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[23651] ─BALDR SKY World-0,9─ (習作)
Name: 空の間◆27c8da80 ID:0f416397
Date: 2010/11/21 01:57
 *注意的な前書き*

 このSSはBALDR SKY Dive1及びDive2、できればDiveXも攻略した後に読むことを推奨します。

 Dive Xも終わって、そろそろ、定期的に(できれば土日のどちらか)に更新していきたいと思っています。

 この小説を読んで読者が少しでも楽しんでくれれば幸いです。

 *




 Ⅰ



 目覚めると、俺は白い海に漂っていた

柔らかなシーツの感触

   白い布地が陽光に照らされて、

    眩しさに開きかけた薄眼を閉じる

おそらくいつもと同じ、平和な一日の始まり
 おそらく今日もいい天気


    窓から差し込む光がまぶたを閉じても、なお眩しい

だけど、ベッドから抜け出すにはまだ早い


――だって、聞きなれた呼び声が、
          まだ、俺の耳には届いていないから


  「甲……起きて」


 ――とか、考えていると、
      ほら、さっそく、『あいつ』の呼ぶ声が聞こえてくる



    「……ほら起きて。早く起きないと遅刻しちゃうよ?」



そう、もう起きないと、学園の始業時間に遅れてしまう


   さっさと朝食を済ませて、今日も学園に行かなくちゃ


 退屈な授業をやり過ごせば、午後からは仲間たちとのお楽しみが待っている


  わかっていながら、俺は聞こえないふりで惰眠をむさぼる


もう少し待てば、
     『あいつ』の手が優しく俺を揺り起してくれるはずだから……


   「もう、しかたないなぁ」


  ほら、『あいつ』が俺を揺り起そうと、身をかがめる気配がする


  ―――『あいつ』


 俺にとって、ちょっと特別な女の子

   生まれてはじめて出会った、
       ちょっと深い関係になれそうな女の子

『あいつ』を思うと、胸が切なく痛んでしまう
  毎日、寮で顔を合わせ、一緒に学園に通っているのに、もっともっと、一緒の時間を過ごしたくて……。


 ……なのに、どうしてだろう?


『あいつ』の名前が、どうしても頭に浮かんでこない。


「……甲」ノイズ。

「……甲、こ~おっ、……甲ッ」不鮮明な音が混じり。

 声が途切れ異変が生じる。

―「……ッ!?」
 自分の体に走る衝撃に眼を開いて最初に見たものは、眼前に迫る鋼鉄の爪だった。

「なんだ、こいつ……?」

 呆然とする俺に向かって、機会の脚がぐっと突き出され――反射的に退くと、眼前で爪が激しく音を立ててぶつかり合った。
「うわっ……!! なんなんだ、いきなりっ!?」
 尻餅をついたまま、俺は腰を動かして後ずさる。拳が、尻が、硬いタイルの上でずるずると滑る。
──尻餅……タイルだって!? 俺はベッドの上で眠っていたはずなのに!?

 慌てて床に目を向けると、俺の下半身は、鋼鉄の甲冑に覆われてしまっていた。

「……冗談、だろ?」

 夢に違いない。夢とは思えないほどにリアルだけど、こんなのリアルじゃあり得ない。
「俺はまだ夢を見ているのか……」だが呟いて顔を上げた刹那、またしても機会の爪が繰り出される。

 目前で、機械の歯が食い合わさる。「ぐっ……!?」機械――まるで蜘蛛のような赤いそれは、さらに音を軋ませ、俺の体に組み付こうとする。

「野郎ッ……離せよ!!」

 俺は咄嗟に両手を突き出した。「なっ……に!?」だがその突き出した両手も、いつの間にか甲冑に覆われてしまっていた。
 いや、これは甲冑じゃない。そもそも装着しているわけではなかった。その金属の皮膚からは直接、鈍い感触が伝わってくる。

「これ、俺の腕……だよな……」

 まるで鋼鉄の肌に神経が通っているみたいだ。
 思わず息をのもうとして、口が無いことにやっと気付く。

「くッ!」

 鋼と化した己の身体に驚き、違和感を感じならも、その腕を大きく振るう。そのおかげで、かろうじて相手の一撃は凌ぐことができた。

 しかし、機械の蜘蛛は、さらに圧し掛ってくる――!
 いよいよその顎が迫り――!

「うわああああっ……!!?」
──ダメだ、防ぎきれない!!


 そう思った瞬間だった。
「危ないっ!!」

 いきなり何者かの声が割り込み、轟音と共に閃光が煌いて、打ち抜かれた機械の蜘蛛が爆発を起こし砕け散る。
 続いて、俺の視野の一部が四角く切り取られ、女性の姿が映し出された。


「大じょう……ぶ……?」


 その髪は薄い栗色の輝きを放ち、聞きなれたはずの声は半ばで勢いを失ってしまう。そして見開かれた瞳は驚きに満ちていた。だが……。
 何故、今、この瞬間まで名前が出なかったのか。

 忘れるはずのない。


――『あいつ』


 何故か唇が震え、声が枯れだす。どうして心臓がこんなに鼓動を早めるのか、言いようのない感覚が俺を沸き立たせた。
 後悔、歓喜、絶望、焦燥……どれにも似ているようで異なる。

 これは、この気持はきっと――****だ。


「そら……?」
「こ……ぅ…?」


 声が重なりあった。



―――第一章、覚醒―――



 記憶が逆流していく。様々な記憶。
 
「がッ……!!」

 脳が焼き切れそうな激痛にともない、脳内に記憶がフィードバックしていく。
 そこには母さんと親父が一緒にいた。叔父さんの家で亜季姉ぇと一緒に過ごしていた。如月寮で空や千夏、菜の葉、亜季姉ぇ、真ちゃん、雅、先生達と学園生活を送っていた。

 まるで、映像が超スピードで再生されていくように記憶の束が脳内を蹂躙する。抜け落ちている部分はあるが、楽しい思い出や辛い思い出として流れていき。


 やがて『その日で止まってしまう』


 目の前に映し出された『あいつ』の顔がぐにゃりと歪む。そして、ゼリーの様に皮膚や服がその境界線をせめぎ合って。

 肉体の境界線が失われていき、『あいつ』の耳が、鼻が、目が、髪が、泡立つように蠢き、見えてはいけない筈の部分が動き出し、ゼリーのように溶け合い。赤や緑、青の軽快な色がせめぎ合い混ざり合う。

 やがて粉々になった『あいつだったモノ』は地面混ざっていく。
 叫び声が口から漏れ出してしまう。


「ぁぁっ……ぁぁああっッッ! あああぁあぁあっ!!!!!」


──嫌だ。嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ止めろ―――
 嘔吐がでそうになる口を押さえるが、何も出てこず、気が狂いそうな不快感だけが俺を喉から埋め尽くす。

「……ぁ……ッとxx……っと! ……かぃ……xさいっ!」

 誰かが俺を呼ぼうとしている気がする。けれど耳を伝わり脳まで届く気がしない。

 遮断される。


――視界が全て光に包まれていた。いや、天から光が降り注いでいた。
  ”対地射撃衛星群 <グングニル>”
 ダメだ。止めろ。そこには、『あいつ』が――その事実を否定する。だが、否定しようと事実は間違いなく事実であり、正しく俺の脳内に読み込まれ。

「ぁあああっあぁぁあxxxx!!!!!」


 気付けば、足が勝手に動いてた。俺は光の柱に向かって走っていく。


 紛れる人ごみが俺を押しかえそうとする。
 いや、明らかに敵意を持って攻撃してきている。強烈な衝撃が左肩から伝わってきた、俺を捕まえていた警官が噛みつこうとしているのだ。足もとからは子供がナイフを持って近づいてくる。殴りかかろうとしているサリーマン風の男。

 まるで、自分以外の人間が、全て俺に対して親の仇のような目でこちらを睨んでいた。
 肩から痛みが伝わってきた瞬間に理性がはち切れ、頭に血が昇るのが自分でも理解してしまう。

「邪魔を……するなぁああ!!」

 全ての有象無象を蹴散らしてでも『あいつ』の元へ、きっと『あいつ』は俺を待っているから。

 約束したんだ。

 迎えに行くって。

 手元にあった鉄パイプで肩を掴み噛み切ろうとしいた警官を殴った。足もとにいた子供を蹴りとばした。襲ってきたサリーマン風の女を殴り、俺が前に行くのを邪魔しようとしている全員に対して敵意と害意を向けた。

 できるだけ殺さないように努めるが、何人かは致命傷を与えてしまっただろう。
 機械のようにこと切れる人間を前にしても、何故か全く感傷を持てない自分に対する違和感。

 それでも、俺は走り続けていた。


 *


「中尉! 突然、通信が切れたと思ったらいったい何所にいらしたんですか!?」
 通信が開き、私の前に西洋風のお嬢様といった感じの女性が映し出された。というか、れっきとしたお嬢様だった。
 美しい金の髪と均等の取れた丁寧な作りの顔。抜群のプロポーションを持つ彼女の名前は──。

 桐島 レイン。私の同期であり、友人。
 整った容姿と、白い肌。日系人らしくない美貌を持つ、私の最高の部下で相棒。
 咄嗟に目の前に映る女性の経歴を思い出し、今、目の前で起こった事を無かった事にしようとする。

「え? ……えぇ、うん大丈夫よ」

 すぐに私は現実に引き戻された。まだ呆然としていたのだろう。どうにも頭が混乱している。
 世界が止まったと思った瞬間に現れた『あいつ』。何度目、瞬きをしても消えなかった『あいつ』。
 でもそんな訳がない。

 だって『あいつ』は……。

「レイン……追うわよ」
「え? 追うって、一体誰を……って待ってください中尉!?」

 私はレインの問いに対して答えを返せなかった。
 きっとアレはドミニオンが作り出したNPC。だって”死んだはずの人間”が蘇るはずがない。


―――『あいつ』門倉 甲 は12月24日。灰色のクリスマスで死んだのだ。


「……ッ……中尉。待ってください!」
「何?」
「無人機械<ドローン>が……」


 レインから送られてきたデータを見て私は愕然としてしまった。雑魚の無人機械とはいえ、この先には相当の数がいたはずだ。
 それなのに、この短時間で『あいつ』が通ったと思われるルートは見事に敵が一掃されている。

 いや、数秒毎に更新されるそれを見ていると現在進行形で行われているようだ。その一番奥、『あいつ』がいるだろうところは敵のシグナルで真赤に染まっている。

「見てください中尉。敵の無人機械のほとんどがブレードや殴打のみで破壊されています。これは一体……どこの凄腕<ホットドガー>の仕業ですか?」

 私も敵の残骸を確認してみて、また驚愕してしまう。『あいつ』は銃火器の類を全く使っていない。
 背筋が冷たくなるのを感じた。もしこれが狂信者共<ドミニオン>が新しく作り出した兵器か何かとしたら……。

「とにかく急ぐわよ、レイン」
「了解<ヤー>」

 確認しなければいけない、アレが何者なのか。何なのか。


 Ⅱ



 灰色のクリスマス。

 12月24日20時32分、ドレクスラー機関研究所から開発が最終段階を迎えた第二世代ナノマシン<アセンブラ>が流出し、研究所周囲が汚染。
 汚染区域はアセンブラの特色である、自己増殖能力と改変能力により拡大されていく。

 同刻、20時52分、統合軍アジア司令部は超法規的措置による、対地射撃衛星軍<グングニル>を発射。
 汚染区域、及びその周辺を住民語と焼き払う。

 これにより、死傷者、行方不明者は数万人に昇る。


 死傷者、行方不明者を確認しますか?
 YES、NO

「Yes」

 私は目の前に開かれた統合軍による簡易の調査報告書にアクセスして、幾つかのタブから”門倉 甲”の名前を検索する。
 出てきたのは、名前と顔。そして最後に行方不明を表す赤い英語。

「……中尉。何を調べているのですか?」
 レインから通信が入る。

「ううん、なんでもない」

 私はそっけない返事を返すと、目の前に出していたウインドウを閉じていく。
 仮想空間内の人型戦闘兵器<シュミクラム>を動かす傍ら、もしかしたらとあり得ないことを考えていた。

 でも『あいつ』は死んだのだ。
 その時、私はそれを目の前で見ていた。

 アセンブラに汚染され、人でなくなっていく彼の姿。
 それがまだ脳裏に焼き付いている。


―――間違いなく”門倉 甲”は私、”水無月 空”の目前で死んだ。


 そう自分に言い聞かせるように私は何度も頭の中で呟いた。

「空中尉! 前方から敵ウイルス接敵します!」
「わかってる……!」

 敵と言う言葉に体が条件反射に反応する。
「戦場で余計なことを考えるな」軍隊に入った当初に教官から口うるさく言われた言葉。
 それに従って意識を戦闘に集中させていく。けれど一瞬、もし『あいつ』が生きていたなら、と考えそうになるのを首を振って必死に頭からかき消した。
 私は一度大きく深呼吸して気を取り直すと、とにかく声をあげる。

「レイン、いつも通りのフォーメーションでいくわよ!」
「了解<ヤー>!」

 私が前に出て、レインが後衛で私の援護をする。
 新人時代からずっと一緒にやってきたのだ。二人でなら無人機械のウイルス相手はおろか、相当の凄腕<ホットドガー>相手だろうと引けを取らないつもりだ。

 前方のウイルスの数はたかだか数十体、しかもほとんどが手負い。負ける要素など何もない。

 噴煙を上げる残骸。
 地平線まで連なる無機質な巨大建築群からわらわらと湧くウイルスを一体、二体と確実に潰していく。



 やがて、周辺にウイルスの識別信号がなくなるのを確認する。
 見上げると上空では漆黒の闇を裂くように、光弾が横切っていき、遠くから爆発音が響いた。

 私たちの他にもまだ戦闘を続けているモノがいるようだ。

 しかし、近くに味方の識別信号はない。今さらながら気づいた自分に嫌気がさしてしまう。

「レイン、部隊の人たちは……」
「残念ながら……」
 重苦しい返答。

「全滅……か、また変な悪名をつけられなきゃいいけど」

 半ば予想はしていたけれど部隊は私たちを残して壊滅。これほどの失態をやらかしたのは新兵の時以来かもしれない。
 心苦しさは感じるが、それ以上は感情をシャットダウンして今は考えないようにする。


「この施設には自爆装置がしかけられていたようです。敵のシュミクラム隊も壊滅しているのが不幸中の幸い……とでも言いますか、戦場に残っているのは私達のように取り残されたシュミクラムが数体と、無人機械<ドローン>のウイルスだけです」
「わかった、とにかく今は『あいつ』を追いたい」

「……了解<ヤー>。同方向に、離脱妨害<アンカー>と妨害装置<ジャマー>を展開させている指揮タイプのウイルスが一機いるようです」
「そう、ちょうどいいわね。こっちの後ろから付いて来られるよりは幾分かマシだわ」
「わかりました」

 何も知らされていないレインからすれば、『あいつ』をおとりに逃げる方が得策のはずだ。何も言わずに従ってくれるのはよっぽど私が必至な顔をしていたからだろう。

 私たちはシュミクラムを動かして、『あいつ』を追う。



 シュミクラムを高速で移動させ数分、
 目線の先にソレをとらえた。

 心臓の鼓動が速くなり、手が震えている。
 あまりみたことが無かったから最初見たときは気のせいだと思っていたが……間違いない。

 レインが息を呑んで口を開く。


「……嘘。……だって、アレは……甲さんの影狼<カゲロウ>」


 そう、特徴的な青いと白のコントラスト。無駄が省かれたフォルム。
 私が乗る、カゲロウ・冴。そのオリジナルたる存在。

 亜季さんが言うには使用者の戦闘内容によって成長の度合が異なり、全くの同型機は理論上存在しないはず。

 私は自分でも知らず知らずの内に口を開いていた。

「甲……?」

 仮想空間の端に作られた広場。

 そこはスクラップへと変えられたウイルスの墓場だった。
 その中心に先ほどまで存在していた指揮タイプ、人型の赤いウイルスだったその機械的な胸から、ズブリとブレードが引き抜かれる。
 胸を貫かれた指揮タイプのウイルスはそのまま沈黙してしまった。


「……空?」


 通信が開かれ、『あいつ』の驚いた顔が映し出される。

 あの頃とあまり変わらないが、どこか大人びた雰囲気がかもし出され。つい、無警戒に逞しくなったという印象を持ってしまう。

 だが、もし、これがNPCならば。

 もし、これが電脳幽霊(ワイアードゴースト)ならば。

 もし、かれが”甲”ならば。

 様々な憶測と感情がうずめきあい、互いに否定し合う。


 目の前の存在を必死に否定しようとする自分。
 目の前の存在を何が何でも肯定したい自分。

「……あなた……誰?」
「おい……忘れちまったのかよ」

 軽く笑う、その姿は間違いなく甲そのものだった。
 けれど、認められない。今までの二年が、その全てを否定し警戒しろと訴えてくる。


「嘘! だって甲は死んだのよ!!」


「嘘じゃない。迎えに来た……空。遅れてごめん」


 学生時代と変わらない柔和な表情。
 彼が確かに微笑んでくれる。たったそれだけのことで、全てが吹き飛んだ。

 もしこれが幻覚でも構わない。

 例え敵の罠だったとしても、そこに彼がいるのなら。

 会いたい。

 抱きしめたい。

 一緒にいたい。

 とっくの昔に捨ててしまった筈の感情。偽りだと思い込んでいたのに、何年たってもどうしようもなく離れなかった思い。
 数年間、ずっと抑えつけていた心が私を溢れさせる。


 あいつはシュミクラムを解除して、こちらに向かってくる。
 私はレインが止める声も聞かず、戦場の真っただ中だというのにシュミクラムを解除してしまう。


「甲!」「空!」

 そこにいる、すぐ目の前にあいつがいる。

 意識していなかったせいか、いつの間にか涙が頬を伝い、唇が震えていた。
 後、数歩で届く位置に私たちは立っていた。


「……会いたかった!」
 あの日からずっと。
 一日たりとも忘れたことは無かった。


「……俺もだ!」
 その声が聞きたかった。
 機械に残された記録じゃない、仮想空間だとしても確かな音の響き、それが耳にとても心地よく届く。


「馬鹿ぁ……ッ 本当に馬鹿ぁ……!」

 私の声とは思えないほど弱弱しい声で罵倒してしまう。
 だけど、違う、そうじゃない。

 そんなことが言いたい訳じゃないのに、もっと、もっと他に大切なことをたくさん伝えたいはずなのに、
 嗚咽と共に情けない声しか出てこない。

 眼を反らしたら消えてしまうかもしれないと、私は滲む視界で必死に彼を見つめる。

 私はこんなにも弱い人間だったのだろうか……。


「……ごめん」


 彼のその言葉を聞いただけで私は本当に満たされてしまった。

 そして、確かな感触が腕に伝わってくる。

 ぬくもりが私を包み込み、私も彼を離さないように手を伸ばし――


―――私たちは確かに抱きしめあった。


 Ⅲ




 俺の腕の中、確かに今そこに、『あいつ』がいた。

 随分、大人びた雰囲気になっている。けれど間違いなくそこには、


 ”死んだはずの空が存在した”


 まだ頭が混乱しているようだ、彼女はここにいるのに死んでいると言う矛盾。
 これはただの夢かもしれない。
 いや、俺の頭がおかしくなったのか。


―――けれど……それでも確かに彼女はそこにいる。俺はそのことだけで幸福に包まれていた。

 腕の中の空が泣きやみ笑ってくれる。それを見て俺も自然と微笑み返してしまう。



 だが、その幸福な時間も唐突な爆音によって終わりを告げる。

 熱を含んだ風と強烈な白光が視界を遮り、戦闘の足音を肌で感じた。
 かなり、距離が近い。


「中尉! 未確認のシュミクラムが異常な速さでこちらに接近してきます!!」


 その言葉を聞いて俺達が動いたのはほぼ同時だった。
 シュミクラムに移送しようとするが、それより一瞬速く”それ”が上空から目前に姿を現す。

 赤と黒の趣味の悪い二重奏、上半身が大きく膨れ上がったシュミクラム。
 爪のように尖った何本ものブレードが背中からはえている。

 色合いも全く似つかないのに、その研ぎ澄まされた風格は先生の震機狼<シンキロウ>に似ている。


 その視線はひたすらに俺達を睨んでいた。
 狂気のような明確な殺意。

 そしてそいつが咆哮をあげる。


「こ・の・アベック共がぁぁあああっ!!! 俺の視界でイチャイチャしやがって! 何様のつもりだああああっ!!」


 男の声だ。それを聞いて悟った。
 こいつは恐らくジルベルトやその他と同じく、関わらない方がいい手合だ。

 一際奇声をあげた男は何かをぶつぶつと呟いているまま行動しようとしない。
 俺と空は互いに距離を取って、シュミクラムに移送する。


「空中尉、ここは引きましょう。……あなたも、いいですね」

 金髪の女から通信が送られ、最後に厳しい視線で同意を求められる。
 空が中尉だと言うことに驚いた。空は空で何か口ごもっているが、女性の威圧に押されて渋々頷いていた。
 いや、そもそも彼女は……。
 思考がよぎるが、それも男の声によって強制的に戦闘態勢へと移される。


「ざ…で…sざs……逃がすものかぁ!! 貴様らアベックは人類の敵だ! ドレクスラーだろうがドミニオンだろうが関係ない!! 男は殺して女は犯すっ!! それがマイ・ジャスティィスッ!!」


 奴は叫びながら肩と腰の四方に装備されたマシンガンを発砲する。


「……ッ! それは正義じゃないだろっ……!!」
 回避しながら毒づく、三人バラバラに動いていると言うのに追ってこれる所を見ると、あの男、言動は無茶苦茶だが結構な腕前をしているようだ。

「何よ! 何なのよ! 完全にひがみじゃないの! 第一そんなこと言ってるからモテないんだっての!!」

 空は一般論を言いながら銃で狙い撃つ、何発かあたりはするが、互いに遠距離からの攻撃で決定打にはならない。


「うるさいっ!! そんな勝者の理屈は聞き飽きたぁ!! 俺はただ純粋に恋している奴が、純粋に嫌いなだけだっ!!」



「……え? 馬鹿?」
 空は呆気に取られて真顔で驚いている。

 だが、気付けばいつの間にか俺達の後ろには何もなく、すでに仮想空間の端まで来てしまっていた。
 完全に追い詰められた。狙ってやったのなら相手を甘く見ていたと背筋に冷たいものが走る。


「純粋の言葉が前と後で受ける印象がここまで違うのはある意味驚きですねっ……! 離脱妨害解除プロセスは終了しています! 飛び降りてください!!」


 レインと空が躊躇なく飛び降りるのを見て、一瞬ためらうが俺もそれに続く。

 虚無の中に高速で落ちていく感覚。

「離脱妨害手続き<ログアウト・プロセス>機動!」

 レインが叫ぶのと同時に0と1の虚構が包み込み、呑みこんでいく。



「ジィィザスッ!! 呪ってやる!! アベックなどこの世から滅びてしまええええぇぇぇぇッ!!」



 奴の遠吠えが頭の中で木霊していた。





―――離脱<Log out>―――




 青い空。
 桜の舞う花弁は美しく景色を彩る。

 そこには学生時代の自分がいた。

 親友の雅がいた。

 これは記憶の欠片。

 住んでいた寮を追い出されて如月寮へ始めて歩いていく自分たち。
 千夏と始めて出会ったのもこの時だ。

 亜季姉ぇのとんでもな地図が解読できなくて、迷っているところに現れたのが先生だった。
 先生に連れられて着いた如月寮は一見、木製のレトロ感が漂う寮。そこで幼馴染の菜ノ葉と従兄の亜季姉ぇに再開した。


 そしてシュミクラムに初めて移行<シフト>する雅と自分。その日の夕方に先生と出会い、手ほどきをしてもらう。


 場面が少し変化し、亜季姉ぇの私有空間でクゥと戯れている。幼い少女のように笑い、ほほ笑むクゥ。
 模倣体<シミュラクラ>のクゥは段々と成長していく。感情がはっきりとし、言葉が話せるぐらいに……。


 やがて大会に出場するために千夏が加わり、
 千夏がよく如月寮に入り浸りするように頃だったろうか、入学式で苛められていた少女、真ちゃんと親しくなった。


 そして真ちゃんと一緒に如月寮に来た『あいつ』。

 模倣体<シミュラクラ>とそっくりな少女。
 水無月 空と出会った。


―――起動<maneuner>―――


 脳内で砕けた記憶のパズルが自然と組み込まれるように、抜け落ちていた記憶が思い出していく。 
 しかし、それも束の間、ひたすらに不快な感情により意識を呼び起こされる。


 最初に感じたのは肌寒さ、次に感じたのは異常な脳の痛みと全身の苦痛。
 自分は一体、今どこにいるのか。

 霞む視界、吐き気がするような密閉された空間。
 息苦しく体の自由がきかない。棺桶の中にでも入っているようだ。

 混乱する体を無意識に動かし、直ぐそこにある壁を蹴りあげる。


「クソッ……開け! 開けッ!!」


 数度、膝で蹴りあげていると透明なコンソールのふたは勝手に開き、新鮮な空気が補充された。
 辺りを見回すと白を基準としたうす暗い機器が出迎えてくれる。

 人の気配はないが研究室だろうか。頭に靄がかかったような状態で辺りを見回すと、幾つもの見たことの端末やハードが存在した。
 ふと、自分の乗っているモノを見る。
 かなり古いタイプのコンソールに寝かされていたようだ。よく見れば、こんなところで生きていたの不思議なくらい錆びついている。

 立ととうとするが、全身が言うことを効かず。無様にふらついて倒れてしまう。
 地べたに這いつくばると、床の冷たさで自分が裸だと気付く。

「……あー……なんだってんだよ」

 死んだはずの空、抱きしめた空。
 腕に残ったぬくもり。
 
 確かに彼女は生きていた。
 それだけで嬉しくて舞い上がってしまいそうになるが、なにぶん体動かない。
 動こうとしたら激痛が走る、さきほど無理して動かした足が一番痛い。
 仕方ないので何かを考えようとするが、考えれば考えるほど頭痛が起こる。


 一時間ほどうつ伏せに寝ていただろうか、やっと痛みもおさまりだし体が動かせるようになってきた。


 周囲に衣類が全くないのでふらつきながらも、外に出ようとする。
 地下道らしきところを壁にそって歩いていく。ただでさえ動きが制限されているというのに電気が付いていないせいで足元がおぼつかない。


 一体どれほどの距離を歩いただろうか、階段を何階も這いずりあがり、やがて地上に出る手動式の扉まで辿りつく。
 ただ、たどり着いたはいいが、服がない。

 はじめ開けようとしたらいきなり人が通ったので急いで扉を閉めてしまった。そのせいで、ここが何所か検討もつかない。


「流石にこれで出歩くのは気が引ける……というか無理」


 衣服を探しに戻ろうと背を向けた瞬間。
 視線を感じて後ろを振り向くと、扉が開いてそこには少女が立っていた。

「……へ?」

 ゴスロリとでも言えばいいのだろうか、茶色い髪に良く似合うメイドさんのような格好をした女の子。

 彼女の視線の先、それを辿っていくと……。

「…………ちょっ!?」
 前を隠そうとすると近づいてきて、少女はにやにやと笑う。


「……いや~、君は若いのになかなか渋い趣味しているな」

「ち……違う! これは……!」

「はははっ、隠すな隠すな。私は見て楽しい、君は見られて楽しい。私たちは実に良好な関係を築けると思うが……」

 わざとらしく大仰に少女は笑う。
 完全に勘違いしている。
 子供とは思えないほど大人びた表情、と言うより言ってることがおっさん臭い。


「だから違うって! 俺は露出狂じゃない!」

「うむ、露出狂はみんな最初はそう言う。嫌よ嫌よも好きなウチ。口ではそう言いながらも、体が感じちゃう。そこがまたそそるじゃないか」
 にこやかに妙な事を言う少女。

「そんなわけないだろ!」



「いやいや、なかなか立派なものを持ってる。誇りたまえよ」
「見たのか!? 見えたのか!?」

 一瞬、考える振りをしてから少女は仕方ないなと言う風に呟く。
「見えた。……ということにしておこう」

 恥ずかしげもなく意地の悪い笑みを少女は浮かべた。

 逆にこちらが恥ずかしすぎて逃げようにも体がまともに動いてくれない。
 足を動かそうとしたらそのまま倒れこんでしまった。


「ふむ、そういうプレイかね? 誘っているのか、皆まで言わずとも据え膳食わぬはなんたらの恥、今日ここで会ったのも何かの縁だ。最後まで付き合おうじゃないか」


 だから違うって。
 そう言っても、手をわきわきさせて近づいてくる彼女に俺は対抗手段をもっていなかった。



 Ⅳ





 清城市のはぐれ、貧民街を横切りやがて見えてくる古びた安宿。

「いいセンスしてるわよね。本当に……」
「申し訳ありません。この街で一番プライバシーを保障してくれるのはこの手の施設だそうでして……」

 毒々しいラブホテル、私達が隠れ家に使っている。本来、他にも部隊の連中が留る予定だったため貸切状態だが、一番良い部屋ですら掃除が行き届いていない。


「はぁっ……世も末よね、まったく」
 間抜けに視界を横切った小型盗撮用ロボットを掴み、地面に叩きつける。

「寝る前に部屋の点検を、もう一度した方が良さそうね」

「ですね……。これでは、落ち着いて休むこともできません」

 苦笑するレインの手にも似たような代物が掴まれている。

(お喋りは直接通話<チャント>にしましょう。この調子じゃスケベ親父が盗聴でもしていそうだから……)
(ええ、そうですね。……しかし、あの人は一体なんだったんでしょうか?)


 レインが上着を脱ぎながら厳しい目線をこちらに向ける。


(それは、甲のこと……? それとも、あの変態のこと?)
 私は離脱後、ちょっとレインに迷惑をかけてしまったせいもあり何となく立場が弱い。


(変態の方はすでに目星がついています。一応ですけど確認しますか?)

(相変わらず仕事が早いわね、もちろん確認するわデータを送って)
(わかりました)

 レインから送られてきた情報を視界に表示させていく。


―――ゼロナ・サディアストス。

 その容姿はイメージとは違い、白い髪が目立ち一見おとなしそうな印象を持つ優男だった。
 けれど経歴を見ていく内に私は息を飲んでしまう。
 キルスコアまで表示されその数は万に達しているのだ。自分の経歴にこんなものを乗せるのはよっぽどの自信家か変態ぐらいだ。
 他にも凌辱した回数やどう殺してきたかなど、碌な事を書いていない。こんな人間を雇おうなどと思う人間は少ないだろう。

 あと彼が被造子<デザイナーズ・チャイルド>であることも目を引いた。
 被造子<デザイナーズ・チャイルド>、遺伝子操作により生まれながらにして高い身体能力や知能を有した人類。一時期、反AI派の間で流行したが、様々な面での非人道性が取り沙汰され、現在では一度は完全に禁止になった。


(元統合政府の電脳将校にして、レコンキスタの幹部……。……統合はともかく、レコンキスタの幹部ってのは納得)


 最近では被造子推奨派<レコンキスタ>の活動により一部の地域では条件付きで可能となったらしい。
 そのおかげで彼らはすでにデザイナーズ・チャイルド達の間では英雄扱いだ。
 実際、一般の傭兵の私にもレコンキスタには後ろ暗い噂はよく耳に入ってくる。もはや、いったいどれほどの事を行っているのか想像もつかない。


(ジルベルト達の親玉とでも思えば、ある意味、当然と言えば当然なのよね……)

 こんなのが幹部を務めているのだから、組織の方針もわかりやすい。
 自分達が人類の上位種とでも考えているのだろう。


(中尉、被造子の全てがあんな性格をしている訳ではありません。むしろ彼らのような変人はごく少数だと思います)
(……それもそうよね。でも、統合政府まで関与していたなんて……惜しかったわ)

 逃がした魚は大きい。水面下ながらあそこにはドレクスラー機関に関わる研究者が結構いたはずだ。
 もしかしたら、久利原先生もいたかもしれない。
 私の言葉にレインは一息つくと、再び会話を進める。

(さて、その男については後回しにして、問題はもう一人の方でしょう……)
「……うっ」

 どうにもこの話になるとバツが悪くなる。
 離脱後に寝ぼけて近くに甲がいないことを理解できず、少し錯乱してしまったのだ。
 敵と間違えてレインの頭に頭突きまで……。 

「その……まだ怒ってる?」
「ええ、ただ勘違いしていそうですから先に言っておきますが、空さんが自分で起きようとしない限り寝起きが悪いのは知っているつもりなので、怒るつもりはありません。まぁ……なかなかいい攻撃だとは思いました」

「え……そっかな~」
 照れてしまう。


(褒めてませんからね。ともかく話を戻しましょう。私が怒っているのは中尉が戦場でシュミクラムを解いたことです)
(いや~……あの時は本当に嬉しくて……その、ね)

(言いたくありませんが甲さんは灰色のクリスマスで死んだはずでしょう? それが突然現れるだけでも怪しいのに碌に素性も調べもせず近づくのは無謀もいいところです)

 確かにあの時の私はちょっと軽率だった。……うん、ちょっとのはず。

(でもレインの追尾装置<チェイサー>で甲の本体が清城市にいることはわかったんでしょう? なら結果オーライじゃない)
(論点をすり替えないでください。問題は甲さんはすでに亡くなっているはずと言うことです。もし仮に生きていたとしても一体、今まで何をしていたのか、それに彼が甲さん本人と言う確証が得られたと言う訳ではないはず)

(そこはホラ、女の勘っていうか……第六感みたいな……)

 本当にあのときはそんな風なものを感じたのだ。ソレを説明しようとすると気付けばレインが半眼で睨んでいる。

(明日はお医者様にでも向かいますか?)

(い……嫌よ! レインも知ってるでしょ、ナノマシンの注射の針ってこ~んなに大きいんだから!!)
 親指と人差し指で5cmほどの太さを現して、拒否の意思表示を明確に表す。

(冗談ですよ。しかし、注射が嫌なんてどこの子供ですか……モノによりますが、ナノマシンの針はそんなに太くありません)

(うっ……そ……そう言えば、ドレスクラー機関の情報だけど……)
(露骨に話を逸らしましたね)


 レインはこの日何度目かわからない溜息をつくと、消えてなくなるような声でゆっくりと語る。

(中尉、あまり無茶はしないでください。……先ほどあなたがシュミクラムから降りた時、あなたが死んだ母と被って見えたんです……)

 悲しげに見つめるその姿に、私は彼女を必死に慰める形になる。

(……大丈夫よレイン! 私はまだまだ死ぬ気はないんだから!)
 両腕をあげて元気、元気と口で言うと彼女はクスリと笑ってくれる。


(そうですか……ならいいんですけど。そうだ、明日はアークに向かいませんか? もし今日見た甲さんが本物なら、あの人ならきっと何か知っていると思うんですが……)

(あの人って……聖良さん? そっか、そう言えば甲の叔母さんだったけ)


 聖良さん、私とまこちゃんの学生時代の身元引受人をしてくれた人。灰色のクリスマス以来、あまり会う機会は無かったけど、そう言えば何度かアークに来ないかと誘いを受けていた。
 確かに仮想空間の本処と言ってもいいほどAIが発達しているアークの本社なら何か情報が得られるかもしれない。
 ドミニオンやGOATの情報に関してもまともなものが欲しい。

(わかった、明日はアークに向かいましょう!)
(ヤー)



 *



 裸で横たわっていた俺は少女の攻撃から必至で抵抗を続けていた。

「ははは、病人ならそう言いたまえよ。私はこう見えてその道のプロだ」


 にこやかに体を弄ろうとする少女に呆れながらも、貞操の危機を感じて抵抗をやめれない。
「その道って……!?」

「もちろん医者だ。ホレ、だからその手をどかして見してみたまえ」
 組み伏せようとする少女の腕が明らかに性的な部分へと伸ばされていく。

「ちょっ……! 絶対そこは関係ないって!! それに医者って!?」
 流石にそこまで見せることが出来ない。というか、これは最後の防衛壁だ。


「何、こんななりだがそれなりに生きてきたと言うことさ。むむ、しつこいな君も……そう言えばまだ名前を聞いて無かった。一夜限りの相手に本名を教えることは稀だぞ、私はノイだ、このいい尻を持つ君の名前は?」

 つい名乗られたら名乗り返すと言う古いしきたりに反応して、嬉しそうにぺたぺたと触ってくるノイと言う少女に俺は叫ぶように自分の名前を言ってしまう。


「門倉! 門倉 甲!」


 そう叫んだ瞬間、今まで笑っていたノイの顔が一気に冷めていく。


「門……倉? ……門倉 甲……?」


 手を止めて彼女は俺から少し離れると、考えこむように腕を組み「甲……甲……こうか?」と何度も小さく俺の名前を呟く。
 しばらくして手をポンと叩く。

「おお、もしかして、門倉 永二の息子か?」
「親父を知っているのか?」

「まぁ、あそこの連中とはただならぬ、ふしだらな関係……とでも言っておこうか。……それより、私の記憶が正しければ君は死んだと聞いていたからな、中々、名前が結びつかなかったじゃないか」

 こともなくそう言うノイに俺は呆然と驚いた。

「え? ……死んだ? 俺が?」

「うむ、死んだ」

 ノイはそうはっきりと頷いた。


 Ⅴ






 いかがわしいアダルティーなグッズショップ(本人いわく、趣味と実益を兼ねたカモフラージュらしい)その地下。そこには近代的な医療施設場所が広がっていた。


 一応、市民番号まで確認したがあの少女は本当に医者だったらしい。
 腕も良いと評判だし、一番懸念になる要素と言えばモグリと言う一点のみ。


「いやはや、何と言えばいいのか……おめでとう、門倉クン。DNA、指紋その他もろもろの結果から見るに、君は間違いなく門倉 甲だ。折角だから、この私特製の手書き血統書を進呈しよう」


 こちらを振り向き、大きな口を開けて笑う少女、ノイ先生が上質な紙を渡してくれる。
 達筆なのかよくわからない字で書かれているせいで全然読めないが、おそらくドイツ語のカルテだ。

 俺は治療台の上で患者服で寝そべりながら、目を通そうとしたそれを隣に置く。


「だから、そう言ってるじゃないですか。やっぱりノイ先生の俺が死んでるって言うのが間違いでしょ。実際ここにいるわけだし……」


 彼女が来ていた白衣は俺が借りてしまったため、ゴスロリの一色になっていた。
 俺の言葉にノイ先生は眉をひそめる。


「いや、それなら話はそんなにややこしくない。君の検査と同時に君の経歴を調べてみたのだが、間違いなく君は灰色のクリスマス以後は行方不明とされている。信じられないなら自分の目で調べてみたまえ、君も第二世代<セカンド>だろう?」


 第二世代<セカンド>の脳チップには端末を使用しないで無線での常時ネット接続、仮想世界へのダイブが可能になっている。
 尤も、ダイブ時には万が一に備え有線を使用するのが常識だ。

 俺はノイ先生に煽られてデータベースを開いていく。
 やがて悪い冗談とも思えない事実が目に届けられる。ノイ先生の言ったとおり俺は灰色のクリスマス以降存在していないことになっている。


「……おいおい、何だよコレ……!」
「理解したかね。さて、私は医者として君がどういう状況にあったか非常に気になるわけだ。……さぁ、話してみたまえ」

「……話してみたまえって言われても……つっ!」
「ん? どうした? 体の異常は先ほどの注入したナノマシンでマシになるはずだが……もしや脳内チップまでいかれていたのか?」
「いや、流石にそこまでは……」
 無いと言いきれない。

「まぁいい、ついでだ。もう一度、そこに寝ころびなさい」


 検査が再開される。
 しばらくして診察が終了し、ノイ先生が盛大に溜息をつく。


「……これはまた意外なところから、いや、ある意味これも当然と言えば当然なのか……」
「なんですか?」

「いや、なんでもない。それより灰色のクリスマス以後、君の記憶はどうなっている? 思い出せる範囲でいい、言ってみたまえ」

 真剣な表情で俺の言葉に耳を傾ける。

「空……」

 一番最初に思い出したのはついさっき彼女と仮想空間で出会った記憶。

「なんだ空クンと会ったのかね?」
「ええ……さっき仮想空間で」
「そうか、それより前の記憶はどうなっている?」

 それより前?


