それは逆転じゃない。順当な勝利だ。誇っていい。
つまり硬派厨の特徴ってことか
多分さ
こういう人が成功するんだろうし正論だとは思うんだけど
なんだかなーと思う
いや言ってることは正しい、って言うか、観察は正しいと思うんだけどね
あー
と思う
(1)人気がなくビジネスにならないため、著作権や出版権が著者に戻った本
「紙に印刷し製本して書店に並べるというビジネスモデルにおいて収益が見込めない」という部分への異論が発端でしょうから、そもそもおかしいとは言えないですよ。
電子化することで印刷製本、輸送、陳列のコストがゼロになり、他に利便性のメリットが付加された新たなコンテンツと言えるわけです。
P2Pファイル交換システムで違法性と逮捕のリスクがあったとしてもそれをするユーザーが絶えないという事実があります。
多数の読みたいというユーザーの需要が満たせたという満足感がメリットなのでしょう。
おそらく希少性が高いほど増すわけです。
廃止しないが形骸化させるべき
冤罪の可能性を考えると死刑を廃止すべきという論には一定の説得力がある。
しかし国民感情(参照)を考えると現実的には難しい。かつ世の中には怖じ恐るべき犯罪があり、死刑以外は考えられないものもある。(資料)
そこで死刑を判決させることを難しくする。手続きの公正を徹底するために可視化する。死刑の前段階として終身刑を設置する。
そのようにして冤罪の可能性を出来る限り減らす。場合によっては完璧に形骸化する(死んだ条文になる)。
1.取調べの可視化
2.終身刑の設置
3.裁判員の全員一致
→冤罪を防ぐためたとえ判決が出ても覆す可能性を残す。コストと時間がかかるが死刑の冤罪回避の必要経費といえる。
死刑は廃止せずこれら四つ成立させて死刑にすることを難しくするべき。
また四つまとめて通すことには無理があるから取調べの可視化から取り組むべき
以上
これは正論。特に友人選びに慎重になるべき。
最初はサークルに入るなりあとでゼミに入るなり間口を広げ、四回後期で進路が決まってきた面々から付き合っといたほうが良さそうなやつだけをピックアップ。
もちろん無い内定やアホとは縁を切る。
大学生になり自分が賢くなるに連れて親父の凄さが分かってきたところだった。本を読めば読むほど知識が増えれば増えるほど、政治経済から歴史に至るまで親父の知識の量と見識の深さに気付くようになり親父と話すことが一番の楽しみになり、話せば話すほど俺の考え方も知識も問題に対する切り口も論理構成力も一段上へと進化していっているところだった。自慢の親父で本当に尊敬していた。そんな時間が当たり前のものになっていた。
しかし親父は単身赴任をしていて50を過ぎているのに平日は一人で暮らしていた。週末帰ってくるので2日しか会えなかった。それでも平日は親父が購読しているメルマガから面白い部分を抜粋し俺転送してくれていて、週末帰ってきては趣味化しているコーヒーを豆から買ってきて自分で入れて飲ませてくれるのだがこれがまた最高に美味かった。
身長を高校生の時に数センチ抜かし体型はここ10年で明らかに太り、ハゲかかって前髪が後退した額は俺に将来の毛根の不安感を与えるのには十分だった。そんな日常は当たり前のものだと思っていた。
日曜日、俺はいつも通りバイトを終えて携帯を見ると着信が死ぬほど入っていた。
ー 親父が死んだ
そこからはよく覚えてないけど、心が折れた母の代わりに喪主を務め、葬式にきた人間からは「しっかりしている長男さんだね」とか「20歳なのに精神力強いわね」みたいなことを言われていた。
実態は、想像もし得ないことがあっさりおきたので気持ちの整理がつかなすぎて、感情が崩壊していたのだと思う。涙も出なければ死に目にあえなかったことも特段なんとも感じなかった。ただそこには、親父が死んだという事実しかなく、それを受け入れる準備ができていなかった分、その死がただただ自分の生にとって一つの通過点でしかないと本能的に感じていたのかもしれない。
