。

「それで学園で文芸部に所属してずっと自作小説を書いてるんです。
 時々会誌を作成したり、雑誌投稿をしたり編集者の方に批評してもらったりもしています」

「本格的なんだね。しかも部長なんだ」
「もっともまともに活動してるのはあたしを含めて3人だけなんだけどね」
「え、菜緒も文芸部なのか?」
「似合わない、って思ってる?」
「正直な。体育会系の部活だとばかりてっきり」
「まーそう思われても仕方ないかもね。でも美雪と一緒に部活動やりたかったから」

あたしは読む専門なんだけどね、と肩を竦めてみせる菜緒。
流石に菜緒にまで文学の才があるなどと言われると卒倒しかねないので少なからず圭介は安堵した。

「そっか。森下さんは小説家の卵なのか」

それなりに読書も嗜む圭介にとって、目の前にその創造主が居るという事実は不思議なものだった。
ましてやそれが美雪なのである。一体彼女はその手でどんな物語を紡ぎ出すのだろうか。
彼女の性質や才覚は作品にどのような影響を及ぼしているのか。兎にも角にも興味は尽きない。

「――読んでみたいな」

それは自然に零れ出た、紛れも無い本心だった。

「じゃあ、読んでみます?」
「え?」

すると意外な答えが返ってきた。

「つい先日書き上げた作品が、鞄の中に入ってるんです。もし、よかったら――」

どうやら興味の対象は今この場に存在するらしい。
成程確かに部活として執筆を行っているのならば下校途中に拉致された今、手元にあっても不思議ではない。

「そりゃあまあ――でも、いいの? 俺なんかが読んじゃっても」
「恥ずかしいのは恥ずかしいんです。でも、できるだけ多くの人に感想を聞かせてもらいたいですから」

あまり自分を表に出さない美雪のこと、やはり他人に自作を読ませるのはそれなりに抵抗はあるのだろう。
それでも評価を得たいという欲求が勝った。それだけ彼女の夢に対する思いは本物なのだ。

「つまらなかったらはっきり言って下さいね。その方が参考になりますから」

美雪はソファーの横に置いていた鞄を引き寄せ中から一冊のノートを取り出し、圭介に差し出した。

「じゃ、じゃあ遠慮無く――うわやっべ、なんかドキドキしてきたぞ」

まさかこんなことになるとは夢にも思わなかった。
そしてこうなってしまった以上、生半可な覚悟で読み挑むことは出来ない。
彼女の勇気に応える為にもきちんとした評価をせねば、と恐る恐る圭介はノートのページを開いた。

(タイトルは――『近くて遠い、この距離を』、か。ふむふむ)

ルール一覧で見慣れたその文字は、確かに美雪のものだった。
どうやら内容は学園を舞台にした恋物語らしかった。

ある日、ヒロインの学園に若き男性教師が赴任してくる。
そして幾度かの邂逅の後に、二人は互いを意識するようになっていく。
ところが彼女の親友が突然「彼のことが好きなんだ」とヒロインに告白する。
当然ヒロインの内に秘めた想いに気付かないまま。

「――あの、さ。これ、もしかして現実がモチーフ、だったりする?」
「あはは、何ヘンな顔してんの。心配しなくてもウチのセンセ女の人ばっかだから」
「一応ヒロインと親友の関係はわたしと菜緒のそれを参考にしたりもしてるんですけど、ね」

恐縮したように頬を染める美雪。一先ず否定が返ってきた事に圭介は安堵した。
もし現実の男性教師が美雪の想い人だったとすればやり場のない嫉妬に襲われるところであっただろう。

再びノートに視線を戻す。ヒロインはそのまま想いを隠したまま親友を応援する事を決意したようだ。
そこに更に同級生の男子が登場し、ヒロインに告白する。状況はますます難解なものとなっていく。

(この同級生は――いや、森下さんの学園は女子高って言ってたぞ。大丈夫だ!)

