WAKONOTE

Flower

やさしい人へ

 とても長い記事なので続きはmoreで。読みにくいところはあとで整理します。

 29日、友人のミクニキューさんが亡くなられました。闘病宣言をされてから半年たたずに。丸顔につややかな黒髪、大きくてくりくりした目の、おっとりしたお嬢さん。ゲームと絵と動物が好きで、描くイラストは本当にほのぼのしたタッチで、人柄がにじみ出ているんです。常ににこにこ笑ってたなー。誰も彼女を嫌ったりはしなかったでしょう。
 心より、ご冥福をお祈りいたします。


 訃報を聞き、気持ちの整理がつかないまま、共通の友人に電話をかけました。電話の向こう、悲鳴のような「なんで彼女が死ななきゃならないんですか」という言葉が耳から離れない。今は力になりたかった、至らなかった…そんな悔しい思いがこみ上げます。彼女のこと、あんまり知らなかった。もっと話を聞きたかった、一緒にゲームをしたかった。

 まだ信じられないでいます。最後にいただいたメッセージは1月6日、「回復に向けて頑張ります」と。そして私の家族を気づかう言葉、娘の話を沢山聞きたいと……。病気の進行は抑えられてるって書いてあった。…だから信じてた。
どうして本当のことを言ってくれなかったのか無念でたまりません。彼女は友人たちを気づかってくれ、自分の辛さを隠し通しました。本当に優しい人ね。

 私は彼女と4年前に知り合い、ゲームや絵を通して遊ぶことが年に2、3度ありました。擬音まじりの独特の口調で話されるので、最初はちょっと不思議ちゃん?と思ったりもしました。親しくしていても核心に近づけない、そんなところがありましたね。
 だから本心に触れたくて、会ったときには突っ込んだ質問をしてみたり、展覧会に誘ったりして、キューさんを包んでいるヴェールの中に入ろうとしたんですよ。「世界遺産 ナスカ展」を一緒に見に行ったのもそういう気持ちがあったのです。二人で地上絵の上を歩いたんだった。この展覧会では、普段見られないキューさんの洞察力を知ることができました。たまに直感的な感想を言う。あ、この人と色んなものを見たら面白いぞと思いました。余計なことは言わないけれど頭の良い人。機会があればもっと誘ってみよう!と考えていました。
 その後二人で会ったのは、8月のディズニー・アート展と12月にWiiを買うために有楽町で徹夜行列したとき。主人(当時は彼氏)が有楽町なら確実だと連絡をくれたので並びました。後から、「秋葉原に行っていれば、寒い中徹夜しなくて済んだんだよね。俺の判断ミス。」と言うのだけれど、私は「友達と一緒にお祭りに参加したのが楽しかったんだからいいのよ」と答えたのです。一晩中キューさんとゲームしたりおしゃべりをしたりして楽しかった! 8時間が飽きなかったなー。差し入れの豚丼をふうふう言いながら二人で食べたなあ。

 それ以降は私の結婚と引越しで、グループで会うだけになりましたが、やっぱりもう一歩心に踏み込めないことがありました。話題も口調も描く絵も、日記も、夢の中に住んでいるみたい。一度だけ、健康保険料が値上がりしたときに「まとめて払っているから結構出費が増えちゃって〜」なんて言っていたのが唯一現実的な話題だったかも。キューさんに病気や苦しみなんて似合わなかったよ。

 彼女へのもどかしさ。それを破ることができたら…と悔やまれます。病名は聞いていました。でもそれ以上踏み込むことはできずにいました。「元気です♪」という言葉を信じて、楽観的に考えていたから。バカな私! もし容態が悪かったらという現実から目を背け、力になってやることができなかった…。妊娠中の私ができることは、子供を無事に生んで彼女を元気づけてあげられることだけでした。出産したとき彼女からもらった短いメッセージが本当に嬉しくてありがたくてたまりませんでした。病気と闘いながら他人の出産を祝うことができる…信じられないくらい強い精神力と優しさがあってのことでしょう。

