出演:月尾嘉男(東京大学名誉教授)
黒木奈々
東大名誉教授、元総務省審議官、ITの伝道師そしてケープホナーと様々な経歴・肩書きを持つ知の巨人・月尾嘉男さんが、現代を賢く生きるための文明論をわかりやすく語ります。
ドクター月尾・地球の方程式
第225週「ファッションは時代とともに」
(09年7/20〜7/24放送)
7月20日 「時代を映す水着」
ファッションは、ただの商品ではなく、私達のライフスタイルに応じて
どんどん変化していくものです。
水着を例にとって見てみると、文明開化後の初期の水着は
西洋寝巻風と言われ、泳ぐことよりも水遊びをする際の
肌を隠すことを目的としたものでした。
明治40年頃になると、泳ぐことが目的の水着が登場。
縞模様のデザインだったため、この水着は「シマウマ」と呼ばれたそうです。
その後、大正13年には百貨店の三越から本格的な水着が発売され、
徐々に水着は庶民へと広がっていきました。
1960年代にはイギリスのモデル・ツィッギーの来日でミニスカートが流行し、
これによって、日本人女性の肌の露出の抵抗感が薄れたと言われ、
水着に限らず、日本人のファッション観を大きく変えました。
バブル期にはハイレグ水着やTバックの水着など、派手な水着が増え、
バブル崩壊後はさわやかで落ち着いた「白い水着」が流行しました。
現在でも、スピード社が開発したレーザーレーサーなどの速く泳ぐための水着、
ユニクロが2004年から販売している低価格の水着など
様々な変化を遂げています。
水着だけをみても、こうして時代を反映し、
様々な流行を作り上げて行っているのです。
7月21日 「流行の発信地」
これらの三つのファッションブランド、
靴の『ミハマ』、洋服の『フクゾー』、バッグの『キタムラ』は
「ハマトラ・ファッションの三種の神器」と言われ、大変流行しました。
「ハマトラ」とは「ヨコハマ・トラディショナル・ファッション」の略。
横浜の名門女子大生たちが、地元の「元町」のブランドでそろえ、
清潔感のある、カジュアルスタイルの定番となったものです。
日本でファッションの発信地といえば「原宿」が有名です。
原宿には戦後、「ワシントンハイツ」と呼ばれる駐留米軍の宿舎があり、
輸入食料品などを扱うアメリカ風のマーケットなどがありました。
そこから異国文化が広がり、原宿の「オシャレな街」としての
イメージが形作られました。
1960年代「原宿セントラルアパート」という複合商業施設ができ、
そこには!V86=IB2!W$H8F$P$l$k
若者文化やサブカルチャーの発信地として注目されるようになりました。
さらに60年代後半、青山通りを中心に「TDC=東京デザイナーズクラブ」という
ファッショングループが活動をスタート。
こうしたデザイナーたちの活躍に加え1978年に「ラフォーレ原宿」がオープン。
原宿は日本を代表する流行の発信地となっていったのです。
以前はこのように、港町など外国文化に触れやすい場所から、
流行が作られていきましたが、
様々な情報が手軽に手に入るようになった最近では、
地方で独自のファッションを生み出していくという傾向にあるようです。
ファッション業界も、今や“地方分権”の時代だと言えるのかもしれません。
7月22日 「憧れの人を真似る」
1954年に日本で公開されたオードリー・ヘップバーン主演の
『麗しのサブリナ』ではヘップバーンが演じる主人公の
サブリナが着ていたパンツが流行し、
「サブリナパンツ」という新しいファッションスタイルが誕生しました。
当時、日本ではあまりファッション雑誌が
発売されていなかったこともあり、ファッションのお手本は映画でした。
1953年公開の映画『君の名は』では、
岸恵子さんが演じていた真知子という役の、
ストールを頭に巻いた「真知子巻き」というスタイルが流行。
1956年に公開された石原慎太郎(現東京都知事)原作の
映画「太陽の季節」(1956年)では映画に影響を受けた
「太陽族」と呼ばれる若者たちが日本中に出現するなど、
映画は俳優への憧れとともに流行を作り上げていきます。