―――「例えば、君は誰かと戦争をしていたとか」


「ッ……上海? ……ハバロフスク? フィラデルフィア、それにコスタリカ…………ッ! 本当だ、何で戦争なんか……!」

 ノイ先生の言葉に反応するように記憶が一気に流入する。
 頭痛を押さえながら思い出したことをポツリポツリと呟いていくと、やがて。


「傭兵……!? そうだ! レインと傭兵を続けて……!」

 その言葉を口に出すと二人で戦場に立つの光景が脳裏をよぎる。
 そうか、あの時、空の隣にいたのは……レイン。 

「レイン……それは桐島 レインかね?」
「はい。そうです」
 今度はきちんと理解できた。ただ何故彼女が空の隣にいたのか、それに空は……。

「なるほど、ある程度は理解できた。君はもしかしたら灰色のクリスマスで誰か死ななかったか?」
「……空が」
 言ってしまってからハッとする。
「なんで……空が……アレ? でも仮想空間で……」


 ノイ先生はどこか天井を見上げると、世間話をするように俺に問う。


「甲クン。君は平行世界というものを知っているかな?」
「……シュレディンガーの猫ですか?」


「うむ、コペンハーゲン解釈ではなく。多重世界理論だがな。言ってみれば起こりうるifの別世界」
 三流ホロではよくある話だ。

「……それがどうしたんです?」
 今までの話とは全く関係ないような。


「察しが悪いな。……君はその別世界から来た可能性がある」


「……は? そんなことありえるわけないでしょう?」

 何を言っているんだこの人は……。


「君が言うか。……死んだ人間が生き返るというのは、それと同じくらいありえないことなのだよ。いや、むしろ医者として言わせて貰うが、死んだ人間が生き返ると言うことの方がありえない」


 きっぱりと言い切るように重苦しいノイの声が病室に広がる。
「でも、俺はここにいるじゃないですか! 何を根拠にそんなこと」

 ノイは自分の頭のこめかみを人差し指でチョンチョンと突く真似をする。
「脳内チップ……その情報だよ。君の脳内チップにはまるで記憶と言う表現できるほど膨大なデータが圧縮されている。そのデータは何かキーになる言葉で解凍され記憶とし、て君の脳に直接受け継げられるようになっていた……」

「ちょっ……ちょっと待ってください! それって俺の記憶が間違っていることがあり得るってことですよね!?」


「安心したまえ、私が見る限りそれはないと断言しよう。こちらに取りだすことすら不可能だったが、アレはそう簡単に解凍できるようなものではない。なにより今まで解凍された形跡がないことから、君が今持っている記憶は君自身が体験したものだ」

「……そうですか」

 俺は一旦、安堵の溜息をつく。

「さて、根拠の方に戻るんだが。君の脳内チップの情報、その中に一部、明らかにこの世界から来ていないものがあるんだよ」

「……解凍はできなかったんじゃないんですか?」
「そっちもそうだが。わかりやすいもので言えば君の傭兵としてのデータに履歴書、経費、経歴など。中には明らかに偽造が難しいモノもある。例えば戦闘データや膨大な数の軍事関係の通信履歴。ここら辺は君の方が詳しいだろうから省くとして……」
 言いながらも早く調べなさいと手を振るノイ先生。
 だが、調べるまでもない。

「……成程」
 そもそも前ほど強烈なものではないけれど、傭兵としての記憶が戻っている。どれも記録に準じたモノばかりだ。

「あぁ、先に言っておくが、君の口座に関して言えば、こちらでは作成されてないので使ったら詐称だから気をつけなきゃいかんぞ。中尉殿。無論、私とて商売なので代金は別口で貰うがな」
「……ツケか出世払いでお願いします」

「まぁ、君の治療費については私にも心当たりがあるから君が気にせずともいい。ところで、ちなみに愛しの空クンに関してはどこまで理解している?」
「いとしのって……空に何かあったんですか……?」

「いや、私の視点から見れば別段と変わらないよ。ただ、君と同じ経験を積んだだけでね、階級も中尉だ」

 心の中で言い逃れできないほどの衝撃が走る。
「……ッ! それって!? 空が軍隊に!?」
「やはり知らなかったか。水無月 空の名前で傭兵斡旋用のデータベースを見たまえよ」

 俺は急いでアクセスを開始した。たった数秒単位のロードが長く感じる。
 そして映し出されたデータ。

「……コレって」


 まるで自分の経歴を見ているようだ。
 空はドレクスラー機関を追っているのだろう、世界中を飛び回っているがどこも知っている名前ばかりだ。
 そこで、どんなことがあったかまで明確に思い出される。


「どうだね。平行世界の根拠としては中々のものだろう? 君は水無月 空が死んだ世界から来た。ただ、ここでは門倉 甲が死んでいた。それだけの事だ」
「……それだけって、そんなことがあり得るんですか?」

 人が別世界に行く何てSFもいいとこだ。


「さぁ? それは、私の本分では無い。だが、君がここにいると言う結果に対して何らかの原因はあるはずだ。そこが実に面白い、私はこの知的好奇心を満たすために少しばかり面倒事を持ち込むのもやぶさかではないと考えている」
「…………それって」
「何か困った事があれば、何時でも相談に乗ってあげようと言っているんだ」
「……それは、その……ありがとうございます」

 何と言えばいいのか、まるで人生の岐路に立っている気分。
 俺が死んだ世界に俺がいるという矛盾が全ての始まりだ。


「さて……今日はもう遅い。一度体を休めてはどうかね」


 気遣ってくれたのかノイ先生がベッドを一つあてがってくれる。俺は素直にその申し出を受けることにした。

「……すみません」
「気にするなとは言わんし悩むのもいいが、ここは曲がりなりにも病院で、しっかり休むのが患者の仕事だ。休養したまえ。……まぁ、眠りにくいようならこう言うモノもある、推奨はせんが気が向いたら使うといい」
 そう言って注射器に入ったナノマシンを渡してくれる。
 それは市販されている睡眠用のナノマシンだった。ノイなりの気遣いなのだろうとありがたく受け取っておく事にした。

 結局、その夜は世話になってしまった訳だが。


 *


 誰もいなくなった診察室。
 ノイは空虚のようにそれを見つめていた。先ほどいた門倉 甲の診察結果。
 肉体の痛みは長時間没入者に見られる極度の筋肉痛だ。

 それだけを見たら別に不思議はない。だが違和感が残る。


 なにより、まだ彼に伝えていないことがあるのだ。

 彼の脳内チップはアーク社製のものではない。

 記憶領域や接続率の高さから人体に適応せず、実用が不可能と言われた脳内チップ。


「第三世代<サード>か……」



 第一章
   ──  覚醒  ──



[23651] 第二章 邂逅
Name: 空の間◆27c8da80 ID:0f416397
Date: 2010/11/04 15:47

 Ⅵ


「おきて」

 体が重い。

「ねぇ。おきてよおにぃちゃん」

 腹に圧迫感が圧し掛かっている。
 おにぃちゃん?
 甘ったるい声が響く。

「はやくしないと学校にちこくしちゃうよぉ」

 学校って……俺は渋々目を開けてそれを見る。


「良く眠れたかね? 甲クン」
「……ええ。 ところで……先生は何してるんですか?」

 ノイは俺が仰向けに寝ていることをいいことに、私服姿の彼女が馬乗りになって座っていた。


「妹のある風景と言うのを演出してみたのだが、お気に召さなかったかね?」
「……すみません。そう言う趣味は無いんで」
 先生の中身とのギャップを知った上でそんなことに及べるはずがない。

「何だつまらん。しかし寝込みを襲ったとはいえ、この体制は軍人失格ではないのか?」
 確かにマウントポジションを取られている。
 だが。

「そうでもありませんよ」

 毛布の下に隠していた拳銃を取り出す。

「……私のじゃないか」
 驚いたように目を見開くノイ先生をどかしてコンソールに座る。

「昨日の内に拝借しておきました。自分の身を守るのは基本ですから」

「どろぼーは関心せんな」

 ノイ先生は拗ねたように頬を膨らませる。こんな子供みたいな表情もできるんだなと感慨深げに見ていると、体の調子を聞かれた。
 一日でほとんど痛みはひき、自由に体を動かせるようになっていた。腕が立つと言うのは本当らしい。
 それを聞くとノイは「良好、良好」と呟き本題に入る。


「で、君はこれからどうするつもりかね?」


 決まっている。いや、決めた。

「やることは変わりませんよ、ドレクスラー機関がいるのなら奴らを追います、アセンブラが流出してしまえば元も子もないですからね」

 奴らがいる限り、枕を高くして眠ることができない。


「……そうか、空クンのことは? きっと彼女は君に会いたがっているぞ?」
「ドレクスラー機関を追っていればいつかは見つかる……と言うのは短絡的ですよね。正直、場所がわかるのなら今すぐにでも会いたい……」

「ふむ、だいたい想像通りだな。……やはり血は争えんと言うことか。さて、そんな君にお勧めの就職口を紹介してやろう」
「就職口?」
 にやにや笑っているその表情からはあまり良いものとは思えない。


「今の君は下手をすればお尋ね者も良いとこだ。しかし、ここに入れば一気に給料も貰え食費にも困らず、何より治療代が私の懐に入ってくるという高待遇で素晴らしい就職先だ。すれに怖い面接官が上で待っているのでね……付いてきたまえ」
 颯爽と歩きだす彼女に不安を覚えながらも彼女のあとを追う。


 地下からアダルトショップに上がると、褐色肌に白い髪をした人が太いバイブのようなものを注視していた。

「やぁ、お気に召すものはあったかねシゼル。なんなら今度一緒にお試し期間として使用しても良いのだが?」

 褐色の頬がこちらに気づくと一気に赤く染まり、持っていたバイブを叩きつけるように商品棚に返す。
「……ッ違う! これは……その」

 エロ本が見つかった時の中学生よろしく、物凄く狼狽している。
 だが、俺と目線が会うと一気に軍人へと変わった。
 厳しい警戒心を剥き出しにした表情、自然に振舞いつつもいつでも動けるような体制をとり、重苦しい声色を放つ。

「……ノイ。誰だその男」
「電話で伝えただろう、門倉 甲だ」

 一度だけ目を見開くと、彼女は俺を一挙一動を観察するように睨みつけた。

「昨日の夜、いきなり通信がきて……性質の悪い冗談かなにかかと思っていたんだが……。本物か?」
「偽物を君らにあてがう必要もないだろう、と言う訳でこの甲クンに忘れられた私手書きの血統書を君に進呈しよう」

 そう言えばコンソールの上に置いたまま忘れていた。
 彼女はそれを受け取ると、しばらく眺めていたが「読めん」と一言残して机に投げ捨てる。

 俺は彼女の姿に覚えがあった。
 昔、一度だけ親父と一緒に家に来たのを覚えている。

「え……と、シゼル少尉でしたっけ?」

 それにまた眼を見開くと、軽く笑ってシゼルは多少だが警戒をといたようだ。
「……少尉か。生憎だが、今は少佐だ」

「失礼しました。少佐、昇進おめでとうございます」
「気にするな。……実体がここにある以上、疑う余地などなかいが……信用はせん。それでノイ、これをウチで面倒を見ろと言うのか?」

「そうだ」と肯定するノイ。
 就職口っていうのはこういうことか……。

「……フェンリル」

 PMC―いわゆる戦争請負企業、金さえ出せばどこにでも尻尾を振る傭兵稼業。
 親父が組織する会社だ。

 軍籍につていた今となっては、そこまで嫌悪感は抱いていないが、やはり引っかかるものがある。
 しかし、親父に顔を見せるぐらいはしていいかもしれない。

「なんとも妙な事だ。だが、そうだな……シュミクラムは?」
「ええ、そこそこ」

「ホゥ……そこそこか。その割に随分自身がある様子じゃないか」

 普通に返したつもりだが、明らかにシゼルが挑発してくる。
 今、実際自分がどれほど動けるのかも試したいし、個人的にも彼女の力量には興味がある。

「なら、やってみますか?」
「いいだろう。ノイ、地下を借りるぞ」

「ああ、好きにしたまえ」



 *



 アーク・インダストリー。

 AI事業を始めNPCやシュミクラムに至るまで網羅する巨大企業。

 清城市の外れにあるその本社は、不要なモノを避けたシンプルで機能的なデザインの建物だった。

 中も仮想空間でのビジネスを生業としてアークらしい、機械的な美しさがある。
 まるでスペースコロニーの内部のように広大な人工空間。
 そのはるか下には巨大なアイリス・バルブが存在した。周囲の構造物から判断すればバルブの直径は数百仮想メートルはあるかもしれない。

 社長室はその扉を開けると白光きらめく水晶宮のように存在していた。


「お久しぶりね、空さん」

 人間味の薄い、淡々とした声。
 その声の主は甲の叔母さんであり、昔、私とまこちゃんの身元引受人だった人。
 そしてたった一代でアーク社を立ち上げた女傑でもある。

 橘 聖良。
 灰色の髪に人間離れした金色の瞳、
 表情の一つも変えないその顔はまるで鉄仮面でもつけているようにも見えるが、実際は感情を表に出すのが苦手なだけだ。と私は思っている。

「どうもご無沙汰です、聖良叔母さん」

 私が挨拶をすると近くから人影が現れる。
「よう! 嬢ちゃん達」

「叔父さん!?」

 渋めで奔放とした表情、楽観的だがどこか傭兵としての風格が漂う、甲のお父さん。
 門倉 永二その人だ。
 傭兵になった私を本当の娘みたいに可愛がってくれた。

「ははは、元気にしてたか?」

「ええっ」「はい、その節はどうもありがとうございました」
 一秒で答えたのが私、丁寧に答えたのがレイン。
 これは……育ちが出たのかな?

「そうかそうか、そりゃ良かった。ところで嬢ちゃんも勲の娘さんもウチに入隊しに来たのか?」

「……あー、それはまた今度にでも……」
 かれこれ、この矢理取りも何度目になるか。 

「永二さん、勧誘はそれくらいにして、空さんがここに来たと言うことは何か聞きたいことでもあるんじゃないの?」

 どうどう巡りになるのを見越した聖良さんが助け船を出してくれる。


「そうそう、聞いてほしいことがあるの」

 私は甲のことを話した。
 レインが注釈をつけたりしてくれたからだいたい全容は伝わったと思う。



「……永二さん、あなたはどう思う?」

 珍しく聖良さんが驚いている。やはり私からこういう話が出てくるのが意外だったのだろう。
 考え込むように固まっていた叔父さんが口を開く。

「……そういえば昨日、シゼルが息子の治療費をノイに請求されたって……もしかしてありゃ、冗談じゃなかったのか……?」
「甲がノイ先生のとこにいるの!?」

「それは、わからん……が。お、ちょうどいいシゼルから……」
 そう言って虚空を見つめて固まってしまう、タバコが落ちて驚きに目を見開いていた。

「私にも見してください!」
「ええ、いいわよ」

 叔父さんに言ったつもりだが返ってきたのは聖良さんの方からだった。
 映像が出てきてシゼルさんが映る。
 その隣には……、

『大佐、朗報です。門倉 甲らしき人物を確保しました』


 『あいつ』がいた。





―――第二章 邂逅―――





 Ⅶ





「甲!」

 私は呆然としている叔父さんの横に場所を確保する。

『空!? どうしてそこに!?』
 映像の甲が驚いたようにシゼル少佐を押しのけた。

「え……私は甲のこと叔母さんなら何か知ってるんじゃないかって……それで」
『ああ……そっか』

 甲は納得したようにうなずくけど、こっちは全く納得していない。

「甲こそ! 今どこにいるのよ!」
『え……と、病院?』『ノイの診療所だ』
 シゼル少佐が不機嫌そうに横から注釈を付けてくれる。

「ノイ先生のところ? どこか怪我してるの!?」
『いや、別に……』
 眼を反らすところは怪しいけど、パッと見で外傷はないのでなんともいえない。
「……そう、それならいいけど」

『親父は……』
 その呼び声に反応して隣にいた叔父さんはやっと正気を取り直し、いつもの好々爺のような表情を浮かべる。

「よう、久しぶりじゃねぇか坊主。…とっくにオッチんじまったって聞いてたんだが……なんだ。随分と元気そうにしてるじゃねえか」
 甲は叔父さんに話しかけられると一瞬、目を伏せるが直ぐに気を取り直して呟く。

『……親父こそ』

「てっきり、お前が俺を恨んで化けて出てきやがったのかと心配したじゃねぇか」

 半分は叔父さんの本音だと思う。
 死なせてしまった家族に罪悪感を感じる人は少なくない。
 しかし、甲の答えははっきりとしていた。

『……んな訳ないだろ』

 ふと空気が軽くなった気がする。
 二人は数秒お互いの顔を見て軽く笑みを浮かべた。
 本当に不器用な親子だ。そういう両親と言うのがいないから本当にうらやましかった。


 どれくらい沈黙していただろうか、そこにシゼル少佐が割ってい入る。

『大佐、積もる話もあるでしょうが、これは一応軍事回線です。今から彼を連れてアーク本社に向かいますので詳しいことはそちらでお願いします』

「あ……ああ、すまねぇ」

 手早く報告をするだけのつもりだったのか、叔父さんに落ち着いてもらうために時間を置きたいのか、シゼル少佐は会釈で返した。

 甲は一度こちらを見るとすまなそうな顔をする。

『空、そういう訳だから……』
「うん、待ってる」

『それでは、失礼します』
 シゼル少佐が一度、敬礼して通信を切る。

 水晶宮の社長室ではしばらくの間、誰も口を開こうとしなかった。
 ふと、聖良さんがチャントで話しかけてくる。

(空さん、レインさんを連れて一度、外に出ていてくれないかしら?)

 聖良さんの目の先には肩を震わす叔父さんがいた。気を使えと言っているのだろう。

(……わかりました)
「レイン、ちょっと」
「……え、何ですか中尉?」

 私はレインを手招きして社長室を出ていく。
 口実は全く考えていないけれど、特に気にしない。


 *


 水晶宮の社長室にはいつの間にか自分だけが取り残されていた。

 シゼルや聖良、嬢ちゃん達にまで気を使われたのは理解できたが、それが何よりもありがく感じる。

「親父……か」

 顔を直接見ながらそう呼ばれた最後の記憶は、甲が聖修に入学すると言ってきたときだ。
 合格通知を気恥ずかしげに持ってきた息子。データでも送ってくれればいいものをわざわざそれを自分の足で、仕事場にまで店に来てくれたのだ。

 だが、俺は血濡れたその手で息子を触れるのを躊躇ってしまい。結局、碌に何も話さず去っていく甲に声を掛けることができなかった。
 それが決定的だったのかもしれない。以降、互いに連絡をとる気になれず。連絡を入れても、ただの状況報告のみ。気まずくなるだけだと考えて長話は避け事務的な対応を見してしまった。


 俺はこれでいいんだと自分を抑制して、自分を誤魔化してできるだけ息子を遠ざけ、仕事に明け暮れた。


 父親失格もいいところだ。
 しかも、ふざけた話だが、灰色のクリスマスで甲が死んだと聞いた時は愕然としまった。
 今まで放っておいた癖に、いざ息子が死んでしまうと自分が腹立たしくて仕方がない。
 あの時をのことを思い出すと今でも目の前が真っ暗になり、絶え間ない後悔が押し寄せてくる。

 けれど、甲が生きていた。
 それだけでこんなにも感情が昂ってしまう。


「八重……見てたか? 生きてやがった……あの野郎……本当に生きてやがったよ……」

 いつの間にかうずくまって座っていた。知らず知らずの内に涙が流れている。

 今でも思う、妻が最後まで見たがっていた息子の姿。
 できるなら八重に見せてやりたい。

 あの時も……もし、できるのなら三人で静かに暮らしたかった。
 全てを捨てて普通の生活が送れるのなら、それで幸福なはずだった。

 甲の父親として、八重の夫として……。


「ははっ……んな訳にもいかねぇんだよな」


 昔は周囲の状況がそれを許さなかった。

 そして今も、変わらない。

 自分は軍人だ。

 悲劇を繰り返さないためにも前に進むしかない。


 それでも今はこの喜びを感じていたいのだ。なぜなら”息子”はまだ生きているのだから。


「……ちくしょぅ……」


 押し殺していた涙がまた一つ流れてしまった。






 *






 私たちは甲を待っている間、アーク社の誰も使っていない食堂で久しぶりの甘味を作ってもらい、その味を堪能していた。

「はー。おいしー」
「クローンの培養食材とはいえ、シェフの腕は一流ですね」

 黄色いプルプルしたこやつ。
 学生時代はよく食べたものだが、灰色のクリスマス以後、食糧事情が悪化して今では甘味は高級食材の一角になっている。
 仮想なら幾ら食べても問題ないのだが、現実とはまた味が違う気がするのだ。
 しかも、めったに手に入らないだけに、ついスプーンでプルプルさせながら食べてしまうのは仕方がない。


「でも結局、甲の肉体<リアル・ボディー>も確認したし、電脳霊<ワイヤードゴースト>とかじゃなくてよかったよかった」
 すこぶる機嫌がいいせいか、いくらでも食べれそうだ。

「しかし、まだ信用するには至りません。空さんも警戒を怠らないようにしてください」

 レインはまだ頑なに甲を疑っている。

「はぁ……、なんでレインはそんなに食いつくのよ?」
「……それは当然でしょう、空中尉が彼に対して無防備すぎるんです」

『匿名の呼び出し<コール>です』

 レインが何か言おうとしたところで。機械音声が響く。
 通話を受けると相手はモヒカン頭の男が網膜に投影された。

 見た目が派手すぎて一発で相手の検討がつく、情報屋のエディだ。
 だがエディの顔は焦りと怯えでひきつって、あまりにも緊迫していた。

「中尉、俺だよ俺! 頼むすぐに来てくれ……! えらいことがわかっちまったんだ。いつものアジトじゃない、清城の方だ!本当に頼む! すぐに来てくれ!!」

 明らかに様子がおかしい。
 もしかしたら昨日エディに送った情報から、身に危険を感じるような何かを知ってしまったのかもしれない。
 エディが情報屋として優秀だとしても、たった一日で一体何が? と言う疑問が湧くが、まずは行かないことには話にならない。

 しかし、リアルでのアジトと言うことは、それ相応の警戒が必要になる。
 乗り込むにしても、それなりの用心が必要だろう。

「……もう! タイミングが悪いわね! 行くわよレイン!」
「ですが甲さんは……」
「今は一刻を争う状況よ、甲には会いたいけど後回し!」

 私は急いで黄色いそれを口に流し込むと、走って食堂を出ていくことにした。


 Ⅷ






 シゼル少佐に連れられてアークの社長室に入ると、そこには親父と聖良叔母さんの姿があった。


「えーと、ご無沙汰しています聖良叔母さん、……親父も」

 ためらいがちに親父と呼ぶと、親父は軽く笑いやがる。

「ええ、本当に久しぶりね甲さん」
「あ、ああ、そうだな。今まで一体何してやがったんだ?」

 一瞬だけ躊躇ったが、どこか機嫌が良さそうな親父がバンバンと背中を叩いてくる。

「どこって……」
「……そう言えば永二さんにはまだ話していいなかったわね」
「話してなかった? 何を?」


 親父はキョトンとして聖良叔母さんを見る。
 叔母さんは「先ほどノイさんから届いた情報だけど」と言って淡々と多重世界理論を親父に聞かせた。俺自身、今聞いても荒唐無稽な話だと思ってしまう。
 最初は信じようとしなかったが、叔母さんとシゼル少佐に説き伏せられる形になる。

「な……何だよそりゃぁ!? じゃあ何かこの甲は俺の知っている甲とは違うのか!?」

 狼狽しながら叫ぶ親父。そりゃ、いきなりこんな話されたら驚くよな。

「いえ、どの甲さんも八重姉さんから生まれたことに変わりはないわ」
「……そうか、だがそうなると戸籍とかはどうなる?」

 親父は納得はしたようだが、まだ腑に落ちないらしい。
 それはシゼル少佐も変わりはない。特に動じていないのは叔母さんぐらいだ。

「わざわざ用意する必要なんてないでしょう? もとからある甲さんのものを甲さんが使うのだから」


 親父は自分の頭を掻いて考え込む。

「……息子の言ってることも信じられねぇ親にはなれねぇ……か。元から親失格ってのは自覚あるんだが。考えすぎんのも性に合わねぇ、何にしても甲がここにいるってのには違いねぇわけだ!」

「ちょっ……止めろよ親父!」
 いきなり親父は俺の髪を撫でるように強くモミクシャにする。
 抵抗しようとすると、さらに力を強くして抑えつけようとしてきた。


「それで、甲さんもドレクスラー機関を追っていると言う認識でいいのよね?」

 見かねた叔母さんが次の話へと転換してくれる。

「ハイ……そのつもりです」
「そう」
 叔母さんは短く頷く。


「……ウチで保護するんじゃなかったのか?」
「いえ、大佐。入隊です」

 シゼル少佐が親父の言葉に反応する。

「おいおいシゼル。ウチは実力主義ってのは知ってるだろ? 俺の息子だからって……」
 その言葉を遮るようにシゼル少佐が口を開く。

「大佐。彼の実力は私が確認しました」


 親父は首を絞めると少佐に背を向けて小声で話す。
「お前シゼルに勝ったのか? 負けたのか?」

「……引き分けだよ」
 何故わざわざこんな格好で話をしなくちゃいけないのか。


「そうか、なら良かった。今はかなりマシになったが昔からシゼルはかなりの負けず嫌いだから、気をつけた方がいいぜ」

 そう言うと親父は突き放すように離れた。

「だが、そうか、それなら実力的に入隊しても問題ないな」
「つーか、俺は現役で傭兵をやってたんだよ……何時までもガキ扱いしてんじゃねぇ」

 呆れたように返す俺に親父はまた馬鹿笑いする。
「あーあー、口だけは立派になっちまって」

 本当に悪いと思っているのかは別にして、俺はずっと気になっていることを聞くことにした。

「それより、さっきから見かけないけど、空は?」

「あー……嬢ちゃんならお前と入れ違いで仕事が入いって出てっちまったよ。すぐに返ってくるから、逃げるな……だってよ」

 空の仕事、まず間違いなく傭兵関係だろう。
 少し心配だ。
 俺がそんなことを思っていると親父がまた笑う。

「まぁ、モホークが付いているから心配ないだろ」
「モホーク?」

 親父の口から知らない名前が出てくる。おそらく傭兵仲間の一人かフェンリルの隊員だろう。

「私たちの仲間よ。大佐の言う通り、腕は立つし信頼できる人間だから心配しなくても大丈夫だ」

 シゼル少佐の方を向くと説明してくれる。
 彼女が信頼できると言うのだから、そう言う人間なのだろう。



 ならあと気になることは、一つだけ。

「叔母さん、亜季姉ぇは元気にしていますか?」

 すると叔母さんは珍しく微笑すると、
「気になるなら会いに行ってあげて。あの娘、あなたが生きているって聞いたらとても喜ぶわ。この時間なら我が社の仮想空間にいるはずよ、きっと、あなたもあそこは気にいると思うわ。治安の保たれたリミッター無しの空間。我が社の誇る、最新鋭の仮想空間<バーチャル・スペース>よ。空さんが帰ってきたらあなたはそっちにいると伝えておくわ」


 それだけ言うと、叔母さんは軽く目を閉じる。
 どうやら今日の会見は、これで終わりってことらしい。

 *

 親父たちとも別れて叔母さんの言っていた仮想空間に向かう。



「……ここが仮想空間か?」

 頭上には青い空と白い雲。木々の緑と芝生の青さが清城市に馴染んだ目には眩しすぎる。
 緑の大地と調和して立ち並ぶ建物、風変わりで歪な形をした白くて清潔なそれは、まるで……。


「未来都市予想図か」

 ガキの頃、映画で見たような光景だ。
 俺はしばらくその光景に見入っていた。


「ようこそ、アーヴァル・シティへ」


 聞き覚えのある声が響いてくる。
 ふりむけば、見覚えのある男が芝生の上で微笑んでいた。
 おいおいコレは、アーク社の服を着ているが……。

「俺かよ!?」


「私はモデルS4RタイプのP165番、アーク社の接客用NPCです」


 素敵な笑顔で返す自分そっくりな顔をみて、完全に自分の頬が引き攣っているのがわかる。
 電子体かNPCかなんて良く見ればすぐに見分けがつくがコレはキツイ。

 俺は息を大きく吸って、吐いてNPCの前に歩み寄り観察してみる。
 なるほど、学生時代の俺をモデルにしているらしい。良く観察すると俺より微妙に背が低く、筋肉の付き方が甘い。
 戦えば勝てるが。

「……背はあんま成長してないってことか」

 成長期を越したとはいえ、二年では数センチしか伸びなかったと言うことだ。
 ただこのNPCを見ていると鏡が勝手に動いているような違和感を感じる。さらにそれを観察する自分。
 傍から見たら異常者であることには違いない。

「なにか御用があれば申しつけて下さい」
 俺らしからぬ丁寧な言葉と笑顔が眩しく感じてしまう。

「いや、用はないよ……」

 俺はそれだけ言うと叔母さんに貰った地図を頼りに歩くことにした。
 途中で何度かキラキラした俺のようなNPCがひたすら親切に、女性の相手をしてるのを見て一瞬戸惑ったが、結局、見て見ぬふりをすることに決めた。

 *

 草の匂いをする道を歩いていく。
 五感が完全に感じ取れるのが、リミッター無しでの特徴だがここまで来ると現実と見分けがつかない。

 それでも既視感<デジャビュ>てヤツなのかな?
 初めての場所なのに、どこかで見たことがあるような気がする。

 そうだ、ここは聖修学園の通学路を思い出させるんだ。

 いや、まるで聖修学園の通学路そのもの。
 この道をまっすぐ歩いて、桜の木を曲がると。

 見覚えのある道。
 そっくりなんてものじゃない。同じだ。
 唖然としながら、俺は道を行く足を速める。
 そしていつしか駆け出していた。

 走っても、走っても、記憶そのままの光景が続いている。
 見なれた道路標識に、見覚えのある桜の木。


―――そしてこの桜の木を曲がった先には……。


「如月寮だ……」


 予想通りのものを見て、俺は呆然と立ち尽くしてしまう。
 どうしてアークの仮想空間にこんなものが存在しているのか……?

「…………」

 震える手で引き戸に手をかける。

「せんぱい、寝るのなら毛布かぶらないと風邪ひきますよぉ?」
「うう、だってお腹すいた~」
「ははは、相変わらずだな、姐さんは」

 幻のように、あいつらの声が聞こえてくる。
 これは脳内で聞こえる。

 でも。

 呆然としながらも、手が勝手に引き戸を引いていく。

「もうすぐご飯ができますから、さ、起きてくださいよぉ」
「この匂い、レバニラ炒め?」

 俺は靴を脱ぎ捨て、懐かしい廊下にあがってゆく。

「ニラか……そういや甲のヤツ、これ嫌いだったなぁ……」


 心臓が痛いほど鳴り響き息をするのも苦しくなる。
 そして襖に手をかけ、


 開けた。


「あ……?」雅の、
「あれ……?」菜ノ葉の、
「まあ……」亜季姉ぇの、


 三者三様の声が聞こえ、数秒間の長い、長い沈黙と硬直が続いた後……。


「ただいま……」


 やっと間抜けな第一声が漏れ出した。


「お、おかえり……」
「甲……甲だよね?」

 亜季姉ぇと菜ノ葉も呆然としたままで答えてくれる。


「……甲の……お化け?」

 膝をついてぽてぽてと近づいてくる、黒い艶やかな髪をした亜季姉ぇが俺の足に触れる。

「ちがう、足付いてた……新型のNPC……とか? なんで?」


「本物だよ亜季姉ぇ」


 呆然としていた菜ノ葉が手に持ったお玉を床に落としてしまい、その音が静かに響き渡る。

 それがきっかけになったのだろう。
 二人は俺に駆け寄って、左右から痛いほどしがみついてきた。

「甲っ! 甲っ! 本当に甲なんらよねっ!?」
 菜ノ葉が近くにいる。

「ばかっ! ばかっ! 本当に死んだと思ってた!」
 亜季姉ぇが近くにいる。

 しがみつかれる感触が痛くて重い。
 だけど、その感触がたまらなく大切に感じられる。

「ごめん……ただいま、みんな」

 勝手に手が動いて二人を抱きよせ、涙線の緩んだ顔を隠してしまう。

 手に水滴が落ちる。
「ひぐっ、うく、こぉ……こおっ……」
 背が低く、緑色の髪をした菜ノ葉はひたすら俺を抱きしめるように泣いる。

「うぅ……ばかぁ……ほんとにいじわる……」
 亜季姉ぇも肩を震わせていた。

 ちょっと困って顔をあげると、雅と目が合ってしまう。

「雅……ただいま」
「よお、おかえり。甲、生きてるって信じてたぜ」

 微笑んで指を立ててくれる。
 そんな雅の目も少しだけ潤んでしまっていた。



 *


「ご飯の支度をしてて、本当に良かったよぉ」
 まだ涙の跡が残る顔で、菜ノ葉が優しく微笑んでくれる。


「ありがとう。なんか、本当にあの頃に戻ったみたいだな」
「うん、また、みんなで会えるなんて思ってもなかった……」

 亜季姉ぇが嬉しそうにこちらを向く。

 こんなことになるなら、空を待ってから行けばよかったかもしれない。
 きっと皆も喜んでくれただろう。


「ったく、お前、一体どこに行ってたんだよ。行方不明者の中にお前の名前があったのを見て、正直、死んだかと思ってたんだぜ」
「……ああ、本当にごめんな」

 雅には素直に頭を下げることしかできない。
 でも実際、ここにいた俺は死んだのだろう。ちょっと答えにくい質問なので、よそ見をすると厳しい目をした亜季姉ぇと目線が重なる。

「来るなら連絡ぐらいして……びっくりして死ぬかと思った」
「いろいろとあってね、しっかし、如月寮を作ってるなんておもわなかったよ」

「俺も最初に見た時はたまげたよ。タイムスリップでもしちまったかと思ったぜ」
「私も一目見て泣いちゃったよ……。流石、私たちの先輩だよね?」

 雅と菜ノ葉が同調してくれる。

「あまり褒めないで……。すでに、もう照れてるから」

 亜季姉ぇが顔を赤らせて、みんなで顔を見合わせ微笑みあう。

 本当に懐かしい。
 戦争の記憶のせいで。こんな雰囲気は奥の方に押し込められていた。


「それにしても、甲……。今はどこにいるの?」
「清城市のアーク本社。亜季姉ぇの生身<リアル・ボディ>にも会える場所さ」

「……そう、なんだ」
 ふと、菜ノ葉が何かを言いたげに、俺をじっと見つめていた。

「どうした、菜ノ葉?」
「あっ? あ、うん、その……。甲が着ているのって軍服だよね……?」

 『軍隊に居るの?』目が心配そうに尋ねている。
 だが、これはノイ先生が用意してくれたものだ。
 死んだ患者のもので、ところどころ穴が開いている上、階級章など付いているはずもない。
 けれど、前に来ていた服と同じ配給物で勝手がわかっている分、他の服より便利だ。なにより結構、気に入っている。

「いや、まだ軍には属していないよ。これは貰いものだから」
「そう……」

 亜季姉ぇまで、ホッとしてくれて罪悪感を覚えてしまう。

「そう言うみんなは、何をしているんだ? ええと、雅は……」
「あいかわらず、ちんけな会社に勤めてるよ」

 会社員か。昔、一度会ったことがある。俺の記憶と変わらないのなら本職はCDF<都市自警軍>だろうに。
 もしかしたら雅のヤツ、みんなにも本職を隠しているのかもしれない。


「あっ、そろそろご飯炊けたから、用意してくるね?」

 いきなり菜ノ葉が立ち上がる。さりげなさを装うとしているが、この話題を避けたがっているのがバレバレだ。
 菜ノ葉が居間から出ていくのを見送り、声をひそめて二人に尋ねてみる。

「菜ノ葉のヤツ、今、どこで何をしているんだ?」

 亜季姉ぇが重苦しく「スラムで難民」と呟き、しばらく二の句が告げなくなる。

 あの大人しくて優しい菜ノ葉がスラムで生活をしているなんて、学園時代のあいつからは想像もできない。

「あいつ、灰色のクリスマスからいったい何をしていたんだろう?」
「わからない……。けど各地を転々、間違いない」
 亜季姉ぇが簡潔に言い切る。

「バレバレなのに、俺や亜季さんには隠しているんだ。きっと、みんなに今の生活を知られたくないんだろうな」
「あいかわらずだな、あいつも」

 ふと、嫌な予感がこみ上げてくる。
 あいつは如月寮の面子で一番アセンブラに思い入れがあった。先生に誘われて、研究所でバイトをしていたぐらいだ。
 そして、清城市にはドレクスラー機関が潜伏している。
 あいつもこの件にかかわっているんじゃにだろうか?

 顔に出ていたのか、亜季姉ぇが心配そうに俺の名前を呼ぶ。

「わかっているよ、いきなり細々と問い詰めたりはしないさ」
「うん、そうしてあげて」

 亜季姉ぇの言いたいことはわかっている。
 両親の思い出が詰まったアセンブラ。それがあんな事件を引き起こしてしまったのだ。

「それで、雅は会社員なんて言ってたのか……」
「へ?」
 間抜けな声が聞こえる。

「雅、CDF<都市自警軍>の刑事」
 亜季姉ぇに確信を突かれて断念したように呟く。

「……バレてたのか。お前の態度が変だと思ったぜ」

「菜ノ葉に限って、あり得ないと思うけど、手が後ろに回るようなことはしていないよな?」
「それは多分、大丈夫……。むしろ一番、心配なのは今まで何も情報が入ってこなかった甲と空」
「……それは」

 やはりいつか話さなくてはいけないんだろうか。

「ずっと心配してた。本当にバカ……」
 亜季姉ぇは気だるく平手で、俺の頭をぺたっと叩く。痛くはないが、心に大きく感触が響く。

 と、そこでふすまが開き、菜ノ葉がお膳を手に入ってきた。

「おまたせしました。先輩」

 見ると、菜ノ葉おとくいの緑色の野菜が乗っている。

「げ……レバニラ炒めかよ……」

「ああっ? もしかして、まだ好き嫌いなおってない?」
 菜ノ葉が半眼でこちらを睨んでいた。

「いや……。お前の料理が食えるなんて、本当にうれしいよ」

 その時の俺には苦手なはずのニラ料理が何より美味しそうに見えていた。







 見えただけだった。


 *



 食後しばらく庭で話をして、俺は星修の方に向かっていた。
 空が来るのがどうにも遅いのが気にかかったから、アーク本社に行こうと思ったが、食事の時に言っていた亜季姉ぇが星修学園を作ると言う話を思い出して、ちょっと寄ってみたくなったのだ。



 行ってみるとそこは、ただの草原だった。


 それもそうか、これから作ると言う話だったから、面影もないのは当たり前だ。わざわざ草むらを作っているだけ手が込んでいる。

 けれど良く見ると建物の配置らしい線が引かれていた。それが懐かしくなってつい追いかけてしまう。

「ここに門があって、ここから階段を上って校舎に向かう……」

 やがて、聖堂がある場所まで来てしまった。
 実際には場所は違うがここにマザーがいたのだと思うと、少し感慨深くなる。
 マザーは灰色のクリスマスにグングニルにより焼かれた。再生は不可能らしい。


「まるで、誰かに祈っているようだな、いや、黙祷か?」

 ふと、誰かが声をかけてくる。女性の声だ。

 一人だと思っていたので少し驚いたが、声のした方を見るとそいつは普通に立っていた。


 茶色い髪、翡翠のような輝きを放つ瞳、
 女性らしい体系でどこか稟とした雰囲気を持っているが、不釣り合いにだらしなく白衣を着ている。

 美人なのに人を寄せ付けないイメージが湧く。

 言うなれば研究者。

 言うなれば異常者。

「……あんたは……」

 どこかで会ったことがある気がする。

 女は一度笑うと、吸っていた煙草をゆっくりと吐いた。

「人の質問を無視しといて、自分の疑問を問う。あまり関心しないね、そういうのは……」

 確かにそうだが、いきなり声を掛けられて驚いてしまったのだ。

「……すみません」
「まぁ、気にしなくていいさ。私もいきなり声をかけたのはマズかったかなと反省していたところだ」

 悪い人には見えない。
 でも、何故か決していい人にも見えない。


「私はここに、星修が立つと聞いてね。つい、いても立ってもいられず来てしまったんだ」

 公式に発表されていないのに知っているとなるとアークの関係者だろうか。
 彼女の年は俺より結構とっているだろう、久利原先生と同じくらいかもしれない。まぁ、誰であれ同じ思いの人がいるのはどことなく嬉しいことだ。

「俺もですよ。星修の卒業生ですか?」

 彼女は軽く首を振ってほほ笑む。

「中退さ、実質2年もいなかっただろうね」
「へぇ、一体、何をしたんですか?」

 星修は一度でも入学すれば、よっぽどのことをしない限り退学はありえない。それこそ軍のデータベースに無断アクセスするとか。
 だが俺は彼女の返した言葉に耳を疑った。

「別に……学ぶことが無くなったから自分で出ただけだよ」
「…………へぇ」

 正直、信じられない。そんな人間がいるとは思えないのだ。
 それこそ亜季姉ぇと同レベルの天才でなければそんなことにはなりえないはずだし、その亜季姉ぇだって学生時代はそれなりに勉強らしきこともやっていたのだ。

「信じられないかい?」
「それは……まぁ」
「ふむ、素直なのはいいことだ。自慢じゃないが私は鳳翔にも通っていたことがあってだな……」
「は?」
 つい話の途中で間抜けな声を出してしまう。

「ん? 鳳翔だよ。君は知らないかい? 鳳翔学園」
「いや……知っているけど」

 ありえない、鳳翔学園と言えば反AI派の牙城とでも言えるところだ。
 星修とは犬猿の仲と言ってもいい。そんなところからの転校はそれこそ本当に特異な数人程度だろう。

「まぁ……そこでは結局どこぞの政治家の息子を殴ってしまって中退させられたがね。その後、星修に転校したんだが……こう見えてAI関係は得意分野でね、あまり得るモノはなかったんだ」
 その後、彼女は実に軽快に笑い飛ばした。

「……そ…そうなんですか」

 なんとなくだが、この人ならやりそうだと思ってしまう。
 この、人を寄せ付けない独特の雰囲気がそう思わせてしまうのか。
 いや、実際良く見れば筋肉の付き方が軍人のソレだ。これは一朝一夕でじゃ身につくものではない。

「それで、アークに入社したんですか?」
「ん? アークに入社?」

 てっきりやる事が無くなったから、アークに入社したのかと思ったのだが。

「ああ、そうか、勘違いさせてしまったな。残念ながら私はアークには入社しなかったよ」
「そうなんですか……」

「だって、もっと面白いものを見つけたからね」
「面白いもの?」

 ああ、と一息つくと彼女はその名前を音に乗せた。




―――「アセンブラさ」




 自然と時が止まったように感じた。

「アセン……ブラ……?」
「ああ、最近やっと完成に近づいてね……」

 完成に近づいた?
 アセンブラが?

 彼女は一変して嘲笑うような笑顔を見せる。

 まるで、

 まるで、

 まるで久利原先生のように……。

「そうさ、後少しだよアセンブラの完成は……」
「お前は何者だ!? ……久利原……久利原 直樹はどこにいる!?」

 俺はいつの間にかノイ先生から借りていた銃を構えていた。
 彼女はキョトンとする。だが、銃に反応したわけではない。久利原と言う言葉に反応したようだ。
 それ故、怯えどころか好奇心を満たしたいと言う顔がありありと浮かび出ている。


「……なんだ君は久利原に会いたいのか?」

 やはり知っているのか!?


