【萬物相】タカ狩り

 「タカという鳥は、眠らせないと気が荒くなり、狩りをよくするようになるということだった。そして、狩りの前にエサを与えないのは、腹がすいていなければキジやウサギなどを追わないからだそうだ」。小説家のイ・チョンジュンは短編小説『鷹匠(たかじょう)』(1969年)で、消えた伝統のタカ狩りを描いた。時代の新しい変化に合わせられなかった鷹匠の物語だ。作家は、産業化とともに「伝統が消えゆく時代」に、職人が流民に転落する現実を淡々とつづっている。

 タカ狩りは4000年前から古代中央アジアや中東で始まり、世界へ広がっていったという。かつてメソポタミア文明が栄えた地からは、鷹匠を描いた遺跡も出土している。モンゴルの人々はタカを「救いの鳥」と考えた。マルコ・ポーロは『東方見聞録』で「クビライ皇帝(フビライ・ハーン)が狩りに出る時はさまざまな種類のタカ500羽が動員された」と書いている。

 韓国のタカ狩りの様子は、高句麗古墳の壁画に描かれているのが最初だ。『三国史記』には「新羅の真平王はタカを放ち、狩りを楽しんだ」とある。『日本書紀』は百済の王族の酒君(さけのきみ)がタカを持ち込んだとしている。高麗の忠烈王はモンゴルにささげるタカを捕る官庁「鷹坊」を設立した。タカの使い手(鷹匠)は「鷹師」、鷹の持ち主の住所を書いて鳥の尾に付けた牛の角は「シチミ」と言った。ここから、「シチミを外す」というのが、持ち主を分からなくして「しらを切る」という意味になった。

 1983年にタカが天然記念物に指定されてからは、タカを捕獲・飼育できるのはタカ狩り技能保持者だけになった。大田市と全羅北道には地方無形文化財の鷹匠、パク・ヨンスンさんとパク・ジョンオさんがいる。小さいころから鷹匠の仕事を見て学んだ二人は、毎年タカ狩りのデモンストレーションを行っている。主に冬に行われる伝統的なタカ狩りだが、これを教えるための施設は特になく、二人とも「教えてほしい」と尋ねてくる人々に対し、自宅で狩りの方法を伝授している。

 韓国を含め、11カ国のタカ狩りが一昨日、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産になった。米国ではワシントンとハワイを除いたすべての州でタカ狩りの免許証がある。筆記試験を経て、少なくとも2年間は鷹匠の下で訓練を受けなければ、免許が取れない。韓国もユネスコ無形文化遺産指定をきっかけに、タカ狩りを「冬の民俗スポーツ」に育成していくことを考えてはどうだろうか。野生のタカはむやみに捕獲できないようにする一方で、伝統のタカ狩り法を引き継ぐための教育施設を作り、免許制の導入を考えるべき時期だ。韓国のタカ狩りがユネスコの無形文化遺産になったのだから、タカ狩りの後継者がいなくなるかもしれない状況にある今、見て見ぬふりをするわけにはいかない。

朴海鉉(パク・ヘヒョン)論説委員

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
関連記事
記事リスト

このページのトップに戻る