アジア雑貨屋さんの仕入れ術・その四
アジア雑貨屋さんの仕入れ術―あなたの旅を変えるプロの全ノウハウ 価格:¥ 1,680(税込) 発売日:1998-05 |
「アジア雑貨屋さんの仕入れ術」です。四回目です。これまでの原稿は
第 一 章
隠れ里とシャングリラ伝説 変貌する村々
タイ北部国境地帯を旅しながら考える、なぜ私はエスニック雑貨屋を志したか。そして勉強するエスニック雑貨の動き百年の歴史。
第 二 章
ハンドクラフトの都 チェンマイを歩く
タイのほとんどのハンドクラフトは北からやってくる。東南アジアのマニア的観光客が集まるチェンマイはまた、ハンドクラフトの集散地でもある。
第 三 章
詐欺師の王国 スーベニール経済の成立ち
観光客をエサに生きるしたたかな奴ら。ツアー客からの利益収奪システムの全貌を解明。さらに買弁、ポン引きにいたるまでの手口を紹介。
第 四 章
レンタカーで旅をする、タイのあちこち
車の後部座席でも居眠りは許されない。名も知れぬ路傍の、それぞれの村にも人々の生活があり、商売のネタがある、……かも知れない。
車で旅をするのが好きだ。
タイはどこに行っても道がいい。ベトナム戦争の時に米軍が作った道路は、さすがに軍事用だけあって戦車も走れるほどいい道だし、山が少ないからどこまでも真っすぐだ。走っているとほどよく現われるガソリンスタンドにはコンビニや食堂も付属していて、快適に旅行できる。
タイでも小さい車を持っているのだが、さすがにこれで遠出はしない。せいぜいホアヒンに遊びに行くくらい。
大量の荷を積み、ほとんどタイを縦断するようなハードな仕入れ旅には、ミニバスのレンタカーに限る。借りるとおまけで運転手もついてくることだし。
ミニバスというのは日本製のワゴン車で、アジアの小規模なツアーで観光客を乗せたりする、ほら、アレです。といえば、ああ、と思い当たるヒトもいるんじゃないだろうか。東南アジアでは観光客はどこでも、ミニバスのお世話になることになっている。
レンタカーを借りるにあたって注意しなければならないのは、ツーリスト相手の会社で借りてはいけないということ。
悪ズレしたドライバーはブロークンな英語をあやつって、やたらインチキな土産物屋に寄りたがったり、メシ代だ、ホテル代だとたかられるハメになる。
ワタシが使っているのは、タイ人相手のちっぽけな会社。店番の姉ちゃんも英語はダメだし、運転手も三人くらいしかいない。事務所をたずねると昼間っから花札やってたりする。……いや、トランプか。まっ、そんなとこです。
感心するのは、ここの運転手、いままで一度も自分のメシ代やホテル代をたかったことがない。遠出するんならタイヤを替えるからもう少しよこせとか、そういうことも言わない。当然といえば当然なんだけど、この国では貴重です。
さて、そんなミニバスに乗って仕入れ旅。コースはさまざまだ。
北のチェンマイに向かうにも、どこに寄り道するかの選択がある。
ナコンサワンで昼メシ食うのはいつもだが、そこから国境の街メソッドに寄り道して一泊というコース。あるいはスコータイからスワンカロークへ抜けて、シーサチャナライで一泊というコースもある。仕入れるモノは何もないけど、ワタシの好きな町、ランパーンで一泊というのも、いい。
急げばその日のうちにチェンマイに到着することもできる。だが、車で旅するにあたって、暗くなったら走らないというのを鉄則として守っているのだ。
タイでは覚醒剤が横行している。ガソリンスタンドで一錠五十円で売ってるなんて話もあるくらいで、夜中になるとシャブ中の運ちゃんが脳みそパンクしながら目だけギンギン光らせてトラック転がしているので有名だ。
「今はそんなこと、ないよ。取締りが厳しくなったからね」
車で旅することの多いタイ人の同業者はそう言うが、ここは用心するに限る。