「ああ。言いたくなくとも言ってもらうがな」

 どんな手を使ってでも吐いてもらう。
 だが次の言葉に俺は戸惑いを隠せなくなった。

「なら、会わしてあげるよ」

 彼女は俺の持っている銃などまったく目に入っていないように俺を見て、さも簡単なことだというように呟いたのだ。
 数秒後に地図が転送されてくる。

「これは?」
「ドレクスラー機関の支部と言ったところかな、安心しなよ。そこはすでに、今日中には放棄される予定になっているから、どこかの鼻が利く犬に嗅ぎつけたおかげで困ったものだよ。だから、今すぐにでも行かないと久利原には会えないかもね。あと、行くなら一人でいきなよ。君一人なら私の紹介で入れるが、団体さんはドミニオンにお断わりされる」

 やはりドレクスラー機関とドミニオンは繋がっているのか? だが何故、こんなものを簡単に渡す。
 罠かとも疑うか相手の真意が全くつかめないせいで全く判断がつかない。

「……お前、一体何者だ?」
「私か?」

 すると初めて彼女が悩むような素振りを見せる。

「私か……そうだな……何と呼ぶのが適切か……」
 やがて、空を見上げて一つ言葉を呟くと頷き出し、その茶色い髪を?き分けまた一息煙草を吐く。



「そうだな……こう言うのはどうだ? 私は……」





 風が草原を撫で、やがて彼女は呟いた。







―――「エージェントだ」







 Ⅸ




 清城市の中心に建てられた巨大建造物、ミッド・スパイアはここからでもよく見える。あそこには人口の陽光と豊かな物資があり、清城市の2割の人間と70%の富が集約されている。

 だが、それに反比例するように存在する、臭く薄汚れた裏路地が世界の情勢を現していた。

 迷路のようなスラム街を、私はレインと共に駆け抜ける。
 エディのアジトへの道程は体が覚えていた。

 今にも崩れそうな雑居ビルの地下、そこがエディのアジトだ。
 私はノックをするように扉を叩く。

「エディ? 私よこの中に居る?」

 中からはくぐもった男の声が響く。

「……中尉か? 誰か仲間を連れてきているのかよ?」

 よほど状況が切迫しているのだろう。声からも怯えが感じられる。

「ええ、安心して、中に入るのは私だけよ」

 しばらく無言で返されるがやがて納得したように扉のロックが外され、私は招き入れられた。
 小さな個室には特注のコンソールが存在する。部屋全体が機会の中にあるかと思うぐらい配線や電子機器で埋め尽くされていた。


「良く来てくれたな、中尉」

 彼は必死に顔を整えているつもりなのだろう、だが顔がこわばって冷汗が流れている。
 刺繍だらけの細い腕には、銃が握られているがカタカタと震えていた。

 彼をここまで怯えさせる情報がある。不謹慎ながらも期待が隠せない。

「一体、どんな凄い情報が手に入ったのよ」
「……ったく、とんでもねぇことにまきこんでくれたぜ」

 ゴミだらけの床に唾を吐き捨てる。薬を服用しなければ耐えられなかったのだろう、唾が薬品の色で濁っていた。
「まず、最初にドレスクラーの連中を匿っていた議員は阿南よしおだ。前々から黒い噂がながれたからな……」

「へぇ、なるほど……」
「へっ……、あまり驚かないところを見ると中尉も予想の範疇だったか、阿南は以前からNPC・ブートレガー<人形密造屋>と繋がりがあってな、そのNPC・ブートレガー<人形密造屋>はドミニオンと繋がりがあった。どうやらドミニオンは、その繋がりを利用して阿南に科学者を紹介したらしい」

「阿南はドレクスラー機関の学者を使って密造ナノを造らせていたわけか」

「それがほら、中尉が昨日潜入した構造体だよ」
 成程、やはりおしかった。

「けど、彼らが造っていたのは密造ナノだけじゃなかったと……」
「そう、ドミニオンは秘密裏にアセンブラを作成させていた……。その目的は、ドミニオンの主導による、超大規模の同時多発テロ計画」
「……最悪ね」

 数年前までなら笑い飛ばせたが、今の御時世、あのカルト宗教者達ならばやりかねない。

「それを知った阿南の野郎はおったまげたらだろうぜ、真先にドレクスラーの連中を消そうとしたはずだ。結局、科学者どもの取り合いになって自分らでドンパチ<戦争>をはじめやがった……」

「それで阿南が証拠隠滅のため自爆を仕掛けってとこかしら」

「ああ、そんでこっからが本題だ。中尉から貰ったデータを流したんだが……見返りにドミニオンのアジト……今、研究者どもがいる構造体の場所がわかったのさ」

「それは凄い……!」

 今までそういう情報がほとんど出回らかっただけに、情報としての希少価値も有用性も申し分ない。

「だが、それだけじゃねぇ。最悪だ、奴らの……ドレクスラーの連中にヤバい奴がいたんだよ」

 エディがさらに怯えだす。

「ちょっと……一体」

「統合政府のレコンキスタ<被造子推奨派>。……奴ら、ドレクスラーの連中とつるんでやがった……」

 脳裏にドレクスラー機関のアジトで会った、赤と黒のシュミクラムに乗る白い髪の変人が蘇る。
 ゼロナ・サディアストス。なるほど、奴はドミニオンの側にいたわけか。

「狂信者と異常者……最悪の組み合わせね」

 第一にレコンキスタと言えば統合ではそれなりの派閥として存在している。
 そんな彼らがカルト集団と結託している時点で厄介極まりない。

「しかも、あろうことか狂信者どもに俺の面が割れちまった。で、俺もここらが仕事の仕舞時だと思って。街をでるまで中尉に護衛を頼みたいわけよ」
 晴れて懇願するように私を見てくる。

「構わないわ、連中のアジトの情報と引き換えだけどね」

「商売上手なことで……仕方ねぇ。どちらにしろ店仕舞だ色を付けてくれるなら格安で売ってやる」

「……OK……商談は街を出てから、今は移動するわよ」

 こういうのは先に報酬を決めた方が後々もめ事が少なくていいのだが、今回は動いた方がいい。
 だが一歩遅かった。

(中尉っ、気を付けてください!)

 レインのチャットが届いたかと思うと、いきなり部屋の奥の扉が開かれ、黒衣の男が銃を片手に姿を見せた。
 銃が乱射され、エディの体が吹き飛んでいく。

 驚きつつも、私の体は自動的に銃を引き抜き、急所を避けて男を狙い撃つ。

 一発、二発、自分の手の先から衝撃と共に乾いた音が響き、部屋に静けさが訪れる。
 レインが扉を開けて入ってくる。

「申し訳ありません! アクティブステルス……ジャミング<探知妨害>で察知が遅れました!」
「細かい話は後! レインは情報屋の手当てをしといて!」

 私は倒れている賊に駆け寄る。
 二の腕に刻まれた、逆十字の刺青。ドミニオンの信者だ。

 必死に這いつくばって逃げようとするその男の両腕を折り曲げ尋問する体制をとる。

「諦めなさい。下手に動けば殺すわよ」

 ひたすらに怒気を込めて低く脅す。
 だが、「神父様っ! 一足先に真世界へ参りますことをお許しくださいっ!」そう言い残して賊はいきなり自分の歯を食いしばり、吐血した。
 即効性の毒物でも仕込んでいたのだろう。

「ッ……狂信者め」
 断末魔の痙攣を繰り返す男の心臓に銃弾を一つだけ貫通させ、私はエディの元へと駆け寄った。

「しっかりしなさい……!」
「ッハ……中尉……ッ正夢ってのはあるもんだなぁ……」
 かすれた声、小汚いジャンパーは穴だけで血があふれ出し、その向こうには裂けた肉が見えていた。

「レイン、手当てしてあげて」
「ヤー<了解>」

 恐らく助からない。しかし、このままにもできない。
 そこでエディが私の手を、苦しげに掴んで引きよせた。

「中尉……サービスだ……」
「…………」

 私は彼の言葉に耳を向ける。

「……NPC・ブートレガー<人形密造屋>……。ドミニオンのアジトに……つながってッ……そこに……巫女が……いる」

「巫女……ドミニオンの巫女……」

 瞬間、脳裏にオブティカル・ウイング<光体翼>を広げた妖精のようなシュミクラムの姿が思い浮かぶ。
 アレは、アレを動かしているのは……。

「ずっと……あんたが探してたのだろう? 後は……俺のッ……チップ……に……」

 エディは苦しげに自分の頭を指さして、そのまま一気に脱力する。

「……召されました」
「ありがとう、エディ。それと、ごめんなさい」
 その苦しげに見開かれた瞼をそっと閉じてやる。

「レイン、警戒をお願い。私はエディの脳内チップをサルベージするわ」
「ヤー!」

 私はジャックをエディの死体に繋ぎチップから情報のサルベージをはじめる。 
 ……幾つかのデータが入っているが、どれもガチガチにプロテクトしてある。

「中尉! ドミニオンのシュミクラム、接近中!」

 エディ自身どころか、チップに残された情報までも消去する気!?
 データを引き上げる時間が足りない。

「ッ……やらせないわよ。後を頼むわ!」

 私は今までにサルベージしたデータをレインに渡すとネットにダイブした。

 0と1から作り上げられた世界。
 仮想空間。

 その奥深く、無名都市。
 エディのネットでのアジトはそこだ。

 即座にシュミクラムにシフト<移行>し、戦闘態勢を整える。

(中尉……敵は一個分隊です。お気を付けて)

「ヤー<了解>っ!」


 ウイルスと敵シュミクラムが転送されてくる。だが雑魚相手に負けるつもりなど毛頭ない。

 手に持つ弓を前に向けて上空にかけ登り、エネルギー弾を地面に突き落とす。
 真下にいた敵のシュミクラムがエネルギー波に関電するのを見越して、地面に回転するように着地しさらに追いうちに近接攻撃を仕掛ける。

「はぁああっ!!」

 一閃、確かな手ごたえと共に敵のシュミクラムが半ばから爆破した。
 手加減などしない。手加減などできない。

 戦闘は徹底的に殺戮せよ。殲滅せよ。惨殺せよ。

 群がり自爆しようとする雑魚を吹き飛ばし、敵のシュミクラムを切り裂いていく。

 やがて自分以外に動くものがいなくなるまでにはそう時間が掛らなかった。

「……終わった?」

(まだです! 中尉、あのシュミクラムが!)

 新しく転送されてくる。
 ソレは赤と黒のシュミクラム。

 正確に似合わず几帳面なのか、ただの戦闘狂なのか。わざわざ来てくれたらしい。

―――ゼロナ・サディアストス。

 またおよそ戦場とは不釣り合いで珍妙な奇声が場を支配する。


「レェディス! エェンドゥッ! …………誰もいねぇええええ!!?」


 回りを見回して、いきなり素っ頓狂な声を上げる変態。両腕をだらんと垂らして、芸人のように落胆している。
 だが私を見つけて目付きが変わった。
 機械越しにでも伝わってくる、獲物を追う獣の目だ。


「……まあいい。待たせたなぁ! ナイスガイ、俺ッ!! 登場ぉだぁあああ!!!!」


 雄叫びと共に、残念な変態が突っ込んでくる。


「誰もあんたなんか待ってないわよっ!!」


 奴の右腕に持つ刃と、私の弓の弧が互いに振動し合い、轟音を奏でた。




 Ⅹ




 ネット空間の中でも特に荒廃した世界。
 ひたすらに現実を捨てたならず者達が生き、死ぬ場所。


 弾けるのは閃光と衝撃、そして幾重にも渡る剣戟がそこに存在した。

 白と赤の弓なりになった刃で、体を軸に回転するように敵へと斬りつける。
 黒と赤の突剣がソレを真上から切り落として懐に入り、隙を突こうとする。

 だがその攻撃はまるで虚構を掴むようにギリギリで避けられ、致命傷を与えきれない。


 白を基調とした水無月 空の影狼・冴。
 黒を基調としたゼロナ・サディアストスのヴィストル・ヴァルチェ。
 互いに機動に特化したもの同士の高速戦闘。両者の力量はほぼ拮抗していた。


「ダラッ! シャアアアア!!!!」

 接近していた影狼に対し、ヴィストル・ヴァルチェが追撃を仕掛ける。肩から伸びるように突き出た突剣の先には銃器が仕込まれており、そこからマシンガンが発射された。
 連続した轟音が響き、破壊の威力を持つ点線が地面を削られていく。

「ッ……!」

 影狼は弓の弧を回すように銃弾を払いのけ、後退していく。
 と言っても、全て受けきれるはずもなく幾つかの銃弾が掠っていった。ソレに伴う筋肉を蝕まれる痛みが空の脳に伝わる。
 だが、この程度は傭兵をやっていれば日常茶飯事で問題ないレベルだ。


 彼女は高速で離脱し、上空に昇り詰める。

 地上での接近戦では空の方が部が悪い。
 彼女が得意とするのが上空からの奇襲、地面に這いつくばるモノに対する三次元からの攻撃だ。
 シュミラクラに乗って戦場で生きるために磨いた、ただ一つの必勝法。

 真上、

 それが人の最大の死角にして、急所への近道。そこを最速で攻撃する。

 弦の無い弓を引き。

―――放つ。

 弓の先からは高威力のエネルギー弾が発射され、ヴィストル・ヴァルチェの頭上めがけて落下していく。


「ヒャンッ!?」

 ゼロナは驚きながらも、寸前で飛びずさり、放たれたエネルギー弾を回避する。
 だがまだ空の攻撃は終わっていない。

 地面に辿りついたエネルギー弾は磁場を形成し、ヴィストル・ヴァルチェをその場に縛り付けた。


「くらいなさいっ!」


 影狼は飛び降りるように両腕の刃を変態に叩きつける。
 ヴィストル・ヴァルチェの両肩に刃が滑り込む。

 この一撃はほぼ致命傷。


「甘ぇよ」

 一瞬、空は何を言われたのかわらなかった。
 言葉よりも先に、腕から激痛が走ったからだ。

「くぅッ!?」

 見れば、ヴィストル・ヴァルチェの背中からはえていたブレイドが深紅にひかり、熱を帯びている。
 一つは影狼の腕に突き刺さっているが、他の全てこちらを向いていた。


「肉を切らせて…………」

 空は身の危険を感じて刃を引き抜き逃げようとするが、
 腕に突き刺さった奴のブレイドが食いついて離そうとしない。


「突き殺すゥッ!!!」


 ゼロナのブレイドが空の肩を、腹を、脚を凌辱する。


「きゃっ!! ああああぁああ!!」
「ヒャハハハッャハハッャャヒャアッ!!!」


 空の悲鳴よりも大声で狂ったように笑うゼロナ。
 だが、空とてただやられてるのを待つほどお人よしではない。
 痛みの支配を振りきり、腕に力を入れる。


「あああっッ!! このッ!! 変態ぃいい!!!!」


 ゼロ距離から無数のエネルギー弾を放つ。
 一つ、一つの威力は小さくとも爆発はと連続してヴィストル・ヴァルチェの腹部へと突っ込んでいく。

「ハハッハハ・あ゛あ・あ゛ッ・あ゛あああああああ!???」

 ゼロナは間抜けな声を上げて後ずさる。
 空は爆風にまぎれ突き刺さったブレイドを引き抜くとブーストで後退し、できるだけ距離を稼ぐ。


「……ハッ……ハッ……!」

 空は物陰に隠れると、息を整えて自分のダメージを確認した。
 動くだけならば支障はない。
 わざと致命傷たる部分はハズされていた。なぶり殺しにでもするつもりだったんだろう。刺さっているのは全て生身ならば抵抗力を失う部分だ。
 凌辱や虐殺を楽しむ人間が好んで攻撃したがるところでもある。


「厄介ね……!」

 忌々しいことにあの変態は強い。
 お互いに与えたダメージは五分五分だが、足にダメージがあり得意の空中戦を取れない分こちらの方が不利だ。


「やってくれたなぁ……! このクソアマァアアア!!」

 物陰か覗くとヴィストル・ヴァルチェの腕はだらんと垂れている。肩を切り裂いたおかげで流石に腕は動かないらしい。
 だが、背後から伸びるブレイドは全て攻撃態勢を取り、すでに腰にあるマシンガンもこちらに照準を付け、頭を出した瞬間に攻撃してくる。

 状況的にはかなりまずい。
 だが物事と言うのは得てして悪い方向に転がるものだ。



「何だ……コレは? カルト集団の情報を嗅ぎつけた駄犬の後始末に来てみれば、いるのはどこぞのエイリアニスト<AI派>と統合の犬とは……」


 男にしては甲高い声が響いたかと思うと、黒い量産型のシュミクラムが影狼とヴィストル・ヴァルチェの間に現れる。その識別信号は非合法の傭兵集団ダーインスレイヴ。
 その先頭に立つ、紫に赤のラインが入り四肢が細い奇妙なシュミクラム。
 見覚えがある。

「……ジルベルト」


 学生時代、甲に何かと因縁を付けていたデザイナーズチャイルド<被造子>だ。
 空が初めて見たのは甲達のシュミクラムの大会の時、散々卑怯な手段を使って最後は暴言を吐いて逃亡した。あの時、観客席から飛び出したい衝動に何度かられたことか……。

 ここ数年では何度かレインにちょっかいを出そうとして、空と戦闘を行っている。
 彼女にとって決して相容れない存在。
 ジルベルトは辺りを確認すると、私の方を向いて一度舌打ちし、やがてゼロナの方を向いて固まる。


「……何だァ……? 何故、ここには俺を不快に思わせる要素がこんなにも詰まっているッ!」


 その鞭がゼロナの方を向いていた。
 口調からすると知り合いなのだろうか。声に殺意が込められている。


「……あぁ? ……ジルジルトォ?」

 だがゼロナの反応は薄い。目線はまだこちらを向いていた。


「我が誇り高き名を間違えるな、俺様の名はジ・ル・ベ・ル・トだッ!! このデザイナーズチャイルドの恥さらしがぁ!!」

「ウゼェし黙れよ三下ァ! 俺は男にゃ興味ねぇんだ! 殺すぞクズ!」

 互いに激昂し、兆発する。

 ゼロナの操るヴィストル・ヴァルチェのマシンガンが、ジルベルトの乗るノーヴルヴァーチェに向かって発砲された。
 だが、狙いが単調すぎてあっさりとジルベルトは回避する。
 もともと威嚇の意味しか込めていないはずだ。


「フンッ! やってみろ! 女の後ろを歩くしか脳の無いできそこないめェッ!!」

 けれどそれを開戦の合図と受け取ったのだろう。
 ジルベルトは一気に距離を詰めると、ヴィストルヴァーチェのブレイドの届かない場所から鞭を振るい上げ攻撃する。
 空が与えた肩の傷を狙うあたりが実に彼らしい。


「苛められっ子がほざくなァッ! ジルジルトォオオオ! ッチャン!!」

 だが、それで黙っているほど、ゼロナは人間としてできていない。
 ゼロナは前に出てブレイドを構えだす。鞭による中距離からの攻撃も接近されれば同じこと、もともと自力のスピードが違いすぎる。

 鞭をブレイドでさばきながらゼロナは自分の得意な距離に持ち込むことにより、己の優勢を確保した。

 だがゼロナの”苛められっ子”と言う言葉にジルベルトの目が殺意で埋め尽くされる。


「……黙れぇぇええええ!!! あの時、貴様がっ!! サディアストス!! 貴様さえいなければぁぁああああああ!!!!」


 狂気とも言える剣幕でジルベルトは無理やり体を押し付け、ゼロナのブレイドに対して近距離から鞭を放つ。
 器用に鞭は回転し、数本のブレイドを一気に締め付ける。

 互いに次の手を封じているため動くに動けない状況に陥いってしまう。

 *

 空はなんとかあの戦闘に自分が巻き込まれないように遠巻きから観察していた。

「……同族嫌悪ってやつかしら……?」

 これは空にとって意外とラッキーだった。
 あの二人、顔なじみの割に相性が悪すぎる。仲間意識どころか、協調性の欠片もない。


 できるなら今、まともに戦闘するのは避けたかった。
 だがダーインスレイブの傭兵がまだ残っている。

 彼らは敵だ。
 すでにこちらも補足されている、まだ襲いかかってこないのは変態達がいきなり戦闘を始めたせいだろう。
 いずれ自分達の目的を思い出し、私へと攻撃を仕掛けてくるはずだ。

 そうなれば死ぬのを待つだけしかない。何よりエディのデータの消去を優先されたら元も子もなくなる。

「おい……そう言えば、エイリアニストは……?」

 ダーインスレイブの誰かが声を上げたと同時に、空は片手で刃を構え物陰から飛び出していた。
 敵シュミクラムは7機、長期戦では勝ち目はないため最初の奇襲で最低でも3機は倒したい。

 ひたすらに速く、適切に。

 影狼の態勢を低くし牙を地面に這わせ、鎌のように膝の関節を斬りあげる。
 オイルが飛び散り、機械が霧散した。不意の攻撃になすすべなく転げ落ち、歩くことすらできなくなる敵シュミクラム。

「……な゛ッ!?」
 悲鳴のような小さな驚愕を上げる声が敵の口から洩れる。

「一!」

 だがそれらすべてを無視して、流れるように動く。
 影狼は遠心力に逆らわず体を回すようにゆっくりと回転し、次の勢いをつけるためにさらに足に力を入れる。

 その瞬間、痛みが空の神経を反芻していく。
 だが、それを抑えきり次の目標、後を確認していたシュミクラムの胴体を半ばから斬り落とした。

「……ッぇギャッアああああああ!?」
「二ッ!!」

 叫び声を後ろに、もう一度、刃を振りあげようとした時、


―――影狼の足が砕け散った。


 実際には激痛で完全に神経が麻痺してしまい、足の存在を感じられなくなっていたのだ。
 そのせいで、空は砕け散ると言う本来ありえない夢想をしてしまった。

 だがその代償は大きい。

 態勢を崩して無様に転げ落ち、勢いを殺しきれず壁にぶつかってしまう。


「……キャっ!! ァアアアア!!」

 激痛で一瞬だけ気を失っていたが、直ぐに座りながらも弓の先を敵に向ける。完全に奇襲は失敗し、状況は最悪を辿っていた。
 ダーインスレイブのシュミクラムから罵声が口々に聞こえる。

「この女、よくもやってくれたなぁ……!!」
「クソッ! 殺してやる!!」
「セカンドがッ!! 卑怯な真似を!」
「おいおい、殺す前に犯してやろうぜ」
「ハハハッ、そりゃいい!! きっといい声でなくだろうな」
「ふざけるな! 殺してやる!! 殺してヤル!!」

 憤怒するもの、唾棄し嘲笑うもの、欲望を剥き出しに襲いかかろうとするもの、激昂し殺そうとするもの。
 どれも醜悪で最悪だ。

「見ろよこいつ、この傷で動いてやがったのか、何考えてんだ?」
「セカンドは神経が鈍いんじゃねぇの? それよりやっちまおうゼ」
「そうだな、どちらにせよ殺すんだ!」


 そして、吹き飛ばされた。

 轟音し、爆発し、風圧が舞い、消滅する。


―――ダーインスレイブのシュミクラムが。


 驚愕と共に上空から飛来したのは大量のミサイル群。
 巨大なミサイルから小さなものまで、ランダムに空の目前に落ち、シュミクラムを撃破していく。
 煙が舞いあがり、炎が辺りを支配した。

「なっ……!?」


 空が驚愕の声を上げると同時に、後ろにある壁が半ばから突き破られ頭上をシュミクラムが通過していく。
 そのシュミクラムの図体はでかく、目前のミサイルで攻撃された二体のシュミクラムを踏みつぶし、燃え盛る炎と硝煙を足蹴に忽然と現れた。


 灰色の重装甲に、重火器を装備したシュミクラム。

 チャチな攻撃を弾く圧倒的な防御力と、部隊ごと敵を殲滅させるほどの火力有する攻撃力。
 シュミクラムの名は―――メギンギョルド。

 それに乗るのはフェンリルの巨漢の戦士、モホーク。


「遅くなった……」

 そう、低い声で彼は空に向かって頷いた。


 Ⅰ



 爆炎がその巨躯を煙に巻き込み、やがて上空に消えていく。

「動けるか?」

 野太く渋い声、インディオの血を引くその肉付きの良い顔は安堵の表情を見していた。

「ええ……ありがと……」

 なんでここにいるのだろうか?

 確か彼はフェンリルの隊員の一人だ。名前はモホークと言ったかもしれない。
 そこであっさりその疑問の答えが解けた。どうやら叔父さんが手を回してくれたらしい。

 こんなザマになるとは思わなかったので、正直に助かったと空は安堵していた。


「よし!」


 彼は一言頷くと、未だに啀み合っている敵に目を向ける。
 そこで流石に相手の方もこちらの異変に感づいたらしい。
 動きを止めてこちらを睨みつける。

「おい、ジルジルト」
「ジルベルトだ」

 絡み合っていた二人が飛ぶように離れた。


「んなのどっちだっていい、お前の仕事は何だ?」
「決まっている。ここにいる奴ら全ての抹殺と情報の奪取だ」

 互いに第一目標を確認しているようだ。利益の一致に一旦の勝負の執着がついたらしい。一応は兵隊としての正常な思考は残っていたようだ。

「……邪魔はするなよ!! アレはオレんだ!!」
「貴様こそ足を引っ張るな!」

 そう言って彼らはこちらに向かって迫ってくる。
 高速で動くヴィストル・ヴァルチェ、その後ろに追随するノーブルヴァーチェ。
 その行動はお世辞にも連携は取れてるとは言えない。

「下がっていろ」

 モホークが操るメギンギョルドが数歩前に出る。

「ちょっと……一人でやる気?」

 流石にそれは手を余すんじゃないかと思う。
 相手はそれなりに腕のあるデザイナーズチャイルドだ。


「連携の取れてない敵の一人や二人。そう変わらん」


 彼はさらに敵へと向かっていく。


 最初の一手はゼロナのマシンガンから始まった。常人の目では追えないほどのスピードで銃弾は連続して放たれる。
 だがそれは全てメギンギョルドの厚い装甲に弾かれた。

「チィッ! 汚ねぇぞ!! 男なら無様な鎧を着こむんじゃねぇよ!!」

 目を見開いて叫び声を上げるゼロナ。
 重装甲のシュミクラムは決定打の少ない今の彼にとって相性が悪いのだ。


「どけ! サディアストス!!」

 ゼロナの真後ろから、見かねたジルベルトが鞭をモホークに向かって振り上げる。
 高速で振り下ろされた鞭は敵味方関係なく襲いかかった。

 ヴィストル・ヴァルチェは体を曲げるようにギリギリで避けるが、メギンギョルドは間に合わない。


「食らえッ!!」


 鞭特有の高音が辺りに響く。大きく振り上げられた一撃はその装甲にすらダメージを与える。誰もがそう思った。

 しかし、それはメギンギョルドの腕に掴まれ動きを止めていた。


「なっ!?」

 それはジルベルトの予想外のことだったのだろう、鞭から来るはずの無い異常な力がノーブルヴァーチェに襲いかかる。
 ノーブルヴァーチェはその力に体制を崩し、一気に引き寄せられる。

「ニィィィィ!!?」

 それが予想外だったのはゼロナも同じだ。後ろからいきなり衝撃が与えられた。
 引き寄せられるジルベルトのノーブルヴァーチェがゼロナのヴィストル・ヴァルチェにぶつかって来たのだ。

「アッー!? ジルベルトォ!! 邪魔してんじゃねぇええ!!」
「黙れ!! 貴様こそ、そこをどけッ!!」

 言い合いをしながらもメギンギョルドの巨体に引き寄せられる。
 そして互いに衝突音が支配する。

「ガッ!!」「グッ!!」

 メギンギョルドが強烈なタックルを繰り出したのだ。
 分厚い装甲から繰り出された高速の攻撃は完全に二人を捉えていた。その衝突は生半可なものではない。下手なミサイルより威力があるだろう。


「なっていないな……」


 ため息混じりにモホークが呟く。
 一撃、それだけでほぼ勝敗は決した。


 吹きとされていく二人にとどめとばかりにメギンギョルドの背中から小型ミサイル群が発射される。

 ミサイル群による爆撃と破壊が、繰り返され爆煙に包んでいく。

 圧倒的な火力の差。

 蹂躙の跡に残ったのは、削り取られた地面と何とか立ち上がろうとするノーブルヴァーチェの姿だった。
 ゼロナがジルベルトを盾にして、退避していたようだ。



 ヴィストル・ヴァルチェが上空へと奇声をあげて逃げていく。
「ハハハッハハ!! ファック! ファック! ファアアアアッッック!!!」


 ジルベルトはそれを忌々しげに睨みつける。

「貴様ァァアア!! 覚えていろよ!! サディアストス!!」
 ミサイル群を放ったモホークより、自分を盾にしたゼロナの方がジルベルトの癇癪を荒立てたのだ。


「知るかッ!! こうなったらお前らまとめて、ここで殺してやる!!」


 すでに半壊しているはずなのに、その体を意に介さず動かすゼロナ。
 上空に上がったヴィストル・ヴァルチェが見下ろすように両手を広げる。

 その姿に誰もが目を見張る。

 ヴィストル・ヴァルチェの上半身が大きく開けたかと思うと、腹部から砲身が突き出されたのだ。
 全身が巨大な砲台になったように変形する。


「……アレは!?」

 異様な気配を空は感じ取っていた。
 アレを撃たせてはいけない。

 直感的にそう感じ取っていたのだ。


 ノイズ。旧世代のPCくらいにしか存在しないはずのソレが巻起こっていた。
 世界が軋み、悲鳴を上げている。異常な情報量に仮想空間が耐え切れないでいるのだ。


「収束砲?」

 モホークの鉄仮面が珍しく引き攣りながらも、とっさにミサイルを上空に放っていた。
 ジルベルトは必死に逃げ出そうとしている。
 空は影狼を動かしてヴィストル・ヴァルチェに銃口を向け撃ち出すが、



―――どれも間に合わない。



「死ネェェエエェエエエエエエ!!!」



 巨大な螺旋状の閃光が薙ぎ払われた。
 それは異様な出力でその直撃したところを爆発させ、霧散させていく。

 あまりにも直接的な破壊。


 ネットと言う世界そのものを破壊する蹂躙劇。
 全てが1から0へと強制的に書き換えられていく、空は今までに見たことも無い攻撃だった。




「…………嘘でしょ」


 背後に目を向けると光が通ったであろう場所は大きくえぐれ、掻き消されていた。
 あと数センチでもズレていたら死んでいただろう。

 だがヴィストル・ヴァルチェが放った一撃は自分たちがいるところから完全にズレていた。


―――何故?

 その答えはあっさりと見つかった。
 上空に留まっていたはずのヴィストル・ヴァルチェが地面に落下してきたのだ。


「畜生がぁあああああ!!!!」


 ゼロナが自分がいたはずの上空に向かって叫び声をあげていた。
 砲撃はギリギリで反らされ、軌道を変えられズレたのだ。



―――白い翼を持つシュミクラムによって。



「「ドミニオンの巫女」」


 モホークとジルベルトが同時に呟く。

 けれど空だけは別の言葉を口にしていた。



「……まこちゃん」


 ネージュ・エール。
 それが白いシュミクラムの名前だ。学生時代、ノイ先生がアリーナに参加するまこちゃんのために用意した雪の翼。

 彼女は一瞥するように私を見る。
 私も彼女を見つめ返す。


 まさかこんなに早く会えるとは思っていなかった。

 伝えたいことがある。

 どうしても伝えなくてはいけないこと。


 けれどネージュ・エールは逃げるように背を向ける。

「待って!」


 私は叫んでいた。
 ずっと探していたのだ、こんなところにいたなんて。

「…………お姉ちゃ…ん」


 確かに彼女の声だ。
 震えるように小さな声だが、間違いない。

 私は一歩彼女に近づこうとする。


 けれど「リャヒャアアァァ!! xxヒャッハyヒャはy!!!!」あまりにも意味不明な奇声によって遮られる。

 見るとヴィストル・ヴァルチェのブレードが横から伸びていた。


「お姉ちゃん!!」


 肩が引きちぎられるように大きく削られる。
 しかし自然と腕が動いていた。

 弓なりの刃は奴の腕を引きちぎる。腕を引きちぎられながらもゼロナは逃げるように距離をとった。

 だが、後ろにいるソレに当たって止まってしまう。

「へっ?」
 間抜けな声を上げ後ろを振り向くゼロナ。


「沈め」


 メギンギョルドの斧が頭上から振り下ろされ、ヴィストル・ヴァルチェは完全に沈黙した。



「チッ……使えない……最悪だ」
 それを見ていたジルベルトは直ぐに離脱する。

 取り残されたのは三体のシュミクラムだ。


「まこ……ちゃ……」

 私は彼女に向かって呼びかけようとするが、彼女もすでに情勢を見て離脱する途中だった。



『……中尉……サルベージ終了です』

 今までの戦いを見ていたのだろう、レインから重苦しく通信が入る。

「……そう」

 呆気ない結末に納得できない思いもあるが、今は引くべきだろう。

 モホークの方を見ると彼も頷いている。
 私たちはその場を離脱した。







[23651] 第三章 齟齬
Name: 空の間◆27c8da80 ID:0f416397
Date: 2010/11/04 15:46
 Ⅱ






 風が吹いていた。澄んでいるがどこか不安を感じる風だ。
 俺は意を決すると口を開く。


「エージェント?」

 その言葉は聞いたことがある。
 確かこっちで目覚める前に会った空そっくりの少女が自分のことをそう呼んでいた。
 けれど同一人物には見えないし、何かの総称としてそう名乗っているのか。

 俺は銃を構え直すと注意深く相手を観察した。
「それはどう言う意味だ……?」

 茶色い髪を掻き分け彼女はおどけた様に口元を緩める。
「意味などないさ。私は私と言う個に一番近いであろう名前を言っただけだよ」

「……前に一度エージェントを名乗る奴に会ったことがある。それとお前は関係あるのか?」


 エージェントと名乗った彼女は一度驚いたような仕草を見せたが、また不適に笑い、ゆっくりと紫煙を口から吐き出した。

「ほぅ……君はすでに彼女と出会っていたか。……ならば訂正しよう。そうだな、私のことはアインスとでも呼びたまえ。この呼ばれ方はあまり好きではないが、彼女と君が接触している以上同一視されるよりコチラの方が便利かもしれん」

 アインス? 愛称では無いだろう。なら、コードネームか何かなのだろうか?

「ころころと名前を変えるんだな」
 どれも正式な名前でないのはわかっている。答える気など最初から無かったのだろう。

「名前などモノを示す記号の一つにすぎない。私を示すのはここにいる私だけで充分なんだよ。故に私は名前にはこだわりなど持っていないわけだ」

 諭すように自分の胸に手を当てて彼女は嘲笑う。

「それより、急がなくていいのかい? もう、あまり時間が無い。先客はすでに到着しているようだ」
 送られてきたマップには変化はない、こちらでその状況を把握できないのは当たり前だが、その事実が俺を焦らせる。しかし、できるだけ内心を悟らせないように一つでも情報を多く聞き出すことに集中する。

「先客?」
「私からのサプライズさ、君もよく知っている子だよ」
「……まさか、空!?」
 空が帰ってきたと言う情報はまだ入っていない。その予想はすぐに首を横に振られ、否定される。


「残念、ハズレ。どちらにせよ行けばわかるさ。……少々長居しすぎた、そろそろ私はここらへんで失礼させてもらうよ」

 それだけ言うと彼女は離脱〈アポート〉してしまった。


「チッ……!」
 殺す訳にもいかずみすみす見逃してしまったが、二兎を追うものは一兎をも得ず。とにかく今は久利原先生のところに向かった方がいいだろう。多少のリスクを受けおったとしても先生に会えるのなら、相応の価値がある。

 俺は急いで指定された座標を確認する。


 一応だが銃の確認を行う、いざとなればシュミクラムの方が役に立つが、移行〈シフト〉する前に攻撃されることもある。
 俺は一度大きく深呼吸して気持ちを落ち着ける。
 まったく見覚えの無い場所に転送されるだろう、そしてそこは敵地だ。そして久利原先生がいるかもしれない。

「……行く……か」

 心臓が激しく鼓動するのを抑え、俺はその座標に移行した。


 *


 風が吹いていた。醜い風だ。
「擬似的な世界に擬似的に生み出された風、大地に影響を及ぼすでもなく雲を運ぶでもない。ただの環境をイメージして生まれた風……か。実に醜い」

 彼女は虚空に声を掛けるように呟くとまた笑う。

「あなたはまだこんなモノを作っているんですか」
『……いけないかしら? 人工的に作り出されたものが醜いと言うのなら、今の世のほとんどのものが醜いでしょう?』

「違いない。でも……まさか、あなたに会えるとは思っていませんでしたよ聖良社長」

 灰色の髪の間が揺れるその間にある金の瞳が揺れる、電子体が彼女を睨んでいた。彼女はそれに対しても笑顔をまったく崩さない。
 構造体に風がふき、互いの間に沈黙が訪れる。先に口を開いたのは普段無口な聖良の方だった。

『私は甲さんのことを知った時から、あなたが裏にいることくらいは予想できたわ……遅かれ早かれあなたが甲さんに接触することも……』

 聖良は一度大きなため息をつく、だがいつにないハッキリとした怒気が聖良の瞳を覆っている。ソレを見て彼女はさらに愉悦に浸るように口元を緩ませた。

「気に入って貰えたようでなによりです。それより、このプロテクトを解いて欲しいでんすが? 出れませんよ」

 そう言って彼女は何もないところをノックする。そこには空気に壁ができたような音がした。
 対人用プロテクト、アークのS級AIの総力を結集した不可視の隔壁だ。

『……お断りするわ。ここであなたを逃がせばさらなる害悪となるのは目に見えているもの。自分の過ちは自分で刈り取る』

「それがあなたにできるのか?」

 凛とした声が響く。ピリピリとした緊張感が両者の間に漂っていた。

『できるできないかではない。やるのよ……』

 力強い、だが聖良らしくない感情を抑制した顔。
 両者とも動こうとはしない。

 彼女は数秒の間、じっと見続けると満足そうに笑顔を作る。


「……やはりあなたに荒事はむいていない。特に殺すと言う一点では凡夫よりも劣る。代理を立てることをお勧めしますよ」

 プロテクトにヒビが入る。最初から聖良は彼女に対してはほんの数十秒しかもたないのはわかっていた。
 ほんの数秒で彼女を殺すには充分なはずだった。

『……いえ、いずれ私の手で必ずしとめさせてもらうわ』
「それは結構」

 また、彼女は笑う。そしてプロテクトが完全に崩壊した。
 破壊されたところから現れたのは赤と黒のラインが入ったシュミクラム。ヴィストル・ヴァルチェ。
 ソレは彼女を手で救うと、大事そうに抱えあげる。彼女は聖良を見下ろしながら、タバコを宙に放りなげる。


「すでに特異点は発生した、もはや時は止まらない。私は出来損ないの方舟を出航前に沈没させ、ラプラスの魔を蘇らせる。……次に会う時は私もあなたを殺しますよ」


 聖良はその言葉に何も返せず。ただ、彼らが去っていく風が吹き荒れているその場に立ち尽くした。
 セキュリティーに引っかかったのだろう、警報が鳴り響く、アークのシュミクラム部隊が彼女たちを襲うはずだ。彼らを信用していない訳ではないが、その程度で彼女が死ぬとは思えない。

 また、一つため息を吐いた。それはどこからともなく吹いた風に掻き消される。
 まるで嵐の前のような静けさがアーク社の中を漂っていた。






 ―――第三章 齟齬―――




 その構造体は旧世代の廃工場のような場所だ。尤もそれは外見だけで本体は地下にあるのだろう。
 地下へと続く階段はあっさりと発見できた。

「鬼が出るか蛇が出るか……」

 できるだけ深重に素早く地下へと降りていく。
 薄暗い通路は頭上にある電灯のみだ。油のような匂いが充満しており、鉄パイプは錆びついている。わざわざこれをイメージして作ることになんの意味があるのか、そのセンスは理解できない。

 やがて十字路に差し掛かった。結構進んだはずだが、いまだ誰とも接触していない。嫌な予感が幾つもよぎるが、罠であることは最初から覚悟していた。
 それでも先程、幾つかの研究施設を見つけることができた。ここに何者かが複数で潜伏し何かを研究していたのは確かなようだ。

 それが久利原先生と言う確証はないが、ここで引き返すと言う選択肢はありえない。
 ここまで来て手ぶらで帰る気は毛頭なかった。

 だとすると、今は迷っている時間が惜しい、まっすぐに進めばいつか辿りつくだろう。

 そう、思って十字路を横切ろうとした時だった。

 何か金属が地面に落ちる音が響く。それは十字路の右から聞こえてきた。
 咄嗟に銃をそちらに向けて構えるが、

 ――誰もいない。

「……!?」

 いや、二度目の音、拳銃の弾装が地面に跳ねていた。
 それに目がいったと同時に自分の失態に気づき、反対方向に目を向ける。

 だが、遅かった。それを視認した時には、すでに腹部に強烈なダメージが入っていた。
 これでも体術にはそこそこ自信がある、けれど、そんなものよりも桁が違う攻撃、おそらく蹴りだ。

 耐えた。耐え切った。これは次に続くような攻撃じゃない。相手は一撃で確実に仕留めるつもりだったのだろう、確認はできないが隙が生まれたはずだ。

 俺は本能的に銃を人影に向けていた。
 発砲しようとなんとか指先に力を入れようとして、目を見開く。
 相手の顔のある場所を確認するつもりだった。

 しかし、その顔を見た瞬間、指先から力が抜けた。

 懐かしい顔、赤毛が目立つ。ポニーテールの隙間から驚いたような釣り目がこちらを映し出していた。付けていたフードは途中で脱げ、分厚いコートの下には発育のいい体が見え隠れしている。

 見間違いではない。
 俺と雅、そして学生時代ニュービーズインパクトに出場した三馬鹿の紅一点。

「…………千夏ッ?」

 その顔を見た時になんとなくだが納得してしまった。アインスの言っていた”先客”と言うのは千夏で間違いないだろう。

「こ……ぅ?」

 確認した瞬間に俺は尻餅を付いて倒れ込んでしまった。千夏の放った飛び蹴りは足にまで響いていたのだ。

 千夏は構えを解くと呆然と立ち尽くしていた。
 だがそれも数秒。

「違う……そんなことあるわけない!」

 明らかに殺気を込められた視線が千夏から送られてきた。

「ちょっ……!?」
 ちょっと待て、と言おうとするが途中で止められてしまう。
 千夏がもの凄い剣幕でこちらに殴りかかってきたのだ。

 尻餅をついているこの体制では、必然的にその攻撃を避けれるワケが無い。腕をクロスしてなんとか凌ごうとするが、先程の蹴りくらい強烈なパンチが腕を痺れさせ、あっさりとガードを破壊される。
「待てよ!」と声を出そうとした瞬間にはマウントポジションを取られてしまう。

 そして千夏の咆哮と共に渾身の右が振り上げられる。

「このッ 偽物がッ!!」

「待てって……ッ!!」


 制止して止まるわけもなく、もの凄い轟音が辺りに響いた。

 音だけじゃない。

 顔のすぐ横、仮にも鉄の地面がひしゃげている。
 どうやったらこんなことになるのか。当たれば十中八九死んでいた、運の良い残りの一か二は一生植物生活だ。


「……殺す気かよ」
「殺すつもりだよ。喋らないで……次は……はずさないから」

 千夏の振り下ろされた腕が震えている。
 瞳の端々には涙が溢れていた。それが何を意味するのかは俺にはわからない。
 だが。

「……殺されるわけにはいかない。俺は生きているからな」
「…………それを信じろっての?」

 信じろとは言えない。ここでの俺は死んでいることになっているのだ。
 平時ならともかく、何も知らない千夏と敵地で会ったのにいきなり「自分は生きていたから信じろ」と言うのが土台、無茶な話なのだ。
 次に口にすべき言葉が浮かばないせいで、互いに沈黙が続いた。
 それをどう、受け取ったのだろう先に口を開いたのは千夏の方だった。


「手、離しなよ……」

 俺は自分でも気づかない間に千夏の手を握っていたようだ。
 だが、気づいても離す気にはなれない。

「離したらまた殴ろうとするだろ……」
「……もちろん」

 軽い冗談のつもりだが、千夏は本気だ。

「じゃあ、離さない」
「……そう。……人間ってさ便利だよね、右手が使えなくても左手があるんだよ」

 宣言通り千夏は左手を振り上げようとする。俺はそれを慌てて止めに入る。

「だから待てって! ストップ! お前も久利原先生に探しに気たんだろ!!」

 その言葉に千夏が動きを止めた。
「……それって」
「俺も久利原先生を探してるんだ! あの人には聞かなくちゃいけないことがたくさんある!!」

 だがそれに対して千夏は冷めた目で俺を見つめていた。


「久利原は灰色のクリスマスを起こした張本人だよ。何も聞くことなんてない。見つけたらアセンブラもろとも殺すだけさ」

 気持ちはわからないでもない。だが、

「……なんでそう短絡的な思考ばっかなんだよ」
 今度こそ千夏は不快気な顔をする。


「あんたこそ知ってるはずでしょ。久利原はあの時、”病院から姿を消したんだから”」

 一瞬、千夏の言葉の意味がわからなかった。

「病院? 久利原先生は研究所にいたはずじゃ……」
「そうさ。大方、自分がアセンブラを完成させられないのを妬んでたんでったてとこじゃない」

 今度こそ本当に意味がわからなくなった。

「どういうことだよ? 先生がアセンブラを完成させられないって」
「は? あんただって知ってるでしょ。久利原は入院してドレクスラー機関から離れていたんだから……」

 先生が入院していた? そんなことあったか?
 もしかしたら、俺の記憶に齟齬があるのかもしれない。

「……千夏。ちょっといいか……」
「何? この左手を振り下ろすまでなら、答えてあげる」

「先生が入院したのって何時だ?」
 一瞬、千夏は戸惑ったような顔を見せるがすぐ引き締める。

「……文化祭のすぐ後でしょ。真が通っていた病院に……そんなことも覚えてないなんて、……やっぱりあんた甲の偽物じゃ……」
「違う」

 俺の知っている記憶と違う。
 その頃の先生はずっと研究所に篭っていたはずだ。俺が知らずに先生が病院に通ってることはおろか、入院していたなんてのはありえない。

 ならば考えられる可能性は少ない。

 一つ、俺か千夏の記憶がおかしい。

 そしてもう一つ、どちらかと言えばコチラの方が可能性が大きいかもしれないが、あまりそうであって欲しくないと思う。

 それは、この世界は根底として俺の知っているとは状況が全く違う。
 これは後で空か伯母さんに確認すればはっきりするだろう。いや、一番てっとりばやいのは先生に直接聞けばいい。


「……千夏、とりあえず。今、俺は先生を追いたい。お前はどうだ?」
「…………私もよ。でも、足手まとい連れて行く気はない」

「それならッ……問題ない!」
「……ッ!?」

 俺は千夏の右腕の軸をずらしながら、体を回転させる。
 油断していたのだろう、左手が振り上げる形で止まっていた千夏はたいして抵抗する様子もなく寝技が決まる。今度は俺が千夏の上に乗る形になる、これで状況は完全に逆転した。


「ほらな」

 それから俺は立ち上がり、千夏の腕を引っ張り上げ強引に立ち上がらせる。
 小さな声で何か千夏が呟く「…………はぁ……人の気も知らないで……胸が当たってたてーの」
 途中から声がしぼんでほとんど聞き取れなかったが、なんとなく関わらない方がいい気がしたので放っておく。

 半眼で睨んでいた千夏からは先程のような敵意が薄れていおり、良くも悪くも多少、学生時代に戻ったような印象を受ける。


「……行こう。私が来たとこと、そっちは何も無かったから、残ってるのはそこの通路だけ」

 そう言って右の道を指差す。複雑そうな顔をしているが一応は協力することに了承してくれたようだ。

「ああ……そう言えば千夏……」
「何?」

「お前なんか凄い怪力……ッ!? ……いや、なんでもない」


 久しぶりに見た千夏の笑顔がものすごく怖かった。
 どうやらこの話題は避けた方が良いようだ。



 Ⅲ




(そう言えば、あんた今までいったいどこ行ってたんだい?)