どうにも作品内に男性が登場するたびに妙な意識が先立ってしまう。
ヒロインと親友が美雪と菜緒に酷似した描写をされているが故に尚更だ。

(でも、それだけ上手に書けてるってことなんだろうな――おっといかんいかん。続き続き)

その間に男性教師もまた、己の本心と教師という立場に苛まれ深い悩みを持つようになる。
そして親友の教師への告白、同級生に接近された場面を教師に目撃されるなどして物語は展開していく。
教師と生徒、男と女。それぞれの想いが重なり合い絡まり合い。
何時しか食い入るように美雪の小説を読み進めている自分に圭介は気が付いた。

(――)

最終的にヒロインは想いを成就させた。
男性教師は彼女の告白を受け入れ卒業と共に付き合いを始める事になった。
一度は破綻しかけた親友の少女との関係も無事修復され、同級生の男子は親友に想いを寄せるようになる。
万事解決、ハッピーエンド。圭介は深いため息をついてノートのページを閉じた。

「ど、どうでしたか――?」

待ちわびた、と言った様子で美雪が感想を求めてくる。
入れ込み過ぎて両手が握り拳になっているのがまた愛らしい。

「いや、びっくりするくらい面白かった。本屋に並んでる小説とかと変わらないくらい」
「ほ、ホントですかっ!?」
「ほんとほんと」

美雪の瞳が今までに無く輝き始めた。生の声での賞賛が余程に嬉しいものだったのだろう。
世辞のつもりは無い。純粋に圭介はそう感じたのだ。
まず文章そのものの質が高い。幼稚な文体ではなく、さりとて堅苦しく読み辛いわけでもない。
人物描写も的確で構成にも破綻が無い。結末に至るプロセスがしっかり定められている。
恋物語としてはありきたりな題材ながらもそのおかげで作品としては見事なものに仕上がっていた。
これを同い年の少女が書いた、という事実にはただ驚嘆し舌を巻く他は無い。

「ただ、ね」

だが欠点が無いわけではない。他のレベルが高いがだけにそれは看過出来ないものとなっていた。
告げる必要があるのかどうか、一瞬悩んだ。
だが圭介も手品という他人に観せることで成り立つ一芸を持つ人間である。
欠点の指摘はただ賞賛するよりも糧になる。そう思えたからこそ敢えて苦言を呈すことにした。

「ただ――何でしょう?」

緊張と不安の入り混じる表情に変わり、美雪は次の言葉を待つ。

「うーん、何て言ったらいいのかな」

各所を指摘することは出来る。だがそれを総括した一言が上手く浮かばない。
もし逆の立場ならあれだけの文章力を持つ美雪のこと、適切な言葉が用意できるのだろうが。

「そうだな――『ワクワクはしたけど、ドキドキはしなかった』ってところかな」

我ながらセンスの感じられない感想だ、と圭介は口にした瞬間後悔した。
案の定聞かされた美雪の顔に疑問符が見えるようだった。

「あー、圭介の言いたいこと、何となくわかるわよ。『ここまでもつれてこの程度なんかいっ!』って感じでしょ」
「お、そうそうそんな感じ」

菜緒の例えも十分にわかり辛いものであったが今の圭介には理解出来るものだった。
「近くて遠い、この距離を」は男女4人による恋物語。そこには当然すれ違いや誤解、そして嫉妬も発生する。
それは作品を構成するスパイスとしてはある意味必須とも言えるものでそれにより内容に深みが生じてくる。
ところが美雪の作品はその辺りの描写だけがやけに簡素と言うか、書き込みが足りない気がするのだ。

例えばヒロインの少女が苦境に立たされる。すると少女は泣き崩れ、そのまま場面が展開する。
ここで多少の後ろ暗い内面の吐露でもあれば物語としてはより良いものに仕上がるだろう。
だが万度それでは単なる泣き虫の少女だ。それでは読者としては応援もし辛くなる。
極めつけは親友との決戦シーン。せっかく少女が勇気を出して親友と向き合おうとしているのに急激な場面転換。
そして「じっくり話し合って私たち解り合いました」で決着となっている。
クライマックスがこれでは正直拍子抜けと言わざるを得ないだろう。
そんな場面が他にも多々。
兎に角「人間の負の感情が垣間見えるシーン」全てにおいて決定的、いや徹底的に描写が不足しているのだ。

「うーん、やっぱりそうですか。実は今までにも、何度か言われていることなんですそれ」

どうやらこの欠点は美雪自身も自覚していることらしい。
然程に傷付いた様子も見えず、圭介は少しほっとした。

「どうしても苦手なんですよね、諍いや争いの場面とか、人間のドロドロした部分であるとか」

それも書けなきゃ一人前にはなれないんですけどね、と美雪は頬を掻いてみせる。

「この子は根っからの善人だからねー。ま、しょうがないわよね」
「この辺りの描写は色条さんが上手なんです。あ、色条さんと言うのは文芸部のもう一人の後輩でして」
「でもゆーきの奴はエログロしか書かないじゃん。アイツのせいで何度会誌が落ちかけたことやら」

