2010年08月06日

塩尻要約筆記「ぺんぺん草」との交流会(於 「えんぱーく」)

「えんぱーく」見学会

塩尻要約筆記グループ「ペンペン草」の8月例会は
私達難聴者との交流もかねて、
この8月にオープンした市民期待の「市民交流センター」(愛称「えんぱーく」のお試し見学会でした。

10時~11時までは、「えんぱーく」の301室での勉強会。
当番の者が読む新聞記事の内容を要約筆記して
難聴者に伝えるという、地道な練習課題。

結婚式場の控え室のような明るい部屋での研修に
キョトキョトと見回し、そわそわとした感じでもありました。

11時から、「えんぱーく」職員のSさんのご案内で
3階→屋上→1階→2階の順で、見学しました。

総合受付「嬢」をやっていらっしゃたのは、なんと、
ペンペン草の誇るエースT美さんでした。
   「嬢」とカッコつけたのは、別に他意はないです。読み飛ばしてプリーズ。

T美さんは要約筆記にも手話にも対応できるということで
乞われて、望まれて、「受付嬢」として抜擢された。
拍手・拍手!

Sさんは、「ペンペン草」の美女連の質問にタジタジで、
少々上がり気味で、ハンカチで汗をふきふきの案内でした。
それがまた個性的で、すごく好感。

実は、「えんぱーく」建設にあたり3年前、
センター長さんに私は、(塩尻の中途失聴・難聴者難聴者を代表して)次の2点をお願いしておいた。

1.耳の不自由な者に配慮して、文字情報を保障してほしい。
2.火事などの災害時には、放送だけではなく視覚による誘導がほしい。

1.についてはSさんが、
小回りの効く「携帯型電光掲示板」の扱いを実演され、
状況に応じて柔軟に対応していただけることが明らかになった。
心強かった。

2については、災害時、天井の白色系のライトが誘導するという画期的なシステムが説明された。

ユニバーサルデザインとはまさにこのことで
センター長さんが私達との約束を忘れずに、要求のすべてを実現してくださったことに感謝したい。

なにより、総合受付嬢として、
「ペンペン草」の仲間を抜擢してくださったこと、快哉を叫びたい。


  

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2010年08月05日

美川憲一

「いくらか耳が不自由だな」と気づいたのは東京オリンピックの頃から。
でも、
昭和40年代の前半までは、けっこう、エンタメやテレビの歌番組などを見ていた。
昭和50年代からは、視聴するテレビは
ほとんどニュースとスポーツ番組のみとなった。

耳に聞こえていた歌で言うと
「柳ヶ瀬ブルース」が最後。

テレビに字幕が付くようになった現今
30数年の空白の後
最近、字幕付のドラマやエンタメを見るようになった。
まるで浦島太郎のようである。

聞こえる時代に活躍していたタレントはもういない。
いや、まだ出ている人がいる。

美川憲一。

デビューの頃は、すこぶるまじめな好青年と記憶。
今はすっかりイメージを変えている。

イメージを変えて生き残っているのはエライ。

私はカラオケを強要されたときに、
現今の人たちが全然知らない歌
たとえば「霧の中の少女」(久保浩)などをやると
坐がシラーとなってしまう。

「柳ヶ瀬ブルース」なら大丈夫。
現今のカラオケはスクリーンに歌詞が出て、誘導もついている。
「アメノフルヨルゥーワー」と歌い出すとやんや、やんやである。

美川憲一さまさまだ。








  

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2010年07月31日

要約筆記は「脳代わり」

(昨年の話であるが)
インターネットの画面が急に出なくなった。
ディスプレイに「このページは開けません」と出て、それけりなり。
これはもうパソコンオンチの私の手に負えるはずがない。

難聴者はこのようなときに、すごく困るのである。
電話ができないから。

老家族に頼んでプロバイダーに電話してもらった。
ところが、くだんの老家族、パソコンの知識は全くなく、
全角と半角の区別もできないし、パソコン用語を知らない。
知らないから、電話が聞きとれない。

