実事求是 ― 創価学会の詐術を読み解く

学会プロパガンダ批判ブログです。 特に「世界の知性は池田先生を求めている」の詐術を海外資料をもとに検証します。

アホタンさんのリクエストに応えて

「“300個目の名誉学位”のウソ」の記事で、「聖教は名誉学位授与の決定段階で報じるのが常だった」と書いたところ、アホタン(←HN)さんが
「今までに、『授与されることが決定した段階』で報道した記事を示してください。」とリクエストしてきた。

恐らく、私の「常だった」との表現が実際に即していない、と言いたいのであろう。本来ならアホタン氏自身の手でつぶさに調べ上げて、反証提示するのが筋であろうが、幸か不幸か、私は調べるのが好きなので、できる範囲で調べてみた。

聖教新聞を全部保存しているわけではないので、聖教新聞オフィシャルサイトSokanetのヘッドラインニュース・バックナンバーのページから、授与決定を伝える記事を拾ってみた。2006年11月以前の記録がないので、それ以降現在までの分だ。リストでは現在→過去の順に列記した。

リスト中、
◎印は授与決定記事と、授与記事の両方があるもの。
△印は授与決定記事のみあり、授与がまだ行われていないもの。
各行冒頭の日付は「決定」記事掲載日、行末の日付は「授与」記事掲載日だ。

今回調べてみてはじめて分かったことだが、授与決定から授与実施までのスパンはまちまちで、数日という短いものから3年半という長いものまである。アゲルと言われてから実際にもらうまで3年半もかかっているというのは、一体どういうことだろう。

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◎2010/9/22  フィリピン・南ミンダナオ大学 名誉人文学博士号 [2010/10/10 
△2010/9/1  マカオ理工学院 池田 名誉教授
△2010/8/20  マカオ科技大学 名誉教授
△2010/8/13  ロシア国立貿易経済大学 名誉博士号
△2010/8/12  チリ ペドロ・デ・バルディビア大学 夫妻に名誉博士号
△2010/7/28  カザフ民族大学  名誉博士号
△2010/6/16  集美大学 名誉教授
◎2010/5/21  オシ人文教育大学 名誉教授 [2010/8/18 
◎2010/5/21  オシ農業大学 名誉教授 [2010/8/18 
◎2010/5/18  台湾芸術大学  名誉教授称号 [2010/7/3 
◎2010/5/8  中国 寧波大学  名誉教授称号 [2010/6/9  香峯子「名誉院長」
◎2010/4/4  台湾・高雄大学 名誉教授 [2010/7/30 
◎2010/3/4  フィリピン ラモン・マグサイサイ工科大学 名誉教授 [2010/3/27 
◎2010/2/26  四川省社会科学院 名誉教授 [2010/4/6 
△2010/2/9  台湾 虎尾科技大学  名誉博士
◎2010/2/1  中国 西安交通大学  名誉教授 [2010/3/22 
△2010/1/21  中国 広東商学院 名誉教授
◎2010/1/13  中国 西安外事学院 名誉教授称号 [2010/2/28 
◎2009/12/6  ウズベキスタン科学アカデミー芸術学研究所 名誉博士号 [2010/2/25 
△2009/11/3  エレバン国立芸術アカデミー 池田 名誉博士号
◎2009/9/28  台湾 育達商業科技大学 名誉教授 [2009/12/9 
◎2009/7/7  中国 西南交通大学 名誉教授称号 [2009/11/2 
◎2009/6/22  中国 西安培華学院 名誉教授 [2009/12/24 
◎2009/6/18  ブラジル シルバ・エ・ソウザ統合大学 名誉建築学都市工学博士号 [2009/10/4 
◎2009/6/9  フィリピン国立南ルソン大学 池田 名誉人文学博士号[2009/6/30 
△2009/1/30  キルギス・ビシュケク人文大学 名誉博士
◎2009/1/1  ウズベキスタン国立芸術大学 名誉教授[2009/1/20 
◎2008/11/20  ブラジル・ホンドニア連邦大学 名誉博士号 [2009/7/17 
◎2008/11/11  マレーシア公開大学 名誉博士号 [2009/2/25 
◎2008/10/15  ヤクーツク第1教育カレッジ 名誉教授 [2009/10/29 
◎2008/10/10  中国・大連大学 名誉教授 [2008/12/4 
◎2008/10/7  市立マニラ大学  名誉人文学博士 [2008/10/12 
◎2008/9/23  中国・河南師範大学 名誉教授 [2009/4/25 
◎2008/9/3  フィリピン国立イフガオ農林大学 名誉博士号 [2008/9/19 
△2008/5/23  アメリカ創価大学 名誉博士号
◎2008/4/8  モンゴル国立科学技術大学 名誉人文学博士号[2008/10/30  
◎2008/3/28  中国・延安大学 終身教授 [2008/5/5 
◎2008/1/1 トルストイ記念トゥーラ国立教育大学  名誉教授[2008/4/3 
◎2008/2/8  イシク・クル国立大学 名誉教授 [2009/4/11 
◎2008/1/6  国立サントドミンゴ自治大学 池田 名誉博士[2008/1/20]
◎2007/10/12  アラグア・ビセンテナリア大学 夫妻 名誉博士 [2010/3/17 
◎2007/9/28  メキシコ人文統合大学 名誉人文学博士 [2007/10/9 
◎2007/9/20  ブラジル・インガ大学 名誉教授 [2007/10/11 
◎2007/7/16  国立南東フィリピン大 名誉教育学博士号 [2007/9/14 
◎2007/6/25  中国河北大学 名誉教授[2008/4/17 
◎2007/6/10  ペルーの国立サンタ大学 名誉博士 [2007/6/24 
◎2007/4/29  台湾南台科技大学 名誉博士号 [2007/5/31 
◎2007/4/14  ロシア国立人文大学 名誉博士[2007/6/1 
◎2007/3/11  中国・陝西師範大学 夫妻「名誉教授 [2007/10/7 
◎2007/2/14  中国・貴州大学 名誉教授 [2007/2/27 
◎2007/1/9  中国青年政治学院 名誉教授[2007/10/22 
◎2006/12/16  北京城市学院 名誉教授[2010/5/29
(以降、Seikyonetにデータなし)
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以上、名誉学位授与「決定」を報じた事例は52例あった。