「そうそう、夜になるとね、みんなで穴を掘りに行くんだ。車がとまったら鉄砲もって出てって、カネを奪る。田舎の村ではみんな、山賊をやってるよ」
なんて物騒な証言をするヤツもいる。
とにかく、暗くなる前に車をとめる。これが仕入れ旅の鉄則だ。
車で道を走っていると、いろんなモノを道ばたで売っている。
バンコクを出て北に向かうと、まず現われるのがガイヤーン。ニワトリの丸焼きだ。これは田舎のほうがウマイということになっている。地鶏ってヤツだね。でも、走りながらこんなモノを買ってもどうしようもない。
その土地、土地の特産の果物というのも定番だ。ハチミツなんてのもある。チェンライからメーサイに向かう道筋で売っているパイナップルは絶品。名物だそうだ。
焼きトウモロコシは小腹が減ったときには最高だ。こういうのにめぐり会えると、退屈も紛れていい。
南に向かってホアヒン。途中のペチャブリかいわいでは塩田が多いせいで天然の荒塩が有名。きっとすごく安いと思う。いくら安くても、こんなモノを土産に日本に持って帰るわけには行かないけど。
ここでは魚醤、つまりナンプラーや魚の干物も売っている。ここのナンプラーは質がいいので有名。魚の干物もバンコクの取引先への土産に喜ばれる。
ペチャブリにはお菓子の工場があって、製造直売で売っている。安くておいしい。
とまあ、そんなわけで道ばた系の店で売っているのは食料品が多い。定住してるわけじゃないワタシにはあまり縁がない。でも、たまには車をとめて眺めて歩くだけでも楽しいものだ。
そういえば日本にも似たような光景は見られる。ワタシの地元、伊豆半島ではミカンや干物がそう。車で伊豆を旅すると、ずらっと並んでるよね、あれと同じ。
ちなみにワタシの知人のミカン農家の息子、悪いヤツで、夏になって観光客で道が渋滞すると山からもいできた夏ミカンを甘夏だとダマして売って歩いていた。
いまどき夏ミカンなんて酸っぱいモノ、だれも欲しがらない。売れないんで、山にそのままほったらかしてあるのだ。タダでいくらでも取れる。
甘い、甘い、甘夏だよ~、なんて、ダマして売りつけるのだ。渋滞で退屈していた観光客が買うらしい。
「バレる前に逃げちゃえばいいのさ。むいて食えばすぐ、夏ミカンだってバレるんだけど、渋滞してるから追いかけられないもん」
タイ人の方が日本人よりマジメなようで、今のところ騙されたというケースはない。どこに行ってもそれぞれの土地で、名物を売ってるってのも、なかなかいいもんです。
さて、食い物じゃどうにもならないけど、たまにはエスニック雑貨バイヤーの目を引くモノがないわけじゃない。
偶然にでもそんなモノを発見したら、それこそレンタカー仕入れの快感ここにありという気分になる。
イサーンめぐりをした時のこと、ナコンラチャシマからスリンへ抜ける道すじに植木鉢を大量に並べる店があった。
植木鉢くらいじゃ車はとめない。あんな重くて安いモノで商売はできない。が、あまりに量が多い。道にそって延々と続いているのだ。
さあ、こうなったら車をとめて偵察だ。
ここは、ダンクエン村というところ。陶器の産地だ。改めて観察してみると、陶器といってもチェンマイあたりとはだいぶ違う。食器のたぐいは見当たらず、植木鉢、大きな壷、それにタイ名物パパイヤの青い身をポクポクとたたいて作るソムタムという料理に使うすり鉢がおもな産物だ。
このソムタム鉢だったら、見たことがある。どこでも、石のすり鉢か、この肉厚の焼き物のすり鉢かどちらかを使っている。
……なるほど、こんなところで作っていたんだな、と、あらためて納得。そうして歩いているうちに妙なモノを発見した。
ここの焼き物は鉄分の多い茶色っぽい土で作られている。それもかなり素朴な窯で焼かれているはずだ。というのも、炎のあたりぐあいや灰の積もりぐあいで微妙に土肌が変化している。
