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ある程度まとめないと無理でしょうよ : bagunarto

bagunarto ([info]bagunarto) 投稿者,
@ 2010-11-28 15:25:00


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現在のヒトコト: 王道の味

ある程度まとめないと無理でしょうよ
「考え方は人それぞれ」「個人の自由」「色んな価値観があっていい」

こういう考え方を皆がそれぞれやってれば、そりゃあ揉め事増えるよね。

家庭内にしろ、社会にしろ、政治にしろ、教育の放棄ですよね。



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[info]メカAG
2010-11-28 03:36 pm (リンク)
揉め事が増えることは悪いことなの?

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[info]bagunarto
2010-11-28 09:30 pm (リンク)
わかりません。

人の世の正常な姿とも言えますので。

ただ、為政者は、争いのない世を目指す者でなければなりません。



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[info]bagunarto
2010-11-28 09:35 pm (リンク)
誤解なされませんように追記させていただくと、

己の信念を持っている者であること。

人それぞれの考えで自由にしたらええやん。

ではなく、頂点に立つ者は、進むべき道を示さないとダメだと思うのです。

その道が間違ってると思う者は抗えばいいのです。

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[info]メカAG
2010-11-28 10:31 pm (リンク)
> ではなく、頂点に立つ者は、進むべき道を示さないとダメだと思うのです。

それはそうだね。

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[info]メカAG
2010-11-28 10:30 pm (リンク)
> ただ、為政者は、争いのない世を目指す者でなければなりません。

えーそれは違うと思うけどなぁ。
民主主義なんて「争い」じゃん。
一党独裁なら争いはないわけで。
資本主義も争いだし。

争いのある世界こそが健全な世界。
たとえその結果、人の命が犠牲になったとしても。

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[info]bagunarto
2010-11-28 10:39 pm (リンク)
矛盾かもしれませんが武をもって争いのない世を目指す者を人は英雄と呼びます。

それは正しいと思います。

その思いを子孫が歪めるから駄目なだけ。

道を、思いを、包み隠さず示せる指導者が、ここ日本国にもほしいものです。

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[info]bagunarto
2010-11-28 10:46 pm (リンク)
>民主主義は「争い」

これに近いことを以前に私も述べてますが、民主主義は役割を終えたと私は考えています

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[info]メカAG
2010-11-28 10:49 pm (リンク)
ん~英雄が絶え間なく出現する世界、すなわちある英雄が次の英雄に倒され続ける世界こそが、健全な世界だと思うよ。

個々の英雄は自分が創りだした世界が永遠に続いて欲しいと願って、天下を統一するわけで、一人ひとりが「争いのない世界を目指す」こと自体は正しい。

しかしその結果、本当に争いのない世界が実現されてはダメだ。言い換えれば、争いに勝ち続けることで争いのない世界は実現されるべきで、争いが起こる余地そのものを摘みとってはダメということ。

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[info]bagunarto
2010-11-29 12:06 am (リンク)
>争いが起こる余地そのものを摘みとってはダメということ。

摘み取るまでは行かなくとも武によって統一する者も言によって統一を目指す者も争いの起こる余地を無とする世を目指した者。

前体制よりも良い体制を創造し得た者は前体制を倒す。これは人の世の正しい道だと思う




将来的には抗うという本能のDNAをいじられそうだけどね。

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[info]メカAG
2010-11-29 12:46 am (リンク)
いやぁ、その点は俺は楽観的だけどね。
共産主義(全体主義国家)は全世界には広がらず、自壊してしまった。

もちろんそれは自由主義国家が必死に抵抗したから勝ち得たもので、
全世界が全体主義国家になってしまう可能性はあった。

でもその場合もいずれ崩壊したはずで、
長い目で見れば健全な世界(争いのある世界)が維持される。

時代と地域を限定すれば全体主義(争いのない世界)が続くケースもあるけどね。
そういう時代や地域にたまたま生きた人間は不幸(いや幸福なのかな?)だけど。

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[info]bagunarto
2010-11-29 12:10 am (リンク)
なんか話がすごく脱線していく感じなので、何が言いたいかというと、

我が子の教育にしろ、国民の教育にしろ、好き勝手しろなんて投げ槍な「自由?」教育は

教育の「放棄」だと苦言を呈したいわけです。

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[info]メカAG
2010-11-29 12:54 am (リンク)
ほう、実はちょうど教育論の話でそういう話を書きたいなと思ってたんだけど、
ちょっと書いてしまおう。

「戦争は良いこと」という考え方も「戦争は悪いこと」と言う考え方もあっていい。それこそ「人それぞれ」だ。で、問題はそれを子どもにどう教えるか。

ひとりの子供に「戦争は良いこと」と考えてもいいし「戦争は悪いこと」と考えてもいいよ、と教えてはいけない。それは教育ではない。「Aである」と「Aでない」を同時に教えることは、結果的に何も教えてないとの同じだからね。

逆に「戦争は良いこと」と教える学校はあっていいし、「戦争は悪いこと」と教える学校もあっていい。つまり前者の学校に通った生徒は全員「戦争は良いこと」と叩き込まれ、後者の学校に通った生徒は全員「戦争は悪いこと」と信じさせられる。

これが多様性となり、両者の争いの中でいずれ何らかのひとつの決着がつく。それが健全な争いというものだ。

つまり教育は全体としては統一されるべきではないし、同時にひとりの人間に対しては統一された教育がなされるべき。

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