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[24054] 【ネタ】Sweet songs and Desperate fights《とらハ3X史上最強の弟子ケンイチ》
Name: やみなべ◆d3754cce ID:1963cf14
Date: 2010/11/28 02:48

はじめまして、あるいはこんにちは、それともこんばんわでしょうか?
とらハ掲示板で「魔法少女リリカルなのはReds」をやっている、やみなべです。

この小説は「史上最強の弟子ケンイチ」と「とらいあんぐるハート3」のクロスオーバー小説になります。
Redsの方が少々(?)煮詰まって来たので、気分転換も兼ねて少し趣向の違う作品に手をつけてみようと考えた次第です。
また、この組み合わせは設定の擦り合わせがそう難しくなさそうで、結構ありだと思うのにどなたもやっていないので、試してやってみる事にしました。
すみません、なんというか浮気性なもので……。

ネギまとFateのクロスで「逆月の魔術師」というのもやっていたのですが、最近のネギま展開から「ちょっと一度考え直した方がいいかもしないなぁ」という結論に至り、新たに別の作品を書いてみる事にしました。
しかし、Redsにもまして行き当たりばったりで書いているので、直ぐに更新が止まったりするでしょう。
ですが、一応中編くらいの長さを考えていますので、簡潔はできると思います…………たぶん。
まあ、それもそれなりにニーズがあればですけど。あんまり評判が良くないようなら打ち切るかもしれません。

独自設定や独自解釈、ご都合主義が多いに入っておりますので、それらも含めて駄目な方はご注意ください。
それと、たぶん恋愛要素とかはほとんどないでしょうね。単に絡ませてみたかっただけですから。

時間軸的には、兼一が大学一年生でとらハ側は本編が始まった頃です。つまり、兼一と恭也は学年は違えども(一応)同い年という事になりますね。
兼一は連載と同じ時間軸でもよかったのでしょうが、それだとちょっと絡ませにくいと思いこうなりました。
何しろ、ラグナレクとやりあってる頃の武術を始めたばかりの時だと恭也達との間に実力差があり過ぎます。また、闇とかYOMIとのゴタゴタの真っ最中だととらハの方に首を突っ込む余裕はないだろう、と思うのですよ。
いや、裏社会科見学を通してなら絡ませやすいんですが、それだと逆に短編みたいになりそうなんですよね。もうちょっと長くしたいので、裏社会科見学は使わない方向になりました。
そんな諸々の迷走の結果、実力的にもつり合っていそうで、ある程度余裕の出てきていそうなYOMIとのゴタゴタにある程度区切りがついた(と仮定した)大学入学した頃がちょうどいいと考えました。

あと、念のために申し上げますが、「リリなの」とは一切絡まないのであしからず。
一応「リリなの」とのクロスも考えた事がないわけじゃないんですが、それはまた別の機会という事で。
もしもその機会があったらの話ですけどね。

というわけで、色々ブレにブレていますが、それでも付き合って下さる寛容な方は、ぜひとも感想やご意見をお願いします。

初投稿:2010/11/07



[24054] BATTLE 1「合縁奇縁」
Name: やみなべ◆d3754cce ID:1963cf14
Date: 2010/11/15 00:09

首都圏某所。季節は春。まだ朝靄も残る早朝。
本日は平日。故に、そろそろ早めに出勤する各家庭のお父さん方が目を覚ます頃だろう。
そんな気持ちの良い目覚めの朝に、今日も今日とて――――――――――――断末魔の叫び声が轟き渡る。

「じぇろにもぉ~~~~~~~~~~~~!!!!!」

意味不明の絶叫の発生源は、閑静な住宅街の一角。
明らかに周囲との調和を無視した古めかしい日本家屋からだ。

いや、浮いているのは何も古さや建築様式だけではない。
その広さもまた異常だ。昨今の住宅事情を考えれば、あまりにも広過ぎるその土地。
裏庭に関しては、もはや「森」の域に達しているほどに広い。

では、古いが勇壮かつ豪壮な日本家屋なのかと問われれば………………否である。
百人が見れば百人がこう答えるだろう「これは古いんじゃなくて、単に“ボロイ”だけだろう」と。
いや、確かに門扉などはかなり立派だし、敷地内の家屋にしたところでそれは同じ。
だが、そんな印象の全てを押し流してしまうほどに「ボロイ」のだ。

普通なら、そんな敷地から断末魔の絶叫など響けば如何に早朝といえど騒然となるだろう。
しかし、この住宅街でそれはない。むしろ、耳を澄ませば各家庭からはこんな声が聞こえてくる。

「……ん、もう朝か?」
「いやぁ、毎朝これを聞かないと起きた気がしませんな」
「ハハハハ、今日も天気だ! 笑顔がこぼれる!」

うむ、どうやら彼らにとってこれは毎朝恒例の事らしい。
今更断末魔の叫び程度では、彼らの心にさざ波一つ立たないのだった。
一部、色々とこんなところにいては不味そうなお人がいる気もするが……。

だが、それも当然だ。何しろここは『梁山泊』。
スポーツ化した現代武術に馴染めない豪傑や、武術を極めてしまった達人が共同生活を送る場所。
一般人達はそんな事情を知る由もないが、それでもそんな場所の近くに住んでいれば自然と神経は図太くなる。
実際、この地区の郵便配達員は刀を背負った女や、2mを超す褐色の巨人を目の当たりにしても微動だにしない。
特に、ここ数年はその傾向が顕著だ。なぜなら……

「叫んでる暇があれば走りたまえ!! 投げられ地蔵を五体追加と三十分延長だ!!」
「死ね――――!! 起きねぇならいっそ死ねぇ―――――!!!」
「遅い!! 千回死んだね!!」
「あ”あ”あ”あ”あ”あ”!! いっそ殺せ―――――――――!!??」
「ホッホッホ、安心せい兼ちゃん。人間……………そう簡単には死なん!!」
「なんのフォローにもなってませんわ、おじい様!!」

と、こんな具合で梁山泊の豪傑達が総出で弟子を育成しているためだ。
しかし、なにぶんこの弟子『白浜兼一』には才能がない。全く、微塵も、欠片もないのだ。
それこそ「常人の数倍の努力をし、命懸けという諸刃の剣を使わねば一定の水準を越えられない」とまで言われるほどに才能に乏しい。何しろ「才能がまるでない事、それが君の弱点だ」とまで言われる始末。

そのため、必然的にその修業内容は殺人的な物になる。
それは梁山泊に入門して数年を経た今でも変わらない。
それ故に、地域住民の方々にとって白浜青年の断末魔の叫びは、最早目覚まし時計と同列となっていた。
とはいえ、それでもやはり殺人的な修行であるからには、時にはこんなこともある。

「いやばだば…どぅ―――!! アパ? どしたよ兼一。何で避けないよ? 避けないととても痛いよ」
「アパチャイ、兼一の口から何かでて…る」
「キャ――――――――!! 兼一さ――――――――――ん!?」
「アパ――――――――――!! 兼一、死んじゃダメよ――――――――!!」
「ったく、またかよ。今週に入って五度目だぞ。
おい、アパチャイ! やり過ぎて壊すんじゃねぇぞ!」
「アパチャイ、いっぱいいっぱいテッカメンしたよ! 海よりも高く、山よりも深くよ!
 でも、どうしても『死んじゃえパンチ』になっちゃうよ!」

伊達に『裏ムエタイ界の死神』とは呼ばれていないと言う事か。
このアパチャイ・ホパチャイという巨人、基本的にテッカメン、もとい「手加減」が大の苦手なのだ。
昔と違い多少は手加減できるようになったとは言え、やはりついつい致死性のパンチが出てしまうのはご愛敬(?)だろう。たぶん、きっと……………おそらく。
だが性質の悪い事に、道場の縁側では何やら不穏な気配を惜しげもなくまき散らした相談がなされている。

「ふむ。剣星、今回はこんな治療法を試してみようと思うのだが?」
「そうねぇ~…でも、とりあえずはこの『死人も走りだす秘伝の漢方』で兼ちゃんを起こしてからね」
【連れてって! 僕をどこかに連れてって――――――――!!】
「良かったのう兼ちゃん、これでまだまだ修業できるぞい」
「ん。じゃ、次は僕の…番。兼一、ちゃんとやらないと、真っ二つになるから気をつけ…ろ」
【いやぁ――――――――――――!!】

哀れである。梁山泊に入門して早三年。
今年晴れて大学一年生になったにもかかわらず、兼一は相変わらず死と隣り合わせの修業の日々を送っていた。



とりあえず今日も無事(?)に朝の修業を生き延びた兼一は、片思いの相手である風林寺美羽の料理に舌鼓をうちつつ、普段は呪ってばかりいる神に生きていることの素晴らしさを感謝していた。
だが、そこで兼一は唐突に己が師の一人、『哲学する柔術家』岬越寺秋雨に問いかける。

「あの、岬越寺師匠。僕、ほんっと~~~~に、いつかは達人になれるんですよね」
「ああ、なるよ、いつかはね。あるいは死ぬか」
「ぐ……未だにそのオマケの一言は消えないんですね」

入門してからずっと言われ続けているその一言に、兼一は改めて顔をひきつらせた。
梁山泊において「武とは上り詰めるものではなく落ちるもの」とされる。兼一は「勇気を持って梁山泊という崖に一歩を踏み出した。後はただひたすら、達人の世界に落ちて行くのみ」であり、「例え途中で死ぬ事はあっても習得しない事はない」のだ。
そんな事は百も承知でも、さすがに「達人になるか、あるいは死か」という究極の選択はたまったものではない。
どっぷり頭まで武の世界に浸った兼一だが、その辺の一般的な感性は相変わらずだった。

「確かに君は強くなった。YOMIとの戦いを生き抜き、今や妙手クラスの中でも大分達人寄りだろう」
「で、ですよね!? 初めて会った頃の田中さんほどではないにしても、そこそこ行ってますよね!」
「だが! それでもやはり達人でないのもまた事実!」

喜ぶ兼一を、秋雨は眼から何やら怪光線を放ちつつ諌める。
『武術とは身に着いてきた頃が最も危険』とは、彼ら梁山泊師匠連が口を酸っぱくして言い聞かせている事だ。
とりわけ、兼一は『最も長く不安定で危険』とされる妙手の階層にいる武術家。
万が一の事にならないよう、師匠達としても可愛い弟子が心配で仕方がないのだろう。
無論、滅多なことで口に出しはしないが。

「まあ、まだまだ何かと危ない時期だ、十分用心して生き延びてくれたまえ」
「ま、そういうこった。闇やYOMIとのゴタゴタは片付いたが、まだ何にも終わっちゃいねぇって事よ」
「そうね。そもそも、相変わらず兼ちゃんのは命を狙われてるわけだし、気を抜いちゃいかんね」
「アパパパ! 兼一、昔の人はこう言ったよ。『ダンゴ、ガマ口を出れば全人類皆殺し』よ」
「だぁ―――――――――!! イマイチ意味がわかりませんが、何の救いもないじゃないですか、それ!?」
「アパチャイや、それを言うなら『男子、門口を出れば千人の敵あり』じゃぞ」
「おじい様、千人ではなく七人ですわ」
「そうじゃったかのう?」
「まあ、兼一君なら千人くらいはいるでしょうし、別にかまわんでしょう」
「どういう意味ですか!?」
「ハァ……結局、敵だらけであることには変わりませんのね……」
「人生、そんなも…の」

『人生なんて所詮戦いじゃん』を地でいく梁山泊の豪傑達にとって、兼一のおかれた状況は笑い話にすらならない。実際、長老こと『無敵超人』風林寺隼人など『昔、若気の至りから500人の達人を半殺しにし、戦って戦って戦いぬいたら気付けばジジイになっていた』などと豪語するとんでもないご老人なのだ。
これでは、兼一の状況が軽んじられてしまうのも無理はない。

とはいえ、当の本人はそれで納得できる筈もなし。
結局はそんな自分の環境に、隅っこでメソメソと悲嘆にくれる兼一だった。

まあ、それも無理からぬこと。
何しろ、やっとYOMIから命を狙われる日々から解放されたかと思えば、その頃には兼一はその筋では有名人。
当然、彼を討ち取って名を挙げんとする者は後を絶たない。
故に、結局彼の戦いの日々は一向に終わる気配がないのだった。

「……もう、いいでせう」
「と、とりあえずそろそろ大学に行きましょうか、兼一さん。時間もアレですし」
「確か、二人とも文学部の人文学科だったかね?」
「あ、はい」

修業や決闘と並行しつつの受験勉強は至難を極めたが、兼一は辛うじて、美羽は余裕で大学に合格していた。
彼女ならもっと上のランクも狙えたのだが、なんだかんだで兼一と一緒に行くことにしたらしい。
兼一がヘタレなせいでいまだに交際しているとは言い難い状態だが、徐々に距離は縮まっているのだ。
とはいえ、この先への進展となると、はてさていつになるやらというのが、周囲の者たちの感想なのだが。
特に、結婚とかの話になると巨大な壁があるわけで……。

「アパ? そういえば、ほのかの入学式はいつだったかよ?」
「今日ですよ」
「? そうだった…け?」
「そういえばそうでしたわね。っというか、どうなさったんですの? しぐれさんもアパチャイさんも」
「アパ~、急ぐよしぐれ! 早くしないと始まっちゃうよ!!」
「う…ん」
「え! しぐれさん! アパチャイさん!」
「ちょ、二人とも家を壊さないでくださいまし!! って、行ってしまいましたわ……」

兼一と美羽の二人が止める間もなく、『剣と兵器の申し子』香坂しぐれとアパチャイの二人は風のような速度で彼方へと消えていく。ついでに、障子やら襖やらを突き破りながら。
それを二人は茫然と、他の面々は呆れ気味に見送った。

「あいつら、場所知ってんのか?」
「いや、多分知らないんじゃないかね?」
「ま、腹が減れば戻ってくるじゃろ」
「ですな。一応聞くが兼一君、ほのかちゃんはどこの高校へ?
 万が一にもたどり着くと、あの二人の場合騒ぎになりかねんし、我々でなんとかしたほうがいいかも知れんが」
「ああ、それは大丈夫じゃないでしょうか。
ちょっと離れたところですし、アパチャイさん達が走って行った方とは真逆ですから」
「ですわね。いくらアパチャイさん達でも、さすがに……」

達人の、とりわけ犬並みかそれ以上の嗅覚を誇るアパチャイであれば、もしかするとほのかの匂いを追ってたどり着くかもしれないと懸念する秋雨に、兼一と美羽はそれはないと首を振る。
とはいえ、外見に反して面倒見の良い兄貴気質である『ケンカ100段』の異名を持つ空手家、逆鬼至緒の心配を消し去るには至らなかった。

「けどよ……相手はあの、アパチャイだぞ」
「でも、逆鬼師匠。いくらアパチャイさんとしぐれさんでも、長時間音速は超えられないでしょ?」
「まあ、そりゃあな。俺でも突きとか蹴りで一瞬超えるのがせいぜいだしよ」
「ええ。で、もうはじまってるんですよ、入学式」
「……なるほど、確かにそれならさすがに心配いらんね。
 ん? どうしたね、逆鬼どん」
「なんでもねぇよ! 暇だから、パチンコ屋にでも行ってくらぁ!」
「こんな早い時間にかね?」
「うっせぇよ! たまには店の前で待とうと思っただけだ!
 別に、アパチャイ達を探しに行くんじゃねぇからな!!」
(((((相変わらず、驚くほど嘘が下手だなぁ【じゃのう・ですわ・ね】)))))
「あんだよ、その眼は!?」

何やら微笑ましいものでも見る目で自分を見つめる複数の視線に、逆鬼は耳を真っ赤にして怒鳴った。
泣く子はさらに泣きそうなほどに厳つい逆鬼だが、こういう時はいっそ可愛らしくすらある。

その視線の意味を逆鬼も理解しているのだろう。
『ちっ』と軽く舌打ちしつつ、そのまま梁山泊を離れる。
そうして大方の予想通り、その体躯からは想像できないとてつもないスピードでアパチャイ達が進んで行った方向へ猛スピードで駆けて行く。

「やれやれ、逆鬼どんもあれで結構苦労性ね。
 で、兼ちゃん。ほのかちゃんはどこの高校に行ったね? 住所とか、女の子の数とか詳しく教えるね。
 これは師父としての命令ね!」

かなりヤバい目で「ハァハァ」と吐息を吐きながら兼一に詰め寄る、『あらゆる中国拳法の達人』こと『エロ師匠』馬剣星。その姿は、はっきり言ってどう見ても危ない人である。
当然、詰め寄られている兼一はドン引きし、傍で見ている美羽もまた視線が急速に冷たくなっていく。
とはいえ、二人に剣星を追い払う事などできる筈もなし(物理的な意味で)。
結局は、いつものように長老が目にも映らぬ早業で剣星の襟首を掴んで兼一から引き剥がした。

「やめんか剣星」
「馬師父……」
「馬さん、最低ですわ……」
「ぢゅ~」

剣星が何を考えていたのか、それはもう手に取るように分かる兼一と美羽は、あからさまな軽蔑の眼を向ける。
それどころか、いつの間にか兼一の肩にいたネズミの闘忠丸にまで首を振って呆れられる始末。
それに対し、剣星は心の底から猛抗議した。

「あ!? なんね、その眼は! さてはおいちゃんがふしだらな事を考えていたと思ってるね!!」
「さてはも何も、あからさまに考えてたんでしょ、師父」
「馬さんがああいう目をしている時は、必ず碌でもない事を考えている時ですわ」
「やれやれ、君も進歩せんな剣星」
「ガ―――――――――――ン!! しょ、ショックね。美羽も秋雨どんも、それどころか兼ちゃんまでおいちゃんの事をそんな目で見てたのかね……!!」
「そんな目も何も、普段の行動の正当な評価じゃろうが」
「いや、全くですな。剣星、君は少し自分自身について思索を巡らせるべきではないかね?」
「何を言うね! おいちゃんはいたってまじめに! いついかなる時も年中無休で! 心から真剣に自分と向き合い、先の事を考えてるね!!」

もうこれでもかと、後ろ暗いことなんて全くありませんて胸を張る剣星。
だが、ここは梁山泊。剣星の理解者には事欠かない。
つまり何が言いたいかというと、誰ひとりとしてその言葉を信じちゃいないのである。

「エロい事を、ですよね、師父」
「ぎくぅ!?」
「そういえば、昔言ってましたわね。『カメラのシャッターを切る時は死ぬほど真剣だ』って」
「うぐ!?」
「師父。僕、性犯罪者の師父は持ちたくないです」
「はぅ!?」
「馬さん、ほどほどにしてくださいまし。どこまで梁山泊と中国拳法の品位を下げるおつもりですの?
 いい加減にしてくださらないと、蓮華ちゃんと大陸の奥様に言いつけますわよ」
「あ! ず、ずるいね美羽! 蓮華とママに言いつけるなんて卑怯ね!!」

などと抗議しつつも、電話を構える美羽を見て一目散に逃げ出す剣星。
この数年で、すっかり美羽も剣星のあしらい方を心得たようだ。
その後、変質者(剣星)が退散した事を入念に確認した上で、再度長老は二人にほのかについて尋ねる。
ちなみに、ほのかとは兼一の妹「白浜ほのか」の事であり、彼女も今年晴れて高校生となったのだ。実に今更だが、注釈を入れるタイミングがなかったのだ!!
まあ、それはともかく……

「で、結局どこの高校に行ったのかの?」
「はい、三つ隣の海鳴市の……」
「私立風芽丘学園ですわ」



BATTLE 1「合縁奇縁」



梁山泊で先の様なやり取りが行われる少々前。
件の『海鳴市』藤見町の住宅街に居を構える『高町家』。
梁山泊と違って「ボロイ」といった印象のない綺麗な白壁の向こうから、鈴を鳴らすような年若い少女が誰かを呼ぶ声が響いていた。

「もう、恭ちゃーん! 早くしないと遅刻しちゃうよ~!!」
「そうだよ、恭也。もう車も出してあるんだから、急いで急いで!」
「む。いや、俺の事は良いから先に行け」

二人の少女に急かされるのは高町家長男の「高町恭也」だ。
もう時間もないと言うのに、その声には不必要なまでの落ち着きと余裕が満ちている。
なんだってまた、彼はこんな切迫した時にこうもゆったりのんびりしているのか。
そう疑問に思ったのは、何もさっきから恭也を急かしている二人だけでなく、恭也の母親も同じだった。

「時間、もうそんなにないんでしょ。何か探し物? よっぽど重要な物じゃないなら、今日は諦めたら?」
「いや、どうせ今日は始業式だけだし…………俺はサボろうかと」
「新学期早々のサボりなんて許さないわよ!!」

同時に、『スパーン!!』と恭也の後頭部を何かがはたく。
振り返った恭也の眼に移ったのは、仁王立ちする母「高町桃子」とその手に握られたスリッパ。
どうやら、関西人の血に素直に従い華麗なツッコミを入れたらしい。

本来、達人…というほどではないにしろ、一般的に見ればとてつもなく高度なレベルの剣術を身につけている恭也に、そんな不意打ちは当たらない。そもそも、背後に立たれる前にその存在に気付くだろう。
もし万が一にも後頭部にツッコミを入れられたりすれば、如何に恭也と言えで驚愕する筈だ。
だが、今の恭也にそんな様子はなく、いたって平然としている。
恐らく、桃子が後ろに立っている事も、スリッパでツッコミを入れようとしている事も、全てわかった上であえて受けたのだろう。
桃子自身、恭也があまりにも簡単に後頭部をはたかせたことから、そのことは承知しているらしく、特に驚いた様子は見せない。

「ほら! くつろいでないで、さっさと荷物を持って車に向かう、良いわね!」
「む…………了解」

有無を言わせぬ迫力を醸し出す母に、恭也も大人しく従う。
本人としては別に始業式くらいサボってもいいと思っているのだが、さすがに「一家の要」には逆らえない。

「あ、やっと出てきた。もう、遅いよ恭ちゃん! 今日は私入学式なんだから、遅刻なんてできないんだよ!」
「だから、俺の事は気にするなと……」
「恭也。折角の美由希の晴れ舞台なんだから、恭也もいなくちゃダメだよ」

玄関から出てきた恭也に向かって、二人の少女が詰め寄る。
『む~っ』と頬を膨らませているのは、眼鏡をかけ三つ編みをした恭也の妹「高町美由希」。
やんわりと恭也をたしなめるのは、二人の幼馴染である英国人「フィアッセ・クリステラ」だ。
そんな二人に対して、恭也はいたってぶっきらぼうに答える。

「いや、そんな大仰なものでもないだろ。たかが入学式で……」
「あ~~!! ちょっとかーさん、恭ちゃんこんなこと言ってるよ!」
「もう! さっきも美由希の制服姿を見て『馬子にも衣装』何て言うし、本当に意地悪なお兄ちゃんね」
「ホントだよ! 恭ちゃんには可愛い妹への愛が足りないよ、愛が!!」
「自画自賛か? 恥じかしげもなく、よくそんな事が言えるな、お前は。
 そもそも、母親に言いつけるなんて、お前は小学生か? なのはでもそんな事はしないぞ」
「だって、恭ちゃんにはフィアッセとかかーさんとか、後なのはとかの言葉の方が効くんだもん」
「余計な御世話だ」

恭也の冷静なツッコミに、美由希はあからさまに不貞腐れる。
どうも、自分が一家の中でぞんざいに扱われている気がしているようだ。
ちなみに「なのは」というのは、高町家の末っ子で小学生の「高町なのは」の事である。
現在はすでに私立小学校に登校済みなので、この場にはいない。

「恭也、美由希。もうホントに時間がないよ。早くしないと」
「あ、うん!」
「やれやれ、慌ただしいな」
「恭也が言う事じゃないでしょうが」

他人事のようにふるまう恭也にツッコミを入れつつ、一同は大急ぎでフィアッセ所有の車に乗り込んでいく。
そうして、模範的な安全運転でありながら、可能な限り大急ぎかつ裏道を利用したショートカットを多用してフィアッセは車を走らせる。
その間、桃子はなのはから教わったビデオの使い方をおさらいし、恭也は居眠り、美由希は落ち着かなそうに身体をユラユラさせながら窓の風景を心配そうに見つめていた。



そうして始業のチャイムが鳴る直前、私立風芽丘学園の校門の前に一台の車が停車した。
降りてきた乗員は開口一番……

「あ~、ギリギリセーフね!」
「あ、危なかった……」
「……………なんとかなるもんだな。てっきり遅刻は確定だと思ったんだが」
「「誰のせいだと思ってるの!!」」
「む…………」

嬉しさを露わにする母と妹に、両サイドから突っ込みを入れられる恭也。
まあ、不謹慎な事を言った当然の報いというべきだろう。

「ダメだよ、恭也。こういう時くらい素直に『よかったね』とか『おめでとう』って言ってあげないと」
「いや、フィアッセ。それだと俺がひねくれ者のように聞こえるんだが」
「ひねくれてるって言うよりは、照れ屋なんだよね、恭也は」
「ふ~んだ、妹の晴れ姿に『馬子にも衣装』何て言う恭ちゃんなんて、ひねくれ者で十分ですよ~だ」
「ホント、一体誰に似たのかしらね?」
「あとで、ちゃんとレンと一緒に褒めてあげなきゃダメだよ。
 恭也の優しさってちょっと分かりにくいし、美由希に愛想尽かされちゃうよ?」

フィアッセなどは呆れ含んだ笑顔で優しく穏やかにたしなめ、美由希や桃子はもう少しばかり険がある。
だが形は違えど、美人三人に寄ってたかって注意されてもなお、どうやら恭也には一向に反省の色はないらしい。
何しろ、ここまで言われて出てくる言葉がこれである。

「わかった、前言は撤回する」
「へぇ……うんうん、恭ちゃんもたまには素直に私をほめるべきなんだよ」
「ああ、すまなかったな。『馬子にも衣装』ではなく、『鬼瓦にも化粧』だ」
「うんうん……って、どっちも意味合い的には同じだからね!!??
 むしろ、響き的にはより一層酷くなってるよ!?」
「はぁ…………本当に素直にじゃないわよねぇ……どこかで教育を間違ったかしら?」
「恭也…………………照れ屋にもほどがあるよ」

怒り心頭の美由希、溜息をついて自分の教育方針に悩む桃子、呆れてものも言えないフィアッセ。
まだ登校してくる生徒もいる中でする様な事ではなくなりつつあるが、誰もそれを気にはしない。
良くも悪くも、この家の住人及び関係者は神経が図太いのだ。
そして恭也は、頬を膨らませて猛抗議する美由希をさらっと無視して、残る二人にコメントする。

「ほっといてくれ。教育とか環境じゃなく、純粋に持って生まれた性格だ」

それがより一層美由希を怒らせる事になるのだが、どこかその仕草は子どもっぽく、どうにも迫力に欠ける。
とそこへ、遠方より何か音が聞こえてくる。

「                  」

距離があり、常人の耳にはその音は届かない。
当然、桃子やフィアッセはその音には気付かず、怒り心頭の美由希も気づかなかった。
だが、恭也だけは当然のようにそれに気付き、半歩身を横にずらす。
そうしているうちに、その音……いや、人の声はだんだんと明瞭になっていく。

「じょ~~~~~、ち~~~こ~~~く~~~~~す~~~る~~~~!!!」

なんとも、「愉快」としか表現のしようのない叫び声だ。
声の主は、坂の上にある風芽丘の校門に向かって、あらんかぎりの力を振り絞って全力疾走してくる。
しかしまだ若干距離があるせいか、それとも特に敵意や殺気の類もない為か、美由希は一向に気付く様子もなく一方的にまくしたてていた。

「大体、恭ちゃんはもっと私の事を大切扱わなきゃいけないんだよ! 
私は見ての通り、か弱い女の子なんだから!」
「お前がか弱いかどうかはともかくとして、独り言はそろそろにした方がいいぞ。
それだと、色々危ない人に見えん事もない」
「ん? まだ私の話は終わってないよ! 謝ったって許さないんだから!」
「別に許してもらわなくてもいいんだが……というか、お前も人の話を聞いちゃいないな」
「恭也が言えるの?」
「さっきから美由希の話、全然聞いてなかったわよね」

傍で二人のやり取りを見ていたフィアッセと桃子は、小声でツッコミを入れる。
だが、そんな年長者二人の諫言に恭也は丁重に聞こえない振りを通す。
しかしそうしているうちに、愉快な声はさらに近づいてきていた。

「諦めたらそこでデッドエンド! 最後まであきらめないのが肝心だって、髭の人も言ってたじょ!」
「こんな事を言わなきゃならないのは、実に情けないんだが……」
「うぅぅぅう~、昨日ドキドキして眠れなかったのが響いたかなぁ?
でも、入学初日から遅刻なんてお兄ちゃんでもやらなかったし、それはいくらなんでも恥ずかし過ぎるじょ!」
「だから、恭ちゃんは何が言いたいの? 今は私が話してるんだよ!」
「いい加減、避けるなり何なりの準備をした方がいいと思うぞ。
どうやら、あちらはブレーキの壊れた暴走列車みたいだしな」

そう。よく見れば、声の主はそれこそ脇目も振らず………どころか、ろくに前だって見ちゃいない。
当然、そんな風に前方不注意の理想的な見本のように走っていれば……

「へ?」
「じょ?」
「きゃああああああぁぁぁああぁぁぁあぁぁぁぁぁあぁぁぁぁっぁぁぁっぁぁぁぁあぁぁぁぁ!!!!!」
「じょおおおおおおおおおぉぉぉぉおぉぉぉぉぉぉぉおっぉおぉぉぉおぉおぉぉおぉぉぉぉぉ!!!!!」

遅かれ早かれ、誰か、ないし何かにぶつかるのは必然だった。
今回人にぶつかったのは、はて不幸だったのか、それとも不幸中の幸いだったのか。
どちらかといえば、まだ不幸中の幸いと言えるだろう。

「ちょ、美由希、大丈夫なの!?」
「美由希、怪我はない?」
「心配するなフィアッセ、この程度で怪我をする様なやわな鍛え方はしちゃいない」
「でも……」
「そもそも、ここまで全く気付かなかったなんて、御神の剣士として落第だ」
「恭也は厳し過ぎだよぁ」
「他の何かだったらそうかもしれないが、これに関しては足りないくらいだ」

とは言いつつも、横目では美由希が怪我をしていないか手早くチェックしていく恭也。
この程度で怪我はしないと分かっていても、万が一を考える事は忘れない。
言葉にこそしないが、恭也は極力美由希が無用な怪我や疲労をしないように細心の注意を払っているのだ。

だが、そんな一抹の心配も杞憂だったようで、美由希は突撃してきた人物を寸での所で抱きとめ、一緒に転びながら上手く受け身を取っていた。
そのおかげもあり、美由希だけでなく突撃してきた人物にも外傷は見られない。

(ま、双方ともに怪我がないなら何よりか。美由希に関しては、後で説教が必要だが)
「あいたたた……び、びっくりしたぁ~……」
「じょ~……ほのか、一生の不覚。こんなことなら、なっつんかアパチャイに送ってもらえば良かったじょ」
「えっと、大丈夫ですか?」
「あ!? ご、ごめんなさい! 怪我してませんか!」
「あ、はい。怪我は…………特に」

腕の中にいる人物の問いに対し、一瞬のうちに全身をチェックして答える美由希。
その言葉に安心したのか、その人物の体から緊張の強張りが消えるのを美由希は感じ取っていた。
本当に、心の底から「ホッ」としたのだろう。

「えっと……………本当にごめんなさい! 急いでて……って言い訳してどうなるじょ、私!」
「あ、いえ。本当に大丈夫ですから、お気になさらず」
「まあ、どっちも怪我はない様だし、フィアッセはもう行った方がいいんじゃないか?」
「そうね。ごめんね、フィアッセ。悪いんだけど店長代理、お願い」
「……………Yes。がんばります」

少し心配そうな様子で迷ったフィアッセだったが、そのまま車に乗り込む。
そうして、開けた窓から顔を出して美由希に声をかける。

「美由希」
「ん? どうしたの、フィアッセ」
「友達、沢山出来るといいね」
「え? あ………うん。そう、だね。もし、本当に、もしも出来たら……その時は、紹介するよ」
「楽しみにしてる。美由希はいい子だから、きっと素敵な友達が、沢山できるよ」
「だと、良いかな……」

フィアッセの言葉に、美由希はどこかさびしげに笑って答える。
過去に色々あった事もあり、どうも美由希は友人関係に臆病なところがあった。
幼馴染であるそんな少女の事を、ずっとフィアッセは心配しているのだ。
無論、それは何も美由希の事だけではない。

「恭也も、たまには勇吾以外の友達も連れてきてよね」
「…………善処する」
「それと、居眠りはほどほどに」
「前向きに…検討してみることもやぶさかではない」
「ホントにもう……じゃ、またね。恭也、美由希」
「あ、うん、ありがとー」
「助かった」

フィアッセは二人の礼に満面の笑顔で応じ、軽いエンジン音と共にその場を後にする。
残ったのは、地べたに座り込む美由希とそれに抱えられた人物、そしてその近くに立つ恭也と桃子だけとなった。
気付けば、いつの間にか登校して来る生徒はいなくなっている。

「で、いつまでそうしているつもりだ、美由希」
「むぅ、手を差し出すくらいしてくれても罰は当たらないのに」
「罰は当たらないが、何かが減る」
「うわぁ、ホントに愛が足りないよ、恭ちゃん」

などと文句を言いつつ、のそのそと美由希は立ち上がる。
必然的に、美由希に抱えられた人物も立ち上がる事となった。
そこでようやく、美由希は自分が抱えている人物の正確な風貌を知る事となる。

(うわ、ちっちゃい……さすがに、レンほどじゃないけど。それでも……)

そう、美由希が抱えていたのは、彼女に比べればだいぶ小さい少女。
下手をすれば、まだ小学生でも通じてしまうかもしれないほどに小柄なのだ。
その顔だちも幼さが残る……というよりも、実際問題としてだいぶ幼い印象を受ける。
当然、抱きかかえている間に分かった事だが、身体の凹凸もあまりない。

しかし、別にそんなことに驚いたわけではない。
いや、確かにそれらの事も含めて驚いてはいたのだが……。
正確には、それらの外見的情報と彼女の来てい服装のチグハグさに驚いたのだ。

「えっと、そのリボンの色、もしかして……」
「じょ? そういえば、あなたも同じ色だじょ」

そう、風芽丘は学年ごとにリボンやネクタイの色が決まっている。
故にそれが意味する事は、二人は同じ風芽丘の新入生という事だ。

(うわぁ、こんなにちっちゃいのに私と同い年なんだぁ……飛び級とかじゃないよね?)
(む、あの眼は『こんなにちっちゃいのに』とか思ってる眼だじょ。ほのかにはわかるじょ)

密かに自分のルックスや身長、あるいはプロポーションやら童顔やらがコンプレックスのほのかは敏感に美由希の思考を察知する。兄に似て、眼から相手の心でも読めるのだろうか?
とそこで、ちょうどちょうどいい(?)タイミングで予鈴が鳴り響いた。

「って、もうこんな時間!?」
「ヤバいじょ! 早くしないと……」
「「遅刻だぁ~~~~~!!!」

二人揃って、ムンクの叫びの様に頬に手を当てて絶叫する。
だが、そんな事をしている暇があればまず動く事が先決だ。

「いいから、さっさと行け。もしかしたら、まだ間に合うかもしれん。君もな」
「あ、うん! ごめんかーさん、先に行ってるね」
「いいから、早く行きなさいって! あなたも、今度はぶつからないようにね」
「は、はい!」
「えっと…………」
「自己紹介は後にするじょ!」
「そ、そうだね、急ごう!」
「合点だ!」

そんなやり取りをしつつ、二人は大急ぎで校舎へと駆けて行く。
校門に残ったのは、やや取り残された感のある桃子と恭也だけとなった。
そこで、あまりにも慌ただしい妹に対し、思わず恭也の口からため息が漏れる。

「やれやれ、もう少し落ち着いていられないのか、アイツは?」
「そうねぇ…………って、恭也も急ぐ! アンタも遅刻でしょうが!」
「もう手遅れだよ、急いでも変わらない」
「四の五の言ってないで急ぎなさい! 手遅れだとしても、一分と五分じゃ大違いなんだから!」

尻を蹴飛ばされるようにしながら、恭也は校舎へと向けてそれなりに急いで走りだす。
その途中、「落ち着きがないのは俺も同じか」などと自嘲しながら。

後に考えれば、この出会いこそが「御神の剣士」と「史上最強の弟子」、ひいては「梁山泊」や「新白連合」との間に、奇妙な縁が結ばれた瞬間だったのだろう。



あとがき

というわけで、ちっとばかし成長したほのか嬢に美由希と同じ学校の学年として在籍してもらう事にしました。
出会い方は……まあ、一応お約束、なのかな?
ぶつかる相手を間違ってる気もしますが、ほのかにはなっつんがいますしね(笑)。

一応双方がかかわりを持つ部分にはいくつか案があり、裏社会科見学関係だったり、今は亡き高町士郎が梁山泊の面々と知り合いだったり、ほのかは中学生のまま海中に入学した事にして、そこでレンや晶と出会うと言うのも考えなかったわけじゃないんですよ。
ただ、裏社会科見学だとどうにも話が短くなりそうですし、日常パートがあんまり、ね?
士郎が梁山泊と知り合いというのはあまり無理がない方だったのですが、こっちの方がやりやすいし、おもしろそうだったんですよ。
海中に入学というのも、一般中流家庭っぽい白浜家が中学の段階で私立校に入れると言うのも若干違和感があり、入れるにしてもあまり遠くには通わせないでしょう。となるとかなりの近場になるのですが、それだと恭也達が兼一やラグナレクの事を全く知らないと言うわけにもいきませんし、後々の展開が苦しそうなので却下しました。
やはり、一番融通がききそうなのが、少し離れた高校に通う事になったというパターンなんですよね。
ある程度離れていればラグナレクの事は知らないでしょうし、高町家は士郎が死んでからは武術界とのつながりが薄くなってもおかしくありませんから、兼一の存在を知らなくても不思議はありせん、たぶん。
私的には、この設定が一番書きやすそうだったわけですね。



[24054] BATTLE 2「剣士の葛藤」
Name: やみなべ◆d3754cce ID:1963cf14
Date: 2010/11/15 00:10

朝から衝突事故を起こしながらも、なんとかギリギリで入学式が始まる前に教室に駆け込むことに成功したほのかと美由希の二人。
どうやら、奇しくも二人は同じ1年A組らしい。
だが、互いに自己紹介はおろか、挨拶する間もなく二人は深く深く頭を垂れて平謝りしている

無理もない。何しろ、すでに教師は教室に入っていたのだ。
担任が新入生たちに祝いの言葉やらなんやらをかけている教室に、駆け込み乗車よろしく乱入してきたりすれば、それは怒られて当然というものだろう。
せめて、静かに粛々と反省の色を露わに入っていればまた違ったかもしれないが、全ては後の祭りである。

(はぅ……入学早々赤っ恥を晒しちゃったよぉ~……)
(じょ~、わざわざお兄ちゃんの部屋からガメた「大学館シリーズ 高校でモテモテになる方法」が見事なまでに無駄になったじょ。ゴメン、お兄ちゃん。あの本と一緒に見つけた一万円は、ほのかが有り難く頂戴しました)

二人は入学早々に犯した大失態に内心、穴を掘ってそこに埋まりたい気分だった。
とりあえず、ほのかはその怪しげなハウツー本を即座に捨て、一万円を兄に返すべきだろう。

まあ、それはともかく。
実際、クラスのそこかしこから、二人に対する密やかな笑いの声が聞こえてくる。
これをきっかけに、いつの間にか「風芽丘の凸凹コンビ」なる有り難い呼称を二人は賜り、大抵二人でセット扱いされるようになるのだった。

別段、ほのかはともかく美由希は特別背が高いわけではない。
だが、如何せんほのかの背が低すぎる為、二人並ぶとその凸凹ぶりが目立ってしまう。
まあ、どこかで波長というか反りというか、そういうのが逢ったからこそ、しょっちゅう二人一緒にいるようになったのが最たる理由なのだが。
無論、この時の二人はそんな事を知る由もない。

(うぬぬ…せめてお父さんに車を出してもらうべきだったかもしれないじょ…)

後悔先に立たずとはよく言った物で、ほのかは今朝家を出る前の事を思い出して嘆息する。
こんなことならば、母に無理を言ってでも父を解き放つべきだったと心底思うほのかだった。


それは、白浜家では割とよくある日常風景。
朝からゴルゴ眉が特徴的なダンディな中年男性である父と、その娘くらいに見える外見年齢の女性である母が、何やら口論していると言う極々見慣れた風景。

それだけなら大したことはないのだが、そこには一つ大問題があった。
いや、この家では対して珍しくもないのだが、それでもだ。
そう、本来なら出張して家を空けていた筈の父が、なぜか家に帰ってきていたのだから。

「あ、あなた!? 出張はどうしたの! 一週間はアフリカから帰れなかった筈じゃ!
 確かに、薬を盛って何某さんに預けた筈なのに……」
「ハハハ、何を言っているのかね、母さん。そんな物、当の昔に終わらせてきたともさ」
「もしもし、何某さんですか?」
「あ、母さん、何をするつもりだ!」

突如国際電話をかける母と、それをなんとか止めようとする父。
ほのかや兼一などからすれば、「またやってるぅ」「今日も仲いいなぁ」位にしか思わないくらいいつもの光景だ。
ただし、もし会話の内容を一般人が聞けば決してそんな二人に共感する事はないだろうが。

「商談の方は…いえ、白浜は…………ああ、やっぱり。あ~な~た~!」
「ちっ! 何某の奴、一度ならず二度までも……こうなれば、平壌に左遷してくれる!」
「あなた、また大事な商談をすっぽかしてきたそうね……」

ゴゴゴというような擬音が聞こえてきそうなほどの怒りのオーラを放ちつつ、白浜家の母「さおり」が詰問する。
しかし、そんなものどこ吹く風といった様子で父「元次」は一向に気にした素振りを見せない

「全く何を言っているんだ、母さん。会社など、所詮家族のためにやむなく忠誠を誓っているにすぎんよ。
 入学式といえば、家族の一大事。これより優先される事など、この世には存在せん!!」
「いいから、今すぐにアフリカに戻ってください! ここはあなたのいる所じゃありません!
 ほのかの入学式は、私がちゃんと使い捨てカメラから一眼レフ、八ミリビデオからデジタルまで、あらゆる機材を使って記録しますから、それでいいでしょう!?」
「ええい、止めるな母さん! 所詮記録は記録、ライブには到底及ばんとなぜわからん!
 折角のほのかの晴れ舞台、父として、一家の大黒柱として、私は何としても列席しなければならんのだぁ!!」

