一年、、、。
テーマ:ブログ
2007-06-16 09:39:50
あれから一年の歳月が過ぎた。思えば、長いような短いような一年だった。
俺はその間にライブをし、音源を創り、バンドのボーカリストとしてはとても実のある一年を過ごせた。
でも、やっぱりいつも心のどこかでヴィヴィアンの事を考えずにはいられなかった。
今だから言える事だが、去年のツアーの最中は一人楽屋裏に隠れて出来たばかりの写真集を眺めては涙を流した、、、。
形容し難い罪悪感に囚われては自己嫌悪に陥った、、、。
でも、そんな俺だったけど、今では善い想い出に変えられつつある事を嬉しく思う。
ヴィヴィアンの存在があって、俺は更に「命」と云う物を考えるようになった。前回のツアータイトルも、その辺から来ている事を否定はしない。
今まで意図して多くを語らなかったが、俺自身のケジメをつける意味でもヴィヴィアンとの事を記したいと思う。
ヴィヴィアンの死因は先天性の物だった。つまり、生まれた瞬間からその運命は決まっていた。
その事を知らずに俺とヴィヴィアンは約四年間一緒に過ごした。
最初は、唯無気力な子だなあとしか思っていなかった。ヴィヴィアンは異常に大人しかったからだ。普通の犬ならば物音がすればすぐ起きるのに、ヴィヴィアンは揺すっても叩いても起きずに、暫くしてからノロノロと起き上がるような子だった。おっとりとして、グッチにもピンキーにも優しくて、きっとそういう性格なんだと思っていた。
だが、俺がそれが異常であると気付いた時にはもう遅かった。
ある日、スタジオの練習を終えて家に帰って来ると、ヴィヴィアンは一人部屋の中をグルグルと只管に廻っていた。
さすがにおかしいと思った俺は、すぐに病院に連れて行った。ヴィヴィアンはそこでも暴れていたが、なんとか押さえつけて血液検査をした。
結果は、先天性の血管の疾患だった。おそらく、生まれながらの血管の奇形であろうと言われた。
俺はなんとか助ける事が出来ないものかと先生に詰め寄ったが、可能性はあるものの大分難しいと言われた。しかし諦めきれない俺は大学病院に連絡し、なるべく早く最善の手術が出来るように手配した。
それからは、二日間の入院の後、自宅療養という事で、居る場所もご飯もグッチ達とは別にして、なるべく動かさないように、出来るだけ側に居てやる事にした。
仕事をする時もヴィヴィアンを膝に置いてパソコンに向かう事にしていた。
しかし、当時の俺は山積みの仕事を抱え、夏のツアーに向けてプランを立てなければならない時期で、四六時中観てやる事は出来ず、外に出る時はヴィヴィアンの無事を祈る事しか出来なかった。
それでも、家に帰り玄関を開けると俺の帰宅に気付きヨタヨタと出迎えてくれるヴィヴィアンを見る事で、俺は心底安心し、今日も乗り切ったと胸を撫で下ろしていた。
安定していた様態が急変したのは退院してから一週間後の事だった。いつものように俺はパソコンに向かっていたのだが、さっきまでスヤスヤと寝ていたヴィヴィアンが突然痙攣しだした。俺はパニックに陥り、ヴィヴィアンを抱えたまま、隣の駅にある動物病院に駆け込もうとした。しかし、運の悪い事に時刻は深夜二時を回っていて、先生の到着まで三十分位かかるという、、、。その間も俺の腕の中でヴィヴィアンは痙攣し続けていて、吠える事も出来ず、苦しさのあまり泡をふいて、俺の腕をかきむしっていた。
先生の到着を待つ間、俺は必死になだめ続けていたのだが、意識朦朧としている筈のヴィヴィアンが、一瞬、ほんの一瞬正気に戻り、俺の顔を見上げて、「ク~ン、、、。」
と哭いた。今思えば、あれがヴィヴィアンなりのさようならだったのかもしれない。
その後先生が来て色々と手を尽くしてくれたが、ヴィヴィアンは二度と眼を覚ます事は無かった。俺は恥も外聞も捨てて、先生の前で大泣きした。動かなくなったヴィヴィアンをタオルで包み、
ゆっくりと、ゆっくりと、もと来た道を家まで歩いて帰った。その間にも冷たくなって固まっていくヴィヴィアンを抱きかかえながら、俺は唯唯何も考えない事に徹した。そうする事でなんとか自分を保っていたのだ。
俺はその後数日間を、ヴィヴィアンの写っている写真を眺めて過ごした。グッチとピンキーも、心なしかあらぬ方向を見つめているように思えた。
俺はもう歌い手として使い物にならないんじゃないかと思う程に憔悴しきっていた。でもそこに手を差し伸べてくれたのはメンバーの存在だった。皆俺とともに悲しみ、落ち込んで、そして俺を立ち上がらせてくれた。だからこうして今俺は唄っていられる。
そんな経験から「うたかた」は生まれた。最高の曲だと思う。俺は一生この曲を唄い続ける。何故ならばそれは、ヴィヴィアンが生きた証でもあるからだ。そして俺はこの先も詩い続ける。何故ならば、何よりも尊い「命」を守り続けたいからだ。
長くなってしまったが、今俺は前向きに生きている。そして、「命」の尊さを知り、さらに強い心を持って皆にメッセージを届けていける。
だから、俺は幸せです。
「絶対忘れる事は出来ない。むしろ一生背負って生きます。ヴィヴィアン、、、。ありがとう、、、。」
