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国家の品格

数学者の書いた国家論(?)がベストセラーになっているというので、読んでみた(新潮新書)。感想としては、これが売れる理由はよくわかるが、教えられることは何もない。「グローバリズム」を批判して日本の「伝統」を大事にすべきだ、という類の議論は、目新しいものではない。珍しいのは、数学者が「論理よりも情緒が大事だ」と論じていることだが、これも中身は「論理の無矛盾性は仮説が真であることを保証しない」という常識論だ。

この種の議論の弱点は、「市場原理主義」が悪だというなら、それよりよい制度とは何か、という対案がないことだ。著者が提示する対案は、なんと「武士道」だが、それは新渡戸稲造の近代版であって、現実の武士が武士道にもとづいて行動していたわけではない。

数学についての議論はおもしろいが、専門外の問題になると馬脚をあらわす。経済学を批判している部分などは、ハイエクやフリードマンを「新古典派の元祖」とするお粗末さだ。致命的なのは、タイトルに「国家」と銘打ちながら、国家についての考察が欠けていることだ。著者が理想化する「品格ある国家」とは、プラトン的な「賢人政治」だが、そんな国家は歴史上どこにも存在したことはない。

要するに、著者が数学者であることを除けば、フジ・サンケイ・グループの雑誌によくある「床屋政談」にすぎない。ただ著者は新田次郎の息子だけあって、文章は読みやすく、ユーモアもある。オジサンが電車のなかで読むにはいいかもしれない。

追記:この記事は、グーグルで「国家の品格」で検索すると、第6位に出てくる。反響にこたえて、4月3日8日の記事でも本書について書いた。
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コメント
 
 
 
なるほど・・ (ふぁん)
2006-01-18 00:19:56
私も自分のブログで取り上げながら、イマイチ内容が薄い、と感じていました。
なかなかいいとこ突いていると思います。ハイ。
 
 
 
この本は内容が薄い (宏二)
2006-01-22 00:57:33
この人の他の本は非常におもしろいのですがね…
この本はちょっと…
『若き数学者のアメリカ』、『遙かなるケンブリッジ』、『心は孤独な数学者』あたりはかなりおもしろく読めました。
 
 
 
国家論ではないと思うが (愚樵)
2006-02-01 13:12:04
はじめてコメントさせていただきます。この本に皆さんどんな感想を持ったのか、興味を持ったのでグーグル検索してみたら、上位にあったので...

読んでみての感想ですが、私は若干印象が違いますね。さほど内容の濃いものではないというのには同意見ですが、この本はそもそも国家論ではないと思います。『国家の品格』なるタイトルが誤解を招きますが。

著者が批判しているのは「制度」というよりも、その制度の出発点、「精神」なんだと思います。「精神論」です。「近代的合理精神」に対して「武士道精神」を対立させているわけですよ。ですから、国家という「制度」についての考察はなされていない。ただ「武士道」に基づいて制度を構築せよ、とそれだけでしょう。
で、かつての日本にはそれがあったと。

しかし、この本の精神論、私には危うさが感じられるのですが。
 
 
 
国家の品格 (近藤 一郎)
2006-04-10 21:09:38
私は著者が「新田次郎」さんのご令息であることから
この本を読んでみました。とても承伏出来るものでは
ありません。著者がいう「武士道精神」とは一体,
士農工商の階級社会においてどんな役割を果たして
きたのか?現代人が日本の歴史をかいまみたところで
理解出来ない部分がかなりある。熊谷直実が平家の
若き武将を売った後,出家したことは,戦中派の私どもも教科書で教わりましたが,その反面,どれだけの
過酷な年貢を納めさせ,農民を苦しませたのか,また
その,武士道がどれだけ卑劣な戦いを強いたか,著者
のような優れた学者が知らないとは思えない。
兎に角,私にとっては荒唐無稽な観念論に過ぎない
と思います。文化にしても,著者は海外留学等の体験
から,日本の伝統を賞賛していますが,確かに日本の文化には他国にない優れた者があると思う。
それなら,欧米からは日本が学ぶべきものは,少ない
とでも仰るのか。兎に角,チョンマゲで渡米した
侯爵が喜ぶようなことをおっしゃっておられる。
 
 
 
筆が荒れてる (Ex原理主義者)
2006-04-11 00:49:41
この本が「若き数学者のアメリカ」の著者だとは思いたくはないな。筆が荒れてるね。
言わんとすることは分らないでもない。
しかしもう少し緻密な論旨の運びは出来んものかね。
数学者なんだからさあw。
いかに「論理だけでは割り切れない」とはいってもだなあ、
こんな滅茶苦茶な議論はないと思うぜ。
こんな本が売れるとは。世も末。
日本人は形や情緒を失っただけではない。
粗雑な論理の嘘も見抜けぬほど、パーになったということかな。
 
 
 
続・国家の品格批判 (近藤 一郎)
2006-04-11 21:14:10
さらに,付け加えさせていただく。
藤原先生は,ジャン・カルバンの「予定論」
に言及しておられるが,先生の判断しておられる
「予定論」とはそんなものではない。
もっと,奥の深いもの「神の側から立たなければ
真実はつかめない論理」である。「国家の品格」というタイトルで論理を追求するのにキリスト教の神学
を,引き出して使うのは荒唐無稽。
先生がカルビニズムを信奉かどうかはご自由だが
仏教徒がクリスチャンにそれじゃ救われませんよ
というようなもの,お止めいただきたい。
 
 
 
ぼんぼんの理想論 (ゴト)
2006-04-11 22:29:30
自分も、友人の家に転がってるのをさらっと見てみた。
文化人の二世はこういう事言い出しそうだな、そして
よくわからない理論を展開して行くには「品格」という言葉は
便利だなぁと思いました。
アメリカには品格が無い。アラブ諸国には品格が無い。
北朝鮮には品格が無い。小泉政権には品格が無い。
なんかほんと便利だなぁ。
 
 
 
Unknown (数学者?)
2006-04-13 23:20:12
藤原さんのことを数学者だとか、もっとひどい場合には世界的な数学者といっている人がいるようです。もし身の回りに数学の研究者がいれば聞いていただくか、あるいは2ちゃんねるなどを見ていただくと分かると思いますが、研究成果は多くなく、最近ではほとんど論文がありません。数学者という言葉のとらえ方にもよりますが、新たな成果を出している研究者とするならばこれには当たらず、教養の数学教師というところでしょう。
 
 
 
藤原氏の業績 (池田信夫)
2006-04-13 23:40:47
彼が国際ジャーナルに書いた論文が1本もないという「カスタマー・レビュー」がアマゾンに出ていましたが、削除されました。

「論理は不完全なものだ」という根拠に、ゲーデルの不完全性定理を引き合いに出しているのには驚きました。彼は、数学もまともにやってないのでは?
 
 
 
本を読んでみたい気分になりました (平宮康広)
2006-04-14 00:49:46
> 「論理は不完全なものだ」という根拠に、ゲーデルの不完全性定理を引き合いに出しているのには驚きました。

これは本当なんですか(W
基礎論が苦手な数学屋もいますが、ゲーデルはいろんな解説書が出版されてますからねえ、、、
ちなみに基礎論の今のトレンドは、アレフ0とアレフ1の間に何かあるのか、といったことですけど、そこらへんでもバカを言っているのでしょうかねえ、、、

本を買って読んでみようと思います。
たまには無駄な金を使ってみるのもいいでしょう(W
 
 
 
国家の品格批判 (大谷 西平)
2006-04-14 14:07:01
昔,長野県のある茶屋で「新田次郎」さん
と談話した思い出があります。
さて,どんな本を出されたのかな?と拝読
しました。残念なことに,藤原寛人さんほど
の,素朴さが無いような気がしました。
まあ,筆者は「日本には,天ぷら,寿司,鰻丼」
など素晴らしい和食がいくらでもある。何も
フランス料理やカレーライスばかりがうまい
のでは無い,と仰りたいのでしょうが,
理屈ぬきにうまいものはうまい。何より
今日本人がうまいラーメンを漁るように探し
ているのはなぜなのか。理屈では解決しない
ことでしょう。
 
 
 
藤原さんの業績 (数学者?)
2006-04-14 21:45:47
国際ジャーナル1本もなしというは、間違いです。
純粋数学の分野については、参照すべき論文は全てMathSciと呼ばれるアメリカ数学会のデータベースに登録されているので、論文の本数はすぐに分かります。このデータベースは有料で、国内の何らかの機関を通して利用します。
実際のところ藤原さんは会議録や紀要などをのぞいた国際誌の本数はかなり少なく、しかもここ十数年はありません。いちおう擁護しておくと、藤原さんの分野は論文が書きにくく他の研究者でも少ない人はけっこういるようです。またかつては最近に比べ論文誌の数も少なく、あまり大きな結果でない場合には投稿しない雰囲気もあったようです。それにしてもとうてい自慢できるレベルではなく、もはや研究者とはいえません。
ゲーデル云々に関しては数学者といってもほとんどは基礎論のことなど知りません。大半の大学に講義はなく、よほど物理の勉強の方が奨励されます。ただ数学者の皮をかぶってゲーデルを歪めて語ることは断罪されるべきでしょう。

ある人たちはこの本を喜んでいるようですが、知識や何らかの良さを得ることはないでしょう。風俗嬢から得るものは快感であり愛ではないように。
 
 
 
けっこう感動したのですが・・・ (Teddy)
2006-04-15 02:14:03
この本は、講演を起こしたものなので、多少の「荒れ」は許されると思います。
彼の危機意識は皆が共有すべきです。その解決として、「武士道」・「祖国愛」・「国語教育」となるかはまた別です。
確かにアラは目立ちます。数学者らしからぬ論理の飛躍も随所に見られます。しかし、最初の一撃の価値判断は、私は結構共鳴するものもありました。
 
 
 
この国のけじめ (池田信夫)
2006-04-15 14:36:03
という題名の新著(エッセイ集)も出ましたが、内容は同じ話の繰り返しです。帯には「日本には守るべき国柄がある」とありますが、藤原氏はなぜ「国」にこだわるのでしょうか。

実際には、彼が国家権力や政府のあり方をまともに論じたことはありません。日本文化への愛着や、古き良き日本への郷愁が、「祖国愛」や「国柄」といった表現にすりかわっているような感じがします。

逆にいうと、そういう(老人にはよくある)感傷的な気分を、開き直って「国家」の問題として表現したところに、この本が多くの読者の共感をよぶ理由もあるのかもしれない。
 
 
 
読んでみました (平宮康広)
2006-04-16 00:53:40
日本でも世界でもよいのですが、これで「危機」から脱することができれば楽でいいですね、という皮肉を言いたくなりましたね。ついでに「この国のけじめ」とやらも読んでみますか(笑
もっとも大きな間違いは、市場原理主義が資本主義の別名であると思い込んでいる点です。一方で、国家をひとつの共同体であるかのように信奉し、さらに政府機能を「サービス業」のように見下している。藤原さんは、浪漫主義者なんでしょうね(笑
 
 
 
国家の品格批評 (輪駄知 清雄)
2006-04-16 19:36:30
この本,藤原先生が英訳して出版されては
如何でしょうか?
ベネエディクト先生のような方が「菊と刀」
第二版を出版されたら最高に面白い。

 
 
 
藤原氏の天皇論 (Nozomi)
2006-04-16 23:50:52
先日、中曽根といっしょにテレビ出演していた。
女性天皇の是非についてのコメントを求められて──「議論するまでもなく女性天皇というのはありえません」「それはそういうものだからです」「議論すべきものではないのです」……。

あれま〜!
『若き数学者のアメリカ』は面白かったのでちょっとファンでしたけど、この一言でファンをやめました。
『国家の品格』も最低の本です。
藤原氏がラマヌジャンを大好きなのはよくわかるけど……。
 
 
 
私の周りは好評です。 (在英日本人)
2006-04-19 19:17:55
私はケンブリッジに在住する日本人です。
日本人の観点から近現代世界史を常に考えています(歴史専門家ではありません。)藤原氏の意見には大変興味深く思います。
この本のあらすじを周りの英国人(English)と議論すればするほど、彼らからも好評です。日本人とは何者なのか、どうあるべきなのかこの本は本質をとらえていると思います。日本は決してアメリカの猿真似をしてはいけません。近現代日本史を真剣に勉強したなら、この本が意味するところが理解できると思うのですが、、、。
 
 
 
このスレも長いですね (池田信夫)
2006-04-20 02:31:01
この記事は、グーグルで堂々第7位に入っているので、いつまでもコメントが続きますね。

イギリス人やフランス人が「グローバリズム」に反対するのは、よくわかります。欧州は1648年に「ナショナリズム」のつくられた場所だからです。しかし日本の「伝統」には(140年前まで)主権国家もナショナリズムもありません。「武士道」を賞賛しながら「国家」の品格を唱えるなんて、歴史への無知を告白しているようなものです。
 
 
 
論理より大切な物 ()
2006-04-20 17:27:37
>オジサンが電車のなかで読むにはいいかもしれない
こんな本を喜んで読むのは程度の低い人間とでも言わんかの発言ですね。

最も伝えたいことは何なのか?
その大意こそが書籍の価値を最も左右するのではないでしょうか。
書籍を評価するならまずその大意に触れなければ意味が無い。
エリート支配とか、そういうところに噛み付くよりも、もっと大きな点について論ずるべきです。

ライブドア騒動以降、
「法が許せば何をしても良い。否、法が許さずとも抜け道があるならそれで問題ない。」
という思想が若者を中心に急速に広がっています。
人の悪行を縛るのは道徳心ではなく法のみであるという考え方です。
堀江氏は「道徳心=金を稼げなかった者がすがる自己正当化のための戯言」と言い、
多くの若者はそれに迎合しました。
・もし、法が許せば(抜け穴があれば)人を騙しても良い。
・道徳心を持つことは”負け犬”に繋がる。
こういう現在の日本の低道徳化を憂い、
日本人本来の高い道徳心を取り戻せと訴えているのが本書だと思います。

当たり前のことだろうがなんだろうが、
私は今の日本にとって重要なことが書かれている本だと思います。
 
 
 
大意が正しいと思われますか? (平宮康広)
2006-04-21 17:49:01
>その大意こそが書籍の価値を最も左右するのではないでしょうか。
>書籍を評価するならまずその大意に触れなければ意味が無い。
>エリート支配とか、そういうところに噛み付くよりも、もっと大きな点について論ずるべきです。


私は、大意がまちがっていると思います。
それから、堀江が非難されるのは、まさに市場ルールに反する行為を行っていたからではないのですか?
 
 
 
数学的論理と経験的事実 (池田信夫)
2006-04-21 19:04:33
この欄も、ほとんど「国家の品格板」みたいになってきましたが、もうひとこと;

藤原氏の議論は、数学者にありがちな「経験から遊離した論理」です。問題は、彼のいう「品格ある人」とか「真のエリート」を決めるのは誰か、という点です。「xがエリートである」という命題をF(x)と表記すると、この命題の真理値を決めるのは公理系です。xがエリートの有限集合Eに含まれるか否かを決める判別関数があれば、F(x)の値が真(1)か偽(0)かを決定するのはトリヴィアルな問題です。

しかし現実の世の中には、先験的に正しい判別関数は存在しません。藤原氏によれば、財務省の官僚はだれもEに含まれず、ケンブリッジ大学の卒業生はすべて Eに含まれるようですが、そういう判別関数を決めたのは誰でしょうか?それが藤原氏だとすれば、彼にエリートを判別する資格があると判別したのは誰でしょうか?・・・

と議論してゆくとわかるように、これは無限退行になって答は出ません。最終的には、どこかに論理の「出発点」が必要であり、それは藤原氏のいうように任意に決めてよいものではなく、現実との整合性をつねに検証しなければならないのです。それが民主主義です。それを否定するなら、民主主義よりもよい制度が存在するという経験的な事実を示さなければならない。その問題を「情緒」などという非論理的な言葉で逃げるのは、それこそ「卑怯者」です。
 
 
 
新古典派経済学 (池田信夫)
2006-04-22 10:15:16
ちなみに経済学についての藤原氏の言及は、次の部分だけです:

アメリカの経済がうまくいかなくなってきた
1970年代から、ハイエクやフリードマンといっ
た人々がケインズを批判し、再び古典派経済学
を持ち出しました。もし経済がうまくいかなけ
れば、どこかに規制が入っていて自由競争が損
なわれているからだ、とまでいう理論です。時
代錯誤とも言えるこの理論は、新古典派経済学
などと言われ、今もアメリカかぶれのエコノミ
ストなどにもてはやされているのです。

これは最初から最後まで間違いです。新古典派経済学というのは、19世紀のジェヴォンズやワルラスの理論です。ハイエクは「オーストリア学派」、フリードマンは「シカゴ学派」とよばれ、彼らは1950年代から新古典派と対立していた学派です。

「もし経済が」云々は藤原氏の作り話で、ハイエクもフリードマンも、そんなバカなことは言っていない。

1970年代から起こった変化は、新古典派を補完する理論とされていたケインズ理論がスタグフレーションを説明できなくなって没落し、シカゴ学派が再評価されるようになったことです。その後、マクロ経済学ではシカゴ学派を発展させた「新しい古典派」が主流となり、ケインズ派は消滅しました。
 
 
 
藤原さんは浪漫主義者なんですよ (平宮康広)
2006-04-22 16:05:38
たとえ本人がそう思っていなくても、藤原さんは浪漫主義者ですよ。藤原さんの言う国家だとか武士道だとかは、あきらかにフィヒテ的なものですからね。
池田さんは、藤原さんの経済無知や論理無視を批判しておられるようですが、そんなことをいくらやっても本人は痛くも痒くもないでしょうし、藤原さんを信奉する人たちも同様でしょう。やはり浪漫主義批判をしないとしょうがない。たとえば、韓国を支配し台湾を占領していながら「大正デモクラシー」を唱えていた当時の日本の知識人をどう思うのか、といった批判が必要になるでしょう。

それにしても浪漫主義者というのは、国家の起源を市場よりも古い時代に置きたがるものだとは思います。浪漫主義者が、市場経済ではなく、「市場原理主義」というイズムを批判しているのであれば、ケネディが言った「消費者の三つの権利」まで批判しなければならなくなるでしょう。そこまでの準備があるとは、とても思えません。
 
 
 
売れる理由 (Nozomi)
2006-04-24 11:27:21
この本、あいかわらず書店では平積みになっています。
内容のない著作であることは、すでに言うまでもありませんが、ひとつわかることは、こういう実体のない“日本は欧米とは違う特別に立派な国なんだ”という物言いを好む層が、確実にかなりの数、存在するということ。
『ジャパン・アズ・ナンバーワン』という本が流行したときも同じ空気を感じました。
ある意味では藤原信勝“つくる会”一派の物言いも似たようなものでしょうか……。

確かに藤原氏の言うように「論理」ですべてのことが決まるわけではない。
しかし、だからと言って藤原氏が恣意的に決めた“基準”で「国家の品格」まで決められてはたまりません。

以前、藤原氏は検便問題だったかで、息子さんの学校当局と戦っていますが、その経緯を書いた文章はなかなかのものでした。この程度なら罪はないのですが……。
 
 
 
はじめて本を読んでさわやかな気分になりました (Keiichiro)
2006-04-24 14:44:33
経済学の歴史など到底無知な自分でもこの本はわかり易く説明しています。藤原さんの仰りたい事はブログ諸所論点である経済学ではなく単なる参考程度に言及していると思います。そこを議論しても無意味であって、百も二百も彼は議論ができる。藤原さんの訴求点は「情緒」なのであり、本が多くの人に読まれている事実こそが彼の本望であります。経済学論は別の土俵で議論すべきだと思います。現在の日本は本当に変です。変というか滑稽です。この本はその事を強く訴えています。
 
 
 
訂正…… (Nozomi)
2006-04-24 14:52:22
藤原信勝ではなく、藤岡信勝でした。
(-.-;)

確かに日本は変かもしれない。
でもどの国のどの時代も、ある意味で変です(今の日本は戦中の日本よりはマシだとは思うが)。

藤原氏は、伝統あるイギリスの大学や“武士道”の時代の日本は変ではない──その時代に戻れ、と言っているのでは?
その検証は、誰が何を基準にするのか。

 
 
 
呆然・・・ (本郷孝光)
2006-04-27 10:22:09
この読解力の無さ、想像力の貧困さはなんたることか!

「教えられることは何もない」と言い切り上から物を見下す物言いの傲慢さ、下品さは醜悪ですらある。

さらに追従コメントの数々・・・

まさに藤原氏の危惧する実例がこのブログにはある。

同氏の「国語こそ大事」とする危機感が非常によくわかる。

論理の限界を説く著書に「口角泡を飛ばし」論理を展開する様は滑稽を通り越し、もはやその鈍感さに同情を禁じえない。

国家の品格とはすなわち人の品格である。




 
 
 
興味深いコメントです (Nozomi)
2006-04-27 12:09:47
「上から物を見下す物言いの傲慢さ、下品さは醜悪ですらある」

なるほど。
こういう言い方をすれば、すべてのことが「情緒」で決められることになるわけだ。

興味深いコメントです。

「藤原さんの経済無知や論理無視を批判しておられるようですが、そんなことをいくらやっても本人は痛くも痒くもないでしょうし、藤原さんを信奉する人たちも同様でしょう」(平宮康広さん)
の証拠となりますね。

 
 
 
藤原さんはケインズ主義者ではないですよ (平宮康広)
2006-04-27 12:57:39
私の知る限り、戦前や戦中の日本の知識人で「朝鮮も台湾も返してしまえ」と言い切ったのは石橋湛山だけです。右翼知識人も左翼知識人もそこまでは言い切ってません。どいつもこいつも頭が浪漫主義にやられていたように思います。
石橋湛山にとって敵は浪漫主義だったのでしょう。しかし彼は代表的なケインジアンですね。藤原さんがケインズの考えを支持しているのだとしても、石橋湛山のことは何も知らないでしょう。藤原さんをケインズ主義者と言うことはおそらくできないと思います。
市場経済を重視する立場からケインズを批判するのは間違いではないと思いますが、しかし浪漫主義をケインズ的なものであると見るのはやはりまずいわけです。ネーションステートは、たんに国家ではなく、「国民国家」なわけですからね。
 
 
 
管理人より (池田信夫)
2006-04-27 14:34:33
この「板」も、グーグルで堂々第4位になりました(bk1より上)。議論は続けていただいて結構ですが、論理には論理で反論してください。論理的な根拠なく他人を罵倒する「情緒」的なコメントは、「炎上」のもとになるので削除することがあります。
 
 
 
ベースが論理的ではないですからねえ (平宮康広)
2006-04-27 14:56:00
池田さん、非論理的なものを論理的に批判しようとすると、浪漫主義的なものをケインズ的なものとして見てしまうわけですよ。藤原さんが題名を「国家の品格」ではなくて「国民の品格」か「日本国民に告ぐ!」くらいにしてくれれば、批判も容易だったようには思えますけどね。
 
 
 
Unknown (小林亜由美)
2006-04-28 01:45:38
確かに池田さんの仰るとおりで間違っている点が多くあるように思いました。

もしかしたら藤原さんはそういった矛盾している点を踏まえて、経済学などを勉強したことがない一般の庶民にわかりやすく啓蒙?するためにあえて矛盾を承知で書いているんではないでしょうか。
 
 
 
つながりで! (さぬきうどん)
2006-04-28 02:15:32
今回、藤原さんの本がベストセラーになったことで、お母さんの藤原てい『流れる星は生きている』(中央公論新社)が再刊されました。そういう本が改めて読めることはありがたいことです。
読みました。38度線を越えるのは牛車だったのです。敗戦後の苦難を感じました。
藤原ていさんや多くの日本の女の人々に「大和撫子」(やまとなでしこ)を、その強さを感じました。
北朝鮮からの引き揚げで言えば五木寛之さんもそうでしたね。
『国家の品格』は薦められませんが、『流れる星は生きている』は必読かと!
 