家族愛の権化のような、というかまさしく権化であるが故に暴走する父。それを何とか取り押さえようとする母。
だがそこへ、黒服の男たちが乱暴に玄関を開けはなって現れた。

「む! な、何だお前達は!? 我が家に土足で踏み行って、ただで済むと思うなよ!
 いでよ、マクシミリア――――――ン!! ア―――――ンド、ル――――――――ドビッヒィ!!」

と、懐から二丁の猟銃を取りだし構える父。
かつて「剣と兵器の申し子」香坂しぐれをして「できる」と言わしめるほどの腕を元次は持っているのである。
ちなみに、土足などと言っているが、入ってきた黒服達はちゃんと靴を脱いでいるのであしからず。

「いい加減にしなさい!!!」
「ごぶっ!?」

どこからか取り出した重厚な土鍋で以て、夫の頭を殴る妻。
結果、土鍋は粉砕し、元次もまた地に沈んだ。念のために言うが、人間の頭蓋は土鍋より薄い事を明記する。

まあ、それはともかく。
意識を失い後頭部に巨大なたんこぶを作った夫を、さおりは二人羽織の要領で操る。
そうして、押し入ってきた黒服達に力を失った夫の体を引き渡す。

「夫がご迷惑をおかけしました」
「いえ、ご協力に感謝します。総員に通達、部長を確保した。
 これより、チャーターした超音速機を以て、アフリカに移送する。各自持ち場につけ!」
『了解!』
「本当に、重ね重ね申し訳ありません」
「いえ、此度の商談は社運をかけた一大プロジェクト。部長の力なしには成り立ちません。
 その部長を確保していただいたのです、心から感謝しておりますとも。
ですが、残念ながら時間がありませんので、改めてお礼に伺います。それでは!!」

妙にキビキビした動きで元次を連行する黒服達。
さおりやほのかは知らないが、この中には国家認定を受けた忍者が数名いたとかいないとか。
この会社は、どれだけ元次の事を買っているのやら。


などといった朝の慌ただしい風景を思い出しつつ、入学式の会場に移動するまでの間、ほのかと美由希はこれから一年を共にする級友たちの前で、こってりと絞られることになるのだった。



BATTLE 2「剣士の葛藤」



とりあえずは入学式もつつがなく終わり、クラスごとのホームルームも終わった頃。
ようやくほのかと美由希は、互いに自己紹介をする事が出来た。

「えっと……ホームルームで一応自己紹介はしたから今さらかもしれないけど、高町美由希です。よろしく」
「うぅ、朝は大変失礼しました。白浜ほのかです」
「あ、あはは…き、気にしないで、お互い怪我がなかったんだし……」

明らかに意気消沈しているほのかを、なんとか元気づけようと美由希は笑いかける。
互いに兄を、それも武に生きる兄を持つ者同士のシンパシーなのか、二人の間には早々に和やかな雰囲気が醸し出されていた。

そうして二・三言葉を交わすうちに、段々と他人行儀さもなくなっていく。
何しろ、元々馴れ馴れしさには定評のある白浜家の娘である。
人間不信だった谷本夏と無理矢理親しくなったほのかが、いつまでも大人しくしている方がおかしい。
当然、やがてほのかの方も口調にそれまであった遠慮がなくなっていった。

「ほおほお、みゆきちは本が好きなんだぁ。どんな本読むの?」
「う~ん、特にこれっていう縛りはないかな。でも強いて言うなら、歴史小説とかが多いけど。ほのかは?」
「あはは、私はもっぱら漫画だじょ」
「いいねぇ、私も漫画はよく読むよ。草薙まゆこ先生なんて好きかなぁ」
「お、ほのかもあの人のは全部持ってるじょ」

いつの間にやらほのかは美由希を愛称で、美由希もほのかを呼び捨てで呼ぶようになっている。
それだけ、馬があったのだろう。

ほのかにしても、兄である兼一が子どもの頃はひたすら本を読んでいた事もあり、本が身近にあるのが当たり前になっている。ほのか自身は割とアウトドア派ではあるが、たまには兼一から本を借りたりもしていた。
おかげで、美由希の趣味にもそれなりに話があわせられている。

「あとは、そうだなぁ……園芸とかも好きだよ。家に花壇があってね、よく世話してるんだ」
(ますますお兄ちゃんと話が合いそうだじょ)

美由希と話をしつつ、ほのかはそんな事を思う。
読書と園芸が趣味、それはもろに彼女の兄である兼一と同じなのだ。
ついでに言えば、ほのかは知らない事だが二人とも武に生きる者同士。
兼一と美由希、この二人は意外と似たような部分が多いのだ。
それも、ほのかが美由希に対して通常以上に親しみを覚える理由かもしれない。
とそこで、美由希は廊下の先に見知った人影を発見する。

「あ、恭ちゃん」
「……ああ、美由希か」

美由希が声をかけると、人影は振り向き美由希の姿を見て頷く。
互いにゆっくりと歩み寄りながら、ほのかはこっそりと美由希に問いかける。

「? みゆきち、この人は誰だじょ?」
「ああ、えっと……私の兄の」
「美由希の兄の恭也だ。そういう君は、確か今朝の」
「ぁっ……」

自己紹介を続けるうちに、ようやくほのかも恭也の事を思い出す。
朝の事はあわてていて実は細部は憶えていなかったのだが、少しくらいは印象に残っていたらしい。
とはいえ、さすがにそれを表に出すのはバツが悪いのか、ほのかは曖昧に笑ってごまかしている。

「あ、あははは、今朝はどうも……」
「「?」」

しかし、ほのかがなんで笑っているのかよくわからない二人は、互いに内心で首をかしげる。
そこで、ふっと思いついたように美由希は恭也に問う。

「あ、でも学校で『恭ちゃん』は不味いかな?」
「まあ、やや恥ずかしい気もするな」
「う~…じゃあ、やめよっか? 何て呼ぼう、お兄ちゃん? それとも、高町先輩?」
「……どうもしっくりこないな。美由希がお兄ちゃんなんて呼んでいたのは、小学校低学年までだし」
「うん、私もちょっと恥ずかしいかな? 名字で呼ぶのも、ねぇ?」

同じ姓の兄を名字で呼ぶのも、確かにおかしな気分なのだろう。
では、どう呼ぶのがいいのかと二人は考える。
と、ちょっと二人のやり取りに思うところがあったほのかが口を挟む。

「あ~…もしかして、この年で『お兄ちゃん』とかって呼ぶのって、割と恥ずかしい?」
「え? どうだろう。私はもう何年も呼んでないからちょっと気恥ずかしいけど……」
「俺に話を振るな。世間一般がどうかは知らないが、別に好きに呼べばいいんじゃないか?」

恭也の意見をうかがう様に、その顔を覗き込む美由希。
それに対し恭也は、いたって無愛想かつ朴訥に答えた。
それを美由希は、「まあ、それもそうか」と納得して恭也への問いかけを切り上げる。
そうしてそのまま、新たに降って湧いた疑問をほのかに投げかけた。

「でも、なんでそんなこと聞くの?」
「え? ああ、実はほのかにもお兄ちゃんがいるんだじょ。それでその呼び方が」
「お兄ちゃん、なわけか。でも、実際どうなんだろう?」
「みゆきちはなんで呼び方を変えたんだじょ?」
「え、私? 私は……」

美由希が恭也の呼び方を変えたのは、彼女が家伝の剣術を学び始めた頃だ。
正直、それはあまり一般的なきっかけとは言い難い、と美由希などは思う。
自分とその『剣』が普通ではない、という事を強く意識しているからこそ、強くそう思うのだ。

同時に、美由希にはまだ新しく得たこの小さな友人に全てを打ち明ける事は出来なかった。
身長や幼さを除けば、どこからどう見ても普通人のほのかに、御神流について話す事はためらわれる。
昔、幼い時に状況などは違えどもそれで深く傷ついた経験のある美由希にとっては尚更だ。
故に美由希は、その点をごまかすために珍しく嘘をつく。

「えっと、何だったかな? もう昔の事で、忘れちゃった」
「……………………そう」

正直、あまりうまい嘘とはいえない。
ほのかもそんな美由希の様子には気付いているのだろうが、あえて深くは追求しなかった。
親しき仲にも礼儀あり、というよりは、さすがにいくらなんでもこれを問いただすのは不躾過ぎると思ったのだろう。
図々しさには定評のあるほのかでも、さすがに時と場合、そして相手を選ぶくらいの事はするようになっていた。
そうして二人は、話題を変えつつ再度話に花を咲かせる。

「そういえば、ほのかのお兄さんってどんな人なの?」
「ん~、みゆきちと同じで読書と園芸が趣味だじょ」
「へぇ、そうなんだ。男の人でそれって、結構珍しい……のかな?」
「だから、なんでそこで俺を見る」
「いや、恭ちゃんも一応盆栽いじりが趣味なわけだし、その人とも話が合うかなって……」
「盆栽と園芸は似ていないでもないが、違うだろ。こっちはそっちほど華やかじゃない」
「植物を育てる、っていう意味では同じだけどね。まあ、恭ちゃんを『一般』の括りで考えちゃダメか」
「ノーコメントだ」

そのほのかの兄にしたところで、あまり『一般』という括りには入らなくなっているのだが、そんな事を美由希と恭也が知る筈もない。
とりあえず、美由希はぶっきらぼうな兄を放っておいてほのかとのおしゃべりを楽しもうと口を開きかける。
だがその直前、階段から降りてきた刀袋を担いだ青年から声がかかった。

「お、美由希ちゃん。久しぶり」
「あ、こんにちは!」
「?」
「あ、こちら恭ちゃんの友達の赤星勇吾さん」

再度疑問の表情を浮かべたほのかに、それを察した美由希が勇吾を紹介する。
そうして、その流れのまま勇吾にほのかの事を紹介するべく、美由希は半歩身を引きほのかを前に出す。

「で、こっちが私の同級生の」
「白浜ほのかです。はじめまして」

ぺこり、とほのかは普段の口癖や馴れ馴れしい態度を隠してお辞儀した。
それに対し、勇吾も朗らかに挨拶と祝いの言葉を口にする。
好青年、という言葉が額縁付きで擬人化したなら、ちょうどこんな感じだろうという笑顔と共に。

「ああ、よろしく。それと、入学おめでとう。二人とも、制服かわいいね」
「「あ、ありがとうございます」」
(……何を社交辞令に頬を染めているんだか……)

知り合って間もないほのかの手前、あえて口には出さないが呆れてため息を突く恭也。
勇吾は恭也とベクトルこそ違うが、やはり長身の男前だ。
それなりに美男子に耐性のある二人でも、ここまでどストレートに褒められれば赤くなるのも無理はない。
とそこで、恭也は再度勇吾の手の中にある物を見て確認するように問う。

「……今年も、演武するんだな?」
「ああ、うちの伝統だからな」

風芽丘剣道部は、毎年新入生勧誘で(刃が付いていない模造刀とはいえ)実剣を用いた演武を行うのが伝統だ。
割と珍しい伝統ではあるが、同時に実剣を振り回せるだけの腕の部員がいることも示している。
実際、県内でも有数の強豪である部員達の演武は、なかなかに華麗で見応えがあると評判なのだ。
無論、それはあくまでも表の、それも一般的な範囲の中での話だが。

だが、剣士のはしくれである美由希などからすれば、やはり興味はあるらしい。
そう、近くに武とは無縁そう(だと思っている)なほのかがいる事もつい忘れてしまうくらいには。

「わ、見たいです」
「ああ、是非見て行って。高町や美由希ちゃん、それにほのかちゃんにはちと退屈かもしれないが」
「退屈なんて、そんな……あ、でも……」

『さすがに、ほのかは面白くないよね』と内心で呟く美由希。
勇吾も高町家との付き合いはそれなりであり、美由希が友人作りに臆病な事、彼らの学ぶ剣が一般的なそれとは別種のものである事は承知している。
だからこそ、少し気を使ってこういった言い方をしたのだ。
これなら、美由希が武門の娘である事をごまかしやすくなるだろう。
まあ、それらの配慮や心配も、結局は徒労でしかないのだが……。
その事を彼らが知るのは、もうしばらく後の事。

「あー! 美由希ちゃーん!」
「おーかーえーり―――――――♪」
「あー! レン、晶―――――――!」

そこで、勇吾のさらに背後から二人の少女の声が届く。
声の主に心当たりのある美由希は喜色満面で、心当たりのないほのかはまたも不思議そうな顔で勇吾の後ろを覗き込む。
そこには、二人とはまた別種の制服、さらに色違いのそれをまとった二人の少女が駆けてきていた。

青いスカートと上着に青いラインの入った制服を着るボーイッシュ、というよりも男の子のような風貌の少女が高町家の次女的立場にいる『城島晶』。
同様の制服でありながら、緑のスカートと上着に緑のラインの入った制服を着る小柄さではほのかといい勝負な少女が高町家初代居候の『鳳蓮飛(フォウ・レンフェイ)』こと、愛称『レン』である。
両者ともに、日頃から一つ屋根の下、美由希と義姉妹のように暮らしている少女たちだ。
ただし、美由希との仲はともかく、レンと晶の仲は『犬猿の仲』ならぬ『サルとカメの仲』なのだが。

とりあえず、あまりほのかを放ったらかしにしてもおけないので、美由希は手早く二人の事を紹介する。
同時に、恭也はほのかからは見えないよう二人にサインを送る。

(レン、晶。悪いんだが……)
(わかってます。とりあえず、ほのかさんの前ではそっち関係の話はなしっちゅうことで)
(大丈夫ですって、ポロっと口走ったりなんてしませんから安心してくださいよ、師匠)
(アホか、そうやって『お師匠』とか呼ぶのもあかんちゅうとんねん。所詮おサルはおサルやな)
「あんだと、このカメ!」
「やるか、おサル!」
「あー、入学早々ケンカしないのー」

小声でやり取りをしていた筈が、いつの間にか怒鳴り合いに発展する二人。
まあ、いたっていつもの事なので、美由希も呆れ半分で仲裁に入る。
こういう時、末っ子である意味二人の天敵である『高町なのは』がいると、簡単に場を収められるのだが……。
まあ、いない者はいないのだから仕方がない。

「仲いいじょ~」
「「どこが!?」」
「そういうところがだじょ」
「あ、あははは……ほのか、結構肝が据わってるね」

いがみ合う二人を、ほのかはそれはもう微笑ましい物を見るような眼で見ている。
美由希は肝が据わっていると言うが、ほのかはもっと修羅場な状況に身を置いた事があったりするのだ。
具体的には、梁山泊の豪傑達相手に「誰が一番強いの?」と聞いた時など。
実際問題として、無知とはいえあの面々にそんな事が聞けるだけでもある意味豪傑と言えよう。

「あ、そうそう。恭ちゃん」
「? どうかしたか?」
「あのね、かーさんが今日のお昼は良かったらお店に食べにおいでって」
「ああ、そうなのか?」
「うん! みんなに伝えてって」
「みゆきちのお家はお店をやってるの?」
「あ、うん。商店街で『喫茶翠屋』っていうのをやってるんだけど……」
「じょ!? ほのか、受験の帰りにちょっと寄ったじょ! シュークリームが最高だったじょ!」
「あ、来てくれてたんだ。そうなんだよ、シュークリームはかーさん自慢の一品なんだ♪」

新たに得た友人が家業の事を知ってくれているという事実に、思わず美由希のテンションも上がる。
美由希にとっても、母「桃子」とその店である「翠屋」は自慢のひとつなのだ。
こうして友人からも好評だと、美由希としても我がことのようにうれしくなる。

「そうだな…………良ければ、君も来るか?」
「じょ? いいんですか?」
「構わない。かーさんも美由希の友達って聞けば大喜びだろう」
「むぅ~、とっても残念なのですが、今日は先約がありまして……」
「そっか………それじゃ、仕方ないよね」
「ごめんね。また機会があったら誘ってくれると嬉しいじょ」
「うん、じゃあかーさん達に紹介するのは、その時って事で」

そうして、今日の所は高町家一同とほのかはわかれる事となった。
数日後、翠屋にて盛大な入学祝を兼ねたほのかの歓迎パーティが開かれるのだが、それはまた別のお話。



  *  *  *  *  *



その夜の高町家。
日付はすでに変わり、キッチンには恭也と美由希の二人の姿しかない。
他の家人達は、すでに布団の中で夢の世界の住人となっている。

ただしこの二人だけは、ついさっき爆睡から目覚めてきたところ。
昼夜問わず行われた鍛錬と、11日間の山籠りにより疲れ切った身体は休息と睡眠を求め、夕食もとらずにこの時間まで眠り続けていたのだ。

「恭ちゃんも、爆睡してた?」
「気が付いたら寝てた」
「えへへ、私も気が付いたらベッドの中だった」

それだけ、この11日間に二人が積みあげた鍛錬は濃厚かつ過酷だったのだろう。
常人とは比べ物にならない体力を誇るこの二人が、それだけの疲れ切っていた事実が如実に物語っている。
何しろ食料は持参して行ったので、日々の糧を確保する分の時間を鍛錬にあてたのだ。
それは鍛錬の密度も高くなると言う物。

ましてや、二人が学び研ぎ澄ますのは通常の剣道とは異なる「剣術」。
それも、かなり血生臭い歴史を持つ「御神流」だ。
正式名称は「永全不動八門一派・御神真刀流、小太刀二刀術」という古流武術である。

おおよそ、武術において『古流』とか『古式』などと付く物は、その多くが殺人術としての面を持つ。
古流柔術然り、古式ムエタイ然り、だ。
何しろそれらは、戦乱の時代に開発された戦場での戦闘術なのだから。
太平の時代には滅多に人を殺すわけにもいかない以上、多くの流派が殺人術としての角を削られていく。
敵を殺すことを恥とした柔術や、殺人拳から一国の国技にまで昇華したムエタイがそうであるように。

しかし、御神流はその角を残したまま現代まで連綿と伝承されてきた流派だ。
必然、その技術も在り方も、鍛錬の質までも含んで一般的な武道とは毛色が違いすぎる。

まあ、もし梁山泊の長老がこの場にいれば「食糧を確保する事も含めての山籠りじゃ。自分の食い扶持くらいは自分でなんとかせんとの、武人以前に動物として」などと言われてしまいかねないが。
また、秋雨辺りが彼らの鍛錬メニューを作っていたら、この状態でさらに修業させていた可能性も無きにしも非ずといったところだろう。
なにぶん、無茶をするのが大好きな御仁が梁山泊にはそろい踏みなだけに。

だが、そんな無謀な事をさせたがる達人たちに寄ってたかって鍛えられている凡人がいるなどとは、二人は知る由もないわけで。
とりあえず、何気なく発見した冷蔵庫に貼られているメモに目を通す。

「『今日の晩御飯は鴨麺と、筍ご飯でした。とっといてあるので、食べてくださいね……蓮飛……』か。
 さて、レンに感謝しつつ、有り難く頂戴するとしよう」
「あー、久しぶりのレンの晩ご飯だ……。あっためて食べよっか」
「ああ」

そうして、二人はそれぞれご飯と麺を温め、久しぶりのちゃんとした夕食に舌鼓を打つ。
よほど空腹だったのか、それだけ山籠りの間に食べてたものがつたなかったのか。
いつにもまして凄い勢いで平らげる二人だった。
それこそ、四人前の食事をものの二十分で完食してしまうほどに。

そうして食事を終えた後、美由希は縁側に腰を下ろし恭也は庭に出て空を見上げる。
そのままお互いに、この11日間の事を振り返っていた。
山籠りの余韻からか、どうにも眠気がやってこないらしい。

「血が騒いでるのかな? 11日間、ほとんどずっと打ち合ってたもんね」
「かもしれないな」

美由希の問いに、恭也は素っ気なく返す。
だがその内心では、この山籠りの間の美由希の成長などについて色々と思考を巡らしている。
しかしそこでふっと、恭也は美由希に別の話を振った。

「美由希」
「ん、なに恭ちゃん?」
「どうするつもりなんだ?」
「ん…………どうしたら、いいと思う?」
「それは、俺が答えを出すべき事じゃない」
「それは、そうなんだけど……」

主語を抜いた会話は、余人には何の話かわからないだろう。
だが、二人にはそれで充分だった。

「でも、まだどうしたらいいかなんて決められないよ。だって、今日知り合ったばかりだもん」
「確かにな。だが……」
「うん。いつかは答えを出さなきゃいけない、っていうのはわかってる。
 信じたいとは思うけど、怖いっていうのもあるよ。昔みたいな事になるんじゃないか……って」

それは、今日出会った小さな友人へのスタンスの事。
自分が学び、自分達が進む生き方の事を話すのか否か。
正直、あまり一般的に理解を示されるような生き方ではない事を、美由希も承知している。
無理に話す必要もなく、別段隠していても不都合のある様な類のものでもない事も。
だがそれでも……

「できれば……知ってもらって、理解してもらうとまではいかなくても、受け止めてもらえたらなって思う。
 誰かに理解を求める類の物じゃないってことは、もうずっと前に分かってるし、覚悟もできてる。
 誰にもわかってもらえなくても、自分に誇り高くあればそれでいい。
 でもね、やっぱり『共有できたらな』って思っちゃうんだ。気持ちとか、そういうのを」
「別に、それを否定するつもりはない。
確かに御神の剣は人に見せるものじゃない。『見せるな』とも教えてきた。
だがそれは、『何があろうと見せてはいけない』って事を意味しているわけでもない」
「うん。実際、フィアッセとかレンとか晶とか、家族以外では勇吾さんにも見せてるしね」

もうずいぶん昔の話だが、美由希は一度友人の前で御神の技を見せた事がある。
子どもの頃の話、子どもであるが故に残酷であった頃の話。
きっかけは、本当に極有り触れた小さな子どものちょっとした自慢話とか見栄とかが発端だったのだろう。
当時の美由希の友人で、子どもとしてはそれなりに剣道の強かった子どもが、美由希も剣を握っていると知って勝負してみた、ただそれだけの事。だが、普通の子どもが扱う剣道で、並みの子どものそれを遥かに凌駕する鍛錬をしている美由希の扱う剣術が負ける筈もなく。それどころか、触れることさえできなかったのだろう。

子どもは自分のプライドに正直で、残酷な生き物だ。
自分の敗北と未熟を認めるより、異端の剣をなじる方が簡単だから、そうしただけの話。

別に、その子どもが特別悪いと言う事ではない。
それは子どもとしては当たり前で、叱られはしても責められる類の事ではない。
年を取れば、自然と無くなっていく幼い間だけの短慮だ。

しかしそれでも、同じく幼い子どもの心につける傷の大きさは計り知れない。
その短慮に耐えるには幼く、割り切るには純粋すぎた頃に負った傷は、今も美由希に影を落とす。
その一件以来、恭也は美由希の友達を見かける事がなくなった。
中学に入ってからもそれは後を引き、美由希は進んで友達を作ろうとはしなかったらしい。

(その意味で言えば、今日の事は驚いたし………少しばかり、嬉しくもあったか)

あの、友人関係に臆病だった美由希が、出会い方が少々特殊だった事も手伝ったのかもしれないが、出会ってすぐの人物と友人関係を築けた事を、恭也は表に出しこそしないが喜んでいる。
それは他の家族も同様で、桃子やフィアッセなど何かの祝い事のように喜んでいた。
それこそ『早く会わせろ』『どんな子なのか』と、美由希がタジタジになるくらい詰め寄るほどに。

「あの子は、少ししか話していなくても、いい子だと思う。
 お前と違って、だいぶ押しの強そうな子だが……」
「そうだね、確かに押しは強かったかな。話し始めた時も、戸惑うくらいにごり押しだったし」

その時の事を思い出したのか、美由希の顔には困ったような笑みがある。
しかしそれは声音通り嬉しそうで、負の感情の欠片もない純粋な好意で満ちていた。

「昔の事は、やっぱり昔の事だしね。
あの頃は年、というか時期が悪かったと思う。もっと後、五・六年後とかだったら違ったかもしれない」
「だな。それに向こうも、そういった事を理解できない年じゃない。そもそも、彼女は武とは無縁だろう?」
「うん。見る限り、そういう『匂い』はしなかったかな」

美由希の不運は、年齢もそうだったし、相手がまがりなりにも剣道をしていた事だ。
もし、もっと成長してからだったら。もし、相手が全くの武の素人だったら。
きっと、あんな事にはならなかっただろう。

そして、この年としては優れた剣士であり、才気に恵まれた二人にはそういった匂いがなんとなくわかる。
百発百中とは言い難いが、相手の才や錬度を見抜く力は未熟ながらに備わっているのだ。
それこそ、よほどそういった物を隠すことに長けた武術家や、そういった物を纏わない特異な武術家でもない限り、ある程度の範囲で相手の事を把握できる。実際、レンや晶にはそういった匂いがしているのだから。
その感覚から、ほのかが武の素人である事を二人は確信している。

「活人剣と殺人刀の話は昔したな」
「うん。人を生かし守る『活人剣』と、敵を殺す事を追及する『殺人刀』…だよね」
「ああ。御神の、特に不破の本質は殺人刀だ。剣道とは違う、俺達の技は単に……殺人のための技術だ」

そう、二本の小太刀をメインの武器とし、さらに飛針、鋼糸などの暗器を駆使するその技術は、まさしく殺人の為に研ぎ澄まされた物。
同時に御神や不破の歴史もまた、墨やインクの代わりに血で書き記されていると言ってもいい。
何しろ、不破は政治家や重要人物の暗殺、不穏組織の末端構成員に至るまでの殲滅といった裏の仕事を受け持ってきたし、御神はそれに比べれば幾分穏やかだが、やはり殺しは良くある仕事の一つだった。
しかし、それでもなお……

「だが、その精神は完全な殺人刀とも違う。
例えこの手を血に染めても、それでもなお大切な人を守るための『情』の剣。
殺人刀の『非情』とも相容れない。それが、血塗られた歴史を持つ御神の剣士の…………誇りだ」
「矛盾………してるよね」
「かもしれない。殺人の為の技術で人を殺し、それで人を守る。詭弁と言われても仕方がない」
「でも、『それで守れるなら構わない。その誹り、甘んじて受け入れよう』っていうのが、御神の剣士の気概……だよね」
「…………」

美由希の問いに、恭也は無言で頷く。
殺人の為の技術を学び、いつかは人を殺す覚悟を持って技を磨く二人だが、それでも日本という国で育ってきた。
そこで培われ、養われた倫理観や道徳観念から、やはり殺人への忌避感や嫌悪感は根深い。

できるなら「一生を誰も殺さずに終えたい」とも思う。
しかし同時に、いざとなればそれをするのだろうと言う、達観した視点と殺人の覚悟も持っている。

故に、決して「活人剣に近い面もある」とは言わない。
それは、本当に心から命を「人を守り生かす」事に賭けている人たちへの侮辱であり、その人たちを汚すと言う潔癖な考えがあるからだ。
だが、それでも……

「大切な人を守りたい、その為の剣。それを理解してもらう事は、決して不可能じゃない。
 それを、俺達はよく知っている。違うか?」
「うん。とーさんと結婚したかーさん。フィアッセやレン、晶に勇吾さん。皆が、証明してくれてるもんね」

だから、ほのかもまた理解してくれるかもしれない。
それが淡い希望に縋っているだけなのか、それとも……。
美由希には判断できなかったが、できればそうであってほしいと切に願っていた。

「無理に急ぐ必要はない。順当にいけば、お前と彼女の付き合いは最低でも三年はある。
 その間に、見極めてお前自身が決めればいい。理解してくれるのかどうか、話せるのかどうかを。
 別に、話さなかったからと言って騙した事にもならん」
「うん、わかってる。最後は結局、私がそれを納得できるかどうか、なんだしね」

この少し後、恭也やなのはを経由して自身と同じように、少しばかり裏に繋がりのある出自を持つ別の友人を美由希は得ることになるのだが、それはまた別の話だ。
その友人にほのかより先にこの事を打ち明けるのか、それとも先にほのかに打ち明けるのか。
それは、今の美由希にはわかる筈もない未来のことだった。



  *  *  *  *  *



時間は遡り、場所も変わって梁山泊。
入学式を終えたほのかは、一度自宅で荷物を置いて着替えてから梁山泊を訪れていた。
まあ、つまり先約というのは梁山泊への報告の事である。

「でね、高町美由希ちゃんって子と友達になったんだじょ」
「そ、そうか、それはよかったな……って、逆鬼師匠!
 早い、早すぎますって! もちょっとゆっくり!?」
「オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラ!!
 どうしたどうした! 守ってるばっかりじゃどうにもなんねぇぞ! 反撃してみろ、兼一!!」
「む、無理っすよ逆鬼師匠!!」

次々と逆鬼の剛腕から繰り出される突きに、兼一の口からは最早悲鳴と泣き言しか出てこない。
一応全撃手加減されているとはいえ、兼一には辛うじて捌くのが精いっぱいの猛攻なのだ。
しかし、受けに集中するあまり、徐々に下半身への注意がおろそかになるのを、逆鬼が見逃す筈もない。

「そら、足元がお留守だぜ!」
「たぁっ!?」

唐突に仕掛けられた足払いを、なんとか寸で飛び上がって回避する兼一。
だが、結果的に苦し紛れの回避となったそれが、致命的な隙を晒す事となる。

「んな雑な動きしてんじゃねぇ! ちぇりゃあ!!」
「げぼふ!?」

叱責と共に放たれる、逆鬼の強烈を通り越して激烈な蹴りが兼一に炸裂する。
その直撃を受けた兼一は壁に叩きつけられ、さらにその壁を粉砕して庭にまで転がっていく。
常人なら一撃で即死、どんなに当たり所が良くても受けた個所の骨が粉砕していなければおかしい一撃だ。
しかしそれも、梁山泊の地獄の修業で培った兼一の化け物染みた打たれ強さの前では、その限りではない。

ゴロゴロと地面の上を転がっていく兼一。
だが、そのまま失神する事は許されず、発達した兼一の「恐怖センサー」が何かを察知する。

「はっ! これは…………死の予感!?」
「おいおい、人聞きの悪い事を言わないでくれたまえ、兼一君。
 単に、君の新しい修行器具がちょうど出来たから、その試運転をしようとしているだけだよ。
 じゃ、さっそく試してみてくれたまえ」
「全力全開でお断りします!!」

通常なら立ち上がる事など不可能なダメージを受けた筈の兼一は、いたってピンシャンした様子で立ち上がり、脱兎のごとく逃げ出す。それも、その速度自体がすでに尋常なものではない。
足腰の力と耐久力の二点を、兼一は妙手クラスでもかなり高いレベルで身につけている。
それこそこの二点、特に耐久力に関しては恭也をも上回っていても不思議はない。

まあ、秋雨の後ろにある怪しげな器具を見れば、それは誰でも火事場の馬鹿力くらいが出るだろう。
しかし、所詮はそれも妙手クラス、真の達人たちの前では児戯に等しい。

「やれやれ……………逃がすかぁ!!」
「逃げ切って見せます!」
「甘い!! アパチャイ!」
「おおおおおおおおお!! アパチャイ、準備オッケーよ~!!!」

眼から怪光線を放つ秋雨とアパチャイ。
兼一は全速力で逃げるが、瞬く間のうちにアパチャイに追い詰められる。

「ギャ――――――――――!! よりにもよってこの人かぁ!?
 師匠ーズ、あなた方僕を殺す気ですかぁ!?」
「大丈夫よ兼一! アパチャイ、敵をキッチリ半分地獄に叩き込む手加減を覚えたよ!!
 これで『万事休す』で『絶体絶命』よ!」
「ある意味非常に的を射ていますが………だからこそ嫌なんですよ!?
 しぐれさん、カムバ―――――ック!!」

まあ、兼一の希求も無理はない。
アパチャイに捕まえられるより、しぐれに鎖で拘束された方がまだ安心というものだ。
ま、彼は今それどころではないのだが。

「あ、兼一よそ見しちゃダメよ!」
「へ? ぐぼあ!?」

追いついたアパチャイは、勢いをそのままに兼一に「テッ(回し蹴り)」を放つ。
当然、よそ見していた兼一がよけられる筈もなく、首がかなりヤバい感じに曲がったまま、人手裏剣の要領で「ああああああ~~~~」という叫びと共に転がっていく。

まあ、死んではいまい。
骨の髄どころか、魂の髄にまで叩き込まれたムエタイの構えである『タン・ガード・ムエイ』を取り、即座に肩を竦めて首をガードしたのだから。出なければ、頸椎損傷で死んでいたかもしれないが……。
竦めた肩で首をガードする、徹底的に叩き込まれたこの型が、今日もまた兼一の命を救ったのだ。

ちなみにしぐれは、美羽と一緒に今は買い物に出かけて不在で、普段はしぐれの役目である兼一の捕縛は他の師匠達にまかされている。
そんな外部から見れば通報されそうな、だが内部にとっては日常の一部である光景を、梁山泊の年長者二人は微笑ましく眺めていた。

「ホッホッホ、ほのかちゃんも順風満帆なようでなによりじゃて。
 兼ちゃんも、ここの所は集中して修行に打ち込んでおるし、言う事なしかのう」
「そうね。でも、おいちゃんはちょっと気がかりがあるね、長老」
「ほっ? して、その心は何じゃ、剣星」
「うん、確かにここ最近は平穏そのものね。それはいいことなんだがね、穏やかな時間は時に人を腐らせる事もあるね。おいちゃんはそれがちょこっと心配ね」
「なるほどのう。闇の者どもではないが、人間適度に刺激があった方が良いのも事実じゃな。
 この休みには久しぶりに闇ヶ谷に山籠りしたが、アレだけではちと刺激としてはぬるいかのう?」
「そうね、兼ちゃんもだいぶ山籠りに慣れてきてるしね。
その意味では最近の兼ちゃんは……ちょっと刺激が足りなさすぎると思うね」
「確かに、闇やYOMIと戦っておった頃の方が、死にもの狂いではあったのう」

実際、人間逆境に立たされた位の方が成長するものだ。
兼一のそれはかなり行き過ぎていたが、そういう面があったのは事実。
普通に修業に取り組むより、ああして命懸けの戦いの日々に身を置いていた方が成長もはやい。
そのことを裏付けるように、今の兼一にはあのころほど逼迫した雰囲気はないし、成長速度も若干落ち気味だ。

それを二人は憂慮しているのだろう。
慣れは惰性を呼ぶし、危機感の欠如は少々問題だ。
そして、ここで安全策が出て来ないのが、梁山泊の梁山泊たる所以である。

「…………………………………では、いよいよあの計画を発動する時じゃな」
「うん、おいちゃんもそう思うね。秋雨どんたちはどうね?」
「同感ですな。元より、兼一君の人生は武に捧げられております。
そろそろ、さらに一歩踏み込んでもよい頃合いかと」
「へ! あの計画かよ。あんま無茶すんじゃねぇぞ、秋雨。
元々兼一には才能の欠片もねぇんだ、あんま急ぎ過ぎると……………死ぬぜ!」

何やらシリアスな事を話してはいるが、実のところ逆鬼は金槌と釘を持って壊した壁の修理中だったりする。
美羽が帰った時に壁が壊れていると、後でどやされるのだ。
しかし、その格好はガラの悪い大工に見えない事もないくらいに似合っている。
釘を口にくわえたりねじり鉢巻きに挟んでいたりすると、特に。

「ふっ、君も過保護だな」
「ち、ちげぇーよ! こ、これはアレだ、ええっと…………そう! 三年もかけて育てた弟子がこんなところで壊れちまったら、大損害だって言ってんだよ!!」
「ふっ……」
「てめぇ、秋雨……何が言いてぇ」
「いや、別に」
「けっ!!」
「アパチャイ、兼一ならきっと生き残ると思うよ。
 いつも兼一が死にそうなのは、皆が無茶するからよ」
「自分の事を棚にあげやがって。おめぇが言うか……」
「あぱ?」

逆鬼のツッコミに、アパチャイは頭頂部とあごに人差し指をつけて首をかしげる。
普通なら珍奇な光景に見えそうな仕草なのだが、アパチャイがやるとどうにも愛嬌があるから不思議だ。

まあ、実際問題としてたった今兼一を瀕死に追い込んだのも事実なのだが。
そう、アパチャイの足元にはボロ雑巾と化した兼一がピクピクと痙攣していたりするのだ。
これでは、説得力の欠片もありはしない。

「あの、師匠方。弟子をそっちのけで何やら怖い相談をするのはやめてもらえませんか?」
「いや、皆兼ちゃんを思って相談してるね。そんな怖がる事はないね」
「僕のいじめられっ子の勘が、全力で逃げろと警鐘を鳴らしているんですが」
「気のせいね」
「ですが……」
「気のせいじゃよ、兼ちゃん。気のせい」
「そう、気のせいだとも」
「アパチャイは……」
(ばか、おめぇは口を出すな。余計な事口走ったらまた兼一が逃げるだろうが)

全員そろって兼一の疑念をごまかす師匠達。
アパチャイだけは、何かをしゃべろうとするところを逆鬼に口を押さえられて強制的に黙らされていた。
それを見て…………いや、見なくても兼一は確信していただろう。
近い将来、きっと自分はYOMIと戦っていた頃に匹敵する、あるいはそれ以上の地獄に叩き落とされるのだと。

(未だかつて、師匠達が僕に関して何か相談した時に、地獄に落とされなかった事があるか?
イヤ、ない【反語】!!)