なお、授与の見出しのみあって、その決定段階の見出しが見つからなかった例が54例あったが、このことを以って「半数は決定段階で報じなかった」と結論づけるのは早計だ。

2006年11月以前の新聞に「決定」報道があったものもあるだろうし、またSeikyonetのヘッドラインバックナンバーは一面すべての見出しをピックアップしているわけではない。最近の実際の新聞と見比べて分かったが、バックナンバーリストでは、トップニュースの見出しすら漏れている場合もあった。

すなわち、上記リストはSeikyonetで確認し得た範囲のデータであり、新聞現物に当たらなければ正確なところはわからない。
あとは、アホタンさんにお任せしよう。

いずれにしても、6/4のマ大学での卒業式で池田氏に名誉学位授与が行われたのは、私の挙げた資料から明白であり、それを聖教が一切(授与決定も正式授与も)報じなかったというのは異例であると言わざるを得ない。

続報--「300個目の名誉学位」のインチキ(2)

マサチューセッツ大学ボストン校のオフィシャルサイトに学長専用コラムページがあり、そこに池田氏への名誉博士号授与に言及したコラムがあった。日本滞在中に投稿したもののようだ。一部抜粋引用する。

なお、引用原文中の「・・・」は創価学会や池田氏について説明的に長々と修飾した部分だ。特に重要でないし、訳すと冗漫になるので省略した。
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(取意)私たちは、6月の本学の学位授与式(卒業式)に出席できなかった池田氏に名誉人文学博士号を直接お渡しするため、創価学会のお招きを受けて訪日している。
創価学会は快く我々一行の旅費を負担してくださった。彼らが我々をかくも手厚く歓待してくださるのは、一つには、本学が授与する名誉博士号が、池田氏にとって300個目の名誉学位であり、偉業達成の記念碑ともいうべき栄誉だったからだ。
(原文)
We were invited by ・・・Soka Gakkai, to present an honorary doctor of humane letters degree, honoris causa, to ・・・Daisaku Ikeda in person, after Mr. Ikeda was not able to attend our commencement ceremony in June. Soka Gakkai・・・ is graciously covering our expenses; they are extending this hospitality to us in part because the degree we are conferring on Mr. Ikeda is his 300th such honor – a tremendous achievement and an important milestone.
http://www.umb.edu/chancellor/entry_csu/building_international_connections/
-----------------------------(*1)
つまり、6/4の授与式に来れなかった池田氏に学位を直接手渡してもらうために、学会が、費用学会もちで学長らを呼んだということだ。

費用を誰が出したかなど、大学オフィシャルサイトで敢えて言及する必要はないと思うのだが、大学の公金で物見遊山に行ったわけではない、ということを表明しておく必要があったのかも知れない。というのは、

以前、イギリスのクイーンズ大学が池田氏に名誉博士号を授与するために訪日した後、地元紙から「名誉学位授与ごときで43000ポンドも無駄遣いしたのか」と突き上げられたことがあったからだ(*2)。大学側は結局訪日コストも旅費の出所も明かさなかったそうだが、そういう前例もあるし、財政難の昨今、要らぬ物議をかもさぬためにも、上記学長コラムで「費用は学会もち」と敢えて書いたのではないか。

それにしても、学会が喧伝するように「池田センセイが素晴らしいので、どうしても名誉学位を出したい」と、大学が自発的に授与するものであるのなら、もらう側が授与側の訪日出費をまかなう、というのはおかしな話だが、大学への寄付プラス関係者の日本招待という詰め合わせセットの対価として名誉学位がある、と考えれば、ありうる話だ。

思うに、中国の大学からの名誉称号も、訪日して授与という例がこれまで多数あったが、財政難に喘ぐ中国の大学が、何の実質的見返りもなく、抽象的名目の名誉称号を池田氏に出すために、わざわざ身銭を切って要員を派遣するとは考えにくい。これらも学会丸抱えで訪日したと考える方が自然だ。

アカデミックな世界でそのような銅臭(カネの匂い)紛々たる話などあるわけない、と反発を覚える学会員がいるかも知れないが、その認識は天真爛漫すぎる、と知るべきだ。(弊ブログの「中国からの名誉学術称号のカラクリ」を参照のこと)

さて、マ大学からの名誉学位の正式授賞が6/4であったことを裏付けるもう一つの資料があったので、紹介しておく。
同大学オフィシャルサイトのデイリーニュースページの6/4の記事だ。
ジョージ・ラッセルJr.(ステートストリート社副社長)の名誉法学博士号受賞について書いたものだが、その末尾に以下のようにあった。
-----------------------------------------------------------
マサチューセッツ大学ボストン校の第42回卒業式(学位授与式)で栄誉を受けたのは、他に、代表スピーチを行ったビクトリア・レジー・ケネディ(エドワード・M・ケネディ前上院議員の妻)、名誉学位を受けた池田大作(仏教指導者であり、池田国際対話センターの創立者)、学長賞を受けたエドワード・J・マーキーの各氏である。
Others honored at UMass Boston’s 42nd Commencement include main speaker Victoria Reggie Kennedy, wife of the late U. S. Senator Edward M. Kennedy, honorary degree recipient Daisaku Ikeda, a Buddhist leader and founder of the Ikeda Center for Peace, Learning, and Dialogue, and Chancellor’s Medal recipient Congressman Edward J. Markey.
-------------------------------------------------------------(*3)
池田氏もちゃんと当日の受賞者として列記されている。
池田氏が行けなくとも、名代が代理受賞するのが通例であり、礼儀である。授与事実はあったのは間違いあるまい。11/21は直接本人に渡し直したというだけのことだ。

先日のコメント欄にも書いたが、不思議なのは、名誉称号授与が決定すると聖教は真っ先に「決定」を報じるのが常(決定と受領で2度美味しい記事が書ける)なのだが、マ大学については、それが全くなかった。これはなぜか。仮に(ありえないことだが)6/4の卒業式典が「発表だけ」だったとしても、それを報じてもいいはずだ。

超名門大学に似た名だから、300個目に当てようと考えた、というのは当方の邪推に過ぎないが、それくらいしか理由が見つからないし、池田宣揚ネタに飢えている創価学会の考えそうな手法ではある。

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[名誉学位希望者を募集]---マサチューセッツ大学ボストン校の案内

この募集案内の発見は、弊ブログの読者・ハムスターさんのお手柄だ。
先日創価学会を訪れたモトリー学長自ら呼びかけた募集広告だ。

これについては、ちょっと休んだ後、次稿で重要箇所を翻訳紹介したい。まず原文だけ提示しておく。
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Call for nominations for 2011 honorary degrees

April 09, 2010
By J. Keith Motley, PhD, UMass Boston Chancellor

In the coming weeks we will formally announce the 2010 honorary degree recipients, but I want to encourage you to help us plan ahead for next year.