いや、耳には聞きとれているのだろうが、
内容が脳に伝わっていないから、
プロバイダーの指示がわからない。

私はあきらめて、電話を若家族に代わってもらった。
指示に従ってコントロールパネルから、
なにやら分からぬうちに
あっという間に接続は回復されてホッとした。

ことほど左様に、

要約筆記は単なる「耳代わり」ではないのである。
「脳代わり」なのだ。  

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2010年07月29日

森さんのこと

過日亡くなった京都大学・森毅(つよし)先生。
翌日の全国紙、朝日・日経・産経の3紙がコラムで
森さんの追悼を張っていたのには驚いた。

森さんは「関数空間の位相の構造」研究を専攻していた学者。
というよりも、肩肘はらない、しなやかな思考と論評。
「ええ加減がおもしろい」、
「まあええやないか」、
「ぼちぼちいこうか」
などの著書。


実は、この六万石ブログで連載中の「明日泥棒」の頃、すなわち昭和48年、
私は、難聴のため仕事に行き詰まり、一時休職して、
英語教師から一転、数学教師になるための勉強中だった。

「数学教育協議会(数教協)」の研修では、何度もその講義(というか雑談)を聞いた。

難聴のために、聞いていてもよくわからん。
講演でわからない場合はどうすればよいか。
神田の書店街をさまよい、関連する書物をあさりまくった。

当時はノートテイクなどというシステムがなかったから・・・、と言うわけではない。
たとえ現在のように大学でのノートテイクのシステムがあったとしても、森さんの講義にはあまり役立たなかったのではないかと思う。

「数学は何のためにやるのか」という学生の質問に答えて

「数学なんかやってもムダやからや」
「ムダでもやるのが若者や
と一喝!


私の、追い詰められた人生のなかでのオアシス。
まるで昨日のことのように思い出す。





  

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2010年07月28日

「明日泥棒」(1)

テレビの画面が、字幕付の画面から字幕の付かない画面に切り替わった瞬間の、あの感覚。
私だけでない、全国の何万とも、何十万もいう難聴の者が、やはり同じ感覚にちがいない。

SF作家・小松左京に「明日泥棒」という作品がある(昭和48年)。
日本、いや世界から「音」というものが一瞬に消えた・・・という設定のSF小説。

少し引用してみよう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・だがその時、ぼくは、(電話の)ダイアルを回している音が、突然フッと聞こえなくなったのに気がついた。耳が変になったのか、と思って、首をふってみたがもと通りにならなかった。

たった今まで、やかましくきこえていた杭打ちの音も、モダンジャズも、なにもかも聞こえなくなり、ただジーンという耳鳴りがするばかりだった。

あとから考えてみれば、これが日本中を・・・いや、後に世界中をひっくりかえすほどの大騒動になった一連の事件の、ほんの序曲だったのである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この続きはまた明日。

  

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2010年07月27日

♪ゲゲゲの鬼太郎 はじまるよ

「至福の時間」というのがある。
それは「ゲゲゲの女房」を視聴している時間。

高度難聴だから「視聴」の「聴」はおかしいか。

いや、おかしくはない。

「字幕を読む」という感覚ではない。
「字幕を読んでいる」などと意識していることはない。

どういうわけか役者のセリフが音声に変換されて脳に入ってきます。
男性の役者の声はは男性の声で、女性は女性の声で。
だから立派に「視聴」している。

8時に始まるテーマソングは聞こえないが
気持ち的には
「♪ゲゲゲの鬼太郎はじまるよ!」


8時15分。画面が「朝イチ」とかに変わる。
字幕がない!
いきなり電源をバシャと切られたような感じ。
有働由美子さんが口をパクパクさせている情景が
なんとも、コッケイですらある。
                                (有働さんゴメンナサイ)






  

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2010年07月26日

薄(すすき)川決戦

薄(すすき)川は美ヶ原に源を発する。
松本市中条で田川に合流、
田川は北松本のあたりで奈良井川に合流、
その奈良井川はさらに梓川と合流し
安曇野の押野崎で高瀬川と合流して犀川となる。
犀川はさらに千曲川に合流する。
「♪北に犀川千曲川・・・」と、県歌信濃の国に歌われている。

どういうわけか新潟県に入ったとたんに「信濃川」と名が変わる。

新潟は信濃でもないのに「信濃川」とは、
新潟のしょうは、なんとも思っていないのだろうか。

この信濃川水系の薄川が脚光をあびたのは
田中康夫知事(当時)の「大仏ダム」中止の時。
もう一つ、フジテレビ「白線流し」のロケ(1996年)。
             
                         <閑話休題>


その薄川の、ですよ、
左岸に松本工業高校
右岸に松商学園がある。

松本工業高校は
ちょっと奥まったところにあり
その野球練習場を知る人は多いとは言えない。

一方、松商学園は薄川右岸に隣接し、
いわゆる「土手ファン」の応援がひきも切らさず
にぎやかだ。

・・・・2点のビハインドで9回2死無走者から、あっという間に同点、
延長10回に逆転、その経過は、みなさんご存知のとおり。

画面だけを見ている難聴者にとって
大歓声が聞こえてくるような錯覚

スポーツ番組の場合、
字幕なしでも楽しめます



  