 10月半ば、「負けるな!」といつになく強い口調でメッセージを送りました。そして来年お会いしましょうと、再会を疑いもせずにいたんだっけ。亡くなってから、そのときすでに末期だったと聞きました。それなのに気を遣って、病状を伝えることもせず…。もっともがいて、生にしがみついて欲しかったと思いました。でも彼女は諦めて病気に屈服したんじゃない。病の力が強すぎただけだよね。

 やり残したこと、数えきれないと思います。少しでも遺志を継げるなら、できることはしたい。たとえば絵を描くこと。
 キューさんが熱心にされていたことのひとつに、雑誌へのイラスト投稿があります。ゲーム誌「ニンテンドードリーム」の長年の読者で、ずっと投稿をされていました。掲載される時は大きなサイズのことも多く、イラストの技量の確かさとゲームへの愛を毎月誌上で披露されていて、私もいつも楽しみにしていたものです。彼女のイラスト(CGではない)を見ると、ほのぼのしたタッチではありますが、画材がしっかりとついています。強い絵です。プリントしたものの何百倍も強いエネルギーを持った絵なのです。

 あるとき、合作をしようという話になり、私の家で制作することになりました。最初他人のツールに慣れないためか、「本当に今日出来るのか?」と思うほどのんびり描かれていたので驚いたのですが(早描きだと思っていたので)、私がご飯を作って戻って来ると、めざましい進捗を見せていて、これまたびっくり。忍耐強い人だなあと感じた瞬間です。
 そのときの作品は、事情があって私の名前を出せないので、ユニット名を彼女が考えてくれたんですが、「パール★島」というの。妙ちきりんですよね。さりげなくキューさんの名前と私の旧姓が入っています。また使う時のためにサインまで作ったけれど、最初で最後となってしまったな…。
 題材はニンテンドーDSのゲーム『おいでよ どうぶつの森』。プレイヤー同士でお互いの村に「おでかけ」できるシステムがあります。実際におでかけをした時の様子を絵にしました。女の子とくるぶし(青いサイ)、椰子の木と貝殻がミクニキューさんの作、その他が私です。ここに描かれているのは単なるゲームキャラではない、キューさんと私の分身なのですよ。
 そして雑誌に投稿し、見事大判掲載となったのです。本は入手困難ですので、ここに原寸大のデータを掲載し、彼女を偲びたいと思います。 

ミクニキューさんとの合作です。←クリックで原寸表示します
 
 ミクニキューさん、ありがとう。どうか安らかにお休みください。あなたからもらった優しさ、ずっと心に留めます。そして天国から、ご家族のことを見守ってあげてください。

2 Responses to “やさしい人へ”

  1. 2 月 3rd, 2010 at 16:50

    おうじ says:

    さわこさんも事前に聞いてたんですね。。よかった。

    「皆に言えない」と聞いた後、その後 特にどうなったかは聞いてなくて、言ったのかなぁと思っていたんですが、先日、草さん達も聞いてなかったと言ってたので、やっぱ言ってなかったのか~と思ってました。

    文を読んでいて思い出したんですが杉並のウチでのエピソード。
    ここではちょっと書けませんがソレを思い出すと・・・色々な意味で感慨深くなります。。。

  2. 2 月 3rd, 2010 at 17:10

    sawako says:

    >おうじさん
    連絡などいろいろありがとうございました。
    せめてみんなでお別れしに行けてよかったです。

    私は遠回しに病名を聞いて、すごくショックだったけれど、病状についてはキューさんの言葉を信じていました。
    病気がきついのではなく、病院での生活が辛いと聞いたので、ほんとに鵜呑みにしてしまってね…。
    その時のメール、切迫早産の私のことばかり気づかってて…比較になんかならないくらい自分が大変なときに。優しすぎて涙が出る。

    杉並のお宅にお邪魔した時ね。私もいろいろ思い返します。
    ああやってお酒飲みながらバカ騒ぎをしているとき、キューさんの隠れた一面が垣間みられたりして
    もっとああいう機会が持てれば良かったと思います。

    彼女を偲ぶ会をもうけましょう。思い出してあげることが供養になれば…。

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