エルテ・ルーデルの朝は早い。
「Die Stuka! Die Stuka! Die Stuka!」
シュトゥーカ・リートを歌いながら、学院外壁の内側をスプリンターもかくやと言わんばかりの速度で文字通り走り回っている。
しかも、片霧ヴォイスで音程も外れておらず、雄々しく歌っているので格好いいことこの上ない。
白銀の長い髪がなびくその姿は、まるで軍神が舞い降りたかのように美しい。
そして、彼女の足は止まり、爪先までピンと伸ばされた状態で固定される。爪先は大地をこすり、芝生をレール状に耕す。そう、二足飛行である。
未だ、平民の使用人すら起きていない日の出前の時間。己の魔法と体力がどの程度変化したかが知りたかったのだ。
『魔力変換効率の上昇を確認』
「ふーむ。とりあえずガンダールヴ補正は魔法にもかかるようだ」
エルテのデバイス、アヴェンジャー。普通はその名が示す通り巨大な30mmガトリング砲なのだが、今は化物デザートイーグル、ヴュステファルケモードで起動している。デバイスを武器兵器として認識するのは確認済み、そして、本来サブアームであるそれを左手で握った瞬間。
「うおっ? やはり右手より左手の方が増幅効果が高いか。まるでVOBだ」
『時間差はほぼゼロです。この急激な変動に慣れる必要があると思われます』
「ゼロシフトよかマシだ」
『確かに。ですがゼロシフトは完全に制御されています』
急加速に驚き、既に爪先は大地を離れ、ただの飛行になっている。
「破壊神ハイスペック×ガンダールヴブースト=閣下×A-10といったところか」
『何億人殺すつもりですか』
戦車519輌×戦車兵3~4人=1,557~2,076人(記録のみ)。
装甲車・トラック800輌以上×10人=8,000人以上。
その他諸々=計測不能。
A-10補正×1000=9,557,000~10,076,000人(最低数)。
そんな計算がエイダの中ではそんな計算がされたに違いない。
閣下なら後一桁いけるとか思っているのは間違いなさそうだ。
「殺しはしないさ。死なせて下さいと懇願されるくらいに痛めつけるだけで」
『え、えげつない……』
キュッと、女子寮の前で急停止。同時にアヴェンジャーを待機状態に戻す。
《それに、この世界にそんなに人口はない。皆殺しにしても数千万はいくまい》
[[数の問題ではありませんが]]
《この世界は治安が悪いうえに命が安い。貴族はまるで銀河英雄伝だ。宮廷貴族の気分次第で戦争ができるくらいに。ん? 違ったか。アメリカ人並みに戦争が好きだったか。どうも思い出せん》
[[……いずれにせよ、この世界ほど、ランナーが活躍できる世界はないように思えてきました]]
《大暴れするか?》
[[ご自由に]]
《まあ、この世界は大筋に従えば問題ない。前みたいにシナリオに振り回されることはないさ》
「んっ――――」
ルイズの部屋の前で、エルテは伸びをする。
[[暴れる気、ですか]]
《さあ、どうだろう》
とりあえず、洗濯場へ。学院内周をぐるぐる回って、その場所は把握している。
「おはよう」
「え? あ、おはようございます」
途中合流した洗濯物を入れた籠を持つメイドに、あまり爽やかとはいえない挨拶を告げる。
「あ、あの……」
「?」
「もしかして、ミス・ヴァリエールの使い魔の方ですか?」
「一応な」
「やっぱり。あの、どうか気を落とさず……」
「いや、心配するな。どんな暴君であれ、弱さという種に、暴力という水をまいて、ゆっくりと、花を愛でるように更生させてやれば、立派な貴族になる」
「え?」
「私を召喚した責任、とってもらう。上に立つ者としての心構えを、あの傲慢な小娘に知ってもらわんとな」
エイダにはああ言ったが、暴れるどころか暴走する気満々だ。私の堪忍袋の緒が切れれば、国家解体戦争すら辞さない覚悟だ。
「も、もしかして、貴族の方……」
「いや、私は貴族ではないよ。私は彼らのようには生きられんからな」
誇りを失い、力を楯に搾取するだけしか能のない愚か者ども。誇りとは名ばかりの自尊心にしがみつき、形だけの名誉にばかり執着するものがはびこる世界。汚染されたまま放置されていたガイアの方が、遥かに楽園であると断言できる。今は綺麗なものだが。
