*注意的な前書き*
このSSはBALDR SKY Dive1及びDive2、できればDiveXも攻略した後に読むことを推奨します。
Dive Xも終わって、そろそろ、定期的に(できれば土日のどちらか)に更新していきたいと思っています。
この小説を読んで読者が少しでも楽しんでくれれば幸いです。
*
Ⅰ
目覚めると、俺は白い海に漂っていた
柔らかなシーツの感触
白い布地が陽光に照らされて、
眩しさに開きかけた薄眼を閉じる
おそらくいつもと同じ、平和な一日の始まり
おそらく今日もいい天気
窓から差し込む光がまぶたを閉じても、なお眩しい
だけど、ベッドから抜け出すにはまだ早い
――だって、聞きなれた呼び声が、
まだ、俺の耳には届いていないから
「甲……起きて」
――とか、考えていると、
ほら、さっそく、『あいつ』の呼ぶ声が聞こえてくる
「……ほら起きて。早く起きないと遅刻しちゃうよ?」
そう、もう起きないと、学園の始業時間に遅れてしまう
さっさと朝食を済ませて、今日も学園に行かなくちゃ
退屈な授業をやり過ごせば、午後からは仲間たちとのお楽しみが待っている
わかっていながら、俺は聞こえないふりで惰眠をむさぼる
もう少し待てば、
『あいつ』の手が優しく俺を揺り起してくれるはずだから……
「もう、しかたないなぁ」
ほら、『あいつ』が俺を揺り起そうと、身をかがめる気配がする
―――『あいつ』
俺にとって、ちょっと特別な女の子
生まれてはじめて出会った、
ちょっと深い関係になれそうな女の子
『あいつ』を思うと、胸が切なく痛んでしまう
毎日、寮で顔を合わせ、一緒に学園に通っているのに、もっともっと、一緒の時間を過ごしたくて……。
……なのに、どうしてだろう?
『あいつ』の名前が、どうしても頭に浮かんでこない。
「……甲」ノイズ。
「……甲、こ~おっ、……甲ッ」不鮮明な音が混じり。
声が途切れ異変が生じる。
―「……ッ!?」
自分の体に走る衝撃に眼を開いて最初に見たものは、眼前に迫る鋼鉄の爪だった。
「なんだ、こいつ……?」
呆然とする俺に向かって、機会の脚がぐっと突き出され――反射的に退くと、眼前で爪が激しく音を立ててぶつかり合った。
「うわっ……!! なんなんだ、いきなりっ!?」
尻餅をついたまま、俺は腰を動かして後ずさる。拳が、尻が、硬いタイルの上でずるずると滑る。
──尻餅……タイルだって!? 俺はベッドの上で眠っていたはずなのに!?
慌てて床に目を向けると、俺の下半身は、鋼鉄の甲冑に覆われてしまっていた。
「……冗談、だろ?」
夢に違いない。夢とは思えないほどにリアルだけど、こんなのリアルじゃあり得ない。
「俺はまだ夢を見ているのか……」だが呟いて顔を上げた刹那、またしても機会の爪が繰り出される。
目前で、機械の歯が食い合わさる。「ぐっ……!?」機械――まるで蜘蛛のような赤いそれは、さらに音を軋ませ、俺の体に組み付こうとする。
「野郎ッ……離せよ!!」
俺は咄嗟に両手を突き出した。「なっ……に!?」だがその突き出した両手も、いつの間にか甲冑に覆われてしまっていた。
いや、これは甲冑じゃない。そもそも装着しているわけではなかった。その金属の皮膚からは直接、鈍い感触が伝わってくる。
「これ、俺の腕……だよな……」
まるで鋼鉄の肌に神経が通っているみたいだ。
思わず息をのもうとして、口が無いことにやっと気付く。
「くッ!」
鋼と化した己の身体に驚き、違和感を感じならも、その腕を大きく振るう。そのおかげで、かろうじて相手の一撃は凌ぐことができた。
しかし、機械の蜘蛛は、さらに圧し掛ってくる――!
いよいよその顎が迫り――!
「うわああああっ……!!?」
──ダメだ、防ぎきれない!!
そう思った瞬間だった。
「危ないっ!!」
いきなり何者かの声が割り込み、轟音と共に閃光が煌いて、打ち抜かれた機械の蜘蛛が爆発を起こし砕け散る。
続いて、俺の視野の一部が四角く切り取られ、女性の姿が映し出された。
「大じょう……ぶ……?」
その髪は薄い栗色の輝きを放ち、聞きなれたはずの声は半ばで勢いを失ってしまう。そして見開かれた瞳は驚きに満ちていた。だが……。
何故、今、この瞬間まで名前が出なかったのか。
忘れるはずのない。
――『あいつ』
何故か唇が震え、声が枯れだす。どうして心臓がこんなに鼓動を早めるのか、言いようのない感覚が俺を沸き立たせた。
後悔、歓喜、絶望、焦燥……どれにも似ているようで異なる。
これは、この気持はきっと――****だ。
「そら……?」
「こ……ぅ…?」
声が重なりあった。
―――第一章、覚醒―――
記憶が逆流していく。様々な記憶。
「がッ……!!」
脳が焼き切れそうな激痛にともない、脳内に記憶がフィードバックしていく。
そこには母さんと親父が一緒にいた。叔父さんの家で亜季姉ぇと一緒に過ごしていた。如月寮で空や千夏、菜の葉、亜季姉ぇ、真ちゃん、雅、先生達と学園生活を送っていた。
まるで、映像が超スピードで再生されていくように記憶の束が脳内を蹂躙する。抜け落ちている部分はあるが、楽しい思い出や辛い思い出として流れていき。
やがて『その日で止まってしまう』
目の前に映し出された『あいつ』の顔がぐにゃりと歪む。そして、ゼリーの様に皮膚や服がその境界線をせめぎ合って。