それは、経験と勘から導き出された兼一にとって未来の決定事項だ。
だからこそまだ死にたくない兼一は、少し久しぶり(闇ヶ谷への山籠り以来)に『梁山泊脱走計画』を練りはじめる。『壊れる前に自主的に休む、これもまた師匠孝行』とは、かつて兼一が口にした大義名分だ。

「みなさん、ただ今戻りましたですわ」
「いま、もどった…ぞ。兼一はまだ生きて…る?」
「しぐれさん! そこで疑問形を入れるのをやめてください!
 ただでさえ長老たちが何やら不穏な事を考えていて、不吉な予感が大きくなってきているのに!!」
「? ああ、ついにあの計画が動き出すの…か。じゃあ、兼一死んじゃうのか? いよいよなのか?」
「あ、こらしぐれ……」

なにやら不吉な事を口走るしぐれを、大急ぎで秋雨は止めようとする。
だが、すでにその言葉のいくつかは兼一の耳に届いていた。

「いよいよってどういう意味ですか!? あなた方は一体何を企んでいるんです!!」
「企むなどと人聞きの悪い」
「そうね、弟子の事を思う師匠心ね」
「へへへ。まあ、せいぜい気をつけるこった。いつ刺客に襲われてもいい様にな」
「アパパパ、人が近づいてきたら敵だと思うよ。そして、とりあえずぶっ殺しておくといいよ。
 脳みそは敵を殴る為にあるし、ムエタイは人をぶっ殺すのがとってもうまいんだからよ!」
「う…ん。ただ、刺客の数がこれまでの十倍になるだ…け」
「あ、なんだそれだけなんですね…………って、なぁんですって―――――――――――――!!」

師匠達があまりにも平然と言うものだから、思わずうなずきかける兼一。
だが、その内容はシャレにならない。
いまでも、週に数回は命を狙われているのに、それが十倍になると言うのだ。
そんな事になれば、命がいくつあっても足りやしない。

「どういうことですの、おじい様! 刺客の数が突然増えるなんて不自然すぎますわ!?」
「ホッホッホ、今朝も言うたじゃろ? 『男子、門口を出れば千人の敵あり』じゃ。
 最近、どうも兼ちゃんに以前ほどの危機感がないようでの、これはいかん。
武は湯と同じ、熱し続けねばすぐに水に返る」
「ええ、ですからその熱が修業なのでしょう。ですが、兼一さんはほぼ年中無休で修業していますわ。
 それも、命懸けの地獄の修業を休む間もなく。これで水になる事などありえませんわ」
「うむ、しかしそれだけでは足りん。熱は何も修業だけではない、それはライバルであり、死闘じゃ!」
「即ち、本気で命を狙うライバルもまた、武術家にとって欠かせぬ『熱』の一つという事だよ」
「そうね、実戦に勝る修業はないとも言うしね」
「う…ん。死が近ければ近いほど、良い修行にな…る」
「アパパパ、アパチャイも昔は毎日裏ムエタイのリングで戦ってたから、間違いないよ」
「へっ。ま、要は実戦経験を積ませてやろうってこった。
 武と同じで、勝負勘や度胸の類も熱し続けねぇとすぐに水に返っちまうからよ」

早い話が、勝負勘や度胸が鈍らないように、以前の様な修羅場をくぐらせようと言う魂胆なのだ。
具体的には、ちょこっと裏社会に性質の悪いうわさを流し、兼一を襲わせようと言う、それだけの物。
やる事自体はそれだけだが、その結果引き起こされる事態は兼一にとってはたまったものではない。

まあ、確かに言わんとする事は正しいのかもしれないが、やり方があんまりにもあんまり過ぎる。
梁山泊の師匠連の無茶は大概だが、これは近年稀に見る……………いや、割とよくあるかもしれないが、やはりとんでもなく無茶であり、無謀な修業だ。
そのことに、思わず兼一と美羽は硬直し悲鳴を上げる事も出来ず真っ白になっていた。
しかし、そんな兼一達を無視して長老が宣言する。

「名付けて『襲われて襲われて、そして誰もいなくなった』計画じゃ!!!」
「不毛過ぎる―――――――――――――!!!」
「アパパパ!」
「ぷっ!」
「がはは!」
「くすっ!」
「フン!」

ややうけである。
兼一の魂の叫びは、師匠達にとっては娯楽と化しているのではないだろうか。
そう思わずにはいられないほど、彼らの反応は軽い。
ついでに、何やら草を持ったウサギが庭の隅で眼から怪光線を放つ長老におびえているが、恐らくは幻覚だろう。

まあ、それはともかく。
そんな兼一を不憫に思いつつ、梁山泊二番目の良識人である美羽は兼一の為に泣いていた。
ちなみに、一番の良識人はもちろん兼一だ。

(兼一さん、頑張ってくださいまし……)

まあ、所詮泣いてやったところで何がどうなるわけでもないのだが……。
とりあえず、白浜青年の受難の日々はこれからもまだまだ続く(笑)。

「笑い事じゃな―――――――――――い!!」

ま、そんないつもの事はどうでもいいとして。
割とこの空気と流れにも慣れたものであるほのかは、特に気にした様子も見せずに兼一に問いかける。

「あ、お兄ちゃん」
「なんだ、ほのか。兄は見ての通り、世界の不条理さを嘆いている真っ最中なんだが」
「それはいつもだじょ」
「………………!!」
「兼一さん、しっかりしてくださいまし! そんなところに穴を掘って何をするつもりですの!?」
「兼一君は穴を掘っていたら地下世界を発見し、そこで静かに友である草花を育てて暮らしましたとさ!
 めでたし、めでたし!!」
「兼一さんが錯乱しましたわぁ~~~!!」

事実であるだけに、兼一に与えたダメージは計り知れない様だ。
血涙でも流しそうな勢いで号泣する兼一は、無我夢中で地面を掘り返す。
無論、師匠達にとっては兼一のそのリアクションすら「ややうけ」でしかない。不憫である。
それから十分後、なんとか美羽は錯乱していた兼一を正気に戻すことに成功した。

「はぁはぁはぁ、はぁ……落ち着きましたかですわ、兼一さん」
「え、ええ。すみません、美羽さん。どうやら気が動転していたようです」
「まあ、無理もありませんけれど……」

『でも、今に始まった事ではないでしょう』とは、思っていても言わない美羽であった。
そんな事を言ったが最後、もう兼一は止まらなくなるだろう事は目に見えている。

「で、そろそろいいかじょ、お兄ちゃん」
「く…………わかった。で、用件は?」
「うん。折角だし、美由希ちゃん達を呼ぼうかと思うんだじょ。お兄ちゃんの事も紹介したいし」
「別にいいんじゃないか? 家に呼ぶくらい」

この時、兼一は気付いていなかった。
自分が言った「家」という言葉が、兼一とほのかでは食い違っている事に。
だが、それもすぐに気付く事となる。

「ああ、よかった。じゃ、今度みんなを連れてくるじょ。
――――――――――――――――――ここ(梁山泊)に」
「そうか、それじゃその時は僕も帰った方が……………………って、なぁ~ん~だぁ~とぉ~~~~!?」
「わひゃ!? どうしたんですの、兼一さん!」
「どうしたんだじょ?」

ほのかの言っている意味にようやく気付き、兼一は思わずいじける事をやめて立ち上がる。
だが、それも無理はない。
家は家でも、実家ではなく『いま兼一が住んでいる家』に連れてくると言う意味だったのだ。
それはさすがに、放置しておくわけにはいかない。

「正気かほのか! お前、普通の人たちをこんな『人外魔境』で『伏魔殿』な『有料地獄巡り』をさせる『イカレタオンボロ道場』に呼ぶなんて、その人たちに永遠に消えないトラウマを植え付けるつもりか!?」
「ハハハ、失敬な」
「伏魔殿とは随分な言い草ね」
「ああん? 有料地獄巡りだぁ」
「イカレてる…の?」
「オンボロ道場じゃと?」
「アパ?」
(あながち間違ってもいない……というよりも、実に的を射ていますわね)

美羽などは納得しているが、どうやら他の面々は納得していないらしい。
この後、兼一の修業内容が当社比五割増しになった事を追記する。

「むぅ、やっぱりだめ?」
「やめておけ。友達が大事なら尚更だ」
「しょうがないじょ~」
「まあ、紹介すると言うのなら、そのうち折を見て僕も一緒に行くから、その時にしよう」
「らじゃ! じゃ、そういう事でよろしくだじょ、お兄ちゃん!」

首を傾げて問うほのかの肩に、兼一は力強く手を置いて説得する。
ほのかの方も、どうやらそれで諦めてくれたようだ。
とりあえず、これで一応ほのかの相談には一区切りついた。
まあ、後日この日の出来事が遠因となりちょっとした騒動があるのだが、今は関係ない。
だが、兼一にはまだまだ乗り越えねばならない地獄が待っていた。

「さて、どうやらほのか君との話も終わったようだし、そろそろいいかね、兼一君」
「へ? 岬越寺師匠?」
「僕は、別にイカレテなんていな…い」
「あの…しぐれさん。なんでそんな、そこはかとなくもの悲しそうな顔をしてるんでしょうか?」
「ふぅ、言いたい放題言ってくれるね、この弟子は」
「全くだぜ、何が『有料地獄巡り』だぁ、ああ?」
「って、ええ! 馬師父と逆鬼師匠!! なんで僕の両脇を抱えてるんですか!?」
「オンボロとは、言ってはならん事を言ってしもうたのう、兼ちゃんや!!」
「アパパパパパ、『雉も鳴かずば撃たれまいに』よ」
「こ、こんな時だけ流暢に正しい日本語を使わないでくださいよ、アパチャイさん!!
 あ、ああ、やめて…お助け―――――――――――!!」
「兼一さん、生きてまたお会いする日が来る事を祈っておりますわ」
「そんな死亡確定みたいな事を言わないでくださいよ――――――――!!」

そうして、兼一は六人の豪傑に囲まれて粛々と連行されていく。
そう、梁山泊の裏庭の森の奥へと。

「ハンカチをヒラヒラさせてないで、助けて闘忠丸―――!」
「ぢゅ~」
「じぇ~~ろ~~に~~も~~~~~~~~~~~!!!!!」

そこで何が行われたかは、各人の想像にお任せしよう。
とりあえず、白浜青年には冥福を祈る。南無。






あとがき

というわけで、高町家の面々が梁山泊に来るのは当分先になります。
つまり、兼一の方から向こうに行くことになりますね。とりあえず、ちょっと性急かもしれませんが次あたりで。
ひっぱりたくても、正直ほのかだけでは間が持たないのです。
ま、その前に彼は自分に襲いかかる刺客の数々を撃退しなければならないわけですが(笑)。

さて、とりあえず兼一とほのかはとらハ勢と絡む事確定しているとはいえ、後は誰を絡ませましょう。
師匠連では恭也の膝の関係で秋雨や剣星が有力ですし、晶やレンの武術的には逆鬼ややっぱり剣星が出ると面白そうなんですよね。もちろん、しぐれが絡むとすれば恭也や美由希と無縁ではいられないでしょう。
アパチャイだったら…………………………………久遠?
長老なら『ざから』の相手もできそうですけどね。あの人、剣とか使わないけど。

まあ、この辺は追々として、問題は新白とかから絡む人なんですよ。
美羽とかなっつんを絡ませるのかも結構問題ですしね。とりあえず、新島は絡ませるつもりですけど。
後は、個人的には結構お気に入りのジークフリートとか? もう一度決死のダイブをしてほしいかも……。
他にどなたか出してみて欲しい人っていますか? とりあえず、参考にしたいんですけど。
あ、なんでしたら歴代とらハのキャラでも一向にかまいませんので。

最後に、更新速度はそう早くないと思いますので、気長にお待ちくだされば幸いです。



[24054] BATTLE 3「剣士と拳士」
Name: やみなべ◆d3754cce ID:1963cf14
Date: 2010/11/21 00:21

とある洋館風の豪邸。
豪壮でありながらあまり人気のない建物の中に、一組の男女がいた。
とはいえ、別段何やら甘い雰囲気があるわけでもなく、女の方が一方的にしゃべっているだけだが。

「でね~、今度お兄ちゃんも一緒にみゆきち達とお花見をすることになったんだじょ~」
「俺はそんな事は一切聞いてねぇ」

能天気そうにしゃべっている女、ほのかの言葉に、金髪蒼眼の美男子「谷本夏」は実に素っ気なく返す。
背後でしゃべり続けるほのかの話をどこまでちゃんと聞いているかは定かではないが、その手は休むことなく動き続けている。具体的には、泡だて器でボールの中の生クリームをホイップしている真っ最中だ。
また、ほのかの手元にはかなり趣向の凝らされた洋菓子が数多ある。
早い話、谷本夏は現在進行形でほのかのおやつ作りをしているのだ。

高校時代、あるいは大学の女子達が知れば全てを差し出し、どんな事をしてでも食べたいと思うであろうそれを、ほのかは有りがたみの欠片も感じていない様子で咀嚼し、嚥下していく。
それどころか「うんま~、なっち~もだいぶ料理が上手になったじょ~。これもほのかの指導のおかげだねぇ~」などとのたまう始末。

実に図々しい性格をしている。当の本人の料理の腕は、壊滅的を通り越して殺人的でさえあると言うのに。
まあ、だからこそそれを食べたくない一心で、夏の料理の腕は上がり続けているのだが。
いや、確かにある意味ではほのかのおかげとも言えるか……。
実際、彼の料理の腕はすでにシェフ並み、家事全般はすでに日課を通り越して趣味と化しつつあるのだから。

「ちっ、にしてもなんで俺がこんな事を……」
「それはオセロで負けたなっちーの自己責任だじょ?
 いやぁ、なっちーはオセロで負けると何でも言う事を聞いてくれて実に便利だじょ」
「てめーは悪魔か何かか?」

言っている内容は実に忌々しいが、それに反して夏にはあまりほのかを邪険にするような雰囲気はない。
口では何と言いつつも、夏は昔亡くした妹にほのかを重ねている部分がある。
また、ほのか自身の図々しいながら憎めない性格もあってか、すでに三年近くに渡って彼女は谷本邸に通い詰めているのだ。
夏自身、それを拒絶するようなことは何度も言っているが、結局のところ一度も実現していない時点で本気ではないのだろう。
事実、ほのかが通うようになってから、生活感が乏しかったこの家には暖かな空気が流れるようになっている。
おそらく、夏にとってほのかの存在は最早生活の一部となっているのだろう。

これで付き合っているわけでもないと言うのもどうかと思うのだが、実際のところは全く進展などしていない。
こちらも、兼一達に匹敵する鈍足である。

「なっつんはホントに負けず嫌いだじょ~。でも、何でもかんでも勝つまで続けるのってきつくない?」
「うるせぇ。人の主義にケチつけんじゃねぇ」
「声が震えてるじょ~」

ほのかの揶揄に、思わず夏の額から汗が流れる。
自分でも、少しくらい妥協してもいいんじゃないかなぁ、なんて思ったりしているのかもしれない。
実際問題として、別にオセロに負けるからと言って、彼にとってそれはどうという事でもないのだから。
とそこで、思い出したように…いや実際にたったいま思い出したのかもしれないが、ほのかが兄の言葉を伝える。

「あ、そういえばお兄ちゃんがまた匿ってほしいって言ってたじょ」
「きやがったらその時がてめぇの命日だと、白浜の馬鹿に言っておけ」
「なっつんしょっちゅう行方不明になるし、せめて鍵だけでも貸してって伝言を頼まれてたんだじょ」
「なにが『せめて』だ! 善良そうなツラしやがって、結構悪じゃねぇかあの野郎!!」
「ダメな時は宇宙人に頼むって言ってたじょ。
なんでも『俺様の大事な駒を壊されちゃ堪らん』って」
「あんの地球外野郎!! 人の家をなんだと思ってやがる!」
「なぁんか最近、また修業がきつくなって『敵に殺されるのが先か、修業で殺しちゃうのが先か。勝負だ~!!』ってノリみたいだし、一つ頼むじょ、なっちー」
「聞けよ! 人の話!!」

良い笑顔でサムずアップするほのか。その人の話を全く聞かずに言いたい事だけ言うほのかと、勝手に人の家を使う気満々でいる兼一とその悪友『宇宙人の皮を被った悪魔』新島春男に頭を抱える夏。
何しろ新島は、気付けばいくつもの合鍵を複製し、勝手に家に侵入してくるような男だ。
それも、何度鍵を交換しても。
それは夏でなくても、頭がおかしくなりそうな気もするというもの。

とはいえ、内心では「つくづくおっかねぇ師弟関係だな。すこ~しだけ匿ってやってもいいかな、と思っちまったぜ」と数少ない友人を気遣っていたりするのだから、実にツンデレである。
なんのかんの言いつつ、どれだけ鬱陶しそうにしても、白浜兄妹は夏にとってそれだけ重要な存在なのだろう。
絶対に、何があろうと、素直にそれを認めることなどないのだろうが。

「まあ、それはともかく……」
「……本当に親の顔が見てぇよ」

さらりと夏の抗議を華麗にスルーするほのかに、夏は頭に手をやりながらため息を突く。
その時、白浜家で母さおりが可愛らしくくしゃみをしたそうだが、その因果関係は定かではない。

「じょ? それは結婚の申し込み?」
「んなわけあるか! 耳が腐ってんのかお前らは!!」

実に自分にとって都合のいい脳内変換に、思わず拳を振り上げる夏。
だが、相手がいくら殴ってもピンピンしている異常に頑丈な兼一ならいざ知らず、か弱い女の子でしかない上に妹と重ねているほのかを殴れる筈もなく、その拳は虚しく元の位置に戻される。

「まあ、この美少女のほのかちゃんと結婚したくば、お兄ちゃんとお父さんを倒してからにするじょ」
「安心しろ、白浜の馬鹿だけはいつか必ず殺す」
「お父さんはほのかたちの事になると鉄砲出したりするから、気をつけるじょ」
「どういう家だ……」

ある意味、白浜家では兼一より父元次の方が恐ろしいかもしれない。
あの家族愛の権化の事だ、ほのかが男など紹介しようものなら、何をしでかすかわかったものではない。
それこそゴルゴ13よろしく、遠距離狙撃くらい慣行しても不思議はないだろう。

「ところでなっちー」
「あん?」
「今度の土曜のお花見、なっちーも来る?」
「行くわけねぇだろ、くだらねぇ」
「そう? なら、当日はほのかを送迎する栄誉を与えるじょ。なっちーの車って高級車で乗り心地良いし」
「てめぇ、ホントに何様のつもりだ……」
「ふふふふふふふ、ならそこは……………オセロで決めるじょ!」
「おもしれぇ。俺が勝ったらそのうぜぇ面、しばらく出すんじゃねぇぞ」
「やれるものならやってみるじょ~」

『二度と』ではなく『しばらく』と言うあたりに、夏の本心が垣間見える会話だ。
当然、ほのかにはその内心も見破られている。
ちなみに、ほのかは「年頃の女が男の家に通い詰めるなんて体裁が悪いから、少しは大人しくしておけ」と夏の本心を推理しているようだ。
そして、それが多いにあたっているのだから、ほのかの夏への読心能力は神懸かっている。

「ん~、でもちょっと残念だじょ。どうせなら、お花見に一緒に行くかも賭ける?」
「どういうつもりだ。てめぇの我儘は今更だが、いつになく食い下がるじゃねぇか」
「……なんとなくなんだけど、みゆきちと高町先輩って、なっつんとかと似た感じがするんだじょ。
 きっと、お兄ちゃんと一緒に仲良くなれると思うんだけどなぁ……」
「誰と誰の仲がいい!! 送るくらいはしてやるからさっさと帰れ!」
「あはははは、照れなくてもいいじょ~」

兼一との友情を頑なに否定する夏と、それを全く疑っていないほのか。
そうして、最後に花見当日の送迎を賭けてのオセロ勝負と相成った。

その結果は、珍しく夏の勝ち。ちなみに、勝率は調子の良い時で3%ほどである。
相変わらず、ほのかのオセロの腕は達人級だった。
まあ、それを相手にたまにでも勝てる夏の腕前も、すでに相当なものなのだが。



その後、帰宅するほのかを家まで送ってから戻った夏は、早々にある番号に電話をかける。
同時に、電話のボタンをプッシュしながら夏は考えた。

(確かにあいつは武術のど素人だが、妙なところで無駄に眼は肥えてやがる。だとすると……)
「よぉ、珍しいじゃねぇか。俺様になんか用か?」
「てめぇと無駄話する気はねぇ。用件だけ言う」

そうして夏は電話越しの相手に恫喝まがいの口調で、ある一つの頼みをする。
まあ、この程度の事で縮みあがるような、やわな神経の持ち主では到底ないのだが。
まあ、それはともかく。

実に彼には珍しい事だが、この手の分野に関してはこの相手の方が遥かに優れているのは、『心底』遺憾ながらも夏もまた認める所だ。
実際、彼の手際にかかれば、夏の頼みは僅か数日のうちに結果が出たのだから。



BATTLE 3「剣士と拳士」



4月15日、早朝。
梁山泊の門前に、一組の兄妹とその見送りの人々が立っていた。

「じゃあ、美羽さん。行ってきます」
「はい、久しぶりのおやすみなんですし、思いきり羽を伸ばしてくださいまし。
 ………………………………………明日以降も生き残れるように」
「ここ数日の地獄を思い出させないでください!」

美羽の不吉極まりない言葉に、兼一は耳を押さえてうずくまる。
無理もない。何しろここ数日、梁山泊の師匠達の言った通り、兼一を狙う刺客の数が急激に上昇したのだ。

そして、数の上昇は、時に質にも変化を与える。
質の悪い刺客も多くいたが、同時にチラホラと質の高い実力者も現れた。
基本、刺客などをする様な連中は、功名心が先だったりしていて、あまり質が高くない事が多い。
強い連中、あるいは強くなる連中というのは、そうやって名を挙げる事よりも自己の練磨に力を注ぐ傾向にあるからだろう。早い話、小物は「実より名」を取り、大器は「名より実」を取ると言う事だ。
本当に自己を高める為に強者との戦いを求める者もいるにはいるが、そういった連中はあまり奇襲や不意打ちを手段とする刺客よりも、場所と日取りを整えた上での決闘を好む。

しかし、師匠達はどんな手品を使ったのか、兼一と同等あるいはそれ以上の使い手がここ数日の間に数人現れた。
しかも実に珍しい事に、そう言った連中が積極的に不意打ちに奇襲まで仕掛けてくる始末。
自分に近いかそれ以上の使い手からそんな事をされては、さすがに命がいくつあっても足りない。
実際、もし美羽や他の友人たちの協力がなければ、本当に命が危ない場面も多々あったのだ。

「ま、まあ、今日くらいは殺伐とした日常を忘れても罰は当たりませんわ」
「だといいんですけどね。もし花見の最中に襲われたらと思うと、正直ゾッとしますよ」
「そのあたりは我々を信頼したまえ」
「そうね、兼ちゃん一人ならいざ知らず、堅気の皆さんに迷惑はかけられんね」
「僕にはいくら迷惑をかけてもいいと言うんですか!!」
「? 何を言うとるんじゃ兼ちゃんや。だって内弟子は………人間じゃないからのう!!!」
「うわぁ――――――――――――ん! またそれかぁ!?」

『内弟子は人間に非ず。故に人権もなし』とは、もう何度も、常々言われている理不尽な現実だった。
まあ、それくらいでないと、梁山泊の殺人的修業を『当たり前』の事と認識はできないだろう。
アレはつまり、兼一の人権をないものとして考えているからこそできる、荒行なのだ。

「け! どいつもこいつも甘ぇ奴ばっかりだぜ。俺が兼一くらいの頃なら、全身に鉄砲玉をくらったまま駅前で誰にも気づかれずに百人の刺客を叩きつぶしてたぞ!!」
(人外の者だぁ……!!)
「あ、こら……!」

とんでもない事をのたまう逆鬼に、思わず内心でうめく兼一。
だが、逆鬼の言葉を制するようにかけられた秋雨の声に、兼一は僅かな違和感を覚える。
なぜ、秋雨は逆鬼の話を止めようとしたのだろうか。
そもそも、どんな根拠があって師達は『堅気に迷惑をかけない』と断言しているのか。
そこで気付く、逆鬼の最初の一言に。

「……………あれ? 『甘い』ってどういう意味ですか、逆鬼師匠」
「あ、やべ……」
「やれやれ、実は今日だけは特別に護衛でもつけてあげることになったのだよ」
「アパパパパ、そういう事よ。でも、最初に兼一を護衛するように言ったのは逆鬼よ」
「げ、待てアパチャイ! ち、ちげぇぞ、兼一。お、俺はそんな事一言も言ってねぇ!
 別に俺はだなぁ、お前の事なんてこれっぽっちも心配なんてしちゃいねぇからな!!」
「はいはい、ツンデレツンデレ」
「かほご…だぁ――――――――――!」
「うるせぇぞ馬、しぐれ!!」

からかわれて耳まで真っ赤にして否定する逆鬼。
その反応こそが、何よりもその事が事実である事を証明していると言うのに。
まあ、実のところ師匠達が護衛に付くのはそう珍しい事ではない。
YOMIとの戦いの日々でも、割と師匠達は見えないところで兼一を見守っていたのだから。

「そ、そうだったんですか。
ありがとうございます逆鬼師匠、岬越寺師匠、馬師父、アパチャイさん、しぐれさん!!」
「ホッホッホッ。おお、兼ちゃんが途端に元気になったぞい」
「へぇ~、ところで、誰が護衛してくれるんだじょ?」
「アパチャイだよ! 今日はアパチャイが兼一を守るよ!」
「きょえええええええええええええ!!!」

そのあまりの人選に、珍奇な叫びをあげる兼一。
一度は師達の心遣いに感動した兼一だが、その感動もその人選を聞いて跡形もなく消えてなくなっていた。

過去、アパチャイに護衛された事は幾度もある。
だがその度に、なかなかにひどい目にあっているのだ。
できるなら、比較的に安全な秋雨か剣星が良いと言うのが、兼一の本音である。

「おお、アパチャイが一緒なら安心だじょ」
「アパ、そうよ。アパチャイが一緒だから、もう絶体絶命……じゃなかった、絶対安全よ。
 兼一達は、アパチャイが全力で殴る……じゃなかった、守るよ!」
「何がどうなってアパチャイさんになったんですか!?」
「壮絶な、『あっち向いてほい』の果て…だ」
(無駄に高度そうな『あっち向いてほい』だったのでしょうね)
「まあ、あきらめ…ろ」

そう言って、兼一の肩を優しく叩くしぐれ。
しかし、兼一には到底諦められるものではない。

「そんな簡単に人生諦められません!
なんであなた方はそういう決め方をするんですか! 弟子の命をなんだと思ってるんです!
大切な一番弟子が死んだらどうするつもりですか!?」
「「「「「「埋める(ね・よ)」」」」」」
「埋めるなぁ――――――――――――――!!!!」

まあ、それでなくても花見に行く事を考えれば、人選としては最悪だろう。
アパチャイは目立つ、とんでもなく目立つ。また、彼を目にして悲鳴をあげる人も少なくない。
確かに彼が本気で隠れれば、おそらく見つけられるものはほとんどいないだろう。

だが、今回は旨そうな食べ物がたくさん並べられる花見の席、そんなところで彼が食欲を抑えられるだろうか。
間違いなく、アパチャイは我慢しきれずに姿を現し、そして場を混乱させるのは必至。

その後、兼一と美羽の必死の説得の甲斐あり、なんとか秋雨と護衛役を交代する事となった。
まあ、それでもしばらくの間アパチャイは「自信失くしたよ、生まれてきてごめんよ」といじけていたのだが、ハンバーグ二週間で手を打ってくれたようだ。

「ところでほのか」
「ん? どうしたんだじょ?」
「本当に僕も行っていいのか? 家族や友人同士のお花見なんだろ、邪魔にならないかな」
「大丈夫だじょ。みゆきち達も『是非ご家族に挨拶したい』って言ってくれたんだじょ」
「まあ、そう言ってもらえるのはうれしいんだが……」
「お父さんもお母さんも忙しいから、後はお兄ちゃんだけなんだじょ」
「……わかったよ、折角誘っていただいたのに行かないとなると、それこそ礼を失することになるな」
「そうだじょ。お兄ちゃんは大人しくついてくればいいんだじょ」

実際には、父は母によって無理矢理仕事に行かされ、母はそんな父が仕事を放りださない様に警戒している為に行けないのだが、そんな事は知る由もない二人である。
そうしていくらかの手土産を持ちつつ、二人は梁山泊を後にした。
電車で向かう二人の場合、直接花見会場に行った方が手っ取り早いので、二人に関しては現地集合となっている。
夏と違って、兼一に車の免許を取りに行く余裕はないのだ。



そうして、二人が会場に付いた頃には、中心となる高町家を始め皆が勢ぞろいしていた。
そこは九台桜隅、満開の桜と風情のある池に彩られた、まさに絶好の花見場所。
とはいえ、準備を始めた段階だったので、ちょうどいいタイミングだったのだろう。

「ヤッホ―――――!! みゆきち、おっはよ!」
「ほのか! おはよ! あ、じゃあそちらが……」
「はじめまして、ほのかの兄の白浜兼一です。妹がいつもお世話になって……」
「あ! いえいえ、こちらこそほのかにはいつもお世話になってます。私、どうも鈍くさいところがあって……」
「あははは…私も人の事は言えないんですけどねぇ……」
「あ、那美さん、それにキツネもおはよ」
「はい、ほのかさんもおはようございます」

一応一学年下になるほのかを相手に、馬鹿丁寧に応対しているのは風芽丘二年生にして巫女もやっている栗毛の少女『神咲那美』である。
その懐には、愛らしい顔立ちをした子狐『久遠』の姿があった。
ほのか自身はまだあまり面識もないが、恭也経由で自己紹介くらいはした間柄。
まあ、人見知りというか臆病というか、そういうところのある久遠は、当然まだほのかには慣れていない。
その為、慣れない場所、慣れない人間に囲まれて、どこかおびえたようにプルプル震えている。

「どうもどうも、ほのかちゃんのお兄さんですか?」
「あ、はい、本日はお招きありがとうございます。白浜兼一と言います。
 こちら、つまらないものですが」

ほのかがやってきた事に気付き、一端準備の手を止めた桃子がやってきて兼一とあいさつする。
兼一は途中で買ってきた飲み物や菓子類、それに美羽と一緒に作った重箱を渡す。

「あらあら、これはご丁寧に。そんなお気になさらなくてもよかったのに」
「あ、いえ。いつも“これ”がご迷惑をおかけしていますし」
「ぬぁあぁぁぁぁぁ!! 扱いがぞんざいだじょ!!」
「どこの家も、妹の扱いってああいうものなのかなぁ?」
「ど、どうなんでしょうね?」

ほのかの頭を掴みわしわしとかき回す兼一を見て、美由希はそんな事を呟く。
一応は自身も姉や兄を持つ立場にいる那美は、その呟きにどう反応していいのかわからない。
どちらかといえば彼女の家はそういった傾向はなく、高町家や白浜家とは違ったベクトルで家族仲は良好なのだ。

とはいえ、いつまでもそうして立ったまま挨拶をしていても埒が明かない。
兼一も手伝いを申し出、とりあえずはさっさと花見の準備を進める事となる。

一通りの準備が済み、飲み物が全員に配られた頃。
年長者であり引率者、そして監督者である桃子が立ち上がる。

「はい、では……高町家関係者一同の健康と平和と……。
 それと、素敵な友人との出会いと温情に感謝して、僭越ながら私…高町桃子が、乾杯の音頭など取らせていただきます。それでは、かんぱーい!!」
『かんぱーい!』

皆はグラスをぶつけ、それぞれに飲み物でのどを潤す。
天気は快晴、気温もちょうどよい中、ちょうど少しばかり喉が渇いてきたところだっただけに、皆おいしそうにグラスを傾ける。
そこで年長者その二、フィアッセが口を開く。

「あ……そういえば、初対面の人もいるんだよね。とりあえず、自己紹介しとこっか」
「そうだね。特に白浜さんは、皆初対面でよくわかんないだろうし」
「あ、すみません。気を使っていただいて」
「いえいえ、私もほのかからお兄さんの事は聞いてて、会いたいなぁって思ってたんですよ。
 ね、フィアッセ」
「うん。優しいお兄さんだって、ほのか自慢してたよ」
「あ、あはははは……」

フィアッセと美由希の言葉に、思わず照れて頭をかく兼一。
外人、美人の知り合いは多くおれども、こう言った普通の雰囲気を纏った人たちとの交流は兼一にはあまりない。
だからこそ、そういう人達からお世辞を言われるのには、どうにも免疫がなかった。

「はい。んじゃ、そっちから時計回りで、最後にほのかちゃんのお兄さんね」
「え!? 僕が最後ですか!」
「もっちろん♪ だって、ある意味一番の主賓だし」

朗らかにそういう桃子の笑顔に、兼一は何も言えない。
仕方ないので、『そういうのは苦手なんだけどなぁ』などと呟きつつ、静かにグラスを傾ける。

「それじゃ、私からだね。えーと、高町家長女の、高町美由希って言います。
 風芽丘の1年A組で、ほのかとは同じクラスになりますね。よろしくお願いします」

そういって、美由希は兼一に手を差し出す。
このメンツの中で、美由希と全く面識がないのは兼一くらいだ。
他の面々は、程度の差はあるが少しくらいは面識がある物同士。
必然、自己紹介をする相手も兼一がメインとなってくる。
故に、兼一もまたその手を握り返す。

「話はほのかから何度も聞いてるよ。読書と園芸が趣味なんだっけ」
「あ、はい。白浜さんもですよね」
「ああ、兼一で良いよ。白浜だと、ほのかとごっちゃになっちゃうしね」
「じゃあ、兼一さん。最近のお勧めとかってありますか?」
「そうだなぁ…………『怒りの武道』シリーズとか」
「あ、良いですよねぇ」

そうして、しばしの間愛読書談議に花を咲かせる本好き二人。
同時に、美由希はほのかから聞いた兼一のイメージが正しかった事を理解する。

(…………うん、ほのかの言う通り、優しそうな人。ちょっと、頼りない感じはするけど……まあ、恭ちゃんや勇吾さんと比べる方が…ね。
でも、手が結構ごつごつしてるなぁ。恭ちゃんとか勇吾さんの手くらいしか知らないけど、男の人の手ってこんなものなのかな。あ、園芸で土をいじったりするせいかな。細いけど、しっかりした身体してる)
(………この子、かなり強い。肩の筋肉とか、手のひらの感触からして武器使い…それも剣士っぽい。
 でも、袖とか懐とか不自然に重そうだし、暗器も使うのかな?)

相手の第一印象を自分なりに分析する二人。
ただし、美由希は兼一の事を誤解し、兼一はかなりの正確さで美由希の事を分析しているが。
この辺りは、互いのこれまでの経験と元々の才気の差だろう。
厳密には、兼一からあまりにも才気が感じられないせいというべきだが。

「えーと、海鳴中央2年5組、城島晶です。趣味はサッカーと料理、武道は明心館で空手をやってます」
「へぇ、晶ちゃんは空手やってるんだ」
「あ、はい。まぁ、一応…………って、『ちゃん』?」
「あれ? 女の子だよね」
「あ、はい。それはそうなんですけど」
「ほぉ、碌に説明もせんと晶を女と見破るやなんて、かなりの眼力の持ち主や」
「うっせぇ! …………まぁ、事実だけどよ」

『女性は殴らない』を信念とする兼一からすれば、相手の性別は非常に重要だ。
その意味で、彼がそのあたりに目端が効くのはある意味当然だろう。

晶は晶で、別に性同一性障害というわけでもない。
故に、初見で女の子と言ってもらえるのは、実は密かにうれしかったりするのだった。

「私立海中、1年3組、鳳蓮飛ゆいます」
「中国語で発音すると、『ふぇんりぁんふぇい』……かな?」
「ああ、そうです。でも、めんどっちぃんで『レン』って呼んでください」
「兼一さん、中国語できるんですか?」
「あ…うん、少しね。一応、英語とタイ語も初歩くらいなら」

なにぶん、やっている武術が武術である。中国語とタイ語は、最早必須といってもいいだろう。
また、英語はほぼ万国共通語と言っていい。
梁山泊の師匠達の事、突然海外に放りだす位はしても不思議はない以上、最低限のコミュニケーション手段は必要だったのだ。言わば、勉強の成果ではなく、必要に迫られて身に付けた技能である。
まあ、美由希達はそんなこと知る由もないわけで……。

「うわぁ、すごぉい。勉強が全然な恭ちゃんとは大違いだぁ」
「余計な御世話だ」
「必要な御世話だよ。いっつも赤点ギリギリで、今年だって進級危なかったでしょ」
「上がれたんだから問題はない」

剣一筋で勉強を疎かにしている恭也からすれば、少々耳が痛い話だ。
恭也も父士郎が生きていたら、必要に迫られてそれくらいできるようになっていたかもしれないが。
まあ、実現しなかった可能性を論じても意味はあるまい。

「趣味は、料理と漫画読書。あと……ごろ寝です」
「もしかしてこの料理って……」
「はい、分かりますか?」
「いや、だって思いっきり中華だし」
「あ、そういえばそうでしたね。
見ておわかりの通り、こっちがウチので……そっちのギトッとしたのが晶のおサルが作ったやつです」
「ケンカ売ってんのか、てめぇ!」
「買ってもええで、そんかわし5m先にぶっ飛んでもらうけど」
「もう、ケンカしちゃダメェ―――――!!」

一瞬一触即発の空気が立ち込めるも、最年少のなのはの言葉に動きが止まる二人。
はっきり言って、二人の天敵はこのなのはである。
母桃子に似たのか、どうにも逆らい難い雰囲気を持つお子様だ。
おかげで、二人はどうやらなのはには頭が上がらないらしい。

(レンちゃん、足運びとかからすると中国拳法かな。
晶ちゃんもそうだけど、かなり才能豊かな感じがするし……はぁ、いいなぁ。みんな才能があって)
「まあ、晶はどうでもええとして」
「あんだと!」
「この重箱って、兼一さんが?」
「……え? あ、うん。半分くらい、だけどね。家事とかは結構好きだよ」
「おお、ええですねぇ。家事の出来る男の人っちゅうんも」
「そ、そうかな?」

さすがに美羽の事を口にするのは気恥ずかしかったらしく、少しだけはぐらかす兼一。
正式に付き合っているわけでもない女性の事を口に出すのは、このヘタレにはちょっと無理があった。

「あれ? じゃあ、こっちのお菓子は?」
「ああ、それはほのかが……」
「え!? ほのか、料理できるの!!」

ほのかのあまりの爆弾発言に、美由希は思わずうなだれる。
一家で唯一まともに料理ができない美由希。同類の匂いを感じていたのか、ほのかもそうだと確信していたらしい。だが、それを裏切られて絶望の底に沈みそうだ。

「嘘をつけ。これ、全部谷本君が作ってくれたものだろ」
「うぐ、お兄ちゃん余計な事を……」
「お前、他の成績はともかく家庭科はいつも落第点だったじゃないか。下らない見栄をはるなよな」
「ふふふ、女の子には見栄を張らなきゃいけない時があるんだじょ。
 折角ほのかが作った分は、皆なっつんが食べちゃったんだじょ。それで代わりになっつんが作ったんだじょ」
(谷本君…………僕は今、猛烈に感動している!)

ほのかの殺人料理を他の人間に食べさせない為、というよりもほのかの株を下手に下げない為の配慮なのだろう。
あの殺人料理を死にもの狂いで食べた親友の雄姿を思い浮かべ、兼一は心の中で漢泣きする。
きっと今頃、彼は重度の腹痛に苦しんでいる事だろう。
あとで、馬剣星印の漢方を差し入れようと兼一は誓った。
まあ、内功とほのかの手料理で鍛えられた夏の胃腸は、この程度ではへこたれないのだが。

「えと、谷本君とか、なっつんって誰ですか?」
「ああ、僕の親友でね。前々から、ほのかの面倒をよく見てくれてるんだよ」
「へぇ……」

もしかしたら恋人なのかなぁ、と思わなくもない美由希。
だが、先ほどのダメージがまだ残っているのか、それ以上深くは追求しなかった。
そうして、話は再び自己紹介へと戻っていく。

「あ、高町なのはです。私立聖祥所属の、2年生…です。
 で、こっちが友達のくーちゃんです」
「くぅん?」

いつの間にか、那美のところからなのはのところに移っていた久遠が、可愛らしく首をかしげる。
とはいえ、これでは兼一達に久遠の事を「くーちゃん」で認識されてしまう。
そこで那美が、おずおずと軽く注釈を入れる。

「えっと、くーちゃんは愛称で『久遠』が名前です。で、一応私が保護者という事で」
「あ、そうなんですか。なのはちゃん、それに久遠ちゃん、よろしくね」
「はい、よろしくお願いします。ほら、くーちゃん」

兼一と握手をしたなのはは、次にくーの手(前足)を握って兼一の方に軽く引っ張る。
だが、当の久遠はというと……

「っ! くぅぅぅぅぅうううぅぅん!!!」
「わわ! ど、どうしたのくーちゃん!」

それまではなのはの腕の中で大人しくしていた久遠が、兼一が近付くと突然身をよじって逃げ出そうとしだした。
幼いなのはにそれを抑える事は出来ず、久遠はなのはの腕から逃れ、脱兎のごとく那美の背に隠れる。

「ちょ、久遠! すみません、この子、ちょっと人見知りで……」
「ああ、お気になさらず。初めての人は、それは怖いですよね」
(でも、ここまで久遠が嫌がるなんて……いったい、どうしたんだろう?)