校正担当としてはたまったもんじゃないわよ、と菜緒が頬を膨らませる。

「うーん、そうなると安易に『書けるといいね』とは言い辛いな」

どうにも美雪に欠けた才能を持つその後輩は相当に性格のねじくれた少女のようだ。
つまり美雪が後ろ暗いシーンを書けるようになるということは彼女の性格が曲がってしまうことを意味するのではなかろうか。
それは正直勘弁願いたい。彼女にはいつまでも純真な少女でいて欲しい。
森下美雪が天使のように無垢であるからこそ、圭介は彼女に惹かれているのだから。

「でも来年は早稜大学の文学部に進学して、もっと勉強するつもりなんです」

これからも一層の研鑚を積むつもりなのだと美雪は力強く宣言する。

「でも残念ながら両親はわたしが小説家になるのに反対してるんです。進学自体は認めてくれているんですけど、
 将来的には自分たちの会社を手伝ってもらいたいらしくて」

「あ、もしかして昨日喧嘩したってのは」
「はい。そうなんです。それで――」
「じゃあ菜緒はどうすんだ? さすがに一緒に文学部までは付き合えないよな」

嫌なことを思い出させてしまったかもしれない。圭介は話題を変更すべく菜緒にかなり無理矢理に話を飛ばす。

「あたしはもう同じ大学の体育科に推薦が決まってるよー。だからまだ一緒一緒」

こちらの意図を汲み取ったのかそうでないのか。やたら楽しげにVサインを突き付けてくる菜緒。

「そーだ、圭介も早稜受験しなよ! 大学だったら出身地関係無いし!」
「お前ね。早稜つったらかなりレベルの高い大学じゃねーか。俺の成績で受かるわけねーだろ」
「わ、圭介バカなんだ」
「やかましい」
「そうなんですか? 鳴神くんって頭良いと思うんですけど」
「それは買いかぶり。毎度赤点と熾烈な戦いを繰り広げております」
「意外です」

本心からそう思っているのだろう。美雪の表情が物語っている。だが事実なのだから仕方が無い。

「やーい、バーカ」
「やかましいつってんだろ!」
「ふーんだ。さっきの料理のお返しだよーだ」
「く、何で料理をご馳走してやってここまで言われにゃならんのだ――」

意趣返しにしては質が悪すぎる。ここが戦闘禁止エリアでなければひっぱたいてやっているところだ。

(――ま、いいか)

兎にも角にも二人に笑顔が戻ったのは喜ばしいことだ。
しかも将来の事を口にし始めたという事はこの「ゲーム」を乗り越える意欲もまた出てきたということでもある。
これならば再び行動を開始することも可能であろう。


その一方で。圭介の中で何とも言えない鬱屈した感情が頭をもたげてきた。
それはPDAの真実に関する感情とはまた別な問題。
この「ゲーム」に参加する前から圭介が直面していた問題に対する感情である。

(今は関係ない、ことなんだろうけど――)

けれどもそれは、この二人を前にすると否応無しに思い知らされる。
美雪と菜緒が持っているもの。
そして圭介は持っていないもの。
今の今まで見えなかった壁のようなもので、二人との間を隔てられたような気がした。

近くて遠い距離、とはこのことなのかもしれない。
圭介は何とは無しにそう感じた。



 ゲーム開始より12時間35分経過/残り60時間25分



[21380] EPISODE-27
Name: でしお◆ff3c50cd ID:912e8347
Date: 2010/11/28 11:30
しばしの歓談の後、菜緒が唐突に「シャワーを浴びたい!」と言い出した。

「だってこの建物埃っぽいし汗かいちゃったし。ここらで一つさっぱりしたいのよ」

特に否定する理由も無いので一行は交代で入浴を行う事にした。

「じゃああたし一番乗りっと! 美雪、一緒に入らない?」
「うーん、どうしよっかな。えっちな人に気を付けてないと覗かれちゃうかもしれないし」
「ああ、その点なら大丈夫だ。俺がちゃんと見張っておく。バスルームには何人たりとも近付けはしない」
「だからそれはアンタのことだってのよ!」
「見くびるな。俺がそんな人間に見えるのか?」
「そんな人間に見えるような言動や行動ばっかりじゃないですか。鳴神くんは」

結局少女二人の信用を得る事は叶わず、菜緒は一人でバスルームに入っていった。

(――やれやれ)