親父が死んでも空の色は同じく、世間ではアホカップルが愛を誓い合い、時は流れ明日は必ずやってきた。しかし変化は微妙にあらわれる。
まず、平日、親父からメルマガが転送されなくなった。奇しくも、最後の転送されたメルマガは「戦争による死の矮小化」だった。土曜日がきても親父は帰ってこなかった。そしてコーヒーは入れられていなかった。しかたなく、自分で入れることにした。そこで始めて涙があふれた。
親父の記憶とともに膨大な後悔が脳裏に浮かび視界は水没した。こんなことすればよかった、こんなことしてやればよかったということ。もしこの日に死ぬと分かっていたのなら、もっと多くの時間をそしてもっと多くの感謝を形にしていた。その後悔が脳を壊し心がなくなったような衝撃が俺を襲い視界は真っ白になった。
俺は夢から覚めた。
あまりにリアルすぎる夢で焦ってリビングに行くと親父がコーヒーを入れていた。
「おはよう」
この日常が当たり前のものではなく奇跡の連続だと感じるようになった。
さすがに神が存在するのかと疑った。
ここまでリアルな夢を見るということ自体はたしかに縁起の良いことではないかもしれない。しかし、縁起が良かろうが悪かろうが、自分の家族、大切な人はいつかは必ず死ぬ。それが明日なのか20年先なのかはわからない。しかし、死なれた時にになって初めて後悔するのは馬鹿だ。大切な人が生きているイマを強く意識することで感謝を形にすることができる。その感謝の積み重ねがいずれくるべき時になり事実を受け入れることができるようになる。だから縁起がどうこうではなく、一度自分の大切な人の死をリアルに考えることが必要なのかもしれない。軽々しく死を扱うなとかは的外れな指摘だ。事実、命は軽く他人の死も一つの出来事にすぎない。
一方で自分の死んだ後を想像する人間もいるがそれは多いに間違っている。死後どう思われたいかなんて考える時点で宗教狂だと認定していい。死んだらそこで俺らの人生は終わる。死後にあるのは無であり実質そこには何もない。死後が現在を規定するというならどうやってそれを確認するというのだろうか。(これも一つの宗教なのかしら
死ぬの対義語は生まれるであって生きるではない。
生きるというのは状態であり対義語は死んでいるである。
だから、自分の生の流れの中に他人の死は起こり、自分の死はその生の流れを止める。
俺は常々目標や夢はその状態になっていないということが原因で自分に対するプレッシャーとなってブーメラン化する心の負債だと表現している。その原因は夢や目標といったものが極めて前向きであるからだ。今よりよくなるということを想定しているためどうしても向上的なものになる。しかし死について考える時、俺らはとんでもなく後ろ向きな仮定から始める。例えば「今日、母親が死んだ」とか「彼女が死んだと連絡があった」ということを考える時、俺らは、そうなってほしくはない未来について考えるためそれは心の負債にならない上に、もし本当に死んでしまった時への心構え、さらには後悔しないためにやれるべき事をやっておこうと考えるようになる。
せめて家族くらいに感謝を形にできないような人間に他人を大切にしたりましてや誰かを幸せにすることなんてできるわけもない。そういう意味で男女間の愛は金と性欲とで汚れ切った遺伝子のプログラムにすぎずそれを盲目的に信仰する人間たちの存在で世界は不幸になり続ける。
人生の一発逆転という悲しい夢 http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20101128 のエントリを見て。
自分は発展途上国の生まれではなく普通の日本人だが、スラム街からほぼ自宅勉強だけで有名大学に行って、
誰もが知っているような有名企業ではないがホワイトカラー的な仕事にありつけた経歴を持っている。
努力してたまたま上手くいったから悠長にこんな文章を書けるのだが、努力しなければ逆転の可能性は皆無なのは言うまでもない。