 
 
Unknown (B)
2006-04-28 05:00:46
http://ikeda-farm.mo-blog.jp/kabure/2006/04/post_cb5b.html

このように仰る方もいます。
 
 
 
少しは擁護も (池田信夫)
2006-04-28 08:36:33
本書の編集者は、私の『電波利権』の担当者でもあるので、少し弁護すると、「売れる理由はよくわかる」と書いたのは、いま国民の中にこういう感傷的な気分が広がっているからです。新書というのは、学術書ではないので、売れることが第一ですから、こういう内容の新書を出したことは、営業的には正解だと思います。

ただ、論旨の良し悪しをいう前に、本書は基本的な間違いが多すぎる。それに「論理だけでは割り切れない」といえば当たり前の話を「論理より情緒」というように誇張することで、大向こう受けをねらうレトリックが多い。

それを真に受けて、「論理的に議論する必要はない」というように飛躍した議論が、この「板」でも見られます。皮肉なことに、本書の読者層は、著者の非難する「成熟していない大衆」なのです。
 
 
 
売れるためには雑な内容でもよい (Nozomi)
2006-04-28 10:21:57
この本のメイキング番組がありましたね。
国谷さんのNHK番組『クローズアップ現代』だったかな。
「原稿を書く時間がとれないので、いくつかの講演会をつぎはぎして作った」ものなのだとか……。

「儲かるためには何をしてもよい」というのは藤原氏の批判することそのものなのでは?
 
 
 
漫画的 (池田信夫)
2006-04-28 18:46:06
『バカの壁』と『国家の品格』というメガベストセラーが、どっちも口述筆記だというのは、偶然ではないでしょう。

これまでの出版業界の常識では、口述筆記というのは安易な編集方法とされ、冗漫で完成度が落ちるので、一流の出版社は出さないものでした。

しかし、これは「ふだん本を読む層」の話で、ふだん読まない人には、むしろこれぐらい「中身が薄い」ほうが読みやすいのでしょう。漫画の情報量は、5ページで普通の本1ページぐらいだから、いわば「漫画的」なペースで読めるのではないでしょうか。
 
 
 
安心した (superstar)
2006-04-29 03:00:01
少し安心した。

「国家の品格」を読んだが、吐き気がした。
こんな本が平積みになるとは。

しかし、このページの批判を読んで、
少し安心した。
この程度の本に流されない品格を持つ人間が
日本にはまだ多くいることが救いだ。
 
 
 
Unknown (Unknown)
2006-04-29 04:45:43
池田さんのような経済に詳しい方からすれば
違和感たっぷりの内容でしょうが、
おそらく経済のことなど何も知らず、
国家の品格の訴える雰囲気のみに傾倒している人は
池田さんの「違和感」の意味がわからず
自分の感動が否定されたように
感じるんではないでしょうか。


様々な議論が続いていますが、
それぞれの論点の軸がかみあわず
横滑りしているような印象を受けました。
 
 
 
国家の品格批判 (藤原 枯葉)
2006-04-29 11:24:40
自民党の有る幹部が所謂「チルドレン」
にこの本を配って「この本でも読め!」
と言ったそうですが、納得、納得。
自民党議員が喜びそうな本ですね。 w

 
 
 
Unknown (よじゅーろう)
2006-04-30 17:31:05
『国家の品格』の内容の間違いやロジックの不成立を指摘したり、同書のあまりのトンデモぶりを嘆く人々を「藤原先生の仰るとおりだ!彼らは論理を重視して、肝心の情緒がない!」と憤る方々。 この方々こそまったく分かっていない。 初歩的な無知やロジックの不成立を堂々と繰り返して恥じない藤原正彦さんの態度こそ、美意識に反するのです。
 
 
 
面白かった。 (moto)
2006-04-30 21:36:39
65歳のおじさんです。(笑)
ついついベストセラーということで読みました。なるほどではどんな世の中が良いのかは
わかりにくいが、おっしゃっていることは
同感するところおおしです。
惻隠の情など嬉しいかぎり。
なるようにしかならないという世の流れ
を解説したという理解です。
 
 
 
社会のすべてを市場経済に還元することはできません (平宮康広)
2006-05-01 02:17:11
> 65歳のおじさんです。(笑)

お若いですね(笑

少子化が社会問題になっているにもかかわらず、医学部の卒業生はあまり儲からない産婦人科医や小児科医にはなりたくないようですね。一方、整形美容外科医は大人気だとか(笑
そういったことに矛盾を感じておられる方々の中には、藤原さんの本を読んでいい気分になられた方も多いでしょう。しかし、市場経済主義では少子化問題を解決できないとしても、武士道で解決することもできないでしょう。政府と民間の役割分担をどうするかは、情緒的な議論ではなくて論理的な議論にしないといけないわけです。
 
 
 
コメント感謝 (moto 金田浩)
2006-05-01 22:16:38
びっくりしました。こんなに速くコメントが頂ける
なんて。驚きでもあります。
少子化については、これも自然の成り行きと感じています。すみません。
先般甥の結婚式がありました。相手の方のお兄さんと
少し話しました。お子様を二人つれて式に参加されていたもので。どうですかもう一人と言ったのですが
教育など学費のこともあり、二人で良いと。
二人いれば立派なものです。
別に人口が減ったってどうと言うことはないと
感じています。無理して産めよ増やせよでも
ないでしょう。戦前はありましたが。
私たちの親は4-5人産んでくれましたが。(笑)
 
 
 
人口減を苦にはしておられないのですね (平宮康広)
2006-05-01 23:38:15
僕も同じです。でも、産婦人科や小児科の医院が閉院して美容整形外科の医院が大儲けしているのを見ると、やはりどこかが狂ってるとは思いますね。藤原さんでなくても、安易な市場原理主義の賛美は大きなまちがいにつながるということは、たいがいの人がわかっていると思いますよ。
しかし市場経済は生態系と同じではないかとは思います。そして僕には、これまでの政府の介入がその生態系を破壊してきたのではないかとも思えます。

余談ですが、藤原さんには認識の甘さを感じましたね。情緒的なものであってもよいのですけど、ハッとするような新しい認識が何もないので、つまらない本だと思ってしまいました(笑
 
 
 
人口減と産婦人科医 (moto 金田浩)
2006-05-02 23:13:38
これまた、はやいコメント感謝です。再度
書きたくなりました。ごめんなさい。
子供が少なくなれば当然産婦人科の利用者は
減少します。小児科も同じです。従って
医院が別の診療科目に変わるのは自然の流れと
思います。私の知っているところでも変わりました。
実は少なくなったと言っても産婦人科を続けて
いるところもあります。けっこうはやっています。
そこは、施設も良く、医師もそろっています。
需要と供給がバランスしているのでしょう。
市場原理ともいえますが、これは有史以来の
自然のなりゆきと思います。
たとえば、かって暖を取るのに石炭から
灯油や電気にかわったように。(笑)
おっと、狩りをするのに石のやじりから鉄の
やじりにかわったように。
へんなたとえですみません。

 
 
 
情緒か論理か (Unknown)
2006-05-02 23:58:50
別のところ↓でやや炎上気味なようで、こちらに一言。(ちなみに私はdreamcast氏ではありません)

http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/cmt/63380c5f29f71a3e2ecc917d5c224683

ここのページを来ている方は、おそらく管理人さんに共感されている方が多いようで、国家の品格の評判はきわめて悪いようですね。
ただ、「それは論理的でない」という批判をすれば、すべてを否定したことになるような論調は、少々疑問に思います。
私が思うに、藤原氏の主張は論理か情緒かという単純な二者択一にあるのではなく、論理的判断の奥には情緒的判断が基礎づけ的な判断としてあるということだと思います。そして、藤原氏におけるその基礎的な判断は「人はいかにあるべきか」ということについての美意識ではないかと思います。(武士道とはこの美意識を語るひとつのメタファーであり、江戸時代の武士の意識が藤原氏のイメージするものと同一であったかどうかはこの場合、中心的な問題ではありません)
したがって、藤原氏の経済に関する知識の不備や誤認を批判したところで、それ自体は決定的な批判とはならないように思われます。
むしろ問題は、このような第一前提としての美意識を妥当なものとして認めることができるのか否かという点にあるでしょう。

まあ、このようなコメント自体、「非論理的」の一言で全否定されてしまうかもしれませんが。
 
 
 
↑訂正 (連続投稿すみません)
2006-05-03 00:07:34
× 藤原氏におけるその基礎的な判断は

○ 藤原氏におけるその基礎づけ的な判断は

細かいところですが。
 
 
 
論理と経験 (池田信夫)
2006-05-03 01:11:44
管理人と違う意見も歓迎しますよ。

私の印象では、藤原氏の用語法がおかしいことが、議論を混乱させていると思います。最大の問題は、彼が「論理」に「情緒」を対立させたことです。演繹的な論理に対立するのは、情緒ではなく、帰納的な経験です。

この「帰納」の手続きには「演繹」のようなアルゴリズムはありませんが、主観的に決まるものでもなく、経験や実験で検証しなければならない。ところが藤原氏は、この実証的な手続きを飛ばして、「情緒」や「武士道」といった主観主義に飛躍してしまう。それが「未成熟な大衆」に拍手され、他方で専門家にはバカにされる理由です。
 
 
 
Unknown (kyuuri)
2006-05-03 12:21:13
池田先生こんにちわ。

私はdreamcast氏の意見に多少賛成ですね。
私もBlogで書きましたが、藤原先生のいうところの情緒主義?というのは岡潔のエッセイからきているものです。
ここは岡潔に心酔している藤原氏としては一歩も引かない部分でしょうね。

そして残りの出鱈目な経済理解は、おそらくフリーメーソンの陰謀論の類がネタ本でしょう。

>それが「未成熟な大衆」に拍手され、他方で専門家にはバカにされる理由です。

池田さんが紹介していた日経の人もこの本を批判してましたが、この人も何の専門家か知りませんが、ハイエクについて的外れなこと言ってます。
一体、この本を馬鹿にするような暇な専門家がどこにいるのでしょうか?


 
 
 
岡潔 (池田信夫)
2006-05-03 19:03:12
私は、岡の本は読んだことがありませんが、世間的には「民族精神」とか「日本的霊性」とかいう言葉と結びつけて、右翼的な人々によく利用されますね。最近、藤原氏の登場する対談をみていると、彼の幼稚な「愛国主義」も、そういう人々に利用されつつあるようです。困ったものです。
 
 
 
管理人さんと違う意見歓迎と (moto金田浩)
2006-05-03 20:40:23
私も少し違うかなんて思っています。
あの本の中で共感したてんが多くありますが
一つは戦争の所に同感したものです。
怖いことですが国民は戦争が嫌いだが好きになる
と有るところです。
ヒットラーや戦前の日本を例としているところです。
最近、北朝鮮や韓国が日本に対して強硬に出ている
ことに対するマスコミの論調が気になっています。
これにあおられて国論がなにか強硬論に誘導され
つつあり、日本が傲慢になりつつある点です。
やれ、経済制裁だとか、また先般はNHKも特集で
北朝鮮の歴史的流れを放映していました。
 
 
 
Unknown (kyuuri)
2006-05-03 21:19:16
岡潔が日本的霊性?なる言葉を使っていたかどうかは覚えていませんが、岡潔自身の文章は飄々としていて非常に面白いですよ。

岡潔が愛国右翼なる連中に担がれているのは知りませんでしたが、岡潔自身にはそういう政治性は全くないでしょうね。

藤原氏は右も左もわからない数学バカなんでしょう。
例の本には、岡潔の名前は確かでてこなかったと思いますが、はちゃめちゃな自説を述べているのではなく、実は岡潔の
ふんどしを勝手に借りて適当なことを言っているだけということは藤原氏も明確にしといた方がいいでしょうね。
まあ、こんなに売れるとはもちろん思っていなかったのでしょうが。


 
 
 
岡潔 (Unknown)
2006-05-04 00:47:56
岡潔は生きているうちから統一協会のセミナーの講師などしてましたよ。利用されていただけのようですが。いまだと首大の西澤潤一ですか。
 
 
 
RE:論理と経験 (職人)
2006-05-04 01:53:30
> 最大の問題は、彼が「論理」に「情緒」を
> 対立させたことです。演繹的な論理に対立
> するのは、情緒ではなく、帰納的な経験です。

> この「帰納」の手続きには「演繹」のような
> アルゴリズムはありませんが、主観的に決ま
> るものでもなく、経験や実験で検証しなけれ
> ばならない。ところが藤原氏は、この実証的
> な手続きを飛ばして、「情緒」や「武士道」
> といった主観主義に飛躍してしまう。

長い歴史のなかで、多くの人たちに美徳として支持されてきた価値観は、帰納的に充分検証されたと思います。

> それが「未成熟な大衆」に拍手され、他方で
> 専門家にはバカにされる理由です。

歴史の中で培われた、美徳とされる価値観は、とても大切だと著者は言いたかっただけではありませんか?あと、著作に対する批評とは、著者に対して行うものではありませんか?カルト宗教にはまったとかならともかく、あの程度の著作に賛同する人たちを未成熟な大衆と言うのは、いかがなものかと思います。
 
 
 
想像の共同体 (池田信夫)
2006-05-04 12:09:15
私は、この本の内容には興味はありませんが、こういう本が200万部近く売れるという社会現象には興味があります。その原因は、民族=国民=国家と直結し、日本の伝統的な「情緒」が国家としての日本の中核にある、という図式がわかりやすく、自信を失った日本人のプライドをくすぐったことにあると思います。

これは、ベネディクト・アンダーソンのいう「想像の共同体」としてのナショナリズムの典型です。近代国家は、古来の共同体や宗教的な同一性が解体する一方、印刷技術によって広範囲の人々に共有される「国語」という文化的同一性が生まれたことによって成立しました。主権国家が人々を戦争に動員するためには、国語を単位とした「国民」という想像の共同体が必要であり、さらにそれを近代以前に遡及して古代以来の「伝統」がつくられたわけです。だから、藤原氏が「祖国とは国語」と強調するのも偶然ではありません。

しかし、こんな素朴なナショナリズムは、今ではフジサンケイグループの雑誌でもお目にかかりません。近代国家としての日本が人工的な共同体だという事実は認めた上で、ナショナリズムには民族的根拠(エスニシティ)がある、というのが政治学の普通の議論ですが、これはわかりにくいし、それほど自明でもない。だから、一般の読者には藤原氏のような「床屋ナショナリズム」が受けるのでしょう。
 
 
 
Unknown (kyuuri)
2006-05-04 17:16:03
>しかし、こんな素朴なナショナリズムは、今ではフジサンケイグループの雑誌でもお目にかかりません。
>近代国家としての日本が人工的な共同体だという事実は認めた上で、ナショナリズムには民族的根拠(エスニシティ)がある、というのが政治学の普通の議論ですが、これはわかりにくいし、それほど自明でもない。
>だから、一般の読者には藤原氏のような「床屋ナショナリズム」が受けるのでしょう。


私もあまりこの本の内容には興味はありませんが、どうも池田さんの批判のポイントはわかりにくいですね。
まあ、池田さんはこの本がベストセラーになるような日本の右傾化しつつある空気を危惧するということなんでしょうが、そうであればもう少しきちんと批判をしておくべきでしょう。

上の池田さんの批判は、政治学の普通の議論は、わかりにくいし、それほど自明でもない。だから、一般の読者には藤原氏のような「床屋ナショナリズム」が受けるのでしょう。
と、ありますが、池田さん言うところの”政治学の普通の議論”はアカデミックで正しいけども、藤原氏のは床屋談義だからダメといっているだけですね。

しかし、これでは、なんの批判にもなっていませんね。
 
 
 
床屋談義は床屋談義で批判せよとのことですか? (平宮康広)
2006-05-04 17:59:23
> しかし、これでは、なんの批判にもなっていませんね。

ある迷信を批判するのに別の迷信を使い、ある宗教を批判するのに別の宗教を使うこともあるでしょう。しかし、そのような批判だけが「批判」であるとしたら、それは大間違いですよ。
 
 
 
Unknown (kyuuri)
2006-05-04 18:20:54
>ある迷信を批判するのに別の迷信を使い、ある宗教を批判するのに別の宗教を使うこともあるでしょう。しかし、そのような批判だけが「批判」であるとしたら、それは大間違いですよ。

は? なにを言っているんですか?
 
 
 
反知性主義 (池田信夫)
2006-05-04 19:10:05
私は、別に「右傾化」を批判するつもりはありません。藤原氏の目新しくもない国粋主義が、従来の保守系読者層を超えてミリオンセラーになったという現象に興味をもっただけです。その原因は、本書の内容ではなくレトリックだと思います。私も昔、彼の『天才の栄光と挫折』を読んだことがありますが、これはとてもよくできた科学読み物で、彼の書き手としての力量は相当なものです。だから本書のような無内容な本でも、語り口のうまさだけで読ませてしまうわけです。

日本には、本居宣長の昔から、文芸評論が哲学を代用し、論理よりレトリックが重視される伝統があります。『文芸春秋』のように政治評論と文学賞が同居する雑誌というのは、日本独特のものです。本書でも、もっとも共感を得ているのは、この「板」にも見られるように、「論理より情緒」という部分です。それを主張しているのが数学者だというところが、このレトリックに新鮮な説得力をもたせています。文科系の著者だったら、これほど売れなかったでしょう。

つまり今回の現象が示しているのは、藤原氏のいうように「論理ばかり重視されて情緒が軽視されている」のではなく、逆に「日本人は論理よりも情緒を好む」ということなのです。こういう露骨な反知性主義は、普通の「論壇」ではなかなか出てこないが、そういう世界の外側にいる素人の数学者が、大衆の本音を図らずも代弁したということでしょう。私は、むしろ日本人には徹底して論理的に考え抜くことが必要だと思います。
 
 
 
Unknown (平宮康広)
2006-05-04 23:22:30
> は? なにを言っているんですか?

あなたの「批判になっていない」との発言に対して、「あなたには批判がわかっていない」と、やさしく言ったつもりです。つまり、池田さんの、

> これは、ベネディクト・アンダーソンのいう「想像の共同体」としてのナショナリズムの典型です。

というのは非常に的を得た批判です。ネーションステートと言う場合、ネーションとステートが異なるものであるということ、しかし起源に同時性があるということを十分注意しないと、浪漫主義の虜にされてしまう恐れがあります。これは、思想的が右か左かは関係ありません。

はっきり言って、あなたは勉強不足です。
 
 
 
Unknown (kyuuri)
2006-05-05 02:10:46
池田先生、説明を丁寧にしていただいてありがとうございます。

>つまり今回の現象が示しているのは、藤原氏のいうように「論理ばかり重視されて情緒が軽視されている」のではなく、逆に「日本人は論理よりも情緒を好む」ということなのです。
>こういう露骨な反知性主義は、普通の「論壇」ではなかなか出てこないが、そういう世界の外側にいる素人の数学者が、大衆の本音を図らずも代弁したということでしょう。私は、むしろ日本人には徹底して論理的に考え抜くことが必要だと思います。

そうですね。日本人論ということでいえばそうなのかもしれませんが、しかし藤原正彦批判が日本人論に行き着くのはあまり論理的ではないですね。

たしかに本の中の間違いはいくらでも指摘できるものの、藤原さんのように、ならぬものはならんみたいなことを言われるとそれ以上は言えなくなってしまうとこもありますね。
しかし、そうであっても藤原正彦の情緒主義を論理的に批判しないといけないということを私は言っているわけです。


ところで

>あなたの「批判になっていない」との発言に対して、「あなたには批判がわかっていない」と、やさしく言ったつもりです

このやさしいご紳士は、池田さんのお知り合いですか?(笑)
 
 
 
不完全性定理 (池田信夫)
2006-05-05 02:24:38
アマゾンの本書の紹介(編集者の書いたもの)に「『論理の限界』を論理的に証明してみせた第2章は圧巻」とあることからも、「論理より情緒」というのが本書の売り物であることがわかります。ところが、この「証明」たるや、

不完全性定理というのは、大ざっぱに言うと、どんな
に立派な公理系があっても、その中に、正しいか正し
くないかを論理的に判定出来ない命題が存在する、と
いうことです。正しいか誤りかを論理的に判定出来な
いことが、完全無欠と思われていた数学においてさえ
ある、ということをゲーデルは証明したのです。

というものです。しかしゲーデルの不完全性定理とは「自然数論を含む帰納的に記述できる公理系が無矛盾であれば、証明も反証もできない命題が存在する」という自然数論の帰納的な公理系についての定理であり、一般的に「正しいか正しくないかを論理的に判定出来ない命題が存在する」ことを証明したものではありません。

そもそも本書で藤原氏のいう不完全性は、論理が現実に当てはまらないという意味論的な問題なので、公理系の非決定性とは関係ありません。ソーカルの『知の欺瞞』もいうように、この定理は「現代思想」の疑似科学的レトリックにもっともよく誤用されるものですが、それを数学者がやっているとなると、よほど読者をバカにしているか、それとも本人がまともに数学を勉強してないかのどちらかでしょう。
 
 
 
Unknown (kyuuri)
2006-05-05 10:56:35
ざっと、例の本を見返してみました。
藤原先生は聞くところによると数論の専門家ですから、ゲーデルをなにも分かっていないということはないんじゃないでしょうかね。
そこらは、Pomo peopleとは違うだろうと思います。

実際、よく読んでみると、「完全無欠と思われていた数学においてさえ論理的に判定出来な
いことがある。いわんをや、現実の世界は。」となっているわけですから、別に一般的に適用できるとは書いてないようですね。
 
 
 
Unknown (職人)
2006-05-05 11:00:54
>>私は、この本の内容には興味はありませんが、こういう本が200万部近く売れるという社会現象には興味があります。その原因は、民族=国民=国家と直結し、日本の伝統的な「情緒」が国家としての日本の中核にある、という図式がわかりやすく、自信を失った日本人のプライドをくすぐったことにあると思います。

「自分が一番大切」という現代の左翼的風潮に疑問を持った人が多かったというだけではありませんか?「みんなと同じ」ということで安心するのが日本人の特徴らしいですから、個性が一番大切といわれても不安や疑念が生じるわけです。そこで「共同体を維持するためには共通の価値観が必要なんだ。みんなと同じであることが大切なんだ。」といわれると大いに安心する状況に、本書がうまく乗っただけだと思います(ちなみに、馬鹿の壁も同じことを言っていたような気がします。)

>>これは、ベネディクト・アンダーソンのいう「想像の共同体」としてのナショナリズムの典型です。近代国家は、古来の共同体や宗教的な同一性が解体する一方、印刷技術によって広範囲の人々に共有される「国語」という文化的同一性が生まれたことによって成立しました。主権国家が人々を戦争に動員するためには、国語を単位とした「国民」という想像の共同体が必要であり、さらにそれを近代以前に遡及して古代以来の「伝統」がつくられたわけです。だから、藤原氏が「祖国とは国語」と強調するのも偶然ではありません。

日本の印刷技術や国語教育は江戸時代から存在していたのではありませんか?江戸時代後期に来日した外国人が、日本人はみんな本を読んでいると驚いていたそうですよ。色々な小説のようなものが出て、当時でも大ヒットが何本もあったとか。しかもそれが、特別な階級の人たちだけのことではなくて、一般民衆が読んでいたということだったとか。

他国のことは良く分かりませんが、日本においては江戸時代から印刷技術に基づいた文芸があったし、それはすなわち、明治以降の近代国家以前から、日本には国語があったということではありませんか?

