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きょうの社説 2010年11月29日
◎金沢市長に山野氏 支持広げた「多選高齢」批判
政治には「まさかの坂」があるという。金沢市長選で6選を目指した山出保氏の落選と
、山野之義氏の当選は、まさにそれだった。選挙戦に入るまで、山野氏は山出氏に水を開けられていると見られていた。そんな下馬 評を覆す原動力になったのは、「多選高齢」批判を前面に押し立て、「変革」を訴える戦術が予想以上の広がりを見せたことに尽きる。山出氏にとっては足元をすくわれた思いだろう。 山出氏79歳と山野氏48歳では、まさに親と子ほどの開きがある。この年齢差は、こ れまで山出氏に投票してきた有権者にも一考を促すに十分な重みがあった。 山出氏は主計町を皮切りに、この10年で11の旧町名を復活させ、金沢21世紀美術 館を金沢の新名所に育て上げた。国の「歴史都市」認定やユネスコの「創造都市ネットワーク」登録など、都市の魅力に磨きをかける事業に着実に布石を打ってきた。実績、経験ともに不足のない山出氏に対し、山野氏には市議4期の経験があるとはいえ、あえて比較をすれば相当の差があったことは否めない。 だからこそ、山野氏は若さを訴え、多選高齢を批判する戦術を取ったとも言えるが、主 に実績という「過去」を語る山出氏に対し、「未来」を語った山野氏は決して不利にはならなかった。むしろ争点を一点に絞り込むことで、小泉政権の「郵政選挙」のような破壊力を持ったのではないか。 自民党金沢支部が山出氏とともに山野氏を推薦した影響も無視できない。政権交代後の 民主党政権は力量不足もあって迷走を重ね、国民の支持を失い、世論調査の政党支持率でも自民党に逆転を許した。異例の2人推薦は、元自民党市議の山野氏に有利に働いた。山出氏に飽き足らない層が安心して山野氏の名を投票用紙に書けたからである。 初当選した山野氏は、2014年度の北陸新幹線開業へ向け、最も重要な時期に市政を 担うことになった。この4年間、助走抜きで、全力疾走を求められる。責任は重く、失敗は許されない。全身全霊を傾けて「若さ」に夢を託した有権者の期待にこたえてほしい。
◎奥能登のあえのこと 学術調査で価値再認識を
ユネスコの無形文化遺産に昨年登録された「奥能登のあえのこと」の学術調査が能登町
で実施されることになった。かつて同町で調査が行われた約30年前と比べると、継承する家が激減し、作法の簡略化が進んでいるという。「あえのこと」の現状や問題点を把握することは保存活動に欠かせない。実のある調査結果を期待したい。無形文化遺産登録を機に「あえのこと」の保存・継承の動きが広がっており、輪島市で は12月の「あえのこと」で地元の小中学生が初参加する。金大チームの調査を通じて「あえのこと」の価値を再認識し、各地で伝統儀礼を受け継ぐ機運をさらに高めてもらいたい。 調査は昔ながらの形を伝承している事例から始め、来年4月からは、儀礼の一部を省略 して受け継ぐ地域や家庭で聞き取りし、作法の変遷や違いを明らかにする。町が所蔵する昭和50年代の神事の写真や各家庭に残る史料のデジタル化、目録化も進めることにしている。 金大チームが「民俗学、歴史学的な価値を明らかにしたい」というように、多面的な視 点から光をあてて、その価値を広く伝えてほしい。地域の人々が「あえのこと」の価値と課題を共有することで地域の財産を守り伝える意義をあらためて認識し、継承活動を後押しすることになるだろう。 「保存会」をつくる奥能登の2市2町で「あえのこと」の保存と地域おこしの新たな取 り組みが行われていることは心強い。輪島市三井町では児童生徒が「田の神様まつり」に初参加して継承を図ることにしており、能登町では昔ながらのわら製の円座の復活などに取り組んでいる。現地での見学や、出前講座、展示会のほか、「あえのこと」にまつわる料理も考案されている。担い手育成に向けて、行政と地域が連携した息の長い取り組みが求められる。 稲の生育と豊作を願い、「田の神」をまつる姿は、能登のこまやかなもてなしの心にも 通じる。能登のよさをアピールするうえでも「あえのこと」への理解を深める機会をさらに増やしてほしい。
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