日本なら備前焼きといったところ。
大きな壷ともなると、その肌は千変万化の妙を見せている。が、その壷に熱心にペンキを塗っている男がひとり。
客である日本人に気がつくと、彼は照れ臭そうな笑顔を見せる。
そう、表面が窯変でムラになっていたり、灰が溶けて緑色のシミがついてしまった『欠陥品』にペンキを塗って、ピンクや空色の壷を作ってバンコクに出荷しているのだ。
そういえば妙なぐあいにペンキが塗られたこの壷、バンコクではポピュラーな商品だ。タイ人はこんなのが好きなのかなあ、なんて気にもとめなかったのだが、まさか中身が窯変しっぱいの備前まがいだったとは。
さあ、こうなると仕入れのチャンスだ。一輪挿しになりそうなやつとか、お茶の水指しに使えそうなやつとか、茶入れになりそうなやつとか、小物を中心にせっせと買い込んだ。もちろんペンキを塗ってないやつ。めちゃくちゃ安い。
問題の窯はショールームのすぐ裏にある。ごく簡単なつくりの穴窯だ。土はそこらへんのたんぼから採ってくるらしい。そういえばこのあたり、イサーンはたんぼに塩分が多いので有名。雨の降らない農閑期には表面に塩が浮くほどで、それを利用して雨季には米、乾季には塩をたんぼで作ったりする。
北部の窯場では燃料に竹を使っていた。竹は炎が強く、まるで紙をくべたようにペラペラと激しく燃えて窯の温度をあげる。が、ここまでの道すがら車窓から眺めたところでは、この辺に竹は生えてない。窯をのぞいてみたら、雑木が燃え残ってくすぶっていた。緑色のシミは、この雑木の灰だろう。
土に塩分が含まれていることにより、雑木の低い温度でもしっかりと焼ける。焼きあがりの肌は、黒っぽく、艶々したものになる。そこに炎のぐあいによって生じる窯変がからんで、……おいおい、これは南蛮焼きだよ、と、思わず叫んでいた。
南蛮焼きというのは、いまだにその正体がわかっていない幻の焼き物である。
桃山時代に日本にわたってきた無釉、焼き締めの焼き物。茶人のあいだでその素朴さが喜ばれ、愛された。ポルトガル船が運んできたため南蛮焼きと呼ばれるが、産地はいまだにわかっていない、多分東南アジアのどこかであろうと推測される、と、物の本には書いてある。
江戸時代には京都の陶工たちがコピーを作ろうと努力を重ねたが、単純、素朴なものだけに、なかなかうまく行かない。その結果、『南蛮に凝ると身上をツブす』とまで言われている。
いま、目の前にあるのはまさに、その南蛮焼きそのものなのだ。
ところで白人の芸術家というのはなかなかたいしたもんで、シーサチャナライにも定住して研究と作陶にはげんでいるオーストリア人がいるのだが、ここにも一人、白人の陶芸家がいた。
先祖代々のソムタム鉢を作っている地元民と違って、彼はそれなりに勉強しているのだろう。日本の陶器のフォルムを写した徳利形の花瓶なんかも作っている。
これはもちろん、即ゲットだね。
そうやって道にそった店をひとつひとつ点検してるうちに、またひとつセンスのいい店を発見。店内に本物のアンティークの南蛮焼きの大壷が飾ってある。
「それは売り物じゃないんだ、作陶の参考にしようと思って飾ってあるだけでね。地元で出土した古いモノだよ」
話しかけてきたオーナーは、石を彫っていた手を休める。写真集の一ページだろうか、クメールの石彫の仏像の写真を見ながら、コピーを彫っているらしい。
ここはイサーンだ。カンボジアも近い。この材料の砂岩もあっちから運んできたのだろうか。
……なるほど、バンコクの骨董屋に並んでいるクメールの石彫はこんなところで作っていたんだな、と納得。聞けば彼は美術大学を卒業した芸術家だという。プロだ。こんなヤツがホンモノとおなじ石を、写真見ながら彫っているんだから、たまったもんじゃない。