また最近、インパクトのあるファッションとして
日本から世界へと有名になったのが「ロリータファッション」です。
2004年公開の映画『下妻物語』で、
それまで原宿を中心に一部の音楽ファンの間で流行していた、
人形のようなフリフリとした衣装を着た
「ロリータファッション」は全国へと広がりました。
これは1980年代にアイドルが着ていたフリルの付いている衣装、
「ドールファッション」が変化していき
現在の「ロリータファッション」が誕生したと言われています。
非現実的な憧れの人と同じ格好をしたいという願望は
時代を超えて、誰もが持っているものなのです。
7月23日 「雑誌が提案する美」
「ファッション誌」というのは常に世の中に新しいファッションを提案してきました。
戦後初のファッション誌と言われる『それいゆ』は昭和21年に創刊されました。
当時の雑誌は写真技術も乏しく、戦後で生活物資もまだ乏しかったため、
ほとんどの洋服がイラストで描かれていました。
この雑誌を創刊したのが、日本のファッションデザイナーの
先駆けといわれる中原淳一さんです。
中原さんは雑誌の中で、洋服だけでなく、髪型やアクセサリー、
かばんに帽子に靴といったトータルコーディネートを提案し、
戦後最初の「ファッションリーダー」として活躍されました。
その後、昭和45年に『an・an』、46年に『non-no』が創刊され、
この2冊は、ファッションだけでなく、旅行ガイドなどライフスタイルも提案、
アンアンやノンノを片手に旅する女性「アンノン族」という言葉が誕生し、
社会現象にもなりました。
また、昭和50年には『JJ』、56年には『CanCam』が創刊。
実際に大学に通う、学生モデル、いわゆる「読者モデル」が注目を集め、
さらにテレビ番組の影響などもあり、女子大生ブームが巻き起こりました。
近年では、1995年に『VERY』、そして2002年に『STORY』が創刊。
これは、かつてアンノン族だった、いわゆるアラサー・アラフォー世代の女性を
ターゲットにしたライフスタイル提案雑誌となっています。
現在では、メディアも多様化し、雑誌の販売部数も減少傾向にあります。
多様な情報が様々な手段で得られるようになったことで、
今までのように、一つの憧れの価値観を、みなで共有するという消費文化が
崩壊しつつあるという見方もできるのではないでしょうか。
ファッションは、ターゲットを細分化し、それぞれの好みにあった
「多様な価値観」を提案していくという時代に入ったのかもしれません。
7月24日 「日本人とファッション」
世界的にはファッションコレクションが行われる、
フランスのパリ、イタリアのミラノ、アメリカのNYなどが流行の発信地として
有名ですが、東京も世界的な流行を様々作り出してきました。
三宅イッセイさんや山本耀司さんなど
世界的に活躍をしているデザイナーもいます。
これまで見てきたように、日本人は流行に敏感でおしゃれ好きと言えますが、
それは、おしゃれになりたいという目的ではなく、
みんなと同じだと安心するという、
日本人のステレオタイプの考えからきているともとれます。
考えてみれば、日本人が一般的に洋服を着るようになったのは
ここ100年くらいのことなので、無理もないのかもしれません。
そもそも「流行」「ファッション」とは何なのでしょうか?
日本語の「流行」は「物事が川の流れのように分かれて広まる」という漢語から
良いことも、また疫病のような悪いことも広く広がる、
という意味として使われています。
一方、流行を意味する英語「fashion」は、
動詞で「創り出す」「築く」という意味があります。
また、フランス語の「vogue」のもともとの語源は
「帆を張って海を勢いよく進むこと」とあります。
つまり、「Fashion」「vogue」には、
自ら創り出し、進むことというニュアンスがあるのです。
ファッションとは自分のアイデンティティを表現するひとつの手段でもあります。
画一的にならずに、自分に合ったファッションを、
自分自身で作り上げるということも必要なのかもしれません。