肉体の境界線が失われていき、『あいつ』の耳が、鼻が、目が、髪が、泡立つように蠢き、見えてはいけない筈の部分が動き出し、ゼリーのように溶け合い。赤や緑、青の軽快な色がせめぎ合い混ざり合う。
やがて粉々になった『あいつだったモノ』は地面混ざっていく。
叫び声が口から漏れ出してしまう。
「ぁぁっ……ぁぁああっッッ! あああぁあぁあっ!!!!!」
──嫌だ。嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ止めろ―――
嘔吐がでそうになる口を押さえるが、何も出てこず、気が狂いそうな不快感だけが俺を喉から埋め尽くす。
「……ぁ……ッとxx……っと! ……かぃ……xさいっ!」
誰かが俺を呼ぼうとしている気がする。けれど耳を伝わり脳まで届く気がしない。
遮断される。
――視界が全て光に包まれていた。いや、天から光が降り注いでいた。
”対地射撃衛星群 <グングニル>”
ダメだ。止めろ。そこには、『あいつ』が――その事実を否定する。だが、否定しようと事実は間違いなく事実であり、正しく俺の脳内に読み込まれ。
「ぁあああっあぁぁあxxxx!!!!!」
気付けば、足が勝手に動いてた。俺は光の柱に向かって走っていく。
紛れる人ごみが俺を押しかえそうとする。
いや、明らかに敵意を持って攻撃してきている。強烈な衝撃が左肩から伝わってきた、俺を捕まえていた警官が噛みつこうとしているのだ。足もとからは子供がナイフを持って近づいてくる。殴りかかろうとしているサリーマン風の男。
まるで、自分以外の人間が、全て俺に対して親の仇のような目でこちらを睨んでいた。
肩から痛みが伝わってきた瞬間に理性がはち切れ、頭に血が昇るのが自分でも理解してしまう。
「邪魔を……するなぁああ!!」
全ての有象無象を蹴散らしてでも『あいつ』の元へ、きっと『あいつ』は俺を待っているから。
約束したんだ。
迎えに行くって。
手元にあった鉄パイプで肩を掴み噛み切ろうとしいた警官を殴った。足もとにいた子供を蹴りとばした。襲ってきたサリーマン風の女を殴り、俺が前に行くのを邪魔しようとしている全員に対して敵意と害意を向けた。
できるだけ殺さないように努めるが、何人かは致命傷を与えてしまっただろう。
機械のようにこと切れる人間を前にしても、何故か全く感傷を持てない自分に対する違和感。
それでも、俺は走り続けていた。
*
「中尉! 突然、通信が切れたと思ったらいったい何所にいらしたんですか!?」
通信が開き、私の前に西洋風のお嬢様といった感じの女性が映し出された。というか、れっきとしたお嬢様だった。
美しい金の髪と均等の取れた丁寧な作りの顔。抜群のプロポーションを持つ彼女の名前は──。
桐島 レイン。私の同期であり、友人。
整った容姿と、白い肌。日系人らしくない美貌を持つ、私の最高の部下で相棒。
咄嗟に目の前に映る女性の経歴を思い出し、今、目の前で起こった事を無かった事にしようとする。
「え? ……えぇ、うん大丈夫よ」
すぐに私は現実に引き戻された。まだ呆然としていたのだろう。どうにも頭が混乱している。
世界が止まったと思った瞬間に現れた『あいつ』。何度目、瞬きをしても消えなかった『あいつ』。
でもそんな訳がない。
だって『あいつ』は……。
「レイン……追うわよ」
「え? 追うって、一体誰を……って待ってください中尉!?」
私はレインの問いに対して答えを返せなかった。
きっとアレはドミニオンが作り出したNPC。だって”死んだはずの人間”が蘇るはずがない。
―――『あいつ』門倉 甲 は12月24日。灰色のクリスマスで死んだのだ。
「……ッ……中尉。待ってください!」
「何?」
「無人機械<ドローン>が……」
レインから送られてきたデータを見て私は愕然としてしまった。雑魚の無人機械とはいえ、この先には相当の数がいたはずだ。
それなのに、この短時間で『あいつ』が通ったと思われるルートは見事に敵が一掃されている。
いや、数秒毎に更新されるそれを見ていると現在進行形で行われているようだ。その一番奥、『あいつ』がいるだろうところは敵のシグナルで真赤に染まっている。
「見てください中尉。敵の無人機械のほとんどがブレードや殴打のみで破壊されています。これは一体……どこの凄腕<ホットドガー>の仕業ですか?」
私も敵の残骸を確認してみて、また驚愕してしまう。『あいつ』は銃火器の類を全く使っていない。
背筋が冷たくなるのを感じた。もしこれが狂信者共<ドミニオン>が新しく作り出した兵器か何かとしたら……。
「とにかく急ぐわよ、レイン」
「了解<ヤー>」
確認しなければいけない、アレが何者なのか。何なのか。
Ⅱ
灰色のクリスマス。
12月24日20時32分、ドレクスラー機関研究所から開発が最終段階を迎えた第二世代ナノマシン<アセンブラ>が流出し、研究所周囲が汚染。
汚染区域はアセンブラの特色である、自己増殖能力と改変能力により拡大されていく。
同刻、20時52分、統合軍アジア司令部は超法規的措置による、対地射撃衛星軍<グングニル>を発射。
汚染区域、及びその周辺を住民語と焼き払う。
これにより、死傷者、行方不明者は数万人に昇る。
死傷者、行方不明者を確認しますか?