個人も国家も自他を区別することで(他の存在があり、それを認識することで)、はじめて自分という存在が認識できるのではありませんか?そのとき初めて、国家も個人も「自分とは何か」を探すために、遡及という行為に及ぶのだと思います。


>>しかし、こんな素朴なナショナリズムは、今ではフジサンケイグループの雑誌でもお目にかかりません。近代国家としての日本が人工的な共同体だという事実は認めた上で、ナショナリズムには民族的根拠(エスニシティ)がある、というのが政治学の普通の議論ですが、これはわかりにくいし、それほど自明でもない。だから、一般の読者には藤原氏のような「床屋ナショナリズム」が受けるのでしょう。

床屋ナショナリズムという言葉に、ネチネチ感が漂っているような気がします。

ともかく、共同体を維持する以上は共通の価値観が絶対に必要だと思います。また、その価値観には個人と共同体をある程度一致させる要素が必要だと思います。
 
 
 
Re: 不完全性定理 (池田信夫)
2006-05-05 12:03:52
たしかに藤原氏は、次のように話を展開します:

数学の世界でさえも、論理では説明できないことがあ
る。まして一般の世界では、論理で説明できないこと
の方が普通です。例えば、「人を殺してはいけない」
ということだって、論理では説明出来ません。

この「まして」という言葉は、どうつながっているのでしょうか。「厳密な公理系でも決定できない命題があるのだから、まして殺人の是非は決定できない」?そんなことはありません。殺人が犯罪であることは刑法に書かれているので、完全に決定可能であり、論理的に説明できます。それが決定できなければ、刑事裁判は不可能になるでしょう。

要するに、ゲーデルの論理(演繹的推論)と世の中の論理(経験的妥当性)は、まったく別の問題であり、両者は「まして」でつなげられるような関係にはないのです。kyuuriさんもおっしゃるように、数論の専門家がゲーデルの定理を誤解しているということはありえないから、残る可能性は読者をバカにしているということです。専門分野については、多少いいかげんなことをいっても大衆にはばれないだろう、と高をくくっているのです。
 
 
 
Unknown (kyuuri)
2006-05-05 12:58:54
一般に刑法も法律も問答無用のルールであって論理ではないですね。
ではなぜ殺人が許されないことかは法律外の問いであって、そこに慣習的な社会的な判断があるということを藤原氏は言っているのではなかろうかと思います。

 
 
 
Re: 不完全性定理 (池田信夫)
2006-05-05 13:48:08
殺人が許されない理由が「慣習的な社会的な判断」だとしても、それはゲーデルの定理とは何の関係もありません。この定理は、衒学的に文章を飾るために使われているだけです。

それでも数学の話は彼の専門分野だから、まだいいほうです。ロックとカルヴァンを結びつけて「自由」を否定する議論などは、徹頭徹尾でたらめです。

http://renqing.cocolog-nifty.com/bookjunkie/2006/02/___2005_5b1c.html
 
 
 
Unknown (kyuuri)
2006-05-05 15:25:40
確かにこの本には危惧すべき点は多々あって、単に論理的または知識として間違った判断と、
論理ではいえないことがごちゃごちゃになってますね。
そこが愛国右翼なる勢力に利用される点でしょう。
ですから、単なる間違いを正確に指摘しておくべきかとは思います。
 
 
 
Unknown (職人)
2006-05-05 20:04:00
>殺人が犯罪であることは刑法に書かれているので、完全に決定可能であり、論理的に説明できます。

著者はそういうことを言ってるわけではないでしょう。

>一般に刑法も法律も問答無用のルールであって
>論理ではないですね。ではなぜ殺人が許されない
>ことかは法律外の問いであって、そこに慣習的
>な社会的な判断があるということを藤原氏は言
>っているのではなかろうかと思います。

著者が言いたいのはこれでしょう。どうして池田さんはそこまで・・・・。もうやめときます。池田さんには何を言っても無駄だと思いますから。せいぜい批評・批判にいそしんでください。
 
 
 
蒸し返すのはやめてください (池田信夫)
2006-05-05 20:34:11
終わった話を蒸し返すのは、やめてください。不完全性定理と殺人の是非はまったく別の問題であり、「まして」でつながるような論理的関係にはありません。これはkyuuriさんも私も同意した結論です。
 
 
 
ゲーデルは無視したほうがいいでしょう (平宮康広)
2006-05-05 21:08:37
藤原さんがゲーデルを知らないということはないでしょう。

一辺が1cmの正方形があります。
この正方形の対角線の長さは1.41421356、、、cmです。
ここで、人類はまだ実数を知らない、あるいは実数を「数」と認めていないとしましょう。
すると、「ピタゴラスの定理は数以外のものを含んでしまうので数学の定理ではない」となるのか、それとも「数学の定理は数以外のものも扱う」となるのか、意見が別れるでしょう。
藤原さんは、「ならぬものはなりません」の精神で前者を選択するのは乱暴だとして、後者を選択したとしても、やがて行き詰まるのだ、と言いたかっただけなのでは?

ゲーデルのほうは、吉永良正さんが非常によい本をお書きになっておられるので、読んでいただくとして、

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4061329472/249-6929841-1784324

私は、ヒルベルト・プログラム批判を論理的なものすべてに対する批判に置き換えてしまうのは無理があると考えます。
面倒なので「情緒的」な言い方をしますが、ヒルベルト・プログラムは論理の「色抜き」をします。
そこを批判したのは、ゲーデルではなくてウィトゲンシュタインでしょう。
私は、藤原さんにはウィトゲンシュタイン的にやるだけのパワーがないのだろうと思いますね。
 
 
 
殺人の是非? (yoshi)
2006-05-05 21:40:13
蒸し返しても申し訳ないのですが、池田さんの議論の打ち切り方は、あまりに強引であるように思われます。

>不完全性定理と殺人の是非はまったく別の問題であり、「まして」でつながるような論理的関係にはありません。(池田)

これは批判というよりも、誤読ではないでしょうか。

>数学の世界でさえも、論理では説明できないことがある。まして一般の世界では、論理で説明できないことの方が普通です。(藤原)

代数論の話とはいえ、数学のような厳密に論理的な世界においても説明しきれないことがある。それに比べて、いっそう曖昧なものである我々の通常の判断には、論理で割り切れないものがあるのは当然である。これは、「人を殺してはいけない」というような一見自明な命題さえも、究極的には論理的正当化をすることがきわめて困難であることを示している。

という話なのではないでしょうか。
それを、不完全性定理と殺人の是非という極端に直結した形で取り出すのは、はじめから攻撃するつもりで持ち出した曲解に近いでしょう。

殺人の是非という例にしても、刑法で定められているからということは全く的外れな批判です。そもそもなぜ殺人が禁止されなければならないのかということの判断は、論理的なものである「以前に」直観的な判断であり、そのような意味で論理を「超えた」判断であるということが、藤原氏の主張であり、私にはきわめて説得的な主張に思われます。そして、藤原氏は、そうした直観的判断に大きく影響を及ぼすのが「情緒」であるといっているわけです。

もちろん、直観的判断だといって何でもかんでも論証抜きで押しつけるのは問題があるでしょう。藤原氏の主張がそういう傾向にあることは否めません。しかし、主張の一部を半ば歪曲した形で取り出すことは、論理的な批判というよりも、詭弁といえます。
 
 
 
訂正 (yoshi)
2006-05-05 21:54:36
「代数論」という言い方は正しくないようですね。すみません。
「自然数論」ですかね。これも間違ってたらすみません。
 
 
 
超越的であることが問題なわけです (平宮康広)
2006-05-05 22:03:27
> 代数論の話とはいえ、

ゲーデルは数学基礎論ですよ(笑

> 論理的なものである「以前に」直観的な判断であり、そのような意味で論理を「超えた」判断であるということが、藤原氏の主張であり、

藤原さんの問題は、まさに「超えた」という立場で考えを述べている点にあるわけです。超越的であることが、現実の困難から目をそむけてしまう場合があるわけです。私には、もしも多くの人が現実の困難から目をそむけていて、それで藤原さんの本が読まれているとすれば、それは危惧すべきことであるように思えます。
 
 
 
やれやれ・・・ (池田信夫)
2006-05-05 22:25:03
不完全性定理は「厳密に論理的な世界においても説明しきれないことがある」というような漠然とした命題ではありません。たとえばWikipediaにも書いてあることですが、ユークリッド幾何学は完全に決定可能です。

http://en.wikipedia.org/wiki/Incompleteness_theorem

ゲーデルの非決定性は、きわめて一般的な「メタ数学」を厳密に構成するとき起こるもので、計算機科学でさえ日常的には逢着することはありません。つまり大ざっぱにいえば、実用上すべての公理系は決定可能なのです。

だとすると、「まして一般の世界では・・・」とつながらないことは明らかでしょう。何度もいいますが、数学基礎論の論理(演繹的推論)は、きわめて特殊で厳格なものであり、殺人の是非というような日常的な問題とは関係ないのです。
 
 
 
ご教授を (yoshi)
2006-05-05 22:58:00
>ゲーデルは数学基礎論ですよ(笑

無知なものでどうもすみません。「自然数論」という言葉は池田氏による「自然数論の帰納的な公理系についての定理」という箇所からの借用です。
無知を承知でコメントをつけたので、はじめに謝っておいたのですが、(笑 ですか、そうですか。

はじめにお断りしておきますと、私は藤原氏に対しても池田氏に対しても全肯定も全否定もするつもりはありません。まあ、ここでは藤原氏は全否定されてしかるべきというような流れが支配的に見えますが。実際、少しでも擁護や反論をすれば袋叩きにされますし。

ところで、池田氏に教えていただきたいのですが、「実用上すべての公理系は決定可能」というところの「実用上」の但し書きがよくわかりません。この但し書きがあるのと無いのとで議論の上でどのような問題があるのでしょうか。

また、平宮氏の「超越的であること」が問題だということも、「それで藤原さんの本が読まれているとすれば、それは危惧すべきこと」という主張もよくよく分かるのですが、それでも、超越的な立場から考えることは時には必要だと私自身は思っております。
その意味で、「厳密に論理的な世界においても説明しきれないことがある」というような「漠然とした」命題を一度検討してみることは、自身が自明であると思っている命題を論理的に再検討するきっかけには十分なるのではないでしょうか。もっとも、そこに不完全性定理を持ち出さすことに問題はあるでしょうが。(下手に持ち出すと、無知だと罵られますし)

「理論的に」議論しようとする方が「おまえはこんなことも知らないのか」と馬鹿にするような「情緒的な」態度を見せるところが面白いところではありますが、そのような態度は、できればご容赦を。
 
 
 
まだ続くか・・・ (池田信夫)
2006-05-05 23:44:49
別に「袋叩き」にするつもりはありませんよ。藤原氏の議論が論理的に説明可能なら、こっちが教えてほしいぐらいです。

「実用上」というのは、不完全性定理なんか意識しなくても、数学にも計算機科学にも何の支障もないということです。現在のコンピュータは、元はといえばゲーデルのアルゴリズムを実装したものですが、非決定性が原因で止まるということはありません。

不完全性定理が問題になるのは、数学全体を形式的な証明のみによって無矛盾で完全な公理系として構成しようという「ヒルベルト・プログラム」が挫折したという点でしょう。しかし平宮さんがおっしゃったように、それを「論理の限界」というように一般化することは正しくありません。ふつう数学者は、そういう短絡的な表現をする「現代思想」の人々に注意する側なのですが、数学者みずから短絡しているのは初めて見ました。はっきりいって、こういう数学者は三流だと思います。
 
 
 
アナロジーの罠 (池田信夫)
2006-05-06 00:16:25
ゲーデルがいかに誤用されているかについては、こういう本もあります:

http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/db1990/9900bj.htm
 
 
 
情緒的な言い方をしてしまったほうがよいのでしょうか? (平宮康広)
2006-05-06 01:22:45
獄死した三木清か戸坂潤のどちらかだったと思うのですけど、戦前の知識人にやたらガロアだの「群」だのを引用するのがいたそうです。しかし見ようによってはガロアの群は「デデキントの解釈」でしかないわけですし、そんなものを無理矢理社会科学に応用してもしょうがないわけです。今はゲーデルなのかという気がしますね。
私は、一般サラリーマンが藤原さんの本を読んでいい気分になっているのだとしたら、イジメにあった子供が母親に泣きついて溜飲を下げているのと大差ないと思う。商売の負けは商売で取り返すしかないはずです。もはやたいがいの日本人は、たくましい商人ではなくなってしまったのでしょうか?
 
 
 
再び 八つぁん熊さん (kyuuri)
2006-05-06 17:54:09
昨日は盛り上がったようですね。
しかし、どうも池田先生の高尚な学識の前に皆さん引いてしまったか狐につままれたようなので、藤原さんの本に即して話してみたいと思います。

まず、「完全無欠と思われていた数学においてさえ論理的に判定出来ないことがある。」というのを命題Aとし、これは真だとします。

「現実の世界には論理だけで決められないことがある。」という命題をBとし、これも真であるとします。

池田さんが憤慨しているのは、おそらく藤原さんの「Aが真、ましてBも真」というレトリックが「Aが真ならBも当然に真である」というようなレトリックに近いと見ているのではないでしょうか。
実際は、AとBは独立なので、「AならBも当然に真である」というのはおかしいというわけですね。

しかし藤原さんのこのレトリックは「弘法も筆を誤る。なおもて凡人をや」に近いのではないかと思います。
いずれにせよAもBも真である以上、接続詞をどう使おうと別に大局に影響はありませんね。

私が藤原氏の主張に対し論理的な反論が必要だといっているのは、こういうレベルのトリビアルな話ではありません。そもそもPomoの連中の凄まじい出鱈目な衒学趣味とはレベルが違いすぎます。

また、池田さんは、殺人の是非であるとか、現実的なものも、ほとんど全て論理で決定されると言っているかのようですが、そうだとすれば、それは間違っていると思いますね。池田さんが言われるような法律できめることと、単に論理だけで導く結論は同じではありませんしね。

物事の出発点なり大前提を問題にすることは藤原さんのいうように大事なことで、その選択によって全てが変わってきます。
例えば、税金は正しいという前提から今の社会や法が全て構成されているのと同じです。
物事の大前提を間違えれば、そこから無数の間違った命題が正しく論理的に導き出されるというのは本当でしょう。
 
 
 
「論理」にもいろいろある (池田信夫)
2006-05-06 19:25:04
「弘法も筆を誤る。いわんや凡人も」という場合には、「筆を誤る」という共通の述語がありますが、「数学の世界でさえも、論理では説明できないことがある。まして一般の世界では論理で説明できないことの方が普通です」と藤原氏がいう場合、最初の文と次の文の「論理」は、別のものです。前者は厳密なアルゴリズムだから、それが不完全であるという証明は驚異的でしたが、後者は自明です。日常生活を支えているのは、論理だけではないからです。刑法の論理も、法廷では成立します。

つまり「論理」という言葉には、その文脈によってさまざまの種類があり、演繹的推論もあれば経験的妥当性もあり、経済的合理性も法的弁論もあるわけです。たとえば「人を殺してはいけない」とういう命題だって、「自然権」として論理的に説明することは可能です。その場合も、出発点(仮説)が重要であることに変わりはありませんが、私は、藤原氏のようにそういう出発点を「叩き込む」よりも、それを疑うことこそ重要だと思います。
 
 
 
納得 (yoshi)
2006-05-06 19:44:59
>その場合も、出発点(仮説)が重要であることに変わりはありませんが、私は、藤原氏のようにそういう出発点を「叩き込む」よりも、それを疑うことこそ重要だと思います。

池田氏のコメントで、初めて主題に関わる意見が聞けたような気がします。なぜ議論が平行線になるのかも、私なりに納得しました。
ありがとうございました。それでは、さようなら。
 
 
 
一段落したところで (moto金田浩)
2006-05-06 20:55:42
すみません。別のこと書かせてください。
文春3月号を引っ張り出して読んだのです。
これには「芥川賞」の短編が載っていまして
これが好きなもので。
再読というわけでした。
ところがなんと最初の所に筆者が書いていたのです。
たしか、経済のことでした。
貧富の格差がうんぬんと。
当然読んでいたのですがまさか「国家の品格」を
書いた人とはしりませんでしたもので。(笑)
 
 
 
Unknown (kyuuri)
2006-05-06 22:26:34
>「弘法も筆を誤る。いわんや凡人も」という場合には、「筆を誤る」という共通の述語がありますが、「数学の世界でさえも、論理では説明できないことがある。まして一般の世界では論理で説明できないことの方が普通です」と藤原氏がいう場合、最初の文と次の文の「論理」は、別のものです。

「弘法も筆を誤る。いわんや凡人も」の例えは、私は全く前文と後文が独立であって、論理的に結びつかないという意味で書いたものです。
弘法が筆を誤るのが真であり、また凡人が筆を誤るのが真であっても因果関係は全くないですよね。
「弘法も筆の誤り」とは、単なるエクスキューズの言葉ですから。

>つまり「論理」という言葉には、その文脈によってさまざまの種類があり、演繹的推論もあれば経験的妥当性もあり、経済的合理性も法的弁論もあるわけです。

それは、さすがに藤原さんもわかっているでしょうね。(笑)


>たとえば「人を殺してはいけない」とういう命題だって、「自然権」として論理的に説明することは可能です。その場合も、出発点(仮説)が重要であることに変わりはありませんが、私は、藤原氏のようにそういう出発点を「叩き込む」よりも、それを疑うことこそ重要だと思います。

そうですね。私もそう思います。
特に日本ではいろいろと間違った前提を学校教育で叩き込まれるので、よほど強靭な意志を持っていないと、それを疑うこともできないでしょう。
 
 
 
すみません。追加です。 (moto金田浩)
2006-05-06 22:30:12
あとで、また気がついたのですが、全体的に
週間新潮等にコラムを書かれていた雑誌「室内」
の主筆 山本夏彦氏とよく似ている方と感じました。
私は夏彦氏のかかれたものは好きでしたから。
夏彦氏は「正義」を嫌われていました。
「正義」を言われると反論出来なくなるとの
理由でしたか。愚考ですみません。
 
 
 
Unknown (kyuuri)
2006-05-06 22:41:08
>あとで、また気がついたのですが、全体的に
週間新潮等にコラムを書かれていた雑誌「室内」
の主筆 山本夏彦氏とよく似ている方と感じました

藤原先生は、山本夏彦氏にかなり影響されていると思います。
シオランの「国家とは国語なり」も山本氏がよく引用する言葉ですね。
 
 
 
Unknown (子牛)
2006-05-07 15:29:39
藤原氏は、そもそもどうやったら現実社会でも論理を有効に使えるのか、ということを(きわめて数学者らしく)言っているのだと考えることもできます。

> 出発点(仮説)が重要であることに変わりはありませんが、私は、藤原氏のようにそういう出発点を「叩き込む」よりも、それを疑うことこそ重要だと思います。(池田)

では、論理に出発点が必要であることは否定できないとすると、それはどのように設定、あるいは疑われるべきなんでしょうか。疑う際にはどのような出発点に立つべきなんでしょうか。どのような出発点がどのような基準によって妥当とみなされるべきなんでしょうか。

個人的には、この本から、何を共通了解にして論理を進めていくべきか、ということについて話し合うというネタをもらった感じです。
 
 
 
おまけ (池田信夫)
2006-05-07 15:31:30
藤原氏のいう「人を殺してはいけない」という命題も、自明ではありません。殺人は犯罪なのに妊娠中絶は合法だが、胎児は何ヶ月から「人」とみなされるのか? 胎児も含めてすべての人を殺してはいけないとすれば、牛や豚はなぜ殺してもいいのか?

この疑問は冗談ではなく、「動物の権利」として欧米では古くから論じられてきたテーマです。ジャック・デリダは(ナイーブな人権論への皮肉として)「動物への暴力」を批判しているし、マリー・ロスバートは「自然権は絶対的だが、それは人間という種に限った特殊な権利である」ことを認めています。

つまり、人を殺してはいけない(そして動物は殺してもよい)という規範は、「理屈抜きに叩き込まれた」ものではなく、西欧的な「人間中心主義」の一部なのです。たとえば仏教文化圏では、すべての殺生が悪とされますが、この規範のほうが「論理的」に一貫しています。
 
 
 
質問! (子牛)
2006-05-07 17:00:12
「おまけ」をまとめると・・「人を殺してはいけない」という命題を押し付けるのには妥当性がない、ということですか?その理由は仏教のほうが「論理的」に一貫しているから、ということですか。では仏教を押し付けることを主張される・・ってことでもないんですよね。

藤原氏の、ある価値観を押し付けるべきだという主張自体に反対なのですか?

池田さんのおっしゃる論理の徹底においては、何を出発点にしたいとお考えなんでしょう?
 
 
 
万年野党 (池田信夫)
2006-05-07 19:13:29
藤原氏は、いま日本の直面している問題を逆に見ていると思います。問題は、彼のいうように「論理が重視されて情緒が失われている」ことではなく、「日本人は相変わらず状況に対して情緒的に反応している」ということです。それは、この本を賞賛する書評のほとんどが「論理より情緒」というキャッチフレーズに反応していることでもわかります。

論理的に考えれば、民主主義や市場原理を否定する場合には、それよりもよい制度を示さなければなりませんが、藤原氏が持ち出すのは「武士道」などのナンセンスな話だけ。これは昔の社会党と同じで、反語としては人々の情緒に訴えるが、実際には何の解決にもならない。彼のいう「駄目だから駄目」というのは、かつて社会党の土井委員長が消費税を拒否したときの言葉です。日本がだめになったのは、腐敗した自民党に代わる選択肢が、こういう幼児的な「万年野党」しかなかったからです。

答がわかっているなら、それを押し付ければいいでしょう。しかし「人を殺してはいけない」という規範でさえ自明ではないように、絶対の「出発点」なんてないし、情緒だけで答の出る問題もないのです。
 
 
 
シオラン (Axe)
2006-05-07 19:32:00
> シオランの「国家とは国語なり」も山本氏がよく引用する言葉ですね。

シオラン自身は、二十歳までルーマニアにいて、ルーマニア語かハンガリー語で生活していたはずです。それが、パリに渡り自分にとっての外国語であるフランス語で思索を重ね、「国家とは国語なり」とフランス語で述べているわけだから、かなりひねくれているわけです。

だからシオランは、藤原正彦の唱える「英語教育より国語教育を先にやるべし」という理念からは程遠い人物です。そうでありながら、「祖国とは国語」という自著のタイトルに借用してしまうあたり、藤原はずいぶん太いシトだなあという印象を持っていました。
 
 
 
情緒主義への情緒的な批判 (kyuuri)
2006-05-07 19:43:23


>藤原氏は、いま日本の直面している問題を逆に見ていると思います。問題は、彼のいうように「論理が重視されて情緒が失われている」ことではなく、「日本人は相変わらず状況に対して情緒的に反応している」ということです。それは、この本を賞賛する書評のほとんどが「論理より情緒」というキャッチフレーズに反応していることでもわかります。

さすがにこの本が「情緒より論理」だったら全然売れなかったでしょうね。

>論理的に考えれば、民主主義や市場原理を否定する場合には、それよりもよい制度を示さなければなりませんが、藤原氏が持ち出すのは「武士道」などのナンセンスな話だけ。

この本はそういう政治的な意図をもった本ではもともとないですよね。w


>これは昔の社会党と同じで、反語としては人々の情緒に訴えるが、実際には何の解決にもならない。彼のいう「駄目だから駄目」というのは、かつて社会党の土井委員長が消費税を拒否したときの言葉です。日本がだめになったのは、腐敗した自民党に代わる選択肢が、こういう幼児的な「万年野党」しかなかったからです。

しかし、この本はむしろ与党側でもてはやされているようですね。

>答がわかっているなら、それを押し付ければいいでしょう。しかし「人を殺してはいけない」という規範でさえ自明ではないように、絶対の「出発点」なんてないし、情緒だけで答の出る問題もないのです。

これもかなり情緒的な反論のような。(笑)

 
 
 
先生の仰りたいこと (岡田 丈松)
2006-05-07 20:00:46
僕は、結論的に先生がこの本で何を仰りたいのか
未だに理解できませんが、要するに、日本の国の
ありかたとして、社会主義的な考えも駄目だし、
競争原理的資本主義も駄目、だから精神論として
「武士は喰わねど高楊枝」という事が大事ですよ。
と仰りたいのでしょうか。すると経済学的な観点
から「人間の欲望を満たすための学問」を精神論
で片付けてしまうお考えを披瀝なさったのですか?。
いずれにせよ、カルバンの「予定論」を持ち出して
「予め、定められた者だけが救われる。だから人間
は努力したって、しなくったって同じ」なんて論理
は滑稽でしかありません。神学については、はっきり
申しますが、先生は「素人」です。
結局、先生は「売れる本」を書きたかった、のでは
ありませんか。
 
 
 
与党内野党 (池田信夫)
2006-05-07 21:13:47
コメントスパムでも「炎上」でもないのに、4ヶ月近くにわたって100近いコメントがつくというのも記録的ですね。

>この本はむしろ与党側でもてはやされているようですね。

与党側というより「与党内野党」でしょうね。藤原氏が小泉政権を批判しようとしていることは明らかですが、それって彼が自分で考えているほど少数派ではなく、5年ぐらい前までの保守本流です。ところが、小泉首相と「新保守主義」の登場によって、この「旧保守」の人々が与党内野党に転落してしまった。それが最後までわからなかったのが「国民新党」などに追いやられた人々です。

しかし「与党内与党」も安泰ではない。本書が200万部近く売れていることからも、旧保守の人々のルサンチマンが根強いことがわかります。小泉政権の終了とともに、与党内野党が復権する可能性は高いと思います。
 
 
 
小泉政権の終了 (moto 金田浩)
2006-05-07 22:20:47
情緒に流されやすいおじさんとしては(笑)、昨年の
反対者は切り捨て、さらにおぼれた犬はたたけと
ばかりに、強硬な事をしたことに対してなんとも
惻隠の情もないなさけない事をして、これに
多くの人が賛同したということに失望しています。
与党内野党がぜひ復活して、織田信長的手法?
は日本の情緒にはなじまないと反省させて欲しいと
願っています。
まったく、幹事長殿、いや、小泉様。
 
 
 
藤原さんアウト! (さぬきうどん)
2006-05-07 23:48:02
>檀君 WHO\'s WHO

で藤原正彦氏のテレビでの発言を見ました。
間違っていますし、すでに逝っていますね。
徹底的かつ壊滅的な批判が必要だと思います。

加藤紘一が喜んでいる、実に不愉快です。
テレビで見ると、藤原さんの論理の破綻は分かります。
 
 
 
檀君WHO\'S WHO (池田信夫)
2006-05-08 01:13:15
http://kamomiya.ddo.jp/Library.html

このURLの「スパモニ/お前が言うな!加藤紘一 国家の品格」というビデオですね。これは堂々たる著作権法違反だと思うんだけど、どうなってるのかな・・・

それはともかく、藤原氏の話は妙に思いつめたような感じですね。『国家の品格』は、あまりにも内容がでたらめなので、一種の冗談だろうという人もいますが、このインタビューを見ると、彼が本気で「市場原理が世界を滅ぼす」と信じていることがわかります。2ちゃんねる的にいうと、「目つきが逝っちゃってる」という感じですね。
 
 
 
尊敬される国民…… (Nozomi)
2006-05-08 12:50:00
『尊敬される国民 品格ある国家』
という書物があります。
著者は、渡部昇一、岡崎久彦。

なんだか、読まないでも内容がわかりそうです。
 
 
 
ヨットスクール (Nozomi)
2006-05-08 13:04:49
藤原氏の話しぶり──、戸塚宏氏に通じるものを感じてしまいます。
こういう人が日本人の一部のオピニオンを先導(扇動)しているのだとすれば恐るべきことです。

「市場原理が世界を滅ぼす」のなら、目指すのは共産主義国家??
 