兼一の言葉に少しばかり心が軽くなるのを感じながら、那美は首をかしげた。
確かに久遠は人見知りだし、初対面の相手からは逃げる。
しかし、ここまで激しく逃げようとするのも珍しい。
いや、それどころか、背に隠れる久遠はどこかおびえてさえいる。

別段、兼一は風貌から雰囲気に至るまで久遠がおびえる要素はなく、むしろ穏やかで優しげだ。
正直、ここまで久遠がおびえる理由が、長い付き合いである那美にも理解できなかった。

だが、兼一の素性を知る者がいれば無理もないと思うかもしれない。
兼一は、特A級の達人複数に寄ってたかって鍛えられた武術家だ。
未だ達人ではないとはいえ、その内に秘めた気迫は計り知れない。
事実、かつて殺人サバットの達人『クリストファー・エクレール』は兼一から感じたオーラを、逆鬼のそれと誤認した事さえある。
久遠の野生の勘、そして化生の勘が、兼一の奥底に秘められたその気迫を感じ取ったのだろう。
あるいは、久遠には兼一の背後に梁山泊の達人達のイメージが見えたのかも知れない。
後者の場合…………………それはまあ、逃げたくもなるだろう。

そうして、少しばかり気まずい雰囲気が流れ出す。
しかし、それでは折角の花見が台無しだ。
そこで空気を切り替えるべく、恭也が自己紹介の続きに入る。

「高町家の長男で、風芽丘3年G組の高町恭也です。
 趣味は寝る事……特技は、どこでも寝られる事」
「寝てばっかりだよ、恭也」
「ホント、この子は若さがないわ」
「恭ちゃん、兼一さんを見習ってもう少し若者らしくしようよ」
「お兄ちゃん、なのははどこか悲しいです」

とはいえ、結局は家族総出でダメ出しを喰らってしまうのだが。
だが、それを見た兼一とほのかは、思わず噴き出す。
まあ結果として、場の雰囲気が良くなったんだからよしとしよう、そう恭也は思う事にした。

そうして、ついに自己紹介は高町家以外へと移っていく。
その筆頭は、黒髪ロングの美少女『月村忍』からだった。

「月村忍です、高町君のクラスメイトで…隣の席です。
 …趣味、読書とゲーム、あとは映画かな? みんなはゲームや映画は?」
「俺や美由希はやらないが、他は結構やるらしい」
「うちではゲームはなのはが一番だね。映画は、もっぱらレンタルで借りて家族で見る感じかな。ほのかは?」
「私もゲームも映画も好きだじょ」
「あはは、僕はあんまり……暇があれば本を読んでる事の方が多いかな。暇があれば」

あえて「暇」を二度繰り返す兼一。
基本、彼に暇な時間など存在しないのだから、繰り返したくなるというものだ。

「赤星勇吾です、二人と同じクラスで、剣道部をやっています」
「勇兄は、県一位、全国十六位の選手です」
「「「「おぉぉ!」」」」

赤星の経歴に、思わず兼一やほのか、それに忍や那美が驚きの声を洩らす。
兼一からすればたいした事もないように思えるが、なにぶん根が小市民。
そういった大会で好成績を収めていると聞けば、やはり「凄いなぁ」と思ってしまうのだ。
本人はDofDで優勝した事もあると言うのに……。

「あ、いや、それほどでも。同世代でも、勝てる気がしない相手は結構いるし……身近にも、な」
「やっぱり、全国優勝とかする人は強いってこと?」
「ああ、いやまあ、確かに強いんだが……」

忍の質問に、勇吾は切れの悪い返答をする。
そっち方面に多少理解がある那美は、なんとなく勇吾の言わんとする事を理解した。
つまり、『大会に出て来ない』あるいは『大会に出られない』タイプの強者を指しているのだろうと。

そして、それに気付いたのは那美だけではない。
当然と言えば当然なのだろうが、兼一もまたそれが高町兄妹を指している事に気付く。

(恭也君、たぶん妙手クラスの実力はあるだろうし、確かに彼じゃちょっと敵わないよね。
 美由希ちゃんにしても、かなりいい線いってる気がするし)

命懸けの戦いをいくつも乗り越えてきた兼一にとって、敵の力量を把握する能力は必須だった。
故に、兼一の他者の戦力を見切る能力は、経験不足の恭也や美由希を遥かに凌駕する。
まあ、元から彼のいじめられっ子の勘はかなり鋭敏なので、そのせいもあるし、逆に彼自身がいくら強くなってもイマイチそれが外見に反映されなかったりするのも、原因の一つなのだが。
何しろ、いつまでたっても根が小市民な兼一は、一向にそう言った凄味や匂いを纏わない。
これは、最早一種の才能の領域だろう。

だが、もう一人余計な奴がそれに気付いてしまった。
それも、美由希達にとっては一番気付いてほしくない人間が。

「それってもしかして、みゆきちとか高町先輩の事?」
「え!? ああ…いや、それは……」

突然の事に思わず慌てふためく美由希。
それは何よりも雄弁に、ほのかの言葉が事実である事を物語っていた。

「もしかして、なのはちゃんも?」
「ふえ!? ち、ちがいますよ、わたしはぜんぜん!」

しかし、ほのかが的外れにもなのはもそうなのかと勘違いしたことから、少し美由希の緊張も緩む。
どうやら、何か明確な心当たりがあっての発言ではないと思ったらしい。
まあ、それ自体は全く持ってその通りなのだが。

同時に恭也は、「まあ頃合いか」とどこか達観した心境で諦める。
別に、要はそこまで詳しく話さなければいいだけなのだから。

「じゃあ、美由希ちゃんと高町君が『剣道家』で、赤星君よりも強いって事?」
「…………………わたし、勇吾さんにはまだまだかないませんよ」
「うちは兄妹そろって『剣術家』。古流を少々かじってる」

少々かじっているなどというのは謙遜どころか最早嘘の領域なのだが、一応美由希の心情を慮ってそう語る恭也。
美由希は美由希で、そんな恭也の言葉に軽く安堵のため息を突く。

「あの、うちも剣道道場なんです。神咲一刀流って言う、マイナーな流派ですけど」
「へぇ、俺は草間一刀流」
「あ、凄いメジャーですね」
「高町君は?」
「永全不動八門一派・御神真刀流、小太刀二刀術。略して御神流」

あまり情報を渡したくない恭也は、可能な限り簡素な情報だけを渡す。
もとより剣の流派になど詳しくないほのかにはそれがどういうものなのかわかる筈もなく、兼一もまたもう何年も目立った風聞の流れないその流派に聞き覚えはなかった。
そうして、恭也は余計な事を詮索される前にこの話題を断ち切る。

「失礼、自己紹介の途中だったよな」
「あ、えーと、神咲那美です。風芽丘の2年E組で、西町の八束神社で管理代行と巫女をやっています」
「おお、巫女さんだじょ……」
「こら、物珍しそうに見るな、失礼だぞ」
「あ、あははは、お気になさらず。実際、巫女なんて珍しいですから」

まだそこまでは知らなかったのか、珍しそうに那美を見つめるほのか。
それを兼一は軽く諌めるが、那美にこう言われてはあまり強くも言えない。

「フィアッセ・クリステラです。
職業は海鳴商店街『喫茶翠屋』のチーフウエイトレスと、ちょっとだけ歌手の卵もやっています」
「クリステラ?」

その名にどこか聞き覚えがあったのか、兼一は軽くつぶやいて首をかしげる。
もしかすると、ジークフリート辺りから名前くらいは聞いた事があるのかもしれない。
まあそれでなくても、彼女の母は世紀の歌姫とまで称された歌い手だ。
別に、そんな面倒な経由がなくても、普通に知っていてもおかしくない。
だが、まさかそんな有名人の関係者がこんなところにいるとは、露とも思わない兼一だった。

「高町桃子です。ここら辺の子ども達の保護者と、喫茶翠屋の店長もやっています」
「ほら、この前持って行ったシュークリーム、アレを作った人だじょ」
「ああ、なるほど。大変おいしく頂きました」
「いえいえ、喜んでいただけたなら何より!」

こうして、とりあえず一通りの自己紹介は終わった。
残すは、白浜兄妹だけである。

「じゃ、先にほのかから。みゆきちと同じ風芽丘1年A組の白浜ほのかで~す。
 趣味と特技はオセロ! これに関しては、ちょっとうるさいじょ」
「そんなに強いの?」
「あ、フィアッセは見た事なかったっけ。正直…………すごいよ」
「俺、一度も勝った事ありません」
「ウチもや」
「恭也は?」
「聞くな」

どうやら、この場のほとんどの者が為す術もなく惨敗しているらしい。
まあ、おそらくはあの岬越寺秋雨よりもほのかはオセロが強い。
その彼女に勝てる者など、早々いる筈もない。

「えっと、ほのかの兄で大学1年の白浜兼一です。
 趣味は読書と園芸、あとは家事全般…かな?」
「ああ、このお料理とか美味しいですね」
「そうね、何かが際立ってるってわけでもないんだけど、素朴な感じで私は結構好きかな」

那美や忍は、兼一の料理をそう評した。
特別際立った何かがあるわけではない兼一の料理だが、武術同様基礎をしっかり押さえたその腕前はそこそこのもの。無論、プロである桃子や、そのプロに食事を提供する晶やレンには及ばないが。

「でも、この和菓子なんて素敵よねぇ。私は洋菓子専門だけど、こう言う日本の心は好きよ」
「ああ、それは僕の友人が作ってくれた創作なんですよ」
「ねえ、もしよければレシピとかその人に教えてもらえないかしら?」
「あ、多分大丈夫だと思いますから、聞いてみて、今度ほのかに持たせましょうか?」
「お願い!」

兼一の提案に、桃子は即座にその手を握り返す。
彼女とて和菓子に全く縁がないわけではないが、美羽の和菓子の腕はかなりのもの。
独自の創意工夫もされているそれに、一人の甘味好きとして心をくすぐられない筈もなかったのだろう。

「それと、特技…………というほどの物ではありませんけれど、僕も格闘技を少々」
「あ、そうなんですか」
「へぇ、どんなのをやってはるんですか?」
「もちろん、空手ですよね」
「アホぬかせ、おサル。当然、中国拳法ですよね?」
「あんだとカメ!」
「やるかおサル!」
「だぁかぁらぁ! ケンカはダメ――――――――――!!」
「あいたたたた! なのちゃん耳、耳!!」
「うちらが悪かったから、耳離してぇ!」

懲りない二人に、ついに軽い実力行使に移るなのは。
そんな様子を苦笑いしながら見つめる一同。
どこからどう見ても、双方の力関係は明白だ。
そこで、那美がもう一度先ほどの話題に話を戻す。

「それで、どんな格闘技を?」
「ああ、実は……………………………………空手」
「おお、やっぱそうですよね!」
「うぬぬ、なんやその勝ち誇った顔は!」
「べっつにぃ~」

なのはに耳を引っ張られながらも、薄い胸を張る晶。
それを見て、忌々しそうに臍をかむレン。
だが、話はそこで終わりではなかった。

「と、中国拳法とムエタイと柔術を」
『ブ―――――――――――――――!!??』

兼一の口にした、突拍子もないその言葉に、思わず飲んでいた物を吹く一同。
如何せん、それなり以上に武術に通じた者が多い場だ。
兼一の学ぶそれのあまりの幅広さに、そういうリアクションを返してしまうのも無理はない。
そして、晶とレンが爆発する。

「片手間で空手を」
「片手間で中国拳法を」
「「やるなぁ――――――――――――!!」」
「わ!? そ、その……ごめんなさい!」

実は片手間でも何でもないのだが、晶達がそう思ったのも無理はない。
かつて兼一も言った事だが、一つの武術を修めるだけでも大変なのだ。
それを、こんな多種多様な武術をまとめて学ぶなど、まじめにやってる人たちから怒られても無理はない。
まあ実際には、彼は死にもの狂いで武に打ち込んでいるのだが……それこそ、魂がすり減るほどに。

とりあえず、晶達が殴り掛からなかっただけよしとしよう。
もし殴り掛かられていたら、今頃二人は無傷のまま制圧されていただろうし。
そうなっていたら、一途に打ち込んでいる自信を木っ端微塵にされていたかもしれない。

「そんなに色々やって、大丈夫なの?」
「え、ええまあ、なんとか」

苦笑いしながら、誤魔化す様にフィアッセ達に手を振る兼一。
やはり、普通の人たちから見ると、自分のおかれた状況は異常なのだと再確認するのだった。
しかしそこで、恭也と美由希の二人はこっそりと密談する。

(御神の事は、言わない方が良かったか?)
(ううん、そんなことないよ。別にあれくらいなら、ね。
まあ、兼一さんが武術をやってるのはちょっと驚いたけど……)
(それにしたところで、一般的な運動の範囲だろ。身体は鍛えているようだが、悪いが才能がない)
(ああ、やっぱり)
(それが全てとまでは言わないが、あそこまでまるでないとな。だが……)
(どうかしたの?)
(……………………………………………いや、何でもない)
(そう……まあ、恭ちゃんがそう言うなら、別に良いけど)

この時、二人は僅かなヒントを見逃した。
兼一が使った「柔術」という単語。
普通に考えればそこは「柔道」という筈の部分である。
この点から、兼一が普通の武術家ではない事に気付けたかもしれない。

あるいはもう少し注意深く観察していれば、兼一の妙に安定した重心や些細な足運びなどから、只者でない事に気付けただろう。
だが二人は、兼一のあまりの才能の無さ…その第一印象からそれらを見落としてしまった。

恭也は一瞬、その違和感に気付きかけたのだが……結局はそれを勘違いと思ってしまったのだ。
これがこの先、どう影響するのやら……。

その後、とりあえず自己紹介を終えた面々は、予定通りに本格的に宴会に移行した。
具体的には、年長者二人や忍や赤星などは酒を楽しみ、他のお子様と子ども舌は甘酒をという具合だ。

「お、兼一君もいける口ねぇ」
「兼一はお酒、好きなの?」
「どうでしょう?
 特別好きってわけでもなかったんですけど、少しずつ飲んでいたら最近少しおいしさがわかってきた感じです」
「ふ~ん、うちの恭也はどうにもお酒のおいしさが分からなくてねぇ」
「桃子も士郎もお酒好きの甘味好きなのに、恭也は全然だもんね」
「ホントよ。あ~あ、息子とお酒を酌み交わす夢は、美由希やなのはに託すしかないかぁ」
「悪いと思わなくもないが、こればかりは体質と味覚の問題だ」

別段、恭也は酒が飲めないわけではないし、甘味も嫌いなわけではない。
しかし、どうにも酒のうまさが分からず、甘いものへのトラウマがある。
おかげで、桃子としては少しばかり息子の嗜好に不満があるわけで。

兼一も、まあ恭也の気持ちがわからないわけではない。
彼もはじめのうちは、酒のうまさなどよくわからなかった。
だが、かつて逆鬼は漏らした「いつか達人の世界まで辿り着いた時、その時は一杯酌みかわしてみたい」と。
その時の言葉は今も兼一の胸に残り、彼自身もそう思った。
だからこそ、兼一はその時に「飲めません」などと言いたくないが為に、少しずつ飲んでみるようになったわけである。その結果として、最近少しは酒の味というものがわかるようになってきた。

「ま、母の仕事に理解のない息子の事は置いとくとして…………だれか、歌わない?」
「兼一さん、歌ってみませんか?」
「え!? ぼ、僕!?」

突然美由希から振られたその提案に、兼一は動揺を露わにした。
そして、当然他の面々もそれを推し進めようとする。

「お、いいねぇいいねぇ、行ってみよう!!」
「折角だから、恭也と勇吾も一緒に歌ったら?」
「って、俺もですか!? 俺は、歌はちょっと……」
「良いでしょ♪ ほら、赤信号みんなで渡れば怖くないっていうし」
「微妙に何かが間違っている気も」
「ひゅーひゅー♪」
「お師匠、お願いします!」
「勇兄もたまには歌いなって!」

そうして多勢に無勢には敵わず、男三人で歌う事となる。
まあ、三人そろってそこまでその方面に明るいわけでもないので、歌そのものは可もなく不可もなくだったが。

「ったく、こう言うのは本職とか好きな人がやればいいだろうに」
「いや、全国でもここまで緊張はしなかった」
「すまなかった、うちの母親が無茶を言って」
「あはは、僕はそれほど」

恭也の謝罪にそう答えつつ、密かに「長老だったら一人デュエットを披露してるところなんだろうなぁ」などと考える兼一。
まあ、実際普通に健全な高校生活も送っていた彼は新白の面々とカラオケに行く事もあったし、二人ほど歌う事への抵抗は少ない。いや、二人の場合フィアッセという歌い手がいるせいというのが、主な理由かもしれないが。

「う~ん、今度は私が歌おうかな。ほら、美由希も一緒に歌おう!」
「え、私も一緒に!?」
「兄に歌わせておいて、お前が逃げる気か? 文句は言わさん」
「あぅ、酷いよ恭ちゃん」
「じゃ、男の子三人に対して、こっちは女の子三人って言うのはどう?」

そう言って、フィアッセと美由希に続き、忍も参加する。
では、さあ何を歌おうとなった時。

「忍は、何かある?」
「それじゃあ、SEENAでETERNAL GREEN何てあります?」
「あ、あるよ。そっか、忍はSEENAが好きなんだ」
「えへへ」

フィアッセとSEENAの関係を知る面々は、はにかむ忍に優しげな視線を送る。
この付き合いが今後も続けば、いずれそのSEENAと会う事もあるかもしれないから。

そうして、メロディが流れ始め、三人は歌い始める。
プロであるフィアッセは「プロだから当たり前」と思えるレベルをはるかに上回るそれを披露し、そんなフィアッセを見て、その歌を聴いて歌を覚えた美由希もその美声を披露した。
忍もまた、フィアッセの歌を聞きなれた恭也をして「上手い」と率直に思わせる歌を紡ぐ。
やがて歌い終わる三人、そこで拍手喝采が浴びせられた。

「忍ちゃん、やっるー!」
「ホントだじょ~」
「綺麗だったねぇ、くーちゃん!」
「くぅん♪」
「フィアッセさんと一緒に歌っても違和感ないって……」
「すんごいレベルやなぁ」

女性陣は口々に三人を称賛し、晶とレンなど、まがりなりにもフィアッセについていった忍に驚きを隠せない。
同時に男性陣の側も、想像以上のそれに驚きを通り越して感慨深いため息を突く。

「いやはや、大したもんだ」
「三人とも、凄いですねぇ」
「確かに、美由希はともかく…月村は本当に驚いた」
「あ、恭ちゃん、なんか言った?」
「いや、別に」
「ふ~ん、聞こえてるんだから」

耳ざとく恭也の言を聞いていた美由希は、機嫌を損ねたのか不貞腐れる。
それなりに、今の歌に手応えの様なものを感じていたのだろう。
まあ、素直に妹をほめない恭也もどうかと思うのだが。

「でも、忍はホントにすごいねぇ。ちゃんとレッスンを受ければ、プロになれるよ。
 良い先生、紹介しようか?」
「あはは、ありがとうございます」

あまり人前で歌を披露した事がないのだろう。忍はフィアッセの手放しの賛辞に思い切り照れている。
そうしているうちに、時は刻々と過ぎて行く。
気付けば、いつの間にか空は夕焼けに染まり、もう良い時間となっていた。

「はー……お弁当もほとんど空だし、桜もいっぱい見たし…そろそろお開きにしよっか」
「じゃ、燃えるごみはこっち、燃えないごみはあっちの袋ね」

年長者達のその言葉と共に、皆は頷き、それぞれ帰りの支度を始める。
兼一やほのかもまた、辺りに散らばった細かいごみを集めそれぞれ分別して袋に入れていく。
とそこで、恭也が兼一に声をかけた。

「わるい、片付けまでやってもらって……」
「あはは、折角楽しませてもらったんだから、これくらいは、ね」
「別に、それは気にしなくていい。うちの女衆が強引に進めた事だしな」
「そっか。高町君としては……」
「ああ、多分同い年だから、呼び捨てでも構わないぞ。俺は、一年留年したようなものだしな」
「あ、そうなんだ」
「ああ、そうなんだ」

そう、兼一は一応このメンツの未成年の中では最年長だが、それは恭也も同じ事。
高校と大学の違いはあれど、一応二人は同い年だ。

「う~ん、ごめん。やっぱり、しばらくは君付けになりそうかな」
「…………そうか。まあ、無理強いするような事でもないか」
「ごめんね。だけど、僕の事も兼一で良いよ、高町君」
「ああ、そうさせてもらう、兼一」

そう言って、二人はどちらからともなくその顔に微笑を浮かべる。
それを傍で見ていた美由希やフィアッセなどは……。

「わ、珍しい。恭ちゃんが笑ってる。
なにか波長でもあったのかな? そういう要素、兼一さんはあんまりなさそうだけど」
「そうだよね。どちらかというと、美由希と波長が合いそうな感じなんだけど……」

それは、互いに手のかかる妹を持つ事へのシンパシーなのか。
それとも、道は違えど武人として生きる者同士の無意識の連帯感なのか。
あるいは、あまりにも普通人すぎる兼一に、毒気を抜かれたのかも知れない。
まあ、それはともかくとして……

「はー……いいきもち」
「………くぅ~ん」
「じょ~……世界がま~わ~る~」

調子に乗って甘酒を飲み過ぎて二人と一匹は、見事なまでに酔っぱらっていた。
たかが甘酒で、よくもここまでよ得るものだと周りの物を呆れさせはしたが、同時に微笑ましくも思われている。

「ちょ、二人とも大丈夫?」
「はぁ、美由希さん………ええと…おろろ?」
「うぅ、みゆきちぃ~……ゴメン。むぎゅ」
「へ? あわわ、わ!?」

二人に同時に倒れこまれ、それを支えきれずに一緒に転ぶ美由希。
二人は、美由希の胸に顔をうずめる形だ。
兼一と恭也はそれを見て、そろって「やれやれ」と肩をすくめていた。

その後、無事片付けを終えた面々は、それぞれ帰宅の途に就く。
白浜兄妹は途中まで、高町家は家まで忍が手配した車で送ってもらった。
そうして、流れ解散で忍や那美などがその場を離れたところで、唐突にほのかが美由希にある提案をする。

「ねぇみゆきち」
「ん? どうしたの?」
「いやぁ、良ければなんだけど、今度お兄ちゃんの道場に来てみない?
 ほのかは武術とかそういうのはよくわかんないけど、すっごい人が結構いるじょ」
「あ、その……」

ほのかの提案に、美由希は一瞬体をビクリと震わせ、その後口ごもる。
彼女が学び磨く剣は、普通の道場で学ぶそれとは違う。
てっきり兼一の道場を普通のそれと思いこんでいる美由希には、どうしても気おくれがあった。
そんな様子を、高町家とその関係者一同、及び兼一は思いは違えど静かに見守る。

「えっと、ありがとう。でも…………ごめんね」

理由もなく、ただ謝罪。
それでは到底納得などできないと承知しているが、それでも美由希にはそうとしか言えなかった。
ただその顔には、どこか今にも泣き出しそうな弱々しい表情だけがある。

「無理にとは言わないけど、ほのかもちょっとみゆきちのやってる事がどんな事なのか見てみたいんだけど……」
「ごめんね、本当に…………ごめんね」
「むぅ……」
「ほのか」
「…………………………………わかったじょ」

兼一の制止の声で、ほのかはそれ以上に言い募ろうとはしなかった。
兼一が武人であると知っているからこそ、自分では分からない何かを共有できたのかもしれないと、そう思ったのだろう。
実際には、兼一も美由希や恭也が武の道を行くのであれば、一度梁山泊に来てもいいかもしれないと思う。
確かにあそこの修業は常軌を逸しているが、それでも高みの存在を知る事は武術家として有意義だ。
その高みの最果てにいるであろう師達と会い、同じ武器使いであり、その極みにいるしぐれと話すことで、二人が得るものはきっと少なくない。

そう思っていても、美由希や恭也の目の奥にある何かが、兼一にそれを躊躇わせた。
いずれはそうした方がいいのかもしれない。だが、今はまだなのではないか。
あるいは、何か手順が違っているのかもしれないと。兼一は、直感的にそう思った。
だからこそ、ほのかがそれ以上言い募ろうとしたのを止めたのだ。

「まあ、その内に機会があれば来てください。師匠達も、きっと歓迎してくれると思いますから」
「ああ。それなら、いつか顔を出させてもらう」

美由希に代わりに、恭也が兼一にそう答えた。
それは、本心からというものではない。ただの社交辞令、少なくとも彼はそのつもりだった。

「それじゃあ、僕たちはこれで。今日は、ありがとうございました」
「いえいえ、こちらこそ。ほのかちゃんだけじゃなく、あなたも遊びに来てくれると、桃子さんうれしいな」
「そうだね、恭也もきっと喜んでくれると思うんだ。ね、恭也」
「まあ、その時は歓迎する。美由希の花壇でも、見てやってくれ」
「うん、その時はそうさせてもらおうかな」
「また、来てください。そうだ、今度軽く組み手でもしませんか?」
「アカンアカン、こんなおサルと組み手なんてしたら、それこそ怪我してまいます」
「んだと!」
「ほんまやろが!」
「もう、一日に何回ケンカすれば気が済むの、二人とも―――――――!!」
「「こいつの息の根を止めるまで(だ・や)!!」」

疲れている筈なのに、そんな事まるで感じさせずにヒートアップする二人。
そんな二人を、兼一は「アハハ」と苦笑しながら見つめ、特に止めようとはしなかった。

「じゃ、みゆきち。また今度学校でね」
「あ…………うん」

どこか、まだ何かを引きずっているような様子の美由希。
そんな美由希にほのかはどこかさびしさを覚えつつ、追及はしない。
先ほど兄に言われたばかりだし、彼女でも空気を読むくらいはするのだ。

そうして、二人は高町家の門前を後にする。
残されたのは、少々心配そうに美由希を見つめる高町家の面々と、相変わらず沈んだ表情の美由希。
そこで恭也は少し強めに美由希の背を叩き、声をかける。

「いつまでそうしている。そうやって沈みこんでいるほうが、彼女に対してよっぽど悪いぞ」
「うん、分かってる、分かってるんだ。でも、やっぱり…なんだか、寂しいよ」
「寂しい思いをさせているのはお前だ」
「そう、なんだよね。我ながら、意気地がなさ過ぎて情けないよ」

優しい言葉をかけてくれない兄に、別に美由希は不満など持っていない。
これが恭也なりの思いやりだと、長い付き合いの彼女は理解している。
だからこそ、思うようにならない自分の心が情けなくて仕方なかった。

兼一がまがりなりにも武術をしている。たったそれだけのことで、彼女は揺らいだ。
別に見せるだけなら剣技、それも基本的な剣技だけを見せればいいと、自分なりに考えて割り切った筈なのに。
普通の武道家からすれば、それだけで御神の剣の本質を見抜く事などできないと分かっている。
にもかかわらず、美由希は迷う。
万が一にも、御神の剣の本質を知られ、それとそれを学ぶ自分を否定される事が怖かった。
ほのかを、大切な友人だと思うからこそ。

そうして数分後、美由希が門の方に足を向けるのに合わせて、他の面々も高町家の中に入っていこうとする。
だがそこで、弾かれた様に恭也が反応した。

「誰だ!?」
『え?』

突然振り向き、大声を上げて臨戦態勢を取る恭也。
その意味が分からず、疑問の声と表情を浮かべる他の面々。
しかし、美由希だけはその意味をやや遅れて理解する。

「恭ちゃん!」
「何者…………………いや、どう言うつもりだ。
 こんな住宅街のど真ん中でその敵意、その殺気、穏やかじゃないぞ」

美由希の呼びかけには応えず、恭也は少し先の曲がり角から目を逸らさない。
まるでそこに、親の仇でもいるかのように厳しくも鋭い眼光。
普段の恭也ではなく、美由希と稽古している時の…いや、それ以上に鋭い戦闘者としての高町恭也の眼だった。

そして、ゆっくりと角から誰かが姿を現す。
夕暮れ時を過ぎ、すでに周囲は半ば夜の帳に包まれかかっている。
そんなやや暗い住宅街に姿を現したのは、頭からすっぽりとフードを被った…いや、フード付きのコートをまとった黒尽くめの男だった。

上も下も、手袋をはめた手も漆黒。
ところどころに意匠を凝らした装飾はあるが、それ以外ではほぼ全てが黒一色。
もし完全に夜の闇に紛れてしまえば、並みの者ではちょっとやそっとのことでは気付かないだろう。

そしてその男は、一見すると無造作に腕を組んで立っているだけだ。
だが、実際には違う。
むしろ、その姿勢と放たれる威圧感から、即座に恭也と美由希は相手の力量が尋常なものではないと察知する。

(本当に何者だ。この気当たり、並みじゃない……)
(スゴイ、全然隙がない。この人…………………………………強い)
(迂闊だった。あるのは飛針と鋼糸だけ。小太刀は中か……)
「不破、恭也だな」
『っ!』

その名前の意味を知る者たちは、全員が息をのむ。
久しく使われなくなったその名前。その名を口にしたこの男に、恭也達は最大級の警戒心を抱く。
もしかすると、かつて御神と不破を壊滅させた者の関係者かもしれない、そう思ったのだ。
そこで、恭也は絞り出すように言葉を紡ぐ。

「人違いだ。俺は『不破』ではなく『高町恭也』。不破とやらを探しているなら、余所を当たれ」
「永全不動八門一派・御神真刀流、小太刀二刀術師範にしてイギリスの上院議員を守って殉職した達人、『不破士郎』の実子。そして、自身もまた御神流の師範代、訂正はあるか」

それは確認作業というよりも、その事実を突き付けているかのように鋭く重い言葉。
そして、自身の素性をそこまで調べた上で対峙した相手に対し、最早言葉で追い返そうと言う気は恭也にはない。
相手は明らかに敵意を抱き、戦う腹積もりでいる。
この期に及んで話し合いで解決するなど、恭也には到底思えなかった。
故に、恭也は尋ねる。自身の前に立つ、この敵の名を。

「貴様……………何者だ」
「……………………………………………ハーミット(隠者)」






あとがき

正直、最後の台詞はいるかどうか迷ったんですが、どうせ隠す意味もないでしょうし、出すことにしました。
とりあえず、兼一は一般人として高町家とお近づきに。
そして、あのシスコンにしてロリコンのツンデレなイケメンは、なぜか恭也にケンカを吹っ掛けることに。
なんでそんな事をしているのかは…………まあ、次には明らかになります。

そして、次は(たぶん)皆さんお待ちかねのバトルパート。
いや、Redsと違って純粋に武術だけの戦いなだけに、上手くやれるか結構心配です。
下手すると、酷く戦闘シーンがつまらなくなりそうな気がチラホラ。上手くやれるよう祈っていてください。



[24054] BATTLE 4「月下の拳士」
Name: やみなべ◆d3754cce ID:1963cf14
Date: 2010/11/23 13:11

時間は少々遡り、兼一達が花見に参加するその前日。
その時谷本邸の主である夏は、自宅の玄関先で奇怪な生物が向かい合っていた。

「おいおい、折角来た客にこんなところで話をさせる気か?
 居間に通して、丁重に迎えるのが道理ってもんだろ」
「黙れ。それは相手が人間の時の話だ。
敷居を跨がせてもらえただけでもありがたく思えよ、宇宙人」

肩を竦めて呆れる新島に、夏はブリザードの様な冷たい視線と口調で応じる。
それも土間にいる相手を、自分は廊下から見下ろしている形だ。
これ程までに明確な拒絶の意思表示もまたない。
にもかかわらず、新島はどこ吹く風といった様子でそれを流す。

「ヒャヒャヒャヒャ! 合鍵を預けてる親しい友人を迎える態度じゃねぇな」
「誰と誰が親しいんだよ!? 合鍵だっててめぇが勝手に作ったんだろうが!!」
「ま、それは横に置いておくとして」
「勝手に横に置くな!!」

いちいち癇に障る事を口にする新島と、それに尽く激昂する夏。
どう見ても、新島の方が一枚も二枚も上手である。
如何に腕っ節で勝るとはいえ、この悪魔が相手では分が悪かろう。

「と言いつつ、こうして茶も出してるじゃねぇか。
 律義なんだか、嫌味なんだか………それとも、お前の家ではこれは茶漬けの代わりなのか?」

そうして、玄関で茶をすする新島。はっきり言って、その光景は「異様」だ、そして同時に「矛盾」している。
何しろ、玄関から先に通す気がないのは明白なのにもかかわらず、茶だけはしっかり出しているのだ。
これでは確かに、京都のお茶づけに相当する意味でもあるのではないかと勘繰りたくなるだろう。
だが実際には……

(ちぃ! あのバカ妹のせいで、すっかり茶を淹れるのが癖になっちまった!)

ひとえにほのかの薫陶の賜物である。
まあ、玄関先で押しとどめている相手にも茶を出してしまう辺りが「らしい」と言えば「らしく」もあるが……。

「ま、今は別にいいか。
 ほれ、頼まれてた情報だ。大勢調査員を雇ってるくせに、相変わらず使い方が下手だよな。
 昔も言ったがな、調査員なんてのはこき使ってなんぼだぞ」
「けっ、他人の調査員をいつの間にか私物化してる野郎が言うんじゃねぇよ!」

そう憎まれ口を叩きながらも、夏は投げ渡された報告書に目を通す。
その内容は夏の期待通り……いや、それ以上だ。
改めて夏は、この地球外生命体の人を操る能力と情報収集能力に驚嘆する。
まあそんな事は、「闇」の拠点の情報を自力で入手した時から分かり切っていた事だが……。

(調査員だけでこれだけの情報を集められる筈がねぇ。
 って事はこいつ、またどっかやべぇ所に忍び込みやがったな)

別段、夏は新島の身の安全を心配しているわけではない。
というよりも、そんなものは杞憂だと知りつくしている。
こと身を守る術において、この男は特A級の達人級といっても過言ではないと、彼を知る者たちは確信しているのだ。
実際、逃げ足の速さと生存能力の高さはゴキブリも裸足で逃げ出すだろう。

「にしても、なかなかおもしれぇ連中じゃねぇか」
「ふん。また新白にでも引き込むつもりか?」
「ウヒャヒャヒャ、それも良いな! うちは無手の連中ばっかしで、武器使いはフレイヤくらいしか戦力にならねぇ。ここは、兼一とほのか使って引きずりこむか……」
(マジだな、この野郎)

あごに指を当て、何やらコンピューターのような音を頭部から出しながら思案する新島を見て、夏は脂汗を流す。
彼には分ったのだ。冗談のつもりで言った今の一言を、新島が実に大真面目に考慮している事が。

そして、この男が本気で動きだせばそれは十分実現しうる。
これまであらゆる手練手管、口八丁手八丁で駒を増やしてきたのだ。
どんな手段を講じているのかは分からないが、こいつは狙った獲物を逃がす男ではない。

(この宇宙人に目を付けられたのが運のつきか…………同情するぜ)

ある意味原因は自分だと言うのに、そんな事は遥か彼方に捨て去り、勝手な事を考える夏。
この男も、これでなかなかに図太い神経と図々しい性格をしている。

「で」
「あん?」
「俺様に借りまで作ってそいつらを調べさせたわけだが、どうするつもりだ?」
「てめぇには関係ねぇだろうが」
「…………そうかよ」

夏の態度は実に失礼だし、本来なら礼の一つもあってしかるべきであろう。
だが、自身の質問に取りつく島もない夏に対し、新島もそれ以上追及しようとはしなかった。
長い付き合いだ、こういう時の彼に何を聞いても答えが得られない事を知っているのだ。
優れた観察眼と洞察力、即ち「新島アイ」を持つこの男でも、心を隠すことに長けた夏の本心を見抜く事は難しい。

まあそれ以上に、彼が動く分にはそう悪い事にはならないだろうと言う確信があるのだ。
好戦的で傲慢で高飛車な男だが、それ以前に一本筋の通った武人である。
そしてもっと根本的な問題として、この男がほのかの不利益になる様な事をする筈がないのだから。

そんな前日の出来事を思い返しながら、新島は高町家から少々離れた高台から指で作った輪を覗き込む。
そう、「新島アイ」の探索モードである。

「さぁて、高町恭也。おめぇが俺様の役に立つ男かどうか、しっかり見極めさせて貰おうじゃねぇか」



BATTLE 4 「月下の拳士」



「……ハーミット、だと?」
「……………」

恭也の問いに対し、ハーミットと名乗った男はそれ以上何も語らない。
相変わらず腕は組まれ、脚は無造作に肩幅に開かれたままだ。
にもかかわらず、恭也の額からは一滴の汗が流れる。

(御神と不破を全滅させた連中…………とは無関係だろう。
 連中とでは手口が違いすぎるし、いまさらになって俺達の前に現れる理由もない。
 だが、だからこそわからない。こいつ、何が……)
「あなた、こんな時間にうちの子に何かご用でしょうか? 良ければ、中で話でも……」
「下らん」

状況が良くわからないなりに相手の目的を知ろうとかけられた桃子の言葉は、酷く冷たい声音で拒絶された。
彼女とて、相手が普通の用件で現れたわけでないことくらいはわかっている。
仮にも高町士郎の妻であった桃子だ、相手がある意味で、通常の暴漢などよりももっと性質の悪い人種であると直感的に感じ取っていた。
しかしそれでも、ここまで取りつく島がないとは思っていなかったようで、気圧されたように半歩下がる。

「武人同士が対峙したのなら、する事は一つ。死合うだけだ、違うか不破恭也」
「ま、待ってください! こんな街中で……!?」

暴論としか思えないハーミットの言葉に、即座に美由希が反論しようとする。
だがそれは、彼女にとってあまりにも意外な人物によって制された。

「やめろ、美由希」
「……恭ちゃん!?」
「着衣は動きやすい道着や練習着とは限らない。板張りの道場で実戦が行われる事などない。
 だからこそ俺達は、それに備える為に毎日森の中で打ち合っていたんだぞ」
「そ、それは、そうだけど……こんな辻斬りみたいなの……」
「それも含めて武の世界だ。下手な事を口にすれば、自分の格を下げるぞ」
「フン! 武器などというオモチャを使う割には、少しは戦いの機微をわきまえているようだな」
「なに?」

それまで警戒こそしているが冷静さを保っていた恭也の表情に、鋭い険が生じた。
眉根は寄せられ、全身からは怒りの気配が滲みでる。
当然だ、自身が長い時間を賭けて研鑽してきた術を、たった今侮辱されたのだから。

恭也は別段、無手の武術を軽んじているわけではない。
だが同時に、武器を持つ者の方が有利であると言う事も疑ってはいない。

しかしそんな事とは無関係に、自身の技に誇りを持っていた。
一武術家として、先人たちから伝えられ、父から教わり、妹と共に今日まで練磨し続けた小太刀の技に。
その誇りを軽んじられて、どうして平然としていられよう。

「さっき、訂正はあるかと言ったな」
「フッ。なんだ、何か気に障る事でもあったか?
 俺は厳然たる事実しか口にしてはいないぞ」

恭也が何に怒っているのか、ハーミットは理解していた。
にもかかわらず、尚も彼は恭也の誇りを軽んじ続ける。

「武器など所詮はオモチャだ。己が肉体に自信がないからこそ、薄汚い鉄屑に頼らなきゃならねぇ。
 真の武術、覇者の業にそんな惰弱な物は不要!」
「…………言ったな。ならばその傲慢の代償、その身を以って払ってもらうぞ」

美由希を始めとした、恭也をよく知る家族達は恭也からわずかに距離を取り、息をのむ。
彼の怒りの気配を感じ取り、それに気圧されたからだ。
レンや晶などは、いっそハーミットに同情の念さえ覚えたかもしれない。
しかし、当の恭也は怒る自分とは別のところで、冷静に敵を分析していた。

(確かに傲慢だ。だが、それを言うだけの実力がこいつにはある。なんとかして小太刀を……)

武器を持たない武器使いなど、その戦力を半減させていると言っても過言ではない。
確かに恭也は徒手空拳での戦闘にも自信はあるが、本職のそれに及ぶ筈もなし。
どれだけ多く見積もっても、恭也は10の鍛錬の内3程度しか徒手には費やしていないのだ。
だが、相手が10の鍛錬の全てをそれに費やしているのなら、当然相手の方が徒手では有利。
弘法筆を選ばずとは言うが、そもそも筆がないのであれば腕の振るいようがない。

自身の手に最も馴染んだ武器がない事、宴会後の気の緩んだタイミング、背後にいる守らなければならない人達。
その他諸々の要素を加味して、恭也は自身の不利を正確に把握している。
傷つけられた誇りの報いを受けさせたい欲求はあるが、それで大切な事を見失うほど恭也は愚かではない。
故に、恭也は後ろ手で美由希に簡単なサインを送る。

(俺がこいつをひきつける。その間に、皆を家の中へ)
(その上で、恭ちゃんに小太刀を渡す……これしかないよね)

美由希もまた、恭也の意図をしっかりと把握している。
一度は突然の事態に僅かに動転したが、一度恭也に注意されたことでいつもの調子が戻ってきた。
普段はどこか鈍くさい美由希だが、一度腹を決めてしまえばその度胸と決断力、周囲の状況を把握する能力は並みではない。
突発的な事態であっても、冷静に対処するための訓練は師でもある兄によって徹底されているのだから。

とはいえ、これだけの使い手が相手。そう簡単に思うようにさせてはくれまい。
故に美由希は、細心の注意を払ってハーミットの動向を探り、皆を家に退避させる隙を探り続ける。

「フン、やれるものならやってみろ。
武とは力のみが支配する、結果が全てのシンプルな世界。
気にいらねぇんだろ、俺の事が。なら、力づくで否定してみやがれ!!」
「気にいらないわけじゃない。ただ、その傲慢が度し難いだけだ!」

その瞬間、二人は互いに構えを取る。
互いに半身、だが手の形が違う。
恭也は軽く握りこんでいるのに対し、ハーミットは貫手に近い形だ。

それは、恭也にとっては見慣れない型である。
元から今の段階で無理に倒しに行かなければならない状況も相まって、恭也はあえて見に回った。

睨みあうこと十数秒。
一瞬、フードの陰から僅かに見えるハーミットの口元に笑みが浮かぶ。
そしてその瞬間、ハーミットが動いた。

「烏龍盤打!!」

一足にもかかわらず、数メートルはあった両者の距離は一気に詰められた。
そのまま、身体ごと回転させて放たれた強烈な掌打が、鞭の如き腕のしなりと共に恭也の頭上より振り下ろされる。
それを恭也は半歩下がってかわし、掌打はアスファルトの地面に『ゴンッ』という重い音と共に叩きつけられた。
しかし、そのあまりの威力に第三者達は驚愕の声を上げる。

「って!」
「アスファルトを!」
「「陥没させた!?」」

そう、ハーミットの一撃は、アスファルトで舗装された道路をクレーター状に小さくへこませていた。
晶とレンの高町家無手コンビは、そのあまりの出鱈目さに瞠目する。
フィアッセや桃子、なのはにしたところで、その常軌を逸した威力に声を失い思考が停止していた。

無理もない。常識的に考えて、人間の腕でそんな芸当ができるとはだれも思わないだろう。
如何に高町兄妹の事を知っているとはいえ、素手でここまでできる人間を彼女らは知らないのだから。
晶は館長である「巻島重蔵」を知っているが、彼の本気をまだ目にした事がない以上比較対象を持っていない。

そんな中でただ一人、美由希だけは冷静にこの一撃を分析すべく思考をフル回転させていた。
いや、正確には、なんとか冷静さを保とうと努力した結果として、この敵の技を分析していると言うべきか。
まあどちらにせよ、彼女に目にもそれは信じがたい現実だっただろう。

(ど、どういう腕の構造をしてるの? あんな事したら、普通は先に腕の骨が砕けちゃうよ……)

美由希とて、武を極めた先の世界の一端くらいは知っている。
だが、早くに師範である養父を亡くし、未熟な兄に指導されてきたことで彼女の知る範囲は決して広くない。
剣の真髄はおぼろげながらわかるかもしれないが、拳の真髄について彼女は門外漢に近かった。
故に知らない、中国拳法の「硬功夫」を練りに練った者の肉体的強度を。

レンも中国拳法を使うが、彼女の場合ある身体的事情からそう言った負担の大きい鍛錬はできない。
そもそも、凰家の拳は「風」とも称される柔の拳。剛の拳である「劈掛拳」とは対極だ。
その中でもこの「烏龍盤打」は、遠心力で気血を腕に送り硬質化して手刀や掌打で叩き潰す荒技。
ある意味、レンにとっては最も縁遠い技の一つだろう。

そのため、ハーミットの掌打の秘密を正確に看破できる者はこの場にはいない。
しかし恭也は、わからないものはわからないと割り切る能力に長けていた。

(確かに、まともに食らえばただでは済まない。
だが、大振りな分回避自体はそう難しくない。理屈はともかく、当たらなければ同じだ。
むしろ、厄介なのは……)
「むん!!」

その掛け声とともに、更なる掌打が連続して恭也を襲う。
掌打が通り過ぎるたびに、並々ならぬ風圧が恭也の顔を撫でて行く。
いや、それだけなら多少怯みはしても厄介とまでは思わないだろう。

問題なのは、一撃目を回避しても、即座にもう一方の手から放たれる二撃目がより長く伸びてくる事。
そして、さながらでんでん太鼓の様に、振り抜いた腕は体に巻きつき、タメの姿勢がそのまま防御を兼ねている。
その結果、恭也に紙一重の回避を許さず、回避しても迂闊には踏み込ませない。
それだけの技を軽々とやってのける相手の練度に、恭也は内心舌を巻いていた。

(素手の武術を侮っていたつもりはなかった…………だが、まさかこれほどとは……)

恭也とて、巻島重蔵という怪物じみた空手家を知っている。
目の前の敵が強い事も重々承知していた筈だった。
しかしそれでもなお、生身の体でこれほどの破壊力を出せる事に驚きを隠せない。
とはいえ、彼とてこのままいい様に攻められているつもりなかった。

「ハッ! まさかこの程度の事で怖気づいたか!!」
「なめるな!」

そう叫び、恭也はハーミットが放つ掌打の中にあえて踏み込む。
まともに受ければ、決定打とまではいかなくても、かなりのダメージを覚悟しなければならない一撃。
その中に踏み込むなど、一見すれば自殺行為だ。

「恭也!」
「お兄ちゃん!」
「大丈夫だよフィアッセ、なのは。アレは……」
「ちっ、考えやがったな!」
「ここまで踏み込んでしまえば、その掌打の威力も半減する!」

そう、敵陣深く踏み込んだ事で、恭也はハーミットの肘を肩で受ける形となった。
この技は、本来掌底部分にこそ最大の威力がある。
逆に言えば、腕の根元に近ければ近いほどに威力は減衰するのだ。
それを看破した恭也は、あえて踏み込むことで死中に活を見出した。

「だが、これだけ近づいた今、碌に攻撃できないのはお前も同じだろ!」
「それは…どうかな?」
「何! ……がっ!?」

鳳家拳法の一手、『寸掌』。
他の門派では『寸剄』とも称される、密着状態の時に使う技だ。
強いて違いを挙げるなら、通常の寸剄が拳打なのに対しこちらは掌打であると言う事だろう。
ハーミットの一撃を肩で防いだ恭也は、そのまま全身運動からの掌打を放ち、ハーミットに痛烈な一撃を加えていたのだ。その結果、ハーミットは後方に大きく弾き飛ばされる。
だが、それも……

『やった!』
「いや、外された……」

皆は歓喜に湧きかけるが、恭也は口惜しそうに歯噛みしてそれを否定する。
恭也が掌打を放つ寸前、ハーミットは自ら後方に飛ぶことでその一撃を殺していたのだ。
事実、弾き飛ばされた筈のハーミットは、宙返りをすると軽やかに着地を決めた。

「くっ……まさか、中国拳法の一手も知ってやがるとは……」
「何事も手を出しておくものだと、今改めて思っているところだ。
 昔、レンに型を実演して見せたのが、こんな形で役に立つとは思わなかったぞ!」
「そうかよ。なら、ついでにこいつも覚えていけ! その身体でな!!」

懲りずにさらに烏龍盤打を放つハーミット。
しかしその技は、すでに恭也には見切られている。

「バカの一つ覚えか! ここで馬脚を現したな!!」
「ああ、お前がな!!」

再度ハーミットの懐へと踏み込む恭也。
思っていた通り、肩で受け止めた敵の腕の威力は耐えられないものではない。
だがその瞬間、彼の首筋に重い衝撃が走った。

「ぐあ!? こ、これは……」

そこで恭也は自分に何が起こったのかを理解する。
ハーミットの一撃は確かに防いだ。しかし防いだはずの一撃はさらにしなり、彼の手刀が恭也の首を叩いていた。

「反射を逆手に取ることで、見えていても食らってしまう攻撃ってものがある。
 真の武術家とは、そう言った技を長年蓄積した者を言うんだよ!!」

思いもかけぬダメージにより一瞬生じた隙を、ハーミットは逃さない。
そのまま一気にたたみかけるように、反射を逆手にとった技で恭也を攻め立てる。
肘を防いだと思えばそこから伸びて裏拳が、頭上からの掌打を防ごうとしたら途中で切り替わって肘が襲う。
並々ならぬ反射神経を持つ恭也をしても、いや、そんな恭也だからこそその攻撃のことごとくにかかってしまう。
やはり、純粋な無手の戦いではハーミットに一日の長があった。
技の種類、その錬度、そして深さ。その全てにおいて、ハーミットは恭也を上回る。

だが、恭也とて御神流の師範代。
そもそもこれは試合ではなく、限りなくケンカに近い戦い。
故に、定められたルールなど元よりないのだ。

「がはっ! なるほど、さすがに徒手空拳では分が悪いか……」
「わかったのなら、大人しく死ね!!」
「そう簡単にやれるほど、安くはない!!」

そう叫ぶと、恭也の手が何かを投じるようにハーミット目がけて振るわれた。
ハーミットは即座にその場から真横に跳ねる。
すると、先ほどまでハーミットがいた個所を何かが通り過ぎた。

「ち、そう言えば暗器も使う流派だったな。しかも、ご丁寧に黒塗りか……」

そう、今恭也が投じたのは五本の飛針。
それも闇夜に紛れるように、漆黒に塗られた性質の悪い一品。
その鋭利な切っ先は、軽くハーミットの頬とフードを切り裂き、背後の電柱に突き刺さっている。
もし直撃していたら、間違いなくその肉体を深々と抉っていただろう。
だが、恭也が衣服の下に忍ばせている暗器は、何も飛針だけではない。

「っ!!」
「目ざとい!」

次に放たれたのは鋼糸。
ハーミットは外聞もなく地に身を投げ出し、恭也の放ったそれを回避した。
もし、後一瞬反応するのが遅ければ、今頃ハーミットの腕は鋼糸に絡め取られていただろう。
己が身一つで戦うべく鍛え抜かれたハーミットのパワーは並みではないが、武器という重量物を扱う恭也のパワーも同様に侮れない。
もし絡めとられれば、場合によっては主導権を恭也が握っていた可能性もある。
何しろ鋼糸が深く食い込めば、服と共に皮や肉を裂いていたかもしれないのだから。
まあ、恭也は知らない事だが、ハーミットの服は特殊繊維を使われているので、そう簡単にどうこうなるものでもないのだが。

そのまま、二人は再度激戦へと突入していく。
だが、先ほどまでとは立ち位置が異なる。
距離を取って飛針や鋼糸を振るう恭也と、それらを掻い潜って距離を詰めんとするハーミット。
投擲系の武器に戦い方を切り替えたことで、間合いの利は恭也へと傾いた。

「なめるな!」

気合とともに外套で飛針と鋼糸を払うハーミット。
飛針はその性質上携帯できる数に限りがあるせいか、放たれる数は決して多くない。
故に、ハーミットの警戒対象は主に鋼糸となり、四肢や胴体を絡め取られないように注意している。
もし絡め取られれば、体を崩すことくらい恭也なら容易くやってのけるだろう。
そんな事になれば、如何にハーミットといえども致命的な隙を晒すことになる。
それを承知しているからこそ、ハーミットは極力鋼糸に触れない様に紙一重の所で回避していた。

(急いだ方がいいか。騒ぎを聞きつけて人が集まるまで、もう時間もねぇ。
 早めにケリをつけねぇと面倒だな)

二人の戦いが始まって、まだ五分と経っていない。
だが、地域住民たちが異変を察し、警察に連絡するには十分だ。
ハーミットなら警察から逃げる事は容易いが、それはそれで面倒。
やはり、警察が来る前にこの場を離れるのが望ましい。

だが同時に、それはそろそろ恭也の手に小太刀が握られてもおかしくない時間がたった事を意味する。
にもかかわらず、一向にその様子もない。
当然だ。美由希達も隙を見て家の中に入ろうとはしているが、動こうとする度にハーミットに牽制されて動けずにいたのだから。

「美由希ちゃん、こうなったらもう俺達も一緒に戦った方が」
「せや、おサルの言う通りやで。確かにあのフードはお師匠と戦えるくらい強いけど、ウチら三人も一緒なら」
「ダメ!」
「「え?」」
「美由希?」
「お姉ちゃん?」
「ダメだよ。良くわかんないけど、手を出しちゃ…ダメ」
「どうしたの美由希! 顔、真っ青だよ!?」
「分かんない、分かんないんだけど…………手を出したら、ただじゃ済まない。そんな気がするんだ」

美由希は肩を震わせながら、そうつぶやく。
その直感は正しい。迂闊に打って出れば、確かにただでは済まないだろう。
美由希達が、というよりも、恭也がだ。

この状況下にあって、美由希達ははっきり言って足手まとい。
自分と拮抗した力を持つハーミットを相手にしている最中に、予定にない動きを美由希達がすれば、如何に恭也といえでも動きに一瞬の迷いが生じるだろう。何しろ彼は、今まさにハーミットの実力を肌で感じ、三人では束になっても勝てないと分かっているのだから。
そしてその一瞬の迷いを見逃すハーミットでもない。
その事を、美由希は上手く言葉にこそできないながらも、本能的に察していた。

「悔しいし、情けないけど、今は見てるしかないよ」

口惜しそうに、今にも泣き出しそうな顔で、美由希はそうつぶやく。
それが最善だとしても、何もできない自分が歯がゆくて。

そして、そうしている間にもハーミットはある決断をくだす。
それは、実に彼らしいと言える発想だった。

(時間がねぇなら、ここは一つ………………捨て身でいくか!!!)