YES、NO
「Yes」
私は目の前に開かれた統合軍による簡易の調査報告書にアクセスして、幾つかのタブから”門倉 甲”の名前を検索する。
出てきたのは、名前と顔。そして最後に行方不明を表す赤い英語。
「……中尉。何を調べているのですか?」
レインから通信が入る。
「ううん、なんでもない」
私はそっけない返事を返すと、目の前に出していたウインドウを閉じていく。
仮想空間内の人型戦闘兵器<シュミクラム>を動かす傍ら、もしかしたらとあり得ないことを考えていた。
でも『あいつ』は死んだのだ。
その時、私はそれを目の前で見ていた。
アセンブラに汚染され、人でなくなっていく彼の姿。
それがまだ脳裏に焼き付いている。
―――間違いなく”門倉 甲”は私、”水無月 空”の目前で死んだ。
そう自分に言い聞かせるように私は何度も頭の中で呟いた。
「空中尉! 前方から敵ウイルス接敵します!」
「わかってる……!」
敵と言う言葉に体が条件反射に反応する。
「戦場で余計なことを考えるな」軍隊に入った当初に教官から口うるさく言われた言葉。
それに従って意識を戦闘に集中させていく。けれど一瞬、もし『あいつ』が生きていたなら、と考えそうになるのを首を振って必死に頭からかき消した。
私は一度大きく深呼吸して気を取り直すと、とにかく声をあげる。
「レイン、いつも通りのフォーメーションでいくわよ!」
「了解<ヤー>!」
私が前に出て、レインが後衛で私の援護をする。
新人時代からずっと一緒にやってきたのだ。二人でなら無人機械のウイルス相手はおろか、相当の凄腕<ホットドガー>相手だろうと引けを取らないつもりだ。
前方のウイルスの数はたかだか数十体、しかもほとんどが手負い。負ける要素など何もない。
噴煙を上げる残骸。
地平線まで連なる無機質な巨大建築群からわらわらと湧くウイルスを一体、二体と確実に潰していく。
やがて、周辺にウイルスの識別信号がなくなるのを確認する。
見上げると上空では漆黒の闇を裂くように、光弾が横切っていき、遠くから爆発音が響いた。
私たちの他にもまだ戦闘を続けているモノがいるようだ。
しかし、近くに味方の識別信号はない。今さらながら気づいた自分に嫌気がさしてしまう。
「レイン、部隊の人たちは……」
「残念ながら……」
重苦しい返答。
「全滅……か、また変な悪名をつけられなきゃいいけど」
半ば予想はしていたけれど部隊は私たちを残して壊滅。これほどの失態をやらかしたのは新兵の時以来かもしれない。
心苦しさは感じるが、それ以上は感情をシャットダウンして今は考えないようにする。
「この施設には自爆装置がしかけられていたようです。敵のシュミクラム隊も壊滅しているのが不幸中の幸い……とでも言いますか、戦場に残っているのは私達のように取り残されたシュミクラムが数体と、無人機械<ドローン>のウイルスだけです」
「わかった、とにかく今は『あいつ』を追いたい」
「……了解<ヤー>。同方向に、離脱妨害<アンカー>と妨害装置<ジャマー>を展開させている指揮タイプのウイルスが一機いるようです」
「そう、ちょうどいいわね。こっちの後ろから付いて来られるよりは幾分かマシだわ」
「わかりました」
何も知らされていないレインからすれば、『あいつ』をおとりに逃げる方が得策のはずだ。何も言わずに従ってくれるのはよっぽど私が必至な顔をしていたからだろう。
私たちはシュミクラムを動かして、『あいつ』を追う。
シュミクラムを高速で移動させ数分、
目線の先にソレをとらえた。
心臓の鼓動が速くなり、手が震えている。
あまりみたことが無かったから最初見たときは気のせいだと思っていたが……間違いない。
レインが息を呑んで口を開く。
「……嘘。……だって、アレは……甲さんの影狼<カゲロウ>」
そう、特徴的な青いと白のコントラスト。無駄が省かれたフォルム。
私が乗る、カゲロウ・冴。そのオリジナルたる存在。
亜季さんが言うには使用者の戦闘内容によって成長の度合が異なり、全くの同型機は理論上存在しないはず。
私は自分でも知らず知らずの内に口を開いていた。
「甲……?」
仮想空間の端に作られた広場。
そこはスクラップへと変えられたウイルスの墓場だった。
その中心に先ほどまで存在していた指揮タイプ、人型の赤いウイルスだったその機械的な胸から、ズブリとブレードが引き抜かれる。
胸を貫かれた指揮タイプのウイルスはそのまま沈黙してしまった。
「……空?」
通信が開かれ、『あいつ』の驚いた顔が映し出される。
あの頃とあまり変わらないが、どこか大人びた雰囲気がかもし出され。つい、無警戒に逞しくなったという印象を持ってしまう。
だが、もし、これがNPCならば。
もし、これが電脳幽霊(ワイアードゴースト)ならば。
もし、かれが”甲”ならば。
様々な憶測と感情がうずめきあい、互いに否定し合う。
目の前の存在を必死に否定しようとする自分。
目の前の存在を何が何でも肯定したい自分。
「……あなた……誰?」
「おい……忘れちまったのかよ」
軽く笑う、その姿は間違いなく甲そのものだった。
けれど、認められない。今までの二年が、その全てを否定し警戒しろと訴えてくる。
「嘘! だって甲は死んだのよ!!」
「嘘じゃない。迎えに来た……空。遅れてごめん」
学生時代と変わらない柔和な表情。
彼が確かに微笑んでくれる。たったそれだけのことで、全てが吹き飛んだ。
もしこれが幻覚でも構わない。
例え敵の罠だったとしても、そこに彼がいるのなら。
会いたい。
抱きしめたい。
一緒にいたい。
とっくの昔に捨ててしまった筈の感情。偽りだと思い込んでいたのに、何年たってもどうしようもなく離れなかった思い。
数年間、ずっと抑えつけていた心が私を溢れさせる。