To allow those involved in nominating and recommending candidates for honorary degrees in 2011 appropriate time for deliberation, as well as to ensure the widest possible campus participation in that process, I am now asking the campus community to submit the names of persons who merit the recognition symbolized by our honorary degrees. Candidates for these degrees should be persons of distinguished accomplishment and high ethical standards. They should also be people whom our students would want to emulate and who exemplify the values of the University of Massachusetts Boston.

Explicit factors the university considers in awarding honorary degrees include: 

  1. National or international intellectual, artistic, cultural, or public service distinction in a particular field,
     
  2. Outstanding achievements the University of Massachusetts Boston wishes to acknowledge, and
     
  3. Outstanding contributions to the university and/or the Commonwealth of Massachusetts.

Consistent with university policy, the provost will set up a special committee on honorary degrees, which will receive nominations from the faculty, staff, students, the Student Government Association, and the UMass Boston Alumni Association. The committee will submit its recommendations to the provost, who will, after receiving advice from the Faculty Council, make recommendations to the chancellor. The chancellor, after discussions with the Executive Leadership Team, will make recommendations to the president and the Board of Trustees in time for action by the board.

Nominations should be accompanied by biographical information and a statement giving reasons for bestowing the honor. Please provide this in a narrative format (do not send Web-site links to explain your choice). The deadline for nominations for 2011 honorary degrees is May 7, 2010. Please submit materials to Aimee Blaquiere in the Provost’s Office. If you have questions, please contact Aimee at 7-5609 or aimee.blaquiere@umb.edu, and she will appropriately direct your call.

Thank you, and have a great weekend!
-------------------------------------------------(*4)

参照文献URL
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(*1)マサチューセッツ大学ボストン校学長の「金曜アップデート」
http://www.umb.edu/chancellor/entry_csu/building_international_connections/

(*2)ベルファースト・テレグラフ紙
   「訪日旅費に43000ポンドも使ったクイーンズ大学」
http://www.belfasttelegraph.co.uk/news/local-national/queenrsquos-pound43000-bill-for-staff-trip-14369906.html

(*3)ジョージ・ラッセルJr氏の学位授与記事http://www.umb.edu/news/entry/george_russell_jr._receives_honorary_degree_at_2010_umass_boston_commenceme/

(*4)「名誉学位」希望者募集案内http://www.umb.edu/chancellor/entry_csu/call_for_nominations_for_2011_honorary_degrees/

「300個目の名誉学位」のインチキ

11月21日に受賞したというマサチューセッツ大学ボストン校からの名誉博士号は「300個目」だそうで、聖教も大々的に報じ、一般紙も小さいながら扱っているが、同博士号の受賞は実際は11月21日ではなく、6月4日であり、通算個数としては290個目であったことが分かった。

証拠資料は以下の通り。

●聖教新聞に載っている学位記は小さくてわからないが、英語版の池田大作宣揚ブログに、これ見よがしに大きな画像を載せている。それを見ると次のように書いてある。(*1)
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Citation /presented to /Daisaku Ikeda/ on the occasion of his receipt of the degree of Doctor of Humane Letters,honoris causa /at the commencement exercises of the University of Massachuetts Boston on June 4th. 2010.

(拙訳)名誉人文学博士号の授与式において、池田大作に授与された学位記
2010年6月4日、マサチューセッツ大学ボストン校卒業式に於いて)

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その結びにはこうも書いてある。
---------------------------
we are pleased to confer upon you,Daisaku Ikeda, the degree of Doctor of Humane Letters,honoris causa on this 4th day of june 2010.
(拙訳)2010年6月4日のこの日、我々は喜びを以って池田大作に名誉人文学博士号を授与するものである。

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●もうひとつ。地元の日刊紙Boston Globe紙のサイトに、マサチューセッツ大学ボストン校の卒業式の模様を詳細に報じた記事(2010/6/5)があり、その中に次の一文がある。(*2)
-----------------------------
Honorary doctorates were also awarded to George A. Russell Jr., executive vice president and director of corporate citizenship for State Street Corp., and the poet and Buddhist leader Daisaku Ikeda.
(6月4日の卒業式の際)また、ステート・ストリート社の副社長であり同社の社会貢献組織の責任者でもあるジョージ・A・ラッセル・ジュニアと、詩人であり仏教指導者である池田大作に、名誉博士号が贈られた。

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注:ステート・ストリート社は、マサチューセッツ州ボストンにある資産運用会社。利益の一部を貯留し、教育支援等の社会還元に使っていることをオフィシャルHPで表明している(*3)。(アメリカでは節税対策も兼ねて慈善ファンドを設置している企業が多い)。学術貢献なき名誉学術称号が経済貢献と表裏の関係にあることがここからも窺える。

●さらに、ボストン校のオフィシャルサイトにも、池田氏に名誉学位の授与があったことが記述されている。卒業式来賓挨拶の中でついでのように触れられたものなので、翻訳省略。(*4)

以上の三つの資料から、同校からの池田氏への名誉博士号は、6月4日にとっくに授与済みだったということが分かる。式典ではアメリカ創価大学のハブキ学長か池田博正氏あたりが代理受領したのだろう。

しかしこの6/4の受賞について、聖教では一切報じられていない。11/21にボストン校の学長が来日して、「渡し直し」てもらうまで内緒にしてたのはなぜか。実際の授与直後にまず正式受賞を報じ、学長が改めて直接渡し直した11/21(の翌日)に再度報じてもいいだろうに、そうしなかったのはなぜだろう。
発表日を調整することで、300個目という大台を見栄えの良い(日本人がマサチューセッツ工科大学と見紛いやすい)大学名で飾りたかったのだろうか。