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2010年07月25日

♪ 闘わないやつらが笑うだろう

集金というような簡単な仕事でも難聴者は苦労します。
常会費のように、断られる心配のない集金は容易。
「交通安全協会」(いわゆる「アンキヨー」)の場合は任意の「ご協力」。
まずは「ご協力」なのか「拒否」なのか、
難聴者にとって、その確認が難しい。


はっきりNO!と言われ態度を示されるのは問題ない。
(別の意味ではすこぶる問題なのだが、そのことをここで論評するのは場違いなのであえて述べません)

いろいろなことを言って(当方は全然聞こえていない)、
YESだかNOだか分からない態度の人がいる。

難聴者泣かせである。

そういう場合、こちらは手話のようなもので対応する。
上目づかいに相手の目をみながら、両手の人差し指で×の形を作る。
そのサインに対する相手の対応により判断する。


要約筆記のお世話になったりとか
補聴器をインタフォーンにくっ付けなきゃいけないとか
そんなにしてまで難聴者が役員を引き受けるべきべきなのか

そういうことをい言う輩(やから)がいる。

そういうことを言う「バカ」がいるからおれは闘っているノダ。

♪ ファイト!闘うきみの唄を  
 闘わないやつらが笑うだろう  
 ファイト! 冷たい水の中を 
 震えながら登っていけ   (中島みゆき)



  

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2010年07月24日

インターフォーン

常会役員をやっていて一番困るのが集金などのための戸別訪問だ 。
交通安全の賛助協力金のお願いを昨夜から始めた。

最近はかなりの家が玄関にインターホンを備えてある。
ボタンを押すとチャイムが鳴り、家の中から訪問者確認の問いかけがある
箱型の補聴器は、このような時に便利でだ。
長いコードを伸ばしてインターフォーンのマイクにつけると、家の中からの人の声が「ガシャガサ」というような音で聞こえる。
機を逃さず、「常会の役員ですが」と声を入れる。たいがいはうまく行くが、時にはタイミングをはずしたりすることがある。
家の奥から玄関に人影が現れるとホットする。

要約筆記者の派遣申請内容として、
(市では)こういう場面までは想定していないだろう。
申請しずらい。

だから、遠慮して、自分ひとりで苦労しながらやっていいます。(いまのところ)

全戸を回るのに7日ぐらいかかる。
気の重い毎日だ。


  

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2010年07月22日

動員

地域の防犯研修会があった。(21日夜7時30分~9時)
特別に興味があって出席したわけではない。常会の安全防犯の役員だから仕方なく出席、つまり動員。

「動員」は、いやですね。労働組合でもしょっちゅうだったが・・・・。

要約筆記派遣制度のない時代には、動員されて参加する講演会など、話の内容がわからず1時間も2時間も我慢した。
我慢の限度をこえて、まさに虐待に等しいものだった。

昨夜の研修会(講演)も、別に良い話だったとか面白かったということではない。しかし要約筆記利用のおかげで、次々に書かれる文字で退屈さをまぎらわせることができた。つまり虐待されずに済んだということ。

講演の内容がどんなにつまらない場合でも、要約筆記のおかげで内容を知ることができるのは、そのこと自体、本質的に、とてもありがたいことなのです。


  

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2010年07月21日

聴導犬ではないけれど


   この犬は
   聴導犬ではないけれど
   いつも2階の部屋に
   いて 
   一緒に暮らして
   くれている

聴導犬のように
音を知らせてくれるのではないが
来客のチャイムの音に喜んで
部屋中をとびはね走り回る。
結果として、
聴導犬と同じ役割をしてくれている

勝手な子(犬)だが
役に立つ  

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2010年07月20日

短歌の散歩道


 


   うす紅に葉はいちはやく萌え出でて
    咲かむとすなり山ざくら花
                    (牧水)

       於 塩尻短歌館・歌碑公園







飼い犬を連れて歩める松林に赤彦水穂牧水の歌碑


広丘小学校から赤松林をぬって、短歌館、歌碑公園、北部公園へと続く道が散歩道
案内版に「牧水・喜志子 ロマンの道」とある。


  