あいつはシュミクラムを解除して、こちらに向かってくる。
私はレインが止める声も聞かず、戦場の真っただ中だというのにシュミクラムを解除してしまう。
「甲!」「空!」
そこにいる、すぐ目の前にあいつがいる。
意識していなかったせいか、いつの間にか涙が頬を伝い、唇が震えていた。
後、数歩で届く位置に私たちは立っていた。
「……会いたかった!」
あの日からずっと。
一日たりとも忘れたことは無かった。
「……俺もだ!」
その声が聞きたかった。
機械に残された記録じゃない、仮想空間だとしても確かな音の響き、それが耳にとても心地よく届く。
「馬鹿ぁ……ッ 本当に馬鹿ぁ……!」
私の声とは思えないほど弱弱しい声で罵倒してしまう。
だけど、違う、そうじゃない。
そんなことが言いたい訳じゃないのに、もっと、もっと他に大切なことをたくさん伝えたいはずなのに、
嗚咽と共に情けない声しか出てこない。
眼を反らしたら消えてしまうかもしれないと、私は滲む視界で必死に彼を見つめる。
私はこんなにも弱い人間だったのだろうか……。
「……ごめん」
彼のその言葉を聞いただけで私は本当に満たされてしまった。
そして、確かな感触が腕に伝わってくる。
ぬくもりが私を包み込み、私も彼を離さないように手を伸ばし――
―――私たちは確かに抱きしめあった。
Ⅲ
俺の腕の中、確かに今そこに、『あいつ』がいた。
随分、大人びた雰囲気になっている。けれど間違いなくそこには、
”死んだはずの空が存在した”
まだ頭が混乱しているようだ、彼女はここにいるのに死んでいると言う矛盾。
これはただの夢かもしれない。
いや、俺の頭がおかしくなったのか。
―――けれど……それでも確かに彼女はそこにいる。俺はそのことだけで幸福に包まれていた。
腕の中の空が泣きやみ笑ってくれる。それを見て俺も自然と微笑み返してしまう。
だが、その幸福な時間も唐突な爆音によって終わりを告げる。
熱を含んだ風と強烈な白光が視界を遮り、戦闘の足音を肌で感じた。
かなり、距離が近い。
「中尉! 未確認のシュミクラムが異常な速さでこちらに接近してきます!!」
その言葉を聞いて俺達が動いたのはほぼ同時だった。
シュミクラムに移送しようとするが、それより一瞬速く”それ”が上空から目前に姿を現す。
赤と黒の趣味の悪い二重奏、上半身が大きく膨れ上がったシュミクラム。
爪のように尖った何本ものブレードが背中からはえている。
色合いも全く似つかないのに、その研ぎ澄まされた風格は先生の震機狼<シンキロウ>に似ている。
その視線はひたすらに俺達を睨んでいた。
狂気のような明確な殺意。
そしてそいつが咆哮をあげる。
「こ・の・アベック共がぁぁあああっ!!! 俺の視界でイチャイチャしやがって! 何様のつもりだああああっ!!」
男の声だ。それを聞いて悟った。
こいつは恐らくジルベルトやその他と同じく、関わらない方がいい手合だ。
一際奇声をあげた男は何かをぶつぶつと呟いているまま行動しようとしない。
俺と空は互いに距離を取って、シュミクラムに移送する。
「空中尉、ここは引きましょう。……あなたも、いいですね」
金髪の女から通信が送られ、最後に厳しい視線で同意を求められる。
空が中尉だと言うことに驚いた。空は空で何か口ごもっているが、女性の威圧に押されて渋々頷いていた。
いや、そもそも彼女は……。
思考がよぎるが、それも男の声によって強制的に戦闘態勢へと移される。
「ざ…で…sざs……逃がすものかぁ!! 貴様らアベックは人類の敵だ! ドレクスラーだろうがドミニオンだろうが関係ない!! 男は殺して女は犯すっ!! それがマイ・ジャスティィスッ!!」
奴は叫びながら肩と腰の四方に装備されたマシンガンを発砲する。
「……ッ! それは正義じゃないだろっ……!!」
回避しながら毒づく、三人バラバラに動いていると言うのに追ってこれる所を見ると、あの男、言動は無茶苦茶だが結構な腕前をしているようだ。
「何よ! 何なのよ! 完全にひがみじゃないの! 第一そんなこと言ってるからモテないんだっての!!」
空は一般論を言いながら銃で狙い撃つ、何発かあたりはするが、互いに遠距離からの攻撃で決定打にはならない。
「うるさいっ!! そんな勝者の理屈は聞き飽きたぁ!! 俺はただ純粋に恋している奴が、純粋に嫌いなだけだっ!!」
「……え? 馬鹿?」
空は呆気に取られて真顔で驚いている。
だが、気付けばいつの間にか俺達の後ろには何もなく、すでに仮想空間の端まで来てしまっていた。
完全に追い詰められた。狙ってやったのなら相手を甘く見ていたと背筋に冷たいものが走る。
「純粋の言葉が前と後で受ける印象がここまで違うのはある意味驚きですねっ……! 離脱妨害解除プロセスは終了しています! 飛び降りてください!!」
レインと空が躊躇なく飛び降りるのを見て、一瞬ためらうが俺もそれに続く。
虚無の中に高速で落ちていく感覚。
「離脱妨害手続き<ログアウト・プロセス>機動!」
レインが叫ぶのと同時に0と1の虚構が包み込み、呑みこんでいく。
「ジィィザスッ!! 呪ってやる!! アベックなどこの世から滅びてしまええええぇぇぇぇッ!!」
奴の遠吠えが頭の中で木霊していた。
―――離脱<Log out>―――
青い空。
桜の舞う花弁は美しく景色を彩る。
そこには学生時代の自分がいた。
親友の雅がいた。
これは記憶の欠片。
住んでいた寮を追い出されて如月寮へ始めて歩いていく自分たち。
千夏と始めて出会ったのもこの時だ。
亜季姉ぇのとんでもな地図が解読できなくて、迷っているところに現れたのが先生だった。
先生に連れられて着いた如月寮は一見、木製のレトロ感が漂う寮。そこで幼馴染の菜ノ葉と従兄の亜季姉ぇに再開した。