意を決し、ハーミットは多少のダメージを覚悟で飛針と鋼糸を掻き分けて行く。
捨て身になった事が返って功を奏したのか、容易とは言えないまでも、目立ったダメージを追うことなくハーミットは恭也の下にたどり着く。
そこで、彼は渾身の力を込めた右掌打を脇腹の急所へと放つ。

「しっ!」
「せや!」

当然、そんな物を喰らっては堪らぬとばかりに恭也はその一撃を払う。
だが、それは囮。
掌打を払った瞬間にできたわずかな隙、そこへ目掛けて強烈な横薙ぎの左の手刀が恭也に伸びる。

回避は間に合わず、手刀は恭也の体を打ち抜く。
しかし、辛うじて間に合った逆の腕を盾とし、恭也はその一撃に耐える。

「ぐはっ…!?」
「てめぇ、この一撃を堪えやがったな!」
「当たり前だ。はじめから…………そのつもりだったんだからな!!」
「何?」

恭也の言に、ハーミットのフードに隠れた眉がしかめられる。
それではまるで、この一撃を受ける事を想定していたかのようではないか。
そして、その予想は正解だった。

「終わりだ!!」

その言葉と共に放たれたのは、飛針を指の間に挟み込んだ上での拳打。
同時に、先ほど放った手刀を恭也が盾にした腕に抱え込まれ、身動きも封じられている。
元より、恭也は敵を懐へと誘い込み、この一撃を加えるつもりだったのだ。
鋼糸と飛針による遠距離戦闘も、全てはそのための布石。

「野郎!!」
(急所は外す。さすがに、飛針が刺されば勝負は決する筈だ)

恭也の狙いは右の太股。もしここに刺されば、どれほどの使い手でも機動力の低下は避けられない。
そして、武術において足腰の重要性は論ずるまでもない。
その点から見ても、これで恭也の勝利は手堅いだろう。

そう、相手が普通の武術家であれば。
彼は修羅の道を歩んできた武術家。手堅さを望んでいては、彼を打倒しきる事は出来ない。
それを裏付けるかのように、手詰まりにも近い状況でありながらハーミットは敢えて一歩踏み込む。

「お前!?」
「言ったろうが! そんなオモチャじゃ俺は殺れねぇ!!」

目測がズレた事で恭也の拳打はハーミットの腹部へと突き刺さる。
同時に、ハーミットは掴まれていた腕を振り払って自由を取り戻し、一瞬のうちに恭也の背後に回る。

「甘めぇぜ! 接近戦に持ち込みたかったのは、こっちも同じだ!」
(なんだ、この歩法は!? 岩に挟まれた様に、身動きが取れない!!)
「死ね…………貼山靠!!!」

八極の一手『貼山靠(てんざんこう)』。
別名「鉄山靠」とも呼ばれる、肩で体当たりし内部の勁と外部の打撃を同時に与える大技。
それを「梱歩(こんぽ)」と呼ばれる歩法で外への足さばきを封じて叩き込んだのだ。

恭也の体は、強烈な発剄により弾き飛ばされる。
それを見て、ついに美由希達が悲鳴を上げた。

「「恭也!?」」
「「(お)師匠!!」」
「恭ちゃん!?」
「お兄ちゃん!?」

地面をもんどりうって転がる恭也。
それは最早、交通事故にでもあったかのような飛ばされっぷりだ。
しかし、ここで残心を怠るハーミットではない。
彼はさらに追い打ちをかけるように、そのまま烏龍盤打や震脚による踏みつけを放つ。
次々とアスファルトはへこんで行き、道路は見るも無残な様相を呈していく。

だが、辛うじてそれらの猛攻を避け切った恭也は、なんとか立ち上がり体勢を立て直す。
しかし、彼の体も相当に鍛えられているが、身体を突きぬけた衝撃は並みではない。
故に、先の一撃によって被ったダメージは甚大だ。
ハーミットも腹を刺されたが、分厚く強靭な筋肉の壁が重大なダメージを防いでくれた。
恭也が致命傷や深手を避けようとして加減した事が、ここにきて裏目に出た形だろう。

「はっ……がはっ!?」
「NO――――――! もうやめて! これ以上やったら恭也が……恭也は膝が悪いんだよ!?」
「あなたもよ! お腹から血が出てるじゃない! こんな事をして、一体何になるっていうの!!」

フィアッセと桃子の言は正論だ。
だが、彼女達は知らない。修羅の道を歩む者の存在を。

「膝が悪い? 血が出てる? そんな物がいい訳になるか!!
 俺は師父に敗北は死を意味すると叩き込まれてきた!
 トドメを刺すまで油断なんざしねぇ!」

一般人達にはわからない、武の世界に生きる者の理屈。
しかし、その非日常の理屈がこの場を支配しているのだ。
それを知らしめるかの様に、ハーミットは恭也達に宣言する。

「分かるか? ヌルいんだよ、お前達の武術への姿勢は!
 勝利か、死か!! それが武術の世界だろうが!!」
『…………………………………』

その修羅の如き咆哮に、フィアッセや桃子どころか、美由希達も息をのむ。
確かにそうなのかもしれない。しかし、それをここまで明確な形で実践する者がいようとは……。
それが、美由希達には信じられなかった。

どれだけ卓越した才を持ち、並々ならぬ努力をしてきたとしても、彼女らには決定的に足らないものがある。
それは「実戦」と「敵」の存在だ。
彼女達は本当の意味で命を賭けて戦った事がない。
命を奪いに来る敵も、命を捨てて挑んでくる敵も知らないのだ。
現代においてはそれが普通とはいえ、知る者と知らない者との差がここにあった。

「俺達が………ヌルいだと?」
「ああ、ヌルいな。お前は剣士だ。にもかかわらず、剣を持たない。
 これが怠慢でなくていったいなんだ! その怠慢が今、お前を殺そうとしているんだぜ!!」
「くっ…………」

その言葉には、さしもの恭也も反論できない。
武器は確かに優れた力を持っている。だがそれに対し、いくつかの弱点が存在するのだ。
その最たるものの一つが、携帯の不便性。
武器はどうしてもかさばる。かさばらない武器もあるが、そう言ったものは他の武器に比べて威力に乏しい。

小太刀はまだ比較的に携帯しやすい武器だが、日常生活の中で持ち歩くのは困難だろう。
ましてや、恭也達は学生。私服の中に忍ばせるのならともかく、制服の中に忍ばせるのは無理があった。
何しろ、学校では体育があり、当然着替えをする機会もある。
場合によっては、服装チェックや持ち物検査をされる事もあるだろう。
そんな時に小太刀などを持っていては、即座に大問題になる。

その意味では普段から持ち歩かない恭也達はちゃんと良識があるだろう。
だがその代わりに、剣士としての気構えに綻びがある。
そしてその綻びが今、恭也を窮地に立たせていた。
もし、小太刀が一振りでも彼の手元にあれば、結果は逆になっていたかもしれないと言うのに。

「そして覚えておけ、俺とお前らの最大の差。
不破恭也が地に伏した最大の理由、それは『戦ってきた敵の多様性』だ!!」

ハーミットは、これまで数多の敵と戦い、様々な武術家と出会ってきた。
同じ技を操る、自分より全てにおいてやや上の力を持つ敵。
圧倒的に優れた戦力を持つ敵。武器を持った敵。
そして、いつも自分より強い者とばかり戦い続け、その悉くを打ち負かした男とも。
その経験が、ここ一番でのハーミットの業に力を与えていた。

「お前らのヌルい覚悟じゃ、千年かけても武を極めることなどできない。
 それを、この場で思い知らせてやるよ! 本物の中国拳法、覇者の拳でな!!」
「そう…簡単にやらせるか!!」

痛む体に鞭を打ち、恭也は再度構えを取る。
その構えは先のダメージが抜けきっていないのか、先ほどまでよりどこか迫力に欠けていた。
恭也はようやく理解する。先ほどから感じていたやりにくさを。
敵が今まで戦った事のないタイプだからだと、恭也は思っていた。
だがそれは、正しくもあり間違いでもあったのだ。

(確かに戦った事のないタイプだ。こいつは………死を覚悟してこの戦いに臨んでいる!
 そして、俺を殺すつもりで戦っているんだ。致命傷を避ける、何て言うのは、確かにヌルかったか……)

殺す事と殺される事。双方の意味で覚悟した者特有の技の切れ、ギリギリの場面での半歩深い踏み込み。
それが恭也の感じていたやりにくさの正体であり、武器の有無を含めて彼にここまでの苦戦をさせた理由の一端。
これがすべてではないが、突然の襲撃にそう言った覚悟が不十分だったことがこの現状を生んでいた。

しかしそれは、決して恭也が責められるべき事ではない。
如何に殺す為の技を研鑽し、その覚悟を持って鍛錬していたとはいえ、これまでその経験がなかったのだ。
そんな中でこの突発事態に対処し、僅かなきっかけでその覚悟を持つ事が出来るとすれば、それこそ尋常ではない。そして、高町恭也と言う男は尋常な剣士ではなかった。

(なら、俺がする事も一つしかない)
「フン、良い眼だ。ようやくその気になったか。あのバカほどじゃねぇが、火付きの悪い野郎だ!」

ハーミットは恭也の眼の奥に覚悟の光を見て、笑みを浮かべて踊り掛かる。
先ほどまで同様の、反射を逆手に取った変幻自在の攻撃。時に捨て身にも近い防御。
これらを駆使し、徐々に恭也にダメージを蓄積していく。

その最中、恭也の突きを避けた瞬間に放った手刀を目くらましに、身をひるがえす。
また背後を取られると警戒した恭也は、それを阻むべくハーミットに合わせて身体を反転させる。
だが、それは巧妙に仕組まれたフェイントだった。

強靭な体を頼みに、一度反転しようとしたのとは逆方向に無理矢理再度反転するハーミット。
その結果、膝に不安を抱える恭也はわずかに出遅れ、背を取られた。そして……

「倒発鳥雷撃後脳!!!」

『倒発鳥雷撃後脳』、本来なら敵の攻撃を裁きながら特殊な歩法で背後に回り、後頭部に手刀を放った直後、同じ箇所に二撃目の突きを放つ非常に危険な技だ。
それが今まさに、無防備となった恭也の首を襲う。

本来なら、この連撃が決まれば終わりだったろう。
しかし、恭也はここでハーミットの予想を覆す。

「がっ…おおぉぉ!!」
(なんつぅ野郎だ……二撃目を避けやがった!?)

そう。恭也は、そのとどめの一撃を見事避けて見せた。
耐えきった者はいる、全てかわした者もいる。
しかし、一撃目を受けながらも二撃目をかわした男を、ハーミットは知らない。

「驚いたぞ。この技の二撃目を避けたのは、お前が初めてだ!」
「それはお互い様だ。あんな無茶な動きが出来るとは、相当に鍛えこんでいるようだな」

そう、正直あんな無茶な動きをすれば、膝を壊さないまでも、靭帯にかなりのダメージを与える。
それを無視してあんな真似をしたと言う事は、それを可能にできるだけの強靭な肉体を作っていることの証左だ。
その事を、ほんのわずかだが恭也はうらやましく思った。

「ならばここから先は、俺も加減はしない。死んでも恨むなよ!」
「ハン! そうこなくっちゃな。あのバカみたいに甘い奴は、一人で十分だ!!」

対する恭也も、ついに精神的な枷を外してハーミットに応じる。
覚悟を決めた為か、甚大なダメージを受けたにもかかわらずその動きの切れはドンドン増していく。

やがて、二人は申し合わせたかのようにクロスレンジで戦い始める。
恭也は劈掛拳を封じる為に、ハーミットは鋼糸と飛針を封じる為だ。

そして、恭也の放ったアッパーとフックの中間の拳をハーミットが防いだところで異変が生じる。
確かに防いだ筈のそれは、そこからさらに伸びハーミットのあごに伸びていく。
それを、辛うじてハーミットは肩で受けて防いだ。
その後も、時折何度か恭也の放つ攻撃はハーミットの予想を上回る動きを見せていた。

(なんだ、こりゃあ! 防いだはずの拳が、蹴りが、妙なところから伸びてきやがる!?)
(これに反応するか。それどころか反撃まで入れてくるとは……やはりこの男、只者じゃない!?)

恭也が先ほどから織り交ぜているのは、御神流にあって『貫』と呼ばれる技法だ。
相手の防御や見切りをこちらが見切り、そして攻撃を通すこの技をかけられた側は、まるで防御をすり抜けられたような錯覚に陥るという。
まさに、ハーミットがまさにその錯覚に陥っているのだが、それを寸での所で捌き反撃に転じるのだから、この男も並みではない。

そうして、二人の激しい攻防は続いていく。
だがそこは、無手専門の者と無手は補助に過ぎない者の差。
御神流独自の技巧を駆使して追いすがる恭也だが、徐々に差が出てくる。
数々の死闘を経た経験から来る勝負強さで、ハーミットが勝りだしたのだ。

(不味いな、これ以上はジリ貧だ。なんとかして、形勢を覆さないと……)
(ち、そろそろ時間がヤバいか。
警察から逃げるのは何てことねぇが、面倒なことになる前に終わらせるしかねぇ!)

理由は違えど、お互いに戦闘思考が最終段階に入りつつある。
自然、ピリピリとした空気もさらに高まっていく。
そして、先に動いたのは恭也の方だった。

「おおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」

恭也が前傾姿勢になった瞬間、彼の視界は色を失いモノクロに変化する。
同時に、恭也の眼にはハーミットを始め周囲の全ての動きがスローに移っていた。
それどころか、恭也の主観では自身の動きさえもひどく遅く感じ、空気の粘度を感じてさえいる。

御神流、奥義の歩法「神速」。
瞬間的に自らの知覚力を爆発的に高めることにより、あたかも周囲が止まっているかのように振る舞うことを可能とし、肉体の限界ラインに限りなく迫った身体能力を発揮する驚異の荒技だ。
プロの野球選手などが、ボールが止まって見える事があると語るが、乱暴に言ってしまえばそれと同じ括りだ。
ただ、驚くべきことに御神の剣士は、意図的にこれを引き起こす。

それまでとは比較にならない速度で、恭也は敵に向かってモノクロの世界を疾走する。
本来なら、小太刀を手に薙ぎや抜刀系の技につなげる所だが、今回はその小太刀がない。
故に、渾身の力を注いでの必殺の蹴りを放つ。
恭也の人生でも父や御神の関係者を除けば、空手家であり明心館の館長を務める「巻島重蔵」くらいしかこれに対応できた人間はいない。

そしてこの日、新たな一人が恭也の脳髄にその名を刻む。
ハーミットまで後三歩と迫った瞬間、恭也とハーミットの眼が合った。

(バカな!?)

一瞬偶然かと思った恭也。だが、それを即座に否定する。
これまでの敵の力を見れば、その力が自分と同等である事は明白。
なら、自身にできる動きに反応できないとは限らない。

しかし、すでに後三歩のところまで来てしまっている。
今更止まる事も、方向転換も間に合わない。
神速の最中にそんな無理な動きをすれば、今度こそ膝を壊してしまいかねないからだ。
故に、恭也は意を決して最後の一撃を放つ。

「はぁっ!!」
「おおっ!!」

これだけの速度から放たれる蹴りは、直撃すれば如何にハーミットといえどもただでは済まない。
元より脚の力は腕の三倍と言われ、武術家は総じて足腰が強靭だ。
その力をダイレクトに叩きこめる技こそが、蹴り。
神速の速度から放たれるそれの威力は、人体にとって致命的なレベルを軽く超えるだろう。
そう、直撃していたのなら。

「っあ、が……!!」
「恭ちゃん!」
「「恭也!」」
「お兄ちゃん!」
「「(お)師匠!」」

苦悶の声は、ハーミットではなく恭也のもの。
ギリギリのところで辛うじてハーミットは恭也の一撃をかわし、もんどりうって地を転がったのだ。
それは、確かに彼が神速に反応して見せた事の証左。
そして、ゆっくりと立ち上がったハーミットは服の汚れを払いながら、ゆっくりと語る。

「おしかったな。だが、場所が悪かった。こうも狭い場所では、その技を十分に活かしきれなかったか」

そう、神速が回避されたのは、確かにハーミットがその動きに反応できたからだ。
だが、それだけではない。住宅街の一角という、決して広いとは言えない場所。
そこで取れる動きの幅は、どうしても制限される。
故に、ハーミットはその制限された動きから推測し、恭也の一撃を避ける事が出来たのだ。

もし、もっと広い場所で戦っていたのなら。
もし、恭也がもう少しでも神速を扱い切れていたら。
『もし』を挙げだせばきりがないが、それは同時に無意味でもある。

恭也の膝は神速の連続使用には耐えられない。つかえて数回。
しかも、使用後にはかなりの反動が生じ、膝に激痛が走る。
今はなんとか立つ事が出来ているが、機動力の低下は否めない。

「そして、これで終わりだ」

ハーミットの拳が固く握られる。
それまでは固まっていた美由希や晶、レンが大急ぎで動きだすが既に遅い。
ハーミットの掌打が恭也を叩き潰すと思われたが、その拳は空を切った。
だがそれは、恭也の足掻きの結果でもなければ、ハーミットのミスや慈悲でもない。
その原因は……

「フィアッセさん?」
「恭…也、逃げて……」

なのはの声など聞こえない様に、フィアッセはそこまで言って地に倒れ伏す。
しかし、なのはは一瞬だけだが見た。フィアッセの背に広がった漆黒の翼を。
それこそが、恭也に今の一撃が届かなかった原因。

HGS、別名『高機能性遺伝子障害』
元は、先天性の遺伝子病である「変異性遺伝子障害」と呼ばれるものであり、死病ではないが根元的な治療は現代の医学では不可能な難病というだけのもの。
しかし、その中でも特殊な患者にこの名称が付き、その患者達にはある共通した特徴がある。
第一に、患者の意思で実体化を操作できる『フィン』と呼ばれる『翼』を持つ事。
第二に、この患者達は能力の種類や大きさに差はあれどもみな「超能力者」であると言う事だ。

フィアッセもまたこの患者であり、「AS-30 ルシファー」という名称の漆黒の翼をもつ。
だが、彼女の力は実のところそう強くない。正直、実用的とは到底言えまい。
しかし、いまフィアッセはそのなけなしの力を使って、僅かに恭也の体を引き寄せたのだ。

とはいえ、これでは所詮一時しのぎにしかならない。
ハーミットはいまだ健在で、唯一対抗できる恭也も万全からは程遠い。
しかし、何を思ったのかハーミットは突然恭也達に背を向けた。

「………………フン、興が削がれた。
 今日のところは見逃してやる、次会う時まで腕を磨いておけ!
 刀がないから負けた、なんて下らん言い訳をしない様にな」

それだけ言い残し、ハーミットはその場から姿を消した。
突然始まり、突然終わった戦いに一同はしばらく茫然としていたが、やがて事態を再認識した桃子が動き出す。

「な、なんだかよくわからないけど…とにかく恭也とフィアッセを病院に連れてくわよ!!
 美由希と晶ちゃんは恭也とフィアッセを中に! レンちゃんは救急箱、なのはは救急車呼んで!」
「「「「は、はい!!」」」」
「俺は、大丈夫だ。それより、フィアッセを……」
「良いから、恭ちゃんも大人しくしてて!」
「そうよ、怪我人は大人しくしてなさい!!」

美由希だけならともかく、桃子にまで詰め寄られては恭也としても強くは出られない。
仕方なく、美由希に肩を貸してもらいながら家に入っていく。
晶は晶で、恭也への説教を終えた桃子と一緒にフィアッセを中に連れて行った。

その後、二人は海鳴大学病院に運び込まれ、フィアッセの主治医である銀髪のHGS患者「フィリス・矢沢」の治療を受ける。
幸運なことに恭也とフィアッセ、双方ともに症状は軽くその日は病院で厄介になったが、翌日には退院する事が出来た。

同時に、先に知らされていた桃子を除く高町家の面々は、フィアッセの秘密を知る事となる。
また、これが縁となりフィリスは高町家全体の主治医の座に納まり、恭也の膝の治療に当たるのだった。
ついでに言うと、退院後警察からの事情聴取を受けることになったのは、全くの余談である。



  *  *  *  *  *



恭也とフィアッセが病院の厄介になっている頃。
高町家からだいぶ距離の離れた路地裏で、一人の男が壁に体を預けていた。

「………………フッフッフッ…フゥ~。ま、これだけやっておけば十分か」

フードを取り払い、先の戦いの熱を吐き出すように深く息を突くハーミットこと谷本夏。
フードで隠されていたその表情には先ほどまでの険しさはなく、代わりに疲労が色濃く滲んでいた。
そこへ、どこからともなく現れた人影から声がかけられる。

「ケケケケケ! なぁにが十分なんだ、ハーミット?」
「ちっ、どこから湧きやがった宇宙人!?」

それまでの僅かに緩んでいた表情はすぐさま険しさを取り戻し、人影に対し敵意をむき出しにする夏。
その先にいたのは、人間離れして長い耳とオカッパ頭、そして邪悪なオーラをまき散らす悪魔の姿があった。

「いやぁ、俺様としても情報を集めた手前、おめぇが何をするのか気になってな。
 大事な友人と余所様にもしもの事があったら、寝覚めが悪ぃだろ?」
「心にもねぇこと言ってんじゃねぇよ。てめぇの事だ、俺がこうする事も読んでたんだろ。
 その上で俺を利用して奴の力を測った、違うか?」

殊勝な事を口にする新島だが、夏はそんな事一切信用していない。
この男の性格上、天地がひっくりかえっても本気でそんな事を言うなど、『物理的』にあり得ないのだ。
ならば、考えられる可能性は一つ。
体良く夏を利用し、恭也の実力を見る事がその目的だったと考えるのは必然だろう。

「さぁて、どうだろうな?」
「けっ、つくづく煮ても焼いても食えねェ野郎だ!!」
「ヒャハハハハ、そんな褒めるなって!!」

夏の嫌味もどこ吹く風、『宇宙人の皮を被った悪魔』と称されるこの男にとって、この程度は賛辞でしかない。
新島相手に舌戦を繰り広げる不毛さを理解しているのか、夏は忌々しそうにはしていてもそれ以上は口を噤む。
代わりに、上機嫌の新島が会話を進めて行く。

「にしても、思っていた以上にやるみたいだな、高町恭也は。
お前ほどの男が、武器を持たない武器使いにこれほど手古摺るなんてよ」
「てめぇの眼は節穴か? あのままやってれば野郎は死んでた。
 奴が生きているのは、俺の気紛れに他ならねぇんだぞ」

そう語りながら、新島は手持ちの情報端末に何かを入力していく。
先ほどの戦闘から得られた情報を、これまでに収集した情報に上書きしているのだろう。
とはいえ夏は、自身を比較対象にし、その上で恭也を高く評価する新島に侮蔑するような言葉を吐く。
だがそこで新島は、滑り込むように夏の懐に踏み込んだ。

「ほぉ~…………じゃ、これは何なんだ?」

宇宙人パワーで一切の気配を感じさせずに夏の懐に入った新島は、その脇腹を軽く小突く。
すると、夏の顔色が一変した。

「っつ!? て、てめぇ!!!」
「おっと! あぶねぇ、あぶねぇ、いきなり何すんだよ、ハーミット」

新島を振り払うように放たれる手刀を、新島は奇怪な動き『新島式無影八艘飛び』で回避する。
しかし、夏の動きには先ほどまでの切れがない。
そしてその口からは、苦悶を宿した声が漏れる。

「この…地球外生命体がぁ!」
「……ヒャハハハ、やっぱりやせ我慢してやがったな!!」
「つくづくうぜぇ野郎だ、あまり調子に乗ってるとここでぶっ殺すぞ!!」

路地裏に充満していく、恭也と戦っていた時とは比較にならない殺気。
だが、それをそよ風のように受け流す新島。
それどころか、その懐から包帯などの応急処置の道具一式を引っ張り出して夏に投げ渡す。
つまり、これでその痛みの原因を治療しろと言っているのだ。

「相当危なかったみてぇだな。もしまともに食らってれば、アバラの二・三本折れてたんじゃねぇか?」
(フン、その程度で済めばまだマシだ。半端な奴なら、下手すりゃ一撃で死ぬぞ、アレは。
 あの速度もそうだが、野郎の最期の一撃は恐らく「浸透剄」かそれに類する技の筈……)
「だんまりかよ。おめぇがそうやって黙りこむって事は、本当にヤバかったって事か。
 膝を壊し、師を持たない古流剣術家って話だからどれほどのもんかと思ったんだが………眠れる獅子の類だったみてぇだな」

厳密には、恭也が使ったのは「徹」と呼ばれる技法だ。
御神流の打・斬撃の打ち方であるこれは、素手・木刀・真剣を問わずに衝撃を徹す。
確かに夏が推察したように、その性質は中国拳法の「浸透剄」に類するものだろう。
また優れた「徹」の使い手は、時に蹴撃からでもこれを放つ。

夏は服をたくし上げ、赤く腫れ上がった脇腹を露出させる。
折れてはいないが、アバラにヒビくらいは入っているかもしれない。
だが、問題なのはその奥深く。内臓に深く重いダメージが刻みつけられた事を、夏は理解していた。
もし直撃を受けていれば、凄まじい速度と渾身の力を込めた蹴りによってアバラを折られ、浸透剄に似た技で内臓に甚大なダメージを与えられていただろう。
夏はその身を以て、恭也の放った技がどんなものであるかを理解していたのだ。

(負けたとまでは思わねぇ、それぐらいならまだ動ける。
…………が、もし武器が奴の手にあったとしたら、どうなっていたか……)

例え直撃を受けたとして、最後に立っていたのは自分であろうという自負はある。
だが、その後に控える美由希達の相手をできたかは疑問だ。
なにより、もし恭也の手に武器があったのなら、はたして勝つ事が出来たかどうか……。

「ムカつくが、確かにてめぇの言う通り腕は悪くねぇ。
 だが、脳みそが緩過ぎんだよ、あいつらは」
「ああ、武器使いのくせに武器を携帯してないなんて、正気を疑うっつうのは同感だぜ。
 フレイヤの奴だって、携帯性を考慮してあの長さの杖にしたわけだしな。
 ま、師もなく荒事とも無縁だったんだ、危機感が薄かったんだろうよ」
「けっ、そんな事情を敵が考慮してくれるのか? んなわけねぇだろ!」

人間、平穏の中で危機感や警戒心を維持するのは非常に難しい。
穏やかな生活が続けば、必然気は緩み、隙も多くなる。これはどうしようもない、人間の性だ。
しかし、その性に抗ってこその武術家でもある。
夏の言は恐ろしく厳しいが、武術家としては当然のものだ。
だが、だからこそ新島は、侮蔑するように吐き捨てた夏の言葉から、彼の真意を拾い上げる事が出来た。

「ケケー! 優しいねー、アイツらにその事を気付かせてやるために一芝居打つなんて…っぐっ!」
「黙ってろ、宇宙人!!」

真意を気付かれた事を察した夏は、新島がそれを言う前に彼のあごを殴ってやめさせた。
その顔は僅かに紅潮し、彼が照れている事は明らか。

「ふざけんじゃねぇぞ! なんでこの俺があんな奴らの為にそんな事をしなきゃならねぇ!!」
「そりゃおめぇ、ほのかの為だろ?」
「ぐ………」
「昔のロキみてぇなこともあるだろうし、アイツを人質に取る可能性は高ぇ。
 が、お前や兼一もいつでもどこでもアイツを守れるわけじゃねぇ」

そう、現実問題としてほのかが危険にさらされる可能性は皆無ではない。
まっとうな武人の誇りを持つ者ならそんな事はしないだろうが、全員が全員そうとは限らないのだ。
達人の中にも性格のねじ曲がった者はいるし、武人の誇りを蔑ろにする者もいる。
ならば、そういった者たちにも対処できるよう、何らかの策が必要だ。
そして、夏が案じた策がこれ。

「なら話は簡単だ、アイツの近くにいる奴らに勝手に守らせりゃいい。
 幸い、ほのかの近くにはなかなかに腕の立つ剣術家がいる。
 だが、そいつらには一つ問題があった。高町の連中は腕はいいのに危機感が薄い。
 これじゃあおめぇの狙いが外されちまう。となれば、する事は一つ。
 連中の腕を試すついでに、危機感をあおって武器を携帯するように仕向ければいいって寸法だ」
「……………………」

新島の推理に、夏は沈黙を以て応えた。
それは何よりも如実に、その推理が正解であることを物語っている。
実際、この日を境に恭也や美由希はなんとかして小太刀を携帯できないか、真剣に検討し出した。
つまり夏の今回の行動は、完全に彼の思惑通りの結果を生んだことになる。

「ヒャッヒャッヒャッ! にしても、おめぇもなかなかに悪じゃねぇか!」
「フン、この世の摂理は『嘘』と『力』。世の中にいるのは、いつだって利用する奴と利用される奴だ。
 騙されて利用される奴が悪いんだよ!」
「ま、そういう事にしといてやるか」
「けっ……!」

軽い応急処置を終えたのか、夏は新島に道具を投げ返し、身をひるがえしてその場を後にする。
その後ろ姿をしばらく見送った新島は、ぽつりと誰もいない路地裏で洩らす。

「ケケ、ホントに素直じゃねぇなぁ。
 その結果、大事なモンを傷つけられなくなるんなら、アイツらにとっても悪い話じゃねぇだろうに」

そう、単なる結果論かもしれないが、その結果として彼らの大事な友人を守る事が出来る可能性は上がる。
また、本人達も武人としての気構えを思い出す事が出来るのだから、悪いことなど何もない。
夏のもう一つの本心がどこにあるかは分からないが、彼が言うほど冷酷な策ではないのだ。
そうして、新島もまた路地裏を離れ帰路に付く。

「ま、ここで引き上げちまう時点で、俺も丸くなったとしか言えねぇな」

新島なら、もっと冷酷かつ冷徹な策で恭也達を利用できるだろう。
あるいは、この機に乗じて何らかの方法で恭也達を手駒に布石を打つこともできた筈だ。
だが、あえて新島はそれをせず、今は静観を決め込んでいる。
確かに彼の言う通り、それは『丸くなった』と言えるだろう。
まあ、もちろん今後も静観し続ける筈もないのだが……。

(しかし、まさかアレほどまでに腕が立つっつーのは、嬉しい誤算だったな。
 人材としては申し分なし。性格的にも、一本筋が通ってるあの性格なら操る手はある。
 問題は膝の故障と師匠が不在なことだが…………ま、何とでもしてやるさ。
 踊って貰うぜ、俺様の掌の上でなぁ! ウヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャ!!!!)

新島の灰色の脳細胞は、すでにこの先の予定を立て始めている。
どうやって彼らと接触を持つのか、どう言いくるめて新白連合に引き込むのか。
新島の中で、邪悪な計画が着々と立案されていくのだった。

そしてこの時、美由希と病院で治療を受けていた恭也がただならぬ悪寒を感じたとか。
その悪寒と新島の瘴気の因果関係は、誰にもわからない。






あとがき

さて、純武術のみの戦闘パートが終わりました。
できの方は……………皆さんに評価していただくしかありませんね。
とりあえずなっつんの出番はこれで一区切りで、次からはまた兼一の出番になります。
そして、いよいよ本格的に武術家としての兼一との接触になるのですよ!!
関わるきっかけとしては、やっぱり無難(?)にアレかなぁ……。



[24054] BATTLE 5「裏社会科見学~HGS編~」
Name: やみなべ◆d3754cce ID:1963cf14
Date: 2010/11/28 02:49

高校から大学へと変化した学び場の環境や新しい生活にも慣れだした今日この頃。
大学の講義を終え、梁山泊への帰路にある兼一と美羽。

仲良く連れ立って歩き談笑するその様は、外から見れば睦まじい恋人のようにも映るだろう。
まあ、若干容姿の点で不釣り合いと言う印象がなくもないが……それは無粋と言うものか。
実際にはまだ交際すらしていないとはいえ、兼一にとっては貴重な安らぎの時間である。
美羽にしたところで、満更でもない様子だ。
有名無実と言う言葉があるが、ちょうどその逆の様なものだろう。

ただ、並んで歩く二人の事情が事情だ。
会話の内容は、ちょっと一般的なものではない。

「まぁ、ほのかちゃんのお友達が怪我を?」
「ええ、正確には友達のお兄さんなんですけどね」
「確か、高町……」
「はい、高町恭也君です。
ちょっとぶっきらぼうと言うか、近づき難い雰囲気はありますけど、話してみると気の良い人でしたよ」
「ああ、兼一さんはお花見の時にお会いしていたのでしたわね」

美羽は顎に指を当てて、つい先日の事を思い出す。
兼一もまた、少し心配そうな様子で恭也の事を語る。

「なんでも、あのすぐ後に暴漢に襲われたとかで……怪我そのものは軽いみたいですけど」
「それは、不幸中の幸いですけど……災難でしたわね」
「…ええ、本当に」

心底、本当に嘘偽りなく美羽は悲しそうに瞑目する。
その点に関しては兼一も同感なのか、彼の顔にも同じ色がうかがえた。
普通、会った事もない他人の事でこれだけ心を砕けるものではない。
しかし、美羽も兼一に勝るとも劣らない筋金入りのお人好しだ。
自分達の状況は一時棚の上に置いておいて、恭也達の身に降りかかった災厄に心を痛めている。

「でも、ちょっと気がかりもあるんですよ」
「気がかり、ですか?」
「はい、この前も話したと思うんですけど、高町君は多分かなりの腕をもった武術家です。
 そんな彼が、いくらお花見帰りの気の緩んだタイミングとは言え、そう簡単に不覚を取るとも……」
「まあ、何十年と技を磨いた達人が、ほんの一瞬の油断で弱者に敗れる。それが武術の世界ですから」
「それは、分かってるんですけど……」
「………………………兼一さんは、その方に匹敵するか、凌駕する使い手に襲われたとお考えですの?」
「一つの可能性だとは…思います」

兼一の表情は硬く、何か不吉な予感の様なものを感じているようだった。
美羽もまた、そんな兼一の顔を見て神妙そうに考え込む。
しかし、実際には思いっきり二人の関係者の仕業だったりするのだが……。

「でしたらここは……」
「何か考えがあるんですか!?」
「ええ、一つ」

唐突に顔を挙げた美羽は、真剣な眼差しで兼一を見つめる。
普段ならば照れてしまうところだが、兼一もまた緊張感に満ちた視線で美羽に応じた。
そうして、美羽の口から語られたのは……

「いっそ、新島さんに調査をお願いしてはいかがでしょう?」
「げっ! アイツにですか!?」
「ええ。新島さんの情報収集能力は本物ですわ。実際、私達も沢山お世話になっていますし」
「まあ、確かにアイツの邪悪な頭脳に助けられた事が皆無、とは言いませんがね。
 しかし、あの宇宙人を頼るのはなんだか人として……」
「背に腹は代えられませんわ」

酷い言われようである。
仮にも数年来の友人、それも死地を共に切り抜けてきた戦友でもあると言うのに、この扱いはどうか。
まあ、そういう扱いを受ける様な事をし続けてきた本人の自己責任と言ってしまえば、それまでなのだが。

そして、この世界には『噂をすれば影』と言う言葉がある。
要は、噂をしていると不思議と当人が現れる、と言う事だ。

「け~んい~ちく~ん!」
「うぎゃ――――――!! で、出たな宇宙人!」
「いて! てめぇ、折角会いに来た親友に何しやがる!!」
「黙れ悪友!!」

電柱の陰から突如姿を現す未確認生命体。
反射的にアッパーカットを決めてしまう兼一だが、その事には全く後悔も反省もしていない。
そうして、そのまま子どもの様な取っ組み合いが始まった。
いったいこれを見て、誰が兼一を梁山泊が育てる「史上最強の弟子」だと思うだろう。
数分後、ようやく不毛な取っ組み合いを終えた二人は、息を整えて向かい合う。

「で、今日は何の用だ。まさか、また僕をお前の邪悪な計画に利用するつもりじゃないだろうな」
「ケケケ、すぐに相手を疑うとは、お前も俺様に学んでいるようだな」
「そうそう何度も同じ手が通用すると思うなよ。こんな事を言うのはお前だけだ」

兼一にしては珍しく、吐き出される言葉はとげとげしく不審に満ちている。
まあ、今日まで新島にさんざん利用されてきた兼一だ。この程度の警戒心は当然だろう。

「で、用件は何だ。長い付き合いだ、聞くだけ聞こう」
「ああ、実はな……」
「なんだよ、もったいぶってないで教えろよ」
「いや、もう遅かったみてぇだな」
「は?」
「兼一さん、上!!」

いぶかしむ兼一に、美羽の鋭い声が叩きつけられる。
反射的に兼一はその場から飛びのくと、先ほどまで兼一のいたところに黒い影が落下してきた。
即座に空手では鉄壁と称される「前羽の構え」を兼一は取り、黒い影に警戒する。
そして、砂煙が晴れたところで黒い影が口を開く。

「我は鹿山祐樹。故あって『史上最強の弟子』白浜兼一殿のお命、頂戴仕る」

姿を現したのは、袴姿の厳つい大男。それも、その手には長大な槍が握られている。
どうやら、例によって例の如く、兼一の命を狙った刺客だったらしい。

「まあ、こういうこった」
「って、またか――――――――――――――――――――!!」
「なんだ、いつもの刺客でしたか」

それを見て新島は「この展開にも飽きた」とばかりに肩を竦め、兼一は絶叫し、美羽は慣れた様子で構えを解く。
とりあえず今回は一人だし、見たところ達人と言うわけでもない。
ならば、無理に手を出すのも無粋と言うものだろう

「なんでもっと早く知らせなかった!!」
「おいおい、おめぇが俺様をいきなり殴ったのがそもそもの原因だろうが。責任転嫁は男らしくねぇぞ」
「ムキ―――――――――――!!」

敵から目を離さず、新島に対し不満を爆発させる兼一と、それをさらっと流す新島。
だが、敵はそんな事を考慮してくれない。
当然、これを隙と見て踊り掛かってくる。

「敵を前におしゃべりとは……命がいらぬと見える!!」
「ほれほれ、早く応戦しねぇと死んじゃうぞぉ~」
「ぐわ――――――っ! 他人事だと思いやがって――――――――!!」

そんな事を叫んでいる間にも、怒涛の刺突が兼一を襲う。
新島はもちろん、美羽も助け船を出してはくれない。
ここからは、もう自分一人の力で何とかするしかないのだ。

そして、槍の穂先が兼一の制空圏に入った。
すると、先ほどまで絶叫して隙だらけだったはずの兼一の体は勝手に反応し、その刺突を紙一重で回避する。

「ぬ!」
(あ、危なかった。『恐怖センサー』の反応がもう少し遅れていたら、腹に風穴が空いてたかもしれない)
「なるほど、史上最強の弟子の名は伊達ではないか。ならば、我が渾身の槍技を受けるがよい!!」
「ええい、それは御免被る!!」

次々と繰り出される刺突を、薙ぎを、兼一は薄皮一枚で回避する。
服は次々と放たれる攻撃により切り裂かれて行き、兼一の肌もまたところどころに赤い線が刻まれていく。
同時に、怒涛の猛攻になかなか攻め込む隙を見出せない。
槍や刀などの長物の無手に対する利点、その一つが広い間合いだ。
敵を近づけさせず、距離を取ったまま叩きつぶすのが無手との戦い方。
この敵はその基本に実に忠実で、それ故に兼一を以てしても敵の制空圏の中に踏み込めない。

「せぇりゃあぁぁぁぁあぁぁあぁぁあぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
「く、なんて槍捌きだ、隙がない……! っていうか刃物怖ぇ!!」
「大陸では、槍は兵器の王とも称される。王者の力に平伏すが良い!!!」
(落ち着け、慌てるな。間合いに入れないなら、やり方を変えるんだ)

相変わらず刃物が苦手な兼一だが、すぐさまどう対応するかに思考が及ぶあたりに慣れを感じさせた。
そうして兼一は考える。真っ向から間合いに入っていくのは難しい。
ならば、別の方向から間合いに入る方法はないだろうか、と。

「ふっ!」
「なに!?」

敵の刺突が放たれるタイミングに合わせて一端後方に飛び、敵から距離を離す。
さらに着地の反動を利用し、大きく横に飛ぶ。
だがそれだけでは終わらず、兼一は跳躍したその先にある壁をさらに蹴る。
そうして辿り着いたのは、敵の側面。
正面にいた兼一に対しての攻撃ばかりだった為に、身体が突然の横への変化に対応しきれていないのだ。

「ちぇすとぉ!!」

その隙を逃さず、兼一は敵の頭部にひじを叩きこむ。
『三角飛び猿臂打(さんかくとびえんぴうち)』。柱や壁を利用して飛び上がり、敵の頭上をひじ打ちする技だ。
だが、それだけではまだ倒すには至らない。
頭を撃たれた敵は体勢を崩しながらも、兼一を槍の柄で殴り飛ばそうと力技で薙ぐ。

「甘いわぁ!!」
「ぐぅ!?」
「まさか我が懐に入るとは思わなんだ。だが…これで終わりだ!!」

兼一は辛うじて脇を殴りつけてきた柄を掴み、弾き飛ばされる事だけは阻止する。
しかし、一度は掴んだ柄も即座に引き抜かれ、自由になってしまう。
そして敵は槍を短く持ち、そのまま目の前にいる兼一を貫くべく刺突を放つ。
だがそこで兼一は、思ってもみない行動に出た。

「フン!!」

渾身の力でアスファルトの地面を踏んだのだ。
数年前でさえ、兼一はコンクリートを震脚で陥没させることができた。
それからずいぶん時間もたった今、兼一の脚力はあの時のそれを遥かに上回る。
不十分な体勢ではあったが、その凄まじい震脚はアスファルトの地面にただならぬ揺れをもたらした。
結果、敵の姿勢が僅かにブレ、刺突からもそれまであった切れが鈍る。

「な、なんという脚力だ!?」
(いまだ!!)