その間圭介は自発的に入口の見張りを引き受けることにした。
入口から少し離れた場所で壁を背にしてどっかりと腰を下ろす。上質であろう絨毯の弾力が妙にくすぐったい。

(親父――ちゃんと飯食ってるかなあ)

ふと、そんな心配が思い浮かんだ。
「ゲーム」が開始されてからは半日余りであるが拉致されてからスタートまでの時間は定かではない。
となれば現実の世界から自分たちが姿を消してから合計でどのくらいの時間が経過しているのか。
圭介の父・浩介は家事のセンスが全くと言っていいほど無い人間である。
圭介の助力無くしては米一つ炊き上げる事が出来ない。
そんな浩介がこれまでの時間、いったいどのようにして食事を摂っているのか。
外食で散財してはいないだろうか。台所を滅茶苦茶にしてはいないだろうか。
主婦さながらの家の守り手である圭介にとってはそれが無性に気にかかり始めた。

だがすぐにそれは有り得ない想像であることに気付き、己を恥じる。
何せ実の息子が行方不明になってるのだ。浩介の性分ならば間違い無く自分を探し回っている。
その所為で食事を摂る暇が無い、心配の展開は寧ろこちらの方向性で為されるべきだ。

(そっか、俺がここで死ぬと――親父は一人になるんだ)

母・美耶子がこの世を去ってから、ずっと二人で生きてきた。
浩介は息子の為に身を粉にして働き、圭介は父のために家庭を守ってきた。互いが互いを必要としてきた。
そのバランスが自分の死によって崩れてしまったら――浩介は一体どうなってしまうのだろう?
彼が大切なものを失ってしまった時、どうなってしまうか。圭介は嫌と言うほど思い知っている。
だが今度は誰も側にはいない。立ち直らせて、気付かせてくれる者などもう一人もいない。

だからこそまだ死ぬわけにはいかないのだ。この仮定には意味が無い。
仮定そのものを打ち消さなければならないのだ。

(そうだよ。あんなこと言っても――あの親父が一人で生きていけるわけがないんだ)


――俺はもう、大丈夫だから。あの時のようにはならないから。
――だから圭介、お前も、もう。


先日不意に告げられた浩介の言葉。あれはこうなることを予見していたわけでもあるまいが。
だがこうなってしまったからこそ、その時返した選択は間違ってはいなかったと断言できる自分がいる。
父の元を離れるのはまだまだ先の事だ。その為にも――

「隣り、いいですか?」
「――ん?」

いつの間にか考え事に没頭していたらしく、ふと気が付けば美雪が目の前に移動して来ていた。
どうやら話し相手になってもらいたいらしい。菜緒がシャワーを浴びている間、手持ち無沙汰なのだろう。

「ダメですか?」
「いや、ダメってことは無いけど」

しかしそれならこちらを呼び寄せればいいだけの話だと思うのだが。
何を好き好んで彼女はこんな地べたに並んで座りたがるのだろうか。

「だって鳴神くんのお役目を邪魔しちゃ悪いですから。ね?」
「別にそんな大層なものでもないんだけどなあ」

見張りと言っても今は別に命運を左右するようなものでもない。
この室内にいる限り誰が訪れようと戦闘になることは無いのだから。
ただ入浴中という気の緩む状況下で無用な混乱を避けるべく、間を取り持てればと考えただけだ。
どちらかといえば気を紛らわす為の自己満足の意味合いが多分に強い。
けれどこちらの意図を汲み取ってもらえたのは悪い気はしなかった。
自分の行動をちゃんと見てくれている人がいる。認めてくれているというのはそれだけで嬉しいものなのだ。

「よいしょっと」

結局拒絶の意を示さなかった事を肯定と受け取ったらしく、美雪は圭介の隣へと座った。
向かい合うのが恥ずかしいから隣を選んだのかと思いきや、随分と近接した距離である。
吐息がかからんばかりのその距離に思わず圭介の方が気恥かしくなってしまう。

「先程は、ありがとうございました」
「え、どうしたのさ突然」
「小説の感想です。まさかあんなに真剣に読んで頂けるとは思ってもいませんでした」

成程合点がいった。わざわざこちらの立場に目線を合わせたのはその感謝の意を表すためだったのだ。

「嬉しかったです、すっごく。やっぱり鳴神くんに教えて正解でした」

「小説が趣味」ってあまり良い顔はされないんですよ、と苦笑する美雪。
その気持ちは痛いほど理解できた。圭介の手品もまた、周りの反応は似たようなものであるからだ。
そんな圭介の技を美雪は純粋に褒め称えてくれた。
あの時に彼女から受け取ったものと同じものを返せたのだとしたらこちらとしても喜ばしいことだ。