 
 
狭い意味では (田吾作)
2006-05-08 13:49:55
狭い意味では、藤原正彦の『国家の品格』に対する批判は自分で反論の本を書いて200万部以上売ることですが、「床屋政談」だから売れているのでそれに対して真面目な反論では売れない事は明白で、だからといって「床屋政談」風の反論では不毛な議論になる事はこれも明白だと田吾作は考えます。従って彼の問題意識を汲み取りつつ広い意味での反論が効果的だろうと私は考えます、現に池田信夫の過去の実績が「コメントスパムでも『炎上』でもないのに、4ヶ月近くにわたって100近いコメントがつくというのも記録的ですね」という現象を生んでいますので。
 私の考え(理論的説明は実力不足)では「市場原理が世界(アメリカ)を滅ぼさなかった」のがそもそもの原因で、1971年のニクソン・ショック(アメリカの法律では合法)以後世界経済が「詐欺経済体制」へ移行し、「詐欺」を担保するものとして常に拡大し続ける「価値=土地・建物・株式時価総額等」を必要とするのが現状であり、「詐欺」に対する直感的な怒りが『国家の品格』に表現されていると「直感的(理論的には説明できない)」に考えます。理論的(直感に基づく)には世界中の土地・建物を証券化し、マネーゲームとしての株式売買を繰り返して株式時価総額を上げ続ければ無限に「詐欺経済体制」を延命する事は可能ですが、直感力が敏感な日本人大衆には通用しなくなりつつあるのではないでしょうか。ただ対案が「なるようにしかならない」しか無いのがつらいところですが。
 
 
 
まだまだ続く・・・ (池田信夫)
2006-05-08 18:59:26
この「板」もコメントが100を超えて、なお続きそうですね。良くも悪くも、これだけ強い共感(あるいは反発)を受けるところが、本書のミリオンセラーたる所以でしょう。当ブログのアクセス解析でも、「国家の品格」で検索してくる人が断然多い。

ところで「朝まで生テレビ」は、先日の放送で満20年を迎えました。田原総一郎氏の新著『テレビと権力』によると、この番組の始まったころは、「論壇」の主流は圧倒的に左翼だったので、それに逆らうつもりで西部邁氏や升添要一氏など「右」の出演者をあえて入れたのだそうです。ところが、いつのまにか主流と傍流が逆転して、今では左翼が絶滅に瀕している。これも問題だ、と彼は番組でもいっていました。

しかし私の印象では、世の中が右寄りになったというよりも、もう右とか左とかいうイデオロギーが役に立たなくなったのだと思います。『国家の品格』も、昔だったら極右みたいな話と「格差はよくない」みたいな社民党的な話が、ごちゃまぜになっている。残念ながら、論争のネタにするには、ちょっと程度が低いですね。
 
 
 
おじさんの感想です。 (moto 金田浩)
2006-05-08 23:07:06
国家の品格を読んで、これは面白い本と感じ、最近の
ネットのことだから、何処かで議論しているところは
ないかと探して、ここに行き当たりました。
議論がこれまた面白い。共感あり、反発あり。私の
感じでは、反発の方がはるかに多いですが。(笑)
書き込みもさせてもらえるし、素直に考えている
ことを書かせてもらっています。感謝です。
歳が行きますと、もっとも自分はまだまだ若いつもり
てすが。妙に今の世の中の流れがなにか変だと感じ
るものです。そこにこの本が評判と広告で知り
おまけに、けっこう安い本だったので買いました。
読んでみると、これまた面白い。
どこが面白いかと言いますとおじさんが常日頃
変だと思っていることに、変だと言っていることです。
変節することが中曽根総理の時代はカゼミドリと
美しくないとされていたのが、今は変節してでも勝ち組につくことが
良いと感じる世の中だとか、お金持ちはもちろん努力しており
立派なことではありますが、それのみが強調され
る世の中に対して、いやそればかりではないとか。
昔は「武士は食わねど高楊枝」もあったとか。
会社は誰の物か、株主のものだとかに反論している等多数。
もっとも、これは、おじさん族の古代からの感じで
「近頃の若い者は、、、」です。古代エジプトの例のやつです。
要するに、おじさんが溜飲をさげたというやつです。(笑)
年寄りの冷や水で、心配しなくても世の中はけっこううまく行くものなのですが。

文春を再度読み直してみました。情緒的ではありますがやはり
共感(笑)。
明治維新の時の勝てば官軍の批判、武士道を、信義を通した武士の、後での
低評価。捕虜を日本は明治時代、惻隠の情で接したのに、外国はそうではなかった
よおだとか。市場経済はいきつくところ「けだものの世界」だとか。
これまた、年寄りの心配性が作家にもあったのでしょう。

また、「国家の品格」の中にもユーモアもありますよね。
奥さんとのくだりなど、思わず、嬉しくなります。我が家と同じですから。
最初のくだりで、奥さんをダシにして、あまり生真面目に読まない
ようにと書かれていますし。(笑)
失礼いたしました。また書かせてください。新しい発見があるかもしれませんので。
ここに入って、皆様のご意見を読むのが楽しみになっています。
 
 
 
マジックワードの恐ろしさ (平民道)
2006-05-11 19:14:52
このテーマに対する議論、大変興味深く拝読しました。炎上するでもなく、まともな議論で盛り上がっていること自体、耳障りがよいだけの日本賛美論や中国脅威論にいささか食傷気味の私にはひとつの清涼剤となりました。藤原氏が意図していたか否かは分かりませんが、この本の中身を越えて、「国家の品格」という言葉がマジックワードのように一人歩きしていくことに一種の気味の悪さを感じます。このマジックワードに快哉を叫んでいる人たちには、「国家」、「国」という場合にそこに権力が化体されていることに余りに意識が薄いような気がしてなりません。

 
 
 
過去最大の売り上げを記録 ()
2006-05-11 22:53:26
>この本のあらすじを周りの英国人(English)と議論すればするほど、彼らからも好評です。

遠い国の他人事は簡単に褒め易い。

>日本は決してアメリカの猿真似をしてはいけません。

そんな当たり前のこと、どこにでも溢れてる。
この本もそんな凡庸書の一つに過ぎない。
問題はそれが過去最大の売り上げを記録してしまうという日本の愚かな状況だ。
この本そのものは、まあ一種の馬鹿本としてはまあいい。
 
 
 
真に学ぶべき事は (アトミックボム)
2006-05-12 02:11:59
グローバリゼーションに流されて
国家と国家を分ける精神的な骨格まで
なくしてしまったら
もはや独立した国とは言えないだろう。
そして
安易な経済至上主義の「追従」は危険である。
経済至上主義の正体は
「不可抗力でもたらされた結果=正しい」と言うような論調でもある。
古くからの伝統と教養を教える老舗の小さな教育機関と
伝統と教養は一切おしえないが宣伝力とフランチャイズの力を持つ経済至上主義の教育機関と二つ存在するとしよう。

経済至上主義の結果であれば後者が正しいという事になる。
社会的に残っていくのはもちろん経済至上主義の経営
を成功させた教育機関である
そして
経済至上主義で考えるなら「残った物=正しい」
となる訳だ。
だが大事な事が抜け落ちているのだ。
「効率的に学んだ計算力や論理を理解する学力は
なんの思考を元に行使されるのか?」

答えは
「学力や知識は教養と道徳心で行使される」
と言う事実。

知識は教養や道徳心で行使されるものであるから
知識の前に道徳心や教養を学んでおかなければ
どの様にその知識を使えば良いのか?
どの場合にその学力を使えば良いか?
が分からなくなってしまうのである。

結局は知識も無駄に終わるか捻じ曲がった方向に使われてしまう。

人を育てる教育であれば道徳と教養を教える非効率な前者の方が正しいのである。

むやみに無気力な若者や希望を持てない若者などを
みるとそれは顕著である。

つまり自分が楽に暮らしていけるような最適化された
社会構造ではないと経済至上主義にも似た過程を
経て導き出した絶望なのであろう。
しかし
世の中は常に最適で効率の良いものだけが正しい訳では
無い。
希望が無くとも良い環境がなくとも自らの学力と知識力でもって進まなくてはならない時もあるのだ。
効率的に考え効率的に未来は無いと考えるなら
非効率であろうとも闇雲であろうとチャレンジを
し続ける方が良いのである。
まあ
他者から見れば「非効率でばかげた事」となるのだろうが、世の中を革新してきた力は元をたどればばかげた発想や行動だったはずだ。

効率的に考えるなら無力な自分は
無力に生きるしかないと言う最適化が思考上で行われるだろう。
しかしそれでは何も解決しないし何も変わらないのである
非効率に突拍子も無く進まねばならない場合が
世の中にはあるのだ。
効率化と言う他者の作り出したシステムモデリングの
中で生きていけると思うなら経済至上主義で追従して
いれば良いが結局は最後にその代償を払うことになるだろう。
「他者の手綱が無ければ立っていることも出来なくなる」と言う代償を。

だから安易に「市場経済主義」こそ最高
と時代に流されるのではなく、
それを理解し自らの道を切り開く為にそれらはあるのだという事を理解できるようになるように
「道徳心」「教養」を取り戻せと
一人一人の道徳心や教養心が国家の品格を形作ると
言うと共に武士道やらなにやらを引き合いに出して
それらを取り戻せと著者は言いたいのであろう。
 
 
 
解決策を求めずに愚痴を言い合うにはちょうどいい議題だよねぇ (Vanguard)
2006-05-12 21:02:59
 著書は感情的に読むといい気分にさせられる。
苦しいときに声掛けられ応援されると、相手が詐欺師でも信じたくなりますねぇ。
共感するポイントのほとんどは、失ったか変化した若い頃の時代固有の常識や考え方なんだろうけどね。
明治維新後に、江戸幕府が良かったなぁなんて言ってもどうにもならないよねぇ。

 そもそも、道徳心や教養は、時代によって異なるのでいつのものを取り戻せといってるのだろうか。
取り戻せといってる者達は、教養や道徳心があってバブル崩壊させたんだよね。
まさか自分らには無いけど、君らは身に着けてね!みたいな話ではないですよね。
当然の如く、取り戻せといってる人達は日本・中国・西欧の基礎的な古典は読んでますよね。
まさか、愚痴の闇ではあるまいて。

 私の気のせいか極論とあるべき論が多すぎる気がする。
目的が日本をの将来を良くするための議論をするためには、現実を直視してから始める方が効果的だ。
国家の品格では、あるべき論だけなので今ある現実から逃げて愚痴を言ってるだけではないか。
 道徳心を育む為に、情緒で政策が立てれたら楽だろうね。
そういえば、この国は現実を見ずに感情的に戦争した国でしたね。
論理的ではない情緒的な結果は、凄まじいものですね。
バブルのときも感情的に動いて莫大な借金を作りましたね。
情緒的な行動がいかに劇薬的に効果があるかを物語ってますよね。
 私的には、情緒で物事を解決しようとすると、イデオロギーや感情のぶつかりになって全面戦争して完全勝利する以外に感情的な整理はつかないじゃないか?。
それに、情緒は集団(文化的バックグランドが違うなら感じ方も違う)ごとによって違うときがあるのでその場合はどうやって相互理解して問題解決に当たるかが疑問。
 ならば、まだ論理の方が、各々が妥協することによって冷静に対処することができるからましだ。
 現実問題としてベストが分からない以上、最もよく行ってる様に見える市場に任せるというベターを漸近的に良くするしかない。

>「残った物=正しい」

伝統や情緒は古来から残ってるから正しいと判断してるんじゃなかったのか。
そうすると、経済至上主義と同じ結論に達してるのでは。

>「学力や知識は教養と道徳心で行使される」

〜されるという事実を語ってるなら、反例を出す。
そうすれば、事実が必ずしも真でないことが分かる。
アイヒマンやヒトラーが教養と道徳心で、己の学力や知識を行使したとはとてもじゃないが思えない。
実際は、欲望の方が行動原理としてはしっくりくる。
戦国時代に、教養や道徳心で知識を活かして生き残ったやつは一体どの程度いるのかね。
問題自体が、現実を見て〜されるの形に結論付けるものではなく、あるべき論の〜されるべきにするものではないか。
〜されるの形にするには、証拠が必要なのではないか。
問題と結論だけでは、説得力に欠ける。
机上空論的な話。

>むやみに無気力な若者や希望を持てない若者
自分が楽に暮らしていけるような最適化された社会構造ではないと経済至上主義にも似た過程を経て導き出した絶望なのであろう。

一若者としては、自分たちの行動の結果ではない上の世代の莫大な借金を払うために、これから高額な税金を払うのが馬鹿らしくてね。
生活状況が悪くなるような予測しか立てれない現状が嫌でね。
バブル破綻の現況たちが責任回避して、逃げて行った大人たちに絶望してね。
自分らの起こした結果の責任から逃げていった人達の方が、生活が豊かでこれから借金を払って良くして行く私たちがなぜ苦しむんだろうねぇ。
 楽しなくてもいい、必死に努力して結果が手に入ると将来はよくなるという希望さえ持てれば…いいのだがなぁ。
結果が絶望的に、上の世代の借金返しに使われると思うとねぇ。
 現状から見ると、私らの失敗で未来は絶望的に見えるしよい環境じゃなくなったけど、もうすぐ引退する私らは手を貸せないし責任取れないけど、がんばれ!みたいな事を言われてる気がしてならない。
無責任な応援はいらないんだけどねぇ。
さっさと、借金返すために実質的に動いてくれないものか。
 
 
 
Unknown (sakura)
2006-05-13 10:41:01
「国家の品格」感動しました。その前に「99、9%は仮説」って本を読みました。科学は哲学・・・目からウロコでした。私が一番大切にしているのは自分の勘です。
専門的な分野で「そこ違う」とか突っ込みたくなるのは良く分かります。私も、例えば田植えの風景など絵でみて、何だか違うような気がすると「木を見て森を見ず」状態になります。
肝心なことは、今のこの日本の状況です。
このままではマズイと誰もが思っていると思われるのに、どうしようも無い状態になっていっている。どう考えてもどんどん悪くなっていっている。
歴史観に関して日本は異常とも思えるほど、マゾ(これは日本人の優しさのデメリットの部分ですね)。何かの本で読みましたが、お前たちのお父さん、おじいさん達はこんな酷い奴らだった。大昔からそんな民族だった。日本の文化は猿真似・・・等々。そんな歴史観で育てられた子どもがロクな大人に育つわけがないという本を読みました。
まさにその通りだと思いました。
重箱の隅を突っつくのは簡単です。でもこの本は明らかに日本の人たち、世界の人たちをこの本が出版される前より幸福にする。
そうは思いませんか?
(こういう場を与えてくださった管理人池田信夫さんに感謝いたします)
 
 
 
200万部突破 (池田信夫)
2006-05-13 19:07:35
本書が『バカの壁』よりも58日早く200万部を突破したそうです。しかも、100万部を超えてから売れ足が速まったとか。この調子では、500万部ぐらい行くのかな。

この板をみても、やはり賛否がはっきりわかれるのが特徴ですね。しかも批判する人は、藤原氏の知識がいい加減であることを指摘するのに対して、共感する人は「細かいことはともかく、論旨は正しい」という。しかし、事実認識がことごとく間違っているのに、それをもとにした結論は正しいということは考えにくい。まして専門である数学についての記述も怪しいとなると、本書の議論はすべて疑ってかかったほうがいいと思いますよ。
 
 
 
Unknown (sakura)
2006-05-13 22:44:05
私が一番感銘を受けたのは、第6章の食料自給率再考です。ここは、事実認識は間違ってないですよね?
(私が感じた感想 荒れ果てた田畑を見るのは辛い。田植えが終わったばかりの美しい田んぼ、秋の実りを見ると、本当に幸せな気持ちと労働の大切さに感謝
少しくらいお金がかかってもいいから、農家を守るべきだ)

1919年、第一次大戦が終わった後に開かれたパリ講和会議の時に、日本が本気で提案した「人種平等法案」が否決されています(中略)唯一の非白人一等国である日本は深い怨念を持ちました。(国家の品格22ページより)
ここの事実認識、違ってるんですか?
私が感銘を受けたのは難しい数学や経済の知識ではなく、こういったところなのですが・・・。

でもきっとすごく頭のいい方たちが批判されているということは、きっと「国家の品格」はどこかすごく間違っているのでしょうか。それは致命的なのですか?
出版社の方たちは、間違い、過ちを、本にする前にチェックできないものなのでしょうか?


 
 
 
食料自給率 (池田信夫)
2006-05-14 00:21:08
「環境を守るために農業を守れ」というのは、古くからある農業保護論です。環境を守るなら、環境省の予算で本当の自然を守るべきです。今の農薬だらけの田畑は、環境を汚染しています。

「編集者がチェックすべき」というのは、私にはちょっといいにくいが、おっしゃる通りですね。特に経済学のでたらめな話や、カルヴァンが「キリスト教原理主義」だとかいう話は、削除したほうがいい。しかし、そうやって削除すると、ほとんど残るページがないか・・・
 
 
 
藤原さんにとって市場経済こそがおそらく「数学」なんですよ (平宮康広)
2006-05-14 00:27:06
池田さんが別スレでコーエンが連続体仮説の独立性を証明したことを言った時点で、知識や情報だけの数学議論してもしょうがないと思って書き込みするのを止めたのですけど、久しぶりに見てみたら大変な状況ですね。

> 「国家の品格」はどこかすごく間違っているのでしょうか。

文芸春秋に記載された原稿を読んで、藤原さんには経済学を数学の亜流か何かのように思い込んでいるところがあるように感じました。そして等価交換を前提とした経済モデルを信奉している市場原理主義者が反論するのはむずかしいかもしれないと思いました。
私は、市場での取引は不等価交換だと思います。経済モデルは結果を整理したり編集するための手段でしょう。モデルを予測のために使用することがあっても、それは絶対ではないはずです。
現実の市場経済は不等価交換であるとの考えをまったく無視しするか知らないまま市場経済を非難する藤原さんは、困った人だと思いますし、無知だとも思いますよ。
それから、僕の勝手な邪推ですが、藤原さんは数学者でありながら計算をバカにしているところがあるかもしれません。そのような数学者は、えてして無理なゲーデルの引用をしたりもするように思えます。

数学基礎論は、数学のガバナンスをどうするのかといった役目を担ってもいるわけですが、もしも藤原さんが経済学を数学の亜流か何かのように思い込んでいるとしたら、藤原さんにとってゲーデルの引用はごく自然なことなのかもしれません。しかし、それをするならゲーデルは古しすぎるし、コーエンやその他もダメです。数の存在が先行し、数を数えるという思考作業(もちろん、計算も数を数えるという作業です)が後に続くという前提での数学基礎論は、もうダメなんです。
藤原さんがそういったこと知っていて言っているとしたら、数学者としては怠慢ですね。金もたまったことでしょうし、引退したほうがよいと思います。

ちなみに食料自給率を高めるということは、藤原さんに言われるまでもなく、誰もが思っていることですよ。
 
 
 
飽食問題でもあるわけです (平宮康広)
2006-05-14 00:36:14
池田さん、日本の食料自給率の低さは、日本の飽食問題でもあるわけです。米は今でも100%の自給が可能ですし、国民に必要なだけの全カロリーを提供することができます。
国会で某議員が、「北朝鮮でさえ、食料自給率が70%ある」と言ってましたが、飽食問題のない国でそれなら70%は低いとさえ言えます。

余談ですけど、民主党の小沢一郎は、そこらへんのことだけはよくわかっているような気がしますね。その点だけは、褒めてもいい(笑
 
 
 
Unknown (sakura)
2006-05-14 15:51:02
経済、数学に関しては、「国家の品格」の筆者は心もとないって事ですね。私は管理人さん、平宮さん、藤原さんの考えを全否定も全肯定もできませんが。(素人ですし、はっきりいって、「国民の品格」の中で飛ばした箇所です・・・。「99、9%は仮説」を読んだ後遺症もあります・・・)。
でも歴史認識に関しては管理人さん、平宮さんは言及されていらっしゃいませんね。少し安心しました。専門外なのでしょうか。あと日本人は右脳で虫の音を聴くという事に関しても。美しい場所に天才(特に数学者)が現われるということに関してはどうでしょう。

私も武士道に関しては、戦国時代はそんなきれいごとは言ってられなくて暇そうな江戸時代に作られた考え方なのだと感じています。
でも、素敵な生き方、考え方と思います。
 
 
 
講和会議での発言の件ですね (平宮康広)
2006-05-14 16:09:06
> でも歴史認識に関しては管理人さん、平宮さんは言及されていらっしゃいませんね。

当時の日本は、韓国を支配し、台湾を占領していながら「大正デモクラシー」をやっていたわけですよ。
僕は、アジアの他の国々の日本の植民地支配に対する反発が欧米の植民地支配よりも強いのは、たんに日本が同じアジアの国であるということだけでなく、そこらへんにもあるのではないかと思っています。日本の植民地支配は浪漫主義的なものであったと言ってもいいでしょう。愛情による支配というのは、支配された側も払拭するのが大変なんじゃないかと思いますよ。
藤原さんは情緒的なものを優先させておきながら、そこらへんがかなり鈍感ですね。あまり歴史を勉強していないのかもしれません。
 
 
 
Unknown (sakura)
2006-05-14 22:23:36
歴史認識というと、先の大戦に関しての事に対してしか答えてくださらなかったのは何故ですか?
江戸時代は? 平安時代は? 日本の古典は?
「国家の品格」24ページの「共産主義という美しく立派な論理それ自身が、人類という種に適していないのです」というところについてはどう思われます?
私はこういうところに納得したりしたのですが。
 
 
 
ベストセラー (Nozomi)
2006-05-14 22:24:32
売れてますね。
関西では、どこの書店でも軒並みナンバーワンです。
それにしても200万部とはスゴイな……。

“数学者”の書いた本としては空前の売れ行きなのでは……?
 