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2010年07月19日

「この子は社交性がないもんで」

公園を散歩中の犬同士が仲良くなり、それがきっかけで飼い主同士が話を交わすようになり、・・・という芸能ニュースを見たことがあります。
塩尻市北部公園でも、犬を散歩させている人は多い。もちろん女性の飼い主も。
犬同士、お友達になりたいらしくて、私の犬も女性の犬も、リードをぐいぐい引っ張り近づこうとする。

「こんにちわ」
「こんにちわ」
この段階で、私が聞こえないことは、まだ悟られていない(と思う)。
なにやら話しかけようとしている女性。

「すいません。この子(犬)は全然社交性がねえもんで」

私はグイグイとリードを引っ張り、そそくさと、一刻も早くとばかりその場から逃げるのだ。

そういうことが何度も繰り返されて最近は、犬のほうも他の犬を避けて歩くようになっている。

いじらしい子だ。


  

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2010年07月18日

犬の散歩もメモ帳持って

「もも」という平凡な名前の小型犬を飼っています

一番気をつけるのが散歩のとき。
幸いに自宅から徒歩3分のところに公園があり、
その公園で気楽に遊ばせる。

飼い主の難聴が原因で犬を事故に遭わせてはいけないので
公園への往復は「抱っこ」して。

ときどき車が止まって道を聞かれる。

「(子供サッカーの試合会場)北部公園への道を教えてください」
地図とかインターネット上でみると
「北部公園」への道は吉田4区、一常会が一番ちかい。でも、一常会の、この迷路に道に迷い込んだら絶対に北部公園には行けないのです。
運動場は「すぐそこ」なのに
「通行止め」
「無視して行っても通行止め」

「はあ、それは一旦郷原通りに戻ってですね、短歌館への道、あの道を行くのです」

こういうことがあるので犬の散歩中でも、
筆談用具はいつも携帯しています。










  

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2010年07月16日

勝負?着

3年ほど前、長要連の機関紙で、「屁の河童」というタイトルの投稿記事を偶然読んだ。

・・・要約筆記利用者が(その利用中に)放屁してしまった。「失礼しました」とでも言ってくれれば、お笑いで終わるのに、その利用者はだんまりを決め込んだ。屁の河童とはこのことか? ・・・・・という、ユーモアのなかに利用者のマナーをたしなめる文章。

要約筆記個人派遣利用の際に利用者が、一番気を使うことは「屁の河童」のこと?
いや冗談です。

それは冗談ですが、私のような「高年部」となると、別なことが心配になる。

例のインドカレー、もとい、「カレーしゅう」。
「しゅう」と言う字を漢字で書くと、なんとなく紙面が汚れるので、ひらがなで書いた。

だから要約筆記利用の前日は風呂で入念に身体を洗う。
当日の朝、下着を全部取り替えていくのである。

涙ぐましいのだ。





  

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2010年07月15日

6Bの鉛筆

台所にも、居間にも、A6版の紙と6Bの鉛筆をおいてある。

勿論(家族との)コミュニケーションのため。

「今日はまたは雨だ。いやだなあ」
「これはおいしいね」

というぐらいの会話は手話というか、ホームサインのようなもので行うのだが、
買い物を頼まれたり、ちょっと込み入った話をするときには、どうしても筆談用具が必要になる。
筆談用具として、ホワイトボードや
市販の「書きポンクン」を使っていたこともある。
ペンもサインペンを使っていた時代もあるが、
キャップをはずしたり締めたりの作業を家族が嫌がって、
結局は鉛筆に落ち着いた。

100円ショップで売っている6Bの鉛筆でsる。
6Bだからかなり濃い。
力を抜いて書くことができる。

小6と中2の孫もお気に入りだ。

「昔はね、B29ってのもあったよ」
と、ちょっとオドカシテやった。



  

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2010年07月13日

本日は断片的に

「障がい者制度改革推進会議」は大丈夫なのか。(心配)                                  =選挙結果=

「今が勝負どき それゆけドンドン!!」と応援している  
アッキーナはもう出ないの?残念 
                       (「ゲゲゲの女房」)