そしてシュミクラムに初めて移行<シフト>する雅と自分。その日の夕方に先生と出会い、手ほどきをしてもらう。
場面が少し変化し、亜季姉ぇの私有空間でクゥと戯れている。幼い少女のように笑い、ほほ笑むクゥ。
模倣体<シミュラクラ>のクゥは段々と成長していく。感情がはっきりとし、言葉が話せるぐらいに……。
やがて大会に出場するために千夏が加わり、
千夏がよく如月寮に入り浸りするように頃だったろうか、入学式で苛められていた少女、真ちゃんと親しくなった。
そして真ちゃんと一緒に如月寮に来た『あいつ』。
模倣体<シミュラクラ>とそっくりな少女。
水無月 空と出会った。
―――起動<maneuner>―――
脳内で砕けた記憶のパズルが自然と組み込まれるように、抜け落ちていた記憶が思い出していく。
しかし、それも束の間、ひたすらに不快な感情により意識を呼び起こされる。
最初に感じたのは肌寒さ、次に感じたのは異常な脳の痛みと全身の苦痛。
自分は一体、今どこにいるのか。
霞む視界、吐き気がするような密閉された空間。
息苦しく体の自由がきかない。棺桶の中にでも入っているようだ。
混乱する体を無意識に動かし、直ぐそこにある壁を蹴りあげる。
「クソッ……開け! 開けッ!!」
数度、膝で蹴りあげていると透明なコンソールのふたは勝手に開き、新鮮な空気が補充された。
辺りを見回すと白を基準としたうす暗い機器が出迎えてくれる。
人の気配はないが研究室だろうか。頭に靄がかかったような状態で辺りを見回すと、幾つもの見たことの端末やハードが存在した。
ふと、自分の乗っているモノを見る。
かなり古いタイプのコンソールに寝かされていたようだ。よく見れば、こんなところで生きていたの不思議なくらい錆びついている。
立ととうとするが、全身が言うことを効かず。無様にふらついて倒れてしまう。
地べたに這いつくばると、床の冷たさで自分が裸だと気付く。
「……あー……なんだってんだよ」
死んだはずの空、抱きしめた空。
腕に残ったぬくもり。
確かに彼女は生きていた。
それだけで嬉しくて舞い上がってしまいそうになるが、なにぶん体動かない。
動こうとしたら激痛が走る、さきほど無理して動かした足が一番痛い。
仕方ないので何かを考えようとするが、考えれば考えるほど頭痛が起こる。
一時間ほどうつ伏せに寝ていただろうか、やっと痛みもおさまりだし体が動かせるようになってきた。
周囲に衣類が全くないのでふらつきながらも、外に出ようとする。
地下道らしきところを壁にそって歩いていく。ただでさえ動きが制限されているというのに電気が付いていないせいで足元がおぼつかない。
一体どれほどの距離を歩いただろうか、階段を何階も這いずりあがり、やがて地上に出る手動式の扉まで辿りつく。
ただ、たどり着いたはいいが、服がない。
はじめ開けようとしたらいきなり人が通ったので急いで扉を閉めてしまった。そのせいで、ここが何所か検討もつかない。
「流石にこれで出歩くのは気が引ける……というか無理」
衣服を探しに戻ろうと背を向けた瞬間。
視線を感じて後ろを振り向くと、扉が開いてそこには少女が立っていた。
「……へ?」
ゴスロリとでも言えばいいのだろうか、茶色い髪に良く似合うメイドさんのような格好をした女の子。
彼女の視線の先、それを辿っていくと……。
「…………ちょっ!?」
前を隠そうとすると近づいてきて、少女はにやにやと笑う。
「……いや~、君は若いのになかなか渋い趣味しているな」
「ち……違う! これは……!」
「はははっ、隠すな隠すな。私は見て楽しい、君は見られて楽しい。私たちは実に良好な関係を築けると思うが……」
わざとらしく大仰に少女は笑う。
完全に勘違いしている。
子供とは思えないほど大人びた表情、と言うより言ってることがおっさん臭い。
「だから違うって! 俺は露出狂じゃない!」
「うむ、露出狂はみんな最初はそう言う。嫌よ嫌よも好きなウチ。口ではそう言いながらも、体が感じちゃう。そこがまたそそるじゃないか」
にこやかに妙な事を言う少女。
「そんなわけないだろ!」
「いやいや、なかなか立派なものを持ってる。誇りたまえよ」
「見たのか!? 見えたのか!?」
一瞬、考える振りをしてから少女は仕方ないなと言う風に呟く。
「見えた。……ということにしておこう」
恥ずかしげもなく意地の悪い笑みを少女は浮かべた。
逆にこちらが恥ずかしすぎて逃げようにも体がまともに動いてくれない。
足を動かそうとしたらそのまま倒れこんでしまった。
「ふむ、そういうプレイかね? 誘っているのか、皆まで言わずとも据え膳食わぬはなんたらの恥、今日ここで会ったのも何かの縁だ。最後まで付き合おうじゃないか」
だから違うって。
そう言っても、手をわきわきさせて近づいてくる彼女に俺は対抗手段をもっていなかった。
Ⅳ
清城市のはぐれ、貧民街を横切りやがて見えてくる古びた安宿。
「いいセンスしてるわよね。本当に……」
「申し訳ありません。この街で一番プライバシーを保障してくれるのはこの手の施設だそうでして……」
毒々しいラブホテル、私達が隠れ家に使っている。本来、他にも部隊の連中が留る予定だったため貸切状態だが、一番良い部屋ですら掃除が行き届いていない。
「はぁっ……世も末よね、まったく」
間抜けに視界を横切った小型盗撮用ロボットを掴み、地面に叩きつける。
「寝る前に部屋の点検を、もう一度した方が良さそうね」
「ですね……。これでは、落ち着いて休むこともできません」
苦笑するレインの手にも似たような代物が掴まれている。
(お喋りは直接通話<チャント>にしましょう。この調子じゃスケベ親父が盗聴でもしていそうだから……)
(ええ、そうですね。……しかし、あの人は一体なんだったんでしょうか?)