 
 
共産主義 (池田信夫)
2006-05-14 22:46:37
共産主義が「合理的」であるがゆえに失敗したというのは、ポパーやハイエクが半世紀ぐらい前に指摘したことです。ハイエクが市場の「自生的秩序」を評価したのは、それが人間が合理的であることを前提にしていないからです。

この程度のことは、経済学部の学生でも知っています。それなのにハイエクを「新古典派」だと思っている藤原氏は、共産主義も市場原理も一緒くたにして「論理」だからだめだという。はっきりいって、彼の社会科学の知識は高校生なみですね。
 
 
 
困りました (平宮康広)
2006-05-15 03:02:16
僕がこれに答えないといけないのですか(笑

> 江戸時代は? 平安時代は? 日本の古典は?
> 「国家の品格」24ページの「共産主義という美しく立派な論理> それ自身が、人類という種に適していないのです」というところ> についてはどう思われます?

平安時代のことはわかりません。江戸時代と日本の古典ということでしたら、藤原さんの本居宣長についての考えは間違っていると思います。本居宣長が言った「からごころ」とは、陽明学のことです。そして「やまとごころ」は、日本本来の心というよりも、むしろ鎌倉時代に日本に輸入されて和風化した朱子学のことでしょう。本当に日本本来の心にこだわるのであれば、縄文時代の話をしないといけないはずです(笑
共産主義もわかりません。個人的には、東欧諸国にしばらく滞在していたことがあって、友達もそれなりにいるので、亡命するならアメリカよりもロシアを選びますけどね(笑
 
 
 
Unknown (sakura)
2006-05-15 08:27:25
>本当に日本本来の心にこだわるのであれば、縄文時代の話をしないといけないはずです(笑
そうお考えなのですか・・・。
縄文時代のこと、今から分かるんでしょうか。

私の知識は中学生以下なので、もっと簡潔に具体的に「国家の品格」がどういけないのか答えていただきたかったです。残念です。
間違った根拠に基づいているから、「日本人一人一人が美しい情緒と形を身につけ、品格ある国家を保つことは、日本人として生まれた真の意味であり、人類への責務と思うのです」という一節も間違っているとお考えなのでしょうか。
できたら、イエスかノーで答えていただいたら助かります。
 
 
 
Unknown (KSY)
2006-05-15 12:09:55
「国家の品格」は確かに品格に関する本ですね。しかし、品格にしては文化的な基盤を全面に押し出しすぎな感があります。数学者の藤原さんが何故「武士道」を持ち出したのかよくわかりませんが、恐らく現代日本には日本人としての行動原理がなさすぎると感じたのでしょう。古き良き日本へのノスタルジーというべきか。こんなことを言っては失礼ですが、時代劇のなかの日本のような気がしてしまいます。
 
 
 
個人の問題ですよ (平宮康広)
2006-05-15 14:19:38
> 間違った根拠に基づいているから、「日本人一人一人が美しい情緒と形を身につけ、品格ある国家を保つことは、日本人として生まれた真の意味であり、人類への責務と思うのです」という一節も間違っているとお考えなのでしょうか。
> できたら、イエスかノーで答えていただいたら助かります。

藤原さんの意見を受け入れるか否かは、個人の自由です。もんだいは、それが和風化された朱子学であることを知らないまま判断されたのでは困るということです。論理無視がよくないというのは、まさにそういった点にあると思いますよ。
和風化された朱子学であっても、それを日本本来のものとして受け入れたいと思う人もいるでしょうし、立ち止まってもう少し深く探求してからにしようと思う人もいるでしょう。個人の判断に対して関与するつもりはないです。

余談ですが、三島由紀夫は陽明学を信奉していました。三島が生きておれば、藤原さんの本を、「ただの漫画」と言うかもしれないですね。
 
 
 
Unknown (sakura)
2006-05-15 16:46:51
ありがとうございました。
自分は本当に何も知らないのだなということが良く分かりました。
和風化された朱子学と言われても全然分かりません。陽明学も何のことやらさっぱり。
朱子学と言うのは危険なんですか? それとも和風化されると危険なんですか。
考え方と言うのは、和風化されたり、洋風化されたり、中華風になったりするものなのですね。


 
 
 
危険なのは論理を無視することです (平宮康広)
2006-05-15 17:02:47
> 朱子学と言うのは危険なんですか? それとも和風化されると危険なんですか。

根底に朱子学があるのを知らないまま、それが日本的なものであると思い込む行為が危険なのであって、朱子学や和風化された朱子学それ自体を危険視しているわけではないのです。
日常生活の場面においても、論理を無視して情緒的な判断を優先さてしまったために、後悔することもあるでしょう。それと同じですよ。朱子学と陽明学のちがいに興味があるのでしたら、ご自分で勉強してください。
 
 
 
Unknown (sakura)
2006-05-15 22:31:37
>藤原さんの意見を受け入れるか否かは、個人の自由です。
何だか安心しました。
私が何でこだわったかというと、前大ベストセラーになった本が誤りであると、私の最も尊敬する作家の一人である方が指摘され、すごくショックを受けたからです。しかもその論拠は無学な私でも十分納得できてしまうものでした。
今から考えれば、その本はノンフィクションではなく、フィクションとして捕らえれば私の中で永遠に名作でありえたのです。

>根底に朱子学があるのを知らないまま、それが日本的なものであると思い込む行為が危険
芥川龍之介も言ってますものね。日本は日本人は、何でも作り変えてしまうと・・・。

平宮さん、いろいろありがとうございました。
貴重な時間を割いてご指導いただき、申し訳なく思っております。管理人さんにも感謝いたします。
とりあえず、朱子学、陽明学、等など、勉強しようと思っております。
 
 
 
他に勉強することがたくさんあるでしょう (平宮康広)
2006-05-16 04:06:17
> とりあえず、朱子学、陽明学、等など、勉強しようと思っております。

朱子学が確立した時期とトマス=アキナスがキリスト教の教義を確立した時期が近いように思いますし、中国で陽明学が普及しはじめたのとヨーロッパで宗教改革がはじまったのもだいたい同じ時期のように思いますね。とりあえず朱子学=カトリック、陽明学=プロテスタントくらいでよいのでは(笑
 
 
 
多くの意見読ませてもらい。 (moto 金田浩)
2006-05-17 22:43:57
感謝です。

おじさん族には少し難しくなりつつありまいが。(笑)

今月号の「文春」にたしか某社の社長さんが

この本を推薦しておられました。

別の事となりますが、最近小学校で英語を

教え始めるとか。なにか、この本の中にあった

ことからすると、やり過ぎかと考えてしまいます。


 
 
 
日本的情緒の正体 (池田信夫)
2006-05-20 22:27:34
TBも13もついてますが、今日のはおもしろいですね:

http://may13th.exblog.jp/3104613

要するに、藤原氏の議論は、戦前の日本浪漫派の「近代の超克」の戯画にすぎないわけです。その特徴は、西洋的な資本主義や民主主義を「東洋的な美意識」によって乗り超えようとしたことです。西洋的なモデルを論理的に乗り超えることができないから、「古きよき日本」への郷愁に訴え、民族意識を鼓舞したわけです。

そして、こういう情緒的な「超克」の結果がどうなったかは、歴史が教えています。幸い、本書の議論は戦前よりもはるかに杜撰なので、政治的影響力はないでしょうが、こういう本が200万部を超える人気を博すという状況は、考えものです。
 
 
 
「近代の超克」ですか、、、 (平宮康広)
2006-05-21 00:50:54
大貫恵美子さんの本は読んでいませんが、先日、梯久美子さんが書かれた栗林忠道硫黄島総指揮官の本を読んで、ずいぶん考えさせられました。栗林忠道は合理主義を徹底してますね。そうでない限り、約二万人の兵士の同意を得ることができないということが、よく分かっていたようにも思います。血の通っている浪漫主義よりも、血の通っていない合理主義のほうが人間的なのかもしれませんね。
もっとも「近代の超克」は、アメリカと戦争をしていながらヨーロッパのことをあれこれ言っているトンマな議論ですよね。あえて擁護するなら、「ドイツは負ける」と言って日本の対米戦争を批判していたと言えなくもないですけど、まともにアメリカ批判をしている藤原さんのほうがまだましかもしれないですよ(笑
 
 
 
訂正されました (池田信夫)
2006-05-24 14:50:52
当ブログで指摘した誤りが、増刷で訂正されました(p.183)。

時代錯誤とも言えるこの理論は、新「自由主義」経済学などと言われ・・・

「新自由主義経済学」という学派はないんですけど、まあ「新古典派」のように別の学派をさすよりはましでしょう。当ブログは、本書の編集者が読んでいるので、明白で字句修正ですむ間違いなら、ここで指摘すれば訂正してもらえるでしょう。
 
 
 
はっきり言うと、ですが (さくさく)
2006-05-26 03:15:57
初めまして。さくさくと申します。
以前TBさせていただきましたが、自分のブログで続きを書いていまして、2、3、まとめ、まで書いてようやく終わりました。

「まとめ」の中で、この本を「トンデモ本」だと書きました。つくづくそう思います。
「トンデモ本」がベストセラーになるのはよくあることです。ただこの本の場合は、UFOや新興宗教のことを書いている本ではないので、すぐには分からない構造になっている、ということだと思います。タイトルもかっこいいですしね。
 
 
 
参ったなぁー (moto 金田浩)
2006-05-26 11:32:51
トンデモ本とおっしゃる。
参ったなぁーです。
まぁ、年配者の心配や不安や、その他もろもろの
気持ちから、ざっくばらんに書かれた本と感じ
ています。
そして、それが共感多しと言えます。
別のいいかたとしては、年配者の愚痴(笑)
若い人や中年以下の方には多分笑い話で
しょうが。
 
 
 
「数学者」? (dfg)
2006-05-26 23:10:40
そもそもこの本、数学者である著者が「論理よりも情緒が大切」と主張する
あたりが斬新だといわれる。その裏には「数学者である著者は、論理の重要性
についての理解を踏まえた上で、そういった主張をしている」ことが暗黙の
うちに仮定されているが、私はこれが検証なしに受け入れることができる
ほど正しいとは思わない。研究業績から判断するに、この本の著者の数学者
としてのパフォーマンスは高くない。少なくとも第一線の数学研究に対する
貢献は、すくなくともこの十年間ほとんどない。

例えば、「脳科学に関する知識を持ちあわせていない自称脳科学者が、
ゲーmu脳なる主張を出版したところ、社会のニーズにマッチして大ヒット
しっちゃった」的な流れと共通する点がおるんじゃないかと思う。
 
 
 
ひとつ忠告しておきましょう (平宮康広)
2006-05-27 01:22:13
> 参ったなぁーです。

ご自分を年配者の典型であるとか、年配者を代表する存在であるなどと思わないことです。少なくともあなたよりもまともな年配者が多数おられると思います。そういった年配者の方々に対して、失礼とは思いませんか?
 
 
 
好き嫌いで良いのでは (dora)
2006-05-27 19:11:15
品格、武士道、親孝行など本質的に人間に欠けている倫理観を何千年の昔から道徳や教育で何とかしようとしてきた。
藤原氏は戦後の教育、マスコミ、文化人がこれらを全否定してきたことが嫌いで元に戻せといっている。
昔の倫理観が失われていることは直感的に全員が思い当たるからベストセラーになったのだろう。
またそれゆえ全否定してきた人たちは過剰に反発するのかもしれない。
世の中は論理で動いているわけじゃない。好きか嫌いかで動くものだ。素直に自分は嫌いだといえばいい。

 
 
 
失礼いたしました。 (moto金田浩)
2006-05-27 21:02:21
忠告に感謝いたします。
ついつい、傲慢になっていました。
年配者の代表ではありませんが、そういうニュアンスの
文章となっていました。
以後気をつけます。失礼いたしました。
あくまでも、私個人の意見であることです。
なんとなく、多くの方の意見のようになっていました。
お許しください。
 
 
 
Unknown (fuminn)
2006-05-27 23:51:38
>昔の倫理観が失われていることは直感的に全員が思い当たるからベストセラーになったのだろう。
彼の「昔」に関する事実認識が間違っていること。戦後思想に関する認識が間違っていること。現状認識が間違っていること。話している内容相互に矛盾が現れていること。
 既に、池田さんのこのブログをはじめとして、幾つものブログできちんと指摘されています。

>世の中は論理で動いているわけじゃない。好きか嫌いかで動くものだ。
 だからこそ、論理の次元で徹底的に考え・コミュニケートしなければならない。
 かつて彼が良く口にしたように、inscrutableにならないように。

 「全員」の「直感」ではなく、事実と論理を踏まえた、一人一人の私たちが。
 
 
 
グーグル八分? (池田信夫)
2006-05-28 22:16:06
これまでグーグルで「国家の品格」を検索すると、4〜6位にあったこのページが、グーグルから完全に消えてしまいました(ヤフーでは出てくる)。これが噂の「グーグル八分」というやつだろうか?
 
 
 
出てきた (池田信夫)
2006-05-29 18:04:54
グーグルに登録しなおすと出てきたけど、キャッシュがないというおもしろい状態になっています。
 
 
 
本は六回読めと (moto金田浩)
2006-05-29 22:19:10
どんな本でも六回読めと今晩久しぶりお会いした
先輩がいいます。
まだ、一回しか読んでいないのにあれこれと
言いましたが、(笑)
まあ、六回は無理としてももう一回読み直します。
また、違った感想が、、。
 
 
 
Unknown (fuminn)
2006-05-29 23:41:23
「国家の品格」でこのページが出ますか?
 
 
 
好きか嫌いかでいいんじゃないの (dora)
2006-05-30 20:45:35
論理的に考えて好き嫌いを決めるんじゃない。先ず直感的に好き嫌いが決まる。fuminn氏は私を嫌いだ。
直感的に伝わる。批判するにも好きか嫌いかでは全く違う。ここの意見は嫌いから言われているものが目立つ。
こんな常識も知らない、本業に見るべきものがない、親と比べてどうだとか。嫉妬によるバッシングか。

藤原氏の「若き数学者・・」と教育テレビの天才数学者の語りが好きだ。
若き数学者の最後の感想は愛であり、ニュートンと関孝和の業績の差は神への信仰心によるとか。
この本も論理ではなく物語だ。論理屋が物語屋を批判するか。
ならば物語の代表であるキリスト教の聖書の論理性でも批判したらよかろう。
 
 
 
グーグル (池田信夫)
2006-05-31 00:57:37
このページがグーグルの検索画面から消えるという現象が2度あり、登録すると直りました。今は出ます。2度起こったということは、単なる事故ではなく、SEOを排除するアルゴリズムに引っかかったのかもしれない。
 
 
 
doraさんを批判するつもりはないです (さくさく)
2006-05-31 01:06:08
doraさんがこの本をお好きなのは、全く問題ないことだと思います。
好き嫌いは本人の主観ですから、人にどうこう言われる筋合いはない、と思います。
ですので、doraさんは、どうぞ、自信を持ってこの本を好きだとおっしゃられると良いと思います。

ただ、この本の内容に問題があることは事実です。
これは、doraさんがこの本をお好きかどうかとは、全く関係ない、事実です。
 
 
 
Unknown (fuminn)
2006-05-31 23:13:42
復活しましたね。
>2度起こったということは、単なる事故ではなく、SEOを排除するアルゴリズムに引っかかったのかもしれない。
 誰か、若しくは、どこかがグーグルに働きかけたのかと思いましたが、どうなんでしょう。 解決したので問題はないと思いますが、若干気になるところです。

doraさん。
>fuminn氏は私を嫌いだ。直感的に伝わる。
 お会いしたこともなく、一度掲示板でやり取りしただけの方を、好きも嫌いもありませんよ。私はそこまで情緒豊かではありません。
 好きか嫌いかと、正しいか間違っているかは別です。
 どんな感情で論理をスタートするかは、議論や発言に影響すると思いますが、正しいか間違えているかという事実は変わりません。
 直接的な感情論は無益です。
 
 
 
昨晩の歴史はのテレビ (moto 金田浩)
2006-06-01 19:54:15
昨晩NHKでベトナム戦争とマスコミという感じの
番組がありましたが、やはり「国家の品格」の
中にある国民は戦争に賛成するということが
よく分かりました。アメリカの国民も最初は
戦争開始に賛成していた。
 
 
 
企画本ですが何か? (農民)
2006-06-02 13:31:52
あの〜、単なる企画本を読んで内容を
批判するなんて大人のやることじゃないと思います。

企画本というのは売れればいいだけですから、
そのような企画本が売れる背景には
何があるのか?を分析していただき
たいと思います。
どうせ内容はないんですから。

レベルが低いとわかっている内容に
ついて批判するのは、他の人に
まかせたほうがいいです。池田さんは、
他にやることがおありでしょ?
もっと時間を有効に使いましょうよ。
 
 
 
売れればよいと言うこと (moto 金田浩)
2006-06-03 18:48:01
よく分かりませんが、売れれば良いと言うことについて考えてみました。
まぁ、出版社は当然そう考えます。悪いとは思いません。売れるために知恵をつかい、全力をあげます。
そして、それが世間に認められ、買いたいと思い
買って読んでみて、良ければ、それに関する
場所を探し、また意見をのべる。楽しいでは
ないですか。
そう私は考えます。愚見ですが。(笑)
 
 
 
確かに無益です (dora)
2006-06-03 23:47:58
円柱は横から四角、上から円に見えるのが事実だ。
まして“正しい”認識などあるのか。個人の自由だ。

この本は好きじゃないし、直接的な感情論もない。
嫌いとは相手の真意を理解する気がないということ。
 
 
 
馬鹿のリトマス試験紙 (Unknown)
2006-06-05 00:34:16
あまり物事考えない人か否か判断するのに便利ですこの本。
 
 
 
若い人と話した (moto金田浩)
2006-06-05 21:11:16
「国家の   」とつくのでてっきり右翼の本と
思ったという。(笑)
色々と説明したところ同感という。
会社では、つべこべ言う前に悪いことは悪いんだ
と、、例えば「弱いものをいじめるのは悪いことだ」
理屈ではないと言う。
昔、社会党の党首が「ダメなものはダメ」と消費税
反対の時おっしゃられて、笑われたようですが
考えてみれば理屈ではない。
以上 物事をあまり考えない(笑)人の愚見です。
 
 
 
今日は品について (moto金田浩)
2006-06-07 20:35:43
最近、そんなの品がないからやめようと言うように
なりました。
今晩も家内と歩いていて途中コンビニがありますが
時々買い物をします。
そろそろ暑くなったのでアイスクリームを購入
し歩きながら食べようということになったのです。
しかし、ちょっと待て、品がないからやめよう
となった。(笑)
 
 
 
そういえば村上氏も (m0to金田浩)
2006-06-07 20:43:20
あれこれありますが、村上氏も考えてみれば
品がなかったといえます。
灘高・東大・通産省と品のあると言われる
ところの出身者なのに、唯一なかったのが
品。
 
 
 
またまた発見 (moto金田浩)
2006-06-08 18:27:07
平沼赳夫氏(元通産大臣・郵政民営化に反対し現在無所属)と作者の対談がやはり文春(06.04号)に載っていた。今日発見。(笑)

やはり共感多し。主に天皇制に重点をおいてはいるが品格を語っている。まだまだ捨てたものではない。

 
 
 
いいかげんにしてください (池田信夫)
2006-06-08 18:53:48
ここは金田さんの日記ではありません。ブログのコメント欄です。これ以上、無意味なコメントが続くと、削除します。
 
 
 
ここが好きですので (moto 金田浩)
2006-06-09 20:31:50
失礼いたしました。無意味でないようにいたしますので
お許しください。
 
 
 
国家の品格にあるとおり (moto金田浩)
2006-06-10 23:31:49
市場原理はやはり悪

「国家の品格」に書かれていたこのことについて
正解だったと思う。これが、ホリエモンや村上氏を産んだ
ことは、今回で証明されたと言える。
飽くなき利益のみの追求がいかに人間性をそこなうか。
そして、こういう行動が、子供にとってよい教育環境とは
いえまい。残念なのはそういうことに自ら気がついて自粛
することが出来ず、また、世論の力やマスコミの力では
解決出来ず、司直の手が入るしか解決できないという
ことではないでしょうか。


 
 
 
不勉強すぎです (平宮康広)
2006-06-11 00:01:10
>「国家の品格」に書かれていたこのことについて正解だったと思う。

怠慢な老人の戯言は、いい加減、止めにしてはどうですか?
どうしても日本という「国家」について論じたいのなら、梯久美子さんがお書きになられた「散るぞ悲しき」という本を読むことをお勧めします。僕が最近読んだ本の中では最良の本です。硫黄島の攻防の映画化は決定していますし、読む価値はあると思いますよ。
 
 
 
金田さん、6回読まれましたか? (さくさく)
2006-06-11 00:09:04
本を読む、という行為が何を指すのかは、人によって考え方が違うと思いますが、私が思う「きちんと読む」というのは、1回さらっと読むことではないです。
ちゃんと読むということは、私にとっては、概要をノートしたり、出てくる言葉で分からないことは調べたり、ということをちゃんとすることです。そうでないと、頭に残るのは単なる印象だけで、記述の誤りや論理的破綻は見えません。

ですので、金田さんが「六回は無理としても」と前に書かれていたのも、私には理解できません。
その本について他者と違う意見を述べようとするなら、何度も読んで内容を確認するのは当然だと思います。
ぜひ、ノートをとりながら6回読むことをお勧めします。そうでないと、同じことの繰り返しです。
金田さんは、この本を「読んでいない」と思います。
 
 
 
たびたびのご忠告感謝。 (moto金田浩)
2006-06-11 22:09:21
平宮康広さん、一度ならずニ度もご忠告いただきました。
なんとも、お恥ずかしい。残念ながら、ほんとうに不勉強です。
国家については、おっしゃるとおり、あまり考えていません。
国家論は別にして、なんとも、今の世の中がおかしいと感じるものですから。
では、どんな国家がということは、残念ながらわかりません。
ただ、ご推薦の本はなんとかして読んでみたいと思いす。
ありがとうございました。

さくさくさん、ご意見ありがとうございます。

何分、平宮康広さんのおっしゃる怠慢な老人の戯言と言えます。
戯言を書いても、失礼なだけでしょう。なんとも残念す。
六回読むと言いましたが、よめていません。読まねばとおもっていますが。
まして、おっしゃるようにノートを取り出てくる言葉で分からないことは調べるまではしていません。これまたお恥ずかしいことです。

ただ、間違っているかも知れませんが、さらっと読み、印象で判断することは、必ずしも悪くないと思っています。それが自分の長い間の経験に合わせて納得出来ることがあるからです。
納得出来ない箇所や自分がおかしいなぁーと思う箇所は読み飛ばします。
私個人が思うに、この本の中にも多くあります。一例をあげれば頭のよい立派な独裁者が世の中を収めるとよいとか、などなど。
別にその本の記述の誤りや論理的破綻や矛盾点を探すのが目的ではないと思っているもので。それを考えながら熟読することも、それはそれで立派と考えますが。
今後ともバカな年寄りの戯言ですが、書かせてください。お願いいたします。
勝手なことで、ご迷惑でしょうが、ここが好きですので。
もっとも、管理人さんのご判断には当然従います。
管理人さんにも注意され、また、お二人にもご忠告をいただき、過分なことと思っています。感謝・感謝です。