 一本道の通路を通ってる途中、千夏がチャントで唐突にそんなことを聞いてきた。
 探りを入れているつもりだろうか。

(どこって言われてもな……)
 どう説明すればいいのか、俺個人の記憶としてはずっと傭兵をやってきたつもりなんだが……。
 正式にフェンリルの入隊手続きを踏んだわけじゃないし、一応、アークの所属の傭兵になるのか。いや最悪、アークの居候……。

(答えられないならいいけど……犯罪には手を染めてないよね?)
(……グレーゾーンかな傭兵やってたから)

 敵地への無断ハックに小遣い稼ぎのための非合法運輸。これぐらいは戦争してたら当たり前だ。人から恨まれることなんて日常茶飯事。
 けれど、ここではそれもリセットされている、それで俺が今までやってきたことがなくなる訳でもないのに奇妙な気分だ。

(ふーん……)
(まぁ、今はアークにいるから、そんな大それたことまでしていないけど……。そうだ、そういえば亜季姉ぇも菜の葉も雅もお前に会いたがってたぞ)

(……ああ……うん)
 どこか頼りない返事が返ってくる。

(千夏は今、何をやっているんだ?)
 少し困惑したような顔をして、軽くうつむく千夏。そして絞るような声を出す。

「もし亜季先輩が本気になって調べれば、あっさりわかっちゃうだろうから言うけど。……GOAT〈統合政府軍AI対策班〉の兵隊だよ」
「……GOAT? お前がか?」

 GOATと言えば、反AI主義の筆頭と言っていい組織。
 言い方が悪いが、統合政府の犬。
 敵(ドレクスラー機関)の敵(GOAT)は敵(反AI組織)だ。一時的に協力したこともあるが、前線ではことを構えた実績の方が圧倒的に多い。

「そうさ、だからこうしてあんたと顔を合わせるのもこれで最後になるかもね。今回は見逃してやるけど、次に戦場で会う時は、私の目の前を通らないようにしな……」

「……容赦はしないってか」

 沈黙が答えなのだろう、気まずい空気が俺と千夏の間に漂う。
 だがそれもあっりと終わりを告げる。

(敵機……!)

 大きく開けた場所にはウイルスが群がっていた。待ち伏せと言うには実に拙い。

「ついてこれないなら、そのまま放って行くから」
「ああ、そっちこそ」

 互いに目を合わせ、シュミクラムに移行する。


 隣にいる千夏のシュミクラムは学生時代使っていたカゲロウ・凛の原型をほとんど留めていない。せいぜい面影が残っている、と言ったところだろう。
 赤いシルエットに鋭い爪のような足、マントのようなバックパックを持ち、全体的にカゲロウより重量感が増している。さらに接近戦に特化されているようだ。
 千夏らしいと言えば千夏らしい。

 移行すると同時にウイルスに突撃していく千夏。思った通り接近戦重視の機体だ。
 俺もカゲロウでウイルス攻撃し撃破して行く。


 数十体のウイルス郡を破壊していく、だが次から次へとウイルスは無尽蔵に湧いてくる。

「甲! こっちだ!」

 千夏が先導して比較的狭い通路に侵入した。
 俺はマグネットフィールドで先頭のウイルスの足止めをする。打ち込まれたウイルスは電磁波により周囲のウイルスが引き寄せられ、行動が鈍くなる。
 そして、そこに千夏は急旋回して飛び出し、固まっているウイルスに蹴りを叩き込む。

「雑魚は引っ込んでな!」

 ウイルス吹き飛ばされたが将棋倒しのように狭い通路で詰まってしまった。
 俺はその間に俺は鷹落としを天井に向ける。

「千夏!」

 俺が何をするか悟ったのだろう、千夏がこちらに滑走してくる。
 真上の天井に対して俺は攻撃を繰り出した。行くつもの眩い爆発が天井に衝撃を与える。
 脆く設計された構造体の一部が巨大な揺れとともに崩れ落ちて通路を塞いでしまう。

 その下を俺と千夏は滑走した。しばらくすれば揺れも収まり、ギリギリ通過した運の悪いウイルスは全て千夏に踏み潰された。

 これでしばらくは追ってこれないだろう。

 俺と千夏は誰もいなくなった通路を滑走する。

「そのシュミクラム、随分変わったな」
「……クリムゾンロータス、亜季先輩には悪いけどGOATの仕様に合わせる時に名前も変更した。……でも、変わったのはお互い様さ。あんたのカゲロウだって充分変わったよ」

「そうか?」

 自分ではあまり実感がわかない。特に外見はほとんど初期のままのはずだ。
 変わったといえば武装が増えたくらいだろうか。

「一挙一動、細部の動きに至るまで学生時代とは比べものにならない。ううん、それだけじゃないね。なによりシュミクラムに戦場の匂いが染み込んでる」

 首を振りどこかしみじみと言う。
 千夏はここまで感傷的な奴だっただろうか、この数年の間に彼女に何があったのだろうか。
 けれどそこまで聞く暇はなかった。


「……着いた。この先に久利原がいる……」

 千夏から貰った構造体のマップではここが最奥の研究室になっていた。
 そこからは生体反応が一つ確認されている。

「俺が先頭に行く」

 一度だけ目配せをして、千夏が頷いたのを確認して中へ侵入する。
 中はかなりの広さがあった。研究室にしては大掛かりなもの多い。けれど、一番最初に目を向けたのはその中心、
 大きな机があり、その机に向かって座る男。


「フリーズ!」


 ハンドガンを人影に向ける。ハンドガンと言ってもシュミクラムの大きさだ人間など簡単に吹き飛ばす。
 その照準の向こう、白衣に黒い髪の後ろ姿。


「……見つけた……見つけたよ! 久利原 直樹!」

 激昂した千夏が回り込むように銃を構える。
 観念したのか男は両手を上げて、ゆっくりと振り向く。

 俺たちの姿を見て目を見開くも、その顔は笑っていた。


「……ハハッ……まさか、死神が二人も来てくれるとは思っても見なかった。私はよほど恨まれているらしい」



 男は頬はやせこけ、目にくまが出来てまるで空虚な瞳をこちらに向ける。

 間違いない。学生時代の俺たちの師であり兄のような存在だった。
 久利原 直樹、その人だ。


「恨まれている? 当たり前のことを! 灰色のクリスマスを起こした張本人が恨まれていないとでも思っているのか!?」
 今にも引き金を引きそうな千夏を手で制止する。

「邪魔する気かい? 甲!」

「待ってくれ千夏。……先生には聞きたいことがある」


 俺は久利原先生に向き直るが、先生はおどけた様に首を振る。

「これは面白い。死んだはずの君が私に聞きたいこと? いいだろう、言ってみたまえ。私の答えれることなら答えようじゃないか」

 千夏は無言だが殺気がこちらまで伝わってくる。俺はできるだけ刺激しないように先生に問いかける。
 一番、重要な確信に迫るそのことを。


「灰色のクリスマス……アレを起こしたのは本当に先生なんですか?」

 久利原先生は目を見開きそれから寂そうな瞳でこちらを見る。

「……それは、私に聞くまでもなく、君が一番良く知っているはずだ」

 やはり先生がアセンブラを……。

「そこまでして、アセンブラを完成させたかったんですか? あんな被害を出してまで……」
「そうだな。だが、あの時アセンブラに問題なかった。問題があったのは……」

 どうであれアセンブラが暴走した事実に違いはない。
 なら、今先生がやろうとしていることは……。

「もういいです、先生。今、アセンブラはどこにあるんですか?」
「…………わからない。だが、完成は時間の問題だ……数日中。いや、彼女ならコマンダーの書き換えは遠隔でも可能か。すでに埋め込まれた可能性もある」

 どういう事だ? 先生がアセンブラのありかを知らないなんて……。

「彼女? それはいったい……」
「誰かとは聞いてくれるなよ、君も知っているはずだ……」

 先生は短く言葉を区切ると、それを口にした。


――「橘 静紅」と。


 聞いたことの無い名前だ。初めて聞く。

 それなのに……頭の中で何かがはじけた。まるでダムが決壊したかのように何かが溢れ出す。
 視界が歪み、嗚咽が喉から漏れる。

「……あ……ぁ」

 だが理解した。理解してしまった。

 これは”情報”。

 気持ち悪い。おぞましい。空恐ろしい。憎悪すべきソレ。

「あぁあっぁあああああ!!!」

 否、情報であり記憶であり、どちらでもない。

 知っている、そいつを。

 男は口を大きく開け笑っていた。ガラス玉のような瞳でこちらを見つめ笑っていたのだ。

――「ハーッハハハッ!! まさか、君の方からこちら側に来てくれるとは、神は我々の縁への興味が尽きないようだ!!」

 知っている。
 土色の色素の抜けた髪。その笑みは絶えず俺を不快にさせる。

――「不快? 然り! 私と君は決して相容れない存在。故に決して同一化することもない。だがっ! 君のセルフイメェージ! 憎悪がァ! 険悪感がァ! 私を存在させてくれる……」

 法衣のような衣装を着込んだ、そいつ。

――「さぁ、語り合おうじゃないか門倉 甲君。 何がいい? 教義についてかね? 生死観についてかね? ああ、恋愛相談なら任したまえ、見事、女神〈ソフィア〉との中を引き裂いてあげようじゃないかっ!」

 会ったこともない、知りもしないはずのそいつのことを嫌でも理解してしまう。


 ドミニオンの教主、グレゴリー神父。

「黙れぇえエエ!!!」

 俺は拒絶するために叫んでいた。


――「ハーハハハッハハハ!!!!!」

 高笑いが脳内を響き渡り、やがて意識が朦朧としていく。
 ふと神父の笑い声が止み何かを察したように沈黙する。

――「……女神〈ソフィア〉か……まぁいい。時間は狂うほどある。これからゆっくりと君を私色に染め上げて見せようじゃないか」

 声が遠ざかっていく、何も聞こえなくなった。

 思考する余裕もなく気がつけば視界が暗転に包まれ、いつの間にか足が崩れ落ち、地面に倒れていた。


 *


 突然叫び声をあげたかと思うと、甲がシュミクラムを除装して倒れこんだ。


「甲っ!!」
「……これは!? まさか……!」

 千夏と久利原、互いに叫んだのは同時だった。
 けれど、それが開戦の合図となる。

 甲に近づこうとする久利原に対し、千夏が構えていた銃を久利原に発砲してしまう。
 とっさに久利原はシュミクラムに移行〈シフト〉して回避した。

 二刀の刀を振り、戦国武将のような甲冑を身にまとうシュミクラム震機狼〈シンキロウ〉。
 それが千夏の前に忽然と姿を表す。

「久利原 直樹! 甲に何をした!!」
「待て! 千夏君! 私は何もしていないっ!」

 すでに千夏も限界だった。
 いくら変わったと言っても人の根本が変わるわけじゃない、口ではああ言ったが、千夏は友人が目の前で倒れたら助けないような人間じゃなかった。
 けれどそれが災いする。

「黙れっ! 馴れ馴れしく私の名前を呼ぶな! この状況で誰があんたの言葉を信じるものか! 月並みの返答などいらない! 返すなら納得できる言い訳か、その命を差し出しなっ!」

 灰色のクリスマスの怨嗟と憎悪がクリムゾンロータスを震機狼に駆り立たせた。
 剣技と武闘の近接戦闘戦、両者の攻防は一方的に千夏が久利原を押しているように見える。
 しかし、それは久利原が攻勢に転じようとしていないからだ。


「甲君をこの状態のまま放っておく訳にはいかないだろう!」
「わかってる! わかってるさ! だけど、まだ終わっていないんだよ!」


 今度こそ失わないため、守るため、無力に打ち拉がれ、涙を堪えなくてもいいように、二度とアセンブラなど使わせない。
 そのためにも、ここで決着をつけなくてはいけないのだ。


「私があんたを殺す!!」


 Ⅳ




 これはもう何かの陰謀だと思う。

「どうして、私が戻ってくるまで甲は待ってられないのよ!」
「先に急用ができたのは私たちの方なんですがね」

 アークに戻ってきた私たちを待っていたのは甲ではなく、リアルでは慌ただしい喧騒とネットでは大量のウイルス郡だった。
 アーバルシティーから、セキュリティー回路まで満遍なく埋め尽くすほどのウイルスシード。

 戦力と見られるフェンリル以下、アークのほとんどの部隊が火消しに業を煮やしていた。私もレインと構造体の中でシュミクラムに移行してウイルスの駆除を行っている。

「まったくアークのセキュリティーシステムは何してたわけ?」
「内側からの攻撃だったそうです。それより中尉、傷の方は大丈夫なんですか?」
「平気だって鎮痛剤は投与したから。雑魚相手なら大丈夫」

「あまり無茶はするな」
 野太い声でモホークが割って入ってくる。
「わかってるわよ」

 できるだけ遠距離からの攻撃でウイルスを駆除していく。消極的だが確実に倒すことが重要だ。
 レインの言うとおり実際には鎮痛剤を打ったとはいえ、いまだにリミッター外のネットで受けたダメージが回復するわけがない。本当はそのダメージが何もないと神経に理解させなくてはいけないため、ある程度神経をなじませる時間がいる。これに対する特効薬も存在しなく、自然治癒に任せる方がいいのは確かだ。
 だが脳死〈フラットライン〉しない限り、仕事として活用している電脳将校なら腕の一本ちぎられたくらい一日あれば充分回復する。
 けれど、まだあの戦闘から一時間もたっていない、それに鎮痛剤と言っても完全に感覚を失わせるわけじゃなく、いまだに幻の痛みが私の足を疼かせていた。

 周囲にいたウイルスをあらかた駆除し終えた頃、聞き慣れたメッセージ音が響き聖良さんから通信が入った。
 その顔はこんな事態になっても変わらず焦る様子も見受けられない。

『空さん、そちらの方はだいたい終わったかしら?』
「……はい。これで最後……!」

 エネルギー弾を射出して逃げようとしていたアイランナー型のウイルスを後ろから打ち抜く。これで周囲のウイルスの反応は完全に消えた。

『結構、傷を負ったと聞いたけど平気?』
「心配いりませんよ。簡単な戦闘なら支障はありません」
 聖良さんがただ傷を心配してくれるとは思えない。本来じっとしていれば一日とかからず治る傷だ。また、急な仕事ができたのだろう。

『そう、ならそっちに敵のシュミクラムが一機向かったわ』
「……それだけですか?」
 この人がそんなことのためだけに顔を出すなんて少し拍子抜けしてしまう。

『ええ、援軍向かわしたけど少し時間がかかるわね。できるだけ足止めをお願い』
「……わかりました」

 ここにはレインとモホークもいる。それなのに足止めをしろとはえらく消極的な。

「でも、破壊してしまっても責任はもてませんよ」
『……健闘を祈るわ』

 それだけ言うと聖良さんは姿を消したが、その代わりにレインから通信が入る。

『中尉!シュミクラムです!』
「タイプはそっちでわかる?」
『はい……。でも、これは……このシュミクラムは……上から来ます!!』

 レインの言葉と共に破裂するような轟音が木霊し、天井が砕け散り、そのシュミクラムが再び私たちの目の前に現れる。


「ヒャッハー!! ショォォオットカットォォオ!!」


 瓦礫と共に落ちてきたのは赤と黒のラインが入ったシュミクラムと変態のコラボ。

「アイツは……」

 モホークが驚いているのも無理はない。

「レイン、さっきあいつの……シュミクラムは破壊したはずよね……」
「ハイ、間違いありません」

 同型機に乗っている別人なら理解できる。だが、破壊したはずのシュミクラムに乗っていた電脳将校が現れるのは不自然すぎる。


「ゼロナ……サディアストス」

 そしてその驚きの対象たるシュミクラムは何者かを抱えていた。
 腰まで届きそうな茶色い髪、無造作に括られたそれが風になびいている。どこか懐かしい雰囲気を持つ女の人だ。

「おいおい、ゼロナ。私を殺す気かい?」
「すまねぇ姉貴。だが、出口に近づいたんだから結果オーライだろ」

 そして、ヴィストル・ヴァルチェがこちらを向き直る。私はやっとのことで一番の疑問を口にしていた。

「あんた、いったい何者よ?」
「ん? みゅ? むぅ? ……俺か? 俺のことを聞いているのか?」

「他にいったい何があるってのよ……」


 正直この変態と話が通じるとは思っていなかった。

「相手の素性を聞くときは自分からだろjk! ……jkってなんだ!?」
「女子高生だろう、常識的に考えて」
 新しいたばこを胸ポケットから取り出しながら実に知的な風に答える茶色い髪の女性。

「流石、姉貴! 物知りぃ!」

 なるほど、やっぱり話が通じる相手じゃなかったみたいだ。
 レインは完全に呆れているし、モホークは無言で攻撃しようと身構えている。そして、何故か武器を構えているモホークでなく、私の方にブレードを向けるヴィストル・ヴァルチェ。


「……つーかぁ、テメェ! 思い出したぜ、あん時のアベックの片割れじゃねぇかコンチクショーがっ!!」

 唐突な叫びと共に女性を抱えたままヴィストル・ヴァルチェが襲いかかってきた。


「むしろ、今まで忘れていたんですか!?」

 レインがたまらず突っ込んでいた。ほんと、なんなんだコイツは。


 *


 赤と緑の閃光がぶつかり合う。
 蹴りを主体に烈火のごとく攻め寄せる千夏のクリムゾンロータス。だが、それを流れるような動きの太刀捌きで受け流す久利原の震機狼。

 両者共に隔絶した技能を有してはいたが、その間には決定的な実力の差が存在した。
 そして、その彼我の差が理解できるからこそ千夏は忌々しげに緑色の甲冑を纏った相手を睨みつける。

「どういうつもりさ!? なんで反撃してこない!」
「かつて、とはいえ。教え子に刃を向けれる教師がいるものか……」

 久利原は自然にそう答えていた、当たり前のことを千夏に諭すように。

 確かに千夏にとって久利原は灰色のクリスマス以前は師として尊敬しうる人物だった。
 だが、今は違う。

「よくもぬけぬけとそんなことを! あんたが灰色のクリスマスで教え子を何人殺したか覚えていないのか!!」


 尊敬していたのだ、信頼もしていた。けれど裏切られた。


「忘れたとは言わせない! 私と一緒にあんたの講義を受けてた同級生たち! 親しかった先輩も後輩もあそこにいたほとんどが死んだ! 炎の中で苦しみながら、助けてくれと呻きそして焼きただれて死んでいった! 隣の人が黒く焼きただれていくのを見て次は自分だと絶望しながら! 全てあんたがやったことだ!!」

 口を動かしている間にも千夏は攻撃を止めていなかった。
 それどころか、言葉を紡ぐに連れてクリムゾンロータスの攻撃はさらに速度を増していく。まるで千夏の怒りが全身から滲み出すように荒々しく震機狼に襲いかかっていた。

 けれど、それを全て避け続ける久利原の腕前は千夏を圧倒していた。2年前、師と呼んで慕っていたあの頃から、まるでその差が縮まっていない。そんな錯覚がさらに千夏に苛立と焦りを募らせる。


「少し落ち着きたまえ! 今は甲君を……」

 確かに久利原は甲を巻き込まないように千夏を誘導していた。ソレに気づいた千夏の頭へさらに血が登っていく。
 しかし、クリムゾンロータスの大ぶりな蹴りは震機狼に届かない。


「ふざっけるなぁあああ!!! どうしてあんたが甲を助けようとするんだ!!」
「大切と思える人間を助けることに理由などない……! 今は引いてくれ、千夏君」

「…………誰がそんな言葉を信じるものか。いや、そうか、やっとわかった。あんたと甲、おかしいと思ってたんだ、二人して私を謀っていたのかい?」

「……馬鹿なことを、今、会うまで私はずっと甲君は死んでいたと思っていたのだよ。正直、本当に甲君が生きていると言う事実を目の辺りにしても信じられないほどだ」

 千夏と久利原の間に沈黙が生まれる、それまで騒がしかった構造体がピタリとその戦闘音を止めたのだ。

「…………信じたい。信じたいけど……やっぱり、信じられないよ」


 理解できないことが立て続けに起こる、それが連続して起きた場合、大抵人の手が加えられている。千夏はそんなきな臭さを感じて、久利原へ一笑で返す。その笑いは皮肉のようで泣き言のような弱々しい声だった。

 けれど、再び襲いかかろうとした次の瞬間、何かを感じて咄嗟に距離を取ってしまう。
 それはほとんど本能的なものだった、千夏の経験やセンスが頭に引けと訴えかるより先に体が動いていた。千夏にとって一番得意なはずの近距離戦からの撤退、それは彼女に取って屈辱以外のなにものでもない。

 だが、その判断は結果として間違っていなかった。
 もし、それが数瞬遅れていたら千夏の意識は刈り取られていただろう。震機狼の刀が峰打ちとはいえ千夏の首筋を稲妻のごとくかすめていったのだ。

 距離を取った久利原は腰を落とし、両手で上下に携えた刀を並行に持ち、構えていた。


「……互いにどうしても引けないと言うときか。……少々手荒だが数年遅れの補習授業を受けてもらおう。安心したまえ、殺すつもりはない。意識を断つだけだ……」

 それは完全に手加減すると言う宣言だ。それを切っ掛けに千夏の感情が爆発した。

「……ッ! なめるなぁああ!!」
「推して参るっ!」

 次の瞬間、千夏は死地とも思える場所に飛び込んだ。
 この二年間、GOATの兵隊として自分から好んで何度も死地へと飛び込み、そして生きて帰ってきた。どれほど傷だらけになっても任務を果たした。
 今回だってやってみせる。今までの全てをこの一撃で吹き飛ばす。


 一閃


 沈黙が訪れたのは同時。静けさが風を運び、また、風は別の方へ吹いていく。
 互いの場所が入れ替わり相手に背を向けて立っていた。

 やがて、崩れたのはクリムゾンロータス。
 千夏にとって最高の技量と力で繰り出したはずの飛び蹴りはいともたやすく打ち破られた。そしてまるで二年間支え続けたものが壊れて落ちていくかのごとくクリムゾンロータスは地面に倒れ伏していた。

「ちく、しょう……っ!! ちくしょぉぉおお!!」


 悔しさと口惜しさが自分をさらに惨めにする。だが、目の前には冷たく鋭利な鉄の塊が向けられていた。


「勝敗は決した。除装しなさい」


 久利原の声が静かに響く。
 少しの葛藤の後、もはや為す術なく千夏は除装してしまった。
 負け惜しみのようだが、これから久利原が何をするのか、少し興味が湧いたのだ。


 だが、それが行われることはなかった。



「久利原 直樹。貴様も除装しろ」


 漁夫の利を狙っていた第三者の手によって見事にしてやれたのだ。
 気づけばすでに背後を取られた震機狼は刃を首筋に当てられ棒立ちになっていた。彼の生死はすでに背後のシュミクラムが握っている。

 薄い紫を主色とした二本の角を持ち、軽装で鋭利なイメージを持つシュミクラム。

 時に戦場では生き残るためには何かと注意すべきことをおせっかいな先輩が教えてくれることがある、千夏がまだ入隊して間も無かった頃に教えて貰った絶対に戦ってはいけない相手、その内の一機。

「……フレスベルグ。そして……シゼル・ステインブレッシェル」

 千夏の後を継ぐように久利原が静かに口を開く。


「魔狼〈フェンリル〉め……」




 Ⅴ


 白く清潔感があふれる機械的なアークの構造体、その通路では戦闘が開始されていた。
 私のカゲロウ・冴、レインのアイギスガード、そしてモホークのメギンギョルド、ソレに対するはたった一機のはずのヴィストル・ヴァルチェ、しかも人を抱えている。

 実質三対一のこの状況、戦力差から考えてたとえ私の傷が治っていないとしても負けるとは考えにくかった。だが、実際戦闘が始まってみれば、予想外に戦力は拮抗していた。

 足枷を手で持っているヴィストル・ヴァルチェは器用にその背中についている腕のみで私たちと戦っている。本来の力を十二分に発揮しているわけではないのに、先程戦った時より確実に強い。

「ひゃっはははっは!!」

 戦闘を喜んでいるかのような耳障りすぎる奇声が戦場を駆け巡っていた。
 私はカゲロウ・冴を動かしてヴィストル・ヴァルチェに向かってエネルギー弾を撃ちまくる。だが、それをヒョイヒョイと避けるヴィストル・ヴァルチェ、まるで後ろに目があるかのようにメギンギョルドが放った小型ミサイルまで避けるその姿は異常だ。

 あっという間に私との距離を縮めたヴィストル・ヴァルチェは背中のブレードを地面に並行するように左回転して斬りかかってくる。
 私はタイミングを合わせるように弓なりの刃で斬撃を逸らす。けれど、刃は途中で止まり肩から突き出たマシンガンが突如唸りを挙げる。

 咄嗟に身を低くして最初に来たブレードとは逆方向に逃げようとするが、ソレを追ってくるようにブレードが襲いかかった。
 私はそのまま走りぬけようとブーストに火をつける。

 しかし、「右足か……」と女性の声が聞こえた瞬間ハッとした。傷を負っていまだ鈍い右足、無理やり体を捻って片足で横っ飛びをするように右足を上げて回避する、ギリギリでブレードのかする感触がつま先に響いた。

 届く距離ではなかったはずだ、そう思い距離をとる。見れば明らかにヴィストル・ヴァルチェのブレードが伸びていた。どうやら内側から折れて一段階伸びる構造のようだ。


「姉貴ィ! なんで言っちまうだよ!」
 ゼロナ・サディアストスが抱えている女性に文句をたれる。
「いやー、スマン。まさか避けるとは思わなかったからな。それより、あまり遊んでいる時間はないぞ」
「だから姉貴のせいだつーのっ!」

 ゼロナ・サディアストスは喋りながらもこちらへの攻撃には手を抜いていない。体制を立て直す前にマシンガンが地面を蛇のような軌道で追いかけてくる。なんとか途中でレインがブロックバリアを張り防いでくれた。

 モホークのミサイルが幾つか通り過ぎて行くがまるで見向きもせず、ヴィストル・ヴァルチェは次の行動に移っていた。
 腰を落とし両足を広げ回転するように突進してくる。

「中尉!」

 レインの叫び声とともに人型のシュミクラムがまるで別の生き物のような存在感を顕に襲いかかってくる。回転しながらモホークのミサイルが宙でマシンガンに打ち抜かれ爆発し霧散していく、その姿はあまりにも異様だった。
 しかも抱えている女性は嬉しそうに笑っている、この二人どうしようもなくおかしいコンビだ。

 けれど、いつまでも笑わせているわけにはいかない。


「ふざけるんじゃないわよ!!」

 私は壁に向かって走り、空を駆け上がるように登る。
 そして、高跳びの要領で敵の回転する中心に向かってエネルギー弾を撃つ、そう、先程あいつと戦闘した時と同じ磁場を作り出す弾だ。避けても行動が制限され、しかも抱えている女性にも被害が及ぶ。
 今度は前のように油断はしない。正直、生身の人間相手への攻撃はしたくないが戦場にシュミクラムも持たずに入ってくる方が悪い。敵である限り容赦はできない。
 私はエネルギー弾の引き金を引いた。


「ざーんねーんでしたぁああ!!!」

 だが、奴はまた予想の斜め前を行く。マシンガンでエネルギー弾を全て打ち抜いたのだ。
 地面に撃つ前に鉄分を含む銃弾に打ち抜かれたエネルギー弾は空中で磁場を形勢し、私の視界を防ぐだけで終わってしまった。
「冗談でしょ……」

 マシンガンと言えど銃弾を銃弾で撃ちぬくなんて、そんな、芸当はどんな熟練者にだって狙ってできることではない。
 私は奴と距離を取って着地する。今の状態で接近戦に持ち込まれたら単体では勝ち目が無い。
 正直に言えば、相手をなめていた。先程倒したゼロナ・サディアストスとはまるで別人のようだ。三人で聖良さんの言っていたように足止めしかできていない。

「……空中尉、どう思いますか」
 レインが私の盾になるように援護しながら問いかけてくる。その間にモホークが先頭に立って小型ミサイルの連射によって接近できないように援護してくれる。

「厄介ね……でも、三人なら勝てない相手じゃない」

「勿論です」すぐにレインが返答してくれる。
「よし!」と通信の先からモホークも満足そうに頷く。

 だが、それも真っ向から突っ込んでくる敵により邪魔される。
 ヴィストル・ヴァルチェはすでにミサイルを回避しメギンギョルドの目の前まで迫ってきていた。


「カァッ!! 友情ごっこはお遊戯会までにしろっ!!」

 それに抱えられている女性もまたからかうような口調で笑っている。風が強いのだろう髪を抑えているが、あの状態でもたばこを離そうとしない執念はものすごい。

「いやはや、一本の矢は折れるけどって奴だね。実に美しいじゃないか」


 私たちの中心に飛び降りたヴィストル・ヴァルチェに対してそれぞれ三方向から、メギンギョルドの戦斧、アイギスガードの槍、カゲロウ・冴の刃で攻撃する。


「けど、小枝で作った矢じゃ何も射抜けない」

 三対一の接近戦、常人なら反応できないスピードでヴィストル・ヴァルチェは背中にある二本のブレードと左手だけで全てを捌いていく。
 抱えている女性を中心に回る独楽のような動きで全てが受け流される。
 モホークの強大な戦斧は軽いフットワークによりまったくあたらず、レインの槍は見事に捌かれて敵をすり抜け、私の攻撃は初速で殺される。
 まるで木の葉でも斬ろうとする感覚、悪夢のような光景だ。


「トロトロタンタンしてんじゃねぇえ!!」

 ゼロナ・サディアストスが叫ぶと、さらにヴィストル・ヴァルチェの攻撃が早くなる。
 いつの間にかだんだん攻撃していたはずのこちらが防御に回っていた。

「嘘……!?」

 攻撃がさらに速くなり、腕に傷がつく、それを皮切りに掠り傷が腕からだんだんと首に近づいていった。
 そして、胸から首に差し掛かる。
 「レイン、モホーク!」距離を取ろうと、言おうとした瞬間、ヴィストル・ヴァルチェの攻撃がピタっと止み、その場から離脱してしまう。追撃しようにも咄嗟のことで反応できなかった。

 一瞬、逃げられたかと思ったが、思いのほかヴィストル・ヴァルチェは距離を取ったまま止まっていた。だが、何故ゼロナ・サディアストスがそんな行動を行ったのか理解できない。
 その答えは彼らの言動であっさりとわかった。 

「大丈夫か? 姉貴ぃ?」
「……気持ち悪い。たばこ……落とした……うぅ……禁断症状がぁ。ゼロナ……替えのたばこは?」
「悪い姉貴。……その、さっきので最後だ……」

 その言葉を聞いた瞬間それまで余裕が嘘のように女性が豹変した。
 目つきが釣り上がり、歯を食いしばり、ものすごい形相で睨みつける。巨大なはずのヴィストル・ヴァルチェが萎縮しているようにも見えるほどだ。

「馬鹿かこの蛆虫っ! 貴様の低脳はまったく糞の役にも立たないな!? 引くぞクズ!! あぁ……気分が悪い。最悪だ。陰鬱だ。……今すぐ離脱しろ」
「……ヤー」

 あのゼロナ・サディアストスがあそこまで罵倒されて黙って従っている。そのあまりの異様さに私たちは声を出せないでいた。
 私は自分が呆然としていることに気づくと、すぐにヴィストル・ヴァルチェを追いかける。ただで撤退させるつもりはなかったが、まさかこんなタイミングで撤退するとは思わなかった、そのせいで一歩遅れてしまった。

 レインとモホークが後ろから追いかけてくるが、攻撃をいくらしても当たる気配もなく。角をまがればあと少しで離脱可能エリアに到着してしまう。

「……間に合わない」

 諦めかけたその瞬間、角を曲がった先、そこに有り得ないモノをみた。今までどんな攻撃をしてもダメージすら負わせられなかったヴィストル・ヴァルチェが銃弾を肩にくらう姿が目に映った。

 ヴィストル・ヴァルチェの前に立ちふさがるように現れたソレ。


「おいおい……せっかく追いついたんだ。最後まで遊んでってくれよ、静紅」


 薄青紫の装甲、特徴的な長い一本角を持ち、多彩な兵装を身につけたシュミクラム。
 おそらく私が知る中で尤も強いであろう歴戦の傭兵。何十年と戦場に身を置いたモノだけが出せる風格を持つ、魔狼〈フェンリル〉の頭。


―――嘲笑する殺戮者〈ニーズヘック〉を操る門倉 永二



 ヴィストル・ヴァルチェは直ぐに体制を整え、威嚇するようにこちらにも注意を払う。
 その腕の中で静紅と呼ばれた彼女は叔父さんに向けて睨みつけていた。ゼロナ・サディアストスが何かを言おうとするが、手で制して忌々しげに口を開く。


「気安く私の名を呼ぶな……千人殺し」

「……相変わらず生意気なガキだ。やっぱ、ここら辺でそのひねた性根を叩き直さにゃいけねぇな」
「それは遠慮しますよ。生憎と叩かれて直るような性根なら、すでに捨てていますから」

 互いに口調とは裏腹に敵意に充ち満ちた言葉を送り合う。短じかいやり取りの後、叔父さんがヴィストル・ヴァルチェに銃を構え直す。


「そうかい。それなら、力づくで話をつけようか!」
「いえ、……それも勘弁してもらいましょう」


 その言葉と共に突如として周囲に潜んでいたウイルスシードが覚醒する。敵の反応が無かったところから次々と現れるウイルス。
 さらに、そのウイルスが自ら自爆して煙幕を作り出す。

「これは!?」

 私は驚きながらもヴィストル・ヴァルチェを見失わないようにする。だが、一瞬で視界からいなくなるソレを追うのは無理があった。
 煙幕の先で銃撃が幾つも木霊し、刃がぶつかる音が何度か聞こえた後、しばらくして叔父さんから通信が入ってくる。


「チッ……すまねぇ、逃がしちまった。平気か嬢ちゃんたち?」

「……大丈夫です」

 各自状況の報告をしていく。幸い全員、大した損害じゃなかったらしい。
 ふと、煙を乗せて風が通り過ぎっていくのが見えた。よく見ると風が吹く向きは未だ追い風にすぎなかった。



 Ⅵ





 震機狼の両手から太刀が地面に落とされ、両腕を肩の上まであがる。
 皮肉を言うように久利原の口から溜息がこぼれた。

「まさか甲君に保護者がついているとは……抜かったよ」
「私も釣り餌にかかったのが存外な大物で驚いている。だが、我々にとって実に喜ばしい」

 シゼルは油断することなく短剣を震機狼の首筋に当てる。

「除装しろ」
「……」

 しばらくの沈黙が続く。一向に除装しようとしない久利原に千夏の顔色が悪くなった。


「もう一度だけ言う。これは命令だ。除装しろ……」

 シゼルの言葉に力強く心臓を圧迫するような感覚が千夏を襲う。
 すでに千夏の方にもフレスベルグの銃口が向いている。それは久利原に対する脅しでもあるのだ。
 もしここで久利原が変な気を起こしたり、千夏が逃げようとすれば即座に両方の命を刈り取るつもりだろう。

 さらに沈黙が数秒流れた後、久利原が口を開く。


「断る」

「……ならば死ね!」


 一瞬、久利原は千夏へ向けていた銃口が自分に来るのを見逃さなかった。
 自分から後ろに飛ぶことで相手のペースを乱すことに勝機を見つけていたのだ。背中の丸い筒から隠し腕が飛び出し、フレスベルグの短剣を持つ腕を掴みあげる。
 背後を取って心に余裕を持っていたのだろう、シゼルはそこに漬け込まれた。


「なっ……!?」
「無手と言えど、この震機狼、死角などない!!」

 両手で持った刀の鞘でフレスベルグの銃口を壁に叩きつけ、右腕の肘でフレスベルグの腹を壁にぶつけてそのままブーストを使い摩擦熱ですり潰すように高速で移動する。
 やがてシゼルは隅に追いやられてしまう。
 だが、それは久利原にとっても絶対的なアドバンテージではない。


「流石……と言うべきかな?」

 強敵に対して軽く笑う、シゼルは壁に背をついているのを良いことに両足を浮かせ、シュミクラムとは思えない柔らかさで震機狼を蹴り飛ばす。
 咄嗟のことで久利原は否応なく距離を取らされるが、さらに飛来してきたブーメラン形の刃を避けることで体制を崩してしまう。
 それをシゼルが見逃すハズも無かった。
 短剣でその首を取ろうと壁を蹴り獣のように襲いかかる。

