2010.02.02(Tue)
不破博志さんの英断を称えたい
以前、こちらのブログで●非電化籾殻ハウスという画期的な発明について扱ったことがあります。
その発案者である建築家の●不破博志(ふわひろし)さんが、こんなことをおっしゃっています。
私は、この記事を拝見して、不覚にも目頭が熱くなってしまいました。
ネット上の画像一枚にも権利をつけて売り物にするのが当たり前であり、そのような行為がむしろ理に適った素晴らしいものとして称揚されることすらある今の日本社会に、みんなに使ってもらいたいからと、画期的な発明の権利を放棄しようという人がいるのです。
私はもう今の経済システムは、単なる微調整やプログラムの書き換えでなんとかなるレベルを越えてしまっているように思っています。もう分配の仕組みをいじったり、競争力を強化したり、そんなことで崩壊を免れることは無理でしょう。
しかし、それにも関わらず、私を含めた多くの人びとが、沈み行く船である今のシステムにしがみつこうとしています。
人間の精神や行動のあり方を決定しているのは、物的条件です。そうだとすれば、世界中からカネの力で財やサービスをかき集められるうちは、その条件に最適化した行動や考え方をとり続けることでしょう。
そんなジレンマを打破するただ一つの方法は、力と志を兼ねそろえた人たちが、あえて今の経済システムの枠組みから飛び出し、新しい時代を作っていくことなのではないかと思います。
この力というのは、何も肉体的な力とは限りません。他人の暮らしや人生をより豊かにするなら、なんでもいいのです。それがある人には歌かも知れないし、笑いを取るセンスかもしれないし、黙って地味な作業を黙々とこなせる性質かもしれません。
今後大事になるのは、「カネをかけず」「誰にでもできる」「楽しい」やり方を編み出す人がどれだけ活躍できるかという点です。そういう点で、不破さんが画期的な発案に関する権利を自分から投げ打ったことは、本当に素晴らしいことだといえるでしょう。
不破さんを生んだ●発明起業塾の卒業生の方々には、きっとそのような気高い志の持ち主がたくさんいらっしゃることでしょう。そういう人びとがたくさん生まれて、社会のいろいろな部分に入っていくことによってしか、今の社会の仕組みは変わっていかないのではないかと思います。
もちろん、発明などというすごいことはできませんが、私もそういう中の一人に加わろうと思っています。
そのせいで、ブログがお留守になっていてはいけませんが・・・(笑)。
寒い日が続きますが、不破さんの勇気ある決断を拝見し、心がぬくむような気がしました。
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その発案者である建築家の●不破博志(ふわひろし)さんが、こんなことをおっしゃっています。
意匠登録の「放棄」のお知らせ
http://fuwahirosi.exblog.jp/9635467/
小生は、想う・・・。
「一度の人生、自分にしかできないことをやっていこう」と。
自分にしかできないことをやるのであれば、『特許という枠』は、必要ない・・・
また、
一人 が「権利化」することによって、減ってしまう
人々 の「無限の可能性」に眼を向けると、
今回の小生の行為は「汚欲」とも考える。
という次第で、
昨年、「非電化もみがらハウス」と銘打って建築した
「三角形パネルで構成される小屋」を
意匠登録申請をしていたのだが、この度、破棄することにした。
私は、この記事を拝見して、不覚にも目頭が熱くなってしまいました。
ネット上の画像一枚にも権利をつけて売り物にするのが当たり前であり、そのような行為がむしろ理に適った素晴らしいものとして称揚されることすらある今の日本社会に、みんなに使ってもらいたいからと、画期的な発明の権利を放棄しようという人がいるのです。
私はもう今の経済システムは、単なる微調整やプログラムの書き換えでなんとかなるレベルを越えてしまっているように思っています。もう分配の仕組みをいじったり、競争力を強化したり、そんなことで崩壊を免れることは無理でしょう。
しかし、それにも関わらず、私を含めた多くの人びとが、沈み行く船である今のシステムにしがみつこうとしています。
人間の精神や行動のあり方を決定しているのは、物的条件です。そうだとすれば、世界中からカネの力で財やサービスをかき集められるうちは、その条件に最適化した行動や考え方をとり続けることでしょう。
そんなジレンマを打破するただ一つの方法は、力と志を兼ねそろえた人たちが、あえて今の経済システムの枠組みから飛び出し、新しい時代を作っていくことなのではないかと思います。
この力というのは、何も肉体的な力とは限りません。他人の暮らしや人生をより豊かにするなら、なんでもいいのです。それがある人には歌かも知れないし、笑いを取るセンスかもしれないし、黙って地味な作業を黙々とこなせる性質かもしれません。
今後大事になるのは、「カネをかけず」「誰にでもできる」「楽しい」やり方を編み出す人がどれだけ活躍できるかという点です。そういう点で、不破さんが画期的な発案に関する権利を自分から投げ打ったことは、本当に素晴らしいことだといえるでしょう。
不破さんを生んだ●発明起業塾の卒業生の方々には、きっとそのような気高い志の持ち主がたくさんいらっしゃることでしょう。そういう人びとがたくさん生まれて、社会のいろいろな部分に入っていくことによってしか、今の社会の仕組みは変わっていかないのではないかと思います。
