2010年07月06日

塩尻要約筆記サークル「ペンペン草」との交流会(2)

グループの話し合いの中で、講座の受講生が年々減少傾向にあることに関して、講座はこのままのやり方でよいのかどうか、と心配する声があった。

社協の神原所長のお話。
受講生の減少傾向については、講座のやりかたとか、そういうことではなくて、主婦をとりまく情勢が厳しくなってきているのが一番の原因ではないか、特に最近の経済情勢は非常に厳しいものがある。子育てを終わってからも働かざるをえないという女性が増加している。

今日は皆さんと一緒にグループの中に入れてもらい、皆さんのナマの声を聞けてとても勉強になった。これからの自分の仕事に生かしていきたい。

・・・・・・・・・・・というお話でした。

交流会会場の保健福祉センターからの帰りがけに市役所の前を通った。
正面入り口に大きな立て看板があった。

「緊急経済対策支援相談」!

なるほどね、主婦の方々はみんなあっちの方へ行っちゃったのか・・・。
要約筆記ボランティアどころじゃないわけだ

いずれまた、景気が回復してくれば・・・と祈るより仕方ないのか。

  

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2010年07月05日

塩尻要約筆記サークル「ペンペン草」との交流会(1)

塩尻要約筆記サークル「ペンペン草」(10数名)、塩尻中途失聴・難聴者「なずなの会」(3名)、要約筆記奉仕員養成講座受講者(2名)、社協より神原所長が出席。2つのグループに分かれて茶菓をいただきながら交流した。

要約筆記を知ったきっかけ(要約筆記者)

・友人から「書けさえすればよい」と誘われた。実際やってみたらそんなもんじゃなかった。 騙された。でも騙されてよかった。自分の要約筆記を喜んでくれるナ者が居て嬉しい。
・手話をやっていたが、要約筆記の大切さを知り、要約筆記のほうに傾斜した。
・パソコンの設定を頼まれてやっているうちに要約筆記の世界へ踏み込んだ。
・広報を見て応募した。はじめは手書き班、今ではパソコン班。手書きの方がむずかしい。
・手話をやってみたが表情など難しかった。得意のパソコンを生かしてパソコン班へ。
・デイケアサービスの仕事で、耳の聞こえずらい方もいて、要約筆記の知識が必要となった。
・et ceera(エトセトラ)            
                             (to be continued)



・  

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2010年07月02日

ゲゲゲの女房(5)

「ゲゲゲの女房」にはまってしまった

連続ドラマにハマッタのは昭和33年の「バス通り裏」以来。

小さな庭を真ん中に
お隣の窓うちの窓
一緒に開く窓ならば
やあこんにちわと手を振って
こんな狭いバス通り裏にも
ぼくらの心がかよいあう
          (昭和33年、ホームドラマ「バス通り裏」)

♪まぶしい朝に苦笑いしてさ
あなたが窓を開ける・・・       
   (ゲゲゲの女房主題歌「ありがとうがいいたくて」)

共通するキーワードは「人情」、心のつながり。

「ありがとうがいいたくて」の歌が今、私の難聴の耳に聞こえてこないのが残念だ。  

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2010年06月30日

ゲゲゲの女房(3)

「ゲゲゲの女房」にはまってしまった。
連続ドラマにハマッタのは40数年ぶり、「バス通り裏」以来である。
字幕のある番組のありがたさ

NHKの人気連続ドラマには(この40数年間に)いくつかあった。昭和58年(1983年)の「おしん」もその一つ。

その頃はすでに難聴が進んでいて、セリフが聞きとれなかった。
ドラマを楽しむことができず、視なかった。

物まね番組の「顔そっくり部門」で、小林綾子そっくりさんの子がしばしば出ていた。
「ものまね」というのは、「もと」を知らないと笑えない。
だから、「おしん」のものまねも視ても楽しくなかった。

当時、TVによく出るそっくりさんがもう一人いた。(男の子)
「カケフくん」
これは笑えた。  

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2010年06月29日

ゲゲゲの女房(2)