その辺りの動機は分からないが、いずれにしても、同大学からの正式受賞は6月4日であり、通算個数としては実際は290個目だったのは紛れもない事実である。
創価学会・聖教新聞はまたしても事実を歪めて報じ、学会員を欺いたということだ。「正義と真実の新聞」という自画自賛が聞いて呆れる。

なお、「300個目の名誉学位」が英語圏でどれだけ報じられているかを調べたら、百数十件ヒットした(*5)が、どの記事も学会公式サイト(*6)の文章と完全に同じだった。見たところ、大手ニュースメディアは皆無で、マイナーなニュースサイトばかり。学会リリースの文章を掲載料を取って載せているものと思われる。(そのうちの一つPRNewswireなどは、典型的なビジネスメディアだ)

なお、当のマサチューセッツ大学のニュースページにはまだ登場しない。(*7)

[参照文献URL]
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(*1)学位記の拡大画像(池田大作ネットより)
http://www.daisakuikeda.org/assets/images/news/2010/101121univ-mass-cert-lge.jpg

(*2)ボストン・グローブ紙が伝えるマサチューセッツ大学卒業式の模様http://www.boston.com/news/education/higher/articles/2010/06/05/at_umass_bostons_graduation_a_vision_shared/

(*3)ステートストリー社の社会貢献(利益還元)
http://www.statestreet.com/wps/portal/internet/corporate/home/aboutstatestreet/corporatecitizenship/overview/!ut/p/c4/04_SB8K8xLLM9MSSzPy8xBz9CP0os3i_0CADCydDRwP_IGdnA08Tc38fINvY3cdEPzgrUT8cpAu3KlNDvPIGHgb45V0x9IcEuQLljQ1dDQycjAJNTfDLB5hD5A1wAEcDfT-P_NxU_YJsL9cg1zRHABeSy6k!/dl3/d3/L2dBISEvZ0FBIS9nQSEh/

(*4)マサチューセッツ大学ボストン校の6/4卒業式の際の来賓挨拶文
http://www.umb.edu/news/entry/victoria_reggie_kennedys_speech_at_umass_bostons_42nd_commencement/

(*5)英語圏での記事検索結果(学会リリース文の転載ばかり)
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&rlz=1T4GGLG_jaJP313JP313&q=%22Dr.+J.+Keith+Motley%22+Daisaku&aq=f&aqi=&aql=&oq=&gs_rfai=

(*6)池田大作オフィシャルサイトの英語記事
http://www.daisakuikeda.org/sub/news/2010/nov/news20101121-univ-mass-boston.html

(*7)マサチューセッツ大学のニュースページ(11/16以降まだ更新なし)
http://www.umb.edu/news/

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「池田は名誉学位好き」---英語版Wikipedia

明日(もう今日か)あたりの聖教に載ると思うが、産経ニュースによると、「池田氏が21日、米マサチューセッツ大学ボストン校から名誉人文学博士号を受章し、東京都新宿区の学会本部で授与式が行われた。海外の大学など学術機関から池田氏に贈られた名誉学術称号としては300番目という。」とのこと。
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/101121/trd1011211759005-n1.htm

キリのよい300個目は名誉教授でなく「名誉博士」でキメタようだ。そして
大学も日本人に耳馴染みのある「マサチューセッツ工科大学」に似た大学をもってきた。

ちなみに、マサチューセッツ大学ボストン校(University of Massachusetts Boston)は、1964年の開校。聖教の常としてものすごい名門大学のように修辞されると思うが、有名なM.I.T.(マサチューセッツ工科大学)とは別ものだ。

大学オフィシャルサイトのニュースには、今のところ名誉博士授与の記事は出てないようだ。
http://www.umb.edu/news/

驚いたことに、英語版WikipediaのDaisaku Ikedaの項目に、300個目の名誉学位のことがもう書かれていた。
面白い書かれ方になっているので、ちょっと紹介しよう。SGIに批判的な人が書いたようだ。
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名誉博士と名誉教授
池田は名誉学位取得に熱心なことで有名である。2010年11月21日、池田は通算300個目の名誉学位をマサチューセッツ大学ボストン校から受けた。
(原文)
Honorary Doctorates and Professorships
Ikeda is known for his eagerness for honorary degrees. He received his 300th degree from the University of Massachusetts Boston on November 21, 2010.

http://en.wikipedia.org/wiki/Daisaku_Ikeda
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赤字部分は「名誉学位好き」と意訳したいところだが、Wikipediaらしく少し控え目の訳にした。

FB板からの批判?に応えて

学会員が運営する「富士宮ボーイ」掲示板に以下のようなことが書かれていた。先の「日中国交正常化」関連記事に対する反応だ。

他板での独り言モードなので直接的反論ではないけれど、どこで語られようとも、「お客様」の意見は大切。ブログ主として真摯に傾聴し、相応の応対をさせていただこうと思う。

富士宮ボーイから(http://fboybbs.dip.jp/) 
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No.31469 中国との関係をクサする日蓮正宗門徒たち 投稿者:阿部日ケ〜ン(院政) 投稿日:2010-11-12 14:24:18 ID:34afe34fe

(URL省略:「正義顕揚七百五十年」板の魚拓へのリンク)

フェイクが「願望的推測」(造語)だと批判しまくっていた蛍ッくの「願望的推測」記事を
売り子が れいな恩人宅に投げ込んだ (笑)
黒川くんすでに中国語訳でギブアップw

結局どこが蛍ッくの言う「ウソ」の根拠なのかお手上げの模様。

(URL省略:弊ブログ「『日中国交正常化は先生のおかげ』のウソ」記事の魚拓へのリンク)


※前述した通り1965年まで中国を「中共」呼ばわりしていた池田氏が、その前年の公明党誕生時にこのような殊勝な提案をしていたとは考えにくい。

当時の中国が「反体制」の人間を主席に会わせるような事が出来たか
よく考えて欲しいなぁ。

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※印は蛍文からの引用のマーク。安部日氏特有のスタイルだ。

