第一回【FC岐阜】今西和男が広島でやり残したこと
木村元彦●取材・文 text by Kimura Yukihikophoto by Yamada Kazuhito/Kaz Photography
今西和男が2007年にGMに就任してから4年目、FC岐阜が経営危機を脱しつつある。2007年に「経営基盤の強化」を条件にJリーグ準加盟を承認されたチームは、しかし、その後も好転せず、2008年終了時点で3億を超える累積赤字と1億4616円の債務超過に陥っていた。
今西はこの段階でJリーグ公式試合安定開催基金から5000万円の融資を受け急場を凌いだ。明けて2009年6月、予想を大幅に下回る入場者数により、経営が危機的状況であることを発表。これにより、存続を願う地元ファンや企業が危機感を共有して支援の輪が広がった。
情報が開示されたことで、民心を掴み、2800万円が集まり、そこからスポンサーがついた。今年2010年4月には、ついにJリーグからの基金を返済。再生に向けての一歩を踏み出し、近い将来のJ1昇格に向けて加速している。
Jリーグ屈指のGMであった今西は元々、経営に参画する気があって岐阜に来たわけではない。韓国や欧州サッカー界とのパイプを太く持ち、サンフレッチェ広島の礎を築いた今西について、当初のオファーは週に一度、強化を見て欲しいという依頼であった。
ところが、いざ来てみれば経営状態が予想だにしない火の車だった。強化どころか、金策に走り回る毎日となった。非常勤の顧問のはずが、やむを得ず中心に据えられていったというのが、実際のところである。
それでもなぜ、岐阜とは直接の縁もなく、「私は通りすがりの人間ですよ」と、知事や周囲に話していた今西が、社長にまで就任して火中の栗を拾ったのか。
「それは、ふと広島でやり残したことに気がついたんですよ。サッカー人生の最後の集大成としてそれを岐阜でできればと思ったわけです」
やり残したこと? ヴェルディ、マリノスの全盛期の1994年に当時では稀有な組織的なサッカーでサントリーシリーズを制覇。高木琢也、森保一、久保竜彦を発掘し、のみならずユースの強化にも尽力して吉田高校との提携を図り、駒野友一、前田俊介、森崎浩司・和幸兄弟、槙野智章、柏木陽介らを輩出させた今西にして何の悔恨があったのか?
「サッカーによる地域貢献、社会貢献ですよ。それがまだサンフレッチェではやり切れていなかったことに思い至った。サッカースクールなんかは行なっていましたが、それはあくまでもビジネスだった。その志が完全消化していなかったから、このままだったら、辞められないと思ったわけです」
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