兼一は目前に迫る穂先の横っ面を殴り、その軌道を横に逸らす。
さらに、鍛え抜かれた膝で槍を握る手を蹴りあげる。

「くっ、きさまぁ!」
(何て人だ。この膝を喰らって尚、槍から手を離さないなんて……)

何があろうと武器から手を離さない敵に素直に敬意を抱く兼一。
しかし、やはり兼一の膝は強力だったのか、蹴られた手は槍を握ったまま天高く掲げられる形となった。
そして、無防備になった懐に兼一は入りこむ。

「はっ!!」
「ぬぉぉっ!」
(山突きをかわされた。でも、まだまだこれからだ!!)

初撃は上段と中段に同時攻撃を行う『山突き』。中段は膝を盾に防がれ、上段の突きは首を傾けて避けられる。
だが、兼一の攻撃はこれで終わりではない。
空振りした右拳を引きながら左手と共に相手の首を取り、首相撲の形を取る。
そのまま、地を蹴ってその顔面に膝蹴りを放つ。

「カウ・ロイ!!」

ムエタイ技であるカウ・ロイが決まり、敵の顔の潰れる嫌な音が漏れた。
着地するが早いか、さらに心意六合拳の技『烏牛擺頭(うぎゅうはいとう)』に繋げ、胸部に頭突きを入れる。

「こりゃ決まったな」
「どうでしょう? 耐えきった方もいましたし、油断はできませんわ」

外野からは、見慣れた兼一の連撃から勝負ありと見る新島と、それは早計と判断する美羽の声がする。
兼一も美羽の意見には賛成だ。故に、ここで攻撃の手を緩めるつもりもない。
相手の反撃に備える心構え『残心』。倒したと思った敵が再び立ち上がる事など珍しくもない。
兼一自身がそうだったし、そう言った敵と幾度となく戦ってきたからこそ、彼に油断はなかった。

「おおおおおおおおおおおおおお!!!」

胸部への頭突きの為に低くした体勢を利用し、相手の足を取る兼一。
そうして一気に身体と共に取った足を持ち上げる。
すると、敵は身体を掬われる形となり頭からアスファルトの地面に落下してく。

『最強コンボ』。空手、ムエタイ、中国拳法、柔術と四種の武術を学ぶ兼一らしいコンビネーション技だ。
いくつかのパターンが存在するその中でも、これは兼一が最初に使用した『一号』。
それはつまり、彼にとって最も使いなれた連撃と言う事であり、相応に自信のある技だ。
まあ、少々ネーミングセンスがアレだが、それは兼一の責任ではないので仕方がない。

とはいえ、それではさすがに死んでしまいかねないので、途中で背中から落ちるように加減する。
その分敵に反撃の余力を残させる形になる事を熟知しているのか、兼一は倒れた敵の鼻の先に拳を突きつけた。

「これで終わりです。まだやるのでしたら……」
「くっ……………………いや、負けを認めよう。頭から落ちぬよう加減され、あまつさえトドメの一撃まで……これでもなお続けようと思えるほど、我は無謀でも恥知らずでもない」
「そうですか…………ありがとうございます」
「おかしな男だ。襲ってきた敵に礼を言うなど……」
「かもしれません。でも、これ以上戦わなくて済んだと言う意味でなら、やっぱり『ありがとう』だと思います」

そこまで言って、ようやく拳を引き構えも解く兼一。
敵の言葉を全く疑っていないその様子は、危なっかしくさえある。
そうして、兼一は背後で待つ友人達の下へと戻っていく。

(無防備な背中だ。今なら突き殺す事も容易かろう。それがわからん男でもあるまいに……)

その様子に返って毒気を抜かれたのか、男は力なく槍から手を離す。
元よりそんな卑怯な不意打ちなどする気はなかったが、邪念が生じなかったと言えば嘘になる。
しかしその邪念も、こうまで無防備に晒された背中を見ては雲散霧消してしまった。
それに……

(奴が振り向く寸前の、あの女の眼。あんな眼で睨まれては、恐ろしくてそんな気にもならん)

兼一の戻る先にいる美羽の先ほどの眼を思い出し、男は軽く身震いする。
あの時、美羽は口こそ動かしはしなかったが無言で語っていた。
『もし彼の優しさを踏みにじるのであれば、自分が許さない』と。
それは結果的に取り越し苦労だったのだが、男の肝っ玉を凍えさせるには十分だった。

男の視線の先では、新島と兼一が何やらギャアギャア騒いでおり、それを美羽は微笑ましそうに見ている。
その手にはいつの間にか医療キットがあり、兼一が負った怪我を治療するつもりなのだろう。
その光景は先ほどまでの殺伐としたものと比べると、あまりにも平凡だった。
男は久方ぶりに、そんな平凡な空気を懐かしいと思う。

こうして、今日もまた兼一は生き残った。
今日だけでも、実に五人目の刺客だったが……。



BATTLE 5「裏社会科見学~HGS編~」



「ふぅ…………なんとか今回も生き残れた……」
「今回の方はかなりできましたわね。実際、初撃はかなり危なかったでしょう?」
「だな。火付きと突発的事態への対応の悪さは相変わらずだぜ」
「うぅ……」
「そんなことだと、そのうち一撃必殺されちまうぜぇ~」
「一体いつになったら勇気をコントロールする術を身につけてくださるのでしょう。
私、毎回寿命が縮む思いですわ」

実に楽しそうに語る新島と、溜め息交じりに首を振る美羽。
折角生き残れた事を喜んでいると言うのにこれでは、兼一としても肩身が狭いこと甚だしい。
まあ、美羽に関して言えば、要は兼一が彼女に心配をかけさせないようになればいいだけなのだが……。
思うようにそれが出来ない事こそが、兼一の兼一たる所以だろう。

「……と、ところで、お前はどこまで付いてくる気だ、新島」
「あ? そりゃ用件が終わるまでに決まってんだろうが。
どうした? 鍛え過ぎてついに脳みそまで筋肉になったのか?」
「失礼なことを言うな! 用件と言うなら、刺客は撃退したんだから終わっただろ!!」
「は? おいおい、俺様がそんな事でいちいち動くほど暇だと思ってんのか?
 こちとら『武術団体 新白連合』立ち上げの為に奔走してるんだぞ、そんな暇あるわけねぇじゃねぇか」
「そんな事だと―――――――――――!! 僕の命がかかってるってわかってるのか!!」
「ま、死なねぇ程度に頑張ってくれ。駒として役立ってさえくれるなら文句ねぇからよ」
「わぁ、とっても悪い顔してますわぁ」
「ウヒャヒャヒャ! そんな褒めるなって美羽ちゃん!!」
(こいつだけは! こいつだけは―――――――――――――!!!)

活人拳の道を行く兼一だが、今日と言う今日こそは心の底からこの悪友に殺意が芽生える。
いっそ亡き者にしてしまった方が平和になるんじゃないか、割と本気で思案する兼一。
とはいえ、そう簡単に死ぬ男でもないし、やるだけ無駄と分かっているので実行はしないのだった。

「? ですが、刺客の件でないとすると、いったいどんな御用向きですの?」
「美羽さん、そんな華麗にこいつの問題発言をスルーしないでください」
「気にしたら負けですわ」
「全くだぜ、細かい事に拘ってると小さい男だと思われるぞ。ま、実際おめぇは小市民なわけだが……」
「余計な御世話だ!?」

美羽もすっかり新島との付き合い方を心得ているようで、いちいち彼の発言に反応したりはしない。
要は、ベクトルこそ違うが梁山泊の面々のように一般常識からかけ離れた思考回路をもった人物、と思っておくのが無難なのだ。

「それでだな、兼一。お前に折り入って頼みがある」
「悪事に加担する気はないぞ」
「いやなに、高町恭也を新白に引き込んでほしいのよ」
「待て! なんでお前が高町君の事を知っている…………って、ほのかか」
「ケケケ、分かってんじゃねぇか」

実際には夏を経由しているのだが、そこまで懇切丁寧に教えてやる気など毛頭ない新島。
まあ、下手にソースを明らかにすると、先日の夏と恭也との事がバレてしまうと言うのもあるのだが。
とりあえず、今の段階で兼一に知られるのは旨くないと言う考えなのだろう。

「アレだけの人材だ、是非とも新白に欲しい。ついでに、その妹とか居候とか纏めて面倒見る用意があるぞ」
「断る! 折角健全に生きてるあの人たちを、お前みたいな悪魔に引き渡すつもりはない。
 不幸になるのは僕達だけで十分だ!!」
「おいおい、人を疫病神みたいに言うなよ」
「そんな事は言っていない。骨の髄まで腐ってるお前と同列に扱われたんじゃ、疫病神に失礼だ。
というか、人だったのか、お前。確かに宇宙人には『人』という字が入るけど……」

どこまでも失礼千万な事をスラスラと言ってのける兼一。
相手が新島でなければここまで言う事など、穏やで超の付くお人好しである彼ならあり得ないだろう。
いや、これだけ好き放題言える相手がいると言うのも、ある意味では貴重なのかもしれないが……。
まさしく、親友でもなければ戦友でもなく『悪友』と呼ぶにふさわしい間柄だろう。

「待て待て、相棒。よく考えても見ろ、連中にとっても俺達と関わる事は悪い事じゃねぇ。
 うちには腕の立つ奴が多い、おめぇ然り、美羽ちゃん然り、谷本然り、武田然りだ」
「おい、ちゃっかり美羽さんをカウントするな!」
「良いじゃねぇか、本人は喜んでるし」
「わーい、私も皆さんの一員ですわ~♪」
「美羽さん……」

あまりに能天気な美羽に、兼一はその場で崩れ落ちそうになる自分を必死に立て直す。
だが、そんな兼一の事など気にした素振りも見せず、新島はさらに言い募る。

「連中だって武術家だ、競い練磨し合える相手が欲しくない筈がねぇ。
 それだけなら別にうちじゃなくてもいいだろうが、下手に殺人刀なんかに手を出されても嫌だろ?
 なら話は簡単だ。うちに引き込んで、共に活人の道を歩けばいいんだよ!!」
「相変わらず口のうまい奴め……」

などと忌々しそうに言いつつも、内心では兼一も割と揺さぶられている。
何しろ、「これは新島の罠だ」と分かっているにもかかわらず、その提案には抗いがたい魅力があるのだ。
兼一としても、最後の最期は本人達が決める事とは言え、できるなら殺人刀になど手を染めて欲しくない。

しかし、それとこれはやはり別問題。
この悪魔にかかわる事は、散々利用され迷惑を被ってきた兼一には容認できなかった。
それこそ、殺人刀に進んでしまう事と同じくらい。

「……………い、いいや、やっぱりダメだ! お前の様な悪魔に、あの人たちを巻き込むわけにはいかない。
 僕はあの人たちを信じる、きっと殺人刀になんて手を染めない!
 仮にそうなったとしても、修羅道には落ちないと!!」
「おお! 兼一さんが悪魔の誘惑に打ち勝ちましたわ!!」
「ちっ、あとちょっとだったのに……まあいい、今回の本題はこっちじゃねぇ。
そっちは追々話をつけようじゃねぇか」

不屈の精神力で、見事悪魔(新島)の囁き(ブレイン・ウォッシュ)を撥ね退けた兼一。
まあ、新島は新島でこの程度で諦めるような性格でもないので、これで解決と言うわけでもないのだが。
だが、新島の発言に兼一は眉をひそめる。

「まだ何かあるのか?」
「ああ、むしろこっちが今日の本命だな。なぁ、HGSって知ってるか?」
「っ!!」

新島の発言に、美羽の目が一瞬鋭く細められる。
新島もそれに気付いた様だが、そちらにあえて言及しない。
そうして、ひとしきりその単語の意味を考えた兼一は、再度新島の方を向き直った。

「……………………なんだそれ?」
「ヒッヒッヒッ、やっぱり武術と本、それと植物以外の事には疎い野郎だ……ま、俺様もこれを知ったのは最近なんだがな。HGSっつーのはだな、噛み砕いて言っちまえば『超能力者』の事だ」
「ちょ~の~りょく~?」
「あ! なんだその眼は!? てめぇ、俺様の情報を信用してねぇな!!」
「当たり前だろうが! 確かにお前の情報収集能力は認めるが、お前の都合のいい様に歪めるんだから信用なんてできるか!!」
「くっ…………兼一のくせにもっともらしい事を……」

如何に図太過ぎる神経と剛毛の生えた心臓を持つ新島とは言え、さすがにこれに反論する事は出来ないらしい。
しかし、当然と言えば当然だろう。何しろ、一点たりとも嘘偽りのない事実なのだから。

「いえ、確かにHGS…『高機能変異性遺伝子障害』の方は一般的に言うところの『超能力者』ですわ」
「へ? ま、マジなんですか!?」
「はい。昔、おじい様と世直しの度をしている時に何度かお会いした事がありますわ」
「そら見た事か! そら見た事か!! さあ、俺様への非礼を詫び、靴の裏でもなめやがれ!!!」
「調子に乗るな!!」

さすがに美羽の言葉となれば無条件に信用する兼一。
そもそも、幼少期より本物の戦いに身を投じ、諸国を放浪していた美羽の言葉だ。
頭ごなしに否定できるようなものではないし、妙に説得力があって当然。
ついでに、それに乗じてわめき散らす新島だったが、即座に兼一のツッコミが入って沈黙した。
そうして、美羽は古い記憶を辿るべくあごに指を当てて思案する。

「確か、比較的新しい遺伝子病の一種だったかと思うのですが、私もあまり詳しい事は……」
「ああ。ま、細かい事は置いておくとして、要はその普通と違う遺伝子の結果超能力が使えると思っとけ。厳密には、変異性遺伝子障害のすべてじゃなく、その中でも極めて稀な症例の『高機能性』だけに見られる特質だけどな。
 その外見的特徴として、『リアーフィン』と呼ばれる所有者の能力をイメージ化した形状の『翼』を持っているんだが、こいつは出し入れが自由にできるみてぇでな、普段は隠してるから外見からじゃまずわからんらしい。
 能力そのものは、『念力』だの『転移』だの『精神感応』だの、ファンタジーみてぇな力をマジで使うようだぞ。中には『変身』なんて真似ができる奴もいるとか……」
「美羽さんが言うなら本当なんだろうけど……ちょっと信じがたいな」
「おめぇが言うか? 世間一般から言って、超能力者も達人も非常識って意味でなら大差ねぇと思うぞ」
「……………………………………ひ、否定できない……」

よくよく思い返してみれば、確かに兼一のいる世界も大概なのだ。
戦車をひっくり返したり、海を走ったりと、非常識さならいい勝負だろう。
むしろ、特A級の達人の拳を防げる能力の持ち主がどの程度いる事やら。
何しろ、HGSの中でもとりわけ強い力を持ち、バリアの硬さに定評のある仁村知佳で『トラックの直撃』を受け止められるくらいと言うのだから……。

「ん? だが新島、その人たちと僕達の間に何の関係があるんだ?
 こう言っては何だけど、超能力と武術じゃ何の接点もないだろ」
「ああ、確かに直接的なつながりはねぇな。共通点としちゃ、どっちも世間から隠されてるってことくらいか」
「隠す? そう言えば、テレビとかでも全然取り上げられてないけど……」
「考えてもみろ。本当に超能力者なんていたら、世間から爪弾きに合うのは当然だ。
 人間ってのは、程度の差はあれ異物を排除するもんだからな。
差別や迫害をされないように、世間を混乱させないように隠してるのよ」

秘匿されている理由を聞き、兼一の顔に暗い影がよぎった。
人間にそういう一面がある事は、兼一も知っている。
彼や美羽もまた、理由は違えど他者から迫害された経験のある身だ。
イジメと差別では大違いかもしれないが、その辛さ、悲しさ、恐怖、絶望、痛みはよく知っている。

「話を戻すぞ。中には武術の優位性を示したくて、あるいはその逆に自分達の能力の優位性を示したくて戦いを挑む連中もいるかも知れんが、今のところはそう言った事はほとんど起きていない。
 毛色が違いすぎるのかねぇ」
「? それですと、ますます武術との接点がなくなりますわよ。
『秘匿』以外ですと『強力な力』と言う点くらいしか、両者に繋がりなんてありませんわ」
「ああ。だが、別に接点なんて必要ねぇのよ」
「どういう事だ?」
「いいか? 超能力なんざ、言っちまえば一つの道具にすぎねぇ。普通の人間は持ってなくて、かなり特殊な部類ではあるが文明の利器や武術と同じで、それ自体は単に『力』という名の道具だ。
 なら、それを利用しようと考える連中がいるのは当然だ……………………どんな形でもな」

そこまで聞いたところで、新島の言わんとする事がある程度二人にもわかった。
利用するだけならさして問題ではない。
HGSの力がどんなものか感覚的に理解していない兼一でも、超能力なんてものが実際にあるのなら色々な事が出来ることくらいは想像がつく。念力が使えれば重い物を楽に運べるかもしれないし、転移ができれば物の輸送が便利になるだろう。精神感応ができれば、プライバシーの類に目をつぶれば犯罪捜査での貢献度は計り知れない。貧困な想像力の持ち主でも、これくらいの事は思いつく。

だが、便利なものはただ『便利』なだけでは済まされないのが人の世の常。
たとえばニトログリセリンがそうだ。ある種の心臓病などには薬になるそれも、爆薬としての面を持つ。
その爆薬としての利用法にしても、建物の発破解体などに使えるのに対し、人を殺す道具とする事もできる。
なら、HGSは必ずしも世の為人の為にしかならない『力』なのか。

そんな都合のいい話がある筈がない。
ならば当然、それを『兵器』や『武器』として利用しようと考える者が出てくるだろう。

「実際、俺様の忠実な調査員共の報告によれば、そういう研究をしていた組織は結構あったらしい。
 で、それが今もいないと思うか?」
「だいたいわかってきましたわ。研究には研究の材料が必要ですし、その手の組織がまっとうな方法で研究するとも考えられません。当然、研究材料の入手方法の一つは……」
「ま、まさか!?」
「そのまさかだ。優秀な能力者の拉致…ま、定番中の定番だな」

新島のその言葉に、兼一の顔に明らかな嫌悪と義憤が灯り、拳が固く握りしめられる。
普通に生きたいだけの人たちから、勝手な都合で『普通の生活』を奪う外道と悪党。
それは、兼一が最も嫌悪する類の人種だ。なにしろ兼一が武術を始めた理由、それは『誰もが見て見ぬふりをする悪をやっつける』事であり『自分の信じた正しさを貫く』為なのだから。

「まあ、落ち着けって、大抵の場合この手の事は未然に防ぐなり何なりの対策がされてる。
マジで拉致られる事なんてほとんどねぇよ」
「そ、そうか……」

ほとんど、と言う事は全くないと言うわけではないのだろう。
しかしそれでも、やはりそう言った事態を防ぐ体制作りはされている。
その一環がHGS患者の情報の秘匿なのだから。
だが、何事にも例外と言うのは存在する。

「ところが、だ。どうも最近、不穏な動きを見せてる組織があるらしい。
 いいか? HGSの事は表沙汰にできねぇ。それに、裏の事は裏の人間に任すに限る。
さてこういう場合、日本でその手の事を任されるのは、さ~てど~こだ!」
「……………………………うち(梁山泊)か」
「ウヒャヒャヒャヒャ! そういうこった、多分近々動きがあるから精々気をつけろよ」
「相変わらず計りしれん奴め………どこからその情報を抜き取った」
「企業秘密、とだけ答えておこう」

キラン、と歯を輝かせる新島。実に似合わない。
しかしそれはそれとしても、これは最早調査員レベルで入手できる情報ではあるまい。
となれば、考えられる可能性は一つ。以前にもあった事だが、おそらく件の自作ウイルスなどを駆使して各国の諜報機関などから拝借した情報なのだろう。
かつては闇の情報すら入手して見せた男である、今更この程度では驚く気にもなれない兼一達だった。

「でも、どうしてそんな情報を手に入れたんですの? いえ、そもそもどうしてHGSの事を?
 あまり、新島さんの利益になりそうにないんですけど。
新島さんに限って兼一さんの事を心配して、なんて事もないでしょうし」
「ですね。おい、いったい何を企んでいる」
「本日の営業は終了しました、またのご利用をお待ちしています」
「ええい、訳のわからんはぐらかし方をするな!!」
「ヒャハハハハハハハハハハハハハ!!!」
「くっ!? 相変わらず逃げ足だけは速い奴め!!」
「わぁ~……もう見えなくなってしまいましたわ」

『逃亡最速の男』の名は伊達ではない。
逃げに徹した新島の脚力は、兼一と美羽をも置き去りにする。
どうも、年を経るごとに新島の危機感知と危険回避、そして逃走能力は向上しているようだ。
このまま上がっていく、はたしてあの男はどんな領域に突入するのやら。

「まあ、新島さんにどんなお考えがあるのかまではわかりませんが……」
「元からあいつが何を考えて生きているのかなんて、さっぱりわかりませんけどね」
「そ、それは確かに…………とりあえず、覚悟だけはしておきましょう」
「はぁ……………僕が平穏な生活を満喫できる日はいつ来るんだろう?」
「死んだらいくらでも満喫できますわ」
「それって死ぬまで無理って事ですよね!? そんなのイヤ――――――――――――――――――――!!」

最近、どうにも美羽の発言に遠慮の類がなくなって気がする兼一。
それが良い事なのか、それとも良くない事なのか、判断の難しいところである。
そして、二人から見事逃亡を果たした新島はと言うと……

「やれやれ、どうやら追ってきてはいねぇみてぇだな。
 捕まる気なんざさらさらねぇが、アイツらに追われるとまくのが面倒だ」

なにぶん、兼一は新島の行動パターンを最も熟知している男である。
さすがに頭脳戦になって新島に勝てる筈もないし、多少パターンを読んだところで追いつめられる筈もない。
だが、やはりあの二人の運動能力は侮れないのも事実。
これでも、一応細心の注意を払って逃亡してきたらしい。

「しかし、HGSの事を知ったのは完全に偶然だったが、良い拾い物だったぜ。
 おかげで、今回の情報を仕入れるきっかけになった。これで、とりあえず一つの策が立てられたしな」

新島がHGSの存在を知ったきっかけは、極単純に先日の一件を見ていたからだ。
あの時、恭也を助けた現象と、フィアッセの背に一瞬広がった漆黒の翼。
新島はそれに興味を持ち念の為に調べ、情報を収集してみたところ面白い情報を得る事が出来た。

「クックックックッ。とりあえず仕込みは上々……今回は、兼一には特に頑張ってもらわなきゃならねぇからな。
 何しろ、上手くいきゃ高町に貸しを作る好機! あの手の奴は受けた恩は忘れねぇからなぁ。
そいつを足がかりに…………ウヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャ!!!」

正確に新島が何を知り、何を狙っているかはまだ分からないが、どうも今回の件を利用して恭也達を引きずりこむ腹積もりであるらしい。
美羽や兼一が思った通り、親切心で今回の情報を流したわけではないようだ。
むしろ、兼一のやる気と勇気を奮起させる為に、事前に情報を与えたと見るべきだろう。

さあ、この新島の策がいったい後にどんな影響を与えるのやら……。



  *  *  *  *  *



同時刻、海鳴市の海鳴大学附属病院。
その一室で、恭也は妙齢の銀髪の女医「フィリス・矢沢」から診察と整体を受けていた。

「ふぅ、これで終わり。どうです? もうずいぶん楽になったと思うんですけど」
「ええ、ありがとうございます。むしろ、あの日以前よりも調子はいいくらいです」
「そう、それは良かった」

恭也の言うあの日とは、すなわち夏と戦った夜の事だ。
あの夜、恭也は神速を使った。彼にとっては諸刃の剣にも等しい奥の手を。
一度使えば膝に激痛が走り、数日は軽い違和感が残る。

だが、フィリスの治療を受けてからと言うもの、そんな様子はない。
それどころか、普段以上に膝にかかる負担は減り、動きの切れも増している位だ。

「でも、あの……『神速』でしたか? あれ、できる限り使わないでくださいね。
 そりゃあ、一回や二回使ってすぐになにがどうこうなるわけじゃないですけど、負担は蓄積していって、いつか爆発するかもしれないんですから」
「……………………………………すみません」
「…………謝るんじゃなくて、約束してくれると、嬉しいんですけどね」
「…………すみません」
「ほんと、フィアッセに聞いてた通り。できない約束はしない、良い事だとは思うんですけどね……」

恭也の謝罪は、過去へのものではなく未来への物。
きっと自分は、いざとなれば限界など無視して神速を使う。
その自覚があるからこそ、恭也はその場しのぎの嘘や約束をせずにいる。
それは非常に誠実な事ではあるが、フィリスからしてみれば頭の痛い限りだろう。

「医者は万能じゃありません。本当に壊れ切ってしまったら、私達にできることなんてないんですよ。
 本末転倒かもしれませんけど、治すのも治るのも、私達じゃなくて患者さん。
 私達は、ただそのお手伝いをして、少しでもスムーズに治る様にしてるだけなんですから」
「わかっている、つもりです」
「それでも、聞いてもらえませんか?」
「武道家なら、それで良いんだと思います。競技者なら、そうすべきなんでしょう。
でも俺達の技と力は、そういうものとは別種のものですから」

恭也は武道家でもなければ、競技者でもない。
先を見据えていないわけではない、未来を蔑ろにしているわけでもない。
しかし、『明日よりも今が大事』と言うのが根底にある。
今をなんとかできずして、明日を語る意味はない。
『明日の為』ではなく『今の為』に、彼の力は存在するのだから。

「そうですか……不甲斐ないですね、そんな心配をしなくて済むくらい治せてしまえば、万事解決なんですけど」
「それは、先生の責任じゃありません」
「だとしても、ですよ。
医者の本分は治す事ですから、治せないっていうのはそれだけで責任を感じちゃうんです」

若くともフィリスは医者だ。
きっと、その『治せなかった』はこれまでにもあって、これからもやっぱりある。
そして、その何かをずっと抱えて行くのだろう。

「って、ごめんなさい。変な話をしちゃいましたね」
「あ、いえ。元はと言えば、俺から振ったようなものですし」
「とにかく、訓練をするなとは言いませんが、ほどほどに節度をもってやってください。
 あんまり無茶が過ぎると、ここぞと言う時に戦えませんよ。
それって、剣術家の方にとっては大問題じゃありませんか?」

話題を変えたフィリスは、実に痛いところを突いてくる。
確かにフィリスの言う通り、強くなる為の鍛錬で身体を壊し、戦えなくなってはそれこそ本末転倒だ。
大問題どころか、大恥、あるいは御神の剣士として失格と言ってもいいだろう。
ただ、その言葉にどこか確信の響きがあった事が、僅かに恭也は気になった。

「先生は、何か武術を?」
「私はやってませんけど、古い知り合いに。というか、那美とは知り合いなんでしょう?」
「あ、はい。先生も神咲さんの事を?」
「ええ、ずいぶん前からの知り合い、と言うか友人ですね。
那美のお姉さん、薫っていうんですけど、あの人にもとてもお世話になりましたから」
「ああ、神咲一刀流…でしたっけ?」
「はい、那美はあまり腕前は良くないみたいですけど、薫は相当なものだったみたいですね。
 って、やっぱり門外漢なんで良くはわからないんですけど」

それはよほど懐かしくも幸せな思い出なのか、二人の話をするフィリスの表情はとても優しい。
今ここにはいない薫と言う人物の事を思っているのか、その眼はどこか遠くを見つめていた。

「薫は生真面目な人で、リスティが悪戯するといつもこっぴどく叱っていましたね。
 まあ、そこで私達を巻き込むあたり、本当にリスティは姉の自覚に欠けると言うかなんというか……」
「お姉さんが、いらっしゃるんですか?」
「ええ、三人姉妹です。リスティが一番上で私が二番目、私達は今も海鳴住まいなんですけど、妹のシェリーは今アメリカですね。
リスティは世渡り上手ですから心配いらないんですけど、シェリーも私よりしっかりしてるのにちょっと無茶するところがあるから心配です。まあ、時々知佳が見てくれてるみたいですし……って、すみません! なんだか私の話ばっかりになってしまって」
「あ、いえ、お気になさらず……」

恭也からすればさっぱりわからない話題だが、とりあえず家族が離れて暮らしているのだろうと言う事だけはわかった。そして、いつか美由希達が独り立ちしていくこともあるだろうし、恭也が海鳴を離れる可能性もある。
その時、自分もこういう顔で皆の事を振り返るのかと、なんとなく恭也は思っていた。

「でも、また襲われたりすると怖いですし、気を付けてくださいね。
 それと、そういう事態になっても極力無茶はしないでください。
無理を言ってるとは思いますけど、医者としてはこう言わざるを得ませんし」
「そう立て続けに襲われるとも思えませんけど、注意はしています。俺も、美由希も。
 それに、この前の事で学んだことも多かったですから。俺たちなりに、対策は考えています」

そう、あの一件以来、恭也達は少しばかりそれまでの姿勢を変えた。
さすがにまだ小太刀を常時携帯するなどと言う真似はしていないが、どんなに小ぶりでもいいので必ず刃物は常備している。それがたとえ、学校などのこれまで刃物を持ち歩かなかった場所でも。
そして、それ自体は通常の小刀程度の大きさだが、飛針と鋼糸だけよりかは幾分ましだ。
いずれは、楽器ケースを改造して小太刀を持ち歩くことも検討している。普通に銃刀法違反だが……。

「そういう意味では、あの時の男には感謝しても良いくらいかもしれませんね」
「襲ってきた相手に感謝するって、ちょっと矛盾してません?」
「でも、あの時に気付けて良かったと思います。
もし、もっと取り返しのつかない時だったらと思うと、ぞっとしますよ」

そう言って恭也は苦笑する。
フィリスの言う事もわかるし、ハーミットと名乗った男への敵愾心は変わらない。
しかし、それでも学んだことがあった。気付けた事があった。思い出した事があった。
なら、相手の思惑はどうあれ、謙虚に受け止めるべきところは受け止めるべきだろう。
最近は物騒なニュースも多いし、あの時に武器を持ち歩いていれば、などと言う後悔をしないで済むに越したことはない。もちろん、次に会った時には先の借りをしっかり返すつもりでいるが。

「でも恭也さん」
「はい?」
「なんていうか、失礼かもしれませんけど…悩みとか相談できる相手って、います?」
「と言うと?」
「ほら、美由希さんは妹さんでお弟子さんでしょう。悩みとか相談しにくいでしょうし、かと言ってフィアッセは剣術とかはさっぱりだからやっぱり、ね。晶ちゃんやレンちゃんも、相談相手にするにはちょっと抵抗があるんじゃないですか? 普通の悩みならともかく、剣術関係だと」
「む……」

それは、完全に図星を突かれた指摘だった。
確かにフィリスの言う通り、武術関係の悩みを打ち明けられる相手となると、正直困るのが恭也の現状だ。
強いてあげるなら赤星だが、彼も本質は剣道家。剣術家である恭也と完全に共有できるわけではない。
武道と武術は違う。特に、表に出ない武術を磨く恭也とそう言ったものを共有できる相手は希少だろう。
そういう意味で言うと、恭也にとってその手の悩みを打ち明けられる相手はいないと言っていい。
一応は父に時折、近況報告のついでに打ち明ける事もあるが、答えが返ってくる筈もなく……。

「できるならそういうお友達、いるといいと思いますよ」
「そういうものでしょうか?」
「本分はカウンセラーですから、私が聞くと言う手もありますけど、やっぱり共感はきっとできません。
内側にため込んでしまってばかりでも、あまりよくありませんからね。そういう話を気兼ねなく話せる相手がいると、気持ちもだいぶ変わってくると思いますよ。
それこそ、ライバルっていう形でもいいと思いますし」

言わんとする事はわかる。剣術家、という区切りでなくても、似た様な生き方をする友人がいた方がいいと言うのは間違ってはいまい。だが残念なことに、今の恭也にその当てはない。
父が健在であったのなら、そのコネから同世代のその方面の友人も得られたかもしれないが、意味のない仮定だ。
とはいえ、勤務中の相手と長々と話しているわけにもいかないので、もう少し話をして恭也は病室を後にした。

そして帰路の途中、恭也は思う。
ライバルとはいったいどういうものなのか。
もしそう言った存在がいたら、自分も何かが変わるのだろうか、と。
それは、恭也自身にも答えのわからない疑問だった。



*  *  *  *  *



場所は変わって梁山泊。
無事に帰宅した二人は、修業に入る間もなく師匠達に呼び出されていた。

「どうやら、さっそくのようですわね」
「なんだか、アイツの邪悪な計画に加担しているようで、気が引けるんですけどね」
「あら? 引けているのは気だけなんですの? 
 いつもだったら……『いや――――!! 怖いのはいや――――!!』って、叫びながら逃げてますのに」
「はははは、視線をちょっと下げてもらえば分かりますよ。単に取り繕ってるだけです」

兼一の言う通り、彼の足は現在進行形でガタガタと震えている。
もういい加減慣れても良い展開だろうに、一向にその気配がない。
これを進歩がないと蔑むべきか、それとも初心と恐れを忘れないと褒めるべきか。

「まぁ、本音を言うと逃げたいのは山々なんですけどね……」
「?」
「でも、今回は逃げられませんよ。僕の信念の為にも。なにより、平穏に生きる人たちの為に」

兼一の表情はいつになく引きしめられ、身体からは充実した気迫が感じられる。
そんな彼に、先ほどまでの頼りなさはない。兼一にとって、武人として、男として、退けない時が今なのだ。
未だ勇気のコントロールはできないが、すでに彼の精神はある一線を越えている。
こうなった兼一の勇気は並みの武術家の比ではなく、その心は不屈の体現だ。

そんな兼一を、美羽は優しくも頼もしそうに見つめる。
優しいまま、甘いままにドンドン強くなっていく兼一。
一時は自分の庇護下から離れて行く事を寂しくも思った美羽だったが、今となってはその寂しさはより強い信頼へと転じている。美羽にとって、最も安心して背中を預けられる相手こそが、今や兼一なのだから。

そうして二人は師達の待つ部屋へと入る。
予想通り、そこには梁山泊の豪傑達が集結していた。ただし、今回は何名か席をはずしているが。
そこで、長老不在時の梁山泊の取りまとめ役である秋雨が切りだす。

「ふむ、裏社会科見学と聞いて腰が引けているかと思えば、何やら兼一君の気がいつになく充実しているねぇ。
これは、いったいどんな風の吹きまわしだい?」
「ちょっと悪友から、発破をかけられまして」

一目で兼一の気力の充実を見てとった秋雨は、実に面白そうに兼一を見る。
それに対し兼一も、視線を逸らさず確固たる意志と覚悟を以って応じていた。
そして兼一の口から出た単語から、その理由を知り秋雨の表情がさらに楽しげなものになる。

「ほぉ、彼か。ならば、あまり説明は必要ないかな?」
「いえ、詳しい事まではわからないので、お願いします」

そうして語られた内容は、概ね新島の話した通り。
HGSの事、それを兵器や武器として利用しようと考える者たちの存在、その一部が不穏な動きを見せている事。
そして、そのターゲットとなるであろう人たちの護衛を、本巻警部から依頼された事。
しかし、一つ予想外だった事があるとすれば……

「今回は、兼一君と美羽の二人で警護に当たってもらおうと思う」
「「え? 僕(私)達にですか?」」
「へへ…ま、今回はちょいとわけありでな」
「そうね、おいちゃん達総出で出陣することになるんだけど、それでも手が足りないね」
「アパチャイはタイに里帰り…中。じじいもふらっと北に旅に出て、二人とも連絡がつか…ない」
「ああ、そう言えばそうでしたわね」

そう、つい先日兼一が高町家との花見に出かけて間もなく、アパチャイと長老の二人が梁山泊を離れたのだ。
アパチャイは古巣のロムタイフンジムと飼い虎の「メーオ」の様子を見に。
長老は例の如く、強者探しの放浪の旅に出てしまっている。

「そんなに今回は護衛対象が多いんですか?」
「ふむ、どちらかと言うと数よりも問題なのはその範囲だ」
「へっ、護衛対象は四人だけどよ、そのうち二人は海の向こうだからな」
「え? でもそれなら岬越寺師匠、逆鬼師匠、馬師父、しぐれさんで四人満たせるんじゃないですか?」

確かに、梁山泊の受け持ちが四人だと言うのなら、それは今いるメンツだけで事足りる。
わざわざ美羽と兼一のコンビで警護に当たらなければならない理由にはならない。

「それがね、おいちゃんは大陸に戻って組織を潰す方に手を貸す事になってるね」
「つまり、今回の相手は大陸系の組織と言う事でよろしいのですわね?」
「う…ん。大陸の事なら、馬に任せるのが…一番」
「ああ、そう言えば馬師父って一見どうしようもない“変態エロ親父”ですけど、中国本土に十万人の門下生を擁する鳳凰武侠連盟の最高責任者なんですよね」
「兼ちゃん、最近言う事がきつくなってきたね……」

弟子の発言に傷ついたのか、部屋の隅っこで畳に「の」の字を書いていじける剣星。
ただし、誰一人として慰めもしなければ励ましもしない。
当然だ、何しろ兼一の発言は嘘偽りのない、掛け値なしの真実なのだから。

「まあ、安心したまえ。皆の配置は襲撃の確率と危険度を私が計算して決めてある。
 油断は禁物だが、君達二人がかりでならなんとかなるだろう」
「そういうこった。それに、近くにはしぐれもいるしな。
やばくなったらしぐれがなんとかするから安心していいぜ」
「ぶ…い」