ところで、この村で仕入れた、ひとつ四十円のちいさな調味料入れの壷、例によって骨董屋が八百円で買っていった。噂ではきれいな着物まとって象牙の蓋つけて立派な桐の箱におさめられて、五万円の茶入れに化けているとか。みなさんもご用心を。
車で走っていて幻の南蛮焼きを発見するなんて偶然はめったにないが、もっとつまんないモノにはよくめぐりあう。
麻縄で編んだハンモックは、チャトゥチャでも売っている昼寝大好きタイ人愛用グッズだが、チェンマイからチェンライに向かう道でも売っていた。値段はバンコクの半額。ここでは卓上用の小さいホウキも買う。ほかにも、安っぽい籐椅子やら、何に使うのか理解しがたい道具がいろいろ売っていた。すべて天然素材のハンドクラフトだ。
バンコク近郊でも、竹で編んだザルを買ったことがある。
わずかばかりのキノコを並べて売っている人もいた。聞いてみると、栽培したものではない。雨季のごく一時期にだけ、森に生える天然のキノコだそうだ。
幹線道路の近くに住んでいる人たちにとって、こうした自然の恵みや天然素材にちょっとばかり手を加えてできるモノを売ってカネにするというのは、一番手っ取り早い現金収入なのだろう。
それで思い出すのは、スリランカの少年たちだ。 やはり車で旅を続けていて、小さな滝に停車したときのこと。
子供がわらわらと寄ってきて、水晶やローズクォーツの原石を差し出すのだ。ひとつ一キロくらいある、立派な標本だ。彼らは口々に「プレゼント、プレゼント」と叫んでいる。だが、タダで貰うのも可哀そうだと思って、わずかなカネを渡そうとすると、運転手が言った。
「ダメだよ金なんか払っちゃ。それ、山で拾ってくるんだ。もとはタダなんだから」
……そりゃそうだけどね。
もっとすごいのは、やはりスリランカの山道。箱根や日光の七曲りみたいにクネクネと曲がりくねった道を、車はゆるゆると走る。と、どこかから走り出てきた子供が花束を手にして売りつけようという態勢。もちろん、それくらいで車をとめるわけがない。どんどん登ってゆく。
と、また、現われたのだ。一瞬、ギョッとした。まさか、違う子供だよな、と、また無視。そして次の角を曲がったところでまた。
今度ははっきり確認できた。さっきの子供だ。まちがいない。
それからも、角を曲がるたびに、その子供は走りだしてくる。
けわしいガケをよじのぼって、車の先まわりをしているのだ。しまいに運転手の方が根負けして、車をとめてやった。
ヨレヨレになった野草の花束を売りつけて、少年はぜいぜい言いながらもすごく嬉しそうな顔を見せてくれた。
まっ、スリランカに比べたらタイなんか知れたもんです。あすこはちょっとレベルが違うから。
そこまでスゴくなくても、田舎には何が出てくるかわからない楽しさがある。国民党の残党がたてこもるドイ・メーサロンに登る道すがらにはヤオ族の村があって、そこではお得意の刺繍をほどこしたグッズが安く買えたりするし、実際に刺繍しているところを見物もできる。
子供を背負って、生地の裏から針を刺しながら、彼女たちは言う。
「機械で織った生地だったら、目をつぶってても刺繍できるわよ。これ、手織りの生地だからむずかしいのよ」
なるほど、目が揃ってない手織りだとむずかしいんだろうな。でも、そういうことはいくら本を読んでも書いてない。
もう少し先にはアカ族の村もあるが、商売上手なヤオ族と違って彼らは、どこかから仕入れてきた大量生産の品物を漫然と並べて売っているだけだ。アカ族オリジナルじゃないから、買ってもしょうがない。
チェンマイの路上では、近郊から出てきたモン族のおばさんたちが麻の生地を売っていた。日本の反物とおなじ幅の、ざっくりした手織りの生地だ。エスニック関係ではけっこうポピュラーで、洋服にしたり、バッグにしたり、いろいろ使い道がある。