p,s 奇跡は本当にありました、、、。
俺はその間にライブをし、音源を創り、バンドのボーカリストとしてはとても実のある一年を過ごせた。
でも、やっぱりいつも心のどこかでヴィヴィアンの事を考えずにはいられなかった。
今だから言える事だが、去年のツアーの最中は一人楽屋裏に隠れて出来たばかりの写真集を眺めては涙を流した、、、。
形容し難い罪悪感に囚われては自己嫌悪に陥った、、、。
でも、そんな俺だったけど、今では善い想い出に変えられつつある事を嬉しく思う。
ヴィヴィアンの存在があって、俺は更に「命」と云う物を考えるようになった。前回のツアータイトルも、その辺から来ている事を否定はしない。
今まで意図して多くを語らなかったが、俺自身のケジメをつける意味でもヴィヴィアンとの事を記したいと思う。
ヴィヴィアンの死因は先天性の物だった。つまり、生まれた瞬間からその運命は決まっていた。
その事を知らずに俺とヴィヴィアンは約四年間一緒に過ごした。
最初は、唯無気力な子だなあとしか思っていなかった。ヴィヴィアンは異常に大人しかったからだ。普通の犬ならば物音がすればすぐ起きるのに、ヴィヴィアンは揺すっても叩いても起きずに、暫くしてからノロノロと起き上がるような子だった。おっとりとして、グッチにもピンキーにも優しくて、きっとそういう性格なんだと思っていた。
だが、俺がそれが異常であると気付いた時にはもう遅かった。
ある日、スタジオの練習を終えて家に帰って来ると、ヴィヴィアンは一人部屋の中をグルグルと只管に廻っていた。
さすがにおかしいと思った俺は、すぐに病院に連れて行った。ヴィヴィアンはそこでも暴れていたが、なんとか押さえつけて血液検査をした。
結果は、先天性の血管の疾患だった。おそらく、生まれながらの血管の奇形であろうと言われた。
俺はなんとか助ける事が出来ないものかと先生に詰め寄ったが、可能性はあるものの大分難しいと言われた。しかし諦めきれない俺は大学病院に連絡し、なるべく早く最善の手術が出来るように手配した。
それからは、二日間の入院の後、自宅療養という事で、居る場所もご飯もグッチ達とは別にして、なるべく動かさないように、出来るだけ側に居てやる事にした。
仕事をする時もヴィヴィアンを膝に置いてパソコンに向かう事にしていた。
しかし、当時の俺は山積みの仕事を抱え、夏のツアーに向けてプランを立てなければならない時期で、四六時中観てやる事は出来ず、外に出る時はヴィヴィアンの無事を祈る事しか出来なかった。
それでも、家に帰り玄関を開けると俺の帰宅に気付きヨタヨタと出迎えてくれるヴィヴィアンを見る事で、俺は心底安心し、今日も乗り切ったと胸を撫で下ろしていた。
安定していた様態が急変したのは退院してから一週間後の事だった。いつものように俺はパソコンに向かっていたのだが、さっきまでスヤスヤと寝ていたヴィヴィアンが突然痙攣しだした。俺はパニックに陥り、ヴィヴィアンを抱えたまま、隣の駅にある動物病院に駆け込もうとした。しかし、運の悪い事に時刻は深夜二時を回っていて、先生の到着まで三十分位かかるという、、、。その間も俺の腕の中でヴィヴィアンは痙攣し続けていて、吠える事も出来ず、苦しさのあまり泡をふいて、俺の腕をかきむしっていた。
先生の到着を待つ間、俺は必死になだめ続けていたのだが、意識朦朧としている筈のヴィヴィアンが、一瞬、ほんの一瞬正気に戻り、俺の顔を見上げて、「ク~ン、、、。」
と哭いた。今思えば、あれがヴィヴィアンなりのさようならだったのかもしれない。
その後先生が来て色々と手を尽くしてくれたが、ヴィヴィアンは二度と眼を覚ます事は無かった。俺は恥も外聞も捨てて、先生の前で大泣きした。動かなくなったヴィヴィアンをタオルで包み、
ゆっくりと、ゆっくりと、もと来た道を家まで歩いて帰った。その間にも冷たくなって固まっていくヴィヴィアンを抱きかかえながら、俺は唯唯何も考えない事に徹した。そうする事でなんとか自分を保っていたのだ。
俺はその後数日間を、ヴィヴィアンの写っている写真を眺めて過ごした。グッチとピンキーも、心なしかあらぬ方向を見つめているように思えた。
俺はもう歌い手として使い物にならないんじゃないかと思う程に憔悴しきっていた。でもそこに手を差し伸べてくれたのはメンバーの存在だった。皆俺とともに悲しみ、落ち込んで、そして俺を立ち上がらせてくれた。だからこうして今俺は唄っていられる。
そんな経験から「うたかた」は生まれた。最高の曲だと思う。俺は一生この曲を唄い続ける。何故ならばそれは、ヴィヴィアンが生きた証でもあるからだ。そして俺はこの先も詩い続ける。何故ならば、何よりも尊い「命」を守り続けたいからだ。
長くなってしまったが、今俺は前向きに生きている。そして、「命」の尊さを知り、さらに強い心を持って皆にメッセージを届けていける。
だから、俺は幸せです。
「絶対忘れる事は出来ない。むしろ一生背負って生きます。ヴィヴィアン、、、。ありがとう、、、。」
p,s 奇跡は本当にありました、、、。