第136回患者塾は産業医科大学(北九州市八幡西区)の学園祭「医生祭」のイベントの一つとして11月3日に開かれた。テーマは「医者になった本当の理由」。学生の教育に当たっている産業医大の医師などが「医師」という職業を選んだ理由を語り、あるべき姿について考えた。
◆目指した理由
小野村さん 私は高校時代、ブラウン管の向こうに入りたくて、北海道で深夜ラジオのフリーアナウンサーなどの仕事を10年間しました。ところが段々とテレビやラジオは「数字=視聴率」にとらわれた世界であることに気づいて行き詰まりました。そんな時に開業医をしていた父親が患者さんから感謝される姿がうらやましくなりました。そこで医学部を受け直しました。皆さんが医師を志した理由は何ですか。
津田さん 医師が主人公のテレビドラマ「ベン・ケーシー」や「ドクターキルディア」の影響です。毎週見ながら「医師って格好良くて、いい職業だな」と思いました。シュバイツァーの伝記を読んで感動したのもきっかけの一つです。
伊藤さん 両親や周囲も医師で、いいところも悪いところも見ていたので「この集団とは違う目線で生きたいな」と思っていました。弁護士と決めていたのですが、高校3年の時に親から「弁護士は常に依頼者が正しいと信じ、そして勝たなくてはならない。そんな世界で自分の意志を通せるのか」と言われ、医学部に進学しました。迷いながらも医師になってみたのですが、想像とは違ってのめり込んでいける世界で、一生懸命やるようになりました。
久保さん 高校3年時に人の健康を支える仕事である医師がいいと考えました。企業に勤務している従業員の健康を守る産業医の仕事をする中で、病院の外に多くの健康の問題が放置されていることに気付き、現場の問題に貢献できる仕事をしたいと思い、現在は大学で急性期病院の医療情報のあり方などを研究しています。
田中さん 明確な理由は見当たりません。人のためになることだったらやりたいという気持ちはありました。小さい時から医師か弁護士かになりたいと思っていました。
松本さん 「組織に属さなくても自分で生活の糧が得られる職業がいい」という父親の勧めです。高校生で自分が理系であると気付き、医学部に進学しました。「これだけは人に負けない」というスペシャリストになりたいと思い、泌尿器科を選びました。
楠原さん 高校1年の時にある病気で医院に通院していました。治療を3カ月受けましたが、全く診察がなかったので、親から「きちんと病状を説明してもらいなさい」と言われました。それで説明を医師に求めると「他の患者さんたちもいる前でそんなことを聞くとは何事か」と怒られました。非常にショックを受け、自分みたいな思いをする人を一人でも少なくしたいと思い、その医師への対抗心もあって医学部進学を志しました。
平田さん 小学生の時、ヘビースモーカーだった祖父が肺気腫で動けなくなり、毎週医師が往診に来ていました。銀色のケースを開けて医師が注射をすると、祖父がうれしそうな顔で感謝の言葉を述べていました。白衣を着てさっそうと帰っていくその医師の姿を見て格好良いなと思いました。病気を推理していくのが楽しくて外科を選びました。
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田中良哉さん=産業医大病院副院長・医学部第一内科学教授
松本哲朗さん=産業医大病院副院長・医学部泌尿器科教授
楠原浩一さん=産業医大医学部小児科学教授
久保達彦さん=産業医大公衆衛生学教室講師
津田文史朗さん=つだ小児科アレルギー科医院院長(福岡県水巻町)
伊藤重彦さん=北九州市立八幡病院副院長(外科)
平田敬治さん=福岡山王病院外科部長(福岡市)
高倉翔さん=産業医大医学部5年
国枝佳祐さん=産業医大医学部5年
井上嶺子さん=産業医大医学部6年
小野村健太郎さん=おのむら医院院長(福岡県芦屋町、内科・小児科)
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〔福岡都市圏版〕
毎日新聞 2010年11月30日 地方版