「俺も一緒に行くんですか?」
「嫌かな? 折角、単位の心配も無くなった訳だし、私としてはなるべく実際のレースを見て貰いたいと思っているんだ。
他のチームを見るのも勉強になると思うしね」
「了解っす、問題無いですよ。
あ、そこのトルクレンチ取って貰っていいですか?」
トレーラーの下で水色のツナギが動いている。ひょいと手だけ出した長田に、土屋は工具を渡した。研究設備用に電源を弄ったらエンジンがかからなくなったのを点検しているのだ。聞けば実家は自動車整備工で幼い頃から手伝いをしていたとのこと。成程、メカニックを自称する訳である。
「これで直ったと思います。エンジンかけてみましょう」
「はーかーせー!」
その時、駐車場の脇から大きな声がする。見ると土屋に向かって少年が大きく手を振っていて、その後ろにも数人が居た。気付けば未だ短い冬の日は傾きかけており、彼等は放課後の練習にやって来たのだろう。
「コース、借りるぜ!」
「豪君か。他のみんなも揃っているね。
おーい皆、コースに行く前にちょっと集まって貰えるかい?」
メンバー全員が揃っているのに気付いた土屋は手招きをした。
「顔だけちょっと出して貰えるかな」
周りの見えない長田には、パタパタと軽い足音が近づいてくるのだけが聞こえる。促されて車の下から顔を出すと、六人の子供達が見下ろしていた。その内の一人がぺこりと頭を下げる。
「長田さん、こんにちは」
「おぅ。J君も元気そうだな」
初めに声を掛けてきた少年が首を傾げる。
「Jはこの人知ってんのか?」
「うん。GPチップ担当の人。大学生なんだって」
研究所に住んでいるJとは長田も面識があった。詳しいことは知らないが、金髪に褐色の肌という日本人離れした容貌から、複雑な事情があるのだろうと想像している。だが、他の少年達と直接顔を合わせるのはこれが初めてだ。
「大学生ぇ? 研究所の人じゃないんだ」
「そうなんだ。君達は多分会った事がないと思うが、彼にはこれからのレースで私達に同行して貰うことも多くなると思うから、挨拶をね。皆、自己紹介して貰っていいかな?」
そういうことなら、と、長田は車の下から抜け出し立ち上がった。TV越しでしか知らなかった少年達にじっと見上げられ、どう反応すればよいのか少々戸惑う。
「俺は星馬豪。これが俺のマシンのサイクロンマグナムで、セッティングはカッ飛び重視だ!」
最初に自己紹介したのは、正面にいた少年だった。いかにも元気が有り余っていそうで、頭の上に載っているゴーグルが特徴的である。サイクロンマグナムの真っ直ぐな走りを思い浮かべ、彼は重度のスピード狂だな、と判断した。いかにもそんな雰囲気がする、間違いない。
「わては三国藤吉。スピンコブラのレーサーで、テクニカルコースが得意でげす。宜しくでげす」
その隣の少年がパチン、と扇子を閉じて会釈する。幼いが利発そうでありその仕立ての良い服といい、名家のお坊ちゃんの風情だ。世間にはその名字を冠する大企業が存在するが、まさか縁でもあるのだろうか。そしてスピンコブラの名に、そういえばツインモーター事件の原因を把握していなかったことを思い出した。その内確かめようと脳内タスクリストに追加しておく。
「俺は鷹羽リョウです。マシンはネオトライダガーで高速重視のセッティングです。宜しくお願いします」
「おらは次郎丸だす! あんちゃんの弟だす! マシンは次郎丸スペシャルスペシャルスペシャルだす!」