「でも俺の感想って結局他の人と同じものだったんでしょ? 参考にならなくて逆に悪い気がするなあ」
「いいえ、逆にわたしの欠点がより浮き彫りになった感じです。だからそんな風に思わないでください」
「そっか。ならよかった」

しがない乱読家の立場としては下した評価が真っ当であるか些か疑問であった。
だがそれほど的外れな意見でもなかったようだ、と圭介は幾分安堵した。

「――本当に、これで鳴神くんとお別れしちゃうのは寂しい気がしますね。
 鳴神くん、さっき菜緒が言ってた『わたしたちと同じ大学に進学する』って話、少し本気で考えてくれませんか?」

「はは、考慮しておくよ。でもその前に」
「はい。何としてもこの『ゲーム』を乗り越えなきゃ、ですね」

自ら望んだ空気とは言え、何時までも旅行気分で浮かれているわけにもいかない。
長沢勇治、木戸亮太、そして黒江唯子。少なくとも3人もこちらの命を欲している参加者が居る。
今が死と隣り合わせの状況であることに何ら変わりは無いのだ。

「ところで鳴神くん、一つ聞きたいことがあるんですけど」

がらりと雰囲気が一変し、やや緊張の面持ちで美雪が訪ねてきた。

「ん、なんだい?」
「鳴神くん――わたしに何か隠し事、してませんか?」

息が止まるかと思うほどに痛烈な一言だった。

「隠し事、か。そりゃ無いわけじゃないけど」
「できればはぐらかさないで欲しいです」

努めて冷静を装う圭介に対し、美雪は更ににじり寄ってくる。

「――」

早さを増すこの動悸は外に漏れてはいないだろうか。
上昇してきた体温の所為で、汗が滲み出てはいないだろうか。
バレるようなヘマをした覚えは無い。だが美雪は圭介の秘め事に対し何らかの確信を抱いている。

「わたし、先程の件で鳴神くんとの距離が少し縮められたような気がします。
 だから――今なら。どんな真実でも受け止められると思うんです」

そう語る彼女の瞳は真剣そのもので。思わず甘えたくなる。委ねたくなる。
全てをここで吐き出して楽になりたい。それでもし許されるならばそれに勝る最善など無いのだから。

しかしそんな絵空事を願って何になるだろう。
何処の世界に自分を殺そうとする輩を許せる人物が居ると言うのか。
それは例え森下美雪であっても変わりはしない。
彼女の想像する真実は、おそらく本当の真実には至っていない。
だからこそこれほど安易に話を持ちかけてきたのだ。

だけど。

「そうだな――いい加減隠し通すのも限界かもしれない」

圭介は大きく息を吐き出した。美雪の身体がびくりと震えた気がした。

「森下さん、紙とペンを貸してくれる? できれば口に出したくない」
「え? あ、はい」

受け取ったノートの一番後ろに、圭介は筆を走らせる。
そして美雪に向けてそっと突き出した。書かれたその一文に、少女の目が見開かれる。

「あのこれ――本当、なんですか?」
「できれば教えたくはなかった。ずっと俺の中だけに仕舞っておくつもりだった」

怖がらせたくはなかったから、と続けて唇を切り結ぶ。

「で、でも確かに、考えてみれば思い当たる節がありました。だけどこんな――」
「でも真実だ。仕方が無い」
「――そうですね」


『この「ゲーム」は各所に監視カメラが設置されてて見世物として中継されている』

そう書かれた圭介のやや崩れた文字を指でなぞり、美雪は肩を落とした。

(上手く行った――のだろうか)

多少気の毒に思いながら圭介は美雪の反応を窺う。
隠し事を明かせ、と迫られた。だがカードの条件を明かすことなど出来はしない。
ならば他の真実を示すだけのことだ。それで美雪の願いには応えた事にはなる。
監視カメラの存在だけでも十分に重い事実のはず。
これで隠し事に対して追及を諦めてくれれば、などと考える自分の小賢しさが圭介は我ながら嫌になった。

「鳴神くんは、こんな事を一人で抱えていたんですね」
「――今にして思えばなんでこんな事隠してのか、って思うよ」

正直にそう思わないでもない。別にこんな時の為に隠し溜めていたわけでもあるまいに。
ただ何が切欠で知られたくない真実が露見するかわからない。
そう不安視していたからこそかもしれなかった。