 だが、それも手首を腕で捕まれて止められてしまう。
 これは確実に来ると予想し狙っていなくてはできない芸当だ。シゼルは頭の中で舌打ちをする、久梨原は体制を崩したように見せたのだ。

 けれどその程度でシゼルは止まるつもりはない。このままでいたら投げ技に持っていかられるか、背中の隠し腕に掴まれてしまう。
 フレスベルグはブーストを上げて空気を蹴るように重力落下を加速させ震機狼を押し倒して地面に叩きつける。
 弾丸のように突進してきたフレスベルグを受け止めれず震機狼が地面にぶつかり、衝撃波が響き土煙が上がった。

 フレスベルグはすぐにその場を離れようとするが、捨て身の攻撃だったが故、次の行動が難しく一瞬で震機狼の腕に肩を掴まれてしまう。

「逃しはしない」

 久梨原の冷たい死の宣告のような言葉にシゼルの背筋に寒気が走った。
 目の前にクナイが突き出され、視界を掠めていく。
 シュミクラム戦でも頭部の攻撃は実に有効だ、ブレインチップと脳が存在するそこは特に装甲が厚く作られているが、どうしても目だけは視界を確保するために脆くなっている。
 シュミクラムの戦場で一番多い死因が頭部への衝撃。それ以外では胸や腹の臓器が存在するはずの部分を狙わない限り確実に殺すことが難しい。

 シゼルは肘で腕を払いのけブーストで距離を取り、マシンガンを連射する。
 久梨原は跳ね起きるように空中に飛び、宙を駆けるように蛇行するマシンガンを避けていく。そして、二人の動きはあるところでピタっと止まった。

 異様な静けさが漂う。互いに並行移動しながら、相手の隙を伺おうとしていたのだ。
 そして、両者共に相手の出方を先読みし自分の次の行動を読ませないために止まってしまう。



 一方、千夏からしてみればどちらにも加勢する気にはなれなかった。一人は一度は敗れたとはいえ殺すべき相手、そしてもう一人は敵対するAI派の傭兵。
 幸い自分のクリムゾンロータスはさほどダメージを受けていない。だが、今ここで両方相手にするのは無謀もいいところ、最低でも一人か二人でいいから増援が欲しい。
 そこで甲に目がいってしまう。まるで死んだように眠っている彼を見て肝を冷やすが、ネットで死ねば電子体はそのままデータとなって霧散する。

 すぐに千夏は甲に近寄っていた。
 だが、正規の医者でもない千夏には見た目には寝ているようにしか見えない。


「……どうしろってのよ」

 時折何かに呻くように苦しみだす甲を見て、途方に暮れてしまうが、静寂を切り裂くように突如として轟音が響く。
 震機狼とフレスベルグがぶつかりあっていた。
 自分が言えた事ではないが甲を寝かしておくにもここは危険すぎる。とにかくここから甲を連れて移動しようと判断すると千夏は甲を背負い、研究室から離れることにした。


 時はほんの数秒戻る。 
 千夏が動いているのは久梨原もシゼルも確認していた。
 だが両者共に動くことができない。硬直状態の今、先に動いた方が後手に回る、それでもシゼルは甲に近づこうとする千夏に対して銃を向けた。
 久梨原への威嚇とともに焦りを生み出させる算段だったが、震機狼の刀の鞘によって銃口が弾かれ、銃弾があらぬ方向に飛んでいく。

 それが合図となった。
 互いに一気に距離を詰め、密着するように止まってしまう。
 震機狼とフレスベルグ、両機の顔の間近でクナイと短剣がぶつかり合う。
 時に肩をぶつけ体制を崩させようとしたり、力加減の強弱で相手の隙を突こうとする、その駆け引きで先程に無理な距離から鞘を降りきってしまった震機狼はどうしても一手遅れ防御に徹っしてしまう。
 これだけ言えばフレスベルグが優勢だったが、それでも、シゼルは震機狼を攻めあぐねていた。

 両者の技量は概ね拮抗している。その理由は相性の差にあった。
 防御に回った久梨原はシゼルが驚くほど完璧に攻撃を見切っていた。スピードと手数で押し切ろうとするシゼルにとってこれほど厄介な相手はいない、シゼルの調子が悪い訳ではない、これはシゼルの攻撃スピードに追いついてくる久梨原が異常なのだ。
 彼女はかつてこれまで完璧に攻撃を見切られたことはなかった。それこそ、彼女の癖を知り尽くしたフェンリルの隊長、門倉 永二とて防げないであろう攻撃すらも久梨原は防いで見せる。
 久梨原の格闘センス、経験どれをとっても一流の戦士がなせる業が、フレスベルグの刃を通そうとしないのだ。

「惜しいな! 実に惜しい! 貴様はそれほどの腕を持っていながら、何故アセンブラなどに固執している!?」
「君のような傭兵には理解できまい。……戦争は決して人を救わない! 人を救えるのは、常に進歩と呼ばれる人と人との小さな歩みよりなのだよ!」

 一方、久梨原からしてみれば見切っていると言っても、どれもギリギリ間に合ったと言うところ。
 いつ、自分のガードが弾かれるかたまったものではない。
 奥の手のはずの隠し腕までフルに使ってなんとか凌いでいる今、距離を取るタイミングは完全に逸してしまった。下手に距離を取れば追撃であっさりと自分の首を締めることになる。

 状況は両者共に切迫したままだった。
 つばぜり合いの中、相手の精神を揺さぶろうと語りかける。それはまるで互いに見えない刃をぶつけ合うように相手に言葉を叩きつけていた。


「ご高説ありがたがいが、私とてそんなことは百も承知だ! しかしな! 貴様の作ったアセンブラが今の世を作り上げた!! 見なかったとは言わせんぞ! 本来ならば戦争に関わることもなく暮らすことができた人たちが渦中に追い込まれ! 死にゆく姿をっ!!」

「なればこそ! 尚の事、私は止まるわけには行かないのだ!! 今、食料事情が悪化し資源問題が活発になっているのも、ソレは全て統合と言う歪な政治体系が人々から搾取し独占し続けた結果!! 統合と言う毒が人類を支配しきっているのだ! だが、その統合を破壊してしまえば支えのなくなった人々は今度こそ壊死してしまうのは誰の目にも明らかだろう! ならば何が人を救う!? 博愛か!? 戦争か!? どれも否だ!! 技術の結晶! 進歩の道こそ人類を救う! そう、アセンブラだ! 汚染物質を除去し自然のあるべき姿に戻すことのできるアセンブラこそ、この乱れきった世を救うとっ! 私の考えはそれほど間違っているのか!?」

 互いに刃を弾き一瞬、距離が離れる。


「笑わせるな!! その言葉を信じて灰色のクリスマスを再現しろと!! 貴様はあの惨劇を見て何も学ばなかったのか!?」

「笑止!! 惨劇から学びとった故にとった私の道だ!! 止めれるモノなら止めてみるがいい!!」


 意見の齟齬は始めからわかっていた、互いにもはや語ることはない。

 数秒の静寂が訪れ、一直線に敵に向けて歩みを進める。両者共にブーストでスピードをあげ、フレスベルグは短剣を震機狼はクナイを互いの頭めがけて突き刺そうと構える。
 もはや小手先の業では勝敗がつかない。
 両者共に繰り出される攻撃を避けるつもりはない。避ければ自分の攻撃もズレて当たらなくなるからだ。
 
 単純にどちらがより速いか。
 その一点で勝負がつく。
 シゼルはこういう博打のような勝負は嫌いじゃない、久梨原とて刀を持つ武人として意地がある。 
 互いに譲れるモノがあるために命を削り合う。


―――「マッドサイエンティストの貴様がッ!!!」
「傭兵ごときにッ!!」―――


 互いに叫ぶ。狂気すらも飲み込むほどの大音声で。
 操るはフレスベルグと震機狼。

 高速でぶつかり合い、砕けるのも一瞬だった。







[23651] 第四章 記憶遡行
Name: 空の間◆27c8da80 ID:0f416397
Date: 2010/11/06 21:59
ⅩⅦ





 夢を見ていた
 幻のような夢


 目覚めると、俺は白い海に漂っていた

柔らかなシーツの感触

   白い布地が陽光に照らされて、

    眩しさに開きかけた薄眼を閉じる

おそらくいつもと同じ、平和な一日の始まり
 おそらく今日もいい天気


    窓から差し込む光がまぶたを閉じても、なお眩しい

だけどベッドから抜け出すにはまだ早い


――だって、聞きなれた呼び声が、
          まだ、俺の耳には届いていないから


  「甲……起きて」


 ――とか、考えていると、
      ほら、さっそく、『あいつ』の呼ぶ声が聞こえてくる



    「……ほら起きて。早く起きないと遅刻しちゃうよ?」



そう、もう起きないと、学園の始業時間に遅れてしまう


   さっさと朝食を済ませて、今日も学園に行かなくちゃ


 退屈な授業をやり過ごせば、午後からは仲間たちとのお楽しみが待っている


  わかっていながら、俺は聞こえないふりで惰眠をむさぼる


もう少し待てば、
     『あいつ』の手が優しく俺を揺り起してくれるはずだから……


   「もう、しかたないなぁ」


  ほら、『あいつ』が俺を揺り起そうと、身をかがめる気配がする


  ―――『あいつ』


 俺にとって、ちょっと特別な女の子

   生まれてはじめて出会った、
       ちょっと深い関係になれそうな女の子

『あいつ』を思うと、胸が切なく痛んでしまう
  毎日、寮で顔を合わせ、一緒に学園に通っているのに、もっともっと、一緒の時間を過ごしたくて……。


 ……なのに、どうしてだろう?


『あいつ』の名前が、どうしても頭に浮かんでこない。


「……甲 きゃっ…………あ」


 最後の言葉とともに腹部に強烈な痛みが走る。
 ハンマーで腹部を殴られたような衝撃に、耐えきれず俺は跳ね起きた。


「イ゛ッ!? ……つぅ……なんだよコレ!」

 落ち着いてみると何故かベッドに鉄アレイが転がっている。


「……空」
「あはは……その、ごめん!」

 あいつ、空は笑って誤魔化そうと目を逸らし、すぐに手を合わせて謝ってきた。
 状況から察するに犯人は鉄アレイを俺の部屋に持ち込み、何もないところで転けて手放してしまった鉄アレイが俺に抱きついてきた。そんなところだろう。
 ベッドに転がっていた鉄アレイを持ち上げる、結構な重さがあり手にズッシリとした感覚が伝わってきた。
 いまだにヒリヒリする腹を抑えながら、こんなものが顔に当たったらただごとじゃすまないと文句を言おうと思ったのだが、空の必死に誤る姿を見て怒るきも失せてしまう。


「……なんだってこんなもん、持ち歩いてるんだ?」
「居間に転がってたから、甲を起こすついでに千夏の部屋に持っていってあげようかな……て」
「それで手がすべって俺の腹にダイブしたと……」

 とりあえずこの事はもういいか。
 幸い痛みも引いてきた。

「その、……大丈夫だった?」

 空が俺の腹に手をあてて上目遣いでこちらを見ている。少し泣きそうになっているのがまたなんとも……。

 何と言うか、はたから見てたらすごく危ない状況にも見える。そして、何故かドアの前を通り過ぎて行った雅がわざわざ一度引き換して、こちらを一度拝んでから親指を突き出して無言で過ぎ去っていく。
 雅の一連の動作の意味を理解するのに数秒かかってしまった。

「ちょっ……ちがっ!」
「……どうしたの? まだ痛む?」

 すぐ目の前に空の心配そうな顔があるのに驚いてしまう。
 顔が真っ赤になるのをなんとかごまかそうとしてみる。

「いや……その……着替えるから……」
「あ……ご……ごめん」

 空も顔を真赤にして部屋を出ていってしまった。廊下で何かを喋っていたようだが……。
 部屋を出て行った後、千夏がドアから顔を除かせて入ってくる。鉄アレイを見つけて持ちあげそのまま部屋を出て行ってしまった。
 どうやら部屋の前にいたらしい。


「これは一敗……やっぱり、天然系で攻めるべきかな?」

 小声でなにやら呟いていたが、とりあえず、気を取り直し制服に着替える。
 途中で菜の葉の呼ぶ声が聞こえた朝飯の準備ができたのだろう、急いで居間に向かった。

 居間に降りるとだいたい全員揃っていた。けれど、なにやら雰囲気がおかしい。
 いや、俺を見る目が珍しいものを見たと言っている。

「あらま……」

 亜季姉ぇの一言を皮切りに雅と千夏が腹を抱えて笑い出す。
 菜の葉と空は呆れているようだ。

「先輩……今……冬やすみ……れす」

 ただ一人冷静な真ちゃんがうつむきがちに教えてくれる。
 腹を抱えていた雅がすかさず追撃してくた。

「おい甲、補習も終わったのにまた学校行くきかよ?」
「え……?」

 言われて始めて気づく。
 これは結構、恥ずかしい。

「いつまで寝ぼけてるのよ、ほら、早く着替えてきなさい」

 夢の中の空が学校に遅れると急かすからだとは言えず、空に追い出されるように居間から離れた。そして着替えた後、もう一度もどってくる。
 まだ、食べずに待っていてくれたようだ。全員でいただきます、と言ってから一斉に食べ始めた。何故か、それが懐かしく感じてしまう。

 ふと、ニラを橋でよけている時にカレンダーの日付が目に入る。
 今日は12月の24日、クリスマスイブ。

 なんでだろう、祝日なのに不思議ともやもやした感じがした。
 妙な胸騒ぎ、気のせいだったはずだ。


 食事を終えて俺は玄関まで空を見送りに来ていた。
 唐突に空がこんなことを聞いてくる。


「甲、今日の約束……忘れてないよね?」

 そいえば空と今日は夕方からデートの話があった。自分でもびっくりするくらい頭から抜けている、どうしてだろう、こんなに楽しにしていたはずなのに。

「あ…ああ……もちろんだよ!」


 満遍の笑顔で取り繕ってはみるが、やはり空は心配そうな顔は止めない。
 なにを言われるかと身構えたが、でてきたのは意外なことに優しい言葉だった。

「大丈夫? なんか今日は朝からボーとしてるみたいだけど……やっぱりあの鉄アレイのせい?」
「それは無いから安心しろ」
 それだけ言うと空は笑っていた。外から菜の葉の急かす声が聞こえてきた。

「……わかった。それじゃ。まこちゃん待たせてるから、また夕方ね」

 真ちゃんは今日は通院の日、菜の葉はその付き添いのついでに先生のお見舞い、その後にドレクスラー機関に寄って行くらしい。
 空はなにやら外せない用事があるとか。

 玄関がガラガラと閉まる音が廊下に響き、異様な静けさに包まれた。

 




 ―――第四章 記憶遡行―――






 私は何故か先程、ヴィストル・ヴァルチェの腕に抱えられていたあの女性が気になっていた。確か叔父さんが”静紅”と読んでいた気がする。
 その名前を聞くと喉に引っかかるようなこの嫌な感じはなんだろう、


「……静紅……、静紅……しずちゃん…………まさかね」

 名前としては珍しいが、そうそうこんな偶然があるはずがない。
 でも、偶然じゃなかっとしたら……。

 煙が収まりつつあるアークの構造体の中で考え込んでいると、思考に割り込むように通信が入る、目の前にいる門倉大佐からだ。


「ダメだな。見事に煙に巻かれたアレを追うのはもう無理だろう。それより嬢ちゃん、どうも甲の帰りが遅いのが気になる。お守りにシゼルをつけたから心配はねぇとは思うが、どうする? 傷が平気ならついてくるか?」

 願っても無い申し出だけど……。

「大佐は甲がドコにいったか行き先を知ってるんですか!?」
「フェンリルのサポートは優秀だからな。だいたいの検討はついている」

 叔父さんは軽く笑うとモホークとレインにもついてくるように促す。
 他の隊員は動けないから、ここにいる即興で動けるこのメンバーで行くつもりらしい。

「よし、もう一悶着あるかもしれんから気を緩めるな」
「ヤー!」

 また私たちは移動を開始した。




 *



 急いでコンソールから出ると私は窓を開け放ち外の空気を吸い込む。
 新鮮な空気が肺に取り込まれていく、だが穢れきった空気は様々な汚染物質が含まれあまり心地良いものではない。少し過剰に取り込みすぎたせいで咳が漏れだす。

 それでも、仮想の空気よりはマシだ。
 アレは私を受け付けないし、私もアレを受け付けない。
 タバコ型の専用ツールでなんとか緩和しているが”あるはずのないネットの空気を吸っているという不快感”がどうしようもなく私を苛立たせる。ネットの中では常にあんなものに頼らなければ歩くことすら難しい。

 あそこは私にとって月面より住みにくい場所だ。
 そのせいで昔はよく落ちこぼれなどと言われたが、やはり、現実があるのにネットに依存しきると言うのは、私には理解できない。


 しばらく窓の外の空気を取り込み落ち着くと、私は室内に目を向ける。
 そこそこ広い個室。アークともミッドビルダからも遠い廃れた町外れの廃ビルの一室。

 その部屋はさらに中央に立つ機械によって意外なほど狭く感じられた。中央の機械がまるで大樹の根のように大小様々なケーブルが床を埋め尽くしている。

 私はその機械に近寄り、幾つかのデータバンクを開く。
 機械的なデータが幾つも私の目の前を通り過ぎていった。
 やがて、その数字で止まる。


―――72%


 思わず頬が緩んでしまうのが自分でもわかる。だが、長かった。あまりにも長かった。
 私は目の前にある見慣れた機械に幾つかの変更点を入力する。

 その機械に直接つながれたコンソールが6個、ちょうど等間隔に直結しておりその中には人が死んだように眠っている。いや、実際は今回の戦いで2人ほどすでに死んでいる。

 一人は戦闘に敗北し脳死、その男を見るにやはり長時間の単独機動は控えた方がいいみたいだ。もう一人は戦闘時の過剰な投薬に耐えれず神経が崩壊していた。両方共、稼働時間は100を超えていない。

 第三世代〈サード〉とはいえ成長しきっていない体では耐え切れなかったのだろう。DNAを始め脳が完全に自壊してしまっている。
 だが、彼らより若いはずのこの娘が壮健なところを見るとネットとの親和性が低かったのが一番の理由だ。
 私は誰もいない部屋にある椅子に腰を掛けて空を見上げる。


 どちらにせよ早急に替えを用意すべきだ。
──ドミニオンかレコンキスタか……そう言えばアレがそろそろ不必要になる頃だな。
 無能な政治家でも今まで活用できるかと思っていたが、最後に人身御供になるならその方が有効的だろう。

 そうと決まれば私は彼を歓迎するための用意を始める。
 気位いだけは高い彼のことだ、きっと泣いて喜ぶだろう。彼がどんな叫び声をあげてくれるのか、私は笑いがこらえられなった。
 やはり殺しは現実に限る。殺しているという感触こそが重要だ。


 コンソールの中で眠る薄い紫色の髪をしたお姫様を見て笑う。

 窓から入ってきた風により部屋の空気が変わってしまう、窓に近づくと空が見え暗雲が街を支配していた。
 青空はまだ見えない。


 ⅩⅧ





「久利原先生がいなくなったぁ!?」
 千夏と共にバイクを弄って少し疲れたので休憩している途中、空から突然そんな内容の通信が入った。

『そう! 今、まこちゃんやスタッフの人と辺りを探してるけど、全然見つからないの!』

 顔だけ見ても空は相当焦っているようだった。
 すでに夕日が沈みかけているような時間帯、危険と言うほどでもないが、反AI派に目を付けられている病人が一人で歩くには心もとない。
 しかも、先生の部屋は厳重の監視されていたらしく、攫われたと言う事はありえないらしい。久利原先生が自分で姿を消したのだ。

「どう言う事だよ!?」
『私が解る訳ないじゃない! もしかしたら、そっちに戻ってるかもしれないからと思ったんだけど……! 私はこれからドレクスラー機関の方に行ってみる、甲は寮に確認とってちょうだい! いい!?』
「わかった!」

 隣にいる千夏が真剣な表情でこちらを見ていた。

「……先生がどうしたの?」
「解らない、急にいなくなったらしい。とりあえず、俺は寮にいる亜季姉ぇに先生が帰ってないか聞いてみる」
「私は……急いでコイツの調整をするから、それが済んだら、すぐ空がいる方へ向かってみるよ」
「……任せた」

 千夏がバイクの方に向かって走り去ってから、亜季姉ぇの通信記録を探している所だった。
 その送信者が不明のメールはいきなり送られてきた。

「なんだよ、こんな時に……」

 このご時世に文字ツールを使った間違いメールかとも思ったが、妙な胸騒ぎがして、そのメールを開いた。

『門倉 甲、久利原 直樹の居場所を知りたくば、この場所に一人で来られたし』

 その内容に目を疑う。だが、添付されていた内容に目を疑った。
 蔵浜市のとあるビルの地下。

「これって……」

 脅迫状。
 誰かは知らないが、こんな真似をするなんて許せない。

「……ふざけやがって!」

 千夏が調整するバイクの方へと行く。

「千夏、悪い。俺が蔵浜に行く」
「はぁ……? なんでよ」
「それは……」
 はっきりと言うべきなのか言い淀んでしまう。
 怪訝そうに千夏が顔をしかめたが、複雑そうな表情をして頷いた。
「……まぁいいよ。甲の好きにしな、でも、帰ってきたらちゃんと話なよ。仲間外れは御免だからね」

「ああ……」

 急いで調整を済ませて、バイクに乗って清城市へと向かう。
 指定された場所は廃ビルとなっている場所の地下。

 警戒しながらも、その中へと足を進めていく。

 地下の一室、そこから談笑するかのような声が響いていた。
 耳を澄ませてできるだけ聞き取ろうとする。

「ハイ、ストーップ」

 背後から急に声が掛けられる。
 驚いて振り向こうとしたが、すでに腕を掴まれ背後から固められていた。

「なっ……!?」
「盗み聞きは良くねェなー。実によくねェ。何がよくねェってあんなモン聞いてたら耳が腐るぜぃ。オラ、歩きなァ」

 やる気のない人を小馬鹿にしたような声が後ろから告げられる。
 相手の顔は解らないが、声からして同じくらいの年齢だ。

「……お前達が先生を!」
「イエース。そうだ。俺たちだぁ。その先生ってのに合わせてやるから、ホレ、ドアを開けろ」

 一瞬、相手が何を求めているのか理解できず体が硬直してしまう。 
 どちらにせよ、まずい状況なのは違いない。

「なんだ、ドアも開けれねェのか? 引くんじゃねぇ押すんだ、オープンだよオープン!」

 力を込められ間接が響く、仕方なくドアノブへと手を掛け、回した。
 部屋の中は思っていたよりも静かで、二人の人間がそこにいた。

「お前は……!」
「遅かったじゃないか。門倉 甲! この俺を待たせるとは何様のつもりだァ」
「ジルベルト!!」

 赤い髪をしたハイセンスすぎる髪形をした男。濃い紫の制服、鳳翔の制服を身にまとったジルベール・ジルベルト。
 そして、もう一人。

「お客様でしょ。愛しの彼に会えて嬉しいからって、そんなに騒がないでよ。相変わらずジルベルト君ったらお茶目なツンデレね。なんなら、二人纏めて私が可愛がってあげてもいいのだけれど?」

 白銀の髪にエメラルドグリーンの瞳。
 意地悪そうな表情で笑う、幼い顔つきをした少女がそこにいた。

「そりゃいいぜ。非生産的行為だが、元々、繁殖能力に乏しい家畜共なら後ろの穴でファックしてる方がお似合いだ。クリス、手前ェの処女だけ残してたら他はどうでもいいぜぇ、なんならその後、俺がヤッテやろうかァ?」

 始めて後ろの人間の顔を確認する、白い髪に血色の悪そうな表情。
 だらしなく着た鳳翔の制服が一際異質感を放っていた。

「冗談。あなたみたいな処女厨だけは何があっても御免被るわ。そもそもサディアストス、あなたみたいな人間を愛せない人を愛すほど私は図抜けてないの」

 サディアストスと呼ばれた男はソレを聞いて逆に頬を緩めた。

「ヒャハハ。随分と育て方を間違えたみたいだなクリス。ん? いやいや、むしろ、俺は喜ばしい、てことは育て方は間違ってなかった訳だ」

 高揚しているサディアストスにジルベルトが噛み付くように言う。
「ハッ! サディアストス。何時まで意味のわからん、それ以上にくだらない話をしている。貴様の戯言に付き合っている、こっちの身にもなれ屑が」

「喚くな雑種。また、身の程を教えてほしいのか? 言ってみろ! 今度はどうして欲しいんだ!? 跪かせて惨めに全校生徒の靴でも舐めさせてやろうか!? それとも、生き埋めにして公衆便所にしてやるのも面白いが、汚物の便器なぞ誰も好んで使わないぜぇ!? それでも、やりたい盛りの変態短パンフェチは我慢ならねェほどに早漏なのかァ!?」
「汚物は貴様だろうが……ッ! 貴様は何時か俺がこの手であの時の恥辱を晴らし、この世に塵芥も残さず抹殺してくれる!!」

 ジルベルトは射殺すような視線でサディアストスを睨みつけていた。ソレを見下すように歪に笑うサディアストス。二人の様子を小馬鹿にしたように見ているクリス。
 何だこいつ等。
 被造子(デザイナーズチャイルド)ってのはこんな奴らばっかなのかよ。

「いい加減本題に入りましょうよ。あなた達のせいで門倉君が困ってるじゃない」

「フンッ! そうだった、門倉 甲。貴様の崇拝する久利原の話だったか」
 不機嫌を隠そうともせずジルベルトが俺の前へと歩み寄ってくる。

「お前達、久利原先生に何を……!」
 後ろで固めていたサディアストスが手を離し、俺を後ろからジルベルトの方に蹴り飛ばす。

「安心しな。俺たちは別に何もしちゃいねぇよ。まぁ、姉貴がどうするつもりなのかは知らねぇがぁよッ!」
「そう言う事だ!」
 ジルベルトはソレを避けながら腹を蹴ってくる。
「グッ!!」
 その衝撃に耐えきれず地面に倒れてしまう。

「ハハハッ!! 良い様だな門倉ァ!!」
 ジルベルトがさらに俺の腕を踏みつぶそうとしたところで、窘めるようにクリスが口を開く。
「コラコラ。忘れたの? あまり手荒に扱わないようにって。先生に言われたでしょ」
 サディアストスは呆れたような顔で軽く顔を上げて考える。

「あぁあん? つまりだ。逃げれねぇように足の一本くらい奪っとけって意味じゃねぇのか?」
「どうやったら、そうならるのかしら……。時々、思うんだけどあんた馬鹿でしょ。ホラ、立たせて奥に連れて行きなさい、あなた達がやったんだから」

 クリスの命令に男二人は嫌そうな顔をする。
「チッ……ジルジルト、やれ」
「ふざけるな、貴様がやれ。単細胞生物が、いい加減に俺の高貴な名前をその脳裏に焼きつけろ」
 互いに拳を握り、殴り合う体制をとる、ソレを止めたのはまたクリスだった。
「二人で運んだらいいでしょ。後で先生に言いつけるわよ」
 ソレを聞いて渋々と二人が俺の腕を掴もうとする。

「……離せ。自分で歩ける」
 手を振り払い自分の足で立つ。

「ケッ! だったら、最初っからそう言えやっ!! 余計な手間を掛けさせんじゃねぇ! クソが!!」
「相変わらず生意気だな……ッ! あの人の命令じゃなかったら、今ここで殺してやりたいんだがなァ!! ホラ、歩けるんだろう!? さっさと行け、この下等生物がッ!」
 サディアストスとジルベルトに小突かれながら奥へと向かう。

 そこには、廃墟のビルには似合わないコンソールと大量のPCが置かれていた、一見、亜季姉ぇの部屋に似ているとも思ったが、PCにそこまで詳しくない俺でも知っているような不正品や海賊版が大量に置かれていた。
「そこよ」
 クリスが指す方向には、ネットカフェにあるような三段式のコンソールが置かれていた。

「ここは……」
「姉貴の研究所<ラボ>の一つってーとこだな。その一番下に久利原とやらがいるがぁ、今、開けんのは危険だぜェ」

 あっさりとその場所を漏らすサディアストス。

「どういうつもりだよ……俺をこんなところに呼び出して」
「さぁな、姉貴が呼んで来いつったから呼んできただけだ。ホラ、入れ案内してやる」

 真ん中の段にあるコンソールが開かれて、その中へと押し込まれる。一瞬、本当に入って大丈夫なのかとも考えたが、ここまできたのだからと覚悟を決めて入る事にした。
 ダイブは問題なく行われ、無名都市に繋がっていた。

 しばらくすると、サディアストスが現れ、他の二人も追い付いてくる。

「一応、注意しておくけど、ここから先は安全装置<リミッター>なんてないから気を付けなさい。ぼーとしてたら、私に後ろから刺されるかもしれないわよ」

 クスクスと笑いながら妖艶に笑うクリス。
 その後ろでニヤニヤとしているジルベルト、冗談かもしれないが、こいつらの中で比較的まともなクリスですら、普通にやりそうで常に気を張っていなくてはいけなくなった。


「オイ、ついてこい。お茶会に遅れたら姉貴に殴り飛ばされんだ」
 サディアストスが無名都市の中を歩き出したので、言われるままに後ろからついていく。


 *


 その光景を俺はずっと見ていた。否、見せられていた。
「……これは、俺の記憶?」

 今、まさにサディアストスとジルベルト、そしてクリスの間にいる別の”自分”を遠巻きに俺が見ていた。

「然り、これは君の記憶であり、君の記憶ではない。正しくはこの世界の君であり、君ではない君の記憶である。ソレをこんな形で見せようとするとは、半身も戯れがお好きなようだ」

 先ほどからずっと俺の隣では、グレゴリー神父が白い椅子と丸机に座り優雅に紅茶を飲んでいる。
 今でも慣れる事はないが、互いに触れる事もできないし、動いている俺から遠くへと離れる事も出来ない。

「この頃の君は随分と迂闊と言わざるおえないな。しかし、敵から与えられた情報を鵜呑みにして突撃した所を見ると、傭兵になってからも大して成長していないのではないのかね?」
「うるさい。お前は何でこんな所にいるんだよ」

「こんな所? はて、こんな所とは何処を指しているのか。そもそも、ネット内を人間が存在する場所として認識して良いのか、はたまた、記憶の中こそが本来の生物が存在すべき場所なのか。もしかしたら、大地に立つ現実こそが場所として間違っていたのか。実に興味深い問いだ」

「訳わかんねぇ事ばっかり言いやがって……」

 グレゴリー神父はその巨漢に似合わず上品に紅茶の入ったカップを口に含む。
「ふむ、紅茶はアールグレイに限る、無論、入れ方は黄金比で入れるのが最上だと。君もそう思わんかね?」
「さぁな……紅茶はあんまり飲まないから、正直わからない」
 2年前から食糧事情は悪化し天然物の紅茶などの嗜好品は値がはる。

「それは残念だ。それよりも、見とかなくても良いのかね? そろそろ、次の幕へと移るようだ」
「言われずとも、そのつもりだ」

 神父の言うとおり、記憶の中の俺は無名都市の奥の隠し通路から転送されていく。
 その転送された先は──。

 *


 空の果て。
 蒼穹に向かうような澄み渡る青い空に常に白い雲が流れている。

 人工的な歯車を連ねた巨大で細い門が一つ聳え立つのみで、他は全て青と白で染められていた。
 幾何学模様の白い線が自分のいる空中に地面を描いており、下を向くと、そこには鏡に反射したかのように深い青空が広がっている。

「……ここは」
「姉貴が作った構造体だ」

 見る者を圧倒するような広大な景色。そこに二人はいた。

「久利原先生!」
「甲君……。来てしまったのか……!」

 苦虫を噛むような表情で久利原先生はこちらを見ていた。
 その隣には女性が立っている。

「ようこそ、門倉君。私の空間へ」

 一歩前へと進む栗色の髪をした女性。こんな状況で無かったら久利原先生と立っているとカップルのようにも見えるかもしれない。
 だが、彼女から感じる雰囲気は油断ならないモノだった。

「あんたは……?」
「私の名前は……橘 静紅。そうだな、君なら静紅さんと呼んで構わないよ。入院した旧友、久利原先生の変わりにドレクスラー機関の代理主任を行っている。ついでに言えば、その後ろに立っている三人のネット上での保護者らしきモノでもある。彼らの道案内はどうだったかな? 中々、刺激的な経験だったと思うが?」

「確かにな。随分と良い教育をしているようで、何度か蹴られましたよ」
「それは結構。暴力は若い内にやっておかないと、年齢を重ねると鈍ってしまうからね」

 皮肉に対して静紅は笑顔で同意する。
 久利原先生が注意深く静紅を睨みつけている。

「なんで、こんな所に俺と先生を連れて来たんだ」
「なんで……か。逆に聞こう、なんでだと思うのかね?」
「……知るか」

「おいおい、最初から考えるのを放棄してどうする」

 馬鹿にしたように笑う静紅に久利原先生が助け船を出してくれる。
「君のような異常者の考える事など、一般人たる甲君には解らないのは当たり前だ、あまり無茶ばかりを言うものじゃない。いい加減に私達を呼び出した理由を言いたまえ」
「はぁ……生き急ぐ君達に私の時間を合わせるのは面倒なのだが。自己紹介も済んだし、まぁいい。果たさせて貰おうか。…………やれ、ゼロナ」

 振り向けば、今まで後ろに立っていたサディアストスが先生に向かって銃を抜いていた。

「な……ッ!?」
 全てが遅くなったように時間が流れる。
 ソレに従って、銃声と銃弾は久利原先生へとめり込んで行った。

 乾いた音が響き渡った先、先生の胸から血が流れていた。仮想とはいえ、その傷では最悪の場合脳死する可能性もある。
 頭が真っ白になったかのように思考が留まり一気に弾けていく。

「……お前らぁ!!」
 しかし、助けに行こうとした所を後ろからクリスに抑えつけられる。
「ダメ。行かせないわ」
「離せ! 先生が!」

「見苦しいぞ下等生物」
「まぁ、落ち着け。門倉君。面白いのはこれからだ」
 ジルベルトが蔑むように、静紅が面白いモノを見るかのような表情でそれぞれ言う。

 ゼロナが倒れ伏した先生に向かって歩いていく。
「そうそう、死んじゃいねぇっての、つか、コイツがいる限り死なねぇのか……ッて!?」

 そう言い近づいた突如、ゼロナへと先生の死体からチェーンソーが飛び出した。
 サディアストスは「うおっとっとぉ」と間抜けな声を上げながらバックステップで避ける。

「なッ!? お前ら! 先生に何をした!!」
「私達は何もしてない。久利原は元から”ソレ”だった、まぁ、昔はそうでもなかったんだがね」

 静紅の呟きと共に久利原先生の血から、全く別の腕が生えてくる。
 ソレは明らかに別の人間。
「クァァアアアアアアアッシュ!! 半身よ! これは一体どう言う事なのかァ!!」

 神父。
 久利原先生の腹の中から、おぞましいソレが姿を現す。
 怒りを顕わにこちらを睨んでくる。人間のようだが、その男の両腕はチェーンソーだった。

「あら、本当にお爺さまにそっくりなのね」
 後ろで掴んでいるクリスがポツリとそんな事を言う。

「お前のお爺さんは両腕がチェーンソーだったのかよ……」
「顔の話よ。変人だったけど、流石にそこまで人間離れしてなかったわ」
 クリスは呆れたようにそう呟く。握られた腕への握力が少し強くなっていた。


「半身よ! 貴女は貴女でありながら! 神を裏切ると言うのかァ!!」
 必死に叫び声を上げる”ソレ”を静紅が見下し、足でその顔を踏みにじる。

「よく言うな、神父。先に裏切ったのはその右も左も解らない無知無能たる君の神だろうに、その下僕たる君が私に意見するのか。その愚行とすら言えない暴挙に私は何と答えてやればいい? いや、聞いといてなんだが、答えは必要ない。私がすでに用意しているからな」

「な……何をッ!? 何をする気だァ!!」
 靴の裏で踏まれながら明らかに神父が狼狽している。
「ノインツェーンの失敗は一つ。自分だけが絶対者だと勘違いしていた事だ。自分と敵対できる存在がいないと勝手に決め付けた。実に愚かしい」
「貴女は我が神を愚弄するかァ!!」

 チェーンソーを振るおうとした所で、ジルベルトとサディアストスが肩の辺りから神父を抑えつける。
「ヌウッ!! 離せェイィ!!」
 だが、神父は二人を無理矢理に腕力で弾き飛ばしてシュミクラムへと移送する。
 それでも、静紅はその場を動こうとしなかった、それどころか毅然とした態度で神父を見上げていた。

「はっきり言って馬鹿だ。ウイルスの存在を知っていれば自ずとワクチンもできる。本来、イタチごっこになるはずなんだが、その相手がバルドルなどと言う機械の中に閉じこもってしまった。あれから何年経った? 私が君のような存在を許容するとでも思ったのか?」

「まさか! まさかまさかまさか!! 消すと言うのか!? この私を!? 貴女があああああッ…………!!!」
 その言葉は最後まで言えなかった。
 後ろから移送したサディアストスのヴィストル・ヴァルチェによって四本の刃で空中へと持ち上げられたからだ。
 抱きかかえられるように神父の巨体が軽々と持ち上げられている。

「ウッルセェなぁ。姉貴ィ、もうコイツ食っちまっても良いのか?」
「ああ、好きにしろ」

 興味を失ったかのように後ろを振り向くと同時に、サディアストスのシュミクラムが口を大きく開く。そして、神父のシュミクラムたるバプティゼインの首筋に噛み付き。
「や……やめ! ……ッ!」
 食いちぎった。
 捕食。
 人間の形をした何か<ヴィストル・ヴァルチェ>が、人間の形をした何か<バプティゼイン>を喰らっている。
 両方とも見た事もないシュミクラムだった。


「……おい! アレ、何を!?」
「データを抜き取っている、らしいのだけれど。……どう見ても食人鬼ね。もう少し、やりようが無かったのかしら」

 機械を喰らう、息も絶え絶えにしながら、逃げようとする何かを、何かがその牙で食いちぎっていく。
 残骸が雨のように降り注ぐ。

「汚らわしい、野蛮人め。……食事の仕方も知らないのか」
 気味の悪い光景にジルベルトが呻くように言う。

 骨格をジルベルトの方にペッと吐きだしてサディアストスが笑う。
「そりゃいいねぇ。唐揚げにでも料理してくれやァ、糞不味くて仕方ねェんだよ。ヒャ八ハハッ!! マズ! 超マズ! 超髭ナマズ!」
 動かなくなった後も神父が跡形も無くなるまでサディアストスに食われていた。

「お、おい……久利原先生は!?」
「大丈夫だ。しばらくは動けんだろうが、脳死してなかったら生きてるだろう」
 静紅に言われてよく目を凝らすと、確かに久利原先生の原型は残っている。
 少し安心するも目の前にいる人間を思い出して戦慄する。

「さて、次は君だ。別に趣味の悪いスプラッタショーを見せるために呼んだ訳じゃない」
「な、何をする気だよ。まさか、俺も……!?」

「君は別件だよ」

 薄気味悪い笑みを浮かべて静紅は笑っていた。

 *


 後ろで紅茶を飲みながら、自分のシュミクラムが食われる様を眺める神父を、俺は呆れながら見ていた。
「…………」
「何か? 私は中々、面白い見世物で実に紅茶が進むのだが、あぁ、君も欲しいのかね?」
 これで、紅茶が進むっていうコイツの神経はどうかしているのだろうか。

「いらねぇよ……」
「そうか、それもまた、君の選択なのだろう。否定はせん。私も己による若気の至りと言うモノをまざまざと見せつけられて僻していた所だ」

 そもそも、先ほど食われた神父が過去だとしたら、この神父は一体何者なのか。
「神父。お前、ここで死んだんじゃないのか?」
「愚かな。我は神の奇跡によって復活する。例え彼女と言えど我を完全に否定する事などできん」
「……それは残念だ。きちんと消しといてくれたら、こんな所に化けて出る事もなかったのに」

「否。例え完全に消滅させられたとしても、君と私の縁はその程度では揺らぎもせん!」
「最悪だ」
「ハハハッ! それは良い。君の不快は我等を愉快にさせてくれる。君が不幸になれば我等は幸福になれるのだ。それより、いい加減、目の前の過去に真剣に向き合ったらどうかね?」
「……ああ、わかっている」

 椅子に座ったままグレゴリー神父は嘲笑する。
「なにせ、ここで君は一度死ぬのだから」

 *


 目の前まで歩いてくる静紅。
 後ろにいるクリスの拘束は固く、どれだけ暴れても抜けれそうにない。

「そう怯えなくてもいい」
「何をする気……ですか……!?」
 一応は目上の人間だと思い敬語を使う。
 静紅は一度立ち止まり、何かを思いついたように口を開いた。

「そうだな、君は有機AIと言うモノについてどう考える」
「どう……とは?」
「この仮想空間でさえAIが支配している事は知っているだろう。AIの感覚質<クオリア>持つ意思が作り出した幻想の世界、セカンドたる君は常にネットに繋がっているのだから一度くらい考えた事があるだろう。例えば、クオリアを有するAIは生命体たりえないのか? 例えば、AIという存在はすでに人知を超えてしまった神のような存在ではないのか?」
「それは……カルト信者の勧誘ですか?」

 その答えに静紅は軽く笑う。
「近い、近いがあまりに遠い。ふむ、しかし今のは私の問い方が悪かった。いや、そもそも、無用の問いかけだったか。そうだな……門倉 甲君、少しばかり昔の話だ。どっかのクズ鉄と脳味噌の塊が、AIと人間を一体化接続するシステムを作ろうとしたのを知っているかい?」
「AIと人間の一体化……?」
 まったくの初耳だった、けれど、そんな研究を誰かがしていてもおかしくはない。

「そうだ、AIを人間の意思で支配する。正直、私にしてみればそんなモノにどんな価値があるのか甚だ疑問だが、セカンドたる君なら思う所があるのではないか?」
「……確かに。この先、AIが絶対に暴走する確証もない、そう言う人は結構いますね。けれど、悪人の手に渡る方がよっぽど危険でしょうが……」
 皮肉を返すようにそう言うと、静紅はまた笑う。


「成程、君の視点からすれば私は悪人だな。だが、安心して欲しい、私はAIを支配する事などに興味はない。ただ、知りたいだけだ」
「いったい何を!?」

 不意に静紅の横から棺桶のようなモノが現れる。

「……自分と言う存在をだ」


 直観的にソレを忌避する。
 恐怖、否、もはや拒絶にも等しい。

「ハウリング現象。間接的とはいえAIに接続されているソレとの近接接触による感覚の増幅だ、この現象を起こす事によってまったく別の利用方法がある」

 逃げる事を許されず、ソレを瞳に写しだされる。
 写しだされたのは自分の顔。
 鏡などではない。
 もう一人の自分。違う。

──シュミラクラ

 目が合った。
 互いに互いの顔を見て驚愕する。

「増幅する感情を抑制し操作する事によって、この空間に限り擬似的なE'sの海を誕生させる事が出来る」

 突如として異変が起こった。
 感情が増幅される。大空が海へと沈んでいく。
 ハウリング現象が響くように何かが世界を覆う。色が知覚できないような色とすら言いようのないモノが大空を駆け巡る。

「喜べ、やはり君はAIに愛されていた」

 静紅はその異常な状況の中ですら笑っていた。


「きっと、君は忘れるだろう。しかし”思い出せ”、全てを思い出したとき、いずれ、君はここに至る。ここは、仮想のどこにでもあり、どこにもない……」

 視界が揺らめき、雑音が支配し、最後は耳まで届かなかった。
 身動きすらできぬ奈落へと意識が落ちていく。
 どこまでも。

──もう一つの********──



 ⅩⅨ




 瞳が開く。
 その先にあるのは、四角く刻まれた天井。
 清潔感が溢れる医療施設だった。

「ここは……」
「アークの臨時病棟だ。目が覚めたかね甲君?」
 声が聞こえた方に視線を向ける。
 白衣を着た少女が椅子の上に座っていた。

「ノイ……先生……」
「ふむ、気分はどうかな? 吐き気やめまいは?」
 ノイに聞かれて自分の体を軽く動かす。少し頭が重たいが、
不快感はない。


「大丈夫です」
「そうか、それはなによりだ……。だが、一応は君の臨時主治医として一言だけでも忠告させてもらおう。いいかい、若いからといってあまり張り切り過ぎるモノじゃない。独りよがりでは相手をする方も身が持たんぞ」
 ノイは真面目な顔で言う、バツが悪くなり素直に謝ることにする。
「それは……すみません」

「あぁ……私は君の事を知らせに少し出てくる、問題が無いようならしばらくは安静にしておきたまえ。まぁ、激しい運動も多少ならば大目に見よう。しかし、リアルでは避妊が必要な事も忘れるな! 昨今のネット関係に従事しきった若者には性教育が行き届いていない事が稀にある。実に羨まし……嘆かわしい事だ」

 腕を組んでうんうんと頷くノイ、小柄な少女がそう呟く姿の方が実に嘆かわしい。
「何の話ですか、何の……」

「そんな事をこの純情可憐な乙女に言わす気かね!? ……む? そうか、成程……今度は羞恥プレイにも目覚めたと言う訳か。男子三日合わざればなんとやら、しかし、半日でMからSへと手のひらを返すとは……門倉 甲、恐ろしい子!」
 手を口の横に持っていき、ノイはわざとらしく驚くようなポーズをとる。

「もう、どこから突っ込んでいいのか解りませんから!」
「ふふふ、そんな見え見えの誘いに私が乗ると思っていたのかね? だが、絶対に踏むなと言われたら踏みたくなるのがギガマイン……。まぁ、それはさておき、いい加減に私も空気を読んで退散することにしよう」
 
 何時ものニヤニヤとした顔でノイは軽く手を振って扉の外へと出て行ってしまった。
 静かになった病室に空調の音が響く。

「なんなんだあの人は……」
「それは私の台詞なんだけど」

 うつ伏せになりベッドに手を枕にして寝ていたのであえて無視をしていたのだが、どうやら起きていたらしい。
 睨むようなジト目で栗色の髪をした少女がこちらを見ていた。

 始めに何と喋りかければ良いのだろうか。
 悩んだ末に口から出てきたのは曖昧な言葉だった。

「……久しぶり、になるのかな?」
「知らないわよ」

 拗ねているように涙目になった彼女の手に軽く触れる。


「でも、こうして会うのは本当に久しぶり」

 そっと手を握り返される。
 仮想空間で触った時のように暖かかったが、あの時よりもぐっと距離が近いような気がした。

 2年。
 互いに同じ道を歩いていたせいか、その辛さも悲しさも理解できた。

「起きたら、言ってやりたい事がいっぱいあったのに! どうして、勝手にいなくなったのかとか! 何で気絶して千夏に運ばれてきたのかとか……! 今まで何してたんだとか!! どうして今になって出てきたんだとか!!」
「……空」

 その声は震えていた。
「とにかく、いっぱいあったのよ!!」
「ごめん……」

「またソレ!? 謝ったからって許さないんだから!」
「ホントにごめん……。けどさ……先にアークから出て行ったのは空の方じゃないのか?」
「いや、それは……そうなんだけど。そう! アレは一刻を争う緊急の仕事だったのよ!」

「また、ソレ!? 謝ったからって許さないんだから!」
 空の声色を真似て当てつけのように言い返す。空は顔を赤くして俯く。
「…………ばか……。もうっ、ばーかっ!」

 拗ねたような口調で言う空が、俺の中で学生時代の空と完全に重なっていた。
 罵り合う内に、いつの間にか互いに言葉は無くなっていき。
 互いに見つめ合い。そして、笑った。

 二年分、思い出したかのように泣きながら笑っていた。

「おかえり……甲」
「……ただいま、空」


 思考の中にノイズが走る。
 頭痛と共にその男の声がやたらと頭の中で響きだす。

(否! 間違っている! 間違っているぞ門倉 甲!!)