背の高い兄と、対照的に小さな弟が頭を下げる。二人とも何か運動をしているのか、他の少年達に比べてかなり確りとした体つきをしていた。また、無造作に後ろで纏められている髪は伸ばしているというより伸び放題と言った方が正しそうだ。何とも野性味溢れる兄弟である。
「星馬烈です。豪の兄で、ビクトリーズのリーダーになりました。
マシンはハリケーンソニックでコーナリング重視です。宜しくお願いします」
後ろにいた赤毛の少年が一歩前に進み出た。土屋自身はリーダーを指名しなかったらしいが、彼に決まったのか「リーダーなのは、次のレースまでだけどな! 次は俺がなるぜ!」・・・どうやら弟君には異論があるらしい。ともあれハリケーンソニックのレーサーは研究員からの評判が上々なのだ。きっとしっかり者の兄なのだろう。
「僕のマシンはプロトセイバーエヴォリューション。セッティングはオールラウンド対応です。これからも、宜しくお願いします」
最後にJがぺこりと頭を下げた。この少年は穏やかで聡明、かつミニ四駆に多大な興味を示しており、土屋の被保護者であると同時に助手でもある。長田にとっては研究所の先輩であり、色々と世話になっている存在だ。
少年達の自己紹介が一通り終わり、長田は改めて彼等を見る。その頬は自然と緩んでいた。彼のよく知るマシンの特性にあまりにぴたりと当てはまる人物像、そのマシンとレーサーの類似性がツボに嵌っていたのだった。
さて彼等とはどう接すればいいかと少々迷ったが、子供相手に堅苦しいのも難だし、土屋もきっとうるさい事は言わないだろうと考え、普通に話すことにした。
「いま所長から紹介された通り、俺は長田秀三だ。
えーと、烈、豪、藤吉、次郎丸、リョウにJと。おし、覚えたぞ。
今シーズン、長い付き合いになりそうだし、J、今日から君付け取っちまうな」
「あ、はい」
「俺の事は秀三って呼んでくれ。本当は握手でもしたい所なんだけど、生憎と手が汚れてるからな。
俺も全力でバックアップ出来るよう頑張るんで、宜しく」
「宜しくお願いしまーす!」と元気のよい声が上がった。
全く、何がいけなかったのだろう。次のレース会場へ向かうフェリーの廊下で、先程の作戦会議を思い返して土屋は溜め息を吐く。次のレースは初めてのリレー方式である。チームワークが何より重要であるにもかかわらず、元来チームプレイなどしたこともない子供達は走る順番で揉めはじめ、作戦を立てるどころでは無くなってしまったのであった。仕方無く今夜は解散とし、土屋は一人、反省会の真っ最中であった。
「はぁ」
監督なんて向いてない。彼は窓から月明かりに白く照らされる水面をぼんやり眺めていたが、肩を落とす。子供達のことには極力口を出したくない。だが、このレースに間に合わせるために奮戦してきた研究所の面々のことを考えると、それでは駄目だと分かっている。最早、これは子供達だけのレースではないのだと、それは分かっているのだ。
だが・・・
「失礼ですが、土屋博士ですよね?」
不意に声を掛けられそちらを向くと、男が頭を下げながら近づいて来た。
「土屋は私ですが」
「昨日にお電話を差し上げた渡辺と申します」
「あぁ、オフィシャルサポーターの。何か御用でしょうか?」
「はい。ご挨拶をと思いまして。
elicaが是非、ご挨拶に伺いたいと言っているのですが、ご都合の宜しい時間はあるでしょうか?