もちろん自分の能力だけではなく運による所が大きかった事まで否定する気はない。
逆転といっても大きな逆転ではなく、マイナス50からプラス10くらいになれた程度の事で最初からプラス30-50の立場にいる人に追いつけた訳じゃない。
前置きが長くなった。
スラム街っていうのはざっくりし過ぎた表現だけど、自分が育ったのは元記事の言葉を引用するなら「貧しくて学のない者たち」しかいない地域だった。
工場、零細土建屋、零細不動産屋、運送屋、場末のスナック、パチンコ屋、個人商店が地域の主力産業で、
地域住民は中卒高卒、たまにFランク大卒がいて作業服着用がデフォな人々で構成されていた。
そういう地域というのは宝くじもそうだが、酒、タバコ、漫画やゲームがよく売れて、サラ金、ギャンブル、外食、風俗、新興宗教、中古車屋、改造パーツ屋が儲かる。
ワークライフバランスが取れていて、ゆとりのある生活を送っている人は金を計画的に使うことができる。
しかし「学のない」「愚かで貧しく、現実に絶望している人」は精神的にも肉体的にも相当追い込まれるキツイ仕事をして少ない収入を得ているため、
出費の歯止めが利かない。わずかな収入を使ってでも現実逃避手段を確保しないと気が狂ってしまう。
例を挙げるなら、現実逃避手段を食事に設定している人は過食症気味になってブクブク太る。貧乏人ほど太るというのはこれである。
酒に設定している人はアル中になり、新興宗教に設定している人はそのままカルトな信者さんになる。
現実逃避手段の確保がうまくいかなかった人が家族殺し、一家心中、幼児虐待に走るのだろう。
そういうのが身近な世界にかつて身を置いていたためよく見える。
じゃあ、そういう世界から、抜けだしてまともな世界に行くにはどうしたらいいのか。
大学に行ったから将来の成功が約束される訳じゃないが、行かないとスタートラインに立てない。
大学に行くまでは自分と似たタイプと付き合うべし。多様な人間がいるから中学高校はどこでもいいとか言い出す人がいるが、
中学高校の多様な人付き合いなんて社会人目線で見たら全然多様じゃない。
自分と似たタイプ、似た境遇の人間が集まる環境のほうが一生ものの友人が出来る。
生まれ育った環境がクソな場合、まわりにいる低学歴者や貧乏人が
「真面目に勉強する奴キモイ」「ガリ勉カッコ悪い」「勉強頑張ってもいい事無い」「金持ちが幸せになれるとは限らない」
と色々言ってくるが、大半は自分の境遇を正当化したいだけの言い訳なので聞くに値しない。ウザイなら付き合いを切ること。
実際、成功者を僻んだり成功者の人格批判をするくせに、成功者が足を踏み外して落ちぶれたら卑屈な笑顔を浮かべて喜ぶ輩が
「学のない」「愚かで貧しく、現実に絶望している人」のコミュニティにはかなり存在する。付き合うほど損だ。
どこの学校か、どこの地域に住んでいるか、どんな仕事をしているかでコミュニティのレベルは全く変わる。馬鹿しかいないコミュニティにいて賢くはなれない。
福沢諭吉を批判する訳じゃないが、実際問題、天は人の上にも人の下にも人を造っている。人間皆平等とほざくのは安全圏に身を置いている金持ちのみ。
自分の生まれ育った環境がクソすぎると思っているなら、その環境を捨てる事を前提に考える。家族がクソなら出来るだけ自宅から距離を置くこと。
感情を殺せとは言わないけど、逆境というのは不愉快な思いのオンパレードなので、日々一喜一憂せずに淡々と成すべき仕事に専念しましょう。
あれの生え際の根元のフケが気になって気になってしょうがないんですよね。頭の毛より陰毛。
触るじゃないですか、
よく見るじゃないですか、
いやー、フケなんですよねー。
やっぱりフケだねということで、
湯船に使って勃起させながらコシコシしてるんだけど、治らないね。
波乱万丈の>>5の生い立ちでも聞こうぜ - まめ速
こんなまとめを見ていたら話したくなってきてしまった。ちなみに、これから振り返る人生を思うと、自分の場合は運とタイミングが良かったのかなと思う。努力と呼ばれる事はしなかったし、勉強だってそんな出来た訳じゃないし。