逆鬼の言葉に、しぐれは親しい者でない限りわからない程度に誇らしげな表情を浮かべてVサイン。
確かに、兼一と美羽の二人だけではやや不安はある。
だが、それが怖いくらいによく当たる秋雨のカオス統計学によって導き出された解であり、保険としてしぐれまでいるのなら問題はないのだろう。
しかし、あまりしぐれに頼りっきりでもそれはそれでよろしくないわけで……。

「とはいえ、あまりしぐれをあてにし過ぎても困りものだ」
「うん、それじゃ兼ちゃんや美羽の成長にならないね」
「だから、よほどのことがない限りしぐれは手を出さない。そのつもりでいたまえ」
「「はい!」」

秋雨と剣星の言葉は一見厳しくもあるが、兼一や美羽にとって別に改めて言われるまでもないことだ。
YOMIとの死闘……いや、それ以前からそうだったが、基本的に師匠達は兼一達のゴタゴタに手を出さない。
敵の師匠が出てきたとか、兼一達との間に隔絶した力の差あるとかでもない限り、自分達の危機は自分たちで乗り越えるのが基本方針。
故に、兼一も美羽もはじめからあまりしぐれの事は計算に入れていない。
自分達の計算の遥か外の事態が起こらない限り加勢してくれないのだから、これは当然だ。
とそこで、兼一はある基本的な疑問に思い当たる。

「あれ? そういえば、しぐれさんは僕達の近くなんですか?」
「うむ。幸い、君達の担当する二人は親しくしているようでね、家も近所だ」
「秋雨さんと逆鬼さんはどちらに?」
「逆鬼はアメリカ、私はカナダだ」
「アメリカと言う事は……もしかしてジェニファーさんを頼るんですの?」
「そうね。あの子、逆鬼どんにべた惚れだし、二つ返事で協力を了承してくれたね」
「実際、FBIの情報網と組織力は有用だからね。折角だ、利用させてもらう」
(FBIを利用するとか……普通に考えれば与太話なんだけど、事実だからなぁ)

なんというか、自分の師達の妙な顔の広さを再認識する兼一。
そこでふっと疑問に思う。本巻警部からの依頼であるのなら、なぜ海外にまで出向く事になるのかと。

「あの、これって警察からの依頼なんですよね?」
「表向きは…そう」
「「え?」」
「香港警防の事は、二人とも知っているね」
「香港警防と言うと、あの『非合法ギリギリの法の守護者』でしたわね」
「うむ、今回の依頼はそちらの構成員からの個人的な依頼でね。
 あちらも色々立てこんでいて今は手が離せない状況らしく、組織を潰す人員にすら難儀しているようだ」
「でも、それならなんでわざわざうち(梁山泊)に?」
「その構成員って人が、どうも日本人らしくてね。
それに、護衛対象の半分は日本住まい。残りの二人も日本人か日本暮らしが長い人らしいから、おいちゃん達にお鉢が回ってきたね」

確かに、日本での護衛及び日本人の護衛となればその方がいいのだろう。
ただでさえ香港警防は今手が足りないと言う話だし、護衛に人では避けない。
とはいえ、あまり信用のおけない相手に頼むわけにもいかない。
そこで仲介役となった本巻警部が梁山泊を斡旋したのは、ある意味で自然な流れだろう。

「で、おいちゃんは鳳凰武侠連盟の代表として、人員の貸し出しとかの折衝もしに行かなきゃならないと言うわけね。香港警防とは縁もあるし、さすがに知らんぷりして代理で済ませるわけにはいかんね」
「はぁ…………そういうものですか」

武術以外の事はどうしようもなくいい加減で、厳格さとは無縁の剣星だが、それでも一門の長。
中国を離れてだいぶ経つとは言え、時にはこういう「らしい仕事」もしなければならないのだろう。
兼一としては、最高責任者としての剣星にイマイチ実感がわかないのだが。

「それと、先方から一つ警護に関して条件が付けられている」
「「条件ですか?」」
「まあ、そうむずかしく考えるほどのことじゃねぇ。
 単に、極力護衛対象の生活を乱さないように、陰ながら護衛しろってだけだからよ」
「それはまた、どうしてそんな条件を付けたのでしょう?」
「どう…も。依頼人は、護衛対象と個人的に関係がある…らしい」
「それに、襲撃自体あるとは限らんね。先方としては、動く前に潰してしまいたいと言うのが本音だろうしね」
「そういうわけで、君達には二人で交代に護衛にあたってもらう。構わんね?」
「「はい!!」」

相手の生活を乱したくない、と言うのであれば兼一の重いとも合致する。
護衛が付くと言う事は、それだけで日常から離れてしまう。
普段通りの生活を送ってほしいと思うなら、確かに護衛の存在を知られない方がいいのかもしれない。
それに、あるかどうかも分からない脅威でストレスを与えるのもよろしくないだろう。

「それで、期間と護衛する方々のプロフィールは? それくらいは知りたいのですけれども」
「とりあえず、期間は一週間。その間にあちらは蹴りをつけるつもりのようだ。
それと詳しいプロフィール……と言っても、先方もあまり詳しいデータは寄越してくれなかったのだがね、まあそちらは後で資料を渡そう。とりあえず、今は名前と現在の所在地だ。
 私はカナダで在住の国際救助隊特殊分室所属の『仁村知佳』を、逆鬼はアメリカでジェニファー・グレー女史のサポートの下、ニューヨーク市消防局で災害救助に従事している『セルフィ・アルバレット』を護衛する」

それは数年前、ある事件にかかわった人物達。
そして、香港国際警防の樺一号こと「陣内啓吾」と同じく香港国際警防所属「菟弓華」の関係者達。
この二人こそが今回の依頼人であり、チャイニーズマフィア「劉機関」の残党から彼女らの情報を得た組織を掃討する作戦の一環であった。まあ、そこまで詳しい事情は、さすがに兼一達の知るところではないが。

「そして、しぐれは日本の警察協力者『リスティ・槙原』を、兼一君と美羽は海鳴大学附属病院勤務の医師『フィリス・矢沢』の護衛。二人の現住所は海鳴市、リスティ・槙原は女子寮に住んでいるとの事だから、万が一の為にもしぐれが無難だ。それに兼一君は一度行った事もあるから、少しは動きやすいだろう」

こうして、それぞれの配置が決定された。
だが兼一は知らない。自身の護衛対象が、恭也やフィアッセの主治医である事を。
そして、この奇妙な縁がこの先に及ぼす影響を……。






あとがき

すいません、前回一つ嘘をつきました。
今回から武術家としての兼一と恭也達が関わるみたいな事を言いましたが、次回以降になります。

とりあえず今回はほとんどケンイチサイド。
で、こんな感じで裏社会科見学の名の下に、兼一と美羽でフィリスの護衛をやることに相成りました。
当然、恭也達にとってはそれなりに身近な人物ですし、色々面倒なことになるわけですね。
その辺は次回から描いていくことになると思います。
そして、陰で色々画策する新島。まあ、貸し云々と言うのは、こういう事ですね。
恭也達は、新白に参加することになるのかな?




それでは最後に、唐突に思いついた嘘予告でもどうぞ。

あるところに二人の少年がいた。
何の接点もない二人。
片や「当たり前のことを当たり前の様にできる少年」。
片や「優しさだけが取り柄の臆病で気弱な少年」。

どちらの少年も、特に何か秀でた才能が合ったわけではない。
ただ、前者の少年はひたすらに我慢強く、人の悲しみに敏感で、人並み以上に自己犠牲してしまう性質だった。
ただ、後者の少年はその心の奥底に誰にも負けない勇気を持ちながら、自覚することなく弱虫として生きていた。

しかし、両者は数奇な運命に愛されていた。
前者の少年は両親と幼馴染の母を亡くした時、優しい嘘で幼馴染に生きる目的を与える事を選んだ。そして、必死に嘘をつき続ける毎日の中で、二人の異種族の少女と出会った。やがて、少年と少女達は成長し幼馴染は嘘の存在を知って少年に尽くす事を望み、少女達は少年を慕って彼のいる街に再度訪れた。
後者の少年は、長い時間をいじめられてすごし、心身ともに負け犬となっていた。だが、一人の少女と出会いそれまでとは全く別の自分になる事を決意する。「正しいと思った事を貫く」為に、「大切な人を守る」為に、地獄に飛び込み努力で才能を覆す戦いの日々に明け暮れた。

時は、二人が17歳の秋。
前者の少年を取り巻く状況が一応の落ち着きを取り戻した頃。
後者の少年が相変わらず死にもの狂いの日々を過ごしていた頃。

片や「神にも魔王にも凡人にもなれる男」。
片や「梁山泊 史上最強の弟子」。

全く縁も所縁もない筈の二人だが、たった一つの依頼が二人を結びつける。
それは政治的に非常に厄介な立場にいる前者の少年を護衛する依頼だった。


「唐突だが兼一君、美羽。君達には国立バーベナ学園に編入して、ある人物を狙う刺客を撃退してもらう。
 ああ、今の学校の事は心配しなくていい。
超法規的処置により留学扱いになるからね、ちゃんと進級できるし、今回の件が終われば復学できる」

ある日突然師より言い渡された、無茶振りも良いところの指示。

「またあの親バカどもは……!」

毎度のことに頭を抱える、バーベナの女傑。

「原生生物の頃から愛していました!!!」

初対面でいきなり告白と抱擁をかましてくる、万年発情男。

「はいはーい、セクハラは犯罪ですので、さっそくエビフライの刑に処するのですよ~♪」

実に楽しそうに幼馴染を緊縛する、虹彩異色のまな板混血少女。

「やっと…やっとまともな友人を……」

ついに念願だった普通の友人を得た事に感涙する、非常識な常識人。

「稟君。な、何も泣かなくても……」

それを見てどう返していいか困惑する、奉仕精神の権化の少女。

「お兄ちゃん、それだと周りのみんながまともじゃないって言ってるのと同じだよ」

兄の不遇に同情しつつも、自分もその括りにされている気がして不満なホムンクルスのロリっ子。

「ついに来た体育祭! 今日のこの日を一日千秋の思いで待ち望んでたっす!!」

秋の大イベントを前に天井知らずにテンションが上がる神界のお姫様。

「勉強はからっきしだもんねぇ……中間から目を逸らしたいのはわかるけど、ほどほどにしてよ」

実に辛口なコメントを吐く、いない事にされた双子の妹。

「え? 一度に二つの声を出す? それは、人体の構造的に無理があるのではないでしょうか?」

超人秘技の常識外れさに顔をひきつらせる、天使の鐘とも称される魔界の姫君。

「まぁ、稟さんと兼一さんがくっついて、くんずほぐれつ…………まままあ♪」
「きゃきゃきゃあ♪ それでそれで、最後には刃傷沙汰に! 逃げて、お兄さん!?」

暴走機関車の如く果てしなく妄想を走らせる、神界の仲良し姉妹。

「うむ、つまりだな、このデイジーはお前がそのプロポーションをどう作ったのか気になるのだ」
「はうわぁ! い、いきなり何を言いだすんですか、エリカ様ぁ!!」

謎のウサギ型珍生物と、それに遊ばれるゲーマー少女。

「わぁ、珍しい。稟君の樹君以外の男友達なんて何年振りだろう。もしかして稟君、そっちにも目覚めちゃった?」

実に失礼な事を言い放つ、幼馴染達とは別の学校へ進学したぬいぐるみ好きの少女。

(あの二人…特に女性の方、いったい何者なのでしょう? あの立ち振る舞い、只者ではありませんね)

何かに気付く、生徒会長にして護衛役の神界剣士。

「わぁ~、兼ちゃんだぁ~、ひさしぶりぃ~♪ おっきくなったねぇ~」

とても一児の母には見えない、異様な若さを保つ幼馴染の母親。

「十年かぁ、長い筈なのに、兼ちゃんは昔とあんまり変わらないね。僕としては、ちょっと安心したけど」

十年の歳月を噛みしめ、自身の変化と変わらない幼馴染に安堵する売るほど元気な少女。

「そうですわね、兼一さんは変わりませんわ。優しいまま強くなって、沢山の人を変えてきたんですもの」

誰よりも近くで兼一の成長を見てきた、兼一が変わるきっかけとなった少女。

「ウヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャ!! さあ、始めるぜ、三界を席巻する俺様の野望をな!!!」

何やら陰で悪だくみをする、宇宙人の皮を被った悪魔。

「この人たちを傷つけると言うのなら、僕が相手だ!!」

大切な人たちを守るために何度でも立ち上がる、凡庸な、だけど非凡な信念と勇気をもった少年。


二人の凡庸な少年が出会う事で何本もの糸が複雑に絡み合い、新たな物語を紡いでいく。


もしかしたらいつかやるかもしれません。
それと、読んでもらったらわかるかとは思いますがケンイチとSHUFFLE!のクロスですね。正確には「SHUFFLE!Essence+」ですけど。
でも、今のところはRedsとこっちで手一杯なので、とりあえずこっちが一段落したらになります。
まあ、それでもやるとは限らないんですけど……。



[24054] BATTLE 6「幕間劇 祟り狐と達人鼠」
Name: やみなべ◆d3754cce ID:1963cf14
Date: 2010/11/28 12:20

時刻は正午過ぎ。
海鳴大学附属病院からやや離れた場所にある雑居ビルの屋上に、一つの影があった。

「…………………」

影の主の恰好はどこにも奇をてらったものがなく、あまりにも平々凡々としている。
ジーンズに黒のジャケット、靴は動きやすさを優先した運動靴、髪を染めているわけでもなければ、気の利いたアクセサリーの類を身につけているわけでもない。強いてあげるのなら、襟元に付けられた太陰大極図のバッヂと右耳につけられた鳥籠の形をしたピアスが、僅かに個性を主張している。

とはいえ、本人の顔立ちや容姿に際立ったものがあるわけではない。
表情は引きしめられているが、元の柔和な顔立ちの印象は残っている。
また、特別体躯に恵まれているわけではなく、背はどちらかと言えば低い部類に入るかもしれない。
そう、中肉中背と言うのがしっくりくる。
これでは、市街にでも出ればものの数秒で人ごみにまぎれて見失ってしまうだろう。

しかし、だからこそビルの屋上と言うロケーションからは浮いていた。
その人物は屋上のフェンスを越えた縁に危なげなく立ち、強風に煽られても微動だにしない。
僅かでもバランスを崩せば数十m下の地面まで真っ逆さま、転落死は免れないだろう。
にもかかわらずそんなところに立っているのは、まるで「何かあればすぐに降りられる」様にしているようにもとれる。

同時に、その視線は病院の一室に固定されているように見えながら、同時に病院全体を見ているようにも見えた。
あるいは、その両方なのかもしれない。
一つ確かなのは、その視線は真剣そのもので、そこには欠片ほどの油断も緩みもないと言う事。

そして驚くべきことに、彼がここに立ちつくして既に数時間が経とうとしている、全く姿勢を変えることなく。
驚異的だ。数時間に渡って直立不動を維持し続けることも、ビルの屋上という風の強い場でバランスを保ち続けることも。常識的に考えて、そのどちらも常人ではありえない。
そうして、そんな人物の背に数時間ぶりに人の声がかけられた。

「兼一さん、交代のお時間ですわ」
「あ、美羽さん。もうそんな時間ですか?」
「交代して6時間ですもの、だいぶ経っていますわよ」

声の主に驚いた様子も見せず、兼一は振り向いてその姿を確認すると、フェンスを飛び越えて声の主……瀟洒な格好の美羽の前に立つ。
美羽の言う通り、兼一が一人で護衛をするようになってもう6時間が経っていた。
その間に食事を取ったりはしていたが、それもあらかじめ用意しておいたものをつまんだに過ぎない。
つまりその間の6時間、兼一はずっとこうしていたわけだ。

「もう少し休んでいても大丈夫ですよ。僕は全然……」
「ありがとうございますわ。でも、もう十分休ませていただきましたから」

兼一としては美羽には十分に休んでほしいと思っているようだが、美羽はそれをやんわりと謝辞した。
その上で美羽は、それまでのおっとりとした雰囲気から鋭い抜き身の刃の様な眼差しを病院に向ける。

「それで、変化は?」
「……特にありません。今のところは不審な人物も見かけませんね」

美羽の問いに兼一はそう答えるが、当の本人達が不審である事はこの際置いておこう。
なにしろ二人はいたってまじめに、何一つ後ろ暗いことなどなく、ある人物を護衛しているのだから。

「まあ、平和なようでなによりですわ。初日は色々あれでしたから……」
「……まさか、はじめからあんなに周囲をうろついてるとは思いませんでしたよね」

そう、兼一と美羽の二人が陰ながらの護衛を始めた当初、目当ての人物の周りには不審者だらけだった。
それはその人物に好意を持つちょっとしたおっかけから、兼一達がここにいる理由である者達までと多岐に渡る。
とりあえず、その中でも危険そうな人物達は早々に撃退し、危険はないが怪しい面々は権力の力を借りた。

しかし、この手の事は根本を解決しない限りはイタチごっこだ。
如何に兼一達が不審者を撃退しようとも、撃退した分だけ補充されてしまう。
護衛初日の内にそのほとんどを一掃しながら、その後も散発的に不審者が現れているのがその証左だ。
故に、二人としてもなかなか気が抜けないわけで。

「中に入ってより近くから守れるといいのですけれども……」
「ええ。とはいえ、さすがにあまり長く潜り込むと怪しまれますから」
「ですわね、どんな言い訳をしても限度がありますわ」

普通に考えて、護衛の際にこんなにも離れたところに待機するなどあり得ない。
だが今回の護衛には一つ条件があり、「極力人目を避け、本人にも気付かれない」様にしなければならないのだ。
そうなってくると、受診者でもなければ入院患者でもなく、ましてや病院職員でもない二人が入り浸るのは不審過ぎる。生憎、その場に居ながら存在していると気付かれない、などという離れ業は二人にはできないのだから。
必然、こうして病院の近くで出入りする人物を監視するしかなくなってくる。

しかし、それだとやはり護衛に不安が生じるだろう。
故に、二人には別の方法でその隙を埋めている。

「まあ、何か異変があれば闘忠丸から通信が入りますし、私達は外の監視を続けましょう」
「ですね…………でも、病院にネズミを潜ませるのってどうなんでしょう?」
「ま、まあ、闘忠丸はしゃもじより清潔ですから……」
「そういう問題なんでしょうか?」
「そういう事にしておきましょう。とりあえず、闘忠丸には後でご褒美を用意してあげなければなりませんわね」

兼一の指摘に、美羽は苦笑いと汗を浮かべながらもそうコメントする。
今回の件に際し、兼一達はしぐれの友人であるネズミの「闘忠丸」に協力してもらっていた。
闘忠丸は実に頭が良く、猫をも倒せる文武両道に秀でた達人的なネズミだ。
彼にはそのサイズに合わせた発信器を持たせてあり、有事にはそれを使って知らせてもらう手筈になっている。
なにより、その身の小柄さは今回の件にはうってつけ。
少なくとも、病院にいる間は闘忠丸に付いてもらうのが無難だろう。

「さて、後の事は私に任せて兼一さんは休んでくださいな。
 あ、あとこれは買い出しのリストですわ」
「はい。ついでに、部屋の掃除も済ませておきますよ」
「お願いしますわ♪ 一週間とは言え、やはり綺麗に使いたいですものね。では、また6時間後に」

今回の護衛は兼一と美羽の二人での交代制だ。
二人で四六時中護衛すると言う手もあるが、期間は一週間と少々長い。
さすがにそれだけの時間、常に張り付け続けるのは現実的ではない。
もし何かあったその時、寝不足や疲労から思うように動けなかったのでは目も当てられない。

故にアパートを手配し、そこで交代しながら睡眠と休憩をとっているのだ。
無論、手薄な時間が生じる為危険はある。だが、少なくとも日中は人目もある以上襲撃の可能性は高くない。
ならばと言う事で、夜間は二人で護衛し、危険性の低い日中は二人で交代しながら護衛する事となったのだ。

まあ、そんな貴重な時間を掃除や買出しに当てるのもどうかと思うのだが……。
しかし、兼一たちならこの程度の疲労、3時間も寝れば取れてしまう。
その為、実はそれほど無理のあるスケジュールと言うわけでもない。

美羽に促され、兼一は会談に向けて歩き出す。
だが、兼一は何を思ったのか唐突に足を止めて振り向いた。

「どうしたんですの、兼一さん?」
「あ、いや、ここ何日か護衛して思ったんですけど……」
「?」
「守りたいですね…………いえ、絶対に守りましょうね、矢沢先生を」
「兼一さん?」
「だってあの人、あんなに患者さんたちから信頼されて、あんなに患者さん思いなんですよ。
 そんな人を、こんな卑劣な連中の手にかけさせるわけには、いかないじゃないですか」

そう語る兼一の瞳には、今回の件を知らされた時以上の強い意志が宿っている。
あの時はあくまでも自身の信念と、敵組織への義憤による物だった。
しかし、今は違う。

いや、もちろんそれらもある。
だが、それ以上にフィリス・矢沢と言う人物を、あらゆるしがらみを抜きにして兼一は守りたいと思っている。
そう思わせるだけの性別を越えた人間的魅力を、フィリスは有しているのだ。
あんなにも素晴らしい医師を、あんなにも穏やかで優しい女性を、絶対に傷つけさせはしない。
その覚悟と決意が、兼一の瞳にさらなる力を宿していた。

「……………そうですわね。私達はあくまで武術家、身を守り、敵を倒す事しかできませんわ。
 でも、そんな私達にしかできない事もあります。きっと、それが今なんですわ。
 あの素晴らしい方を、理不尽な脅威から守り、その脅威を打ち砕く。その為の力なんですもの」
「ええ。必ず、やり遂げましょう、美羽さん。
矢沢先生と、あの人がこの先救っていくであろう人たちを守る為に」

そうして兼一は決意を新たに、フィリス・矢沢の護衛を引き継いで去っていく。
これからの大雑把な予定を立てつつ、数日前の出来事を思い出しながら。



BATTLE 6「幕間劇 祟り狐と達人鼠」



兼一と美羽の間で先ほどの様なやり取りがあった二日前に話は遡る。
護衛初日の内にフィリスの周りの不審者を粗方処理した二人は、実はこの時が一番暇だった。
何しろ、フィリスの周りからは不審者は一掃され、ただ彼女の周りでウロチョロしているしかない。
言わば、一種の空白地帯と言うか期間と言うか、そんな状態になっているのだ。
これが翌日にでもなると、新たな不審者やフィリスを狙う組織の先兵と思しき者達がまたわらわらと寄ってきて、二人はその処理に追われることになるのだが……。

とりあえずその日、午前中の護衛を美羽が担当していた関係から、兼一は街に買い出しに出ていた。
そこで、考えてみれば当然あり得るであろう可能性に遭遇する事となる。

「あれ? もしかして…兼一さん?」
「へ? み、美由希ちゃん?」

突然かけられた声に振り向くと、そこには兼一も見知った少女…美由希の姿があった。
いや、それだけでなく、美由希の周りにはタイプこそ違えど、容姿に優れた女性が集合している。
それも、みんな兼一と面識のある人たちばかり。
彼女達も美由希にやや遅れて兼一の存在に気付いた。

「あ、ほんまや、兼一さんや」
「お、ホントだ。どーもです」
「……くーん」
「はぁ、どうしてこんなに兼一さんを避けるのかしら、この子は。
 久遠、ちゃんと挨拶しないとダメよ」
「ふふふ、無理強いしちゃダメだよ那美。でも、こんなとこで出会うなんて奇遇だね、兼一」

レンに晶、久遠・那美・フィアッセ。
みんな兼一の妹ほのかの関係者であり、先のお花見で紹介された人たちだ。
兼一はその思ってもみない再会に、思わずしどろもどろになる。

「そ、そうだね。で、でも、どうしてここに……!」
「いや、どうしても何も……」
「海鳴はウチらの地元やから、ここにいて当たり前とちゃいますか?」
「あ…そ、そう言えば……」

晶とレンの指摘により、ようやくその事を思い出した兼一。
そう、海鳴で動いていれば、当然その街の住人である高町家やその関係者達と遭遇する可能性は高い。
むしろ、今の今まですっかりそのことを失念していた兼一がどうかしているだろう。
とそこで、兼一はふっとある事に気付く。

「あれ? でも、今日はほのかは一緒じゃないんだ」
「え、ご存じないんですか? 今日は平日ですけど、合併記念日で学校はお休みなんですよ」
「ああ、そうなんだ。そういえば、風芽丘と海鳴中央は合併してたんだっけ……」

那美のコメントに、兼一は納得がいったとばかりに頷く。
何しろフィアッセはともかくとして、他の面々はまだ制服着用をし、この時間は学校に通っている筈の学生達。
しかしそれも、今日がほのかから聞いた両校の記念日となれば話は別。
休日にまで制服を着る奇特な人間はまずいないし、この時間帯に街に出ているのも当然だ。
おそらく、5人でショッピングでもして来たか、あるいはこれから行くところなのだろう。

「だけど、今日はどうしたの? ほのかも一緒じゃないみたいだし、こっちに用事?」
「ああ、いえ、そのぉ……」

フィアッセの何気ない質問に、返答に窮する兼一。
さすがに「ある人物の護衛です」などと言える筈もなし。
また、ほのかもいないのに兼一がこちらに来る動機は皆無と言っていい。
いつぞやのお誘いに預かって、と言う嘘も付けなくはないが、なんの連絡もなしと言うのは問題がある。
何より嘘が本当の事になり、それであまり時間を使っては美羽への負担が増してしまうので本意ではない。
故に兼一は、咄嗟にある意味で最も彼らしい言い訳を口にしていた。

「あ、あはははははは……! じ、実は、うちの道場から逃げてきたんですよ!!」
『逃げる?』

空々しい笑い声を上げる兼一に、一同揃っていぶかしそうに首をかしげる。
それはそうだろう。普通に考えて、どうしたって印象の良い内容ではない。
特に、梁山泊の修業の内容を知らない彼女らからすれば、兼一の言葉は『情けない』ものとしか思えなくて当然。
とはいえ、一度言ってしまった以上もう引っ込みは付かない。
兼一は若干罪の意識を感じながら、それでもこの嘘を突っ走るしかなくなっていた。

「え、ええ、そうなんですよ!」
「それって、いじめられてるとかそういう話? それならちゃんとどこかに相談した方がいいよ」

フィアッセの心配は、ある意味で当然のものだろう。
兼一が格闘技をやっているのは一応知っているが、あまり強そうではないと言うのが全員の見解だ。
なら当然、その道場で兼一が下っ端扱いされ、いじめられたりする可能性を考えてしまう。
実際問題として、兼一は高校時代の一時期空手部に所属していたが、思い切りいじめられていたのだから、あながちあり得ないと否定することもできない。
だが、兼一の道場、梁山泊に限ってそんなことはあり得ないのだ。

「あ、いえ……イジメとかそういうのじゃなくて、ちょっと、その………きつくて……」
「それは、練習がって事ですか?」
「う、うん。まぁ、ね」

美由希の問いに「すっごく情けないこと言ってるなぁ僕」と思わないでもない兼一だった。
そんな兼一に対し、美由希をはじめみななんとも言えない表情をしている。

「実家や友人の家は張られているだろうし、行ける範囲も限られてるから。
 で、でも、そっかぁ。ほのかがいないのは学校だからと思ってたけど、どこかに遊びに行ってたんだな!!
 アハハハハハ、しかたないなぁもう!!」

内心、あまりの苦しさに頭を抱え込みたい兼一だが、もはや後戻りはできない。
いくらツッコミどころ満載で、自分の恥部としか言えない様な話だとしても、これくらいしか上手い言い訳がなかったのだ。
まあ、実際兼一が梁山泊を脱走するのは割とある事なので、もしこれが事情を知る者達相手なら結構通ったかもしれないが……。
しかし、兼一の事情など知る由もない美由希達としては、色々思うところがあるわけで……。

(いや、努力とか根性とかとは無縁そうな人だとは思ってたけどよぉ)
(なんちゅうか……悪いとは思うんやけど、情けないなぁ……)
(二人とも、ちょっと酷いよ。
それにほら、私も練習がきつくて泣きそうになったり逃げたくなったりした事がないわけじゃないし……)
((いや、美由希ちゃん達の練習と比べるのがそもそも間違ってるって!!))
(薫ちゃんの練習とか、本当に大変そうですし……必死にやってる人の中でやっていくのは、違った意味で大変なんでしょうね)
(でも、兼一もその事に何も感じてないわけじゃないみたいだし、きっかけがあれば変わるかもしれないよ)

仕方がないとはいえ、兼一の修業の実態を知らないが故に彼女達の兼一への評価は下がり気味だ。
まあ、事実として兼一はヘタレだし、割と情けない部分も多い。
それこそ、恭也や赤星と比較したら色々な意味でかわいそうになってくるくらいに。
だが、それらの欠点を補って余りあるほどに素晴らしいものを持っている事を、彼の友人達は知っている。
単に美由希達は、まだ兼一のそう言った一面を知らないだけなのだ。

「あれ? でもそれだと、兼一って実家に住んでるんじゃないの?」
「あ、はい。一応、住み込みでみっちりと……」
「あ、内弟子なんですね」

内弟子とは師と寝食を共にし、あらゆる武術の秘伝とノウハウを伝える制度だ。
もちろん、一緒に住む以上は一日二十四時間、年三百六十五日、徹底管理で鍛えることを意味する。
文字通り、魂の髄にまで武をしみこませる為の制度と言えよう。
しかし、その制度を適用されていると言う事は……

(もしかして兼一さんって、結構期待されてるのかな……)

美由希の考える通り、資質・素養・才能の無い者にそこまで手間をかけるとは考えにくい。
逆説的ではあるが、内弟子になれるほどその道場で兼一は期待された人材と考える事が出来る。
そう、できるのだが……

(でも……………………………………………………………やっぱり、全然そうは見えないんだよねぇ。
 恭ちゃんみたいに強い人って、結構そういう雰囲気とかオーラみたいなのがあるんだけど、兼一さんからは全然感じられないし…………何て言うか、チワワとかの子犬っぽい)

それは、ある一面においては厳然たる事実。
何しろ、かの「殲滅の拳士 アレクサンドル・ガイダル」の愛弟子「ボリス・イワノフ」もまた、兼一の事を「牙も爪も持たない小動物」と評したことがある。
こと日常において、白浜兼一にそう言った意味での凄味の類は欠片もないのだ。
平穏の中にいる兼一しか知らない美由希が、兼一を見誤ったのも無理からぬことだろう。

そうして美由希が武術家としての兼一をどう評価していいか判断に迷っている中、彼らの前に数名の男が立った。
別段、それだけならどうという事もないのだが、その男達が一様に美由希達、特にフィアッセに下卑た視線を向けているとなると話が変わってくる。
で、世の中は往々にして捻りの無い進み方をしていくものなわけで……

「アンタら、暇なら俺らと一緒にこねぇ? いや、別に暇じゃなくても来てもらうんだけどよ」
「そうそう、そんな冴えない奴より俺らと遊ぼうぜ。良い所に連れてくからさぁ」
「特に、そっちのお姉さんには是非とも来て欲しいね。
俺らも張り切って精一杯のもてなしをするぜ、もちろん朝までさ」

その言葉に、男達は一斉に品の無い笑い声を上げる。
男達としては気の利いた冗談だったのかもしれないが、他者からすれば著しく気分を害する内容だ。
当然、美由希達はあからさまではないにしろ不快そうに眉をひそめている。
また、こう言った展開はさして珍しくもないのだろう。
慣れた様子で男達を観察する晶とレンは、鬱陶しそうに男達に向けてハエでも払うように手を振る。

「間に合ってますんで、結構です」
「一度鏡を見てくる事をお勧めしますわ」
「んだと、ガキに用はねぇんだよ! 特にその坊主、あんま舐めたこと言いやがると痛い目見るぜ」
「あ~ん、晶君うち怖い。
早くそのゴリラみたいな拳で蹴散らしてぇ~…ついでに、相討ちになってくれるとなお良しや」
「殺すぞ、てめぇ。そりゃな、あたしだって女らしくねぇって自覚はあるし、いっそのこと男に生まれた方が良かったかなぁと思わなくもねぇよ。でもな……」

さすがに、こんな扱いをされて黙っていられるほど晶も女を捨ててはいない。
俯き気味の為表情は読み取れないが、その拳は固く握り過ぎて振るえ、声音からも怒りの色が滲んでいる。
しかし晶が行動に移すよりも早く、一人のお人好しが晶の扱いに対して物申した。

「君達、女の子に向かってそれは失礼だよ、ちゃんと晶ちゃんに謝るんだ!」
「って、兼一さん!」
「ちょ、ここはうちらに任せて下がっといてくださいて。足震えてるし……」
「そう言ってもらえるのはすごく嬉しいんですけど、この手の連中にそんな事言っても無駄ですって!」

まさか兼一が口をはさんでくるとは思ってもいなかった晶とレンは、焦った様子で兼一を抑えようとする。
だが、良くも悪くもバカ正直なこの男に、そう言った意味での空気読み機能は付いていない。
それが男達の神経を逆撫でし、低い沸点を軽く超えるきっかけになると分かっていないのだ。
そうして兼一は、そのままズバズバと馬の耳に念仏と気付くことなく正論を吐いていく。

「良いですか? そもそもこんな往来であなた方は何を考えているんです。
 そんな横に広がってぐずぐず歩いて、後ろの人たちが困っていると分からないんですか!
 服装に関してはとやかく言いませんが、歩きたばこも周りの人に迷惑しかかけません!
 いえ、第一、美由希ちゃん達に芽がないことくらいもう分かるでしょう。声をかけるなとまでは言いませんし、みんな綺麗なんですから仕方がありません。ですが、礼儀もわきまえずにしつこく迫っても、印象を悪くするだけだとなぜわからないんですか!!」

別に「ナンパをするな」とは言わないが、確かに最低限守るべきモラルと言うものがある。
それが男達には著しくかけているのも事実だし、兼一の言っている内容は何も間違っていない。
しかし、世の中は正しい事が正しいまま受け入れられるとは限らない。
嘆かわしい話だが、主義主張を通すには押し通す為の力が必要なのだ。
その力のあり方は千差万別だが、男達の在り方は非常に短絡的だった。
つまりは――――――――――――暴力である。

「あんだとこのチビ!!」
「てめぇに用はねぇんだよ、さっさと失せろや!!」
「折角穏便に済ませてやろうと思ったのによ、ヒーロー気取りか、ああ!?」

男のうちの一人は兼一の胸倉を掴み上げ、残りの二人も兼一にガンを飛ばす
どうやら、いきなり拳を振り回すほど短絡的かつ粗暴ではなかったようだ。
それは男達にとって幸運だ、もし拳を振り上げていれば晶やレン、そして美由希が動いていただろう。

いや、それ以前に、兼一は穏やかで争いを好まない性格だが、決して無抵抗主義の聖人ではない。
故に、もし男達が実力行使に出ていれば、兼一もまた反撃せざるをえなかっただろう。
だが、男達が実行したのが威嚇だけだったことで、事態は少々屈折する。

しばしの間睨みあう兼一と男達。
この場合、眼を逸らした方が精神的に下の位置に置かれる。
そして、先に目を逸らしたのは当然―――――――――――――――兼一だった。

「あ、兼一が先に目を逸らした!?」
「まあ、あんま気の強そうな人やないし、しゃあないですって。おサルみたいな野生動物とちゃうんやし」
「そうだよな、頑張ったと思う……って、あんだとカメ、もっぺん言ってみろ!!」
「ま、まあ晶とレンを守ろうとして前に出たのは凄いと思うよ」
「で、ですよね……………他の人たちなんて、遠巻きに見てるだけですし」

アレだけ言っておいて目を逸らしたことに驚くフィアッセ、それに一応フォローを入れるレンと晶。
美由希と那美も、周囲の状況などを鑑みてそれなりに兼一の勇気をたたえている。
まあ、それでもどうしても内心ではちょっとだけ「ヘタレ」と思わなくもないわけで……。
こればっかりは、さすがに仕方がないだろう。

とはいえ、こうなってくるとやはり晶やレンで撃退するしかなくなってくる。
実際には、本当に男達が実力行使に出れば兼一が黙ってはいないのだが、そんな事を皆が知る筈もない。
誰もが、兼一の勇気はこれで打ち止めと思って疑っていなかったのだから。
そうして男達が兼一を強引に押しのけて美由希達に迫ろうとした時、その後ろから固い声がかけられた。

「すまないが、うちの妹と友人達が何か迷惑でも? それなら、兄として謝罪するが……」
「まったく、お前らもほどほどにしとけよ。こいつ、怒らせると俺よりヤバいんだからさ」
「みんな大丈夫? 白浜君も結構男らしいところあるんだねぇ、見直したよぉ」

美由希達が振り向くと、そこには恭也と赤星の姿。そのさらに後ろには、忍までいる。
恭也は赤星と出かけると言っていたから当然なのだが、忍がいることに少しばかり驚く美由希達。
正直、恭也が休日に異性と遊びに出掛けるなど、高町家関係者一同としては青天の霹靂に近い珍事なのだ。
それこそ、今の状況などすっぱり忘却してしまうほどに。

そして、三人の登場が男達に与えた衝撃も並みではない。
正確には、恭也と忍の事を男達は全く知らない。
だが、全国レベルの高校生剣道家である赤星の事はこの界隈では割と有名なのだ。
特に不良やチンピラなどの素行の悪い連中の間では、ケンカを売ってはいけない相手のリストに載るくらいに。

「げ! おい、アレ赤星じゃねぇか……」
「慌てんじゃねぇ! いくら野郎が強いからって、お綺麗な剣道の試合とケンカはちげぇだろうが!!」
「そ、そうだよな。それに、こんなところでやったら、アイツこそ問題になって出場停止とかになる筈だぜ!」
「まあ、確かにそれはそうなんだよな。実際あまり気は乗らないし、やるとなると後々面倒だ。
 でもな、身内に手を出されて黙っていられるほど、俺は優しい人間じゃねぇぞ!」
「俺も素人をいたぶる趣味はないが、やると言うなら相手になる。
 幸い、こいつと違って気にかけなきゃいけないものも少ないしな」

それだけ言って、二人は軽い臨戦態勢に入る。
恭也と赤星の手に武器はなく、軽い徒手用の構えだ。
しかし、それは単に武器を持っていないからではなく、この程度の相手には必要ないと言うだけの話。

そして、それだけでも彼我の戦力差は一目瞭然。
この二人を相手に、男達では触れる事も出来ずに叩き伏せられるだろう。
そこで、ふっと思い出したように忍が口を挟む。

「まあ、高町君は赤星君と違って、悪くても1・2週間の停学くらいで済むと思うよ」
「なら、気兼ねなくやれるな。というわけだ、お前は下がってろ。部に迷惑はかけられないだろ」
「確かにそれはそうなんだけど、やり過ぎるなよ。お前、基本的に容赦ってものがないし……。
 ああ、お前達も気をつけろよ。こいつ、一応言っておくと俺よりずっと強いからな」

一部の人間の間では、風芽丘の実質的トップと目されている赤星の発言に、男たちは瞠目する。
ハッタリかもしれないが、赤星はそういうキャラではない。
少なくとも、そう言わせるだけの実力があると思わせる説得力が彼にはあった。
実際には、彼の言葉は嘘偽りのない真実なのだが……。

僅かな間逡巡する男達、やがて答えが出たのだろう。
口惜しそうに地面につばを吐き、男達は踵を返す。
恭也の実力はわからないが、赤星までいる以上は分が悪いと判断したらしい。
ただし、去り際に置き土産を忘れない辺りが、なんともらしいやり口だ。
それも、その置き土産を赤星や恭也ではなく、弱者と思い込んでいる兼一に向ける辺りが……。

「いくぞ!!」
「ちっ、おぼえてろよ! このおとしまえはいつかキッチリつけてやるからな!!」
「良かったな、フヌケ野郎。アイツらのおかげで命拾いしたじゃねぇ…か!!」
『あ!?』

最後の一言の瞬間、男の拳が兼一の頬に向けて振るわれる。
誰もが、その拳が深々と兼一の頬に突き刺さる姿を幻視した。
しかし実際にはそれが実現することはなく、男の拳は虚しく空を切った。
そして男は気付いていない、自分が言ってはいけない一言を言ってしまったことに。

「野郎、いっちょまえに避けやがって!! 一発で勘弁してやろうと思ったけどよ、てめぇだけはぶちのめす!」
「おまえ!」

不意打ちを仕掛けるだけでなくさらに兼一に危害を加えようとする男に、さしもの恭也も一歩を踏み出す。
しかし、恭也は男に接敵する前に、兼一の口から小さく声が漏れていることに気付いた。
それは小さいながらも、断固とした強い意志を秘めた言葉だ。

「…………てください」
「あん? はっきり言ってみろよ、それとも怖くてできねぇのか? なあ、フヌケ野郎!!」
「僕をフヌケと言ったでしょう! その言葉、即刻取り消してください!」
「はっ! フヌケにフヌケって言って何がわりぃんだよ!!」

いまさっき自分の拳を避けられたのは何かの偶然だと判断したのか、男は再度兼一に殴りかかる。
だがその拳を兼一はまたも避け、引き戻すまでの僅かな時間にその腕を握りしめた。

「もう一度言います。さっきの言葉、取り消してください」
「てめぇ、腕を取ったくらいで調子に乗ってんじゃ……」
「おい、やめろって、さっさと行くぞ」
「ああ、赤星の野郎がでてきたらやべぇ……あんな奴ほっとけって」

小生意気にも自分の腕を掴んだ兼一に激昂しかける男だが、それを仲間達が抑える。
別に兼一を殴るのは良いが、それで赤星が出てきてはシャレにならないと考えたのだ。

「ちぃ、命拾いしやがったな!」
「あ、待て! だから取り消せって……行っちゃった」

今度こそ捨て台詞を残し、男達は去っていく。本当に命拾いしたのが自分だとは気付かずに。
それどころか、兼一の握っていた個所が内出血を起こしている事さえ、この時点では気付いていないのだが……。

兼一は兼一で、結局先の言葉を訂正させることができず、少しの間虚しく空に手を突き出している。
それだけ、先ほど男が口にした言葉を訂正させたかったのだろう。

「まあ、一応は穏便に片付いてよかったな」
「ああ。那美さん、怪我はありませんか? フィアッセ達も」
「あ、はい。私も久遠も全然」
「うん、大丈夫だよ恭也。Thanks、また助けてもらっちゃったね」
「別に気にしなくていい、何かしたわけでもないしな」

兼一の後ろでは、恭也達はとりあえず皆の無事を確認しほっと一息ついている。
美由希や晶などは別に心配することもないのだが、フィアッセや那美はさすがに心配だったのだろう。
何しろ他の面々と違って、この二人にはまともな武力がないのだから。
如何に美由希達が守っていただろうとは言え、それとこれとは話が別なのだ。

