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靖国神社  

2010年 11月 30日

              ◇軍国日本の象徴的宗教施設を見学しました。

先月のこと。東京九段下に用事で出向いた。
そこに、かの有名な靖国神社があった。その巨大な鳥居が見えた。私は、創価学会員である。その私をして、もっとも嫌いな宗教が靖国神社である。私は意を決し、東京メトロ半蔵門線の九段下駅から坂を上り、ついに靖国神社に足を踏み入れた。
以下に、見学した際の感想を述べる。

       靖国神社の大鳥居(第一鳥居)。私は、鉄製の鳥居を睨みつけた。
       長州藩の大村益次郎の銅像。日本陸軍の創始者の一人である。
       靖国神社の拝殿。建物内を撮影しようとしたら警備員に止められた。
       境内にある戦争博物館「遊就館」(ゆうしゅうかん)。展示物のゼロ戦。
       展示物の野砲。この建物の2階が、博物館の入り口になってる。
       参拝を終えてて帰路につく人々。何を祈り、何を感じているのか。

私は、鉄製の巨大な鳥居と広い参道に驚いた。
この道の広さは、戦争で兵器に変えられた兵士の数の多さを物語るものである。
私は、大鳥居から真っ直ぐ拝殿に向った。その途中で、長州藩藩士の大村益次郎の銅像を仰ぎ見た。この靖国の神は、元は長州藩の神である。天皇家由来の神ではない。
明治政府を樹立した際に、長州藩の人々が、国家の軍国神として建設した神社である。
靖国神社の本質は、「戦争の神」である。
参道には、旧日本軍の軍服を着た若者たちがいた。外国のメディアの取材を受けていた。
質問に得意気に答えていた。私は、不愉快な気持ちを抱えながら通り過ぎた。
この道を、戦地に赴く兵士が幾百万と歩いたのだ。家族が見守り、見送ったのだ。
この鳥居をくぐった兵士たちは、やがて戦場の土となり、海底の藻屑となり果てた。
そして、戦死者名簿に名前を記されて帰ってきたのである。
兵士たちは、「靖国で会おう」と言って、人生の何たるかも知らず死んでいった。
私は拝殿を呆然と眺めた。その後、戦争博物館を見学した。

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by sokanomori | 2010-11-30 21:13 | 他宗教・他思想 | Trackback | Comments(2)

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Commented by 速水長三郎 at 2010-11-30 21:16 x
うむ。。。
何時見ても、良い気持ちしない。。。
あそこの、神域と言えば良いのか
考え込んでしまう。。。
Commented by sokanomori at 2010-11-30 21:48
長三郎さん、こんばんわ。
特に、あの巨大な鉄の鳥居はイヤですが、靖国神社の本当の中身は、博物館にありますよね。あそこにあるものこそ、この宗教の持つ力と現証ですから。次の記事は、きっと長三郎さんを、もっと気持ち悪くするでしょう。
まあ、私自身、今日の記事だけで、十分、気持ち悪いのですが。
★菊川広幸
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