2010年11月30日1時5分
エゴン・バール氏
外務省は29日、1969年に同省幹部が西ドイツの外務省高官に日本の核兵器保有に言及していた可能性を認める報告書を発表した。幹部は核政策に直接関与する立場になく、閣僚ら政治レベルの了解・指示で行われたのかは判明しなかった。70年の核不拡散条約(NPT)署名を前に、同省内に核保有論がくすぶっていたことが浮かび上がった。
10月3日放映のNHKスペシャル「“核”を求めた日本」では、69年2月に日本と西ドイツの外務省が箱根で会議を開き、日本側出席者が「日本は核弾頭を作るための核物質を抽出することができる」などと発言したとされた。これを受け前原誠司外相の指示で同省が調査した。
報告書では、両国の外交当局者が東京で「政策企画協議」を行った後、箱根で懇談したことを確認した。西ドイツ側の出席者の代表だったエゴン・バール政策企画部長(当時)は今年11月、外務省の聞き取り調査に応じ、日本側の鈴木孝国際資料部長(当時)が「米国は、日本が平和的利用のために原子力開発を研究することには反対しなかった。これにより日本は、必要となれば、Korea(北朝鮮)などから脅威が発生した場合、核兵器を作ることが可能になった」などと語っていたことを明らかにした。同部は各国情勢の情報収集などを担当。外務省は、政策企画協議は自由な意見交換が目的で、政策の交渉や調整の場ではないとしている。
バール氏が当時作成した西ドイツ外相への報告書には「(懇談に参加した日本側の)若手職員の何人かは『注意深い国際的な監視の下にあっても、核分裂物質の5%程度を抽出するといったことを防ぐことは不可能であり、このようなことは核弾頭生産の基礎となりうる』と示唆した」との記述があった。
同省によると、日本側で懇談に参加した5人のうち3人に調査を行ったが、「記憶がない」などと答えたため、確認できなかった。だが、ドイツ側への調査結果などを踏まえ、報告書では、日本の核保有の可能性に関連する発言が「何らかの形でなされていた可能性を完全に排除できない」と結論づけた。(高橋純子)