ゲゲゲの女房にハマッテしまった。
結末はわかっている。
♪ 夜は墓場で運動会・・・ が放映されるのだ、きっと。

こんなにも毎日の放送を楽しみにするのは、昭和33年頃の「バス通り裏」以来。
あの頃は耳は聞こえていた。

今、ワクワク出来るのは字幕のおかげである。






  

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2010年06月28日

ゲゲゲの女房

私もハマッテしまった
「私も」というのは、最近このドラマの視聴率がじわり上昇しているとのこと。

視聴率上昇の原因はドラマの「時代」、すなわち「昭和ノスタルジア」とも。
松下奈緒・向井理の、これはずいぶん抑えのきいた演技。

字幕とセリフのタイミングがピッタリ。
セリフは頭の中で「音声に変換されて」聞こえてきこえます。


※ 今回より、文字サイズを大きくして、文章を短くします。
  

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2010年06月26日

日本決勝トーナメントへ(サッカー)

アナザータイム字幕放送がほしい

日本決勝トーナメントへ。それ、サッカー、サッカー、サッカーだ。
私は毎朝インターネットで数紙のコラムに目を通しているが、どの新聞も今朝は「エッヘン」といった感じで、同じような調子で書いてある。「日露戦争のときの日本(の勝利)を思い出す」などと言い始めたコラムもあった。ちょっと乗りすぎだ。日本経済新聞のコラムがサッカーを無視して経済の話題であった。(日経は)ある意味で見識が高いね。


それはさておき、リアルタイム放送の視聴(いや「視」だけしかできないのであるが)は、やはり疲れる。目でリアルの場面を追いながら、頭の中では15秒ぐらい前の場面を忘れないようにして字幕を読む。こりゃ、ちょっとした芸当だ。

リアルタイム字幕放送は字幕の遅れは仕方がない。諦めています。欲しいのは、「アナザータイム字幕放送」。つまり、リアルタイム字幕放送の番組を、もう一度、別の時間帯に、字幕を画面にあわせた形で放映できないものかどうか。

CS障害者放送「目で聴くテレビ」には「リアルタイム字幕放送」のほかに、「アナザータイム手話放送」という番組が新しく始まった。著作権法の改正でこの四月から、録画した地上波番組に手話を入れて別の時間帯に放送することが可能になったからだそうだ。




  

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2010年06月22日

高額補聴器

え!80万円!!

久々ぶりに松本へ行ってみた。駅前がなにか変わったなあ。以前よりもスッキリした感じ。そうか、地下道を取っ払ったのだな。歩行者が安全に渡れるようにと考えて作った地下道だったが・・・・。そもそも歩行者を地下道や歩道橋に追いやるというコンセプトが間違いだったんだね。車のみなさんがほんのちょっとの時間を譲ってくだされればよかったんだ。(それはさておき)

6年ぶりで補聴器販売店へ。今回は新しい店に行ってみた。
手話で「こんにちは」とやったとたんに、あわてて「書きポンクン」を持ってきた。
どうやら手話ができる店員はいないらしい。
実は私も本格的に手話で対応されると困るので、「書きポンクン」で少し安心したのだ。

入店するとすぐに、「これが今、一番評判のよい補聴器です。オススメです」と耳掛タイプを出してきた。
「いえ、私はもう障害2級だから、箱型でないとパワー不足だと思うのですが・・・」
「まあ、お試しになってください」

試してみると、箱型よりは少し音量は落ちるが、耳掛タイプとしてはかなり音量がある。
耳掛タイプなら卓球なんかやるとき便利だし、耳掛も一つ持っていても悪くないなあと私は、すっかり購入する気になった。

「で、お値段のほうはいくらなんですか?}
「片耳で40万円。両耳にするといいですよ」
「え?!両耳で80万円ですかface08!」

高額補聴器のことは、話としては知っていたが、あのときの店員の持ちかけようは「なるほど、これか、」と思わせるほどの鮮やかさだった。確かにいろいろの調整機能がついているのだが、パワーが不足しているから、その機能が(私にとっては)全然機能しない。役に立たない。役に立たないものは私は購入しませんと断言し「箱型は扱っていないのですか」ときいてみた。