まず前段:
>>結局どこが蛍ッくの言う「ウソ」の根拠なのかお手上げの模様。

この一行の意味がよくつかめないが、タイトルにある「ウソ」を論証しきれていないという意味かな?
拙稿はまだ(1)しかUPしていない段階なので、タイトルと中身の不整合の指摘や最終評価は全部を見てからにしていただきたい。

もっとも(1)だけでも、「日中国交正常化は池田先生のおかげ」という独り善がりが史実を反映していないことを、資料をもとにそれなりに論証したつもりだが、もし不足があれば、今後の投稿で補っていきたい。

続いて後段:
>>当時の中国が「反体制」の人間を主席に会わせるような事が出来たかよく考えて欲しいなぁ。

池田氏は毛主席には会っていないので、周総理のことを言ってるのだろう。当時の時系列をよく見れば、上のような指摘が無意味であることが分かると思う。

結論から言えば、中国側からのアプローチや指導が功を奏し、池田氏や公明党の対中意識に変化が生じたのを確認できたため、会わせてもらえた、ということではないか。

当時の時系列を(1)で書いたことをもとに整理するとこうなる。
●をつけた赤字項目は、「(1962年以前から)折に触れて、国連は中華人民共和国を認めるべきであることなどを訴えてきた」とする新人革記述と矛盾する事実、すなわち、池田・創価が中国に対して必ずしも友好的でなかったことを示す事実。
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1961 ●池田、スピーチで中国を「中共」と呼ぶ。(1961/4/22中国総支部幹部会)
   この年、公明政治連盟結成
1962 ●池田、スピーチで中国を「中共」と呼ぶ。(1962/6/2 中国総支部地区部長会)
   このころ、高碕達之助が周恩来に創価学会のことを伝える。
   周恩来、創価学会研究を指示 
1963 池田、高碕達之助と会見
1964 公明党創設。公明党に「中華人民共和国を正式承認し、中国との国交回復に、真剣に努めてもらいたい。」と指示したとされる(新・人間革命13巻「金の橋」)
1965 ●池田、スピーチで中国を「中共」と呼ぶ。(1965/5/28 倉敷会館入仏式)
1966 中国サイドと初接触
   有吉佐和子が周恩来の伝言を池田氏に伝え、その後、学会幹部が孫平化らと会談
    ●会談前、学会青年部幹部が次のように中国に対する警戒感を表明
     「はい。日中友好は大事だと思いますし、先方も、そのために会いたいと言っているようですが、●どうしても警戒心を拭いきれません。共産主義国では、宗教を否定的に見ているにもかかわらず、なぜ、学会と交流を希望するのか疑問です。何か、別の意図があるように思えます

1968 学生部総会で日中国交正常化に言及
1969 公明党、日台条約破棄を主張(それまでの「二つの中国」路線をようやく放棄)
1971 中国、公明党訪中を受け入れる
     このころの周恩来発言「学会が日和見を起こさぬよう、頻繁に接触・指導しなさい」(取意:詳細は弊ブログ「周恩来の学会評を参照のこと)
1972 竹入・周会談
1974 池田・周会見
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「折に触れて、国連は中華人民共和国を認めるべきであることなどを訴えてきた」という池田記述が本当であれば、その考え方は学会幹部にも浸透していたはずで、1966年の中国側から会談申し入れは、もろ手を挙げて歓迎すべき平和友好対話の好機と捉えるのが普通であろう。

ところが、青年部幹部は会談前に、積極的友好姿勢とは程遠い疑心暗鬼な警戒発言をしているのだ。当時の青年部の対中意識はこの程度だったのだろう。となると、上の池田指導が本当にあったのかどうか非常に疑わしくなってくる。

いずれにしても上の時系列から、池田・公明・創価の対中意識が1966年の中国サイドとの初接触を機に180度変化したことが見て取れる。

そしてその後1968年の池田“提言”および1969年の公明の日台条約破棄の主張を見て、学会・公明が明確に親中国になったことを中国側が確認し、それでようやく公明党の訪中が叶い、池田側から要望されていた(矢野元書記長談)池田-周会談が叶った、ということであろう。

公明党初訪中後、周総理が部下に発した指示から、総理がまだ学会・公明を100%信頼しきれていなかったことが伺える。

その信頼を100%にさせたのが、竹入氏であると私は考えている。
シリーズの次稿でその辺りを検証するつもりだ。

銅像寄進の「お返し」? 終身名誉会員

竹入氏関連を書いてる最中ですが、先日の聖教で面白いネタを見つけたので、賞味期限内に片付けておきましょう。

先日(2010/11/9)の聖教第一面に、またもや「終身名誉会員証」頂戴話が載っていた。
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若き日から大詩人ホイットマンの詩を愛してきた池田SGI(創価学会インタナショナル)会長に、アメリカ・ニューヨーク州ロングアイランドのウォルト・ホイットマン生家協会から「終身名誉会員証」が授与された。また、ニューヨーク市議会議員による「顕彰状」が贈られた。これらの顕彰は、SGI会長の長年にわたる、平和・文化・教育への貢献を讃えている。
http://www.seikyoonline.jp/news/headline/2010/11/1193127_2459.html
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ふうん、また寄付でもしたのかな?と思いつつ、掲載された集合写真を見ると、参加者たちのまん前に何やらパネルが。そこにはこう書いてあった。
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Walt Whitman Statue Dedication
Commemorating the 50th aniversary of Daisaku Ikeda's visit to New York

at the Walt Whitman Birthplace
October 11 2010

拙訳:
ウォルト・ホイットマン像 寄贈式
池田大作ニューヨーク訪問50周年を記念して
ウォルト・ホイットマン生家にて
2010/10/11

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Dedicationには「落成」「序幕」という訳し方もあるが、dedicationの基本的な意味は寄進、献呈、奉納、献身など「捧げる」ニュアンス。(ちなみに、和英で「寄進」を引くと、一番目にdedicationが出てくる。)
つまり上のパネル文は、「SGIが池田センセイNY訪問50周年を記念してホイットマン像を作って贈りました」という意味だ。