今後、チームの皆さんと会う機会もあると思いますし、一度、日本チームについての詳しい話をお聞かせ頂ければと思っているのですが・・・お忙しい所、恐縮ですが、是非」
「これはご丁寧に。言って下さればこちらから・・・」
研究所に今回利用するフェリーの便名の問い合わせがあったのは、自分達と会う為であったのかと気付いて土屋は逆に恐縮した。
「いえいえ、私共の方も急な話だったのでここの所ドタバタしていたんです。フェリー移動は休憩も兼ねていましてね。
それに、ここなら邪魔が入りませんから丁度よいかと思いまして」
「確かにここなら邪魔は入らないですね。
丁度、作戦会議が終わった所ですから、この後ならいつでも大丈夫ですよ。
明朝ですとフェリーも到着してしまいますから、朝食後すぐになりますかね」
「そうですか。でしたら本日・・・そうですね、30分程したら伺います」
「わかりました。私だけで構わないんですか?」
「はい。まずは監督とスタッフの方々にご挨拶をしたいと思っておりましたから」
「そういうことなら、いま居るスタッフも同席させましょう」
「お手数掛けます。では後ほど」
渡辺は高級そうな菓子折りを土屋に渡すと、何度も頭を下げながら廊下をの角を曲がって行った。
「オフィシャルサポーターってやっぱ芸能人なんですよね? 誰なんですか?」
「期待してくれていいと思うよ。何しろ・・・」
「何しろ?」
「鉄心先生のご推薦だからねぇ・・・全く、あの人は・・・」
土屋は、今日何度目か分からない溜め息を吐いた。子供達で手一杯なのに、上がアレなのだ。長田が残念そうな顔をするので更にテンションが下がる。もう、誰が来るのか説明するのも面倒臭くなってしまった。
「という訳で会ってからのお楽しみだ。そろそろ来る頃だと思うが」
作戦会議をしていた部屋に長田を呼び、彼等はオフィシャルサポーターなるものを若干の緊張と共に待っている。お茶と先程貰ったお菓子もスタンバイはOKだ。いきなり芸能人が来るといわれた長田は興味津々でドアから目を離さない。
ノックがした。
「失礼します」
最初に渡辺が入り、その後に続いて女性が入って来る。その瞬間だった。
「あ」女性が驚いた様に目を見開き、「あっちゃー」と天を仰ぐ。
「げ」長田は何故か顔を顰めた。
「どうしたんだ?」
「失礼しました。ちょっと動揺しまして」
「俺の方もちょっと。すみません」
怪訝そうな顔でそれを見る土屋と渡辺に、二人は慌てて取り繕おうとしたがまるで成功していなかった。
「もしかして、知り合いなのかい?」
elicaは答えようと声を上げかけ、物問いた気に長田を見る。長田が軽い嘆息と共に頷いたので、改めて口を開いた。
「まさかこんなところで会うとは思わなかったので。少し驚いちゃったんですけど。
あなたが土屋博士・・・ですよね? TRFビクトリーズの監督でいらっしゃる。
私がこの度、WGPのオフィシャルサポーターを任命されたelicaです。宜しくお願いします」
にっこりと微笑み掛けられて土屋は年甲斐も無く照れた。
「あー、私が土屋研究所の所長をしている土屋です。
ご存知の通り監督をやっております。それで彼が、ウチでGPチップを担当している長田ですが」
知り合いなら改めて説明するのも妙な話だ。何と言った物かと長田に向かって首を傾げると、大丈夫です、と頷く。
「どうも、長田です。・・・あー、ちょっと聞いてもいいですか、elicaさん?」
「えぇ。どうぞ」
芝居がかった他所々々しい言葉に、elicaはこれまた先程の態度を忘れ去ったかのように澄ました顔で応じた。
「そのサポーターというのは、今シーズンずっとですかね?」
「えぇ。契約は来年の冬までということになっています。そうよね、マネージャー?」
「あ、はい。そのように聞いています」
「・・・その間、結構顔を合わせたり?」
「御陰様で」
elicaは意味深に笑った。
「名誉会長には気に入って頂けて、なるべく日本チームとはコンタクトをとって近況をレポートするよう仰せつかっていますよ。ファイターの番組ではなくて、一般の番組ですけれどね」
「・・・それで、elicaさんの方はどう考えます?