「みなさん、今は箱型なんて使いませんよ」
「みなさんなんてどうだっていいのです。じゃあ、また」

というわけでした。長野難聴の「聞こえの相談会」で関先生が、「100万円近く出して購入したのに、結局は、それまで使っていた6万円の機種のほうがよく聞こえるという例はざらにある」と仰っていたことを思い出しながら帰った。

私は40万円の補聴器がダメだと言っているわけではありません。補聴器の効用には個人差があると言っているだけです。念のため。



  

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2010年05月30日

手話・あれこれ

手話・あれこれ(1)

難聴者にとって、手話ををマスターすることは至難の技である。手話サークルなどで勉強すればよいのではあるが、説明が聞こえないために、何をやっているのかわからない。サークルでは見かねて健聴の方が、内容を書いて渡して下さるが、そうするとこんどは、その方の勉強が邪魔されることになり、難聴者はどうしても遠慮がちになる。

ましてや高齢者は会場に出かける手段や健康に恵まれていなければ、なかなかサークルに出かけようという気が起こらないものだ。

その点、NHKの手話講座は高齢の難聴者にとって確実に手話の勉強ができる機会である。その手話講座「みんなの手話」も健聴者を対象とした番組であるから、かつては字幕がつかなかった。だから説明が理解できなかった。今ではかなり工夫さて、分かりやすくなっている。

「みんなの手話」とは別にNHKでは5分番組で「ワンポイント手話」という番組がある。日曜日、「みんなの手話」の時間のあとに続く。「難聴者のための手話」とも銘打っているが、たったの5分ではいくらにも短すぎる。まるで、ジャガイモのシッポのような存在だ。

短い時間に制約されるせいか、番組自体が「せかせか」した感じで余裕がない。「みなさんこんにちは、小林順子です」で始まるが、その「小林順子」の手話が難聴者にとっては速すぎる。そして、「難聴者のよく使う表現を学びましょう」と言っているのだが、あれはもう、手話を第一言語としている視聴者を意識しているのではないかと思うぐらいに速い。ついていけない。

「みんなの手話」の冒頭「みなさんこんちは。今井絵里子、エリーです」のほうがゆっくりしていて、むしろ高齢者・難聴者むけである。昨年度の「はやし・や・しょう・ぞーうデス」のほうがもっとよかった。でも昨年度の場合、正蔵のあとに続く手話の先生の「小椋英子です・わたくしは・・・」の手話がついていけなかった。あれは「小椋英子デス」で一旦切って、余裕をおいてから、次の手話をしてもらいたかった。

「スピード○○」とかいう英会話教材があって、ゴルフの石川遼選手に「ただ聞き流すだけでよい」などとと言わせているが。手話は言語ではあるが、英語のようなわけにはいかない。手話をただ「見流す」だけでなく、実際に真似してやってみなければ身に付かないと思う。そのためにはやはり、単語一つ一つの動作と意味を理解した上で真似したいと私は思う。

それにしても今井絵里子、「上を向いて歩こう」の手話ソング。彼女のステップは、さすがに本職、見事ですねえ。(2010/5/30)
  

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2010年05月29日

「辺野古」

「辺野古」

難聴者にとって苦手なのが「漢字」の読み方、一番困るのが固有名詞の読み方だ。普通名詞ならば辞書を引けばよい。しかし地名などの固有名詞は普通の辞書には載っていない。

難聴者は手話がわからなくても「手話ニュース」を見ているという者が多い。これは字幕に出る全漢字に「ふりがな」がつくからだ。手話ニュースはありがたい。しかし手話ニュースに出てくる固有名詞は数が知れている。たとえば「三田佳子」の「佳子」は「ヨシコ」なのか「ケイコ」なのか。息子さんのスキャンダルがあったとき手話ニュースで初めてその読み方を知った。有名人の「読み方」を知るためには、その有名人がなにか「ことを起こして」くれるまで待たねばならない。

昭和40年代ごろまでは「明星」「平凡」という、漢字に全部「ふりがな」がついている雑誌があった。食堂(定食屋とかウドン屋)には、必ずいっていいほど、置かれていた。醤油で汚れたページを開いて、芸能人や「おすもうさん」の名前を知った。