聖教記事では名誉会員証授与がメインニュースになっているが、パネルを見る限り、どうやら現地の式典自体は、銅像序幕がメインだったようだ。ちなみ銅像下のプレートには池田氏の長編詩の一節が刻まれている(銅像写真キャプション)そうだ

となると、「終身名誉会員証」との関係も自ずから見えてくる。何百万円もする銅像を貰って何もしないというわけにはいかないだろう。会員証には「SGI会長の歩みを讃えている(聖教記事本文)」そうだが、表彰状の類には抽象的賛辞が書かれるのが通例だ。「銅像ありがとう」などの具体的なことはまず書かない。

聖教本文記事を見ると、もちろん銅像を贈った事実など書くわけはなく、
記念式典では、生家協会の庭に設置されたホイットマンの像の序幕も。」とサラっと触れているだけだ。
もし上のパネルが「協会が池田氏を記念して銅像を建てた」という意味合いなら、「終身名誉会員証」よりも大きく取り上げているはずだから、そうではなかろう。

自分たちが贈った像なので、詳しく書くと、会員証がその見返りであることがバレる。だから、あの程度の触れ方しかできなかったのだろう。

さて同様のニュースが聖教11/2にもあった。「リンカーンパークに『平和と正義』像」という記事だ。
その除幕式の集合写真では、[Peace and Justice Monument Dedication(記念像除幕式つまり寄贈式)」のパネルが置いてあった。パネルがSGI三色リボンで飾られているので、パネルの製作者=序幕式主催者=像寄贈者がシカゴ市ではなく、SGIであったことが丸分かりである。

アメリカの未曾有の財政難のおり、池田氏のシカゴ訪問50周年なるどうでもいい記念日のために、シカゴ市が何百万円も拠出するわけがないのだが、記事は、「先生がすごいので市が立派なオブジェを建ててくれた」と学会員が誤読しやすいように書かれている。

ところで、ホイットマン生家協会のオフィシャルサイトに、寄付会員募集の案内ページがあった。
http://www.waltwhitman.org/attachments/050_membership%20brochure.pdf

寄付額30ドル(2400円)の「個人会員」から5000ドル(40万円)以上の「後見人」まで、細かく10ランクに分かれ、ランクに見合った特典がついてくる。文豪の生家の維持のために涙ぐましい資金集めの努力をしていることがわかる。池田氏が貰った「終身名誉会員」というランクはないが、気前のいい大パトロンのために新設したものか。

ちなみに協会オフィシャルサイトには、ホイットマン像建立のニュースは全く出ていない。協会イベントスケジュールにも除幕式の案内はない。不思議不思議。

ホイットマン生家協会オフィシャルサイト
http://www.waltwhitman.org/

学会員さんブログに迷惑かけちゃったかな?

日中国交正常化関連の当ブログ記事の末尾で、新・人間革命13巻「金の橋」が読めるサイトとして、参照URLを載せてましたが、本日アクセスしたら、パスワードが必要な非公開モードになってました。
http://jhliuyg.spaces.live.com/blog/cns!B28CC50B2F5AC4C2!3253.entry

タイミング的に当ブログ記事が原因なのかなと思ったりもしますが、別の理由かも知れません。一応お礼を言っておきましょう。「貴ブログ掲載の人革のおかげで、池田氏の欺瞞を暴く貴重な発見ができました。ありがとうございました。」

いずれにしても、そこは見れなくなったので、替わりに別サイトを紹介しておきます。(当該記事の参照URLも
これに変えました)
http://www2s.biglobe.ne.jp/~masajun/lime/sintyaku/sintyaku/200208079.txt
ただし、このページは文章配列が逆になっているので、一番最後から読み始める必要があります。また、一部欠落もあります。



“日中国交正常化は池田先生のおかげ”のウソ(1)

 学会内では「日中国交回復は池田先生の偉大なる功績」と喧伝され、池田氏本人も常々「日中は私の尽力の賜物」と吹聴している。池田創価の理屈によると、1968年9月8日の学生部総会の池田スピーチの中で「日中国交正常化」が提言され、それが発端となって両国国交の道筋が開かれ、やがて公明党が橋渡しとなって国交回復が実現した、という筋書きだ。

 池田氏のこの“提言”について、小説『新・人間革命』では
「伸一の、この講演は、『日中国交正常化提言』として、日中友好の歴史に、燦然とその名を残すことになる。」(第13巻「金の橋」)(*1)
と臆面もなく最上級の自画自賛がなされている。

 しかし、果たしてその“提言”はそんなに自惚れるほど価値のあるものだったのか。今回はそれを検証したい。

“提言”とは、それまで誰も提示したことがないような新たな見解や提案を出すことだ。あの池田スピーチに“提言”と呼ぶに相応しい独創性や先見性があったのだろうか。

池田氏の日中国交回復に関する“提言”は要約すると以下の3点である。
 (1)中国の存在を正式に承認し、国交を正常化すること。
 (2)国連における正当な地位を回復すること。
 (3)経済的・文化的な交流を推進すること。

 しかし、これらは当時としては格別目新しい提案ではない。池田スピーチが行われた1968年から遡ること十数年も前から、多くの友好人士・団体が中国を訪れ、中国側との間で確認し合ってきた原則なのだ。

それらは共同声明として発表され、日本の新聞でも報じられてきた。池田スピーチ以前に発表された共同声明は確認できただけでも10件以上ある。例えば1957年4月に出された日本社会党訪中団と中国人民外交学会の共同コミュニケ(下文)などがそうだ。
---------------------------------------------
『日本社会党中国訪問親善使節団は日本と中華人民共和国との親善友好を増進し,両国間の国交正常化を促進する目的をもつて中華人民共和国を訪問した。
(中略)日本と中国が政府間で速かに正式かつ全面的な国交を回復すべき段階にきた
(中略)二つの中国の存在を認めず,台湾をめぐる国際緊張は平和的に解決することを望む。
国連での代表権が中国に対して承認されるべきである
(中略)両国の人的,経済的,技術的,文化的協力はこれを妨げている諸困難を克服していよいよ増大されることが必要・・・』
---------------------------------------------(*2)