「でも、ごめんなさい。わたしの知りたい事はこのことじゃあ無いんです」

そう、例えばこんな風に。何が切欠で真実に迫られるかわからない。
今の状況で言うならばさしずめ「話し易い空気を作ってしまった」という所だろうか。
やはり一筋縄ではいかないか――圭介は表に出さず歯噛みした。

「他の隠し事ったってなあ。まさか夜の秘密の行為の回数が聞きたいわけじゃないだろうし」
「? 夜に秘密で何かするんですか?」
「――ごめん失言だった。今のこそこれ以上追及しないで欲しい」
「はあ」

これ以上別の真実を示しても彼女は自分のものに当て嵌まるまで納得はしないだろう。
それならいつもの「ふざけた男」のスタンスを保ち続ける。そうして真実を曖昧にし、美雪に諦めさせる他は無い。
こうなれば根競べである。彼女の生真面目さと、自分の不真面目さとの。

「――鳴神くんが何を隠してるか、当ててみせましょうか?」

だが美雪は意にも介せず、多少挑むような目つきで一直線に切り込んできた。

「はは、怖い事言うなあ」

飄々としながらも恐々となる。美雪は一体何に気付いているというのか。

(まさか――いや、大丈夫だ)

何を確信しているのかは知らないが。それは絶対にカードの真実ではない。
ここまではほぼ完璧に隠し通してきたはずだ。
彼女の前でPDAを二つ所持している素振りは微塵も見せてはいない。
PDAを発見し、それが「6」のカードであると示してからずっと――

(――いや、待て待て!)

唐突にある事実に到達し、思わず圭介は意識が遠くなる。
そうだ、あったではないか。
自分のPDAが偽物であると。JOKERを所持していると。美雪が気付けた状況が。

彼女と初めて出会った時。ただ誘拐されたものだと二人で沈み込んでいた時。
確かその時。「ゲーム」に使用されるものとは知らぬままに。
自分の私物に紛れてPDAが二つ、机に放置してあったではないか。それを美雪が見ていたとしたら? 
注目していた様子は見られなかった覚えはある。だが彼女の頭脳は侮れるものではない。
ただ一瞥しただけで、鮮明な記憶として脳裏に焼き付いていても何ら不思議には思わない。

何という事だ。だとしたら。
だと、したら――

「鳴神くんは――」

途端に空気が重く感じる。時間の流れが遅く感じる。
何も考えが浮かばない。ただ少女の唇の形が変わっていくのを呆然と眺めるばかりで。
この焦りは何なのか。絶望感は何なのか。
そして自らの最奥からこみ上げてくる彼女に対するどす黒いこの想いは一体――


「鳴神くんは――菜緒のことが好きなんじゃないですか?」

「――はい?」

ずばり言い当ててやった、と得意げに胸を張る美雪の姿にしばし呆気に取られる圭介。

「別にもう隠さなくてもいいんですよ? わたしもちゃんと応援しますから」
「いやいや待て待て、ちょっと待ってくれ」

困惑した振りをして平静を取り戻すのに必死になる。
まったくよりにもよって、何を言い出すのかこの娘は。
散々思わせぶりな問い詰めを敢行し、知りたかった真実がこんな桃色の話題であったとは。
それに振り回され様々な言い逃れを繰り返し。
最悪の可能性を思索し挙句何かを踏み越えそうになってしまった自分があまりにも無様ではないか。
しかもその確信すらもまったくの的外れであり勘違いときたものだ。
最早どんな顔をしていいのやら。圭介は様相を呈すのにえらく時間がかかってしまった。

「――落ち着きましたか?」
「ああ、まあ、ね」
「でもそんなに取り乱すなんて、やっぱり図星だったんですね」
「だからなんでそうなるのさ」
「だって、あんなに仲良さそうじゃないですか」
「うーん」

詫びの代わり、というわけではないが圭介は真面目に応えることにする。

「確かに菜緒のことは好きだよ。だけど」

そこで言葉を切り、バスルームの方へ視線を投げる。まだ菜緒が出てくる様子は無い。
不用意な言葉を吐いている最中に出てこられでもしたらまた事態がややこしくなりそうだ。