とにかく、話をしよう。
自分の場合は4歳で両親が離婚。なぜ離婚したのかは分からない(未だにはぐらかされる)。それで母親に引き取られた。
小学校に入って、小3まではぬくぬく過ごしていたけど(正直記憶はない)、小4の時に頭がちょっと長めというだけでちょっといじられたり、あとはUNOやってて勝てないからって手札を学校の窓から投げ捨てたり、友達の事を間違えて「お母さん」と呼んでしまったり、近所の兄ちゃんがチンコ触ってきたり、同級生の女の子がエッチっぽい事に誘ってきたり、ちょっとした波乱があった。
でもその後は小5の時に義理とはいえバレンタインチョコを貰ったくらいで、特に何もなかったな。友達もそれなりにはいて、トムとジェリーの間柄みたいな人もいたし(今思うとやりすぎたからかいもあった。本当にすまない>某T)
小学校卒業して、中学に上がるんだけど、小学校の頃は得意だった数学が苦手になってくる。数学と理科に関しては今も苦手。
せっかく入った運動部も3ヶ月で辞めてしまったり、色々挫折する事もあった。
そして、中2の頃に親が突然嫌いになって、家出を繰り返した。朝学校行く振りして、ひたすら遠くまで行って深夜2~3時に帰ってくるという生活を繰り返した。帰ってきてはいたんだけど、帰るのが嫌で嫌で仕方なくて、もう帰ってこないと決めて、片道分だけの電車代を持って、東京に行ったりもした。
でも、ぶらぶら歩いている時に警察官に見つかって、補導されて、家に連れ戻されたり。その時に親が泣いてるのを見て、なんともいえない気持ちになって、親が嫌いという気持ちはなくなっていった。
その後は成績が悪いながらも中学を卒業して、高校に入学して、ケータイも買った。これが初めての自分だけで使えるネット環境だった。
ケータイ買って、その日のうちにブログ始めて、1ヶ月後には炎上を体験して、3ヶ月後にはサイト作成を始めて、半年後には2chでウォッチされて……とにかく痛い人にはなっていた。でも高校生活自体はなかなか面白かった。オタクになったのもこの頃だけど。
高3になって、いよいよ進路ってなった時に、うちはお金がないから就職しかないと言われて、学校行く気満々だった自分としては「えっ」って感じだったけど、今となっては良かったのかな、なんて思ったり。
高校卒業して働きだした所は辞めてしまったけど、高校時代からサイト作成していたことを活かして、前から気になっていた所に転職出来て、今は幸せです。おしまい。
大学編
仕事編
家庭編
「広告」で稼ぐというが、今のネット広告の現状はかなり厳しい。
広告費は企業にとってカットしやすい経費ので、不況の影響をモロにうける。
広告媒体にとって重要なのは、M1、F1などどういった層に受けているのか。これが広告出稿のカギ。
詳細はJコミじゃないとわからないが、Jコミのユーザー層は、多分、男性中心でネットのヘビユーザーだろう。
残念ながら、そういう層への広告はクライアントも小さく、媒体の競争も厳しく、掲載費が落ちる傾向。
同じようなターゲット層のITmediaが社員をリストラしていることからも、その厳しさがわかるだろ。
Jコミが集めようとしている「絶版本」とは、そもそも何なのかという話。
(1)人気がなくビジネスにならないため、著作権や出版権が著者に戻った本
この(2)に関していえば、Jコミでも許諾が取れない可能性が高いため、
Jコミが集めようとしているのは、(1)ということになる。
通常、広告モデルを行うなら、どれだけ人気コンテンツを集められるかに、その成否がかかっているともいえる。
しかし、Jコミは逆。不人気コンテンツを集めて広告ビジネスをしようとしている。ココがそもそもおかしい。
ユーザーが勝手に作り出すコンテンツに広告をのせて儲ける。ネット企業なら誰しも夢みるCGM。
Jコミは、「絶版本」をユーザーにUPしてもらおうと考えているらしいが、それを行うユーザーのメリットは何?