ビジネスライクに行くかどうか、今、とても悩んでいるんですが」
「それは、長田さんにお任せしますわ。
元々、長田さんの働いていた所に後から私が来たのですから、長田さんの都合のよいようにして下さい。
ただ・・・申し訳ないのですが、私達の関係は明確にしておいた方が、無用なトラブルは避けられると思いますわ?」
「ですよねぇ」
長田は沈黙する。渡辺が遠慮がちに口を開いた。
「もし二人が親しい知り合いなら、行動には注意しないと、直ぐに記事にされますから気をつけた方がいいです。
あと、この場にいる私達には関係を教えて貰えると無用な誤解が避けられて有り難いですがね」
「・・・それなら」
俯いていた顔を上げた長田は肩を竦めて宣言する。
「いつも通りでいくわ、エリー。一年間これじゃあ息が詰まっちまう」
elicaもにやりと口角を上げた。
「あたしも同感よ、そう言ってくれて助かったわ秀三君。
それにしても、やたらミニ四駆に詳しいと思ったらまさかやってる張本人とは驚いたわよ」
「お前が番宣とか言って来た時点で気付くべきだったよ。
という訳で渡辺さん。俺と彼女との関係はただの友人です。
イワユル深いお付き合い等は一切ありませんのでご安心下さい」
「ごめんねぇ。この商売やってると男女関係が面倒でしょうがないのよね」
「かなり親しい友人みたいですね。親しいとそれなりに勘繰られるかも知れませんが・・・」
彼女の様子を見る限り、特に嘘があるようではない。しかし面倒事に発展する可能性があるため、渡辺は忠告を発したのだが、それに返って来た答に再び驚く事になる。
「そう言われたらザウラーズだから仕方無いって言って下さい。
俺達はそんじょそこらの彼氏彼女達よりずっとアツアツですからね」
「熱血を身上とするだけにねぇ。しっかし、まさか一緒に仕事をする日が来るなんて夢みたいだわ」
「本当なのかいelicaちゃん?! ・・・あ。
申し訳ありません土屋博士。ご挨拶に伺ったのに全然関係の無いことを」
あっけらかんと笑う彼女を問い質そうとして、渡辺は何とか踏み止まる。今はそんなことより優先させるべきことがあるのであった。elicaも脱線し過ぎたことに気付き、土屋に頭を下げる。「本当にすみません。貴重なお時間を・・・」
だが土屋自身も今の話には興味があったのか、特に腹を立てることもなく逆に質問を飛ばした。
「いえ、大丈夫ですよ。
私は全然知らなかったのですが、elicaさんはともかく長田君も、あの、ザウラーズだったと?」
「多分、その、ザウラーズですね」
「君達の年代的にはその位だしな・・・とすると小学校の時の強制参加の部活というのは・・・」
「よく覚えてますね! 主な活動内容は敵性の地球外無機知性体、通称機械化帝国からの地球防衛でした。
ご存知の通り彼女が司令官で、俺はメカニックを少し」
思わず絶句してしまった土屋に、elicaは申し訳なさそうな顔をした。
「強制参加の部活とは巧いこと言うわね秀三君。世界を救うボランティアより、らしいわ」
土屋はもう何年も昔の事件を思い出した。それは地球が(そう、それは一国家ではなく世界の全てを巻き込んでいた)、幾つかの特異な勢力から立て続けに侵略を受けたという人類史上に例の無い事件である。
幸いそれぞれの勢力の来襲時期はバラバラであり、故にそれらが手を組むことは無かった。また初期の侵略目標となった日本の特定地域に被害が集中した為、非常に幸運なことに(日本が戦場になったのは非情に不運なことではあるのだが)、地球という広大な領土を巡る争いにも拘らず世界全体で見れば損害は軽微であった。それは一連の出来事が戦争ではなく事件として扱われている事実にも表れている。この特定の侵略目標に固執する敵対勢力の不可解な行動は、日本の防衛に用いられたETとして知られるテクノロジーを、各勢力が殊の外に危険視した為と言われている。
ET(Eldran Technology)とは太古から地球に存在するという《統合意識体/エルドラン》の託した巨大ロボットに由来する技術、およびその敵対勢力から得た技術の総称である。ロボットの稼働に必要なエネルギーを無補給で産生し続ける機関や機体の自己修復能、また、敵対勢力の次元移動や物質変換等、その多くは未だに解明されていないが、一連の研究は技術革新を齎した。現在建造中の軌道エレベータも、ETなくして着工されることはなかっただろう。