 
 
 
本当にご自身のおっしゃるとおりです。 (さくさく)
2006-06-13 11:32:41
>何分、平宮康広さんのおっしゃる怠慢な老人の戯言と言えます。

私もそう思います。

>ただ、間違っているかも知れませんが、さらっと読み、印象で判断することは、必ずしも悪くないと思っています。それが自分の長い間の経験に合わせて納得出来ることがあるからです。
納得出来ない箇所や自分がおかしいなぁーと思う箇所は読み飛ばします。

よく分かりました。「それが自分の長い間の経験に合わせて納得出来ることがある」と書かれているので、日ごろ、いろいろな情報と接するとき、例えばマスコミの報道や政治家の発言についても同じようにされているのでしょう。
こういう態度が日本を良くするとはとても思えません。

>別にその本の記述の誤りや論理的破綻や矛盾点を探すのが目的ではないと思っているもので。それを考えながら熟読することも、それはそれで立派と考えますが。

私が言いたいのは、いいことも悪いことも、ちゃんと読まないと分からないと言うことです。いい本であれば、読むたびに知的発見があり、何度も読むことが楽しくなります。そういういい本は愛読書になります。

>管理人さんにも注意され、また、お二人にもご忠告をいただき、過分なことと思っています。感謝・感謝です。

私は、真面目にこの本を読んで意見を書いている人に対して、金田さんは礼を失していると思いました。
ただそれだけです。

 
 
 
ググってきました (関島 心)
2006-06-15 07:26:32
本当にスレ化してますね。
色んな人がいて、色んな意見があり、
大変興味深く拝見致しました。
でも全般的に情性が欠如した批評が多くて
少し残念です。
どうして勉強ができる人達ってこうなんでしょうか。
論理で日本人やってる訳ではないでしょう。
他人事みたいな批評よりも
その辛口コメントのリビドーがどっから来るのか論理的に教えてもらいたい、と思いました。

日本の好きなトコロとか聞いてみたいです。
 
 
 
色々お世話になりました。 (moto金田浩)
2006-06-16 21:50:11
物差しの話

私がかって若かりしころ、先輩から忠告されたことが
あります。
AさんはAさんのものさしがある。BさんはBさんの
物差しがある。君は君の物差しがある。
そしていずれの人も自分の物差しにてらして判断している。
その各々の物差しで判断したことは、尊重すべきである。
当然、その物差しには判断力を含む大小の差はある。
自分の物差しにAさんBさんが合わないからと言って
それらを非難したり否定してはいけない。
尊重すべきであると。そして、それを理解することが
民主主義であると。
ですから、私はここに書かれている方の批判的コメントは尊重します。
理解いたします。しかし、尊重・理解はしますが、賛成はいたし
ません。
私は「国家の品格」に書かれているこのよい国の情緒を守りたいと
思います。一例ですが日銀の総裁があのようなことをして平気でいる
ような品格のないことは良くないと思います。
「李下に冠を正さず」ということでしょう。
少なくとも私は何度も書きましたがこの本に書かれていることに共感
いたします。
以上です。「老兵は死なず、消え去るのみ」
 
 
 
Unknown (甲斐)
2006-06-18 00:05:53
Netをふらふらしていて、たどり着きました。私は大学時代に数学を専門に研究していて、藤原さんの著作はかなり好きですが、この本は読んでいません。「たぶん老人の戯言なんだろうな」と容易に想像つくからです。数学者としての立場からもっともらしいことを言って煙に巻いているかもしれないけど、しょせん戯言です。こういう本を読んで賞賛する人は馬鹿だな、と思います。
けれども、この本を、即座に切り捨てるのもどうなのかな、という気がします。日本の社会があらゆる意味で問題を抱えていて、また世界の個々の国や、世界全体を見ても問題を抱えている。新渡戸稲造「武士道」の現代版という批判がありましたが、あのような内容を今見直すことは大きな意味があると思います。損得勘定ではなく「人として正しい生き方」のようなものを美しいと感じ、それを意識して生きることは大事なことではないでしょうか。昔の武士が武士道に従っていたわけではない、とか、今回のこの本が批判すべき箇所が多い、とか、武士は農民を搾取していた、とかいうこととは無関係に、大切なものは何なのかを人々に意識させるきっかけとなれば、無意味な本ではないと思います。
 
 
 
1つ疑問 (甲斐)
2006-06-18 00:37:36
1つだけ疑問:
>根底に朱子学があるのを知らないまま、それが日本的なものであると思い込む行為が危険なのであって、

何が危険なのでしょうか?
いろいろな国や思想の影響を受けながら、日本人の考え方、価値観が形成されてきた。感謝するのは良いけれど、特にこだわらなくてもいいような気がするのですが…。

それとも、危険というのは、社会的な意味ではなく学問的な意味で言っているのでしょうか。
 
 
 
本居宣長のことですか? (平宮康広)
2006-06-18 01:49:20
> 何が危険なのでしょうか?
> いろいろな国や思想の影響を受けながら、日本人の考え方、価値観が形成されてきた。感謝するのは良いけれど、特にこだわらなくてもいいような気がするのですが…。

輸入品を、「よい輸入品である」と思って使う分には問題ないと思いますよ。輸入品を、「よい国産品である」と思って使っていると、後で「騙された」となる場合もあるでしょう。
それから、ひとつ注意しておきます。本を読んでからコメントすべきです。
 
 
 
 (甲斐)
2006-06-20 19:47:04
コメントありがとうございます。
危険というのは、社会的や物理的な意味での危険ではなくて、議論や論理を展開する上での危険なのですね。了解しました。
輸入品の件については、どうも良くわかりません。
輸入品であることについては納得しますが、なぜわざわざそのことに言及するのか。縄文時代以外は全て純国産品ではない…って、確かに正しいですけれど、何のための議論をしているのでしょう?
 
 
 
非常識だと思いますよ (平宮康広)
2006-06-20 19:58:29
本を読んでもいない人がこんなことを言うのは非常識ですよ。

> 何のための議論をしているのでしょう?

本を読んでいない人が、なぜ議論に参加されるのですか?
 
 
 
批判されるべきは誰? (初めまして)
2006-06-22 17:22:14
この応酬、凄いですね。(売上に貢献してるのでは?)
完全に出遅れてますが、参加したくなっちゃいました。
確かに本は第五章あたりから暴走してて、批判派の方々のご指摘も当然と思いました。ただ、批判されるべきは間違いだらけの本を出した出版社や、ベストセラーという理由だけでホイホイ買った(私を初めとした)読者の選択眼の無さであり、著者本人でないのでは?

多くの国では子供の頃から、間違ってても堂々と自己主張するよう教えますよね。(藤原先生は子供じゃないから批判されて仕方ないかもしれませんが)「正しい知識のない奴は、社会に害だからヘンな主張すんな」的な価値観はちょっと怖いです。数学の業績が大したことなかったり、かつては良い本も書いてたけど最近はトシとって暴走しだした人は、モノを言ってはイカンのでしょうか?
「本は6回読んでメモを取れ」に至っては、まさにミイラ取りがミイラになってる感じで、感動です。藤原先生の武士道崇拝が論理的破綻なら、6回読め!も超破綻ですね。

個人は何度も失敗しながら主張する力を、あるいは間違った情報に踊らされない選択眼を身に付け、社会は有害な情報を排除できるようになるには、予め有害なものを排除する無菌培養の発想では良くないと思います。
批判派の方々のエネルギーは、藤原先生を抹殺することより、ヒトが読んでるから自分も・・・という連鎖で大ベストセラーを生んでしまう日本人の判断力の無さを改善することに注がれた方が、建設的でヨイと思いませんか。
 
 
 
読まないでは何も始まりません (さくさく)
2006-06-23 01:19:04
本を読むときに、読む前から何かの先入観を持って読むことが好きなら、そういう読み方でもいいでしょうが、私の思いとしては、テキストをきちんと読みたいのです。
私は何の先入観もなしにこの本(テキスト)を読みました。読んだ理由は、「ベストセラーだったから」です。今までこの著者の本は読んだことが無かったし、数学者としての業績がどうなのかといったことには興味がありません。

読んでみて、このテキストには問題があると思いました。詳細については、私のブログに4回に分けて書いてあります。その内容はおもに「テキストから読み取れる著者の情緒についての考察」です。ですので、このブログへのコメントとしては、そぐわないと考えましたので、ここでは書いていません。興味を持っていただければ私のブログを読んでいただけると嬉しいです。

金田さんに対して私が書いた意見は、金田さんはこの本を斜め読みしただけで意見を書いておられるようなので、それではまずいのではないか、という意味です。

ものごとに対するときに、対象をきちんと見ないでは何も始まりません。何か意見を言うときには、きちんと見てからでないと対象に対しても失礼だと思います。

初めまして さんは、ノートを取りながら本を読まれたことはないのでしょうか?何度も読んだり、ノートをとったりすることで、自分の考えも整理されます。
一度試してみられることをお勧めしますよ。
 
 
 
考えが浅いと思いますよw (平宮康広)
2006-06-23 07:43:06
> 多くの国では子供の頃から、間違ってても堂々と自己主張するよう教えますよね。

人がものを書くのは、口ではすべてを語ることができないからだと思います。また書くという行為は、「自己主張」というほどの単純な行為でもないでしょう。
 
 
 
そんなに浅いですか? (初めまして)
2006-06-23 12:01:10
さくさくさん、平宮さん、コメント有難うございます。
上梓という行為は床屋政談より重いと仰りたいのでしょうが、「国家の品格」は口述筆記がベースで、藤原先生は自分が100%正しいと思い込んでおられるのですから、やはり内容を吟味せず売らんかなで出した出版社のほうが罪が重いように思えます。(少なくとも、さくさくさんのように真剣に読む人に対して失礼ですよね)
欧米亜の人たちと仕事をして気になったのが、何かを表現する時に「お前は黙ってろ」と言われる頻度が、日本だけ異様に高いらしい(&この作戦は外国には全く通用しない)という事です。間違った情報を出す奴が悪い(だから出すな)という考え方ですが、出てきた時に取捨選択できない日本人や日本社会の脆弱さのほうがよっぽど問題では?

・・・と思ってたのですが先日、小6(公立)の娘の授業参観に行ったら、田舎派VS都会派でディベートやってました。「運動会で手をつないで一緒にゴールさせる」と揶揄された悪平等主義はどこへやら、炎上寸前の大激論で、これを続ければ鍛えられること間違いなしです。
いちいちトンデモ本に神経とがらせなくても、日本人は正しい眼力を身につけますよ。きっと。(ちょっと自信ないですが)
 
 
 
すみません (甲斐)
2006-06-26 21:16:42
この場は、blogの内容や、それに対するコメントに対して、自由に意見を述べる場と思っていました。本についての話に対するコメントだとしても、本を読んでなくてはダメとか、斜め読みではダメとか、6回読まなくてはダメというのは違う気がします。
意見を交換して、いろいろな意見があることを知ったり、議論しながら考え方を深めたりすることに意義があるのであって、「あなたの読み方は浅いですよ」と、議論に勝つことを目的にコメントするような行為は無意味に感じます。
このあたりは、サイトを運営されている方の方針次第ですので、外から言うべきことではないですが。
(不適切でしたら削除してください)
 
 
 
管理人より (池田信夫)
2006-06-26 22:43:24
別に私が「サイトを運営」しているわけではありませんが、このスレは『国家の品格』という本に関する話なので、本を読まないで議論するのはルール違反です。これは、もちろん1回読めば十分だし、斜め読みでもかまいません。それ以外は、制限はありません。
 
 
 
「個人の考え」が何より大事です (さくさく)
2006-06-27 05:40:06
さくさくです。私はこのブログでは一投稿者にすぎません。

私が投稿した文章を読んでいただけるとわかると思いますが、私は「何が正義だ」「何が真実だ」「日本人はこうすべきだ」などという一方的な主張を書いたことはありません。
「この考えは私個人の考えである」いうことを、意図的に何度も何度も書いています。本は丁寧に読むべきものだと書きましたが、これは私個人の意見です。
ブログのコメント欄という枠組みを理解したうえで、自分の意見を書くことは、他者に対して一方的にルールを押し付けることとは違いますし、私にそんな権限はありません。

もし、甲斐さんが私の書いた意見に対して違う意見をお持ちであれば、それは甲斐さんご自身の重要な意見だと思います。人と意見が違うことを恐れて管理者や権威者(と思われる人)に注進するというのは、なんだか筋が違うような気がしますが、、、。
 
 
 
「国家の品格」の本質 (仙台の水戸黄門)
2006-06-27 11:49:13
私は日本と日本人の将来を憂えるだけでなく何とか解決の方策を考えそれを提示しようとしてる事に共鳴し、「国家の品格」を30冊買っていろんな方に差し上げました。その後合って聞くと自分も30冊買って人に上げたという方もいました。
「国家の品格」200万部突破の本質は、日本と日本人の将来を真剣に考えて行動しようと日本人が考え出したことにあると思います。
著者の人品を詮索したり、著書の誤りや出来不出来を論ずるより、「国家の品格」を出発点に、日本と日本人がどうあるべきか、今何をすべきかを論じたら如何でしょうか。
 
 
 
過去に遡行するのはよいと思います (平宮康広)
2006-06-27 16:35:35
> 著者の人品を詮索したり、著書の誤りや出来不出来を論ずるより、「国家の品格」を出発点に、日本と日本人がどうあるべきか、今何をすべきかを論じたら如何でしょうか。

過去に遡行した上で、「日本と日本人がどうあるべきか、今何をすべきか」を論じるのはよいと思います。しかし、「国家の品格」が出発点とするにふさわしい本であるとは思えません。
藤原さんは、明治政府がローレンツ・フォン・シュタイナー教授の助言を得ながら「国民国家」としての日本を建設したという、単純な事実さえおそらく知らない。そしてドイツ的なものまで日本的なものであると決めつけて論じているように思えます。
 
 
 
藤原さんは小泉さん? (初めまして)
2006-06-27 19:52:47
平宮さんのご意見は論理的には正しいでしょうが、賛成する気持ちになれません。
20年以上大企業に勤めて、論理的に欠陥のあるアイデアを叩きまくる日本の企業文化に少々ウンザリしてます。アイデアが斬新なほど前例に乏しいので社内の説得は容易でなく、時間を浪費していろいろ修正した挙句に凡庸になる姿を見るにつけ、こういう事だから日本はサムスンに負けるんだなあ・・・と感じてます。
(しつこいですが)日本の「叩く文化」が良識ある日本人には二の足を踏ませ、論理的な欠陥を自覚せず叩かれても平気な、鈍感な人だけ生き残る・・・という悪循環になってる気がするのですが。
 
 
 
何か勘違いしておられませんか? (平宮康広)
2006-06-28 00:30:26
> 20年以上大企業に勤めて、論理的に欠陥のあるアイデアを叩きまくる日本の企業文化に少々ウンザリしてます。

おっしゃるような問題への解決策が藤原さんの本に記載してあるとは思えません。それから、日本が韓国に負けているとは思いませんよ。たんに、NECや富士通といった会社がダメなだけでしょう。
今の韓国は、金融資本の大部分が外資系です。成長が見込めるIT分野への融資には著しいものがあるでしょう。サムスンが好調なのはそのためだとも思えます。

しかし、自国の金融資本を事実上失った国家がどうなるのか?
韓国は、「実験国家」にされてしまっているようにも思えます。
 
 
 
うーーーん (さくさく)
2006-06-28 02:54:47
>20年以上大企業に勤めて、論理的に欠陥のあるアイデアを叩きまくる日本の企業文化に少々ウンザリしてます。

論理的に欠陥があるなら、叩かれて当然ではないでしょうか?論理的に欠陥があることが明白な提案をそのまま通してしまうことのほうが危険でしょう。

>アイデアが斬新なほど前例に乏しいので社内の説得は容易でなく

これと上記の「論理的に欠陥があるアイデア」とが、どういう位置関係にあるのか、よく分からないです。
「斬新で、論理的に欠陥のないアイデア」が一番良いと言うことですよね。
前例があるかどうかと、論理的に正しいかどうかは、無関係ではないでしょうか。

ところでこのブログは「国家の品格」についてのブログですよね。その意味でちょっと付け加えると、「国家の品格」は凡庸で非論理的な本と言えるのではないでしょうか。

それから、同じことをまた書いてしまいますが、「国家の品格」よくある「トンデモ本」だと思いますので、これを出発点にものを考えたらトンデモナイことになると思います。
 
 
 
「国家の品格」は凡庸? (初めまして)
2006-06-28 16:05:13
「国家の品格」は(特に後半は)確かに非論理的な部分が多いですが、凡庸だとは思いません。
出る杭がことごとく打たれる日本において、これだけ堂々と自論を展開できるという態度は希少価値で、少なくとも小心者の私には無理です。藤原さんは単に鈍感なのかもしれませんが、「何はともあれ、その大胆さは賞賛に値する」というのがこの本への私の評価で、これがベストセラーになるのは小泉さんの支持率が高いのと類似の構図に見えます。
叩く文化こそが良識ある正論を尻込みさせ、鈍感な極論暴論ばかり希少価値ゆえ生き残る・・・という危うさを感じ、しつこいですが、心ある人は攻撃のエネルギーを他のことに使って欲しいと切に思います。私も武士道が解決方法という話にはちょっと付いていけないのですが、それなら何が日本を救ってくれるのでしょうか?
 
 
 
日清戦争をどう思われますか? (平宮康広)
2006-06-29 00:43:05
> 「国家の品格」は(特に後半は)確かに非論理的な部分が多いですが、凡庸だとは思いません。

藤原さんは日中戦争を「弱い者イジメ」だとか「武士道に反する」だとか言って非難しています。そのくせ、日清戦争については何も言っていません。あなたも藤原さんと同じタイプの人なのでしょう。
それから、私は大企業という名の「安全地帯」に二十年以上おられる方の愚痴を聞きたいとは思いません。自分と自分のアイディアの価値を信じて大企業をスピンアウトしてチャレンジされた方は多数います。成功した人がいれば、失敗した人もいます。失敗した人を責めるのは止めにすべきです。しかし、「安全地帯」にいながら、こんなところで愚痴をこぼす人間は、軽蔑されても仕方がないと思いますよ。
 
 
 
信頼に値する斬新さがあるでしょうか (さくさく)
2006-06-29 01:09:01
>「国家の品格」は(特に後半は)確かに非論理的な部分が多いですが、凡庸だとは思いません。
出る杭がことごとく打たれる日本において、これだけ堂々と自論を展開できるという態度は希少価値で、少なくとも小心者の私には

まず、非論理的な部分が多いということに賛成してくださってありがとうございます。なんだかホッとしました。

それから、凡庸か、そうでないかのことなのですが、はじめまして さんは「何はともあれ、その大胆さは賞賛に値する」と書かれ、これを凡庸ではない根拠とされているようです。

わけの分からない内容であろうと、大胆に持論を展開している本は山ほどあります。この態度だけをもって「凡庸ではない」というのには賛成できません。ちなみに「トンデモ本」で検索すると、そういう本についての批評が色々出てきて面白いですよ。

「国家の品格」の内容そのものが信頼に値する「斬新さ」であったら、そのとき初めてこの本が「凡庸ではない」と言えると思います。
 
 
 
議論の本質 (酔法師)
2006-06-29 21:06:19
をどこかに書きましたが以下の状況かと。

○本を読んで感動する普通の読者は、書かれている大筋の考え方(言いたいこと)に共感する。

●本を批評(批判)する人は、一部の論理構成がおかしいとか、その考えは既に古いとかを指摘する。

→同じ土俵での議論ではないので議論は噛み合わない。(正しいとか正しくないとかではなく。)

以上は本の評論に限ったことではなく世の中全ての議論に共通している。
  
 
 
 
認識が違うような気がします (さくさく)
2006-06-30 12:27:24

>○本を読んで感動する普通の読者は、書かれている大筋の考え方(言いたいこと)に共感する。
●本を批評(批判)する人は、一部の論理構成がおかしいとか、その考えは既に古いとかを指摘する。
→同じ土俵での議論ではないので議論は噛み合わない。(正しいとか正しくないとかではなく。)

少なくとも私については、こういう議論をしていません。
このまとめ方では、○も●も、「大筋の考え方(言いたいこと)」については異議がないという前提があるようですが、
私は、「大筋の考え方(言いたいこと)」に問題があると思っています。その理由を説明するために、理論構成のことなどを挙げているのです。
確かに話は食い違っているように見えますが、酔法師 さんが思われている状況ではないのではいかと思います。

そして、
>以上は本の評論に限ったことではなく世の中全ての議論に共通している。

これはどういう意味でしょうか?
「世の中全ての議論」は「同じ土俵での議論ではないので議論は噛み合わない」ということですか?

そんなことはないですよね!
ここはきっと私が誤読しているのだと思います。
 
 
 
大筋の考え方 (酔法師)
2006-07-02 06:48:29
さくさくさん、レス有難うございます。
◇一点目の大筋の考え方と論理の矛盾の話
いろいろ指摘されている点は大筋の論理の矛盾ではないのでは?と思いますが。
大筋の小生のこの本の感想は;
1)武士道とか戦前の日本の良いところを強調している点は、今の日本の状況(いやな米国型市場論理社会)を考えると納得。
2)しかし、この藤原の考え方は極端すぎる部分がある。→「武士は食わねど高楊枝」と頑張ってみても飢え死にしたらしょうがない。
3)彼は「今の我々が共感できる理想」を書いたつもりだろうがその実現手法については闇のまま。
といったところです。

◇2点目の全ての議論共通の話
ここは小生が舌足らずだったかも知れません。
「全ての平行線の議論」のつもりでした。例:
●A級戦犯を祀る靖国参拝は許せない。
○靖国参拝は心の問題である。
  では。
 
 
 
Unknown (pn)
2006-07-06 15:00:53
みんなさん頭良すぎです。
この本に深く感銘を受けた自分がばかみたくなってますが、誰かこの本を上回る本を書いて下さい。世の中には私のようなおろかな民衆のほうが多いのです。
 
 
 
同感です (ソラ)
2006-07-11 10:31:28
ずっとコメント読んで救われました。
 
 
 
「国家の品格」を上回る話題 (仙台の水戸黄門)
2006-07-11 13:21:50
86歳の能役者今井泰男さんが彼の流儀では110年ぶりという最奥の秘曲「関寺小町」を来秋舞うことになりました。「こういうものは、芸ではないんだ、人間がどれだけ出来てるかなんだ」と語っています。こういう芸術と伝承者がいることは、日本の品格を高める源だと思います。
しかも能楽を始め、日本の芸術は、古来プロに限らずに金持ちも貧乏人も卑しきも尊きもみずからたしなみますが、西欧では王侯貴族や金満家がプロを雇って鑑賞する楽しみ方がもっぱららしいです(ドナルド・キーンの受け売り)。フェノロサも日本を知るために謡を習いました。アインシュタインも能をみて感激の謝辞を寄せています。
能楽を小中高の必修科目に入れることが、日本の品格を高める力になるのではと考えます。
 
 
 
池田さん、平宮さんのコメントに感謝 (U.M)
2006-07-21 14:35:05
「国家の品格」は品格の無い本であり、著者の文の中で人間性をすら疑いたくなる記述も多々あります。著者は私より2つ年下で、母「てい」に連れられて当時はまだ3歳だったでしょうか、敗戦で混乱する日本に引き上げてきました。教育者でもあるなら、歴史をしっかりと学び発言すべきです。
 「若き数学者のアメリカ」や「遥かなるケンブリッジ」などで数学者になられ、御茶ノ水で教える教育者として教えられていることは知っていました。新田次郎の未完となった「サウダー」の続きを書いてもらえることを彼に期待していましたが、もし出版されても読みたくありません。

あまりのひどい著書なので、私なりに批判をせねばと思い、インターネットでも検索していてこのブログに行き当たりました。読んでおられるのかそうでないのかわからない人からのコメントもありますが、丁寧で的確な池田さん、平宮さんのコメントに学んでいます。私なりに周りの人に、国家と品格の批判の意見が述べあれたらと不完全性定理や武士道など今読んでおります。
 この本を読んで、戦後からこれまでの藤原正彦氏の生き方に幻滅しました。今、為政者が憲法を変え、教育基本法すら変えようとする時代になってきました。こんな時代に出された「国家の品格」は一見今の政治を批判しているように見えますが、危険な時代に導く本のように思えてなりません。
外国の学者の言葉を例にあげたり、ゲーデルの不完全性定理をあげて科学的な論理を否定しながら、戦後の教育、憲法すらアメリカに押し付けられたもののように書くのは許せません。
 古くからの日本のよさや、新自由主義による日本の状況を、あたかも自分の発見のごとく得意そうに語り、日本の古来からの武士道精神をあげてみたり、エリートの必要を説いたりしています。
 私は新田次郎や藤原てい氏の本をほとんど読みましたが、「国家と品格」で正彦氏が書いておられるような傲慢さは感じたことはありませんでした。
 
 国家と品格の具体的な批判のコメントが、多数引き続いてなされることを期待しています。

 
 
 
グローバリズム批判 (平宮康広)
2006-07-22 00:46:04
> 国家と品格の具体的な批判のコメントが、多数引き続いてなされることを期待しています。

藤原さんよりもふたつもご年配の方でいらっしゃるのですね。

別スレにも書いたのですが、僕は、「小さな政府の資本主義=市場原理主義」を、小さな政府の社会主義=空想的社会主義」で批判するのはかまわないと思っています。ところが、たいがいの人が、「大きな政府の資本主義」や「大きな政府の社会主義」で批判しておられるように思えます。そして藤原さんのような「悪しき浪漫主義」が登場してきたのではないかと、そう考えています。これは戦前の日本のパターンによく似てはいないかと、そう思うこともありますね。「国家の品格」から、何か嫌なものを連想されましたか?
 
