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【格闘技】星野勘太郎さん 死去2010年11月28日 紙面から
小気味いいファイトの中堅レスラーとして人気者だった星野勘太郎さん(本名・星野建夫)が、25日に肺炎のため、入院先の病院で死去した。67歳だった。神戸市生まれ。所属していた新日本プロレスが、27日発表した。葬儀は同日、家族のみで執り行われた。ファンには後日、お別れの場を設けるという。 星野さんは1961年、日本プロレスに入門。67年に同じく小兵の山本小鉄さん(今年8月に死去)とタッグチームを結成。「ヤマハのオートバイみたいに、小さいけれどパワーがある」として「ヤマハブラザーズ」を名乗り、海外でも活躍した。74年にアントニオ猪木率いる新日本に移籍。高校時代まで熱中したボクシングのスタイルを取り入れた試合ぶりで「突貫小僧」の異名をとった。全盛期は170センチ、104キロ。 95年2月に引退後は、故郷の神戸市でプロモーターに転身し、新日本の興行を取り仕切った。2002年8月にユニット「魔界倶楽部」を立ち上げ、黒いスーツ姿で総裁に就任。場外に落ちたレスラーにパンチを浴びせるパフォーマンスが注目されるとともに、「ビッシビシ行くからな!」という決めぜりふが大流行した。 昨年2月に脳梗塞(こうそく)と診断され、リハビリに励んでいた。 PR情報
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