現今ではインターネットがあり、読めない漢字でも検索して読み方を知ることができる。ヤフーやグーグルの検索で、たいがいの漢字「読み」は知ることができるから、便利な世の中になったものだとは思う。

ところが、それでも困ることがある。アクセントがわからない。たとえば「辺野古」だが、アクセントの位置は順列組み合わせから、①のこ ②へこ ③への ④へのこ の4通りが考えられる。 ①は「屁の河童」というときのように第1音節、、②は「あの子」というときのように第2音節、④は「はんこ」とか「オグシオ」とか(ちょっと話題が古すぎるようだ)平坦なアクセントの場合である。

もう一つ、難聴者は音声として耳でとらえて脳に伝えることができないので、「へこの」と逆転してしまうことも多い。

いままでにも他人との話の中で、誰でも知っているような言葉を、とんでもないアクセントで読んだり、逆転して読んだりして笑われたことは何度もある。
難聴者はこんなことにも悩んでいるわけだ。

ところで福島さん、どうなるのだろう。「障がい者制度改革推進会議」の行方が心配だ。  (2010/5/29)
  

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2010年05月25日

「遅刻耳」「さんま御殿」

遅刻耳
            ・・・・長野難聴ブログ「さんま御殿」記事に関連して・・・・

「地獄耳」という言葉がある。辞書には「人の秘密などを、すばやく聞いて知っていること」(新明解国語辞典)とあるように、世の中にはこういう耳を持った方がいらっしゃる(特に女性が多いらしい)ようだ。「遅刻耳」は辞書にはない。筆者の造語である。

さて、難聴者が要約筆記通訳を利用する場合には、手話通訳のような「同時性」は物理的にありえない。発せられた言葉を文字で認識するまでにタイムラグがある。そういう難聴者の状況を私は「遅刻耳」と呼んでいる。

健聴者が「遅刻耳」を体験したければ、たとえばニュース番組を消音にして、字幕をオンにしてみれば実感できよう。

ニュース番組なら私達は、字幕が遅れて出てきても、それ相応の覚悟で見ているから大して苦にならない。しかし困るのはバラエティ番組など、「笑い」のタイミングが命といった番組である。、

長野難聴の「アルプス」68号「アルプス万華鏡」のコーナーで、「さんま御殿」という見出しのつぶやきがあり、またその文章は長野難聴の本日のブログにも載せてあります。

「リアルタイム放送ならばいざ知らず、そうでない番組も字幕が遅れて出るのはどういうことか」と、投稿者は嘆いて(怒って)いる。 (ぜひご一読を)

せっかく字幕をつけていただいても、それを読む人を嘆かせるるような字幕なら、ないほうがよい。むしろ、タイミングのよいテロップの方がありがたい。

字幕はありがたいが、みんなが笑っている場面で笑えず、「おまえらは遅刻耳だ」と、これえでもかとばかりに念を押されているような感じで、実に悲惨である。



  

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2010年05月22日

快挙!難聴者の補充裁判員

快挙!難聴者の補充裁判員!!

 新聞報道によると、奈良地裁の裁判員裁判で、難聴者が初めて補充裁判員を務めたとのこと。
概略は長野難聴のブログに書きましたので、是非ご覧ください。

これは快挙ですね。50歳代の女性の方だそうです。一度は辞退しようと思ったが娘さんの勧めで、参加を決意したとか。
拍手!拍手!ですね。読売、毎日という、わが国を代表する全国紙に
    「要約筆記」の見出しが躍った

しかも記者会見で女性は
    「支障はなにもなかった。頑張ってよかった」
と、さらりと言ってのけたのだ。

これを快挙と言わずに何が快挙か。

私はかねがね心配ではあった。様々な実験段階で、「要約筆記がうまく機能した」という報告がほとんどなくて、「これからの課題です」という逃げの報告が多かったと思う。そのような報告を何度も読まされて私は、「こういうときに機能してこそ要約筆記じゃないか。肝心なときに機能しないようで、何が要約筆記か」と、ガッカリしていたのである。