またひとしきり 午前の雨が
菖蒲のいろの みどりいろ
眼(まなこ)うるめる 面長(おもなが)き女(ひと)
たちあらはれて 消えてゆく

たちあらはれて 消えゆけば
うれひに沈み 落ちてゐる
畠の上に おちてゐる
はてしもしれず 落ちてゐる

  お太鼓叩いて 笛吹いて  
  あどけない子が 日曜日
  畳の上で 遊びます

  お太鼓叩いて 笛吹いて  
  遊んでゐれば 雨が降る 
  櫺子(れんじ)の外に 雨が降る       
                         中原中也 「6月の雨」 

  

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2010年07月12日

T-コイル

補聴器のスイッチにはON・OFFのほかに「Tスイッチ」があります。昔は電話を使うとき、この「Tモード」に切り替えた。
TはTelefphoneの略字らしい。原理は、「磁気ループ」と同じで、音波を電磁波に変換して伝導する仕組み。
難聴者が仕事で一番困るのは電話だが、昔はTモードにしてで電話ができた。「昔は」というのは昭和63年以前。

平成元年、NTTは受話器から電磁波の出る機能を取り去った機種(プッシュボタン式)を発売。
前日まで聞こえていた電話がその受話器から聞こえなくなった。

(NTTは)大変なことをしでかしてくれたものだ。

私の職場ではありがたいことに、私一人のために1台だけ古いダイアル式のままの受話器を残してくれていた。
しかしケータイ電話も一般に使われるようになって、そのダイアル式受話器も平成7年、新しいプッシュフォーンに取り替えられた。
そのとき以来職場では自分で電話することができなくなり、電話は同僚に受けてもらわざるを得ないことになった。

今、手元にNTTグループ発行の「電話お願い手帳」がある。(たいがい市町村の福祉事務所においてあります=無料)
カードには「おそれいりますが、わたしのかわりに電話をかけていただけますか」などの文章が書いてある。
「NTTはこんなカードを無料で配布してくれて親切だ」と誰かが言っていたが、私に言わせれば
おためごかし」とはこのことだ

  

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2010年07月08日

塩尻要約筆記サークル「ペンペン草」との交流会(4)

健聴者とろう者の谷間で

聴力障害者で、身体障害者の登録をしているものは全国で約36万人。そのうち手話の出来るものは約2割です。

身体障害者手帳をもらうためには聴力損失70デシベル以上が条件です。実際には40デシベルぐらいから聞こえが悪くなります。諸外国では40デシベル以上が障害者とされています。

身体障害者手帳を持たないが耳が不自由だという人を含めると、全国の聴力障害者は推定600万人、補聴器店での統計によると1000万人を超えるとも言われています。そして、そのほとんどが手話ができないのです。

聴障者に対して手話による支援は定着していると思います。たとえば、ケーブルテレビで塩尻市の広報の番組がありますが、手話通訳がついていますね。でも、要約筆記通訳はついていない。そういうことはさまざまな場面で見受けられます。

手話の出来る人達は、ああやって助けに来てもらっているんだなあ、おらほうには、なかなな助けに来てもらえねえんだなあ、私はそういうふうに感じて、悲しくなったことがたびたびありました。

このような状況の中で最近、「要約筆記通訳」とか、「文字情報」とか、私達を助けに来て下さる方々がいてくださるようになってきました。大変心強く、かつまた、嬉しさでいっぱいです。                           
                     
                         難聴者を代表しての挨拶(concluded)

                               

  

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2010年07月07日

塩尻要約筆記サークル「ペンペン草」との交流会(3)

難聴者は理解されない(誤解されている)!
1.「しゃべることができるのだから聞こえているはずだ」」
2.「耳の不自由な人は手話ができるにちがいない
3.「補聴器を使えば普通にきこえるはずだ」

1.については.中途失聴・難聴者は人生の途中まではたしかに聞こえていたので、その音声を脳が記憶している。だから、現在聞こえなくても「音声」をだすことができるのだ。

2.については.中途失聴・難聴者は手話ができない。私も手話に興味をもちはじめて5年ほど経つ。挨拶ぐらいはできるようになった。ちょっと失礼な言い方になるが、ちょうど皆さんの英会話くらいのレベルだ。少し込み入った話になると全く使い物にならない。中途失聴・難聴者でも使い物になる手話をマスターした人もいるが、高齢者は無理。

3.については.補聴器はメガネと異なり、その効果は個人差がある。身体障害2級レベルになると補聴器の効果はほとんど期待できない。人工内耳も健聴者のレベルまで回復するものではない。       
                         難聴者を代表しての挨拶(前半)より
                                     to be continued
                                  

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