「だぶんそれは、森下さんの考えてる『好き』じゃないと思う」
「――本当に、ですか?」
「今は、とは言っておこうか」

緑川菜緒は魅力的な少女であり、男勝りの性格も相まって話し易さもあるとは思う。
けれど恋心めいた感情は未だ浮かんではこない。それは断言できることだ。

「それは、理由あってのことですか?」
「理由? ごめん、よく意味がわからない」
「ほら、実はもう既に彼女の席は埋まっているだとか」
「残念ながらその席に着いた人は今まで一人もいない」
「そうですか」
「今、隠れてガッツポーズしなかった?」
「――気のせいです」

独り身であることをそんなに喜ばなくても良いだろうに、と圭介は少し拗ねた様になる。
そこまでして菜緒と自分をくっつけたいのだろうか。菜緒本人の気持ちだってあるだろうに。

「でも本当にお似合いだと思いますよ? 鳴神くんと菜緒って」
「だーかーらー」
「見ていて少し妬けちゃうくらいです。すごく自然な感じで名前で呼び合ってますし」
「それは菜緒がそう呼べって言ったから」

「じゃあ、わたしもそう呼んで欲しいと言えば、そうしてくれますか?」

「――え?」

その一言に、勇気が含まれていると感じたのは気のせいだろうか。
そしてよく考えると二人への対応が随分と違う自分に圭介は気付く。
丁寧な応対には丁寧に。気軽な会話は気軽にと。そう使い分けることが相手への誠意だと思っていた。
だがそれがあらぬ誤解を生んだのだとするならば。人間関係とは随分と難しいものだ。

「ダメ――ですか?」
「いや、ダメってことは無いけど」

上目遣いで懇願する美雪。何か先程も同じやり取りをしたような気がする。
別に問題も障害もあるわけではない。だがいざとなると妙に気恥かしい。
なぜだろう。ほんの少し、呼び方を変えるだけであるのに。

「――コホン」

迷いを振り切り、咳払いを一つ。改めて目の前の少女と相対する。

「えっと――美雪、さん?」
「できれば、『さん』も外して欲しいです」

意を決しての発言はあっさりとリテイクを喰らってしまった。

「じゃ、じゃあもう一度――『美雪』」
「はい、『圭介くん』」
(――うわ)

満面の笑顔がそこに在った。こんな風に笑う彼女を圭介は今まで見た事が無かった。
顔が熱い。動悸が早まる。名前を呼ばれた事がこんなにも嬉しく感じられる。

「よかった。これで漸くわたしも菜緒と並べたような気がします」

胸の白薔薇を抱くように手を当て美雪は告げる。
どうやら余程に対応の違いを気にしていたらしい。
同じ苦境を乗り越えようとする仲間としては同等の扱いをして欲しいと悩んでいたのだろう。
彼女の願いを叶えることが出来てほっとした。
ただそのために多大な対価を払ってしまった気もしないでもない。

「でも菜緒のこと、ちゃんと考えてあげてくださいね? あの子きっと、圭介くんのこと好きですから」
「この期に及んでまだ言いますか貴方は」

今の状態でその言葉を受け取るのは非常に複雑に感じてしまう。

「あー、いいお湯だった」

何と言い返してやろうかと圭介が思案しているとバスルームから暢気な声が聞こえてきた。

「あ、菜緒が出てきたみたいですね。じゃあ次はわたしがお風呂頂きます」
「あ、うん」
「菜緒ー! 次わたしが入るから、ちゃんと圭介くん見張っておいてね!」
「オーライ! 任せといて!」

未だに疑いは晴れていないようだ。美雪は軽い足取りで菜緒と入れ替わりにバスルームへと入って行った。

(――やれやれ)

まったく見張りになっていなかったな、と圭介は再び壁に背を預け入口を注視する。

(考え過ぎ、だったな。あの子は俺のことを少しも疑って無い)

紛らわしいやり取りに、一瞬観念した。真実を暴かれる危機を感じた。
だがカードに関しては微塵も疑われていないことがわかったのは収穫だった。
でなければこうしてわざわざ距離を縮めるような真似はしないであろう。

そしてもう一つ。明らかになりつつある事実がある。
美雪に対して抱き続けてきた特別な感情。それが急激に、名を冠しつつある。
けれどもこれもまた、決して明かすことのできない真実となるだろう。


「A」と「Q」の関係がある限り。
この想いは到達も成就も決して成し得ることはないのだから。




 ゲーム開始より13時間27分経過/残り59時間33分



[21380] キャラクタープロフィール(12/01更新)
Name: でしお◆ff3c50cd ID:912e8347
Date: 2010/12/01 03:15
このページは「シークレットゲームNEXT」の登場人物を紹介するものです。
本編を読み進めていく上で参考になればと思い、作成しました。