「さて。とっとと洗濯物を片づけよう。君も、そう時間があるわけでもないだろう」
「あ、はい」
「ついでに言うと……洗濯の仕方を教えてほしい」
「え? 知らないんですか?」
「こんなシルクやらを手荒くやるわけにはいくまい」
「ああ、なるほど!」
納得してくれて何よりだ。
「とりあえず、師匠と崇め奉るために名前をお教え願いたい。私はエルテ・ルーデル」
「そ、そんな! 師匠なんて!」
「冗談だ。それで、教えてはくれないのかな?」
「あ、いえ! シエスタと申します。よろしくお願いします」
「こちらこそ」
シエスタに教えてもらって洗濯を終わらせると、寮から生徒がちらほら出てきた。そろそろか。
「では、また」
「あ、はい」
シエスタと別れ、ルイズの部屋に戻る。窓を開け、布団をゆっくり剥ぎとる。
そして――――
「!?」
跳ね起きるルイズ。その顔は蒼白を通り越してチアノーゼに近く、汗が吹き出ている。
「おはよう」
「あ、あ、あ、あんた! だれよ!?」
「私を忘れるとは。無責任にも程がある」
「あ、そ、そうだったわ、使い魔……」
「おはよう、ルイズ」
「ねえ、アンタ――――」
「お・は・よ・う?」
「ひっ!」
少し笑いながら可能な限り怒りを込めて挨拶。いったいルイズは私に何を見たのか。
しつけは最初が肝心と言うし、挨拶くらいはできないと。
「おはよう」
「お……おはよう」
「さて、時間はいいのか?」
「え? 余裕はそんなにないけど充分間に合うわ」
「そうか」
確認ができたのなら問題ない。私は義務を果たす。
たらいに汲んできた水で顔を洗わせ、服と下着を取り出し、ぱっぱと着せていく。
「文句言ってた割にはちゃんと仕事できるんじゃない」
「妹や娘達の世話をしていればな。それに、文句は一つも言った覚えはないぞ」
「娘? その歳で――――」
馬鹿にされたことには気づかない。
「気にするな。さて、朝飯に行こう」
ルイズの疑問に答える気はない。今は、まだ。
先んじて部屋を出ると、隣の部屋から、文字通りの赤毛の少女が出てきた。おそらくは、キュルケ。
「あら? あなたは……」
「あ、キュルケ」
遅れて部屋から出てきたルイズが、私と言葉を交わしていたキュルケに気付く。
「もしかして、ルイズの使い魔? こんな小さな子が?」
「一応、そういうことにはなっている。エルテ・ルーデルだ」
「あっははは、やるじゃないルイズ! あなた変わってるとは思ってたけど、平民を召喚するなんて!」
「ぐぬぬ……」
「? サラマンダーか」
キュルケの後ろからついてきた動物、これが確かフレイム、だったか。
「ええ、そうよ。やっぱり使い魔はこういうのがいいわよね~」
……かわいいな。
ひょいと前足の付け根から持ち上げて、その愛敬のある顔をじっくりと眺める。
「え?」
「え?」
「む? すまない、かわいい動物を見かけると、つい、な」
フレイムをゆっくり床に降ろす。
「ルイズ、余裕が無いといったのはあなただ。行くぞ」
「っちょ、待ちなさいよ!」
食堂の場所は覚えている。シエスタに、口頭であらかたの配置は教えてもらっていた。
残されたキュルケは、傍らに控えるフレイムを持ち上げようとする。
「んんんんん、しょっと!」
かなり力を込めて、やっと持ち上がった。
「レビテーション? いや、魔法じゃないわ……」
ルイズの使い魔の少女は、いとも簡単に持ち上げて見せた。キュルケのように、力んだ様子は見られなかったし、魔法を使った気配もなかった。純粋に馬鹿力でないかぎり、フレイムをあんなに軽々と持ち上げられるはずがない。しかし、エルテは歳の頃は10前後といったところ。
「本人に訊けばいっか」
答えの出そうにない疑問を早々に切り上げ、キュルケも食堂へ向かう。エルテが言った通り、そんなに時間に余裕はないのだ。
アルヴィーズの食堂は、私の趣味ではなかった。原作小説では判らなかった細部まで、装飾が施してある。
私は実用性に重きを置くので、こういった華美なものは好きではない。ルーデル屋敷も、可能な限りストイックな内装だ。
そして――――
「アンタは床よ」
質素を通り越して粗末。原作通りのそれが、床に存在した。
「感謝することね。アンタみたいな平民は、一生ここには入れないんだから」
「期待した私が馬鹿だったか」
「何か言った?」