 
 
ある対談で…… (Nozomi)
2006-07-23 18:03:41
「……子どもというか、今、日本人は65歳以下は総崩れです。戦後教育どっぷりですから、だめです。旧制高校出身の人はもう75歳以上なんですね。その人たちが15年前に引退しちゃったんですよ。その頃から世の中がおかしくなって、不況は10年前からでしょう。やっぱり彼らの引退というのが大きかったんですね」

ある対談で藤原氏が言っていることです。
この人、『国家の品格』全編にわたってそうなんですが、論証もせずに突然“ラベル貼り”をするんですね。
U.Mさんのおっしゃる「傲慢」というのはこれでしょうか。
旧制高校出身の人が“絶対善”であるかのように言うのは、『国家の品格』の中で、氏が、伝統を重んじるケンブリッジの態度を手放しで絶賛するのに通じます(それがいい場合もあるが、よくない場合もあるのに)。

しかし、世の“藤原ブーム”はとどまるところを知らず、今日寄った本屋(京都市内)では、過去のすべての氏の著書にオビ(『国家の品格』の藤原氏!などと…)を付け直して、ずらりと平積みしていました。
また、日ごろ本などとはほとんど無縁の個人事業主が「この本はいいですよ」とすすめてくれました。
(-.-;)

残念ですが、この本がある種の人たちのバイブルとなっていることは認めざるを得ない……。


 
 
 
人様々 (仙台の水戸黄門)
2006-07-26 11:21:23
場違いのコメントで10日もしらけさせたことをお詫びしておきます。
何で皆さんそんなに「国家の品格」や著者藤原正彦氏をこきおろすことに執着されてるんだろう、と考えましたが、よく理解出来ません。
世の中にはいろんな人がいるし、いていいし、尊敬されてる人や人気評判の人を欠点あるからと非難してみても何にもならないのでは? 
かの孔子だって、愛弟子の塩辛を送りつけられるまで人肉
の塩辛が好物だったともいわれるし、
20世紀最大の指揮者として今も人気のフルトヴェングラーを楽屋に訪ねたらファンの女性とセックスの最中だったというし、エトセ。
「国家の品格」を超える話題を提供するでもなく、ひたすらけなすだけというのは、自分の品格を下げるだけだと思うのですが、如何でしょうか? 
 
 
 
誰も書き込まないので (Eule)
2006-08-06 15:53:11
>仙台の水戸黄門氏
>「国家の品格」を超える話題を提供するでもなく、ひたすらけなすだけというのは
全く逆ですよ。「国家の品格」自体が、既存の考えを超える話題というか概念や論理を提供してないんです。むしろその手前で止まってる。現に批難している人たちの意見を見てください。何よりも、この記事の本文に書かれていることじゃないですか。

これがまた途中で出てきた凡庸にも繋がる。

Nozomi氏が「本などとは無縁の・・・」と意短くも述べているように、多少なりこの手の本を読んでいる人間にとっては、何を今さら感が否めないし、さらにその主張の拠り所となる物がちょっと知識をかじっただけの人間でも思わず苦笑してしまうような藤原氏の一方的な思い込みの展開などと滅茶苦茶。

だから、こういうと失礼かもしれませんが、「国家の品格」程度で感銘を受けたなどという人は日ごろ本を読んでないんじゃないかと思ってしまうくらいです。(それでいて「国家の品格」では読書の大切さを訴えていたのだから、皮肉なことです。)


それにこき下ろすことに執着するってのも変ですね。
このブログに限らず、あくまでその人なりに「国家の品格」という本の批評をしただけなのに、そこに「感銘を受けた」という人がやってきたから、再三にわたって説明する必要が出てきてるだけですよ。

それを持ってこき下ろすことに執着するという風に見えるのであれば、内容に反論しないでただ「国家の品格は素晴らしい本です」とだけ述べる人間がいるせいだと思われます。
 
 
 
国家の品格を読んで (山本 勇)
2006-08-19 21:21:38
まあ、率直に言ってあきれましたね。

戦前までは「菊」でだまし

これからは「桜」でだます、何処かの政治家

の手法をモデルにしてるんじゃないの?

もうその手は食わないよ!
 
 
 
品格? (三星)
2006-08-21 16:20:31
国家の『品格』というタイトルつけてるのに
それを証明する手段として外国を馬鹿にして相対的に高めようとするのはどうかと思う。
「イギリスの茶の文化はマグカップにドバドバ注ぐだけだが、日本はそれを茶道にする」とか。
こんなこと書いてたら、国家の品格がどうの以前に下品な人間になりますよ。
 
 
 
フェアトレーディング (平宮康広)
2006-08-22 00:59:17
ドイツにはフェアトレーディング(FTL)という運動があって、市場原理主義というのは「略奪」であるとの考えから、商品はなるべく適正価格で購入するようにしようという運動になってますね。とくに第三世界の安い人件費を問題にしていて、適性価格で購入するからもっと給料を上げろとか、そういったことにまで言及しているようです。フェアトレーディングの運動はかなり広がり始めているようです。
藤原さんは、市場原理主義はけしからんと言って、フェアトレーディングのようなものを提案されるのであればよいのですが、「大きな政府」を賛美しておられるわけです。しかし本当の問題は、藤原さんの他にも、市場原理主義はけしからんと言って「大きな政府」を賛美する人たちがたくさんいるということでしょうね。

それにしても厄介な本です。そんなに「直感」が重要なら、「小さな政府というのは、多額の税金を必要としない政府のことではないか」と言った上で、「なのに小さな政府路線の与党が消費税を上げるのはおかしい」と言い、「しかし大きな政府路線の野党が消費税を上げるのに反対するのもまたおかしい」、くらいのことを言うべきでしょう。データを無視した直観的判断でも、それくらいのことは言えるはずです。
 
 
 
直感の重要性 (仙台の水戸黄門)
2006-08-23 14:32:01
直感より論理が上だと思っている人が多いが、それは勘違いです。かく言う愚生も最近までずっとそう信じていました。直感で生き抜いてきた師匠に27年仕えて、この頃やっと理屈より感が上と納得しました。理屈では師匠をやりこめても、結果はとても叶わない。師匠からみた愚生など、バカの考え休むに似たりなんだと60近くなって理解した次第。理解するというのも理屈でした。
 
 
 
濁った目の直感なわけです (平宮康広)
2006-08-23 15:43:35
僕は直感そのものを否定していません。しかし藤原さんの直感は、濁った目をした人の直感だと思います。澄んだ目をした人の直感ではないでしょう。
 
 
 
Unknown (Unknown)
2006-08-23 23:12:13
上で池田氏が「フジ・サンケイ・グループの雑誌によくある「床屋政談」にすぎない。」と書いておられますが、まさにその通りで、要するに「最近の若いモンはケシカラン。中韓はケシカラン」です。それを難しそうに教養ぶって書くと俗物が喜んで読むという仕組みです。ヤレヤレ。

直感がお好きな人はあなたの責任であなたにしか影響がない範囲では直感で処理するといい。ただし他人が絡んでくることにはそんなことはできません。各々が「わたしの直感に寄れば〜」といって自分の都合にいいように物事を持っていったらどうなりますか?それともそれでやって、都合の悪いことは若者と中韓にしわ寄せでもしますか?
 
 
 
コメントが200を超えました (池田信夫)
2006-08-24 13:50:10
しかし、きのうの記事にも書きましたが、本書を擁護する人のコメントが「理屈より直感が上だ」という類の話ばかりで、議論がかみあわない。理屈で言っても無駄だと思っているのなら、ここに書くのも無駄でしょう。

実は藤原氏は、本書で「論理は必要ない」とは書いていません。「論理も大事だが、それだけではだめだ」と周到に予防線を張っています。しかし実際には「論理も大事だ」という例証はひとつも挙げておらず、情緒ばかり強調するので、それを単純化して「直感だけでいいんだ」と受け取る読者が出てくるのでしょう。

こういう誤解(?)を助長しているのが「論理より情緒」という広告のコピーです。これは編集者の考えたものですが、著者もOKしているはず(これは私と同じ編集者だから間違いない)だから、著者もそういう誤解を黙認していると思われます。

しかし当スレでも明らかなように、情緒で他人を説得することはできません。まして政治の場で「戦没者に哀悼の意をささげるのが何が悪い」などという感情論が、他の国に通じるはずがない。もちろん論理的に議論を詰めたあとで感情の不一致が残ることはありますが、最初から論理的な説得を放棄するのでは、相手をバカにしていると思われてもしょうがない。こういう幼稚な議論を助長した点でも、本書の罪は重いと思います。
 
 
 
ただ、難しい事を説明して威張りたいだけ (サブちゃんマン)
2006-08-26 10:52:47
楽しく批判を読ませていただきました。
でも、なんだかむなしさを感じます。先人の、考えた概念を説明して、何とか自分の正当性を主張するだけ。
このブログの中にあるほかの人の主張も同じように感じます。
特に、殺人の概念の中で、その理由を直感的に判断できるものにもとめる事が自然であるとの主張。
本来主張は、他人に自分の考えの正しい事を認めさせる目的の為だけでしょうか?
それは、この本にある(そう解釈していますが)品格と共にある人類共通の理と利にその基礎を重く置くべき事ではないでしょうか?
人間は自然な状況の中から理を持って推論によってその善悪を判断することが、原理的に矛盾がない事である気がします。
自分の理性に率直に問いかけて、自然に論理的な判断を感じる事こそ重要な事であると思っています。
殺人の否定されるべきは、その反社会性にこそ、その意味がある訳です。現に、戦争状態にある状況社会では、人を殺す事は、社会的に評価される事でもあることを如何様に説明するのでしょうか?
論理的に、稚拙で申し訳ないがこのように感じてしまいました。
池田先生の専門家としての見識は充分に感じますが、素人の私にはどうも、自分の自然な理性に源を強く持たないような自分自身の感じ方でない判断での主張を感じます。
 
 
 
論理と直感・情緒 (仙台の水戸黄門)
2006-08-29 16:19:35
理屈より直感が上と書きましたが、車の両輪の如く働くのが理想と思います。七田真風に表現すると、直感の右脳と論理の左脳のバランスよい発達です。直感を他の人に伝え納得してもらうためには論理によらざるを得ません。しかしいくら論理的に完璧でも人の心は動かせません。感激性のあるなしで人間が決まる、情緒が発達しないで智恵や偉大な行動力は生じないと陽明学者安岡正篤が書いている通りです。藤原氏の言はその受け売りかも。家の存続のためには父を見殺しにし弟を切り捨てたという仙台の英雄伊達政宗が、実は能をみて声を上げて泣いたという情緒力の持ち主だったと知っているので、藤原氏の情緒力重視の説は共感を持って読みました。
 
 
 
藤原氏の情緒 (さくさく)
2006-08-31 11:46:06
お久しぶりです。
「国家の品格」を支えている藤原さんの「情緒」については私のブログに詳細に書きましたので、
良かったらご覧ください。
私は、藤原さんがこの本を書くに至った情緒的背景を考えると、同情的な気分になります。
可哀想だと思います。

また、人は論理的でないことをします。勿論です。
私の持っている靴とバッグの数は、
論理的に必要な数を大きく超えています。
これは私の個人的情緒的趣味で、直感的に欲しいと思ったものを買っています。他人とは関係ありません。

また、私にとって、よい芝居に出会ったときの嬉しさといったら、言葉に出来ない幸福です。
何度も何度も観ます。
観るたびに泣き、新しい感動にひたります。

人はそれぞれ固有の情緒的幸福を求めて生きていると思います。
この本が「国家の品格」ではなく、
「藤原さんの情緒」というタイトルだったら、
私には何の異論もありません。

ただし、藤原さんの情緒は、
「国家」と言う言い方で、日本人全体が共有すべきようなものではない、
と思います。
 
 
 
再度お許しを (moto 金田浩)
2006-09-16 23:44:17
一度は去っていましたが再度書き込みお許しを。
あれ以来も論議が続いていることをここに久しぶりに
入ってみて知りました。
なにか嬉しいです。
私はこの間戦前の日本が戦争に入っていくことに
なる番組やそれらの本を改めて見ました。
間違っているかも知れませんが
なんとも、現状と似ているようだと思っています。
安部さんは憲法改正をと言う。いや、改正したといて
別に戦争になるとは思いませんが。
 
 
 
戦後時代の (mot金田浩)
2006-09-19 23:46:44
最近、戦後民主主義が否定されつつあるのでは
と思っています。なんとなくですが。
安部さんの中にそんな点がみえますし。
戦争時代を生き、戦争を大いに反省したわれわれの
先輩が否定されるような気風、空気がかんじられます。
偶像破壊か。(笑)
 
 
 
戦後民主主義とは (仙台の水戸黄門)
2006-10-05 19:19:06
 東條英機自決失敗の真相を知ると、戦後民主主義も再考してみる必要があると思わざるを得ません。
 戦後民主主義は、終戦後に出番の来た左傾或いはかくれ左傾の政治家や学者たちによって指導され、GHQの秘密の検閲下の国民が選択して形成、今日に至ったものです。
 GHQの情報管理(ウォー・ギルト・インフォメイション・プログラム)の恐ろしさは、洗脳と呼ぶに値する物で、その後遺症は、進駐軍が撤退して半世紀を経てもまだ消えずに残っています。例えばタカ派であるはずの石原都知事さえもが東條英機の自決失敗を揶揄しA級戦犯を悪く思っているらしい実情です。
 これまで東條英機自決失敗の真相の解明を怠ってきたツケはあまりにも大きく、それをさせないように洗脳されていたのだと思うほかありません。
 さて、なぜこめかみでなく腹を撃ったか? なぜ逮捕直前に撃ったか? なぜ1発しか撃たなかったか? 
 東條英機は第一の戦争責任者としてGHQに逮捕された後に自決することで東京裁判の戦犯追求劇を無効化することを企て、逮捕後の自決は困難と考え、数日後に絶命する撃ちどころにしるしをつけて、待ちかまえていたのです。
弾は心臓の陰の摘出不可能と思われるところに見事撃ちこまれましたが、至難の救命手術のすえ、これまた見事に取り出され、爾来東條英機は死に損ないの汚名に甘んじることになったのです。
 彼のすごいところは、自決失敗の言い訳を一切せず家族にも真相を語らず、笑い物にされたまま死んでいったことです。合掌。
 
 
 
情緒とは (やたがわ)
2006-10-11 22:05:03
はじめまして。

保守系のブログを見て回るつもりが(国家の品格と検索するといきやすいので)、ここにやってきてしまいました。
時期外れの書き込みになりますが、どうしても気になった点があったので書き込みさせていただきます。

〜「厳密な公理系でも決定できない命題があるのだから、まして殺人の是非は決定できない」?そんなことはありません。殺人が犯罪であることは刑法に書かれているので、完全に決定可能であり、論理的に説明できます。〜

という池田さんの書き込みがありました。
これは法治主義の概念ですが、これだけでは刑法がなかったなら殺人は悪ではないのかということになり、そしてユダヤ人をゲットーに入れる法律が大衆の合意により成立すれば、悪ではないということになってしまうのではないでしょうか。
社会には伝統的に築き上げられた不文律の“法”が存在すると考えています。
諸法律はあくまで“法”に基づきつくるべきものであって、政治学のわからない藤原正彦氏はそれを“情緒”と表現されたのだろうと思います。
だから、これまでに何回か書き込みがあった“直感”とはちょっと意味が異なるだろうとも思います。
しかし、藤原氏は一方で自由を否定して、ホッブズの社会契約説を支持しているのだから、保守主義的な考え方としては支離滅裂になっていることは否めません。
彼が“直感”で書いた所以でしょう。
J・ロックを持ち出して勝手に自由を定義しているのですが、自由もまた善悪の価値観と同じで、どこまでが自由で、何が自由でないかなどということに根拠は見出せないのだから、それもまた不文律の“法”に戻ってくるところを、そこはなぜか社会契約(理性/論理)にいってしまいました。
自由主義→保守主義(伝統主義)となるところを、市場原理を批判するために新自由主義と自由主義をまとめて攻撃してしまった結果、このような支離滅裂な内容となってしまったのだろうと分析しています。
本来なら保守派からも批判の対象となる著書だと思いますが、これがバカ受けしていることで、この国に本当の意味での保守主義がほとんど存在していないことを改めて感じる次第でした。

長々と失礼しました。
 
 
 
武術と武士道 (スポンタ)
2006-10-21 13:38:30
池田先生に興味を持って過去のエントリーを探っていたら、「日本の品格」についての議論があったことを知りました。

論争を読んでいた感じたのは、武士道が理想でしかないこと。
私は甲野善紀先生の古武術的な考え方に私淑しておりますので、武士道の限界を実感しております。

そして、固有のコミュニティー(封建君主たちのヒエラルキーな集団)の存続に寄与した思想を鼓舞することが、国際社会における日本の優越性を印象付けることはあっても、日本の古来の思想が世界に貢献することにはならぬと確信しております。

真理谷円四郎など、武術というリアリズムの復権が近い時期になされる気がしています。
 
 
 
Unknown (GIANT)
2006-12-02 02:49:08
僕は新聞もテレビもみないので、
今日、ようやくこの本の存在を知ったのです。
で、買おうかどうか迷って、色々検索したら、このブログに辿りつきました。

う〜ん…。
ここに書き込んでいるみなさんは、とてもよく勉強してらっしゃると思うのですが、なんか、ヘンですよね。

直感的な解釈ですが、
「国家の品格」というのは、プロレスだと思うんです。

で、池田さんの理論というのは、ボクシングじゃないかと。

確かに、リングの上での格闘技という点では一緒なのですが、やってることが全然違います。

プロレスラーというのは、プロレスラーを相手にしたときにしか、自分の強さを上手に表現できません。

そして、ボクサーというのは、ボクサーを相手にしてしか、強さを表現できないのです。

池田さんの言ってることは、間違いではないのかもしれないけど、全く無意味じゃないかなあ。

「アイツの戦い方は、ぜんぜん合理的じゃない。ドロップキックなんて、普通に考えて当たるわけがない。オレの戦い方のほうが合理的だぜ」
って言ってるようなものです。

それはそうですけど、そのドロップキックというのも、プロレスというルールにおいては、ちゃんと意味があって合理的なのです。

そして、もし、異種格闘技のルールで戦うことになったのならば、当然、「国家の品格」の作者も、違う戦法でくるハズですよ。
もしくは、リングに上がらないでしょう。

池田さんのような理論を展開させるのに、「国家の品格」はマト外れだと思う。
そういう本を持ち出して、理屈で勝負しようとすること自体が幼稚じゃないかなあ。

池田さんの理論を展開するうえで、「国家の品格」は、全く必要ないじゃないですか。

司馬遼太郎の本を持ち出して、坂本竜馬の実像を語るのと、同じくらい学術的には意味がない。

優れた批評というのは、ボクシングをボクシングとして、プロレスをプロレスとして、異種格闘技を異種格闘技として批評することです。

ボクシングをプロレスとして批評したり、プロレスをボクシンブとして批評したら、その時点でおかしいわけです。

そんな初歩的なことにも気づかずに「オレの頭は論理的だ」なんて考えているとしたら、それこそ危険ですよ。

冗談半分で「まあ、この本には論理的には誤りがあるよね」みたいな言い方をするのは良いと思うんですけどね。


 
 
 
Unknown (Unknown)
2006-12-15 12:34:51
もうすぐ1年ですねこの「スレ」
ひとこと、情緒と論理は相容れないものだけど、直感と論理は裏でつながっているとおもいますよ。わかる人はわかるはずです。
 
 
 
あっさりと批判出来る方々にご指導頂きたく・・ (ただのサラリ〜マン)
2007-01-01 16:50:35
初めまして。私はただの会社員です。“国家の品格”は、私が疑問に思っていた部分と同じポイント上にありました。
たどり着いた地点自体が、どの位置にあるのかも分からず・・多くの方が疑問に思っている地点にあるのだろうか・・?という事さえ、分かっていない者にっとって、同じ地点で話されている本が良く売れている事自体をとても心強く思いました。
そこで、あっさりと否定出来る方のご意見を是非ご指導頂きたいと思い、投稿させて頂いた次第です。

私は非常に現実主義で、かなり現実に向き合って考えるタイプだと自覚しています。そして今のグローバルな流れにドップリはまって働いているビジネスマンです。その上(中?)で、“今の制度の行く先では、国家の存在自体が必要なくなっていく。もしくは矛盾を含んでいく。では、国家のあるべき(進むべき)形は?”という部分が分からず、次に進めずにいました。“存在意義”に答えを望むか、それとも今の時点で答えは出してはいけない(=間違った答えしか出ない)のか・・?と考えていました。
そういう場所に立っている者からこの本を読んだ場合、“存在意義”に答えを見つける1例としてとても参考になるご意見でした。(もちろん著者の方は、違うルートからその答えに辿り着いた事は分かります。が、現在の立っている場所が同じです。)
そこで、是非(ずうずうしくも)“立っている場所自体”が間違いなのか、それとも“立ち位置は一緒”で、その中身自体を否定しているのか・・・ご指導頂けませんでしょうか?
どうかよろしくお願い致します。
 
 
 
国家の存在意義? (池田信夫)
2007-01-01 18:55:18
藤原氏が国家の「存在意義」にどんな答を出したのかよくわかりませんが、本書が売れた原因が最近のナショナリズムの高揚にあることは確かでしょう。私は、これ自体は当然だと思っています。戦後ながく「国家=戦争=悪」というGHQの植えつけた図式が教育やメディアの世界に広がっており、これが政治的な現実についての思考停止をまねいていたからです。

しかし主権国家というのは、藤原氏の思い込んでいるような「伝統」的な制度ではなく、近代の欧州で政治的妥協の結果つくられた、きわめて人工的なシステムです。国民を戦争に動員するために、それを伝統的な共同体と思わせるいろいろなイデオロギー装置が動員されるわけですが、藤原氏の持ち出す「武士道」というのはお笑い草です。だいたい武士道のできたときは国家なんてなかったんですから。