 不快な声の主は──。

「神父……!」
「え? 何を言って……」
 空が不思議そうな顔をこちらに向ける。
 その顔を良く見ようと目を見開くが、視界が思うように安定しない。

(愚かな! 君が執着する水無月 空君は別の世界の人間! そして、その空君が執着した門倉 甲もまた別の人間! 忘れたのかね!? 君達は互いに同姓同名の他人に執着を抱いている事を! 幾ら心を偽ろうがその空君は君の知っている彼女ではなく、別の進化を遂げた別の生き物として存在している事を!)

「…………黙れ」
 咄嗟にそう言い返すが、言葉の意味は理解してしまう。
「どうしたの……甲?」

 今、心配してくれている空は俺を見ているようで、その実は記憶と言う共有のフィルターを通して学園時代の俺を見ているに過ぎない。
 そう思った瞬間に世界があやふやに感じた。
 強烈な疎外感と孤独が心を押しつぶしていく。

(彼女にとって君は門倉 甲の代理なのだよ! 君達はコインの表裏! この状況はコインが二枚が重なっているが故に、一見して表裏ともに見えているだけだ。何度でも言おう! 君にとって裏たる水無月 空はアセンブラによって死に、彼女にとって表たる門倉 甲も、また、死んでいるのだと)
「……」
 また、意識が霞む。空の存在が認知できないほどに希薄になっていく。
 全身が電流に感電したように痺れだし、身動きができない。

(だが、コインの表裏が重なっているのも時間の問題だ。いずれ世界はあるべき姿に戻る)

「それは……どう言う意味だ!?」

 不可思議な世界。今まで空だったモノが、目の前に神父するかのように見えてくる。
(言葉の通り! 君はイレギュラーな存在だ、かの半身がそうであるように! 神がその存在を許すはずがない! いずれ、神罰が下る!!)
 全てが夢であったかのように神経が一気に研ぎ澄まされていく。
 全身に激痛が走る。
 無骨なチェーンソーが幾重にもその身を削っていくかのように。

「ふざけ……るな! お前らの神なんざ知った事かッ!!」
 防衛本能が過剰に反応し、敵対するであろうその存在に対処するためにアドレナリンが異常なほどに分泌される。
 そして、咄嗟に掴みかかっていた。
 神父であろう人間の首を絞めるように床へと叩きつける。

(ハーハハハ!! 殺してみよ!!)
 腹が裂けるような痛み、見ればチェーンソーが俺の背中から生えていた。
 強烈な痛みが神経を呼び醒ます。

「ふざっけるなぁ!!」
 肉が引きちぎれる。掻き毟るように内臓をえぐり出そうとする。
(さぁ!! さぁ!! さぁ!!)

 ノイズが走る。
──……ッ!

(憎いのだろう!? 殺したいのだろう!? どうしようもなく! 我々と言う存在を!!)
「ああ、そうだな! お前を見ていたら虫唾が走るんだよ!!」

(然り!! 貴様の憎悪!! その根源は我と同じ!! 故に!!)
 力を込める。
──……ぅ!!

「今すぐに!!」
 一分でも早く。一秒でも早く。一瞬でも早く。
──……かりして!

「(殺してやる!!)」

 その息の根を……。
 

──「甲!!!」


 その呼び声に視界が一気に開く。
 今までの痛みが嘘のように霧散し、自らの存在がはっきりとする。

「…………え?」
 押し倒すように馬乗りになり、指が彼女の首へと絡まっていた。
 彼女はせき込み、息を吸うのに必死になっている。

 そして、理解した。
 今、自分が何をしていたのかを。

「そ……ら?」

 全身が震えだしていた。

「……ぁ ……あ! ぁあああ!!」

 愕然として、恐怖した。
 今、自分が水無月 空を殺そうとしていた事に。

「ッわたしは、だい……じょうぶ」

 そう震える唇で呟く空の顔が印象的で、凍りついたように体が動かなかった。
 しかし、悪い事は重なる。
 突然に入って来たレインが驚いたようにこちらを見て、唐突に腹から蹴り飛ばされた。
 そして、睨みつけながらレインは銃口をこちらに向ける。

「中尉ッ! お怪我は!!」

 少し前までは自分に向けられていた言葉。しかし、ここでは空の事だ。虚脱感の上に寂しさが伸し掛かってくる。
 息を整えた空がレインに対して弁解してくれるが、それすらも耳が痛い。

「ッ……待って! レイン、大丈夫だから。それよりもノイ先生を呼んできて!」
「しかし! まだ……ッ!!」
 レインは納得できないと言った風に空に懇願する。けれど、それは空も同じだった。

「お願い!」
 数秒の睨み合いの内、レインがフッと力を抜く。
「……わかりました。でも、そちらのかた、次は無いと思ってください」

 今、すぐにでも何処かへ逃げ出して耳を塞ぎ、何もなかった事にしたかった。
 それほどまでに自らの行動が理解できない。何故、空を神父だと気付かなかったのか、もう少し遅ければ自分は本当に空を殺していたかもしれないのだ。
 後悔が押し寄せ、自分と言う存在がわからなくなる。

 冷や汗が零れ落ち、息が詰まるほどに苦しい。
 視界が再び揺れ動く。
 ただ、空の首を絞めていた腕の震えは、どうしようもなく収まりが付かなかった。
 空は何度も自分は大丈夫だと言ってくれたが、まともに答えれたのか覚えていない。
 数分後、病室に駆けこんできたノイが来るまで、腕を抑えるようにずっと蹲っていた。

 ノイは空とレインを追い出すと、鎮静剤は必要かと聞き、事の概要を俺の口から説明させた。
 一息つくとノイは自分で入れてきた紅茶を口に含む。


「成程、神父化か。……まさか、とは思っていたのだがね。君達は子弟揃って厄介なモノに目を付けられたようだ」
「子弟揃って……それって」
 記憶の中で、久利原先生の中から出てきた神父を思い出す。

「そう、かつて、久利原君も同じ症状に陥っていた……。どちらかと言うと、神父と言う明確な姿を取っている君の方が重傷なのかもしれん」
「ノイ先生は神父を知ってるんですか?」

「間接的にだがね。さっきも言った通り、私は久利原君の担当医でもあったのだよ。その中に何度かソレらしきモノがあった。しかし……」
「治せなかったんですか?」

 言葉を濁したノイに追随するように言葉を繋げる。
 軽く苦笑してノイは続けた。

「……言いづらい事をズバリと言ってくれるね。だが、正直、私ではお手上げだったよ。どんな、ナノマシンも無効化し薬も効いているのか解らない、そもそも精神に作用するウイルスだ、対抗するには私なんかよりカウンセラーの方が役に立っただろう。結局、久利原君の自然治癒に期待して、自我を保てる環境を用意するのが限界だった」

「治す方法は……」
「あるにはあるのだが……現状では不可能に近い。本来、医者が言うような言葉ではないが、私は生憎とモグリでそこら辺はハッキリしておくのがたちでね」

 誤魔化そうとしたノイの言葉を遮り直接聞く。

「それは、橘 静紅が知ってるんですか」

 結局、そこにいきつく。
 驚いたような顔をした後、ノイは難しい表情を作る。鎌かけだったが、その反応で確信が持てた。悪戯がバレた少女のようにノイもバツが悪そうな顔をする。
 しかし、その心境は複雑なのだろう、しばらく、口を開こうとせず紅茶を飲む。

「どんなに嫌おうと、アールグレイは黄金比に限る……紅茶に罪は無いのだがね。さて、話を戻すが君は彼女について何処まで知っている?」
「ほとんど知りませんよ。けど、アークの構造体で一度、記憶の中で会ってると言っていいのか微妙ですが、顔は知っています」

「そうか、ならば話そう。私は彼女とはそれなりに面識があったと自負している。今では随分と昔のように感じるが、最後に会ったのは、そう、灰色のクリスマス以前に一度、神父について訪ねて来た時だったかな」

「神父に……ついて、ですか?」
「アレは彼女が聖修を辞めてすぐだったと記憶している。まぁ、正確には初代神父だな、その男の遺体を探していたらしい。私もそれなりに気になっていたのでね、神父の遺体について調べてみたが皆目見当もつかなかった。結局、自己解決したと言うメールを残して、それっきり彼女と会った事もないが、結果として彼女が久利原君の中にいる神父に対抗する術を見つけたのだろう」

 ゼロナ・サディアストスが神父のシュミクラムを喰らう姿を思い出す。
 おそらく、アレがそうだ。
「けど、またなんでそんな事を静紅はしたんです?」
「流石に私にもそこまではわからん。だが、まぁ、彼女の人となりについては、私より聖良君や、その頃の如月寮の寮生の方が詳しいのではないか」
「は……? ちょ、ちょっと待ってください! その静紅って人、如月寮の先輩だったって事ですか!?」

「うむ、鳳翔から聖修に転入してからは久利原君と同期で一つ屋根の下に暮らしていたと聞いた覚えがあるし、亜季君の話も少しだがしていた、気になるのなら亜季君に聞いてみるのが適任かもしれん。久利原君はまだ目が覚めていないし、秘密主義の聖良君にしても彼女に関しては特に口が重くなる。……丁度いい、療養ついでに空君と一緒にアーヴァル・シティの如月寮に行ってきたまえ」
「……」

 空の名前が出た瞬間、先ほどの事が脳裏を掠める。

「いいかい、久利原君が言うには、心に隙が無ければ神父は精神を支配する事ができない。精神論だが相手も似たようなモノなのだ。そんな不確かな存在に対抗するためには、常に平静を保つ事が最も重要なのだ。そのためには心を許せる人間が一人でも多くリラックスできる所がいい」
「でも、もし、俺が空を……」

「おいおい、彼女は仮にも電脳将校の中尉殿だぞ。君と同等かそれと同じ位の死線を潜り抜けている。私からも注意するように言っておくし、隣には常に怖い少尉さんが付いている。フェンリルとアークもバックアップをしてくれるし、油断しろとは言わないが安心して身を任せるのに不足はないだろう」

 確かにそう言われれば少し気分が楽になる。
「……すみません」

「ははは、何、気にするな。アークから報酬は貰っている、聖良君はアレで払いがいいからね。こちとら大儲けのウハウハ気分なのだよ」
 毒の抜けた二ヤけ面でノイはそう呟いた。






[23651] 第五章 親類
Name: 空の間◆27c8da80 ID:54a3e020
Date: 2010/11/24 08:26
「…………」「…………」

 気不味い。
 とても気不味い。

 アーバルシティーから如月寮へと向かう途中。
 空とレイン、そして先程、親父から紹介されたモホークが一歩離れた所から何も言わず付いている。どうにも空とはあんな事がやってしまったせいでどうにも話しかけづらく。レインは空に話しかけようとする度にこちらを睨んでくる。

 誰かに話しかけれるような状況ではなく、まさに針のむしろだ。

 そんな様子に気づいたのだろう。腕を組んでいたモホークが軽く俺の肩を叩いた後、口を開く。

「少尉」
 太い腕で軽く手招きをしてレインを呼び寄せるモホーク。
「なんでしょうか?」
 首を傾げながら聞き返すレインを連れて少し離れていく。この間になんとか空と話すきっかけを作れと言っているのだろう。

「……空」
 相手の様子を伺いながらも、なんとか切りだそうとしてみる。

「なに?」
 少し言葉に詰まった後、空は短くそう答えた。

「その……さっきはごめん」
「謝らないでよ。よく分からないけど、私には言えない理由があるんでしょ……ノイ先生からも聞いた」

「……だったら」
 どうして、そんな思いつめた表情をしているのか、とは言えなかった。
 木々のざわめきを呼んだ風が短く通り抜けていく。

「一つだけ聞かせて……」
「……ああ」


「あなたは……私の知っている門倉 甲、なのよね?」

 答えを返すのには随分と時間が掛った。
「…………それは」

 違う。
 俺の知っていた記憶と、神父と共に辿った、あの記憶は明らかに別物だった。
 灰色のクリスマスの時、俺はずっと千夏とバイクを弄っていて、久利原先生が誘拐されたなんて話は全く知らなかった。
 そもそも、千夏が言っていたように、久利原先生は入院していた事すら知らない。
 つまり、根本の所で食い違っているのだ。

 ノイ先生の言っていた平行世界。
 静紅と向き合い、シュミラクラに触れたあの後、自分がどうなったかは解らない。
 もしかしたら、この世界に存在した門倉 甲と言う人間が生きていると言う可能性もあるのだ。

「やっぱり……違うんだ。そうだよね、そんな事あり得ないもん……」
「……空」

 怯えるような瞳で空がこちらを見ていた。まるで、触れてはいけないモノに触れるかのように。
「だって、私の知っている甲はあの時、アセンブラで……!!」
「空!」

 俺は思わず彼女の名前を呼び、抱きしめていた。

「離して!」
 拒絶するように空が暴れだす。
「離さない! ……そう、言っただろ!」

 例え世界が違ったのだとしても。
 水無月 空が空であるように、門倉 甲もまた俺だ。

「でも……!」
「……誰がなんと言おうと、俺は俺だから……他の何者でもない門倉 甲だから」
 自分に言い聞かせるようにそう囁く。
 だが、また背筋に悪寒が走る。あの時の感覚。ノイズが走るような浮遊感。

(で、あるならば。この世界で死んでしまった門倉 甲とは一体全体、何者なのか)

 気づけば後ろに神父が立っていた。
 睨みつけるように振り返る。

「……また、お前か」
(誰もが個人であるから、世界にその存在を限定され、確立される。だが、君はどうかね? 別の世から唐突に門倉 甲という同じ存在が、かくも自分のごとく己という他人の居場所に座り込んでいる)

 巻き込まないように空を突き放す。

(なんたる、傲慢! なんたる、不条理! なのに君は何故もっと喜ばない! 人が為すべき理解を超えた、まさに神の御業ではないか!)

 不快なガラス玉のような瞳を睨み返した。
 本来、そこにはいないのだろうが、確かに存在する。
 敵。

「ふざけるな」
(誰もが! その存在を知れば手に入れようと躍起になる! そんな行為を君はさも当然と享受しているのだと! 何故気づかない!?)
 確かに、ドミニオン(狂信者)の連中は似たような事を行っている。
 信者の中には純粋に死者の蘇生を願っているモノもいるのだろう。

「だが……俺が望んだ訳じゃない」
(そう、それが君の本音だ! 確かに君は望んでなどいなかった! 再び水無月 空の隣に立つということを!!)
 神父はしたり顔で頷く。その不気味さが気持ちが悪い。

「何を言ってるか。意味が分からない……」
(まだ白を切ろうとするか。なら、あえて私が言おう。君が空君を抱いたその手でいったい何人の命を奪って来た?)
「……ッ!」
 神父が目の前から消え、咄嗟に手を見てしまう。
 赤い。
 真っ赤に染まっている。
 まるで引っ張られるような感覚、足に何かが絡まっていた。

 人。
 ホラー映画のようにたくさんの人間が足を引っ張っていた。
 その全てが知っている顔だ。

(何故喜ばん、ここではその全てがすでに清算されている! 君はその全てを空君に押し付けて!!)
 俺が殺してきた人間。
 背負って来た訳でも、忘れていた訳でもない。
 血の海に溺れそうになる。けれど、これは全て神父の幻、負けるわけにはいかない。

「黙れ!!」

 背筋の寒気を追い払い、神父の声が聞こえた方を向いた瞬間、固まってしまう。

(──この世界の門倉 甲という一つの命すら──)

 そこにはアセンブラで崩壊していく自分とそっくりの人間が立っていた。
「…………ッ!」

(先程、言っていたように、心の何処かで君は自分こそが門倉 甲だと思っている。つまりはこの世界で生きてきた門倉 甲と言うもう一人の自分を、君は必死に否定してるのだよ!)

 違う。そんなことはない。
「俺は!!」
(そう、君は)

「(門倉 甲だ)」

 夢であったかのように現実がハッキリする。
 悪夢と言っても過言ではない。

「……最悪」

 久利原先生は常にこんな状態だったと言うのだろうか。
 今度は倒れていたらしい、レインとモホークは俺の両腕を抑え空が抱きつくように胴体を抑えていた。

「……悪かったわね」
 空が睨むような目でコチラを見ている。
「いや、最悪ってお前に言ったんじゃなくて……」
 言い訳しようと空の方を向くと、思っていたより顔が近く息を飲んで固まってしまう。

「ごめん……前みたいに暴れられる訳にはいかないから……」
 すぐに恥ずかしそうに空がバツの悪そうな顔で目を反らす。
 よく見れば頬が朱に染まっていた。

「い、いや、ありがとう。抑えててくれた方が安心する。もう、大丈夫だから」

「よし」
 意識がハッキリしたのを確認するとモホークが手を離す。
 レインも無言で続く。けれど、何時まで経っても離そうとしない空に見かねて口を開く。

「往来で何時まで抱きついているつもりですか、中尉」
「ち、違うわよ……別にそういう訳じゃ」

 慌てて空が俺から距離を取る。
 俺も立ち上がり、二人にも軽く礼を言う。
 レインはそっぽを向いたように顔を横にしていたが、モホークはまた軽く肩を叩いてくれた。気にするなと言う事だろう、無口だけれど案外良い人なのかもしれない。

「なにしてるのよ、さっさと行きましょ。それと甲、菜ノ葉ちゃんや亜季先輩の前では、できるだけ心配させないようにしなさいよ」
「それくらい、分かってる」
「けど、あんた一人で無理して我慢するのもダメよ」
「いやいや……どうしろってんだ」

「私達に任せなさいって事。……言わせないでよ恥ずかしい」

 早足で空が前へと進んでいく。レインがその後を追うように歩き、モホークが背中を押して先へと促してくれた。
 そのモホークが意外にも如月寮の前で待機すると言い出したり、多少の悶着はあったが、それ以降は別段問題なく如月寮に着いた。

「なんか、懐かしいわね」
「確かにな……」

 二人でこうして並んだのは何時以来だろうか。
 もう、絶対にありえないと思っていた。

「中尉、私もご一緒してよろしいのでしょうか?」
「当たり前でしょ。本当ならレインも寮生になるはずだったんだもの」

 レインが躊躇している所に空が後押しする。
 そんなこともあったんだなと言った気分で付いていく。

 そう言えば、学生時代の空の交友関係は無駄に広かった。もしかしたらと思い聞いてみることにした。

「なぁ、空。橘 静紅って知ってるか?」
「……はぁ? それは、まぁ、知ってるわよ。さっきのアークでの戦闘で……って、甲は聞いてないの?」

 アーバルシティーで俺が会った後の事だ。
「その顛末について多少は聞いてるけど……そうじゃなくて、お前、学生の頃は交友関係広かっただろ? その静紅って人は先生が入院してから、ドレクスラー機関の代理主任かなんかをやってたらしいって聞いたから」
 実際は記憶で見ただけだが、何故か誤魔化しながら話してしまう。

「ああ、そういうこと。でも、流石に知らないわよ。久利原先生が主任を追われてからは反AI派がはりきっちゃったせいで随分と警備も厳しくなったし、流石においそれと部外者を入れてくれるほど甘く無くなったわ。というか、私からしたら、その話自体が初耳よ」

 あっさりと流した空は靴を脱いで、我先にと居間へ向かう。
 何故かこの話題に関わらないようにしているみたいにも見えた。

「……ただいま」

 短くそう言ってから入り、廊下を歩き空を追うように、開けっ放しにしていた戸を通って居間に入る
 そこにはちゃぶ台に突っ伏して寝ている亜季姉ぇの姿があった。

「相変わらずだなぁ。亜季姉ぇ、ホラ、起きて」
 黒く長い髪が奔放に垂れている。
 その間から穏やかな寝息を立てている亜季姉ぇの肩を軽く揺すって起こそうとする。

「んー、菜ノ葉ー? ……あと五分……」
 寝ぼけているのか、それとも何時も起こしてくれる相手が菜ノ葉だから勘違いしているのだろうか。
 どちらにせよ、ネット内で寝るのは不健康なことこの上ない。アークには上等な仮眠施設も存在するのだから、そちらで寝た方がいいだろうに。

「本人がそう言ってるんだから、寝かしといてあげたら? 先輩の事だから、ここで話してたらその内に起きるでしょ。それより、甲、お茶入れてきて」
 台所から茶菓子の袋を持ってきた空が、せんべいを齧りながら現れる。

「なんだよ、お前。まだ、料理できないのか?」
 冗談半分にからかうと空は少し眉を細める。
「……言ったわね。いいわ、待ってなさい。それより、ほら、レインもモホークも廊下で突立ってないで座ったら」

 入り口でとまっていた二人を空が招き入れる。
 モホークは無言で静かに腰を下ろし、レインはちゃぶ台の前に礼儀正しく正座していた。
 一応、心配になり台所へ手伝いに行こうとしたが、空に追い返されてしまった、仕方なくどこかソワソワとしているレインに話題を振る。

「なぁ、レイン。空ってあれから料理の腕はマシになったのか?」
「マシに……ですか? そもそも、私達は一つの所に留まる事が少ないので携帯食料か安物のランチです。手料理を作ると言うのはあまり……」

 そうレインに言われて自分の食生活を思い返してみると、確かに料理など作っている暇もなかった、それどころかまともな食材を集める事も難しい状況の方が圧倒的に多かった気もする。
 そして、料理を作ったとしてもレインに全て任せっきりだった。
 果たしてそんな状況で料理の腕が上がるものなのか。

 立ち上がろうかどうか迷っていると、台所から「ぬわー!」という空の雄叫びが響く。
 居間にただならぬ空気が押し寄せる、今更ながら自分の不用意な言葉に後悔した。

「……少し、中尉の様子を見てきます」
「頼む」

 気を使ってくれたのか、身の危険を感じたのかレインは立ち上がり台所へと向かった。
 数分後、お茶を入れたお盆を持って空が台所から歩いてくる。
 後ろから歩いてくるレインが焦燥しきった目でこちらを見ていた。

「…………万事、何も問題なく済んだわよ」
「それは嘘だろ!」




 第五章 ── 親類 ──




 空が入れてきた可もなく不可もない味の茶を啜る傍らで、亜季先輩が起きるの待つために談笑をする。
 話題はいつの間にか先程の戦闘へと変わっていた。

「それで、シゼル少佐と久利原先生は二人そろって入院か……」

 一応、親父がお目付け役として置いといてくれたのだろう。
 勝手に飛び出した挙句、捕獲対象と後続の上司を負傷させたのか。

「勘違いするな。少佐は任務でお前を追いかけただけだ」
 モホークの野太い声が響く。
「その時の負傷に責任があるとすれば、命令した大佐か少佐本人だ。お前が気に病むことじゃない。なにより、お前は囮として良くやってくれた」
 皮肉にも聞こえるが、遠まわしに気にするなと言っているつもりなのだろう。モホークの言葉に幾分か気が晴れる。

「そうよ。ソレを言うなら私だって負傷してるの。うー、思い出したら足が痛くなってきたー」
 わざとらしく空が足を抱えるように寝っ転がる。

「空のは唾つけとけば治るだろ」
「……あんたは私をなんだと思ってるのよ」

 そう言って起きようとした瞬間に勢い余った空が茶袱台に足をぶつけてしまう。

「痛ッ!」
 弁慶の泣き所に当たり今度は本当に蹲ってしまった。

「大丈夫ですか中尉?」
 そう言いながら慰めようとするレイン。きっと今までも俺にもそうしてくれたように、空を支えてくれていたのだ。前にも思っていたがこうして他人の視線になってみると、殊更に感謝の念が耐えなかった。

「う゛ー……痛いのはこっち~」

 下からの衝撃が突っ伏していたオデコに響いたのだろう、今の今まで眠り姫を演じてきた亜季姉ぇが寝ぼけ眼で俺たちを一瞥する。
 そして、首を傾げた。

「甲~? 空~? モホーク? …………あー、夢の続きか~」
 ダメだ完全に寝ぼけている。
 再び夢の世界へと行こうとする亜季姉ぇの肩を揺する。

「亜季姉ぇー、そろそろ起きなって」
 何事かと可愛らしく唸った後に、欠伸を噛み殺しながら、もう一度周りを見回す。

「……夢じゃ……ない?」

 亜季姉ぇはそのまま茶袱台の上に乗り上がり、俺と空に抱きついてきた。
 両腕で逃すまいと捕まえられた俺の顔に柔らかいモノが押し付けられている。

「ちょっ……亜季姉ぇ!?」
「あー! 甲! ドコ見てるの!」

 肘で離れなさいと空が脇腹を突付いてくる。
 けれど、その行動も亜季姉ぇが口を開くまでだった。

「二人とも……おかえり」

「ただいま、亜季姉ぇ」
「……ただいま」

 指を咥えるような仕草でレインがコチラを見ていた。
「なんか、凄く疎外感を感じます……」
 帰る場所が見つからないレインにとって、羨ましかったのだろう。

 少し複雑そうな顔をしながらも、亜季姉ぇはいそいそと自分の座っていた所に戻り、やり直すように呟いた。

「……レインとモホークもおかえりなさい」

「ただいま……と言っても良いんでしょうか」
「……よし」



 *


 

「ほら、さっさと歩け! この豚ァ!!」

 蹴り飛ばされながらも、無理矢理に前へと進まされる。
「ヒ、ヒイ!! や、止めないか! 私を誰だと……!!」

 男にとっては気が気では無かった。金で雇っていた傭兵に唐突に裏切られた上に縛り上げられて、自分で断頭台へと登らされようとしているのだ。
 必死に自らに、まだ、金と権力があることを訴えようとするが、その全てに暴力で返される。

「阿南 よしお、薄汚れた豚だろうが!!」
 ダーインスレイブ、ジルベルトが率いる非正規傭兵部隊。
 どれほど悪名が響いていようと所詮は傭兵だ、金で雇った以上は信用が置けるはず、そう思っていた阿南にとってジルベルトに手のひらを返される覚えはなかった。

「き、君は私をどうする気かね、せっかくこの私が目を付けてやったというのに、恩を仇で返……!」
「ソレ以上、喋るな! 大気が汚れる! 汚物を振りまくな腐肉の詰まった皮袋め!」
 ジルベルトは殺さない程度の力を込めて阿南の足を蹴り飛ばす。

「よ、よくも、このことを私が中央政府に訴えれば……」
 必死に弁解しようとしたが、扉を開け中から現れた人間に戦慄し、口が止まってしまう。

「お久しぶりですね、阿南市長」


「……し、静紅君」
 阿南にとって、その女は人生においての天敵にも等しかった。
 己が最も執着する、金にも権力にも無関心でありながら、正義という言葉からかけ離れた存在。

 彼女が鳳翔の学生だった頃に一度、ドレクスラー機関の代理主任だった頃にもう一度、たった二度の邂逅において二度と会いたくないと思っていた危険人物の一人だった。
 それが目の前に存在している。

「米内議員も中にいます。どうです、少し話をしませんか?」

 後ろでニヤついているジルベルトを見た瞬間に、阿南の危険信号は今までないほどに点滅していた。
 それでも、逆らうという選択肢は無く、一世一代の勇気を出し、なんとか説得できるならばと足を踏み入れた。

 その部屋はあまりにも質素で、天井には幾つものヒビが入り、むき出しの骨組みはすでに何度も剥がれ落ちた後が付いている。爆弾の一つでも爆発すれば全て倒壊してしまうのではという疑念すら湧くくらいに、端的に言ってしまえばボロかった。

「来客用の部屋というモノがありませんからね、このような場所ですみません」
「い、いや。たまにはこう言う所も良いモノだ」

 虚勢を張って阿南はなんとか相手より自分が上だと格付けする。しかし、傍からすれば手足は震え、とてもではないが見るに耐えないものだった。

「それより、米内君は……」

 そう言った瞬間に遠くから小さな悲鳴が響いた。
 聞き間違いで無ければ声の主は今、自分が名を上げた人物だった。

 阿南の頭から血の気が失せていく。そして、手足でけでなく全身が震えだす、そんな青ざめた顔を見ながら静紅は薄く笑っていた。

「……さぁ?」

 何も知らないと言う訳ではなく、教える気はないと言う意味だ。
 腐っても政治家をやっていた阿南にとって、人の顔色を窺うのは誰よりも得意だった、しかし、それが逆に仇となって背筋を凍らせる。

 この女は自分の命で遊んでいるのだと。


「ゆ、許してくれ! 命だけは取らないでくれ……!」
 その言葉に静紅の顔が冷ややかな視線へと変わる。
「おやおや、何を言い出すかと思えば。そんなつまらない俗物的な言葉で私を興ざめさせてくれるなんて、あなたは相も変わらず私を腹立たしくさせてくれるようだ」

 地雷を踏んでしまったと阿南は後悔するが、もはやどうしようもなく、無様に狼狽えてしまう。
「頼む! 何でもする! 命は! 命だけは!!」
「もういい。少しでも期待した私が馬鹿だったか。時間の無駄だジルベルト、ご案内しろ」

 今まで後ろで笑いを堪えていたジルベルトが阿南の髪を鷲掴みにして引きずっていく。
「了解〈ヤー〉。ハハハハハッ、暴れるな。殺しはせん、餌は新鮮な方がいいからな。良かったじゃないか、お望みどおり死ぬまでは生きれるんだ。豚の命でも好んで食う意地汚い人間がいる事に感謝しろ」

 なんとか命乞いしようと叫び声が響くが、やがて静かになりジルベルトだけが戻ってくる。

「処置をする前に泡を吹いて気絶しやがった。どうやら底抜けの臆病者の上に間抜けだったらしい」
「それで、頭まで抜けていたら何も残らないな。それより、ジルベルト、お前、またゼロナと悶着を起こしただろう」
「ア、アレは奴の命令で仕方なく……」

 近づいてくる静紅を見た途端にジルベルトから覇気が失われる。けれど、ジルベルトの予想とは裏腹に静紅は苦笑していた。

「怪我は無かったか?」
「ハンッ!! あの程度のダメージが怪我の内に入るものか」

「そうか、それは何よりだ」

 そのまま静紅は振りかぶる動作すらなく、腰の入った拳がジルベルトの頬をはじき飛ばした。

「ぬうぁッ!!」
 被造子たるジルベルトが反応することすらできずに、あっさりと尻餅を付いてしまう。

「喧嘩両成敗、仲良くスポーツマンシップに則ってお遊びに興じろとは言わない。だが、敵の目前で仲間同士で私事を持ち込み、あまつさえ敗北したというのがナンセンスだ……そう思わないか? ジルベルト」
「だ……だが、アレは……!」
「言い訳はいいが、あまりくだらない事を言うと……分かっているな?」

 睨みつけられ、何も言えずジルベルトはそのまま黙ってしまう。
 そんなジルベルトを背に静紅は自分のPCを置いている椅子へと腰をかける。

「しかし、君はそれ以外では良くやってくれた」
「あ、当たり前だ」
「そう、良くやって当たり前。だが、そんな事すらできない人間のなんと多いことか……いや、もしかしたら、当たり前にすると言うのは口で言うほど容易く無いのかもしれんな」
 ディスプレイを眺めながら静紅が呟く。

「フンッ、どちらにせよ、できないのはやっている人間の能力が低いせいだ」
「そう、その点、君たちは優秀だよ」

 狂気的な瞳に映るディスプレイの中に門倉 甲の名前が流れていた。

「そう、本当に優秀だ」


 ふと、端末の端に奇妙なタスクが展開される。静紅にとっては見慣れたものだ。

『姉貴』

 スピーカーからの声にジルベルトは忌々しげに睨み返す。

「サディアストスか……相変わらずゴキブリのような生命力だけには感心させられる」
『んだよ、いたのかジルジルト、一体全体どこの短パンフェチ野郎かと思ったぜぇ』

 互いに表面所は笑い合っているが、殺意だけは収まっていない。
「仲睦まじくお喋りするのは構わないが。ゼロナ、先に本題は?」

『ああ、クリスの野郎が。動いた……』
「女性に野郎は失礼だろ。……だが、予定より少し早いな」
『霧島さんちの勲君がせっかち起こしたらしい、お陰でこっちは信者の対応に糞忙しいぜぇ。汝救いたもう事なかれってか? ヒャハハ!』
 何がツボに入ったのか唐突に笑い出す。

「まぁいい、そちらは任せる。ああ、そう言えば、今さっき一人分の補充が済んだ。使い捨て用のな」
『確認してるぜぇ。けどよぅ、姉貴ィ、本当にいいのかァ?』
「どちらにせよ、対処はしなければならんだろう。なら、私は面白い方を残すさ」
『はーぁああ、アイアイサー』

 盛大にわざとらしいため息を吐いてサディアストスは下手糞な敬礼を返す。
『じゃーなぁ、ジルジル、何時でもぶっ殺してやんよ。死ね! 死ね! ボケ!! んで死ね!! ボケ!!』

 それだけ言い残すと声が唐突に遮断される。
 小学生のような罵倒が逆にジルベルトの神経を逆撫でした。

「あの低能がァァアアアアアアッ!!!」

 息を荒立てて自分の拳を壁へと叩きつける。
 天井からパラパラと埃が舞い降りてきた。

「おいおい、暴れるなら外でしなさい」

 呆れたような声で静紅がジルベルトを睨みつけていた。



 *



『こちら、統合軍対AI対策班。この領域に、仮想特別法277条B項の規定の基づく制圧任務を遂行します……。シュミクラムを装備している者は、ただちに除装しなさい。武装している者は無警告で破壊します』

 仮想の中でもAIの恩恵を掠め取り増殖を繰り返す無法地帯、無明都市〈アノニマス・シティ〉。
 普段から騒がしい街でありながら、その時は様相を一変していた。

 流星のように降り注ぐ無数のシュミクラム、地上にいる勢力はソレを撃ち落そうとする。
 あちらこちらで爆発が繰り返され、銃痕がビルや地面を削っていく。
 無論、破壊されるのは街だけではない、むしろ、倍の数のシュミクラムがスクラップとなっている。

 もはや、戦場にも等しいカオスな領域。
 頭上から転送されてくるのは、GOATの長官たる桐島 勲、自身が率いる大部隊。
 地上から反抗をしているのは、無明都市を拠点としている快楽主義者や違法難民、悪徳企業、言ってしまえば表に出る事もはばかられる者たちだ。

 しかし、統率の取れたGOATとは違い。
 無明都市の住民に纏まりなどないに等しい、戦況は見るまでも無くGOATの一方的な攻撃を加えていた。


『な……なんだよ、ソレェェエエッ!!』

 また一機、無明都市のシュミクラムが爆散していく。
 たった一撃で踏み潰されるように千切り飛ばされたのだ。

 そのシュミクラムは全長だけですら大型のシュミクラムを優に超え、一目見ただけならばその巨体を疑う迷彩色が施されたシュミクラム。
 桐島 勲が操るタイラントギガース。
 二対の巨大な砲台から放たれる数多のミサイルが、無明都市の防衛拠点を次々と無力化していき、数多のシュミクラムを戦闘不能へと追いやっていく。
 たった一機で数十機分にも等しい大火力で街を焼き払い、近づけばその厚い装甲と馬力で踏み潰す。
 タイラントギガースを先頭に、前に立つモノ全てを殲滅していく勢いでGOATは進軍をしていた。


 とは言え、無明都市の住民の数はそれこそGOATの百倍はくだらない。武装を解除して逃げ出す者や一部の凄腕まで捕まえることは難しい。
 何より、下手に人命を奪い尽くせば世紀の大虐殺者の汚名を被せられかねない。

 今回の検挙ではせいぜい主要構造体の確保くらいが関の山である。それでも、GOATには攻勢に出なければならない理由が存在した。
 勿論、その理由を知っている人間は上層部の数少ない人間と実行部隊に限られてしまう。
 そして、その一人から勲へと通信が入る。

(長官、例の少女をC地区で確認)
「了解した。私は先回りする。追跡部隊の到着まで足止めをしろ」
(了解〈ヤー〉)

 周囲にいるGOATの将兵に後を任せ一時的に戦線を離脱する。
 そのまま、移動し通信の入った部隊との合流を果たす。

「対象は?」
『こちらへと逃走中です。囮の交戦部隊は撤退し、追跡部隊は対消滅熱音響迷彩〈ブラックホール・オカリナ〉を使用しているおかげか、気づかれてはいません。まもなく、こちらに視界へと映るはずです』
 無明都市の暫定的なマップが展開され赤い点と青い点が、それぞれ移動している。