「契約不履行」
アヴェンジャーをセットアップしかねない怒りを抑え、私は厨房に向かう。途中、偶然にも手の空いたシエスタと遭遇し、つつがなくマルトーから賄いを頂けることとなった。
「貴族に召喚されるなんざ、災難だったな、嬢ちゃん」
「そうでもない。これから変えていけばいいのだからな。むう、このシチューはうまいな。素晴らしい」
サイトが絶賛するのも理解できた。私の完璧な計算によるシチューにかなり近い。そして、味は劣るわけではない。うまく言う術が見つからないが、感覚で言うならば、方向が別なのだ。
「嬉しいこと言ってくれるな! はっはっは、気に入ったぜ嬢ちゃん!」
「私も、マルトーは好きだよ」
「ぬむっ!? 大人をからかうんじゃねえ」
「いや、からかったつもりはないのだが……」
躯は幼子のまま。年齢相応の姿、といえば、私はどうなるのだろうか。数千の年月を超えたミイラか、前世+現世の年齢を足した老女なのか、現世に目覚めたときからカウントした若い女か、それとも、永遠に幼子のままか。
考え事をしていたせいか、シチューの無くなった皿の中にスプーンを突っ込んでいた。
「ありがとう、マルトー、シエスタ。暇ができたら何か手伝おう。一宿一飯の恩ならぬ一飯の恩だが、返さないのは我が流儀に反する」
「いえ、そんな、お礼を言われる程のことでは……」
「おお、だったらいつでも歓迎だ。いつも目が回るほど忙しくてな」
「とりあえず、昼にまた来る。この後、ルイズについて授業を受けなければならん」
「そうですか……頑張って下さい」
厨房を出て、食堂前へ。ルイズに一切忠誠は誓ってないし敬意は払っていないが、一応契約はしているので、使い魔として待ってやる。さっそく契約不履行しやがったが。
「あ、アンタ! 何勝手に」
「契約。忘れたとは言わせん」
「贅沢が癖になったらいけないでしょ! 使い魔のしつけは主の義務よ!」
「貴様にしつけられるほど、私は堕ちた覚えはない。淑女が往来で叫ぶな、はしたないぞ」
逆にしつけてやる。
「生意気ね!」
「契約は約束だ。相手の立場や身分がどうであれ、約束を安易に破ると信用を失う。どんな社会においても、信用や信頼は絶対になくすべきものではない」
軽く睨みつけてやる。
「っく……」
「さて、Lieber Meister。時間もない」
未だ何も知らない子供に、世界の闇、汚濁、どうしようもないもの、二律背反、そんなものを見せつけて、それでなお正しく在れるように。彼女は『この世界』の貴族なのだから。
今はまだ、優しい世界でちょっとの理不尽から。
「あーっ! もうこんな時間! ついてきなさい!」
ゆっくり、花を愛でるように。
ルイズが教室に入り、一瞬の沈黙。しかし、すぐに空間はざわめきを取り戻す。そのほとんどが、ルイズと私の話題だった。
頭の悪い子供の言うことだ、そう気にできるほど私は暇ではない。
常にエイダに周辺の探査を行わせている。私はヘルゼリッシュで周辺地理を覚える。
「アンタは……後ろにでも立ってなさい」
「了解」
特に何もすることはない。足を肩幅に開いて、背筋を伸ばし、眼を閉じただひたすら待ち続けるのみ。
「練金!」
待っていた、そのワード。
「Schild」
馬鹿魔力によるその楯は、衝撃波・破片・爆風・爆圧・熱風・爆炎・爆音、爆発にまつわる現象その全てを、小さな立方体に押し込める。質量全てが気体になったとおぼしきガスの量、そしてそれによる超高圧は高熱を発し、プラズマとなる。
内部を冷却しつつ減圧していくと、そこには何も残らなかった。いや、くぐもった小さな粉塵爆発のような音だけは聞こえた。
時は元の流れに戻ったというのに、そこにあるのは沈黙。
やがて一人、また一人と机のしたから這い出る。
「爆発が……」
あるべき一切の被害がそこにはない。
爆発はあった。しかしそれはできそこないの花火のような音だけ。
一瞬の不可視の魔法による減衰は、ルイズを大いに困惑させただろう。
「あら、失敗ですか? ですが諦めないでください。努力すれば、いつかきっと成功するはずですから」
その奇跡を一切理解できないシュヴルーズはルイズを励まし、その後何事もなく授業は進み、終わった。
「いったい……どうして」
食堂までの道中、ルイズは悩んでいるようだった。