実際には、本書で藤原氏は国家についてほとんど論じていません。文化とか郷土への愛着を「祖国愛」にすりかえて「日本はいい国でしょ」と情緒に訴えているだけです。このように国家を客観的にとらえないで、自分を包んでくれるクニ=郷土として情緒的にとらえるのも日本人の特徴です。自民党は「愛国心」も郷土愛のようなものとして子供に植えつけようとしているようですが、これは左翼的な反戦平和主義よりまだ悪い。

本書みたいな無内容な本が受ける背景には、これまで日本のインテリがとなえてきた左翼的な建て前論が破綻したという現実があります。ネット右翼が「本音」を代弁しているように見えるのもそのためですが、実際には彼らは昔の社会党とちょうど逆に、理念的エスタブリッシュメントだった左翼思想に「何でも反対」しているだけです。本書の内容も、ネット右翼に毛の生えた程度の話で、ここに国家の「存在意義」なんか見出すのはやめたほうがいいと思いますよ。
 
 
 
人類の部分集合としての国家 (スポンタ)
2007-01-01 19:34:00
関連のエントリーを「コミュ論」としてブログに挙げています。

右だ左だと論じていても、結局のところ、民主主義が国家の理想ではあるが、国家は本質的に戦争のための装置でしかない。という先生の諦観は理解します。

とはいえ、人類全体のより安逸な運営を実現するための、ユニットとして、国家の意味が必ずしも薄れていないはずです。

また、税金の徴収という、個の富を左右する権利を国家が持っている以上、国家を抜きにしたシステムが、人類の部分集合を扱うユニットとして成立することは難しいのではないでしょうか。

経済学者は、経済という国家を超えた論理で世の中を扱おうとするのでしょうが、国家は徴税制度のさじ加減で、グローバリズムに対抗することが可能。

そんなことを考えています。
 
 
 
日本 (在ロンドン日本人)
2007-01-02 06:54:00
海外で長期間間生活している方は、自分の国の文化や伝統について思いをめぐらさない人はいないと思います。日本の長所、短所がよくわかります。
 
 
 
ありがとうございます! (ただのサラリ〜マン)
2007-01-04 14:13:01
藤原さんがどのようにして、“あの場所”に立っているのかは分かりません。ただ…、私は、軍事だとか右とか左とかいっさい分からないんです。現状の世界正義的ルールブックにのっとった競争にどっぷり浸かり、現制度の正義を疑う事すらせずに生きてきたら…、“その場所”にたどり着いただけです。●実質富がモノサシである事 ●格差を産むための制度でもある事 ●さらに、搾取する側とされる側が固定化してきている事=社会的奴隷が生まれている事 ●全世界共通ルールブックに近づいている事 ●今、武装解除しても、実際どこも侵略してこない事 ●国家の意義が、自国(または個人)への利益誘導に一番の意味を持ち始めている事 ●国家・政府・社会・個人・大衆などの現実を凝視直視した時に、“格差”という概念が社会に認知された時点で、現制度が破綻してしまう事 ・・・が今たどり着いた場所です。
そんな、政治や国家など専門家でない人間が立っている視点として・・・“国家の品格”はそのいち選択肢を示していると感じました。
だって(ですが)・・・内閣総理大臣でも、財務省事務次官でも、セクハラさんでも援交さんでも・・皆等しく1票なんですよ..。たとえ間違っていても、国民の半数以上が支持すれば正義なんです。専門家でなく、大衆が思う事が半数を超えれば…可決される制度なんです。
その“立ち位置”であれば、“国家の品格”は国家論なんです。“美しい国ニッポン”なんです。文化論でも右翼でもないんです。そんな難しい話し知らないですもん(です)。
勝手に入ってきてすいませんでした。ご意見ありがとう御座います。
 
 
 
追加お願いです。 (飛び入りですみません)
2007-01-10 10:11:10
こんにちは。先ほどはきちんとご挨拶も書かず、申し訳ありませんでした。(どうも先走る癖が・・・)

さて、先ほどコメントいたしましたものに追加をお願いしたいのですが、よろしくお願いします。

藤原さんの説?は、ある特定の男子にしかあてはまらないと思います。なぜなら、昔は、農工商でもきちんとした子が育っていたからです。また、女子の教育も武士道で育てたら将来子を産み育てられる女には育てないでしょう。女は女らしい母親によって女らしい女が出来上がるのです。(女の私(娘を持つ母)が言うので間違いありません)

また、実は男子も武士道の躾けの前に婦道(母)による人間関係の基礎となる躾け・生活習慣・ゆるぎない愛情が必要です。それは、女を大切にできる男らしい男を育てあげ、結果、その男達を社会で活躍させるためです。
 
 
 
藤原氏の年賀状 (池田信夫)
2007-01-12 18:04:49
藤原氏の「若い君への年賀状」がウェブに出ています:

http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/seiron/34073/

「君の生まれたころに比べ、わが国の治安は比較にならないほど悪くなっています」?殺人事件の発生率は、戦後ずっとほとんど変わず、アメリカの1割なんですけど。

「君の生まれたころ、いじめによる自殺はほとんどありませんでした」というのも嘘であることは、ブログでも指摘されています。

http://d.hatena.ne.jp/wetfootdog/20070112/p1

「君の生まれたころ、リストラに脅かされながら働くような人はほとんどいませんでした。会社への忠誠心とそれに引き換えに終身雇用というものがあったからです。」

労働人口の80%は中小企業の労働者で、昔も今も彼らには「終身雇用」なんてないのをご存じないらしい。

彼の話は(三流の)数学者らしいですね。話がすべて脳内で完結していて、そういう事実があるかどうかさえ確認しない。こういう人が妄想をまき散らすのは自由だけど、それを産経や文春が事実関係も確認しないで載せるのは、ジャーナリズムの責任放棄です。
 
 
 
そこまで批判してどうする (まぐまぐ)
2007-01-20 18:44:29
「国家の品格」で検索したら、Googleで上位に表示されていたので、訪問させていただきました。

「国家の品格」は私も読みました。
行き過ぎや大げさな表現はあると思いましたが、なかなかおもしろい本だという印象を受けました。

このブログの本に対する批判については、意見として納得する部分はありましたが、本の肯定派の方に対して少々ひどい言い方をしている箇所が見受けられ、嫌な印象を受けてしまいます。

「怠慢な老人の戯言」とか、「6回本を読め」とか、「本を読まないで議論するのは」など。
本を6回以上読んだ人も、ざっと斜め読みした人も、本の内容だけ聞きかじっただけの人も、それぞれ意見はあると思いますし、議論をするなというのはちょっと…と思ってしまいます。


また、お互いネット上でしか知らない同士なのにもかかわらず、「怠慢な老人の戯言」と書く行為も、管理人様のおっしゃる論理的な根拠なく他人を罵倒したものだと思うのですが…。

本について批判するのはかまわないと思うのですが、本を読むなと言ったり、本を読む読者層が皆「未成熟の大衆」よばわりするのも、どうかと思います。
「国家の品格」の本を読むのは個人の自由ですし、読んで感銘を受けた人間は未成熟、という意見も飛躍的過ぎます。

本に対する批判がおありなら、著者本人に直接会い、本の内容に対する反対意見を直接言ってみてはいかがでしょう。
それに関する議論など、個人的には興味があります。


さらに、このブログは「国家の品格」の本の議論に関するものであり、藤原氏本人に対する批判や議論ではないはずでしょう。

上記の「若い君への年賀状」は、単に藤原氏の意見なのではないでしょうか?
このブログで批判されているようなゲーデルとか、数学的な間違いや、理論と情緒についての記述はありません。

ここまで批判してしまうと、本に対する批判ではなく、藤原氏個人の行動や言った意見すべてに対して批判していると受け取られてしまう気がします。

せっかく本に対する批評に関して、このブログは充実しているのに、もったいないです。


>藤原氏の「若い君への年賀状」がウェブに出ています:
>「君の生まれたころに比べ、わが国の治安は比較にならないほど悪くなっています」?殺人事件の発生率は、戦後ずっとほとんど変わず、アメリカの1割なんですけど。

これは殺人事件の犯罪率についてだけではなく、犯罪の質を含めた話なんじゃないでしょうか?
近年、昔よりも凶悪な事件が多くなったということは、多くの人が思っていることだと思います。
幼女誘拐殺人などが増えてきたことからもいえるかと思います。


「君の生まれたころ、いじめによる自殺はほとんどありませんでした」というのも嘘であることは、ブログでも指摘されています。


以前いじめによる自殺がほとんどなかったかは知りませんが、いじめによる自殺が増えているのは事実だと思います。
最近ではいじめに対する抗議文についてのニュースが報道されてから、いじめによる自殺の連鎖反応が起きていることは広く知られていることです。


おかしな妄想を撒き散らすことに不安を感じていらっしゃるのはわかります。
マスコミに踊らされて、同じ方向に人々に意見が向いてしまうことを懸念しておられる気持ちもわかります。

本を読むのも、人の意見を聞くのも、個人の自由であり、それを自分の中に取り入れるか否かは、それぞれの判断にゆだねられます。

ただ、この本を読んだからといって、この「国家の品格」は100%正しい!!、と思ってしまう人は少ないのではないでしょうか?
少なからず、私自身も、おかしな記述があるなと感じましたし…。
面白く、納得する記述というのもありましたが。

以上です。
長々と申し訳ありませんでした。
 
 
 
池田さんらしからぬコメント (三宅宏明)
2007-01-21 01:29:16
はじめまして。

「国家の品格」を半年ほど前に読みました(ナナメ読みですが)。それ以来この「板」はときどき覗かせていただき、楽しませていただいてます。

私のこの本に対する感想は、「ずいぶん粗い論理もあるけれど藤原氏の言いたいことはわかる。納得できる」というものです。この本を批判する池田さんとは反対の立場ですが、この本の「非論理的性」は私も認めます。だからこそ、この「板」を読むのはおもしろかったのです。(ちなみに「藤原氏の言いたいこと」とは「論理だけでなく情緒も大事」「日本人は(武士道を手本として)道徳を取り戻さなければならない」というのが、私の認識です。6回読んでないので間違っているかもしれません(笑))

ところが上の池田さんのコメントを読んでちょっと引きました。論理を愛する池田さんらしからぬコメントです。ちょっと疑問に思いましたので、不躾ながら質問させてください。

池田さんは次のように書かれています。

>君の生まれたころに比べ、わが国の治安は比較にならないほど悪くなっています」?殺人事件の発生率は、戦後ずっとほとんど変わらず、アメリカの1割なんですけど。

殺人事件の発生率が戦後ずっと変わらないかどうか、私は統計を見たことがないのでわかりませんが、池田さんを信用します。そこでお聞きしたいのですが
1、治安の良し悪しは、殺人事件の発生率のみで判断できるのでしょうか?治安とはそういうふうに定義されているのでしょうか?
2、治安に不安を感じる日本人は以前より多くなっています。これは統計で示せると思いますが、これをもって「わが国の治安は悪くなっている」と言うのは間違いでしょうか?
3、仮に「わが国の治安悪化」が藤原氏の事実誤認だったとします。その場合、もし藤原氏が「治安をもっと良くするべきだ」と主張すれば、池田さんは批判しますか?しますよね、間違った論理からは間違った結論しか導かれませんよね。しかし私は「治安をもっと良くするべきなのは当然だ」感じるのですが、私の感性がおかしいのでしょうか?

以上です。お忙しければ無視してくださって結構です。私が思ったのは、池田さんは藤原氏を論理的に批判しているのではなく、単に嫌いなだけじゃないか?ということです。論理の出発点ってやっぱり情緒なんですね!?とか言ってみたりして。

コメントを投稿しようと思ったら、まぐまぐさんのコメントと一部内容がかぶりました。躊躇しましたがやっぱり投稿します。ではよろしくお願いします。
 
 
 
データ (池田信夫)
2007-01-21 02:35:14
「治安が悪くなっている」というのを「犯罪が増えている」と置き換えると、刑法犯の発生率は増えていますが、その増分のほとんどは自転車泥棒が犯罪統計に算入されたことによるものであり、それを除くとほぼ横ばいで、凶悪犯罪は1950年代の半分以下に減っています。

殺人事件を例に挙げたのは、それが統計的な取り扱いによって発生率が影響を受けない(見逃すことがありえない)犯罪だからです。これについての私の記述は間違っており、殺人事件の発生率は50年代の1/3以下に減少しています。つまり「治安が悪くなった」というのは錯覚なのです。くわしいことは、河合幹雄『安全神話崩壊のパラドックス』(岩波書店)を読んでください。

子供の自殺は1970年代がピークで、このころも「いじめ」が最大の原因として騒がれました。現在はピーク時の半分です。「君の生まれたころ、いじめによる自殺はほとんどありませんでした」というのが80年代のことだとすれば、明白な嘘です。

http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/16/12/04121601/002.htm

他人の挙げたデータを批判するなら、自分で具体的にデータを挙げてください。「おまえの話はマスコミで言っていることと違う」というのでは話にならない。
 
 
 
250万部 (池田信夫)
2007-01-21 12:02:45
けさの新聞に、「250万部突破」という広告が出ていました。「いじめをなくしたければ『卑怯』を教えよ」だそうです。「日本人が本来持っていた情緒と形を取り戻す」ことがいじめの対策だとか。

今より情緒にあふれていたはずの1950年代に今の3倍も殺人が起こり、70年代には今の2倍以上の子供が自殺していたことをどう説明するんでしょうか。このように事実関係を無視して自分に都合のいいようにマスコミ情報を利用するのを「卑怯」というのではないでしょうか。
 
 
 
Unknown (恐れ入りますがコメントします)
2007-01-21 13:22:53
池田先生

池田先生のブログは大変好きですが、今回のコメントには少々根拠を欠くように感ぜられます。

と申しますのは、「治安」の問題と「経済」の問題は極めて緊密な関係を持つのは刑事政策の世界では広く知られた事実ですが、そもそも、終戦後しばらくの時代は「餓死者が出るかもしれない」ということが深刻に懸念されていた時代で、そういった時期における「殺人件数」と、「失われた10年」と言っても広く国民一般の問題として餓死者が出る事がおよそ考えられないような時代の「殺人件数」の絶対数を比較して、「殺人件数が3倍だから「国民の倫理」などは関係ない」というのは議論として少々乱暴に過ぎるのではないでしょうか。

「国民の倫理観に支えられて、極めて困難な経済状況においても、3倍「程度の」殺人件数で済んだ」という問題の立て方も十分成り立つ余地はあるだろうと思います。
 
 
 
怠慢なコメントはお断り (池田信夫)
2007-01-21 14:20:29
「終戦後しばらくの時代は」云々の話は的はずれです。1970年代でも殺人事件の発生率は現在の2倍で、しかもその率は戦後一貫して低下しています。つまり「情緒と形」のあった時代のほうが殺人は多かったのです。

前にも言ったように、データに反論するなら具体的にデータを示してください。自分で調べもしないで、他人のデータの一部を「そのデータはこうではないか」と推測する怠慢なコメントはお断り。
 
 
 
Unknown (刑事政策の専門家の議論)
2007-01-24 04:54:24
「日本の犯罪は,戦後一貫して減少している」
河合幹雄桐蔭横浜大教授 昨日の朝日新聞朝刊9面「時流自論」より

「教授によると,戦後一貫して犯罪が減少しているのは社会が豊かになったからで,特に,最近の経済状況の好転が影響しているそうです。」
 
 
 
勘違いされている方が多いようなので (さくさく)
2007-02-01 12:13:30
お久しぶりです。最近ふと覗いてみると、何か勘違いされている方がおられるようなので、ひとつだけ書いておきます。本は6回読めの話です。

「moto金田浩」さんという方が、ご自身のコメント(2006-05-29 22:19:10 )で「本は六回読めと先輩にいわれた」と書き込みされていました。
私が書いたのは、是非そうされてはいかがですか、と「moto金田浩」さんに対して書かせていただいたものです。

どうしてこれを一般論ととられるのか、ホント不思議です。文章はちゃんと読んだほうが良いと、改めて思いました。
 
 
 
違うかな…? (Unknown)
2007-02-14 15:47:28
私も「国家の品格」を読みました。この作者の意図する処は、皆様がコメントされている様な事とは次元が違うのではないでしょうか?
丁度、「坂の上の雲」を平行して読んでいた私には、江戸時代より明治に入り列強国に追いつく為に、「日本人」「国家」が集団で行動していた時代の賛美、回帰について書かれているようにしか思えません。
第2次大戦後の発展していく日本ではなく、鎖国を解いて価値観、思想を欧米と融合させていく事で薄れていってしまった日本古来の伝統への懐古、そして国家と言う組織を初めて持ったときの崇高なる目的意識を再び再燃させようとしているのだなぁって思って読んでいました。
 
 
 
ちょっといいですか ()
2007-03-12 17:52:57
「プラトン的な「賢人政治」だが、そんな国家は歴史上どこにも存在したことはない。」の所ですが、これから作ればいいじゃないですか、と思いました。
 
 
 
久しぶりに (moto金田浩)
2007-03-19 23:06:09
最近「国家の品格」も話題から遠ざかったと感じて
いたのですが、久しぶりに入らせてもらいました。
なんと私のことがありますではないですか。

私が六回読めと書き込み、というより一回読んだ程度でうんぬんはダメと。

以来、私個人はそうしています。

しかし、最近なんだか、一方的なニュースが多いと
感じています。自分は安全な所にいて、他者を
批判・非難するという。
 
 
 
ある程度 (やす)
2007-05-23 02:08:46
http://blogs.yahoo.co.jp/sarter8416/48867258.html

賛同しておきます

 
 
 
トリビアルな指摘ですが (unknown)
2007-05-28 13:46:48
はじめまして、コメント失礼致します。基礎論ではないですが、数学を専攻しているものです。

藤原氏のこの本については池田さんと同じく、浅薄なナショナリズム高揚本という感想を持ちましたが、ゲーデルの不完全性定理に関する池田先生の言及で、

>実用上すべての公理系は決定可能なのです。

というのは端的に誤りではないかと思うので指摘する次第です。池田先生自ら先行するコメントで書かれているように

>自然数論を含む帰納的に記述できる公理系が無矛盾であれば、証明も反証もできない命題が存在する

というのがゲーデルの不完全性定理ですが、その思想的メタファとしての意義は「自然数論のような数学の中でも最もベーシックな部分において、決定不可能な命題が存在すること」を示したことにあると私自身は認識しています。「実用上すべての公理は決定可能」というのは単に勢いで筆が滑っただけかもしれませんが、素直に読む限り、ペアノ公理系に代表されるような自然数論の公理系は実用的ではないという奇妙な主張を含意しているを思わざるを得ず、率直に申しまして、池田さん自身のゲーデル理解が甘いのではないかという危惧を感じた読者は少なくないものと思われ、敢えて無礼なコメントを致した次第です。
 
 
 
藤原先生の評判 (和夫)
2007-10-06 22:36:57
最近某大学教授準教授の集まりがあった。
「藤原先生はこの図書が出回ってから
非常に傲慢になって、周りの学者も、
相手にしない」そうな。ありそうな
ことです。
 
 
 
Unknown (鐵假面)
2007-10-07 02:03:09
>著者が提示する対案は、なんと「武士道」だが、それは新渡戸稲造の近代版であって、現実の武士が武士道にもとづいて行動していたわけではない。

「武士道」の悲惨で醜い現実は、ノンフィクションでは『武家の棟梁の条件』(野口実著・中公新書)に、フィクションでは南條範夫の時代小説(『残酷物語』等)に描かれています。

>著者が理想化する「品格ある国家」とは、プラトン的な「賢人政治」だが、そんな国家は歴史上どこにも存在したことはない。

「賢人政治」への賛美は、民衆蔑視と独裁制の肯定に行き着きます。傲慢な特権意識を持つ「インテリ」は、「背広を着たサムライ」になり易いと言えます。
 
 
 
対訳が出版 (和夫)
2007-10-15 14:41:17
最近本屋で見たのですが、日英対訳版
が出版されたようです。外国にも、こんな
考えを売りつけたいのか。ちょっと
異常な「品格現象」ですね。
 
 
 
あまりにも傲慢? (かず)
2007-10-26 15:16:28
何度読んでも、この著者は傲慢過ぎる
し、初めから読者を見下している。
「私の意見だけが正しくて、他の意見
は間違っている」と書き始めるあたり
から、「売れれば、何を書いても構わ
ない」という、気持ちが露わである。
要するに、著者は自分の雑学ぶりを
披瀝したのではないか。数学は専門
分野としても、経済学から、神学に
いたるまで、雑然と整理しようとした
が、一本貫いているところは無いから
結局、精神論的「武士道」で決着させ
たのだろう。はっきり言って池田さん
の言うように、「教えられることは
皆無」だと思う。
 
 
 
なんかなぁ〜〜〜 (とも。)
2007-10-27 12:07:11
皆さんは、どっちか一方で決めないとだめなんですか?
この本はここが悪いからだめ!
この本はここが良いからよい!
じゃなくて、
本は、人それぞれの思いが書いてあって、その内容に賛同したり批判したりするのは自由ですが、「YES」と「NO」で決めるのは、それこそ話が飛躍しすぎています。
批判するのもいいけど、良い点を探す。
一方で、
賛同するのもいいけど、すべてを信じない。
そんな、中立の心を持っていない気がします。
まるで、いつも見ていて見苦しいと思う「国会」のようです。
自分はまだ高校にも行っていない未熟者ですが、「YES」「NO」ばっかりの世界だからこそ、人の意見に耳を傾けるという行為がないからこそ、争いが起こったりするのではないでしょうか?

変な意見だと思ったら、削除してください。
 
 
 
たもさんへ (かず)
2007-10-28 14:18:38
あなたのようなご意見もあると思いますよ。
白か黒かじゃなくて、グレー・ゾーンだって
あるじゃないか。というご意見ですね。
でも、どうでしょうか。この本が仮に1万冊
くらいしか売れなかったら、こんなに批判
を浴びなかったでしょうね。この本が
ミリオンセラーになったから、読者の中に
「これはいけない!」という、ある種の
危機感を持ったんじゃないでしょうか。
僕もその一人です。
 
 
 
>ちょっといいですか (壽) (Unknown)
2007-11-02 02:22:11
>「プラトン的な「賢人政治」だが、そんな国家は歴史上どこにも存在したことはない。」の所ですが、これから作ればいいじゃないですか

あなたは日本の伝統を破壊したいのですね。
 
 
 
(壽) (Unknown)さんのコメント (かず)
2007-11-14 19:27:41
>>あなたは日本の伝統を破壊したいのですね。
池田先生はそんなこと一言も言ってないですよ。
どうも、突っかかりたい、感じですね。
 
 
 
>>(壽) (Unknown)さんのコメント (かず) (Unknown 2007-11-02 02:22:11)
2007-11-24 15:22:03
かずさんへ
「ちょっといいですか (壽)」 2007-03-12 17:52:57へのコメントです。日本の歴史上も存在したことのないプラトン的な国家を日本に建設すると、日本の伝統が破壊されます。
 
 
 
沢山の書き込みを振り返って (閲覧者)
2008-10-13 22:27:31
やっと書き込みが落ち着きましたね。
賛否両論ありましたが、これだけ意見が闊達なので、藤原氏の執筆にも十分な意味があったのだと考えることができますね。

多くのご批判もありましたが、多くの方が購読されていることは事実です。
ご批判された方のなかで、今あらためて考えて、見方が変わったという方はおられないのでしょうか。また、批判のなされかたについて、筆者を侮辱するようなものまで見受けられました。ものごとをすべての面からみることのできない場合、これは軽率と言わざるをえません。ご自分の批判をあらためる方はおられないのでしょうか。

国家の品格はいまもなお、刷られて多くの方に読まれています。ご意見を書き込まれることは良いことですが、言いっ放しになっては無責任であると感じました。



 
 
 
日付を見てみましょう (安野)
2008-10-13 23:49:14
この件は池田氏が当該書物を「単なる無知」と評して終わっていますね。あとは感想戦です。
 
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