正直、事件以前なら何を言っているのか分からないと頭の心配をされそうな内容であるが、どれも実際に起きてしまったありのままの出来事である。地球の危機に突如ロボットを引っ提げて現れた統合意識体の存在にも人類は十二分に驚愕したのだが、敵対勢力もまた《上位次元生命体/五次元人》に《隣接次元生命体/魔界人》、そして《地球外無機知性体/機械化人》という錚々たる顔触れとなっており、人類のこれまでの常識を遺憾無く張り倒した。侵略者達は20世紀末の世相を反映して《恐怖の大王の軍勢》とも呼ばれており、事件後に新興宗教が乱立したのは記憶に新しい。
そんな常識の通用しない侵略者達の技術レベルはいずれも人類を上回っており、その装甲に対して防衛隊(当時、時限立法により結成された地球防衛の為の軍隊)の攻撃は目立った効果を上げられなかった。これは市街地で使用可能な兵器に手段が限定されていたからとも言えるが、対抗手段が無差別大量殺戮兵器しか存在しない敵では勝ち目が無い。よって戦闘はETの行使者、つまりロボットの操縦者に頼らざるを得なかった。
ここからがまた特徴的な話である。
統合意識体は特に子供を選んでロボットを託すという性質があり、各勢力に対抗するためのロボット群はそれぞれ《地球防衛組》《ガンバーチーム》《ザウラーズ》と呼ばれる子供達により運用された。(ただしガンバーチームは常にマスクを被り正体を明かさなかったため、その体格や言動からの推測である)
当時のメディアはこの事態に騒然となり、コメンテーターのジャーナリストや教育者は鼻息を荒げて不甲斐ない防衛隊を非難したものである。また子供達ばかりが選ばれる理由として、自我が未発達であることがET使用の条件であるのではないかという憶測がなされていたが、現在これは否定されている。
そしてelicaは、地球外無機知性体からの地球防衛に貢献したザウラーズの司令官であった経歴が一般に知られていた。本人曰く、そんな経歴は何の役にも立たないということで伏せていたとのことだが、今や知らない者はないだろう。
長田がその一員であったことに驚きを覚えると共に、技術革命の最中にあってET関連の論文を一時期読み漁っていた土屋は、あることに思い当たった。基礎研究系の論文には必ずと言ってよい程この名が記載されてはいなかったか。Kojima TU, Kojima TA, Osada S、と。
「まさか君がETの申し子だったとはね、いやはや驚いたよ。論文には幾つか目を通した事があるが、君だったとは」
「あー、あれは忘れて貰えますかね。小島家の二人は天才ですが、正直な所、俺は凡人、オマケなんですよ。
今はもうETの研究には全然関わってないんで、期待してもマジで何にも出ないっすよー」
素直に感想を述べた土屋に対し、長田は苦笑して首を横に振った。彼はあまりこの話題に触れたくはないらしく、elicaも渋面を作る。長田を強引に連れて来た大学教授が以前防衛隊の研究所に勤めていたことに気付き、何か事情があるのだろうと察した。
「まぁ我々の仕事でETを使う機会はまず無いだろうからな」
「ミニ四駆を宇宙に飛ばすとかなら相談には乗れますけど、使い途がなさそうですしねぇ。
じゃあWGPの話を続けましょうか」
「え? あ、そ、そうだな・・・」
宇宙を翔るミニ四駆。土屋の心がちょっとだけ躍ったのは秘密である。
「これなら記事を書かれても問題無さそうだ。安心しましたよ」
一安心した渡辺は、電話がかかってきたので席を外した。フェリー上とはいえ、携帯電話は非情である。土屋は気を取り直し、TRFビクトリーズのメンバー表、マシンスペックのカタログを広げて各機の特性を簡単に説明する。
「博士、一ついいですか?」
「なんだい? elicaさん」
熱心にカタログを見ていたelicaが尋ねる。先程の一件でお互いに口調はすっかりくだけていた。
「他のチームは皆、同じようなマシンを使ってますけど、ビクトリーズは5台がバラバラ。何か意図があるんですか?」
「いや、特に意図はないね・・・元々が急な話だったから、マシンを用意する暇もなかったし、何より、いま居るメンバー全員が既に自分のマシンを持っているから、それを手放させることが出来ないんだ」
「そうするとWGP全体としての戦略は、各人のマシン特性を生かした個人プレイが主になると考えればいいんでしょうか?」
「いや、その・・・個人プレイを推奨している訳ではないよ。むしろチームプレイこそがWGPの要だと思ってる」
「では、あの異なったマシンをお互いに生かすようなプレイを指導されてるってことなんですね!