新人間革命などによる歪められた情報しか得ていない学会員は、国交正常化前は日中の友好往来が皆無であったかのように思っているかも知れないが、新中国誕生後、国交正常化前に中国を訪れた日本人は、周総理が接見しただけでも実にのべ287回、323団体(*3)にも上る。

そうした多くの先人達の努力により、日中国交回復の機運が盛り上がってきたわけであるが、その最終段階で遅れてバスに乗ってきた池田氏が、既存のコンセンサスを受け売りし、我が物顔で発表したのが上掲の3項目の“提言”だったのである。

現在でも池田氏は万人周知、至極当然の共通認識を「新提言」であるかのように発表したがる癖があるが、すでに40年以上前からその傾向は始まっていたということだ。

もっとも、巨大宗教団体のトップが日中友好を表明したことは話題性もあり、公明党の政策転換を示唆するニュースとして新聞でも伝えられたが、"提言“自体は所詮後出しジャンケンであり、すでに盛り上がっていた国交正常化の趨勢に影響するほどの作用はなかったと言える。

 そもそも、池田“提言”は先人たちの知恵の受け売りをしながらも、画竜点睛を欠いていた。中国の承認、国連復帰は主張したものの、日台条約の破棄は求めていないのだ。それまでの日中間の共同声明などでは、中国の承認と国連復帰は日台条約破棄とセットで語られるのが常だった。

日台条約を維持したままでの中国承認は「二つの中国」を容認することになり、中国側が主張していた政治三原則(1.中国敵視政策をとらないこと。2.二つの中国の陰謀に加担しないこと。3.日中両国の国交正常化を妨げないこと)の第2項に抵触するからだ。

 池田氏が日台条約破棄に踏み込めなかったのには訳がある。当時の首相は佐藤栄作であったが、佐藤の兄・岸信介と創価学会は戸田会長時代から密月とも言える関係にあった。

戸田講演で岸を「政界の王者」と讃え、不退転の岸支持を表明していたほどだ。当然公明党も表向きは反自民の顔をしつつ、政策的には岸-佐藤ラインに寄り添っており、公明党の対中国政策も「二つの中国(台湾政権と中共政権の並存)容認」という認識が基底にあった。

公明党が曖昧な池田“提言”と辻褄を合わせるために「日台条約破棄」を明確にしたのは、翌年の1969年1月の党大会のことであった。

 このようにブームに後乗りし、泥縄式に日中友好姿勢に転じてきた池田創価であるが、新人間革命では、以前から日中友好を訴えてきたかのような印象操作がなされている。

1962年ごろ松村謙三氏と高碕達之助氏が周恩来総理に創価学会のことを伝えていた、というくだりだ。それ自体は事実と思われるが、問題は次の箇所だ。
-------------------------------------
『山本伸一は、折に触れて、国連は中華人民共和国を認めるべきであることなどを訴えてきたが、二人は、伸一の中国観をよく研究していたようであった。』(第13巻「金の橋」)
-------------------------------------

ところが、松村・高碕両氏が創価学会のことを周総理に伝える前、すなわち1962年以前に池田氏が「中華人民共和国を認めるべき」と訴えたスピーチや文献は筆者の調べた限り皆無なのだ。

それどころか、過去のスピーチからは、むしろ「中華人民共和国を認めていない」としか読めぬ言動の方が目立つ。例えば、以下の3つのスピーチである。
---------------------------------------
中共などは何年来の大飢饉です。やはり東洋広布の前提でしょう。ラオスやそれからコンゴなどの大動乱も、全部広宣流布の瑞相とみていいのですから。』(1961/4/22中国総支部幹部会 土木殿御返事講義)
『私どもの祖国は日本です。祖国ソ連でもなければ、祖国中共でもなければ、祖国アメリカでもありません。私どもの祖国は日本でしょう。』(1962/6/2 中国総支部地区部長会 一昨日御書講義)
『アメリカは、どんどん北ベトナムを空襲している。そのうちに中共も原爆を持って、どう応酬するかも知れない。』(1965/5/28 倉敷会館入仏式 諸法実相抄講義)
---------------------------------------(*4)

ここで注目すべきは「中共」という言葉だ。中国共産党の略語ではあるが、国を指して「中共」と呼ぶ場合は蔑称となる。蔑称の意識はなくとも、少なくとも中華人民共和国を正式に認めない陣営が多用していた差別的呼称である。

中国を国として認め国交樹立を願う友好人士であるなら絶対にこのような呼び方はしない。つまり、池田氏は少なくとも1965年までは中国を「中共」と呼び、主権国家として認めていなかったということだ。

そのような池田氏が「(1962年以前)折に触れて、国連は中華人民共和国を認めるべきであることなどを訴えてきた」はずがないのである。とんだ噴飯話である。ましてや隣国の大飢饉に同情することもなく「瑞相」と喜ぶ池田氏の国際センスに至っては何をか況やである。

日中国交正常化をめぐる新・人革の眉唾記述は他にもある。
----------------------------------------
 『一九六四年(昭和三十九年)十一月、公明政治連盟が公明党として新出発することになった。
 その結党に際して、伸一は、こう提案した。
「公明党の外交政策をつくるにあたっては、中華人民共和国を正式承認し、中国との国交回復に、真剣に努めてもらいたい。
 これが創立者である私の、唯一のお願いです」』(第13巻「金の橋」)
----------------------------------------

前述した通り1965年まで中国を「中共」呼ばわりしていた池田氏が、その前年の公明党誕生時にこのような殊勝な提案をしていたとは考えにくい。

この提案がもし本当なら、公明党は即座に日台条約破棄を主張し、中国嫌いの岸信介の「二つの中国」の策謀に与することなく、親中路線に転じていたはずだ。ところが実際は5年後、つまり池田“提言”の翌年(1969年)になるまで政策転換はなされなかったのである。

おそらく上記人革の記述も後付けされた捏造話であろう。

 新・人革におけるこのような眉唾話は枚挙に暇がないが、紙幅の関係でこれくらいにしておき、“提言”以後の国交正常化の真実史とともに、また追って検証する。

 ところで、中国の南開大学周恩来研究センターが出版した「周恩来と池田大作」や「周恩来、池田大作と日中友好」という書籍がある。(*5)