我々はただ耳が聞こえないというだけで、バランスのとれた常識はもっている。正義感も持っている。だから情報保障さえしてもらえば、このように社会のお役に立てるのである。

  

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2010年04月10日

「スザンヌ」

スザンヌ

普段、テレビはニュースとスポーツ番組以外はあまり見ない。だから誰でも知っているようなことを知らないで笑われることがしばしばある。バラエティ番組はほとんど観ないが、たまたま、なにかクイズ番組で「スザンヌ」という女性が出ていた。字幕付だったので見ていたが、髪は黄色っぽく外人のようで、クイズの回答がなんか、ハズレていて外人っぽく、私はてっきり外人だと思った。

「スザンナ」といえば、ほら、♪ ドレミッソ ソーラソミ ドーレミミ レドレー・・・でしょう。「オオ スザンナよ泣かないで・・・」というあれでしょう。だからスザンヌとういのも、スザンナと同様に欧米の名前だと思っていたのだ。

勘違いの原因は結局、音声情報がシャットアウトされた状態で字幕だけを見ているからなのだ。。  

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2010年04月08日

補聴器を外し平和な日に戻り

補聴器を外し平和な日をおくる

補聴器を装用していると、音は確かに大きくなって生活音もある程度は聞こえるのだが、いざ会話になると、言語として音声を識別できず困ってしまう。聞き返す。相手は大声になる。2度3度と聞き返すと、お互いイライラ。「もおいい」ということになる。

思い切って補聴器をはずすと気が楽だ。私は家庭では補聴器は装用しない。家族は手話ができない。だから家族には、できるだけ身振り手振りをつけて話すように要請している。その身振り手振りがたまたま手話と似ている場合がある。そういうときは「手話単語と同じ!すごいね!」とほめてあげる。そういうときはとても楽しい。どうしても通じない場合は紙に書いてもらう。私はそういうふうにして暮らしている。

  

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2010年03月14日

のりピーの手話

のりピーの手話

「いただきマンモス」「おめでたマンモス」「うれピー」「たのピー」などの「のりピー語」知られるあのタレント。1988年(昭和63年)全国高校野球選手権での入場行進曲が「夢冒険」であった。ちなみにこの年」の長野県代表は中村良隆監督(現在佐久長聖高校)に率いられた上田東高校。街角に貼られていた大会ポスターには、たしか、「頑張れ球児・のりピーが見ているよ」とあった。

1955年(平成7年)、日テレのドラマで「星の金貨」を主演して、大ブレーク。その年の紅白には、「碧いうさぎ」を、手話を交えて歌った。おそらくあのタレントが初めてでしょう、紅白で「手話」をやったのは。

その後のなりゆきに ついては皆さんご存知の通り、現在謹慎中である。

本題に入ろう。 「星の金貨」でヒロイン「彩」、ろうあの少女の役を演じたのりピーの手話の話である。ドラマに人気が出て、手話がクローズアップされてきたとき、「ろう者」からクレームがついた。「あれは’ろう者’の使っている手話ではない。ろう者の手話とは、あまりに実態が違う」と。

私は、当時、ろう者が何ゆえにクレームをつけているのか、事態がよく飲み込めなかった。手話についての知識がなかったからである。現在なら、「なるほど、さもありなん」と理解できる。確かにろう者の使う手話はスピードが全然違う。

そういう意味でいうなら、現在私を始めとして難聴者の多くが使う「手話」は「手話」ではなく、のりピーがドラマで使っていたものに近い。ETBテレビ「みんなの手話」で林家正蔵が演じている「手話」である。

私達難聴者から見ると、ろう者の手話は全くの外国語である。とてもマスターできそうもないが、それはそれでよいのではないかと思う。手話通訳者は、ろう者を支援するわけだから手話をマスターする必要があろう。しかし要約筆記者は「のりピーの手話」で十分であり、難聴者はそのほうが「うれピー」なのだ。