それはどういったものなんですか?」
「あぁいや、特にそういった作戦というか戦略があるという訳では・・・」
期待に満ちた女性の眼差しの圧力に、土屋の額には冷や汗が浮かぶ。言えない。何も考えてないなどとは、断じて言えない。
「エリー、その辺にしてあげてくれ。所長は今、悩んでいる真っ最中なんだから」
見兼ねて助け舟を出した長田が、メンバーが全く纏まらずチームプレイ以前の状況である日本チームの現状を説明する。
「皆にはまず協調することを知って欲しいのだが、説明してもどうにも通じなくて困っているんだよ」
話している内に再び情けなくなってきて肩を落とした土屋を長田はフォローしようとするが、良い言葉を思いつかない。余計な事をしてくれたとelicaを恨めし気に見ても、見られた方だとて彼女の責任ではないので心外そうな顔をする。だが多少の後ろめたさを感じたのか、やがてポンと手を打ってこんな事を言った。
「一つ参考になるお話がありますよ。秀三君、あの話をしてあげたらいいわ」
「あの話?」
「委員長がキレて最優秀パイロットになった話よ」
「・・・あぁ! 確かに子供心がよくわかる話だな。
所長、落ち込む事はありません、子供なんてみんなそんなもんですから!」
「・・・・・・そうかい?」
妙に自信たっぷりに頷くと、長田は話し始める。
「ザウラーズには、ロボットのメインパイロットが三人、サブパイロットが二人、移動用ジェットのパイロットが一人いました。
ある日、メインパイロット三人の間で、誰が一番優秀なパイロットなのか揉めましてね。
決着をつける為に、それぞれの機体を取り替えて出撃したんです。本当に優秀なパイロットは機体を選ばない、ってね」
「取り替えても大丈夫なのかい?」
「いいえ、専属パイロット制で機動も武装もまるで違いますからね。
車庫出し程度の繋ぎの操縦すら、パイロット以外に出来る人間は限られていました。戦闘なんてとてもとても。
そして主力ロボットが三機共そんな状態でピンチになったのに、喧嘩は収まるどころかエスカレート。
地球の命運が賭かっている自覚、まるでなしですよ」
「まぁ、それはパイロットだけじゃなくて、あたし達全員に言えましたけどね。
あたしも一度、無理に操縦しようとして痛い目見ました」
「・・・・・・うちの子供達より酷いな」
「でしょう?」
「止めなかったのかい?」
「あたしは勿論止めましたけど、聞く耳持たず、でしたよ」
「そうこうしている内に戦況は悪化。ついにジェットのパイロットが怒髪天をつきまして。
見てる方がドン引きするくらい怒り狂って、強引にパイロットをそれぞれの持ち場に戻しました」
「ちょっと待ってくれ。戦闘中だったんだろ? どうやって?」
「自機のパイロットを力尽くで退かすと華麗に操縦、別のロボットに接近して固定。
地上40メートルのコクピットからパイロットを文字通り引き摺り出して生身で飛び移りました。ちなみに命綱は無しです」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「更に同じ事を二回繰り返してパイロットを入れ替えると戦闘続行を宣言。文句言う奴ぁ一睨み」
これで喧嘩を続けられる奴は居ませんでしたよ、と笑った。つまり、と長田は土屋を見つめる。
「子供ってのは、ドカンと怒られないと目を覚まさないってことですね。
でもその内絶対気付きますから大丈夫ですよ、ってことです」
確かに地球の命運が掛かっている状況でそれなら、今の状況なんて大したことはない、ウチの子供達は何て良い子なんだと土屋は心底そう思った。そう思うと気が楽になり、この話をした二人の狙いもそれだったのだろうと気付く。
