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女性天皇は遠のくばかり
雅子皇太子妃殿下の愛子さま教育に疑問噴出だが
離婚か、交代して宮家になるか、「一人天皇」を明言するか-継承問題はここまできた


■母子密着の原点は「女帝」問題
「愛子さまが通学できない」――。  この春、野村一成東宮大夫の衝撃的な会見で幕開けした愛子さまの「通学問題」はいまだに続いている。  学習院初等科のある保護者がいう。 「子どもたちはもうみんな、雅子さまが校内にいることに慣れたんです。いい加減、雅子さまは愛子さまのことは学校に任せていただきたい。愛子さまだけの学校ではないんです」 「通学問題」をきっかけに、雅子さまの「愛子さま教育」に改めて疑問が広がっている。昨年暮れ、NHKが行ったアンケート調査では「女性天皇に賛成」は77%に上っていた。  しかし、「愛子さま天皇」を前提にした調査を現時点で再度行ったら、はたして同様にハイスコアなのだろうか。とてもそうとは思えない。  学習院初等科の別の保護者は、雅子さまの愛子さま教育について「子どもと親が依存しあう"母子密着"が過ぎている」という。  ある皇室関係者が背景を推測する。 「(過度な母子密着の)原点は女性天皇実現がポシャったことにあるのではないか。'06年、当時の小泉内閣は、女性・女系天皇を認め、長子優先とした首相の私的諮問機関『皇室典範に関する有識者会議』(以下、有識者会議。座長、吉川弘之元東京大学総長)がまとめた報告書を基に皇室典範を改正する寸前までいった。しかし奇跡的なタイミングで秋篠宮紀子さまが懐妊されて'06年9月に悠仁さまが生まれ、皇室典範改正は棚上げされた。雅子さまはそのとき『この子を守るのは私の役目』と思いつめられたのだろう」  皇太子ご夫妻が結婚されたのは'93年だが、実は宮内庁は、その3年後の'96年ごろから、世界の王室の継承問題の資料を作成し、研究していた。 '97年、政府による第1期の皇位継承制度に関する非公式研究会が始まった。このとき、皇太子ご夫妻にはまだお子さまはなく、秋篠宮家のお子さまも眞子さまと佳子さまだった。  愛子さまが1歳だった'03年5月にも、内閣官房、内閣法制局、宮内庁は共同で皇位継承制度改正を検討し始めた。'04年5月、政府は女性・女系天皇容認を打ち出した極秘文書をまとめた。小泉政権下で発足した前述の有識者会議が「女帝ありき」を前提としていたというのは、この極秘文書が基になっていたからだ。  だが、直ちに「女帝容認」に向かったわけではない。一方では男系男子の継承を守る動きが始まっていた。



■鎌倉節氏と神社本庁が大反対
 前出の皇室関係者が解説する。 「'96年から'01年まで宮内庁長官だった鎌倉節氏が強硬に男系男子継承を唱えたと聞いている。陛下は『孫娘が天皇になれない現状では血筋が途絶える』と、愛子さまを天皇にしようと考えていたらしい。だが鎌倉氏は猛反対し、大議論になったようだ」  それでも有識者会議は'05年、小泉主導で女性・女系天皇を認め、長子優先の継承を明記した報告書を提出。 '06年には、国会提出寸前までいった。 「この時点ですでに、陛下は男系男子継承に心が傾いていた。背景には、報告書の内容に気づいた神社本庁が大反対したこともあります。そのため、陛下はご自身の考えを修正せざるを得なかったようです。小泉さんはそれに気づかず、皇室典範改正に向けて突っ走ったのです。  '02年、皇太子ご夫妻は愛子さまとご一緒に、那須と葉山の御用邸でご静養されていた両陛下に合流したこともある。いまでは見られなくなった家族団らんだが、少なくともこの頃まで、皇太子ご夫妻には愛子さまを天皇にする心積もりがあったのではないか」(皇室関係者)  だが、愛子さまが4歳になったばかりのころ、雅子さまの愛子さま教育に疑問が浮上してくる。  '05年12月23日、陛下72歳の誕生日の出来事だ。お祝いの会食の前、雅子さまがむずかる愛子さまと一緒に東宮御所に帰ってしまった。両陛下と皇太子さま、秋篠宮ご夫妻と黒田夫妻は約3時間も待ちぼうけだった。 「雅子さまは東宮御所で愛子さまと食事をされ、寝かしつけてから御所に戻られた。我慢させるとか、大人のいうことを聞かせるとか、そういうしつけよりも愛子さまを優先させる方針は、この頃から顕著になりました」(宮内庁関係者)  雅子さまが「無理強いしないという教育方針で愛子さまを育てられている」(側近)ことは、「通学問題」にも表れている。



■女性天皇にとは考えていない
 今年10月20日、皇后さまの76歳のお誕生日のことだ。この日の午前11時半頃、雅子さまは薄いブルーのドレスを着て祝賀行事に出席するため、車で皇居に向かった。そして13時過ぎに一旦東宮御所に戻られ、その約1時間後、グレーのパンツスーツに着替えた雅子さまは、愛子さまと車で6時限目のために登校したのだ。  学習院初等科の内部では「絶対はずせないような公務のときこそ、愛子さまを女官らに任せて登校させればいいのに。甘やかしすぎ」と、批判の声も上がった。  10月23日、雅子さまと愛子さまが都内のスポーツ施設でスケートを楽しまれたとき、皇太子さまは目と鼻の先の千葉県内で、障害者スポーツ大会にご出席されていた。これが波紋を呼んだ。野村東宮大夫は記者会見で「雅子さまが都内を離れて公務を行うことが困難な状況である」と弁解。さらに「(雅子さまが)宮さま(愛子さま)のご活動に付き添えるときは、(皇太子さまが公務をしているときに)雅子さまの私的なご活動が一切なしということでなくてもいいのではないか」と庇った。  産経新聞元宮内庁担当の大島真生記者は「宮内庁内には『確信犯だ』という声も、雅子さまが物事に頓着しないためという見方もある。雅子さまが出席される可能性が高いのは、日程調整しやすい『国民文化祭』などです。障害者スポーツ大会は式典だけでなく観戦もあり、ご負担が大きいため、東宮職は早い時期から出席困難と考えていたのでは」と話す。  私的な活動のために公務が出来ないことがあってもいいのではというのだが、それは公務より愛子さま教育を優先させるということだ。  次世代皇室を憂う天皇陛下のご級友で元共同通信の橋本明氏が語る。 「このままでは皇太子さまのイメージダウンは免れない。離婚も視野に入れて、結論を出すときです。秋篠宮さまと話し合った上で交代して宮家になられるという選択肢もある。それができないなら、公式行事を選ぶような皇后では国民が納得しない可能性もあるので、皇太子さまは、『一人天皇』で公務を果たされると明言する時期だと思います」  ある宮内庁関係者は、「雅子さまは愛子さまを女性天皇にしようとはとうに思われていない。むしろ民間に送り出すことが使命と思っているのではないか」という。雅子さまの愛子さま教育をみる限り、そう受け取られても仕方がない。

(2010年12月号掲載)
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