レインが上着を脱ぎながら厳しい目線をこちらに向ける。
(それは、甲のこと……? それとも、あの変態のこと?)
私は離脱後、ちょっとレインに迷惑をかけてしまったせいもあり何となく立場が弱い。
(変態の方はすでに目星がついています。一応ですけど確認しますか?)
(相変わらず仕事が早いわね、もちろん確認するわデータを送って)
(わかりました)
レインから送られてきた情報を視界に表示させていく。
―――ゼロナ・サディアストス。
その容姿はイメージとは違い、白い髪が目立ち一見おとなしそうな印象を持つ優男だった。
けれど経歴を見ていく内に私は息を飲んでしまう。
キルスコアまで表示されその数は万に達しているのだ。自分の経歴にこんなものを乗せるのはよっぽどの自信家か変態ぐらいだ。
他にも凌辱した回数やどう殺してきたかなど、碌な事を書いていない。こんな人間を雇おうなどと思う人間は少ないだろう。
あと彼が被造子<デザイナーズ・チャイルド>であることも目を引いた。
被造子<デザイナーズ・チャイルド>、遺伝子操作により生まれながらにして高い身体能力や知能を有した人類。一時期、反AI派の間で流行したが、様々な面での非人道性が取り沙汰され、現在では一度は完全に禁止になった。
(元統合政府の電脳将校にして、レコンキスタの幹部……。……統合はともかく、レコンキスタの幹部ってのは納得)
最近では被造子推奨派<レコンキスタ>の活動により一部の地域では条件付きで可能となったらしい。
そのおかげで彼らはすでにデザイナーズ・チャイルド達の間では英雄扱いだ。
実際、一般の傭兵の私にもレコンキスタには後ろ暗い噂はよく耳に入ってくる。もはや、いったいどれほどの事を行っているのか想像もつかない。
(ジルベルト達の親玉とでも思えば、ある意味、当然と言えば当然なのよね……)
こんなのが幹部を務めているのだから、組織の方針もわかりやすい。
自分達が人類の上位種とでも考えているのだろう。
(中尉、被造子の全てがあんな性格をしている訳ではありません。むしろ彼らのような変人はごく少数だと思います)
(……それもそうよね。でも、統合政府まで関与していたなんて……惜しかったわ)
逃がした魚は大きい。水面下ながらあそこにはドレクスラー機関に関わる研究者が結構いたはずだ。
もしかしたら、久利原先生もいたかもしれない。
私の言葉にレインは一息つくと、再び会話を進める。
(さて、その男については後回しにして、問題はもう一人の方でしょう……)
「……うっ」
どうにもこの話になるとバツが悪くなる。
離脱後に寝ぼけて近くに甲がいないことを理解できず、少し錯乱してしまったのだ。
敵と間違えてレインの頭に頭突きまで……。
「その……まだ怒ってる?」
「ええ、ただ勘違いしていそうですから先に言っておきますが、空さんが自分で起きようとしない限り寝起きが悪いのは知っているつもりなので、怒るつもりはありません。まぁ……なかなかいい攻撃だとは思いました」
「え……そっかな~」
照れてしまう。
(褒めてませんからね。ともかく話を戻しましょう。私が怒っているのは中尉が戦場でシュミクラムを解いたことです)
(いや~……あの時は本当に嬉しくて……その、ね)
(言いたくありませんが甲さんは灰色のクリスマスで死んだはずでしょう? それが突然現れるだけでも怪しいのに碌に素性も調べもせず近づくのは無謀もいいところです)
確かにあの時の私はちょっと軽率だった。……うん、ちょっとのはず。
(でもレインの追尾装置<チェイサー>で甲の本体が清城市にいることはわかったんでしょう? なら結果オーライじゃない)
(論点をすり替えないでください。問題は甲さんはすでに亡くなっているはずと言うことです。もし仮に生きていたとしても一体、今まで何をしていたのか、それに彼が甲さん本人と言う確証が得られたと言う訳ではないはず)
(そこはホラ、女の勘っていうか……第六感みたいな……)
本当にあのときはそんな風なものを感じたのだ。ソレを説明しようとすると気付けばレインが半眼で睨んでいる。
(明日はお医者様にでも向かいますか?)
(い……嫌よ! レインも知ってるでしょ、ナノマシンの注射の針ってこ~んなに大きいんだから!!)
親指と人差し指で5cmほどの太さを現して、拒否の意思表示を明確に表す。
(冗談ですよ。しかし、注射が嫌なんてどこの子供ですか……モノによりますが、ナノマシンの針はそんなに太くありません)
(うっ……そ……そう言えば、ドレスクラー機関の情報だけど……)
(露骨に話を逸らしましたね)
レインはこの日何度目かわからない溜息をつくと、消えてなくなるような声でゆっくりと語る。
(中尉、あまり無茶はしないでください。……先ほどあなたがシュミクラムから降りた時、あなたが死んだ母と被って見えたんです……)
悲しげに見つめるその姿に、私は彼女を必死に慰める形になる。
(……大丈夫よレイン! 私はまだまだ死ぬ気はないんだから!)
両腕をあげて元気、元気と口で言うと彼女はクスリと笑ってくれる。
(そうですか……ならいいんですけど。そうだ、明日はアークに向かいませんか? もし今日見た甲さんが本物なら、あの人ならきっと何か知っていると思うんですが……)
(あの人って……聖良さん? そっか、そう言えば甲の叔母さんだったけ)
聖良さん、私とまこちゃんの学生時代の身元引受人をしてくれた人。灰色のクリスマス以来、あまり会う機会は無かったけど、そう言えば何度かアークに来ないかと誘いを受けていた。
確かに仮想空間の本処と言ってもいいほどAIが発達しているアークの本社なら何か情報が得られるかもしれない。
ドミニオンやGOATの情報に関してもまともなものが欲しい。
(わかった、明日はアークに向かいましょう!)