追記:「ゆずり葉」には、西村知美はじめ多くの健聴者の手話支援者の賛助出演があるが、もしノリピーも出演していたら「撮りなおし」となるところだった・・・でしょうか。映画を作る前からわかっていて、外されたのでしょうか。とにかく「ゆずり葉」は被害を受けず幸運だったね。  

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2010年03月08日

確定申告

難聴者における確定申告

定年退職後の年金暮らしである。毎年、確定申告の書類を作り税務署へ持っていって、指導を受ける。3月にずれ込むと税務署も混んでいて、番号札を持って並ぶ。番号を呼ばれたときにすぐ分かるようにと、自分が難聴であることを後ろに並んでいる人にお願いしておく。
税務署の係りの人も、ずいぶん丁寧で、筆談に応じてくれる。年金所得だけの簡単な内容なので、毎回ほとんど修正されることもなくパスしている。

「確定申告はE-Taxで」のキャッチフレーズにつられて昨年、合同庁舎でE-Taxの講習を受けてみた。勿論要約筆記の派遣をお願いして付いていただいた。たしかに、一度E-Taxをはじめてしまえば、毎年簡単であることはわかった。

しかし、E-Taxによる申告に切り替えるには、その前段として、まず、市町村の役所へ行って「住民基本台帳カード」(電子証明書)を発行してもらわなくてはならない。さらに量販店へ行って「ICカードリーダー」を購入して、パソコンにインストールしなくてはならない。難聴者ゆえ、この二つの準備にとまどう、というか気が重い。市役所での会話はどうするのか、量販店での会話はどうするのか、私は車がないから、どうやっていくのか、考えただけでも気が重くなるのである。

さらには、源泉徴収票や病院の領収書などの「添付書類」は3年間保管しておかねばならない。なくしちゃった場合はどうなるのか、さらにややこしいことになりそうだ。一年一年で完了させていったほうが気楽ではないか。

結局E-Taxは年金生活者にとっては、「牛刀をもって鶏を割く」(論語)の類てあると結論した。

なお、「確定申告の手引」をよく読むと、ありとあらゆる場合を想定して、その各々の場合に分けて計算の仕方を書いてある。税金が公平になるようにというコンセプトだからだろう。国会で偉そうに「納税の義務」などとほざいている輩に一度読ませたいものである。   

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2010年03月06日

筆談ホステス

長野難聴の機関紙「アルプス」に、「アルプス万華鏡」という読者のコーナーがある。投稿者が多いときはよいのだが、投稿記事だけで紙面が埋まらないときには、本当に苦労であった。「あった」と過去形で書いたのは、筆者(六万石)も寄る年波と持病の心臓不安には勝てず、今年の4月からは、「アルプス」編集を若い気鋭の方に編集をバトンタッチしたからである。それはさておき、「万華鏡」の投稿原稿の少ない場合は、編集者自らパソコンに向かい、記事をこしらえて匿名やペンネームでページを埋めてきた。

この六万石ログには、長野難聴のブログに載せられないような話題や裏話のようなものを載せている。昨日は、「アルプス」66号の「万華鏡」から「筆談ホステス」の話題をピックアップしてこの「六万石ブログ」に載せようと思って書いた。ところがパソコン操作上のミス(切り替えスイッチのミス)でその記事が、長野難聴のブログの方に入ってしまった。気楽に書いたものだから「ちょっとばぶねーかなあ」とは思ったが、削除しないでそのままにしておいた。

今朝パソコンを開けて、長野難聴のブログのアクセスカウンターを見たら、日頃の数倍の来場者が記録されていた。長野難聴ブログとしては「爆発ヒット」となった。これは多分、「ホステス」というキーワードにつられて不純な(?)動機のPV(ページを訪れた者)も含まれているにちげえね。

動機が純であろうが不純であろうが、それは一向にかまわないのであって、とにかく長野難聴の存在を知ってもらう契機となればそれでよいのである。興味のある方は、長野県 中途失聴・難聴者協会のブログで「筆談ホステス」を読んでみてください。面白くもなんでもない記事ですが・・・。(2010/3/6)
  