「しかし、見事だった。何もしなければ教室が吹き飛ぶ威力だ。実に恐ろしい」
「何を言ってんのよ!」
「せっかく被害を最小限に抑えたというのに」
「は? アンタが何かやったっていうの? 冗談も程々にしなさいよ」
「そうだな、ルイズ。一つヒントをやろう。皆が失敗魔法というそれは、本当に失敗なのか? 固定化を破れなかったことは? 壊せなかったものは?」
「はぁ?」
「固定観念は捨てろ。ついでに言うと、魔法の良し悪しが、統治者の優劣ではない。貴族とは魔法の有無ではない。生まれたときの立場と、その立場による民の信頼で、貴族は貴族でいられる。民の信頼を失えば、それは貴族ではない。ただの暴君だ」
「アンタ、何も知らないくせに! 魔法が使えなきゃ――――」
「だからルイズは無能なのだ。いや、ルイズだけではない。この世界の貴族、その殆どが無能と呼ぶに相応しい」
「なっ――――」
食堂の前、数多の生徒でひしめくその場の発言は、馬鹿を釣るには充分な声量を持っていた。
「貴様、平民の子供ごときが貴族を愚弄するなど……」
「貴族……技術でしかない魔法が使える、ただそれだけの人間。今、魔法以外に何ができる?」
「はん、ルイズの使い魔か。成程、魔法の偉大さを知らない訳だ。ゼロの使い魔は頭がゼロらしい」
下らん挑発に乗ってやるか。手袋を異次元ポケットから取り出し、そのいけすかない顔に叩きつける。
べしーんと、なかなかいい音がした。
「よろしい、ならば決闘だ。何人で来てもいい。場所は貴様が決めろ。食後、出向いてやる」
「貴様ァ! 貴族に歯向かったこと、後悔させてやる! ヴェストリの広場だ!」
「上等だ。逃げるなよ」
名も知らぬ貴族の少年は、肩を怒らせながら食堂へ入ってゆく。
次第にざわめく周囲を無視して、私は厨房に向かう。
「なに勝手に決闘なんか申し込んでるのよ!」
どうもルイズは怒っているらしい。
「奴は、閣下の器たる私の躯を侮辱した。ならば、理解できる形でその愚かさを思い知らせてやるべきだとは思わないか?」
「アンタ、平民じゃない! いい? 平民は貴族に勝てないのよ?」
「さて、どうだろう。賭けがあれば、私に賭けておけ。なに、私が死ねばルイズはまた使い魔を召喚できる。悪い話ではない」
「それは……」
「時間がない。この後、厨房の手伝いを約束していた」
「待っ――――」
もう話すことはない。早く昼食を貰い、手伝いを終わらせ、くそ生意気なガキあるいはガキどもを粛清する。
不覚にも原作に沿うべき状況である現段階で、ギーシュではない馬鹿に喧嘩を売られてしまった。決闘はこっちから挑んだが、結果は変わらなかっただろう。
「マルトー。昼飯を頼めるか?」
「おお嬢ちゃん、すぐ準備するぜ!」
その言葉に偽りはなく、ほんの数十秒で食事が出された。
それを数分で平らげ、すぐに手伝いを申し出る。原作通り、ケーキの配膳の手伝いだった。
これは必然なのか。シエスタが香水の瓶を拾い、ギーシュの二股が発覚。シエスタに奴当たりするものだから、
「二股の罪を他人に転嫁する、か。薔薇とは思えん醜さだ」
実際、金髪を血で染め、ワインでドロドロのギーシュは醜かった。ケティはドロップキックをかまして逃げ、モンモランシーはワイン瓶をギーシュの頭で叩き割り、とどめにスープレックスを叩きつけ、去っていった。必死にやせ我慢をしているのか、あるいは見た目以上にタフなのか。
「なんだって?」
「漢なら、幾人と付き合っていようが、堂々としているべきだ。本当に愛しているのなら。それが原因で刺されたとしても。すべては漢の責任だ。しかしだ、貴様は己のプライドのために、しかも女に責任をなすりつけた。これを醜いという以外に何という? 軟弱者か?」
「ぶ、無礼だぞ平民!」
「ほう。ならば決闘でもするか? 丁度、幾人かと決闘の約束をしている。その下らんプライドを守りたいなら来るがよい」
「ああ決闘だ! 逃げるんじゃないぞ平民!」
ギーシュはカツカツと靴を鳴らせて去っていく。
「時間的に……無理か。仕方ない。シエスタ、少しばかり心苦しいが、また手伝うから許してくれるとうれしい」
「エルテさん……殺されちゃうわ……」
「あ」
シエスタもどこかへ逃げていく。
ルイズはもはや言うべき言葉を無くしたらしい。
やれやれ。