(ヤー)
*
裸で横たわっていた俺は少女の攻撃から必至で抵抗を続けていた。
「ははは、病人ならそう言いたまえよ。私はこう見えてその道のプロだ」
にこやかに体を弄ろうとする少女に呆れながらも、貞操の危機を感じて抵抗をやめれない。
「その道って……!?」
「もちろん医者だ。ホレ、だからその手をどかして見してみたまえ」
組み伏せようとする少女の腕が明らかに性的な部分へと伸ばされていく。
「ちょっ……! 絶対そこは関係ないって!! それに医者って!?」
流石にそこまで見せることが出来ない。というか、これは最後の防衛壁だ。
「何、こんななりだがそれなりに生きてきたと言うことさ。むむ、しつこいな君も……そう言えばまだ名前を聞いて無かった。一夜限りの相手に本名を教えることは稀だぞ、私はノイだ、このいい尻を持つ君の名前は?」
つい名乗られたら名乗り返すと言う古いしきたりに反応して、嬉しそうにぺたぺたと触ってくるノイと言う少女に俺は叫ぶように自分の名前を言ってしまう。
「門倉! 門倉 甲!」
そう叫んだ瞬間、今まで笑っていたノイの顔が一気に冷めていく。
「門……倉? ……門倉 甲……?」
手を止めて彼女は俺から少し離れると、考えこむように腕を組み「甲……甲……こうか?」と何度も小さく俺の名前を呟く。
しばらくして手をポンと叩く。
「おお、もしかして、門倉 永二の息子か?」
「親父を知っているのか?」
「まぁ、あそこの連中とはただならぬ、ふしだらな関係……とでも言っておこうか。……それより、私の記憶が正しければ君は死んだと聞いていたからな、中々、名前が結びつかなかったじゃないか」
こともなくそう言うノイに俺は呆然と驚いた。
「え? ……死んだ? 俺が?」
「うむ、死んだ」
ノイはそうはっきりと頷いた。
Ⅴ
いかがわしいアダルティーなグッズショップ(本人いわく、趣味と実益を兼ねたカモフラージュらしい)その地下。そこには近代的な医療施設場所が広がっていた。
一応、市民番号まで確認したがあの少女は本当に医者だったらしい。
腕も良いと評判だし、一番懸念になる要素と言えばモグリと言う一点のみ。
「いやはや、何と言えばいいのか……おめでとう、門倉クン。DNA、指紋その他もろもろの結果から見るに、君は間違いなく門倉 甲だ。折角だから、この私特製の手書き血統書を進呈しよう」
こちらを振り向き、大きな口を開けて笑う少女、ノイ先生が上質な紙を渡してくれる。
達筆なのかよくわからない字で書かれているせいで全然読めないが、おそらくドイツ語のカルテだ。
俺は治療台の上で患者服で寝そべりながら、目を通そうとしたそれを隣に置く。
「だから、そう言ってるじゃないですか。やっぱりノイ先生の俺が死んでるって言うのが間違いでしょ。実際ここにいるわけだし……」
彼女が来ていた白衣は俺が借りてしまったため、ゴスロリの一色になっていた。
俺の言葉にノイ先生は眉をひそめる。
「いや、それなら話はそんなにややこしくない。君の検査と同時に君の経歴を調べてみたのだが、間違いなく君は灰色のクリスマス以後は行方不明とされている。信じられないなら自分の目で調べてみたまえ、君も第二世代<セカンド>だろう?」
第二世代<セカンド>の脳チップには端末を使用しないで無線での常時ネット接続、仮想世界へのダイブが可能になっている。
尤も、ダイブ時には万が一に備え有線を使用するのが常識だ。
俺はノイ先生に煽られてデータベースを開いていく。
やがて悪い冗談とも思えない事実が目に届けられる。ノイ先生の言ったとおり俺は灰色のクリスマス以降存在していないことになっている。
「……おいおい、何だよコレ……!」
「理解したかね。さて、私は医者として君がどういう状況にあったか非常に気になるわけだ。……さぁ、話してみたまえ」
「……話してみたまえって言われても……つっ!」
「ん? どうした? 体の異常は先ほどの注入したナノマシンでマシになるはずだが……もしや脳内チップまでいかれていたのか?」
「いや、流石にそこまでは……」
無いと言いきれない。
「まぁいい、ついでだ。もう一度、そこに寝ころびなさい」
検査が再開される。
しばらくして診察が終了し、ノイ先生が盛大に溜息をつく。
「……これはまた意外なところから、いや、ある意味これも当然と言えば当然なのか……」
「なんですか?」
「いや、なんでもない。それより灰色のクリスマス以後、君の記憶はどうなっている? 思い出せる範囲でいい、言ってみたまえ」
真剣な表情で俺の言葉に耳を傾ける。
「空……」
一番最初に思い出したのはついさっき彼女と仮想空間で出会った記憶。
「なんだ空クンと会ったのかね?」
「ええ……さっき仮想空間で」
「そうか、それより前の記憶はどうなっている?」
それより前?