ニコ動やpixivのようにコミュニティ化に成功しているのであれば、その場にコンテンツが集まる可能性もあるが、
漫画家が利益を得るために、持っていれば、その希少性から高価になる可能性のある、
絶版本を裁断してスキャンしてネットにアップするユーザーがどれくらいいるのだろうか。
最近のネットユーザーは、自分の利益や他人の利益といったことに非常に敏感。
この電子書籍がより普及してきたら、Jコミのような存在は、そもそも必要ないのではないかということ。
前述した絶版本の定義における(1)は書店に本を置けないことから起きる問題だ。
しかし、電子書籍が普及してくると、スペースは無限だから、こういった絶版本はなくなっていくだろう。
さらに今、絶版本になっている書籍も出版社側から電子書籍として再出版という話も出てくるだろう。
そうなったとき、Jコミが力を入れる「絶版本の保存」など意味がなく
そもそも、Jコミの社長である、赤松氏にとってこのJコミとは何なのか?という話。
もし、ビジネスでやっているのであるならば、「テストで失敗したら辞めます」なんて言っていたら間違いなくダメ。
広告代理店にとって、これは間違いなくビジネスで、必死に営業をかけて広告を取ってきているのだろうし、
広告を出稿するクライアントだって、安くない金をかけて広告費をだしているのだから。
こういう何かしらの意志を持ってはじめる事業の場合、関連する人たちの間での認識のずれによって
ほころびが現れ、どんどんダメになっていく可能性が高かったりする。
延坪島砲撃映像を即時公開した南鮮と、尖閣沖衝突事件の映像を未だに公開しない日本の差。
国家間の問題は、外交交渉によって解決するしかない。その際に後ろ盾となるのは、平和的な交渉であれば国際世論であり、軍事的な交渉であれば兵力である。
この現実に対し、尖閣諸島沖衝突事件において日本の政府与党は、国内の裁判法規を盾に、国際世論への工作を放棄し、中国に捏造されてしまった。
その首魁に対して問責決議案が出されるようであるが、未だに、国際世論に対する工作を放棄した事についての、説明がなされていない。裁判の証拠物件になったから公開できないとか、中国人船員・船長の釈放は検察の判断といった言い訳はでているが、一番肝心の、国益を背負っている立場にある者としての行動において、失敗と判断ミスがあった事について、明確な認識が無い。認識していないのだから、謝罪や説明の必要を感じていないし、不信任や問責を言いがかりであると反発するのである。
延坪島砲撃の発生以後の情報についても、政府与党が外されているのは、能力が無いという事から、情報を報告しても、まともな判断はなされず、状況を見守るとか、重大な関心を持って注視するといった、時間稼ぎが出てくるだけだからである。時間の無駄でしかない。ましてや、その情報が総連や民潭や中国に漏洩するとなれば、マスコミが報道するレベル以上の情報は隠匿しておくという事になる。
万年野党で、他人のやっている事に難癖をつけるだけしかやってこなかったから、政権についても、何も出来ないで見ているだけとなる。何も出来ないだけなら無害だが、野党時代のコネクションで情報を漏洩するとなれば、報告できるのはマスコミが報道しているのと同じ情報だけとなる。政権与党にさえなれば、無条件で信頼されて重要な情報が上がってくると思っていたのであろう。
それにしてもである。日本人が拉致されているのに、朝鮮学校を無償化すると言い、南鮮に対する無差別砲撃はけしからんから無償化を止めるというのでは、政府・与党にとっては日本人の拉致被害者よりも、南鮮人の方が価値が高いという事になる。さらに、朝鮮学校の無償化は止めるが、朝鮮王朝儀軌の贈呈は止めないようである。ソウルが焼け野原になる時に一緒に失われてしまうほうが、あの民族にはお似合いなのかもしれない。
南鮮の立場を全面的に支持するとか口走っているようであるが、竹島の不法占拠がある限り、南鮮は敵国である。今は、朝鮮動乱の再開に際し、日本に中立を維持して欲しければ、竹島を解決する事であると、交渉を捻じ込むべきタイミングである。
そのときの思いつきや個人的な思い込みで暴走し、周りの反応の激しさに驚いて、何とか理由をつけようとして、かえってドツボにはまっていくというのは、芸人がやる分には構わないが、政治家が国益を浪費してやっている姿というのは、腹立たしいだけである。