「いやはや気を使わせてしまったね。だが気長にやっていこうという気持ちになれたよ、有り難う。
まぁ監督としては、やはり厳しく指導するべきなのだろうが・・・怒るというのはどうにも苦手でね」
「いいんじゃないですか? それにしても、誰が怒るか楽しみですね。
J君とか、意外にキレたら怖そうだ」
周囲がドン引きするくらい怒り狂う様を想像して、そんなJは嫌だと土屋は心底思うのであった。
スタジアムに築かれた氷山から冷気が這い下りてくる。夏ならば涼の取れる光景だが、今は春に程遠い時節でありこの土地の緯度も高い。
「寒!」
目にも身体にも寒いコース脇で、長田は対戦相手の練習走行を見学していた。 ちなみにローカル局へ直行するというelica達とは港で別れている。隣では土屋が同じ様にコースを眺めていた。
「どうかね。他の国のマシンを見るのは初めてだと思うが」
「スケート滅茶苦茶上手いっすね。流石はロシア、感動しました」
「いや、そうではなくってね・・・」
だがなんと言われようとも長田の一番の印象は 「スケート上手い」であった。マシン特性? ド素人に分かる訳が無い。
「マシンの性能の看破はまだ無理ですよ。
ただチームワークは良さそうですね、今回はリレー方式だから、それがどう出るかですね」
「そうだな。チームランニングの必要が無いのは有利だが、リレー方式だとバトンタッチがネックになりそうだし・・・しかもコースはシベリアの氷。相手のホームコースも同然だ」
「スケート上手いですしねー。 このコースを造った人は凄いですよ」
「確かに氷の溶けにくいこの季節ならではのアイデアだな」
シベリアから空輸した氷を積み重ねることで出現した青白い造形は日の光に輝いている。このコースを見に来るだけで話の種になるだろう。
「これならコースデザインが決まる前でも建材が準備可能ですし、見栄えもいいし話題性もある。
でもその実は手抜き。頭いいですよ」
「各地の建設も急な話で大変だと聞いている。
コースは使い捨てになるが、時間稼ぎとしては上出来と言えるな」
「仕事人たるもの、こうありたいですねえ・・・それはさておき」
長田は一段と身を乗り出す。
「同じマシンだから同じ走りをする訳でもないんですね」
コース全体を見渡せる観覧席からだと、オメガ各機の特徴的な動きがよく分かった。
「あぁ。だがフォーメーションの組みやすさを考慮すると、通常は同じような走り方になるはずだ。
特にシルバーフォックスはマシン性能の不利をチームプレイで覆す程のチーム・・・あの動きは意図的にセッティングを変えているようだね。それも極端に」
「どうしてですか?」
「恐らく短時間でコースの情報を集めているのだろう」
その言葉に、長田は思わず声を上げた。
「GPチップの経験の並列化なんて出来るんですか?! 知らなかった・・・」
「いや、そうではないよ。GPチップではなく彼等自身の判断材料を集めているんだ。
そもそもこのコースはロシアの十八番。GPチップ上のデータを新たに取得する必要は無いだろう」
土屋は苦笑する。
「・・・そうか、君はまだ実感がないだろうね。
いい機会だ、このレースではよくシルバーフォックスを見ていなさい。
GPマシン性能とレーサーの関連について気付いたことを後でレポートにして提出すること」
「マジですか」
「うん、マジ。研究生だし、たまには課題を出さないとね。
レースはマシンだけで行うものではない。子供とマシンが協力しあってゴールを目指す。
運やコースとの相性、突発的な事故。不測の事態は幾らでもある。
そうした要素をコントロールするのはマシン性能ではなく子供達なんだ」
モーター音の方向を指して土屋は問う。
