ヤマハブラザーズ時代。(右から)星野勘太郎さん、山本小鉄さん(1979年)
“突貫小僧”逝く‐。元プロレスラーの星野勘太郎さんが25日、肺炎のため入院先の病院で死去していたことが27日、新日本プロレスから発表された。享年67。本人や遺族の意向により、この日、親族のみで家族葬を執り行った。1961年にデビューした日本プロレスでは今夏、亡くなった山本小鉄さんとタッグチーム「ヤマハブラザーズ」を結成して米国で活躍。新日本ではアントニオ猪木(67)に忠誠を誓い、引退後も『魔界倶楽部』の総裁として「ビッシビシ行くからな!!」の決めゼリフが流行した。
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昭和プロレス世代には“突貫小僧”や“ヤマハブラザーズ”。2000年代は魔界倶楽部の総裁。幅広い層に親しまれたレスラーが逝った。
星野さんは昨年2月4日に脳梗塞(こうそく)で倒れ、都内の病院に搬送されたが、肺炎を併発して一時は生命の危機にひんした。なんとか持ちこたえ、今年8月、山本小鉄さんが低酸素性脳症で急死した際には都内のリハビリ専門病院で治療していた。訃報(ふほう)を伝え聞いた星野さんは人目もはばからずに号泣したという。
おいでプロモーターの新日企画・星野真二社長は「小鉄さんが亡くなる少し前にも肺炎のような状態になって、『危ない』と言われていたが、持ちこたえた。最初の入院後、病院とリハビリ施設の行き来を繰り返していた」と明かした。
そして、ついに力尽きた。星野社長は「心臓を悪くしていて、手術をしなければならなかったが、手術を受けられるまで体調が戻らずに亡くなった」と状況を説明。「10月11日・両国大会の翌日、見舞いに行った際は意識はしっかりしていて、見舞いを喜んでいた」と無念の思いを吐露。小鉄さんの後を3カ月遅れで追うように旅立った。
神戸から上京し、1961年、力道山率いる日本プロレスに入門。67年から小鉄さんと「ヤマハブラザーズ」を結成して米国でも活躍した。帰国後の70年には猪木と組み、第1回NWAタッグ・リーグ戦決勝でニック・ボックウィンクル&ジョニー・クイン組を撃破して優勝している。
74年から『神』と心酔する猪木を追って新日本に参戦。80年の山本引退でコンビは解消されたが、UWFとの抗争では敵将・前田日明の控室に殴り込むなど、レスラーとしては小柄な170センチの体にみなぎる闘争心で“突貫小僧”と称された。95年2月19日、両国大会の木戸修戦を最後に現役引退。その後はプロモーターを務めていた。
だが、プロレス人生の最後に、もう一花を咲かせた。02年8月、魔界倶楽部総裁として突然の現場復帰。上下黒のスーツに身を固めたコワモテの“ギャングの親分”風の容ぼうからぎこちなく発する「ビッシビシ行くからな!!」のセリフで、低迷が始まったプロレス界のカンフル剤となった。すべては愛する猪木さんのため、新日本のため‐。義理堅かった星野さんの貢献度は大きい。
新日本では後日、関係者やファンを対象にした「お別れの会」を開催するとしている。