民間企業で働いた経験があれば、多少は交渉事の経験も積めるのであろうが、国益を背負って、暴力機関である軍隊をちらつかせた交渉は、マフィアや暴力団同士の交渉に限りなく近い。普通の民間企業では、そういった能力は磨かれないであろう。綺麗事で済むなら王制で十分であり、綺麗事ではすまないから、民選議員制度が運用されているという自覚が無いから、世界情勢における日本の立場や状況の分析が出来ず、マヌケを晒しているのに、それに気がつかないのである。
北鮮は、六者協議参加国だけでなく、世界全体にとって、共通の害悪となりつつあり、それを討伐して無害化することに、合意は形成可能である。しかし、その無害化の形態が問題となる。
朝鮮動乱を再開させ、米軍の指揮下で南鮮軍は北進し、平壌を始めとする都市、及び、核物質関連設備を、金王朝より解放する。ただし、南鮮に北鮮全体を支える国力は無い。そこで、ロシアと中国が、金正日の長男か次男を傀儡に、南下を始める。北鮮の日本海側をロシアが、黄海側を中国が、38度線をわずかに越えて、ケソンやクムガン山周辺を南鮮が、それぞれ、新規に領有する事で、朝鮮動乱を終了させるというのが、北鮮領域だけで状況を終わらせる際の筋書きであるが、ここにおいて、
1)北方四島の返還を条件に、ロシアが北鮮の日本海側を領有する事を黙認する。
2)東シナ海の地下資源の盗掘を止め、尖閣諸島の日本所属を認める事を条件に、中国が北鮮の黄海側を領有する事を黙認する。
3)竹島の返還を条件に、南鮮が38度線を越えて北鮮側の領域を新規に領有する事を黙認する。
という、日本との領土問題を一気に解決する条件が出てくる。新規の領土獲得によって、それぞれの国内世論を沈静化させることができるので、平和的に解決できる最善の機会と言える。
つまり、これらの条件が成立しない限り、北鮮問題が解決されては困る。ただし、日本が民主党政権の間であれば、これらの条件を一切無視して勝手に始めて勝手に終わらせる事が可能であるし、北鮮がまともに爆発させられる核兵器を保有したならば、無条件でやらなければならなくなってしまうという、早期開始条件もある。
北鮮が核兵器を持たない極貧国家で直接国境を接するロシア、中国、南鮮にとって重荷以外の何物でもなく、かつ、日本とロシア、中国、南鮮との間の領土問題解決の交渉がまとまらない限りにおいては、北鮮が困った国家として存続しているというのは、日本にとっては間接的なメリットとなる。そして、一日も早い拉致問題の完全解決と、北鮮の核の完全放棄は、日朝間の共通の利益となりえるのだが、北鮮側には、そういう認識は無いだろう。
北鮮をどうするかについてまとまらないのは、六者協議参加国すべての責任である。
とりあえず、一日も早く民主党政権を潰して、まともに外交ができる政権を作らなければならないというのが、あらゆる場合を想定した時の、共通の処方箋と言えるのであった。
続き期待。婚約者との話はついた?
アメリカと中国の関係がよろしくない。先頃の人民元問題に象徴される経済戦争ではとどまらず、朝鮮半島で北朝鮮と韓国を使った代理戦争になりつつある。
今のところ、国際世論を見方に付けているのはアメリカであろう。さすが世界一の「ならず者」国家だけあって、どうやって相手を挑発しつつ世界を見方につけるかをよくご存知である。今年のノーベル平和賞のような人権問題や、南シナ海や東シナ海での海洋問題を中心に中国を表立っては平和的に攻撃している。一方の中国はというと、北朝鮮という「ならず者」を使って攻撃し返すしか手が無いようである。ひょっとしたら、韓国の潜水艦沈没だって、そういった中国の強引なやり方を世界に印象付けるためにアメリカが行った自作自演かもしれない。
そんなこんなで、アメリカは軍事演習を中国の庭先である黄海でやっちゃうことになった。ものすごい挑発である。キューバに核ミサイル持ち込もうとしたソ連とやってることはそんなに変わらない。中国はというと、そろそろ空母が出来上がりまっせ宣言を出した。もう賽はふられたのかもしれない。
日本は先の朝鮮戦争のように傍観を決め込むことは出来るのであろうか。ただひとつ、世界一の「ならずの者」に相当のマネーを吸い取られるのは想像に難くない。
オレはAVは買う派。特に盗撮系が好きで、パンチラから、温泉から、ラブホまで、一通りそろえてた。
それがこの間、嫁に見つかった。嫁には、泣きながら「あんたは頭がおかしい」って罵られた。
DVD見るだけなら犯罪じゃないだろって思うんだが、お前らはどう思う?