「上々だ。準備はどうなっている」
『すでに展開済みです。……目標、尚も接近………………目視できます』

「よろしい、では、始めようか」


 視界に現れたのは宙に浮かび、薄い虹翼を纏った天使のようなシュミクラム。
 水無月 真が乗るネージュ・エールだった。


「攻撃を開始せよ!」

 勲の命令と共にたった一機のシュミクラムに対し、四方八方から無数のミサイルが弾幕の如く殺到する。
 逃げ場などないネージュ・エールを中心に巨大な爆発が巻き起こった。

 だが、勲はその程度で落ちるとは思っていない。
 まさに、その予想は当たっており爆発の煙の中から猛スピードで駆けるネージュ・エールの姿が存在した。
 多少の傷は追っているが致命傷とは程遠い。

「続けて第二波、放てッ!!」

 再びミサイルがネージュ・エールへと飛んでいく。
 しかし、ネージュ・エールが宙を駆けると、ホーミング性能のあるミサイルは目標を失い、あらぬ方向へと飛んでいってしまう。
 アクロバットな回避行動によりほとんどが素通りしていく中、それでも、ネージュ・エールへと飛んでいくミサイルは展開していたビットのレーザーにより焼き払われてしまう。

「ステルス化か……レーダーまで無効化されてるとは……。全軍、目視射撃に切り替えろ!!」

 言うが早いか銃弾が雨のようにネージュ・エールへ発砲される。
 四方から高速で撃ち出された銃弾を全て避ける事などできるはずもなく、ネージュ・エールの白銀の装甲に弾痕が刻まれていく。

 それが皮切りとなり、ネージュ・エールの周囲に浮遊していたビットがGOATの兵へと向けられ、高熱のレーザーが射出される。
 正確無比な光の暴力がGOATのシュミクラムを焼き落とし、切断し、爆散させていく。

 タイラントギガースへもレーザーが放たれる。
 勲はブーストを使用し大きく右に回るように飛び出す事で回避した。

「……その程度でッ!!」

 攻撃の手を緩めるほどGOATと言う組織も甘くはない。
 銃撃によりネージュ・エールは確実にダメージを追っていた。
 勲は頃合いだと判断する。そして、ネージュ・エールの逃走経路も一つを残して全て封鎖した。

「トラップを機動させろ!!」

 タイラントギガースの行動もGOATにとってその全てが誘導にすぎなかった。
 疲労困憊のネージュ・エールが通った道路の一角が怪しげに光る。


 ブラックアイス〈攻性防壁〉
 対象の脳チップに高負荷をかける、セキュリティーの一種。
 作動すれば第三者による助けがなければ脱出不能の牢獄。

 四角に描かれた結界の如く機動したトラップがネージュ・エールの動きを止める。

『……ッ!?』

 少女の息を飲む声が響く。
 それを聞かないようにしながら、勲は捕縛されたネージュ・エールへと近づいていく。すでに周囲には取り囲むようにGOATの部隊が集まっていた。

「…………すまないな。だが、これも大義のため」

 娘の歳に近い少女を生贄に差し出すような真似、できる事なら最後までしたくはなかった。
 だが、状況が予断を許さなくなったのだ。

 悲観しながらも勲は武装を下ろしていた、すでに勝敗は決している、後は気絶するまで待てば良いだけだと。

『何が大義ですか……そんなものために……』


 その声を聞くまでは、そう考えていた。
 見ると。ブラックアイスの中でネージュ・エールの虹翼が機動していたのだ。

「……馬鹿なッ」
 そう、呟いた瞬間、ネージュ・エールの周囲四方向にビットが射出される。

『壊れちゃぇぇえええええ!!!』


 幼い声の絶叫と共にブラックアイスの壁を突き破り、シュミクラム一機を丸々呑み込むような高出力のレーザーが十字方向に放たれる。
 解放されたエネルギーは縦横無尽に油断していたGOATのシュミクラムを次々と破壊していく。その被害は今までの比ではない。

 勲もタイラントギガースを咄嗟に片腕を盾にして回避する。たった数瞬、照射された装甲が焼きただれてしまう。
 追撃が来るかと身構えたが、そのまま、ネージュ・エールが逃走を開始した。

「ッ! 追え! 逃すな!!」

 回避に成功した部隊を纏め上げ、確認すると勲は直ぐにネージュ・エールを追走する。
 だが、タイラントギガースの本懐は殲滅戦であり追撃には向いていない。
 それを理解して、尚、勲はネージュ・エール追いかける。引き離されないように迎撃を繰り返し、やがて、ネージュ・エールは構造体の内部へと姿を消した。


『長官……これより先は』
 無明都市の奥部、まだ制圧が済んでいない危険地帯だ。
 ある意味、何が出てきても可笑しくはない。

「分かっている。だが、ここまで来て撤退はできまい。踏み込むぞ」
『や、了解〈ヤー〉』

 ネージュ・エールを追いかけて構造体の内部へと足を踏み入れた。
 だが、その瞬間に強制的に転移させられてしまう。

「……これはッ」

 転移された先は、勲にとって見覚えのある光景が姿を現していた。
 不愉快なオブジェが乱立した、陰鬱な構造体。

 まさしくドミニオン教団の本拠地だった。

『長官! 外の部隊との連絡が取れません!!』
「罠……だったというのか!」


 歯ぎしりをしながら、目の前にいる存在を睨みつける。
 趣味の悪い門の前に立つ、独特の修道服を纏った人間。

「ようこそ。我が教団へ、勲君」
 勲の人生で二度までも、大切な人間を奪った男が立っていた。

「グレゴリ……神父……ッ!」
「久しいな、こうして顔を合わせるのは何年振りか。いやはや、時が流れるのは本当に早い。英二君にくっついていたおまけのような君が、今では立派な反AI派の長とは……」
「黙れ! ペテン師が! それ以上喋る事は私が許さん!」

 タイラントギガースの銃撃が神父へと発砲される。
 だが、それは唐突に転送されてきたシュミクラムによって防がれる。
 しかし、防がれた事よりも、勲は次々と転送されてくるシュミクラムに驚愕してしまう。

「貴様等は……ッ」

 赤を基調とした中世の悪魔を模したような可変型シュミクラム。
 グリムバフォメット。
 問題は操る人間だ。
 六条 クリス、統合軍に席を置く、被造子推進派のレコンキスタと呼ばれる一派の盟主。そして、転送されてきたシュミクラムはレコンキスタに参入しているとされる統合軍の将兵のモノだった。

「ドミニオンと繋がっていたのか!!」
「……そんな言い方はあまり好きじゃないわね。あなただって多少は知ってるでしょ? 私は元々、こちらの人間よ」
 統合軍の中でもレコンキスタについては噂はされていた事だ、特に異例の早さで出世した六条 クリス、その本人については色々良くない話を聞く。

「だが、狂信者と手を組むなど!! 統合軍としての誇りはないのか!?」
 勲の叫びにクリスはあざ笑うように答える。
「あら、誇りならあるわよ。政府に尻尾を振るのには邪魔でしょうがなかったわ」
「貴様という奴は……!!」

 クリスの言葉が勲の怒髪天を突く。
 それでも、必死に頭を冷やす。逃げ道らしき場所はすでにレコンキスタのシュミクラムに抑えられており撤退は難しい。

「解せんな。何が目的だ」
 グリムバフォメットはチェーンソーを勲へと向ける。

「ふふ……決まってるじゃない。あなたの、GOATの指揮官としての地位よ」
「何を馬鹿な……私が死んだとて貴様のような者にこの席が渡るはずがない」
「普通なら……ね。だから、言ったでしょ随分と尻尾を振るのが大変だったって!」

 グリムバフォメットがタイラントギガースに向けて一気に跳躍する。
 空中からタイラントギガースを串刺しにするようにクリスがチェーンソーを付き下ろす。

 タイラントギガースはその巨体に似合わないスピードで回避した。
 一度、開いてしまった戦端を閉じるのは、この状況では不可能に等しい。


「全機散開! 敵地だからと遠慮するな! GOATの力、見せ付けてやれ!!」

 勲の号令に各機から了解〈ヤー〉という返答が返ってくる、同時にレコンキスタとGOATのシュミクラムの戦いが幕を開けた。
 敵地のはずだと言うのに全体的な数はGOATの方が多かった。

 そもそも、レコンキスタはその発祥が特殊であるから、数が多くない。
 しかし、ソレを上回る被造子という通常の人間では考えられない身体能力を有する者達の集まりだ。特に今回、投入したシュミクラムユーザーのほとんどが大戦を生き延びた一騎当千の凄腕ばかり、GOATの精鋭部隊といえど個人の力量が違った。

 それでも、GOATは数の優位を保っていた。
 だが、それはグリムバフォメットに大量のミサイルを放ち牽制しながらも、タイラントギガースが周囲に気をかけているおかげだ。

「へぇ、意外ね……! 名ばかりの長官(笑)だと思っていたわりに、中々やるじゃない!」

 さりとて、グリムバフォメットは決して組み易い相手ではない。
 クリスの腕前もレコンキスタの凄腕達よりも頭一つ飛び抜けている。

 グリムバフォメットの怒涛の攻勢に耐えながらも、勲は周囲を気にかける。

「それは褒めているのかね? 君こそコネと汚い策略ばかりと聞いていたが……存外できるものではないか!」
「ええ、でも、部下はその限りじゃないようね」


 クリスの言うとおり、元々、劣勢は覚悟していたが、時が経つに連れて状況は緩やかに逆転していく。
 部隊の自力が違いすぎる、数の優勢はだんだんと押し返され、気づけば勲の周りへとGOATのシュミクラムが追い詰められていた。

「……クッ! お前たちは私の背中を守れ!! 六条 クリス! 奴さえ倒せば目的の一つを失い形勢は逆転する!!」
「へぇ……面白いわね。でも、私は多勢に無勢で弱い者イジメをするのは……嫌いじゃないの!!」

 大将同士の戦い。
 勲は部下への支援を断ち切り、己の持つ全力をクリスへと向け突進をする。

 だが、タイラントギガースの突進を真正面からグリムバフォメットが受け止める。
 受け止めたまま、両腕のチェーンソーを回転させる。火花を散らしながらタイラントギガースの装甲を蝕んでいく。

「私はこれでもGOATの長官だ! 志半ば、こんな所でやられる訳にはいかないのだよ!!」
 タイラントギガースが吼えるように勢いが増し、均衡が一気に崩れた。
 押し潰されそうになったグリムバフォメットが逃げに回ったのだ。

 勲はその瞬間を見逃さなかった。
 肩部の両側についた砲台から大型レールガンが発射される。高速で撃ち出された弾丸はコンマ単位のスピードでグリムバフォメットへと届く。
 しかし、クリスはソレに反応してみせた。
 ギリギリの所で盾ビットへと変換させ、その一撃を受け止める。

「穿て!!」

 クリスの命令でビットが剣へと姿を変え、タイラントギガースの右腕へと飛翔する。
 ネージュ・エールに焼かれたタイラントギガースの右腕はクリスにとって尤も狙いやすい場所だった。
 反動を付けたまま回避をするタイラントギガースへ、追尾するように突き刺していく。

「小癪な!」

 チェーンソーが突き刺さりながらも射撃主体へ変形したグリムバフォメットへと距離を詰め、砲台を大きく口を開き噛み砕くように肩部を掴み、地面へと叩きつけた。
 構造体を揺るがすような衝撃が地面を走る。
 グリムバフォメットの肩部の装甲はひしゃげ、相当のダメージが見てとれる。

「……ッ! 訂正するわ。流石は歴戦の勇士と言った所かしら、でもッ!」

 グリムバフォメットの変形した脚部から、チャージされたエネルギー波がタイラントギガースの腹部に向けて放出される。
 無論、狙いは傷を追っている右半身へと向けてだ。

「ぬぅッ!!」
 尋常ではない激痛が勲の半身へと走る。
 咄嗟に距離を取るが、追い打ちとばかりに大量のニードルガンが発射されていく。

「そんな事だから(笑)なのよ!!」

 激痛で動きの止まったタイラントギガースへと、再び近接モードへと変形したグリムバフォメットがチェーンソーを振りかざす。
 両腕をクロスにしてタイラントギガースの装甲が脆くなった右腕にある長大な砲台を切断していく。

「さぁ! さぁ!!」

 数秒の接触を許してしまったタイラントギガースは、甲高い音を立てて半ばから最大の攻撃武器たる砲台が断ち切られてしまう。
 しかし、クリスは止まらない。
 さらに、懐に入り込み両腕のチェーンソーでガリガリと言う音をたてて侵食していく。

「ハラワタを!」

 タイラントギガースは逃げようとするが、グリムバフォメットが掴んで放そうとしない。
 ゆっくりと体の中身を掻きだすような激痛が勲の神経を襲う。
 グリムバフォメットはそのまま切開するように引き裂いていく。

「ぶちまけなさい!!」


 クリスの言うとおり、大量の機械の内部が振り抜くと同時にタイラントギガースから引きぬかれてしまう。まさしく臓器を抜き出されていくような痛みが走る。
 普通ならば失神しそうなダメージを受けて、尚、タイラントギガースは動き出す。

「GOATを舐めるなァ!!」

 雄叫びと共に自らミサイルポッドを切り離し、グリムバフォメットに叩きつけるように突進をする。
 大量の火薬が引火し、爆風を上げる。

「……自爆ッ!?」
 予想だにしなかった攻撃にクリスは対応できず、突進と爆風を諸にくらってしまう。
 右半身を犠牲にしながらも、タイラントギガースは残った左肩部の砲台が開かれ、レーザーが用意される。
 傷を負ったグリムバフォメットへのトドメとなる一撃。

 だが、その攻撃はクリスまで届く事はなかった。


「……なん……だと?」

 勲が見たのはグリムバフォメットの前。
 そこにはかつての伴侶、桐島 エイダが立っていた。その姿を見た瞬間に勲の思考が否応なく停止してしまう。

「見事なり……。いやはや、実に見事じゃねぇか」

 神父の声が響く。
 だが、後半はまるで別の人間のような声でだ。

「神父……? やはりペテンか!! このような人形で……私が躊躇うとでも思ったのか!?」
「思わねぇなぁ、普通はよぉ。……だが、君は事実攻撃を止めている。殺せるのか? 君が?」
「当たり前だ! 私はGOATの長官として!!」

 神父の声は二人の人間が交互に喋っているかのように聞こえる。しかし、それよりも神父の一言一言が勲の精神を揺さぶろうとしていた。

「殺すのも仕方ねぇよなぁ。必死に愛そうとした相手だもんなぁ。……門倉 八重の代替物としてだがな、全く哀れで仕方がない」
「……仕方がないだと!! 抜け抜けと良くもそんな口を聞ける!! 貴様が奪ったのだろう!!」
 不快な笑い声が構造体の中に響き渡る。

「然り、だが、君は知っているのかね? 何故、彼女が教団に入ったのか」
「……それは」
 言葉を詰まらせてしまう、あの頃、禄に話などしておらず気にかける事もなかった。

「知ってるかぁ? ……桐島 エイダ、彼女は統合の情報は一つとして喋らなかった」
「…………何を」
 理解出来ない。

「知らぬのだろう? ……あんたの嫁は自殺をするような心の弱い人間などでは無かったってことをなぁ」
「何を言っている!!」
 理解しようとできない。

「何せ、君と依を戻すために単独でドミニオンに乗り込んでくるぐらい……向こうは手前にぞっこんだったんだぜぇ」
「…………ッ」
 そう直接言われるまでは。
 今度こそ勲は言葉を失い絶句してしまう。

「愛されてるねぇ。……だが、君は彼女を愛せなかった」
「…………やめ……ろ」
 思考を放棄しようと、耳を閉じようと、心が肯定していた。

「一途と言えば聞こえはいいが、妻も愛する事ができないほど、恋焦がれていた相手はすでに恋敵のモノだった」
「…………やめてくれ」
 必死に心のなかで否定を繰り返す。

「そして、殺したんだ! 妻をよぉ! ……そして、もう一度殺す!! 今、ここで!!」
「聞こえなかったのか!! 私は止めろと言ったのだ!!!」


 神父への激情が耐えきれず。
 息が詰まりそうになるのを堪えて、震えながら撃ち出した銃弾はエイダを撃ちぬいていた。

「これを哀れと言わずに何と言う……」
「貴様がエイダを哀れむな!! 出て来い神父!! 八つ裂きにしてくれる!!! 二度と蘇らんようにな!!」

 怒り狂っていた。
 GOATの隊員はすでに、そのほとんどがレコンキスタの部隊に破壊されてしまっている。
 もはや敵味方関係なく無闇に発砲しまくり、構造体ごと破壊しようかという勢いで爆発が起きる。

「私が貴様にッ!」

 言葉を続けようとした瞬間に後ろから剣が突き立てられる。相手はレコンキスタのシュミクラムだ。
 無理矢理に弾き飛ばし全てに対して攻撃を繰り返す。

「引導を渡してくれるッ!!」

 次々と飛んでくるシュミクラムの剣を弾き、銃弾を喰らいながらも神父の姿を探す。
 剣が幾つもその背に突き刺さる。だが、一向に停止する気配などせず、さらに力を増したかのようにタイラントギガースは荒れ狂う。

 その名に相応しい、狂った巨人を中心に暴虐の嵐が巻き起こっていた。
 それでも、脳裏にある一遍の冷静さで神父の姿を探す。
 そして、遂に神父の姿をその目に映した。

 勲の神経が研ぎ澄まされ、その一撃に全てをかける。

──「これでッ!!」

 声が上から重なった。

「終りよ……」──

 背後から首を狩られるように二本のチェーンソーの音が響いていた。
 脳裏を焼ききるような音が勲の神経を侵食する。

 ブレーカーが落ちたように一瞬、勲の思考が停止した。

「──オォォオオオオッ!!」

 だが、半死の状態で、尚、雄叫びを上げてタイラントギガースはレールガンを射出する。
 その気迫はもはや人間技とは思えないほどに研ぎ澄まされており、それは何よりも桐島 勲は間違いなく大戦を生き残った凄腕の一人だという証だった。

 *


 崩れ落ちるタイラントギガースへと神父が歩いてくる。
 その背後には大きく窪んだ壁が存在した。そして、桐島 勲が放った一撃は神父の片腕を抉っていた。
 血を垂らしながらも何食わぬ顔で神父はグリムバフォメットを見上げる。
「殺してはいないだろうね?」

 グリムバフォメットに乗るクリスは蔑むような目で神父を見る。
「多分、大丈夫よ。それより、あなたはまだ、その気色悪い演技を続ける気?」
「おいおい、演技もクソもねぇよ。お前のお祖父様だろうがぁ。もっと敬えや雌犬」

 おちゃらけた言葉を言う神父にクリスがチェーンソーを向ける。
「あら、そんなに噛み砕いて欲しいのかしら? 私の計画通りなら、私が出るはずじゃなかったのに……だいたい、私が姿を見せるのにあまりメリットが無いのよ。……そうだ、どうせなら、長官の意志を汲んで、またここで……死んで見る?」

「ヒャハハハ、それも悪くねぇが。こいつぁ非戦闘用でなぁ、壊しちまうと後が面倒だ。だから、手前に頼んだんだろうが、恥を偲んでなぁ」
 下品に笑う神父がタイラントギガースへと触れると、強制的に除装された勲が倒れ伏した。
 それどころか、タイラントギガースの破片を取り込み、腕が再生していく。

「……まったく、どこまでも規格外の生き物ね。だけど、その格好はもういいでしょう? こっちは見ていて不快なのよ」
「チッ……しゃあねぇ。いちいち注文の多いガキだぜ」

 神父の周りにノイズが入り、その姿を一変させる。
「これぞ、本当の若返りってかぁ」
 皺や髭が失せ、がっしりとした肉体が消え失せ、痩せこけたまるで病人のような男が立っていた。
 男の名前はゼロナ・サディアストス。
 本来、AIが制御する仮想空間でその姿を誤魔化す事はできない。その姿はどこまでも忠実に再現されるはずだ。
 だが、例外も存在する。

「今更だけど、あんたって相当、人間を止めてるわね」
「生まれつきだっつーの。俺は俺のみで種として完成してんだからソレで言いんだよ。第一、俺からみたらセカンドと被造子なんて禄でも無い進化を遂げた時点で、大半の野郎が人間辞めてるぜぇ」

「それもそうね……でも、それなら私はなんなのかしら?」
「知るか、哲学やりたいなら姉貴にでも聞けや」
 興味なさ気にサディアストスは勲の首に拘束具を付ける。
 犯罪者が誘拐時などに着用させるモノで、これを着けている限りネットから脱出する事は叶わない、無論、一般人が持つ事は違法とされるツールだ。


「さて、もういいだろ。出て来いよ、まこっちゃん」
 その声を聞き背後の門、セキュリティーの壁を通過して険しい顔をした少女、水無月 真が現れる。

「これで、私は約束を果たしましたよ……」
「ハイハイ、分かってんよ。姉貴にアークへ交渉するように言ってやるぜぇ」

 除装したクリスは笑いをこらえるように肩を震わし口に手を当てる。目ざとくソレを見つけた真が目を細める。
「……何が、可笑しいんですか」
「別に、何でも無いわ」
 睨みつけてくる真の視線を流すようにクリスは肩を竦めた。

「まぁ、用件も済んだし、私はしばらく忙しくなりそうだから。先に席を外させてもらうわよ」
 軽く手を降って答えなど聞かずに、クリスはそのままレコンキスタの部隊共々、勲を連れてクリスは構造体から移動する。

「んじゃ、まこっちゃんはしばらくここで待ってな。今、外に出てってGOATに追われる必要はねぇだろ」
「……また、私があなたを殺すというのは考えないんですか?」

「はぁ?」
 サディアストスは間抜けに口を開けて疑問符を響かせる。

「ヒャハハハハハ!! 別に殺れるもんなら、殺ってみな! 生憎だが、仮想の中で俺を殺すには一度や二度じゃ済まねぇぜ! ここで、俺を殺したって、俺にとっちゃ腕一本を削がれた程度の痛みなんだよ!!」
 挑発するようにサディアストスは大声を張り上げる。

「本当に化物なんですね……」
「さっきも言ったぜぇ。聞いてたんだろ? 俺は俺という種だ。手前ら脳を弄った程度の人間と同じにすんじゃねぇ」
 そう言うと、サディアストスは姿を消した。

 真はそれを確認すると、誰もいなくなった大きな部屋の中で、近くの壁を背にして足を三角にして座り込む。
 そして、腕に軽く顔を埋めると、小さな声で呟いた。

「……先輩」



 *



 亜季姉ぇは静紅の名前を出すと少し困ったような顔を浮かべた。

「昔ね、シュミクラムの設計にはまっていた事があるの。……とは言っても…………私は戦いとかには詳しくなかった。その時の私はちょっと設定を弄れるど素人も良い所だったから」
 軽くお茶を含み一息入れながら続ける。
「どんな動きが良いのか、一般的な標準はどんなモノで、ドコをどこまで弄っても良いのか悪いのか、そんな事も全然解らなかった。……勿論、前知識は入れたつもりだったんだけど……」

「へぇ、亜季姉ぇにもそんな時期があったんだ」
「当たり前でしょ、始めからなんでもかんでも上手く行くわけないじゃない」
 子供の頃のイメージでは、亜季姉ぇは仮想の中でなら何でもできる人だった。それだけに軽く感想を漏らしてしまった俺へ空が小馬鹿にしたような声を出す。

「……その言葉、シュミクラムを始めて乗った当時のお前に行ってやりたいよ」
「はぁ? 何でよ」

「……本人は自覚なし……。それで、亜季姉ぇ、続きは?」
 懐かしそうに目を細めていた亜季姉ぇがハッと我に返る。

「そうそう、それで、久利原先生に相談したの。そしたら適任者に心当たりがあるって言われて、それが……」
「橘 静紅だったと」
 言いにくそうだった亜季姉ぇの後にそう続ける。

「うん、先生の紹介通りの人だった。大戦の終期に参加した事もあって実践経験も豊富。面倒見もよくて、いつの間にか息も会っちゃって数カ月くらいかな。ずっと、如月寮に泊まり込んで二人で徹夜した事もあったわ。その時は私に姉がいればこんな感じかなって……」
 
 また、お茶を含み軽く唇を濡らす。

「でも、あながち間違いじゃなかったの。私も始めて聞いた時には驚いたわ……なんて言ったって、叔母様に娘がいたなんて」

 最後の言葉に全身が硬直してしまった。
「え? ……叔母様って聖良叔母さん!? 嘘だろ、あの人が結婚していた!?」
「ちょっ…………驚きすぎよ、甲! そりゃ、あれだけの胸があれば……!」
 驚いて取り乱しているのは空も同じだった。目を白黒させている。

「ううん、人工培養だって聞いた……それも試験管ベィビー。父親は遺伝子提供者で、離婚以前に親族でも無いって。それに、静紅さん自身も自分の親権はすでに放棄してるって言ってた。まぁ、戸籍上は親子だったのは間違い無いんだけどね」
「……でも、それじゃあ」
 何でこんな事になってしまったのだろう。

「聖良叔母様と静紅さん、二人とも自分を曲げる事が嫌いだから。馬が合わなかったのかも」
 陣痛な面持ちで亜季姉ぇは呟く。

「亜季姉ぇから見た静紅って人はどんな人だったんだ?」
「うーん。なんていうか、真面目で、努力家で、お節介で、風来坊なちょっと変わった人かな……良いところはたくさんあるんだけど、悪いところもたくさんある。そんな人」
「悪いところ?」

  少し眉を伏せて亜季姉ぇは続ける。
「……静紅さんって、よくアリーナ以外、無法都市とかの違法な賭け試合に顔を出す事があったの。まぁ、本人は強い人と戦うのが好きなだけだって言ってたけど……その事で良く叔母様と揉めてたわ。でも、それだけじゃない。これは後になって知ったんだけど、依頼があれば傭兵稼業も殺人も手段を選ばなかった……」
「そりゃ……」
 脳裏に小言を単調に言う聖良叔母さんの姿が描かれる。

「でも、その静紅さんって、強かったの?」
 口を開かなくなった俺の代わりに空が話題を少し曲げる。
 誰も彼女が戦っている姿を見ていない、ずっと、サディアストスの腕に座っていた。確かに戦闘経験はあるのだろうが、強いのなら自分のシュミクラムで戦うはずだろう。


「……強い。私が知ってる中で誰よりも。……私は静紅さんが負けたのを見たこと無い、ううん、それどころか、負けるのを想像できない。あの人の戦いは……ひどく……怖い」

 唇を震わせて亜季姉ぇが怯えていた。
「ソレって、一体……」「……どう言う事なのよ?」
 俺の言葉の後を空が疑問符で締めくくる。

 今まで黙って腕を組んでいたモホークが口を開く。
「……アレは戦士だ。どんな武術でも取り込み、己ものとしどこまでも成長する。だが、恐ろしいのは剣術の腕だけではない、アレ自身が戦を愛し、戦がアレを愛した。それだけに……強い。アレもまた、一つの戦士のあり方なのだ」
「モホークは……知ってるの?」

 空の疑問に無言で頷く。
「何度か見たことがある。だが……真に相対できた事があるのは大佐ぐらいのものだ」
「親父と?」

「結果は引き分けと聞いた。……これだけ言えば充分だろう」
 つまり、親父と同格の相手。
 そこまでの相手とは今まで戦った事がない。

 通信が入る、相手は今、話題の中にいる聖良伯母さんだった。

『ごめんなさい、四人とも。すぐにこちらへ来られないかしら?』
「大丈夫ですけど……どうしたんです?」

 珍しく伯母さんが感情を顕にする、それは困惑だった。

『静紅が来たわ……来客として、あなたに話があると』


 *


 いつも聖良がいるアークの社長室、そこには重苦しい雰囲気が漂っていた。

「お久しぶりですね、聖良社長。先日は禄に挨拶もできず、すみませんでした」
「別に構わないわ。でも、アポ無しで来るのはこれっきりにしてちょうだい。次はもう少しマシなお茶請けを用意しておくから」

 二人の女性は向かい合い睨み合っていた。
 無論、交わされる言葉はそのままの意味ではない。しばらくの沈黙の後、聖良はため息をつく。

「それより、静紅。まったく、あなたときたら、数年ぶりに顔を見せに来たかと思えば……。いい加減に我侭も止めにしたらどう?」
「……我侭も貫き通せば信念になるものですよ。あなたとて、大して変わらない生き方をしてきたのでしょうに」
 また、重圧が乗し掛るような沈黙が響く。

「今なら八重さんの気持ちが分かるわ。あなたは昔から減らず口ばかりね」
「そういうあなたは小言しか私に残さなかった」

「親不孝者」
「教育下手」

「風見鶏」
「自閉症」

 聖良は黙りこくり、静紅は口からタバコを離し紫煙を吐き捨てる。

「……」
「……」

 静かに睨み、争う二人を遠巻きに門倉 英二は見守っていた。下手に口を出せばさらにカオスな事になるのを経験的に知っているからだ。
 二人は特別に仲が悪い。静紅は敬語を使う相手は尊敬しているらしいし、聖良も静紅の事を憎からず思っている。だが、顔を合わすと何故かいつもこうなる。
 それでも、静紅がこうして連絡を取ってきたということは何かあるのだろうと、英二は幾つかの予想を立てていく。
 その間にも二人の言い合いは緩やかに加速していた。


「あなた、甲さんにアインスと名乗ったそうね」
「……それが何か?」

「あなたとアインスは違う。あなた自身がソレを一番理解しているはずでしょう?」
「だとしても、私と共に彼女が居ることに変わりはありませんよ」

 聖良にしては感情を表に出しながら、他人から見れば淡々と言葉を連ねる。
「……どちらにせよ、彼女の名前を使うのは止めなさい。不愉快だわ……私にとっても彼女にとっても」
 らしからぬ強い口調に静紅も顔を引き締める。

「あなたに何が分かる」
「あなたこそ、彼女の理想を履き違い、無意味な計画を実行するのはおよしなさい」

「そうやって他人の理想を決め付けるのは止めた方が良いのでは? それに、本当の理解などできないのに無意味と言う言葉を使うのは随分と滑稽ですよ」
「あら、与えられた叡智に驕るあなたほど滑稽なモノはないというのに?」

 沸点の高すぎる二人は無表情に皮肉を言い合う、傍から見れば似たもの同士ではあるのだが。
 先にため息を付いたのは静紅の方だった。

「どこまで行っても……平行線ですね」
「……そうでなければ、あなたはそこに立っていないでしょう?」
「確かに……」
 寂し気な音が響いていた。

「どこで間違ったのでしょうね……」
「始めっからですよ。貴方がどうしようと私は私の道を選んでいた。その道は途中で無くなる事はあっても、曲がる事はない」
 どこまでも澄んだ瞳で静紅が聖良へと強い意志で言い切る。
 その瞳に一瞬だけ、聖良はその無機質な瞳を背けていた。

「そう、けれど……次に会う時は、いいえ、次にこうして私が貴方と戦場で向い合う時には、今度こそ平行線に終止符を打つわ」
「その台詞、つい最近も聞いた気がしましたが……できるものなら、やってください。まぁ、できるものなら……ね」

 覚悟を決めた聖良と、挑戦的に口元に笑みを浮かべる静紅。
 言葉の区切りに丁度、「伯母さん? 入りますよ」という甲の通信が鳴る。

 しかめっ面の聖良は通信相手の顔を見て、静紅が肩を竦めるのを確認すると声をかける。
「ええ、どうぞ」

 言葉の後から甲、空、レイン、モホークが続いて入ってくる。
 それらを視界に捉えると、退屈そうにしていた静紅の表情に喜色の色が戻っていく。

「……」
 甲から見た静紅は敵地とも言えるそこに堂々と座っていた。
「こうして、話をするのは四度目かな……門倉 甲君。そして、久しいなモホーク」
「四度目?」
 一度目は記憶の中、二度目はアークで、三度目ではないのだろうか。興味深そうに笑う静紅。

「そうか、君は覚えていないのか……幼い頃に八重さんに会いに行った時に、君にも会っているのだね。まぁ、仕方ないと言えば仕方ないか」

 タバコを手に持ち、何食わぬ顔で橘 静紅は続ける。
「それ以外の人は初めましてだな……水無月 空君、そして桐島 レイン君、君たちの噂は良く耳にしているよ」

 今までとは打って変わって人の良さそうな笑みを浮かべる、その表情にすら薄ら寒いモノを感じてしまう。
 だが、ここはアークの中心。

「一体どうやって、ここまで……」
「今日は話し合いがしたかったからな、無論、玄関からだ。セキュリティーに引っかかればそこまでとは思っていたのだが、まさか、未だに私のIDを更新していないとは、聖良社長から受ける愛の深さを感じるよ」
 呆れ顔で聖良は口を開く。
「よく言うわね。あなたがそのセキュリティーの大半を破壊した上、自分のIDだけ改竄したのでしょうに……私に気づかせ無いように何重にもフェイクを施してね」

「手癖が悪いのは昔からだが、相変わらず君はいたずらが過ぎる……」
 さらに後ろから、ノイが入ってくる。
「これはまた……懐かしい顔ばかりだ……。それなのに、哀愁の顔ではない。まったく、誰も彼も裏切り者に尋問するかのような様相だね」
 静紅はタバコを咥えてクックッと肩を震わせて笑う。

 部屋の隅の壁に背を預けていた英二が馬鹿馬鹿しいと吐き捨てる。
「実際、似たようなもんじゃねぇか。この前も無断で忍び込んだ癖に統合に突き出されないだけありがたく思え」
「ハッ……何を言い出すかと思えば、千人殺しはいつも身内にお優しい事で……。まぁ、私も暇ではないのでね……話を進めようか、甲君」

 名前を呼ばれ甲は注意深く一歩前へと進む。
「そんなに緊張しなくても、ここでは何もしないさ」
 しばらく、甲の体を凝視すると静紅は嬉しそうな顔をした。

「システムは問題無く動いているようだね」
「……は?」
「いるのだろう……君の中に……。神父が」
 まるで、どこまでも見通していると言うかのような目で甲を眺める。
「……何でそんな事をあんたが知ってるんだ!?」

「何で……か。時期がくれば自然と答えは出る。君の頭の中には私がそういう仕掛けをしておいた」
 その言語に反応した者が二人、聖良とノイである。

「やはり、静紅。君が……!」
 何かを言いたげなノイを手で静止させ、静紅は甲を睨みつける。

「そう、私が君を逃すまいと首輪を掛けた。神父はその一つだ」
 指を突き出して甲の脳天へと軽く当てる、そのいたずらのような行為が早すぎて甲は避ける事ができなかった。
 後ろに飛んだのは指先が当たってから。

「……何を!」

「取引をしよう、門倉 甲君。私と共に来い。そうすれば……君の首輪を解き。ここにいる人間を見逃してやる」
「何を言ってやがる!!」

 敵地の真ん中で宣言布告をするほど馬鹿らしい行為を静紅は平然とやってのける。
 そして、当然の結果としてその場にいる誰もが身構えていた。
 その中でも、特に聖良は怒気を孕んでいた。
「静紅……いつもの戯れにしては少々ゆきすぎているのではなくて、流石に今のは笑えないわ」

 そんな、四面楚歌の中ですら静紅は面白そうに笑う。
「敵としてむざむざと殺すのには、君はまだ少し若い。それならば、もう少し私に敵愾心を持ってもらうためにも共に来る方が良いかと思った、それだけだよ。それより、答えを聞かせてくれないかい?」
「……ふざけるな」

 搾り出すような声で甲は静紅を睨み返す。
 軽く首を振り、静紅は肩を竦める。

「まぁ、当然だろうな……順当すぎて面白みに欠けるが、そうでなくては殺す価値も無い」

 甲の背後からひょっこりとノイが顔を覗かせる。
「いい加減、前振りはソコまでにしたまえよ……静紅。そんな事を言うために君がわざわざ足を運んだ訳ではないのだろう?」
「これもまた、一つの重要な用件だったのだがね。……甲君、君はすでに知っているだろうが、私には神父を取り除く術がある」
 類は友を呼ぶ呼ぶと言うが、意地の悪い笑みを浮かべる静紅の姿は何処と無くノイ先生と重なっていた。

「先程の条件はほんの冗談だ、頷かれていたら私が驚いていたよ。それに、正直、私は可愛い甥っ子の快気祝いに無料でも構わないと思っていたのだが……」
「甥っ子って……」
 本当に聖良伯母さんの娘だったのかと本人の口からナチュラルに出てきて甲は内心驚いていた。

「ここに来て、条件を一つ付けたくなった」
「条件だぁ?」
 話に加わろうとしなかった英二が神妙な顔をする。

「いい加減、私も過去に囚われるのは煩わしくなってきてね。それに、先日の魅力的なお誘いで少し体を動かしたいと思っていた所なんですよ」
 その視線は英二の方へと向かっていた。
 聖良が何か言おうとするのを止めて英二が前へと出る。

「……構わねえ。静紅、何時でも相手になってやるぜ」
「一対一、邪魔者が入らない場所で……。尚、明後日までなら日時はそちらの自由に……その時、こちらの指定した場所で同時に甲君の中にいる神父を駆除しよう」

 疑り深そうな視線を空が静紅に送る。

「罠じゃないでしょうね」
「私は一人で行く、罠なら私は逃げる、勿論、その時は甲君の治療は中止させてもらう。反面、甲君は無事に連れてくるためにも保護者同伴でも構わないよ、だが、多すぎるとゼロナが嫌がるかもしれん」
 敵からの一方的な条件としては破格だった。
「はぁ? ゼロナ……って。あの?」
 空は心底嫌そうな顔をする。

「私はそれ以外にその名前を使う人間を知らないな……さて、私からの話は済んだ。懐かしい顔も拝めた。ん? ……そういえば、見ていないのは後は亜季君だけなんだが…………。そうにも、そういう空気ではないか」

 全員からの睨みつけるような視線に静紅は笑顔で答える。

「社長、あなたの答えは?」
「受けるわ、こちらも甲さんに何かあった時はあなたの命の保証はしないけれど」
 静紅の質問に聖良が即答する。

「譲歩は?」
「する気など無いのでしょう」

「意見は?」
「こちらから指定する日時は追って知らせるわ。場所も」

「質問は?」
「当面、あなたに聞く事などありません」

 こちらが殺す事も捕らえる事も出来ないと踏んで、静紅は歩いて外へと向かう。

「では、私は去るか。次にここに来る時は、まごうこと無き敵として来よう。…………さようなら、聖良社長。見送りはいりませんよ」
 何を考えていたのか、聖良は少し躊躇いがちに口にした。

「ええ、さようなら……静紅」





[23651] 第六章 073-Da STS(中編追加)
Name: 空の間◆27c8da80 ID:2e17cdb7
Date: 2010/11/27 05:57
 期日はすぐに来た。

 GOATですら触れようとしない無名都市の最奥、放置ウイルスやドローンのたまり場となっている鉄の樹海。かつて裏アリーナが列挙していた場所。そこは廃棄されたはずの構造体。薄い霧に包まれ工場のような煙突の影が幾つも伸び、頭上には暗雲が立ち込めている。
 色素の薄い茶色い髪を靡かせ、白衣が風に揺れる。
 タバコを咥えながら静紅は立っていた。

「こうして、殺し合うのは三度目ですね。千人殺し……門倉 英二」

 向い合うのは言わずと知れた魔狼〈フェンリル〉の長。
 いつもの運搬業者の制服を着て一人で佇んでいた。

「一度目はガキの頃に手前が戦争に行きたいとか抜かした時。二度目はこの名が付いた時……か」

 哀愁漂うその表情にも静紅に対する鋭い視線が込められていた。
 軽く頭に手を当てて考え込む。

「やっぱ、聖良さんに預けたのは間違いだったのかもしれねぇなぁ……」
「あなただって子供の面倒もまともに見れなかった一人でしょうに。本当にルネサンス計画なんてのに関わった偏屈者は皆、子育てが下手ですね。その割には良い子に育ったのは母親の教育ですかね、普通は私のようにひねくれますよ」
 静紅の戯言に英二は軽く鼻で笑う。

「手前は昔からだろうが。それにな、偏屈者だから耐えれたんだよ。そうじゃなかったら、とっくの昔にあんな所、止めてたかもな」
「本当はできたらなどと、うだうだと言う人間は同じ失敗を何度も繰り返したがる」

「そんなモンかね……お前から見た人間ってのは」
「ええ、そんなモノですよ。……さて、いい加減、昔の話は飽きてきました。そろそろ、今に向い合いましょうか……」

 それまでの雰囲気とは一変させた覇気を孕んだ英二が静紅を射殺すように見つめる。

「ああ……手加減は無しだ」
「こちらもですよ」


 無言のまま軽く手を振る。
──「移行〈シフト〉」
 言葉が重なり、二つの鉄の巨人が何人も存在しない仮想へと現れた。





 第六章 ── 073-Da STS ──





 猛禽類のような細い瞳で、その男は座っていた。
「よぉ、糞アベック共。この俺を待たせるたぁ、何様だ」
 細い舌を出し、黒いコートをだらし無く着ていた。白く汚れた髪は無造作に跳ね、その顔は病人のように青白かった。
 しかし、その男は一人ではなかった。その後ろ。
 目を隠すように仮面を付けた少女。

「まこちゃん……!?」
 後ろにいた空が驚愕する。
「え!? ……真ちゃん?」

 何も言おうとしない真は仮面の下で少し複雑そうな顔をする。空はそんな妹を見て甲を恨みがましく見る。
「…………あんた……まさか気付いてなかったの?」
「いや……だって、仮面付けてるし…………格好だって」
「気付いてなかったのね」
「……はい、気づきませんでした」

 流石に自分が悪いと自覚していた甲は空に気圧されて敬語で謝ってしまう。

「この俺を無視するたぁ、いい度胸じゃねーですかー! そんなにリア充は偉いんですかー! あー、ほんとにうぜー、うぜーよ。ぶち殺してーよ」
 サディアストスは拗ねたように陰気にぶつぶつと呟く。

「あんたには話しかけたく無いだけよ……それより、まこちゃんがどうしてそこにいるの」
「ヒャハハ、聞きてえかい? 聞きてえんだろう!? 教えてやんねぇえええよぉおお!!」