「それと兼一、うちの家族や友人が世話になったみたいだな」
「あ、いや、僕にとっても友人だからね……まあ、結局何もできなかったけど。高町君こそありがとう」
「気にするな。むしろ、怖がっていながらああやって前に立てたのは大したものだと思う」
「そうですよ、普通何もできない人の方が多いですもん。
それに恭ちゃんの口癖なんです、『恐れない事が勇気じゃない。怖いと思ってなおも前に進める事こそが、本物の勇気なんだ』って。だから、やっぱり兼一さんは勇気がありますよ」
「で、ですよね! 私もどうもああいう人は苦手で……兼一さんもああいう人って苦手なんですか?」
「あ、あははは……どうもね。格闘技をするようになってずいぶん経つけど、僕の『不良っぽい奴アレルギー』は全然治らないんだ!」

それは最早、刷り込みに近い領域だろう。
実際問題として、最早兼一に勝てる不良・チンピラなど存在しないと言ってもいい。
つまり、兼一が彼らを恐れる理由など全くないのだ。

にも関わらず、兼一は相変わらず不良やチンピラが大の苦手。
軍人や殺し屋が相手ならばいくらでも勇敢になれるのだが、中途半端に雰囲気が悪いせいで一線を越えられない。
なんともまあ、難儀な性格である。

「ところで、高町君はどうして月村さんと一緒なの?
 もしかして、お花見の時はあんなこと言っておいて、実はデートとか?」
「あ、それ私も気になる。今日は勇吾と出かける筈だったよね」
「いるだろ、ここに」
「でも、一緒におるっちゅうのはやっぱり、なんかあやしいと思います」
「そうそう、実際どうなんだよ勇兄ぃ」

話題を変える為に恭也達の事に触れる兼一。ただ、その表情はどこか楽しげ。
そして、それに物の見事に食いつくフィアッセと晶にレン。
口にこそ出さないが、美由希と那美も興味津々の様子だ。
恭也はそんな野次馬根性丸出しの面々に溜息を一つ突き、呆れたように説明する。

「生憎だが、お前達が考えているような事は一切ない。
 赤星に買い物に付き合ってもらって、本屋で偶然月村と会っただけだ」
「ごめんねぇ、実はそうなんだ。みんなが期待していた様な事はなかったんだよ。
 この先はどうかわからないけど」
『おぉ!!』
「月村……」
「で、なんとなくそのまま高町の家で茶でも飲もうと言う事になったんだよな」
「……ああ、我ながら色気も何もあったもんじゃないが、なぜかそうなった」

その言葉通り、割と不思議そうにする恭也と赤星。それに明らかに落胆した様子の面々。
忍は忍で、悪戯が成功したかのようにほくそ笑んでいる。
おそらく、皆がそういう誤解をすると予想していたのだろう。

「とりあえず、立ち話もなんだ。暇な様なら、一緒に家でくつろぐか? 良ければ神咲さんも」
「えっと……お邪魔じゃないでしょうか?」
「気にしなくていいですよ。お客さんが来るのなら大歓迎ですから。兼一さんもどうです?」
「え? 僕も?」

美羽との交代時間まであるし、買出しをするにもやはりまだまだ余裕がある。
少しくらい同席する程度なら、さして問題はない。
僅かに断るか悩んだ兼一だったが、折角の申し出を断っても礼を失すると思ったらしい。
結局はその誘いを受け、少しだけ同席させてもらう事にした。



*  *  *  *  *




そうして場所は高町家の居間に移った。
フィアッセは特製のミルクティーを全員に振舞うべく、キッチンで準備している。
そこで、那美が唐突に兼一に尋ねた。

「そう言えば兼一さんは、いつから格闘技をやるようになったんですか?」
「高校に入ってからだよ。情けない話なんだけど…僕、子どもの頃からずっといじめられててね。
小さい頃は人並み以上に体が弱くて震えていたから『震動』と呼ばれ、中学時代には『フヌケのケンイチ』、略して『フヌケン』何て呼ばれてたんだ」
「うわぁ、そらまた…ずいぶんときっついなぁ……」

兼一の過去に、思わずそんな言葉が漏れるレン。
それだけの情報でもある程度想像できたのだろう、兼一のイジメに次ぐイジメの日々を。
とそこで、先ほど兼一が起こった時の事を思い出す晶。

「あ、だからさっき……」
「……うん。フヌケって言葉は、弱虫で意気地無しだった頃の僕の象徴なんだよ。
だから、どうしてもそれだけは認められないんだ」

それは格闘技を始める理由としてはありきたりなものだったろう。
だが、皆はそれが実に兼一らしい理由のように思えた。

「でもさ、高校の部活とかじゃダメだったのか?」
「そうなんだけどね、実は最初は空手部に入ってたんだ。でも、そこでもまたいじめられて……」

赤星の問いに、兼一はどこか遠い目をして答える。
兼一の通っていた荒涼高校は、不良の巣窟などと呼ばれていた高校だ。
各部活にも大なり小なりその影響が及んでいた。たとえば、兼一の所属していた空手部の副将は、街最大の不良グループの構成員だったのだから。
ならば必然、その部活内にも不良の世界のルールが浸透していく。
故に、兼一は空手部の中でもさらにいじめられる事となった。

その現実に、善良な皆は不快そうに眉をひそめる。
仮にも武を学ぶものが弱い者いじめをするなど、それは彼らにとって嫌悪の対象でしかない。

「ある時、その場の勢いで同じ一年生で先輩たちから目をかけられていた人と退部を賭けて勝負することになってね。あの頃の僕は正拳の打ち方すら知らなくて、でも相手は筋骨隆々。正直、逃げなきゃ死ぬと思ったよ」
「と言う事は、兼一は逃げなかったのか?」
「うん。その少し前に知り合った友達にね、『戦う前から心が負けてる。そのままじゃ負けるだろう』って言われたんだ」
「うわ、厳しい……」

その言葉は事実。心が負けていては、何をどれだけやっても勝つ事は出来ない
しかし、いじめられ続けてきた兼一に対する言葉としてはかなり厳しいそれに、思わず美由希は漏らす。
美由希達の様に戦う事を前提に心と体、そして技を磨いてきた者なら当然だろうそれも、いじめられっ子に言う言葉としては少々ハードルが高すぎるのだ。
なにしろ、それが出来なかったからこそ彼はいじめられて来たのだから。
そう指摘されたところで、そう簡単になんとかなるものではない。

「でもね、だからこそかえって『一度くらいは逃げずに戦ってみるか』って気持ちになれたんだ」
「だけどさ、実際問題として体格の差は歴然で、空手部で教えてくれる人もいなかったんでしょ?」
「うん、長くやっていればそれを覆すこともできるけど、一朝一夕じゃ難しいね。ましてや、教えてくれる人がいないとなれば尚更。実際、はじめのうちは何をどうしていいかさえ分からなかったから」

一念発起した事は立派だと思いつつ、忍は現実的な視点で尋ねてくる。
兼一はそれに当時の事を思い出しながら答えて行く。
今思えば、「よくもまぁあんな付け焼刃で、アレだけうまくいったものだ」と感心しながら。

「じゃあ、そこで住み込んでるって言う道場に通い出したんですか?」
「ううん、それはその件が終わった後。その時はさっき言った友達に即席で教わったんだ」
「それで、なんとかなったんですか?」
「うん。ただ、教わった技が空手の技じゃなくてね、それで反則負けで結局退部しちゃったんだけど」

空手家のはしくれとして、晶はその結果が色々気になるようだ。
実はかなり細かく聞きたいようなのだが、兼一の過去を懐かしむ様子に詮索し辛いらしい。
しかし、兼一の話す内容にも少々誤りがある。彼の中ではそういう事になっているかもしれないが、アレは試合ではなくケンカ。どんな技を使ったとしても、アレは兼一の勝ちに違いない。

「まあ、そんなところはやめちゃって正解だと思いますけど……」
「あはは、だけど問題はその後でね。
その時のことが原因で、裏で不良グループと繋がってる空手部の副将に目をつけられて、その後も……」

そこまで話したところで兼一がプルプルと震えだす。
そう、これこそが兼一の戦いの日々の始まりだった。
別に逃げる事をやめた事を後悔しているわけではない。苦難に見合った、あるいはそれ以上の物を手に入れられたし、今日までの日々はそれまでと比較にならないほど輝いている。
だがそれでも、やはりこの地獄の日々に入るきっかけとなった出来事を思い出すと、「どこで人生間違えたのかなぁ」と思ってしまうのだ。
そこで兼一は話題の矛先を変えるべく、恭也達に話を振る。

「高町君達は古流剣術をやってるんだよね」
「ん? ああ」
「あはは、私も恭ちゃんもまだまだ未熟なんですけどね」
「お前に言われるのは癪だが、事実だ。師範だった父が亡くなってからは、半ば独学だな」

そこで兼一は、やっとある事が腑に落ちた。
二人はその腕前に反し、どこか無防備とでも言えばいいのか、夏や美羽が纏っている緊張感の様なものがないと思っていたのだ。
だがそれも、師匠が不在で、長く教えを受けられなかったとすれば得心がいく。

兼一の師匠達、特に表でも高名な剣星などは兼一以上に頻繁に命を狙われている。
だからこそ、彼は自身の弟子である兼一にもその可能性を常に言い含めてきた。
兼一自身それを目にし、自らもその渦中に身を置いた事がある。
しかしきっと、恭也達の身の周りではそう言った事がなかったのだろう。

「だが、それがどうかしたのか?」
「あ、うん。何がきっかけだったのかなって思って」
「きっかけ、か。たぶん、兼一のように立派な理由はないし、赤星や晶達の様な高尚な理由もないんだろうな。
 俺達にとってはそれが身の回りにあって、それをするのが当たり前だっただけだ」
「だね。私も物心ついた頃には恭ちゃんととーさんが剣の練習をしてて、それを見て育ったから」
「なんていうか、ホントに剣術一家って感じよねぇ」
「でも、なんかその感じ分かります。私の家も、そういうところがありますから」

恭也と美由希の告白に忍は感心し、那美は自身の家族達と重ね合わせる。
そして兼一もまた、自らの良く知る人と重ねていた。

(そういうところは結構美羽さんっぽい感じだよね。
 美羽さんが純粋培養の拳法家なら、二人は純粋培養の剣術家なんだろうな)

もし、何かが違っていれば、二人は美羽同様兼一のずっと先を行く武術家になっていたかもしれない。
しかし皮肉なことに、二人は最上級の資質を持ちながらも、優れた師の教えを受ける事が出来なかった。
その弊害を兼一は、危機意識の低さや練度があまり高くない事だけと考える。
だが実際には、それ以上の弊害がすでに生まれていたのだ。たとえば、恭也の膝がそうであるように。

「そう言えばお花見の後、怪我をしたってほのかから聞いたけど、大丈夫?」
「ああ、心配いらない。確かに怪我はしたが、それ自体は軽かったからな。もう問題ない」
「でも、フィリス先生も心配してたんだから、ほどほどにしようね。
 この前の事が悔しいのはわかるけど、ちょっと根を詰め過ぎじゃない?」
「バカにするな。お前と違って自分の限界くらいわかってる。
それに、お前がそれを言うか。まさか、俺に隠れて訓練しているのを気付かないとでも?」
「う! き、気付いてたんだ……」

実際問題として、恭也は美由希の修業メニューを組んでいく中でそれなりに節度というものを学んでいる。
一般的なそれより遥かに基準は高く過酷だが、それでも限界以上の鍛錬はしていない。
同時に、兼一は二人の会話からある単語を拾い上げていた。

(あ、二人も矢沢先生と知り合いなんだ……)
「しかし、小太刀なしとは言えお前に手傷を負わせられる奴がいるってのは、ちょっと信じがたいな」
「世界は広いってことだ。俺達の知る世界が全てじゃない、そういう意味ではいい経験になった」
「で、そのリベンジの為に相手の研究か? 今日買った本、全部武術関係じゃないか、それも無手」

そう、恭也が今日の外出の目的はそれに尽きる。
赤星が一緒だったのは、単に暇だったから付き合っていたにすぎない。
恭也は決して無手の武術に疎いわけではないが、それでもやはり知らないものは多い。
先日戦ったハーミットの技も、恭也からすれば見知らぬものだ。

知っているのと知らないのとでは大きく差が出る。
故に恭也は、再戦の日に備えて少しでも知識をため込もうとしていた。

「本で勉強したくらいでそう効果があるとは思わないが、ないよりはましだ。
 奴の武術はある程度あたりは付いてるが、だからと言って他の武術を無視する理由にはならない。
いつ、これらの武術の使い手に襲われるとも限らないからな」
(そうか、二人の雰囲気が変わったのは、この前の事があったからなんだ)

兼一はここにきて、ようやく二人の変化に付いて得心がいった。
つい先日会った時に感じた無防備さ、それが今はほとんどない。行き過ぎない程度の緊張感を纏い、周囲に対してさりげない警戒網を構築している。
美由希のそれはまだ拙いが、兼一の見る限り恭也のそれは見事なものだ。
おそらく、下地はとうの昔にできていたのだろう。それが、先日の実戦が起爆剤となったに違いない。

(今はもう迂闊に切り込めないや。前なら、不意を打って一撃くらいは入れられそうだったのに……)
「それにしても、また節操無く色々買ったよねぇ。テコンドーにブラジリアン柔術は割とメジャーだけど、この『プンチャック・シラット』とか『サバット』って何?」
「昔、父さんに聞いたことがある。
プンチャック・シラットは欧米ではかなりメジャーな、ジャングルファイトから発展したインドネシアの武術だな。で、サバットは蹴り主体のフランスの格闘技だった筈だ」

恭也はよく調べているようで、忍の問いに対し簡潔に答えていく。
その熱心さは大したもので、実際にそれらを目撃し戦った事もある兼一をして思わず傾聴してしまうほどだ。
同時に、「もし機会があれば、本物の使い手を紹介してみるのもいいかもしれない」と、『カラリ・パヤット』と書かれた本に視線を送りながら考える。
まあ、さすがに恭也が購入したのは実戦的な武術の本ばかりで、ルチャ・リブレの様な物は見当たらないが……。
はてさて、彼がその本物の使い手を知った時、いったいどんな表情を見せるのやら。

「それで、師匠。この間の奴が使ってた武術は見つかったんですか?」
「ああ、接近戦で使ってたのは結構楽に見つかった」
「というと、やっぱりお師匠の睨んだ通り、中国拳法やったんですね」
「まあ、本人が自分で言ってたもんね。嘘って言う可能性もあったけど……」

美由希のそう言うが、恭也は元からその可能性は高くないと見ていた。
それもその筈、あの手の人間がそういう事で嘘をつくとは考えにくい。
自分の技に誇りを持つのなら、黙秘はしても嘘はつくまいと考えたのだ。
そして、それは実際に大当たりだった。

「おそらく、アレは八極拳だ」
「へぇ、結構有名なやつだよな。かなりの剛拳だって聞くぞ」
「噂にたがわぬ、と言ったところだった。確かにあれは、まともに食らうときつい」
(ま、まさかね……偶然だよ、偶然!)

恭也と赤星の会話を聞き、思わず兼一の額に脂汗が浮かぶ。
凄腕の八極拳の使い手、兼一には思い切り心当たりがあった。
だが、彼が恭也にケンカを吹っ掛ける理由はないと、その可能性を振り払おうと努力する。
しかし、兼一の嫌な予感はどんどん助長されていくのだった。

「離れていた時に使っていたのは劈掛拳だろう。八極拳と合わせて学ぶことも多いらしいし、ざっと調べて見た限りは、奴が使っていたものと共通点が多かった」
(ま、まあ、実際よくある組み合わせだしね)

そう、組合せとしては何も珍しい事はない。
実に王道の、正統派の使い手というだけでしかないのだ。
ならば、彼と結び付けるのは短絡的というもの、と思おうとする兼一。

「この前は遅れを取ったが、次はそうはいかない。
 今度会った時は奴に、“ハーミット”に小太刀使いの力を思い知らせてやる」
「わぁ、高町君、静かに燃えてるねぇ」
「それだけ、この前の事が悔しかったんでしょうねぇ」

心のうちで静かに闘志を燃やす恭也に、忍も那美もすこし目を見張る。
それに引き換え、兼一は現在進行形で動揺しまくっていた。

「あの…兼一さん、どうかしたんですか? なんか、汗びっしょりですけど……」
「な、何でもないよ、気にしないで!?」

これでもかと言わんばかりに怪しい挙動のケンイチ。
それをいぶかしむ美由希だが、今は恭也の話が気になるようで、あまり深くは気にしなかった。
はてさて、それはどちらにとって幸運なことだったのやら……。

と、それはそれとして、兼一は心中穏やかではない。だがそれも無理はなかろう。
何しろここまでは偶然の一致で済ませられたが、恭也の口からでた固有名詞はそうはいかない。

(な、何やってんのさ、谷本君!!!)

表情と声に出そうになる動揺を、必死になって抑える兼一。
それは成功しているとは言い難く、眼は落ち着かずゆらゆらと揺れ、身体は僅かに震えている。
それどころか指は忙しなく開閉を繰り返し、口からは僅かに「どうしよう」と言う言葉がリフレインしていた。

もし、周りの面々が恭也の話に集中していなければ、即座に兼一が何か知っている事がバレていただろう。
逆鬼ほどではないが、彼もまたあまり嘘や隠しごとが得意ではないらしい。

(事情は一切分からないけど、今はまだ知られるわけにいかないよ!)

妹の友情の為、兼一は慣れない事ではあるが必死になって外っ面を整えようとする。
しかし幸いなことに、そこへ兼一にとっての救世主が訪れた。
そう、ミルクティーの準備を終えたフィアッセが戻ってきたのだ。

「お待たせ~、特製ミルクティーとクッキーだよ」
(ありがとうございます、フィアッセさん!!!!)

声にこそ出さないが、万感の思いを込めて感謝の念を送る兼一。
恭也もちょうどいいと思ったようで、一端買ってきた本を閉じる。
すると美由希達もその意味を悟り、恭也からフィアッセの方へと視線を移す。

「あ、ありがとフィアッセ」
「わぁ、おいしそう!」
「ホントですねぇ!!」

さすがに女性陣はその手のものに目がないのか、先ほどの緊張感を忘れ、目をキラキラさせて喜んでいる。
と同時に、その香りを嗅ぎつけたのか、兼一の胸ポケットで何かが蠢く。
そして、そんな目立つところで何かが動けば、当然誰かしら気付くだろう。
今回の場合、それは兼一の正面に座る那美だった。

「あ、あの…兼一さん」
「え? どうかしたの、神咲さん」
「その、ポケットがさっきからモゾモゾと動いてるんですけど……」
「ああ、これですか? 少し待ってください。
ほら、ちょっと出てきてくれないか? おいしい紅茶とクッキーもあるからさ」

そう言って、兼一は自分の胸ポケットを軽く指で小突く。
するとそこからニュッと、茶色で毛むくじゃらの物体が顔を出す。

「……………………………………ネズミ?」
「ええ、師匠の……相棒? それとも、親友? とりあえずそんな感じの闘忠丸です。ほら、ごあいさつ」
「ぢゅ!」

兼一に促され、テーブルの上に移動したところで闘忠丸が「オッス」とばかりに手を挙げる。
本来なら美羽と一緒にフィリスの護衛を手伝っている筈の闘忠丸だが、それはあくまで病院内の話。
今日はたまたまフィリスが非番だった為、彼女は病院にいっていない。
となれば、無理に闘忠丸を駆り出す理由もなく、今日の彼は兼一と一緒に休んでいるのだった。

「へぇ、お利口さんなんだね、よろしく闘忠丸」
「ぢゅ~」

超VIPであるにもかかわらずフランクなフィアッセは、珍しそうにしつつも闘忠丸に手を差し出した。
闘忠丸もそれに応じ、その小さな手でフィアッセの指を握り返す。

『か、かわいい~!!』

女性陣はそんな愛らしい仕草をする闘忠丸にすっかり魅せられたようで、次々に握手を求めて行く。
恭也と赤星にしたところで、ネズミとは思えないその仕草に呆気にとられている。

そうしてひとしきり握手を終えたところで、闘忠丸は背中の毛をごそごそとまさぐり何かを取りだす。
そこから出てきたのは、おもちゃにしてはやけにディティールの凝った闘忠丸サイズのティーカップ。
彼はそれを持って兼一に配られたカップをよじ登り、その中身をすくいとる。
そして、ナプキンで作った自分の席で、フィアッセ特製のミルクティーとクッキーに舌鼓を打った。

「これでかなりのグルメでして、フィアッセさんのミルクティーとクッキー、だいぶ気に入ったみたいですね」
「ふふふ、どう? おいしい、闘忠丸」
「ぢゅぢゅ~」
「何ちゅうか、贅沢なネズミやなぁ」
「だな。フィアッセさんって、実はとんでもねぇVIPだってのに……ま、俺らが言う事じゃねぇけど」
「せやなぁ……うちらもなんだかんだですっかりお世話になっとるし」
「別に気にしなくていいよ、二人とも。私が好きでやってるんだし。
 それに、ママやパパはVIPかもしれないけど、私は全然大したことないんだから」
「「いやいや、それは謙遜しすぎ(ですって・やて)」」

フィアッセのとぼけた発言に、珍しく実に気の合ったツッコミを入れる二人。
まあ、なんだかんだでケンカをして険悪な仲のように見えるが、実は割と仲の良い二人である。
ただそれが、普段は全然そうは見えないと言うだけの話に過ぎないのだろう。

「はぁ、久遠もそうだけど、闘忠丸も可愛いねぇ。
 なのはが見たら喜ぶだろうなぁ……うぅ、うちでも飼いたいよ」
「まあ、気持ちはわからんでもないが……高町家では動物は飼えない」
「なんだよねぇ。仕方がないと言えば仕方ないんだけど……」

なにしろ高町家の大黒柱、高町桃子が営むのは飲食店だ。
毛が散らばったり、雑菌を職場の厨房に持ち込んだりすると困るから、どうしても高町家ではペットは飼えない。
というか、その意味で考えるとここまで入れてしまっている時点で問題なのだが……

「えっと、久遠は毎日シャンプーしてますし、予防接種もちゃんとしてますから、まず大丈夫だとは思いますよ」
「ああ、そう言えばさざなみ寮の大家さんて、獣医さんなんですよね」
「はい♪」
「…………くぅぅん」

美由希の確認に那美は嬉しそうに答えるが、当の久遠は予防接種と言う単語に腰が引けている。
まあ無理もない。誰だって、できる事なら針など刺されたくはなかろう。

「闘忠丸も大丈夫だと思うよ。お風呂好きで毎日入ってるし、一説ではしゃもじより清潔とか……」
「どこの説だ?」
「まあまあ、かわいいんだから気にしないの、恭也。要は私と桃子が気をつければいいだけなんだから」
「はぁ、当人がそう言うなら別にかまわないが……実際、久遠は事実上の黙認状態だしな」
「すみません」
「くぅん」
「ごめんね、僕ももっと早く気付けばよかったんだけど」
「気にしなくていい。別に神咲さんや久遠、それに兼一が謝る事じゃない」
「ぢゅ~」
「すまん、何を言ってるかわからんのだが……」

何かを伝えようとしているとは思うのだが、いまいち闘忠丸が何を言おうとしているのかわからない恭也。
兼一が見るに、恐らくは「苦労かけるな、兄ちゃん」とでも言っているのかもしれない。
なにぶん、遺伝子上はともかく、実際の能力的にネズミかどうかさえ疑わしい個体だ。
闘忠丸が人間以上の知性を有していたとしても、兼一はきっと驚かない。

そうしてささやかなお茶会が始まったのだが、早々に問題が発生した。
闘忠丸はネズミで、久遠はキツネ。
特に闘忠丸のしっぽにはリボンが結われており、尻尾がユラユラ揺れる度にそのリボンもまた悩ましく揺れる。
キツネは肉食の狩猟本能を有する動物であり、その捕食対象にネズミが含まれるのは言うまでもない。
要は何が言いたいかと言うと、久遠が本能に負けてしまうのも無理からぬことだった。

「く、くぅぅぅん!!」
「え? あ、久遠!」
「闘忠丸、危ない!!」

最初に那美が久遠の異変に気付き、続いて美由希も気付いた。
久遠がまるで、猫じゃらしを鼻先で揺らされている猫のように猛っているのだ。
普段の臆病で気弱な久遠からは想像できないが、それでもやはり肉食動物のはしくれ。
如何に子狐の姿をしていると言っても、そこにはちゃんと野生の本能があるのだ。
そして当然、被捕食者のネズミである闘忠丸としては、久遠から逃げるしかない。

「あ、こら!? やめろキツネ!」
「だぁー! こんなせせこましい場所やと、捕まえるのも一苦労や!」

必死になって久遠を捕まえようとする晶とレンだが、それもうまくいかない。
元々の身体能力が違いすぎる。人間では動物を罠もなしに捕まえるのは至難の業なのだ。
子狐とはいえ、こんなソファやらテーブルやらがある場所では、小柄な久遠を捕まえるのは不可能に近い。

「えっと、どうしよっか高町君」
「とりあえず、久遠を捕まえるのは難しそうだ。かと言って、闘忠丸もすばしっこい」
「となると、なんとか誘導して闘忠丸か久遠を隔離するしかないか」
「三人とも! そんな冷静になってないで、早く手伝って!!
 このままだと、闘忠丸が久遠に食べられちゃうよ!?」

冷静に状況を分析する忍と恭也、それに赤星。
そんな三人に、思い切り慌てた様子でフィアッセが叫ぶ。
三人とて、別にそれでいいとは思っていないが、無闇に追いかけても徒労に終わると分かっているのだ。
とはいえ、それでも三人とも、早くなんとかしないと久遠に闘忠丸が食べられてしまう未来を疑っていない。
そう、この場でただ一人の例外を除いて、誰もがそれを確信していた。

「そうですね、確かに急がないと!」
「ごめんなさい兼一さん、うちの久遠が!」
「…………そう、たいへん危険です。――――――――――――――――――久遠ちゃんが」
『へ?』

兼一の一言に、その場にいた全員の思考と肉体が停止する。
それはそうだ。どこの世界に被捕食者より捕食者が危ないと危惧する者がいよう。
それはもう、本末転倒としか言いようがないではないか。
しかし、それが現実なのだから仕方がない。

「……………みなさん、無理もないかもしれませんけど、勘違いしてますよ。
 この場合、危ないのは闘忠丸じゃなくて久遠ちゃんです」
「で、でも、久遠は子狐と言っても闘忠丸よりずっと大きいですし………「あそこや、美由希ちゃん!!」え!?」

兼一の言葉に反論しようとする美由希だったが、その最中にレンの声がかぶさる。
そしてレンの指差す先には、部屋の隅に追い詰められた闘忠丸と、追い詰めた久遠の姿。
久遠は尻を持ち上げ、尻尾と体をユラユラさせながら飛びかかるタイミングをはかっていた。
それに対し、闘忠丸は壁を背に為す術もなく固まっている―――――――――――ように見える。
いまにも飛びかからんとする久遠を止めようと、一番近くにいた忍が久遠に手を伸ばし、那美が叫ぶ。

「久遠、ダメ―――――――!!」

だが、それがかえってきっかけになってしまったのだろう。
久遠は忍の指が触れる寸前に闘忠丸に飛びかかった。
それを見て、一人を除いた全員の口から絶望の声が漏れる。

『ああ――――――――!?』
「やめろ、闘忠丸!!」

ただ一人、兼一だけは闘忠丸を制止したが、それも意味を為さない。
それらの声も虚しく、久遠の小さな前足…しかし闘忠丸を容易く踏み潰せる大きさのそれが、彼の頭上から振り下ろされる。
それを目前にしたところで、闘忠丸の小さくつぶらな瞳が輝きを放った。

「チュオオオオオ!!!!」
「く、くううううううん!?」

闘忠丸はどこかから取り出したトンファーを振り回し、一瞬のうちに久遠を打ちのめしていく。
その早業は恭也と美由希をして目で追えず、気付いた時には大方の予想を裏切りボロボロの久遠が転がっていた。

「きゅ~~……」
『な、何だってぇ――――――――――!!』
「ああ、だからやめろって言ったのに……」
「ぢゅぉ~~」

タコ殴りにされて気絶し、目を回す久遠。思いもしなかった結末に、一斉に驚きの声を上げる面々。
ただ一人兼一だけは、想像通りの結末となってしまった事を心底悔やんでいた。
自分だけは知っていたにもかかわらず、この事態を防げなかった事に罪悪感を覚えているのだろう。
当の闘忠丸はと言うと、何かをやり切った様子で深く息を吐き、身体の熱を追いだしている。

その後、あまりの事態に混乱する面々をなだめるのは一苦労だったが、なんとか場は落ち着きを取り戻した。
とはいえ、当然みなの視線の向かう先にいるのは、那美の膝の上で気絶している久遠。
そして、優雅に紅茶をすすっている無傷の闘忠丸だ。

自然界のルール、弱肉強食を真っ向から否定した先の光景に、まだ誰もが理解が追い付いていないのは明らか。
だが、ここまでやって何の説明もしないわけにはいかない。
仕方なく、兼一は大雑把に闘忠丸について説明する。

「まあ、納得できない事態だと言う事は重々承知しています。
でもこの闘忠丸は、複数の成描が同時に襲いかかっても撃退してしまえる戦力を持っているんです」
「ぢゅ!」
「だけど、そんな事ホントにあるんですか!?」
「やめろ、美由希。確かに信じ難くはあるが……信じるしかないだろ、アレを見せられては」

実のところ、恭也の額にも冷や汗が浮かんでいる。
それだけ、先ほど見た光景は衝撃的だったのだ。
まがりなりにも武器を使う二人にはわかった、闘忠丸の腕前が自分達を越えている事に。
何しろこの闘忠丸、達人をして「見事」と評させるほどの腕があるのだ。
純粋に技量だけを比べるのなら、この場で最も優れた生命体が闘忠丸である。

「なあカメ」
「なんやおサル」
「俺、夢でも見てるのかな? 白昼夢ならぬ、白獣夢」
「珍しく気が合うやないか、うちもそう思ってたところや。
 ちゅうか、あり得へんやろ、アレはさすがに」
「だよなぁ、早く覚めて欲しいぜ。で、一緒にお前も消えてたら最高だな」
「同感や。前々から、このおサルは存在自体が冗談やとおもっとったんや。ほら、さっさと消え」
「んだとこのカメ、ケンカ売ってんのか!!」
「先に売ったのはおサルの方やろが!!」
「もう、やめなよ二人とも。今はそれどころじゃないんだから」

二人のケンカを諌めるフィアッセの声にも、どこか力がない。
無理もない。彼女も大概非常識な力を持っているが、それでもこれほどではないのだから。
どこの世界に、自分よりはるかに大型の生き物を瞬殺できるネズミがいると思うだろう。
そして、当のネズミとしてはそうして悪夢扱いされるのは、甚だ心外なわけで……。

「ヂュ――――――――!!」
「ぐわ――――、来んといてぇ!!」
「す、すまん。嘘、冗談だから勘弁してくれってぇ!!」

レンと晶の双方にトンファーを手に襲いかからんとする涙目の闘忠丸。
さすがに命の危険でも感じたのか、二人はケンカの事など即座に忘れ、大急ぎで闘忠丸に謝罪している。
その横では、兼一が深々と那美に頭を下げていた。

「すみません、神咲さん。これは全て、僕の責任です」
「あ、いえ。先に襲いかかったのは久遠ですし、思えば闘忠丸は穏便に済ませようとしてくれたんだと思います。
 ずっと逃げていたのもそうですが、久遠も気絶こそしているけど怪我はしてないみたいですから」
「それにしても、見事なまでに完璧な制圧だな。しかも、それをしたのがネズミって……」
「世の中不思議な事があるものよねぇ……」
「忍、それって不思議って言葉で済ませていいの? まあ、勇吾みたいに頭を抱えるほど悩むのも良くないけど」

ある意味理解不能に等しい事態に、赤星は頭を抱え、忍は思考を放棄した。
どちらが賢いのかは、最早論ずるまでもないだろう。

「くぅ?」
「あ! 久遠、眼が覚めたのね。もう、もうこんなことしちゃダメよ」

『メッ』と久遠を叱る那美。
久遠もそれを分かっているのか、神妙そうな面持ちでちょこんと座り俯いている。
だがそれも、あまり長くは続かなかった。そう、久遠の目の前に闘忠丸が現れたのだ。

「っ!!」

あからさまに身体を『ビクリ』と震わせ警戒する久遠。
闘忠丸は泰然とした態度を崩さず、いっそふんぞり返っているかのような姿勢で久遠を見据える。
そうして数秒、先に動いたのは久遠だった。
しかしそれは、先の復讐戦などの類を仕掛けるのではなく……

「きゅぅん……」
「あ、服従のポーズ」

困ったような、あるいは呆れた様な美由希の呟きの通り、久遠は目の前の闘忠丸に対して降参の意を表す。
どうやら、先ほどの事で彼我の戦力差を悟ったらしく、もう闘忠丸に逆らう気力はない様だ。
もし久遠が今持てる力の全てを振るえば話は別の筈なのだが、どうやらそれ以前の問題として心が負けてしまったらしい。これでは最早どうしようもない。
ここに、両者の力関係は明確な形で証明されたのだ。

「ぢゅ~!」
「おお! こっちはこっちで鷹揚にうなずいとる」
「かんっぜんに力関係が確立されちまったな、キツネとしてどうなんだ?」

腕組をして、非常に偉そうな態度を取る闘忠丸だが、なぜかそれが様になっている。
レンも晶も、それに疑問を覚えないではないが、「相手がこれじゃ仕方ない」と無理やり納得していた。

「まあ、動物はその辺シビアだからなぁ……」
「というか、今まさに手を差し伸べてるよ、闘忠丸」

どうやら、これで闘忠丸も先ほどの事は水に流すつもりらしい。
奮戦を湛えるスポーツマンの様にさわやかな態度で、闘忠丸は久遠に手を差し伸べていた。
とはいえ、さすがにそれには驚きを隠せない赤星と忍だったが……。

「凄いねぇ、ネズミなのに人が出来てるよ」
「そもそも人じゃないんだが……むしろ、そうやって納得できるフィアッセに俺は少し呆れている」

ついでに、フィアッセはそんな闘忠丸に尊敬の眼差しを送り、そんなフィアッセに恭也は脱力した視線を向けていた。
順応性が高いと言うべきか、心が広いと言うべきか………大物である事はたぶん間違いないが、評価に困る。

久遠も恐る恐るその手を取り、どうやら二匹の間では何かしらの合意が得られたらしい。
とりあえず、一通り紅茶とクッキーを楽しんだ闘忠丸は久遠に跨り、そのまま居間の中で久遠を走らせる。
おそらくだが、完全に舎弟と言うか手下にしてしまったらしい。

なんとも言えない微妙な空気が場を支配するが、最早後の祭り。
起こってしまった事は戻せないのだ。
そうして兼一は、なんとも言葉に表しにくい気持ちで高町家を後にした。



  *  *  *  *  *



そのまま美羽と合流しようと歩く中、兼一はおもむろに携帯を引っ張り出す。
そして、電話帳からある番号を呼び出し、そこにかける。
すると、しばらくしてその番号の主が出た。

「何の用だ」
「何の用だ、じゃないよ! 何考えてるのさ、谷本君!!」
「いきなり何言ってやがる。殴られ過ぎてついに壊れたか?」

しょっぱなからテンションが天井付近の兼一の叫びに、電話口の夏は実に鬱陶しそうだ。
しかし、兼一としてもすんなりここで引くわけにはいかない。
とはいえ、どっ直球に攻めても流される。
それを知っている兼一は、一つ一つ確認しながら追いこんで行く方法を選択した。

「谷本君。実はね、何日か前に高町恭也って人が暴漢に襲われて怪我をしたんだ」
「ほぉ、どこのどいつか知らないが不運な奴もいたもんだ」
「ちなみに言うと、その高町君は僕やほのかの友人で、その人の話だと高町君を襲ったのは『劈掛拳』と『八極拳』を使って、『ハーミット』って名乗ったらしいよ」
「……………………………」

さすがにそれだけの証言があってははぐらかす事も出来ない。
まあ、元より夏としてもそれほど必死になって隠す気もなかったようだ。

「谷本君、高町君を襲ったでしょ」
「だとしたら?」

兼一が改めて確認すると、不敵な笑みが見えそうな声音でそれにこたえる。
その夏の様子に兼一は溜息を一つ突き、どこか疲れた様な調子で話す。

「あんまり無茶なことしないでよ。どっちに怪我をされても、僕は嫌な思いしかしないんだから」
「つくづく甘い野郎だな、脳みそが砂糖でできてるのか?」
「自覚してるよ。でもね、いい加減長い付き合いだし、死合ったりもした仲だからね。
 なんとなく、君が何を考えてそんな事をしたのかは分かっているつもりだよ」
「……………………………………………」

そう、冷静になって考えてみればすぐにわかる事だ。
あの夏が一度狙った敵をそう簡単に見逃すとも思えない。
ならば、まがりなりにも恭也が無事だった事にはそれなりに理由がある筈なのだ。

また、あまりにも話が出来過ぎている。兼一と恭也…いや、ほのかと美由希が知り合ってそう日も経っていない。
にもかかわらず夏は恭也を襲い、新島は高町兄妹を新白に入れようと画策している。
これでは、いくら兼一といえども裏があると勘繰りたくなるというもの。

そして、今日あって感じた恭也達の変化。
これだけそろえば、ある程度夏の考えは想像できる。

「何て言うか、一応お礼を言うべきなのかな。ほのかの事を気遣ってくれてありがとう」
「けっ! あんなガキの事なんぞ知った事か!!」
「そう言うならそれでもいいけど……あんまりそういう素直じゃない事ばっかりやらない方がいいよ。
 まあ、何があろうと僕達は君を信じる事をやめるつもりはないけどね」
「甘い上に、救いがたいバカだな」
「いいよ、それで。友達を信じられないくらいなら、僕はバカのままでいい」

それは嘘偽りない兼一の本心。
幾度となく兼一の夏への信頼は揺らいだが、その分だけ兼一の夏に寄せる信頼は強い。
恐らくはこの先も揺れるのだろうが、きっとこの信頼と友情が消える事はない。
消えさせなどしない、それを兼一は固く誓っている。

それを夏もわかっているのだろう。
電話の向こうからは、何かをあきらめたかのような雰囲気が僅かに伝わってきている。

「それと、いつかで良いからちゃんと高町君達に謝っておいてね」
「ざけんな! 武人がどうして戦った敵に謝る、ボケるのもほどほどにしろよ!」
「そう? 思惑はどうあれ、迷惑をかけたことには変わりないんだから謝るのは当然でしょ。常識として」
「断る!」

兼一の言葉に夏は断固とした態度を崩さない。
しかし、そこは夏との付き合いの長い兼一。
この堅牢な城のように頑固な夏を説き伏せる切り札を、彼はちゃんと持っている。

「そっか、それじゃあ仕方ないね……」
(珍しいな。このバカがこんな簡単に引き下がるとは……)
「仕方ないから、今回の件をほのかにちくろう」
「なっ!?」

唐突に切られたその札のあまりの威力に、思わず夏の口から驚愕の声が漏れる。
無理もない。ある意味これは、対夏戦において最高にして最強の無敵の切り札なのだから。

「そうそう、ちゃんと夏君の本心も伝えるから安心していいよ。
 可愛い可愛いほのかが心配で、高町君達を利用して守らせようとしたんだって。
 僕は新島と違って情報を歪めたりはしないからね」
「て、てめぇ―――――――!!!」

情報を歪めるも何も、その情報自体が兼一の想像の域を出ないのだが……。
むしろこの場合、そういった憶測の情報を渡す方が悪質だろう。例えそれが真実だとしても。

一つ確かなのは、そんな事をされては夏としては堪ったものではない。
まず間違いなくその事で散々説教され、その罰とばかりにほのかにいじり倒されるに違いない。
あるいは、今度こそ本当に泣かれるかもしれない。
結果はどうあれ、夏としては絶対に回避したい事態だ。

「ふふふ、この事を知ったらほのかはどんな顔をするのかなぁ?」
(この野郎……最近ますます悪になってきてやがるなぁ、おい!!)
「さあ、どうするの?」
「知ったことか!!」

最終的に夏はそう怒鳴って電話を切った。
だが、兼一はわかっている。なんのかんの言いつつも、ほのかが望まない展開にはならないだろうと。
そもそも、別に兼一は本気でほのかに密告する気などないのだ。
今回のはただ単に、ちょっとしたお茶目から来る悪戯に過ぎない。
まあ、高町家の人々に迷惑をかけた事への、色々なあれこれがなかったわけではないが……。

「でも、ちょっとからかいすぎたかな?
 次会う時は、少し気をつけた方がいいかも……」

何しろ、相手はあの谷本夏だ。
下手をすると、かなりご立腹で出会い頭に必殺技を放たれかねない。
とりあえず、しばらくは用心して過ごすことを決める兼一だった。



そうして、この日よりさらに数日後。
護衛最終日になってついに事態が動き出す。

その時、兼一と美羽は何とどう戦うのか。
その時、恭也達高町家の面々にはいかような役割が与えられるのか。
それは、その時になってみなければわからない。
だがこの時、すでに事態は動きだしていた。

「なるほど、厄介な奴らがいるな。これでは任務の達成に支障がでかねん。
 ならばここは…………策を弄するか。おい、その筋に情報を流せ。内容は……」

さあ、この者の弄した策は、この事件に言ったどんな影響を与えるのだろうか。






あとがき

あははは、またもや武術家としての兼一と恭也達の遭遇はなりませんでした。
というか、そもそも今回は割と余談的なお話ですけど。
アレですね、両作品のマスコット同士をぶつけてみたかっただけとも言えます。

とりあえず、それぞれの一般人としての兼一との交流をさらに深めるお話でした。
これが後々どう影響するのかは、その場でのノリ次第なので私にもよくわかりません。
全く影響しない可能性も無きにしも非ず、ですからね。

それと、ここからは予告になります。
まあそう大したものではなく、次回BATTLE 7からは「チラ裏」から「とらハ版」に移動するだけですけどね。
正直、移動のタイミングを計りかねていたんですよ。
それこそ、いっそ一度区切りがついてからにしても良いかな、とも思っていたのです。
しかし、折角「もうチラ裏から出てもいいのではないか」との感想をいただいたので、これも何かの思し召しと考え、事態が動き出すと言う「切の良さ」がある次回からあちらに移ろうと思います。


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