だいたい、盗撮なんてAV買う以外の方法考える方がヤバいし。むしろ健全だと思う。
そうやってオレも負けじと反論したら、嫁に病院に行こうって言われた。
その時は、逆に、医者にオレが正常だっていうお墨付きをもらってやろうって思ってた。
病院は嫁が選んだ。
翌日、オレは一人で病院に行った。
待合室で待たされて、名前を呼ばれて、診察室に通された。
医者は、ちょっと心配になるくらいのじいさんだった。
医者に「今日はどうしました?」って聞かれてオレは、ことの経緯を説明した。
その日はそれだけだったけど、なぜかオレは薬をもらって帰ってきた。
オレは医者に笑われたことを嫁に話した。嫁はどうも納得がいかないという風だった。
とりあえず薬をもらって、また来週行くことになったから、しばらく通ってやるよって言ってやった。
まあ、それで嫁が満足するなら、と思った。
それでまた薬を出されて、来週も来てくださいって言われた。
正直、なんだよこれって思ったけど、看護士の子が可愛かったので、まあそれでもいいかとオレは思った。
その次の週、いつもより早めに行ったら、今日はまだ医者の先生が来ていないとのことだった。
オレは一人で待たされて、待合室には掃除してる看護士の子がいて、気まずい感じになる。
この病院で、オレはオレ以外の客が来てるところは見たこと無いし、スタッフも医者とこの看護士の子の二人しか見ていない。
今この病院には、もしかして、オレと看護士の子の二人きりなんだろうか?
そんな変な気持ちになって、オレは、看護士の子の体を盗み見るように、だけどしっかり目に焼き付けるように見てた。
看護士の子はそんなこと気付かないように、せっせと掃除してる。
スリッパを並べる時にかがんだ看護士の子のお尻とか、ほうきを使ってる時にちらっと見えた首元とか。
そうこうしてるうちに医者が来て、その日の診療もあっと言う間に終わって、オレはまた薬をもらって帰った。
もちろん医者が毎週遅く来るわけではなかったから、オレも毎週楽しめたわけじゃない。
それでも、何回かは看護士の子と二人きりになれる機会があった。その度にオレは看護士の子の体をじっと見てた。
別にそれ以上の何かが見れるわけじゃないんだけどさ。
「え?」オレはふいをつかれたみたいになった。その時オレは、どういうわけか、医者の顔を見ずに隣の看護士の子の胸元をじっと見てしまっていたんだ。
オレは顔が真っ赤になって、うまく返答ができなかった。
医者は「また来週のこの時間に来てください」って言った。時間を指定されたのは始めてだったので変だなとは思ったけど、オレはそんなこと深く考えられる状態じゃなかった。
次の週、ちゃんと時間どおりに病院に行くと、いつもどおり待合室にはオレの他に誰もいない。いや、看護士の子もいない。
ひとりでしばらく待っていたけれど、誰も来ない。おかしいなと思って、診察室の方に行くと、部屋の中から人の気配がする。
見るとドアが少し開いてて、隙間から覗いたら、部屋の中に女がいるのが見えた。
オレは驚いた。女は、服を半脱ぎになって、こっちにお尻を向けていた。
とよく見たら、部屋の中には一緒にあの医者もいるではないか。ヤバい。見ちゃいけないものを見たのか。
それでも盗撮系が好きな俺は、こんなおいしい場面を覗けて、正直興奮していた。
女が動く。ちらっと顔が見えた。
おい! お前、オレの嫁じゃん!!!
オレは混乱した。半裸でエロい格好をさせられているオレの嫁、それを眺めている医者。その様子をオレは覗いている。
オレの興奮した気持ちも、性欲によるものなのか怒りから来るものなのか、なんだかよくわからなくなった。
オレは……。
オレはその場に突入する勇気がなかった。そのまま待合室に戻った。看護士の子がいた。
しばらく待ってたけど医者も嫁も出てこないので、オレは帰った。
なんだこれ?