「いま走ってくるオメガをよく見るんだ・・・どうだね?」
「第3コーナーだけ、きれいに曲がりましたね」
「そして、ここで走行しているのは四人だけ。あそこに立っている彼がリーダーだな。
彼が全体を見て、メンバーがセッティングを変更、そして再チェック。ずっとそれを繰り返している。
そうやって仕上げたマシンの走りを、我々はマシン性能だと思う訳だが、果たしてその中のどれ程の割合がマシン本来の性能なのだろうね。時々不思議になるよ」
「研究してるんですね」
「そうだな。あの姿勢がうちの子供達にも少し位あれば・・・」
再三、肩を落とし始めるのを慌てて押し止めて長田は続ける。
「いえ所長のことですよ。だってこれまでGPマシンのレースは専門外だったんでしょう?」
「あぁ、まぁ。技術情報に目は通していたがね」
「でも対戦相手のチーム研究も確りやってるじゃないですか。忙しいのに尊敬しますよ」
ここで話題を換えないと土屋はまた落ち込むだろうと長田は思考を巡らせた。当面、チームワークの話は禁句である。一刻も早くビクトリーズには協調を学んでもらう必要がありそうだ。その為には誰かにぶち切れて貰う必要がありそうだが、やはりJに頑張って貰うしかないのだろうか。頑張れJ、全ては君だけが頼りなんだっっっ!
「そういえばシルバーフォックスは強豪なんですよね? それなのにどうしてマシン性能が悪いんですかね?」
とりあえず話題転換出来そうな台詞を思いついた。「あそこは色々あったみたいでねぇ」と、土屋が話題に乗って来たのでほっとする。その場凌ぎで振った話題だったが、それは中々興味深いものであったので耳を傾ける。
「シルバーフォックスの正式名称をはССР(エス・エス・アール)シルバーフォックスと言う。
Soviet Socialist Racing・・・つまりソ連時代からあった組織なんだが。
ロシアに体制移行する際に資金難に陥って、今は辛うじて運営されている状態らしい。
だから新しいマシンの開発は厳しいのだろう。恐らく渡航費も自費だ」
「それは世知辛いっすねー」
「だからどうしてもあそこはニューリッチの子供達で構成されることになる。
とまぁ環境的にどうしても経済力が必要だから実力者を集め難い中で、しかもマシン性能の不利を抱えたままで、よくこのレベルを保っていられるものだ。そうそう、彼等はよく《祖国の名誉》という言葉を口にするのだが、ああしたパフォーマンスすら必要とされるのは本当に大変だと思うよ。成金の新ロシア人と嫌われているようだからねぇ」
「よく知ってますね。話を聞いていたらロシアのファンになりましたよ。
てか、所長、ファンでしょう?」
「な、何を言うんだね君は。私は日本の監督だぞ?」
「本当に?」
「・・・今、海外で行われたレースやあちらの特集記事を鉄心先生に融通して貰ってチェックしている真っ最中なんだが、見ている内にね・・・マシンとレーサー、そしてチームの理想的な関係にこうぐっと・・・」
「・・・それにしても、倒れるのは時間の問題の様な気が、こう、ひしひしと」
「ん? 何か言ったかね?」
「いえ、何も」
この人は一体何時眠っているのだろうと、長田は舌を巻いた。
レース結果は言わずもがなで、二人のロシアファンを満足させるものであった。
チームワーク、これが日本チーム勝利へのキーワードである。
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蛇足
Q. 誰がぶち切れますか?
A. 黒沢君です。
Q. アンチ日本ですか?
A. そんなことはありません。
Q. ひょっとしてヤマもオチもイミもありませんか?
A. ストーリー性は期待しないで下さい。ごめんなさい。