【コラム】軍事力や食糧を捨てても守るべきもの

 孔子の「論語」を読んでいると、理解できない部分が多い。中でも特に理解できない箇所が、「顔淵(がんえん)」編に登場する。弟子の子貢が孔子に対し、政治について尋ねたところ、孔子は「食糧を豊富にし(足食)、軍事力を十分に兼ね備え(足兵)、民が為政者を信じる(民信之)ようにすることだ」と語ったという。

 ここまでは本当の「孔子の言葉」だが、問題はその次だ。子貢が「もし、やむなく三つのうち一つを捨てなければならなくなったときは、何から捨てるべきか」と尋ねたところ、孔子は「軍事力を捨てるべきだ」と答えたという。さらに子貢が「では、残る二つのうち一つを捨てることになった場合、何を捨てるべきか」と尋ねたところ、孔子はためらいなく「食糧を捨てるべきだ」と答えたという。この部分が特に理解できない。ほかの箇所では理想と現実の調和を強調した孔子が、ここではあまりにも極端な返答をしたからだ。

 ところで、この孔子の発言の真意が何なのかを、最近の韓国の政治指導者たちが見事に示している。政治指導者たちの発言が二転三転している上に、軍人たちさえも対応の仕方に関する発言が連日コロコロ変わっている。

 実際のところ、韓国の国民には、戦争に関して根本的な不信感がある。壬辰倭乱(じんしんわらん=文禄・慶長の役)のときも、6・25戦争(朝鮮戦争)のときも、「首都を死守する」という最高指導者の約束は守られなかった。

 だからこそ、余計に心配になる。今後、北朝鮮がまたどんな挑発をしてくるのか分からない。予想したくもないことだが、戦争が起こる可能性も高まっているのが現実だ。こうした状況に置かれれば、食糧や軍事力よりも重要なのは、政府に対する信頼だということを感じるものだ。

 今、われわれが直視しなければならないことは、隙だらけの兵器の体系ではなく、北朝鮮による武力挑発の後、韓国の指導者たちが自ら招いた不信だ。国民が政府を信じることができなければ、その国はもはや国家の体をなしていないとしか言えない。「昔から、人はみな必ず死ぬことになっているが(そのため、食糧を先に捨てなければならないという意味)、信頼がなくなれば生きていくことはできない」という孔子の発言の意味はまさにそこにある。人と人の間に信頼関係がなくなれば、人間として生きているとはいえない、というわけだ。これまで空虚に感じられた論語の一節を、最近は生々しく実感するようになった。

 北朝鮮による予測可能な武力挑発よりも、もっと恐ろしいのはまさに不信だ。この不信から逃れられない限り、いくら最先端の兵器を持ち、兵力を増強しても、外敵から国を守るには役不足だ。

 心配でならないのは、韓国政府のどこにも、こうした不信の原因が何なのかを真剣に考える人がいないということだ。哨戒艦「天安」沈没事件の際にも、そして今回の延坪島砲撃事件でも、誰一人として率直に過ちを認め、許しを求める人がいない。みな、「自分は非難されるようなことはしていない」と言い張り、逆に他人を非難している。過ちを犯した人が誰もいないのに、なぜ戦いに負けるのか。こうして不信感が高まれば、その重みによって韓国社会全体が崩壊してしまうかもしれない。そうした状況に至ることは、金正日(キム・ジョンイル)総書記の狂気よりも恐ろしい。

李翰雨(イ・ハンウ)記者(文化部次長待遇)

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
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