同書は、創価学会が「日中復交は池田先生の功績であると中国識者も認めている」と喧伝するために好んで利用する本であるが、その書籍自体が創価学会の肝煎りで編まれたものであり、記述の論拠の大半が聖教新聞の記事であったり、創価御用学者の発言である。

著者である中国の学者は無検証にそれらを引き写しているだけだ。独自の取材として中国側関係者へのインタビューなどがあるが、その信頼性も実は怪しい。

例えば、日中友好協会副会長の黄世明氏へのインタビューで「中国の国連での議席回復を訴えたのは池田氏が初めてだった」と答えているが、前述の通り、社会党訪中団初め多くの友好人士・団体がそのことを早くから訴えている。

黄氏がそのことを知らないはずはなく、恐らく社交辞令的にそのように表現したものと思われるが、2冊の創価の息のかかった池田宣揚本は、それを検証することなく載せているのだ。

また、「周恩来と池田大作」では中国要人インタビューの中で竹入氏の名が登場していたが、その書籍を基本的に踏襲して出された「周恩来、池田大作と日中友好」では竹入氏がインタビュー記事もろとも見事に抹殺されている。

ここにも純学術的研究とはほど遠い、創価支配下にある南開大学の周恩来研究センターの限界と胡散臭さがある。

 次回は国交回復の真の功労者であり、現在も中国側から「和製キッシンジャー」として評価されている竹入氏について取り上げたい。

資料出自:
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(*1)小説「新・人間革命「金の橋」~下記に全文がある。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~masajun/lime/sintyaku/sintyaku/200208079.txt
ただし、このページは文章配列が逆になっているので、一番最後から読み始める必要があります。また、一部欠落もあります。

(*2)「社会党訪中団と中国人民外交学会の共同コミュニケ 」
   東京大学東洋文化研究所 田中明彦研究室編
   日本政治・国際関係データベース
   http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/JPCH/19570422.D1J.html

(*3)『周恩来総理と中日関係』(銭嘉東、王効賢著)
    中国共産党新聞サイトよりhttp://dangshi.people.com.cn/GB/85038/8098639.html

(*4)学会内部向け小冊子「池田会長と中国」より。(←この「中国」は日本の中国地方のこと)1976年の発行と思われる

(*5)「周恩来と池田大作」(王永祥 編 2002年発行、中国語原著は2001年。タイトルとは裏腹に周総理をダシに池田氏を宣揚したプロパガンダ本)
   「周恩来、池田大作と日中友好」(孔繁豊,紀亜光 著 日本語版、中国語版とも2006年8月発行 上記「周恩来と池田大作」と同工異曲。竹入抹殺版)
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漁船衝突ビデオ--反日中国人の反応

Youtubeで流出した衝突ビデオについて、中国側の反応をちょっと調べてみた。中国の掲示板では、ほとんどが「アクセスできない!」という書き込みばかりだが、一部、視聴できた人(在日中国人かも知れない)の感想があったので一つ紹介。見られない人のために解説している感じ。

反日的トーンではあるが、映像を見て漁船側からの衝突であったことは認めているようだ。
(スラング交じりなので、そのムードで翻訳)

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ウチの船長すげぇ。左旋回しながら突っ込んでる!拍手もんだ!周囲をヤツらの海上棺桶(=海上保安庁の船舶)に囲まれていたのに、あんなに勇敢に行動できるとは!すごい!

ヤツらは船足が速いのをいいことに、漁船付近をぐるぐる回っていたんだが、ついにうっかり漁船に捉まりやがった。ざまーみろだ!

二回目の衝突はもっとすごい。船を発進するやいなや、直接ヤツのケツの穴(=船尾)に突っ込んで行った!

(原文)
我船長太牛了,能看出来是左転過去的!賛一个!周囲都是鬼子海上棺材,?這麼英勇!牛!
鬼子仗着船快,在我漁船附近兜来兜去。最后一个没留神,被抓住了,活該!
第二次更猛!啓動,直接干上鬼子的菊花!
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http://lt.cjdby.net/archiver/tid-1006980.html

やはり若泉氏の紹介だったトインビー・池田対談

本ブログで以前、「トインビー対談を提案・要請したのは誰か」で、トインビー博士からの手紙改ざん翻訳と対談仕掛け人について書いたが(http://blog.livedoor.jp/jitsuji_kyuze/archives/51401389.html)、博士の手紙の現物が写っている学会作成ビデオがネット上にあったので紹介したい。(情報元は2ちゃんねる thanks!)

●創価学会ビデオ「21世紀への対話(トインビー・池田大作展)」(ニコニコ動画)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm12321564


手紙現物といってもクローズアップで判読できたのは一部だけだが、その中になんと若泉氏に言及した箇所があるではないか! 書き起こすと以下の通りだ。

"When I was last in Japan in 1967,people talked to me about the Soka Gakkai and about you yourself. I have heard a great deal about you from Professor Kei Wakaizumi,a good friend of mine;and now I am very much interested in your thoughts and works. I am going to read some of your books and speeches translated into English....

なんと、新人間革命では上の下線部分つまり「私の親友・若泉敬教授から(あなたについて多くのことを伺いました)」というフレーズを隠して翻訳していたのだ。ピンク色部分は以前の記事で書いた通り、「読むつもりです」を「読みました」と改ざんした箇所だ。イギリスSGIの機関紙に転載された英文手紙でも下線部分は省略されていた。

要するに、池田氏はこのパラグラフだけでも2箇所の大ウソを新人間革命で書いていたことになる。若泉氏からの紹介という重要事実を隠蔽したのは実質的にウソと同等である。

トインビー博士が池田氏の思想に感銘して自発的に対談を申し込んだ、という筋書きにするには、別の人間の介在があっては困るし、博士が池田本を読んでいなくては辻褄が合わないので、かかる悪どい改ざんが行われたのだ。なんと姑息で卑劣な男であることか。

なお、ビデオのナレーションで手紙の一部が読まれているが、新人間革命での改ざん翻訳(読みました)がそのまま使われている。


ともあれ、先の私の「コーディネータは若泉敬氏だった」の推理が当たっていたことが確認できて、ホッとしている。

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日中国交正常化問題は、今夜中にUPします。お待たせしてすみません。
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