バンコクの半値。それはいいんだけど、彼女たち計算ができないのだ。計算ができないどころじゃない、現金を持ったことがないのか、まるでトンチンカン。百バーツ札の価値はわかるみたいだけど、千バーツ札なんか見たこともないという顔で受取り拒否。
全部、こちらが計算してあげて、品物とお金を並べて説明してあげて、やっと取引完了。けどまだ、彼女たちはキョトンとした顔をしているのだった。
ホント、道ばたにはいろんな人がいる。そして、いろんな人生がある。
ワタシは土地を衝動買いしたヒトを見たことがあります。ワタシの母です。景色のいい川のほとりを歩いていたら、たまたま造成工事をやっていた。工事をしていた人に聞いたら「ああ、売りに出すんですよ」ということで、その場で買ってしまった。それから十年たつけど、まだ草ぼうぼうです。
母親ほどじゃないけど、ワタシだって負けちゃいない。
チェンマイからの帰り道、たまたま運ちゃんの気分が良かったのか、悪かったのか、いつもと違う道を走っていた。
そのまま行けばイサーンへ抜ける道。西部劇かオーストラリアみたいな、アジアっぽくないおおざっぱな景色だ。乾季のイサーンはそんな感じなのだ。
途中、プレーという小さな町。
ここはどうも、ホウキが名物らしい。やたらホウキを売る店が多い。う~ん、でも机のうえをはく小さなホウキはまだ在庫があるしなあ。なんて考えながら眺める。
といって、大きなホウキは日本の家には向かない。ホコリをかきまわすだけで、ちっともきれいにならないのだ。
それでも好奇心に負けて車をとめさせる。
ホウキはホウキでホウキ以外の何物でもないし、ほんとにここはホウキしか売ってない。な~んだ、やっぱりな、と、戻ろうとして気がついた。
となりに工場がある。
廃材が山積みになっている。古い家を壊したり、農作業に使った牛車を壊したりして出た廃材だ。ということは……。
ピーンと来た。
家具工場だ。
タイではチーク材は輸出も輸入も原則禁止されている。伐採できるのは、自分で家を建てるために自分の樹を切るためだけで、その家も二十五年間は壊しちゃいけないことになっているのだ。
「いやあ、この家は二十五年定期みたいなもんだよ。いずれ売ることを考えて、釘を使わずに建ててあるんだ」
立派なチーク材の家に住んでる金持ちが自慢げにそう口にしていたが、その結果、カンボジアやビルマからの密輸が急増した時期があった。
それも今では厳しく規制され、ほとんど流通はストップしているのだ。
でも、タイで実用になるようなしっかりした材木といったら、チークしかない。でなければ輸入のアメリカ材だ。
そこで登場したのが、これ。廃物利用、地球に優しいリサイクル家具。
廃物利用といってもチャチなもんじゃない。チーク材は油分が多くて水に強い。公園のベンチの板なんて、半年ごとにペンキを塗らないと腐ってしまうが、チークは平気。昔からヨットの甲板に使われていた。雨ざらしで何十年使っても平気なのだ。
工場にのこのこ、勝手に入りこんでいくと、マネージャーらしきオジサンが携帯電話を抱えて番をしている。
並んでいる在庫を見せてもらって驚いた。似たような家具はナイトバザールでもチャトゥチャでも売っていて、さほど珍しいモノではない。ワタシ、ほかの工場を見学したこともあるのだが。
けれど、ここのは出来が違う。
あとでわかったことなのだが、ここ、プレーの町はチーク材を使った家具の製造にかけては定評のある地域だそうだ。いわば地場産業といったところか。
ていねいに仕上げてあるばかりでなく、力学的な構造もしっかり考えて、がっちりと作ってある。良質のハンドクラフトというのは、品物をじっくり眺めれば、作った人の気持ちが伝わってくるものなのだ。
さっそく交渉をはじめたが、もちろん、値段は安かった。バンコクの工場とほとんどおなじ。だったらずっとお買得だ。それにバンコクまでの運賃も大したことない。まとめて買ったから、大型トラックを借りて運んでくれるということだ。