FILE 01:鳴神 圭介(なるかみ けいすけ)

年齢:17  誕生日:1/26  身長:171㎝  体重:58㎏
血液型:AB  所属:広西高等学校3年生  
頭髪:ノーマル  服装:深い青のブレザー・ブラウンのスラックス(学園指定制服)
趣味:スーパーの特売狙い  好きな異性のタイプ:よく気の利く優しい人
好きな食べ物:炊きたての白米・漬物  嫌いな食べ物:特になし

本作主人公。ごく平均的などこにでもいる高校生だが、会話力に優れた人当たりの良い少年。
精神的にもタフな部類で土壇場での閃きと発想力に卓越したものをみせる。
反面身体能力は凡庸で押しに弱く、基本的には積極性に乏しいことから頼り甲斐という点においては些か欠ける部分がある。
手先が器用で手品を特技としており、その技は十分に人を魅了できるレベルに達している。
また早くに母親を亡くし父子家庭で育った所為で家事が得意でもある。
ある日突然「ゲーム」に参加させられた圭介は持ち得る全ての長所を駆使し、生還を果たす事を決意する。
だが生きて元の日常に戻るには一つの犠牲が必要である事実に驚愕し、苦悩するのであった。



FILE 02:森下 美雪(もりした みゆき)

年齢:17  誕生日:12/01  身長:156㎝  体重:45㎏  スリーサイズ:80/56/82
血液型:A  所属:神尾女子高等学校3年生  
頭髪:ショートボブに黄色のカチューシャ  服装:小豆色のブレザー・チェックのスカート(学園指定制服)
趣味:自作小説執筆  好きな異性のタイプ:頼りがいがあって楽しい人
好きな食べ物:カボチャの煮物  嫌いな食べ物:チーズ

裕福な家庭に生まれ育ち、丁寧な物腰と気遣いを持ち合わせてた絵に描いたような少女らしい少女。
誠実を心情とし、困っている人を見捨てられない。そして人を信じて疑わない心根は美徳でもあり欠点でもある。
日頃より学業優秀で頭の回転も早く「ゲーム」内でもその才覚を度々垣間見せる。
だが恐怖や悪意に耐性が無いためいざ危機に直面すると足が竦んで動けなくなってしまう。
また運動能力が多分に欠如しているため、誰かのサポートあって初めて活きてくる少女であると言える。
自作小説の執筆が趣味で学園では文芸部の部長を努めている。将来の夢も小説家。
目覚めた施設の中で鳴神圭介と出会い、以後行動を共にすることとなる。



FILE 03:大門 三四郎(だいもん さんしろう)

年齢:31  誕生日:10/10  身長:204㎝  体重:118㎏  
血液型:A  所属:空手道場精道塾鴨川支部師範  
頭髪:あまり手入れのされていないぼさぼさの長髪  服装:白のポロシャツにGパン(季節は初冬だが半袖)
趣味:ダンベル体操  好きな異性のタイプ:自らを支え気付かせてくれる人
好きな食べ物:焼肉  嫌いな食べ物:特になし

2メートルを越える巨漢に分厚い筋肉を纏った空手の達人。系列道場の全国大会重量級3連覇の栄冠にも輝いている。
凶悪な人相も相まってか見る者を恐怖で圧倒するが内面は謙虚で男気に溢れた好人物。
自らの強さを微塵も鼻にかけず修行不足を自認している。
だが思い込みが激しく思慮に欠け、会話も達者ではないためしばしば周囲を困惑させる。
それもまた本人の自覚する未熟であり、万度彼はその大きな身体を丸めて謝罪を繰り返すのであった。


FILE 04:古谷 小枝子(ふるたに さえこ)

年齢:28  誕生日:4/22  身長:166㎝  体重:54㎏  スリーサイズ:85/62/83
血液型:A  所属:ブティック「Valley」店長  
頭髪:濃いめのブラウン、ソバージュロング  服装:整ったデザインの洋服上下(自作)
趣味:ウィンドウショッピング  好きな異性のタイプ:死別した旦那
好きな食べ物:ほうれん草のパスタ  嫌いな食べ物:こんにゃくゼリー(昔食べ過ぎたかららしい)

妖艶な大人の魅力を持つ女性。未亡人。6歳になる「千枝」という娘がいる。
2年前に最愛の夫と死別し、以降女手一つで娘を育ててきた。
洋裁が得意で学生時代は手芸部に所属していた。







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