もちろん、発明などというすごいことはできませんが、私もそういう中の一人に加わろうと思っています。
そのせいで、ブログがお留守になっていてはいけませんが・・・(笑)。
寒い日が続きますが、不破さんの勇気ある決断を拝見し、心がぬくむような気がしました。
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君(ろろ)は、まだまだ幼さ過ぎると
第三の敗戦 | 2010年02月02日(火) 03:19 | URL | コメント編集
孔明さんの記事によくコメントなさっていた方ですね。平日の夜中に、貴重なお時間を割いてのご忠告ありがとうございます。
他の人間に取られます
悪人は何所にでも居ますよ
悪人は何所にでも居ますよ
のりたま | 2010年02月02日(火) 08:26 | URL | コメント編集
その悪人が作った商品を買わずに、自分達で作ればいいんじゃないですかね。不破さんならただで教えてくれるかもしれません。
自分、会社で特許に多少関わりのある仕事をしているんですが
(ただし、特許の知識は素人に毛がはえたような程度です。)、
最近の特許の出願目的が、いかに他社(ライバル社)の邪魔をするかという点に
シフトしてきているように感じます。
(上司は平然と上記のように答えます。)
おそらく他の会社も同様な傾向があるのではないかと。
発明者の権利を守るという当初の大義名分から随分と
別方向に行ってしまったなと思っています。
(ただし、特許の知識は素人に毛がはえたような程度です。)、
最近の特許の出願目的が、いかに他社(ライバル社)の邪魔をするかという点に
シフトしてきているように感じます。
(上司は平然と上記のように答えます。)
おそらく他の会社も同様な傾向があるのではないかと。
発明者の権利を守るという当初の大義名分から随分と
別方向に行ってしまったなと思っています。
名無し | 2010年02月04日(木) 19:19 | URL | コメント編集
自分は法律関係には疎いのですが、権利を放棄した不破さん本人が無料で情報提供すらも出来なくさせられる心配はないんでしょうか?
それはそうと、この寒さがくる少し前、早くもフキノトウが出始めてました。
もうしばらくして、また温かくなってきたらノラボウナ等も近所の河原で出てくるのではと
期待してます。セコモノ系狩猟採集屋には春が待ち遠しい。
沿岸部と比べると内陸部は冬の獲物が少ないもんで。
それはそうと、この寒さがくる少し前、早くもフキノトウが出始めてました。
もうしばらくして、また温かくなってきたらノラボウナ等も近所の河原で出てくるのではと
期待してます。セコモノ系狩猟採集屋には春が待ち遠しい。
沿岸部と比べると内陸部は冬の獲物が少ないもんで。
元山師 | 2010年02月04日(木) 22:51 | URL | コメント編集
今頃になってコメントするのも時期外れですし、思想絡みの要素が若干まじりますが失礼します。
やや古いですが『日本人の信仰』(中公新書)という本があります。それには、日本人の宗教的思潮は今昔変わることなく「全ての者が救われる」だと記されていました。この本自体は宗教史に属するものですが、読んだ時に「この思想の実践者は、宗教家や思想家よりも農に携わる生活者たちだったのではないか」と思いました。
そして、不破さんの試みを当エントリで読んだ時に先ず連想したのが、「篤農家」という言葉でした。品種改良や農法の考案・改善を行い、その成果を惜しみなく他の同業者へ与える、例えば新品種の種を譲ったり、農法指導したりする人たちの事です。
資本主義や自由(競争)至上主義の立場から観れば、篤農家や不破さんの行いとそれを賞賛肯定する者は狂気の沙汰と思われるのでしょう。しかし、上記の日本人の宗教的な思潮の伝統から観れば、むしろ篤農家や不破さんこそが真に『日本の伝統を守る者』という呼称に相応しいように私は思うのです。
追伸:私もプランターで野菜栽培を始めました。去年の春からはドングリも育てています。土の勉強をもう少ししてから、庭を小さな畑にするのが次の目標です。
やや古いですが『日本人の信仰』(中公新書)という本があります。それには、日本人の宗教的思潮は今昔変わることなく「全ての者が救われる」だと記されていました。この本自体は宗教史に属するものですが、読んだ時に「この思想の実践者は、宗教家や思想家よりも農に携わる生活者たちだったのではないか」と思いました。
そして、不破さんの試みを当エントリで読んだ時に先ず連想したのが、「篤農家」という言葉でした。品種改良や農法の考案・改善を行い、その成果を惜しみなく他の同業者へ与える、例えば新品種の種を譲ったり、農法指導したりする人たちの事です。
資本主義や自由(競争)至上主義の立場から観れば、篤農家や不破さんの行いとそれを賞賛肯定する者は狂気の沙汰と思われるのでしょう。しかし、上記の日本人の宗教的な思潮の伝統から観れば、むしろ篤農家や不破さんこそが真に『日本の伝統を守る者』という呼称に相応しいように私は思うのです。
追伸:私もプランターで野菜栽培を始めました。去年の春からはドングリも育てています。土の勉強をもう少ししてから、庭を小さな畑にするのが次の目標です。
RAS | 2010年04月24日(土) 14:31 | URL | コメント編集
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