というわけで、また新たにウチの自慢の商品が生まれるというわけだ。これもまた、むやみにタイ中を車で走りまわっていればこそ、の成果だ。
バンコクの家具でも今までそれなりの商売にはなっていたんだから、ここまでやらなくても、という考えもあるだろう。
採算効率を考えたら、そうかも知れない。ただでさえ、家具をあつかう業者は少ない。けれど、商売のおもしろさって、こういうところにあるんじゃないだろうか。惰性でルティーンに仕事をまわしていくだけだったら、エスニック雑貨バイヤーなんて商売はやらない。
かくして今日も、エスニック雑貨バイヤーを乗せてレンタカーは田舎を走る。後ろの座席で退屈しながら、でも、エスニック座席バイヤーはうっかり居眠りもできないのだ。
前回のアジア雑貨屋さんの仕入れ術その3がコメント0だったのでとりあえず投稿してみます。
(前回もタイネタ投稿しようとしたんですが、書くことありすぎて面倒くさくてやめちゃった。)
バンコクの旧市街をトンブリ地区と言います、ここで焼かれたトンブリ陶器が日本の丼の語源だと聞かされたんですが、ググってもそんな説まったく出てこない。単なるダジャレの捏造説だったんだろうか。かなり信じて知り合いに吹聴してたのに。
投稿 じろう@なんだか最近のエントリーに親米ネトウヨがどんどんわいてるなあ。 | 2010/01/16 20:27
焼き物の名称は、「作られた場所」ばかりではありません。「輸出港」の名が名称になる事もあります。トンブリで焼かれていたというより、トンブリから輸出されたというのが正しいのでは? タイでは、近世になるとチャオプラヤ河の中洲とかで陶器を焼いていたようなので、そういうのが輸出されたかも知れないですね。なので、トンブリがドンブリの語源だというのは、面白い説なので、せいぜい広めて下さいw
投稿 野次馬 | 2010/01/16 20:35
>前回のアジア雑貨屋さんの仕入れ術その3がコメント0だったのでとりあえず投稿してみます。
ちょーwww
私も、「あ、コメント0だ。」ってちょっと気になってたですw
今回、クメールの仏像の石彫のコピーを撮った写真を見て、書き込みする事にしました。
(私が現地で観た)タイの仏像って、笑ってるんですよね。
そのふざけた感じ(失礼)が可愛くて、こっちまでつられて笑顔になるって言うか^^
ほのぼのとしていいな~と感じたのを思い出しました♪
投稿 日本が大好きな日本人 | 2010/01/16 21:18
>トンブリ
↓文化放送「くにまる東京歴史探訪」(2005年10月4日放送)
『「どんぶり」という言葉の起源にはいろいろな説がありますが、最近有力なのが、タイの首都バンコクの西側で、その昔王朝があった「トンブリ」という地域から来ているというものです。ここは、色鮮やかな磁器、焼き物の産地で、日本の有田、中国の景徳鎮と共に、海外との交易で栄えました。このトンブリ特産の焼き物の一つに、日本の丼によく似た、色鮮やかな蓋つきの大ぶりな茶碗があります。焼き物は、その産地の名前で呼ばれることが多いですから、この大ぶりな茶碗が日本で「トンブリ」と呼ばれ、それが後に「どんぶり」に変化したのでは、と考えられています。』
ttp://www.joqr.co.jp/meister/kunimaru/051003.html
※ちなみに、「倹飩振り鉢」が語源との説もあります。
投稿 あの | 2010/01/16 21:22
なにこのうんこシリーズw誰が読むのw
うんこもり野郎もびっくりですよきっと。
ブログのタイトル変えて出直したらどうですか?
親米ネトウヨwより
投稿 ポキントー | 2010/01/16 21:33
アジア雑貨屋さんの仕入れ術は!!!!!!!!!!!!!!