―――「例えば、君は誰かと戦争をしていたとか」
「ッ……上海? ……ハバロフスク? フィラデルフィア、それにコスタリカ…………ッ! 本当だ、何で戦争なんか……!」
ノイ先生の言葉に反応するように記憶が一気に流入する。
頭痛を押さえながら思い出したことをポツリポツリと呟いていくと、やがて。
「傭兵……!? そうだ! レインと傭兵を続けて……!」
その言葉を口に出すと二人で戦場に立つの光景が脳裏をよぎる。
そうか、あの時、空の隣にいたのは……レイン。
「レイン……それは桐島 レインかね?」
「はい。そうです」
今度はきちんと理解できた。ただ何故彼女が空の隣にいたのか、それに空は……。
「なるほど、ある程度は理解できた。君はもしかしたら灰色のクリスマスで誰か死ななかったか?」
「……空が」
言ってしまってからハッとする。
「なんで……空が……アレ? でも仮想空間で……」
ノイ先生はどこか天井を見上げると、世間話をするように俺に問う。
「甲クン。君は平行世界というものを知っているかな?」
「……シュレディンガーの猫ですか?」
「うむ、コペンハーゲン解釈ではなく。多重世界理論だがな。言ってみれば起こりうるifの別世界」
三流ホロではよくある話だ。
「……それがどうしたんです?」
今までの話とは全く関係ないような。
「察しが悪いな。……君はその別世界から来た可能性がある」
「……は? そんなことありえるわけないでしょう?」
何を言っているんだこの人は……。
「君が言うか。……死んだ人間が生き返るというのは、それと同じくらいありえないことなのだよ。いや、むしろ医者として言わせて貰うが、死んだ人間が生き返ると言うことの方がありえない」
きっぱりと言い切るように重苦しいノイの声が病室に広がる。
「でも、俺はここにいるじゃないですか! 何を根拠にそんなこと」
ノイは自分の頭のこめかみを人差し指でチョンチョンと突く真似をする。
「脳内チップ……その情報だよ。君の脳内チップにはまるで記憶と言う表現できるほど膨大なデータが圧縮されている。そのデータは何かキーになる言葉で解凍され記憶とし、て君の脳に直接受け継げられるようになっていた……」
「ちょっ……ちょっと待ってください! それって俺の記憶が間違っていることがあり得るってことですよね!?」
「安心したまえ、私が見る限りそれはないと断言しよう。こちらに取りだすことすら不可能だったが、アレはそう簡単に解凍できるようなものではない。なにより今まで解凍された形跡がないことから、君が今持っている記憶は君自身が体験したものだ」
「……そうですか」
俺は一旦、安堵の溜息をつく。
「さて、根拠の方に戻るんだが。君の脳内チップの情報、その中に一部、明らかにこの世界から来ていないものがあるんだよ」
「……解凍はできなかったんじゃないんですか?」
「そっちもそうだが。わかりやすいもので言えば君の傭兵としてのデータに履歴書、経費、経歴など。中には明らかに偽造が難しいモノもある。例えば戦闘データや膨大な数の軍事関係の通信履歴。ここら辺は君の方が詳しいだろうから省くとして……」
言いながらも早く調べなさいと手を振るノイ先生。
だが、調べるまでもない。
「……成程」
そもそも前ほど強烈なものではないけれど、傭兵としての記憶が戻っている。どれも記録に準じたモノばかりだ。
「あぁ、先に言っておくが、君の口座に関して言えば、こちらでは作成されてないので使ったら詐称だから気をつけなきゃいかんぞ。中尉殿。無論、私とて商売なので代金は別口で貰うがな」
「……ツケか出世払いでお願いします」
「まぁ、君の治療費については私にも心当たりがあるから君が気にせずともいい。ところで、ちなみに愛しの空クンに関してはどこまで理解している?」
「いとしのって……空に何かあったんですか……?」
「いや、私の視点から見れば別段と変わらないよ。ただ、君と同じ経験を積んだだけでね、階級も中尉だ」
心の中で言い逃れできないほどの衝撃が走る。
「……ッ! それって!? 空が軍隊に!?」
「やはり知らなかったか。水無月 空の名前で傭兵斡旋用のデータベースを見たまえよ」
俺は急いでアクセスを開始した。たった数秒単位のロードが長く感じる。
そして映し出されたデータ。
「……コレって」
まるで自分の経歴を見ているようだ。
空はドレクスラー機関を追っているのだろう、世界中を飛び回っているがどこも知っている名前ばかりだ。
そこで、どんなことがあったかまで明確に思い出される。
「どうだね。平行世界の根拠としては中々のものだろう? 君は水無月 空が死んだ世界から来た。ただ、ここでは門倉 甲が死んでいた。それだけの事だ」
「……それだけって、そんなことがあり得るんですか?」
人が別世界に行く何てSFもいいとこだ。
「さぁ? それは、私の本分では無い。だが、君がここにいると言う結果に対して何らかの原因はあるはずだ。そこが実に面白い、私はこの知的好奇心を満たすために少しばかり面倒事を持ち込むのもやぶさかではないと考えている」
「…………それって」
「何か困った事があれば、何時でも相談に乗ってあげようと言っているんだ」
「……それは、その……ありがとうございます」
何と言えばいいのか、まるで人生の岐路に立っている気分。
俺が死んだ世界に俺がいるという矛盾が全ての始まりだ。
「さて……今日はもう遅い。一度体を休めてはどうかね」
気遣ってくれたのかノイ先生がベッドを一つあてがってくれる。俺は素直にその申し出を受けることにした。
「……すみません」
「気にするなとは言わんし悩むのもいいが、ここは曲がりなりにも病院で、しっかり休むのが患者の仕事だ。休養したまえ。……まぁ、眠りにくいようならこう言うモノもある、推奨はせんが気が向いたら使うといい」
そう言って注射器に入ったナノマシンを渡してくれる。
それは市販されている睡眠用のナノマシンだった。ノイなりの気遣いなのだろうとありがたく受け取っておく事にした。
結局、その夜は世話になってしまった訳だが。
*
誰もいなくなった診察室。
ノイは空虚のようにそれを見つめていた。先ほどいた門倉 甲の診察結果。
肉体の痛みは長時間没入者に見られる極度の筋肉痛だ。
それだけを見たら別に不思議はない。だが違和感が残る。
なにより、まだ彼に伝えていないことがあるのだ。
彼の脳内チップはアーク社製のものではない。
記憶領域や接続率の高さから人体に適応せず、実用が不可能と言われた脳内チップ。
「第三世代<サード>か……」
第一章
── 覚醒 ──