 馬鹿に仕切ったサディアストスの仕草に空の頬が引き攣っていた。
 必死に堪えているのが見ただけで分かる。
 そんな空を宥めるようにレインが落ち着かせようとする。

「空……我慢してくれ」
「中尉、抑えてください」
「分かってる、分かってるわ、甲、レイン」

「まぁ、ここは私に任せたまえよ」
 今回、モホークは英二の後詰めとして指定の構造体内には入らず待機していて、こちらに来れない。代わりに主治医兼、交渉役としてノイ先生が来ていた。
 
「んー? ノイてんてーじゃねーですか、相変わらず、ちっちぇー胸してやがりますですねー」
 やる気の無さそうな顔でへらへらと笑うサディアストス。
「身体的特徴、特に背丈の事は良く言われるが、直接、胸の話に持っていくのは君ぐらいだな、ゼロナ君」

 顔に手を当てて馬鹿笑いをするサディアストス。
「ヒャハハ、女なんて胸だろ。胸が無い奴ァ、見た目も男と変わんねーよ。なぁ、まこっちゃん」
「……どうして、ソコで私に振るんですか。わかってます、言わなくてもいいです。悪意をヒシヒシと感じますから。そうですよ、胸が無くて悪いですか? ほんと最低ですね……死んでください」
 仮面の下で真の不快指数が上昇していく。そこに待ったをかけたのはノイだった。

「……なんだ。まだ、胸にしか興味が無いのか、君は」
「ああ!? 棒があって穴に入りゃ全部一緒だろ! だったら胸だ! 小せえよりデカイ方が触り安いだろぉ!」
「いかんな、風情がない。胸一つでもその程度の認識とは……君には絶対的にエロスが足りん!!」
 少女姿のノイが手をかざして格好の良いポーズを決める。だが、サディアストスも黙っていない。

「犯す方にエロスがいるかよ、犯す相手にエロスを求めんだぁ!!」
「私は君の心構えがなっていないと言っているのだ! それでは何時まで立っても自慰の域を出ないと、何故ソレが解らない!!」
「はぁ!? 女の穴に入れりゃセックスだろうが、意味わかんねぇ!」
「だから、君は童貞なのだよ!! いくら経験があろうと、エロスが無い! それでは君が入れてきたモノはオナホールと何も変わらない!! 断言しよう! エロスも理解できんのにセックスなど百年早いと!!」

 二人は完全に周りを放置して猥談に花を咲かせる。
「何の話よ……これは」
 甲は呆れながら二人の様子を見ていた。
 だんだんと直接的な物言いが多くなってきて、空とレインは顔を赤くして二人から目を反らしてしまう。
 真は顔を赤くしながらも興味深そうに耳だけを傾けていた。

「ノイ先生……時間もあまりありませんし、そろそろ、真面目にやってくれませんか?」
 できれば、近寄りたく無いと感じながらもレインがノイの肩を叩く。

「む……そうか、ならば仕方がない。話を進めようか」
 ノイが先を促すようにサディアストスに視線を送る。
「チッ……まぁいいぜぇ。手順はこうだ。これから手前の頭ん中にマインドハックを仕掛ける、コアの部分に神父がいるはずだぁ。普通ならあっちが姿を見せようとしねー限り見ることはできねぇ……が、俺は特別だ。神父の姿を手前らに見せる事ができる、後は勝手に神父を殺せ、そしたら、俺が残りカスを食う。これで、神父は完全に消える」

 自分の脳にマインドハックできない甲は、ただ耐えることしかできず、不安になり疑問を聞く。
「久利原先生の時とは違うのか?」
「馬ッッッッ鹿、ありゃあ、対処が遅すぎたんだよ。進行によって病気の治療方法が違ってくんのと同じだ、神父が完全に表出てきたのなら食いやすいが、姿を見せてねぇなら中までいくっきゃねーの、わかる?」

 空からしてみれば久利原先生が同じ症状に陥っていた事など初耳だった。
「言いたい事はわかるけど……いちいち、言い方がムカつくわね」
「軽く流しておきたまえよ。変態に合わせようとするから疲れる、どうせ彼とは同じ目線になれない。それなら、想像で同じ目線にいると思えばいい」
 わなわなと震える空にノイがアドバイスをする。
「つまり、相手の悪口を脳内で翻訳すればいいと」
「うむ」
 深呼吸をして空は自身を落ち着かせる。丁度、その時、サディアストスが空へと声を上げる。

「どうした糞ビッチ、早くおっ始めるぞ。手前は亀かノロマ、それとも不感症なのかよ!」

 空の脳内で何かが弾けるような音がした。
「無理! ダメ、絶対!」
「……まぁ……一番の対処方法は”慣れ”だな」
 空の腰に抱きつくようにしてノイが押しとどめていた。


 *


 英二の乗る一角獣のような巨大な角に濃い紫色の角張った装甲のシュミクラム。
 ニーズヘッグ。
 その業界なら知らぬ者はいない悪名高き、魔狼〈フェンリル〉の頭。

 向い合うシュミクラム。
 その燃えるような赤い装甲は影狼シリーズに似ている。しかし、背部には巨大な丸い筒を背負い、その周りを囲むように十本の刀が鞘に収められていた。

「影狼……アーキタイプ。日ノ狼〈ヒノオオカミ〉」

 甲のために凡庸性と成長率を求めたのが影狼だとしたら、日ノ狼は全くの逆、静紅と亜季が二人でシュミクラムが何処まで成長するか試した機体だ。
 言うなれば日ノ狼は姉妹機、日ノ狼をさらに研磨させ成長の余地を残し、武装やスペックを制限したのが影狼。
 勿論、日ノ狼には様々な追加武装などの改良を施しているから、ある意味では影狼のプロトタイプとも言える。
 だが、その誕生はアーキタイプに限りなく近い存在だった。

「返して貰いますよ……あなたの奪ったその名前を!! 千人殺し!!」

 直線状に跳ねるように飛び出した静紅、そのスピードは明らかに既存のシュミクラムのスピードを超えていた。
 装甲も遠距離武器すらも捨て、何処までも速さを追求した日ノ狼だからこそできる加速。

 だが、英二も同時に前へと進みでていた。
 両腕に二丁の散弾を構え、手を交差にして放つ。

 静紅は地面を蹴り頭上へと飛ぶ、当たらなかった散弾の蹂躙により地面に大量の穴が開く。
 頭上から一回転し、スピードを殺さないまま一気に英二のいる地面へと飛び降りる静紅。
 地面の直前で、また前転するように日ノ狼が速度を失い着地する。
 咄嗟に英二は横に飛んで避けていた。

 見ると、日ノ狼の真下にある地面が割れている。
 直前まで刀を握る素振りすら見せなかったが、斬りつける一瞬だけ刀を抜き放ち、完璧な太刀筋により鋼鉄の地面にすら一刀の元に切り伏せた。

「変わってねぇ……」

 二丁の散弾により一瞬にして弾幕を作り上げ、英二は銃弾を盾にして静紅の方へと加速する。
 静紅も銃弾の間を駆け抜けるように、英二のニーズヘッグへと加速する。

 接触する一瞬。
 高速で静紅が小太刀を引きぬき一閃する。英二はその右腕を掴み、左腕で腹部へと掌底を叩き込もうとする。
 静紅は片腕でいなし、互いに片腕が自由となってしまう。

 その次の瞬間には小太刀を握った静紅の腕と、英二の拳がぶつかり合っていた。
 日ノ狼の肘とニーズヘッグの拳が激突し拮抗する。

「お前は変わんねぇなぁ……!」
「変わらないんじゃない、変われないだけですよ!」

 足元が耐え切れずヒビが入り、砕けた鉄の破片が宙に舞う。
 もう片方の腕で殴りかかろうとする静紅の腕を英二が掴み取る。
 そして、頭を軽く後方に下げた。
 ニーズヘッグの角が赤く光る。

「変われねぇ訳ねぇだろ! それだけの時間が手前にはあっただろうが!」
 頭突きの要領で振り下ろされた角〈ヒートホーン〉が日ノ狼の胴体を肩から切り裂いていく。
 静紅は一瞬で後退して、被害を最低限に収めようとする。

「時間が物理を変える事はあっても! 時間は心を変えてはくれない!!」
 体制を崩しながらも静紅は背部の鞘から両手で長刀を引きぬく。
 神速の太刀筋が英二の頭を掻っ切ろうと襲いかかる。

「それでも、変わるはずだ!!」
 英二はさらに前へと飛び出し、両腕の銃を盾にして、胸を突き刺そうと突進する。

「否! 心が変わったと思うのは記憶が風化しただけの事!!」
 静紅は英二の頭を膝で蹴り上げる。
 顔面へと直撃した一撃に英二は数瞬、脳を揺さぶられてしまう。

 しかし、揺さぶられながらも、ニーズヘッグの背後にあるバズーカを肩へと移し、近距離から日ノ狼へと向ける。
 静紅は弾くように長刀の片方を離し、逆の方の刀へと無理矢理に力を加えバズーカの照準をズラす。
 照準がズレたバズーカは地面へと飛び出し、二人の直ぐ近くで爆発し、煙を上げる。

 被害を受けないように二つの影は後退していた。
 距離を取り、互いに睨み合う。

「そんなモノを変化とは言わない。だからこそ……私はあなたにその名前を返してもらう」
「ヘッ……何時までも生意気な事を言いやがって、んな事やったって無意味なのは、手前が一番知ってるんじゃねぇのか?」

 暗雲の空から水滴が零れ落ちる。
 始めはゆっくりと、その数は少しずつ増えていた。

「無意味と分かっていればやっていはいけないと? 所詮、生きることほど無意味な事など無いというのに……それでも、こうして生きながらえてきた。あなたこそ分かっているはずだ?」
「……何をだよ」
「戦場を駆け巡り数多の敵を駆逐してきたあなたなら……門倉と言う純然たる戦士の家系たるあなたなら。千人殺し、その名に宿る意味を理解できたはずだ」

 雨は次第に速く多くなる。

「……この名は、あの頃の手前にゃ重すぎたはずだ」
「かもしれない……。しかし、私は納得して殺した。戦えない老人、子供、妊婦に至るまで殺し尽くした。そして、その罪を受け入れる事も、生き残った者からの恨みを受け止める覚悟もあった。私がこの手で殺した1324人、その顔と名前を一時も忘れた事はない」
 駆け出したのは日ノ狼、雨を弾きながら、体制を低くして踏み込む。

「……だったらッ……! それでいいじゃねぇか」
 ゆっくりと加速するニーズヘッグはショットガンで対応していた。
 たった数瞬で6発の弾倉を全て静紅へと向け早撃ちし、一発としてブレる事無く同じ軌道で日ノ狼の顔面へと飛んでいく。

「いいワケがあるモノか! 私は統合軍の立場を利用してあなたに罪を被せて言い逃れた!」
 日ノ狼が地面へと刀を突き刺すと、地面から巨大な剣が突き出される。
 それだけで、連続した銃弾の全てを遮断してしまう。それどころか、剣が英二の足元からも飛び出してくる。

「そりゃ、手前がやったコトじゃねぇだろ。上が勝手に俺に押し付けて、俺が勝手に納得したんだ」
 避けながらも静紅に対応しようとするが、何事も無かったかのように直線から突っ込んでくる静紅に対し、英二は後ろへと後退して引き付けるしかなかった。

「ふざけるな! 私はあなたのそんな所が気に食わない!! だが、何より気に入らないのは、別に私がやらなくても、あなたがその名を名乗るのは変わらなかったという事実だ」
 英二がおびき寄せていると悟った静紅は、一瞬でフェイントを三回入れた後に静紅は左へと進行を変える。

「事実だぁ? んなモン、何処にある!」
 内心で舌打ちしながら英二は静紅の進行方向に散弾を放つ。

「あるんですよ……この世界は結果より生じたモノだから、一度は確定した未来が存在する。いや……そもそも、名など人を示す記号にすぎない。それでも、私の罪を現す記号はそれしかなかった。それをあなたに奪われた! 名を! 罪を! 覚悟を! だが、何より許せないのは私自身だ!! 虐殺した事に後悔など無いが他人に罪を被せてしまった事が我慢ならない!! それこそ……私はこれほどまでに恥辱を感じたことはない!!」
 構造体を盾にし、雨の中を走る静紅。英二の放った散弾は構造体に弾痕を残すに留まっていた。

「訳の分からね事ばっか言いやがって! 手前の恥辱なんざ知った事じゃねぇっつてんだろうが!! 俺は俺の好きなようにやっただけだ! 手前にとやかく言われる筋合いはねぇんだよ!!」
 一気に距離を詰めた静紅に対し、近距離でショットガンを向ける。
 その一方で片手でバズーカを持つ。

「それがあなたの正義だとでも言うつもりか!! ただのエゴだろう!! そうやって他人の罪を善意で被って、その他人の悪意にこうして殺される!!」
 散弾の射程距離から外れるように、蛇行するようにフェイントを入れながら静紅は距離を縮める。
 けれど、一向にショットガンの引き金は引かれず、代わりにバズーカが日ノ狼の後方へと飛んでいった。
 明らかに自分を狙った一撃で無い事に静紅は違和感を覚える。

「だから何だってんだ! 今から生き方を変えるには、少し遅すぎんだよ!!」
 放たれたバズーカの弾は後方のタンクにぶち当たる。
 かつて裏アリーナだった時の名残、無闇矢鱈に増改築を繰り返されたそこにはガスの貯蔵タンクも存在する。ガスは周囲を爆発させ、轟音を鳴らす。
 しかし、違和感を覚えた瞬間に静紅は英二から狙いを変え、頭上へと飛んでいた。

 そのまま、突っ込んでいたら後方の爆発のせいで隙が出来たかもしれない。
 判断は間違いではなかった、しかし、英二は静紅に対して妙な印象を受けていた。

「だったら、今からでも引退したらどうです? どうせ、古い時代は私が一掃する」
 爆炎が日ノ狼の影を照らしだす。

「……手前……。ナニする気だ」
 英二が抱いたのはこの程度だったのだろうか、という消極的な疑問。
 だが、その疑問は一瞬にして払拭される。

「今度は千人程度では済まさない。まず統合と言う腐った体系を焼き殺し……灰色のクリスマスを再来させる」
 あの狂気的な瞳。
 何かを達観したかのような、全てを諦めたかのような空虚な目に、全てを壊したいという強い欲求が重なっていた。

「馬鹿な真似を……灰色のクリスマス。ありゃ手前が主犯かよ」
「それこそ馬鹿な話ですね。私ならもっとう上手く殺る、信じられずともその証明もすぐにできるでしょう。……けれど、こんなものは所詮ついでのようなモノ。……私はただ、この世界を0へと変えたいだけだけですよ」
 あざ笑うような口調、すでに彼女は狂人には違いない。
 そもそも、戦士とは狂人でなければ務まらない。狂人であるからこそ、戦士となれる。

「0……だと?」
「そう、世界を原点へと回帰させ、あるべき姿へと変える。私は他人の盤上で踊るほど酔狂な心を持ち合わせていないのでね」
 その果てがどんなモノだろうと、敵がいるのなら切り倒す。と言う強い意志が見え隠れしていた。

「何を……っ」
 長刀が引きぬかれ、英二の方へと向けられる。
「AI、ノインツェーン、そして門倉! 例え世界が敵に回ろうと、私は止まらない!!」


 それまで、滞っていた気迫が一気に解放されるかのように日ノ狼が疾駆する。
 銃を構える暇すら無く、その懐に飛び込んでくる。
 徒手空拳たる英二の間合いにまでいながら、まるで、その長刀を何事も無いように振り回す。
「……ッ! 手加減してやがったのか!!」
「手加減? まさか……やっと、体が慣れてきただけですよ!」
 死の線が幾重にも繰り出され、それをギリギリと避け続ける。
 英二が手を出そうとすると、その直前に距離が取られ、高速の突きが放たれる。
 近接戦闘の攻防は圧倒的に静紅が有利だった。

 幼い頃の静紅の姿が重なり、直感的に英二の記憶が蘇らせられる。
 常に検査を受け入退院を繰り返していた静紅の姿、いつも仮想での生活すらも居心地が悪そうにしていた。
 思い当たるモノがあった。
「電脳症……それも、陰性のか!」
 電脳症には大きく二分ある。AIの脳波に近すぎるのが陽性、逆に遠すぎるのが陰性。普通の人間はその間を適度に彷徨っている、しかし、中にはそうしたはみ出しモノがいる。
 例えば陽性の場合は真の症状、他人に心を読まれたりセキュリティーが素通りできてしまう。ある意味では便利だが、陽性と違い、陰性は仮想世界そのものの活動すらも支障を来す。
 例えば、現実と比べ身体能力が大きく低下したり、それこそ、五感が狂う事さえもありる。実に戻ってもその症状が回復しない事例も多く、陰性の大半が仮想へと入らない生活を送っている。

「そう、アインスが何を思ってそうしたのかは知らない! だが、私は生まれながらにしてAIとは相容れない!!」
「手前……正気か!? 唯でさえ、お前の脳には最低限の電脳化措置しか解かされていないのに……そんな状態で!?」
 戦闘など無謀を通り越している。
 だが、静紅はそんなハンデを背負いながら同等以上の戦いをして見せる。

「……冗談だろう?」
「全身が鎖に縛られているような気分ですよ! 視界も嗅覚も聴覚も全てがまやかしにも思える!」
 そこで始めて英二は気づく、静紅の目に自分は映ってなどいない。直感と銃声だけで反応しているのだ。
 さらに、息を切らしている。この程度の戦闘で息を切らすなど、昔の、英二の知る静紅にはあり得ない姿だった。
 だとしたら、全身が鎖に縛られているというのも強ち嘘では無いのだろう。
 そして、昔より静紅の電脳症は明らかに悪くなっている、今は無くとも過激な戦闘を続けていれば現実の肉体はボロボロになってしまうだろう。

「何でそこまでして……手前はッ!」
 剣戟を避けながらも英二は銃を放つ。
 二つの影は強くなる雨の中でさらに激しくなっていた。
「理由? そんなモノは明白ですよ!! 気に入らない! 天上から駒を動かすように遊戯に浸るその傲慢な態度が気に入らない!!」
「それで反AIかよ!! 被造子でも無いお前がッ!!」

 レコンキスタの初代盟主。それが、かつての統合での静紅の位置づけだった。
 今でこそ被造子推奨派という統合の中でその立場を確率しているが、レコンキスタは元々静紅が指揮していた部隊と、若いながらも志と力のある彼女に心酔した者や協力者達の集団だった。
 小さいながら勢いがあり、統合軍の上層部からも彼女の一派を指示するものも少なくなかった。
 それが、歪んだのは何時からだったか。

 誰もが静紅を被造子だと思っていた。それこそ、被造子からも頭一つ飛び出すほどの成績を収めていたのだから仕方がない。
 確かに生まれの関係上、静紅は止む無く遺伝子を弄られている。
 広義に言えば被造子だ、しかし、それは一部の身体の正常稼働のためにすぎない。

「被造子は関係ないですよ! 私は神が嫌いでしてね! それこそ、殺したいほどに!! けれど、もっと気に入らないのは、神ですらないのに神のように存在するモノが気に入らない!!」
「気に入らない……そんな理由で!? 手前はそんな理由で人を殺すのか!!」
「だから、そう言っている!! 嫌なら止めて見てはいかがです!! 今、ここで!! あなたにはその権利がある!!」」

 静紅が一度、刀を納め。別の刀を手にする。
 居合。
 咄嗟に距離を取ろうとしたのが間違いだった。その刀の長さを見誤っていた。
 普通、居合抜きには不向きなシュミクラムの身長ほどある長刀。

「……ッ」

 その間合いを一瞬でも見間違えた英二が、避ける事などもはや不可能だった。
 抜き放たれた白刃の剣先がニーズヘッグへと向かう。
 水滴が微動だにせず切り裂かれ、空気すらも両断していく。

「その力があるのなら…………ですけれど」

 雷鳴が鳴り響き、豪雨へと天候は変わっていた。風は強くなり、何処かから崩れる音すらも聞こえる。
 そんな中で唯一、静寂を保っていた一瞬が解かれ。
 太刀筋がニーズヘッグの腹部を捕らえていた。


 *


 シュミクラムへと移行した三人は空を先頭に甲に脳内チップへと侵入する。サディアストスを抱えた真を見張れるようにレインが後ろにつき、ノイを乗せている。
 そんな中で、レインがノイに軽く疑問を聞く。
「ノイ先生はあの変態と知り合いなんですか……?」
「彼は学生時代によくウチの病院に来ていたから、知り合いと言えば知り合いかもしれん。まぁ、静紅は最後まで顔を出そうとしなかったがね」
 確かに顔色はあまり良いように見えないが、病人かと聞かれれば精神科では、と言う言葉を飲み込んでレインはノイに質問する。
「何か病気や体に問題でも?」
「問題……と言えば、問題なのだろうさ……。私からすれば、未だに彼が動いているのが不思議でならんよ」
 何処か遠い目で真の後ろ姿を見てノイはそう呟く。

「それって……」
 どう言う事かと聞こうとした時に前から言葉が交じる。

「あぁ、ノイてんてー。体はとっくに動いてねーぜ。どーせ、アセンブラに心臓まで溶かされてら」

 その言葉に空とピクリと反応する。
 嫌なモノを思い出したのだろう、サディアストスを見て忌々しげに口を開く。

「だったら、何で生きているのよ、あんたは……。まさか、不死身とか言わないでしょうね」
「ヒェハッハハ!! さぁて、何でだろうねぇ!! 逆に聞くけど、お前はさ、何で生きてるって質問に何て答えれんの?」
「それは……ッ」
 言葉に詰まってしまう。

「答えられねぇよなぁ。理由なんてねぇんだもん、生きてるから生きてる、そこに何でとか聞かれても、ハァ? としか答えらんねーよ。まぁ、強いて答えてやるなら、テメーらみたいな生きるために生まれた人間とは違うっつー事だ」
「何よ、それ……」
 心底おかしそうにケラケラと笑いだす。

「ヴァーーーーーカなお前に、特別に教えてやんよ。……俺はなぁ、人間の形をしただけのワクチンだ。姉貴にそういう風に生み出された、俺の生まれてきた役目は一つだけ…………好き勝手に生きて、神父をぶっ殺す事だけ」
「神父に対するワクチンだと?」
 ノイが驚き目を見開き、なにやら考え込んでしまう。

「無茶苦茶ね」
「実にアートだろぅ!? 美しい人生ってのは、破茶滅茶で無茶苦茶な方がいいんだよ!! だが、手前らアベックは認めねぇ!!」
「うるさいわね、別にあんたに認めて貰いたくも無いわよ!」

 そうこう言っている内に最終防壁にまで辿りつく。
 一人を除き、皆緊張した面持ちを作っていた。

「この先よね……」
「そー……この先に神父がいんぜ。つか、チョー眠みーんだから、さっさと終わらせろよ。俺ぁ戦わねーからな」
 ダルそうに腕や足をブラブラとさせるサディアス。

「そう言えば、何であんたさっきからまこちゃんのシュミクラムに抱えられてるのよ!」
「うっせーなー、今はシュミクラムにも移行できねーんだよ。それより、ノイてんてーもこっち来て猥談しよーぜー。それじゃ、そこのきょぬーが戦えねーじゃん」
 空を無視しながら、アイギスガードに抱えられたノイに顔だけ向けて言う。

「確かに。だが、それなら、真君はどうなる?」
「こいつも、俺を運ぶために来たんだから戦えねーよ。つーか、俺がここで死んだらアベックの片割れは一生、神父憑きだぜぇ」
 つまり、まことはサディアストスを守るために付いて来ただけという事だ。
 そう言われると誰も強く咎める事はできない。

「だったら、黙って後ろから見てなさいよ」
 ”黙って”の部分を空は強調して言う。
「そうするつもりだ……っつってんだろーがよぉう!」
 サディアストスが叫ぶ中、ノイが軽くアイギスガードの胸を叩く。
「ふむ、そういう事なら、レイン君の邪魔をするのも忍びない。私もそちらに行くとしようか、頼めるだろうか?」
「……わかりました。お気をつけて」
 注意深く警戒しながらも、ネージュエールにノイを渡す。
 まことは短く「任せてください」とだけ言う。
 その様子を確認してから、空が扉へと向く。
「それじゃ、行きましょうか……」

 ゆっくりとスライドするように、巨大な鋼鉄の扉が開きだす。
 誰もが一瞬、息を飲む。
 その間から滑りこむようにチェーンソーが飛び出してきたからだ。
 先頭にいた空は間一髪、体を捻り避ける事に成功する。

「ハーハハハッ!!!!」

 扉の中からは、不気味な目を頭部に付けた黒いシュミクラム。
 二本の巨大なチェーンソーを携えたパプティゼインが佇んでいた。

「……神父ッ!」
「いらっしゃいませェエ!! 女神〈ソフィア〉の化身! そして、腐り果てた我が半身よ!!」

 甲の脳内では狂気的な叫びが木霊していた。


 *



 日ノ狼とニーズヘッグ、二つの影は動かぬまま雨に打ち付けられていた。
「驚いた……」
 呟いたのは静紅。
 自らの愛刀の刃先に目を丸くする。
「今まで私の居合いを止めれた者は三人いた……けれど、こんな受け止められた方をしたのは始めてです」
 日ノ狼が持つ刃は半ばからへし折られ、弾き飛ばされた刃は地面へと突き刺さっていた。

 刹那の瞬間。
 英二は振るわれた静紅の太刀筋に合わせ、下からパイルバンカーで突き上げたのだ。
 ほんの、苦し紛れの一手。だが、受け止める事すら不可能だと悟った英二は咄嗟に腕を出し、一か八かの賭けに出て、それに打ち勝った。
 もう一度やれと言われてもできはしないだろう。

「……俺も、今のは流石に肝を冷やしたぜ」
 失敗していれば間違いなく胴体を切り離されていただろう、研ぎ澄まされた一閃。

「業物とはいえないまでも、お気に入りの一本だったんですがね……少々、無体なことをしてしまった。これも私の未熟さ故か」
 少し距離を取るように、折れた長刀を地面から抜き取り、鍔と共に大事そうにしまう。
 その姿を英二は何も言わずに見ているしか無かった。
 あまりに無防備、だが、それを撃ち抜くほど愚かな事はない。

 折れた刀を閉まうと、背後にある鞘の束が回転する。
 そして、一新されたかのように、十一本の刀が転送されてきた。その内の二本を両腕でゆっくりと抜き、流れるような動作で構える。
「失礼した。……影名三薙の内、二刀。右にあるは草薙、左にあるは神薙……これより、こちらも最高の武器で御相手仕る」
「やっと、本気になったってか?」
「それは違いますよ。私はずっと本気でした……ただ、手に馴染む武器ではなかったのを除いて」

 先に駈け出したのは英二だった。
「それが、本気じゃねぇっつってんだよ!!」
 グレネードランチャーを構え、突進する。
 一発目、放つ。
 煙を吐きながら、進むグレネードランチャーは静紅の目の前で二つに別れた。
 正しくは切り裂かれた。
 軽く右手を上げるかのような仕草。
 それだけで、切り裂かれ二つに別れた弾頭は地面へと叩きつけられ、静紅の背後で爆発する。

 だが、英二がそれだけで止まるような事はない。
「ナメんじゃねぇぞ!! ガキが!!」

 近距離でショットガンを日ノ狼の足に向ける。
 そのスピードさえ殺せば遠距離武器の無い日ノ狼に負ける事など無い。

 だが、日ノ狼の左手が大きく開き地面と水平に掲げられていた。
 それを見た瞬間、英二の中で警鈴が鳴る。今まで様々な戦場を生き抜いてきた直感、それが逃げろと命じていた。
 一見、隙だらけの体制。だが、英二は自分のその直感を信じた。
 ショットガンを手放す。

 結果的にその判断は間違いではなかった。
 人差し指と中指の間に風が通り抜ける。そう感じた瞬間にショットガンの引き金が切り裂かれていた。
 体制を低くし、一気に接近する。
 せめて一撃、そう思い、日ノ狼の横腹へと掌底を放つ。
 だが、日ノ狼は足を軸に回転しその背部に背負っていた刀が鞘から引きぬかれ英二を襲う。

 凍えるような冷たい声が響く。
 普通ならここで足を止めてしまう、しかし、英二はさらに前へと出た。日ノ狼の腹部を殴り、日ノ狼の回転とは逆方向に拳を振るう。
 勢いを殺された一撃で仕留めれないと判断した静紅は、すぐに返す刀をニーズヘッグに向ける。

 悍ましいほどの速さで返ってくる刀に英二は横っ飛びをして回避する。
 追いかけられる前に体制を整えるが、突き出ていた肩部の装甲が切り取られていた。

「……クソッ」

 明らかに状況は英二に不利だ。 そう悟った英二は聳え立つ摩天楼の中へと駆け込んでいた。
 裏アリーナの性質上、素人が増改築を繰り返したために、大小様々な道が複雑に絡み合っている。
 中には事故修復機能や改築するための改造ウイルスやドローンもいるし、ジャミング機能も薄くだが生きている。まだ、稼働しているのに驚くべきか。かつても無法者達のメッカの名残か、壁にはクラッカーで描かれたマークや解体途中のシュミクラムが転がっている。
 散らかった床を蹴飛ばしながら、背後に向かって散弾を放つ。
 追いかけてくるのは当たり前だ、そして、建物の中であるためにその回避能力にも壁という制限が付く。

 静紅は散弾を向けられた瞬間に射程距離から引き、直ぐ近くの横道に入る。
 マップを確認して次の接触点を計算する。
 だが、横の壁を切り裂いて極太の刀身が出現し、チェーンソーを掻き鳴らしながら、火花を散らし、壁を切り裂きながら襲いかかってくる。
 驚きながらも英二はそれをスライディングするように避けていた。
 なんとかこけないように上体を起こすが、さらに、壁を十字に引き裂き、奥から日ノ狼が現れる。

「地の利があると思っていたんでしょうが……残念ながら、この中は私の”遊び場”だったという事をお忘れですか?」

 そう、かつての裏アリーナと呼ばれ、ここまで発展しながら、放棄された理由。
 それは事件として扱われたが、すぐにアウトローな者達の抗争という事でもみ消された。
 不動とまで言われたチャンピオンの乱心。
 参加者、観客、オフィサー、裏アリーナに関わった者の大半が、たった一夜にして殺されるという前代未聞の惨事。
 それは、如月寮から静紅が姿を消してすぐの話だ。故に、事情を知る者の大半が彼女を疑っていた、尤も、政府にもみ消されてしまったせいで誰も強く言えなかった。

「こっちは手前の仕業で間違いねぇんだな」
「えぇ、私が出て行くので必要が無くなったから、人材補強と教育の一貫ですね。まぁ、その後しばらく、そのスジの人達と遊ぶのは楽しかったですよ。何せ……数だけはいましたからね!」
 皮肉めいた言い方で頬を歪ませ、狭い廊下で巨大なチェーンソーを振り上げる。
 チェーンソー独特の耳鳴りをするような音が反響する。

「懲りねぇなぁ、手前は……」
「性分ですよ……。さぁ、掻き鳴らすは断刀、大連山」

 建物の全てが悲鳴を上げるような音と共に、火花を上げ天井を両断しながら、ニーズヘッグへと襲いかかる。
「今より、第二ラウンドと行きましょうか!!」

 叩きつけられた地面は地響きを鳴らし、打ち砕かれいていく。
 今までとは打って変わったような荒々しい剣技。

「来いよ! いい加減にケリをつけるてやる!!」

 英二は近接戦闘では勝てないと判断し、距離を保ちながらショットガンを撃つ。また、静紅は横道にそれて視界から消える。
 確かに静紅にとって見慣れたマップでの戦い。

 しかし、圧倒的に有利かと問われればそうではない。限られた空間で避ける場所が少ないため、どうしても足が殺されてしまう。
 逆に、ニーズヘッグの強みはどんな状況でも十全の力を発揮できる、オールマイティーなセッティングにある。
 近接戦闘が得意な相手には遠距離から、遠距離からの戦闘に得意な相手には近距離から、自分の土俵に上がらせる事で相手の力を削ぐ。それが、英二の戦い方だった。

 視界に時折と日ノ狼が交じる。
 できるだけ、距離を離し、ショットガンで対応する。静紅は後退せざるおえず、戦況は一気に膠着していた。

 英二はそんな中、直線に逃げれば、また、追われるだけだと、無造作に壁へと散弾銃を撃ち、突き破る。
 レーダーは全体にジャミングが生きているのか、ほとんど機能しておらず、相手の位置はほとんど解らない。
 それだけに頼れるのは自分の耳とカン。尤も、雨の音により、足音すらも聞こえなくなっていた。

 それでも、何とか相手の位置を探ろうと目を閉じ、耳に神経を集中する。
 頭上。
 咄嗟に通気口から離れる。
 落ちてきたのは巨大な瓦礫、そして、その上に乗る日ノ狼。
 煙を上げながら現れた日ノ狼が、一抱えもある古臭いプロペラ式の羽をニーズヘッグへと投げる。回転速度の付いたソレは間違いなく凶器だった。
 それを姿勢を低くして避けながら、ショットガンを日ノ狼へと構え、最速で放つ。

 しかし、引き金を引く直前、静紅が突き出したチェーンソーが、ショットガンの銃口の前に陣取っていた。
 弾が出る方が速かったのか、チェーンソーが突き刺さるのは速かったのかは分からない。
 ショットガンは暴発し中に入っていた銃弾が、そこらかしこに飛び散り跳弾する。

 チャンスだと判断した英二は多少の傷など気にする事無く、チェーンソーの横腹を肘で壁へと叩きつけ、一気に日ノ狼に接近する。
 チェーンソーから手を離した静紅は、鍔に手をかける。

「刀は抜かせねぇぞ!」

 英二は刀を抜き放とうとした鍔に蹴りを放つ。
 そこまで、やられては静紅も刀を抜けず、蹴りを放った英二へと手を向ける。

 手刀。
 まさに、刀のように極限まで鋭く研ぎ澄まされた一撃がニーズヘッグの首へと直進する。
 英二は両腕をクロスにして、それを受け止めるが、盾にした右腕の装甲がへこんでいくのを感じていた。
 だが、英二もそこで終わる気はない。片足で押し返すように手刀を上へと跳ね除け、左手で拳を握り締め、日ノ狼の頭部に渾身の一撃を放つ。
 日ノ狼が始めて体制を崩した。
 けれど、手応えが薄い、受け流すように自ら飛んだのだろう。

 その違和感が消えない内にニーズヘッグの視界が一転する、気付いた時には投げ飛ばされていた。
 ニーズヘッグの巨体が壁に叩きつけられ、外壁の外へと飛ばされる。
 地面は何かの屋根の上だ、頭上からの雨はさらに早くなっていた。

 体制を整える前に日ノ狼が追いかけてくる。
 再び二振りの刀を手に持ち、一瞬前まで英二がいた地面を両断する。
 ショットガンは二つとも失ってしまった。仕方なくグレネードランチャーを構え、日ノ狼の足元へと向けて放つ。
 足の遅い弾頭で捉えられるワケもなく、立っていた屋根に穴を開ける。
 
 日ノ狼がニーズヘッグへと距離を詰めようと加速をする。
 異変はその時に起こった、不意に日ノ狼が失速をしたのだ。
 あり得ない事にそのまま日ノ狼が膝を付いていた。
 その一瞬を見逃すはずがなく、ニーズヘッグは日ノ狼を蹴り上げ、グレネードランチャーの腹で叩きつける。
 地面を日ノ狼が滑りながら転がってしまう。
 当たると思っていなかった英二は何故かと疑問を抱くが、すぐに氷解し苦苦しく口を開く。

「……だから、言っただろうが、」
 近づくだけで分かるほど静紅の息切れが激しくなっていた。
 症状を抑制していた薬が切れたのか、仮想での活動に制限が付いているのかは定かではないが、明らかに静紅は焦燥していた。
 よく見ると全身が震えている。

「何を……言い出すかと思えば。まだ……終わってないでしょう? ようやく、楽しくなってきたのに…………私が決着以外の終わらせ方なんて認めると思っているんですか?」

 それでも、立ち上がり静紅は刀を構える。
 だが、その足元は震えていた。

「そうかよ……」
 英二はそれ以上何も言わず、グレネードランチャーを日ノ狼の頭部へと向ける。

「手前も碌な死に方しねぇとは思ってたが、こんな終わり方とはな……」
「終わり? 私が…………? まだ、これからでしょうが!!」」
 日ノ狼が体制を低くして這うように駆ける。
 だが、その足さばきにも今までの精細は見れない。
 その足に向かって今度こそ英二はグレネードランチャーを撃ち込んだ。
 苦痛を訴える声と共に日ノ狼の右足が爆発する。だが、片足だけで踏み込んで日ノ狼は一気に加速した。

 そんな状況の中で静紅は息を切らしながら笑っていた。
「ハハハッ!!」
 まるで、子どもが必死になってはしゃぐように。
 日ノ狼が長刀を振るう。
 その太刀筋は的確だが、踏み込みができず勢いが無い。ニーズヘッグはそれを片手で受け止め、日ノ狼を殴り飛ばす。

「忍びねぇなぁ……おい」
「黙れ……」
 静紅の視線の先に構えた長刀の先が揺れ動く。
 何度も振るってきたはずの刀が異常に重く感じる、視線の先にいるはずのニーズヘッグは暗雲の色と重なり、歪んで見える。
 重力が筋肉を細部まで締め付け、体内の臓器が一斉に絞めつけられるような不快感が全身を襲う。

「そんな目で私を哀れむなよ門倉 英二ィ!」
 それでも長刀を振るう。
 力任せに振るわれた一撃をニーズヘッグは軽くいなし、その腹部に蹴りを入れる。
 日ノ狼は地面へと落ちていく。

「もういい……これで、終わりにしようや」

 グレネードランチャーの銃口をその額に向ける、英二にとって、それが静紅に向けた最後の優しさだった。
 だから、その声は幻聴にも聞こえた。
「二度も言わすな」
 底冷えするような低い女の声。

 突然、日ノ狼の背部にある鞘が一斉に抜刀しその一刀が無造作にグレネードランチャーを切り裂いた。
 狂気的な瞳孔の開いた瞳。日ノ狼の顔がニーズヘッグの近距離に存在した。

「私を哀れむなと」
 英二は日ノ狼から距離を取ろうとするが、足に刀が突き刺さっている。
「しまッ……!」
 日ノ狼の腕がニーズヘッグの首を掴み上げていた。
 その腕は震えているが、力強く逃れる事を許さない。

「つ・か・ま・え・たぁ」
 唇を釣り上げて静紅が笑みを浮かべる。
 咄嗟に英二は背中にあるバズーカを取ろう手を動かすが、柄に触れた瞬間に刀が突き刺さる。
 もう片方の手で殴りつけようと振りかぶろうとした瞬間に腕が断ち切られる。

「ハハハハッ!! なぁ、門倉 英二! 貴方から見て私はそれほど哀れなのか!?」

 両足にも長刀が突き刺さっている。
 雨が二つのシュミクラムを濡らし無色を彩いた。
 まるで、全ての時間が止まったように英二がその言語を口にする。

「……ああ、哀れだな……誰にも望まれずに生まれてきた、お前はよぉ……」

 静紅の目が見開かれ。
 ニーズヘッグを叩きつけるように地面へと投げ捨て、動けないニーズヘッグの顔を踏みつける。
 踵でギリギリと顔に圧力をかける。

「哀れむな! お前たちが……ッ!」
 何度も踏みつけられ、ニーズヘッグの装甲にヒビが入る。
「……だって、実際、そうなんだろ。……失敗作」

 一際、強く踏みつけられる。
 顔面の装甲が砕け、ニーズヘッグの中がむき出しになってしまう。
「ああ、最悪だ! 神経を逆撫でされるようだ! お前たちが勝手に期待して、勝手に失敗したんだろうが!! 自業自得なんだ、そこから目を逸らして私を哀れむなんて不愉快この上ない!!」

 もはや理性の色が無い静紅の瞳が英二を睨みつけ、長刀をその首筋に当てる。
 だが、その直前で静紅の表情が愉悦に歪む。
「そうだ、何か言い残す事は? ……甲君にでも伝えてあげよう。きっと面白くなる」
「……」

 英二は短い沈黙を作り、笑いながら呟く。
「お前なんて……生まれてこなければ良かった」

 言葉の意味を理解しようとしなかった静紅が一瞬、その動きを止める。英二がその隙を見逃すはずはなかった。
 しかし、脳裏とは裏腹に体はまったく動こうとはしない。
 静紅の表情は歪み、眉間に皺を寄せる。激昂した静紅は長刀を振り上げ、逃げれないように足で抑えたその首筋へと向けた。

「もういい! 二度とそのふざけた口を開けないようにしてやる!!」

 その尖った切っ先は寸分違わず首へと突きつけられる。
 いくら静紅がその身体能力を低下させてても、失敗することなどあり得ない。
 だから、それは本当に偶然だった。

 元々、古くなっていたドコかが二人の戦いで崩壊したのだろう、静紅の背後から爆発が起こる。
 振り返った時には遅かった。
 巨大な摩天楼が爆発で傾き倒れるように落ちてくる。

「……っ!?」
 二人は息を飲み、静紅は咄嗟に体を動かしていた。
 トドメを諦めて落ちてくる摩天楼から逃れる。
 それは功を制し、煙を立てながら落ちてくる摩天楼、破片をまき散らしながら崩壊する。
 今まで立っていた屋根は弾かれた雨粒のように吹き飛ばされ、構造体全てを揺るがしていた。

 静紅はなんとか、高所に逃げたがニーズヘッグの傷ついた足では助からないだろう。
 構造体の主要部分が崩壊を起こし、先程までいた建物の一部にバグが発生し不可思議な裂け目が生まれていた。
 虚数空間は精密だ、それ故に素人のシステムエンジニアが失敗すれば様々なバグが生まれる。そして、そんなバグに飲み込まれれば、例え脳が生きていようと一生抜けられない空間を彷徨うと言われている。そういう確証こそ無いが、生還した者はいない。

「こんな決着もまた一つか…………。なんだ、案外つまらないものだな」

 無気力になった瞳で、静紅は豪雨を振らせながら崩れていく構造体の中、門倉 英二がいたはずの場所を見下ろしていた。





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