野次馬先生の!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
ぷらいど♪(今井美紀風)
投稿 上昇運@飛躍 | 2010/01/16 22:31
>(私が現地で観た)タイの仏像って、笑ってるんですよね。
のちに、それが海を渡って安曇野で道祖神になったのであるwww
http://portal.nifty.com/2009/12/09/b/
投稿 海DQN | 2010/01/16 22:37
上昇運@飛躍さんのコメントは(ご自分の)スタイルを確立された感がありますよねwww
>のちに、それが海を渡って安曇野で道祖神になったのであるwww
http://portal.nifty.com/2009/12/09/b/
ちょーwww
よー探してくるねw
感心するわwww
>イチャイチャ
良いではないかw
イガミ合うより仲良くする方が余程良いよね♪
投稿 日本が大好きな日本人 | 2010/01/16 23:12
いやー、このシリーズおもしろいですね。
そのときの心情とかも書いてあるのが、他の入門書とかと全く違っていいです。
まだ続きがあれば書いていただきたいです!
投稿 ルミナックス | 2010/01/17 00:21
ポキントーさんて親米ネトウヨなのにユーモアのセンスがあるなあ。
投稿 じろう@自称リベラル | 2010/01/17 11:18
野次馬さん、あのさん、いろいろ情報ありがとうございます。
これからもトンブリ=どんぶり説、街宣活動続けていきます。
このシリーズ好きです。エロ小説シリーズはあまり読みませんでしたが。
タイ長いって言ったって私はほとんどバンコクだけですからね。
ポキントーさんもあんなこと言いながらきっちり読んでますよ。
たぶん仕事であんな悪口言っているんだと思います。
他のネトウヨと違って知性も感じさせるし。
ほんとは正直で真っすぐないい人に決まってます。
投稿 じろう@ネトウヨ褒め殺しシリーズ、その①ポキントー篇 | 2010/01/17 11:53
krみとすれ住民ってネトウヨ認定されるんですね・・・
いやー,最近のここの住人の方は相手にしてくれてありがたいです。
投稿 ポキントー | 2010/01/17 13:41
>(私が現地で観た)タイの仏像って、笑ってるんですよね。
日本では飛鳥・奈良時代の「アルカイクスマイル」の仏様と同じ類なんじゃないでしょうか。法隆寺とかの仏様もびみょーに笑ってますョ。
東京国立博物館にたくさん小さい笑顔の仏様あります。
広隆寺・中宮寺の「半跏思惟像」なんかもそうですわね。
1ヶ月前にタイに行ったのでなつかしー。www
投稿 とおりすがり | 2010/01/18 00:46
>日本では飛鳥・奈良時代の「アルカイクスマイル」の仏様と同じ類なんじゃないでしょうか。法隆寺とかの仏様もびみょーに笑ってますョ。
いや、あの、別に私は日本にアルカイクスマイルの仏像がないなんて一言も言ってないですw
ただ、『アジア雑貨屋さんの仕入れ術その3』がコメント0だったので、じろうさんと同じ気持ちで、とりあえず何かコメントしたいと思って、
で、仏像の写真が出てたから、タイで観た仏像の全て(つーてもたかだか三泊四日の旅でしたがw)がもうこれでもかってくらい笑ってて、こっちまでほのぼのとした覚えがあるから、それを書き込んだまでですw
>1ヶ月前にタイに行ったのでなつかしー。www
だったらまだ記憶に新しいから書く事いっぱいあるでしょうに!!
私なんて何年も前に一度行ったきりですよw
『アジア雑貨屋さんの仕入れ術その3』に書き込みしてあげればよかったのに~www
(↑あ、これは冗談なんで、この件でマジレスするとか野暮な事はしないで下さいねw)
投稿 日本が大好きな日本人 | 2010/01/18 13:50
場面が眼に浮かぶようでいいっすねぇ。
やっぱ今時外国のひとつにもいかない人間って
どーも偏狭でヤになっちゃいますねぇw
しかも地元から出たことも出ようともしないB層ってwww
そりゃあアクドイ奴等のカモにもなりますわってw
投稿 ウジ統一層化覗き見変態犯罪組織ニボン放送は日本人の敵です | 2010/02/07 17:21