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2010年03月02日

嘆いてなんかおりません

耳鳴りというのは不思議なもので、キーンとかジャーとか様々な音が入り混じって、難聴者を四六時中悩ますものです。しかし筆者のような「ベテラン」になると、その耳鳴りを音楽とか歌に変えてしまうという裏ワザがあるのです。

実は昨日から耳の中で奏でられている歌は・・・・

♪ トンガリ帽子の鈴鳴らし 水玉模様のピエロ服
  おどけおどけて街ゆけば そっと柳が肩なでる
  花のさかりのサンドウイッチマン いろんな訳はありますが
  みなさん何にも聞かないで 読んでください プラカード

・・・・ この歌はたしか昭和30年代、筆者がまだ聞こえていた頃の歌、
題名は「娘サンドイッチマン」、「雪村いづみ」が歌っていたものです。

耳で、というよりも頭の中で、一旦この歌がなりだすと、変えようとおもわない限り一日中とまらない。勿論、自分の意思で曲目は変えることはできるが、こんどはその変えた歌が止まらない。要するに耳鳴りが止まらないということですが。

「娘サンドイッチマン」の2番はどうだったか、あまり定かではないが、確かつぎのような歌詞があった。

♪ 今日で3日目サンドウイッチマン 嘆いてなんかおりません
  みなさん私を見るよりは 読んでください プラカード
                                              2010・3・2  

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2010年03月01日

再開します

本日より再開いたします。

長い間、休ませていただきました。

このブログを中断していたそのわけは・・・・・

♪ いろんな訳はありますが みなさん何にも聞かないで  読んでください プラカード・・・

私が難聴になったのは昭和30年代の後半、東京オリンピックのころでした。

当時、「補聴器」というものが世に出たばかりで、東京の司町まで買いにいきました。

初めて補聴器を購入したとき、「補聴器はこれから日進月歩、どんどん良くなりますよ」と言われて意を強くしたものです。

確かに補聴器はそれ以後、次々に新しい製品が発表された。しかし補聴器の性能がよくなったとか、補聴器を新しく買い換えたらすごく聞こえるようになったとか、そういう実感は全くない。逆に言うならば新しい補聴器が出るたびに、私の難聴が進んだとも言えよう。

補聴器が開発されて、障害の程度が軽くなるだろうという考えは甘かった。

今では2級の重障害者で、自分の話す声も聞こえない。補聴器は自分の声を聞くためだけに装用している。

補聴器(あるいは人工内耳)という手段で障害の程度を軽減することができないとすれば・・・絶望か?

いや、そんなことはない。決して絶望ではない。なぜか?・・・要約筆記通訳というシステムがあるからだ。

さらに、難聴者に対する世間の意識が変わっていけば、障害は確実に軽減されるはずだ。その延長線上に、「障害が障害でなくなる」という社会がくるだろう。
 
              === 長野県 中途失聴・難聴者協会 機関紙「アルプス」掲載



  

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2009年03月03日

難聴の「体験談」とはなにごとか

「体験談」とはなにごとか。

「難聴の体験談をお願いします」という依頼が最近、大学とか地域の福祉団体から多い。文字通訳(要約筆記通訳)というものの存在が世に膾炙されるような努力をしたいと思って、できるだけお受けしてはいる。 中途失聴・難聴者の者の実態を知っていただく機会を与えられるのは、ありがたいとは思う。
でも、「体験談を」は、ないでしょう。
「体験談」とは、たとえばエベレストに登った体験とか、受験に合格した体験とか、一定の過去のある空間において自分が文字どおり「体験し」たことを述べるものであり、その体験を語る時点においては、自分が体験していたそのときの時間・空間から抜け出て、違った時空間の中で述べられるものであろう。難聴者は、昨日も今日もまた明日も、この時空間から抜け出すことはできない。だから「体験」は語ることができない。
「難聴者が要約筆記サービスを受けた時の体験談をお話ください」ならよい。
「難聴者の日常生活をお聞かせください」ならよい。
難聴者は、健聴者の想像もつかない「異次元空間」に暮らしている。お伝え出来る部分をお伝えし、それが「共生」というイデアを理解するためのお役に立てることは大変ありがたいと思う。しかしそれは「体験談」ではないのです。  

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